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山口 真紀 「病名診断をめぐる問題とは何か――診断名を求め、語る声から考える」
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 病名びょうめい診断しんだんをめぐる問題もんだいとはなにか――診断しんだんめいもとめ、かたこえからかんがえる

山口やまぐち 真紀まき立命館大学りつめいかんだいがく大学院だいがくいん先端せんたん総合そうごう学術がくじゅつ研究けんきゅう)   20090926-27
障害しょうがい学会がっかいだいかい大会たいかい 於:立命館大学りつめいかんだいがく


報告ほうこく要旨ようし
報告ほうこく原稿げんこう

報告ほうこく要旨ようし

しん状態じょうたいかた診断しんだんめいあたえること/ることについて、これまでにおおく、医療いりょう社会しゃかいがく分野ぶんやから医療いりょうとの批判ひはんがなされてきた。しかし一方いっぽうで、診断しんだんもとめ、肯定こうていてきかたこえがある。ほん報告ほうこくでは、成人せいじんしてのちアスペルガー症候群しょうこうぐん診断しんだんされたニキリンコの主張しゅちょう注目ちゅうもくしたい。近年きんねん、ドナ・ウィリアムズの『自閉症じへいしょうだったわたしへ』(1993=2000,新潮社しんちょうしゃ)をかわきりに、自閉症じへいしょうやADHD(注意ちゅうい欠陥けっかんどうせい障害しょうがい)、アスペルガー症候群しょうこうぐん診断しんだんされた人々ひとびとが、みずからの世界せかいかん体験たいけんきした書籍しょせき発表はっぴょうされはじめている。ニキリンコは日本にっぽんにおけるこうしたうごきを牽引けんいんしてきた人物じんぶつでもある。ニキは、それまでにかんじてきた周囲しゅういとのズレの原因げんいん説明せつめいもとめる気持きもちをいてきたこと、ふたつの診断しんだんめいのあいだでうごいたこと、それがられたときの安堵あんど了解りょうかい気持きもちをしるしている。そして当人とうにん病名びょうめいもとめることの正当せいとうせい主張しゅちょうする。
 ニキの主張しゅちょうからもたらされるのは、診断しんだんめいるというおこないはきづらさの承認しょうにん治療ちりょう対処たいしょへの機会きかいとしてもあり、病名びょうめいによってられる場所ばしょ位置いちがあるという認識にんしきである。このことは重要じゅうよう問題もんだい提起ていきふくんでいる。すなわち、これまでの医療いりょう批判ひはん議論ぎろんにおいては、ときに行為こうい権力けんりょく構造こうぞうやラベリングによってもたらされるまけ側面そくめん指摘してき傾注けいちゅうし、「だれにとって、なに問題もんだいなのか」という視角しかくからの議論ぎろんりこぼしてきたのではないかということ。さらにはニキが「制裁せいさいだけを先取さきどりしてきた歴史れきし」と批判ひはんしているように、これらの議論ぎろん現在げんざいがたが、ニキにおいては病名びょうめいもとめるという気持きも自体じたい否定ひていするものとして感受かんじゅされている側面そくめんかんがえられる。ニキの指摘してきけるとき、診断しんだんをめぐる問題もんだいについていまいち整理せいり検討けんとうされる必要ひつようがあるのではないか。報告ほうこくでは、ニキ自身じしん引用いんようしている精神せいしん香山かやまリカの議論ぎろんげ、その「対立たいりつ」の様相ようそう考察こうさつする。

報告ほうこく原稿げんこう

病名びょうめい診断しんだんをめぐる問題もんだいとはなにか――診断しんだんめいもとめ、かたこえからかんがえる」

山口やまぐち真紀まき
gr017063@ed.ritsumei.ac.jp(@→@)


1.関心かんしん所在しょざい――病名びょうめい診断しんだんをめぐる議論ぎろんさい検討けんとう
 近年きんねん、うつびょうやパニック障害しょうがい慢性まんせい疲労ひろう疾患しっかん自閉症じへいしょうやアスペルガー症候群しょうこうぐんなどの病名びょうめいひろかれるようになった。これらの病名びょうめいにおいてしめされる症状しょうじょう個人こじん状況じょうきょうによって多様たように、あるいはなだらかにあらわれると理解りかいされており、医学いがくじょう診断しんだん基準きじゅんいま明確めいかくではない。こうしたあいまいで広範こうはん意味いみふくんだ病名びょうめい付与ふよについては、当事とうじしゃ専門せんもん立場たちばから様々さまざま議論ぎろんがなされている。ほん報告ほうこくでは、病名びょうめい診断しんだんをめぐる議論ぎろん積極せっきょくてき議論ぎろん展開てんかいしている精神せいしん香山かやまリカの議論ぎろんげ、考察こうさつする。そこからは、病名びょうめい診断しんだんをめぐる議論ぎろん俯瞰ふかんてき全体ぜんたいぞうと、問題もんだいてんあきらかとなる。
 病名びょうめい診断しんだんをめぐっては、様々さまざまきづらさをかかえた当人とうにんから、みずからの病名びょうめいみとめ、もとめるこえがっている。報告ほうこくしゃは、成人せいじんしてのちアスペルガー症候群しょうこうぐん診断しんだんされたニキリンコの主張しゅちょう注目ちゅうもくした。ニキは、自身じしん中途ちゅうと診断しんだん経験けいけんを「所属しょぞく変更へんこう、あるいは汚名おめい返上へんじょう」であるとしるしたうえで、当人とうにん診断しんだんめいもとめることの正当せいとうせい主張しゅちょうしている。報告ほうこくしゃはこれまでに、ニキをはじめとした「閉」しゃ手記しゅきがかりに、当人とうにんらが診断しんだんめいもとめるにいたるまでのおもいと、診断しんだんめいることの効用こうようについて考察こうさつした〔山口やまぐち 2009〕(註1)。「閉」しゃ手記しゅきには、診断しんだんめいたことによって安堵あんど了解りょうかい気持きもちがもたらされたこと、またカミングアウトの作法さほう生活せいかつじょう対処たいしょ可能かのうとなったことがしるされている。そこからは、病名びょうめい診断しんだん医療いりょう現場げんばにおける権力けんりょく関係かんけい表出ひょうしゅつや、病名びょうめいによる経験けいけんかこみといった指摘してきとはことなる水位すいいにおいて、やめいをきる人々ひとびと実践じっせんこころみへとつながっていることがあきらかとなった(註2)。
 ほん報告ほうこくではさらに、病名びょうめい診断しんだんをめぐる議論ぎろんにおいて重要じゅうようなアクターである専門せんもん言説げんせつ焦点しょうてんて、検討けんとうをすすめる。具体ぐたいてきには先述せんじゅつしたように、病名びょうめい普及ふきゅう危惧きぐていする現代げんだい代表だいひょうてき論者ろんしゃである香山かやまリカの一連いちれん言説げんせつりあげる。病名びょうめい診断しんだんをめぐるニキと香山かやま議論ぎろんは「対立たいりつ」の様相ようそうしめしており、香山かやま議論ぎろんうことは、専門せんもん当事とうじしゃ双方そうほう議論ぎろん検討けんとうするじょうでの重要じゅうよう作業さぎょう位置いちづけられる。

2.ニキと香山かやまの「対立たいりつ」と共振きょうしん
 はじめに、ニキと香山かやま議論ぎろんの「対立たいりつ」を概観がいかんしよう。ニキは香山かやま以下いか文章ぶんしょう引用いんようし、批判ひはんしている。

 診断しんだんめいというのは本来ほんらい、「そのひと属性ぞくせい一部いちぶ」でしかも「よろこばしくないもの」であるはずなのですが、ここでも「境界きょうかいれい境界きょうかいせい人格じんかく障害しょうがい同義どうぎ)」が「そのひとそのもの」とおなじようにあつかわれているのです。検査けんさ結果けっか、あなたは糖尿とうにょうびょうでした」とわれて「ほんとうのわたしとは、糖尿とうにょうびょうのことだったのだ」と「うれしくおもう」ひとはいないでしょうけれど、あたらしいしんやまい人格じんかく障害しょうがいにかぎっては、その名称めいしょうが「いかりシンジはサード・チルドレンだった」というのとおなじように使つかわれてしまっているのです」〔香山かやま 1999b:190〕(註3)

 ニキは「香山かやまのこの感想かんそうは、「発病はつびょう事実じじつ)にたいする反応はんのう」と「診断しんだん情報じょうほう)にたいする反応はんのう」を区別くべつしていない」〔ニキ 2002:195〕と反論はんろんし、以下いかのようにべている。

 「「なぜ自分じぶんから障害しょうがいしゃになりたがるのか」といういのかげには、「『障害しょうがいしゃ』というレッテルはだれにとってもつねにマイナスのものであるはず」という素朴そぼく前提ぜんていがある。実際じっさいには、社会しゃかいてきに「障害しょうがいしゃ」としての承認しょうにんもとめることは、けっして「障害しょうがいしゃ」というレッテルに付随ふずいする蔑視べっしみずかもとめることでもなければ、肯定こうていすることでもないのに、さき疑問ぎもんはこのふたつを区別くべつせず、あたかも診断しんだんもとめるものみずか蔑視べっしもとめているような印象いんしょうつくしており、無意識むいしきなら不注意ふちゅうい意図いとてきなら卑怯ひきょうである。事実じじつのレベルでは障害しょうがいしゃとしての承認しょうにんもとめつつ、重度じゅうど障害しょうがいふくめた「障害しょうがい全体ぜんたいたいするスティグマは拒絶きょぜつするという姿勢しせいもあるはずであるわない「健常けんじょうしゃ」というレッテルにくるしみつづけるか、差別さべつもコミで障害しょうがいしゃとしてみとめてもらうかという二者択一にしゃたくいつまれる必要ひつようはなかろう」〔ニキ どう:201-202〕

 ニキは、香山かやま発言はつげんから、診断しんだんもとめるこえたいする否定ひていてき判断はんだんかんじとる。であるがゆえにニキは、障害しょうがいそのものと、「障害しょうがい」に付随ふずいする不当ふとうなレッテルをけてかんがえる必要ひつようせい主張しゅちょうする。
 両者りょうしゃ病名びょうめい診断しんだんをめぐって「対立たいりつ」した見解けんかい表明ひょうめいしているが、しかし問題もんだい意識いしき共有きょうゆうしているようにもおもわれる。なぜならさき香山かやま引用いんようは、「診断しんだんめい」と「そのひとそのもの」を同一どういつすることへの違和いわとしてもめるためだ。香山かやまのこの指摘してきは、ニキの上記じょうき主張しゅちょうからみちびかれる視点してん、すなわち「医学いがくてき科学かがくてき診断しんだんと、自分じぶんのアイデンティティや帰属きぞく意識いしきのよりどころとなる実存じつぞんてき社会しゃかいてき診断しんだんは、区別くべつしてしまったほうがいい」〔岡野おかの・ニキ 2002:171〕という認識にんしき共振きょうしんするものではないだろうか。以下いか香山かやま議論ぎろん検討けんとうしていく。

3.精神せいしん香山かやまリカの議論ぎろんからみとられる論点ろんてん
3−1.精神せいしん医学いがくへの反省はんせいてきまなざし
 香山かやまは、精神せいしん医学いがくかかえる問題もんだいとして、病名びょうめい医学いがくてき明証めいしょうさをはなれて無秩序むちつじょ濫用らんようされていることへの危惧きぐしるしている。まずひとつに、@SSRIやく心身しんしん状態じょうたいたいする医学いがくてき解明かいめい以前いぜんに「いてしまう」ため、実際じっさい臨床りんしょうにおいては、病名びょうめい後追あとおいするかたちで付与ふよされているという実態じったい指摘してきする。

 「いちきゅうきゅうねん日本にっぽんでも「SSRI(選択せんたくてきセロトニンさい阻害そがいやく)」とばれるあたらしいこううつやく認可にんかされ、うつびょう治療ちりょう画期的かっきてき進歩しんぽした。(…)しかし一方いっぽうで、このSSRIがあまりに“使つかいやすく安全あんぜんくすり”であることが、ぎゃくにうつびょう概念がいねんをぼんやりさせてしまったのもたしかだ副作用ふくさようすくないことにくわえて、このSSRIには、「気分きぶんみや意欲いよく減退げんたいから不安ふあん焦燥しょうそうかん、さらには過食かしょくなどの衝動しょうどう行為こういまで」と非常ひじょう幅広はばひろ効用こうようがある、というおおきな特徴とくちょうもある。そのため、その患者かんじゃが、原因げんいんがなくても自然しぜんきるからだの病気びょうきちか内因ないいんせいうつびょうなのか、それともストレス状況じょうきょう反応はんのうして一過いっかせいそもそもうつ状態じょうたいていしているだけなのか、といったことが十分じゅうぶんきわめられないうちに、まずはくすりだけが投与とうよされてしまう危険きけんせいがあるのだ。(…)かくして、この“使つかいやすくてなににでもくSSRI”が出現しゅつげんしてから、「とにかくSSRIがいたケースはうつびょう」というように、これまでとは順序じゅんじょ後先あとさきに「うつびょう」の診断しんだんめいがつけられるケースもえてしまった」〔香山かやま 2007:136-138〕

 さらに興味深きょうみぶかいのは、以下いかるようにA専門せんもんである自身じしんのうちにも、診断しんだんくだすさいの基準きじゅん明確めいかくちえなくなっていることへの当惑とうわく吐露とろしているてんである。

 「これは大変たいへんだな、本当ほんとう可哀想かわいそうに、という自然しぜん自明じめい共感きょうかんというか同情どうじょうみたいなものが芽生めばえます。それができるかできないか、というところをうつびょう診断しんだんのときに自分じぶんなかのひとつのスタンダードにしたいようなところもあったのです。それが最近さいきん、もうその使つかえないのです。」〔香山かやま岡崎おかざき 2007:62〕

 また香山かやまは、たとえば犯罪はんざいしゃ性向せいこう病名びょうめいあたえようとする一般いっぱんてき理解りかい傾向けいこうあらがおうとするなど、B医学いがくてき病名びょうめい同定どうていするさいにしょうじるラベリングにたいして慎重しんちょうであろうとする。これらの記述きじゅつからは、香山かやまが、精神せいしん医学いがくにおける病名びょうめい診断しんだん確実かくじつ実態じったいと、診断しんだんされた病名びょうめいが「器質きしつてき本質ほんしつてき異常いじょう」というまけのラベリングを創出そうしゅつすることに自覚じかくてきであることがうかがわれる。それは、みずからの専門せんもんなおすまなざしでもある。

3−2.病名びょうめいもとめる人々ひとびと増大ぞうだい=「社会しゃかいのせい」という理解りかい
 また香山かやまは、病名びょうめい診断しんだんもとめる人々ひとびと増大ぞうだいという認識にんしきからも、病名びょうめい普及ふきゅう危惧きぐしている。「閉」にかかわる書籍しょせき発刊はっかんされるようになってから、「自分じぶん自閉症じへいしょうだとおもう」という“自己じこ診断しんだん”をった人々ひとびとおお香山かやまのもとをおとずれるようになった。そうした人々ひとびとは「自閉症じへいしょうではない」と診断しんだんされると、一様いちようにがっかりした表情ひょうじょうせると香山かやまべている。人々ひとびと病名びょうめいられず落胆らくたんする背景はいけいについて、香山かやまは、病名びょうめいがさまざまにきづらさをかかえた人々ひとびと不全ふぜんかん補完ほかんするものとして作用さようしている側面そくめん指摘してきする。以下いか文章ぶんしょうるように、香山かやまはいまや精神せいしん医学いがくじょう正確せいかく慎重しんちょう診断しんだんはクリニックに人々ひとびともとめられていないばかりか、眼前がんぜん人々ひとびと回復かいふく有効ゆうこうではないかもしれないと理解りかいする。そこから香山かやまは、専門せんもんによる分類ぶんるいろんそうから距離きょりき、精神せいしん医学いがく現状げんじょう見直みなおさなければならないとのおもいをいているようだ。

 「いまおおくのひとたちがかかえているのは、「うつとかうつとかそういうもの」であり、その本態ほんたいがうつびょうちかいか、それとも境界きょうかいれいなのか解離かいりせい障害しょうがいなのか、あるいはPTSDや摂食せっしょく障害しょうがいなのか、診断しんだんにこだわってもあまり意味いみがないのではないか。それよりも大切たいせつなのは、感覚かんかくてきには「うつ」とばれるような感情かんじょうかれらがかかえており、そのさらにおくには「自分じぶんがない」「自分じぶんがバラバラ」「しんあながあいている」という不全ふぜんかんがある、ということで、そこから派生はせいした枝葉えだは問題もんだいけて診断しんだんしたところで、それはかれらの回復かいふくにはむすびつかないのかもしれない」〔香山かやま 2007:140〕

 以上いじょう理解りかいから香山かやまは、人々ひとびと病名びょうめいもとめるという事態じたい背後はいごに、現代げんだい社会しゃかいの「病理びょうり」をびろおうとする。香山かやまは、現代げんだい社会しゃかいを「自己じこ責任せきにんもとめる社会しゃかい」であり、「自分じぶんさがしをせまられる社会しゃかい」として理解りかいする。そして以下いかるように、診断しんだんめい希求ききゅうとは、そうした社会しゃかいの「病理びょうり」に誘導ゆうどうされたものであると分析ぶんせきするのである。

 「精神せいしんまえあらわれて、「わたしって自閉症じへいしょうなんです」とかた女性じょせいたちも、本当ほんとうべつのことばで自分じぶんづけられ、ちがった物語ものがたりはじまるのをっていたにちがいない。あるいは、自分じぶん中心ちゅうしんえたえるような物語ものがたりはじまらない人生じんせいなど失敗しっぱいだ、としんんでいたともかんがえられる。しかし、そんな物語ものがたりはじまりそうにない。それどころか、仕事しごと恋愛れんあい自分じぶんのぞんだのとはちが方向ほうこうにどんどんころがりつつある。――、これじゃ、いけない。そうかんがえた彼女かのじょたちの起死回生きしかいせいいちげきが、「わたしは自閉症じへいしょう」というつぶやきだったのだろうか。そのマイナスの刻印こくいん中心ちゅうしんに、あらたな物語ものがたりつむぎだされ、そこでは彼女かのじょたちがねがっていたドラマチックな展開てんかいこる可能かのうせいもあるではないか。そうおもって、覚悟かくごで「自閉症じへいしょう」ということばをくちにするのか。もしそうだとしたら、それは早期そうきからはじまるコミュニケーション障害しょうがいである医学いがくてき意味いみでの「自閉症じへいしょう」とおなじくらい、深刻しんこくやめいであるとえる。いや、もしかしたら彼女かのじょたちは、「ぼくは自閉症じへいしょうですか」と病院びょういんおとずれる“やまい識ある医学いがくてき自閉症じへいしょうしゃ”よりももっとひどく、現代げんだいというどくびたひとたちとかんがえられるのではないか。」〔香山かやま 1999a:113〕 

 「モラトリアム、ピーターパン症候群しょうこうぐんなど、これまでも若者わかもの中心ちゅうしんかれらが漠然ばくぜんかかえている“きづらいかんじ”を社会しゃかいにそして当人とうにん解説かいせつするような概念がいねん多数たすう登場とうじょうした。しかし、それらはいずれも「ようしん問題もんだいなんだから解決かいけつできる可能かのうせいもある」というすくいの余地よちのこしていた。それが、ADHDやアスペルガーの“流行りゅうこう”にいたって事情じじょうわった。これらは器質きしつてき発達はったつ障害しょうがい、つまり“のう問題もんだい”であるにもかかわらず、「このさい、その病気びょうきだとってもらったほうがよほど得心とくしんく」というところまでめられているひとえている、ということかもしれない。あるいは、「あなたがわるいんじゃない」と自己じこ責任せきにんから解放かいほうされたがっているひとおおい、ということか。」〔香山かやま 2008a:185〕

 こうして香山かやまは、診断しんだんめい希求ききゅうする人々ひとびとに、「自己じこ責任せきにんからのがれようとする意識いしき」と「自己じこあいてき特権とっけん意識いしき」があることを指摘してきする。くわえて、この人々ひとびといについて「生理せいりてきに「鼻持はなもちならなさ」をかんじてしまう」、「かれらの自己じこ中心ちゅうしんせいにはこちらの陰性いんせい感情かんじょうてるなにかがある」としるし〔香山かやま 1999a:121〕、自身じしん苛立いらだちをも表明ひょうめいする。そしてまさにこの香山かやまはんおうこそが、ニキが以下いか反論はんろんするような「おおくの仲間なかまたちがびせられてきた<つめたい視線しせん>そのもの」〔ニキ 2002:217〕なのである。すなわち香山かやまはここで、医学いがくじょうのそれとはことなる「逸脱いつだつしゃ」のラベリングを無自覚むじかくてき創出そうしゅつし、彼女かのじょかれらに付与ふよしてしまっているのだ。

 「たとえ本当ほんとう発達はったつ障害しょうがいかかえるひとであっても、なぞこう、納得なっとくしようとしているときの姿すがたは、はたには、自分じぶん特別とくべつだという「物語ものがたり」に陶酔とうすいしている姿すがた区別くべつがつかない。そして、たまたま外見がいけんている「自己じこあいてきひとたち」にたいする「陰性いんせい感情かんじょう」(それ自体じたい正当せいとうなものかどうかはべつとして)のいわばとばっちりをけているのかもしれない。」〔ニキ どう:217〕

4.当人とうにんにふりかかる「証明しょうめい義務ぎむ」――専門せんもんの<つめたい視線しせん>にあらがうことの困難こんなん
 ここに両者りょうしゃ議論ぎろん交錯こうさくする。ニキが香山かやまの<つめたい視線しせん>にいきどおり、批判ひはんした背景はいけいについて、つぎのことがかんがえられる。ひとつに香山かやまの、個人こじんさま社会しゃかい背景はいけいへとたおしていくような分析ぶんせき作法さほうが、診断しんだんめい契機けいきにしてきづらさから脱却だっきゃくしようとする「閉」しゃらのこころみを、ふたたび「わたしさがしへの陶酔とうすい姿すがた」や「なまもの」といったイメージへ包摂ほうせつさせてしまうということ。そして「閉」しゃらはこの<つめたい視線しせん>にあらがうために、「本当ほんとう病者びょうしゃ」であることを「証明しょうめいしなければならない」という事態じたい直面ちょくめんさせられるということである。この事態じたいは、ニキが、ADHDと「人格じんかく障害しょうがい」の差異さい類似るいじてんはん社会しゃかいてき人々ひとびと生理せいりてき根拠こんきょについて、精神せいしん岡野おかの高明こうめい幾度いくど質問しつもんげかけるというおこないからもれる。ニキは以下いかのように質問しつもんする。

 「ADHDは人格じんかく障害しょうがいいきおいをつける?」、「ADHDが境界きょうかいせい人格じんかく障害しょうがいぶ?」、「ADHDのひとは「人格じんかく障害しょうがい」への敷居しきいひくい?」、「はん社会しゃかいてきになりやすいどもには目印めじるしがある?」、「はん社会しゃかいてき人々ひとびとには生理せいりてき特徴とくちょうがある?」〔岡野おかの・ニキ 2002:274-278〕。

 ニキが上記じょうきのような疑問ぎもんいだき、幾度いくど確認かくにんしなければならなかったのは、診断しんだんめいたにもかかわらず、なおわらない問題もんだいがニキ自身じしんりかかっているためである。すなわちニキはここで、自身じしん行動こうどうのう規定きていしていると了解りょうかいすると同時どうじに、「閉」しゃはん社会しゃかいてき行動こうどうおこすような存在そんざいとの「ちがい」を意識いしきせざるをなくなっているのではないだろうか。
 「証明しょうめい」のための弁明べんめいは、当人とうにんにとってけっしてこころよいものではない。ニキは、生理学せいりがくてき解剖かいぼう医学いがくてき発達はったつ心理しんりがくてき明快めいかい根拠こんきょつかることをおお期待きたいしながら、しかし専門せんもん分類ぶんるいろんそうからは距離きょりきたいとべ、以下いかのようにしるす。

 「この専門せんもん先生せんせいは、わたし診断しんだんしてくれた先生せんせいとはちがひとかもしれない。(…)――そうおもって、いつも「こうったら『その分類ぶんるいちがう』っておもわれないかなあ」とかまえてしまうのはつかれてしまう」〔岡野おかの・ニキ 2002:170〕

 ここには、ニキ当人とうにん病名びょうめいみとめ、かたることの困難こんなんしめされている。専門せんもん言説げんせつにさらされた当人とうにんは、だっしようとしていた存在そんざい証明しょうめいをめぐる困難こんなんふたたもどされてしまうのである。

5.むすびにかえて
 ニキと香山かやま議論ぎろんはそれぞれ、その対象たいしょう立場たちばことにしながら、病名びょうめい診断しんだんをめぐる問題もんだい意識いしき共有きょうゆうしているようにもおもわれた。すなわちそれは、医学いがくじょう病名びょうめいが、付随ふずいするレッテルを堅持けんじしたまま「そのひとそのもの」として理解りかいされることへの危惧きぐである。では両者りょうしゃの「対立たいりつ」とは、どのような問題もんだいしめすものであったのか。
 ここで、ほん報告ほうこく要点ようてん整理せいりする。@専門せんもん香山かやまリカの一連いちれん言説げんせつにおいては、精神せいしん医学いがくによる病名びょうめい診断しんだん有効ゆうこうせいへの疑義ぎぎていされていた。そしてみずからの専門せんもんたいする反省はんせいてきまなざしから、病名びょうめいというレッテルの付与ふよ慎重しんちょうであろうとする姿勢しせいうかがわれた。しかし香山かやまは、病名びょうめいもとめる人々ひとびと現代げんだい社会しゃかいの「病理びょうり」をみ、「自己じこ責任せきにんからのがれようとする意識いしき」と「自己じこあいてき特権とっけん意識いしき」を人々ひとびと想定そうていするとき、医学いがくじょうのそれとはことなる基準きじゅんの「逸脱いつだつしゃ」というあらたなカテゴリーを実体じったいさせてしまうのだった。A一方いっぽうニキにおいても、「わたしたちのそれぞれが、だれ身近みぢかかんじ、だれ仲間なかまおもい、だれ親近しんきんかんかんじるかというのは、わたしたちの内輪うちわ問題もんだい」〔岡野おかの・ニキ2002:171〕というおもいをいだきながら、しかし専門せんもんである香山かやま視線しせんさらされたとき、みずからの正当せいとうせいを「証明しょうめい」しなければならなくなるという事態じたいまれていく。両者りょうしゃ議論ぎろんの「対立たいりつ」は、両者りょうしゃが「病名びょうめい」のレッテルを回避かいひしようとした場所ばしょにおいてなお、あらたな存在そんざい証明しょうめいをめぐる困難こんなんされているという問題もんだいしめしていたのではないだろうか。

(註1)ニキは、自身じしん論文ろんぶんにおいて、自閉症じへいしょうやADHD、アスペルガー症候群しょうこうぐんばれる傾向けいこう人々ひとびと総称そうしょうして「閉」と統一とういつするとことわきをしている。ニキは「とざそのものは病気びょうきではない」というみずからの立場たちばしめし、また「スペクトラム」とばれるように症状しょうじょう度合どあいはひとにより様々さまざまであるため、疾患しっかんや、臨床りんしょう判断はんだん連想れんそうさせる「しょう」という言葉ことばはずすことでひろ意味いみたせたい、とその含意がんいべている〔ニキ 2002:180-181〕。ほん報告ほうこく個別こべつ診断しんだんめいにまつわる問題もんだいげるのではなく、まさにそうしたあいまいで広範こうはん意味いみふく病名びょうめいをめぐる問題もんだいについて考察こうさつするため、ニキの含意がんい親和しんわせいつ。ほん報告ほうこくでは以下いか、ニキの用法ようほうにならう。
(註2) 報告ほうこくしゃはニキリンコの手記しゅきおもあつかったが、もちろん「閉」しゃ多様たようであり、個々ここ感覚かんかくかた様々さまざまである。しかし報告ほうこくしゃは、ニキの個性こせいてき記述きじゅつ主張しゅちょうなかに、「閉」しゃかこ問題もんだいについての重要じゅうよう論点ろんてんふくまれているとかんがえる。そのため、ニキの主張しゅちょうがかりとしながら考察こうさつした。
(註3) いかりシンジとは、95ねん10がつ〜96ねん3がつにかけてテレビ東京てれびとうきょうけい放送ほうそうされたアニメ「しん世紀せいきエヴァンゲリオン」の主人公しゅじんこうである。いかりシンジは、内向ないこうてきでコミュニケーションや自己じこ表現ひょうげん苦手にがて目立めだたない少年しょうねんであるのだが、突然とつぜん世界せかいすく役割やくわりである「サード・チルドレン」に選任せんにんされる。香山かやま文脈ぶんみゃくにおいては、天命てんめいにより「特別とくべつ」へと移行いこうする存在そんざい象徴しょうちょうとして引用いんようされているとおもわれる。

引用いんよう参考さんこう文献ぶんけん
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・――――― 2005 『おれルール!――閉はきゅうまれない』,はなふうしゃ
・――――― 2007a 『閉っにおけるモンダイな想像そうぞうりょく』,はなふうしゃ
・――――― 2008b 『スルーできないのう――閉は情報じょうほう便秘べんぴです』,生活せいかつ書院しょいん
岡野おかの高明こうめい・ニキリンコ 2002 『おしえてわたしの「のうみそ」のかたち――大人おとなになって自分じぶんのADHD、アスペルガー障害しょうがいづく』,はなふうしゃ
山口やまぐち真紀まき 2009「診断しんだんめいあたえること/ることについての問題もんだいさい検討けんとう――ニキの主張しゅちょう起点きてんにして」福祉ふくし社会しゃかい学会がっかいだいななかい大会たいかい報告ほうこく
・Williams, Donna 1992 Nobody Nowhere, Doubleday=1993 河野こうの 万里子まりこ やく,『自閉症じへいしょうだったわたしへ』,新潮社しんちょうしゃ 
・Willey, Liane Holliday 1999 Pretending to be Normal: Living with Asperger's Syndrome, Jessica Kingsley Publishers Ltd., U.K.=2002 ニキリンコやく『アスペルガーてき人生じんせい』,東京書籍とうきょうしょせき


UP:20090624 REV:20090921
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