(Translated by https://www.hiragana.jp/)
課題集
長文ちょうぶん 7.1しゅう
【1】「いただきます。」
 わたしは、世界せかいものなかでカレーがいちばんきだ。カレーだと、かならずおかわりをしなくてはまない。カレーのどこがきなのかとかれてもおいしいものはおいしいのだから理由りゆうなどない。
 このまえ学校がっこう林間りんかん学校がっこうで、飯盒はんごうすいさんをしてカレーライスをつくることになった。【2】まず、学校がっこう授業じゅぎょうで、カレーに使つかわれる材料ざいりょうや、カレールーの歴史れきしなどについて調しらべ、発表はっぴょうをした。そこで、カレーの材料ざいりょうにはいろいろなひとかかわっていること、また、なが歴史れきしがあることがかった。そして、自分じぶんいえで、一人ひとりでカレーライスをつくることが夏休なつやすみの宿題しゅくだいひとつとなった。
 【3】カレーが大好だいすきなわたしでも、まれてからいちもカレーを自分じぶんつくったことはなかった。ははおしえてもらいながらやっとのことでつくげたが、そのとき、こんなに大変たいへんなのに林間りんかん学校がっこう自分じぶんたちだけでつくれるのかと不安ふあんになった。
 【4】その不安ふあんかかえたまま、林間りんかん学校がっこうはじまり、二日ふつかよる飯盒はんごうすいさんがおこなわれた。もし、つくることができなかったら、わたしたちのそのよるはんはなしになってしまう。わたしたきぎまきかかわりだった。おこめぎ、野菜やさいすべわったのちをつけた。【5】そのはまるで、紅葉こうようしたモミジのようにだった。途中とちゅうで、えそうになってあわてたが、以前いぜんつく練習れんしゅうをしたときえそうになったらうちわであおげばよいとならったのをおもした。みんなで、一生懸命いっしょうけんめいうちわであおぐと、えかけていたいきおいをかえした。【6】しばらくすると、飯盒はんごうから、水滴すいてきがたれてきた。たきぎまきでさわってみると、ぐつぐついっている振動しんどうにもひびいてくる。
「やったあ。」
なぜみんながよろこんでいるのかというと、そうなったらごはんけたという合図あいずだからだ。【7】本当ほんとうにできているかたしかめるために、からろし、軍手ぐんてをした飯盒はんごうのふたをけてみた。すると、真珠しんじゅのようなしろなごはん姿すがたあらわした。そのごはんたとき、わたしはとにかくうれしかった。
 ごはんは、飯盒はんごうごとさかさにしてしておき、わたしたちはカレーのなべほうんだ。【8】しかし、このあと、わたしたちはちいさな失敗しっぱいをしてしまった。みずおおぎてしまったのだ。なべなかはびちゃびちゃになっていたが、わたしたちはあまりにすることなく作業さぎょうつづけた。そして、やっとカレーのほう完成かんせいした。
【9】「いただきます。」
こえをそろえ、一斉いっせいはじめた。わたしみずおおすぎて、おいしくないカレーになっていないかとおもっていたが、その心配しんぱい無用むようだった。なぜなら、いえのカレーよりもおいしかったからだ。わたしは、もちろん、それをおかわりした。
 【0】この飯盒はんごうすいさん以来いらいわたしはもっとカレーがきになった。ははが、今日きょう夕飯ゆうはんもカレーだとっていたので、とてもたのしみだ。

言葉ことばもり長文ちょうぶん作成さくせい委員いいんかい Λらむだ


長文ちょうぶん 7.2しゅう
 【1】こうしてケーキミックスはだいヒットした。アメリカ国内こくないりつくすと、ヨーロッパやオーストラリアにも進出しんしゅつした。どこでも大当おおあたりだった。そしてつぎ有望ゆうぼう市場いちばとして日本にっぽんけられた。
 【2】調査ちょうさしてみると、日本にっぽんはすっかり欧米おうべいしているようだった。日本人にっぽんじん食生活しょくせいかつ洋風ようふうはきわだっており、インスタントコーヒー、粉末ふんまつスープなどの市場いちばがすくすくと成長せいちょうしていた。和菓子わがしがおとろえ、洋菓子ようがし人気にんきあつまっていた。【3】洋菓子ようがし全体ぜんたいいちわりでも獲得かくとくできれば、利益りえきはじゅうぶんられる。
 ただし、そのころの日本にっぽんにはオーブンをっている家庭かていがほとんどなく、従来じゅうらいのケーキミックスをそのままちこむわけにはいかなかった。【4】しかし、オーブンはなくても、電気でんきがまでんきがま自動じどう炊飯すいはん)ならどの家庭かていにもある。そこで、電気でんきがまでんきがまつくれるように改良かいりょうすることがケーキミックスの技術ぎじゅつてき課題かだいになった。アメリカの優秀ゆうしゅう技術ぎじゅつじんは、この課題かだい解決かいけつし、りっぱな製品せいひんつくげた。
 【5】そして、日本にっぽん主婦しゅふにモニター(意見いけんべるやく)を依頼いらいして、実際じっさい電気でんきがまでんきがまでケーキをつくってもらった。評判ひょうばん上々じょうじょうだった。
 この結果けっかをふまえ、ケーキミックスの製造せいぞう会社かいしゃ自信満々じしんまんまん日本にっぽん市場いちば進出しんしゅつすることを決定けっていし、日本にっぽん大手おおて企業きぎょうとの合弁ごうべん会社かいしゃ資金しきんってつく会社かいしゃ)が設立せつりつされた。【6】かなりの宣伝せんでんをかけてすと、たちまちまねをする会社かいしゃあらわれてたような製品せいひん発売はつばいするほどで、成功せいこうはまちがいないようにおもわれた。
 ところが、ケーキミックスは日本にっぽん市場いちばでは完全かんぜん失敗しっぱいだった。【7】さっぱりれなかった。
 この段階だんかいになって、はじめてわたし原因げんいん調査ちょうさ依頼いらいがあった。わたし主婦しゅふあつめてグループにけ、雑談ざつだん形式けいしきはなしすすめてもらった。最初さいしょまえばかりでも、だんだんうちとけて本音ほんねうようになるものである。【8】はじめのうち、ケーキミックスを使つかったことのないひとは、「おもしろそうね。」「つくってみたい。」などとっていたし、使用しよう経験けいけんしゃも「なかなかよくできてる。」などと好意こういてき意見いけんっていた。【9】しかし、はなしすすむうちに、
「でも、あれは、バニラ(香料こうりょう一種いっしゅ)やチョコレートがはいっているのよね。」
という発言はつげんがあった。これをきっかけに、いっきょに、れない理由りゆう解明かいめいされることになった。
 【0】日本にっぽんしょく文化ぶんかにおけるおべい重要じゅうようさはいうまでもない。食生活しょくせいかつ欧米おうべいしたといっても、いちにちのうちでいちばん大事だいじ夕食ゆうしょくが、いまだにおべい中心ちゅうしんであるということは、最近さいきん厚生省こうせいしょう調査ちょうさでもあきらかだ。欧米おうべいわか女性じょせい手作てづくりのケーキのよしあしで判断はんだんされたように、日本にっぽんのおよめさんにとっては、ふっくらしたしろ御飯ごはんをたくことが重要じゅうよう課題かだいなのだ。
 ライス・カルチャー(おべい文化ぶんか)といわれる日本にっぽん文化ぶんかなかで、おべい純粋じゅんすいさの象徴しょうちょうなのである。白米はくまい尊重そんちょうされ、カレーなどもあくまでもからかけるものであり、茶飯ちゃめしちゃめしやピラフは、しょせん基本きほんてき調理ちょうりにはなりえない。
 その御飯ごはんをたくのとおなでケーキをつくると、バニラやチョコレートに汚染おせんされてしまうのではないか――。日本にっぽん主婦しゅふがひっかかったのはそこだった。
電気でんきがまでんきがまをよくあらえばだいじょうぶだ」
というのは、ひじょうにあさはかなかんがえで、こたえになっていない。人間にんげん心理しんりはそんなに簡単かんたんなものではない。
 日本人にっぽんじんのこうした感覚かんかく欧米おうべいじん説明せつめいするために、わたしはこういうたとえをもちいた。
「これは、イギリスの主婦しゅふに、ティーポットでコーヒーをつくれ、というようなものだ。」
 この分析ぶんせき結果けっかいたケーキミックスは、きっぱり日本にっぽん市場いちばからげていった。問題もんだいが、そこまで民族みんぞくてき伝統でんとうざしている以上いじょうちようがないからである。

 (ジョージ・フィールズの「電気でんきがまでんきがまでケーキがつくれるか」にもとづく。開成かいせいあたる


長文ちょうぶん 7.3しゅう
 【1】わたしあらためて自分じぶん部屋へやってみた。昨晩さくばんはは苦労くろうしてかたづけたおかげで、かなり快適かいてきそうな子供部屋こどもべやになっていた。全然ぜんぜんない百科ひゃっか事典じてん全巻ぜんかんあるのもいまならこの部屋へやにふさわしい。まるでかしこ子供こども部屋へやのようだ。【2】こんなキチンとした部屋へや使用しようしている子供こどもなら、毎日まいにち規則正きそくただしく予習よしゅう復習ふくしゅうをやり、夕飯ゆうはんには野菜やさいスープとにくいたやつなどをべ、家族かぞくすこ談笑だんしょうをしたのち風呂ふろはいってすみやかにねむるのであろう。【3】そしてあさ早起はやおきをし、遅刻ちこくなどというおろかしい行為こういとはえんがなく、学力がくりょく優秀ゆうしゅう人望じんぼうあついのである。もちろん、おやからおこられることなどない。わたしとは、どこをとっても異質いしつ子供こども部屋へやである。
 【4】あきらかに急激きゅうげきかたづけたとバレるがする。日常にちじょうとはちがう、とってつけたような空気くうき充満じゅうまんしている。つくえうえがきれいなのもわざとらしい。だがつくえしをけてみると、昨日きのうてなかった小物こものるいがゴチャゴチャとはいっていた。【5】パンダの貯金ちょきんばこやゴムボールや、かみせっけんや半分はんぶん使つかった目薬めぐすりもあった。こまかいものはは適当てきとうにこのしのなかれたのだ。ちらかっていた昨日きのうまでの子供部屋こどもべやのミニチュアばんというかんじである。
 【6】一見いっけんきれいにえるこの部屋へやも、しをければこんなもんである。所詮しょせん茶番ちゃばんちゃばんにすぎないのだ。
 先生せんせい時間じかんちかづくにつれ、わたし憂鬱ゆううつになっていった。【7】どうせはは先生せんせいに、ももこはちっとも勉強べんきょうせずに手伝てつだいをするわけでもなくなまけてばっかりというようなことはなすであろう。遅刻ちこくギリギリに登校とうこうするのはあさのトイレがながいせいだという余計よけいことまでうかもしれない。【8】先生せんせい先生せんせいで、ももこさんは学校がっこうではとく目立めだ活躍かつやくもない生徒せいとだからもっと奮起ふんきのぞむところだというようなことははげるであろう。そしてわたし先生せんせいったのちははから「アンタしっかりしなきゃだめだよ」などとわれるのがせきやまである。
 【9】そんなつまらない情報じょうほう交換こうかんするためにたたみまでえる必要ひつようがあるだろうか。「あーあ……」という気分きぶんである。
 やがて、先生せんせいはやってた。はは先生せんせいをあの安宿やすやどのような和室わしつまねれ、ヒロシの仕入しいれたイチゴをはこんでわたしについてのはなしはじめた。【0】ふすまのこうから、先生せんせいははこえがきこえてくる。時折ときおり両者りょうしゃわらごえもきこえる。わたしについてのはなしなのに、なにをそんなにわらうのか、になるところである。わらごえがきこえればきこえたでになるし、しずまればしずまったでになる。自分じぶんことというのはなにかにつけになるものである。
 じゅうふんあまりではなしわったらしく、先生せんせいはは子供部屋こどもべやにやってきた。先生せんせいは、はいってくるなり「お、きれいにかたづいているなァ。普段ふだんはもっとちらかっているだろう?」と一番いちばんいたいところをき、わたしはは赤面せきめんした。だから、バレるようなことはしないほうがいいのだ。先生せんせいわたしつくえうえて、「お、つくえうえもきれいになっているね。だけどしのなかはどうかな」とってしをけた。
 万事休ばんじきゅうす。もうおしまいである。ゴチャゴチャなしのなか先生せんせいはプッとし、わたしはははますます赤面せきめんした。脳天のうてんにマグマが上昇じょうしょうしてゆくようなあつさをかんじた。うつむいてだまって赤面せきめんしているあいだも、あたらしいたたみにおいがただよってきてやるせない。
 先生せんせいがお土産みやげってったのちははわたしに「アンタ、もっとしっかりしなきゃだめじゃないの」と、予想よそうどおりの小言こごとった。わたしはは小言こごとを「はいはい」とかるくききながし、そとあそびにこうとおもって店先みせさきた。

(さくらももこ「あのころ」より。東海大とうかいだい附属ふぞく浦安うらやすちゅう


長文ちょうぶん 7.4しゅう
 美術びじゅつ担当たんとう先生せんせいようは、学校がっこうちかくでひらかれている写生しゃせい大会たいかいまわりながら指導しどうしていたが、その途中とちゅうで、えがくのに苦労くろうしているおんな下絵したえをよかれとおもって手伝てつだった。一方いっぽう学校がっこうなにかと話題わだい中心ちゅうしんになる根元ねもと少年しょうねん姿すがたえず、になっていたが……。

 ふりむくと――根元ねもと少年しょうねんっていた。
先生せんせいかんのきゃあ?
と、きいた。
―ん? 今日きょうまわるだけで手一杯ていっぱいやからな。
正直しょうじきこたえてから、ふとになってききかえした。
根元ねもとはもういたンか。
根元ねもと少年しょうねんだまって画板がばんをさしだした。白紙はくしだった。ピンをはずして裏返うらがえしててもなにえがいてなかった。
いままでなにしてたンや。
ちょっときついこえになってとがめるようにってしまった。根元ねもと少年しょうねん平気へいきで、チョウチョをいかけとった――とこたえた。
白紙はくしなんかけとらヘンよ。
ってやっても、やっぱり平然へいぜんとしている。そしてさっきとおなじ質問しつもんをした。
先生せんせいかんの?
用意よういしてへんさかいなあ。
根元ねもと少年しょうねんだまって自分じぶん画板がばん絵具えのぐばこと、カンヅメを利用りようしたみずれをさしだした。
根元ねもとのをいてやるわけにはいかんがな。
やんわりことわると、根元ねもと少年しょうねんはついとよこをむいてはならした。
おんなのは手伝てつだってやったのによ……。
どこからかていたらしい。
―あんまりおそいから、ほんのちょと手伝てつだうたンや。
弁解べんかいがましくなるとりながらも正直しょうじき説明せつめいした。すると根元ねもと少年しょうねん自分じぶん画用紙がようしして、おれのほうがもっとおそい……と、つぶやいた。
―それはちがうで。あの一生懸命いっしょうけんめいやってもおくれたンや。根元ねもとはチョウチョをうとっておくれてただけやろ。
さすがにようもちょっととんがったこえってやると、根元ねもと少年しょうねんくびをすくめ、
えてる。
さすがに自分じぶんのさぼったことをみとめた。
いまからでもくか。手伝てつだわンけど、てたるさかい……。
ようさそうと、根元ねもと少年しょうねん素直すなおにうなずいた。
―どこでくンや?
―さっきのおんなのとこ。
根元ねもと少年しょうねんはただちにこたえた。
―あそこ、先生せんせいにいったとこだろが。
―なんでわかるンや?
―チョウチョいかけながらでもがついとったけど、先生せんせい、あそこにヘンもってたもんだでよ。
(ちゃんとておったンやな。いや、おれをつけとったな。そやさかい、こっちがさがしてもつからんわけや……。)
よう苦笑くしょうして、さっきの場所ばしょへいそいだ。ところがそこでおもいもかけない光景こうけいてしまったのだ。

今江いまえいまえ祥智よしとも 「牧歌ぼっか」)


長文ちょうぶん 8.1しゅう
 【1】「いってらっしゃい。」といもうと、「はやかえってきてね。」とぼく、そして、「をつけてね。」とははこえ
ってくるよ。ゆうすけ、あっこちゃん、学校がっこうがんばってな。」
毎朝まいあさおな会話かいわわされ、しずかなあさみちへオートバイがはししていく。ちち出勤しゅっきんだ。
 【2】ちちは、消防署しょうぼうしょ勤務きんむしている。いつ、どこで発生はっせいするかわからない火災かさい事故じこ相手あいてにする緊張きんちょうした仕事しごとだ。あさ出勤しゅっきんすると翌日よくじつあさまでかえらない。日曜にちよう祭日さいじつもなくいちにちおきにつとめている。非番ひばんいえにいる午前ごぜんちゅうている。前日ぜんじつ勤務きんむていないからだ。【3】ちちているあいだは、家族かぞくおとてないようにしてあるかなければならない。「いやだ。消防署しょうぼうしょなんてやめちゃえ。」と、ちち仕事しごとにくおもったこともある。しかし午後ごごめるとぼくいもうとほんんでくれたり、一緒いっしょあそびにかけてくれたりする。制服せいふくぐと本当ほんとうやさしいちちだ。
 【4】さん年生ねんせいのとき、社会しゃかい消防署しょうぼうしょ仕事しごとについてならった。市民しみん安全あんぜんやすみなくまも消防しょうぼうさん、それがぼくちちなのだ、とおもったとき、ぼくはじめてちち仕事しごと感謝かんしゃし、その仕事しごとほこりにおもった。
 遅刻ちこく欠勤けっきんはたらつづけたために、しょ招待しょうたい家族かぞく旅行りょこうったこともある。【5】新婚しんこん旅行りょこうをしなかった両親りょうしんにとって、結婚けっこんじゅう周年しゅうねんねた旅行りょこうとなり、とてもたのしかったそうだ。また、じゅうねん勤務きんむのおいには、はは消防署しょうぼうしょまねかれ、感謝かんしゃじょうおくられた。
火災かさい出勤しゅっきんがあるとね、神様かみさまわせて、どうか無事ぶじつとめがたせますように、っておがむのよ。」
はははなしてくれた。【6】ふゆよる緊急きんきゅう出動しゅつどうがあるときも、ははきてちちおくる。そのあと風呂ふろをわかしたり、布団ふとんをあたためたりして、さむくてもちちかえりをっている。そんなははこころづかいを、きっとちち感謝かんしゃしているにちがいない。
 【7】ちちあたまなかはまるで市内しない地図ちずだ。やすみのくるままちはしってもらうと、いろいろなみちっていることにおどろく。地図ちず調しらべたり、みちきながらはしったりしたのでは火事かじひろがってしまうから、ちちにとってはたりまえのことなのだろう。
【8】「消防しょうぼう仕事しごとは、いちびょう大切たいせつだ。だからといって、はやければいいわけじゃない。失敗しっぱい事故じこゆるされないから、正確せいかくでなくてはいけない。だから、しんにゆとりをつことだ。そして、いつでもきちんとうごけるように、からだ大切たいせつにしないとね。」
ちちはそうはなす。【9】なんだかちち勤務きんむへの心構こころがまえは、いつもぼくたちになにかをおしえているようにおもえてくる。
 健康けんこうからだはや正確せいかくに。しんにゆとりを。おおくのひとの、仕事しごと日々ひび生活せいかつにとって、おなじようにかんがえられるとぼくおもうのである。【0】

言葉ことばもり長文ちょうぶん作成さくせい委員いいんかい ιいおた


長文ちょうぶん 8.2しゅう
 【1】みなさんには、まだめないころの読書どくしょ体験たいけんがありますか。いや、これは矛盾むじゅんしていますね。らなければ、読書どくしょはできない。いいなおしましょう。【2】めないことを意識いしきしつつページをめくり、「ここにはなにいてあるのだろう」とおもい、もどかしい興奮こうふんをおぼえたことがありますか――ちょうどひらくかずのあいだるように。
 わたしにはあります。【3】雑誌ざっしだったか、その付録ふろくだったか、とにかくあにほんです。そこに「漫画まんがえがかた」のようなものがのっていました。しかし、めない。だからこそ、想像そうぞうぜっするほどおもしろかったのです。で、また矛盾むじゅんしたことをもうげましょう。【4】そのおもしろさを、想像そうぞうしてみてください。そこにあったのは、じつ不可思議ふかしぎ世界せかいです。技法ぎほう説明せつめいのため、さまざまな表情ひょうじょう姿すがたがならんでいました。かとおもうと、それらをす、裏方うらかたのペンやインクのえがいてあったりします。
 【5】わたしが一番いちばん強烈きょうれつにおぼえているのは、こういう場面ばめんです。ふる漫画まんが手法しゅほうでは、ひとあるいたのちに、マッシュルームをよこにしたようなしるしが、次々つぎつぎについていきます。すなぼこりの象徴しょうちょうなのでしょう。【6】さて、そのほんなか人物じんぶつは、ほこりマークを現実げんじつにあるもののようにあつかっていたのです。っていたのかもしれません。ひろあつめていたか、あるいは、ある人物じんぶつうしろにいていったのかもしれません。【7】そうやって、えがかた説明せつめいしていたのです。なんとも奇妙きみょうでした。「ここにいてあるめたらなあ」と、つよおもいました。どういう部屋へやのどのあたりにすわっていたかもふくめて、そのとき記憶きおくあざやかにあるのです。【8】小学生しょうがくせいになってからも、時々ときどき、あの漫画まんがにもう一度いちどいたいとおもいました。
 さて、「漫画まんがえがかた」は、本来ほんらい目的もくてきからいえば、鑑賞かんしょうのためにあるのではなく、実用じつようのためにあるものです。【9】しかし、わたしにとって、それはなぞちた物語ものがたり通常つうじょう音階おんかいたぬうただったのです。これこそ、ほんというもののちからではないでしょうか。たとえば、夏目なつめ漱石そうせきかたに、これという絶対ぜったい正解せいかいがあるのなら、われわれは、そのこたえをひとからけばいい。【0】しかし、漱石そうせきへのたいかた読者どくしゃかずだけあります。
 下手へた手品てじな一方いっぽうからしかられないといいます。しかし、魔法まほうは、うえからしたからななめからても、ひとうしろにってても、とおはなれて望遠鏡ぼうえんきょうても魔法まほうでしょう。あるひとには、むねのポケットからしたものがちょうえ、また、あるひとには蜂鳥はちどりえる。しかし、どちらも真実しんじつなのです。
 つまり、ほんむというのは、そこにあるものをこちらにはこぶような機械きかいてき作業さぎょうではない。場合ばあいによっては、作者さくしゃ意図いとをもこえて、我々われわれうちになにかをつくげてくことなのだとおもいます。
 しかし、かりにあげたれいは、あくまでもれいなので、いまあのときの「漫画まんがえがかた」がはいったとしても、それはむかしのかがやきをもったものではないでしょう。おさなんでをわかしたほんが、後年こうねんこうねんかえしてみると、おもいのそとほかにつまらなかったりすることは、間々ままあるものです。けれども、砂時計すなどけいりひっくりかえすように、あるときからは、またあたらしいすなもりだすものです。中学生ちゅうがくせいときんですこしもおもしろくなかったほん妙味みょうみが、としかさねることによってわかるようになったりもします。
 そういうみにたえられる、あつみをったものが、古典こてんです。
 ごわい相手あいて理解りかいできないしょきあたると、文字もじめない幼児ようじのように、そのむかしかえったようにもどかしく、「このほんめたら」とあしずりしたくなります。たないものをかんだようなつもりになって、見当けんとうちがいの解釈かいしゃくをすることもおおい。だが、わたしにとっては、それこそが読書どくしょたのしみなのです。

 (女子学院じょしがくいんちゅう


長文ちょうぶん 8.3しゅう
 【1】ユーモアについて、はなしがしたくなりました。
 だい大戦たいせんとき、イギリスの主要しゅよう都市としは、ドイツ空軍くうぐんはげしいばくげきにさらされました。とくにロンドンは熾烈しれつでした。【2】このとき建物たてもの大破たいはされたロンドンのあるデパートが、
平常へいじょうどお営業えいぎょう本日ほんじつより入口いりくち拡張かくちょうしました」
というカンバンをしました。よくられているエピソードです。
 先日せんじつ、イギリスじんがユーモアについていてあるものをんだらこうありました。
【3】「わたしたちイギリスじんは、『ユーモアのセンス』というものには特別とくべつのプライドをっているし、また、それについて敏感びんかんである。たとえばイギリスじんかってモラルがないとか、仕事しごとができないとってもおこりはしない。【4】自分じぶんには音楽おんがくがわからない、と自慢じまんするものもいる。しかしイギリスじんにユーモアのセンスがいとったらぶんなぐられるはずだ。他国たこくでは、ひと悪口わるぐちうとき、ばか、臆病者おくびょうもの極悪ごくあくじんなどとぶが、イギリスでは『ユーモアのセンスがいね』とうのである。【5】これは最高さいこう侮辱ぶじょくとなる」
 国民こくみんせいのちがいとってしまえばそれまでですが、日本にっぽんでは、ユーモア感覚かんかくは、それほどまでにはたか評価ひょうかされていないようにかんじます。【6】「おたがいにもっとユーモアの感覚かんかくをみがこう」というより「人間にんげんマジメに、一生懸命いっしょうけんめいはたらくのが一番いちばんだ」という言葉ことばのほうが、説得せっとくりょくつのではないでしょうか。
 【7】空襲くうしゅう爆破ばくはされたデパートが、「本日ほんじつより入口いりくち拡張かくちょうしました」というカンバンをすなんて真面目まじめだ。「空襲くうしゅうによる被害ひがいのためお客様きゃくさまにご迷惑めいわくをおかけいたします」とくべきだ。というのが真面目まじめひと反応はんのうでしょう。
 【8】真面目まじめくにから真面目まじめをひろめにやってきたようなひとっているものです。そういうひとは、もしかしたら欠陥けっかん人間にんげんんでいいかもしれません。自動車じどうしゃのハンドルにあそびがあるからこそ、自動車じどうしゃ安全あんぜん運転うんてんすることができます。【9】ユーモアはいのち運転うんてんして人生じんせいをわたっていくのにかすことのできないものです。
 といながら、生真面目きまじめないいかたになりますが、明治めいじ以来いらい日本にっぽん文学ぶんがく喜怒哀楽きどあいらくいかあいあいだけに片寄かたよぎたようにおもいます。【0】よろこびやたのしみをいたものは評価ひょうか一段いちだんひくかった。近代きんだい苦悩くのうについていたものが文学ぶんがくとしては上等じょうとうで、人生じんせいふかみにおもりをろしていると最敬礼さいけいれいされてきました。
 かぎってみても、上質じょうしつかるみに成熟せいじゅくしめした、ユーモアのかれるようになったのは戦後せんごのことです。
 ただ、ユーモアというものは、論理ろんり解釈かいしゃくできるものではなく、それを受信じゅしんする感性かんせい装置そうちをそなえているかどうかなのですね。あたまがどんなによくても、それだけではだめ。いくら知識ちしきがあっても、それだけではだめだということです。
平行へいこう直線ちょくせん直線ちょくせんまじわってできる錯角さっかくひとしい」という定理ていりなら、これを証明しょうめいすることができます。しかし、ユーモアは、たとえるならはなのかおりのようなもので、くちではうまく説明せつめいできない。
 数学すうがくなら数学すうがく物理ぶつりなら物理ぶつり、こういう真面目まじめなことというものは、一生懸命いっしょうけんめい努力どりょくすればかります。すくなくともかるはずです。しかし、ユーモアというものは、ユーモラスとかんじるかかんじないかというセンスの問題もんだいになるわけです。

 (横浜よこはま共立きょうりつ学園中がくえんなか


長文ちょうぶん 8.4しゅう
「そう。古田ふるたばあさん、なんていったの?」
「……なんにも……」
してくださいっていったんでしょう?」
「……うん……」
「でもだまってたの?」
「……うん……」
 そのあとははがなにもいわないので、ぼくははは上目うわめづかいにみた。はははやさしくわらってぼくをみているだけだった。でも、ははいていた。ぼくにわらいかけながら、なみだほおをつたっていた。ぼくはははをなかせてしまったとせつなくなった。本当ほんとうのことをいわなければ。ぼくはおもくちひらいた。
してって、しんなかで、いったんだ……。くちにだしていわなかった……」
「そう」
はははぼくのをとった。ほそくて、あたたかくて、しろくて、きれいなだった。あのぬくもりはいまでもぼくののこっている。
久志ひさし自分じぶんがどういうことをしたか、わかっているわよね」
「……うん……」
「これからは絶対ぜったいにそんなことをしちゃだめよ」
はははやさしくぼくをさとした。
約束やくそくしてくれる?」
「……うん……」
とうちゃんに、ちゃんとおかねかえしてもらおうね」
「うん」
約束やくそくだよ。久志くしがやったことは人間にんげんとしてやってはいけないことなの。でも、本当ほんとうのことをいってくれて、かあちゃん、久志くしのこと、安心あんしんしたよ。本当ほんとうのことをいうのは、勇気ゆうきがいるよね。でもかあちゃんは、久志くしはほんとうのことをいってくれるとしんじていたよ」
 そういうと、はは突然とつぜんベッドのうえいきまらせたようにした。ぼくのをにぎり、ぼくをみつめたまま、ポロポロとなみだをこぼした。
「ごめんなさいね。かあちゃん……本当ほんとうにごめんなさいね」そういってははふるえだした。
 なぜははがぼくにあやまらなければならないのだろう? ぼくはとまどい、どうしていいのかわからず、だまってははをみつめることしかできなかった。
「ごめんなさいね。本当ほんとうにごめんなさいね」
 ははこえふるわせていつまでもぼくにあやまるのだった。いつまでも……。

川上かわかみ健一けんいちつばさはいつまでも」)


長文ちょうぶん 9.1しゅう
【1】「まあ、ありがとう。」
 祖母そぼほそめた。今日きょうは、祖母そぼななじゅうさい誕生たんじょう古希こきこきう、おめでたい節目ふしめ年齢ねんれいだ。わたしは、ちいさいころから大好だいすきだった祖母そぼにどんなおいをしようかずっとあたまなやませていた。【2】ひとまえろくじゅうさいのおいのときは、ちいさくてまだなにもわからなかったので、特別とくべつとし誕生たんじょうはこれがはじめてである。最初さいしょはお小遣こづかいをめて、よろこぶものをってあげようかとおもっていたのだが、お年寄としよりのるものをえらぶのはなかなかむずかしいし、おかねりない。【3】そこで、わたし自分じぶんにしかつくれない手作てづくりのおくものをすることにした。作文さくぶん手紙てがみわたし自分じぶん得意とくいなもので勝負しょうぶしようとかんがえた。親友しんゆうのちかちゃんのように手芸しゅげい得意とくいだったらさらによかったのだが。
 【4】わたしは、いろいろなアイディアをあたまにめぐらせた。祖母そぼがびっくりするようなもの、記念きねんになるようなもの、そしてなによりわたしらしいものがいいとおもった。わたしくこと、創作そうさく大好だいすきだが、とりわけ、物語ものがたりつくるのがきだ。【5】そうだ、祖母そぼ登場とうじょうする物語ものがたり、いや、いっそのこと、祖母そぼ伝記でんきつくってみよう。わたし自分じぶん壮大そうだい企画きかくおどろいたけれど、まだ時間じかんはあるし、ぜひやってみようとおもった。祖母そぼにわからないように、おも親戚しんせきのおばさんたちからはなしあつめ、すこしずつめた。【6】祖母そぼわかいころのモノクロの写真しゃしんれた。ちちりて、パソコンを使つかって編集へんしゅうした。祖母そぼみやすいようにおおきなフォントにした。きれいないろのかわいいイラストもれた。
 【7】おいのかい直前ちょくぜん仕上しあがった「おばあちゃんの伝記でんき」は、予想よそう以上いじょうのできばえで、大人おとなたちの豪華ごうかなおいのしなにも見劣みおとりがしないさえした。うれしいことに祖母そぼは、かいあいだちゅうなんもそれをにとってていた。【8】わたしは、正直しょうじきなところ、自分じぶんがここまでできるとおもわなかったので、どうしてこんなにがんばれたのかをかんがえてみた。そして、つくっているあいだちゅう、いつも祖母そぼよろこかおおもかべていたことに気付きづいた。【9】いままでは、祖母そぼからしてもらうことばかりだったけれど、今度こんど祖母そぼよろこばせることができるかもしれないというおもいが原動力げんどうりょくとなっていたのだ。わたしは、この体験たいけんつうじて、人間にんげんにとっておくりものとは、おく相手あいてのことをかんがえ、それをかたちにするという行為こういなのだなあとおもった。【0】

言葉ことばもり長文ちょうぶん作成さくせい委員いいんかい φふぁい


長文ちょうぶん 9.2しゅう
 【1】噴水ふんすいは、めないみずである。びることの出来できないみずである。しかも、そのみずはただそこを循環じゅんかんしているだけであるから、なにものをもうるおさない。ってみれば、なんやくにもたないものなのだ。そして、それがいい。【2】都市とし住民じゅうみんは、すべてがやくつという環境かんきょうらされているから、まえ突如とつじょとしてなんやくにもたないものが出現しゅつげんすると、それだけで文化ぶんかてき衝撃しょうげきをうけ、ふか困惑こんわくする。つまり、この困惑こんわくあらたな文化ぶんかつくすのであり、噴水ふんすいはそのためのものであろう。
 【3】現在げんざい先進せんしん諸国しょこくかく都市としでは、経済けいざい活動かつどうから文化ぶんか活動かつどうへいそしむべく、都市としとその住民じゅうみん方向ほうこう転換てんかんうながしつつあり、都市とし各所かくしょに「なんやくにもたないもの」を出現しゅつげんさせることで、住民じゅうみん文化ぶんかてき衝撃しょうげきあたえることが、しずかに流行りゅうこうしはじめている。【4】ドイツのミュンヘンの街角まちかどに、コインの投入とうにゅうこうのない自動じどう販売はんばい出現しゅつげんしたのは、まだ記憶きおくあたらしいところであろう。【5】もちろん当初とうしょミュンヘンの住民じゅうみん苛立いらだって、その自動じどう販売はんばいはたこわしたが、こわされた自動じどう販売はんばいがまたつぎ元通もとどお投入とうにゅうこうのないままっているのをて、やめたのである。
 【5】現在げんざいその自動じどう販売はんばい周辺しゅうへんにはベンチが配置はいちされ、人々ひとびと噴水ふんすい周辺しゅうへんむらがるように、やや困惑こんわくしながらたたずんでいる。【6】もちろんミュンヘンには噴水ふんすいもあり、それも住民じゅうみんたいして同様どうよう効果こうか発揮はっきしてしかるべきなのであるが、ミュンヘンの住民じゅうみんは、コインの投入とうにゅうこうのない自動じどう販売はんばいほどには噴水ふんすいを、「やくにたないもの」となさない傾向けいこうにあるようなのだ。【7】もしかしたらミュンヘンでは、噴水ふんすいみず洗濯せんたくをしてもいいことになっているのかもしれない。
 【8】パリのエッフェル塔えっふぇるとうちかくの噴水ふんすいでも、このなつ人々ひとびと水浴みずあびをしていたから、もなく彼等かれらも、もし文化ぶんかてき向上こうじょうしたいのなら、「もっとやくにたないもの」を、どこかに出現しゅつげんさせなくてはいけなくなるであろう。【9】「かねらない乞食こじき」などというものが、どこかの街角まちかどにうずくまることになるかもしれない。
 そのてん日本人にっぽんじんはまだ大丈夫だいじょうぶである。噴水ふんすいは、依然いぜんとして「やくにたないもの」でありつづけており、周辺しゅうへんむらがる人々ひとびとも、依然いぜんとして「どうしていいかわからない」まま、困惑こんわくしている。【0】ただし、油断ゆだん出来できない。なつ日照ひでりがつづき、恒例こうれい水不足みずぶそくになると、都市としによっては噴水ふんすいみずめてしまうところがあるからである。前述ぜんじゅつしたように、噴水ふんすいみずというのはおなじものが循環じゅんかんしているだけなのであるから、どんなに水不足みずぶそく場合ばあいでも、める必要ひつようはない。めたって、水不足みずぶそくおぎなうことにはならないのだ。
 にもかかわらずめるのは、水不足みずぶそくについて都市とし住民じゅうみんおおくが心配しんぱいしているという局面きょくめんに、そぐわないとかんがえるからであろう。このかんがかたがよくない。「そぐわないからこそ噴水ふんすい噴水ふんすいなのである」という視点してんが、ここには欠落けつらくしている。「真剣しんけん生活せいかつしているものの生活せいかつ感覚かんかくを、さかなでするものであるからこそ噴水ふんすい噴水ふんすいなのである」という、まさしく噴水ふんすい立脚りっきゃくてんとでもうべきものが、無視むしされている。
 つまり、かく都市とし水不足みずぶそくになるたびに、我々われわれ噴水ふんすい危機ききたされているとっていいだろう。うまでもなく、たんみずめられてしまうからではない。「めなければならない」とかんがえる人々ひとびと姿勢しせいなかに、噴水ふんすいしん噴水ふんすいたるものを否定ひていする傾向けいこう芽生めばえるからである。
 噴水ふんすいに、電気でんき仕掛しかけの細工ざいくをしたり、照明しょうめいいろをつけたりするのもよくない。ているものをたのしませようとする工夫くふうであろうが、あれも、噴水ふんすいしん噴水ふんすいたるものをえにくくさせる。噴水ふんすいは、ただみずげていればいいのである。

別役べつやくみのる都市とし鑑賞かんしょうほう』による。サレジオ学院がくいんちゅう


長文ちょうぶん 9.3しゅう
 【1】世界せかいじゅう、どこにっても日本人にっぽんじん旅行りょこうしゃたちは、のまわりに、「日本にっぽん」をもってうごまわる。べものもみものも言語げんごも、ことごとく日本にっぽんのもの――それにとりかこまれていないとなかなか安心あんしんできないのである。【2】旅行りょこうしゃたちをとりかこむちいさな「日本にっぽん」、あるいは、かれらがあるく「日本にっぽん」、それを、わたしは「文化ぶんかてきカプセル」とづける。日本人にっぽんじんは、日本にっぽん文化ぶんか微分びぶんしたちいさなカプセルのなかはいって、そこではじめて、安心あんしんするのである。【3】日本航空にほんこうくう客室きゃくしつは、そうしたカプセルのひとつであり、また日本人にっぽんじん専用せんようのホテルや観光かんこうバスもそれぞれに、「文化ぶんかてきカプセル」である。そのなかはいっているかぎり、にみえない文化ぶんか皮膜ひまくのようなものが、日本人にっぽんじん外界がいかいから遮断しゃだんしてくれるのである。【4】そして、その皮膜ひまくなかから日本人にっぽんじんはほとんどあしをふみそうとしない。もちろん、人間にんげんというものは、おしなべて保守ほしゅてき存在そんざいであって、自分じぶんにとってなじみのある世界せかいからはなれることを非常ひじょうきら習性しゅうせいがある。【5】じっさい、日本にっぽん観光かんこうきゃくが「日本にっぽん」にすっぽりとつつまれていることを批判ひはんするアメリカじんだって、みずからが外国がいこく旅行りょこうかけるときには、アメリカ文化ぶんか皮膜ひまくのまわりにりめぐらしているではないか。【6】かれらは、アメリカの航空こうくう会社かいしゃ飛行機ひこうきにのり、世界せかい主要しゅよう都市としにつくられたアメリカ資本しほんのホテルにとまり、そして、食事しょくじといえばアメリカふうハンバーガーだの、ステーキだのに安住あんじゅうする。文化ぶんかてきカプセルは日本にっぽんだけの特産とくさんひんなのではない。【7】アメリカじんだって、フランスじんだって、それぞれの文化ぶんかてきカプセルにつつまれて生活せいかつするのが快適かいてきなのだ。そもそも「文化ぶんか」というのは、そういう性質せいしつのものなのである。【8】日本人にっぽんじんだけが「文化ぶんか」の皮膜ひまくにかこまれているとかんがえるのは、まちがいだ。
 しかし、おそらくひとつ問題もんだいとしてのこるのは、その皮膜ひまく強度きょうど問題もんだいであろう。【9】そしてわたしのみるところでは、日本人にっぽんじん場合ばあい、とりわけその「文化ぶんかてきカプセル」の外皮がいひまくは、かなりつよく、それをうちがわからやぶることを日本人にっぽんじんはあまりしたことがないようにおもえるのだ。
 【0】あるとしのお正月しょうがつにも日本にっぽんからいちまんにん以上いじょう観光かんこうきゃくがハワイにやってきた。そんなにたくさんの日本人にっぽんじんいちたのは、ハワイにとってはじめてのことであったから、ハワイしゅう観光かんこうきょくは、観光かんこうきゃく歓迎かんげいして特別とくべつのプログラムをんだ。すなわち、ホノルルの市民しみんびかけて、日本にっぽんひとたちを家庭かていまねきましょう、という「家庭かてい訪問ほうもん」プログラムをつくったのである。じっさいハワイのホテルに宿泊しゅくはくし、観光かんこうバスにっているだけでは、ハワイ生活せいかつ、あるいはアメリカ生活せいかつというのはわからない。相互そうご理解りかいふかめるためには家庭かていまねくのがいちばんよろしい。まねくといってもせいぜいいちあいだあいだ、おちゃでもさしあげましょう、といった程度ていどの、きわめて気楽きらく簡単かんたんなご招待しょうたいだ。大変たいへん結構けっこうなアイデアである。このプログラムはホノルルの新聞しんぶんでもくわしくつたえられた。そして、すうせんにん市民しみんたちが、ぜひ日本にっぽんからのおきゃくをもてなしたい、ともうた。観光かんこうきょくはそのリストを整理せいりして観光かんこうきゃくけた。そしてつぎからつぎへと到着とうちゃくする日本人にっぽんじん旅行りょこうしゃに、どうぞハワイの家庭かていたずねてください、とさそったのである。
 ところが、おどろくべきことがこった。このいちまんあまり日本人にっぽんじんが、ことごとくしりごみしたのである。関心かんしんしめさないのである。結局けっきょくのところ、この「家庭かてい訪問ほうもん」プログラムにおうじてホノルルの家庭かていたずねた日本人にっぽんじんは、たったろくにんであった。観光かんこうきょく準備じゅんびした歓迎かんげい計画けいかくは、完全かんぜん失敗しっぱいした。
 しかし、もしこれとおなじようなことを、事態じたい逆転ぎゃくてんしてかんがえてみるとどういうことになるだろうか。つまり、アメリカから日本にっぽんへの観光かんこうきゃくに、日本にっぽん家庭かていたずねてみませんか、とさそってみたら、どういう結果けっかになるだろうか。わたしの観測かんそくでは、おおくのアメリカじんをのりして、ぜひ訪問ほうもんしてみたい、と好奇こうきひからせるにちがいないのである。外国がいこくかけたのだからその土地とちひといになってみるのはおもしろいことだ。いったいどんないえで、どんなふうにこのひとたちはらしているのだろう――そういう好奇心こうきしん西洋せいようじんしんなか芽生めばえるのである。
 
 (富士見ふじみちゅう


長文ちょうぶん 9.4しゅう
 日本人にっぽんじんわらわないなどとえば、すこしおおげさになりますが、すくなくも、日本人にっぽんじん表情ひょうじょうにとぼしい、しんなか感情かんじょうかお動作どうさあらわさない、ということは、よくわれることです。なるほどわれてみれば、そのとおりです。日本人にっぽんじんはいつもおのうめんのように、表情ひょうじょうのないかおをしている、とったひともいます。
 また日本人にっぽんじん戦争せんそうきだ、いのちてることをなんともおもっていない、ということも、世界中せかいじゅう評判ひょうばんになっています。そしてふるくは、ハラキリ、ちかごろでは、カミカゼというような日本語にほんごが、ひろく外国がいこくにまでつたえられているほどです。(中略ちゅうりゃく
 あまりありがたくない評判ひょうばんばかりならべましたが、じつはうれしい評判ひょうばんだってあるのです。たとえば、日本人にっぽんじん勤勉きんべんだ、あさはやくからよるおそくまでよくはたらく、ともいわれています。また、日本人にっぽんじんはとてもきれいきだとか、がまんづよい、どんなくるしいことでも、をくいしばってよくがまんするとか、日本人にっぽんじん手先てさき器用きようで、りっぱなうつくしいものをすとか、いろいろなことをいわれているのです。それがわたしたちにとって、ほんとうによろこんでいいことなのかどうかということは、よく判断はんだんしてみなくてはなりません。しかし世界せかいひとたちのには、日本人にっぽんじんがそういう姿すがたで、うつっているのです。
 日本にっぽん文化ぶんかについて、ある外国がいこくじんが、つぎのようにいているのをんだことがあります。
 日本にっぽんかいてのいえで、かいには西洋せいようしき生活せいかつ風俗ふうぞく文化ぶんかが、なにからなにまでそろっている。またいちかいにはむかしながらの生活せいかつ風俗ふうぞく日本にっぽんしき文化ぶんかがそのままのこっている。しかし、ふしぎなことは、そのいちかいかいとをむす階段かいだんがみあたらないことである。――と、そういうたとえをいて日本にっぽん文化ぶんか姿すがた批評ひひょうしているのです。このたとえも、たしかにおもしろいとおもいます。わたしたちの生活せいかつのまわりを見渡みわたしても、たとえば洋服ようふく和服わふく着物きもの)、くつとげた、いすの生活せいかつたたみらし、洋食ようしょく日本にっぽん料理りょうり西洋せいよう日本にっぽん西洋せいよう音楽おんがく日本にっぽん音楽おんがく、――といったように、一方いっぽうでは日本にっぽんにむかしからつたわっているものがよろこばれています。まちあるいてみても、ヨーロッパやアメリカのまちにくらべてすこしもおとらない、りっぱなビルディングがちならび、電車でんしゃ自動車じどうしゃがめまぐるしくはしっている。ところが、そのまちなかにも、のれんをかけ、みせさきにたたみをしいた、むかしふうのおみせがあるし、白壁しらかべ土蔵どぞうられるし、また神社じんじゃ鳥居とりいがたっていたり、おてらのあたりからお線香せんこうけむりがにおってきたりする。きれいな訪問ほうもん着飾きかざったむすめさんが、デラックスな自動車じどうしゃからりても、わたしたちはあたりまえのこととしてふしぎにおもいませんが、外国がいこくじんからると、ずいぶんめずらしいことなのでしょう。それとおなじことで、よくおすしや、おそばなどのみせさきに、テレビがいてあって、そのそばに、とりいちってきたおおきなくまでがかっていたりする、そんな風景ふうけいも、外国がいこくじんにはふしぎでたまらないようです。
 いちきゅうななねん日本にっぽんおとずれたソビエトの作家さっかエレンブルグは、つぎのようにいています。
日本にっぽんは、そとからるものをおどろかせる。最初さいしょにめにうつるすべてのものが、ひどく矛盾むじゅんしているようにおもわれる。電化でんかされた汽車きしゃ、いすの角度かくど自由じゆう調節ちょうせつできる、心地ごこちのよいくるましつ、そこには食堂しょくどうもついている。給仕きゅうじのむすめがこうかおりたかいコーヒーをはこんでくれる。着物きもの姿すがたのふたりの日本にっぽんのむすめが手文庫てぶんこちいさなはこけて、生魚なまざかなやほした昆布こぶをつめわせたおべい弁当べんとうべている。食事しょくじがおわると、ほんをとりす。ひとりはサルトル(フランスの作家さっか)の小説しょうせつにしているし、もうひとりは家政かせい教科書きょうかしょんでいる。こんな光景こうけいていると、自分じぶんがいったい世界せかいのどこにいるのか、アジアにいるのか、ヨーロッパにいるのか、アメリカにいるのか、わからなくなる。しかもふる時代じだいあたらしい時代じだい、さまざまな世紀せいきがからみっているのだ。
 日本にっぽんでは、どの日本人にっぽんじんいちにちのうちなんあいだはヨーロッパてきな、またはアメリカてき生活せいかつおくり、またなんあいだかはむかしながらの日本にっぽん生活せいかつおくっている。日本人にっぽんじんのなかには、たがいにことなるふたつの世界せかいがいっしょに存在そんざいしている。」
 わたしたちはごろなれていて、なんともおもわないことが、外国がいこくじんにはこのようにうつっているのです。

 (岡田おかだ章雄あきお日本人にっぽんじんのこころ」)