(Translated by https://www.hiragana.jp/)
金 在根「障害者の「あきらめ」に関する一考察」
HOME > 全文ぜんぶん掲載けいさい

ここをクリックするとページにひらがなのルビがつきます。

きむ ざい障害しょうがいしゃの「あきらめ」にかんするいち考察こうさつ

障害しょうがい学会がっかいだいかい大会たいかい報告ほうこく要旨ようし 於:立命館大学りつめいかんだいがく
20090926


報告ほうこく要旨ようし
 きむ ざい(キム・ジェグン)(立教大学りっきょうだいがくコミュニティ福祉ふくしがく研究けんきゅう
 「障害しょうがいしゃの「あきらめ」にかんするいち考察こうさつ

  アメリカのADAをはじめとする障害しょうがいしゃ差別さべつ禁止きんし関連かんれんほう制定せいていや、国連こくれんの「障害しょうがいしゃ権利けんり条約じょうやく」、バリアフリーなどをとおして障害しょうがいしゃ差別さべつ問題もんだい社会しゃかいおもて舞台ぶたい登場とうじょうしつつある。しかし、障害しょうがいしゃ差別さべつ問題もんだいは、前述ぜんじゅつした社会しゃかい制度せいどてきめん、これを「外面がいめんてきなもの」とするなら、これよりひとひと関係かんけいしょうじる「内面ないめんてきなもの」の解決かいけつがより重要じゅうようであるとわれている。そして、「内面ないめんてきなもの」へのアプローチとしては、「ステレオタイプ」、「レッテル」、「スティグマ」とうといった心理しんり社会しゃかい文化ぶんか人類じんるいがくてき視点してん焦点しょうてんてたものがある。しかし、このようなアプローチから障害しょうがいしゃ内面ないめんてき差別さべつるには限界げんかいがあるのではないか。なぜなら、これらのアプローチは障害しょうがい当事とうじしゃ視点してんよりは、社会しゃかい差別さべつをどうとらえるかにおもみをいたものであるため、そこからえる障害しょうがいしゃ差別さべつ実態じったい現実げんじつせいけ、観念かんねんてきみになりやすいからである。そこで社会しゃかいではなく、障害しょうがい当事とうじしゃ差別さべつをどうとらえるかをかんがえるため「あきらめ」に焦点しょうてんてることにした。それは、筆者ひっしゃやく10年間ねんかん障害しょうがいしゃとかかわるなかで、障害しょうがいしゃの「あきらめ」が自分じぶん状況じょうきょうあきらかにするまえに、いられる「あきらめ」、または「あきらめるのがのぞましい」という「暗黙あんもく抑圧よくあつ」がつよいことに気付きづいたからである。なお、「あきらめ」は本来ほんらいあきらめる」という意味いみから変化へんかした言葉ことばである。つまり「あきらめ」の行為こういには「物事ものごとあきらかにする」ことが前提ぜんていとして必要ひつようである。
  ほん研究けんきゅう文献ぶんけん調査ちょうさすすめている。研究けんきゅう目的もくてき障害しょうがい当事とうじしゃ自身じしんの「あきらめ」に焦点しょうてんて、障害しょうがいしゃ差別さべつ実態じったい、さらに、障害しょうがいしゃ生活せいかつ特殊とくしゅせいあきらかにすることである。すなわち、だいいちに、障害しょうがいしゃの「あきらめ」をとおして、かくれする障害しょうがいしゃ差別さべつあきらかにすることである。だいに、障害しょうがいしゃ様々さまざま差別さべつから「きにくさ」を経験けいけんしながらも、それぞれ固有こゆう生活せいかついとなんでおり、その生活せいかつに「あきらめ」がどのように関係かんけいしているかをあきらかにすることである。

報告ほうこく原稿げんこう ワード

だい6かい障害しょうがい学会がっかい発表はっぴょう原稿げんこう
立教大学りっきょうだいがく きむざい

障害しょうがいしゃ差別さべつかんするあらたな視点してんとしての「あきらめ」

1.はじめに(用語ようご説明せつめい研究けんきゅう動機どうき
 用語ようごについて、本稿ほんこうでは、障害しょうがいしゃぞくしないもののことを健常けんじょうしゃではなく、障害しょうがいしゃ表記ひょうきする。もうひとつ、漢字かんじ表記ひょうきしたあきらめと、ひらがなで表記ひょうきした「あきらめ」を区分くぶんしてもちいる。漢字かんじ使つかって表記ひょうきするあきらめのほうは、我々われわれ日常にちじょうである意味いみ無意識むいしきてき使つか意味いみとしてもちい、ひらがなで表記ひょうきする「あきらめ」のほうは、日常にちじょう使つかあきらめにおいて社会しゃかいてき側面そくめん強調きょうちょうしたものとしてもちいる。くわしくはあと説明せつめいしたい。
 発表はっぴょうしゃについては、来日らいにちしてからのやく9ねんあいだ、ホームヘルパーの仕事しごと障害しょうがいしゃ中心ちゅうしん活動かつどうなどに参加さんかするなかで、障害しょうがいしゃはん障害しょうがいしゃ差別さべつ意識いしきや、自分じぶん権利けんり意識いしきつよ一方いっぽう自分じぶんのやりたいこと、または、ほっしたことをあきらめている姿すがたたりにしてきた。あきらめるものには些細ささいなことだけでなく、本当ほんとうのぞんでいるもの、自分じぶん人生じんせいにおいてやりたい、あるいは、れたいものもすくなくないとかんじた。このような障害しょうがいしゃ日常にちじょうでのあきらめはそれまで個人こじん問題もんだいとしてあつかわれているようにえるが、たして障害しょうがいゆえ社会しゃかいてき差別さべつ側面そくめんはないのかと疑問ぎもんつようになった。

2.研究けんきゅう概要がいよう仮説かせつ目的もくてき
 ほん研究けんきゅう障害しょうがいしゃ差別さべつ禁止きんしするためのあらたな視点してんもちいた研究けんきゅうである。近年きんねん障害しょうがいしゃ社会しゃかい課題かだいのなかで注目ちゅうもくびているのが障害しょうがいしゃ差別さべつ禁止きんしであるとかんがえる。それまで慈恵じえ保護ほご対象たいしょうとして、社会しゃかいてきほどこしにより救済きゅうさいされる存在そんざい障害しょうがいしゃとらえてきたとしたら、障害しょうがいしゃ差別さべつ禁止きんし障害しょうがいしゃ社会しゃかい構成こうせいいんとしての必要ひつようなニーズをかれ彼女かのじょらの権利けんりとしてみとめるものと理解りかいできる。
 しかし、なだほん(1998)は「差別さべつ問題もんだいというのは思索しさく産物さんぶつである。(中略ちゅうりゃく)また、個人こじんたいする外的がいてき条件じょうけん束縛そくばくつよさによって差別さべつ度合どあいが『客観きゃっかんてきに』まるわけでもない(p.229)」とべている。つまり、差別さべつひとびとのしんから出発しゅっぱつしたものであり、また、差別さべつ度合どあいは外部がいぶ条件じょうけんによってはかられるものではなく、差別さべつける障害しょうがいしゃ本人ほんにんとおしてはかられるべきものであるとっている。それは現在げんざい制度せいどされたり、差別さべつとされ、禁止きんしされたりするものは、個々人ここじんおもいから出発しゅっぱつした差別さべつなかで、社会しゃかいてき共有きょうゆう、あるいは合意ごういされたものとえるのではないか。そうなると、まだ共有きょうゆうあるいは合意ごういされていない差別さべつ存在そんざいしているとかんがえられる。つまり、障害しょうがいしゃ差別さべつなかにはえないもの、いいかえると、社会しゃかい問題もんだいとして表面ひょうめんされていないものがあるということがかんがえられる≪仮説かせつ1≫
 さらに、なだほん(1998)によると、障害しょうがいしゃける差別さべつ度合どあいは時代じだい社会しゃかいによってはかられる一律いちりつてきなものではなく、個人こじんによってちがうということである≪仮説かせつ2≫。これは生活せいかつ多様たようされ、さらに個々人ここじん生活せいかつえにくくなっているいま時代じだいにおいて、より説得せっとくりょくをもつものであろう。
 以上いじょうからほん研究けんきゅう目的もくてきは、@障害しょうがいしゃ差別さべつなかえない差別さべつ、もしくは、えないようにされている差別さべつ存在そんざいあきらかにすることと、Aそのえない差別さべつ検証けんしょうし、それを可視かしするための道具どうぐとして「あきらめ」をもちいることの有効ゆうこうせいについて考察こうさつおこなうことである。

3.障害しょうがいしゃへのえない差別さべつ存在そんざい
 差別さべつ定義ていぎ様々さまざまであるが、前提ぜんていに≪平等びょうどう≫があり、それにはんするかたち合理ごうりてきでない、≪不利益ふりえき≫がしょうじることは共通きょうつうしているてんであろう。なが歴史れきしなか障害しょうがいしゃは、神聖しんせいされたり、劣等れっとう労働ろうどうりょくとして、人間にんげんてきあつかいをされてきたり、ときには、きることすらゆるされなかったり、社会しゃかい安全あんぜんそこなう存在そんざいとして隔離かくりされたりしてきた。これらは、いまもなくなってはいないが、北欧ほくおう中心ちゅうしん発展はってんしてきたノーマライゼーションの思想しそう、そして、世界せかい障害しょうがいしゃねん、アメリカのADA、国連こくれん障害しょうがいしゃ権利けんり条約じょうやくなどをとおして、障害しょうがいしゃ差別さべつ表面ひょうめんてきにはってきているようにとらえる。しかし、以上いじょう制度せいどてきみだけではなが歴史れきしのなかにふかざしてきた障害しょうがいしゃ差別さべつ解決かいけつするには限界げんかいがあろう。
 以下いか現在げんざい社会しゃかいにおいてえない差別さべつなにかについてろんじ、そのような差別さべつえるようにするための方法ほうほうとして「あきらめ」の有効ゆうこうせいについてろんじたい。
 ここでえない差別さべつとは、「差別さべつしたもの差別さべつしたという自覚じかくをほとんどちにくく、社会しゃかいてき不可視ふかしされている差別さべつのことである(杉野すぎの、2007)」。そして、これは差別さべつするものだけでなく、ときには差別さべつされたものもその差別さべつせい自覚じかくをもたないことがある。横塚よこつか(2007)は、障害しょうがいしゃいち人前にんまえ人間にんげんとして社会しゃかいせいはぐくむための教育きょういく機会きかいとううばわれることを『常識じょうしきした差別さべつ意識いしき』といながら、障害しょうがいしゃがこれを批判ひはんてき従属じゅうぞくしてしまうことが問題もんだいであると指摘してきした(p.25参考さんこう)。
 以上いじょうのことから、社会しゃかいてき差別さべつが『常識じょうしき』されることで、差別さべつせいえなくなり、その結果けっか差別さべつするがわもされるがわ差別さべつたいする自覚じかくてないといえるのではないか。そうであるならば、社会しゃかいてき差別さべつを『常識じょうしき』しないことで、差別さべつ可視かしされ、差別さべつするがわやされるがわ差別さべつしていること、されていることに自覚じかくするのではないかとかんがえる。
 それでは、差別さべつを『常識じょうしき』しない方法ほうほうとはどのようなものか。そのまえに、『常識じょうしき』とはなにかを必要ひつようがある。横塚よこつか(2007)は、障害しょうがいしゃ本来ほんらいあるべき姿すがたではない、その不完全ふかんぜん存在そんざいというかんがかたから、普通ふつうとはちが待遇たいぐう横塚よこつかあかぼうあつかいなどをれいであげている)をけることが当然とうぜんされることを『常識じょうしき』とっている。つまり『常識じょうしき』は障害しょうがいしゃなんらかの≪不利益ふりえき≫があたえられることの原因げんいん社会しゃかいではなく、障害しょうがいしゃ個人こじん還元かんげんするものとえる。したがって、差別さべつを『常識じょうしき』しない方法ほうほうとは差別さべつ原因げんいん障害しょうがいしゃ個人こじんではなく、社会しゃかい還元かんげんする方法ほうほううとかんがえる。それでは、どうすれば社会しゃかい還元かんげんすることができるか。その方法ほうほうかんがえるためには、具体ぐたいてきに『常識じょうしきした差別さべつ意識いしき』つまり、差別さべつ原因げんいん個人こじん還元かんげんすることが障害しょうがいしゃにどのような影響えいきょうあたえるのかを必要ひつようがある。
 たとえば「神様かみさまはいじわるよね。かれのようなひとにまで、性欲せいよくあたえるなんて(河合かわい、2004、p.154)」
 一人ひとりでは性欲せいよく処理しょり出来できない障害しょうがいしゃのため女性じょせい派遣はけんする団体だんたい利用りようしているオランダのある障害しょうがいしゃへのインタビューをえたとき通訳つうやくしゃがつぶやいた言葉ことばである。この言葉ことばうらには、「障害しょうがいしゃ性的せいてき欲求よっきゅうがない」、また「障害しょうがいしゃ性的せいてき欲求よっきゅうをもつことはつらいことであり、むしろないほうがいい」というかんがえが常識じょうしきされているとおもわれる。障害しょうがいしゃせいたいする上記じょうきのような『常識じょうしき』は障害しょうがいしゃにどのような影響えいきょうあたえるだろうか。
 「竹田たけださんにとって人生じんせいはじめてのキスだった。(中略ちゅうりゃく竹田たけださんはなぜ15ねん交際こうさいしながら、セックスしなかったのだろう。(中略ちゅうりゃく)『もっと したかった でも こんな からだ だから かのじょ の ふたん に なるから』竹田たけださんは15年間ねんかん交際こうさいなかで『き』という言葉ことばさえくちにしなかった (河合かわい、pp.30-31) 。」
 河合かわいによると、脳性のうせいまひのある竹田たけださんは30だいのころ病院びょういん出会であった看護かんごうようになった。しかし、15ねん交際こうさいあいだいちのキスのみだった。セックスしたかと質問しつもんに「イエ・・ナカッタ」とこたえる。さらに、『き』という言葉ことばいちくちにしなかったとう。この発言はつげんとおしてかることは、『常識じょうしきした差別さべつ』は障害しょうがいしゃ我慢がまんすること、あきらめることをけさせるはたらきをするということである。
 以上いじょうから『常識じょうしきした差別さべつ』とあきらめはなんらかの関係かんけいがあることがかる。つぎ障害しょうがいしゃの「あきらめ」を分析ぶんせきし、えない障害しょうがいしゃ差別さべつ可視かしするための道具どうぐとしての「あきらめ」の有効ゆうこうせいかんがえてみる。

4.「あきらめ」とはなに
 最初さいしょべたように本稿ほんこうではあきらめの社会しゃかいてき側面そくめんと「あきらめ」を区分くぶんしてもちいている。あきらめは普通ふつう欲望よくぼう達成たっせい中途ちゅうと断念だんねんする(げんいずみ、1986)」の意味いみ使つかわれるが、いくつかの文献ぶんけんによると以下いかのような特徴とくちょうがあることがかった。遠藤えんどう(1984)によると、「『あきらめる』は(中略ちゅうりゃく)それまでの『あきらかにする』意味いみから、『断念だんねんする・おもる』意味いみわるのである。」つまり、「あきらめ」には断念だんねんするまえに(ものごとを)あきらかにする意味いみふくまれているとえよう。もうひとつ、「あきらめ」には「はっきりしてくもりない状態じょうたいにすること」の意味いみもあるらしい。
@「あきらめ」の「主体しゅたい客体かくたい程度ていど」と「受容じゅよう程度ていど
 上記じょうきで「あきらめ」はものごとをあきらかにする意味いみがあるとべた。これは「あきらめ」るさいに、みずからが自分じぶん状況じょうきょう適切てきせつ判断はんだんすることをし、そのくだす「あきらめ」は主体しゅたいてきな「あきらめ」とえよう。一方いっぽう自分じぶん判断はんだんより家族かぞく周囲しゅういひとびと、あるいはその社会しゃかいなどが「あきらめ」の決定けってい影響えいきょうする場合ばあいには客体かくたいてき「あきらめ」とえよう。そして、上記じょうきべたもうひとつは、「あきらめ」は「あきらめ」をれる気持きもちの問題もんだい重要じゅうようということである。ここでいう「あきらめ」をれるとは、「あきらめ」ののちしんけ、「あきらめ」をれながらもまたあたらしいなにかをおもいになるか、それとも、モヤモヤとしたおもいはえず、簡単かんたんにはしんれない状態じょうたいになるかということである。これをあらわしたものがつぎ1である。
作成さくせいしゃちゅうりゃく
 横線おうせん主体しゅたい程度ていどを、たてせん受容じゅよう程度ていどあらわしている。このなかBが一番いちばん個人こじん問題もんだいとしての差別さべつ領域りょういきちかくて、Cは一番いちばん差別さべつ社会しゃかいてき問題もんだいとなる可能かのうせいおおい。そして、AとDは差別さべつ社会しゃかいてき側面そくめん個人こじんてき側面そくめん両方りょうほうもっているとえる。
しかし、これによる分析ぶんせき不十分ふじゅうぶんなところが多々たたある。受容じゅよう程度ていどにおいては、「あきらめ」の差別さべつせいだけでなく、対象たいしょう中身なかみふか関係かんけいしているからである。そして、それは主体しゅたい程度ていどにおいてもおなじであろう。そのため、これをおぎなうためには、具体ぐたいてき障害しょうがいしゃの「あきらめ」の中身なかみについて必要ひつようがある。
 障害しょうがいしゃおこなう「あきらめ」が個人こじん問題もんだいによるものなのか、社会しゃかい差別さべつによるものなのかを判断はんだんすることはむずかしい。もしかすると、個人こじん社会しゃかいのどちらかひとつの「あきらめ」はないかもしれない。しかし、以上いじょうからみると障害しょうがいしゃえない差別さべつを「あきらめ」のなかに存在そんざいする差別さべつせいからることは可能かのうであるとかんがえる。

おわりに
 ある発表はっぴょうしゃ仕事しごとちゅう利用りようしゃのこうようなはなしみみにしたことがある。「どもがほしいな」。かれまちどもをかけたり、いのひとどもをれてあそびにきたりすると、時々ときどきそのようにっていたが、わたしふくめ、そのはなし真剣しんけんめるひとはいなかった。本人ほんにんだってきっと本気ほんきっていることではないとおもっていた。きっと発表はっぴょうしゃ自身じしん無意識むいしきのなかでは障害しょうがいしゃどもをつことはどもにとって不幸ふこうなことであるため障害しょうがいしゃどもをもってはならないとおもったにちがいない。障害しょうがいしゃ差別さべつかんする研究けんきゅうをするものとしてずかしいことであるともおもうが、一方いっぽう、もっと自分じぶん内面ないめんっていくことが大事だいじであるとかんじるときであった。障害しょうがいしゃえない差別さべつ表面ひょうめんする作業さぎょうけっして簡単かんたんなことではない。それは自分じぶん常識じょうしきいちからなおすことからはじめないといけないかもしれない。
 ここで報告ほうこくしゃえない差別さべつ存在そんざいとそれを可視かしするための道具どうぐとして「あきらめ」の有効ゆうこうせい検討けんとうしてみた。今回こんかい発表はっぴょうは、これから博士はかせ論文ろんぶんうえでただいちだんいしみあげたものにすぎない。この研究けんきゅうとおして障害しょうがいしゃ差別さべつかんする議論ぎろんがより拡大かくだいしたものになることと、障害しょうがいしゃの「あきらめ」がより学術がくじゅつてき研究けんきゅう対象たいしょうとなることを期待きたいしている。

参考さんこう引用いんよう文献ぶんけん
安積あさか純子じゅんこ岡原おかはら正幸まさゆき尾中おちゅうぶん哉・立岩たていわ信也しんや(1997)「なま技法ぎほういえ施設しせつらす障害しょうがいしゃ社会しゃかいがく」、藤原ふじわら書店しょてん
・アーヴィング・ゴッフマン(2003)「スティグマの社会しゃかいがく烙印らくいんされたアイデンティティ」、せりか書房しょぼう
阿南あなみあゆみ、山口やまぐち雅子まさこ(2007)「おや子供こども障害しょうがい受容じゅようして過程かていかんする文献ぶんけんてき検討けんとう」、JUOEH(産業医科大学さんぎょういかだいがく雑誌ざっし)29(1):73−85
井上いのうえ光一こういち(1999)「自己じこ許容きょようにおける向上心こうじょうしんとあきらめ」、京都きょうと大学だいがく大学院だいがくいん教育きょういくがく研究けんきゅう紀要きよう
遠藤えんどうよしみえい(1984)「『あきらめる』のかたり古代こだいにおける文章ぶんしょうてき様相ようそう」、日本にっぽん文学ぶんがくノート(宮城学院みやぎがくいん女子じょし大学だいがく日本にっぽん文学ぶんがくかい)、No.19 、pp.181-201
奥野おくの英子えいこ結城ゆうき俊哉としや編著へんちょ(2007)「生活せいかつ支援しえん障害しょうがい福祉ふくしがく」、明石書店あかししょてん
おつはたえいつよし(1999)「『病牀びょうしょうろくしゃく』における創作そうさく意識いしき―「あきらめる」の用法ようほうについて」、二松学舎大学にしょうがくしゃだいがく人文じんぶん論叢ろんそう ?、No.63、pp.60-78
河合かわい香織かおり(2004)「セックスボランティア」、新潮社しんちょうしゃ
佐藤さとうひろし(2005)「差別さべつろん偏見へんけん理論りろん批判ひはん」、明石書店あかししょてん
斎藤さいとうしげるふとし(2005)『あきらめりょく』、しん講社こうしゃ
なおがく図書としょ言語げんご研究所けんきゅうじょへん(1981)『国語こくごだい辞典じてん』、小学館しょうがくかん
栗原くりはらあきら(1997)「講座こうざ 差別さべつ社会しゃかいがくだい1かん 差別さべつ社会しゃかい理論りろん」、弘文こうぶんとう
新村しんむらいずるちょへん(2008)『広辞苑こうじえん』、岩波書店いわなみしょてん
杉野すぎの昭博あきひろ(2007)「障害しょうがいがく理論りろん形成けいせい射程しゃてい」、東京とうきょう大学だいがく出版しゅっぱんかい
杉村すぎむらやすし(2007)「ふくあい動詞どうし『−る』との共起きょうきから日本語にほんご心理しんり動詞どうし」、だい2とどけ中日ちゅうにちかん日本にっぽん言語げんご文化ぶんか研究けんきゅう国際こくさいフォーラム、出所しゅっしょwww.lang.nagoya-u.ac.jp/~sugimura/achivement/symposium.htm
中央ちゅうおう法規ほうき出版しゅっぱん編集へんしゅう(2008)『社会しゃかい福祉ふくし用語ようご辞典じてんてい』、中央ちゅうおう法規ほうき
中川なかがわ英世ひでよ(1991)「ゲーテの『諦念ていねん』の意味いみについて」、高岡法科大学たかおかほうかだいがく紀要きようだい2ごう、pp.228-211
横塚よこつか晃一こういち(2007)「ははよ!ころすな」、生活せいかつ書院しょいん
はやし監修かんしゅうなおがく図書としょ編集へんしゅう(1986)『国語こくごだい辞典じてんげんいずみ」』、小学館しょうがくかん
ほし三枝子みえこ(2001)「はる残酷ざんこくである」、日本にっぽん図書としょセンター
妙木みょうき浩之ひろゆき北山きたやまおさむ(2006)監修かんしゅう北山きたやまおさむ日常にちじょう臨床りんしょう辞典じてん」、pp.19-22(「あきらめ」松岡まつおか裕子ゆうこ)
山下やました恒男つねお(2005)「差別さべつしんてき世界せかい」、現代書館げんだいしょかん
・ユン・ミソン(2006)「『モシピルブリックの選択せんたく』に投影とうえいされたエミリ・ディッキンソンの諦念ていねん詩学しがく」、人文じんぶんがく研究けんきゅう33かんだい3ごう、pp201-225、忠南大学ちゅうなんだいがく人文じんぶん科学かがく研究所けんきゅうじょ
吉野よしの俊彦としひこ(1981)『あきらめの哲学てつがくもり鴎外おうがい」』、PHP研究所けんきゅうじょ、p.18、19、21
渡邉わたなべ敏郎としお・E.R. Skrzypczak・P. Snowden(2003)『新和しんわすぐるだい辞典じてんだい5はん』、研究けんきゅうしゃ
渡辺わたなべなみ(2001)「あきらめると希望きぼうえる?」、Science of Humanity Bensei(人文じんぶんがく情報処理じょうほうしょり、No.37、
pp.77-81

作成さくせい
UP:20090905 REV:20090921
全文ぜんぶん掲載けいさい  ◇障害しょうがい学会がっかいだい6かい大会たいかい  ◇障害しょうがい学会がっかいだい6かい大会たいかい報告ほうこく要旨ようし
TOP HOME (http://www.arsvi.com)