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課題集
長文 1.1週
【1】
今から
六億年くらい
前の
海には、クラゲやゴカイなどの
仲間や
三葉虫のような
節足動物がくらしていました。
体がたくさんの
細胞で
作られていると、
体中の
細胞を
分裂させて
自分の
子孫を
作るわけにはいかなくなります。【2】そこで、ひとつの
細胞に
自分の
体のすべての
情報を
入れて、その
細胞が
情報にしたがって
分裂していき、
親と
同じ
形になるような
方法で
子孫を
残すようになりました。これが
卵のはじまりです。
【3】
最初に
生命が
生まれたのは
海の
中でした。
生物は
長い
間、
海の
中で
進化をつづけ、
最初の
卵も
海の
中で
生まれました。
水中に
産みつけられた
卵は、まだかたい
殻を
持たず、やわらかいゼラチン
質で
中心の
細胞を
守っているだけでした。
【4】
最初に
陸に
進出した
生命は、
藻や
苔のような
生物ですが、やがて、
水辺からいろいろな
生物が
上陸していくようになりました。ゴカイやミミズの
仲間、クモやサソリの
仲間、カタツムリの
仲間などが、
水からはなれて
陸上でくらすようになります。【5】クモやサソリの
仲間からは、やがて
昆虫もあらわれ
世界中に
広がりました。それら
動物たちは、みんな
体の
中心に
硬い
骨がないので、
無脊椎動物と
呼ばれています。【6】
水の
中ではなく、
陸で
最初に
卵を
産むようになったのは、こうした
無脊椎動物でした。
空気中で
乾燥しないように
比較的硬い
殻に
守られた
卵は、
丸かったり
細長かったり、いろいろな
形をしていました。
【7】
犬や
猫や
人間などの
哺乳類は、
脊椎動物と
呼ばれ、
体の
中心に
硬い
骨格を
持つ
動物です。
海の
中で
進化した
魚の
中から、やがて
陸に
上がるものが
現われ、それらが
今の
地上の
脊椎動物の
祖先になったと
考えられています。
【8】
最初に
陸に
上がったのは、カエルなどの
両生類でした。カエルは、
陸上を
歩き、
肺で
呼吸することができますが、
体の
乾燥には
弱く、
水中で
卵を
産み、オタマジャクシとして
成長します。
【9】この
両生類の
中から、
体がもっと
乾燥に
強く、
水辺から
離れることのできる
動物が
進化してきました。それが
爬虫類です。
爬虫類は
地上で
本格的に
卵を
産んだ
最初の
脊椎動物です。【0】そのころの
陸地には
植物がおいしげり、
乾いた
場所でも
卵を
産める
昆虫などの
無脊椎動物が
大いに
栄えていました。
陸地でもうまく
生活できて、
子孫を
残すことができれば、
草食でも
肉食でも
食べるものは
豊富にあるのです。
そんな
爬虫類の
仲間から、やがて
恐竜や
私たち
哺乳類の
先祖が
出現してくるのです。
でも、
陸と
水の
間にすんでいるカエルは、ときどき、「やっぱり
水の
中にカエルかなあ」と
思うときがあるそうです。
言葉の
森長文作成委員会
長文 1.2週
【1】
十五のとき、
信玄は、おとうさんといっしょに、はじめて、
戦争にでかけました。
しかし、
敵が、しっかり
城をまもっているので、なかなか、
城をせめおとすことができません。そのうち、
雪がどんどん、ふってきました。
【2】おとうさんは、あきらめて、じぶんの
国にひきかえすことにしました。
すると、
信玄は、おとうさんにないしょで
家来たちをあつめて、
「この
雪で、
敵も、せめてこないとおもって、ゆだんしているだろう。【3】そのすきに、せめこめば、きっと、せめおとせるにちがいない。」
そういって、
敵の
城にむかい、ゆだんしている
敵の
城を、せめおとしてしまいました。
それからも、
信玄は、いく
度も
戦争をしましたが、
一度も、まけたことがありませんでした。
【4】そして、とうとう、
謙信と
信玄は、
川中島というところでたたかうことになりました。
しかし、どちらも、つよい
者どうしです。なん
度たたかっても、なかなか、
勝負がつきません。
【5】あるとき、
謙信は、ウマにのり、
刀をふりあげて、いきなり
信玄の
陣地に、せめこんでいきました。
信玄は
刀をぬくひまもありません。もっていた
軍配で、やっと、
謙信の
刀をうけとめました。
「えいっ、えいっ。」
【6】
謙信は、なおも、はげしく、きりかかります。
謙信の
刀が、
信玄の
肩にあたって、
血がながれました。
そのとき、
信玄の
家来が、かけてきて、
謙信ののっているウマのおしりを、びしりと、
槍でたたきました。
【7】「ヒヒーン」
ウマは、おどろいて、にげだしました。
こうして、
謙信は、とうとう、
信玄をうちとることができませんでした。
やがて、
信玄は、ほかの
国と
戦争をはじめました。
【8】
信玄の
国は、
山国です。
塩や、さかなは、よその
国から、はこんでこなくてはなりません。そこで、あいての
国では、とちゅうの
道をふさいで、
塩やさかなを、
信玄の
国にはこべないように、してしまいました。
【9】
謙信は、その
話をきいて、
信玄を、
気のどくにおもいました。そして、あいてのやり
方に、すっかり、はらをたてました。
「
生きていくのにひつような、
塩やさかなをたべさせないようにするなんて、なんという、ひきょうなやり
方だろう。
【0】わしと
信玄とは、
敵どうしだが、だまってはいられない。よし、すぐに、こちらからおくってやろう。」
そういって、じぶんの
国から、
塩やさかなを、どっさり、
信玄のところへおくってやりました。
(
大石真)
「
子どもに
聞かせるえらい
人の
話」(
実業之日本社)
長文 1.3週
【1】
生徒たちは、たがいに
気をつけあって、だれがどろぼうをするのかたえずちゅういしていました。すると、わかりました。おなじなかまのひとりです。
「どろぼうといっしょに
勉強するなんて、いやなことだ。
先生にそうだんして、あいつをおいだしてもらおう。」
【2】なん
人かの
生徒たちが、そういって、こっそり
盤珪先生のところへいきました。
「
先生、このあいだから、なん
度も、
物がなくなるのです。こっそりしらべてみると、どろぼうは、わたしたちのなかまのひとりです。【3】どうか、そのどろぼうを、
学校からおいだしてください。おねがいです。」
「そうか。よしよし、そんなわるい
生徒がいるのか、よし、わかったぞ。」
盤珪先生は、
生徒たちに、そういいました。
【4】それから
二、
三日して、また、
物がなくなりました。
しかも、
盤珪先生は、いっこうに、その
生徒をやめさせるようすもありません。
生徒たちは、また
先生のところにいって、いいました。
【5】「
先生、どうしてどろぼう
生徒をおいだしてくださらないのですか。わたしたちは、あいつがいるために、
安心して
勉強することもできません。もし、
先生が、どうしても、あの
生徒をやめさせてくださらないとおっしゃるなら、わたくしたちのほうで、もう
山をおりようとおもいます。」
【6】すると、
盤珪先生は、
「そうか、みんなが
山をおりるか。それなら
生徒を、ひとりのこらず、ここへよんできておくれ。」と、いいました。
【7】(やっと、
先生は、われわれのいうことをきいてくださったな。みんなのまえで、あのどろぼう
生徒をおいだすつもりなんだな。)
生徒たちは、そうおもいました。
やがて、
生徒が、のこらずあつまりました。
【8】どろぼう
生徒も、しらん
顔をしてきました。すると、
先生がいいました。
「このなかに、ひとの
物をぬすむ、わるい
生徒がいるということだ。そして、その
生徒を
学校から、おいだしてほしいとたのみにきた
者がいる。【9】もし、わたしが、その
不良生徒をおいださないなら、じぶんたちが
学校をやめて、でていくといってきた。
でていくがいいだろう。もともと、わたしはそのようにただしい
生徒たちに
教えることはなにもないのだ。【0】わたしが
教えたいのは、ひとの
物をこっそりぬすむような、わるい
心をもっている
生徒だけでいいのだ。どろぼうをするような
生徒を、いつまでも
教えて、ただしい
人間にしたいのだ。もしそれができたら、わたしはまんぞくだ。もうなにもいうことはない。」
生徒たちは、しんとしてしまいました。
(
今西祐行)
「
子どもに
聞かせるえらい
人の
話」(
実業之日本社)
長文 1.4週
【1】「
香りマツタケ
味シメジ」という
言葉にあるように、
私たち
日本人は、
秋になるとマツタケを
楽しみたいと
感じます。マツタケご
飯に、
土瓶蒸し、
焼マツタケ、
貴重で
高級な
味を
年に
一度味わって、
心も
体も
元気になるようです。【2】また、ふだんからシイタケ、エノキダケ、シメジ、ヒラタケ、マイタケ、エリンギなど、お
料理に
欠かせない
素材となるきのこもあります。このように
身近な
存在であるきのこは、いったいいつごろから
食べられるようになったのでしょう。
【3】
高松の この
峯も
狭に
笠立てて
みち
盛りたる
秋の
香のよさ
万葉集に
収められた
歌です。「
笠立てて」はマツタケがカサを
広げてはえている
様子、「
秋の
香」はマツタケの
香りのことです。【4】この
歌に
見られるように、
日本人は
少なくとも
奈良時代にはきのこを
食べていたと
考えられます。
更に
平安時代には、
貴族たちの
間で、
季節をいろどる
文化的行事としてマツタケ
狩りが
行われたそうです。
【5】きのこは、
光合成をしている
植物と
違って、
光がなくても
生きていくことができます。
昔は、
花を
咲かせない
植物であるシダやコケの
仲間と
考えられていたこともありますが、
今は
菌類として
植物や
動物とは
違う
生物だとされています。
【6】
植物や
動物は、
食べたり
食べられたりすることでつながり、バランスが
保たれています。
植物は
光から
栄養物をつくり
出す
生産者の
役割を
果たしています。
動物は、ほかの
生物を
食べて
栄養を
吸収する
消費者の
役割を
果たしています。【7】その
植物の
生産と
動物の
消費がうまく
流れていくように、
消費し
切れなかったものを
分解するのがきのこたち
菌類の
役割です。
きのこは、「
大きな
木にはえる
小さな
子ども」ではありません。【8】
自然界の
中では、
植物や
動物とならぶような
大きな
存在なのです。そう
思うと、おなべの
中でぐつぐつ
煮えているエノキやシメジが「
自然を
大切にするんだよ」と
語りかけるように
思えてきます。
【9】
同じように
見えるきのこにも、いろいろな
性格があります。のんきなエノキ、まじめなシメジ、じっとマツタケ、おいシイタケ、
筋肉もりもりマッシュルーム。【0】
言葉の
森長文作成委員会 μ
長文 2.1週
【1】
幸之助は、
自転車屋をやめました。そして、
知り
合いの
人をたよって、
電燈会社にはいり、
工夫になりました。ものおぼえのよい
幸之助は、
三年もすると、すっかり
電気のことをおぼえてしまいました。【2】そして、せっせとお
金をためて、こんどは、じぶんで
電気屋をはじめました。
電気屋といっても、
長屋をかりて、かんたんな
機械を
買いいれ、
電燈のソケットをつくったのです。
【3】でも、もともとわずかなお
金しかありませんでしたし、ソケットは、おもったように
売れませんでした。
(こまった、こまった。このままでは、せっかく
買いいれた
機械も、
売ってしまわなければ、あしたから、たべていけないじゃないか……。)
【4】
幸之助は、ある
日、
日がくれるのも
気づかずに、うでぐみをしてかんがえこんでいました。すると、となりの
家から、おかあさんと
子どもが、なにかしきりにいいあっている
声がきこえてきました。
【5】「
電燈をこっちへおくれよ。
本がよめないよ。」
「おかあさんだって、このしたてもの、どうしても、こんやじゅうに、しあげなけりゃならないんだもの、
電燈がいりますよ。おまえが、こっちへきて、
勉強すればいいじゃないか。」
【6】たった
一つ、へやにさがっている
電燈を、おかあさんと
子どもがとりあいっこしているのでした。
そのころは、どこの
家でも、
一つか
二つの
電燈を、あっちへひっぱり、こっちへひっぱりして、つかっていたのです。【7】
電燈線をふやすには、とてもたかいお
金がいりました。
幸之助は、そのとき、ふとかんがえました。
(もし、
一つの
電燈線から、かんたんにもう
一つの
線をひけるようにできたら……。【8】そうだ、ソケットをくふうして、ふたまたにすればいいじゃないか。ふたまたソケットをつくってみよう。)
あくる
日から、
幸之助はいっしょうけんめい、ふたまたソケットをつくりはじめました。
【9】「ほう、これはべんりなもんだな。」
ふたまたソケットは、どこの
家でもよろこばれ、とぶように
売れました。そして、
幸之助の
工場は、どんどん、
大きくなっていきました。
【0】むかし、
自転車屋ではたらいたことも、むだにはなりませんでした。ソケットのつぎに、
幸之助は、
自転車につける
電池のランプをつくって、またおおもうけをしたのです。
(
今西祐行)
「
子どもに
聞かせるえらい
人の
話」(
実業之日本社)
長文 2.2週
【1】「すまないなあ。おれの
給料がやすいから、おまえにくろうをかけるなあ。」
「いいえ、そんなこと。」
「ぬう
機械ができたら、
服をつくるのも、ずいぶんらくになるだろうな。」
【2】「ええ、そうすれば、こんなにかたもこらないでしょうし。それにねえ、あなた。もし、そんな
機械を
発明した
人は、
大金持ちになれるんですって。」
「ふーん、じゃあ、ひとつ、そいつを
発明してみるか。」
ハウは、じょうだんでなく、そういいました。
【3】びんぼうのために、
学校へいけなかったハウは、もう、びんぼうはこりごりでした。つまや
子どもには、らくをさせてやりたいとおもいました。
ハウは、さっそく、
機械の
研究に、とりかかりました。
【4】しかし、ちょっとかんがえたのでは、かんたんにできそうでしたが、どうしてどうして、なかなかむずかしいことでした。
またたくまになん
年もたちました。だが、ハウのミシンは、できませんでした。
【5】ハウは、つとめをやめて、ミシンの
発明にうちこんでいました。ハウは、あけてもくれても、ミシンのことばかりかんがえました。
糸のつかいかたや、はりのかたち、はりのうごかしかた……。いろいろ、くふうしてみましたが、なかなか、うまくいきませんでした。
【6】ハウは、
研究にゆきづまって、ぼんやり、つまのはり
仕事の
手もとを、
見ていました。
「おまえにらくをさせてやろうとおもったのに、かえってびんぼうさせちゃったなあ。」
「いいのよ。あなたの
成功をしんじているんですもの。」
【7】「ぼくは、ゆうべ、こんなゆめを
見たよ。ぼくは、
土人につかまっちゃったんだ。
土人の
酋長が、はやくミシンをつくれ、つくらないと、ひとつきだぞって、ぼくの
目のまえに、
槍をつきつけるんだよ。」
【8】「ほほほ、あなたが、いつも、はやくミシンをつくらなければっておもってるから、そんなゆめを
見るんですわ。」
「しかも、その
槍のさきにあながあいているんだよ。」
と、ハウはわらいました。ところが、そのわらいが、きゅうにハウの
顔からきえたのです。
「あっ、そうだ!」
【9】ハウは、
仕事場へとんでいきました。
ハウはいままで、りょうはしがとがったはりのまんなかに、あなをあけて、
糸をとおしていたのです。
だが、ゆめのなかの
槍のはさきのように、はりのさきに、あなをあけたらどうだろうと、かんがえたのです。
ハウは、さっそくためしてみました。【0】
(
長崎源之助)
「
子どもに
聞かせるえらい
人の
話」(
実業之日本社)
長文 2.3週
【1】わらをたばねたたわしでは、なかなかたるのすみっこがうまくあらえません。ほそいぼうのさきでほじくっては、またわらでこすって、
水をながすのです。
手はまっかにはれあがって、かじかむし、なかなかうまくいきません。
【2】(なにか、もうすこしいいものは、ないかな。)
正左衛門は、たるあらいをするたびに、かんがえました。あるとき、あらなわを、なん
本もみじかくきりそろえて、たばねてみました。しかし、あまりうまくいきませんでした。【3】わらくずが、やけにこまかくたくさんでます。
「たばねただけではだめだ。なにかでしっかりしばって、くずれないようにしなければ。」
そして、かんがえたのは、
垣根の
竹をしばってある、シュロなわでした。【4】
正左衛門は、たばねたわらを、シュロなわで、ぐるぐるまきに、かたくしばりつけました。あらなわのたばは、くずれなくなりました。
(そうだ、シュロは、こんなにつよいのだ。【5】なにも、たわしは、わらでなければならないことは、ないはずだ。シュロをたばねてみてはどうだろう。そうすれば、わらくずもつかないじゃないか。)
正左衛門は、さっそく、シュロばかりのたわしを、つくってみました。【6】
二つ
三つつくって、なかまの
小僧さんにも、つかってもらいました。
「こりゃ、なかなかいいたわしだ。わらくずがくっつかなくて、らくちんだよ。だが、どうもすこしこしがよわいな。たるのつぎめや、すみっこがうまくいかないや。」
【7】ともだちがいいました。そこでこんどは、シュロを
針金でしばって、シュロのさきをブラシのようにみじかくしました。この
針金でしばるしばり
方をくふうするには、ずいぶん
時間がかかりました。【8】そして、さいごにしあげたのは、
二本の
針金のあいだに、みじかいシュロの
毛をならべ、
針金をぐるぐると、ねじったものでした。すると、まるでシュロの
毛虫のようなものが、できました。
「なんだいそれは。なにをつくってるんだい。」
【9】なかまが
見てわらいました。すると
正左衛門は、その
毛虫の
両はしをもって、
二つにおりまげてつなぎました。
「なーるほど。」
みんな
感心しました。
【0】みごとにできました。わらくずはでないし、たるのすみずみまでブラシがきいて、たるあらいが、とてもらくになりました。
正左衛門は、そのかたちがカメににているので、かめのこだわしと
名まえをつけて
売りだしました。かめのこだわしは、
日本だけでなく、アメリカ、
中国やインドにもどんどん
売れて、
正左衛門は
大金持ちになりました。
(
今西祐行)
「
子どもに
聞かせるえらい
人の
話」(
実業之日本社)
長文 2.4週
【1】「あの
二人はまるで
水と
油のようだ」というたとえは、
仲が
悪いことを
表すのに
使われます。このい
方でもわかるように、
水と
油は
相性が
悪く、まったく
混じり
合いません。【2】ドレッシングは、よくふって
使いますが、しばらくおいておくと、また
水の
部分と
油の
部分に
分かれてしまいます。
ですから、
手に
油汚れがついてしまったとき、
水だけでは
洗い
流すことができません。【3】
油は、
水に
溶けないからです。
反対に、
水に
溶けやすい
汚れ、たとえば
醤油や
水性絵の
具のようなものは、
簡単に
水だけで
洗い
流すことができます。
水に
溶けるということは、
水と
手をつなぐことができるということです。【4】
水に
溶ける
汚れは、
水といっしょに
洗い
流されていくのです。
そこで、
水だけでは
落ちない
汚れのとき、
私たちは
石鹸を
使います。では、どうして
石鹸を
使うと、
油汚れを
落とすことができるのでしょうか。
【5】これには、
水とも
油とも
仲よくできる、
石鹸の
性質が
大きな
役割を
果たしています。
石鹸は、
水に
溶ける
部分と、
油に
溶ける
部分の
両方を
持っています。【6】このように、
水とも
油とも
手をつなぐことができる
性質を
持つものを「
界面活性剤」といいます。
石鹸の
成分は
一方の
手で
油と
手をつなぎ、もう
一方の
手で
水とも
手をつなぐので、
油は
水の
中に
溶け、
油汚れも
洗い
流されていくのです。
【7】みなさんが
日ごろ
食べているマヨネーズも、この
界面活性剤の
働きで
作られているのです。マヨネーズは、たまごの
黄身と
酢、
サラダ油が
主な
成分ですが、
酢と
油はそのままではうまく
混じり
合いません。【8】しかし、たまごの
黄身の
中に
含まれている「レシチン」という
成分が
界面活性剤となり、
酢や
黄身の
水分と
油をうまく
混ぜ
合わせるのです。そして、あのなめらかなマヨネーズができあがるというわけです。
【9】
仲が
悪い
人たちの
間に
入って、「まあそう
言わずに
仲良くやろうよ」とうまくまとめることができる
人は、「まるで
石鹸みたいにえらい
人だ」とほめてあげることができるかもしれません。【0】
言葉の
森長文作成委員会 τ
長文 3.1週
【1】ソクラテスが、ただしいことを、わかい
人たちにとくので、わるい
役人たちは、ソクラテスのことを、にくむようになりました。
学者たちも、ソクラテスのひょうばんをねたむようになりました。
【2】「ソクラテスを、このままにしておいたら、たいへんなことになる。」
「わかい
人たちは、みんな、ソクラテスのでしになってしまうかもしれない。」
そこで、
役人たちは、ソクラテスをろうやにおしこめ、とうとう
死刑にすることにきめました。
【3】ソクラテスのでしや、ともだちは、それをきいて、とても、しんぱいしました。
「なんとかして、ソクラテスをたすけることは、できないものだろうか。」
すると、ひとりが、いいました。
【4】「いいことがある。ろうやの
番人に、お
金をあげれば、にがしてくれるということだ。」
「それでは、わたしたちで、お
金をあつめて、
番人にわたして、ソクラテスをにがしてもらうことにしよう。」
みんなは、よろこんで、いいました。
【5】そして、クリトンという、でしが、ソクラテスにあいに、ろうやにいくことになりました。
クリトンが、ろうやのなかに、はいっていくと、ソクラテスは、まだ、ねむっていました。
【6】(こんな、りっぱな
先生を、アテネの
人びとは、どうして、ころそうとするのだろう。)
そうかんがえて、クリトンの
胸は、いっぱいになりました。
そのとき、ソクラテスが、
目をさましました。
【7】「クリトン。こんなはやく、どうして、きたのかね。」
ソクラテスが、いいました。
「
先生。たいへんです。あした、
先生は、
死刑になることにきまったのです。」
でも、ソクラテスの
顔色は、かわりません。
【8】「それで、みんなで、そうだんして、
先生をたすけだすことにしたのです。みんなで、お
金をあつめて、わたしがもってきました。このお
金を、ろうやの
番人にやれば、
番人は、
先生をにがしてくれます。
【9】
先生、どうか、わたしといっしょに、ここをにげてください。」
「なに、わたしに、にげろというのか?」
ソクラテスは、おこったように、いいました。
「わたしはこれまで、
国できめたきまりは、まもらなくてはいけないということを、おおぜいの
人たちに、はなしてきた。【0】それなのに、じぶんが、
死刑になるからといって、
国がきめたことをやぶってもいいだろうか。そんなことは、わたしには、できない。
わたしは、いままで、ただしいとおもったことをいい、ただしいとおもったことをおこなってきた。いまのわたしにとって、いちばんただしいことは、
国のきまりにしたがって、
死ぬことなのだ。」
クリトンは、じっと、ソクラテスの
顔を
見つめたまま、だまってしまいました。ソクラテスのほおには、
赤みがさし、
目には、かがやきが
見られました。ちからづよい、あかるい
声ではなしてくれたソクラテスのことばは、クリトンの
胸をゆすぶりました。
(
大石真)
「
子どもに
聞かせるえらい
人の
話」(
実業之日本社)
長文 3.2週
【1】
李広は、トラをさがしながら、どんどん
山おくへはいっていきました。
七日七夜、やすみもしないで、トラをさがしました。けれども、トラのすがたは
見えません。
【2】「ああ、いったい、おとうさんをころしたトラは、どこへいってしまったのだろう。」
八日めのことです。
李広はふかい
谷間におりていきました。
日がくれたのもわすれておくへおくへとはいっていきました。【3】そのはずです。
空にはまんまるのお
月さんがでていて、あたりはまるで
昼のようにあかるかったのです。
しばらくすると、ウマがぴっと
耳をたててとまりました。
【4】
見ると、とおくの
木かげに、
大きな、
大きな、トラが、こちらをむいて、ねそべっています。
「あっ、ついにいたぞ。おとうさんをころしたトラにちがいないぞ。」
李広は、いちばん
大きな
矢をぬいて
弓につがえました。【5】そして、じりじりとウマをすすめてちかづきました。
ウマをすすめると、トラも
気がついて、うごいたようにおもえました。
「よし、いまだ。」
李広は、ちからいっぱい
弓をひきしぼり、トラの
目と
目のあいだをねらって、はなちました。
【6】みごとにめいちゅうしました。
一本の
矢で、トラはうごかなくなったようです。
「おとうさんのかたきをとったぞ。」
李広は、ウマからとびおりると、
刀をかまえて、トラのところへかけつけました。
【7】ところが、どうでしょう。トラだとばかりおもっていたのはかたい
岩です。
岩が、
木かげをとおしてさしてくる
月の
光で、トラそっくりに
見えたのです。しかし、おどろいたことに、
矢は、かたい
岩に、まちがいなくつきささっていました。
【8】
李広は、ざんねんにおもうより、かたい
岩に
矢がささったことがふしぎでなりませんでした。
李広は、
岩にむかって、もう
一度弓をひいてみました。【9】しかし、
矢は、カチンと
音をたてて、はねとんでしまいました。
李広が、にくいにくいトラだとおもいこんでいたからこそ、
岩にも
矢がささったのです。【0】
(
今西祐行)
「
子どもに
聞かせるえらい
人の
話」(
実業之日本社)
長文 3.3週
【1】そのころのロシアは、イギリスやオランダなどの
国とくらべて、いろんなところがおくれていました。
なかでも、
大帝のいちばんのしんぱいは、ロシアに
船があまりないことでした。ものをはこぶ
大きな
汽船も、いくさをする
軍艦もほとんどないのです。
【2】(こんなことでは、ロシアは
大きくはなれぬ。ゆたかな
国になれぬ。)
大帝はまず、
船をつくることに、いっしょうけんめいになりました。
外国から
船のだいくをよんできて、さかんに
船をつくらせました。
【3】でも、なん
年かたつと、かんがえなおしました。
(
外国人に、まかせっぱなしでは、いつまでたっても、ロシア
人は、じぶんで
船をつくることはできない。
船だけでなくほかのことでも、
外国人をよんできいていてはほんとうのことはわからない。【4】われわれが
外国へいって、じかにまなんでくるほうがはやい。
よし、できることなら、わしも
船だいくになって、
船のつくりかたぐらい、おぼえてこよう。)
大帝は、このことを
家来にはなしました。
【5】「とんでもございません。
大帝はロシアをせおってたたれる、たいせつなお
方です。いくら
勉強のためとはいえ、
船だいくになられることは、おひかえください。」
家来たちはとめましたが、
大帝はききません。
【6】それどころか、さっさとオランダやイギリスなどへいく
人たちをきめてしまいました。そして、
二百人ほどのこれらの
人のなかに、こっそり、
大帝も
名まえをかくしてはいりました。
【7】「よいか。これからは、わしはピョートルミハイロフというロシアの
兵隊じゃ。
大帝などとよんではならぬぞ。」
「はい。かしこまりました。
大帝。」
「これこれ、だから、
気をつけろというのだ。」
【8】こうして
大帝たちが、オランダへいったのは
一六九七年、
大帝の
二十五さいのときです。
「なるほど。オランダは、
世界でもひょうばんの
海の
国といわれるだけあって、なかなかさかんな
国だ。よし、まず、このオランダの
造船所の
船だいくになろう。」
【9】
大帝はしんぱいする
家来たちとわかれて、こっそり、
船だいくのでしになりました。
(
中略)
まもなく、ピョートル
大帝のちからで、ロシアはみちがえるほどりっぱな
国になったことは、いうまでもありません。【0】
(
神戸淳吉)
「
子どもに
聞かせるえらい
人の
話」(
実業之日本社)
長文 3.4週
【1】
今から
五千年くらい
前の
古代ローマの
時代、「サポーの
丘」というところにあった
神殿では、いけにえの
羊を
焼いて
神に
捧げるという
習わしがありました。この
羊の
脂がしたたり
落ちて
木の
灰に
混じり、
土に
染み
込んでいきました。【2】この
土が
汚れをよく
落としたことから、
石鹸として
使われるようになったといわれています。
英語で
石鹸のことを「ソープ」といいますが、これは、この
丘の
名前の「サポー」から
来ているそうです。
【3】また、
同じころ、
現在のイラクのあたりで
栄えていたメソポタミア
文明でも、
石鹸の
作り
方がわかっていたようです。シュメール
人が
残した
粘土の
板には、くさび
形文字で、
木の
灰にいろいろな
油を
混ぜて
煮ると
石鹸ができると
書いてあります。
【4】このことからもわかるように、
石鹸は、
動物や
植物の
油を、
灰汁などの
アルカリ性の
液体で
煮ると
作ることができます。
灰汁というのは、
植物の
灰を
水に
溶かしたその
上澄みです。【5】しかし、
アルカリ性の
液だけでも
汚れはいくらか
落とせることから、
人々は
洗濯には
灰汁を
使うことが
多かったようです。
【6】
日本に
石鹸が
入ってきたのは、
室町時代の
終わりごろです。
鉄砲などと
同じように、
石鹸はポルトガル
人が
持ってきたものです。しかし、
高級品だった
石鹸は、
身分の
高い
人たちだけのものでした。【7】
一般の
人々は、
洗濯には、ムクロジという
木の
実やサイカチという
木の
実のさや、そして
灰汁を
使っていました。
ちなみに、ムクロジの
木の
実の
種はかたく、お
正月のはねつきの
羽のおもりに
使われています。【8】この
実の
外側の
皮を
水につけてもむと、
泡が
出て
石鹸のように
使えたのです。
こんなに
古い
歴史を
持つ
石鹸ですが、だれでも
気軽に
洗濯に
使うことができるようになったのは、
日本では
明治時代の
後半になってからです。
【9】
手を
洗うとき、
私たちも
古代ローマのいけにえの
羊に、
感謝しなくてはなりませんね。
「ヒツジさん、
石鹸のもとになった
感想をひとこと。」
「まあ、セッケン(
世間)ではそう
言っているけどね……。」
「いけにえは、もうこりごりですか。」
「そうぷ。」【0】
言葉の
森長文作成委員会 τ