中日ドラゴンズへFA移籍した川崎憲次郎投手から~ファンの皆さんへ |
[2000/12/20] |
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こんにちは中日ドラゴンズにFAで移籍した川崎憲次郎です。
今季プロ生活12年目にして初めてFA権を取得し、12月18日月曜日に中日ドラゴンズに移籍しました。最終結論を出すまでには、FA権を取得してから1ヶ月以上の日数を要したことになります。その間の自分の行動・発言は日々報道されてきた訳ですが、僕にとって一番辛かったのは、プロ野球を支えて下さっているファンの皆様、特にこれまで応援して下さったヤクルト・スワローズのファン、の自分に対する誤解、でした。ですから今回選手会のHP上で、僕がどうして最終的に12年間お世話になった最も愛着のあるヤクルト・スワローズを去り、中日ドラゴンズに新天地を求めたのか、をお伝えしたいと思います。
今シーズン最終戦の後、僕の気持ちにあったのは、スワローズへの残留か、かねてからの夢であったアメリカ大リーグへの移籍でした。スワローズからはFA宣言までの間、数回に渡り条件の提示がありましたが、金額の問題よりもまずその対応にどうしても納得がいきませんでした。僕は今回の交渉に臨むにあたって、金銭的な条件よりもまず気持ちを一番に考えていましたが、残念ながら熱い気持ちはどうしても感じ取れなかったのです。詳細はお伝えできませんし、スワローズにも色々と言い分があるのはわかっています。しかし、少なくとも僕には熱意とか誠意とか「気」に繋がるものは感じられませんでした。一連の交渉経緯については、最終的にスワローズの球団社長から謝罪の言葉を頂きましたので、今は何もわだかまりはありませんし、条件についても球団として目一杯の提示を最後には出してくれたと思います。今の自分に言えるのは、大リーグからの条件や中日ドラゴンズからの条件を比較検討の上出たのであろうヤクルト・スワローズからの最後の条件提示が、仮に最初から出ていれば、FAをせずに残留していたかもしれない、ということです。一部の報道で「川崎、3年12億要求」と書かれたこともあり、あるインターネットの掲示板には「川崎、何様だ!」等ファンの怒りの声も多数あったことも知っています。ただ、皆さんに知って頂きたいのは、自分の望んでいた条件は3年12億というような無謀なものではなかったということです。最後に出された条件は、若松監督、コーチの皆さん、古田さん、高津さん、スワローズのチームメイト全員が球団に「川崎残留」を強く要望してくれたことがあって出てきたものです。僕は来季から今までのチームメイトを敵に回してマウンドに立つことになりますが、みんなが僕に対してしてくれた行為、気持ちを大切にしていきます。スワローズを去るにあたって心残りなのが、最後まで引き留めてくれたチームメイト、12年に渡り熱い応援を下さったファンの皆様との絆です。その心は忘れません。
アメリカ大リーグへの夢は、以前から強く持っていました。今回、クリーヴランド・インディアンス、ボストン・レッドソックス、フィラデルフィア・フィリーズ、シカゴ・カブス、コロラド・ロッキーズが手を挙げてくれたことは本当に光栄でした。その中でもアメリカに行くならここにしよう、と思った球団はレッドソックスでした。レッドソックスからは、凄く熱い気持ちが伝わってきましたし、家族へのサポートの約束があったり、エージェントを通じて日々伝えられてくるレッドソックスの自分に対する獲得意思は想像以上のもので、チームを支えるフロントの一員としてのプロフェッショナルな対応は感激するに十二分でした。最終的に出てきた条件も自分としては超破格、日本の球団のオファーを上回る、2年契約で最低保障金5億円でした。ただ、結果として僕は日本残留を決めました。それは、自分を含めた家族みんなのしあわせを考えた時にそちらの選択の方がよりベターだと思ったからです。プライベートなことなので詳細理由は省きますが、大リーグ行きを断念した理由として一部で言われているような、「妻子の反対」は全くなく、逆に家族は全面的なサポートをする準備すらしてくれていました。僕の、家族に対する思いと、大リーグに対する思いとを天秤にかけた上での、苦渋の決断でした。
FA解禁日に亥の一番に手を挙げてくれたのが中日ドラゴンズでした。先に言った通り、当初自分の考えとしてスワローズ残留かアメリカ大リーグへの挑戦、が第一選択肢でしたが、最初に電話を受けた時から言葉では表現できないような熱い「気」が伝わってきました。佐藤社長、主な交渉窓口となった児玉球団代表補佐、そして星野監督からはそれぞれ形こそ違いあれ熱すぎるぐらいの気持ちを頂きました。佐藤社長からは三度に渡り、計40枚以上の手紙を頂戴し、訥々と自分に対する思いを訴えかけてくれました。児玉代表補佐からは、ことある毎に電話を頂き、また忙しい中、何度も東京へ足を運んで下さいました。星野監督は、ドラフト前夜にもかかわらず、会食にもお誘い頂き「ドラゴンズにお前の『気』を注入してくれ」と熱い激を飛ばしてもらい、その後も何度も電話で語りかけてくれました。「気」を誉められるとはこれほどの嬉しいことなのか、と思いました。スワローズからはどうしても感じられなかった何かを(それは気持ちだと思いますが)、ドラゴンズからは最初に電話を貰った時から感じることが出来ました。ですからFA解禁後から1週間程経った時点で、日本に残留した場合の行き先は、気持ちの中では名古屋になっていました。その後約1ヶ月間、メジャーとの交渉が長引く中においても、誠意ある言葉と共に僕の最終結論を待ってくれ、メジャーを断念した段階で自分の気持ちとしては、21世紀は中日ドラゴンズでプレイをしたいという意思が固まっていました。最終連絡をした時の星野監督の声は、携帯電話を5m離していても聞こえるぐらい物凄いリアクションで、本当に僕を必要としてくれているのだと痛感できました。来季は星野監督が望まれる通り、ジャイアンツ・キラーとして名古屋ドームのマウンドに立ちはだかりたいと思います。
ヤクルトファンの皆さんには、大変申し訳ない気持ちで一杯です。これまで12年間の応援本当にありがとうございました。僕は中日ドラゴンズのピッチャーとして、チームを変わり来季からは敵となりますが、敵でありながらも皆さんに拍手喝さいをして頂けるような選手となるよう、これまで以上に頑張ります。そして、ドラゴンズファンの皆さん、来季からはジャイアンツ・キラーとしてのみならずチームを常時優勝に導けるような熱い投球をお見せしたいと思います。
ファンの皆さん、マウンド上での僕の鼻の穴の拡がり方にご注目下さい。テレビの向こうでも鼻息が感じられるぐらいの、気合いの投球で頑張りますので、今後とも応援宜しくお願い致します。
中日ドラゴンズ
投手 背番号20
川崎 憲次郎
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