(Translated by https://www.hiragana.jp/)
課題集
長文 7.1週
【1】「いただきます。」
私は、
世界の
食べ
物の
中でカレーがいちばん
好きだ。カレーだと、
必ずおかわりをしなくては
気が
済まない。カレーのどこが
好きなのかと
聞かれてもおいしいものはおいしいのだから
理由などない。
この
前、
学校の
林間学校で、
飯盒炊さんをしてカレーライスを
作ることになった。【2】まず、
学校の
授業で、カレーに
使われる
材料や、カレールーの
歴史などについて
調べ、
発表をした。そこで、カレーの
材料にはいろいろな
人が
関わっていること、また、
長い
歴史があることが
分かった。そして、
自分の
家で、
一人でカレーライスを
作ることが
夏休みの
宿題の
一つとなった。
【3】カレーが
大好きな
私でも、
生まれてから
一度もカレーを
自分で
作ったことはなかった。
母に
教えてもらいながらやっとのことで
作り
上げたが、その
時、こんなに
大変なのに
林間学校で
自分たちだけで
作れるのかと
不安になった。
【4】その
不安を
抱えたまま、
林間学校が
始まり、
二日目の
夜に
飯盒炊さんが
行われた。もし、
作ることができなかったら、
私たちのその
日の
夜ご
飯はなしになってしまう。
私は
薪の
係りだった。お
米を
研ぎ、
野菜を
全て
切り
終わった
後に
火をつけた。【5】その
火はまるで、
紅葉したモミジのように
真っ
赤だった。
途中で、
火が
消えそうになって
慌てたが、
以前、
火を
作る
練習をした
時、
火が
消えそうになったらうちわであおげばよいと
習ったのを
思い
出した。みんなで、
一生懸命うちわであおぐと、
消えかけていた
火が
勢いを
盛り
返した。【6】しばらくすると、
飯盒から、
水滴がたれてきた。
薪でさわってみると、ぐつぐついっている
振動が
手にも
響いてくる。
「やったあ。」
なぜみんなが
喜んでいるのかというと、そうなったらご
飯が
炊けたという
合図だからだ。【7】
本当にできているか
確かめるために、
火から
下ろし、
軍手をした
手で
飯盒のふたを
開けてみた。すると、
真珠のような
真っ
白なご
飯が
姿を
現した。そのご
飯を
見たとき、
私はとにかくうれしかった。
ご
飯は、
飯盒ごと
逆さにして
蒸しておき、
私たちはカレーの
鍋の
方に
取り
組んだ。【8】しかし、このあと、
私たちは
小さな
失敗をしてしまった。
水を
多く
入れ
過ぎてしまったのだ。
鍋の
中はびちゃびちゃになっていたが、
私たちはあまり
気にすることなく
作業を
続けた。そして、やっとカレーの
方も
完成した。
【9】「いただきます。」
と
声をそろえ、
一斉に
食べ
始めた。
私は
水が
多すぎて、おいしくないカレーになっていないかと
思っていたが、その
心配は
無用だった。なぜなら、
家のカレーよりもおいしかったからだ。
私は、もちろん、それをおかわりした。
【0】この
飯盒炊さん
以来、
私はもっとカレーが
好きになった。
母が、
今日の
夕飯もカレーだと
言っていたので、とても
楽しみだ。
(
言葉の
森長文作成委員会 Λ)
長文 7.2週
【1】こうしてケーキミックスは
大ヒットした。アメリカ
国内で
売りつくすと、ヨーロッパやオーストラリアにも
進出した。どこでも
大当たりだった。そして
次の
有望な
市場として
日本に
目が
向けられた。
【2】
調査してみると、
日本はすっかり
欧米化しているようだった。
日本人の
食生活の
洋風化はきわだっており、インスタントコーヒー、
粉末スープなどの
市場がすくすくと
成長していた。
和菓子がおとろえ、
洋菓子に
人気が
集まっていた。【3】
洋菓子の
売り
上げ
全体の
一割でも
獲得できれば、
利益はじゅうぶん
得られる。
ただし、そのころの
日本にはオーブンを
持っている
家庭がほとんどなく、
従来のケーキミックスをそのまま
持ちこむわけにはいかなかった。【4】しかし、オーブンはなくても、
電気釜(
自動炊飯器)ならどの
家庭にもある。そこで、
電気釜で
作れるように
改良することがケーキミックスの
技術的な
課題になった。アメリカの
優秀な
技術陣は、この
課題を
解決し、りっぱな
製品を
作り
上げた。
【5】そして、
日本の
主婦にモニター(
意見を
述べる
役)を
依頼して、
実際に
電気釜でケーキを
作ってもらった。
評判は
上々だった。
この
結果をふまえ、ケーキミックスの
製造会社は
自信満々で
日本市場に
進出することを
決定し、
日本の
大手企業との
合弁会社(
資金を
出し
合って
作る
会社)が
設立された。【6】かなりの
宣伝費をかけて
売り
出すと、たちまちまねをする
会社が
現れて
似たような
製品を
発売するほどで、
成功はまちがいないように
思われた。
ところが、ケーキミックスは
日本の
市場では
完全な
失敗だった。【7】さっぱり
売れなかった。
この
段階になって、
初めて
私に
原因調査の
依頼があった。
私は
主婦を
集めてグループに
分け、
雑談形式で
話を
進めてもらった。
最初は
建て
前ばかりでも、だんだんうちとけて
本音を
言うようになるものである。【8】
初めのうち、ケーキミックスを
使ったことのない
人は、「おもしろそうね。」「
作ってみたい。」などと
言っていたし、
使用経験者も「なかなかよくできてる。」などと
好意的な
意見を
言っていた。【9】しかし、
話が
進むうちに、
「でも、あれは、バニラ(
香料の
一種)やチョコレートが
入っているのよね。」
という
発言があった。これをきっかけに、いっきょに、
売れない
理由が
解明されることになった。
【0】
日本の
食文化におけるお
米の
重要さはいうまでもない。
食生活が
欧米化したといっても、
一日のうちでいちばん
大事な
夕食が、いまだにお
米中心であるということは、
最近の
厚生省の
調査でも
明らかだ。
欧米の
若い
女性が
手作りのケーキのよしあしで
判断されたように、
日本のおよめさんにとっては、ふっくらした
白い
御飯をたくことが
重要な
課題なのだ。
ライス・カルチャー(お
米の
文化)といわれる
日本文化の
中で、お
米は
純粋さの
象徴なのである。
白米が
尊重され、カレーなどもあくまでも
後からかけるものであり、
茶飯やピラフは、しょせん
基本的な
調理にはなりえない。
その
御飯をたくのと
同じ
器でケーキを
作ると、バニラやチョコレートに
汚染されてしまうのではないか――。
日本の
主婦がひっかかったのはそこだった。
「
電気釜をよく
洗えばだいじょうぶだ」
というのは、ひじょうにあさはかな
考えで、
答えになっていない。
人間の
心理はそんなに
簡単なものではない。
日本人のこうした
感覚を
欧米人に
説明するために、
私はこういうたとえを
用いた。
「これは、イギリスの
主婦に、ティーポットでコーヒーを
作れ、というようなものだ。」
この
分析結果を
聞いたケーキミックスは、きっぱり
日本市場から
引き
上げていった。
問題が、そこまで
民族的な
伝統に
根ざしている
以上、
手の
打ちようがないからである。
(ジョージ・フィールズの「
電気釜でケーキがつくれるか」にもとづく。
開成中)
長文 7.3週
【1】
私は
改めて
自分の
部屋に
行ってみた。
昨晩母が
苦労して
片づけたおかげで、かなり
快適そうな
子供部屋になっていた。
全然見ない
百科事典が
全巻あるのも
今ならこの
部屋にふさわしい。まるで
賢い
子供の
部屋のようだ。【2】こんなキチンとした
部屋を
使用している
子供なら、
毎日規則正しく
予習復習をやり、
夕飯には
野菜スープと
肉の
焼いたやつなどを
食べ、
家族と
少し
談笑をした
後、
風呂に
入ってすみやかに
眠るのであろう。【3】そして
朝は
早起きをし、
遅刻などという
愚かしい
行為とは
縁がなく、
学力優秀で
人望も
厚いのである。もちろん、
親から
怒られる
事などない。
私とは、どこをとっても
異質な
子供の
部屋である。
【4】
明らかに
急激に
片づけたとバレる
気がする。
日常とは
違う、とってつけたような
空気が
充満している。
机の
上がきれいなのもわざとらしい。だが
机の
引き
出しを
開けてみると、
昨日捨てなかった
小物類がゴチャゴチャと
入っていた。【5】パンダの
貯金箱やゴムボールや、
紙せっけんや
半分使った
目薬もあった。こまかい
物を
母が
適当にこの
引き
出しの
中に
入れたのだ。ちらかっていた
昨日までの
子供部屋のミニチュア
版という
感じである。
【6】
一見きれいに
見えるこの
部屋も、
引き
出しを
開ければこんなもんである。
所詮、
茶番にすぎないのだ。
先生が
来る
時間が
近づくにつれ、
私は
憂鬱になっていった。【7】どうせ
母は
先生に、ももこはちっとも
勉強せずに
手伝いをするわけでもなく
怠けてばっかりというような
事を
話すであろう。
遅刻ギリギリに
登校するのは
朝のトイレが
長いせいだという
余計な
事まで
言うかもしれない。【8】
先生は
先生で、ももこさんは
学校では
特に
目立つ
活躍もない
生徒だからもっと
奮起を
望むところだというような
事を
母に
告げるであろう。そして
私は
先生が
去った
後に
母から「アンタしっかりしなきゃだめだよ」などと
言われるのが
関の
山である。
【9】そんなつまらない
情報を
交換するために
畳まで
替える
必要があるだろうか。「あーあ……」という
気分である。
やがて、
先生はやって
来た。
母は
先生をあの
安宿のような
和室に
招き
入れ、ヒロシの
仕入れたイチゴを
運んで
私についての
話を
始めた。【0】ふすまの
向こうから、
先生と
母の
声がきこえてくる。
時折両者の
笑い
声もきこえる。
私についての
話なのに、
何をそんなに
笑うのか、
気になるところである。
笑い
声がきこえればきこえたで
気になるし、
静まれば
静まったで
気になる。
自分の
事というのは
何かにつけ
気になるものである。
十五分余りで
話は
終わったらしく、
先生と
母が
子供部屋にやってきた。
先生は、
入ってくるなり「お、きれいに
片づいているなァ。
普段はもっとちらかっているだろう?」と
一番痛いところを
突き、
私と
母は
赤面した。だから、バレるようなことはしない
方がいいのだ。
先生は
私の
机の
上を
見て、「お、
机の
上もきれいになっているね。だけど
引き
出しの
中はどうかな」と
言って
引き
出しを
開けた。
万事休す。もうおしまいである。ゴチャゴチャな
引き
出しの
中を
見た
先生はプッと
吹き
出し、
私と
母はますます
赤面した。
脳天にマグマが
上昇してゆくような
熱さを
感じた。うつむいて
黙って
赤面している
間も、
新しい
畳の
匂いが
漂ってきてやるせない。
先生がお
土産を
持って
去った
後、
母は
私に「アンタ、もっとしっかりしなきゃだめじゃないの」と、
予想通りの
小言を
言った。
私は
母の
小言を「はいはい」と
軽くき
流し、
外へ
遊びに
行こうと
思って
店先に
出た。
(さくらももこ「あのころ」より。
東海大附属浦安中)
長文 7.4週
美術担当の
先生洋は、
学校の
近くで
開かれている
写生大会を
見まわりながら
指導していたが、その
途中で、
描くのに
苦労している
女の
子の
下絵をよかれと
思って
手伝った。
一方、
学校で
何かと
話題の
中心になる
根元少年の
姿が
見えず、
気になっていたが……。
ふりむくと――
根元少年が
立っていた。
―
先生は
描かんのきゃあ?
と、きいた。
―ん?
今日は
見まわるだけで
手一杯やからな。
正直に
答えてから、ふと
気になってきき
返した。
―
根元はもう
描いたンか。
根元少年は
黙って
画板をさしだした。
白紙だった。ピンを
外して
裏返して
見ても
何も
描いてなかった。
―
今までなにしてたンや。
ちょっときつい
声になってとがめるように
言ってしまった。
根元少年は
平気で、チョウチョを
追いかけとった――と
答えた。
―
白紙なんか
受けとらヘンよ。
と
言ってやっても、やっぱり
平然としている。そしてさっきとおなじ
質問をした。
―
先生は
描かんの?
―
描く
用意してへんさかいなあ。
根元少年は
黙って
自分の
画板と
絵具箱と、カンヅメを
利用した
水入れをさしだした。
―
根元のを
描いてやるわけにはいかんがな。
やんわり
断ると、
根元少年はついと
横をむいて
鼻を
鳴らした。
―
女の
子のは
手伝ってやったのによ……。
どこからか
見ていたらしい。
―あんまりおそいから、ほんのちょと
手伝うたンや。
弁解がましくなると
知りながらも
正直に
説明した。すると
根元少年は
自分の
画用紙を
指して、おれの
方がもっとおそい……と、つぶやいた。
―それはちがうで。あの
子は
一生懸命やってもおくれたンや。
根元はチョウチョを
追うとっておくれてただけやろ。
さすがに
洋もちょっととんがった
声で
言ってやると、
根元少年は
首をすくめ、
―
言えてる。
さすがに
自分のさぼったことをみとめた。
―
今からでも
描くか。
手伝わンけど、
見てたるさかい……。
洋が
誘うと、
根元少年は
素直にうなずいた。
―どこで
描くンや?
―さっきの
女の
子のとこ。
根元少年はただちに
答えた。
―あそこ、
先生の
気にいったとこだろが。
―なんでわかるンや?
―チョウチョ
追いかけながらでも
気がついとったけど、
先生、あそこに
五ヘンも
立ってたもんだでよ。
(ちゃんと
見ておったンやな。いや、おれをつけとったな。そやさかい、こっちが
探しても
見つからんわけや……。)
洋は
苦笑して、さっきの
場所へいそいだ。ところがそこで
思いもかけない
光景を
見てしまったのだ。
(
今江祥智 「
牧歌」)
長文 8.1週
【1】「いってらっしゃい。」と
妹、「
早く
帰ってきてね。」とぼく、そして、「
気をつけてね。」と
母の
声。
「
行ってくるよ。ゆうすけ、あっこちゃん、
学校がんばってな。」
毎朝、
同じ
会話が
交わされ、
静かな
朝の
道へオートバイが
走り
出していく。
父の
出勤だ。
【2】
父は、
消防署に
勤務している。いつ、どこで
発生するかわからない
火災や
事故を
相手にする
緊張した
仕事だ。
朝出勤すると
翌日の
朝まで
帰らない。
日曜も
祭日もなく
一日おきに
勤めている。
非番で
家にいる
日も
午前中は
寝ている。
前日は
勤務で
寝ていないからだ。【3】
父が
寝ている
間は、
家族も
音を
立てないようにして
歩かなければならない。「いやだ。
消防署なんてやめちゃえ。」と、
父の
仕事を
憎く
思ったこともある。しかし
午後、
目が
覚めると
僕と
妹に
本を
読んでくれたり、
一緒に
遊びに
出かけてくれたりする。
制服を
脱ぐと
本当に
優しい
父だ。
【4】
三年生のとき、
社会科で
消防署の
仕事について
習った。
市民の
安全を
休みなく
守る
消防士さん、それが
僕の
父なのだ、と
思ったとき、
僕は
初めて
父の
仕事に
感謝し、その
仕事を
誇りに
思った。
無遅刻、
無欠勤で
働き
続けたために、
署の
招待で
家族旅行に
行ったこともある。【5】
新婚旅行をしなかった
両親にとって、
結婚十周年を
兼ねた
旅行となり、とても
楽しかったそうだ。また、
十五年勤務のおいには、
母も
消防署に
招かれ、
感謝状を
贈られた。
「
火災出勤があるとね、
神様に
手を
合わせて、どうか
無事に
勤めが
果たせますように、って
拝むのよ。」
と
母は
話してくれた。【6】
冬の
夜、
緊急の
出動があるときも、
母は
飛び
起きて
父を
送る。そのあと
風呂をわかしたり、
布団をあたためたりして、
寒くても
父の
帰りを
待っている。そんな
母の
心づかいを、きっと
父も
感謝しているに
違いない。
【7】
父の
頭の
中はまるで
市内の
地図だ。
休みの
日、
車で
街を
走ってもらうと、いろいろな
道を
知っていることに
驚く。
地図で
調べたり、
道を
聞きながら
走ったりしたのでは
火事が
広がってしまうから、
父にとっては
当たり
前のことなのだろう。
【8】「
消防士の
仕事は、
一秒が
大切だ。だからといって、
早ければいいわけじゃない。
失敗や
事故は
許されないから、
正確でなくてはいけない。だから、
心にゆとりを
持つことだ。そして、いつでもきちんと
動けるように、
体を
大切にしないとね。」
父はそう
話す。【9】なんだか
父の
勤務への
心構えは、いつも
僕たちに
何かを
教えているように
思えてくる。
健康な
体。
早く
正確に。
心にゆとりを。
多くの
人の、
仕事や
日々の
生活にとって、
同じように
考えられると
僕は
思うのである。【0】
(
言葉の
森長文作成委員会 ι)
長文 8.2週
【1】みなさんには、まだ
字を
読めないころの
読書体験がありますか。いや、これは
矛盾していますね。
字を
知らなければ、
読書はできない。い
直しましょう。【2】
字が
読めないことを
意識しつつページをめくり、「ここには
何が
書いてあるのだろう」と
思い、もどかしい
興奮をおぼえたことがありますか――ちょうど
開かずの
間の
戸を
見るように。
わたしにはあります。【3】
雑誌だったか、その
付録だったか、とにかく
兄の
本です。そこに「
漫画の
描き
方」のようなものがのっていました。しかし、
字は
読めない。だからこそ、
想像を
絶するほどおもしろかったのです。で、また
矛盾したことを
申し
上げましょう。【4】そのおもしろさを、
想像してみてください。そこにあったのは、
実に
不可思議な
世界です。
技法説明のため、さまざまな
表情や
姿がならんでいました。かと
思うと、それらを
生み
出す、
裏方のペンやインクの
絵が
描いてあったりします。
【5】わたしが
一番強烈におぼえているのは、こういう
場面です。
古い
漫画の
手法では、
人が
歩いた
後に、マッシュルームを
横にしたような
印が、
次々についていきます。
砂ぼこりの
象徴なのでしょう。【6】さて、その
本の
中の
人物は、ほこりマークを
現実にあるもののように
扱っていたのです。
手に
持っていたのかもしれません。
拾い
集めていたか、あるいは、
歩く
人物の
後ろに
置いていったのかもしれません。【7】そうやって、
描き
方を
説明していたのです。なんとも
奇妙な
絵でした。「ここに
書いてある
字が
読めたらなあ」と、
強く
思いました。どういう
部屋のどのあたりにすわっていたかも
含めて、その
時の
記憶が
鮮やかにあるのです。【8】
小学生になってからも、
時々、あの
漫画にもう
一度会いたいと
思いました。
さて、「
漫画の
描き
方」は、
本来の
目的からいえば、
鑑賞のためにあるのではなく、
実用のためにあるものです。【9】しかし、わたしにとって、それは
謎に
満ちた
物語、
通常の
音階を
持たぬ
歌だったのです。これこそ、
本というものの
持つ
力ではないでしょうか。たとえば、
夏目漱石の
読み
方に、これという
絶対の
正解があるのなら、われわれは、その
答えを
人から
聞けばいい。【0】しかし、
漱石への
対し
方は
読者の
数だけあります。
下手な
手品は
一方からしか
見られないといいます。しかし、
魔法は、
上から
下から
斜めから
見ても、
人の
後ろに
立って
見ても、
遠く
離れて
望遠鏡で
見ても
魔法でしょう。ある
人には、
胸のポケットから
取り
出したものが
蝶と
見え、また、ある
人には
蜂鳥と
見える。しかし、どちらも
真実なのです。
つまり、
本を
読むというのは、そこにあるものをこちらに
運ぶような
機械的な
作業ではない。
場合によっては、
作者の
意図をもこえて、
我々の
内になにかを
作り
上げて
行くことなのだと
思います。
しかし、
仮にあげた
例は、あくまでも
例なので、
今あの
時の「
漫画の
描き
方」が
手に
入ったとしても、それは
昔のかがやきをもったものではないでしょう。
幼い
日に
読んで
血をわかした
本が、
後年読み
返してみると、
思いの
外につまらなかったりすることは、
間々あるものです。けれども、
砂時計を
手に
取りひっくり
返すように、あるときからは、また
新しい
砂が
積もりだすものです。
中学生の
時、
読んで
少しもおもしろくなかった
本の
妙味が、
年を
重ねることによってわかるようになったりもします。
そういう
読みにたえられる、
厚みを
持ったものが、
古典です。
手ごわい
相手、
理解できない
書に
行きあたると、
文字の
読めない
幼児のように、その
昔に
帰ったようにもどかしく、「この
本が
読めたら」と
足ずりしたくなります。
歯の
立たないものをかんだようなつもりになって、
見当違いの
解釈をすることも
多い。だが、わたしにとっては、それこそが
読書の
楽しみなのです。
(
女子学院中)
長文 8.3週
【1】ユーモアについて、
話がしたくなりました。
第二次大戦の
時、イギリスの
主要都市は、ドイツ
空軍の
激しい
爆撃にさらされました。
特にロンドンは
熾烈でした。【2】この
時、
建物を
大破されたロンドンのあるデパートが、
「
平常通り
営業。
本日より
入口を
拡張しました」
というカンバンを
出しました。よく
知られているエピソードです。
先日、イギリス
人がユーモアについて
書いてあるものを
読んだらこうありました。
【3】「
私たちイギリス
人は、『ユーモアのセンス』というものには
特別のプライドを
持っているし、また、それについて
敏感である。たとえばイギリス
人に
向かってモラルがないとか、
仕事ができないと
言ってもおこりはしない。【4】
自分には
音楽がわからない、と
自慢する
者もいる。しかしイギリス
人にユーモアのセンスが
無いと
言ったらぶんなぐられるはずだ。
他国では、
人の
悪口を
言うとき、ばか、
臆病者、
極悪人などと
呼ぶが、イギリスでは『ユーモアのセンスが
無いね』と
言うのである。【5】これは
最高の
侮辱となる」
国民性のちがいと
言ってしまえばそれまでですが、
日本では、ユーモア
感覚は、それほどまでには
高く
評価されていないように
感じます。【6】「お
互いにもっとユーモアの
感覚をみがこう」というより「
人間マジメに、
一生懸命に
働くのが
一番だ」という
言葉のほうが、
説得力を
持つのではないでしょうか。
【7】
空襲で
爆破されたデパートが、「
本日より
入口を
拡張しました」というカンバンを
出すなんて
不真面目だ。「
空襲による
被害のためお
客様にご
迷惑をおかけいたします」と
書くべきだ。というのが
真面目な
人の
反応でしょう。
【8】
真面目な
国から
真面目をひろめにやってきたような
人っているものです。そういう
人は、もしかしたら
欠陥人間と
呼んでいいかもしれません。
自動車のハンドルにあそびがあるからこそ、
自動車を
安全に
運転することができます。【9】ユーモアは
命を
運転して
人生をわたっていくのに
欠かすことのできないものです。
と
言いながら、
生真面目ない
方になりますが、
明治以来、
日本の
文学は
喜怒哀楽の
怒と
哀だけに
片寄り
過ぎたように
思います。【0】
喜びや
楽しみを
書いたものは
評価が
一段低かった。
近代の
苦悩について
書いたものが
文学としては
上等で、
人生の
深みにおもりを
下ろしていると
最敬礼されてきました。
詩に
限ってみても、
上質の
軽みに
成熟を
示した
詩、ユーモアの
詩が
書かれるようになったのは
戦後のことです。
ただ、ユーモアというものは、
論理で
解釈できるものではなく、それを
受信する
感性の
装置をそなえているかどうかなのですね。
頭がどんなによくても、それだけではだめ。いくら
知識があっても、それだけではだめだということです。
「
平行な
二直線が
他の
直線と
交わってできる
錯角は
等しい」という
定理なら、これを
証明することができます。しかし、ユーモアは、たとえるなら
花のかおりのようなもので、
口ではうまく
説明できない。
数学なら
数学、
物理なら
物理、こういう
真面目なことというものは、
一生懸命努力すれば
分かります。
少なくとも
分かるはずです。しかし、ユーモアというものは、ユーモラスと
感じるか
感じないかというセンスの
問題になるわけです。
(
横浜共立学園中)
長文 8.4週
「そう。
古田の
婆さん、なんていったの?」
「……なんにも……」
「
貸してくださいっていったんでしょう?」
「……うん……」
「でもだまってたの?」
「……うん……」
そのあと
母がなにもいわないので、ぼくは
母を
上目づかいにみた。
母はやさしく
笑ってぼくをみているだけだった。でも、
母は
泣いていた。ぼくに
笑いかけながら、
涙が
頬をつたっていた。ぼくは
母をなかせてしまったとせつなくなった。
本当のことをいわなければ。ぼくは
重い
口を
開いた。
「
貸してって、
心の
中で、いったんだ……。
口にだしていわなかった……」
「そう」
母はぼくの
手をとった。
細くて、あたたかくて、
白くて、きれいな
手だった。あのぬくもりはいまでもぼくの
手に
残っている。
「
久志は
自分がどういうことをしたか、わかっているわよね」
「……うん……」
「これからは
絶対にそんなことをしちゃだめよ」
母はやさしくぼくを
諭した。
「
約束してくれる?」
「……うん……」
「
父ちゃんに、ちゃんとお
金を
返してもらおうね」
「うん」
「
約束だよ。
久志がやったことは
人間としてやってはいけないことなの。でも、
本当のことをいってくれて、
母ちゃん、
久志のこと、
安心したよ。
本当のことをいうのは、
勇気がいるよね。でも
母ちゃんは、
久志はほんとうのことをいってくれるとしんじていたよ」
そういうと、
母は
突然ベッドの
上で
息を
詰まらせたように
泣き
出した。ぼくの
手をにぎり、ぼくをみつめたまま、ポロポロと
涙をこぼした。
「ごめんなさいね。
母ちゃん……
本当にごめんなさいね」そういって
母は
震えだした。
なぜ
母がぼくに
謝らなければならないのだろう? ぼくはとまどい、どうしていいのかわからず、だまって
母をみつめることしかできなかった。
「ごめんなさいね。
本当にごめんなさいね」
母は
声を
震わせていつまでもぼくに
謝るのだった。いつまでも……。
(
川上健一「
翼はいつまでも」)
長文 9.1週
【1】「まあ、ありがとう。」
祖母は
目を
細めた。
今日は、
祖母の
七十歳の
誕生日。
古希と
言う、おめでたい
節目の
年齢だ。
私は、
小さいころから
大好きだった
祖母にどんなおいをしようかずっと
頭を
悩ませていた。【2】
一つ
前の
六十歳のおいのときは、
小さくてまだ
何もわからなかったので、
特別な
年の
誕生日はこれが
初めてである。
最初はお
小遣いを
貯めて、
喜ぶものを
買ってあげようかと
思っていたのだが、お
年寄りの
気に
入るものを
選ぶのはなかなか
難しいし、お
金も
足りない。【3】そこで、
私は
自分にしか
作れない
手作りの
贈り
物をすることにした。
作文、
詩、
手紙、
絵、
私は
自分が
得意なもので
勝負しようと
考えた。
親友のちかちゃんのように
手芸が
得意だったらさらによかったのだが。
【4】
私は、いろいろなアイディアを
頭にめぐらせた。
祖母がびっくりするようなもの、
記念になるようなもの、そして
何より
私らしいものがいいと
思った。
私は
書くこと、
創作が
大好きだが、とりわけ、
物語を
作るのが
好きだ。【5】そうだ、
祖母の
登場する
物語、いや、いっそのこと、
祖母の
伝記を
作ってみよう。
私は
自分の
壮大な
企画に
驚いたけれど、まだ
時間はあるし、ぜひやってみようと
思った。
祖母にわからないように、
母や
親戚のおばさんたちから
話を
集め、
少しずつ
書き
溜めた。【6】
祖母が
若いころのモノクロの
写真も
手に
入れた。
父の
手も
借りて、パソコンを
使って
編集した。
字は
祖母に
読みやすいように
大きなフォントにした。きれいな
色のかわいいイラストも
入れた。
【7】おいの
会直前に
仕上がった「おばあちゃんの
伝記」は、
予想以上のできばえで、
大人たちの
豪華なおいの
品にも
見劣りがしない
気さえした。うれしいことに
祖母は、
会の
間中、
何度もそれを
手にとって
見ていた。【8】
私は、
正直なところ、
自分がここまでできると
思わなかったので、どうしてこんなにがんばれたのかを
考えてみた。そして、
作っている
間中、いつも
祖母の
喜ぶ
顔を
思い
浮かべていたことに
気付いた。【9】
今までは、
祖母からしてもらうことばかりだったけれど、
今度は
祖母を
喜ばせることができるかもしれないという
思いが
原動力となっていたのだ。
私は、この
体験を
通じて、
人間にとって
贈りものとは、
贈る
相手のことを
考え、それを
形にするという
行為なのだなあと
思った。【0】
(
言葉の
森長文作成委員会 φ)
長文 9.2週
【1】
噴水は、
飲めない
水である。
浴びることの
出来ない
水である。しかも、その
水はただそこを
循環しているだけであるから、
何ものをも
潤さない。
言ってみれば、
何の
役にも
立たないものなのだ。そして、それがいい。【2】
都市住民は、すべてが
役に
立つという
環境に
馴らされているから、
目の
前に
突如として
何の
役にも
立たないものが
出現すると、それだけで
文化的衝撃をうけ、
深く
困惑する。つまり、この
困惑が
新たな
文化を
創り
出すのであり、
噴水はそのためのものであろう。
【3】
現在先進諸国の
各都市では、
経済活動から
文化活動へいそしむべく、
都市とその
住民に
方向転換を
促しつつあり、
都市の
各所に「
何の
役にも
立たないもの」を
出現させることで、
住民に
文化的衝撃を
与えることが、
静かに
流行しはじめている。【4】ドイツのミュンヘンの
街角に、コインの
投入口のない
自動販売機が
出現したのは、まだ
記憶に
新しいところであろう。【5】もちろん
当初ミュンヘンの
住民は
苛立って、その
自動販売機を
叩き
壊したが、
壊された
自動販売機がまた
次の
日、
元通り
投入口のないまま
立っているのを
見て、やめたのである。
【5】
現在その
自動販売機の
周辺にはベンチが
配置され、
人々は
噴水の
周辺に
群がるように、やや
困惑しながらたたずんでいる。【6】もちろんミュンヘンには
噴水もあり、それも
住民に
対して
同様の
効果を
発揮してしかるべきなのであるが、ミュンヘンの
住民は、コインの
投入口のない
自動販売機ほどには
噴水を、「
役にたないもの」と
見なさない
傾向にあるようなのだ。【7】もしかしたらミュンヘンでは、
噴水の
水で
洗濯をしてもいいことになっているのかもしれない。
【8】パリの
エッフェル塔の
近くの
噴水でも、この
夏人々が
水浴びをしていたから、
間もなく
彼等も、もし
文化的に
向上したいのなら、「もっと
役にたないもの」を、どこかに
出現させなくてはいけなくなるであろう。【9】「
金を
受け
取らない
乞食」などというものが、どこかの
街角にうずくまることになるかもしれない。
その
点、
日本人はまだ
大丈夫である。
噴水は、
依然として「
役にたないもの」であり
続けており、
周辺に
群がる
人々も、
依然として「どうしていいかわからない」まま、
困惑している。【0】ただし、
油断は
出来ない。
夏の
日照りが
続き、
恒例の
水不足になると、
都市によっては
噴水の
水を
停めてしまうところがあるからである。
前述したように、
噴水の
水というのは
同じものが
循環しているだけなのであるから、どんなに
水不足の
場合でも、
停める
必要はない。
停めたって、
水不足を
補うことにはならないのだ。
にもかかわらず
停めるのは、
水不足について
都市住民の
多くが
心配しているという
局面に、そぐわないと
考えるからであろう。この
考え
方がよくない。「そぐわないからこそ
噴水は
噴水なのである」という
視点が、ここには
欠落している。「
真剣に
生活しているものの
生活感覚を、さかなでするものであるからこそ
噴水は
噴水なのである」という、まさしく
噴水の
立脚点とでも
言うべきものが、
無視されている。
つまり、
各都市が
水不足になる
度に、
我々の
噴水は
危機に
立たされていると
言っていいだろう。
言うまでもなく、
単に
水が
停められてしまうからではない。「
停めなければならない」と
考える
人々の
姿勢の
中に、
噴水の
真に
噴水たるものを
否定する
傾向が
芽生えるからである。
噴水に、
電気仕掛けの
細工をしたり、
照明で
色をつけたりするのもよくない。
見ているものを
楽しませようとする
工夫であろうが、あれも、
噴水の
真に
噴水たるものを
見えにくくさせる。
噴水は、ただ
水を
噴き
上げていればいいのである。
(
別役実『
都市の
鑑賞法』による。サレジオ
学院中)
長文 9.3週
【1】
世界じゅう、どこに
行っても
日本人の
旅行者たちは、
身のまわりに、「
日本」をもって
動き
回る。
食べものも
飲みものも
言語も、ことごとく
日本のもの――それにとりかこまれていないとなかなか
安心できないのである。【2】
旅行者たちをとりかこむ
小さな「
日本」、あるいは、
彼らが
持ち
歩く「
日本」、それを、わたしは「
文化的カプセル」と
名づける。
日本人は、
日本文化を
微分化した
小さなカプセルの
中に
入って、そこではじめて、
安心するのである。【3】
日本航空の
客室は、そうしたカプセルのひとつであり、また
日本人専用のホテルや
観光バスもそれぞれに、「
文化的カプセル」である。その
中に
入っているかぎり、
目にみえない
文化の
皮膜のようなものが、
日本人を
外界から
遮断してくれるのである。【4】そして、その
皮膜の
中から
日本人はほとんど
足をふみ
出そうとしない。もちろん、
人間というものは、おしなべて
保守的な
存在であって、
自分にとってなじみのある
世界から
離れることを
非常に
嫌う
習性がある。【5】じっさい、
日本の
観光客が「
日本」にすっぽりとつつまれていることを
批判するアメリカ
人だって、みずからが
外国旅行に
出かけるときには、アメリカ
文化の
皮膜を
身のまわりに
張りめぐらしているではないか。【6】
彼らは、アメリカの
航空会社の
飛行機にのり、
世界の
主要都市につくられたアメリカ
資本のホテルに
泊り、そして、
食事といえばアメリカ
風ハンバーガーだの、ステーキだのに
安住する。
文化的カプセルは
日本だけの
特産品なのではない。【7】アメリカ
人だって、フランス
人だって、それぞれの
文化的カプセルにつつまれて
生活するのが
快適なのだ。そもそも「
文化」というのは、そういう
性質のものなのである。【8】
日本人だけが「
文化」の
皮膜にかこまれていると
考えるのは、まちがいだ。
しかし、おそらくひとつ
問題として
残るのは、その
皮膜の
強度の
問題であろう。【9】そしてわたしのみるところでは、
日本人の
場合、とりわけその「
文化的カプセル」の
外皮膜は、かなり
強く、それを
内がわから
破ることを
日本人はあまりしたことがないように
思えるのだ。
【0】ある
年のお
正月にも
日本から
一万人以上の
観光客がハワイにやってきた。そんなにたくさんの
日本人が
一度に
来たのは、ハワイにとってはじめてのことであったから、ハワイ
州の
観光局は、
観光客を
歓迎して
特別のプログラムを
組んだ。すなわち、ホノルルの
市民に
呼びかけて、
日本の
人たちを
家庭に
招きましょう、という「
家庭訪問」プログラムをつくったのである。じっさいハワイのホテルに
宿泊し、
観光バスに
乗っているだけでは、ハワイ
生活、あるいはアメリカ
生活というのはわからない。
相互の
理解を
深めるためには
家庭に
招くのがいちばんよろしい。
招くといってもせいぜい
一時間か
二時間、お
茶でもさしあげましょう、といった
程度の、きわめて
気楽で
簡単なご
招待だ。
大変結構なアイデアである。このプログラムはホノルルの
新聞でもくわしく
伝えられた。そして、
数千人の
市民たちが、ぜひ
日本からのお
客をもてなしたい、と
申し
出た。
観光局はそのリストを
整理して
観光客を
待ち
受けた。そして
次から
次へと
到着する
日本人旅行者に、どうぞハワイの
家庭を
訪ねてください、とさそったのである。
ところが、
驚くべきことが
起こった。この
一万余の
日本人が、ことごとく
尻ごみしたのである。
関心を
示さないのである。
結局のところ、この「
家庭訪問」プログラムに
応じてホノルルの
家庭を
訪ねた
日本人は、たった
六人であった。
観光局が
準備した
歓迎計画は、
完全に
失敗した。
しかし、もしこれと
同じようなことを、
事態を
逆転して
考えてみるとどういうことになるだろうか。つまり、アメリカから
日本への
観光客に、
日本の
家庭を
訪ねてみませんか、とさそってみたら、どういう
結果になるだろうか。わたしの
観測では、
多くのアメリカ
人は
身をのり
出して、ぜひ
訪問してみたい、と
好奇の
目を
光らせるにちがいないのである。
外国に
出かけたのだからその
土地の
人と
知り
合いになってみるのはおもしろいことだ。いったいどんな
家で、どんなふうにこの
人たちは
暮らしているのだろう――そういう
好奇心が
西洋人の
心の
中に
芽生えるのである。
(
富士見中)
長文 9.4週
日本人は
笑わないなどと
言えば、すこし
大げさになりますが、
少なくも、
日本人は
表情にとぼしい、
心の
中の
感情を
顔や
動作に
表さない、ということは、よく
言われることです。なるほど
言われてみれば、そのとおりです。
日本人はいつもお
能の
面のように、
表情のない
顔をしている、と
言った
人もいます。
また
日本人は
戦争が
好きだ、
命を
捨てることをなんとも
思っていない、ということも、
世界中で
評判になっています。そして
古くは、ハラキリ、
近ごろでは、カミカゼというような
日本語が、ひろく
外国にまで
伝えられているほどです。(
中略)
あまりありがたくない
評判ばかりならべましたが、
実はうれしい
評判だってあるのです。たとえば、
日本人は
勤勉だ、
朝早くから
夜おそくまでよく
働く、ともいわれています。また、
日本人はとてもきれい
好きだとか、がまんづよい、どんな
苦しいことでも、
歯をくいしばってよくがまんするとか、
日本人は
手先が
器用で、りっぱな
美しいものを
生み
出すとか、いろいろなことをいわれているのです。それがわたしたちにとって、ほんとうによろこんでいいことなのかどうかということは、よく
判断してみなくてはなりません。しかし
世界の
人たちの
目には、
日本人がそういう
姿で、うつっているのです。
日本の
文化について、ある
外国人が、
次のように
書いているのを
読んだことがあります。
日本は
二階建ての
家で、
二階には
西洋式の
生活や
風俗や
文化が、なにからなにまでそろっている。また
一階にはむかしながらの
生活や
風俗、
日本式の
文化がそのまま
残っている。しかし、ふしぎなことは、その
一階と
二階とを
結ぶ
階段がみあたらないことである。――と、そういうたとえを
引いて
日本の
文化の
姿を
批評しているのです。このたとえも、たしかにおもしろいと
思います。わたしたちの
生活のまわりを
見渡しても、たとえば
洋服と
和服(
着物)、
靴とげた、いすの
生活と
畳の
暮らし、
洋食と
日本料理、
西洋画と
日本画、
西洋音楽と
日本音楽、――といったように、
一方では
日本にむかしから
伝わっているものがよろこばれています。
町を
歩いてみても、ヨーロッパやアメリカの
町にくらべて
少しもおとらない、りっぱなビルディングが
立ちならび、
電車や
自動車がめまぐるしく
走っている。ところが、その
町の
中にも、のれんをかけ、
店さきに
畳をしいた、むかしふうのお
店があるし、
白壁の
土蔵も
見られるし、また
神社の
鳥居がたっていたり、お
寺のあたりからお
線香の
煙りがにおってきたりする。きれいな
訪問着に
着飾ったむすめさんが、デラックスな
自動車から
降りても、わたしたちはあたりまえのこととしてふしぎに
思いませんが、
外国人の
目から
見ると、ずいぶんめずらしいことなのでしょう。それと
同じことで、よくおすし
屋や、おそば
屋などの
店さきに、テレビが
置いてあって、そのそばに、
酉の
市で
買ってきた
大きなくまでが
掛かっていたりする、そんな
風景も、
外国人にはふしぎでたまらないようです。
一九五七年に
日本を
訪れたソビエトの
作家エレンブルグは、
次のように
書いています。
「
日本は、
外から
来るものをおどろかせる。
最初にめにうつるすべてのものが、ひどく
矛盾しているように
思われる。
電化された
汽車、いすの
背の
角度を
自由に
調節できる、
乗り
心地のよい
車室、そこには
食堂もついている。
給仕のむすめが
香の
高いコーヒーを
運んでくれる。
着物姿のふたりの
日本のむすめが
手文庫に
似た
小さな
箱を
開けて、
生魚やほした
昆布をつめ
合わせたお
米の
弁当を
食べている。
食事がおわると、
本をとり
出す。ひとりはサルトル(フランスの
作家)の
小説を
手にしているし、もうひとりは
家政の
教科書を
読んでいる。こんな
光景を
見ていると、
自分がいったい
世界のどこにいるのか、アジアにいるのか、ヨーロッパにいるのか、アメリカにいるのか、わからなくなる。しかも
古い
時代、
新しい
時代、さまざまな
世紀がからみ
合っているのだ。
日本では、どの
日本人も
一日のうち
何時間はヨーロッパ
的な、またはアメリカ
的な
生活を
送り、また
何時間かはむかしながらの
日本の
生活を
送っている。
日本人のなかには、たがいに
異なる
二つの
世界がいっしょに
存在している。」
わたしたちは
日ごろ
見なれていて、なんとも
思わないことが、
外国人の
目にはこのようにうつっているのです。
(
岡田章雄「
日本人のこころ」)