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課題集
長文ちょうぶん 10.1しゅう
 【1】ぼく名前なまえは、太一たいちである。気取きどったかんじがなく、適度てきどおとこらしい名前なまえだとひそかにっている。だが、どうしてこういう名前なまえをつけられたのか、くわしいところは自分じぶんでもらなかった。ただ、漢字かんじ簡単かんたんなのできやすくていいな、とおもっていたくらいである。
 【2】ところで、ひと名前なまえかんがえるというのはおもった以上いじょうあたま使つかう、大変たいへん作業さぎょうだ。じつぼくも「名付なづおや」になった経験けいけんがある。おとうとまれたとき、おにいちゃんが名前なまえめていいよ、とわれたのだ。このとき奇妙きみょう緊張きんちょうかんといったらいまでもわすれることができない。【3】両親りょうしん他意たいはなかったのだろうが、いきなりあに重責じゅうせき(じゅうせき)背負しょわされたおもいがした。
 これが、いぬねこ名前なまえならばいい。欧米おうべいふう名前なまえでも、愛称あいしょうのようなごく簡単かんたん名前なまえでも問題もんだいはないだろう。だが、生粋きっすい日本人にっぽんじんであるおとうとに「アンソニー」だの「ロマーノ」だのと名付なづけるわけにはいかない。【4】「タマ」や「クロ」などは論外ろんがいである。「たまさぶろう」「くろすけ」としたらまだしも人間にんげんちかづくが、そんな時代じだいげきのような名前なまえではこまる。
 すっかりまったぼくは、ちち相談そうだんすることにした。はははまだ、まれたてのおとうと一緒いっしょ病院びょういんにいた。【5】ちちはそこまでなやむことはないだろうとわらいながらも、ほかならぬぼく名前なまえをどうやってつけたかをはなしてくれた。そこでぼくはじめて、自分じぶん名前なまえ由来ゆらいについてることになったのである。
 ちちは、「おまえ誕生たんじょうは、何月なんがつなんにちだ」といた。【6】ぼく誕生たんじょういちがついちにちもとである。おめでたいことがいっぺんにるように、時期じきめていたのだというはなしまえいたことがあった。
いまではあまりないけど、長男ちょうなん太郎たろうとか一郎いちろうという名前なまえをつけるだろう。【7】おまえはうちの長男ちょうなんで、しかもいちねん最初さいしょまれたから、太郎たろうふとし一郎いちろういちわせて『太一たいち』にしたんだよ。」
 そうって、ちちはどうだ、おめでたい名前なまえだろう、とむねった。安直あんちょくといえば安直あんちょくだが、よくかんがえたものだとぼく感心かんしんした。【8】そのはなしき、ぼくもこの方式ほうしきでいこう、とかんがえた。おとうと誕生たんじょうじゅうがついちにちだ。それならば……「じゅう」と「いち」を合体がったいさせた「」という使つかおう。ぼくはさっそくそのアイデアを、電話でんわははつたえた。
 おとうと名前なまえは「えい」にまった。「えいじ」というみもぼくかんがえだ。【9】ひびきが格好かっこういいし、「太一たいち」とならべたとき語呂ごろい。漢字かんじは、両親りょうしん字画じかくめてくれた。
 いまではえい小学校しょうがっこういち年生ねんせいになっている。生意気なまいきうようになり、いかりたくなることもあるが、あにとしてきちんと面倒めんどうてやりたい。【0】長男ちょうなんあらわす「太一たいち」という自分じぶん名前なまえしんおもかべると、そのおもいがいっそうつよくなる。人間にんげん名前なまえとは、かたにも影響えいきょうあたえるのだなとおもった。

言葉ことばもり長文ちょうぶんちょうぶん作成さくせい委員いいんかい ιいおた


長文ちょうぶん 10.2しゅう
 【1】いろづいたカキは日本にっぽんあきいろど風物詩ふうぶつしです。カキこそはせんねんにもわたって日本人にっぽんじんともにあり、幾多いくた詩歌しかまれてきた郷愁きょうしゅう果物くだものといえます。ガキ大将がきだいしょうひきいられたカキ泥棒どろぼうおも読者どくしゃおおいことでしょう。
 【2】カキは中国ちゅうごくまれ日本にっぽんおおきく発展はってんした果物くだもので、また、日本にっぽんめいのままで世界せかい通用つうようする数少かずすくない果物くだものでもあります。かつて農家のうか庭先にわさきにはかならずカキの巨木きょぼくがありました。とくにがき歴史れきしてき重要じゅうよう甘味あまみかんみ資源しげんでした。【3】「菓子かし」というもとはといえば「かきかし」に由来ゆらいしています。また、かきはビタミンCを格別かくべつにたくさんふく果物くだものです。それはリンゴのじゅうさんばい温州うんしゅうミカンのばいにもたっし、長年ながねんにわたって日本人にっぽんじん貴重きちょうなビタミンCの供給きょうきゅうげんとなってきました。
 【4】日本にっぽんでカキの栽培さいばいは、はち世紀せいきごろまでさかのぼることができます。江戸えど時代じだいになるとしぶほう発達はったつもあって、カキは全国ぜんこくの「庭先にわさき」に普及ふきゅうし、さまざまな地方ちほう品種ひんしゅされ、そうした時代じだいながつづきました。
 (中略ちゅうりゃく
 【5】大正たいしょうまでカキは日本にっぽん果物くだもの王座おうざ君臨くんりんしていました。が、やがてそのは、新興しんこうのミカンとリンゴにうばわれ、最近さいきんではしょく多様たようなかで、生産せいさんりょうはナシにもおくれをっています。【6】しかし、実態じったいのつかみにくい「庭先にわさき果樹かじゅ」としては、いまもカキのみぎるものはありません。カキはせんねんときえて、いまなおただでべられる日本にっぽん最大さいだい果物くだものなのです。
 【7】日本にっぽんでのなやみとはぎゃくに、カキは外国がいこくから注目ちゅうもくされ、あらたな世界せかい果実かじつへのみちあるはじめています。とく日本にっぽんとはぶしぎゃくになるニュージーランドでは、時期じきはずれの日本にっぽんへのぎゃく輸出ゆしゅつまでおこないつつあります。
 【8】こう不幸ふこうか、カキは早生わせ品種ひんしゅ開発かいはつむずかしく、また「桃栗三年柿八年ももくりさんねんかきはちねん」といわれるように、育種いくしゅ時間じかんがかかり、そのさくいまむかしもあまりわっていません。【9】さむよるかねおとでもきながらべるのがつかわしい、むかしながらのぶしかんじさせてくれる果物くだものです。この日本にっぽん古来こらいあき味覚みかくが、南半球みなみはんきゅうそだちの参入さんにゅうによって、初夏しょか味覚みかく変貌へんぼうしないともかぎらない昨今さっこんです。
 【0】さて、周知しゅうちのようにカキにはあまガキとしぶガキとがあります。むかし悪童あくどうたちは、どこのいえのカキがあまいかしぶいかを経験けいけんてきっていました。カキのしぶみの本体ほんたい特殊とくしゅなタンニン細胞さいぼうふくまれるタンニンです。カキが未熟みじゅくのころはみず果汁かじゅう)にける性質せいしつがあってしぶく、成熟せいじゅくにしたがって自然しぜんみずけない性質せいしつわってくろい「ゴマ」になり、しぶみがなくなります。あまガキでは成熟せいじゅくするまでにそうした変化へんか完了かんりょうしますので、収穫しゅうかくしたカキをすぐにべることができます。しかし、しぶガキでは成熟せいじゅくしても可溶性かようせいタンニンがのこり、収穫しゅうかく人為じんいてきしぶきが必要ひつようになります。
 あまガキの品種ひんしゅおおいのに、そんな手間てまをかけてまでしぶガキにこだわるのは、とろけるような肉質にくしつあまガキではとおおよばないうえに、寒冷かんれいではあまガキも温度おんど不足ふそくしぶけず、あまガキの産地さんち暖地だんちかぎられているためです。(中略ちゅうりゃく
 カキはなぜしぶいのか? あたりまえのことのようにおもえますが、その生物せいぶつがくてき意味いみについてはこれまで追求ついきゅうされたことがほとんどなかったようです。
 しぶガキのしぶもいわゆる「ごなしガキ」になるまでうえいておけばけます。しかししぶいうちはとりもタヌキもしません。しぶ無用むよう時期じき果実かじつ動物どうぶつわれるのをふせぐ、「適応てきおうてき意味いみっているとおもいます。果実かじつあか完熟かんじゅくしてタネが充実じゅうじつし、しぶみのなくなる「ごなしガキ」の時期じきこそが、動物どうぶつたちのべたい気持きもちと、タネをはこんでほしいカキのおもいとが一致いっちするときなのでしょう。こうした、しぶいてまでわかいカキをべてしまうヒトの出現しゅつげんは、カキの進化しんかにとって勘定かんじょうがいのことだったにちがいありません。

 (『果物くだものはどうしてつくられたか』梅谷うめたにけんじ梶浦かじうら一郎いちろう


長文ちょうぶん 10.3しゅう
 【1】「わらもんにはぶくる」のであって、ぶくるからわらうのではない。自分じぶんからうんせつけないでおいて、「わたしうんわるい」となげいているひとおおい。いつもくらかおをしていればうんもにげていく。悪口わるぐちばかりっていても、うんはにげていく。【2】ビジネスで成功せいこうしたければ、「悲観ひかんろんしゃとはうな」とうんについていたひとっている。
 うんえるものは日常にちじょうかた結果けっかである。【3】ある格言かくげんしゅうに「ほんをおくるとき表紙ひょうし見返みかえしにみじかいメッセージをくこと」というのがあった。これはだれでもがおもう、どうというようなことばではない。しかししんがないとみじかいメッセージでもなかなかけない。【4】そしてじつはそのような日常にちじょうかさねが幸運こううんんでくるのである。日常にちじょう生活せいかつのこまごましたことをいい加減かげんにしておいておおきな幸運こううんのぞんでも無理むりである。毎日まいにちのささいな生活せいかつじょう連続れんぞくおおきな幸運こううん不運ふうんはこんでくる。
 【5】もし、幸運こううんがほしいなら、日常にちじょうのおくりものひとつにもしんがあることが大切たいせつである。手紙てがみひとつそえるにも、びんせんからふうとう、切手きってにまでこまかなこころづかいのとどいたひともいる。それが相手あいてへの最高さいこうのおくりものである。【6】物事ものごと安易あんいかんがえないで、苦労くろうをいとわないひとは、幸運こううんのほうがいかけてくる。「あのひとなら」とおくられたほう信頼しんらいするからである。こうして幸運こううんはこんでくれる人脈じんみゃくはできてくる。
 【7】研究けんきゅうしつから大切たいせつほんりてかえさない学生がくせい最近さいきんおおい。こうした社会しゃかいせいいたひとはいずれその代償だいしょう社会しゃかいからはらわされる。ひとびとはあいつとうのはいやだとおもうからである。
 つまり、かれはまともなひとからは相手あいてにされなくなる。
 【8】そのとき社会しゃかいせいいたひとは、「わたしうんわるい」とう。なに原因げんいん自分じぶんなかがつらくたるのかが理解りかいできないのである。しかし、社会しゃかいせいいた毎日まいにち生活せいかつかさねでそうなっていくのである。
 【9】そして、「わたし人生じんせいはどうしてこんなにくるしいことばかりあるのだ」と自分じぶん自身じしんまねいた不運ふうんをただなげいている。その困難こんなん不幸ふこうまねいたのは自分じぶん過去かこおこないの集積しゅうせきであることにはさいごまでがつかない。【0】にん成功せいこう失敗しっぱい原因げんいんというのはよくかる。しかし「日々ひびかさねの結果けっかそうなった」という、かくされた部分ぶぶんはなかなか理解りかいできない。
 こうして、幸運こううん不運ふうん環境かんきょうはできてくる。ひとはそこの場所ばしょときだけでそうしたことをしているのではない。場所ばしょときでもそうしている。そうした行動こうどうをするしんをそのひとっているのだから、でもそうした行動こうどうをする。その結果けっか、そのようなひとまわりにはしつのいいじんあつまらない。だから幸運こううんもドアをたたかない。
 アメリカにいまからななじゅうねんまえに、うんについてカソンというひといた興味きょうみあるほんがある。幸運こううんせるためのじゅうさん知恵ちえとでもうべきほんである。そのじゅうさん知恵ちえのうちのだい知恵ちえが「つけす」である。「なぜうまくいかないのか?」の理由りゆうつけすことである。かれはすべてのことには理由りゆうがあるという。ニュートンはリンゴがからちたときに、「これには理由りゆうがなければならない」とっていた。これがトップにたつじんたちのしつであるという。
 著者ちょしゃ運命うんめいしんじるひとはなまけものでおろかものであるという。運命うんめいしんじるひとみずからのベストをつくすことをしないためのいわけとして運命うんめいしんじるのだとう。すわって不運ふうんをなげいているひとは、幸運こううん自分じぶんつけるべきだとかんがえて、自分じぶん幸運こううんつけるべきだとはかんがえていない。
 かわにきたときにすわってかわみずがなくなることをっていてはならない。はしをかけるしかない。すわってかわみずがなくなることをっていたひとが、はしをかけてこうがわにいき幸運こううんつけたひとて、幸運こううんひとうのである。努力どりょく忍耐にんたいなくして幸運こううんはありえない。
 人知ひとしれず苦労くろうをしていないひとはすぐに物事ものごと幸運こううんとか不運ふうんとかでかたづけてしまう。しかし幸運こううんえても、うまくことをはこぶにはかげでそれなりのながなが努力どりょく苦労くろうがいる。「人生じんせい消耗しょうもうにたえられるひとは、幸運こううんひとである」とカソンはう。困難こんなんのない人生じんせいなどない、これが人生じんせいうんかんがえるとき大前提だいぜんていである。

 (桐蔭学園とういんがくえんちゅう


長文ちょうぶん 10.4しゅう
 もとめよ、さらばひらかれん

 ネコやイヌがドアのまえでしきりにくとき、ぼくらはかれらが「けてくれ」といっているのだと理解りかいする。ところがものをむずかしくかんがえるひとがたくさんいて、そのような理解りかいただしくないとおしえてくれるのである。
 たとえば、言語げんご学者がくしゃのレーヴェスというひとは、「イヌはけてくれといってえるのではなく、じこめられているからえるのである」といった。どうやらかれは、ある表現ひょうげんによって未来みらいのことを支配しはいしようとするのは、人間にんげんにおいてこそ可能かのうなのであって、イヌやネコのような動物どうぶつにはそんなことはできない、かれらにできるのは現状げんじょう報告ほうこくだけである、とかんがえていたらしい。
 これは、一時いちじかなりの説得せっとくりょくをもったいいかたであって、ぼくもそうかなとおもったことがある。
 けれど、動物どうぶつ行動こうどう学者がくしゃのローレンツはこういうことをいっている――のどのかわいたイヌが水道すいどう蛇口じゃぐち前足まえあしをかけて、ワンワンいているとき、それは人間にんげん言語げんごにかなりちかいことをやっているのだ、と。つまりこのイヌは、うたがいもなく、「はや蛇口じゃぐちをひねって、みずませてくれ」といっているのだ。
 ドアのまえでネコがくのも、それとまったくおなじである。とくに、かれらがトイレにいきたいとか、どもがさきそとてしまってすごく心配しんぱいであるとかいう切羽きりはつまった情況じょうきょうで、ぼくらのかおをじっとながら、ニャア……とくとき、それはレーヴェスよりローレンツのいったことにはるかにちかいだろう。

 パンダの発明はつめい

 ただいて「けてくれ」とたのむだけでない。オスネコのパンダはもっとおもしろいことを発明はつめいした。
 つまりかれは、人間にんげんのやっていることをつぶさに観察かんさつして、ドアをけるとき人間にんげんたちはかならずノブにさわっている、ということを発見はっけんしたのである。ここからかれはこういう解釈かいしゃくをした――したがって、ドアをけたいときは、ドアのノブにさわればよい。
 そこでかれは、部屋へやからそとたいとき、後足あとあしちあがり、からだ前足まえあしおもいきりばして、前足まえあしさきでノブにさわることをはじめた。
 おもしろいことに、そのときはほとんどの場合ばあい無言むごんである。ひょこひょこっとドアのまえはしっていって、ひょいとちあがり、ノブに前足まえあしをふれるのだ。
 それをてぼくらはすぐドアをけてやるから、パンダは自分じぶん発明はつめいにすっかり自信じしんをもってしまった。いちにちなんかいでも、けてほしいときはかならずこれをやる。(中略ちゅうりゃく
 ところが、これがほんとうにノブというもののはたらきを理解りかいしたうえでの行動こうどうであるかどうか、いささかわからなくなるような場合ばあいもある。
 パンダがそとかけていって、にわからかえってきたことがあった。食堂しょくどうにぼくらがいるのをて、パンダはれてくれという表情ひょうじょうをした。そして、ガラスをかけてちあがったのである。
 三枚さんまいきのガラスには、もちろんノブはない。かぎはあるが、外側そとがわからはなにえない。そのなにもないところへパンダは前足まえあしをかけたのである。もちろん、ガラスの部分ぶぶんでなく、かぎのあるべきわくのところにである。ただ、そのたかさはドアのノブとおなじだった。けれどこれも、ちょうど全身ぜんしんばしてとどくたかさだから、たまたま一致いっちしただけである。そのときパンダは地面じめんからからだばしたのだから、内側うちがわにかぎやしゅのあるところよりは、ずっとひく位置いちあしをかけたことになる。
 だとすると、パンダにとっては、ノブがあってもなくても、からだおもいきりばして前足まえあしでさわれば、それがけてもらえるという認識にんしきしかなかったのかもしれない。ノブが云々うんぬんという理解りかいはなかったのではないか?
 人間にんげん以外いがい動物どうぶつ人間にんげんてき理解りかいすること、つまり擬人ぎじん主義しゅぎをきらうひとは、このような解釈かいしゃくをよしとする。
 けれど、人間にんげんだって、たとえば横断おうだん歩道ほどうわたるときにはげて、などとおそわると、鉄道てつどう踏切ふみきりわたるときもげてゆくひとがいるのだから、たようなものではないだろうか。

日高ひだか敏隆としたか「ネコたちをめぐる世界せかい」)


長文ちょうぶん 11.1しゅう
 【1】のリビングには、ぼくあかぼうころ写真しゃしんかざられている。よく「ちいさいころの写真しゃしんるのはずかしい」というひとがいるが、この写真しゃしんかぎってうなら、ぼくはそうはかんじない。物心ぶっしんついたときからそこにあり、毎日まいにちているため、もはやれてしまって、いまさられくさい気持きもちにはならないのである。
 【2】むしろ、写真しゃしんなかあかちゃんは、わがながらとてもかわいらしいとおもうほどだ。なにがそんなにうれしいのか、というほどほそめ、くちげて微笑ほほえんでいる。それがピントもばっちりのアップでうつされた、写真しゃしんである。【3】ぼくはときどき「こんなに可愛かわいあかちゃんが、いまではすっかりかわいくない少年しょうねんになってしまったね」と冗談じょうだんう。はははそれをくたびに、そうねえと大笑おおわらいをするのだ。
 あるぼくはひとりで留守番るすばんをしていてひまだったので、その写真しゃしんをしげしげとながめてみた。【4】本当ほんとう自分じぶんなのかうたがった、というわけではないが、成長せいちょうした現在げんざいかおと、どれくらいわったか見比みくらべてみようとおもったのだ。
 色々いろいろ見回みまわしてみて、ひとつ、むかしいまでまったくわっていない部分ぶぶん発見はっけんした。それは、はなあたまにあるちいさなきずだ。【5】いまではいたくもかゆくもないきずあとであるが、写真しゃしんではついたばかりのようで、よくると結構けっこう痛々いたいたしいかんじだった。こんなきずがあるのににこにこしているとは、やはりあかぼう無邪気むじゃきなのだなと、ぼく他人事たにんごとのようにおもった。
 【6】やがてははかえってきて、ぼく気付きづいたことを報告ほうこくした。するとははは、やけに重々おもおもしい口調くちょうで、「じついままでかくしていたことがある」とした。それは、ぼくにとって衝撃しょうげき事実じじつであった。
 なんと、ぼくはなきずは、まさにこの写真しゃしんったときについたものなのだという。【7】カメラをかまえたちちかって、あかぼうぼくはすごいいきおいでっていったらしい。ははめるひまもなかったという。そしてぼくはそのままカメラのレンズに激突げきとつし、がついたようにきわめいたのだそうだ。
 【8】そう、微笑ほほえましいいちまいだとばかりおもっていたこの写真しゃしんは、わらっているのではなく、いたみとおどろきで寸前すんぜんひずみ(ゆが)んだ表情ひょうじょうをとらえたものだったのである。
 人間にんげん先入観せんにゅうかんとはおそろしいものだ。ただ、それがかったうえてみても、写真しゃしんなかあかちゃんはやはりしあわせそうにえる。【9】いたみや失敗しっぱいふくめて、愉快ゆかい家族かぞくおもになっているからだろうか。
 いままで注目ちゅうもくしてこなかった写真しゃしんにも、さまざまなかくされた物語ものがたりがあるのかもしれない。ぼく今度こんど留守番るすばんのとき、あらためてふるいアルバムをひらいてみようかとかんがえた。【0】

言葉ことばもり長文ちょうぶんちょうぶん作成さくせい委員いいんかい ιいおた


長文ちょうぶん 11.2しゅう
 【1】わたしたちはながあいだ木綿もめんなからしてきた。だが明治めいじ以降いこうそれをてて、あたらしいものへ、あたらしいものへと人工じんこう材料ざいりょういかけてきた。
 (中略ちゅうりゃく
 【2】いませんさんひゃくねんたった法隆寺ほうりゅうじのヒノキのはしらあたらしいヒノキのはしらとではどちらがつよいかときかれたら、それはあたらしいほうさ、とこたえるにちがいない。【3】だが、そのこたえはただしくない。なぜならヒノキは、られてからさんひゃくねんあいだは、つよさや剛性ごうせいがじわじわとしてさんわり上昇じょうしょうし、その時期じきぎて、ゆるやかに下降かこうする。【4】そのがりカーブのところに法隆寺ほうりゅうじはしら位置いちしていて、あたらしいはしらとほぼおなじくらいのつよさになっているからである。つまり、られたときだいいちせいつが、建築けんちく用材ようざいとして使つかわれるとふたただいせいはじまって、そのなんひゃくねんものなが歳月さいげつつづけるちからをもっているのである。
 【5】バイオリンは、ふるくなるほどおとがさえるというが、それもこの材質ざいしつ変化へんか説明せつめいできる。用材ようざい剛性ごうせいすとともに、音色ねいろがよくなるのである。【6】したがって、音色ねいろがよくなるのはある時期じきまでで、そのはしだいにもとにもどっていくだろうことも想像そうぞうかたくない。
 ところで、その名人めいじんによると、ヒノキでつくったバイオリンは、どうしても和風わふうひびきがするというのである。【7】もともとバイオリンは、トウヒとカエデをわせてできたものである。使用しようするしゅじゅしゅかたちも、じゅうろく世紀せいき後半こうはんさだまり、それ以後いご近代きんだい科学かがく改良かいりょうあんもほとんどせつけないほどに完成かんせいした、手工しゅこうげい結晶けっしょうである。【8】ほかのしゅじゅしゅえるのがむずかしいことはよくわかる。だが、ヒノキのバイオリンは和風わふうひびきがするというのはおもしろい。
 おな種類しゅるいのものでも、産地さんちにより立地りっちによって、材質ざいしつすこしずつちがう。【9】それは、物理ぶつりてき化学かがくてき試験しけんによっても証明しょうめいできないほどの微妙びみょうであるが、市場いちばではなが経験けいけんによってそれぞれを区別くべつし、値段ねだんあつかいもちがっている。たとえば、ヒノキのなかでは木曾きそさんのものがさい高級こうきゅうだ、といったような評価ひょうかである。
 【0】また、はそれが生育せいいくした土地とち使つかわれたとき、いちばんしっくりとして長持ながもちするということも、くわしいひとたちのよくるところである。これはのもつ風土ふうどせいとでもいうべきもので、どこかものはなしている。その土地とちでとれた素材そざい使つかい、伝統でんとう調理ちょうりほうでつくった料理りょうりがいちばんうまい、というのとおなじような意味いみあいである。
 ヒノキのぞくには世界せかいむっつのたねがあるが、なかでも日本にっぽんのヒノキはざいとしての風格ふうかく一段いちだんたかい。だからこそ白木しらきづくりの建築けんちくまれたのであるが、それは日本にっぽんという風土ふうどなかかれたときがもっともふさわしく、また性能せいのう発揮はっきする。つきつめていえば、木曾きそのヒノキは木曾きそ使つかわれたとき、奈良ならのヒノキは奈良なら使つかわれたときが、いちばんしっくりするということになるだろう。
 わたしたちは、機械きかい文明ぶんめい恩恵おんけいなかで、工学こうがくてきかんがかた信頼しんらいくあまり、数量すうりょうてき証明しょうめいできるものにのみ真理しんりがあり、それだけがただしいとしんじすぎてきたきらいがあった。だが、自然しぜんがつくったものは、のように原始げんしてき素朴そぼく材料ざいりょうであっても、コンピューターでは解明かいめいできない側面そくめんをもっているのである。

 (小原おはら二郎じろう日本人にっぽんじん文化ぶんか』による)


長文ちょうぶん 11.3しゅう
 【1】だれもがよくっているお伽噺とぎばなし桃太郎ももたろう」は、「あるおじいさんはやま柴刈しばかりに、おばあさんはかわ洗濯せんたくきました」というかたしからはじまっている。【2】このお伽噺とぎばなしむかしからわることなく子供こどもたちをひきつけてきたのは、波乱はらんんだ冒険ぼうけんだんまくあけを、かつての日本人にっぽんじんにとってもっともありふれた日常にちじょう生活せいかついち場面ばめんいた、そのたくみなかたしにあるのではなかろうか。
 【3】年寄としよりがけるような身近みぢかところに、たきぎりのできるはやしがあり、また、いえのすぐそばには洗濯せんたくのできるきれいな小川おがわながれているといった、この素朴そぼく集落しゅうらく光景こうけいは、日本人にっぽんじんにとってのひとつのげん風景ふうけいといってもよいだろう。【4】ひがしアジアの季節風きせつふう地帯ちたいぞくし、気候きこう湿潤しつじゅんであるためにゆたかな森林しんりんかわめぐまれたこのくにでは、住民じゅうみん生活せいかつは、このもりかわ恩恵おんけいのもとにいとなまれてきたのであった。
 (中略ちゅうりゃく
 【5】そこでおもいあたるのは、このくにのもともとの集落しゅうらく形成けいせいが、おおくの場合ばあい扇状地せんじょうちからはじめられてきたことだ。扇状地せんじょうちは、山地さんち渓流けいりゅう平野へいやちゅうそそ地点ちてん砂礫されき堆積たいせきしてつくられた、なだらかな地形ちけいである。
 【6】背後はいごやま背負せおまえには平野へいやをのぞむこの扇状地せんじょうちは、みずはけのよいめぐまれ、またその末端まったんのあちこちからは、一度いちど伏流ふくりゅうした谷川たにがわみず一部いちぶふたたおだやかな小川おがわとなってながしている。【7】それは、日本にっぽん自然しぜんのなかでもっとも人間にんげんにやさしい部分ぶぶんといってよいだろう。ひとびとはここにることによって「荒々あらあらしい湿潤しつじゅん」がその反面はんめん豊穣ほうじょう享受きょうじゅしてきたのであった。
 【8】おじいさんはやまに、おばあさんはかわに、という描写びょうしゃは、まさにこのような集落しゅうらく情景じょうけいあらわしている。【9】ここでは、集落しゅうらくをとりまく山麓さんろく森林しんりん薪炭しんたんざいにち用材ようざいのう用材ようざいのほか、緑肥りょくひ山菜さんさいから家畜かちく飼料しりょうなどにいたるまで、さまざまな生活せいかつ資源しげんせるたからやまであり、また、そこからながかわは、良質りょうしつ生活せいかつ用水ようすい供給きょうきゅうするははなるかわだったのだ。
 【0】こうした人間にんげん身近みぢかにあって生活せいかつのさまざまなめん利用りようされるような森林しんりんを、日本人にっぽんじん里山さとやまんできた。この里山さとやま特色とくしょくは、人間にんげんによってきわめて集約しゅうやくてき利用りようされながら、しかし、けっして消滅しょうめつすることなく、なが維持いじされてきたことにある。(中略ちゅうりゃく
 しかし里山さとやまなが維持いじされてきたもうひとつの理由りゆうは、里山さとやまが、さきにもべたような木材もくざい以外いがいの、さまざまな資源しげん採取さいしゅとしても利用りようされつづけてきたからである。しかも、そうしたものの採取さいしゅは、つねにりつくす「り」でなしに、必要ひつようとき必要ひつようぶんだけをもとめる「り」によってきた。
 りは、弥生やよい時代じだい以来いらい農耕のうこう文化ぶんかのもっとも基本きほんてき収穫しゅうかく方式ほうしきである。しかし日本人にっぽんじん里山さとやま利用りようには、いわば縄文じょうもん時代じだい以来いらい伝統でんとうともいうべき多様たよう行為こういふくまれていたのだった。このくにではながあいだ農耕のうこうからのりと里山さとやまからのりによってひとびとの生活せいかつってきたのである。
 また、こうした里山さとやまへのはたらきかけの底流ていりゅうには、自然しぜんへの畏敬いけいがあった。西洋せいよう宗教しゅうきょう日本にっぽん宗教しゅうきょうおおきなちがいは、前者ぜんしゃ排他はいたてき一神教いっしんきょうであるのにたいし、後者こうしゃ多神教たしんきょうであることにある。そこで、天上てんじょう唯一ゆいいつかみって世界せかい支配しはいするのではなく、地上ちじょうのあらゆるものにかみ々が宿やどるとみるしんから、さんかわまでが素朴そぼく信仰しんこう対象たいしょうになっていたのであった。このことが、西洋せいようにおける自然しぜん合理ごうりてき制御せいぎょとはことなる、自然しぜんへの順応じゅんのうささえてきたとみてよいだろう。
 その象徴しょうちょうが、集落しゅうらくかこ里山さとやま一角いっかくかならずあった、鎮守ちんじゅもりである。鎮守ちんじゅもりは、村人むらびと信仰しんこうであると同時どうじに、里山さとやまのなかにたくみにまれた、いまでいえば保存ほぞんりんにあたる聖域せいいきでもあった。集落しゅうらく一帯いったい環境かんきょう保全ほぜん急所きゅうしょともいえる場所ばしょ鎮守ちんじゅもり配置はいちされていたことがいまではられている。

石城せきじょう謙吉けんきちもりはよみがえる」による)


長文ちょうぶん 11.4しゅう
 ぼくいちだけじゅくとおったことがある。
 小学校しょうがっこうろく年生ねんせいから中学ちゅうがくいち年生ねんせいはるまでのあいだで、場所ばしょ北海道ほっかいどう帯広おびひろだった。じゅく名前なまえ正式せいしき名称めいしょうがあったはずだが、いまおぼえているのはたぬきじゅくという通称つうしょうのほうだけだ。(別名べつめいぽんぽこじゅくばれていた)何故なぜそのじゅくかよいだしたのかはわすれてしまった。多分たぶん同級生どうきゅうせいがそこへとおっていたからだろう。あのころぼくにはさんにん仲間なかまがいた。
 ありもり、おのだ、まなべ、のさんにんである。ぼくふくめてよんにん学校がっこうわると毎日まいにち自転車じてんしゃをとばしてじゅくかようのだった。あめふうぼくらは自転車じてんしゃでそこへとおっていた。競争きょうそうするようにきそって、びゅんびゅんふうってはしっていたのである。
 そうだ、いまおもした。ぼくがそこへかれらとかようようになったのには、ちょっとした理由りゆうがあったのだ。おなじクラスのあやべさんというおんながやはりかよっていたからだ。ぼく彼女かのじょのことがきっときだったのである。どうもまだあいとかこいとかその感情かんじょう鈍感どんかん時期じきだったので、あれがそういう感情かんじょうのものだったかどうかちょっと自信じしんがないのだが、授業じゅぎょうちゅう彼女かのじょのきりりとした横顔よこがおるのがすきだったことはたしかだった。その横顔よこがおをもっとたくて勉強べんきょうきらいなぼくじゅくがよいを決心けっしんしたのである。あやべさんは帯広おびひろおおきな病院びょういん令嬢れいじょうで、ゴトウクミコにまさるともおとらない美形びけい(いや、これはしんじていただくしかないのだが)な才女さいじょだったのだ。学校がっこうでは当然とうぜん人気にんきしゃで、ぼくぼくなどそうやすやすとちかづくことさえできなかったのである。だから、ぼく彼女かのじょおなじゅくかようことにしたのだ。(中略ちゅうりゃく
 ぼくらはじゅくがえりに、途中とちゅう国道こくどう沿いの雑貨ざっかにくまんにくまんってべる習慣しゅうかんがあった。ぶしわりさむくなりはじめると湯気ゆげのぼにくまんべることがすごすごらくしみになるのだ。北海道ほっかいどう夜空よぞらほしたかく、きらきらとりばめるようにともっていてまれそうだった。ぼくらはにくまんくちいっぱいにほおばりながら、その神秘しんぴてきかがやきをつけていた。おおきな星空ほしぞらていると、自分じぶんたちの存在そんざいちいささにうしないそうになった。
 ぼくらは微妙びみょう年頃としごろであった。こいり、物事ものごとをわきまえはじめる年齢ねんれいであったのだ。
「なあ、ニック。くんだれきなおんなはいるのかい」
 ジョンはかんコーヒーをすすすすりながらそういった。
 ぼくおもわずべていたにくまんのどまりそうになって、一度いちど咳払せきばらいをするのだった。
「なんだよジョン、いきなりそんなことききやがって」
帯広おびひろはあまり方言ほうげんらしい方言ほうげんがなく、ほとん標準ひょうじゅんであった。それからぼくらの年齢ねんれい子供こどもたちはテレビの影響えいきょうもあって、東京とうきょうふう言葉ことば使つかうのがかっこいいとされていたのである。ぼくぐに土地とち言葉ことば習慣しゅうかんになれる才能さいのうっていたのだ。それがないと転校生てんこうせい余所よそよそ土地とちではのこってはいけないからだ)
「お、かおあかいぞ。さては図星ずぼしくんだな」
 ジョンがそういってぼくかたたたくので、ぼくおもわずせてしまった。
「だれだよ、ニックはだれきなんだ」
 ロバーツがあふあおる。
「ひゅー、ひゅー」
 サムはポケットにんだままマフラーにくびすくめてぼくやかした。(中略ちゅうりゃく
 ぼく夜空よぞら見上みあげた。ほしまばたきがキャサリンのウインクのようでむねがときめいていた。沢山だくさん初恋はつこい経験けいけんしていたが、多分たぶんあのときの感情かんじょうぼく本当ほんとうこい第一歩だいいっぽではなかったかとおもうのだ。むねがときめくということをったのはまず間違まちがいなく(断言だんげんはできないが)キャサリンが最初さいしょ女性じょせいであった。

つじ仁成ひとなり「キャサリンの横顔よこがお」)


長文ちょうぶん 12.1しゅう
 【1】わたし朝寝坊あさねぼうなどしたことがない。いつも早寝はやね早起はやおきをこころがけ、時間じかんてき余裕よゆうって行動こうどうしている。それはなぜかというと、以前いぜんちちから「会社かいしゃ遅刻ちこくして上司じょうし激怒げきどさせた」というはなしいたことがあるからだ。
 【2】ちちはそのことをまるでわらばなしのようにかたるが、わたしは、とてもそんなのんにはなれない。わたし学校がっこう先生せんせいは、みんなきびしいのだ。そんな先生せんせいたちにしかられて、ふるがるようなおもいをするのは絶対ぜったいいやである。
 【3】理由りゆうはもうひとつある。そうした生活せいかつパターンのおかげで、わたしろく年生ねんせいになるまで、ずっと皆勤かいきんしょうつづけていた。卒業そつぎょうまであとすうヶ月かげつろく年間ねんかん皆勤かいきんは、わたしおおきな目標もくひょうでもあった。
 しかし、わたしのそんな頑張がんばりがあっさりと無駄むだになる出来事できごとが、つい最近さいきんこってしまった。【4】そのわたし寝坊ねぼうをしなかった。定刻ていこくきて、いえ出発しゅっぱつしたのである。それなのに、んだ電車でんしゃまってしまったのだ。
 車内しゃないアナウンスが、電線でんせん異常いじょうがあり走行そうこうできなくなった、とつたえていた。わたし呆然ぼうぜんとした。【5】このままでは遅刻ちこくはまぬがれない。それも、ひどいだい遅刻ちこくだ。せっかくこれまでをつけてきたというのに、しかも自分じぶん責任せきにんではないのに!
 携帯けいたいはは電話でんわをかけると、速報そくほうているから学校がっこうかっているはずだ。【6】あなたは怪我けがをしないようにをつけなさい、とやさしくってくれた。そうやってかせてもらうまで、わたしあたまあせりと苛立いらだちで混乱こんらんしていた。
 しばらくっても電車でんしゃうご気配けはいがない。ついに、わたしたちはその電車でんしゃろされ、つぎえきまである羽目はめになった。
【7】「いまからドアをひらきます。おからだをおはなしください。おくだ()りになるさいは、わずゆっくりとおねがいいたします。」
 そんなアナウンスをいて、わたしは「いつもはるときにおなじことをっているのにな」とすこ面白おもしろくなった。【8】このころには、普段ふだんのペースからはずれた特別とくべつ状況じょうきょうを、どこかたのしめるようになっていたのである。
 長々ながながつづ線路せんろ普段ふだんならけっしてることができない光景こうけいだ。そのうえあるいていると、むかしふる映画えいがのワンシーンがおもされて、おもわずうきうきしてしまった。
 【9】学校がっこう到着とうちゃくしたのは、一時いちじあいだ授業じゅぎょうわるころだった。教室きょうしつはいったわたしを、担任たんにん先生せんせいどくそうにた。ははったとおり、遅刻ちこく理由りゆうも、そしてわたし皆勤かいきん目指めざしていたこともってくれていたのだろう。今日きょう遅刻ちこくしたのは自分じぶんのせいではない。【0】しかしわたし不思議ふしぎと、素直すなおに「すみません」とあやまることができた。
 人間にんげんにとって、たまには時間じかんしばられず、解放かいほうてき気分きぶんあじわうのもいいのかもしれない。皆勤かいきんしょうゆめ途絶とだえたが、わりに貴重きちょう体験たいけんをすることができた。「きゅうがばまわれ」ということわざもある。わたしいちくらい、のんびり朝寝坊あさねぼうをしてみるのもいいかな、とふとおもった。

言葉ことばもり長文ちょうぶんちょうぶん作成さくせい委員いいんかい ιいおた


長文ちょうぶん 12.2しゅう
 【1】にんまれながらにもっている性格せいかくがあるね。
 しかし、そのひと経験けいけん努力どりょくで、ある程度ていどえることができる。
 また、ひとまれながらにもっている資質ししつというものがある。【2】こちらのほうはうっかりしているとづかないもので、自分じぶん資質ししつがどういうものなのかなかなかわからない。
 この資質ししつは、ちょうどそのひとだけのいずみのようなもので、だれでもがすぐれた資質ししつをもっているのに、一生いっしょうかかってもてられないひとがいる。(中略ちゅうりゃく
 【3】わかきみたちは、自分じぶんのすばらしいいずみがどこにあるのか、さがしている時期じきだ。おおいにいろいろのことをやって、さがしたらいい。
 【4】そして、ちょうどりをしているときのように、コツンとたりがあったら、そこにきみがかくれているのだからじっくりやってみたらいい。すぐにあきてしまわないで、持続じぞくすることも大切たいせつなんだ。しんぼう、しんぼうってわけ。
 【5】高校こうこうとか大学だいがくとかにはいるというのももちろんひとつの標的ひょうてきだろう。自分じぶんめた標的ひょうてきなら、みごとてき中心ちゅうしんをねらいどおり射抜いぬくべきだ。
 しかし、高校こうこう大学だいがく入試にゅうしという標的ひょうてきだけでは、だれもがねらうてきだし、青春せいしゅんのすべてをかけるには、ちょっとさびしいもする。【6】ケンカの相手あいてとしても、月並つきなみでもあるね。
 きみだけにしかない、きみ自身じしん青春せいしゅん標的ひょうてき標的ひょうてきゆめのあるビッグのほうがいい。わかくんには無限むげん可能かのうせいがあるのだから。
 【7】しかし、それはきみ資質ししつにあったものでなければならないだろうね。といっても、まだ資質ししついずみ模索もさくちゅうなのだから、きみきなことでいい。なにかがきということは、そこに資質ししつ鉱脈こうみゃくがあるのだから。
 【8】たとえば、勉強べんきょうがどうしてもきらいでスポーツがきなひとは、スポーツにきみ自身じしん標的ひょうてきをかかげて、二度にどとこない青春せいしゅんのあいだにやりぬく目標もくひょうめ、ライフルの標準ひょうじゅんをピタリとわせたらいい。【9】くん自身じしんめた目標もくひょうがなかったら、自分じぶんにどのようにツッパッたらいいかわからないってもんだ。
 自分じぶんのかかげた標的ひょうてきにむかって、一流いちりゅうのツッパリかたをしてみようじゃないか。
 【0】青春せいしゅんのうちにこれだけはやった! その自信じしんきみおおきくえてゆく。
 さてそこで、標的ひょうてきをかかげるにあたって、きみ生活せいかつえらぶか人生じんせいえらぶかだ。
 生活せいかつ人生じんせいおなじようで、じつおおいにちがうんだね。おおくのオトナは生活せいかつのほうをえらんでしまう。大学だいがく就職しゅうしょくしてマイホームをつくり、どもをそだてる。もちろんこうした生活せいかつ大切たいせつなことだ。しかし、その生活せいかつのために、せっかくてた自分じぶんいずみらしてしまうひとおおいんだね。
 人生じんせいえらぶというのは、自分じぶん資質ししつったことをして、たとえまずしくても生活せいかつができ、おのずと社会しゃかい役立やくだかたになっていることなんだね。きている意義いぎ実感じっかんでき、他人たにんのではない自分じぶん自身じしんのこれがかただと、自信じしんをもっていえる生活せいかつ
 そういう人生じんせいえらぶと、この地球ちきゅうじょう一角いっかくに、きみ自身じしんつまあとをつけたことになる。
 それには、これまでふれたように、社会しゃかいたかみからおろすのではなく、ひとのくるしみやいたみのわかるひく視線しせん必要ひつようだろう。感動かんどう大切たいせつにすることも重要じゅうようだ。また「」のたのしみをることやひろ視野しや地球ちきゅう社会しゃかいることも。(中略ちゅうりゃく
 いまアメリカでは高校生こうこうせいあいだに、「ジェントルマンズC」という合言葉あいことばがあるそうだ。本当ほんとうのジェントルマンは、オールAの成績せいせきをとろうとしてガリ勉がりべんするものではなく、テニスをしたり、マイコンに夢中むちゅうになったり、ヨットであそんだり、おんなとドライブをたのしんだり……勉強べんきょうもそのうちのひとつというかんがかたなんだね。学校がっこう成績せいせきはCでも、ひろ視野しやでさわやかに行動こうどうできるひとのほうが、物事ものごとおおきく把握はあくし、国際こくさいじんとして実力じつりょく発揮はっきできるってわけ。
 きみもひとむかしまえガリ勉がりべん野暮やぼったいジェントルマンではなく「ジェントルマンズC」の精神せいしん青春せいしゅんをすごそうじゃないか。
 きみらしいさわやかな青春せいしゅん標的ひょうてき
 かがやかしい標的ひょうてきをもたないオトナなんてメじゃないってわけだ。
 そして、きみ資質ししつにあったきな職業しょくぎょうえらぼう。生活せいかつのためにいやいやはたらいたのでは、きみ自身じしん人生じんせいきることができず、きみ人生じんせいというおおきなケンカにけてしまうからね。
 (こうさえしゅういちしゅういち「けんかの仕方しかたおしえます」)


長文ちょうぶん 12.3しゅう
 【1】がんばることが大好だいすきな日本人にっぽんじんは、さまざまな場面ばめんで「努力どりょく」「勉強べんきょう」などという言葉ことばこのんで使つかいます。「勉強べんきょうしなさい」とは、学校がっこうでもいえでもよくいわれることで、みなさんのなかにはいいかげんみみにたこができているひともいるのではないでしょうか。【2】みなさんは小学校しょうがっこう時代じだいつうじていろいろなことをまなび、そして、さらにこれから中学校ちゅうがっこう進学しんがくして勉強べんきょうをつづけようとしています。それでは「勉強べんきょう」とはどのようなもので、なにのためにするものなのでしょうか。
 【3】日本にっぽん漢字かんじには音読おんよみと訓読くんよみがあります。「べんきょう」というのは音読おんよみですが、これを訓読くんよみにしてみると「つとめしいる」とむことができます。【4】「つとめる」とは一所懸命いっしょけんめいにはげむこと、「しいる」とは無理むりやりやらせることといった意味いみです。【5】つまり、「勉強べんきょう」には、「学問がくもんにつとめはげむ」という意味いみなかに、なにかを無理むりじいするニュアンスがふくまれるため、はじめからいやな印象いんしょうがつきまとっているのです。「勉強べんきょうしなさい」といわれて、いやな気分きぶんになるのは、もっともなことかもしれません。
 【6】また、日本語にほんごの「勉強べんきょう」には、つぎのような使つかかたもあります。
 たとえば、八百屋やおやさんで野菜やさいおうとするときのことです。できるだけやすいたいとおもい、ねぎったときに、八百屋やおやさんが、「勉強べんきょうしましょう」といいます。
 【7】これは、本当ほんとうやすくしたくはないのだけれども、しかたない、おきゃくさんのためにおまけしますという意味いみです。
 【8】この八百屋やおやさんはやすることを「つとめ、しい」られていますが、みなさんがやっている「勉強べんきょう」の場合ばあいにも、なにかいやなことを「つとめ、しい」られるというかんじがあるのではないでしょうか。【9】つぎにこの「勉強べんきょう」について、中国ちゅうごくのもとの意味いみからかんがえてみましょう。
 中国ちゅうごくの「勉強べんきょう」にも「つとめ、しいる」、「むりじいする」という意味いみはあります。しかし、現在げんざい中国ちゅうごくでは、みなさんがやっている「勉強べんきょう」には、「学習がくしゅう」という漢字かんじ使つかいます。【0】「わたしは日本語にほんご勉強べんきょうしています。」を中国ちゅうごくなおすと、「わが学習がくしゅう日本語にほんご。」となります。しかも、中国ちゅうごくでいう「勉強べんきょう」は、学問がくもんだけにつとめはげむという限定げんていされた意味いみではもちいません。
 (中略ちゅうりゃく
 島国しまぐに日本にっぽん歴史れきしてきにみて、つねにあたらしい外来がいらい文化ぶんかをよりはやくよりおお輸入ゆにゅうしなくてはならない状況じょうきょうにありました。最初さいしょ中国ちゅうごくから、明治めいじ時代じだい以後いごはヨーロッパから、おおくの知識ちしき夢中むちゅうになってとりいれてきました。その結果けっか日本人にっぽんじん外来がいらい文化ぶんか表面ひょうめんてき部分ぶぶんばかりをにつけ、内面ないめんてき部分ぶぶんについてまなぶことをなおざりにしてきてしまったきらいがあります。なにのために「勉強べんきょう」するのかという目的もくてきまえに、知識ちしきをえるために、がむしゃらに「つとめ、しいる」くせがついてしまったのです。こうした背景はいけいから日本にっぽんでは、学問がくもんがただたんに「つとめ、しいる」作業さぎょうとしてかんがえられ、めんどうくさく、たいくつで、つまらないものといったイメージがつよくなってしまったのだとおもいます。しかし、学生がくせい時代じだいは、人間にんげんがこれまできずいてきた文化ぶんか基本きほんをひろくまなび、自分じぶん自身じしんかたかんがえるときでもあります。まさに学校がっこう授業じゅぎょうつうじてなされる「勉強べんきょう」の大切たいせつてんはここにあります。
 みなさんのすす方向ほうこうがそれぞれちがうように、「勉強べんきょう」の目的もくてきひとによってさまざまでしょう。そして、目的もくてき最初さいしょからあるものでなく、またひとから強制きょうせいされるものでもありません。自分じぶんくべきみち自分じぶんでさがしていくには、おおくの困難こんなんもともなうでしょう。そうした困難こんなんにうちち、自分じぶん勉強べんきょうする目的もくてきをはっきりさせ、勉強べんきょうするなか自分じぶんきがいを見出みいだすことができたら、「勉強べんきょう」も苦痛くつうではなく、充実じゅうじつしたものになるでしょう。
 「勉強べんきょう」とは、それ自体じたい目的もくてきではなく、あくまでもそこへきつくための手段しゅだんにすぎません。手段しゅだん目的もくてきとかんちがいするときに「勉強べんきょう」はたんなる苦痛くつうたねになってしまうのだとおもいます。
 大切たいせつなのは、なにのためにまなぶかです。したがって、学生がくせい時代じだいとはこの課題かだいを「勉強べんきょう」をつうじてかんがえていく、いわば自分じぶんさがしのたびはじまりにもたとえることができるでしょう。

 (和洋わようきゅうだん女子じょしちゅうより)


長文ちょうぶん 12.4しゅう
 いもがあたえられると、サルたちは、いろをかえてとびつき、いもをつかむと、いそいでうみにもっていきます。いもについたすなをあらってべるためです。いもを両手りょうてにもち、あとあしでってはしるサルもいます。そのために、ほかの場所ばしょにすむサルは、めったにほんあしではあるかないのに、このしまのサルたちは、ってあるくことが、とてもうまくなりました。
 としよりたちは、海水かいすいにいもをつけ、でごしごしこすって、すなをとります。ところが、ははザルたちは、海水かいすいのなかで、かるくゆするだけです。それで、じゅうぶんすながとれます。しかも、ははザルは、ひとくちかじるたびに、いもを海水かいすいにつけています。「どうしてだろう。」キョンは、ふしぎでした。でも、海水かいすいになかにちているかけらをべてみて、わけがわかりました。おかあさんは、いもに塩味しおあじをつけていたのです。
 「ペペッ」キョンは、くちのなかのものを、あわててはきだしました。砂浜すなはまにまかれたむぎをべると、すながいっしょにはいってきて、すごくまずいのです。
「ばかね、こうするんだよ。」とでもいうように、おかあさんは、むぎをすなといっしょにかきあつめ、それをでつかんでうみへもっていき、みずのなかになげいれました。むぎについていたすながすっかりとれ、むぎは、水中すいちゅうで、かねのつぶのようにひかっています。おかあさんは、それをひろってべました。
「ふうん、いいやりかただな。」とおもって、キョンはまわりをました。と、みんな、そうしているのです。「へええ、あたまがいいんだな、みんな。」キョンは、すっかり感心かんしんしてしまいました。
「あれ、どうしたんだろう。」キョンは、サンゴをて、ふしぎにおもいました。サンゴは、このれでいちばんつよいメスです。それが、むぎあらいをせず、すわったまま、きょろきょろとまわりをまわしているのです。
 ノギクがすなでかき、むぎをあつめはじめました。サンゴは、それをじいっとています。ノギクがむぎをあつめてにもち、うみになげいれると、サンゴは、すかさずはしっていって、ノギクのせなかをつきとばしました。ノギクは「キャッ」と悲鳴ひめいをあげてとびのきます。そのすきに、サンゴは、水中すいちゅうになげられたむぎを、よこどりしてしまったのです。ノギクは、しばらくくやしそうにていましたが、つよいサンゴにさからう勇気ゆうきはありません。すごすごと、また、むぎをあつめました。
 サンゴは、よこどりが専門せんもんです。「わるいやつだなあ。」と、キョンは、あきれはててしまいました。(中略ちゅうりゃく
 幸島こうしまこうじまは、うみにかこまれているのに、むかしは、だれもうみにはいるものはいませんでした。あるうみちたピーナツをひろうのに、ザルがうみにはいってから、みんながうみにはいるようになったのです。でも、カミナリをはじめ、としをとったサルたちは、けっしてみずのなかへはいろうとしません。かんがえかたがふるいので、あたらしくはじまった行動こうどうをとりいれることができないのです。あたらしい発見はっけん発明はつめいをするのは、ほとんど、ふる習慣しゅうかんにとらわれないどもたちです。どもは、文化ぶんかのつくりしゅです。
 しおがひくと、れは、いっせいに海岸かいがんき、かいべます。ウノアシやヨメガカサのように、いわにぴったりはりついているものは、ではがしとります。まきかいのクボガイもだいすきです。キョンも、クボガイをひろってべました。おいしくて、ほっぺがちそうです。
 むかしは、かいべるものは、だれもいませんでした。それが、じゅうすうねんまえに、はじめて、べるものがあらわれたのです。だれがさいしょだったかは、わかっていません。でも、これも、きっと好奇心こうきしんつよい、どものサルだったのでしょう。かいべる行動こうどうは、しだいにれのサルにつたわっていき、いまでは、ほとんどみんながべるようになりました。あたらしいしょく習慣しゅうかんが、れにできたのです。
 つまり、かいいという食物しょくもつ文化ぶんかが、あたらしくまれたのです。
 その、キョンがおとなになってから、しま漁師りょうしがすてたさかなべるものがてきました。なかには、つりじんがつったさかなべるものがてきました。なかには、つりじんがつったさかなをねだるものもあらわれはじめ、つりじんをこまらせています。いずれ、さかないも、このれの食物しょくもつ文化ぶんかになることでしょう。世界せかいじゅうのサルのなかで、生魚なまざかなべる習慣しゅうかんをもったれは、ほかにありませんから、この行動こうどうは、とてもめずらしがられることでしょう。
 それにしても、幸島こうしまのサルたちは、いもあらい、むぎあらい、かいい、さかないと、つぎつぎとあたらしい文化ぶんかみだしてきました。あたらしい行動こうどうにつけたり、問題もんだい解決かいけつしていくちえをもっているのには、びっくりします。そして、「文化ぶんかをもっているのは、人間にんげんだけではないんだなあ。」と、かんがえさせられます。
河合かわい雅雄まさお「ニホンザル」)