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伊藤 佳世子・川口 有美子・川島 孝一郎・野崎 泰伸「ALS――人々の承認に先行する生存の肯定」
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伊藤 佳世子・川口 有美子・川島 孝一郎・野崎 泰伸「ALS――人々の承認に先行する生存の肯定」
障害学会第6回大会・
報告要旨 於:
立命館大学
20090927
◆報告要旨
伊藤 佳世子(立命館大学大学院先端総合学術研究科)・川口 有美子(立命館大学大学院先端総合学術研究科・NPO法人ALS/MNDサポートセンターさくら会)/川島 孝一郎(仙台往診クリニック)・野崎 泰伸(立命館大学衣笠総合研究機構ポストドクトラルフェロー)
「ALS――人々の承認に先行する生存の肯定」
【目的】筋萎縮性側策硬化症(ALS)の発症から在宅人工呼吸療法開始までの間に、3名の女性患者が置かれた状況から、生存に必要不可欠な治療を支える支援の在り方について考察し提案する。
【方法】1,仙台・千葉・東京在住の女性患者3名の事例を紹介する。
2,3名の在宅療養環境整備に深く参与し、長期にわたって患者、家族、支援者に複数回のインタビューを実施した。
3,疾患が進行していく中で、家族・医療従事者・自治体福祉職員・患者会による支援を時系列に図表化し、在宅生活支援プロトコルを作成した。
4,3の表より、現行制度に加え新たなサービスも提案して、ALSの生存に不可欠な医療福祉サービスの在り方を展望した。
【結論】現在の制度では、ALS患者は自らの意思だけでは呼吸器装着を決定できない。介護保障が欠如している中で生きる/介助していく決意を固めるのは極めて困難である。ALS患者の生存のための方策を二つ提案する。
ひとつは、人工呼吸療法の単身者を支える制度と在宅医療福祉サービスの基盤整備を地域間格差なく広く達成することであり、ふたつめには、そのようなサービスの充実も地域や家族の承認も待たずに、先に治療をしてまず生きる/生きさせることである。いったん治療を開始しさえすれば、ALSの治療停止が認められない現法制度の下でなら、必要な支援を生み出すことができる。
◆報告原稿 パワーポイント
ALS−人々の承認に先行する生存の肯定
○伊藤佳世子(立命館大学大学院先端総合技術研究科博士後期課程)
川口有美子(立命館大学大学院先端総合技術研究科博士後期課程、NPO法人ALS/MNDサポートセンターさくら会)
川島孝一郎(仙台往診クリニック)
野崎泰伸(立命館大学衣笠総合研究機構ポスドクトラルフェロー)
【目的】筋萎縮性側索硬化症(ALS)の発症から、在宅人工呼吸両方開始までの間に、3名の女性患者が置かれた状況から、生存に必要不可欠な治療を支える支援のあり方について、考察し提案する。
【方法】
1 仙台・千葉・東京在住の女性患者3名の事例を紹介する。
2 3名の在宅療養環境整備に深く関係し、長期にわたって患者、家族、支援者に複数回のインタビューを実施した。
3 疾患が進行していく中で、家族・医療関係者・自治体福祉職員・患者会による支援を時系列に図表化し、在宅生活支援パスを作成。
4 3の表より、現行制度に加え新たなサービスも提案して、ALSの生存に不可欠な医療福祉サービスの在り方を提案した。
【事例】「ALS生活支援パス」表(川口作成)を使用し、3名が進行段階において、1と2では実際に行われた支援を、3では必要とされる支援を列挙した。
1の事例の分析結果、
1-A ALSの理解 明るい告知。正しい病気観をもつために必要な説明を専門職や保健所がおこなう。
1-B 意思伝達方法の工夫 パソコンサポート .自立支援のためにもっとも必要なコミュニケーションの支援
1-C 児童のケア 育児にもヘルパーを利用できる。市区町村の柔軟なサービス。
1-D 社会資源の利用を正当とする支援 市町村から多額の費用を投入することに対して地域で理解が得られる支援。
1-E 支援者のエンパワメント Hさんの在宅療養のプロジェクトの一員としての自覚を高める支援者のための支援。
1-F 経済的不安の解消 自らの介護の事業化により、会社社長となって自分の経営する会社の経費で夜勤ヘルパーの食費や移動費用捻出。
1-G 患者会や障害者団体のアドボカシー
2の事例の分析結果、
2-A 乳幼児のケア 乳児には患者と異なるケアニーズがある。保健師が親身になってくれた。
2-B 人間関係のトラブルの相談・仲介 人間関係のトラブルも保健師が仲介してくれた。専門職が説明すると収まるケースがある。
2-C 親戚以外の者の支援 親戚との関係悪化。療養は長期化するので、最初から親戚に頼らないように支援する。
2-D 家族に対する所得と就労の保障 従来の障害者運動とは逆の方法だが、家族の自立を支援すると必然的に当事者も自立してくることがある。
2-E ヘルパーの紹介(重度訪問介護サービスと事業所システムの紹介) 介護者不足なら、自分たちで介護者を養成する方法がある。地元のNPOの情報提供で事業所設立し、家族の就労とヘルパー不足が一挙に解決した。
人々の「承認」がなくても、少数の支援が先行し救われた事例として、1と2を挙げた。以前は制度もなく、家族介護しか選択肢がなかったという状況であった。今は生半可な介護制度があるばかりに、介護給付が足りない(制度自体が不完全である)という理由が、治療の不開始を正当化してしまっている面がある。給付が足りないのであれば、生存の継続は不可能であるので、その見通しが立つまでは、人工呼吸器の選択ができないという理屈が立つ状況がある。
3の事例については、1と2を参考にして、本人や周囲の少数の支援者の努力で道が開ける可能性のあることが分かる仕組み(パス)である。1〜3までいずれも小さな女の子がいる家庭である。
3の事例の分析結果、
3-A 家族の承認を必要としない治療開始。家族の存在や協力を前提にしない医療の確立。
3-B ヘルパーによる吸引、経管栄養の注入。家族以外の者による医療的ケアの普及。取り組む事業所や訪問看護STへの評価。
3-C 絶望感のない告知 身体機能の低下の告知とともに、どう生きるかの方策を教えて欲しい。
3-D 子供のケア 子供の育児にヘルパーサービスを利用できる。市区町村の柔軟なサービス。
3-F 夫の就労継続支援 家族が犠牲になることで支援がおこなわれることになると、家族に申し訳なくて、生きていけなくなる。
【結論】
現在の制度では、ALS患者は自らの意思だけでは呼吸器装着を決定できない。介護保障が欠如している中で生きる/介助していく決意を固めるのは極めて困難である。ALS患者の生存のための方策を二つ提案する。
ひとつは、人工呼吸療法の単身者を支える制度と在宅医療福祉サービスの基盤整備を地域間格差なく広く達成することであり、ふたつめには、そのようなサービスの充実も地域や家族の承認も待たずに、先に治療をしてまず生きる/生きさせることである。いったん治療を開始しさえすれば、ALSの治療停止が認められない現法制度の下でなら、必要な支援を生み出すことができる。
これについては、次のような反論があるかもしれない。すなわち、ALSの治療停止が認められない現法制度を変えて、本人の意思による治療停止が認められるような法制度にしてしまえばよい、そのような反論である。本人の「死にたい」という意思を尊重できるような法制度こそが、本人にとって望ましいというのだ。これは、患者本人の意思に共感した人々の承認によって、本人の生存が否定されるということでもある。
けれども、なにゆえに人々の承認によって本人の生存が肯定されたり否定されたりしてよいと言えるのか。患者本人は、いま生きていることがつらいと思うから、死にたいと思うのではないのか。そうであるならば、患者として生きるつらさをなくせばよい。そして、医療や福祉の充実は、生きるつらさを軽減してくれるものでもある。それでも、つらさは完全にはなくならないかもしれない。しかし、だからといってそのことは医療や福祉を整備しなくてよい理由にはならない。
また、ALSは病状が進行していくと、意思表示が困難になったりもする。そのとき、どうして周りの人々が「この人は死にたいと思っている」と言えようか。意思表示が困難ならば、端的に言って死にたいかどうかわからないはずだ。さらに、だから事前指示をということも言われるが、自分がいまだそのようになっていないにもかかわらず、事前に死にたいとわかるのは、いかなる理由からなのか。それは結局、患者の周りの人々の理屈と変わらない。「こういう状態であれば死にたいと思う」というとき、「こういう状態」の本人とは別の人が実際に存在し、その人を参照しながら言っている。そうだとすれば、そのような言説は、「こういう状態」の人の存在を否定していることになる。
患者本人のつらい気持ちに共感しようとするとき、必ずしも「つらいから死にたい」という気持ちまで肯定することにはつながらない。実際私たちは、そのように言われたら「つらい気持ちはわかったが、死ぬな」と言うではないか。なにゆえに患者であるだけで、「死への衝動」まで肯定しなければならないのか。それは患者本人の生存に対する冒涜ではないのか。他方で、つらい気持ちをもちつつ、あるいはつらくなる必要すらないと思った患者で、適切な医療や福祉を利用しながら、たとえば手記を書き、たとえば地域福祉を充実させるのに奔走し、たとえば大学院を修了する者もいる。このような道もすでに患者の先達によって切り拓かれている。すべての患者が活動的である必要はない。しかし、適切な医療や福祉が制度として整っていれば、つつがなく生活できる可能性がある。そのために、「患者が生きてよいか、患者本人に死にたい気持ちはないか」によって人々の承認を導き出すより先に、患者の生存を肯定するような医療福祉システムを作ってしまうことのほうが急務であると、私たちは考えている。 「尊厳は人が人として在る人格の(内なる人間性の)尊重に対する価値感情である。喪失したり価値であることは尊厳には集合のように加減が生じる。しかし、私達がそのつど状況を含みつつ乗り越える全体としてあるからには、尊厳はただ変容するだけである。その変容を許せずに世界と決別すること自体が尊厳から遠い行為であろう」(川島・伊藤 [2007:205])
追加資料:【3の事例詳細】
Mは36歳女性、夫と6歳の子供の3人暮らし。3年前ALSになる。
初めの異変は右手の指の握力がなくなってきたことであった。育児の疲れから腱鞘炎になったのかと思って、整形外科を受診した。その時の医師には頚椎の炎症といわれ、しばらく様子を見ていた。そのうち右手だけでなく左手もなり、整形外科を紹介された。たまたま、そこにいた医師が大学病院の先生で、そこの紹介で、大学病院に行き、検査をした。
いくつかの科を回った後に、神経内科で病名の告知を受けることになった。そこに到るまでは異変を感じてから約1年かかった。
医師二人からの告知であった。夫と義母とMとで告知を受けたという。その内容は「M氏はALSという病気にかかっています。今の医学では一生治らない病気です。今後、歩行できなくあり、食事をできなくなり、呼吸ができなくなり、やがて死に至ります」という内容であった。「この病気では人工呼吸器をつけるという選択があるが、金銭的には無理です。マンション一軒を買えるくらいのお金を払って生きていけるかどうかです」といわれる。更に、病院での告知から、退院までの数日間の間に、医師に「あなたはこの先どうするの?」と尋ねられたという。それには、答えられずにいた。目の前が真っ暗になり、買ったばかりの住宅と3歳のまだ幼稚園に入る前の子供を今後どうするのかばかりを考えていた。その後、告知した医師とは一度もあってはいない。
告知時に必要な支援は、予後は分かったから、それから先、重度障害者となったときにどう生きるのかの方策を考える支援が欲しかったという。
その後、治験が始まり入院と退院を繰り返す。夫は、妻はかわいそうだと思ったが、この先どうしたらよいのかわからなくて困っていたという。会社の上司に妻の病気を報告し、介護する人向けの休業制度があることなどを聞いた。しかし、もしも使うことで、余剰人員を整理するときにリストラされる可能性を考えると不安になり、使うことはできなかったという。
夫は妻が病気といわれた日から、自分の時間なくなっていったという。仕事をして、帰ってきて介護して、子供の世話をして一日が終る。ヘルパーを頼んでも、どこか頼むことの後ろめたさがある。人の出入りの多さを近所の人はどう思うのかも心配になるときがある。会社の上司に理解してもらっているが、理解してもらえるだけに病気の妻がいてもきちんとやっているとみせようと努力しなくてはと思う。気持ちがいつも張り詰めているので、もたないのではないかと思ってしまう。
2年目になりMの四肢麻痺が進行し、Mの母と義母が交代で介護に来る。しかし、人間関係が、徐々にギクシャクしてくる。介護と別に、子供の支援と夫の支援があり、母と義母の負担が重くのしかかっている。子供の支援はまだ制度はあるが、夫の就労継続支援はなかなか周囲の理解もなく、家族だけで行っていた。家族の中には人工呼吸器の装着に反対の声も上がってくる。
ALS協会の人に話をきくと、人工呼吸器をつけて生きている人はいるという。しかし、具体的にどうしているのかはよく分からなかった。施設という選択肢を語られた。Mもその家族も、家族介護だけでは、人工呼吸器をつけて生きる選択はできないと思っていた。しかし、Mは夫と子供と3人で暮らしたい気持ちは強かった。施設に住めばよいというのなら、人工呼吸器をつけずに死んだほうが良いと思っていた。
夫は四肢麻痺と、呼吸障害、嚥下障害になり、介護量が多くなって、先にどうなっていくのかが不安であり、介護をし続けることは約束できないと思ったという。Mは、家族には家族の人生を生きて欲しいと思っている。家族の人生を大事にしてこそ、自分が生きていても申し訳ないと思わなくて済む。家族が犠牲になってその補填に制度が使えるという状況であれば、家族には申し訳なくて、人工呼吸器をつける気にはなれない。また、施設入所ということであれば、子供の成長を見ることができないから、人工呼吸器をつける選択はしたくないという。
Mのような子供が小さく、夫が現役で稼いでいて、住宅ローンもあるような場合に、在宅生活を継続するには家族の支援は不可欠になる。その担い手に、ヘルパーが延長してやっていくということもあり得るのであるが、柔軟に使うことへの理解が得られない。人工呼吸器をつけるかどうかの選択について、Mは人工呼吸器をつけたいと主張するが、医師に「家族の承認を得ること」という条件を出される。夫が承認したところ、承認したのだから、夫がMのために支援をよりするように医師や保健師に申し渡される。病気の進行と、それを引き受けることからのプレッシャーで家族の関係はギクシャクすることになる。
文献
「生きる力」編集委員会 編 2006 『生きる力――神経難病ALS患者たちからのメッセージ』,岩波書店
Gsupple編集委員会 編 2007 『事例でまなぶケアの倫理』,メディカ出版
天田 城介 2007 「難病を生きるということ」(Gsupple編集委員会 編 [2007:89-94])
伊藤 佳世子 2008 「筋ジストロフィー患者の医療的世界」,『現代思想』36-03:156-170
川口 有美子・小長谷 百絵 編 2009 『在宅人工呼吸器ポケットマニュアル――暮らしと支援の実際』,医歯薬出版
川村 佐和子 研究代表 2009 『在宅ALS療養者における非侵襲的人工呼吸療
法の導入と限界に関する課題――患者・家族・ヘルパーの立場から』,平成20
年度厚生労働科学研究費補助金(難治性疾患克服研究事業)研究分担報告書
川島 孝一郎・伊藤 道哉 2007 「身体の存在形式または、意思と状況との関係
性の違いに基づく生命維持治療における差し控えと中止の解釈」,『生命倫理』17-1:198-206
日本尊厳死協会東海支部 編 2007 『私が決める尊厳死――「不治かつ末期」の
具体的提案』,中日新聞社
野崎 泰伸 2009 「「生きるに値しない生」とはどんな生か――メンバーシップ
の画定問題を考える」(出生をめぐる倫理研究会 編 [2009:40-47]→櫻井・堀田編 [2009](予定))
櫻井 浩子・堀田 義太郎 編 2009 『生存学研究センター報告 出生をめぐる
倫理』,立命館大学生存学研究センター(予定)
出生をめぐる倫理研究会 編 2009 『出生をめぐる倫理研究会 2008年度年次報
告書』
立岩 真也 2004 『ALS――不動の身体と息する機械』,医学書院
2008 『良い死』,筑摩書房
*作成: