ヘレンは
一歳半のころ、
重い
病気で、
目が
見えなくなり、
耳も
聞こえなくなりました。
声を
出すことはできましたが、
他の
人の
話が
聞こえないため、
正しく
話すこともできませんでした。そのために、
人に
思っていることをうまく
伝えられずに、
毎日癇癪をおこしてはあばれ、まるで
動物のように
手づかみでものを
食べるというような
生活ぶりでした。
家族の
人たちは、いったいこの
子は
将来どうなってしまうのだろうと、
胸がつぶれる
思いでした。
ぽかぽかとおひさまがほほえむ
四月のはじめ、
運命の
日がやってきました。サリバン
先生は、
庭の
井戸から
水をくみ、ヘレンの
手をとって、そのつめたい
水をかけました。
ヘレンはおどろいて
手をひっこめました。その
手をまたとって、サリバン
先生は
水をかけました。
何度かそうするうちに、ヘレンは
気持ちよさそうに、
手をのばしたままにしました。そこで
先生は、ヘレンの
手のひらに
指でこう
書きました。
「
w a t e r」
ウォーター、そう、
水のことです。ヘレンは
不思議そうな
顔をしています。そこで、サリバン
先生はもう
一度、その
手に
水をかけました。そして、すぐにまた、「water」と
書きました。ヘレンは、
考えているようすです。さらに
先生が、ヘレンの
手に
水をかけたところ、ヘレンがうなずいたのです。すかさず、
先生は「water」と
書きました。すると、へレンが、
先生の
手を
探りあて、
同じように
何かをその
手に
書こうとしました。
「わかってくれたのね」サリバン
先生は、
胸の
高鳴りをおさえつつ、ヘレンの
手をとり
自分の
顔に
持って
行き、ほおをなぞらせたあと、くちびるにあてがいました。それから、ゆっくりとそしてはっきり、
発音しました。
「ウ、ォーター」
もう
一度、
言いました。
「ウォーター」
すると、ヘレンもまねをするようにくちびるを
少しうごかしました。
息とも
声ともつかないかすかな
音がヘレンの
口から
出ました。
この
日のことをサリバン
先生は
一生忘れなかったでしょう。
目が
見えず
耳も
聞こえず、
口もきけなかったヘレンが、
生まれてはじめて
言葉にふれた
瞬間です。ヘレンは、
服をびしょぬれにしながら、
何度も
水にさわり、
先生の
手をとって、
文字らしきものをその
手に
書き、くちびるを
動かしました。サリバン
先生も、よろこびの
涙と
水でぐしゃぐしゃになりながら、「ウォーター」「ウォーター」と
繰り
返すのでした。
言葉の
森長文作成委員会(
φ)
今、
地球上には、
百五十万種類を
超える
生物がいます。そのうちの
八十万種類が
昆虫で、
四十万種類が
動物で、
残りの
三十万種類が
植物です。もし、
世界が
十種類の
生物の
村だったら、
五種類が
昆虫で、
三種類が
動物で、
残りの
二種類が
植物ということになります。
昆虫の
種類がずいぶん
多いということがわかります。もしかすると、
昆虫がこの
地球でいちばん
元気よく
暮らしていると
言えるのかもしれません。そう
言えば、ゴキブリなどは、
元気のかたまりのようです。
生物は、
約三十億年前に
原始的な
生物から
進化してきました。
進化の
過程で
絶滅した
生物も
含めると、
今の
生物の
種類の
百倍、
一億五千万種類もの
生物がいたと
推定されています。
どの
生物も
自分が
生きるのに
都合のよい
形をしています。
例えば、キリンは
首が
長いので、
遠くにいる
敵を
見つけたり、
高い
木の
枝の
葉を
食べたりすることができます。ゾウは
鼻が
長いので、
自分の
鼻をホースがわりにしたり、
鼻を
手のように
使ったりすることができます。
三グラムしかないジネズミは、
自分の
小ささをうまく
生かして
生きています。
逆に
百三十トンもあるクジラも、
自分の
大きさをうまく
生かしていきています。このジネズミとクジラがシーソーをしたとすると、つりあいを
取るためには、
一頭のクジラの
反対側に、
四千万匹以上ものジネズミがぶらさがらなければなりません。これぐらい
違いのある
生物がそれぞれ、
自分の
長所を
上手に
生かして
生きているのです。
このように
多くの
種類の
生物がいる
理由を、
昔は、
神様が
作ったからだと
考えていました。しかし、いくら
神様でも、
百五十万種類もの
生物を
作るのは
大変です。それでも、
昔の
人は、
神様ならそういう
神業ができると
考えていたのです。
十八世紀に、ゾウの
化石を
研究した
学者が、
生物の
中には
既に
絶滅したものがあるということを
発見しました。ラマルクは、この
考えを
発展させて、
生物の
種が
変化するという
説を
述べました。
例えば、キリンは、
高いところに
生えている
葉を
食べるために、
首を
長く
伸ばしているうちに、
今のようなキリンになったと
言うのです。
しかし、この
説には
重大な
弱点がありました。
確かに
一頭のキリンの
一生に
関して
言えば、
高いところの
葉を
食べようとしているうちに、だんだんと
首が
長くなるということは
言えるかもしれません。しかし、その
首の
長さがそのまま
子供に
受け
継がれるかどうかということはわかりません。
みなさんのお
父さんやお
母さんが
子供のときにしっかり
勉強してくれたおかげで、あなたは
生まれつき
何でも
知っていたということになれば、これほどいいことはありません。しかし、
実際には、あなたはあなたでまた
最初からお
父さんやお
母さんがしたのと
同じ
勉強をしなければなりません。こういうことを
見ると、
親の
獲得した
能力がそのまま
子供に
受け
継がれるということはないようです。
ラマルクの
説を
批判する
学者は、
次のような
実験をしました。まず、ネズミのしっぽを
短く
切ってしまいます。ネズミにはかわいそうですが、しっぽだけなので
命には
別状がなかったというところが
少しほっとするところです。このしっぽを
切ったネズミから
生まれたネズミのしっぽも、また
短く
切ってしまいます。このようにして、
何代もしっぽを
短く
切ったにもかかわらず、
生まれる
子供はいつもしっぽの
長いネズミでした。
しかし、この
実験は、ラマルクの
説を
批判するにはあまり
確かなものとは
言えませんでした。なぜなら、ネズミは
自分から
進んでしっぽを
短くしようとしたのではなく、
無理矢理しっぽを
短くさせられたからです。この
実験のために
何匹ものネズミのしっぽを
切った
学者は
今ごろ、「しっぽの
実験はしっぽい(
失敗)だったなあ」と
思っているかもしれません。
言葉の
森長文作成委員会(
Σ)
山んばのにしき3
【1】そこで、いろりの
火をどんどんもやし、でっかいなべにくまのすまし
汁こさえ、もちいれて
食った。まず、そのうまいこと、ばんばは、
腹いっぱいになったと。
【2】「やれ、ごちそうだったこと。そんではおら、これで
村へかえらしてもらうから。」
ばんばがそういうと、
山んばは、
「なに、そんなにいそぐことはねえ。ここにはてつだいもいねし、
二十一日ほどてつだっていってくれや。」
といった。
【3】しかたなくあきらめて、あかざばんばは、
水くんだり、
山んばの
足もんだり、きょう
食われるか、あすこそ
食われるかとおもいながら、はやいもので
二十一日たってしまった。
【4】そこで、ばんばはおそるおそる、
「
家でもしんぱいしてるべから、かえりたいども。」
というと、
「なんとやっかいかけたな。
家のつごうもあるべから、かえってくれ。なんの
礼もできんが、にしきを
一ぴきくれてやる。【5】これは、なんぼつかっても、つぎの
日には、またもとどおりになっている、ふしぎなにしきだ。
村の
人たちには、なんにもねえどもだれもかぜひとつひかねよに、まめでくらすよに、おれのほうで
気をつけてやるでえ。」
【6】
山んばは、そういうと、がらに、
「がら、がら、ばんばをおぶっていってやれ。」
といいつけた。
「なに、おら、あるいてかえるから。とんでもねえ、おぶさるなんて。」
【7】ばんばは、あわてて
手をふったが、がらはすっとんできて、ばんばを、ひょいとせなかへのせ、
「
目え、ふさいでれ。」
といったかとおもうと、
耳のあたりにすうすう
風がふいていく。【8】とんと、
地面におろされて、
目をあけてみれば、そこはなんと、ばんばの
家のまえであった。
「がら、がら、よってやすんでいけ。」
といったときには、もう、がらのすがたはなかった。
【9】ばんばが
家の
中へはいろうとすると、
なんまんだあ なんまんだあ
なんまんだあ なんまんだあ
と、お
経をあげる
声がする。それにまじって、おうえ、おうえ
泣く
声もして、どうやら、だれかが
死んだようだ。【0】ばんばはたまげて、
「だれか
死んだかやえ。」
とはいっていった。すると、
「ひえ、ゆうれいだ。たましいがかえってきたど。」
と、あつまっていた
村じゅうのもんが、
目えむいたり、ひっくりかえったり、でかさわぎになった。
「ゆうれいなものか。おらだ、あかざばんばがいまもどったど。」
「ほんとか、ほんとにばんばは、
生きているだか。」
村の
衆は、
泣いてよろこんだと。
そこで、ばんばは、
「さあさあ、
山んばのにしきをやるべ。」
と、
村じゅうに
山んばのにしきを、きってはわけ、きってはわけ、じぶんの
手もとには、ほんのすこししかのこさなかったと。しかし、つぎの
日になってみると、ばんばの
手にのこったにしきは、もとどおりになっていたそうな。
村の
人たちは、みたこともないにしきを、ふくろにしてさげたり、はんてんにしたり、おおよろこびで
家の
宝にしたと。
そして、それからというもの、
村の
人たちは、かぜもひかず、みんな、らくにくらしたということだ。
とっぴんぱらりのぷう
「
日本のむかし
話1(
松谷みよ
子)
講談社青い
鳥文庫」
暑かった
夏も
終わりに
近づき、
涼しい
風が
吹き
始めるころ、
夜になると
虫たちの
声が
聞こえてきます。そんな
虫たちの
鳴き
声は、
秋の
到来を
知らせてくれます。
生まれつき
日本語を
使っている
人は、
自然の
音を
左脳で
聞きます。
左脳は
言葉を
理解する
脳ですから、
虫の
音も
声のように
聴こえます。これに
対して、
英語など
欧米の
言葉を
使っている
人は、
自然の
音を
右脳で
聞きます。
右脳は
音楽を
感じる
脳ですから、
虫の
音は
雑音にしか
聴こえないそうです。
コオロギ、キリギリス、スズムシ、マツムシ、ウマオイ、カンタン、クツワムシなど、
秋に
鳴く
虫にはいろいろな
種類がいますが、
大きく
分けるとコオロギ
類とキリギリス
類に
分けられます。
上から
見て、
右羽を
上にして
鳴くのがコオロギ
類、
左羽を
上にして
鳴くのがキリギリス
類です。「
右」という
漢字の
左半分を
消すとコオロギの「コ」という
字に、「
左」という
字の
左半分を
消して、たての
棒を
少し
伸ばすとキリギリスの「キ」という
字になります。これが
覚え
方です。
コオロギ
類には、コオロギ
科やカネタタキ
科の
虫がいます。キリギリス
類には、クサキリ、クツワムシ、ウマオイなど、たくさんの
虫がいます。どちらの
種類も、
鳴き
羽を
持っているのはオスだけです。なぜなら、
虫が
鳴くのはメスを
呼ぶためだからです。また、
自分の
縄張りを
他のオスに
知らせるために
鳴くこともあります。
コオロギは、「コロコロ」と
鳴いたり、「リーンリーン」と
鳴いたりします。スズムシは、その
名のとおり
鈴のように、「リンリン」と
鳴きます。「ガチャガチャ」とうるさく
鳴くのはクツワムシ。まるでスイッチがオンになったように「スイッチョン」と
鳴き
始めるのはウマオイ。「リーリーリーリー」と
簡単な
鳴き
方をするのはカンタンです。いろいろな
音色を
楽しむことができる
秋の
夜の
草原は、まさに
地球のコンサート
会場です。
言葉の
森長文作成委員会(
Λ)