端午たんご

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このべられるちまきちまき

端午たんご(たんご)は、五節句ごせっくひとつ。端午たんご節句せっく(たんごのせっく)、菖蒲しょうぶ節句せっく(しょうぶのせっく)ともばれる。日本にっぽんでは端午たんご節句せっく男子だんしすこやかな成長せいちょう祈願きがん各種かくしゅ行事ぎょうじおこな風習ふうしゅうがあり、現在げんざいではグレゴリオれき新暦しんれき)の5月5にちおこなわれ、国民こくみん祝日しゅくじつこどもの」になっている。すくないながら旧暦きゅうれき月遅つきおく6月5にちおこな地域ちいきもある。なお、日本にっぽん以外いがいでは現在げんざい旧暦きゅうれき5月5にちおこなうことが一般いっぱんてきである。

端午たんご意味いみ[編集へんしゅう]

旧暦きゅうれきではうまつきは5月にたり(十二支じゅうにし参照さんしょうのこと)、5月の最初さいしょうま節句せっくとしていわっていたものが、のちに5がかさなる5がつ5にちが「端午たんご節句せっく」のになった。「はし」(はし)は「はじめ・最初さいしょ」という意味いみであり、「端午たんご」は5月の最初さいしょうま意味いみしていたが、「うま」と「」がおな発音はつおん「ウ-」であったことから5がつ5にちわった[1]おなじように、奇数きすう月番つきばんごうにち番号ばんごうかさなる3月3にち7がつ7にち9月9にち節句せっくになっている(節句せっく項目こうもく参照さんしょうのこと)。

日本にっぽん[編集へんしゅう]

こいのぼり
五月ごがつ人形にんぎょう
江戸えど時代じだい節句せっく様子ようすひだりからこいのぼり、もんをあしらったのぼり七宝しっぽう丁字ていじ)、鍾馗しょうきえがいたはた吹流ふきながし。『日本にっぽん礼儀れいぎ習慣しゅうかんのスケッチ』より、1867ねん出版しゅっぱん
歌川うたがわ広重ひろしげによるこいのぼりの
大正たいしょうから明治めいじ初期しょきころがつ人形にんぎょう東京とうきょう国立こくりつ博物館はくぶつかん所蔵しょぞう
五月ごがつ人形にんぎょう段飾だんかざり(昭和しょうわ初期しょき
1957ねんごろ
かぶとかざりもの
端午たんご料理りょうり

菖蒲しょうぶ節供せっく[編集へんしゅう]

端午たんごぶし菖蒲しょうぶなどの多種たしゅ薬草やくそう厄除やくよけにもちいることは中国ちゅうごく南朝なんちょうはりずいあさ文献ぶんけんしるされており[ちゅう 1]菖蒲しょうぶきざんでさけぜてむ、とある[2][3][ちゅう 2]

日本にっぽんでは、菖蒲しょうぶかみかざりにした人々ひとびと宮中きゅうちゅう武徳たけのり殿どのつどい、天皇てんのうから薬玉くすだま(くすだま:薬草やくそうまるかためてかざりをけたもの)をたまわった。かつての貴族きぞく社会しゃかいでは、薬玉くすだまつくり、おたがいにおくりあう習慣しゅうかんもあった。宮中きゅうちゅう行事ぎょうじについては、奈良なら時代じだいすでに「菖蒲しょうぶのかずら」とう記述きじゅつられる[ちゅう 3][2]

鎌倉かまくら以降いこう時代じだいになると、「菖蒲しょうぶ」が「尚武しょうぶ」とおなみであること、また菖蒲しょうぶかたちけん連想れんそうさせることなどから、端午たんごおとこ節句せっくとされたと仮説かせつされている[4][5]。そしておとこ成長せいちょういわい、健康けんこういのるようになった。よろいかぶと[ちゅう 4]かたな武者むしゃ人形にんぎょう[ちゅう 5]金太郎きんたろう武蔵坊むさしぼう弁慶べんけいした五月ごがつ人形にんぎょうなどを室内しつないかざだんかざり、庭前ていぜんこいのぼりてるのが、現在げんざいいた典型てんけいてきいわかたである(ただし「こいのぼり」が一般いっぱんひろまったのは江戸えど時代じだいになってからで、関東かんとう風習ふうしゅうとして一般いっぱんてきとなったが、京都きょうとふく上方かみがたでは、当時とうじられない風習ふうしゅうであった)。鎧兜よろいかぶとには、男子だんし身体しんたいまもるという意味合いみあいがめられている。

江戸えど時代じだいまで端午たんご子供こども河原かわらなどで兜巾ときんすずかか山伏やまぶし姿すがたとなり、あたま菖蒲しょうぶ鉢巻はちまきいてこし菖蒲しょうぶがたなしてから、てき味方みかたかれていし合戦かっせんをする「しるしち」という風習ふうしゅうがあったが[8]負傷ふしょうしゃ死亡しぼうしゃ相次あいついだため禁止きんしとなった。また、しるしちが禁止きんしになったのち菖蒲しょうぶかたなわりにした「菖蒲しょうぶり」というチャンバラ流行りゅうこうした[9]

端午たんごには柏餅かしわもち(かしわもち)をべる風習ふうしゅうがある。柏餅かしわもちべる風習ふうしゅう日本にっぽん独自どくじのもので、かしわは、新芽しんめるまでふるちないことから「家系かけいえない」縁起物えんぎものとしてひろまっていった。

なお、おとこあかぼう家庭かていにとっては初節句はつぜっくとなるため、親族しんぞく総出そうで盛大せいだいいわわれることおおい。とくに、いえ意識いしきつよ地域ちいきではその傾向けいこう顕著けんちょである。5月5にち祝日しゅくじつであり、さらに、前後ぜんご祝日しゅくじつともなはる大型おおがた連休れんきゅう期間きかんちゅうであるため、ひなまつ以上いじょう親族しんぞく総出そうでいわわれる。

女性じょせい節句せっく[編集へんしゅう]

日本にっぽんにおいては、女性じょせい田植たうまえけがはら斎戒さいかい五月ごがつ(さつきいみ)とばれた。また「フキゴモリ(ごもり)」としょうして、5月4にち端午たんごぶし前夜ぜんやにあたる)には、男性だんせい戸外こがい出払ではらい、女性じょせいだけが菖蒲しょうぶやヨモギでいたいえなかじこもってごす習俗しゅうぞくがあった[10][11][ちゅう 6]尾張おわり愛知あいちけん)や伊勢いせ三重みえけん)らのフキゴモリれいげられているが[10]、5月5にちおんないえしょうする風習ふうしゅうは、中部ちゅうぶ地方ちほう以外いがいにも四国しこく地方ちほう一部いちぶにみられる[12]近松ちかまつ門左衛門もんざえもん(1725ねんぼつ)が晩年ばんねん作中さくちゅう[ちゅう 7]五月ごがつにちのことを「おんないえ(おんなのいえ)」と言及げんきゅうしているが、これは女性じょせいがこのいえこもりする風習ふうしゅうをさしているとされていて[10]、この風習ふうしゅうすくなくとも江戸えど中期ちゅうきさかのぼることがわかる。

一部いちぶ学者がくしゃは、女性じょせいごもりや菖蒲湯しょうぶゆ沐浴もくよくとして、中世ちゅうせい以前いぜんから確立かくりつしていると主張しゅちょう[5][ちゅう 8]本来ほんらい女性じょせいにまつわる習俗しゅうぞくから、男児だんじにまつわるものへと中世ちゅうせい末期まっきから近世きんせいにかけて移行いこうしたと論説ろんせつする[5][ちゅう 9]。すなわち「菖蒲しょうぶ節供せっく」は元々もともと女性じょせい節句せっくだったとする。

また、5月4にちよるから5がつ5にちにかけてを「おんな天下でんか」としょうし、いえたたみ半畳はんじょうぶんずつあるいはいえ全体ぜんたい女性じょせい仕切しきとする慣習かんしゅう地域ちいきがある[10]

中国ちゅうごく[編集へんしゅう]

中国ちゅうごく端午たんごぶしには様々さまざま禁忌きんきかれ、五色ごしきいとったこうぶくろける、ちまきをしょくす、さけかお塗布とふする、もぐさそうチョウセンヨモギ中国語ちゅうごくごばん)をひとがたにしてたばねた人形にんぎょう菖蒲しょうぶけん戸口とぐちかざるなどの慣習かんしゅうがおこなわれ、りゅうぶねきおいわたり(ドラゴンボートレース)が開催かいさいされてきた[14]

端午たんごぶし由来ゆらい仮説かせつとしては、なついんしゅうだい暦法れきほう夏至げしであったというせつ[よう出典しゅってん]、5がつを「あくがつ」、5にちを「悪日あくび」としいうせつ(『荊楚歳時記さいじきがつじょう)などが存在そんざいする[15][16]

こうかんすすむ[編集へんしゅう]

中国ちゅうごく端午たんごについてのふる文献ぶんけん記録きろくは、こうかんすえおうによる『風俗ふうぞく通義みちよし』であるが、端午たんご夏至げしにちまき(「ちまき」、別名べつめいを「かくきび」ともしょうした)をしょくする習慣しゅうかんしるされる[17]。また、すすむしゅうしょによる『風土記ふどき』にも記載きさいがあり、この時節じせつにはアヒルを、ちまきをべる(「仲夏ちゅうか端午たんご、烹鶩かくきび」)としるされる[18]。ちまきの言及げんきゅうこそあるものの、ぞくにちまきの考案こうあんしゃとされるこごめばらとの関係かんけい後述こうじゅつ)については一切いっさい言及げんきゅうされていない[ちゅう 10]

こののちかんまつの『風俗ふうぞく通義みちよし』(『風俗ふうぞくどおり』とも)には、「がつにち綵のいともっひじにかけ、おにを辟くれば、ひとをして瘟をやめまざらしむ」とかれている[17][20]異本いほんには五月ごがつにち人命じんめいばすご利益りやくがあるとされる「ぞくいのち縷」ともしょうされていたが、引用いんようのこるだけで現存げんそんの『風俗ふうぞく通義みちよし』はえない記述きじゅつである[21]

こごめげん崇拝すうはいは6世紀せいき[編集へんしゅう]

中国ちゅうごくひろれわたっているのは、戦国せんごく時代じだいすわえ家臣かしんこごめはら失意しついのうちに汨羅こうげたのが5月5にちであり(紀元前きげんぜん278ねんぼつ)、後代こうだいひとがこれを供養くようするのが端午たんごぶしとなった、という縁起えんぎ伝説でんせつである[22]。だが、この習俗しゅうぞく古代こだいかんだい以前いぜん)よりおこなわれたものかについては、しんぴょうせいうたがわれている(以下いか、その考察こうさつ)。

史実しじつとしてこごめばらがこの入水じゅすい自殺じさつしたことを裏付うらづける史料しりょうはなにもない[ちゅう 11][22]。だが縁起えんぎ伝説でんせつによれば(すわえ人々ひとびとかんだい以前いぜんより)端午たんごぶしこごめばら命日めいにちとして竹筒たけづつにつめたこめそなえていた、それがこうかんはじめのたてたけし(25ねん-56ねん)のころになって、ちょうすなぼうじんゆめさん大夫たいふこごめばら)があらわれ、そのままでは供物くもつ蛟竜こうりょう横取よこどりされるので、これを厄除やくよけするためには、そなえるもちまいおうちじゅでふさぎ、五色ごしきいとけ、と指示しじしたとかたられている[23][24]

この起源きげん説話せつわは『ぞくひとし諧記』(6世紀せいき[23][24]、あるいは南朝なんちょうりょうそう(そうりん)の『荊楚歳時記さいじき』(6世紀せいき)にも転載てんさいされる記述きじゅつであるが[25][26]、これがすう世紀せいきまえかんだいにさかのぼる伝説でんせつだという確証かくしょうはない(こごめばら崇拝すうはいが6世紀せいきよりまえ民間みんかんひろおこなわれたという傍証ぼうしょうはないとされる[27])。ちまきとこごめばら故事こじ端午たんごとは元来がんらい無関係むかんけいであったとかんがえられる。

ずいもりこう中国語ちゅうごくごばんによる『荊楚歳時記さいじき注釈ちゅうしゃくほんにおける考証こうしょうでは(題材だいざい端午たんごぶしきおいわたり競漕きょうそう)にわるが)、その当時とうじちまたでは「ぞくに」がつにちのボートレースがこごめばら入水じゅすい自殺じさつにまつわるものとしんじられているが、じつ春秋しゅんじゅう時代じだいにまつわるもので、「こごめひらめこごめばら)とはかんせざるなり(せきこごめひら也)」とだんじている[28][29][3]。そしてこうかんころにはおそらく端午たんごぶしに(こごめばらでなく)胥をまつっていただろうことを、具体ぐたいてき傍証ぼうしょうつたえ邯鄲かんたんあつしがつくったとされる「孝女こうじょ曹娥」)でししている[30][3]

端午たんごきおいわたり起源きげん[編集へんしゅう]

ドラゴンボート(中国ちゅうごく広東かんとんしょう

現在げんざい中国ちゅうごくけんでは、りゅうせんぶしとしてこげぶねりゅうせんあるいはドラゴンボート)の競漕きょうそうきおいわたり)がおこなわれ、こごめばらしのんでの行事ぎょうじであるとされている。しかし、そもそも「(こごめばらの)遺体いたいすくうためにきそえわたりするとされるのは俗説ぞくせつ」にぎない[31][ちゅう 12]

端午たんごぶしについて(20世紀せいきまでは)たか評価ひょうか支持しじされたのが、聞一おお の「端午たんごこう」(1947ねん、そして黄石こうせきの『端午たんごれいぞく』(1963ねん)にられるしょ学説がくせつだが[22]きおいわたり起源きげんについての見解けんかい各々おのおのであり[33]以下いかとおり、年代ねんだいなども相反あいはんしている。

聞一は、長江ちょうこう下流かりゅうえつ民族みんぞく蛟竜こうりょうけの風習ふうしゅう延長線えんちょうせんじょうにあり、かれらがりゅうけるためにからだ文身いれずみいれずみ)をしていたことは記録きろくされているが、同様どうようふねにもりゅうをかたどっていたのだろうという仮説かせつてた[34]すなわ古代こだいえつ民族みんぞくりゅうあがトーテム崇拝すうはいよりの由来ゆらいせつであり、きおいわたり発展はってんしたのは戦国せんごく時代じだい以前いぜんとした[32]。これとしのげじゅんこえ中国語ちゅうごくごばんも、古代こだいひゃくえつ民族みんぞくのあいだでふね水神すいじんまつった行事ぎょうじが、やがてきおいわたりてんじたとき、くもゆめ大沢おおさわうんぼうだいたく(汨羅こうそそほらにわみずうみ北部ほくぶ地域ちいき)より出土しゅつどしたどう船形ふながた文様もんようは、のちきおいわたり使つかわれたりゅうせんによくているとも主張しゅちょうした[35][33]

黄石こうせきは、りゅうぶねきおいわたりのルーツをおく瘟船の儀礼ぎれいとらえており[30]確立かくりつ年代ねんだいとしては「龍頭りゅうずりゅうかたどったりゅうぶねによるりゅうぶねきおいわたりは、ちゅうとう以後いごである」と考証こうしょうした[36]

こうした両氏りょうし競漕きょうそうかんする考察こうさつについては、近年きんねんではさい検討けんとうられており、聞氏らのきずいた礎石そせきのままでは中国ちゅうごく時節じせつさいについての理解りかい不十分ふじゅうぶん刷新さっしん必要ひつようであるとかれており[37]、また、黄石こうせき主張しゅちょうするように端午たんごぶしすべての行事ぎょうじが「避瘟・避邪」のためであるとするのは受容じゅようれがたいともかれる[33]

『荊楚歳時記さいじき注釈ちゅうしゃくほんが、五月ごがつにち競漕きょうそうこごめばらよりもむしろ関連かんれんするといていることはすでべたが、さらくわえて(胥がつかえたおっととは仇敵きゅうてきである)えつ勾践競漕きょうそうならわしの開祖かいそであると『越地こえちでん』にしるされたと付記ふきする。しかし注釈ちゅうしゃくしゃも「つまびらかにすべからず」とこのせつ否定ひていてきで、近年きんねん学者がくしゃ守屋もりや美都みとゆう)もしんぴょうせいとぼしいとした[28][3]

薬草やくそう[編集へんしゅう]

いまでも(汨羅付近ふきんでは)端午たんごぶしに、菖蒲しょうぶチョウセンヨモギ中国語ちゅうごくごばんたばよけとして戸口とぐちかざ風習ふうしゅうが、ひろおこなわれているが[38][ちゅう 13]以下いかその遡源さくげんについて、および薬草やくそうり・薬湯やくとう厄除やくよけの風習ふうしゅうについてべる。

薬草やくそう風呂ふろをこの時節じせつびる風習ふうしゅうふるい。前漢ぜんかんの『だい戴礼』(『だい戴礼』とも)まきなつ小正おばさ」のじょうぜん1世紀せいき)には、五月ごがつ五日いつかうま)に「らんたくわ沐浴もくよくすなり」とみえるが[40][41][2]、このころの「らん」とはフジバカマすというのが通説つうせつである[20][42][ちゅう 14][ちゅう 15]後世こうせい菖蒲しょうぶ風呂ふろは、この「らん」の沐浴もくよく遺風いふうであろう[20][2]

『荊楚歳時記さいじき』には五月ごがつにちを「よくらんぶし」としょうすとあり[43][40]、「… 四民並蹋百草之戯 もぐさ以為じん かか門戸もんこじょう 以禳毒気どくけ菖蒲しょうぶある縷或くず 以泛しゅ」とつづく。すなわち、よっつの階級かいきゅうみんは「百草もぐさみ」という遊戯ゆうぎにふけり、チョウセンヨモギでつくった人形にんぎょうひとがたもんけて邪気じゃきはらい、菖蒲しょうぶきざむか粉末ふんまつにしてさけぜてんだ[43]。また『歳時記さいじき』ないし『とし雑記ざっき』からの引用いんようとして、菖蒲しょうぶ小人こどもえびすあし(ひょうたん)のかたち彫刻ちょうこくして、これをびて辟邪(厄除やくよけ)したと『やまどう肆考中国語ちゅうごくごばん』にえる[44][45]

古代こだいより菖蒲しょうぶ効能こうのうがある薬草やくそうとされていた。『風俗ふうぞくどおり』(こうかんまつ)には、しょくせば長寿ちょうじゅにつながると[46][47]

これらについては、現代げんだい日本にっぽんにおいても菖蒲しょうぶよもぎのきるし、菖蒲しょうぶたばかべる菖蒲湯しょうぶゆはい風習ふうしゅうのこっている。

朝鮮ちょうせん韓国かんこく[編集へんしゅう]

蕙園でんかみじょう端午たんご風情ふぜい
安東あんどう民俗みんぞく博物館はくぶつかん朝鮮ちょうせんばん端午たんごさい

韓国かんこく端午たんご朝鮮ちょうせんばんは、「タノ」(단오)とい、旧暦きゅうれきの5がつ5にちおこなわれる。この女性じょせいブランコ風習ふうしゅうがある。

朝鮮ちょうせんでは、端午たんご(タノ)はきゅう正月しょうがつソルラル)、あきゆう(チュソク)、かんしょく(ハンシク)とならよんだい名節めいせつとされ、田植たうえとたねまきがわる時期じきやまかみかみまつり、あき豊作ほうさく祈願きがんするとされる。朝鮮ちょうせん時代じだいには、男子だんしシルム女子じょしはクネ(鞦韆、ブランコ)をたのしみ、厄除やくよけの意味いみめて菖蒲しょうぶしたしる洗髪せんぱつし、女子じょし菖蒲しょうぶくきのかんざしを、男子だんしこしかざりをにつける習慣しゅうかんがあった。端午たんご伝統でんとう料理りょうりには、ヨモギやチョウセンヤマボクチんで車輪しゃりんかたしたトック車輪しゃりんもち チャリュンビョン)やユスラウメファチェはなさいつめたいもの)がある[48]

2005ねん11月、大韓民国だいかんみんこくこうりょう端午たんごさい英語えいごばん朝鮮ちょうせんばんユネスコによる「人類じんるい口承こうしょうおよ無形むけい遺産いさん傑作けっさく」への認定にんてい宣言せんげんされた(だい3かい傑作けっさく宣言せんげん[49]。このことけて、端午たんごさい本家ほんけである中国ちゅうごくのマスコミをはじめとするしょ団体だんたいは「韓国かんこく起源きげん節句せっくとして無形むけい文化ぶんか遺産いさん登録とうろくされた」などともう反発はんぱつした[ちゅう 16]

さらに韓国かんこく報道ほうどうによると、傑作けっさく宣言せんげんの5ヶ月かげつまえに、中国ちゅうごく国内こくないから「湖北こほくしょうおこなわれている自国じこくこうりょう端午たんごさいを、韓国かんこくこうりょう端午たんごさいとの共同きょうどう世界せかい文化ぶんか遺産いさん登録とうろくしよう」というこえがっていたが、韓国かんこく学界がっかいから「中国ちゅうごくこうりょう端午たんごさいは、韓国かんこくこうりょう端午たんごさい名前なまえだけはおなじだが、完全かんぜんちがうもの」と反発はんぱつされていた経緯けいいがあるという[51]

琉球りゅうきゅう諸島しょとう[編集へんしゅう]

琉球りゅうきゅう諸島しょとう端午たんご節句せっくにはドラゴンボートを風習ふうしゅうがあり[52]魔除まよけけとして「すう」(琉球りゅうきゅう:ヤカジ)というかみ人形にんぎょういえ掲示けいじしている[53]むすめのいるいえにはかみひなばこ、つまり人形にんぎょうせたダンボールばこかれている[54]。ドラゴンボートのかたと琉装、さんせんき、太鼓たいこはたき、琉球りゅうきゅう伝統でんとう舞踊ぶようおど土人どじんがたかれている。琉球りゅうきゅうヒヒ(ポーポー、黒糖こくとう菓子かし)、琉球りゅうきゅう煎餅せんべい(チンピン)などをべる。

ベトナム[編集へんしゅう]

ベトナムでは、「コムジウ(en:Cơm rượu)」と「ジウネップ(en:Rượu nếp)」というもちまい発酵はっこう食品しょくひん果物くだものとともに祭壇さいだんそなえられる。また、別名べつめい殺虫さっちゅうぶしTết giết sâu bọ/ふし𢷄螻蜅)」ともわれ、この果物くだものべると、体内たいないむし退治たいじされるともされ、農村のうそんでは、樹木じゅもく殺虫さっちゅう対策たいさくおこな地域ちいきもある[55]

端午たんごがつ関連かんれんした作品さくひん[編集へんしゅう]

  • 落語らくご
    • 五月ごがつのぼり(ごがつのぼり)
    • 菖蒲しょうぶうりの咄(しょうぶうりのはなし)
    • 人形にんぎょうい(にんぎょうかい)
  • のう
  • 狂言きょうげん
  • 随筆ずいひつ
  • 小説しょうせつ
  • 絵画かいが
  • 絵本えほん
    • 常光じょうこうてっ『なぜ、おふろにしょうぶをいれるの? なぜ?どうして?たのしい行事ぎょうじ(こどもの)』童心どうしんしゃ 2001ねん
  • 写真しゃしんしゅうぶん英語えいご子供こどもけ)
    • 石井いしい美奈子みなこ (2007年月としつき). Girls' Day / Boys' Day. ベス・プレス. ISBN 9781573062749 
  • 映画えいが
    • 春香はるかでん韓国かんこく・2000ねん監督かんとくイム・グォンテク、出演しゅつえんチョ・スンウ、イ・ヒョジョン
  • 楽曲がっきょく
  • 狂歌きょうか
    • 江戸えど五月ごがつこいながし、口先くちさきばかりではらわたは
  • 律詩りっし
    • もりはじめ端午たんごたまものころも
      みやころもまた有名ゆうめい 端午たんごおんさかえ ほそかずら含風軟 こうたたみゆきけい てんだいしょ湿しめ とうあつちょらいきよし ないしょう長短ちょうたん 終身しゅうしんせいじょう みやころもまたり、端午たんごおんさかえこうむる、ほそかずらふうふくみてやわらかに、こうゆきたたみてけいし、てんよりしてだいするしょ湿しめり、あつたりてしるたればすまし、ない長短ちょうたんたたえう、終身しゅうしんせいじょうる。

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 『荊楚歳時記さいじき』。南朝なんちょうはりむね懍(498ねん-502ねん)によるが、ずいもりこう瞻(とこうせん)による注釈ちゅうしゃくほんのこる。
  2. ^ 英訳えいやくでは菖蒲しょうぶは"sweet flag"。
  3. ^ ぞく日本にっぽん天平てんぴょうじゅうきゅう(747)ねん聖武天皇しょうむてんのう端午たんごぶしかい
  4. ^ 平安へいあん時代じだい男子だんしかんむりとしてつけられた菖蒲しょうぶづる変化へんかした菖蒲しょうぶかぶと起源きげんとされる[6]
  5. ^ かざかぶとはち部分ぶぶん人形にんぎょう細工ざいくをつけたものが独立どくりつしたものとされる[7]
  6. ^ このとき屋根やね菖蒲しょうぶやヨモギなどの薬草やくそうはいずれも厄払やくはらいの効能こうのうがあるとされていたものである。
  7. ^ おんなころせ地獄じごく
  8. ^ 枕草子まくらのそうし』に「ふし五月ごがつにしくつきはなし。菖蒲しょうぶよもぎなどのかをりあひたる」とう言及げんきゅうされるが、とく女性じょせい行事ぎょうじとはされず、また賤のへだたりなくおこなわれていた[13]
  9. ^ 菖蒲しょうぶ」が「尚武しょうぶおもんじること)」にへんじた。
  10. ^ こごめばらちまきむすびつけた最古さいこ史料しりょうは『せつ新語しんご』(5世紀せいき前半ぜんはん)とされる[19]
  11. ^ たとえば司馬しば遷の『史記しき』にもこごめばらぼっしたまではしるしていない[22]
  12. ^ あるいはこごめばら溺死できしさまいと救助きゅうじょするためふねしたというが、神話しんわ/俗説ぞくせつ("myth")である[32]
  13. ^ 近年きんねんまでの台湾たいわんれい[39]
  14. ^ ただし『太平たいへい御覧ごらん』では「らん」のじょうにこの引用いんようがあり[41]、「らん」は だんきく Caryopteris incana をすようである。
  15. ^ よりふるく『すわえきゅううたくもちゅうきみへんにも「らんよくし」とあるのだが、時節じせつ記述きじゅつがないのでここでは[20][2]
  16. ^ 韓国かんこく報道ほうどうによれば、実際じっさいには「端午たんご起源きげん韓国かんこく」との主張しゅちょう傑作けっさく宣言せんげんにも一覧いちらんひょうにも存在そんざいせず、韓国かんこくが「こうりょう端午たんごさい」を申請しんせいしたさい、「もともとは中国ちゅうごく行事ぎょうじ韓国かんこくつたわって1500ねん以上いじょう経過けいかした」とう説明せつめいをしたとしている[50]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう
  1. ^ おもねつじ哲次てつじ端午たんごぶしにちまきべるのは」、「ゆうゆう漢字かんじがく」、日本経済新聞にほんけいざいしんぶん2018ねん5がつ6にち最終さいしゅうめん (文化ぶんかめん)、2018ねん5がつ7にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c d e にん 1995, p. 4.
  3. ^ a b c d Chapman, Ian, ed. (2014), “28 Festival and Ritual Calendar: Selections from Record of the Year and Seasons of Jing-Chu, Early Medieval China: A Sourcebook, Wendy Swartz; Robert Ford Campany; Yang Lu: Jessey Choo (gen. edd.), Columbia University Press, p. 479, ISBN 9780231531009, https://books.google.com/books?id=AeiIl2y6vJQC&pg=PA479 
  4. ^ 吉海よしうみ直人なおと端午たんご節句せっく」について』2018ねん4がつ18にちhttps://www.dwc.doshisha.ac.jp/research/faculty_column/2018-04-18-12-32 
  5. ^ a b c 八木はちぼく 2019, pp. 90–91.
  6. ^ 定本ていほん さけ吞童誕生たんじょう もうひとつの日本にっぽん文化ぶんか』、2020ねん9がつ15にち発行はっこう高橋たかはし昌明まさあき岩波書店いわなみしょてん、P145~146
  7. ^ 定本ていほん さけ吞童誕生たんじょう もうひとつの日本にっぽん文化ぶんか』、2020ねん9がつ15にち発行はっこう高橋たかはし昌明まさあき岩波書店いわなみしょてん、P145
  8. ^ 定本ていほん さけ吞童誕生たんじょう もうひとつの日本にっぽん文化ぶんか』、2020ねん9がつ15にち発行はっこう高橋たかはし昌明まさあき岩波書店いわなみしょてん、P146
  9. ^ 菖蒲しょうぶ”. デジタル大辞泉だいじせん. コトバンク. 2016ねん4がつ19にち閲覧えつらん
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参考さんこう文献ぶんけん
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関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]