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2009年ねん08月がつ08日にち(土)ど ■

よしもとばななさんの「ある居酒屋いざかやでの不快ふかいなできごと」

『人生じんせいの旅たびをゆく』（よしもとばなな著ちょ・幻冬舎げんとうしゃ文庫ぶんこ）より。

【この間あいだ東京とうきょうで居酒屋いざかやに行いったとき、もちろんビールやおつまみをたくさん注文ちゅうもんしたあとで、友ともだちがヨーロッパみやげのデザートワインを開あけよう、と言いい出だした。その子こは一時いちじ帰国きこくしていたが、もう当分とうぶんの間あいだ外国がいこくに住すむことが決定けっていしていて、その日ひは彼女かのじょの送別そうべつ会かいもかねていたのだった。
　それで、お店みせの人ひとにこっそりとグラスをわけてくれる？　と相談そうだんしたら、気きのいいバイトの女おんなの子こがビールグラスを余分よぶんに出だしてくれた。コルク用ようの栓抜せんぬきはないということだったので、近所きんじょにある閉店へいてん後ごの友ともだちの店みせから借かりてきた。
　それであまりおおっぴらに飲のんではいけないから、こそこそと開あけて小ちいさく乾杯かんぱいをして、一本いっぽんのワインを七なな人にんでちょっとずつ味見あじみしていたわけだ。
　ちなみにお客きゃくさんは私わたしたちしかいなかったし、閉店へいてんまであと二に時じ間あいだという感かんじであった。
　するとまず、厨房ちゅうぼうでバイトの女おんなの子こが激はげしく叱しかられているのが聞きこえてきた。
　さらに、突然とつぜん店長てんちょうというどう考かんがえても年下とししたの若者わかものが出でてきて、私わたしたちに説教せっきょうしはじめた。こういうことをしてもらったら困こまる、ここはお店みせである、などなど。
　私わたしたちはいちおう事情じじょうを言いった。この人ひとは、こういうわけでもう日本にっぽんにいなくなるのです。その本人ほんにんがおみやげとして海外かいがいから持もってきた特別とくべつなお酒さけなんです。どうしてもだめでしょうか？　いくらかお金かねもお支払しはらいしますから……。
　店長てんちょうには言いわなかったが、もっと書かくと実じつはそのワインはその子この亡なくなったご主人しゅじんの散骨さんこつ旅行りょこうのおみやげでもあった。人ひとにはいろいろな事情じじょうがあるものだ。
　しかし、店長てんちょうは言いった。ばかみたいにまじめな顔かおでだ。
「こういうことを一度いちど許ゆるしてしまいますと、きりがなくなるのです」
　いったい何なにのきりなのかよくわからないが、店みせの人ひとがそこまで大おおごとと感かんじるならまあしかたない、とみな怒おこるでもなくお会計かいけいをして店みせを出でた。そして道みちばたで楽たのしく回まわし飲のみをしてしゃべった。
　もしも店長てんちょうがもうちょっと頭あたまがよかったら、私わたしたちのちょっと異様いような年齢ねんれい層そうやルックスや話はなし方かたを見みてすぐに、みながそれぞれの仕事しごとのうえでかなりの人脈じんみゃくを持もっているということがわかるはずだ。それが成功せいこうする人ひとのつかみというもので、本屋ほんやさんに行いけばそういう本ほんが山やまほど出でているし、きっと経営けいえい者しゃとか店長てんちょうとか名なのつく人ひとはみんなそういう本ほんの一いち冊さつくらいは持もっているのだろうが、結局けっきょくは本ほんではだめで、その人ひと自身じしんの目めがそれを見みることができるかどうかにすべてはかかっている。うまくいく店みせは、必かならずそういうことがわかる人ひとがやっているものだ。
　そしてその瞬間しゅんかんに、彼かれはまた持もち込こみが起おこるすべてのリスクとひきかえに、その人ひとたちがそれぞれに連つれてくるかもしれなかった大勢おおぜいのお客きゃくさんを全部ぜんぶ失うしなったわけだ。
　居酒屋いざかやで土曜日どようびの夜中よなかの一時いちじに客きゃくがゼロ、という状況じょうきょうはけっこう深刻しんこくである。
　その深刻しんこくさが回避かいひされるかもしれない、ほんの一瞬いっしゅんのチャンスをみごとに彼かれは失うしなったのである。そして多分たぶんあの店みせはもうないだろう、と思おもう。店長てんちょうがすげかえられるか、別べつの居酒屋いざかやになっているだろう。
　これが、ようするに、都会とかいのチェーン店てんで起おこっていることの縮図しゅくずである。
　それでいちいち開店かいてん資金しきんだのマーケティングだのでお金かねをかけているのだから、もうけが出でるはずがない。人材じんざいこそが宝たからであり、客きゃくも人間にんげん。そのことがわかっていないで無難ぶなんに無難ぶなんに中間ちゅうかんを行いこうとしてみんな失敗しっぱいするのだ。それで、口くちをそろえて言いうのは「不ふ況きょうだから」「遅おそくまで飲のむ人ひとが減へったから」「もっと自然しぜん食しょくをうちだしたおつまみにしてみたら」「コンセプトを変かえてみたら」「場所ばしょはいいのにお客きゃくさんがつかない」などなどである。

（中略ちゅうりゃく）

　というわけで、いつのまに東京とうきょうの居酒屋いざかやは役所やくしょになってしまったのだろう？　と思おもいつつ、二度にどとは行いかないということで、私わたしたちには痛いたくもかゆくもなく丸まるく収おさまった問題もんだいだったのだが、いっしょにいた三さん十じゅう四よん歳さいの男おとこの子こが「まあ、当然とうぜんといえば当然とうぜんか」とつぶやいたのが気きになった。そうか、この世代せだいはもうそういうことに慣なれているんだなあ、と思おもったのだ。いいときの日本にっぽんを知しらないんだなあ。】

～～～～～～～

　僕ぼくはこのエピソードを読よんで、「自分じぶんがこの店長てんちょうだったら、どうしただろう？」あるいは、「この店長てんちょうは、どうするのが『正解せいかい』だったのだろう？」と考かんがえ込こんでしまいました。
　率直そっちょくに言いうと、この文章ぶんしょうのなかで、後半こうはんの「もしも店長てんちょうがもうちょっと頭あたまがよかったら……」以降いこうは、読よんでいて、あまり気持きもちが良よいものではなかったんですよね。なんだか、「自分じぶんたちは特別とくべつな人間にんげんなんだから、特別とくべつ扱あつかいされてもいいんじゃない？」って思おもっているのだな、という気きがして。
　でもまあ、そういう「よしもとさんたちのプライド」はさておき、こういう状況じょうきょうというのは、サービス業ぎょうではしばしば起おこりうるわけで、店みせ側がわとしては、どう対応たいおうすれば良よいのでしょうか？

　僕ぼくは最初さいしょにこれを読よみながら、「まあ、けっこう注文ちゅうもんしてくれたみたいだし、そのデザートワイン１本ほんくらいであれば、『見みて見みぬふりをする』」というのが、原則げんそく論ろんはさておき、「妥当だとう」なのではないかとは思おもったのです。
　馴染なじみの店みせであれば、お客きゃくが「こんなお酒さけが手てに入はいったんだけど」なんて持もち込こみをしてくることは、けっして珍めずらしいことではないでしょうし、店主てんしゅもいちいち目めくじらは立たてないでしょう。
　そもそも、そこで「デザートワイン１本ほんで店みせから失うしなわれる利益りえき」と、「客きゃくに不快ふかい感かんを与あたえる不利益ふりえき」を天秤てんびんにかければ、どちらが長ながい目めでみて得えなのかは、あまり悩なやむ必要ひつようもないレベルのわけで。

　しかしながら、この店長てんちょうの言いうことは「正論せいろん」ではあるんですよね。
　たしかに、ひと組ぐみの客きゃくの「持もち込こみ」を見逃みのがせば、他たの客きゃくが同おなじことをしてきたときに注意ちゅういはできなくなります。「あの人ひとたちはOKだったのになんで？」って言いわれたら、返かえす言葉ことばはないでしょう。チェーン店てんの居酒屋いざかやであれば、「あの人ひとたちは常連じょうれんだから」なんて言いう説明せつめいでは、納得なっとくしてもらえないはず。マニュアルでそうなっているということは、もしかしたら、「長ながい目めでみれば、厳きびしい対応たいおうをとったほうが利益りえきにつながる」というデータがあるのかもしれません。

　ただ、この店長てんちょうが融通ゆうずうがきかないというか、周まわりがみえていない人ひとであることは確たしかです。
　僕ぼくが飲食いんしょく店てんで厭いやな気分きぶんになる状況じょうきょうのひとつに、「内輪うちわの事情じじょうが客きゃくに伝つたわること」があります。とくに、店長てんちょうがバイトの店員てんいんや見習みならいの職人しょくにんを叱しかりとばす怒声どせいが聞きこえてきたりすると、「金かね返かえせ！」って言いいたくなるのです。
　赤あかの他人たにんとはいえ、誰だれかが（少すこしは自分じぶんもかかわっていることで）怒おこられているなかで、食事しょくじを楽たのしむことが至難しなんの業わざだということくらい誰だれにでもわかりそうなものなのに、意外いがいとそういう怒声どせいが聞きこえてくる店みせってあるんですよね……
　この店長てんちょうは、たぶん、「正義せいぎの人ひと」だというよりは、「何なにかにイライラしていて、そのはけ口ぐちとして、この『正義まさよし』をふりかざしていたのではないかなあ。持もち込こみへの注意ちゅういはさておき、バイトの女おんなの子こへの注意ちゅういは、閉店へいてん後ご、あるいはもっとこっそりやったほうがよかったのでは。

　ところで、よしもとさんは、【いっしょにいた三さん十じゅう四よん歳さいの男おとこの子こが「まあ、当然とうぜんといえば当然とうぜんか」とつぶやいたのが気きになった】そうなのですが、30代だい後半こうはんのさえない男おとこである僕ぼくも、この話はなしを聞きいて、「当然とうぜんといえば当然とうぜんの対応たいおうではあるな」とは感かんじたんですよね。たいがいの店みせでは、そこまで徹底てっていした対応たいおうはしないだろうけど、マナー違反いはんではあるから文句もんくは言いえないな、と。
　さて、読よむ人ひとの世代せだいによって、このエピソードへの感想かんそうは、そんなに違ちがうものなのでしょうか？
　

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初日しょにち