(Translated by https://www.hiragana.jp/)
課題集
長文 4.1週
【
長文が
二つある
場合、
音読の
練習はどちらか
一つで
可。】
【1】「
大丈夫、
寒くない、
寒くないぞ。」
僕はドアを
開けて
外へ
飛び
出した。
もうすっかり
春とはいえ、
半ズボンはさすがに
寒い。しかし、これに
負けていてはいけないのだ。
僕には
自分を
鍛え
直して
健康になるという、
大きな
目標があるのだから。
【2】
僕は
体が
弱い。すぐに
喉が
痛くなって
熱が
出るし、お
腹を
壊すし、
貧血になる。
苦しい
思いはたびたびしてきたが、
今までそれで
困ったことはなかった。
周りもみんな
気をつかって、
助けてくれていたからだ。
【3】だが
去年、
僕は
高熱を
出してしまい、
林間学校に
参加することができなかった。その
旅の
様子は、みんなから
聞いた
話と、
撮られた
写真でしか
僕には
分からない。みんな
最高に
楽しそうな
笑顔で
写真に
写っている。
【4】
誰にからかわれたわけでもなかったが、
自分がみじめで
悔しい
思いがした。だから
僕は
一念発起したのだ。
今年は
日光への
修学旅行がある。それには
絶対に
参加するのだ、と。
そのため、
手始めに
僕は
半ズボンをはいて
通学し、
寒さに
慣れることにした。
【5】「
大丈夫、
恥ずかしくない、
恥ずかしくないぞ。」
僕は
自分にい
聞かせて、ドアを
開けて
教室に
飛び
込んだ。
見慣れない
僕の
半ズボン
姿に、
友人たちは
実にいろいろな
反応をした。「えっ。」という
表情になる
人もいたし、「なに、その
格好。」と
笑う
人もいた。【6】しかし、そのくらい、なんてことはない。これは
目標達成のための、
僕なりの
努力なのだ。
笑いたければ
笑えばいいという
感じである。
そもそも、
体育のときはみんな
短パンで
運動しているのだ。
私服の
半ズボンだけ
恥ずかしがることはないはずだ。【7】
僕はいつもどおりに
挨拶をして、
席に
座った。
僕の
覚悟が
伝わったのか、
友達もすぐに
何も
言わなくなった。
目標のためなら、
人間は
大胆な
行動がとれる。むしろ、
大胆な
発想や
決断なくしては
人間の
進歩はないと
言っていい。【8】そう
考えると、
僕の
似合わない
半ズボン
姿だって、まるでピカソの
芸術やエジソンの
発明のように
輝かしいものではないだろうか。
この
前の
朝礼のとき、
校長先生が「
寒い
日が
続きますが、
今朝、
私の
横を
元気に
駆け
抜けていった
生徒が
半ズボンで……」という
話をした。【9】それは
間違いなく、
僕のことだ。やはりこれは
誇っていいことなのだと
実感した。
僕はこれからも
半ズボンをはき
続けていこう。
「
大丈夫。
寒くないぞ。」
僕は、
今日も
半ズボン
姿で
元気に
学校に
向かう。【0】
(
言葉の
森長文作成委員会 ι)
【1】こうしてこれまでに
人間は、
平和のための
備えをし、
平和のためと
称する
戦争を
始め、いつしかそれが
人間から
平和を
奪うただの
戦争になっていた、という
経験をしばしばしてきました。【2】
備えをすることが
全く
不要だとは
言えないでしょうが、
平和というものが
相手のある
問題、
他者との
関係である
以上、
備えさえあれば
平和でいられるという
単純なものではないことも、
次第に
明らかになってきたのです。
【3】
加えて、
平和についての
思索が
進むにつれ、こういう
別の
問題も
意識されるようになります。すなわち、
戦争さえなければそれで
平和と
言えるか――。
たとえば、
多くの
人々が
極度の
貧困にさいなまれ、
飢えに
苦しんでいるような
社会は
平和だろうか。【4】また、
人種や
性による
差別が
根強く
残り、
女児の
就学率が
男児のそれよりもいちじるしく
低いような
社会は
平和だろうか。あるいは、
字が
読めないばかりに
十分な
社会参加ができず、
自分たちが
不利益をこうむっていることさえ
気づかない
人がたくさんいる
社会は
平和か。そういう
問題です。
【5】
一九六〇
年代も
終わる
頃、それらもまた
暴力と
呼ぶべきだ、と
主張する
学者が
現れました。ノルウェーのヨハン・ガルトゥンクという
人です。【6】いま
述べたさまざまな
問題は、
誰かが
誰かを
殴ったり
殺したりするという
意味での
暴力ではないが、みずから
望んだわけではない
不利益をこうむる
人は
確実にいるのだから、それもまた
別のかたちの
暴力と
呼ぶべきだという
考え
方で、その
種の「
暴力」に「
構造的暴力」という
名前をつけました。【7】これに
対し、
人を
殴ったり
殺したりするような
種類の
暴力を「
直接的暴力」と
呼びます。
「
構造的」という
言葉づかいはあまりなじみのないものかもしれませんが、おおよそ
次のような
意味です。たとえば、
一つの
社会の
中で、
一方には
巨額の
富を
占め、
飽食している
人がいる。【8】もう
一方にはいくら
働いても
十分な
収入が
得られず、あるいは
職さえも
得られず、
十分な
食糧さえ
得られない
人がいる。それが
当人たちの
能力ややる
気の
問題ではなく、
富の
配分の
仕組みが
不適切であることの
結果であるとしたなら、また、
特定の
人種や
性が
原因でなかば
自動的に
貧困や
飢餓の
中に
閉じ
込められているとしたなら【9】――それは
社会構造が
原因で
生み
出されている
暴力と
呼ぶほかないのではないか。
富める
人々が
貧しい
人々を
殴りつけて
飢えさせているのではなく、したがって
加害者は
特定できないが、
社会構造の
被害者はいるという
意味での「
暴力」なのではないか。【0】
この
構造的暴力論は、それまでの
平和論の
見落としていた
点を
浮き
彫りにし、
新たな
地平を
開くものでした。それまでは「
戦争のないこと」が「
平和」だとされていたのに
対し、
戦争がなくとも「
平和ならざる
状態」はある、という
視点を
理論化するものだったからです。その
背後には、
平和とは
何より
社会正義の
問題なのではないか、という
問題意識があります。
人間が
自分の
責任によらないことで
差別され、
排除され、
悲しみ、
傷つくのは
平和とは
言えないのではないか、という
問題意識です。
平和研究の
課題は
一挙に
広がりました。
戦争や
武力紛争や
軍拡が
主題だった(
少なくともそう
信じられていた)のに
対し、
貧困や
開発や
人権や
平等といった、いわば
非軍事的な
社会問題に
関心を
広げていったのです。いまでも
平和研究といいますと
戦争や
軍拡の
研究ですねと
言う
方が
少なくありませんが、けっしてそうではありません。それ
以外の
問題に
対する
関心も
高く、その
中にはジェンダーとか
環境とかいった、
今日的な
問題も
含まれます。それは
単に「
研究対象を
広げた」ということではありません。
暴力の
意味が
変わり、
平和の
意味が
変わったからそれらの
問題が
必然的に
平和研究に
入り
込んできた、ということなのです。
(
最上敏樹『いま
平和とは』)
長文 4.2週
【1】
里山を
歩いていると
何人ものハイカーとすれちがいます。それぞれの
人は
何かの
楽しみを
求めて
里山を
訪れているのです。
遠い
故郷のかわりに、ダイエットのため、おいしい
空気を
吸うため、
写真をとったりスケッチをするため、バードウォッチングのため、つりのため、などさまざまでしょう。【2】それぞれの
目的を
気持ちよく、
楽しく
達成させてくれるのが
里山の
景観であり、それを
構成する
野生生物を
中心とした
自然です。
奥武蔵の
里山を
訪れたときのことです。
秋の
終わりで
道ばたの
草もほとんど
枯れていました。【3】せまい
谷間に
農家が
点々とあり、だんだん
畑がきれいに
整備されています。
雑木林やスギ
林もきれいに
手入れされています。たいへん
美しい
景観です。しかし、
村のあちこちに
立てられた
看板が
目ざわりです。【4】
看板には、「
駐車禁止」とか「ゴミを
捨てるな」とか、「
私有地につき
立ち
入り
禁止」とか、「
山野草の
花をつむな」とか、そして「
山野草の
採集は
窃盗罪」とまで
書いてあります。
何か
殺伐としています。
里山をきれいに
維持している
村の
人びとにとって、ハイカーのマナーの
悪さは
目にあまるのでしょう。
(
中略)
【5】
今、
美しく
維持されている
里山は、
必要なてまひまをすべて
山里の
人びとの
善意に
負っています。たまに
訪れる
私のようなハイカーが
里山を
楽しむとき、
山里の
人びとの
善意にただあまえているだけです。また、
里山には
治山、
治水という
機能があります。【6】
山が
荒れて
土砂を
川に
流しこみ、
中流や
下流に
水害をおこさせないようにするはたらきです。おいしい
水を
川へゆっくり
供給するという
機能もあります。
私は、
里山を
私有財産という
枠組みのなかだけで
考えていたのでは
守れないと
思います。【7】
都市に
暮らす
人びとが、
大切な
里山を
維持してもらえるように
山里の
人びとに
対して
相応の
負担をするべきではないかと
考えています。それは
金銭的な
補助もあるでしょうが、
人手が
不足している
里山で
下草刈りなどの
世話をするボランティア
活動であってもいいと
思います。【8】
里山は
人間によってつくられ、
維持されてきた
自然だということを
考えると、
都市の
人びとがここを
訪れて
仕事をする
後者のほうがよいと
思いますが。これに
行政側が
資金的な
援助をすればよいのです。
【9】
早春になると
里山のウグイスは
町までおりてきます。このころには
立派に「ホーホケキョッ」とさえずることができるようになっています。すこし
前まで
東京の
町でもウグイスのさえずりをたくさんきくことができました。【0】
最近では
都会のウグイスが
少なくなってきたような
気がします。
都会の
緑が
少なくなってきたことが
原因でしょう。それに、
緑があっても、かなりとびとびになってしまったことも
関係します。ウグイスはしげみを
好む
野鳥だからです。
鳥ですから
空をとべますが、
体をむきだしにするのは
不安なのでしょう。これでは
都会にやってくることはできません。
雑木林に
生活する
野生動物たちのなかには
一生をそこで
終えるものもいますが、
一時期だけ
訪れるものもいます。
一日の
間にある
雑木林から
別の
雑木林へと
移動しながら
食べ
物を
食べるサルのような
動物もいます。
里山と
平地を
行ったり
来たりするウグイスのような
動物もたくさんいます。
開発が
進む
里山では、
新しい
道路がつくられ、
野生動物たちが
訪れる
林が
分断されることが
多くなりました。このため、
里山の
野生動物の
交通事故がめだってふえているようです。「シカに
注意」とか、「タヌキに
注意」といった
道路標識を
見かけることが
多くなっています。これまたとうぜんですが、シカやタヌキにはこの
道路標識は
読めません。
人間の
側の
注意と
配慮がもっと
必要です。
野生動物たちにとっていちばんいいのは
緑のコリドー(
回廊)です。
野生動物の
体をかくしてくれる
緑の
廊下です。
緑のコリドーとは
人間が
立ち
入らないことにします。
野生動物たちは
安心して
緑のコリドーを
伝わって
移動できます。
工事費が
多少高くついても、
道路の
一部を
地面より
下のトンネルなどにして
緑のコリドーをつくる
工夫が
必要でしょう。
(
山岡寛人『
自然保護は
何を
保護するのか』
長文 4.3週
【1】
読書の
楽しみは
一人でできる
楽しみです。
碁を
打つには
相手がいる。
野球を
楽しむには
自分の
他に
少なくとも
十七人の
賛同者が
必要でしょう。そういう
楽しみは、いつでもどこでも、というわけにはゆきません。【2】
道具や、
設備や、
場合によっては
途方もなく
広い
場所がなければ、どうにもならない。
読書の
方は、
設備も
要らず、どこかへ
出かけるにも
及ばず、
相手と
相談もせず、
気の
向くままにいつでもどこでもできます。【3】
蛍の
光窓の
雪というのは、
貧富の
差が
大きく、
灯火用の
油の
値段が
高すぎたむかしの
話です。
今は
電気がいたるところにあるので、
誰でも、
望めば
昼となく
夜となく
好きな
本を
読むことができるでしょう。こんな
便利な
娯楽はめったにありません。
【4】しかも、
当方の
体力とはほとんど
関係がない。
老人子供、
病人でも、
多くの
場合には、それぞれ
読んで
楽しめます。
疲れているときでも、
易しい
疲れない
本を
選びさえすればよい。しかもカネがかからない。【5】
本が
高くなったといっても、どこかの「ファミリー・レストラン」で
二、
三度食事をする
値段で、
大抵の
本は
買えます。それでも
買えないほど
高い
本は、
公共図書館にあり、そこから
借りればタダですむでしょう。こんなに
安くて
便利な
楽しみを
知らぬ
人がいるとすれば、その
気の
毒な
人に
同情しなければなりません。
【6】「オーディオ・ヴィジュアル」の
情報が、
活字情報を
駆逐する(
追いはらう)
時代が
来た、という
人がいます。「ヴィジュアル」とは
感覚的ということで、たとえば
肖像写真が
一人の
男または
女の
顔を
示すのは「ヴィジュアル」な
情報です。【7】しかしその
他の
誰とも
違う
顔の
特徴を
言葉であらわすのは
容易なことではありません。
肖像写真は、
活字の
何十ページ、いや、おそらく
何百、
何千ページに
相当する
情報を
一挙に
伝えることができます。【8】しかしその
男または
女が、
昨日はソバを
食べた、
明日はウドンを
食べるだろう、という
活字の
一行に
相当する
情報を
伝えることはできません。
肖像写真は
人物の
顔の
現在であって、
過去も、
未来も、
表現できない。【9】「ヴィジュアル」な
情報と
言葉による
情報(そのひとつが
活字情報)とは、
互いに
他を
補うので、
一方が
他方を
駆逐するのではないし、
一方が
他方に
代わるのでもありません。
言葉は
耳で
聞くこともできます。
耳で
聞くのが「オーディオ」。【0】
活字の
文章は、
声に
出して
読んでテープレコーダーに
記録することができるでしょう。しかしそうすることが
便利な
場合と、
不便な
場合があります。
活字の
文章でなく
音楽の
記録ならば、あきらかにテープレコーダーが
便利な
道具です。
六法全書をテープレコーダーに
吹き
込むのは、あまりに
不便だから
誰もしないことです。
要するに
活字時代の
後に「オーディオ・ヴィジュアル」の
時代が
来たのではなく、
活字情報に「オーディオ・ヴィジュアル」の
情報が
加わったというだけのことです。どちらも
楽しめばよいので、どちらか
一方だけを
選ぶ
必要はまったくありません。
それでは
読書そのものに、どういう
種類の
楽しみが
伴うでしょうか。それは
人により、
本によって
違うでしょう。もし
共通の
楽しみがあるとすれば、それは
知的好奇心のほとんど
無制限な
満足ということになるかもしれません。
世の
中には
好奇心を
刺激する
対象が
数限りなくあるでしょうから、
対象を
移して、
好奇心の
満足を
広げてゆくこともできるでしょう。
読書の
楽しみは
無限です。
時間をもてあましてすることがない、といっている
人の
心理ほどわかりにくいものはありません。
人生は
短く、
面白そうな
本は
多し。
一日に
一冊読んでも
年に
三百六十五冊。そんなことを
何十年もつづけることは
不可能で、
一生に
一万冊読むのもむずかしいでしょう。それは、たとえば
東京都立中央図書館の
蔵書一五〇
万冊以上の
一%にも
足りないということです。
面白そうな
本を
読みつくすことは
誰にもできないのです。すべての
本は
特定の
言語で
書かれています。
日本で
出版される
大部分の
本の
場合には、
日本語です。
本を
沢山読むということは、
日本語を
沢山読むということであり、
日本語による
表現の
多様性、その
美しさと
魅力を
知るということもあるでしょう。
私は
本を
読んで
日本語の
文章を
楽しんで
来ました。それも
読書の
楽しみの
一つです。
(
加藤周一 「
読書術」による)
長文 4.4週
【
長文が
二つある
場合、
読解問題用の
長文は
一番目の
長文です。】
「ばあちゃん、もう
春は
来とるんかな」
ヨウはかまどに
薪をくべているるい
婆さんに
蒲団の
中からちいさな
顔だけを
出して
聞いた。るい
婆さんはもやのたちこめる
暗い
土間の
隅にしゃがんだままゆっくりとふりむいて、
「
春の
夢でも
見たんかや」
と
日焼けした
顔から
白い
歯をのぞかせて
言うと、こくりとうなずいた
孫娘に、
「ああ、もうとっくに
日向ッ原じゃ
春の
歌がはじまっとるぞ」
とうれしそうに
笑いかけた。
ヨウはおおきな
目をかがやかせて、
蒲団を
跳ね
上げて
立ち
上がると、
土間のサンダルをつっかけ
寝間着のまま
外へ
走り
出した。
「こらっ、
顔を
洗ってから
行かんか」
背後で
聞こえる、るい
婆さんの
声にヨウは
首を
横にふりながら、
島の
南西を
見下ろせる
裏手の
段々畑までの
畔道をかけ
上がって
行った。
昨日まではぬかるんでいた
道をヨウは
犬のように
跳ねながら
走る。イモ
畑を
越え
蜜柑の
木の
下を
抜けて、
牛のモグがいる
小屋の
前にたどり
着くと、ヨウは
立ち
止まって
朝陽に
光る
海を
見下ろした。
半月余り
続いた
雨が
上がった
瀬戸内海は
無数の
波頭が
西へむかう
鳥の
群れのように
踊っていた。ヨウは
肩で
息をしながらおおきな
目を
少しずつ
下げて
行く。
海原にむかって
突き
出した
皇子岬、
左手にとんがり
帽子のように
頭を
見せる
岬の
白い
岩肌が
草のひろがる
緑にかわると、そこだけ
円形のステージのように
丸くなった
草原、
日向ッ
原が
見えた。
「モグ、
見てごらんよ。
春が
来とるよ。
日向ッ
原に、いっぺんに
春が
来とるよ」
ヨウは
大声で
叫んだ。
日向ッ
原はまるで
花たちが
一夜のうちに
開花したかのように
菜の
花とれんげが
一面に
咲いていた。
春風の
織ったじゅうたんがヨウの
目にあざやかに
映った。
「やっぱり
夢で
見たとおりだよ、モグ」
ヨウはその
場で
飛び
跳ねると、いつものように
口をもぐもぐとさせているモグの
首に
抱きついた。モグは
喉を
鳴らしてから、ヨウの
身体を
釣り
上げるように
首を
回した。
(
伊集院静「
機関車先生」)
【1】
最近の
日本にはプロフェッショナルが
少ないと
思います。いつからか
専門家というか、プロフェッショナルが
敬遠され
始めた。なぜそうなったか
分析はしていないけれど、
結果としてアマチュアがもてはやされる
国になってしまった。【2】
何のプロでもない
者が、
日常感覚でものをいうことが
大変重要だというような、そんな
価値観がはびこっています。
たとえば
審議会などに
参加しても、
普通の
人としかいいようのない
委員が
堂々と
日常感覚の
意見を
述べる。【3】その
情報はいわゆるマスコミで
取り
上げられるような
程度で、
実際のところはどうなっているのか、そのデータを
知らないのに、ある
限られた
情報源に
基づく
日常感覚があたかもすべての
判断の
基準かのようなことを
主張する。【4】またそれがもっともなことのように、マスコミで
取り
上げられる。
最近はそういうことを
頻繁に
見かけます。
本来、そういう
場は、さまざまな
分野のプロフェッショナルの
意見を
聞くところでした。【5】プロとはあることがらに
関する
事実がどうなっているのか、
少なくともある
条件下ではあるにしても、
客観的なデータとして
把握しています。
国というものは、プロフェッショナルが
運営しなければ
危険きわまりない。【6】もっとも、
最近の
政治家も
大衆に
迎合するばかりですから、その
程度のアマチュアの
政治家が
多いということですが。いまの
我が
国は、この
意味では
限りなくアマチュアの
国になりつつあると
思います。
【7】ここでいうアマチュアとは、その
主張の
根拠がほとんどマスコミに
出ている
程度のことにある
人のことです。
自分の
知っている
範囲のことをすべてだと
思い
込み、あたかもそれが
正論であるかのように、
堂々としゃべる。そんな
風潮が
目につきすぎます。
【8】
結局、そういう
人たちには
謙虚さがないということです。
実際のところはよく
知りませんが、
私の
知っている
範囲はこうだけど――といういい
方をするのが
当然なのに、そうではありません。これっぽっちの
経験しかないのに、それを
拡大して、
人類一般の
普遍的な
話としてどうのこうのというような
議論までするわけです。【9】こういう
状態を
見ていると、この
国はどうしようもない
国になったなという
感じがします。
プロフェッショナルがいないということは、いいかえれば、エリートが
少なくなったということかもしれません。いい
大学に
入って、いい
会社に
入って、というのがエリートという
意味ではありません。【0】
自分の
頭できちっと
考えることができる、しかもその
座標軸は
古今東西の
歴史から、
芸術、
哲学に
通じ、
科学に
通じる、それがエリートです。このような
広い
時空スケールの
中に
自分の
尺度を
持ち、したがってすべてのことが
判断でき、
行動できる。それがエリートです。
秀才と
呼ばれ、
大学に
残って
学者になる
人間はいっぱいいます。しかし、
現在のいわゆる
秀才というのは
所詮、
与えられた
問題が
解けるだけの
人間です。
解くべき
問題がつくれない
人が、
多い。
問題がつくれない
人はエリートではありません。
戦後教育は、あえてエリートをつくろうとしなかったともいえます。すべての
子どもに、
最初から
我がある、などという
誤った
前提に
立ったために、
教育と
呼べるような
教育をしてこなかったのではないでしょうか。だから、
当然のことながらエリートは
育たなかったのです。
(
松井孝典『コトの
本質』(
講談社))
長文 5.1週
【
長文が
二つある
場合、
音読の
練習はどちらか
一つで
可。】
【1】パーツに
接着剤を
塗り、
慎重に
土台と
組み
合わせる。よし、これで
完成だ。
僕が
集めているものは、プラモデルである。プラモデルといっても、「ガンプラ」のようなキャラクターモデルとは
一味違う。
僕が
作っているのは「
城」の
模型なのだ。
【2】
白鷺城とも
呼ばれる
姫路城、
織田信長の
天下布武の
象徴である
安土城、
豊臣秀吉の
大阪城、……たくさんの
城を
組み
立ててきた。
普通のプラモデルは
簡単に
作れて、
完成させたあとに
遊ぶことが
目的の「おもちゃ」の
一種という
感じだが、
城の
模型はそうではない。【3】
作り
終わってしまったら、
飾って
眺めるしかすることはない。つまり、
作ることそのものに
意義があるのだ。おもちゃというより
工作に
近いかもしれない。
僕も
昔は、
車やロボットのプラモで
遊んでいた。【4】しかし、
学校の
授業で
日本の
歴史を
学び、
武将の
伝記などを
読むようになって、がぜん
戦国時代に
興味を
持つようになった。
そこで
去年、
初めて
城のプラモデルを
買ってみた。
今までと
全く
違う
買い
物に、
店のおじさんは、ほうっという
顔をして
驚いた。
【5】「これは
作るのが
難しいよ。
接着剤を
使うけど、
持っているの。」
そう
心配してくれたが、
僕は
力強く、「
大丈夫です」と
宣言した。
確かに
初めは
悪戦苦闘したが、すぐに
作り
方のコツが
飲み
込めた。
【6】
今では、
本棚の
上にたくさんの
空き
箱が
積み
上がっている。この
箱を
材料にして、さらに
巨大な
城の
工作が
作れそうなほどだ。
特に
気に
入っているのが、
小田原城のプラモデルである。【7】
姫路城や
安土城より
知名度が
低いせいか、
模型としての
出来栄えはもう
一歩なのだが、それでも
僕にとってはいちばんの
名城である。なぜなら、この
城は
今でも
地元の
神奈川県に
残っていて、
僕自身も
実際に
行ったことがあるからだ。
【8】
城の
中にはいろいろな
展示物があった。
戦国武将の
甲冑や
槍を
見られたことは
感動的だったが、
外国からの
観光客に
分かりやすくするためか、
忍者が
使う
手裏剣が「シュリケン」などと
ロー
マ字で
書かれていたのには
笑ってしまった。
【9】
自分の
手で
組み
立てた
小田原城を
眺めていると、
天守閣から
見た
景色が
思い
出される。
意識が
模型の
城の
中に
入っていき、
当時の
自分と
重なるような
気持ちがする。
僕はさまざまな
城のプラモデルを
集めることで、その
城が
築かれた
背景や
歴史に
詳しくなった。【0】それぞれの
城の
特徴と、その
違いを
探究していくことはとても
楽しい。それに
手先も
器用になって、クラスでも
頼りにされることが
多くなった。
何かを
集めるということは、その
物事に
興味を
持ち、
理解を
深めていくということだ。
集めた
物自体も
大切だが、それを
通じて
手に
入れた
知識や
技術が、
人間にとって
何より
大切な
財産になるのだと
思う。
(
言葉の
森長文作成委員会 ι)
【1】
成長の
速い
子供をタケノコのようにすくすく
伸びるといい、タケノコは
昔から
成長が
速いものの
代名詞とされてきたが、
実際にその
成長速度を
測った
人はあまりいないだろう。【2】
竹博士として
有名な
上田弘一郎氏(
京都大学名誉教授)によると、マダケのタケノコで
一日に
一二一センチメートル、モウソウチクのタケノコで
一日に
一一九センチメートルも
伸長した
例があるというから、その
成長速度はすさまじいものである。【3】とくに
昼間の
伸長は
速く、
一時間に
八〜
一〇センチメートルも
伸びることがあるというから、これを
換算すると
一分間に
約一・
五ミリメートル
伸びることになり、タケノコは、
見る
見るうちに
伸びるものだといってよい。【4】
雨後のタケノコともいわれるように、
雨の
降ったあとなどは、とくに
数多くのタケノコがにょきにょきと
現われてくるのであって、そのようなとき、
手入れのゆきとどいた
竹やぶの
緑の
中に、
茶褐色の
皮をかぶったタケノコが
無数につき
立っているありさまは
実にみごとなものだ。
【5】なぜこれほど
多くのタケノコが、これほどすさまじい
勢いで
成長することができるのであろうか。それは、
地下に
張りめぐらされた
無数の
地下茎から
多量の
栄養が
供給されるためであり、また、
早くに
成長することを
止めた
親竹が
光合成でかせぐ
栄養のすべてを、タケノコに
供給するためだといってよいだろう。
【6】
竹の
根を
掘りおこした
経験のある
人は、
地下茎がぎっしりと
張りめぐらされているのを
見て
驚かれたことと
思うが、そのありさまは
実際に
掘ったことのない
人には、とても
想像できないものである。【7】
上田氏らの
調査では、モウソウチク
林で、
一平方メートルあたり
一一メートル、マダケ
林では
一平方メートルあたり
一九メートルもの
地下茎が
張りめぐらされていたという。これらの
地下茎は、たいへん
太いものであるから、
竹林の
土の
中には
地下茎がぎっしりとつまっているといっても
過言でない。【8】
四〜
五月に
出てきたタケノコは、
地下茎に
蓄えられた
栄養と
親竹から
供給される
光合成産物を
利用して
急速に
伸びるが、
五〜
六月には
早ばやと
伸長を
終わり、
夏の
間は
伸びることなく、つぎつぎと
葉を
開いて
光合成を
行う。【9】この
時期には、その
年に
成長した
竹だけでなく、
前の
年あるいはそれ
以前に
地上に
現われた
竹も、ほとんど
成長することなく
光合成で
獲得する
栄養分をすべて
地下茎に
送るのであるから、
地下茎はどんどん
大きくなるばかりでなく、
栄養をたっぷりと
蓄えることができる。【0】
植物の
成長にとっても
好都合な
夏の
間、
竹はさんさんと
降りそそぐ
夏の
太陽のエネルギーを
利用してつくる
光合成産物を、ほとんど
地上部の
成長についやすことなく、せっせと
地下茎に
送り
込んで
蓄えている
点に
注目してほしい。このために、
翌春に
出るタケノコがすくすくと
成長できるのである。
(
中略)
ふつう、
一本の
若竹を
育てるのに
五本以上の
親竹の
協力が
必要だといわれているのに、
出てくるタケノコの
数はそれよりもはるかに
多い。そのため、タケノコ
社会でもはげしい
生存競争が
演じられることになるが、このとき
竹は、
弱者を
遠慮なく
切り
捨て、すべての
子供に
平等に
栄養を
与えて
多数の
栄養不全の
子供をつくるようなことはしない。
人間社会ではとうていまねのできない
決断である。
(
中略)
私たちが
若いタケノコをとって
食用に
供するのは、このような
犠牲者の
数を
減らすのに
役立っており、
逆にいえば、
私たちはトマリタケノコを
若いうちにとって
食べていることになる。このように
考えると、タケノコをとることは、その
量さえ
多すぎなければ
竹林の
成長を
妨げることにはならないのであるから、
私たちは
安心して、タケノコを
食べることができる。
(
瀧本 敷「ヒマワリはなぜ
東を
向くか」より)
長文 5.2週
【1】
少年のころの
桜はもっと
長く
咲いていた
感じだが……と
春ごとに
同じ
思いをくり
返してきたが、
今年の
桜は
久しぶりに
長かった。
歩いて
通勤できるようになって、
花を
見る
目のほうに
少年時代ののどかさがもどってきたせいにちがいない。
【2】「
桜前線」という
言葉があるが、この
言葉はいただきかねる。
季節感はやはり「※1
梅一輪ほどの」とか「※2
風の
音にぞ」といった、
微小感覚のものであり、
大きく
見渡すといったところで、「※3
柳桜をこきまぜて」という
程度なのであって、
巨視的に、
日本列島全体を
見下ろすスケールは、どうにも
花見のさまでないと
思う。【3】つまるところ、
昔からある「
花便り」のほうが、はるかに
風情に
富むのである。「つぼみふくらむ」「ちらほら
咲き」「
八分咲き」「
散り
初め」「
落花盛ん」「
散り
果て」。
花便りの
言葉も、
微小感覚を
表し
分けて、まことに
風情に
富んでいる。
【4】ところが、
散り
初めのころのある
日、
枝を
離れた
花びらを
見ていて、これが
地面に
達するまでのあいだの
状態を、ぴたりと
表す
言葉がないのに
気がついた。
風が
一斉に
散らす
花には、「
花吹雪」「
散り
交う」という
言葉がある。【5】だが
一ひらまた
一ひらと、
自分の
重みだけで
木を
離れ、○○○てゆく
花びらのありさまをいう
動詞は、
簡単には
見つからない。
具体的に
言えば、
右の○○○
印を「
散る・
落ちる・
流れる・こぼれる」などで
埋めてみても、ぴたり、とはゆかないのである。【6】
肌に
感じるほどの
風はなく、
空は
青く
晴れわたり、いましも
枝離れした
花びらは、
空気がそこにあるのだということを
気づかせる
程度の
支えを
受けて、
静かに
漂うがごとくにしつつ、しかし
確かに
地表へ
降りてゆく。それは「
漂う」でもなく、もとより「
降りる」でもない。
これと
似たような
光景を、
私は
秋の
信州で
見たことがある。【7】からまつのこまやかな
葉が、
同じように
自分の
重みだけで
枝を
離れ、
金色の
光をひるがえしながら、
音もなく
地表に
降り
積むのであった。からまつというのを
見るのが、そもそも
初めてであったから
私はその
美しさと
静寂に
息をのみ、
林の
中にたたずみつくしたのを
覚えている。【8】そしてそれを
日記に
書こうとして、「からまつの
葉が」とだけ
書いてたちまち
言葉につかえたものだ。
青年時代の
経験だが、
今なおあの
光景を
表す
言葉を
発見できないままである。
桜の
花びらと、からまつの
葉と、
自然はついに
言語の
及びえないものなのであろうか。【9】
何をそうめんどうな、「
降る」でよいではないかとも
思うのだが、
雪よりも
長く
時間をかけて、
浮かびながら
降りてゆく
一枚一枚の、
数量と
重量についての
微小感覚が、「
降る」には
欠けていてもどかしい。【0】
花便りのいろいろの
言葉を
作り
出し、
育ててきた
日本語だから、
私のまだ
知らないところに、あの
美しさを
表す
言葉があるかもしれない。もし
日本語にそれがなければ、それは
日本語の
語彙の
貧弱を
意味すると、
二十年前と
同じことを
考えさせられた。
日本語になくてはならない
言葉のように
思えるのだが。
(
渡辺 実氏の
文章による)
※1
梅一輪ほどの…
嵐雪の
句。「
梅一輪一輪ほどの
暖かさ」を
指す。
※2
風の
音にぞ…
藤原敏行の
和歌「
秋来ぬと
目にはさやかに
見えねども
風の
音にぞおどろかれぬる」を
指す。
※3
柳桜をこきまぜて…
素性法師の
和歌「
見渡せば
柳桜をこきまぜて
都ぞ
春の
錦なりける」を
指す。
※4
語彙…
言葉の
総体。
長文 5.3週
【1】
日本語は、いままで
日本民族によってしか
使われたことのない
内輪の
言語、つまり
部族言語です。どこの
言語も
初めは
部族言語なのですが、それが
外国に
広まりだすと、
外の
視点が
入ってきて
言語の
刈りこみが
行われてくるわけです。【2】その
刈りこみがはなはだしいのが
英語です。
英語というのは、
外の
視点と
内の
視点が
合作でつくり
上げためずらしい
言語なのです。その
点、ロシア
語などは、
多分にまだ
内部の
視点だけの
言語ですが、それは
国際普及の
度合いが
少ないからです。【3】
日本語などはその
最たるもので、これまで
外側の
目というのはまったくなかった。
日本人は、
自分の
国の
言語を
国語と
言ったり
日本語と
言ったりしますが、
国語、
日本語の
対立は
実はこの
問題と
関係があるのです。【4】
国語として
日本人が
自分の
言語を
見るときは、
完全に
内側の
視点で
見ているのです。みんな、
日常の
文法などは
知っているという
前提で、
日本語の
文学とか
詩が
論じられる。つまり
基本的知識のある
者同士の
話なのです。【5】ところが、
外国人は、ことばのきまりも
発音の
仕方も
知らないで
日本語を
習うのですから、
外の
視点しか
持っていないということです。
そして、
私たちの
母語である
日本語は、いま
徐々に
外の
視点を
加味して
整理される
芽生えが
出てきています。【6】もし
外国人が
日本語を
学ぶ
勢いがこのまま
五十年、
百年とおとろえなければ、
日本語も
大きく
変わると
思うのです。それは、
英語が
四百年の
間にまったく
変わってしまったのと
同じで、
日本語が
国際普及するに
従って、
外の
人の
影響力が
国内の
日本語にもおよんでくる。【7】ただ、だからといって、
日本本来の
内側の
視点は
閉鎖社会のなごりだからやめるというのは、
大きなまちがいです。
英語でさえも、いまだにイギリス
人しかわからない、
彼らだけの
内側の
視点の
部分があるのです。その
外側に、
人工的に
刈りこまれた
英語の
部分が
付加されてきたということなのです。
【8】
日本語はまだこの
部分が
少ない。その
証拠に、
日本語の
字引はすべて
国語辞書です。
日本語の
辞書は、ほとんどすべて
日本語を
内側の
視点からしか
見ていません。ですから、
日本語国際普及の
一つの
大きな
課題は
外の
視点を
取り
入れた
日本語辞典をつくることです。【9】これは、
一つの
大事な
国家的事業であり、
個人ではできないことですから、
国際交流基金などが
中心にやるべき
仕事だと
思います。
日本語は、
外国人によって
学ばれ、
使われた
経験がないために、
植木屋を
十年も
入れなかった
庭みたいでめちゃくちゃに
枝がのびているという
状態です。【0】
多くの
西洋の
言語は、ヴェルサイユ
宮殿の
庭木のように、
整然と
刈りこまれ、
人工的な
手入れがされているのです。かつて
大学の
先生をやめてフランスで
日本語を
教えていた
学者が、ことごとにフランスには
整然たる
文法があるのに、
日本語には
文法がないと
言ったのも、そのへんの
問題だと
思うのです。
フランスでも、
十六、
十七世紀の
フランス語は、
植木屋の
手の
入らない
日本語みたいな
状態にありました。それを
研究所をつくり、
一種の
理念にもとづいた
人工フランス語をつくって、それを
世界普及の
フランス語の
中心にしたわけです。だから、それはフランス
人にとっても
学ばなければならない「
外国語」でした。
高等教育を
受けたフランスの
知識階級が
話す
フランス語と
庶民が
話す
フランス語がいまだにちがうのは、
庶民はお
金をかけて
フランス語を
勉強していないからなのです。
外国人が
フランス語を
学ぶのが
易しいのは、
人工的に
整理された
フランス語だからです。それを
文法と、かの
学者は
呼んだわけです。
日本語にはそれがないのです。
日本語は、
明治からいままで
百年の
間におどろくほど
変わりました。
戦後の
四十年間でもどんどん
変わっているという
野放図な
自然言語なのです。これは、
外国に
日本語はこれですよと
教えるときには
大きな
障害になるわけです。ですから、
日本は、これからどうやって
日本語を
刈りこんでいったら、
国際普及の
日本語になるかということを
考えなければならない。そして、これは
国家的な
事業として
相当大きな
研究課題としてお
金をかけ、
真剣に
取り
組まないと、どうにもならないと
思うのです。
長文 5.4週
【
長文が
二つある
場合、
読解問題用の
長文は
一番目の
長文です。】
ぼくの
小さいころは、
買い
物をするのに
定価のないことが
多かった。
店の
人と
世間話から
始まって、
値切るやりとりがあった。そして、
自分が
値をきめたような
気分が
少しはあって、その
値段にチョッピリ
自分の
責任があった。
もちろん、ドジだと
高く
買わされる。
要領のよいのがトクをする。
同じものを
買うのに、
高く
買うのもあれば、
安く
買うのもいる。まったく、「
不平等」だった。
このごろでは、
共同購入などと、
代表者にまかせるのまである。そのかわり、みんなが
同じ
値段で
買う。
国家と
生命の
売買をやるのだって、
代表者にまかせて、みんなが
同じ
値段でやるのじゃないかと、
時節がら
少々不安である。
ドジを
重ねて、
要領をおぼえたものだ。それで、ある
日急に
買い
物上手になったりもする。
店との
相性もあるもので、
気に
入りの
店だと
安く
買えたりする。なじみがいもあった。ドジが
固定するものでもないし、ある
店ではドジでも、
別の
店では
要領よくナジミになったりもした。
いつでもドジだと
困るかというと、そうした
人間は、
店のほうからまけてくれた。ドジにつけこんで、いつももうけていたのでは、
店の
評判も
落ちるのだった。
そして、
要領のよい
子を
相手にとなると、
店のほうでもなかなかシブトイ。
値切り
合戦というのは、ゲームでもあった。そしてそこには、ヤヤコシイ
人間関係があった。
若い
人に
聞くと、そんなのメンドクサイ、と
言う。
金を
出して
物を
手に
入れる、それだけならば、だれでも
同じ
値段で
物が
手に
入るのが「
平等」だ。その
極端なのは、
自動販売機で、
機械にお
世辞を
言っても、まけてくれない。
しかしぼくは、
要領のいいのやドジなのや、さまざまに
混じりあって、
店も
客もさまざまに
気を
使いあう
世の
中が、よい
世の
中だと
思う。
校則だって、
守る
生徒やら
守らない
生徒があって、うるさい
教師や
甘い
教師があって、そのなかで
叱られたり
逃げたり、そのほうが
気持ちがよい。このごろの「
非行生」の
文句に、「
他の
人間もやってるのに、
自分が
叱られるのは
不公平」というのがある。これは、「
非行」それ
自体よりも、
人間社会にとってよほど
危機ではないか。
自分がドジで
叱られようが、
要領のよい
仲間が
叱られずにすむことは、
喜ぶべきことであるはずだ。「
不公平」というのは、ヤッカミ
根性のことかもしれぬ。
問題は
自分だけのことだ。
他人が
叱られようが
叱られまいが、どうでもよいことだ。
今はドジでも、
今度はうまくやればよい。こういうのこそ、「
自立してない」と
言うんだろうな。せめて「
非行生」だけでも
自立してほしい。「
優等生」が
自立してないことは、
大学生を
相手であきらめてるんだから。
(
森毅「ひとりで
渡ればあぶなくない」)
【1】メダカは
長さが
三、
四センチしかない
小さな
魚で、
私たちが
子どものころはほんとうにどこにでもいました。あまりにありふれていたので、フナやコイなどとくらべると、
子どもにとってあまり
魅力のない、
雑魚の
代表のような
魚でした。
【2】ところが、このメダカがなんと「
絶滅危惧種」として
絶滅を
心配されているというニュースが
流れたのです。
一九九九年のことです。
子どものころ
魚とりに
熱中したことのある、
私たちの
世代にはとても
信じられないことでした。【3】
減ったことは
事実かもしれない、でもメダカにかぎって
絶滅ということは
考えられない、というのが
実感でした。しかし、これはどうやら
信じなければならない
事実のようです。じつに
悲しいことです。その
背景にはつぎのようなことがありました。
【4】かつて
田んぼは
用水路で
水を
引いていました。その
用水路は
田んぼとほぼ
同じ
高さにあり、
微妙な
高さの
違いを
利用して
水の
入り
口と
出口がつくられていました。ひとつの
田んぼから
出た
水がとなりの
田んぼに
入る、という
構造になっているものもありました。【5】そのような
用水路は
地形に
応じて
曲がっており、
深さも
一定でないので、
水の
流れにも
微妙に
違いがあり、それに
応じて
違う
植物が
生えていました。
昔の
子どもが
夢中で
魚とりをしたのは、このような
用水路でした。【6】
秋になって
田んぼから
水が
抜かれても
用水路には
水が
残っており、くぼみが「
魚だまり」となって
魚が
生きていたのです。
ところが、
一九六〇
年代からはじまった
農業基本整備事業によって、
自然の
地形に
応じてつくられていた
田んぼに
大きな
変化が
生じました。【7】かつて
人力で
営々と
築かれてきた
田んぼは、
大規模な
土木工事によって
完全につくりかえられてしまったのです。
田んぼの
水が
管理しやすいように、
用水路はU
字管というコンクリートの
管にされました。
断面の
形がU
字型なのでこう
呼ばれます。【8】U
字管の
機能は
水田に
水を
運ぶことですから、それ
以外のものは
必要ありません。その
結果、
水を
流すときは
洪水のように
大量の
水が
勢いよく
流れます。
魚が
隠れるところもなければ、カエルが
卵を
産むところもありません。【9】
用水路は
田んぼから
効率的に
排水するために、
水田との
高さの
差が
大きくなるようにつくられました。このため、
水を
抜くと
田んぼは
完全に
干上がります。U
字管には
魚だまりはありませんから、
土の
中にもぐって
生きるドジョウや
小さなメダカも
生き
延びることはできません。【0】その
結果、
夏の「
洪水」と
冬の「
砂漠」がくりかえされることになります。これでは
生きていける
動物はいません。
ところが、
小動物に
対する
仕打ちはこれにとどまりませんでした。ちまちました
小さな
田んぼは
農作業の
効率が
悪いことは
確かです。そこで「
暗渠排水」といって、
田んぼの
地中に
管を
埋め、
水を
集めて
排水することがすすめられたのです。こうすれば
水路に
使った
土地も
使えるし、
細かなデコボコをなくすことができると
考えたのです。こうなると
動物には
生活する
場所がまったくなくなってしまいます。こうして、メダカに
代表される
無数の
小さな
生きものたちは、
田んぼから
姿を
消していったのです。
日本の
農業は
稲作が
中心ですが、それは
米を
巨大なポットのようなところで
効率的につくることだけではありませんでした。
毎日の
営みの
中で
米づくりを
中心におきながらも、
家畜を
飼い、
裏山から
肥料となる
枯れ
葉を
集め、ときどきドジョウやフナをとるなど、じつにさまざまな
営みの
中でおこなわれたものでした。また、
田植えのときには
若い
女性が
晴れ
着を
着て
早苗を
植え、
近所の
人が
助けあって
田植えや
稲刈りをするという
社会の
営みでもありました。そして
先祖から
引き
継いだ
土地に
祈りをささげ、
収穫物に
感謝をささげるという
心に
支えられたものだったはずです。それは
工場で
米という
名の
製品をつくるのとはほど
遠い
営みでした。
しかし、この
土木工事はそのようなことをすべて
無視したものでした。そのことの
意味の
深さを
私たちは
考えつづけなければならないと
思います。
(
高槻成紀『
野生動物と
共存できるか――
保全生態学入門』(
岩波ジュニア新書))
長文 6.1週
【
長文が
二つある
場合、
音読の
練習はどちらか
一つで
可。】
【1】「これってどういうこと?
教えてよ。」
私の
家では、
家族どうしの
会話がとても
多い。テレビや
新聞を
見ていて、
気になることがあると、みんな
遠慮なく
口に
出す。
名前の
分からない
芸能人がいれば
父は
私に
聞いてくるし、
可愛い
動物が
映れば
母は
大喜びでみんなを
呼ぶ。【2】
中学生の
兄はすぐに、
聞いてもいないうんちくを
言いたがる。
そういう
私も、
自分が
好きな
本や
映画の
話になると、「これはこういうあらすじで、こんな
登場人物がいてね……」と
解説を
始めてしまうのだから、
始末に
終えない。
【3】ああでもないこうでもないと
話しているうちに、
気がついたら
番組そのものが
終わっていた、ということも
少なくない。
自分の
考えをしゃべって、
家族の
意見を
聞いて、
納得することが
楽しいのだ。
ある
日、
私が
帰宅すると、
父と
兄が
何事かい
合う
声が
聞こえてきた。【4】ふだんのんびりして
頼りなさそうな
父と、ダジャレばかり
言っている
兄。そんな
二人がこんなに
熱くなるのは
珍しいことだ。
まさか
喧嘩かと
私は
身を
固くしたが、よくよく
聞いてみると、どうやら
二人とも
同じことについて
怒っていて、その
不満を
述べ
合っているらしい。【5】
私はひとまず
安心して、
何があったのかと
聞いてみた。
すると
兄は「はやぶさ」のことだと
教えてくれた。
小惑星探査機「はやぶさ」が、
長い
宇宙の
旅を
終えて
地球に
帰ってくる。それも、さまざまなトラブルを
乗り
越えて、
奇跡的に。【6】
私はそんなものが
存在していたことすら
知らなかった。
父と
兄は、その
世紀の
瞬間がテレビ
中継されないことに
憤慨していたようだ。とはいえ、
今はちょうどサッカーのワールドカップが
始まったところだ。
四年に
一度のイベントを
優先する
方が
当たり
前ではないかと、
私には
思えた。
【7】
私がそう
言うと、
兄はいっそう
大きな
声で、
私に「はやぶさ」の
魅力を
語った。その
任務が
世界初の
試みであること、
事故でボロボロになったにも
関わらず
必死に
帰ってこようとしていること、
中でも
一番驚いたのは、その
放浪の
旅が
七年にも
及んでいるということだった。
四年に
一度どころではない。
【8】
兄たちはこれから、わざわざジャクサのホームページに
接続して、
動画で
帰還を
見届けるのだという。せっかくだからと
私も
一緒に
見ることにした。その
映像はお
世辞にも
鮮明とは
言えなかったが、
燃え
尽きていく「はやぶさ」の
姿は、まるで
大きな
流れ
星のようだった。【9】そして
私は
翌日、その
美しさについて、
見ていなかった
母に
熱く
語って
聞かせることになったのである。
人間は
誰かと
対話をすることで、
新しいことを
知り、
自分の
世界を
広げることができる。そうした
対話を
欠かさないことは、
私の
家族の
長所と
言っていいと
思う。【0】じっくり
話してみることで、
身近な
人の
更なる
長所を
見つけることもできる。
私は、これからも
家族の
対話を
大切にしていきたい。
(
言葉の
森長文作成委員会 ι)
【1】
昆虫の
幼虫が
育つ
日数(
幼虫期間)は、
哺乳類などにくらべて
短いものが
多い。
夏のイエバエはたった
一週間で
幼虫が
発育をとげて
蛹になり、
四日たつと
蛹から
成虫に
羽化するというスピードぶりである。【2】
一方、カワゲラ
類の
三年.ムカシトンボの
五年、アブラゼミやミンミンゼミの
六年などのように、
犬や
猫より
長くかかって
親になる
昆虫もいる。
しかし、
上には
上があるもので、
五〇
年もかかって
育つ
昆虫がいる。アメリカ
西部にすむアメリカアカヘリタマムシがその
記録保持者である。【3】
日本のタマムシはその
美しさゆえに、
法隆寺の
国宝・
玉虫厨子に
翅が
使われているが、アメリカアカヘリタマムシも
美麗さにかけてはひけをとらない
甲虫で、
金緑色の
翅鞘が
赤くふちどられている。
【4】このタマムシは
樹勢のおとろえたアメリカマツを
選んで
産卵し、
幼虫は
木の
内部を
食べて
二、
四年後に
蛹になり、
羽化した
成虫は、ひと
冬木の
中ですごしてから
脱出する。ここまでなら、
成育日数が
多少長くかかる
昆虫にはよくある
話で、それほど
珍しいことではない。
【5】ところが、
幼虫が
小さいうちに
林のマツが
伐採されて
建材になると、
発育の
間のび
現象がおこる。
建築後数十年たった
家屋の
柱、
床板、
窓枠、あるいは
長年使ってきた
食器戸棚などから、ひょっこり
成虫が
現れてくる。【6】それもアメリカだけでなく、この
虫が
分布していないはずのヨーロッパやグアム
島などで
国内羽化が
記録されている。それは、
幼虫のひそんでいたマツの
木材がアメリカから
輸入されて
使われたためである。
【7】この
虫は
伐採したマツ
材にはけっして
産卵しないから、
伐採後何年目に
成虫が
出現したかでおおよその
成長記録が
推定できる。
最高記録の
五一年は
幼虫として
発見されたものなので、
半世紀以上かかって
育ったことになる。
【8】
幼虫期間がふつうの
一〇
倍以上もかかる
理由は、
木材が
乾燥して
水分が
不足したための
発育遅延と
説明されている。
乾燥により
命がのびたという
見方もできる。
乾燥という
厳しい
逆境で、
体がひからびて
死ぬこともなく、しぶとく
育つこの
虫の
生命力には
驚嘆させられる。
【9】
極限の
乾燥にさらされながら
何年も
生きぬく、もう
一つのすごい
虫にアフリカのユスリカがある。ユスリカの
幼虫(アカボウフラ)は
水生で、
水がないと
発育できないだけでなく、
水がなくなれば
死がおとずれる。【0】しかし、ナイジェリアの
砂漠にすむポリペディウムというユスリカの
幼虫は
例外である。
日照りがつづいて
水が
干あがると、
土の
中でミイラのように
縮んだ
姿になり、
雨が
降るのを
何ヵ月も
待つ。じっとがまんの
日がつづいたあと、
旱天の
慈雨に
恵まれるとよみがえって
本来の
姿にもどり、
発育を
再開する。
実験室で
数年間乾燥させて
貯蔵した
幼虫を
水にいれたところ、すぐよみがえって
活動をはじめたという
報告もある。
乾燥で
命がのびたような
気さえする。
この
虫は
乾燥に
強いだけでなく、
短時間なら、
摂氏一〇
二度からマイナス
二七〇
度の
高低温にも
耐えるという。
(
安富和男の
文章から)
長文 6.2週
【1】「ガッツがある」とか「
根性が
足りない」とかいった
言葉をよく
耳にしますが、
私は、どうも
好きになれません。そもそも〃guts〃なんて、「
臓物」という
意味だし、この
言葉の
音が
汚いのも、
嫌いな
理由の
一つです。【2】
根性も、
本来の
仏教語では、「
草木の
根にたとえられる
人間の
性質」のことですが、
現在では
違った
意味に
使われるので
嫌な
言葉の
一つになりました。
ものごとを
一所懸命にやることは
本当に
大切なことです。ただ、
目を
血走らせ、ムキになった、むきだしの
表情を、
私は
好まないのです。【3】
闘志は
表面に
出さず、
内に
秘めておくもの、これが
私の
美意識だからです。
「
一心不乱」はすばらしいのですが、「
盲目的ないちず」が
困るのです。いつも「
主人公」が
目覚めていなくては、お
話になりません。そのためにも、そこに「
遊び」が
必要ではないでしょうか。【4】つまり、
余裕です。「
遊び」には、
大事な
意味がいくつかあります。たとえば、
肝心なのは、「
自分のしたいこと」を「
楽しむこと」です。いわば、
自分の
好きなことをして「
楽しむ」のです。それに、「
機械の
遊び」という
場合の「
遊び」のような「
余裕」「
余地」、「
遊びの
時間」のような「ひま」が
大切です。
【5】
自動車のハンドルにも、「
遊び」があります。あの
遊びがなかったら、ずいぶん
運転しにくくなるでしょうし、
第一、
危険です。ハンドルに
遊びがあるので、
少しばかり
手がすべっても、
急に
変な
方向へ
曲がらないですむのです。【6】
人生という
車にも、この「
余裕」「ひま」という
遊びがないと
危険です。
子供たちの
天職は、
遊ぶことです。たっぷり
遊ぶのが
役目です。しかし、
部活だの、
塾通いだの、
受験勉強だの、すべて
強制、
半強制のわくの
中で、せかせかした
生活をしています。【7】
小学校、
中学校、
高等学校を、このように
過ごさざるを
得なかった
学生たちを
見ていると、
私は、
一大学教師として、もの
悲しさで
一杯になるのです。
私どものところでは、
学生たちは、
二年に
進むとき、
自分の
専攻したいコースを
選びます。【8】その
際、
英米文学コースを
志望する
学生たちを
集めて、
一人ずつ
面接をします。そして、あれこれ
質問するのですが、
近年はますます
幼稚さが
目立ちます。
大学へ
入ったけれど、
一体自分が
何をしたいのか
分からない。【9】
英米文学コースに
所属したいらしいが、
何を
学びたいわけでもない。
文学をやりたいなどと
言いながら、
文学作品などほとんど
読んだことがない。
人生や、
宗教や、
友情や、
人間の
様々な
側面に
深い
関心をもたずして、
文学などと、まったく
何をかいわんや、です。【0】
(
中略)
ものをおいしく
食べるにはお
腹をすかせたらいい。そうしたら、
強制されなくても、
誰だって
自分から
食べようとします。
同様に、
本来の
人間に
備わっている
好奇心が
働き
出せば、
自然に
知識欲が
湧いてきて、
自然に
勉強したくなります。そんな
状態においてやるのが、
本来の
教育です。
子供たちの、
一人一人が
持って
生まれた「
個性」、それを
引き
出してやるのが、
教育者のはずです。しかしながら、
無理やり、
知識を
頭の
中へ
詰め
込まれた
結果、
人間本来の
好奇心がすっかり
消えてしまったのです。それも、
感受性が
最も
強く、
人間の
心の
勉強をするのに
最も
適している
時期に、
外から、よけいなもので
一杯にされて、
本来の
好奇心の
働く
余地が、すっかりなくなってしまったのです。
画一的に
鋳型にはめられた
結果、
遊びの
好奇心も、
自由に
働く
想像力も、
新しい
発見の
創造力も、みんな
学歴主義に
塗り
込められてしまいました。
想像力は
心に
必要な
遊びです。
心が
本来の
自由な
姿に
戻れば、
人間の
想像力が
働き
出します。この
想像力の
遊びもまた、
心にとって
栄養となります。
想像は
創造につながります。
想像がさらに
深まれば、「
思いやり」となって、
人間関係を
創造するのです。
長文 6.3週
【1】
先日、
日本産トキの
絶滅が
確実になったと
報じられた。
種の
存続のためにさまざまな
努力がはらわれ、
中国産のトキを
借り
受けてペアリングも
試みられたが、
失敗に
終わった。
関係者の
落胆は
大きかったにちがいない。
【2】トキのように
絶滅寸前にまで
追いこまれた
動物や、その
数を
激減させている
植物を
救おうと
努力する
姿は、「
人間の
良識」と
評される。その
通りと
思う
半面、
偽善ではとのむなしい
思いが
残る。
第二第三のトキを
生む
自然破壊が、
日本全国で
進んでいるからである。
【3】
一九八九年に
環境庁が
発行したレッドデータブックには、
緊急に
保護を
要する
動物だけでも
約三万七千種近くが
記載されている。イリオモテヤマネコなど、
絶滅の
危機にひんしている
動物も
多い。
身近な
動物の
中にも、
姿を
見ることがまれになったものが
少なくない。【4】
日本在来のメダカは
外来種に
追われて、
東京の
河川ではめったに
見られない。ミヤコタナゴも
少なくなった。ゲンゴロウやタガメなどの
水生昆虫も
激減した。
人間の
良識とは、その
数が
激減している
動植物に
対し、
早急に
保護の
手を
差し
延べることである。【5】
絶滅が
確実視されるまで
放置したあとで、
救済努力を
傾注するということには、
大きな
矛盾を
感じる。
自然保護の
先進国アメリカでは、
一八七二年、
世界に
先がけてイエローストーン
国立公園を
設置した。
日本では
自然保護など
話題にもならないころのことである。【6】
一九一六年には
国立公園局が
設置され、
自然景観や
動植物の
保護に
全国的な
制度が
確立、
機能的に
運営されて
今日に
至っている。
他方日本では、
一九三一年に
国立公園法が
制定され、
一九五七年に
自然公園法に
代わった。【7】
自然保護の
基本的考え
方は
先進国のそれを
踏襲したが、
戦争をはさみ、
戦後は
自然保護と
経済発展のはざまでゆれ
動き、
必ずしもその
機能を
果たしていないのが
実情である。
アメリカの
徹底した
自然保護を
日本のそれと
比較して、そのちがいをなげいていた
筆者だが、
最近うれしい
体験をした。【8】わが
家の
子供たちが
一年以上も
飼育をつづけているカマキリの
話題である。
親は
秋に
産卵を
終えて
死んだが、その
卵が
六月に
飼育箱の
中で
孵化した。
先日渡米の
折、ロサンゼルスの
友人たちにこのカマキリの
話をした。【9】ところが、かれらの
話では、ロサンゼルスではカマキリの
捕獲が
禁止されているそうだ。
数が
激減しているのがその
理由だった。
東京に
比べれば、はるかに
土地は
広く
緑も
多い。
郊外にはコヨーテまで
出没し、
飼いねこが
犠牲になるほど
自然にめぐまれた
都市である。【0】そこで
子供たちがカマキリをとらえて
飼育観察できないとはさびしい
限りだ。
ロスより
自然環境は
悪い
東京だが、
都心でも
植えこみや
生けがきに
毎年カマキリの
卵が
見られ、
六、
七月にはあみ
戸に
張り
付く
子カマキリの
姿が
多い。
子供たちの
通常の
捕獲ぐらいでは、
減りそうにない
数である。アメリカが
自然保護で
先進国となった
一因として、
他国より
早く
自然を
破壊したことも
考えられる。
今日でもカマキリを
自由にとらえて、
飼育観察できる
東京に、ささやかな
幸せを
感じた
経験だった。
ペアリング…おすとめすの
一組にすること。
レッドデータブック…
絶滅のおそれのある
野生生物の
現状を
記録した
資料集。
傾注する…
精神や
力を
一つの
事に
集中する。
踏襲する…
前人のやり
方などをそのまま
受けつぐ。
長文 6.4週
【
長文が
二つある
場合、
読解問題用の
長文は
一番目の
長文です。】
今年の
秋、ウィーンの
楽友協会ホールで
武満徹さんの
新作クラリネット・コンチェルトがウィーン・フィルハーモニーによって
演奏される。
二百年前、モーツァルトのクラリネット・コンチェルトがウィーンで
初演奏されたのを
記念する
催しで、
百年前には
同じ
趣旨でブラームスがクラリネット
五重奏を
作曲していることを
考えると、これは
日本の
音楽界だけでなく
日本にとって
大きな
出来事だと
思う。おそらくわが
国の
文化芸術の
分野でこれに
匹敵することはかつてなかったし、
今後もそうそうあることではなかろう。(
中略)
製紙会社の
会長と
作曲家武満とのかかわり
合いを
不思議に
思われる
方もあると
思うが、
家内同士が
学校時代からの
親友で、
武満さんが
二十歳を
過ぎたころから
家族ぐるみのお
付き
合いをしてもう
四十年にもなろうとする。だからといって
私は
彼の
音楽をいっこうに
理解するものではないが、
今回世界の
存在とまでなった
武満さんの
人生の
来し
方を
眺め
続けてきた
者として、その
人間的バックグラウンドを
語ってみたい。
何よりもまず
自分の
道を
自分のやり
方で
歩いてきた
人である。
作曲家としても
徒手空拳、
自ら
一家をなしたので、
音楽学校へいったわけでも
特定の
師についたのでもない。
本当に
才能のある
人は
既成概念で
教育など
授けないほうがよほど
純粋に
成長できるという
真理を
彼もまたわれわれに
示してくれた。
大江健三郎との
共著「オペラをつくる」の
中で
彼はこういっている。
「ぼく
自身が
音楽家としての
四十年、
音を
表現媒体として、
自分でしかい
表せないようなことを
表す。……
音楽といってもその
表現のスタイル、
形式は
多様で、たんに
慰めや
娯楽のための
音楽であれば、
時代の
人たちが
喜ぶような
表現方法はあるように
思います。しかし、ぼくがやっている
音楽はそういうものでなくて、
音というものを
通して
人間の
実在について
考える。どちらかというと、
詩とか
哲学とか、そうしたものに
近い
表現形式として
音楽をやっているわけで、これがいちばんむずかしいところなんですね」
創造性と
個性、いまの
日本人にこれほど
求められているものはない。
武満さんはまた
世界人であると
同時にすぐれて
日本人である。
彼の
作風からもこのことはよくうかがえる。
代表作であるノヴェンバー・ステップスには
和楽器である
琵琶と
尺八が
取り
入れられ、
本来西洋のものであるコンチェルトに
日本の
音色を
植えつけたことはあまりにも
有名である。
前述の
本の
中で
彼はまた、「
僕の
音は
西洋音楽の
音とはまったく
違う」とも
述べている。
彼の
音楽は
西洋の
亜流ではないようだ。そこが
世界の
注目をひき
絶賛を
博しているのだと
思う。(
中略)
ややしかつめらしいことを
書いてきたが、
多くの
人々が
武満さんにひかれるのは、
根っからの
市井人である
一面であろう。
立派なサイレント・マジョリティの
一員、
卑近ない
方をすれば
熊さん、
八つぁん
的要素である。
熱狂的な
阪神タイガースファンでシーズンになると
外出先でもラジオを
離さず
一喜一憂している。まさに
日本人の
判官びいきを
絵に
描いたようなものである。
私は
彼の
背広姿をほとんどみたことがない。
普通はズボンにセーター、
改まったときは、ネクタイなしだが
独特のスタイルのジャケットを
着用している。
最近、だれのデザインですかと
聞いたら、これは
森英恵さんですと
答えた。これで
日本はおろか
世界中を
通している。
私はひそかに
浴衣がけの
外交と
呼んでいる。あのとても
頑丈とはいえない
肉体で
年に
何回となく
外国に
出かけるエネルギーは
聡明で
献身的な
奥さん、
才気煥発のお
嬢さん、そして
猫二匹という
恵まれた
家庭のたまもので、これは
彼の
最大の
作品かもしれない。
市井人の
常識が
申し
分なく
働いている。ここにもいまの
日本人がともすればないがしろにしがちなものがある。
武満徹論を
最後に
締めくくれば、
世界への
道の
前に
日本の
道があり、
日本への
道の
前にわが
道があったということであろうか。そして
平凡の
中に
非凡があることがなんとも
魅力的である。
(
河毛二郎「
逆風順風」)
【1】
小学生のとき、
夢中になって『ファーブル
昆虫記』を
読んだ。
理科よりも
国語、
算数よりも
社会が
好きだった
私は、はじめこの
本のタイトルを
見て、
敬遠していた。
「おもしろいわよ。たまには、こういうのも
読んでみたら?」
物語にばかり
偏る
私に、
勧めてくれたのは
母だった。
【2】
朝顔の
観察とか、
蟻の
巣づくりを
調べるとかいうことは、
好きなほうではなかった。たぶん、そんなようなことが、たくさん
書いてある
本だろうと
思っていた。そして
実際に
読んでみると、たしかに
内容は、そんなようなことである。【3】にもかかわらず、ぐいぐい
引き
込まれていった。
勧めた
母親のほうがあきれるくらい、
寝ても
覚めても『ファーブル
昆虫記』、という
感じだった。
それでは、
私はファーブルによって、
昆虫への
理科的な
興味を
開眼させられた、といっていいだろうか?
【4】ちょっと
違うような
気がする。それまで
夢中になった
本と
同じように、
私はそこに「
物語」を
読んでいたのだ。
登場する
昆虫たちは、ユニークで
頭がよくて
愛嬌のある
主人公。
彼らのくりひろげる「
生きる」という
物語にすっかり
魅せられてしまった。
【5】『ファーブル
昆虫記』の
素晴らしさは、ここにあるのだと
思う。
自然のなかに
隠されている、
楽しくて
不思議でときには
厳しい
物語の
数々を、
現在進行形でファーブルとともに
発見してゆく
喜び。『オズの
魔法使い』や『
不思議の
国のアリス』を
読んでいるときにも
似たような
興奮が、そこにはあった。
【6】なかでも
印象に
残っておもしろかったのは「ふんころがし」すなわち「オオタマオシコガネ」の
章である。
今回あらためて
読みかえしてみて、この
虫を
描くときのファーブルの
筆には、ひときわ
愛情がこもっているように
感じられた。
子ども
心にもそれが
伝わったのだろうか。
【7】
自然の
恵みを
受けることと、
自然と
戦うことが、
表裏一体となって
紡がれるドラマ。
西洋ナシの
形をしたお
団子のなかで
生きる
幼虫の
話は、
何度読んでも
飽きないものである。
虫の
持つ
知恵への
驚きも、もっとも
大きい
章だった。
【8】ところで、
昆虫というと、
最近ちょっと
気になる
報道があった。
昆虫採集は
自然破壊につながるのでやめようという
意見があるという。
子どもにも
自然を
大切にする
心を
教えなければ、と。
一瞬、なるほどと
思いかけて、いやいや
待てよ、と
思った。【9】
蝉を
採ったり
甲虫をつかまえることは、
自然と
親しむことにこそなれ、
自然を
破壊することにはならないのではないだろうか。むしろ、そういう
体験をすることなしに
大人になってしまうことのほうが、こわいような
気がする。【0】
貴重な
高山植物や
珍種の
蝶を
採ることはもちろん
規制されてしかるべきだろう。が、そういう
特殊な
例を
除けば、
昆虫採集の
禁止は、それこそ
近視眼的な
発想ではないかと
思う。
子どもが
採集するぐらいで、
蝉や
昆虫は
絶滅したりはしない。
山を
切り
崩したり、ゴルフ
場を
造ったりするほうがよっぽど
虫たちを
脅かすことになるだろう。
そんな
愚行から
虫たちを
守ろうと、
将来発想することができるのは、どんな
育ちかたをした
子どもだろうか。
蝉も
甲虫も
見たことがない、というのでは、はなはだ
心もとない。
ファーブルも、さまざまな
実験の
途中では、
多くの
虫たちを
死なせてしまっている。
蝉をフライにして
食べちゃったりもする。が、ファーブルが
心から
虫を
愛していた
人であることはいうまでもない。
昆虫採集禁止をとなえる
人は、ファーブルの
行為もまた
残酷だというのだろうか。
愛情は、なにもないところからは
生まれない。まず「
知る」ことが、
愛情のめばえのスタートだ。
(
俵万智「
二十一世紀の
子どもたちへ」(『
世界文学の
玉手箱四 昆虫記 下』(
解説)(
河出書房新社)
所収)より)