(Translated by https://www.hiragana.jp/)
韓 星民・天畠 大輔 ・川口 有美子「情報コミュニケーションと障害の分類」
ここをクリックするとページにひらがなのルビがつきます。
韓 星民・天畠 大輔・川口 有美子「情報コミュニケーションと障害の分類」
障害学会第6回大会・
報告要旨 於:
立命館大学
20090927
韓 星民(立命館大学大学院先端総合学術研究科/KGS株式会社)・天畠 大輔 (ルーテル学院大学)・川口 有美子(立命館大学大学院先端総合学術研究科)
「情報コミュニケーションと障害の分類」
支援技術(Assistive Technology)は、ローテクからハイテクまで、様々な発展を遂げている。ALSの患者にとって重要なコミュニケーション手段であるスイッチはオン/オフの1ビットの情報を持って、意思を伝える。先日新聞やテレビで紹介された、トヨタと理化学研究所(RIKEN)が開発したBMI(Brain Machine Interface)研究は、脳情報を直接取り出し車椅子を運転するという、神経デバイスの現実味を帯びた驚きの報道であった。
従来から視覚や聴覚障害者に対する支援機器は広く開発されて来ているが、最近神経デバイスを初めとする、ロボットの研究応用など身体の運動・活動を助ける技術の発展、学習障害や認知障害者にも役立つテクノロジーまで、多岐に渡る技術が発展して来ている。
支援技術は障害の種別によってその支援目的が異なるため、本研究では、支援技術から見た、障害の分類について考察した、特に、情報コミュニケーション支援のための障害をインプット・情報処理・アウトプットに分類し、それぞれの障害と支援技術について分類した。
さらに、これらの分類では分けられない障害者や支援技術のあり方について更なる考察を行った。究極の情報受信障害である盲聾者にとっての情報入手や、究極の情報発信障害である、TLS(totally locked in state)状態のALS患者にとっての支援技術について考察を行った。
その結果、世界一例しかない脳の障害による情報発信障害を持つ筆者の一人である、天畠大輔は、初めて意思を伝えるまで半年以上の歳月を要しており、目に見えない情報発信の手がかりを得るまでの母の努力が伺える。世界で始めて開発された指点字の考案者の一人は福島智(現東京大学教授)の母である。
支援技術は、コミュニケーションを渇望する人間に取って必要不可欠なテクノロジーであり、コミュニケーション支援のための障害の分類は障害の状態を理解する上でも必要だと考えられる。本研究は、情報コミュニケーションをテーマに障害をもっと社会科学的・身体論的に知る上で重要な研究であると考えられ、障害学会での発表を希望する。
◆報告要旨
支援技術(Assistive Technology)は、ローテクからハイテクまで、様々な発展を遂げている。ALSの患者にとって重要なコミュニケーション手段であるスイッチはオン/オフの1ビットの情報を持って、意思を伝える。先日新聞やテレビで紹介された、トヨタと理化学研究所(RIKEN)が開発したBMI(Brain Machine Interface)研究は、脳情報を直接取り出し車椅子を運転するという、神経デバイスの現実味を帯びた驚きの報道であった。
従来から視覚や聴覚障害者に対する支援機器は広く開発されて来ているが、最近神経デバイスを初めとする、ロボットの研究応用など身体の運動・活動を助ける技術の発展、学習障害や認知障害者にも役立つテクノロジーまで、多岐に渡る技術が発展して来ている。
支援技術は障害の種別によってその支援目的が異なるため、本研究では、支援技術から見た、障害の分類について考察した、特に、情報コミュニケーション支援のための障害をインプット・情報処理・アウトプットに分類し、それぞれの障害と支援技術について分類した。
さらに、これらの分類では分けられない障害者や支援技術のあり方について更なる考察を行った。究極の情報受信障害である盲聾者にとっての情報入手や、究極の情報発信障害である、TLS(totally locked in state)状態のALS患者にとっての支援技術について考察を行った。
その結果、世界一例しかない脳の障害による情報発信障害を持つ筆者の一人である、天畠大輔は、初めて意思を伝えるまで半年以上の歳月を要しており、目に見えない情報発信の手がかりを得るまでの母の努力が伺える。世界で始めて開発された指点字の考案者の一人は福島智(現東京大学教授)の母である。
支援技術は、コミュニケーションを渇望する人間に取って必要不可欠なテクノロジーであり、コミュニケーション支援のための障害の分類は障害の状態を理解する上でも必要だと考えられる。本研究は、情報コミュニケーションをテーマに障害をもっと社会科学的・身体論的に知る上で重要な研究であると考えられ、障害学会での発表を希望する。
◆報告原稿
昨年の障害学会で、視覚を代行する触覚支援機器開発において、受動的情報処理と能動的情報処理に基づいた支援機器の開発の重要性について述べた。情報処理過程を考慮した機器の開発は盲ろう者の指点字においては特に重要である。(韓・大河内2008)
ところが、現場知に基づいたユーザーからの情報は開発者に伝わりにくい現実が存在することも事実である。支援技術開発において、技術者とユーザーのコミュニケーションが大変重要であり、総合コミュニケーションのためには、共通言語を持つことへの重要性が示唆される。(韓・林2008)
筆者の一人である天畠は、脳機能障害により多くの障害を持つ事になり、コミュニケーションのための共通言語ともいえる音声発信や文字出力など情報出力障害を持つ事になり、独自のコミュニケーション方法を用いて意思を伝えている。天畠は自身のコミュニケーションにおける五つ側面についての分析から、独自のコミュニケーションの諸側面について考察を行っている。
天畠に初めてお会いしたとき、激しい不随運動や痙攣の様子から、コミュニケーションを取る以前にコミュニケーションが取れるのか、自己の意思を持つ人なのかと疑った事がある。
ところがボランティアからゆっくりではあるが、投げかけられる質問や、大学院に進学したいという天端の強い意思を感じるようになった。後遺症による重い障害はあるが、天畠は自己の意思によりコミュニケーションしていることを知り、天畠のコミュニケーションにおけるADLとQOLについて支援技術が果たしうる可能性について考えるようになった。
中邑は、どんなすばらしい支援技術や技法であっても,それを使うか使わないか,また,どのように使うかという自己決定の重要性について述べている。また、自立した生活を送る上で日常生活動作(ADL: Activities of
Daily Living)を獲得することが重要であると考えられてきたが、リハビリテーション訓練の結果,自分で衣服を着れるようになり,食事できるようになっても、自分で服を選べず,自分で何を食べたいか決められない人がいることを指摘し、生活の質(QOL:Quality of Life)を重視するならば,自分で何を食べたいか,何を着たいかを自己決定することが,日常生活動作と同じ位,あるいは,それ以上に重要であると指摘した。(中邑2002)
以下は、自分で服を着れなくても,自分で着たい服を選ぶことのできるお洒落が好きな天畠が用いているコミュニケーションの諸側面を分析したものである。
「伝える」
障がいを負って以来、私は深い孤独に苛まれるようになった。
何にも増してこの孤独感を大きくするのは、コミュニケーションの問題だ。わかっていることを答えられない、皆といるのに同じペースで話せない、周りに何人いようともスムーズに会話ができないのでは、独りぼっちと同じだ。そう考えることもある。生きていく上でこれほどまでに言葉の存在が大きいとは、倒れる前には思いもしなかった。
「伝わった」ことに対する喜びは、誰もが持つものだと思う。何かの思いや感動を親しい人に「伝えたい。伝わった喜びをも共有したい。」そう考えるのは当然ではないだろうか。
■コミュニケーションの方法
私のコミュニケーションは、五十音を一文字ずつ拾って文章にしていくので、毎回の会話に相当な時間とエネルギーが必要となる。例えば、「テーブル」と伝えたい時は、まず介助者(解読者)が私の腕を取り、「あ・か・さ・た・な・・・」と行の頭文字を言っていく。私は声のタイミングに合わせて「た」行のところで腕を引いて動かす。
さらに、介助者(解読者)が「た・ち・つ・て・と」と「た」行を読みあげる。私は、介助者(解読者)が「て」と言う時に合わせて腕を引いて動かす。最初の文字は「て」だと分かる。このように、他の文字も同じ方法で読み取り、組み立てていく。すると、「てえふる」となる。また、「ー」(長音)や「゛」(濁点)、「゜」(半濁点)や「ッ」(促音)は、文字を読み取った後に確認しながら付け足す。こうして初めて、「テーブル」として伝わる。
介助者(解読者)が文字を読み取る速度には個人差がある。また、私自身も解読中に混乱して言葉がまとまらなくなったり、途中でい換えたりすることもある。時に、伝えることに疲れてしまったり、介助者(解読者)側がき取りを諦めてしまうこともある。しかし、それらを乗り越えて何かが伝わり、気持ちを共有できたとき、私は言い知れぬ嬉しさを感じる。
■「フィルター」の存在
二〇〇八年八月まで、私は大学の卒業論文を執筆していた。多くの人と様々な意見交換をしながら、その都度、確実なコミュニケーションが求められた。この過程において、私はコミュニケーションのあり方について考えるようになった。
それは、コミュニケーションにおける「フィルター」の存在だ。ここでは「フィルターとは、コミュニケーションをとる際の障がいになるもの」と考えることにする。それは、伝えるプロセスによって五つ挙げられる。
まず一つは、誰もが「言葉を発信する」際に感じるフィルターだ。何かを伝えるためには、まず何らかの思いを抱いて発信する。つまり、発信者がどのような言葉を選び、どのように繋げるかによって表現の幅が左右される。例えば、「私は今空腹である」という意味や内容を伝えるために、「お腹が空いた」と言うか、「減った」とのみ言うか。い方ひとつでニュアンスが変わる。よって、このフィルターは、コミュニケーションにおける、人のイメージが決まる。
二つめは、言葉を「発信する」という動作そのものによるフィルターがある。例えば、私は体の一部を動かして言葉を発信するが、読み取る相手とのタイミングで上手くいかないこともある。また、双方が、常に心身ともにベストな状態であるとも限らないことは、コミュニケーションに影響を与える。
私とのコミュニケーションの方法を理解しても、たとえ誠意があっても、一朝一夕にスムーズにできるものではない。しかし、慣れや信頼関係により、それらの難しさは軽減できる。
三つめは、受信者が「き取る」段階でのフィルターである。例えば、私が「ちゆうしよう」と発した場合、「抽象」とも「中傷」とも、「チューしよう」とも取れてしまう。同じ言葉を、同じ調子で投げかけたとしても、介助者(解読者)の経験や知識に基づいて理解される。よって、私が意図しないことが伝わることも多々あり、解釈の多様性をまざまざと感じる。介助者(解読者)が誰であっても、たとえ正確に言葉を拾ってくれたとしても、私が伝えたい思いと言葉を百%パーセント伝えることは難しい。介助者(解読者)が勝手に、私とは異なる感情を言葉に込めることで、伝えたい内容が削がれてしまう。また、介助者(解読者)が男性か女性かによって、話し方の語尾やい回しが異なり、第三者へ与える印象が左右される。
日常の場面では、多少の解釈のズレを感じても、受け入れるようにしている。その我慢はストレスにはなるが、いちいち気にしていては先へ進めない。特に、英単語や学術用語に限っては理解してもらうことが難しい。
そこで、介助者(読解者)が、私の短い言葉から意味を察するセンス、豊富なボキャブラリー、根気のいるコミュニケーションを楽しむユーモアを持っていると、よりスムーズに私の考えを「伝える」ことが出来る。
四つめは、「時間差」のフィルターである。私のコミュニケーション方法は、「あ・かさ・た・な・・・」と一文字ずつをき取って文章に組み立てるため、そのプロセスで
タイムラグが生じ、皆が話している間に話題が変わってしまうことがある。
例えば、私が「痛い」と感じた時に、その瞬間に「イタイっ!」と言葉をき取ってもらえないことがある。「痛い」という事実にも気づいてもらえないこともある。もし言葉を聞いてもらえたとしても、「痛かった」という振り返った表現になる。食事をしながらの会話、テレビに対するコメントについても同じである。言いたいことがあるのに、タイミングを逃してき取ってもらえず、時間が経って話題が流れてしまう。
五つめは、コミュニケーションが成立するために必要な、「自分」と「相手」の認識に関わるフィルターである。「相手」に対しての認識がなければ、コミュニケーションはただの独り言になってしまう。私の場合、常に介助者が私と会話の受信者の間に入るため、発信された言葉が本当に私の意思であるかどうか、相手にはなかなか分かってはもらえない。「本当に彼が喋っているの?」という目で見られることもしばしばだ。
しかし、通訳はあくまでも通訳である。たとえ使う言葉が違っていようとも意思の疎通を行うのは「自分」と「相手」であるということを、コミュニケーションに関わる全ての人に考えていただきたい。
このように、コミュニケーションにおいて様々なフィルターが存在することを、自らの経験に照らし合わせて実感している。それぞれのフィルターを明確に認識することは難しく、何かのマニュアルによって簡単に取り除けるというものでもない。
しかし、まずはこのようなフィルターが存在すること、そして、「私たちは皆このフィルターを通して意思の交換をし合っているのだ」と認識することが非常に大切だと思う。そこで、私はコミュニケーションの可能性を今後も考え、学んでいきたいと強く願っている。
参考文献
韓 星民・大河内直之, 2008 「視覚障害者における情報処理特性を考慮した支援技術開発――能動的情報処理特性と受動的情報処理特性を中心に」 障害学会第5回大会
韓星民・林真理, 2008 「障害を持つ技術者のサイエンスコミュニケーターとしての役割――障害を持つ支援技術開発者の工学部での講義経験から」 科学技術社会論学会第7回年次研究大会
中邑賢龍, 2002 「AAC入門 〜拡大・代替コミュニケーションとは〜」, こころリソースブック出版会
*作成: