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渡邉 あい子「障害者とパフォーミングアーツの生成と展開――1970年代から現在まで」
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渡邉わたなべ あい障害しょうがいしゃとパフォーミングアーツの生成せいせい展開てんかい――1970年代ねんだいから現在げんざいまで」

障害しょうがい学会がっかいだいかい大会たいかい報告ほうこく要旨ようし 於:立命館大学りつめいかんだいがく
20090927


 渡邉わたなべあい立命館大学りつめいかんだいがく大学院だいがくいん先端せんたん総合そうごう学術がくじゅつ研究けんきゅう
 「障害しょうがいしゃとパフォーミングアーツの生成せいせい展開てんかい――1970年代ねんだいから現在げんざいまで」

 近年きんねん障害しょうがいしゃの/とのパフォーミングアーツがさかんである。ほん報告ほうこくでは1970年代ねんだいから2009ねんまでの障害しょうがいしゃの/とのパフォーミングアーツ関連かんれん年表ねんぴょう作成さくせいし、このムーブメントが具体ぐたいてきにどのように生成せいせいされ展開てんかいせたのか、障害しょうがいしゃ自立じりつ運動うんどうとの関係かんけいせい文化ぶんかてき背景はいけいなどを念頭ねんとう分析ぶんせきこころみる。
 まず、従来じゅうらい健常けんじょうしゃのみを前提ぜんていとする文化ぶんかへの異議いぎおよび援助えんじょける「弱者じゃくしゃ」としての存在そんざいからの解放かいほうがあった。75ねんからスタートしたわたぼうしコンサートを嚆矢こうしとして、「ろうしゃ劇団げきだん」、「デフ・パペットシアターひとみ」の80年代ねんだいにおける発足ほっそく、83ねん大阪おおさかあおしばかい重度じゅうど障害しょうがいしゃ自立じりつ運動うんどう参加さんかしたきむ満里まり旗揚はたあげした劇団げきだんたいへん」がここにはふくまれる。90年代ねんだいはいるとボディワークをれたカウンセリングの学習がくしゅうかいグループ「仙台せんだいからだとこころのかい」で障害しょうがいしゃとのダンス・ワークショップ(以下いかWS)がひらかれ、のちに「みやぎダンスこころからだ表現ひょうげんかい」(98)「みやぎダンス」(2005)と団体だんたい名称めいしょう変更へんこうをし、理念りねんも「inclusive dance for all」をかかげている。また90年代ねんだい後半こうはんにはコンテンポラリー・ダンスの出現しゅつげん浸透しんとうとともに、各地かくち様々さまざまなダンスWSが展開てんかいされている。これらは健常けんじょうしゃによる障害しょうがいしゃのための療法りょうほうてき効果こうかてき変容へんようねらったものではなく、参加さんかしゃのあるがままの状態じょうたい、いわばことなる身体しんたいせいかしてパフォーマンスを創造そうぞうすることに力点りきてんかれたうごきの台頭たいとうといえる。ここではWSという、すべての参加さんかしゃ主体しゅたいとなり、ひとつの価値かち方向ほうこうせいにおさまらない文化ぶんかてき存在そんざいのありかたとやりとりによって成立せいりつする重要じゅうようになってくる。
 2000年代ねんだいはいると展開てんかい多様たようになり、とくに2004ねんからは5年間ねんかんのプログラムで「エイブルアート・オンステージ」がはじまり現在げんざいのムーブメントを牽引けんいん波及はきゅうせている。
 このようなながれから、障害しょうがいしゃ文化ぶんか主張しゅちょうするパフォーミングアーツや療法りょうほうとして効果こうか変容へんよう目的もくてきとするものから、すべてのひとことなる文化ぶんか表現ひょうげんせいがあること、その相互そうご作用さようからまれるパフォーマンス自体じたい目的もくてきとするものへ、という変化へんかてとることできる。またそのことからも障害しょうがいしゃ社会しゃかい参加さんかとしてかたられるにはとどまらない可能かのうせいしめしていることがわかる。

報告ほうこく原稿げんこう

障害しょうがいしゃとパフォーミングアーツの生成せいせい展開てんかい――1970年代ねんだいから現在げんざいまで」
立命館大学りつめいかんだいがく大学院だいがくいん先端せんたん総合そうごう学術がくじゅつ研究けんきゅう 渡邉わたなべあい

0.報告ほうこく目的もくてき
 近年きんねん障害しょうがいしゃの/とのパフォーミングアーツがさかんになっている。ほん報告ほうこくでは1970年代ねんだいから2009ねんまでの障害しょうがいしゃの/とのパフォーミングアーツ関連かんれん年表ねんぴょう作成さくせいし、このムーブメントが具体ぐたいてきにどのように生成せいせいされ展開てんかいせたのか、障害しょうがいしゃ自立じりつ運動うんどうとの関係かんけいせい文化ぶんかてき背景はいけいなどを念頭ねんとう分析ぶんせきこころみる。なお、詳細しょうさい年表ねんぴょうについては生存せいぞんがく創成そうせい拠点きょてんホームページじょう(http://www.arsvi.com/d/d00ah2.htm,http://www.arsvi.com/d/d00ah.htm,)に掲載けいさいした「障害しょうがいしゃとパフォーミングアーツ関連かんれん年表ねんぴょう1974-1994/1995-2009」を、ここでは別刷べつづりの資料しりょう参照さんしょうしていただきたい。
まず、障害しょうがいとパフォーマンスの変遷へんせん年代ねんだいじゅんに、注目ちゅうもくする団体だんたい沿って概観がいかんする。

1.障害しょうがいとパフォーマンスの変遷へんせん──時代じだい背景はいけいとともに
 障害しょうがい障害しょうがいしゃをめぐる表象ひょうしょうには歴史れきしじょうさまざまな存在そんざいする。ここではパフォーマンスの当事とうじしゃせい重点じゅうてんき、障害しょうがいしゃ運動うんどう活発かっぱつした1970年代ねんだいからみていくこととする。

1. 1960・1970年代ねんだい福祉ふくし運動うんどう
 戦後せんごから70ねん福祉ふくしほう制度せいど年金ねんきん制度せいど整備せいびされていった時代じだいだった。60年代ねんだい後半こうはんには重度じゅうど障害しょうがいしゃかかえる家族かぞく問題もんだいはじめ、嘆願たんがんによってくに入所にゅうしょ施設しせつつくはじめる。高度こうど経済けいざい成長せいちょう財源ざいげんもあったため各地かくち大型おおがた収容しゅうよう施設しせつ〈コロニー〉の建設けんせつすすめられたが、施設しせつでの劣悪れつあく処遇しょぐう管理かんり体制たいせい入所にゅうしょしゃからの抗議こうぎが70ねんごろからはじまっていく。70ねんには横浜よこはま障害しょうがいったどもをころした母親ははおやたい同情どうじょうあつまり、減刑げんけい嘆願たんがん運動うんどうこったことにたいして、神奈川かながわあおしばかい母親ははおや障害しょうがいころしに厳正げんせい裁判さいばん要求ようきゅうおこなう。さらに、優生ゆうせい保護ほごほう胎児たいじ条項じょうこう新設しんせつ養護ようご学校がっこう義務ぎむ障害しょうがいしゃ実態じったい調査ちょうさへの反対はんたいなどの障害しょうがいしゃ運動うんどうのように、こえをあげていく/いかざるをえない当事とうじしゃによる異議いぎもうてがはじめてひろげられ、自立じりつ運動うんどうへとつながって表出ひょうしゅつされたのが70年代ねんだいである(市野川いちのかわ立岩たていわ1998)。

1-2. 70年代ねんだいの「うた
 このような時代じだいのなか、75ねんに「奈良ならたんぽぽのかい」が中心ちゅうしんとなり「わたぼうしコンサート」が開催かいさいされる。これは脳性のうせいマヒのどもがいたにアマチュア音楽おんがくグループ「奈良ならフォークむら」のメンバーが出会であったことが契機けいきとなった。LPレコード発売はつばいもされ「わたぼうし」の存在そんざい飛躍ひやくてき障害しょうがいのあるひとたちに浸透しんとうしていくことになった。コンサートの趣旨しゅしはいわば「きるつよさ」「しんのやさしさ」「いのちのとうとさ」などの“あい正義まさよし”をうたうものであり、さき過激かげき運動うんどうたいであるあおしば方向ほうこうせいとはぎゃくといってもよい。「障害しょうがいがあってもひとあいし、まちをあいし、世界せかいあいすることは人間にんげんとしてあたりまえのことだとして共感きょうかん人々ひとびとしんうごかし」という記述きじゅつからも“共生きょうせい視点してん”における主張しゅちょう表現ひょうげんであることがわかる。また「わたぼうしコンサート」が全国ぜんこく開催かいさいされ浸透しんとうするとともに、障害しょうがいしゃ健常けんじょうしゃの、おやかいなどによる音楽おんがく合唱がっしょうなどのサークル活動かつどうひろがっていった。

1-3.80年代ねんだいの「劇団げきだん──プロとして
 80年代ねんだいはじめには「ろうしゃ劇団げきだん」、「デフ・パペットシアターひとみ」が発足ほっそくする。
 ろうしゃ運動うんどうは60年代ねんだいからぜんろうれん全日本ぜんにほん聾唖ろうあ連盟れんめい)を中心ちゅうしん公的こうてき手話しゅわ通訳つうやく制度せいど設立せつりつへのはたらきかけ、ろうしゃ権利けんり獲得かくとく運動うんどうとしてあらわれ、70ねんにはくにによる手話しゅわ奉仕ほうしいん養成ようせい事業じぎょう結実けつじつさせていった経緯けいいがある(植村うえむら2002)
 「ろうしゃ劇団げきだん」はろうしゃである米内山よないやま明宏あきひろが、どう時期じき寺山てらやま修司しゅうじ演劇えんげきやアメリカのプロろうしゃ劇団げきだん「ナショナルシアター・オブ・ザ・デフ(NTD)」の手話しゅわ演劇えんげき影響えいきょうけ、演劇えんげききな仲間なかまあつめ「東京とうきょうろう演劇えんげきサークル」を設立せつりつした。“障害しょうがい有無うむかかわらず、視覚しかくてきだれもがたのしめる演劇えんげきつくり”を目指めざして活動かつどう開始かいしし、その黒柳くろやなぎ徹子てつこ・トット基金ききん付帯ふたい劇団げきだんとなり、日本にっぽんろうしゃ劇団げきだん改称かいしょうして活動かつどうつづけている。「デフ・パペットシアターひとみ」は、結成けっせい当初とうしょからろうしゃ聴者ちょうしゃ協同きょうどうして公演こうえん活動かつどうおこなっているプロの人形にんぎょう劇団げきだんで、ろうしゃ劇団げきだんおなじように“障害しょうがい有無うむかかわらずだれもがたのしめる人形にんぎょうげき、ろうしゃ聴者ちょうしゃ感性かんせいかしてあたらしい人形にんぎょうげきつくる”ことを目指めざしている。
 ほとんどおなじく、しかしおもむきをまったくことにして出現しゅつげんしたのが劇団げきだんたいへん」である。81ねんに「国際こくさい障害しょうがいしゃねんをブッばせ!」公演こうえんおこない、83ねんに「たいへん」の旗揚はたあげとなった。主宰しゅさいきむ満里まり大阪おおさかあおしば運動うんどうにもかかわっていたが、言葉ことばたいしてのまり、運動うんどうなかつちかわれた論理ろんりではかたれないものがあるとして「直感ちょっかんてき舞台ぶたい表現ひょうげんということになった」とかたる(かね1998:50)。旗揚はたあ芝居しばいは〈障害しょうがいしゃ日常にちじょうえるドラマはない〉というかんがえにもとづき、障害しょうがいしゃ視点してんからストレートにぶつける挑発ちょうはつ芝居しばいとしてつくられ(かね2006:148)「さらなる障害しょうがいしゃせいへの回帰かいき」(倉本くらもと1999:238)を主張しゅちょうした。ここにはあおしばの「脳性のうせい麻痺まひしゃ固有こゆう文化ぶんかつくす」と同質どうしつ趣旨しゅしいだせよう。それをうつすように、初期しょき作品さくひんぐん中心ちゅうしんてきテーマはどくづくように障害しょうがいしゃ問題もんだいけさせるものだったが、87ねん作品さくひんてん」からは障害しょうがいしゃ身体しんたいへのあらたなる解釈かいしゃく可能かのうせいてんじていった(倉本くらもと1999:242)。
 「たいへん」の演者えんじゃ脳性のうせいマヒやポリオなど重度じゅうど障害しょうがいがあるためつね身辺しんぺん介護かいご必要ひつようとする。そこで黒子くろこが、舞台ぶたいじょう役者やくしゃかかえて舞台ぶたいじょう登場とうじょうさせ、そでれてかえるなど、演技えんぎをするサポートをおこない、稽古けいこ段階だんかいから一緒いっしょつくげていく役割やくわりになっている。つまり、社会しゃかいのメインストリームから周縁しゅうえんいやられていた身体しんたい中心ちゅうしんえる場所ばしょをつくり、健常けんじょうしゃ身体しんたい前提ぜんていとすること、身体しんたい障害しょうがいしゃ身体しんたいいちくくりにすることに異議いぎしめした(渡邉わたなべ2009)。

1-4. 80年代ねんだい前半ぜんはん考察こうさつ
 このみっつの劇団げきだんにおける共通きょうつうこうは1.プロとしての公演こうえん2.障害しょうがいかすというポジティブな観点かんてん、である。しかし2においてあらわれかたおなじでも初期しょきたいへん根本こんぽんてきちがうのは、障害しょうがいしゃのネガティブなイメージをいったんけたうえで、戦略せんりゃくとしてだれもがたのしめる舞台ぶたい目指めざさないことにあった。るという距離きょりたも観客かんきゃくまもられた立場たちば障害しょうがいしゃたいするイメージの前提ぜんていがし、そこに居合いあわせて体験たいけんしまうような場面ばめん共有きょうゆう舞台ぶたいじょうおこなったといえる。これは60年代ねんだいからの「舞踏ぶとう」が障害しょうがいったひと身体しんたいあこがれてっていたことが、当事とうじしゃによってさら具現ぐげんされたともいえよう。また、せんだって舞踏ぶとうやアングラ演劇えんげき興隆こうりゅうがあったことにより表現ひょうげんの「毒性どくせいれの土壌どじょうができていたともかんがえられる。

1-5. 80年代ねんだい後半こうはん・90年代ねんだい──ワークショップのはじまり
 以上いじょうのながれをいで、80年代ねんだい後半こうはんにはあらたな身体しんたい表現ひょうげん市民しみんせいはじめる。86ねんには勅使川原てしがわら三郎さぶろうのバニョレ国際こくさい振付ふりつけコンクールでの受賞じゅしょうやディスコミュニケーションや軋轢あつれきえがしたピナ・バウシュのヴッパタール舞踊団ぶようだんはつ来日らいにち公演こうえん当時とうじのダンスシーンがおおきな衝撃しょうげきけたことも契機けいきとなって、モダンダンスでも舞踏ぶとうでもない、あたらしいダンスの時代じだいはじまろうとしていた(渡邉わたなべ2009)。またどう時期じきには、舞踏ぶとうである岩下いわしたとおるによる精神せいしん病院びょういんでのダンスセラピーのこころみも開始かいしされている。
 90年代ねんだいはいると、ダンスなどのワークショップ(以下いかWS)が各地かくちはじまる。たとえば、ボディワークをれたカウンセリングの学習がくしゅうかいグループ「仙台せんだいからだとこころのかい」(のちに「みやぎダンスこころからだ表現ひょうげんかい」(98)「みやぎダンス」(2005)と団体だんたい名称めいしょう変更へんこうをし、理念りねんも「inclusive dance for all」をかかげている)では重度じゅうど障害しょうがいしゃとのダンス・WSが継続けいぞくてきひらかれた。これは91ねんに、英国えいこく健常けんじょうしゃ障害しょうがいしゃ構成こうせいするカンパニーをげ,公演こうえんおこなってきたヴォルフガング・シュタンゲ が来日らいにち公演こうえん・WS開催かいさいしたことによる影響えいきょうおおきい。この招聘しょうへいおこなったミューズ・カンパニーは設立せつりつより毎年まいとし国内外こくないがいから様々さまざまなダンサーや振付ふりつけまねき、聴覚ちょうかく障害しょうがい自閉症じへいしょう身体しんたい障害しょうがいしゃ、また高齢こうれいしゃどもなど、ひろそう対象たいしょうにWSをおこなっている。
 しかし、このような先進せんしんてきなWSの展開てんかいはまだごく一部いちぶで、障害しょうがいしゃ演劇えんげき身体しんたい表現ひょうげん福祉ふくし施設しせつ余暇よか活動かつどうやボランティアによるサークル活動かつどう健常けんじょうしゃがわから提供ていきょうされたかたちのものがおおかったのも事実じじつである。そして公演こうえんなどのイベントもほとんどが関係かんけいしゃくされてしまい、「がんばっている障害しょうがいしゃ」に拍手はくしゅおくるというものであった。生々なまなましい現実げんじつ障害しょうがいしゃ姿すがたをもっとひろそうに、つまり無関心むかんしん健常けんじょうしゃせつけるべく、既存きそん状況じょうきょうたいするアンチテーゼとしてまれたのが、障害しょうがいしゃプロレス「ドッグレッグス」である(倉本くらもと1999:230)。主宰しゅさい北島きたじま行徳ぎょうとくねらいどおり、福祉ふくし・ボランティア関係かんけいしゃではない、障害しょうがいしゃからとお健常けんじょうしゃ動員どういん、「後味あとあじわる面白おもしろさ」をのこすことに成功せいこうした。倉本くらもとは「障害しょうがいしゃプロレスとは、障害しょうがいしゃという存在そんざいについてふかかんがえることなしでも充分じゅうぶんってしまうだい多数たすう健常けんじょうしゃ日常にちじょうくさびみ、異化いかする装置そうちにほかならない」(倉本くらもと1999:232)と指摘してきしている。ドッグレッグスがおこなったのは、健常けんじょうしゃにとって都合つごうのよい障害しょうがいしゃぞうやぶり、眼前がんぜんきつけ、さらには格闘技かくとうぎとしてエンターテインメントしていったことにあるだろう。
 90年代ねんだい後半こうはんには、前半ぜんはんからのダンスのながれがさらにコンテンポラリー・ダンスというジャンルの浸透しんとうとともに強化きょうかされ、各地かくち障害しょうがいしゃを/も対象たいしょうにしたダンスWSが展開てんかいされていく。これらのWSは健常けんじょうしゃによる障害しょうがいしゃのための療法りょうほうてき効果こうかてき変容へんようねらったものではなく、参加さんかしゃのあるがままの状態じょうたい、いわばことなる身体しんたいせいかしてパフォーマンスを創造そうぞうすることに力点りきてんかれた。すべての参加さんかしゃ主体しゅたいとなり、ひとつの価値かち方向ほうこうせいにおさまらない文化ぶんかてき存在そんざいのありかたとやりとりによって成立せいりつする志向しこうされたといえる。
 また95ねんには日本にっぽん障害しょうがいしゃ芸術げいじゅつ文化ぶんか協会きょうかいげんエイブルアート・ジャパン)とたんぽぽのいえきょうはたらけする、エイブルアート・ムーブメント(可能かのうせい芸術げいじゅつ運動うんどう)がスタートし、障害しょうがいしゃのアート活動かつどう中心ちゅうしん支援しえん啓発けいはつ活動かつどうおこなわれていくこととなった。

1-6. 2000ねん以降いこう
 2000ねん以降いこうになると表現ひょうげん展開てんかいもさらに多様たようとなる。特筆とくひつすべきは「こわれしゃ祭典さいてん」(2002?)である。前述ぜんじゅつまでのパフォーマンス当事とうじしゃには精神せいしん障害しょうがいしゃはほとんどふくまれていない。さまざまなやまいかかきづらいとかんじている人々ひとびとが、みずからを「こわれしゃ」とび、病気びょうき自慢じまんひろげ、その病気びょうきかんするユーモアをまじえたトークとパフォーマンスでげるものである。あるがままの自分じぶんみと肯定こうていし、かちとして反響はんきょうんだ。
 2004ねんからはエイブル・アート・ジャパン5年間ねんかんのプログラムで「エイブルアート・オンステージ」がはじまり、全国ぜんこくからパフォーマンス団体だんたい公募こうぼ公演こうえんまでの資金しきん運営うんえいめん支援しえんける取組とりくみおこなわれた。毎年まいとしくみ程度ていど団体だんたい選出せんしゅつされ、前述ぜんじゅつのみやぎダンス、こわれものの祭典さいてんふくめ、えないひととのダンスや、実験じっけんてきパフォーマンスでマイノリティとマジョリティの境界きょうかいせんらがせようとするもの、障害しょうがいしゃせい労働ろうどうなどをうたにしたもの、65さい以上いじょう女性じょせい高齢こうれいしゃのみが出演しゅつえんする演劇えんげきなど、その趣旨しゅし方法ほうほう多岐たきにわたる。しかしどれにも共通きょうつうしていだせるのは、かたられてこなかったことの表出ひょうしゅつこころみてこられなかった形式けいしきでの表現ひょうげんである。声高こわだか権利けんり主張しゅちょう啓蒙けいもう運動うんどうおこなうのではなく、あくまでアートやパフォーマンスを中心ちゅうしんえ、その表現ひょうげん自体じたいしつわれていくこのエイブルアート・オンステージは障害しょうがいしゃの/とのパフォーマンスを波及はきゅう牽引けんいんしてきている。

2.分析ぶんせき考察こうさつ
 以上いじょう、70年代ねんだいからの障害しょうがいしゃ運動うんどうとの関係かんけいせい文化ぶんかてき背景はいけい参照さんしょうしながら障害しょうがいしゃの/とのパフォーミングアーツのながれをてきた。ここで倉本くらもと(1999)の考察こうさつ参照さんしょうしつつポイント整理せいりをおこなってみたい。これまでの障害しょうがいしゃの/とのパフォーミングアーツをあえて分類ぶんるいすると以下いかのようになるとかんがえる。

障害しょうがいしゃの/とのパフォーミングアーツ分類ぶんるい
 1. 共生きょうせいへの願望がんぼうとしての表現ひょうげん共感きょうかん平等びょうどう)わたぼうしコンサート
 2. 障害しょうがいしゃ特性とくせいかす表現ひょうげん(フラット)ろうしゃ劇団げきだん、デフ・パペットシアターひとみ
 3. 障害しょうがいしゃ特性とくせいかす表現ひょうげん(ラディカル)初期しょき劇団げきだんたいへん
 4. あたらしい芸術げいじゅつせい価値かち創造そうぞう(オルタナティブ)劇団げきだんたいへん
 5. 福祉ふくし、ボランティア関係かんけいしゃによる余暇よか支援しえん(ケア)
 6. はんノーマライゼーション(差異さい)ドッグレッグス
 7. ワークショップによる相互そうご作用さようによる表現ひょうげん生成せいせい交感こうかん)コンテンポラリーダンスなど

3.まとめ
 ワークショップというかたちが浸透しんとうはじめてから、かならずしも公演こうえん目指めざ団体だんたいばかりではなくなっている。パフォーマンスがワークショップの相互そうご作用さようのなかでちあがってくるたのしむかた存在そんざいしていることからも、パフォーミングアーツがケアや支援しえんにおかれない身体しんたいのコミュニケーションとして介在かいざいしているとかんがえられる。
 こうしたパフォーミングアーツに参加さんかすることは、福祉ふくし文脈ぶんみゃくでは「社会しゃかい参加さんか」としてとらえられ、障害しょうがいしゃにとって効果こうかてき変容へんようはあったのかどうかが問題もんだいにされることがおおい。しかし現在進行形げんざいしんこうけいのパフォーミングアーツの現場げんばはそれぞれの「いまここにある身体しんたい」を媒介ばいかいにしてち、その身体しんたい不足ふそくのあるものやなにくする必要ひつようがあるものとはなしていない。「効果こうかてき変容へんよう」というその視点してんこそがすでにあたえるもの立場たちばからの、健常けんじょうしゃ身体しんたい前提ぜんていにしたものであるといえる。

参考さんこう文献ぶんけん
市野川いちのかわようこう立岩たていわしん也1998「障害しょうがいしゃ運動うんどうからえてくるもの」『現代げんだい思想しそう』1998ねん2がつごう青土おうづちしゃ
きむ満里まり2006「身体しんたい身体しんたい」『身体しんたいをめぐるレッスン1夢見ゆめみ身体しんたい鷲田わしだきよしいちへん 岩波書店いわなみしょてん
きむ満里まり崎山さきやままさしあつし細見ほそみ和之かずゆき1998「表現ひょうげんとしての障害しょうがい──瞬間しゅんかんのかたち 劇団げきだんたいへん」の軌跡きせき」『現代げんだい思想しそう』1998ねん2がつごう青土おうづちしゃ
倉本くらもと智明ともあき1999「異形いぎょうのパラドックス──あおしば・ドッグレッグス・劇団げきだんたいへん石川いしかわじゅん長瀬ながせおさむへん障害しょうがいがくへの招待しょうたい──社会しゃかい文化ぶんか・ディスアビリティ』明石書店あかししょてん
渡邉わたなべ あい「〈ことなる身体しんたい〉の交感こうかん可能かのうせい??コンテンポラリー・ダンスをがかりに」『コア・エシックス』Vol.5立命館大学りつめいかんだいがく大学院だいがくいん先端せんたん総合そうごう学術がくじゅつ研究けんきゅう2009ねん3がつpp.415-425

作成さくせい
UP:20090904 REV:20090921
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