愛と
青春のJ-POPよ
永遠なれ。シンガーソングライター、
作曲家として20
年近いキャリアを
持つサカノウエヨースケが、
今誇りを
持って
掲げる
旗印はずばり「J-POP」。
自らが
影響を
受けた90
年代ヒット
曲にインスパイアされた
新曲「
抑えきれない
僕らのJ-POP」をはじめ4
曲入りEPにプラスして、
音楽畑以外の
各界著名人が「
私にとってのJ-POP」を
語るコラムや
対談で
構成された
書籍が
付いたJ-POPのJ-POPによるJ-POPのための
作品、それが1st
書籍付きCD『
抑えきれない
僕らのJ-POP』だ。
彼はいかにしてJ-POPを
愛するようになったのか? その
胸の
内を
探ってみよう。
■ジャケットを見た瞬間に頭の中でイントロが流れ出して盛り上がる
■それを2019年の現在進行形で歌い続けていくことで光を当てていこうと思った──「
抑えきれない
僕らのJ-POP」のミュージックビデオで8センチCDが
大量に
登場しますね。
懐かしいやら
嬉しいやらですよ。
サカノウエヨースケ(
以下、ヨースケ):8センチCDのコレクターの
方からお
借りして、この
曲は90
年代のインスパイア
作品ですよという
映像に
落とし込んでみました。
──うちにもまだ100
枚くらいありますよ。
言っていただければお
貸しします(
笑)。
ヨースケ:あ、やっぱり
買ってました?
──
買ってましたね。90
年代、CDが
一番売れていた
時代の
主力は8センチCDでしたから。
ヨースケ:
今回の
書籍付きCDを
作るにあたって、8センチCDを
探すためにレコード
屋さんを
回ってみたんですけど
全然置いてなくて、
聞いてみたら“
価値がない”って
言うんですよ。100
万枚、200
万枚売れた
楽曲は
中古レコード
屋さんにとってはゴミみたいなもので“100
円の
値段も
付けられない”とおっしゃっていたので、
逆に“これはチャンスかも”と
思って、
倉庫から
在庫を
引っ
張り
出してもらって8センチCDを
買ったりしていたんです。そうすると、
華原朋美さんの「I'm Proud」、
米米CLUBの「
君がいるだけで」、
小田和正さんの「ラブ・ストーリーは
突然に」とか、ジャケットを
見た
瞬間に
頭の
中でイントロが
流れ
出すし
盛り
上がるんですね。それを
懐かしむというよりは、2019
年の
現在進行形で
歌い
続けていくことで
光を
当てていこうと
思ったので、
中古レコード
屋さんの
言葉はけっこうヒントになっています。
──
逆に
燃えるものがあるみたいな。
ヨースケ:そうです。ずっと90
年代のJ-POPを
聴いてきて“
僕もああいうヒット
曲を
書きたい”と
思っていたんです。ディスコブームや80'sブーム、ビートルズブームなどをオマージュしたヒット
曲を
自分の
上の
世代の
方はたくさん
書かれていて、いつになったら
自分らの
順番が
来るんやろ?ってずっと
思っていたんですよ。90
年代のブームは
来ないなーって(
笑)。Mr.Children、GLAY、スピッツとかを
聴いて
育ってきた90
年代フレイバーが、2000
年代以降のいつになったら
順番が
回ってくるのかなとずっと
思ってたんです。そのうちBUMP OF CHICKENみたいにインディーズからメジャー、もしくはインディーズのままアリーナを
埋めていくアーティストさんもたくさん
出て
来て、そういう
中でJ-POPというものにいまいちスポットライトが
当たらないと
思う
中で
歌ってきてはいたんですね。だったら
自分から
看板を
掲げてやってみようかなと
思うまでに19
年かかったという
感じです。
──そもそも、
今回の
書籍付きCDのアイディアは
曲から
始まってるんですよね。リード
曲「
抑えきれない
僕らのJ-POP」が
全ての
始まり。
ヨースケ:そうです。
僕は2011
年から
作家活動を
始めたんですけど、
僕の
曲を
気に
入ってくれたディレクターの
人から“サカノウエくんの
歴史が
聴きたい”という
話があったんですね。
僕は
昔東京ドームでワンマンやったり、パンクの
聖地のCBGBでライブをやったり、
直談判してアメリカのフェスに
出たり、ライブハウス
荒らしみたいな
感じでギター1
本で
回っていた
時期があったんです。ただ
歴史を
歌うとなると、ヒップホップならできるかもしれないけど、J-POPの
形だとどうしても
重くなっちゃう。でもライブのアンケートで“そういう
曲を
聴いてみたい”という
声も
聞いていたので、どうやったら
自分の
歴史を
歌えるのかなと
考えた
時に、
自分が
聴いてきたJ-POPを
小さい
時から
順を
重ねて
歌にしていったら、それを
自分の
人生観と
重ね
合わせることでJ-POPに
昇華できるんじゃないかと。だから
歌詞も“ひまわりが
風にそよいで”るのに“
粉雪は
空を
舞って”いたりしておかしいんですけど、J-POPの
歴史と
自分の
歴史を
重ね
合わせると“こういうフレーズ、あったよね”“こういうサウンド
感、あったよね”というふうに、
時代と
共に
歌われてきたいろんなフレーズが
自分の
歴史と
重ねて
順を
追って
進んで
行くみたいなことになっているんですね。
──スキーのCMとかで、このフレーズあったなーみたいな。
ヨースケ:そうそう(
笑)。スキーのCMもそうだし、カルピスウォーター、ポカリスエット、
銀座ジュエリーマキとか(
笑)。その
時その
時の
時代背景が
歌詞の
中で
順を
追って
羅列されてゆく、それが
最初のきっかけではありました。
──それがどんどん
大きくなって、とうとう
書籍付きCDにまでなってしまった。
ヨースケ:「
抑えきれない
僕らのJ-POP」が
出来た
時に、ジャンルの
違う
人に
聴かせたらどういう
反応になるかなと
思って、
女優の
二階堂ふみさんや
黒島結菜さんを
発掘されてデビューさせたディレクターさんに
聴いてもらったんです。そしたら、たとえば24
時間テレビの「サライ」みたいに、いろんな
人が
自分にとってのJ-POPを
語ってくれる
中で“そのテーマ
曲がこの
曲という
位置づけにしたらどうかな”と。
書籍付きCDって、
昔はそういう
音楽雑誌もいっぱいあったし、“
書籍の
中でいろんなJ-POPを
語ってもらったらどうだろう”と
言ってくださって、じゃあそうしようと。
──
思ってもみなかった
角度から。
ヨースケ:
全然思ってもみなかったことでした。それから
人選を
始めて、いろんな
人に
書いてもらうことになりました。
──
幅が
広いですよね。どういう
基準なんだろうと
思うくらい(
笑)。
ヨースケ:そうなんですよ(
笑)。ニュースキャスターの
小宮悦子さんやプロレスラーのスーパー・ササダンゴ・マシンさんとか。ただ
思っていたのは、
僕と
同じミュージシャンや
俳優の
方にマイベスト・J-POPを
紹介してもらうのはやめようと
思っていたんです。たまたま
小宮さんを
紹介してくれる
方がいて、
小宮さんは
音楽が
好きだからきっと
相談に
乗ってくれるかも、ということで、おそるおそるお
話をしに
行ったんですけど、
快く
受けてくださいました。しかも
坂本九さんからスピッツさんまで
幅広い
年代の
方に
伝わる
選曲をしてくださってさすがと
思いましたね。スーパー・ササダンゴ・マシンさんは、TBSラジオの
番組やテレビのバラエティでパワポ
芸人みたいな
感じで
出ていて
面白いなと
前から
思っていたんですけど、J-POPに
造詣が
深い
方で
書いてくださったりとか。
自分のやっているJ-POPとは
結び
付かない
方だったりするんですけど、
協力してくださいました。
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