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安原 荘一「アフリカ(ケニア)における「伝統的精神医療」報告――近代精神医療に対する「オルターナティヴ療法」の可能性を探る」
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安原やすはら 荘一しょういち「アフリカ(ケニア)における「伝統でんとうてき精神せいしん医療いりょう報告ほうこく――近代きんだい精神せいしん医療いりょうたいする「オルターナティヴ療法りょうほう」の可能かのうせいさぐる」

障害しょうがい学会がっかいだいかい大会たいかい報告ほうこく要旨ようし 於:立命館大学りつめいかんだいがく
20090927


報告ほうこく要旨ようし

 安原やすはら 荘一しょういち(一橋大学大学院博士課程単位取得退学)
 「アフリカ(ケニア)における「伝統でんとうてき精神せいしん医療いりょう報告ほうこく――近代きんだい精神せいしん医療いりょうたいする「オルターナティヴ療法りょうほう」の可能かのうせいさぐる」

 現在げんざい西欧せいおう近代きんだい精神せいしん医療いりょうシステムにたいして、とく欧米おうべいけい当事とうじしゃ運動うんどうからつよ批判ひはんこえがっている。その論調ろんちょう多様たようであり、いわゆる「全面ぜんめん否定ひてい」「批判ひはんてき利用りようしゃ」「代替だいたい療法りょうほう追求ついきゅうとうにおおまかに分類ぶんるいすることが出来できるようにおもわれるが、いずれにせよ「代替だいたい療法りょうほう」にかんする関心かんしんたかく、様々さまざまな「代替だいたい療法りょうほう」を公式こうしきみとめるよう(健康けんこう保険ほけんとう適応てきおう対象たいしょうにすること)、ENUSP、WNUSPとう当事とうじしゃ団体だんたいはEU政府せいふたいして現在げんざい公式こうしき要求ようきゅうしている。
 しかしながらいちくちに「代替だいたい療法りょうほう」とっても、当然とうぜんのことながら、様々さまざまな「療法りょうほう」が存在そんざいする。発表はっぴょうしゃは、ケニアで、現地げんち当事とうじしゃ団体だんたいほうのご支援しえんで「ムスリム伝統でんとうてき治療ちりょう」「マサイぞく伝統でんとうてき治療ちりょう」をける機会きかいることができた。
 なお「代替だいたい治療ちりょう」「伝統でんとうてき治療ちりょう」にかんしては、WHOとう現在げんざい注目ちゅうもくしており、くわしい調査ちょうさ現在げんざいなされている。
 ほん報告ほうこくでは、アフリカにおける「代替だいたい治療ちりょう」の本邦ほんぽうにおける研究けんきゅう発表はっぴょうしゃ自身じしん治療ちりょう体験たいけん現地げんち調査ちょうさ団体だんたいによる報告ほうこくしょとうをふまえ、その現状げんじょうをレポートするとともに、その宗教しゅうきょうてき側面そくめんにおいて、いわゆる「主体しゅたい客体かくたい図式ずしき医師いし患者かんじゃを「対象たいしょう」して「やまい」を「診断しんだん」、「治療ちりょう」する)ではなく、治療ちりょうしゃ患者かんじゃ原理げんりてきに「かみまえでは平等びょうどう」であるてん、「伝統でんとうてき治療ちりょう」はひろ意味いみでの「宗教しゅうきょうてき実践じっせん」でもあることの意味いみを、「ケア」という観点かんてんからより積極せっきょくてきかんがえてみたい。
 それは(近代きんだい精神せいしん患者かんじゃあいだにどうしても存在そんざいしてしまう「非対称ひたいしょうてき権力けんりょくせい」(「当事とうじしゃ主権しゅけん」「インフォームドコンセント」を強調きょうちょうすればするほど、ぎゃくかびがってきてしまう)を今後こんごかんがえぬいていくじょうでもおおきなヒントになるものとおもわれる。

報告ほうこく原稿げんこう

障害しょうがい学会がっかいだい6かい大会たいかい 発表はっぴょう(ポスター報告ほうこく) 2009.9.25〜26 立命館大学りつめいかんだいがく
題目だいもく アフリカ(ケニア)における「伝統でんとうてき精神せいしん医療いりょう報告ほうこく近代きんだい精神せいしん医療いりょうたいする「オルターナティヴ療法りょうほう」の可能かのうせいさぐ

    発表はっぴょうしゃ  安原やすはら 荘一しょういち一橋大学ひとつばしだいがく大学院だいがくいん 博士はかせ課程かてい 単位たんい取得しゅとく退学たいがく

 はじめに ほん発表はっぴょうの「問題もんだい設定せってい」および「代替だいたいてき(オルターナティヴ)精神療法せいしんりょうほう」をろんじる「むずかしさ」とうについて。

 1 いわゆる「代替だいたい療法りょうほう」と「近代きんだいてき健康けんこう」についての社会しゃかいがくてき一般いっぱんろん」について。

 一般いっぱんに「代替だいたい療法りょうほう」といわれるものは、「近代きんだい西欧せいおう医療いりょう体系たいけい」が、受容じゅようされていく過程かていで、ふるくからの「民間みんかん療法りょうほう」「伝統でんとうてき療法りょうほうとう総称そうしょうするカテゴリーと、とりあえずは想定そうていしうる。
 しかし、たとえば「サプリメント」とう栄養えいよう補助ほじょざい機能きのうせい健康けんこう食品しょくひん、またエアロビクスやストレッチ体操たいそうとう近代きんだいてき栄養えいようがくてき生理学せいりがくてきな「知見ちけん」にもとづくとされる各種かくしゅ健康けんこうほう」もふくめ、いわゆる正規せいき近代きんだいてき医療いりょうシステム以外いがいから供給きょうきゅうされるざいやサービスとうも「代替だいたい療法りょうほう」の一種いっしゅとみなしうるかもしれない。
 後者こうしゃの「ひろ定義ていぎ」につならば、現代げんだい社会しゃかいは「代替だいたい療法りょうほう全盛ぜんせい時代じだいともいいうるだろう。ビタミンざいブームからはじまり、各種かくしゅ栄養えいようドリンク、サプリメント等々とうとう現在げんざいドラッグストアに商品しょうひんだなながめてもそのおおくはいわゆる健康けんこう美容びよう食品しょくひんるいである。
 当然とうぜんこのの「健康けんこう商法しょうほう」は、相当そうとう程度ていどに「胡散臭うさんくさ代物しろもの」であり、これまで社会しゃかい学者がくしゃ絶好ぜっこうの「標的ひょうてき」となってろんじられてきた。身体しんたいてき健康けんこう美容びようといったものの「近代きんだいイデオロギーせい」が、前者ぜんしゃたとえば「富国強兵ふこくきょうへいろんてきほのからが、後者こうしゃは、たとえばダイエットとう「(女性じょせいたいする)規範きはんせい」といったかたちで「批判ひはんてき」にろんじられてきた。
 以上いじょう観点かんてんてば、すくなくとも、後者こうしゃ系列けいれつの「代替だいたい療法りょうほう」は「近代きんだいてき医療いりょう健康けんこう)イデオロギー」の「副産物ふくさんぶつ」、「補完ほかんぶつ」ともみなしうるかもしれない。
 しかし、今回こんかい最初さいしょに「予防線よぼうせんてきに、「代替だいたいてき精神療法せいしんりょうほうろんじるむずかしさ」というしょうてたのは、これから「スピリチリアリティー(精神せいしんせい)」、「ソウル(たましい)」といった、すくなくとも日本にっぽんでは、相当そうとうに、いまだ「胡散臭うさんくさく」かつ、その「イデオロギーせい」を、過去かこにも、現在げんざいも、そして将来しょうらいつづけるであろう「概念がいねん」を使つかって「代替だいたいてき精神せいしん医療いりょう」をろんじるにあたって、WHOやWNUSP(世界せかい精神せいしん医療いりょうユーザー・サバイバーネットワーク)といった「国際こくさいてき権威けんいみとめている」といった「論法ろんぽう」を使つかうことなく「自分じぶん自身じしん言葉ことば」で充分じゅうぶん納得なっとくできるまで、かんがいてみたいとおもったからである。

 「伝統でんとう療法りょうほう」にせよ「民間みんかん療法りょうほう」にせよ「胡散臭うさんくさい」とおもえば、たしかにそうとうに「胡散臭うさんくさい」とはいえるだろう。(「近代きんだいてき科学かがく教育きょういく社会しゃかい科学かがくふくむ)をけたわたし自身じしん、「最新さいしんの(自然しぜん科学かがくの『成果せいか』が一番いちばんただしい、としんのどこかで一応いちおうしんじている』のだともおもう。」
 また「社会しゃかい科学かがくてき」にも、いわゆる「伝統でんとう創造そうぞうろん」をつまでもなく、「伝統でんとう」というものは、現代げんだい社会しゃかいが「創造そうぞう」してきたものであるし、いわゆる「民間みんかん療法りょうほうとうもその出自しゅつじとう充分じゅうぶん留意りゅういする必要ひつよう当然とうぜんあるではあろう。
 むろん「近代きんだい精神せいしん医学いがく系譜けいふがく自体じたい、フーコーがその出自しゅつじふくめて、丁寧ていねい調しらべたテーマではある。
 しかし、ぎゃくに、一般いっぱんに「民間みんかん医療いりょう」といわれる「領域りょういき」において、様々さまざまな「可能かのうせい」の「地下水ちかすいみゃく」が現在げんざいながれてつづけているとわたしおもう。
 また、いわゆる「民間みんかん療法りょうほう」の「出自しゅつじの(たとえば)正統せいとうせい」にこだわること自体じたい、あるしゅの「権威けんい主義しゅぎてき」な価値かちけに加担かたんしてしまったり、あたらしい「創造そうぞうせい」を否定ひていしてしまったりする危険きけんせいおおいにありえるとおもう。

 わたし自身じしんは、ながつづいてきた『伝統でんとう』にも、それなりの「存続そんぞく理由りゆう」もあるものと「渋々しぶしぶみとめざるをないこと」も現在げんざい率直そっちょくなくもないが、人間にんげんっこが「ハイカラさんき」なので、いわゆる「伝統でんとう」といっても、結構けっこう、その「創出そうしゅつしゃ」は「その時代じだいのハイカラさんではないか!」とかしぶとく抵抗ていこうし、「温故知新おんこちしん」の当然とうぜん後者こうしゃに、力点りきてんき、「伝統でんとうって結構けっこうナウいじゃん!」みたいな感覚かんかく、みようによっては、もろ「オリエンタリズム」丸出まるだてき感性かんせい」もふくめて、「ぼくって、近代きんだい日本にっぽん社会しゃかいいてないんだよねー」てき感覚かんかく率直そっちょくある。

 なお、まれる立場たちばによっては、以上いじょうは「近代きんだいしょ科学かがく信奉しんぽう主義しゅぎしゃ)」にたいする「よけの呪文じゅもん」とみなしていただいてもらっても、いっこうにつかえない。
 このレベルでの「呪術じゅじゅつ合戦かっせん」をいどまれれば、こと「精神せいしん医療いりょう」の「分野ぶんや」で、「いち当事とうじしゃとして」一応いちおう多少たしょうは「ってけるべき立場たちば」なのかもしれないが。
なお以上いじょうの「予防線よぼうせん」がすでに、もはや相当そうとうに「くどい」とおもわれるほうは、このあともふくめ、最初さいしょしょう完全かんぜんばしてくださっても、まったく問題もんだいはないとおもう。
 2.「精神せいしん代替だいたい(オルターナティヴ)療法りょうほう」をろんじる「むずかしさ」について。
 さて、今回こんかい、いわゆる「社会しゃかいがく領域りょういき」での「現代げんだい社会しゃかい心理しんり主義しゅぎろん、「社会しゃかいさい呪術じゅじゅつろんとうからの「赤子あかごをひねるようなご批判ひはん」は、いくらなんでも「ストレート」にはこうむりたくないとはおもっている。
 各種かくしゅ「ご批判ひはん」はやまのようにありうると充分じゅうぶん承知しょうちしているし、すでに「当事とうじしゃ参加さんかしているメーリングリスト」でのわたし自身じしん投稿とうこうかんして、「七瀬ななせわたしの『運動うんどうめい』)ついにスピリチュアルけい突入とつにゅうか!」といったご意見いけんも、実際じっさい直接ちょくせついただいている(わたしは「かみ々の沈黙ちんもく」「良寛りょうかんかた」といったほん紹介しょうかいしただけなのですが)。
 ただし「先手せんて」をとって「(一応いちおうの)はん批判ひはん」をしておくと、現代げんだい精神せいしん医学いがくたとえば「統合とうごう失調しっちょうしょう」の「原因げんいん」が「理論りろんてき」に解明かいめいされているわけではまったくない。
 むろん「仮説かせつ」はやまのようにある。
 しかし長年ながねん、いわゆる「家族かぞくかい」が否定ひていつづけてきた「家族かぞく要因よういんせつ遺伝いでん要因よういんせつとうもまったく間違まちがっているわけではないとわたし自身じしんおもう。またたとえば、幼児ようじにおける、おやの「虐待ぎゃくたいせつとうも、現在げんざいたとえばAC起因きいんせつというかたちで「かたち」をえて存在そんざいしている)。
 また、「祖先そせんのろい」「たたり」といったせつとう、「家族かぞく」や「祖先そせん」といったものも「社会しゃかいてき構築こうちくされたものである」という「現代げんだい社会しゃかいがく」の視点してんてば、まさに「迷信めいしん」にくるしんできたすうおおくの「当事とうじしゃとうにとって、「近代きんだい精神せいしん医学いがくてき啓蒙けいもう」が、従来じゅうらいすくいのみちびきのであったことはまぎれもない「事実じじつ」である。
 反面はんめん筆者ひっしゃ見解けんかいでは、これらの「観点かんてん」は、「結果けっかてき」に現在げんざいまでつづく「きょく分化ぶんか構造こうぞう」をももたらしてきたのではないだろうか。両者りょうしゃ土壌どじょうは「近代きんだい精神せいしん医学いがく」という観点かんてんにたてば一応いちおう同一どういつ』ではある。
 一方いっぽう立場たちばは、近代きんだい精神せいしん医学いがくてきな「クスリをめば『症状しょうじょう』も『再発さいはつ』もおさえられるし、『社会しゃかい復帰ふっき』も出来できる」というような、一般いっぱんてきな「近代きんだい精神せいしん医学いがくモデル」である。
他方たほう精神せいしん疾患しっかん発生はっせいの『社会しゃかいてき要因よういん』を重視じゅうしする立場たちば(この立場たちば精神せいしん方々かたがたはフーコーから(はん精神せいしん医学いがくの)レイン、サズ、さらにはゴフマン,ラカンとうにいたるまで、異様いようなほどまでに「だつ領域りょういきてき」に本当ほんとうに『勉強べんきょう熱心ねっしん』でもある)もあり、この立場たちばからは、たとえば『社会しゃかい病理びょうり』の『個人こじん病理びょうり』といった「スローガン」とう現在げんざいされてはいる。
 後者こうしゃ立場たちば場合ばあい精神せいしん疾患しっかん」は「(社会しゃかいてきに)つくられたもの」という観点かんてんが「ある程度ていど共有きょうゆう」されている。
 (とはいえ「医者いしゃ」と「(当事とうじしゃ社会しゃかい活動かつどう」はまえにある「問題もんだい」にたいして、「(とりあえず)なんとか『対処たいしょ』せざるをない」という共通きょうつうしうる「課題かだい」もあるとおもう。
 また、PSWとう、いわゆる「(精神せいしん専門せんもんしょく」までふくめると、「専門せんもん」が一般いっぱんに「福祉ふくし」とばれる「世界せかい」までひろがっていくので、結果けっかてき職務しょくむ性質せいしつじょう、「一般いっぱんにわかりやすい」ことが『社会しゃかい復帰ふっきとう直結ちょっけつしやすいといった、「業務ぎょうむじょう」の難点なんてん実際じっさいはらんでんでいるようにわたしにはおもわれる。)
 現在げんざいの「問題もんだいてん」は、「精神せいしん」だけではなく、それ以外いがい各種かくしゅ精神せいしん医療いりょう専門せんもんしょく」でもあり、関係かんけいマスコミ、行政ぎょうせい人間にんげんでもあり、またあるしゅの「当事とうじしゃ団体だんたい」のメンバーなのでもある。
 各種かくしゅ専門せんもんしょく」の場合ばあい医者いしゃ診断しんだん処方しょほうは「絶対ぜったい」である。それにたいして「公式こうしき」どころか「非公式ひこうしき」にでさえ「異議いぎもうて」する「権限けんげん」も「機会きかい」もないし、その根拠こんきょとなりうる「充分じゅうぶん精神せいしん医学いがくてき知識ちしき」も現状げんじょうまったくないといってもよいだろう。
 むろん、具体ぐたいてき作業さぎょうしょやグループホームの運営うんえいにかかわっておられるほうはなしいていると「病名びょうめいなんかすぐにわすれてしまうからどうでもい。そんなことよりそのひとが『どういうかんじのひと』で、どういうときに『トラブルをこしやすいのひと』なのかが大切たいせつ」ともく。
 行政ぎょうせいしょくほう場合ばあい、「障害しょうがいしゃ差別さべつくない」「啓蒙けいもう大切たいせつ」と「本音ほんね」でもおもっているほう予想よそう以上いじょうおおい。しかしながら、肝心かんじんの「当事とうじしゃ」のこえがいまだ充分じゅうぶんに「反映はんえい」される仕組しくみになっていないため、現状げんじょう現場げんば」では相当そうとう混乱こんらんしょうじているようにもおもう。
 さて、現在げんざいわたしにとって、今後こんごおおきな「問題もんだいてん」になりつづけうるとおもわれるてんは、「精神せいしん医療いりょうモデル」になじみがふかい「当事とうじしゃ団体だんたい」のメンバーの方々かたがたである。
 わたしもとうていひとのことはえないが、あるしゅの「病者びょうしゃ」は自分じぶんの「病気びょうき」にかんして、それこそ「病気びょうき原因げんいん」「くすりの(ふく作用さよう」さらには「代替だいたい療法りょうほう」もふくめ、相当そうとうに「勉強べんきょう」・「研究けんきゅう」してしまうひと結構けっこうおおい。それこそそんじゅそこらの「専門せんもん」よりくわしくなってしまうケースも実際じっさいざらではないのである
 むろん自分じぶんの「病名びょうめい」「クスリの(副作用ふくさようふくめた)効果こうか」「発症はっしょう原因げんいんとうくわしくなることは、「自己じこ認識にんしき」・「自己じこ防御ぼうぎょ」のめんふくめて、大変たいへん重要じゅうようなことだとおもう。
しかしながらこの方式ほうしき最大さいだいの「問題もんだいてん」は、自分じぶんの「やまい」を「近代きんだい精神せいしん医学いがく言葉ことば」で「了解りょうかい」・「説明せつめい」することに「れてしまう」ことだとおもう。
 このことを、それだけをげて「どうこう批判ひはん」できるような「立場たちば」にも「境地きょうち」にもわたし自身じしん現在げんざいとうていいたしていない。しかしながら、たとえば「こころの商品しょうひん論争ろんそう」(背後はいごには、かつての「こころの専門せんもんしょく論争ろんそう」も想定そうてい可能かのうである)とう、いまや「エコ」も「商品しょうひん」している現代げんだい社会しゃかいにおいて、「商品しょうひん」「専門せんもんとう、その「弊害へいがい」は、それ自体じたいは、大変たいへんわかりやすい論点ろんてんではあるが ,「キレイごとき」にいうならば「アフリカ(ケニア)の伝統でんとうてき療法りょうほう自体じたい充分じゅうぶんに「商品しょうひん」はしている)。
 後述こうじゅつ資料しりょうにもあるように、とくに「伝統でんとうてき治療ちりょうしゃ民間みんかん医療いりょう従事じゅうじしゃ)」は、「宗教しゅうきょうてき治療ちりょうしゃ以上いじょうに、所得しょとく社会しゃかいてき地位ちい不安定ふあんていで、「評判ひょうばん」や「価格かかく競争きょうそう」にも現在げんざいさらされているのである。

 さて、本章ほんしょうわりに「こん発表はっぴょう最大さいだいの『防御ぼうぎょせん』」をここでいちはい、せいぜいってみたいとおもう。

 わたし自身じしん最初さいしょはまず(すくなくともわたしにとっては「大変たいへん貴重きちょう」な、伝統でんとうてき療法りょうほうの「体験たいけん」を、)わたし自身じしん、ぜひ「学会がっかい発表はっぴょう」したいとおもった。しかし「当事とうじしゃ」の視点してんという「立場たちば」だけ「発表はっぴょう」するのであるならば、「当事とうじしゃ団体だんたいあつまり」とう発表はっぴょうすればそれで一応いちおうよいことである)。
 まして、「ネオリベ主義しゅぎ批判ひはん」・「(それを内面ないめんした)自己じこ責任せきにんろん批判ひはん」・「社会しゃかい心理しんり主義しゅぎ批判ひはん」が、「それだけ」の「わかりやすい論理ろんり」で(あるしゅの「社会しゃかい学的がくてきな『業界ぎょうかいない』で」流通りゅうつう)しているのも、それ自体じたい現実げんじつ」だともおもう。
 自分じぶんの「言説げんせつ」が「わかりやすく流通りゅうつう」してしまう「現実げんじつ」。それに、あるしゅの「危機ききかん」といものを、「社会しゃかい学者がくしゃ」という存在そんざいいだかないのであろうか?
わたし自身じしんは、現状げんじょうあるしゅの「社会しゃかい学的がくてき人間像にんげんぞう」からの「わかりやすい 」「社会しゃかい批判ひはん」は、「経済けいざいがくてき人間像にんげんぞう(ホモ・エコノミクス)」からの「経済けいざい社会しゃかい批判ひはん同様どうよう、「個人こじんのせいか社会しゃかいのせいか」てきな「図式ずしき」の弊害へいがいも、相当そうとうまぬかれないのではないかとおもっている。
 (「個人こじん」も「社会しゃかい」も、それは「現代げんだい社会しゃかい学的がくてき」にみても、それはしょせん「社会しゃかい産物さんぶつ」にすぎないなわけなのだから…今後こんご障害しょうがい社会しゃかいモデル」の議論ぎろんが「本格ほんかく」するにつれて、このてんは、法学ほうがくてきな「人権じんけんモデル」思考しこうとのかなりの微妙びみょうな「すりわせ作業さぎょう」も「実践じっせんてき」に必要ひつようになってくるのではと「個人こじんてきには」おもっています)。

 さて、わたしに、文化ぶんか人類じんるいがく医療いりょう人類じんるいがく、あるいは宗教しゅうきょうがく宗教しゅうきょう人類じんるいがく充分じゅうぶん知見ちけんがあれば、そのような発表はっぴょうの「」において、各種かくしゅ人類じんるいがくてき知見ちけん先行せんこう研究けんきゅうとうまえたうえで、かくかくしかじかの「フィールド」において、このような「文化ぶんかてき社会しゃかいてき背景はいけい」のもとで、あるしゅの「体験たいけん」をしたという「報告ほうこく」「記述きじゅつ」をすればそれで充分じゅうぶんよいのかもしれない。
 実際じっさい、「クレオール」や「ハイブリッド」等々とうとう各種かくしゅ語彙ごい」だけは、現在げんざい充分じゅうぶん豊富ほうふにはなってはきている。

 いわゆる「アカデミズム」での「(客観きゃっかんてき報告ほうこく」も「立場たちばせい」さえ「明示めいじ」さえすればもはや「不可能ふかのう」な時代じだいではけっしてないし、「当事とうじしゃ(といってもいろいろな「かんがえ」や「立場たちば」もあるとおもいますが)の『ご意見いけん』」、「当事とうじしゃにとって『有益ゆうえき各種かくしゅ専門せんもん』の判断はんだん意見いけんとう当然とうぜんじってこざるをないとはおもいますが)』な発表はっぴょう」といった「形式けいしき」ならば、いま時代じだい、どこででも「発表はっぴょう」は出来できる(はず)だとおもいう。

 では、わたしが、今回こんかい、「障害しょうがい学会がっかい」という、このでの「発表はっぴょう」で「一体全体いったいぜんたいなにいたいのか?

 以下いか多少たしょうは(あるしゅの「権威けんい」にたよった)「いいかた」にもなるかもしれない。
 しかし、このような「表現ひょうげんけい」が「現状げんじょう一番いちばんい(ピッタリくる)のではないかとおも記述きじゅつする。

 かつて、『現代げんだい思想しそう』のある対談たいだんなかで、市野川いちのかわようたかし が、「安全あんぜんがく」の文脈ぶんみゃくのなかで、「ケアの『収奪しゅうだつ』」という、わたしにとっては、大変たいへん興味深きょうみぶかい『論点ろんてん』を提示ていじされた(そのの『展開てんかい』までは勉強べんきょうながらぞんげませんが)。
 わたし自身じしん現在げんざいだつ原発げんぱつ運動うんどう」とも、多少たしょうのかかわりをっているてんとはべつに、いまき、あるドイツ中世ちゅうせい社会しゃかい研究けんきゅうしゃ(ご本人ほんにんは「登山とざんだいマニア」)が主催しゅさいする、大学だいがく1年生ねんせいのゼミナール合宿がっしゅくで、「草木くさき一本いっぽんいちほん天皇てんのうせい宿やどる(竹内たけうち よしみさんが、「もとネタ」)」と相当そうとう大胆だいたんに(といまにしてはおもえる)発言はつげんをしてみた。

 いまかんがえてみると、「ケアの『収奪しゅうだつ』」にせよ、「草木くさき一本いっぽん一本いっぽんかんする感性かんせい」の「(近代きんだい天皇てんのうせいによる)収奪しゅうだつ」にせよ、あるいは「スピリチュアリティー」や「ソウル」の「(わたしから場合ばあいの)収奪しゅうだつ問題もんだい」にせよ、それ自体じたいが「完全かんぜん収奪しゅうだつ」されている「現状げんじょう」かられば、ストレートに「問題もんだい」している「発言はつげんとうはそれこそ「非合理ひごうり」な、場合ばあいによっては「わらってしまう」ような「内容ないよう」も、実際じっさいおおいのかもしれない。
しかし、わたし自身じしんは、「社会しゃかいがくてき啓蒙けいもう」とは「社会しゃかい学的がくてき」に「迷信めいしん」から「解放かいほう」されるプロセスだとおもっている。その「迷信めいしん」には、「近代きんだい精神せいしん医学いがく」もふくむ「自然しぜん科学かがくてき迷信めいしん」のるいも「当然とうぜんふくまれる」というのが、現在げんざいわたし自身じしんの「立場たちば」である。

 アフリカ(ケニア)の『伝統でんとうてき精神せいしん医療いりょう体験たいけんについて。
 (口述こうじゅつ)(実践じっせんとう

 宗教しゅうきょうてき治療ちりょうしゃ伝統でんとうてき治療ちりょうしゃの、社会しゃかいてき経済けいざいてき地位ちいの「ちがい」について。
 (資料しりょう−BASICNEED)。

 日本にっぽんにおける代替だいたい治療ちりょう実践じっせんれい
 神田かんだりんの「実践じっせん」について。(精神せいしん養生ようじょうのコツ)

 代替だいたい医療いりょう今後こんごの「展望てんぼう」。

 わり。

作成さくせい
UP:20090904 REV:20090921
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