さわやかな
若葉時も
過ぎて、
日増しに
黒んで
行く
青葉のこずえにうっとうしい
微温の
雨が
降るような
時候になると、
十余年ほど
前に
東京のSホテルで
客死したスカンジナビアの
物理学者B
教授のことを
毎年一度ぐらいはきっと
思い
出す。しかし、なにぶんにももうだいぶ
古いことであって、
記憶が
薄くなっている
上に、
何度となく
思い
出し
思い
出ししているうちには
知らず
知らずいろいろな
空想が
混入して、それがいつのまにか
事実と
完全に
融け
合ってしまって、
今ではもうどこまでが
事実でどこからが
空想だかという
境目がわからない、つまり
一種の
小説のような、というよりもむしろ
長い
年月の
間に
幾度となく
蒸し
返された
悪夢の
記憶に
等しいものになってしまった。これまでにもなんべんかこれに
関する
記録を
書いておきたいと
思い
立ったことはあったが、いざとなるといつでも
何かしら
自分の
筆を
渋らせるあるものがあるような
気がして、ついついいつもそれなりになってしまうのであった。しかし、また
一方では、どうしても
何かこれについて
簡単にでも
書いておかなければ
自分の
気がすまないというような
心持ちもする。それで、
多少でもまだ
事実の
記憶の
消え
残っている
今のうちに、あらましのことだけをなるべくザハリッヒな
覚え
書きのような
形で
書き
留めておくことにしようと
思う。
欧州大戦の
終末に
近いある
年のたぶん
五月初めごろであったかと
思う。ある
朝当時自分の
勤めていたR
大学の
事務室にちょっとした
用があってはいって
見ると、そこに
見慣れぬ
年取った
禿頭のわりに
背の
低い
西洋人が
立っていて、
書記のS
氏と
話をしていた。S
氏は
自分にその
人の
名刺を
見せて、このかたがP
教室の
図書室を
見たいと
言っておられるが、どうしましょうかというのである。その
名刺を
見ると、それはN
国のK
大学教授で
空中窒素の
固定や
北光の
研究者として
有名な
物理学者のB
教授であった。
同教授にはかつてその
本国で
会ったことがあるばかりでなく、その
実験室で
北光に
関する
有名な
真空放電の
実験を
見せてもらったり、その
上に
私邸に
呼ばれてお
茶のごちそうになったりしたことがあったので、すぐに
昔の
顔を
再認することができたが、
教授のほうではどうもあまりはっきりした
記憶はないらしかった。
教授が
今ここの
図書室で
見たいと
言った
本は、
同教授の
関係した
北光観測のエキスペジションの
報告書であったが、あいにくそれが
当時のP
教室になかったので、あてにして
来たらしい
教授はひどく
失望したようであった。
それはとにかく、
自分らの
教室にとっては
誠に
思いがけない
遠来の
珍客なので、
自分は
急いで
教室主任のN
教授やT
老教授にもその
来訪を
知らせ
引き
合わせをしたのであったが、
両先生ともにいずれも
全然予期していなかったこの
碩学の
来訪に
驚きもしまた
喜ばれもされたのはもちろんである。しかしB
教授はどういうものかなんとなしに
元気がなく、また
人に
接するのをひどく
大儀がるようなふうに
見えた。
それから
二三日たって、
箱根のホテルからのB
教授の
手紙が
来て、どこか
東京でごく
閑静な
宿を
世話してくれないかとのことであった。たしか、
不眠症で
困るからという
理由であったかと
思う。
当時U
公園にS
軒付属のホテルがあったので、そこならば
市中よりはいくらか
閑静でいいだろうと
思ってそのことを
知らせてやったら、さっそく
引き
移って
来て、
幸いに
存外気に
入ったらしい
様子であった。
その
後、
時々P
教室の
自分の
部屋をたずねて
来て、
当時自分の
研究していた
地磁気の
急激な
変化と、B
教授の
研究していた
大気上層における
荷電粒子の
運動との
関係についていろいろ
話し
合ったのであったが、
何度も
会っているうちに、B
教授のどことなくひどく
憂鬱な
憔忰した
様子がいっそうはっきり
目につきだした。からだは
相当肥っていたが、
蒼白な
顔色にちっとも
生気がなくて、
灰色のひとみの
底になんとも
言えない
暗い
影があるような
気がした。
あるひどい
雨の
日の
昼ごろにたずねて
来たときは
薄絹にゴムを
塗った
蝉の
羽根のような
雨外套を
着ていたが、
蒸し
暑いと
見えて
広くはげ
上がった
額から
玉のような
汗の
流れるのをハンケチで
押しぬぐい
押しぬぐい
話をした。
細かい
灰色のまばらな
髪が
逆立っているのが
湯げでも
立っているように
見えた。その
時だけは
顔色が
美しい
桜色をして
目の
光もなんとなく
生き
生きしているようであった。どういうものかそのときの
顔がいつまでもはっきり
自分の
印象に
残っている。
一度S
軒に
呼ばれて
昼飯をいっしょにごちそうになったときなども、なんであったか
忘れたが
学問には
関係のないおどけた
冗談を
言ったりして
珍しい
笑顔を
見せたこともあった。
ある
日少しゆっくり
話したいことがあるから
来てくれと
言って
来たのでさっそく
行ってみると、
寝巻のまま
寝台の
上に
横になっていた。
少しからだのぐあいが
悪いからベッドで
話すことをゆるしてくれという。それから、きょうはどうもドイツ
語や
英語で
話すのは
大儀で
苦しいからフランス
語で
話したいが
聞いてくれるかという。
自分はフランス
語はいちばん
不得手だがしかしごくゆっくり
話してくれればだいたいの
事だけはわかるつもりだと
言ったら、それで
結構だと
言ってぽつぽつ
話しだしたが、その
話の
内容は
実に
予想のほかのものであった。
自分にわかっただけの
要点はおおよそ
次のようなものであったと
思う。しかし、
聞き
違え、
覚え
違いがどれだけあるか、
今となってはもうそれを
確かめる
道はなくなってしまったわけである。
B
教授は
欧州大戦の
刺激から
得たヒントによってある
軍事上に
重要な
発明をして、まずF
国政府にその
使用をすすめたが
採用されないので
次に
某国に
渡って
同様な
申し
出をした。
某国政府では
詳しくその
発明の
内容を
聞き
取り、
若干の
実験までもした
後に
結局その
採用は
拒絶してしまった。しかしどういうものかそれ
以来その
某国のスパイらしいものがB
教授の
身辺に
付きまつわるようになった、
少なくもB
教授にはそういうふうに
感ぜられたそうである。その
後教授が
半ばはその
研究の
資料を
得るために
半ばはこの
自分を
追跡する
暗影を
振り
落とすためにアフリカに
渡ってヘルワンの
観測所の
屋上で
深夜にただ
一人黄道光の
観測をしていた
際など、
思いもかけぬ
砂漠の
暗やみから
自分を
狙撃せんとするもののあることを
感知したそうである。この
夜の
顛末の
物語はなんとなくアラビアンナイトを
思い
出させるような
神秘的なロマンチックな
詩に
満ちたものであったが、
惜しいことに
細かいことを
忘れてしまった。
「それから
船便を
求めてあてのない
極東の
旅を
思い
立ったが、
乗り
組んだ
船の
中にはもうちゃんと
一人スパイらしいのが
乗っていて、
明け
暮れに
自分を
監視しているように
思われた。
日本へ
来ても
箱根までこの
影のような
男がつきまとって
来たが、お
前のおかげでここへ
来てから、やっとその
追跡からのがれたようである。しかしいつまでのがれられるかそれはわからない。」
「これだけの
事を
一度だれかに
話したいと
思っていたが、きょう
君にそれを
話してこれでやっと
気が
楽になった。」
ゆっくりゆっくり
一句一句切って
話したので、これだけ
話すのにたぶん
一時間以上もかかったかと
思う。
話してしまってから、さもがっかりしたように
枕によりかかったまま
目をねむって
黙ってしまったので、
長座は
悪いだろうと
思って
遠慮してすぐに
帰って
来た。
翌朝P
教室へ
出勤するとまもなくS
軒から
電話でB
教授に
事変が
起こったからすぐ
来てくれとの
事である。
急病でも
起こったらしいような
口ぶりなので、まず
取りあえずN
教授に
話をして
医科のM
教授を
同伴してもらう
事を
頼んでおいて
急いでS
軒に
駆けつけた。
ボーイがけさ
部屋をいくらたたいても
返事がないから
合いかぎでドアを
明けてはいってみると、もうすでに
息が
絶えているらしいので、
急いで
警察に
知らせると
同時に
大学の
自分のところへ
電話をかけたということである。
ベッドの
上に
掛け
回したまっ
白な
寒冷紗の
蚊帳の
中にB
教授の
静かな
寝顔が
見えた。
枕上の
小卓の
上に
大型の
扁平なピストルが
斜めに
横たわり、そのわきの
水飲みコップの、
底にも
器壁にも、
白い
粉薬らしいものがべとべとに
着いているのが
目についた。
まもなく
刑事と
警察医らしい
人たちが
来て、はじめて
蚊帳を
取り
払い、
毛布を
取りのけ
寝巻の
胸を
開いてからだじゅうを
調べた。
調べながら
刑事の
一人が
絶えず
自分の
顔をじろじろ
見るのが
気味悪く
不愉快に
感ぜられた。B
教授の
禿頭の
頂上の
皮膚に
横にひと
筋紫色をしてくぼんだ
跡のあるのを
発見した
刑事が
急に
緊張した
顔色をしたが、それは
寝台の
頭部にある
真鍮の
横わくが
頭に
触れていた
跡だとわかった。
刑事が
小卓のコップのそばにあった
紙袋を
取り
上げて
調べているのをのぞいて
見たら、
袋紙には
赤インキの
下手な
字で「ベロナール」と
書いてあった。
呼び
出されたボーイの
証言によると、
昨夜この
催眠薬を
買って
来いというので、
一度買って
帰ったが、もっとたくさん
買って
来いという、そんなに
飲んだら
悪いだろうと
言ってみたが、これがないと、どうしても
眠られない、
飲まないと
気が
違いそうだからぜひにと
嘆願するので、しかたなくもう
一ぺん
薬屋にわけを
話して
買って
来たのだということであった。
そのうちにN
教授とM
教授がやって
来た。
続いてN
国領事のバロン
何某と
中年のスカンジナビア
婦人が
二人と
駆けつけて
来た。
婦人たちがわりに
気丈でぎょうさんらしく
騒がないのに
感心した。
室の
片すみのデスクの
上に
論文の
草稿のようなものが
積み
上げてある。ここで
毎日こうして
次の
論文の
原稿を
書いていたのかと
思って、その
一枚を
取り
上げてなんの
気なしにながめていたら、N
教授がそれに
気づくと
急いでやって
来て
自分の
手からひったくるようにそれを
取り
上げてしまった、そうしてボーイを
呼んでその
原稿いっさいを
紙包みにしてひもで
縛らせ、それを
領事に
手渡しした。そうして、それを
封印をして
本国大学に
送ってもらいたいというようなことを
厳粛な
口調で
話していた。
領事のほうからは、
本国の
家族から
事後の
処置に
関する
返電の
来るまで
遺骸をどこかに
保管してもらいたいという
話があって、
結局M
教授の
計らいでM
大学の
解剖学教室でそれを
預かることになった。
同教室に
運ばれた
遺骸に
防腐の
薬液を
注射したのは、これも
今は
故人になったO
教授であった。その
手術の
際にO
教授が、
露出された
遺骸の
胸に
手のひらをあてて Noch warm ! と
言って
一同をふり
向いたとき、
領事といっしょにここまでついて
来ていた
婦人の
一人の
口からかすかなしかし
非常に
驚いたような
嘆声がもれた。O
教授はしかし「これはよくあるポストモルテムの
現象ですよ」と
言い
捨てて、
平気でそろそろ
手術に
取りかかった。
葬式は
一番町のある
教会で
行なわれた。
梅雨晴れのから
風の
強い
日であって、
番町へんいったいの
木立ちの
青葉が
悩ましく
揺れ
騒いで
白い
葉裏をかえしていたのを
覚えている。
自分は
教会の
門前で
柩車を
出迎えた
後霊柩に
付き
添って
故人の
勲章を
捧持するという
役目を
言いつかった。
黒天鵞絨のクションのまん
中に
美しい
小さな
勲章をのせたのをひもで
肩からつり
下げそれを
胸の
前に
両手でささげながら
白日の
下を
門から
会堂までわずかな
距離を
歩いた。
冬向きにこしらえた
一ちょうらのフロックがひどく
暑苦しく
思われたことを
思い
出すことができる。
会堂内で
葬式のプログラムの
進行中に、
突然堂の
一隅から
鋭いソプラノの
独唱の
声が
飛び
出したので、こういう
儀式に
立ち
会った
経験をもたない
自分はかなりびっくりした。あとで
聞いたら、その
独唱者は
音楽学校の
教師のP
夫人で、
故人と
同じスカンジナビアの
人だという
縁故から
特にこの
日の
挽歌を
歌うために
列席したのであったそうである。ただその
声があまりに
強く
鋭く
狭い
会堂に
響き
渡って、われわれ
日本人の
頭にある
葬式というものの
概念に
付随したしめやかな
情調とはあまりにかけ
離れたもののような
気がしたのであった。
遺骸は
町屋の
火葬場で
火葬に
付して、その
翌朝T
老教授とN
教授と
自分と
三人で
納骨に
行った。
炉から
引き
出された
灰の
中からはかない
遺骨をてんでに
拾いあつめては
純白の
陶器の
壺に
移した。
並みはずれに
大きな
頭蓋骨の
中にはまだ
燃え
切らない
脳髄が
漆黒なアスファルトのような
色をして
縮み
上がっていた。
N
教授は
長い
竹箸でその
一片をつまみ
上げ「この
中にはずいぶんいろいろなえらいものがはいっていたんだなあ」と
言いながら、
静かにそれを
骨壺の
中に
入れた。そのとき
自分の
眼前には
忽然として
過ぎし
日のK
大学におけるB
教授の
実験室が
現われるような
気がした。
大きな
長方形の
真空ガラス
箱内の
一方にB
教授が「テレラ」と
命名した
球形の
電磁石がつり
下がっており、
他の
一方には
陰極が
插入されていて、そこから
強力な
陰極線が
発射されると、その
一道の
電子の
流れは
球形磁石の
磁場のためにその
経路を
彎曲され、
球の
磁極に
近い
数点に
集注してそこに
螢光を
発する。その
実験装置のそばに
僧侶のような
黒頭巾をかぶったB
教授が
立って
説明している。この
放電のために
特別に
設計された
高圧直流発電機の
低いうなり
声が
隣室から
聞こえて
来る。
そんな
幻のような
記憶が
瞬間に
頭をかすめて
通ったが、
現実のここの
場面はスカンジナビアとは
地球の
反対側に
近い
日本の
東京の
郊外であると
思うと
妙な
気がした。
それからひと
月もたって、B
教授の
形見だと
言ってN
国領事から
自分の
所へ
送って
来たのは
大きな
鋳銅製の
虎の
置き
物であった。N
教授の
所へは
同じ
鋳物の
象が
来たそうである。たぶんみやげにでもするつもりでB
教授が
箱根あたりの
売店で
買い込んであったものかと
思われた。せっかくの
形見ではあるがどうも
自分の
趣味に
合わないので、
押し
入れの
中にしまい込んだままに
年を
経た。
大掃除のときなどに
縁側に
取り
出されているこの
銅の
虎を
見るたびに
当時の
記憶が
繰り
返される。
大掃除の
時季がちょうどこの
思い
出の
時候に
相当するのである。
S
軒のB
教授の
部屋の
入り
口の
内側の
柱に
土佐特産の
尾長鶏の
着色写真をあしらった
柱暦のようなものが
掛けてあった。それも
宮の
下あたりで
買ったものらしかったが、
教授のなくなった
日、
室のボーイが
自分にこの
尾長鶏を
指さしながら「このお
客さんは、いつも、
世の
中にこのくらい
悲惨なものはないと
言っていましたよ」と
意味ありげに
繰り
返して
話していた。しかしなぜ
尾長鶏がそんなに
悲惨なものとB
教授に
思われたか、これが
今日までもどうしても
解けない
不思議ななぞとして
自分の
胸にしまい込まれている。
ボーイについて
思い
出したことがもう
一つある。やはりこの
事変の
日に
刑事たちが
引き
上げて
行ったあとで、ボーイが
二三人で
教授のピストルを
持ち
出して
室の
前の
庭におりた。そうして
庭のすぐ
横手の
崖一面に
茂ったつつじの
中へそのピストルの
弾をぽんぽん
打ち込んで、
何かおもしろそうに
話しながらげらげら
笑っていた。つつじはもうすっかり
散ったあとであったが、ほんの
少しばかりところどころに
茶褐色に
枯れちぢれた
花弁のなごりがくっついていたことと、
初夏の
日ざしがボーイのまっ
白な
給仕服に
照り
輝き、それがなんとも
言えないはかない
空虚な
絶望的なものの
象徴のように
感ぜられたことを
思い
出すのである。
(昭和十年七月、文学)