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澁谷 智子「聞こえない親の子育て」
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◆報告 ほうこく 要旨 ようし
澁谷 しぶや 智子 さとこ (埼玉 さいたま 県立 けんりつ 大学 だいがく 非常勤 ひじょうきん 講師 こうし )
「聞 き こえない親 おや の子育 こそだ て」
障害 しょうがい のある親 おや の子育 こそだ ては、障害 しょうがい の種別 しゅべつ や程度 ていど によって障害 しょうがい 者 しゃ の経験 けいけん が異 こと なっていることを浮彫 うきぼ りにする。重度 じゅうど の身体 しんたい 障害 しょうがい を持 も つ人 ひと にとっては、結婚 けっこん と出産 しゅっさん 自体 じたい が敷居 しきい の高 たか いものになっており、重度 じゅうど 身体 しんたい 障害 しょうがい 者 しゃ の自立 じりつ 生活 せいかつ やセクシュアリティが論 ろん じられる中 なか では、障害 しょうがい 者 しゃ の親子 おやこ 関係 かんけい は、障害 しょうがい をもたない親 おや と障害 しょうがい をもつ子 こ の関係 かんけい に偏 かたよ って取 と り上 あ げられることが多 おお かった。そこでは、ケアを与 あた える側 がわ と受 う ける側 がわ は、親子 おやこ という軸 じく においても、非 ひ 障害 しょうがい 者 しゃ と障害 しょうがい 者 しゃ という軸 じく においても、固定 こてい して考 かんが えられる傾向 けいこう にあった。この発表 はっぴょう では、障害 しょうがい のある人 ひと の「定位 ていい 家族 かぞく 」ではなく「生殖 せいしょく 家族 かぞく 」に注目 ちゅうもく し、障害 しょうがい のある人 ひと が親 おや として子育 こそだ てを行 おこ なうときの意識 いしき を取 と り上 あ げたい。
特 とく に本 ほん 発表 はっぴょう が論 ろん じるのは、聞 き こえない親 おや の子育 こそだ てについてである。聴覚 ちょうかく 障害 しょうがい は、視覚 しかく 障害 しょうがい と並 なら んで、就労 しゅうろう して経済 けいざい 的 てき な基盤 きばん を持 も つことが期待 きたい されてきた障害 しょうがい であり、こうした障害 しょうがい を持 も つ人々 ひとびと にとっては、結婚 けっこん や子 こ どもを持 も つことは比較的 ひかくてき 予想 よそう 可能 かのう な選択肢 せんたくし として考 かんが えられている。しかし、実際 じっさい に子 こ どもを持 も つに至 いた った障害 しょうがい 者 しゃ が経験 けいけん するのは、障害 しょうがい 者 しゃ の子育 こそだ て能力 のうりょく を疑 うたが う世間 せけん の視線 しせん であり、障害 しょうがい のない親 おや との比較 ひかく である。発表 はっぴょう では、聞 き こえない親 おや の語 かた りや手記 しゅき の分析 ぶんせき から、聞 き こえない親 おや が感 かん じている社会 しゃかい 的 てき バリアの実態 じったい を明 あき らかにする。
データとして用 もち いるのは、1995〜2002年 ねん に活動 かつどう したデフ・マザーズ・クラブの会報 かいほう 、埼玉 さいたま 県 けん 聴覚 ちょうかく 障害 しょうがい 者 しゃ 協会 きょうかい 婦人 ふじん 部 ぶ 子育 こそだ て班 はん の発行 はっこう した『聴 き こえない人 ひと の子育 こそだ て』(2000年 ねん )、大阪 おおさか 聴力 ちょうりょく 障害 しょうがい 者 しゃ 協会 きょうかい 女性 じょせい 部 ぶ 子育 こそだ て班 はん の「聞 き こえない親 おや と聞 き こえる子 こ ども」(2005年 ねん )と、発表 はっぴょう 者 しゃ が2004〜2009年 ねん に行 おこ なった聞 き こえない母親 ははおや へのインタビュー調査 ちょうさ 13件 けん である。それらの分析 ぶんせき の中 なか から見出 みだし だされた、「障害 しょうがい の遺伝 いでん についての意識 いしき 」「障害 しょうがい 者 しゃ の子育 こそだ て能力 のうりょく を疑 うたが う周囲 しゅうい のまなざしへの反応 はんのう 」「自分 じぶん にできない教育 きょういく を補 おぎな うための保育園 ほいくえん の利用 りよう 」「他 た のお母 かあ さんと親 した しくなる上 じょう での困難 こんなん と努力 どりょく 」という論点 ろんてん に沿 そ って考察 こうさつ する。
◆報告 ほうこく 原稿 げんこう
聞 き こえない親 おや の子育 こそだ て
澁谷 しぶや 智子 さとこ (埼玉 さいたま 県立 けんりつ 大学 だいがく 非常勤 ひじょうきん 講師 こうし )
1.はじめに
障害 しょうがい のある人 ひと の親子 おやこ 関係 かんけい は、これまで障害 しょうがい のない親 おや と障害 しょうがい のある子 こ の親子 おやこ 関係 かんけい に偏 かたよ って取 と り上 あ げられ、障害 しょうがい のある人 ひと が自 みずか ら作 つく る「生殖 せいしょく 家族 かぞく 」については、あまり注意 ちゅうい が向 む けられてこなかった。多 おお くの社会 しゃかい では、障害 しょうがい 者 しゃ 介助 かいじょ においては「ケアする非 ひ 障害 しょうがい 者 しゃ とケアされる障害 しょうがい 者 しゃ 」、育児 いくじ においては「ケアする親 おや とケアされる子 こ ども」というように、今 いま なおケアの受 う け手 て と担 にな い手 て が固定 こてい して考 かんが えられる風潮 ふうちょう が強 つよ い。
障害 しょうがい のある親 おや は、自分 じぶん の参考 さんこう となる子育 こそだ て情報 じょうほう が少 すく ない中 なか で、さまざまに試行 しこう 錯誤 さくご している。妊娠 にんしん 期 き から子 こ どもの結婚 けっこん に至 いた るまで、障害 しょうがい のある人 ひと は、子育 こそだ てという面 めん でも、障害 しょうがい の遺伝 いでん に対 たい する恐 おそ れや障害 しょうがい 者 しゃ の子育 こそだ て能力 のうりょく を疑 うたが う世間 せけん の視線 しせん など、さまざまな社会 しゃかい 的 てき バリアを経験 けいけん している。
今回 こんかい のポスター報告 ほうこく では、今 いま まで発表 はっぴょう 者 しゃ が行 おこ なってきた「聞 き こえない親 おや をもつ聞 き こえる人々 ひとびと (コーダ=CODA: Children of Deaf Adults)」についての研究 けんきゅう から、聞 き こえない親 おや の子育 こそだ てに関 かん するいくつかの論点 ろんてん を挙 あ げる。報告 ほうこく のデータとするのは、2004年 ねん 3月 がつ 〜2009年 ねん 3月 がつ に行 おこ なった13人 にん の聞 き こえないお母 かあ さんへのインタビュー、2005年 ねん 10月 がつ 〜2006年 ねん 2月 がつ に行 おこ なった10人 にん のコーダへのインタビュー、聞 き こえない親 おや の子育 こそだ て関連 かんれん の会 かい (「デフ・マザーズ・クラブ」、「埼玉 さいたま 県 けん 聴覚 ちょうかく 障害 しょうがい 者 しゃ 協会 きょうかい 婦人 ふじん 部 ぶ 子育 こそだ て班 はん 」、「大阪 おおさか 聴力 ちょうりょく 障害 しょうがい 者 しゃ 協会 きょうかい 女性 じょせい 部 ぶ 子育 こそだ て班 はん 」、「手話 しゅわ で子育 こそだ ての会 かい 」)で出 だ された出版 しゅっぱん 物 ぶつ や、そうした会 かい の活動 かつどう の参与 さんよ 観察 かんさつ の記録 きろく である。以下 いか では、これらの分析 ぶんせき から見出 みいだ した4 よっ つの点 てん について、大 おお まかに見 み ていきたい。
2.聞 き こえないことの遺伝 いでん についての解釈 かいしゃく
聴覚 ちょうかく 障害 しょうがい は遺伝 いでん によるものもあり、生 う まれた子 こ どもが聞 き こえるか聞 き こえないかは、親 おや や祖父母 そふぼ の関心 かんしん の一 ひと つとなっている。しかし、聞 き こえないことの遺伝 いでん をどう捉 とら えるかには、時代 じだい の変化 へんか も反映 はんえい されている。
以前 いぜん は、次世代 じせだい への聞 き こえないことの継承 けいしょう は、優生 ゆうせい 学 がく 的 てき な観点 かんてん から否定 ひてい 的 てき に考 かんが えられていた。聞 き こえない親 しん 自身 じしん もそうした意識 いしき を内面 ないめん 化 か しており、聞 き こえない子 こ を持 も つ聞 き こえない親 おや の語 かた りでも、子 こ どもが聞 き こえないとわかった時 とき のショックがしばしば語 かた られている。「1歳 さい の時 とき に、娘 むすめ が聞 き こえないとわかった。声 こえ で呼 よ んでも振 ふ り向 む かない。帝京 ていきょう 病院 びょういん の**先生 せんせい に連 つ れていった。3時 じ 間 あいだ も待 ま たされた挙句 あげく 、ろうだとわかった。ショックだった」(2004年 ねん 4月 がつ 14日 にち のAさんへのインタビューより)。こうした親 おや のショックには、聞 き こえない自分 じぶん が聞 き こえない子 こ の発話 はつわ 訓練 くんれん をどう行 おこ なえばいいのかなど、「障害 しょうがい のある子 こ 」の訓練 くんれん の施 ほどこ し手 しゅ としての親 おや イメージも影響 えいきょう していた。
しかし、1990年代 ねんだい 半 なか ば以降 いこう 、日本 にっぽん でも「ろう文化 ぶんか 」という概念 がいねん が紹介 しょうかい され、若 わか いろう者 しゃ の間 あいだ では、言語 げんご としての手話 しゅわ 、文化 ぶんか としての「ろう」を次世代 じせだい に継承 けいしょう するという意識 いしき も持 も たれるようになってきている。「私 わたし は、子 こ どもが産 う まれるなら聞 き こえない子 こ どもがいい、と思 おも っていました。日本人 にっぽんじん が子 こ どもを日本語 にほんご で育 そだ て、フランス人 じん がフランス語 ふらんすご で育 そだ てるのと同 おな じように、聞 き こえない私 わたし たちは、自分 じぶん の子 こ どもを手話 しゅわ で育 そだ てたい、と考 かんが えました。聞 き こえない自分 じぶん の生 い き方 かた やアイデンティティを、同 おな じ聴 き こえない子 こ どもなら対等 たいとう に伝 つた えることもできます」(子育 こそだ てひろばネットワーク 2005: 33)。
こうした「ろう文化 ぶんか 」言説 げんせつ の広 ひろ まりは、聞 き こえない親子 おやこ においては、親子 おやこ で体験 たいけん を共有 きょうゆう し、コミュニケーションをスムーズにはかれるというプラス面 めん があることへの気 き づきをもたらした。さらに、子 こ どもも聞 き こえない場合 ばあい には、親 おや が子 こ どもをケアするという規範 きはん が、非 ひ 障害 しょうがい 者 しゃ が障害 しょうがい 者 しゃ をケアするという規範 きはん とぶつからず、親 おや が親 おや としての権威 けんい を保 たも ちやすい面 めん もあるようである。実際 じっさい 、聞 き こえない親 おや の経験 けいけん や人脈 じんみゃく は、聞 き こえない子 こ どもにとっても意味 いみ のある資源 しげん となっている。
一般 いっぱん には、障害 しょうがい の遺伝 いでん は忌避 きひ される事態 じたい と考 かんが えられているが、親子 おやこ の関係 かんけい においては、子 こ どもが同種 どうしゅ の障害 しょうがい を持 も つことは親 おや の障害 しょうがい が突出 とっしゅつ しない効果 こうか を産 う み、ある意味 いみ 、親子 おやこ 関係 かんけい がノーマライズされる側面 そくめん があることは、注目 ちゅうもく すべき点 てん であろう。
3.障害 しょうがい 者 しゃ の子育 こそだ て能力 のうりょく を疑 うたが う周囲 しゅうい のまなざし
聞 き こえない人 ひと は、生活 せいかつ の中 なか で常 つね に介助 かいじょ を必要 ひつよう とするわけではない。しかし、聞 き こえる人 ひと と比較 ひかく される中 なか では、その子育 こそだ て能力 のうりょく が心配 しんぱい されることもある。特 とく にそれが表面 ひょうめん 化 か しやすいのは、聞 き こえない親 おや が聞 き こえる子 こ (コーダ)を育 そだ てる場合 ばあい の音声 おんせい 言語 げんご 教育 きょういく においてである。
手話 しゅわ を使 つか う聞 き こえない親 おや の元 もと で育 そだ つコーダは、口 くち を動 うご かしてしゃべっていても、声 こえ が伴 ともな っていないことがある。声 こえ を出 だ さずにしゃべるコーダの姿 すがた は、聞 き こえる親族 しんぞく に不安 ふあん を抱 いだ かせる。あるコーダは、インタビューの中 なか で自分 じぶん の幼 おさな い頃 ころ の話 はなし を次 つぎ のように語 かた っている。「まわりが言 い うんですよね。聞 き こえるおばあちゃんとか、「声 こえ が出 で てないよ」って。心配 しんぱい するみたい。やっぱり。言葉 ことば の遅 おく れとか」(澁谷 しぶや 2008: 103)。発音 はつおん の違 ちが いや日本語 にほんご の語彙 ごい の少 すく なさも、手話 しゅわ で育 そだ つコーダについて心配 しんぱい されることであり、それが乳幼児 にゅうようじ 健診 けんしん のスタッフや保育園 ほいくえん の保育 ほいく 士 し などによって指摘 してき されることもある。こうした音声 おんせい 言語 げんご の発達 はったつ の「遅 おく れ」は、親 おや の聴覚 ちょうかく 障害 しょうがい からもたらされる否定 ひてい 的 てき な結果 けっか として扱 あつか われやすく、聞 き こえる子 こ どもが手話 しゅわ と日本語 にほんご の二 に 言語 げんご 環境 かんきょう で育 そだ っているゆえのバイリンガリズムとしては、あまり見 み られない。
聞 き こえるコーダの音声 おんせい 言語 げんご については、小学生 しょうがくせい ぐらいになるとあまり心配 しんぱい されることもなくなってくるようだが、それでも、何 なに か問題 もんだい が起 お こった時 とき には、それが「親 おや が聞 き こえないから」と結 むす びつけて説明 せつめい されてしまう風潮 ふうちょう は根強 ねづよ く存在 そんざい する(澁谷 しぶや 2009: 98-9, 162-3)。
4.保育園 ほいくえん の利用 りよう に対 たい するアンビバレントな思 おも い
聞 き こえない親 おや に限 かぎ らず、障害 しょうがい のある親 おや が障害 しょうがい のない子 こ どもを育 そだ てる場合 ばあい 、親 おや は、自分 じぶん のインペアメントが子 こ どもの教育 きょういく ニーズを満 み たせないと感 かん じる時 とき がある。聞 き こえない親 おや の場合 ばあい には音声 おんせい 言語 げんご 教育 きょういく 、見 み えない親 おや の場合 ばあい には視覚 しかく 教育 きょういく が焦点 しょうてん となり、従来 じゅうらい 、それを補 おぎな う方法 ほうほう として、保育園 ほいくえん の利用 りよう が進 すす められてきた。
しかし、近年 きんねん では、聞 き こえない親 おや の間 あいだ では、聞 き こえる子 こ どもが幼 おさな いときに音声 おんせい 言語 げんご 環境 かんきょう で長 なが く過 す ごし、声 こえ のやりとりの基本 きほん を身 み につけることは、親子 おやこ のコミュニケーションを難 むずか しくする面 めん があることも認識 にんしき されている。保育園 ほいくえん の利用 りよう は、子 こ どもと親 おや が共有 きょうゆう するコンテクストを少 すく なくし、子 こ どもが保育園 ほいくえん で覚 おぼ えてきて発 はっ するさまざまな声 こえ の言葉 ことば に対 たい して、親 おや が効果 こうか 的 てき にフィードバックを与 あた えることを困難 こんなん にするからである。聞 き こえない母親 ははおや の一人 ひとり は、聞 き こえる息子 むすこ の幼児 ようじ 期 き を振 ふ り返 かえ って次 つぎ のように語 かた っている。「アイスクリームが食 た べたいというレベルなら、なんとか理解 りかい はできました。私 わたし は一応 いちおう しゃべれるので、想像 そうぞう しながら息子 むすこ の「うん」「ちがう」というのを見 み ながら判断 はんだん できましたが、細 こま かい話 はなし になると、息子 むすこ の口 くち だけではもうわからなくなります。息子 むすこ が泣 な き出 だ すと、なおさら口 くち の形 かたち がどんどん変 へん になっていくのでますますわかりません。「何 なに を言 い っているのかわからない」と言 い うと、息子 むすこ は泣 な き叫 さけ んでパニックになります。私 わたし もつらくてぽろぽろ涙 なみだ を流 なが しました」(澁谷 しぶや 2009: 64)。
このように、聞 き こえる子 こ どもの乳幼児 にゅうようじ 期 き の教育 きょういく が音声 おんせい 言語 げんご 中心 ちゅうしん になることは、聞 き こえない親 おや が子 こ どもと双方向 そうほうこう でやりとりできる範囲 はんい を狭 せば め、親 おや の自信 じしん を揺 ゆ らがせてしまう面 めん もある。子 こ どもの音声 おんせい 日本語 にほんご の発達 はったつ を気 き にかけつつも、子 こ どもが音声 おんせい で言 い う内容 ないよう がわからず心苦 こころぐる しく思 おも うジレンマは、聞 き こえない親 おや の多 おお くに経験 けいけん されている。
5.他 た のお母 かあ さんと親 した しくなる上 じょう での困難 こんなん と努力 どりょく
聞 き こえない親 おや の語 かた りにおいてしばしば言及 げんきゅう されるのは、他 た のお母 かあ さんとのつきあいについてである。保育園 ほいくえん や幼稚園 ようちえん 、学校 がっこう の先生 せんせい 、子 こ どもの医療 いりょう 機関 きかん などとのコミュニケーションでは、相手 あいて もコミュニケーションの必要 ひつよう 性 せい を認識 にんしき しており、1対 たい 1の筆談 ひつだん などもわりと成立 せいりつ しやすい。しかし、お母 かあ さん同士 どうし のつきあいにおいては、聞 き こえない親 おや の側 がわ が意識 いしき 的 てき に働 はたら きかけないと、つながりそのものができなくなってしまう。「やっぱり自分 じぶん から聞 き こえないことをアピールする。自分 じぶん から言 い わないとまわりは理解 りかい してくれない。その意味 いみ で、努力 どりょく した。友達 ともだち を作 つく る」(2009年 ねん 11月1日 にち のIさんへのインタビューより)。聞 き こえない親 おや の多 おお くは、かなり意識 いしき して、聞 き こえるお母 かあ さんとの関 かか わりを作 つく っていた。親子 おやこ 遠足 えんそく の時 とき に父母 ちちはは の会 かい の役員 やくいん さんを探 さが して、必要 ひつよう な情報 じょうほう を書 か いてくれるように頼 たの んだり、子 こ どもの仲 なか の良 よ い子 こ の親 おや との共通 きょうつう の話題 わだい を探 さぐ り、筆談 ひつだん やFAX ふぁっくす のやりとりをしたりする。こうしたコミュニケーションは、聞 き こえない親 おや にとってはエネルギーを要 よう することだったが、そのようにしなければ、いざという時 とき に情報 じょうほう を教 おし えてくれたり助 たす けてくれたりする理解 りかい 者 しゃ がいなくなってしまうと認識 にんしき されていた。
5.まとめ
以上 いじょう 、聞 き こえない親 おや へのインタビュー、コーダへのインタビュー、聞 き こえない親 おや の会 かい の活動 かつどう での参与 さんよ 観察 かんさつ や出版 しゅっぱん 物 ぶつ の分析 ぶんせき をもとに、「聞 き こえないことの遺伝 いでん についての解釈 かいしゃく 」「障害 しょうがい 者 しゃ の子育 こそだ て能力 のうりょく を疑 うたが う周囲 しゅうい のまなざし」「保育園 ほいくえん の利用 りよう に対 たい するアンビバレントな思 おも い」「他 た のお母 かあ さんと親 した しくなる上 じょう での困難 こんなん と努力 どりょく 」という論点 ろんてん を挙 あ げた。
子育 こそだ ての現場 げんば においては、聞 き こえない親 おや は圧倒的 あっとうてき に少数 しょうすう 派 は である。聞 き こえない親 おや が聞 き こえない子 こ を育 そだ てる場合 ばあい には、親 おや は子 こ どもの生 い きる世界 せかい の見通 みとお しを立 た てながら親 おや 役割 やくわり を果 は たしていけるところがあるが、聞 き こえない親 おや が聞 き こえる子 こ を育 そだ てる場合 ばあい には、親 おや は子 こ どものために、聞 き こえる人 ひと を前提 ぜんてい とした基準 きじゅん での親 しん 役割 やくわり を引 ひ き受 う け、そのために葛藤 かっとう を感 かん じることも多 おお い。
聞 き こえない親 おや の子育 こそだ てについての意識 いしき は、その時代 じだい や社会 しゃかい における望 のぞ ましい育児 いくじ についての言説 げんせつ 、聞 き こえないことについての見方 みかた 、そして、子 こ ども・祖父母 そふぼ (親族 しんぞく )・他 た の母親 ははおや ・子 こ どもの保育園 ほいくえん や学校 がっこう の先生 せんせい と聞 き こえない親 おや との相互 そうご 行為 こうい の中 なか で形作 かたちづく られていく。今回 こんかい の報告 ほうこく ではいくつかの論点 ろんてん を挙 あ げるに留 とど まったが、今後 こんご 、障害 しょうがい のある人 ひと が親 おや としての役割 やくわり を果 は たす時 とき に直面 ちょくめん する社会 しゃかい 的 てき バリアの構造 こうぞう を、より深 ふか く論 ろん じたいと思 おも う。
参考 さんこう 文献 ぶんけん
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*作成 さくせい :