(Translated by https://www.hiragana.jp/)
課題集
長文ちょうぶん 1.1しゅう
 【1】ある書物しょもつがよい書物しょもつであるか、そうでないかを判断はんだんするために、普通ふつうわたしたちがやっていることはだれでも類似るいじしている。自分じぶん比較的ひかくてき得意とくい項目こうもく自分じぶん体験たいけんなどを総合そうごうしてよくかんがえたこと、あるいは切実せつじつおもわずらっていること、などについて、その書物しょもつがどういているかを、ひろってんでみればよい。【2】よい書物しょもつであれば、きっとそういうことについて、よい記述きじゅつがしてあるから、大体だいたいその箇所かしょで、書物しょもつ全体ぜんたいうらなってもそれほど見当けんとうはずれることはない。
 だが、自分じぶん知識ちしきにも、体験たいけんにも、まったくかかわりのない書物しょもつきあたったときは、どう判断はんだんすればよいのだろうか。【3】それは、たぶん、書物しょもつふくまれている世界せかいによってめられる。すぐれた書物しょもつには、どんな分野ぶんやのものであってもちいさな世界せかいがある。その世界せかいっている世界せかい縮尺しゅくしゃくのようなものである。【4】この縮尺しゅくしゃくにはとおりすぎてきた「やま」や「たに」や、宿泊しゅくはくした「土地とち」や、出会であったひとおもわずらった痕跡こんせきなどが、すべて豆粒まめつぶのようにちいさくなってかごめられている。どんな拡大鏡かくだいきょうにかけてもこの「やま」や「たに」や「土地とち」や「ひと」はにはえないかもしれない。そう、事実じじつそれはえない。えない世界せかいふくまれているかどうかを、どうやってることができるのだろうか。
 【5】もしひとつの書物しょもつんで、きずり、またやすませ、まって空想くうそうさせ、またかんがませ、ようするにここは文字もじのひとつづきのようにえても、じつ広場ひろばみたいなところだなとかんじさせるものがあったら、それはちいさな世界せかいだとかんがえてよいのではないか。【6】このちいさな世界せかいは、知識ちしきにも体験たいけんにも理念りねんにもかかわりがない。幾度いくど反復はんぷくしてまり、またもどり、またあるし、そしておもわずらった場所ばしょなのだ。かれは、そういうちいさな世界せかいをつくりすために、なが年月としつきぼうにふった。【7】ぼうにふるだけの価値かちがあるかどうかもわからずに、どうしようもなくぼうにふってしまった。そこには以外いがいひとかげも、隣人りんじんもいなかった。また、どういうみちもついていなかった。きつもどりつしたために、そこだけがかためられて広場ひろばのようになってしまった。【8】実際じっさい広場ひろばというようなものではなく、ただのだまりでしかないほどちいさな場所ばしょで、そこからさきみちがついているわけでもない。たぶん、ひとりがやっとこしろせるくらいのちいさな場所ばしょにしかすぎない。【9】けれどもそれは世界せかいなのだ。そういう場所ばしょきあたったは、ひとつひとつの言葉ことばなんぎょうかの文章ぶんしょうにわからないところがあっても、をつかまえたことになるのだ。
 わたしは、なぜ文章ぶんしょうくようになったかをかんがえてみる。【0】しんなかかい観念かんねん横行おうこうしてどうしようもなくあましていた少年しょうねん晩期ばんきのころ、しゃべることがどうしても他者たしゃつうじないというかんじになやまされた。このおもいは、極端きょくたんになるばかりであった。このかんじはそとにもあらわれるようになった。父親ちちおやは、おまえこのごろ覇気はきがなくなったとうようになった。過剰かじょう観念かんねんをどうあつかってよいかわからず、しゃべることは、自分じぶんをあらわしえないということにおもわずらっていたので、覇気はきがなくなったのは当然とうぜんであった。われながら青年せいねんになりかかるころの素直すなお言動げんどうがないことをみとめざるをえなかった。いまおもえば、「わかさ」というものは、まさしくそういうことなのだ。他者たしゃにすぐわかるようにそとせる覇気はきなど、どうせ、たいした覇気はきではない、と断言だんげんできるが、そのとき、そういきるだけの自信じしんはなかった。そうして、しゃべることへの不信ふしんから、くことをおぼえるようになった。それは同時どうじむようになったことを意味いみしている。
 わたし読書どくしょは、出発しゅっぱつてんなにかってんだのだろうか。たぶん自分じぶん自身じしんさがしにかけるというモチーフでみはじめたのである。自分じぶんおもわずらっていることを代弁だいべんしてくれていて、しかも、自分じぶん同類どうるいのようなものをさがしあてたいという願望がんぼうでいっぱいであった。すると書物しょもつなかに、あるときは登場とうじょう人物じんぶつとして、あるときはとして、同類どうるいがたくさんいたのである。



長文ちょうぶん 1.2しゅう
 【1】農業のうぎょうは、きわめて恣意しいてきいとなみである。
 たがや仕事しごと自然しぜん調和ちょうわしたエコロジカルな行為こうい一般いっぱんにはおもわれているようだがけっしてそうではない。恣意しいてき、といって曖昧あいまいなら、人間にんげん自然しぜん自分じぶん都合つごうのよい方向ほうこうにねじげる行為こうい、といったらいいぎか。
 【2】だいたい、野菜やさい、という概念がいねんからして人工じんこうてきなものである。
 ひと野草やそう山菜さんさい採集さいしゅうする労苦ろうく能率のうりつうらんで、ってきた植物しょくぶつむところのちかくにいて管理かんりしようとこころみた。たねってき、みずからの意志いしによって自然しぜんなずけようとさえした。
 【3】人間にんげん管理かんりかれたもののうち、栽培さいばいされることにあまんじた植物しょくぶつもあったし、断固だんことしてそれを拒否きょひし、野生やせい状態じょうたいでなければ生育せいいくしないことををもってしめしたたねもあったろう。
 食用しょくようになる野草やそう山菜さんさいのうち、ひと管理かんりでのうえ栽が可能かのうなものが「ベジタブル」とばれる。【4】生長せいちょう増殖ぞうしょくすることが可能かのう、という意味いみである。
 そればかりではない。品種ひんしゅの「改良かいりょう」というのもとに、人間にんげん植物しょくぶつ姿すがたかたちさえも自分じぶんたちののぞとおりにえてきた。べたいとおもえば、ふとくする。くきかたいとおもえば、やわらかくする。
 【5】たとえばレタスとかキャベツとかいった、まる結球けっきゅうする野菜やさいかんがえてみよう。
 これらの植物しょくぶつは、てからしばらくのようすをていればわかるが、最初さいしょはごくふつうの、それぞれの外側そとがわりながらうえびていくかたちの青菜あおなである。【6】それが、ある時点じてんから、しだいに外側そとがわ内側うちがわつつむようにきはじめる。
 この性質せいしつは、人間にんげんがつくったものである。
 まる内側うちがわきはじめるのは、過剰かじょう栄養えいようのために過度かどえたがこみあってびる場所ばしょうしなうからだ。【7】もちろん生体せいたい想定そうてい以上いじょう栄養えいようあたえることができるのは人間にんげんだけであり、そうしてられた結果けっか――つまり、結球けっきゅうすることによって内部ないぶ日光にっこう遮断しゃだんされてしろやわらかくなり、同時どうじにひとつの固体こたい摂食せっしょく可能かのう部分ぶぶん体積たいせき飛躍ひやくてきえる――を享受きょうじゅするのもまた人間にんげんなのだ。
 【8】わたしは、野菜やさいのためにたがやしながら、ときどきそんなことをかんがえた。
 「文化ぶんか」という言葉ことば語源ごげんは「たがやす」という意味いみだとおしえられ、そうであるとすればたがや農業のうぎょうこそはまさしく文化ぶんかてきいとなみだと納得なっとくするが、【9】しかしそれにしたところで、文化ぶんかというのは人間にんげんをつけられないような荒々あらあらしい自然しぜんをなんとか馴化じゅんかして管理かんりこうとするこころみなのだ、と種明たねあかしをすれば、それほどたいしたことをやっていないのはすぐにわかる。【0】にん自然しぜんかいにある無限むげんおとからひとみみうつくしいとかんじられる楽音がくおんだけをして音楽おんがくをつくり自然しぜんかい無限むげん風景ふうけいのうちった部分ぶぶんだけを抽出ちゅうしゅつして絵画かいが構成こうせいする。農耕のうこうふくめて、そうした「文化ぶんかてきいとなみのなかにおいてだけ、ひと自然しぜん自分じぶんたちのコントロールいたような気分きぶんになるのである。
 わたしたちの農作業のうさぎょうは、「文化ぶんか」からはほどとおいところにあった。
 きゅうねんは、前述ぜんじゅつしたように乾燥かんそうしたあつなつだった。
 きゅうさんねんは、一転いってんしてあめばかりつづさむなつで、コメがだい凶作きょうさく見舞みまわれたことは記憶きおくあたらしい。わたしたちのはたけでもブドウには病害びょうがい発生はっせいしたし、トマトはつづあめにたたられてひどい減収げんしゅう、ジャガイモはかえまえ半分はんぶんなかくさった。
 そしてきゅうよんねんはまたまた予想よそう裏切うらぎ酷暑こくしょ旱魃かんばつのシーズンで、ブドウはからくも枯死こしをまぬがれてなんとか収穫しゅうかくにまでいたったもののブルーベリーはじゅくしつつあるをつけたままれ、トウモロコシもかわくといぬいからびたがあらわれた。そのため連日れんじつみずやりにわれたが、地熱じねつがあまりにもたかくそれこそいしみずであった。トマトもピーマンも水不足みずぶそくちいさな表面ひょうめんかわいたかなしいしかみのらせることができなかったし、あきになってようやくなおしたとおもったら台風たいふうふうたおされた。
 まったく、自然しぜんなずけるどころか、自然しぜんおおきなちから翻弄ほんろうされるばかりである。
 もちろん、その理由りゆうおおきな部分ぶぶんわたしたちの技術ぎじゅつ予測よそく未熟みじゅく設備せつび投資とうし不足ふそくにあることは明白めいはくだが、しかし必要ひつようなソフトやハードをすベてそなえているはずの周辺しゅうへんのプロの農家のうか結局けっきょくはほとんどおなじような被害ひがいくるしんでいることをかんがえると、そもそも農業のうぎょうというのは、人間にんげん自然しぜんはたらきかけかなりの程度ていどそれをらしたようにえて、実際じっさいにはたんおおきな自然しぜんかいのほんの少々しょうしょうの「おあまり」をいただくくらいのことしかできないのだ、ということがわかってくる。
 はたけ仕事しごとをはじめた最初さいしょとしには、いてもいてもえてくる雑草ざっそう格闘かくとうしているうちに、「いったい、おれはなんでこんなことをしているのだろう」と自問じもんすることがしばしばあった。「こんな無駄むだなことにかかわっている時間じかんに、もっとほかにやるベきことがあるのではないのか?」そうおもってイライラしたこともある。
 しかし、そんな過渡かとおもいも、ねんめにはいるとしだいにえていった。
 はたけ仕事しごとは、いくら人間にんげんあせっても、できないものはできない。われわれののぞむもののうち、自然しぜん合意ごういられたぶんだけを、ゆるゆるとすすめることしかできないのである。

玉村たまむらゆたかおとこたねまくひと」より)


長文ちょうぶん 1.3しゅう
 【1】われわれ自身じしんかならずしも意識いしきしていないかもれないが、たとえば「スミマセン」という表現ひょうげん不思議ふしぎだとかんじられることがある。この表現ひょうげん英語えいごえば「Thank you」と「I am sorry」といういずれの表現ひょうげん使つかわれる場合ばあいにももちいられるが、【2】一方いっぽうは「おれい」、他方たほうは「おび」の表現ひょうげんであり、そのように一見いっけん相反あいはんするともおもえるものがおなじことばであらわされるのは不可解ふかかいだというわけである。しかし、われわれ自身じしんがこれらの表現ひょうげん使つかとき気持きもちすこ意識いしきてき内省ないせいしてみればすぐかるとおり、【3】相手あいてからなに好意こういあることをしてもらうことは有難ありがたい(Thank you)と同時どうじに、負担ふたんをかけたという意味いみもうわけない(I am sorry)ことであり、こちらからもそれにこたえるなにかをおかえしするまではことはすまないし、自分じぶん気持きもちもすまない――ということで、日本語にほんごにはそれなりの論理ろんり背後はいごにあるわけである。
 【4】あるいは、このようなれいはどうであろうか。英語えいごでは、「I am cold」「You are cold」「He is cold」は、どれもおなじように普通ふつう自然しぜん表現ひょうげんである。ところが日本語にほんごだと、「ボクハかんイ」はよいが、「きみかんイ」、「かれかんイ」というのは不自然ふしぜんこえる。【5】一見いっけん日本語にほんごほうすじかよっていないようにおもえるが、それなりの論理ろんり背後はいごにある。つまり、さむいとかんじるのは本人ほんにん感覚かんかくであり、それを本当ほんとう意味いみ体験たいけんできるのはその本人ほんにんだけである。したがって、自分じぶんさむいのは自分じぶんかるからいが、おなじことは他人たにんについてはできないはず、というわけである。【6】「くんかれ)ハかんイ」などという表現ひょうげんくと、なんとなくがましいことをっているという印象いんしょうけるのもそのためである。(本人ほんにんさむいということは、本人ほんにん以外いがいにはその内的ないてき感覚かんかくそとからも知覚ちかくできるようなかたちあらわれてはじめてかることである。【7】「くんかれ)ハかんガッテイル」ならば不自然ふしぜんでなくなるのは、そのためである。)
 このたねれい言語げんごのいろいろなめんで、またいろいろな抽象ちゅうしょうで、見出みだ議論ぎろんすることが可能かのうである。そこで見出みいだされる特徴とくちょうも、この言語げんご特有とくゆうのものから、どの言語げんごにも普遍ふへんてきなものにいたるまで、さまざまな段階だんかいのものがあろう。【8】そして、また、それぞれの特徴とくちょうっている文化ぶんかてき意味合いみあいもさまざまであろう。それは、言語げんご使つか人間にんげん一方いっぽうでは自分じぶんなりの創造そうぞうをすることのできる文化ぶんかてき存在そんざいであり、同時どうじに、他方たほうでは生物せいぶつがくてき存在そんざいとして生理せいりてき心理しんりてきに(たとえば、発声はっせい調音ちょうおん器官きかん構造こうぞう類似るいじ記憶きおくりょく限界げんかいなど)共通きょうつう制約せいやくゆうしているからである。
 【9】しかし、いずれにせよ、ひとつの言語げんご習得しゅうとくしてにつけるということは、その言語げんごけん文化ぶんか価値かち体系たいけいにつけ、なにをどのようにとらえるかにかんしてひとつの枠組わくぐみをあたえられるということである。【0】(その意味いみで、ひとつの言語げんご習得しゅうとくするということはひとつの「イデオロギー」をにつけることなのである。)そこでにつけられる価値かち体系たいけいやもののとらかた枠組わくぐみは、けっしてそこからせないといった性格せいかくのものではない。しかし、われわれがとりわけ日常にちじょうてきなレベルで、それらを「自然しぜん」なものとしてれているかぎりにおいて、みずからのにつけている言語げんごによって、あるひとつの方向ほうこうづけをされているのではないか。しかも、われわれ自身じしんはそれにかならずしもづいていないのではないか。もしそうだとすると、このてんにおける言語げんごはたらきは、人間にんげんという存在そんざいにとって「無意識むいしき」のはたらきにもある程度ていど類比るいひできるのではないか。いや、むしろ、「無意識むいしき」のほうがいろいろな意味いみでそのはたらきを言語げんごっているのではないか。こういった反省はんせいにまですすんでいくことになるのである。

 (池上いけがみ嘉彦よしひこ記号きごうろんへの招待しょうたい」)


長文ちょうぶん 1.4しゅう
 なにぶん絵本えほんのことで、生々なまなましい印象いんしょう手伝てつだったにちがいないが、「あん寿ひさしあんじゅ厨子ずしおう」のはなしわたしには暴力ぼうりょくにもいちげきであった。グレアム・グリーンが『うしなわれた幼年ようねん時代じだい』でっているように、「ほんというものがわれわれの人生じんせいふか感化かんかおよぼすのは、おそらく幼年ようねん時代じだいだけである。それ以後いごは、感心かんしんしたり、面白おもしろがったり、これまでの見方みかた修正しゅうせいしたりすることはあっても、おおくはすでにかんがえていたことをほん確認かくにんするにとどまる。こいをしていると、自分じぶんかおかたちが実物じつぶつ以上いじょうによくえるようながするのとおなじである。」
 わたし鴎外おうがいの『山椒さんしょう大夫たいふ』をんだのは、大人おとなになってからであった。そして今度こんどまたひさしぶりに再読さいどくしたが、結末けつまつのところをて、そうかとおもった。あの母親ははおやは、可愛かわいいさかりのむすめ息子むすこをさらわれたかなしみによるひるいてらすうちに、とうとうがつぶれてしまった、というくだりがあるようながしていたからである。むろん、作者さくしゃはそんなことはいていなかった。必要ひつようもなかったにちがいない。わたしはたぶんむかし絵本えほんでそうんだのか、でなければ自分じぶんでそうかんがえたのであろう。いずれにしても、わたししんには絵本えほんのイメージのほうがきていたのである。
 わたし鴎外おうがい結末けつまつでいい加減かげんごしていた箇所かしょは、もうひとつあった。作者さくしゃはこういている。
おんなすずめでない、おおきいものがあわをあらしにたのをった。そしていつものとなえやめて、えぬでじっとまえた。そのときしたかいみずにほとびるように、両方りょうほううるおいがた。おんなひらくいた。
 『厨子ずしおう』というさけびがおんなくちからた。二人ふたりはぴったりった。」
 それは厨子ずしおうあね形見かたみ肌身はだみはなさずっていたまも本尊ほんぞんちからであるという。そこが、ほとんどわたし印象いんしょうにはなかった。絵本えほんのほうはどうであったかは、もうおぼえていない。子供こどもしんにも、この最後さいご奇蹟きせきはいくぶんけたりのようにおもわれたかもしれない。いまわたしには、おや一念いちねん一念いちねんとはそれほどのものかもしれないとおも気持きもちもある一方いっぽうで、不幸ふこうおんな盲目もうもくというかたに、なにふる物語ものがたり慈悲じひのようなものをかんじる。ハッピーエンドがつまらぬというのではなく、くことのほうが残酷ざんこく場合ばあい人生じんせいにはあるだろうからである。
 作者さくしゃ鴎外おうがいは、この作品さくひん発表はっぴょう大正たいしょうよんねん)と同時どうじに『歴史れきし其儘そのまま歴史れきしばなれ』という文章ぶんしょうき、みずかくわしい解題かいだいおこなっている。そして、「山椒さんしょう大夫たいふのような伝説でんせつは、いて途中とちゅうで、想像そうぞう道草みちくさって迷子まいごにならぬくらい程度ていどすじっているというだけで、わたくしの辿たどっていとにはひとしばつよさはない。わたくしは伝説でんせつそのものをもあまりくわしくさぐらずに、ゆめのような物語ものがたりゆめのようにおもかべてた」とっている。
 「ゆめのような物語ものがたりゆめのように」というそのゆめは、ある特定とくてい個人こじんゆめというより、われわれ日本人にっぽんじんだれしもが民族みんぞくなかいできたふる歴史れきしうつのようなものであろう。夏目なつめ漱石そうせきたん編集へんしゅうゆめじゅう』(明治めいじよんじゅういちねん)で、われわれの現在げんざい支配しはいする過去かこおそろしい姿すがたを、不条理ふじょうりなイメージの断片だんぺんきつけるようにして、あばいてせた。伝説でんせつのみならず、お伽噺とぎばなし民話みんわ怪談かいだんのたぐいがいつのにも子供こどもしんをとらえるのは、子供こども自身じしんなかに、自分じぶんまれるなんだいまえ記憶きおくこそうとする本能ほんのうひそんでいるからだとでもかんがえるほかはない。

阿部あべあきら短編たんぺん小説しょうせつれいさん』)


長文ちょうぶん 2.1しゅう
番目ばんめ長文ちょうぶん課題かだい長文ちょうぶんです。】
 【1】どこかへ旅行りょこうがしてみたくなる。しかしべつにどこというきまったあてがない。そういうとき旅行りょこう案内あんないるいをあけてると、あるいは海浜かいひん、あるいは山間さんかん湖水こすい、あるいは温泉おんせんといったように、くべきところがさまざまりすぎるほどある。【2】そこでまずかりに温泉おんせんなら温泉おんせんときめて、温泉おんせんすこくわしくくと、かく温泉おんせん水質すいしつ効能こうのう周囲しゅうい形勝けいしょう名所旧跡めいしょきゅうせきなどのだいたいがざっとわかる。しかしもうすこくわしく具体ぐたいてきことりたくなって、今度こんど温泉おんせんせんもん案内あんないしょさがしてんでみる。【3】そうするとまずぼんやりとおおよその見当けんとうがついてるが、いくら詳細しょうさい案内あんない丁寧ていねいんでみたところで、結局けっきょくほんとうのところは自分じぶんおこなってなければわかるはずはない。もしもそれがわかるようならば、うちで書物しょもつだけんでいればわざわざかける必要ひつようはないとってもいい。【4】つぎにはねんのためにいろいろのひとはなしいてみても、ひとによってかなりことがちがっていて、だれのオーソリティをしんじていいかわからなくなってしまう。それでさんざんに調しらべた最後さいごにはつまりいいかげんに、さいでもげるとおなじような偶然ぐうぜん機縁きえんによって目的もくてきをどうにかきめるほかはない。
 【5】こういうやりかたわばアカデミックなオーソドックスなやりかたであるとわれる。これはおおくの人々ひとびとにとってもっと安全あんぜん方法ほうほうであって、こうすればめったにおおきな失望しつぼうやとんでもない違算いさんしょうずる心配しんぱいすくない。【6】そうして主要しゅよう名所旧跡めいしょきゅうせきをうっかり見落みおとすづかいもない。
 しかしこれとちがったやりかたもないではない。たとえば旅行りょこうがしたくなると同時どうじ最初さいしょからさいをふってところをきめてしまう。あるいは偶然ぐうぜんんだ詩編しへん小説しょうせつかのなかである感興かんきょうたれたような場所ばしょめてしまう。【7】そうして案内あんないなどにはてんでかまわないでしてく。そうして自分じぶんあし自由じゆうくままにあるまわまわる。この方法ほうほうはとかくいろいろな失策しっさく困難こんなんをひきこしやすい。またいわゆる名所旧跡めいしょきゅうせきなどのすぐまえとおりながららずにのがしてしまったりするのはりがちなことである。【8】これは危険きけんおおいへテロドックスのやりかたである。これはうっかり一般いっぱんひとにすすめることのできかねるやりかたである。
 しかしまえ安全あんぜん方法ほうほうにも短所たんしょはある。んだ案内あんないしょいたひとはなしが、いつまでもあたまなかをくっていて、それが自分じぶんかくみみをおおう。【9】それがためにせっかくわざわざかけて自分じぶん自身じしんわば行李こうりなかにでもしこめられたようなかたちになり、結局けっきょく案内あんないはなしたひとにはいったり見物けんぶつしたり享楽きょうらくしたりするとおなじようなことになる、こういうふうになりたがるおそれがある。【0】もちろんこれは案内あんないしょおしえたひとつみではない。
 しかしそれでも結構けっこうであるというひとがずいぶんある。そういうひとはもちろんそれでよい。
 しかしそれではわざわざたかいがないとかんがえるひともある。がりなりにでも自分じぶん自分じぶんあしんで、その景色けしき大地だいち自分じぶんとが直接ちょくせつにぴったりときにのみかんられるするど感覚かんかくあじわわなければなんにもならないというひとがある。こういうひとはとかくに案内あんないしょひとはなし無視むしし、あるいはわざとけたがる。便利べんり安全あんぜんうために自分じぶんことおそれるからである。こういうわりものはどうかするとまんにんるものを見落みおとしがちであるわりに、いかなる案内あんないにもかいてないいいものを機会きかいがある。

寺田てらだ寅彦とらひこ案内あんないしゃ」より)
 【1】現代げんだいはアイデンティティ不定ふてい時代じだいといわれている。わたしはなにものか。わたしなにをしてきていけばよいのか。どうすれば自分じぶんらしさを発見はっけんできるのか。これらのいは青年せいねんにつきものだが、最近さいきんでは、青年せいねんかぎらず、およそライフステージのどこにおいても、このようないにつきまとわれることがおおい。
 【2】近代きんだい社会しゃかいは、ぜん時代じだい共同きょうどうせい解体かいたいさせ、一人ひとり個人こじんがある具体ぐたいてき共同きょうどうたいぞくすることの内的ないてき意味いみ希薄きはくさせた。それが、わたしたちのアイデンティティ不定ふていおおきな要因よういんとして関係かんけいしている。【3】それは同時どうじに、わたしたちの社会しゃかいにおいて「大人おとなである」とか「大人おとなになる」とかいうことが、なにすのかがはっきりしないことをも意味いみする。
 なぜならば、かつては、大人おとなになることは、はしてきに、個人こじん自分じぶんぞくすべき共同きょうどうたい一員いちいんとしての資格しかくることを意味いみしていたからである。【4】共同きょうどうたいがあるひとつの精神せいしんのもとに統一とういつせいたもっていれば、大人おとなであることの意味いみはおのずからまってきた。したがって大人おとなになることは、その共同きょうどうたいかくをなしている精神せいしん心身しんしん両面りょうめんにおいて理解りかいし、それを自分じぶんきていくための基本きほんかたとして承認しょうにんすることを意味いみしていた。
 【5】よくられているように、近代きんだい以前いぜん社会しゃかいには、それぞれの社会しゃかい要請ようせい見合みあったなんらかの通過つうか儀礼ぎれい存在そんざいした。どもと大人おとなはこの儀式ぎしきによってはっきりとけられていた。【6】たとえば、わがくに武家ぶけ社会しゃかいにおける元服げんぷく儀式ぎしきは、それをもっともよく象徴しょうちょうしている。一定いってい年齢ねんれいになると、男子だんし幼名ようみょうはい烏帽子えぼしめいをつけ、ふくあらためて、かみいなおしたりさかやきをったりした。
 【7】ところが近代きんだいは、どもから大人おとなへの変化へんかからこの単純たんじゅん境目さかいめはらい、わりに「教育きょういく課程かてい」という、なが射程しゃていをもったシステムをあてがうことにした。いうまでもなく、学校がっこう制度せいどがその機能きのうたすことになったのである。
 【8】「教育きょういく課程かてい」は、節目ふしめのはっきりしないたいへん間延まのびしたプロセスである。それは、人間にんげんはだんだんと段階だんかいてき成長せいちょうしていって大人おとなになるものだというイメージをわたしたちのなかにらずらずのうちにえつける。【9】近代きんだい教育きょういく制度せいどは、自分じぶんがどこで大人おとなになったのかという自覚じかく曖昧あいまいなものにさせる効果こうかっていたのである。
 一方いっぽうでは、いまべた認識にんしき一見いっけん矛盾むじゅんするつぎのようなこともいわれている。
 【0】近代きんだい以前いぜんには、どもべるような時期じき存在そんざいせず、どもはみなちいさな大人おとなであった。幼児ようじをすぎると、ごくはや時期じきからどもは大人おとな集団しゅうだん仲間入なかまいりして、かれらのはなし行動こうどうのなかからようまねで大人おとな社会しゃかい規範きはんやそのありさまをまなび、明瞭めいりょう問題もんだいされることとひそやかにかたられることとの区別くべつなどをにつけるようになっていった。(中略ちゅうりゃく
 ところが近代きんだいになって、資本しほん主義しゅぎてき生産せいさん飛躍ひやくてき発展はってんげるにしたがい、一人ひとり生産せいさんしゃ複数ふくすう消費しょうひしゃやしなえるようになると、「家族かぞく」が、一般いっぱん世間せけんから明瞭めいりょう輪郭りんかくをもって成立せいりつするようになった。
 この、一般いっぱん世間せけんからの家族かぞく明瞭めいりょう自立じりつが、年少ねんしょう人々ひとびと内部ないぶかこみ、そこにどもよびベるような独立どくりつした時期じき誕生たんじょうさせた。人間にんげん成長せいちょう成熟せいじゅくにとって、家族かぞく生活せいかつ重要じゅうようせいかびがるようになった。(中略ちゅうりゃく
 それまでは、どもはむにまかせ、たいした配慮はいりょもなくそだつにまかせていた。どもは、家族かぞく内側うちがわ外側そとがわのはっきりしない境界きょうかいせんを、はやくからしていた。そして、おやから身体しんたいてき意味いみ自立じりつできるようになるごくはや年齢ねんれい段階だんかいから生産せいさんにかりされ、大人おとな世界せかい参加さんかさせられていた。
 ところが、ある時期じきから、人々ひとびとは、どもをまさにどもとして「大切たいせつに」あつかうようになった(あつかいが実質じっしつてきすくなくなったのかどうかという判断はんだん尺度しゃくどにはならない)。フィリップ・アリエスのいう「じゅうなな世紀せいきまではどもはちいさな大人おとなにすぎなかった。ども近代きんだいになって発見はっけんされたのだ」という有名ゆうめいなことばはそういう意味いみである。
 したがって、両方りょうほう認識にんしき矛盾むじゅんするのではなく、おなひとつのことをことなるふたつの側面そくめんから観察かんさつしたものとかんがえるべきだ。ようするに、どもと大人おとなとのあいだ単純たんじゅん荒々あらあらしくかれていた境界きょうかいせんはらわれ、それまではなかばどうでもいいものとして無造作むぞうさかんがえられていたどもが、もっと細心さいしん視線しせんそそがなければならない存在そんざいとして、大人おとなたちの意識いしきのなかにクローズアップされてきたのである。そしてその結果けっかどもは、いくつかの段階だんかいかかちつつ、次第しだい大人おとなになってゆく、「過程かていてきな」存在そんざいとみなされるにいたったのである。

小浜おばま(こはま 逸郎いつお大人おとなへの条件じょうけん」による)


長文ちょうぶん 2.2しゅう
 【1】わたし英語えいごりょくはほとんど中学ちゅうがくさん年間ねんかん教育きょういく依拠いきょしている。高校こうこう時代じだいおぼえたむずかしい単語たんご記憶きおく彼方かなた霧散むさんしてしまったし、大学だいがく時代じだい英語えいご教育きょういくはなきにひとしかった。大学だいがくにはLL教室きょうしつがあったけれども、テレビモニターを相手あいてにおうむがえしに発声はっせいするという行為こうい単純たんじゅんさと滑稽こっけいさにはがたいものをかんじた。【2】現代げんだい小説しょうせつむリーディングの授業じゅぎょう他力本願たりきほんがんなににつかなかった。一番いちばんひどかったのがアメリカじん講師こうしによる会話かいわのクラスだ。これにはどうしてもなじむことができなかった。そのおも理由りゆうは、講師こうしの「笑顔えがお」にあった。【3】金髪きんぱつかれは、授業じゅぎょうあいだちゅう表情ひょうじょうゆたかに微笑びしょうしつつ頻繁ひんぱん学生がくせいたちにかたりかけていた。たいていわたしはうつむいて、つくえしたつめをいじったりしながらそれをいていた。それがいけなかった。
 【4】視線しせんとして指先ゆびさきのあたりをつめるのは「意識いしき集中しゅうちゅうしてなにかをく」ときのわたし定型ていけいポーズにすぎないのに、かれにかかると、それは授業じゅぎょうたいする「不満ふまん表明ひょうめい」とみなされる。しょっちゅうつくえわきては、「なに問題もんだいがありますか?」「具合ぐあいでもわるいのですか?」とたずねられてうっとうしいことこのうえない。【5】わたし無表情むひょうじょうくびる。「べつに、なにもありません」しんなかではおもっていた。おかしくもないのにあなたみたいにわらっちゃいられないわよ。馬鹿ばかじゃないんだから……。そうこうするあいだわたし英語えいごりょくいきえた。
 【6】それからじゅうねん以上いじょうった昨夏さくなつ女子大じょしだいせい語学ごがく研修けんしゅう同行どうこうしてアイオワしゅうのある私大しだいった。わたし自身じしん英語えいごのレッスンに参加さんかしたわけではなかったけれども、ひとつきちか滞在たいざいするうちに、あちらの教授きょうじゅじんとかなり緊密きんみついをすることになった。【7】なにしろ、あさひるばん食事しょくじ一緒いっしょである。毎日まいにち、レッスンの前後ぜんごにあちこちへ案内あんないされ、週末しゅうまつには自宅じたく招待しょうたいされる。それはもうもなく英語えいごめということでもあり、くるしさ半分はんぶんがた半分はんぶんといった日々ひびくるしさのほうは、言葉ことばあたまなか渦巻うずまくばかりでくちから発射はっしゃされないことだ。【8】だいたいすれちがうたびに見知みしらぬひと挨拶あいさつわすという習慣しゅうかんからしてわたしにはつらい。にっこりわらって、「ハーイ」というだけのことにどっとつかれてしまう。
 がたさのほうかれらのあふれるホスピタリティにれたことだ。【9】アルバイトの学生がくせいから役付やくづきのえら教授きょうじゅまでが、わたし日常にちじょうささやかな部分ぶぶんってくれる。立場たちばさかだったら、こうまでは出来できない。「笑顔えがお」である。かれらはぞろいもそろってにこやかな人々ひとびとだった。いつってもキゲンさそうに微笑ほほえんでいる。【0】ほとんどあさからばんまでわらっているのかとおもうほどだ。もしかすると表情ひょうじょうすじ笑顔えがお固定こていされているのかもしれないとさえおもった。陽気ようきやつらなんだ、きっと。笑顔えがお民族みんぞくなんだな。あるときわたしてしまったのだ。いままでにこやかに笑顔えがおりまいていた教授きょうじゅが、一人ひとりになったとたん、かんがふかげな、どことなく徒労とろうかんただよ表情ひょうじょうもどるのを。かれはふと、まだかたわらにわたしがいるのにづいたけれども、ふたたおなじテンションの笑顔えがおっていくまでにはおどろくほど時間じかんがかかった。そのときかれらの笑顔えがお意識いしきてき努力どりょく賜物たまものであることをわたしさとった。
 かれらはじつ意識いしきてき人々ひとびとだった。明快めいかい価値かちかんち、一瞬いっしゅん一瞬いっしゅん選択せんたくし、行動こうどううつす。わらうべきだとおもうからわらうということだ。たとえ一番いちばんけるはずの家庭かていでさえ、意志いしちからささえていかなければあっというあいだ瓦解がかいするというきびしい認識にんしきが、日常にちじょう些細ささい行為こうい背後はいごにもいたいほどにかんじられる。現実げんじつきびしく、それをえるためには強靭きょうじん意志いしりょく行動こうどう必要ひつようなのだ。
 そのきびしい現実げんじつひとつがきっと理解りかい不可能ふかのう他者たしゃ存在そんざいなのだろう。ひとつきあいだに、さまざまな場所ばしょでさまざまなアメリカじんとすれちがううちに、わたしひとつの妄想もうそういだくようになった。「こうかららないひとあるいてくる。言葉ことばつうじそうにない。なに誤解ごかいされたらナイフをけられるかもしれない。ピストルだったら即死そくしだ」そのような心理しんりてき風土ふうどのもとでなら、過剰かじょうだろうがなんだろうが誤解ごかい余地よちもないほどに微笑ほほえんで敵意てきいのないことを相手あいてしめそうとするだろう。相手あいてもそうするだろう。摩擦まさつこさず、安心あんしんしてくらせる市民しみん社会しゃかいの、それがルールになるだろう。
 ここにいたって、そのむかし苦手にがてだった英会話えいかいわのクラスでなにこっていたのか、わたしはようやく理解りかいしたがするのだ。こういうくにからひとならば、うつむくばかりでコミュニケーションの努力どりょくおこたったわたしには苛立いらだったはずだ。いまおもえば、かれもまた強靭きょうじん意志いしりょくによって精一杯せいいっぱいわたしたちに微笑ほほえみかけていた。こちらが無表情むひょうじょうだったぶんかれ微笑ほほえみは過剰かじょうになるのかもしれなかった。英語えいご表現ひょうげん基礎きそ語彙ごいでも構文こうぶんでもなく、つたえようとする意志いし微笑ほほえむその姿勢しせいだとおしえていたのかもしれなかった。
 アメリカじんは、あんなに毎日まいにち一生懸命いっしょうけんめいきていてつかれないのだろうか。


長文ちょうぶん 2.3しゅう
 【1】大相撲おおずもうをはじめてにいったとき、びっくりしたことがある。それは、ちゅう観客かんきゃくせきよんろくちゅうざわざわしていて、しから仕切しきり、い、い、そして勝負しょうぶまでのしだいにがっていくはずの緊迫きんぱくかんがぜんぜんないということだ。【2】それどころか、そもそもいの瞬間しゅんかん注意ちゅういをこらしていないと、すぐ見逃みのがしてしまい、げたら勝負しょうぶわっていた、ということもしばしばだ。【3】テレビの相撲すもう中継ちゅうけいでは、懸賞けんしょう提供ていきょうしゃ紹介しょうかいきゃくしなどの館内かんない放送ほうそう観客かんきゃくせきのざわめきは遮断しゃだんされていて、制限せいげん時間じかんいっぱいになってから観客かんきゃく声援せいえんれるよう演出えんしゅつしてあるから、したのほうのみでさえ、一抹いちまつ緊張きんちょうかんがただようわけだ。【4】ではなぜ館内かんないがざわついているのか。こたえはかんたんだ。いちますよんにんものひろげ、さけやビールをみながら、こえをひそめることもなくおしゃべりにきょうじているからだ。べながらる、ながらしゃべる。ひょうかみをばしゃばしゃさせて、勝敗しょうはい記入きにゅうする。【5】あいだにまえをひっきりなしにお茶屋ちゃやのひとが食事しょくじやおちゃやみやげものはこぶ。ざわついて当然とうぜんだ。(中略ちゅうりゃく
 えんずるものもの、つまりえんじられている舞台ぶたいとそれを鑑賞かんしょうする観客かんきゃくとを空間くうかんてき分離ぶんりすること、そういう制度せいどになれてしまうと、大相撲おおずもうとか歌舞伎かぶきたのしみかたに、はじめはとまどう。【6】けれども、いまわたしたちが劇場げきじょうやコンサートホールで入場にゅうじょうけんって鑑賞かんしょうする西洋せいよう演劇えんげき音楽おんがくにしたって、もともとはひとびとでなんとなくざわついている宮廷きゅうていにわ居間いまで、あるいはまち芝居しばい小屋こや路上ろじょうで、もよおしとしておこなわれていたわけで、かならずしも純粋じゅんすい鑑賞かんしょう対象たいしょうであったわけではない。【7】渡辺わたなべひろしによれば、たとえばじゅうはち世紀せいき演奏えんそうかい極端きょくたんないいかたをすると「音楽おんがくのあるパーティー」といったおもむき社交しゃこうだったようで、きゃくのおしゃべりがうるさくて、声楽せいがくきょく場合ばあい歌詞かし印刷いんさつしたプログラムがくばられることもあったそうである。
 【8】「おしゃべりだけではない。聴衆ちょうしゅう演奏えんそうちゅうにさまざまな「副業ふくぎょう」をおこなっていた。ツェルターはのちいちななななよんねんのベルリンでのコンサートの回想かいそうなかで、「無数むすうのパイプからのぼった煙草たばこけむのもやのなか指揮しきをすることは容易よういではなかったろう」とべている。【9】またいちななはちよんねんのエアフルトでの演奏えんそうかい記録きろくによれば、ビールや煙草たばこみとめられていただけでなく「とりわけ音楽おんがくきでない人々ひとびと気晴きばらしにトランプをやっており、ご婦人ふじんかた徐々じょじょにそちらにくわわっていった」。【0】フランクフルトのコンサート協会きょうかいいちはちろくねんさだめた規則きそくに「いぬれてくることは禁止きんし」とかれていたというのも興味深きょうみぶかい。そんなことをわざわざことわらなければならないというのは、そういうことをなんともおもっていないやからがいたということのあらわれである。(渡辺わたなべかく聴衆ちょうしゅう誕生たんじょう」)」
 じっといきをこらして、作品さくひん世界せかいにひたりきるという「集中しゅうちゅうてき聴取ちょうしゅ」の思想しそうはまだなかったわけである。いま、たまたま思想しそうということばを使つかったが、ずまいをただして作品さくひん集中しゅうちゅうするというような聴取ちょうしゅ態度たいどはかならずしも自明じめいのものではなく、「芸術げいじゅつ享受きょうじゅ」あるいは「作品さくひん鑑賞かんしょう」というひとつの思想しそうをバックボーンとして、制度せいどされてきた態度たいどにほかならないということである。そしてそのために、えんずるもの演奏えんそうするものものものとを空間くうかんてき分割ぶんかつする装置そうちが、劇場げきじょうやコンサート・ホールとして建造けんぞうされたのだ。
 「へだたり」ということが、ここでポイントとなる。えんずるもの演奏えんそうするものものもの、つまりは、られるものとるものとを空間くうかんてき分離ぶんりする装置そうちのなかで、ふたつの距離きょり発生はっせいする。主体しゅたい対象たいしょうとのへだたりと、主体しゅたいただ主体しゅたいとのへだたりである。
 主体しゅたいられる対象たいしょうとのへだたりは、芸術げいじゅつ場合ばあい、「鑑賞かんしょう」という概念がいねん連動れんどうしている。たのしみの「享受きょうじゅ」というよりもむしろ、距離きょりへだてて「鑑賞かんしょう」すべき客体かくたいとして「芸術げいじゅつ作品さくひん」が主体しゅたいから空間くうかんてき分離ぶんりされていくそのプロセスを支配しはいしていたのは、近代きんだい芸術げいじゅつにおける「自律じりつせい」というかんがえかた、「よし」はそれ自体じたいとしての独立どくりつ価値かちをもつというかんがえかただ。「芸術げいじゅつ作品さくひん」は、それがつくられた時代じだい環境かんきょうえた独自どくじの「美的びてき世界せかいをもつ。それがかれた状況じょうきょう、あるいはそれをまえにした鑑賞かんしょうしゃによって価値かちえるなどということは、本来ほんらい、「芸術げいじゅつ作品さくひん」にとってありえないことなのだ。そのためには、これらの作品さくひん味覚みかくとか嗅覚きゅうかく触覚しょっかくといった、そのつどの状況じょうきょうによって感覚かんかく内容ないよう変化へんかするような「低級ていきゅう」な感覚かんかくささえられるようなものであってはならない。そうではなくて、視覚しかく聴覚ちょうかくのような、距離きょりをおいた感覚かんかく対象たいしょう接触せっしょくしたりじりあったりすることのない「普遍ふへんてき感覚かんかく」によってささえられるのでなければならない、とされるのである。
 さて「へだたり」のもうひとつの意味いみは、他者たしゃとのへだたりということである。たとえばコンサートでも演劇えんげきでも、開演かいえんにあたってまず客席きゃくせき照明しょうめいとされる。これはまずは、るものとられるもの、演奏えんそうするものとくものとを空間くうかんてき分離ぶんりするためもあるが(客席きゃくせきくらくすることで、演奏えんそう俳優はいゆう自分じぶんひとではなくられるばかりのひとになり観客かんきゃくられることなくるだけのひとになる)、同時どうじに、まわりにいるほか人間にんげんたちから個人こじん分離ぶんりし、隔離かくりするためのものでもある。観客かんきゃくが、他人たにんにじゃまされることなく、個人こじんとして作品さくひん鑑賞かんしょう集中しゅうちゅうできるよう、作品さくひん世界せかい投入とうにゅうできるように、照明しょうめいとされるのだ。だから建物たてものは、純粋じゅんすいに「作品さくひん」の世界せかいだけに集中しゅうちゅうできるよう、周囲しゅうい騒音そうおん遮断しゃだんする構造こうぞうになっているし、観客かんきゃく観客かんきゃくで、もの、パンフレット、咳払せきばらいなどで余計よけい物音ものおとてることのないよう注意ちゅういしなければならないのである。
 いちきゅうろく年代ねんだい音楽おんがく演劇えんげき美術びじゅつ世界せかいこった反逆はんぎゃくたとえば演奏えんそうちゅうきゃく絶叫ぜっきょうするようなライヴ演奏えんそうとか、観客かんきゃく演劇えんげきなかみ、ストーリー展開てんかいのなかに偶然ぐうぜんてき要素ようそをどんどん導入どうにゅうしていくハプニングなどのパフォーマンスやテント小屋こや実験じっけん演劇えんげき路上ろじょう予告よこくなしにげき開始かいしされることもあった)、アクションペインティングなどは、まさにこのような近代きんだいの「芸術げいじゅつ鑑賞かんしょう」という制度せいどそのものに攻撃こうげき照準しょうじゅんわせていたのであった。

 (鷲田わしだ清一せいいち


長文ちょうぶん 2.4しゅう
 その翌日よくじつであった。母親ははおや青葉あおばうつりの縁側えんがわあたらしい茣蓙ござござき、俎板まないただの包丁ほうちょうだのみずおけだのはえちょうはいちょうだのした。それもみなての真新まあたらしいものだった。
 母親ははおやは、自分じぶん俎板まないたを距てたこうがわ子供こどもすわらせた。子供こどもまえにはぜんうえひとつのさらいた。
 母親ははおやは、腕捲うでまくりして、薔薇ばらいろのてのひらして手品てじなのように、裏表うらおもてかえして子供こどもせた。それからその言葉ことばとも調子ちょうしづけてりながらった。
「よくごらん使つか道具どうぐは、みんなあたらしいものだよ。それからこしらえるひとは、おまえさんのかあさんだよ。はこんなにもよくきれいにあらってあるよ。わかったかい。わかったら、さ、そこで――」
 母親ははおやは、はちなかきさましためしぜた。母親ははおや子供こどももこんこんせた。それから母親ははおやはそのはちかたわらにせて、ちゅうからいくらかのめし分量ぶんりょうつかして、両手りょうてちいさく長方形ちょうほうけいにぎった。
 はえちょうはいちょうなかには、すでにずし調理ちょうりされてあった。母親ははおや素早すばやくそのなかからひときれをしてそれからちょっとさえて、長方形ちょうほうけいにぎっためしうえせた。子供こどもまえぜんうえさらいた。玉子たまごしょうずしだった。
「ほら、ずしだよ。おすしだよ。手々ててで、じかにつかんでくえべてもいのだよ」
 子供こどもは、そのとおりにした。はだかのはだをするするでられるようなころいの酸味さんみに、めしと、玉子たまごのあまみがほろほろにったあじわいが丁度ちょうどしたいっぱいにった具合ぐあい――それをひとつくえべてしまうとからだははりつけたいほど、おいしさと、したしさが、ぬくめたこうのように子供こどもうちにいた。
 子供こどもはおいしいとうのが、きまりわるいので、ただ、にいっとわらって、ははかお見上みあげた。
「そら、もひとつ、いいかね」
母親ははおやは、また手品てじなのように、をうらがえしにしてせたのちめしにぎり、はえちょうはいちょうから一片いっぺんひときれをりだしてしつけ、子供こどもさらいた。
 子供こども今度こんどにぎっためしうえったしろ長方形ちょうほうけい切片せっぺん気味悪きみわるのぞいた。すると母親ははおやこわくない程度ていどたけだかいたけだかになって、
なんでもありません。しろ玉子たまごきだとおもってくえべればいいんです」
といった。
 かくて、子供こどもは、烏賊いかというものをまれてはじめてくえべた。象牙ぞうげのようになめらかさがあって、なまもちより、よっぽど歯切はぎれがよかった。子供こども烏賊いかずしくえべていたその冒険ぼうけんのさなか、めていたいきのようなものを、はっ、としてかおりきみをいた。うまかったことは、わらがおでしかあらわさなかった。
 母親ははおやは、こんどは、めしうえに、しろきとおる切片せっぺんをつけてした。子供こどもは、それをってくちってくときに、おびやかされるにおいにかすめられたが、はなまらせて、おもってくちなかれた。
 しろとお切片せっぺんは、咀嚼そしゃくのために、上品じょうひんなうまきくずされ、ほどよい滋味じみあつかんじって、子供こどもほそ咽喉いんこうとおってった。
いまのは、たしかに、ほんとうのさかなちがいない。自分じぶんは、さかなくえべられたのだ――」
 そうづくと、子供こどもは、はじめて、きているものをころしたような征服せいふく新鮮しんせんかんじ、あたりをひろ見廻みまわしたいよろこびをかんじた。むずむずする両方りょうほう脇腹わきばらを、おなじようなよろこびで、じっとしていられないゆびつかいた。
「ひ、ひ、ひ、ひ、ひ」
 あん疳高かんだかかんだか子供こどもわらった。母親ははおやは、勝利しょうり自分じぶんのものだとてとると、ゆびについた飯粒めしつぶを、ひとつひとつばらとしたりしてから、わざとちついてはえちょうはいちょうのなかを子供こどもせぬようのぞいてった。
「さあ、こんどは、なににしようかね……はてね……まだあるかしらん……」子供こどもこげりついらだって絶叫ぜっきょうする。
「すし! すし!」
 母親ははおやは、うれしいのをぐっとこらえこらえるすこほけとぼけたような――それは子供こどもが、ははとしてはいちばんきな表情ひょうじょうで、生涯しょうがいわすないうつくしいかおをして、
「では、おきゃくさまのおこのみによりまして、つぎげまあす」
 最初さいしょのときのように、薔薇ばらいろの子供こどもまえちかづけ、はははまたも手品てじなのようにうらひょうかえしてせてからずしにぎした。おなじようなしろさかなずしにぎされた。
 母親ははおやはまず最初さいしょこころみに注意深ちゅういぶかいろ生臭なまぐさなまぐさ魚肉ぎょにくえらんだらしい。それはたい比良びらであった。
 子供こどもつづけてくえべた。母親ははおやにぎってさらうえくのと、子供こどもつかと、競争きょうそうするようになった。その熱中ねっちゅうが、ははなにかんがえず、意識いしきしないひとつの気持きもちのしびれた世界せかいれた。いつむっつのずしにぎられて、つかられて、くえべられる――そのはこびに面白おもしろ調子ちょうしがついてた。素人しろうと母親ははおやにぎずしは、いちいちおおきさがちがっていて、かたち不細工ぶさいくだった。ずしは、さらうえに、ころりとたおれて、せたかたわらへとすものもあった。子供こどもは、そういうものへかえってあいかんおぼえ、自分じぶんかたち調ととのえてくえべると余計よけいおいしいがした。子供こどもは、ふと、日頃ひごろうちしょでんでいるも一人ひとり幻想げんそうのなかのははといままえずしにぎっているははとが感覚かんかくだけかあたまなかでか、一致いっちしかけいちじゅう姿すがたまぎれているがした。

岡本おかもとかのずし」)


長文ちょうぶん 3.1しゅう
番目ばんめ長文ちょうぶん課題かだい長文ちょうぶんです。】
 【1】先進せんしんこくのちいかける途上とじょうこく経済けいざいと、世界せかい先頭せんとうはし先進せんしんこく経済けいざいのもっとも重要じゅうようなにかというと、「途上とじょうこく経済けいざいではものまねができたけれども、先進せんしんこく経済けいざいでは自分じぶんあたらしい知識ちしき創造そうぞうしないとそれ以上いじょう発展はってんができない」ということである。【2】途上とじょうこく有利ゆうりてんは、だいいちに、先進せんしんこくモデルが存在そんざいし、容易ようい産業さんぎょうのための目標もくひょうがみいだせること、だいに、先進せんしんこくから技術ぎじゅつ導入どうにゅうできること、そしてだいさんに、賃金ちんぎんなど全体ぜんたいてきなコストが先進せんしんこくくらべて有利ゆうりであることなどである。
 【3】このような有利ゆうりせい存在そんざいしているかぎり、みずからオリジナルな技術ぎじゅつ知識ちしき創造そうぞうする必要ひつようせいはそれほどたかくない。先進せんしんこくから使つかえる技術ぎじゅつ輸入ゆにゅうし、それにやす賃金ちんぎん勤勉きんべん労働ろうどうりょくけるだけで競争きょうそうりょくにつけることはできるだろう。【4】もっとも、これとてどこのくににでもできるほど簡単かんたんなことではないが、日本にっぽん現在げんざいきゅう成長せいちょうちゅうひがしアジア諸国しょこくはいずれもこのシナリオで成功せいこうしてきた。
 しかし、日本にっぽんについていえば、これらの好条件こうじょうけんはすべて消滅しょうめつしたといってよいだろう。【5】じゅうねんほどまえに、日本にっぽん経済けいざい歴史れきしてきなコスト条件じょうけん逆転ぎゃくてん経験けいけんした。またインプット拡大かくだいによる成長せいちょうにも人口じんこう高齢こうれい労働ろうどうりょく人口じんこう減少げんしょう貯蓄ちょちくりつ低下ていかなどの理由りゆうからおおくを期待きたいすることはできない。【6】その結果けっか日本にっぽん先進せんしんこく宿命しゅくめいすなわちみずからのさきみずからの創意そうい工夫くふうひらかなければならないという宿命しゅくめいを、このむとこのまざるとにかかわらず背負せおうことになったのである。
 【7】日本にっぽん社会しゃかい経済けいざい体制たいせいは、欧米おうべいいつき、すという明治めいじ以来いらい国策こくさくにそって形成けいせいされてきた。たとえば、日本にっぽん教育きょういく制度せいど欧米おうべい先進せんしんてき知識ちしきむことを目指めざして発達はったつしてきた。これはすばらしい戦略せんりゃくであった。【8】欧米おうべい日本にっぽんあいだに、科学かがく技術ぎじゅつ近代きんだい思想しそうなどのてんおおきな知識ちしきのギャップがあったのだから、まずはこのギャップを一刻いっこくはやめることが必要ひつようであったし、そうすることがキャッチアップを効率こうりつてきすすめる唯一ゆいいつ方法ほうほうであった。
 【9】しかし、日本にっぽんがキャッチアップをえたいまとなってははなしわってくる。外来がいらい知識ちしきまなぶだけではかならずしも独創どくそうてき知識ちしきまれない。日本にっぽん学校がっこう教育きょういく(とくに義務ぎむ教育きょういく)はすばらしいというせつがあるが、それはすくなくとも今日きょうてき観点かんてんからはとんでもない誤解ごかいである。【0】たしかに、先進せんしんこくいつく目的もくてきのために、先生せんせい生徒せいと知識ちしきり、みを強要きょうようすることはにかなっていたかもしれない。いや、欧米おうべいとの巨大きょだい知識ちしきギャップを一刻いっこくはやめるためには、大車輪だいしゃりん知識ちしき吸収きゅうしゅうつとめなければならないことは当然とうぜんであった。知識ちしき吸収きゅうしゅういそぐあまり、とき青年せいねんたちの独創どくそうせい、オリジナルなもののかんがかた育成いくせいするもうひとつの教育きょういく重要じゅうよう役割やくわり多少たしょうなおざりにされたとしても、それはある意味いみではやむをえなかったことといえるかもしれない。
 しかし、今日きょうのように、みずか価値かち創造そうぞうすることが要求ようきゅうされる時代じだいになっても、教育きょういくシステムが本質ほんしつてき意味いみなにわっていないとすればそれはおおきな問題もんだいであろう。最近さいきん教育きょういく改革かいかく論議ろんぎ当然とうぜんのことながらこのような観点かんてんからなされることがおおい。しかし、教育きょういく現場げんばでは、相変あいかわらず先生せんせいだい教室きょうしつ黒板こくばん知識ちしき羅列られつし、日本にっぽんてき意味いみでの「優秀ゆうしゅうな」生徒せいとは、試験しけんのときにそれを正確せいかく再現さいげんすることを要求ようきゅうされている。生徒せいと能力のうりょくや、興味きょうみ所在しょざいなどは無視むしし、とにかくうえからあたえられた課題かだいを、先生せんせいめたスピードでこなしていくことが「優秀ゆうしゅうな」生徒せいと絶対ぜったいてき条件じょうけんである。極度きょくど一律いちりつされた教育きょういく風景ふうけいである。
 日本にっぽん教育きょういく現場げんば自分じぶんあたまかんがえた独自どくじ意見いけん前面ぜんめんすことがこう得点とくてんにつながるというはなしはおよそいたためしがない。試験しけんでは先生せんせい正解せいかい認定にんていするこたえくことが得策とくさくであって、先生せんせいあたまになかったようなユニークなこたえ尊重そんちょうする風潮ふうちょうはない。生徒せいと一定いっていわくのなかで発想はっそうする習慣しゅうかんをたちまちにつけてしまう。このように「優秀ゆうしゅうな」生徒せいとはいくつかの入試にゅうして、完璧かんぺきなまでに「知識ちしき吸収きゅうしゅうがた」のわくにはまったこたえしかできない受動じゅどうてき人間にんげんになってしまう。

 【1】今日きょうでは、道徳どうとくてき共同きょうどうたいをつぶしてきた法的ほうてき社会しゃかいがふつうの社会しゃかいとなり、国家こっかとなっている。しかし、今日きょう共同きょうどうたい完全かんぜんにつぶされたわけではない。豪族ごうぞくなどおおきな共同きょうどうたいはすでにつぶされてしまっているが、依然いぜんとして最小さいしょう単位たんい共同きょうどうたい家族かぞくのこっている。【2】そして一方いっぽう共同きょうどうたい意識いしきほうは、いま人々ひとびとあいだにしぶとくつづけてきている。
 共同きょうどうたい本質ほんしつ感覚かんかくであるから、理屈りくつ理論りろんすなわちよりもじょうたっとばれる。漱石そうせきう「さとしはたらけばかくつ」わけである。【3】しかし、ほう現代げんだい社会しゃかいうごかすものとなっていることをみとめざるをえないから、「じょうながされまい」とする努力どりょく必要ひつようとなる。この両者りょうしゃあいだをゆれているのが、現代げんだい人間にんげんである。
 しかし、孔子こうしはそうではなかった。【4】かれきていた時代じだいは、ほう登場とうじょうしはじめたころであり、当時とうじほう優先ゆうせん異端いたん思想しそうであった。それは、共同きょうどうたいという体制たいせい根幹こんかんをゆるがす「あく思想しそう」とみなされていたのである。孔子こうしはその「あく」の摘発てきはつしゃであった。こういうはなしがある。
 【5】晩年ばんねん、おそらくろくじゅうだいなかばをえたころ、孔子こうし為政者いせいしゃとしての地位ちいもとめて、諸国しょこく流浪るろうしていた。あるとき、しょうというちいさなまちったらしい。このまちは、南方なんぽう強国きょうこくであったすわえくにいち行政ぎょうせい地区ちくである。そのまち長官ちょうかんしょうこうが、孔子こうしにこうった。【6】自分じぶんまちに「直躬なおみ(ちょくきゅう」(正直しょうじきしゃ(きゅう)という仇名あだなものがいる。その父親ちちおやひつじぬすんだとき、そのちち犯罪はんざいかくさないのみならず、ぬすんだことの証言しょうげんをした、と。
 ところが孔子こうしはいいかえした。わたし仲間なかまの「ただし」という仇名あだなおとこ行動こうどうちがいます。【7】「ちちのために(犯罪はんざいを)かくし、ちちのために(ちち犯罪はんざいを)かくす。じき(の本当ほんとうのありかたは)、そのなかり」と。
 この問答もんどうんだとき、現代げんだいじんのわれわれの大半たいはんは、おそらくしょうおおやけのいいぶん、すなわちちちといえども犯罪はんざいしゃほうさばきをけるべきであり、証言しょうげん立場たちばただしいとするであろう。【8】それは人間にんげん社会しゃかいにおけるほう優先ゆうせん立場たちばである。近代きんだい国家こっかでは、それがただしい、いことである。
 しかし、前述ぜんじゅつのように、孔子こうしのころは、まだ各種かくしゅ共同きょうどうたい現実げんじつ機能きのうしていた時代じだいである。かり犯罪はんざいおこっても、共同きょうどうたいでそれをさば長老ちょうろうは、いろいろと事情じじょうかんがえてばっめる。【9】には、つみとしておおやけにしないで、事件じけんやみからやみへと処理しょりするだろうし、ときには、みなへのせしめに、窃盗せっとう程度ていどでも死刑しけいにすることすらある。そのように裁量さいりょうのはばがひろい。そのばっめるのは、共同きょうどうたいをリードする道徳どうとくにどのようにそむいているかというてんにおいてである。
 【0】だからたとえば共同きょうどうたい有力ゆうりょくしゃが、あきらかにつみおかし、さばかれるとき、その有力ゆうりょくしゃ犯罪はんざい証言しょうげん拒否きょひする部下ぶかは、ほう優先ゆうせんおおやけ立場たちばからは指弾しだんされても、おな共同きょうどうたいメンバーの立場たちばからは、ぎゃく賞賛しょうさんけることであろう。このように、法的ほうてき社会しゃかい道徳どうとくてき共同きょうどうたいとの関係かんけいは、いまもってなかなか善悪ぜんあく判断はんだんのむつかしい問題もんだいかかえているのである。
 はたしん始皇帝しこうてい代表だいひょうしゃとして、中国ちゅうごく古代こだいはたしんかん帝国ていこく成立せいりつしたころ、法的ほうてき社会しゃかいつくろうとするがわと、従来じゅうらいからの道徳どうとくてき共同きょうどうたいとは、いたるところで衝突しょうとつこしたのである。まして、ほうがしだいに社会しゃかいてき認知にんちされつつあった春秋しゅんじゅう時代じだい、すなわち孔子こうしきていた時代じだいでは、ほうは、共同きょうどう体側たいそくかられば、自分じぶんたちの体制たいせいくずあくであるとするのがつねである。各種かくしゅ共同きょうどうたい機能きのうしなくなってしまった現代げんだいでは、法的ほうてき処理しょりあいだにはさみこまれる共同きょうどうたいてき処理しょりが、ぎゃく不正ふせいなこと、あくであるとされる。たとえば、今日きょう老父ろうふつみ見逃みのがしてもらうために、贈賄ぞうわいすれば、どうなるか。つみおかすことになる。しかし、老父ろうふとらえた検事けんじ警察けいさつそくが、そのちち老人ろうじんであるがゆえに、そのつみおおやけにしないとすると、一転いってんして、温情おんじょうある処置しょちとして美談びだんとなる。共同きょうどうたいてき感覚かんかくによる行為こういである贈賄ぞうわい美談びだんとは紙一重かみひとえなのである。
 このように、法的ほうてき社会しゃかい形成けいせいされて以後いご共同きょうどうたいとの関係かんけいというやっかいな問題もんだい人間にんげんかかえこんできて今日きょういたっており、いまなおその解決かいけつ方法ほうほうくるしんでいる。
 さて、共同きょうどうたい指導原理しどうげんりは、道徳どうとくであるから、指導しどうしゃはその条件じょうけんとして道徳どうとくせいにつけなくてはならない。ちょうど、法的ほうてき社会しゃかい指導原理しどうげんりほうであり、指導しどうしゃはその条件じょうけんとして、ほうまもりかつ政策せいさく能力のうりょくにつけなくてはならないのとおなじように。あえてえば、共同きょうどうたい社会しゃかい規模きぼちいさく、前例ぜんれい主義しゅぎなので、あたらしい政策せいさく立案りつあんといったようなことはあまりなかった。
 この道徳どうとくてき指導しどうしゃは、ほうのように強制きょうせいするのではなくて、しぜんと見習みならわせて、人々ひとびと感化かんかすることになる。 だから孔子こうししょうおおやけたいして、「ちかしゃちかくの人々ひとびと)はせつび、とおしゃとおくの人々ひとびと)は(したい)る」とべている。これが道徳どうとく政治せいじというものの姿すがたである。
 すなわち「共同きょうどうたい共同きょうどうたいのきまり(慣習かんしゅう)→道徳どうとく」という体系たいけいわせて「共同きょうどうたい指導しどうしゃ共同きょうどうたいのきまり(慣習かんしゅう)の熟達じゅくたつしゃ道徳どうとくてき完成かんせいしゃ聖人せいじん)」という図式ずしきかんがえだしたのである。そして道徳どうとくてき完成かんせいしゃ聖人せいじん)を最高さいこう指導しどうしゃとし、そのひと道徳どうとく感化かんかされ教化きょうかされる政治せいじ道徳どうとく政治せいじ徳治とくじ政治せいじ)としたのである。これは、「法的ほうてき社会しゃかい法的ほうてき社会しゃかいのきまり→ほう」にもとづく「法的ほうてき社会しゃかい指導しどうしゃ法的ほうてき社会しゃかいのきまりの実行じっこうしゃ政策せいさくプランナー」という図式ずしきによる法的ほうてき政治せいじ法治ほうち政治せいじ)とするど対立たいりつする。
 前者ぜんしゃ道徳どうとく政治せいじ主張しゅちょうしたのが、儒家じゅかであり、その組織そしきてき理論りろんや、理論りろんてき指導しどうおこなった最初さいしょひと孔子こうしであった。
 後者こうしゃ法的ほうてき政治せいじ主張しゅちょうしたのが、孔子こうしよりずっとのちてきた法家ほうかほうか(たとえば韓非子かんぴし)であり、その方式ほうしきもとづくだい政治せいじが、はたしん王朝おうちょうてた始皇帝しこうていである。

 (「論語ろんごむ」加地かじ伸行のぶゆきより)


長文ちょうぶん 3.2しゅう
 【1】イロリの社交しゃこうは、家族かぞく結合けつごう社交しゃこうであった。一家いっか団欒だんらんということばはうまでもなく家族かぞくがおなじをかこんでいることをした。ひとつのつうじてしんがかよいあう。そういう不思議ふしぎちからはもっていた。家族かぞくだけではない。【2】客人きゃくじんもまた、おなじをかこむことで、他人たにんではなくなる。人間にんげんちかづけるのである。若者わかものたちがなつさんうみやしてひらくファイヤー・ストームなども、まさしくによる人間にんげん結合けつごう現代げんだいてきなあらわれのひとつであろう。
 【3】イロリの社交しゃこうには、秩序ちつじょがあった。よくられているように、イロリのよんへんにはだれがどうすわるかについての約束事やくそくごとがある。土間どまめんしていちばんおくあたり横座よこざである。そこには戸主こしゅ以外いがい人間にんげんがすわってはいけない。【4】横座よこざからみてひだりがわのあたりにすわるのは主婦しゅふによって代表だいひょうされるいえおんなたちである。この座席ざせきはカカなどとばれる。そして客人きゃくじんせき、すなわちきゃく横座よこざからみてみぎ横座よこざ正面しょうめん使用人しようにん場合ばあいによってはよめすわ下座げざ――そんなふうにせきりふりがきまっていたのである。【5】こんにち、比喩ひゆてきに、たとえば「主婦しゅふ」というようなことばが使つかわれるのは、このようなイロリのりつけから延長えんちょうされたものだとかんがえてよいだろう。
 それぞれのがきめられ、ふゆよるなどイロリをかこんで世間せけんばなしがつづく。【6】共有きょうゆうしているという事実じじつが、そして、ときにはバチバチとおとをたててえるほのおが、いわばその世間せけんはなし背景はいけいおんのようなものになる。は、家庭かてい健在けんざいをしめす象徴しょうちょうなのでもあった。
 これとまったくおなじことが、西洋せいようでもかんがえられる。【7】かつてマーガレット・ミードはフランス文化ぶんかろんじて、フランス文化ぶんか基本きほんになっているモチーフはFoyerであるといった。このフォアイエというのは、一家いっか団欒だんらん意味いみし、同時どうじゆか(ひどこ意味いみすることばだ。【8】同一どういつゆか(ひどこないしは暖炉だんろ共有きょうゆうする家族かぞく結合けつごうがかたいのである。
 フランスだけではない。ヨーロッパやアメリカの住宅じゅうたく中流ちゅうりゅう以上いじょうといういささかゆとりのあるいえにはたいてい暖炉だんろがある。【9】そして、こんにちでは、ちゃんと中央ちゅうおう管理かんり暖房だんぼうがゆきとどいているにもかかわらず、ときどき暖炉だんろたきぎをくべて共有きょうゆう事実じじつ演出えんしゅつするのである。じっさい、イロリと暖炉だんろはその機能きのうにおいてきわめて類似るいじしている。【0】もちろん、をまんなかにしてかこむイロリとにむかって半月はんつきがたにならぶ暖炉だんろとでは、社会しゃかい構造こうぞうすこちがうかもしれない。だが、おなじのぬくもりとひかりけることのできる家庭かてい象徴しょうちょうとすることは、たぶん東西とうざい共通きょうつうなのである。
 人間にんげん接近せっきんさせ、親密しんみつさをつよめる効果こうかをもっていることをわれわれは直観ちょっかんてきっている。ラジオが大衆たいしゅうしたとき、アメリカの大統領だいとうりょうF・ルーズベルトは、定期ていきてきな「炉辺ろへん談話だんわ番組ばんぐみ国民こくみんしたしくはなしかけた。番組ばんぐみ題名だいめいにある「炉辺ろへん」ということばだけで大統領だいとうりょう国民こくみんはぐんとその距離きょりちぢめることができたのだ。(中略ちゅうりゃく
 共有きょうゆうによる親密しんみつ人間にんげん関係かんけいは、調理ちょうりかんがえてみればよくわかる。「おながまめしった」関係かんけい、というのは、遠慮えんりょのないしたしい関係かんけいということだ。おなじ調理ちょうりされたものを飲食いんしょくするというのは、暖房だんぼう照明しょうめい共有きょうゆうよりもさらにふか共通きょうつう感覚かんかく人間にんげんたちにあたえる。
 カマドをわける、あるいはべつにするというのは、人間にんげんのまじわりの単位たんいをわける、ということである。調理ちょうり共有きょうゆう、それは人間にんげんをつなぐ基本きほんてき重要じゅうよう文化ぶんか項目こうもくであった。
 このてんでも、日本にっぽん文化ぶんかはいろんな工夫くふうらし、それに美的びてき洗練せんれんをあたえつづけてきたようにおもえる。たとえばさまざまななべ料理りょうり。それは、人間にんげん共通きょうつう調理ちょうりされたものをわかちあうことで親密しんみつさをつくりあげてゆくためのすばらしい知恵ちえであった。
 ちゃもまた、ある意味いみ共有きょうゆう象徴しょうちょうする社交しゃこう形態けいたいであった。ちいさな風炉ふろとカマ、そこからまさしくちゃがうまれる。茶会ちゃかいはおなじカマからつくられた、おなじ味覚みかく共有きょうゆうするふか人間にんげん関係かんけい形成けいせいしてゆくのである。暖房だんぼう照明しょうめい調理ちょうり、それらは、いずれも人間にんげん生活せいかつにとってきわめて実用じつようてき機能きのうである。だが、人間にんげんはそういう実用じつようせいえて、人間にんげん関係かんけい調整ちょうせい手段しゅだんとしても展開てんかいさせてきたのであつた。管理かんりはたんに物理ぶつり現象げんしょうとしての管理かんりするというだけでなく、そのをめぐる人間にんげん集団しゅうだん管理かんりをもふくむものであった。

 (加藤かとう秀俊ひでとしらしの思想しそう」より)


長文ちょうぶん 3.3しゅう
 【1】いま日本にっぽん都会とかいでは、路上ろじょうでものをひとかけることがほとんどない。たまにあっても、ヒッピーのアクセサリーとかワゴン・セールとか、朝市あさいちとか、いかにも特別とくべつかたで、ただなんとなく道端みちばたったりしゃがみこんだりしてきゃくつというがいなくなった。
 【2】順序じゅんじょからうならば、常設じょうせつみせができるまえ商売しょうばいはみんな路上ろじょうおこなわれていた。みちひとのためだけにあるのではなく、ばなしやものの売買ばいばいときには喧嘩けんかのための公共こうきょうスペースだった。いえうらちいさなはたけ出来できまめいもまちまではこんでいって道端みちばたる。【3】れたら、そのおかねで、いえではつくれない野菜やさい道具どうぐるい贅沢ぜいたくひんってかえる。商売しょうばいはこうしてはじまったのだ。
 しかし、みちっているものはときとして信用しんようできない。むら顔見知かおみし同士どうしならともかく、おおきなまち見知みしらぬものからものをうと、万一まんいち、それがインチキなしなでも苦情くじょうさきがない。【4】いまでも訪問ほうもん販売はんばい通販つうはんるいにはこのたね問題もんだいがつきまとっている。
 訪問ほうもんえば、さんじゅうねんまえ見事みごと詐欺さぎにあったことがある(どうもぼくは詐欺さぎにひっかかりやすい性格せいかくらしい)。日曜日にちようびひるごろ、にわ草取くさとりをしていると、威勢いせいのいい魚屋さかなやふうおとこがやってきて、みちからこえける。【5】うなぎをわんかとうのだ。いまちがって冷凍れいとう蒲焼かばやきがいつでもはいるわけではなく、うなぎはなかなか贅沢ぜいたくものだった。それがやすい。たしかにやすい。おとこ垣根越かきねごしに、なぜやすいかという理由りゆうを、特別とくべつのルートとかなにとか、言葉ことばたくみにはなす。
 【6】日曜にちようだからどこのいえでも父親ちちおやがいる。ひと奮発ふんぱつしようということになって、家族かぞくかずだけうなぎをう。それから御飯ごはん算段さんだんになる。この時差じさ大事だいじだ(保温ほおんしき炊飯すいはんはまだなかった)。ってすぐにべるものではこのはなし成立せいりつしない。【7】いちあいだ、いよいよしろ御飯ごはんがどんぶりにられて、してあたためたうなぎがり、タレがかかってみんなのまえならぶ。子供こどもたちはわくわくしてはしる。ところが、一口ひとくちほおばると、これがあなごなのだ。はそっくりだが、あじはだいぶちがう。【8】あなごはあなごでうまいさかなだけれども、うなぎにけてはいけない。もちろんおとこ二度にどなかった。路上ろじょう取引とりひきには、いつもこのくらいのリスクがつきまとう。
 日本にっぽんのように万事ばんじがお金本位きんほんいになってしまっていないくにでは、まだ路上ろじょう商売しょうばいにぎわっているし信頼しんらいしんらいもされている。【9】イスタンブールでは子供こどもたちが街頭がいとうならんで、こえげて煙草たばこっている。それがなぜか毎日まいにちのようにしなわる。ある全員ぜんいんがケントをっている。つぎはそれがサムソンという国産こくさんブランドにわる。【0】トルコの子供こどもたちはよくはたらく。寒風かんぷうなかはなをすすりながら、サムソンサムソンサムソンと黄色きいろこえぶのが、いまでもこえる。
 スーダンの煙草たばこかたはまたちがう。首都しゅとのハルトゥームは全体ぜんたい砂漠さばくしょくにくすんだまちで、そのひろい挨っぽいみちわきに、煙草たばこだまってすわっている。うのはほとんど常連じょうれんで、取引とりひき単位たんい一本いっぽんである。スーダンのひとにとって煙草たばこ相当そうとう贅沢ぜいたくで、いちいちはこをまるごとえるものすくない。だから、一本いっぽんずつう。あさ仕事しごとにゆく途中とちゅう一本いっぽんって、そのう。マッチでをつけるのは無料むりょうサービス。煙草たばこ周囲しゅういったりすわったりして、本当ほんとうにおいしそうにう。まわりにいいにおいのけむりめる。わると、元気げんき仕事しごとく。おかね余裕よゆうがあるときには、ひるにも一本いっぽんう。
 まだ禁煙きんえんしていなかったぼくは、ある、この煙草たばこからいちはこおうとした。はしわたってオムドゥルマンのまちまでラクダくのに、道中どうちゅうぶん持参じさんするのだ。
 いちにたくさんれば、簡単かんたんもうかるわけだから煙草たばこよろこぶだろうとおもったのだが、それはみんなが煙草たばこだいこまっていないくにからものの、あさましいかんがえだった。
 ぼくは、いちはこれないとわれた。つまり、この煙草たばこにしても、毎朝まいあさはやく、そのぶんだけを仕入しいれてくる。だから、ぼくがじゅうほんってしまうと、昼休ひるやすみの一服いっぷくたのしみにしているだれかのぶんりなくなる。事情じじょうったぼくは、一本いっぽんだけって、をつけてもらい、ゆっくりとそのって、はしかった。いい気持きもちだった。

 (「インパラはころばない」池澤いけざわ夏樹なつきより)


長文ちょうぶん 3.4しゅう
 ようするに、ニューヨークはなにもないまちらしい。だから、そのてん東京とうきょうによくているといえる。実際じっさい商店しょうてんかざまどのかざりつけだの、道路どうろから直接ちょくせつかいのぼせま階段かいだんくちだの、そんななんでもないまちのたたずまいのなかに、ときどき「おや」とおもうほど東京とうきょうにそっくりの情景じょうけいにつく。そうおもってながめると、東京とうきょうがニューヨークを真似まねしているのか、ニューヨークが東京とうきょうれたのか、一瞬いっしゅんどっちがどっちだかわからなくなるようだ。わたしまえを、ゴムのはん長靴ながぐつをはいたおんな一人ひとりまえかがみの姿勢しせいあるいてく。らされた舗道ほどうこわれてデコボコだし、おまけにいち週間しゅうかんまえにったゆきこおりついたりけかかったりして、よほどをつけないとすべってころぶか、こおりまじりのヌカルミにぞっぷりあしのクルブシまでつかってしまう。みち片側かたがわたかいたへいがつづき、なかではコンクリート建築けんちく作業さぎょうをやっている。間断かんだんなしにひび重苦おもくるしい金属きんぞくおん道路どうろをうめつくしてやっとうごいているタクシーや乗用車じょうようしゃ。……
 るものはなにもない(そのになれば芝居しばいでも、美術びじゅつひんでも、世界せかい一級いっきゅうひんがふんだんにあるにもかかわらず)、ぼんやりやすんでもいられない、そのくせだまって空気くうきっているだけでもかねがへってくようなニューヨークのまちは、およそ観光かんこうきゃくには不向ふむきのようだが、んでみたら案外あんがいらしいかもしれないとおもわせるところもある。近代きんだい美術館びじゅつかんがそうだったように、ここには伝統でんとう権威けんい際立きわだった性格せいかくてきなものはなにもないかわり、外来がいらいしゃえぬ圧迫あっぱくかんくわえられることもなさそうだ。ナッシュヴィルのようにホテルのロビーでまわりちゅうからながめられることもないし、どんな恰好かっこうをしてあるいていても平気へいきだ。黒人こくじんおとこ白人はくじんおんなとつれだっているのを見掛みかけたが、これはナッシュヴィルではゆめみたいなことだ。……あさ、コーヒー・ショップで食事しょくじをしていると、にクマどりのある顔色かおいろわるおんながドーナッツを半分はんぶんだけしそうにべ、あとの半分はんぶんかみナフキンにつつんで、木綿もめんのワンピースいちまい姿すがたゆきこおり戸外こがいへ、ゆっくりとった。彼女かのじょせた肩先かたさきには、無残むざん優美ゆうび都会とかい関心かんしんさが肩掛かたかけのようにかかっている。
 アベイ・ホテルの地下ちかしつにはストックホルムの海賊かいぞく料理りょうりのレストランがある。その、ちょっとあしをはこべばヨーロッパの各国かっこくからあつまった各国かっこく料理りょうりてんがそれぞれのきならべている。しかしまえとおっても別段べつだん、どのみせはいろうというもしない。アメリカへて「戦前せんぜんみ」のフランス料理りょうりうというのが馬鹿馬鹿ばかばかしいからではなく、興味きょうみがまったくわかないからだ。それなら日本にっぽん料理りょうりはどうかというと、最初さいしょからわたしはこれにもっと反発はんぱつかんじた。はなしくだけでもイヤなことだとおもっていた。しかしいちでもさそわれてはいってみると、ここには麻薬まやくのような吸引きゅういんりょくがある。先月せんげつまつ、アメリカにいてさんにちだったが、M特派とくはいんにつれられてったみせで、ミソじるいちぐちすすった瞬間しゅんかんわたしうそもかくしもなく、全身ぜんしんから一時いちじにシコリがだっ(けてくのをかんじた。まるで毛穴けあな全部ぜんぶひらいて、そこから自由じゆう空気くうきがいっぺんに流通りゅうつうしはじめるみたいだった。それに給仕きゅうじじん母国ぼこく注文ちゅうもんはっし、母国ぼこくでこたえられるのはなにとしてもけがたい魅力みりょくだ。汽車きしゃ劇場げきじょうなかなどで同国どうこくじん出会であうと、本当ほんとうのところかおをそむけたくなる気持きもちがある。それがものではぎゃく作用さようをあらわしてしまうのは、どういうわけだろう。ドルがえんばれ、51 streetがじゅういち丁目ちょうめいなおされるようなことを、どうしてうれしがるのかわからない。けれどもはらいてくると、あし自然しぜん日本にっぽん料理りょうりてんほういてしいまうのである。

安岡やすおか章太郎しょうたろう「アメリカ感情かんじょう旅行りょこう」)