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課題集
長文 1.1週
【1】
一匹の
子犬が、
公園をうれしそうに
走っていく。
人間の
三歳ぐらいの
子供が、やはり
公園をうれしそうに
走っていく。その
二つの
姿は、どちらも
同じようにほほえましい。【2】しかし、
子犬の
方は、その
後何年たってもやはり
犬のまま
大きくなるだけだが、
人間の
子供は、
成長の
過程で、
偉大な
才能を
発揮する
人間になるか、
逆に
凶悪な
犯罪者になるか、あるいは
平凡な
人間として
一生過ごすことになるか、
予測することができない。【3】また、たとえ
平凡な
人間と
思われていても、どういう
個性や
趣味があるかということは
千差万別だ。
私たちは、この
人間の
可能性というものをよく
見ておく
必要がある。
【4】なぜ、
人間をその
将来の
可能性から
見る
必要があるかというと、その
理由は
第一に、
人間を
幅広く
見ることができるからだ。
例えば、
今何の
取り
柄もないように
思われる
人でも、
場面が
変われば
急に
真価を
発揮することがある。【5】
小学生のころ、
友達と
数人でキャンプに
出かけた。そのメンバーの
中に、
学校でも
評判のいたずらっ
子が
入っていた。
私は、
当初、その
子がキャンプに
参加することをあまり
快く
思っていなかった。しかし、
実際にキャンプが
始まってみると、その
子の
大活躍でみんなが
大いに
盛り
上がった。【6】この
経験から、
私は、
人間を
一つの
面からだけ
見るべきではないこと
深く
実感した。
人間を
可能性から
見ることが
大切なもう
一つの
理由は、
私たちは
進歩ばかりではなく
退歩することもあるからである。【7】
例えば、
豊臣秀吉は、
若いころさまざまなアイデアと
実行力で
新しい
時代を
切り
開く
役割を
果たした。しかし、
晩年は
自分の
権力に
執着することに
関心の
多くが
移っていたように
思える。たとえ
素晴らしい
業績を
残した
人であっても、
進歩をやめればやはり
後退するしかないのだ。
【8】
確かに、
私たちの
日常生活のほとんどは
平凡な
時間の
繰り
返しだ。しかし、
人間は、いざというときは、
周りの
人が
予想もできないような
変化をする
存在だということをいつも
心にとめておく
必要がある。【9】「
男子三日会わざれば
刮目して
待つべし」という
言葉がある。たった
三日でも、
人間は
大きく
変化する。
子犬は、
成長しても
犬のままだ。しかし、
人間は、
豚にも
天使にもなれる。よりよく
生きるためには、
常にその
両方の
可能性を
自覚していることが
大切なのである。【0】
(
言葉の
森長文作成委員会 Σ)
長文 1.2週
【1】
産業革命以来、
機械は
人びとの
生活を
豊かにする
打出の
小槌の
役目を
果たすものだと
思われて
来た。そしてその
進歩はイコール
人類の
幸福につながるとも
信じられていたのである。
過去百年の
間、わたしたちはなんの
疑いもなくそれを
信じて
来た。【2】その
信仰がまちがいでなかったことは、
人類がついに
月に
到達することによって
証明されたかのように
見えた。まさに
科学の
勝利を
確認する
成果だったわけである。そうした
背景に
立ったとき、なによりも
頼りになる
確かなよりどころは、
工学的なものの
考え
方であったし、またそう
信ずるのが
当然のなりゆきでもあった。【3】そして
数量的に
証明できるものにこそ
真理があり、それのみが
正しいとする
考え
方が、
広く
行きわたっていったのである。
だが
最近になって、それだけがすべてではないということが、
反省されるようになった。【4】
経済の
高度成長下にあっては、その
目的を
達成する
一番有力な
武器は、
工学的な
発想と
工学技術であった。だがいまやその
行きすぎがいろいろな
面で
見直されようとしている。それを
補うための
最も
有効な
方法の
一つとしてあげられるのは、
生物学的な
発想であろう。【5】「
二〇
世紀は
機械文明の
時代であったが、
二一世紀は
生物文明の
時代になる」というような
言葉が
使われている。これもまたそのことを
示唆するとみてよいであろう。
いまここで
述べてきたことは、デザインの
分野についてもあてはまることである。【6】
以下にとりあげるのは、やや
片寄った
対象ではあるが、わたしの
関係するインテリアの
分野を
例にしてこの
問題を
考えてみたい。
生物学と
建築というと、いまのところいかにも
縁遠い
存在のように
思われる。だが
果たしてそうであろうか。
【7】
動物学は、かつてはおもに
医学の
補助手段として
発達した
面があった。
一八世紀以来の
比較解剖学や、
一九世紀になって
発展した
比較生理学は、そうしたところから
出発した
学問であった。【8】だがそれらの
科学は、
現在ではもっと
広く
人間そのものの
生き
方や、
人間観の
構成という
分野にさえも、
寄与するようになって
来ている。おなじ
事情は
植物学についてもいえることである。
【9】それにもかかわらず、
一般には
生物学が
建築とかかわり
合う
範囲は、
動物学なら
建築害虫、
植物学なら
造園の
分野くらいでしかないという
単純な
受け
取り
方がある。これはいささか
近視眼的にすぎるのではないだろうか、とわたしは
思う。
【0】これまでの
建築は
芸術性と
工学的な
技術に
重点がおかれていた。
建築学が
一つ
一つの
独立した
建物をつくる
技術であった
段階まではそれでよかったであろうが、それが
一方では
都市という
空間にまで
拡大し、
他方ではまた、インテリアというミクロの
空間にまで
細分化されて
来た
現在では、その
底流に
生物学的なものの
見方、
考え
方がしっかり
根を
下していないと、
建築もインテリアも
本当に
人間のためのものになりえないということが、いま
反省され
始めようとしている。
考えてみるとわれわれの
生活の
大部分は、
生物的嗜好でよいわるいを
判断していることのほうが
多い。だが
従来の
工学的立場では、そういうあいまいさは
技術とは
認められなかった。そこでなんとか
数量的にあらわそうとするが、
現在の
技術の
段階ではどうしても
割り
切れない
部分が
残ってしまう。その
断層を
埋める
手段が、しばしば
芸術の
名のもとに、
単なるカッコよさとすり
換えられるおそれもあったのである。だが
新しい
生物学は、そうしたあいまいさに
対して、
一つのよりどころを
示す
可能性を
持つようになった。そして
同時に、
数量的に
割り
切れるものだけが
科学のすべてではない、ということも
教えてくれるようになって
来たのである。
いま
都市空間の
例をあげよう。ブラジリアはあらゆる
技術を
駆使して
二一世紀の
夢の
都市としてつくられたはずであった。だが
実際にできあがってみると、かんじんの
人間がなかなか
住みつかない。その
理由を
調べてみるといわゆる
街角がなかったためだという。
気楽に
人と
人とが
接し
合う
泥臭い
片隅がなくて、
街のたたずまいも、
周辺の
人造湖も、よそゆきの
冷たい
美しさで
整いすぎていた。あるがままの
人間臭さのよどみ、といったものが
欠けていたのが
原因だったというのである。
そうした
話題はわれわれの
身辺にも
少なくないようである。
新宿副都心ができてから
一年後の
反省は、
予想していたほどの
人が
寄りつかないことだったという。その
原因は、
人を
引きつけるなにかがまだ
足りない。
庶民的な
泥臭さ、たとえば
赤ちょうちんや
縄のれんというようなものが
欠けていたことに
気がついたというのである。
住まいの
環境が
美しくあることは、たしかに
望ましいことにちがいないが、
芸術第一主義では
庶民にはとても
住めない。
庶民は
人間であるよりもさきに、まず
生物で、
生物は
本来もっと
泥臭いものだということが、いつの
間にか
忘れられていた。それに
気がついたわけである。
(
小原二郎の
文章による)
長文 1.3週
【1】
社会は
個人から
成り
立つものとされている。したがって
実状はどうであれ、それぞれの
個人は、
社会の
構造、
運営、
将来について
責任をもつものとして
意識し、
行動していることになっている。【2】しかしながら、このような
意識は
明治以降に
輸入されたものであり、
現実の
日本人の
多くは、
社会を
構成する
個人としてよりも、
世間の
中にいる、
一人の
人間として
行動している
部分の
方が
多いのである。
【3】
世間と
個人の
関係について
注目すべきことは、
個人は
自分が
世間をつくるのだという
意識を
全くもっていない
点にある。
自己は
世間に
対して、たいていのばあい
受け
身の
立場にたっているのである。
個人の
行動を
最終的に
判定し、
裁くのは
世間だとみなされているからである。【4】「
世間」という
言葉が
定義しにくいのは、
世間は
常に
個人との
関係においてその
個人の
顔見知りの
人間関係の
中で
生まれているものだからであり、
人によって
世間が
広い
人も
狭い
人もいるからである。したがって
個人ごとにさまざまな
世間があり、
日本には
数えきれないほどの
世間があることになる。【5】ときには
身内以外にさしたる
世間とのつきあいもなく
暮らしている
人もいるのであるが、それでも
世間の
評判は
気にかかるのである。
欧米人は
日本人を
権威主義的だとみることが
多いが、それは
日本人が
常に
世間の
目を
気にしながら
生きており、
彼らからみると
個性的ではないようにみえるためである。【6】
日本人はできるだけ
目立たないように
生きることが
大切であると
考え、
自分の
能力も
必要以上に
示さないようにする。
日本人が
何よりも
怖いと
思っているのは「
世間」から
爪弾きされることだからである。【7】その
怖いと
思っている
態度が
欧米人には
理解しかねるのであって、それは
彼らには「
世間」が
理解しかねることと
同じ
根をもっている。
個人の
性格にもよるが、
世間の
中で
暮らす
方が
社会の
中で
暮らすよりも
暮らしやすく、
楽なのだ。【8】そこでは
長幼の
序、
先輩・
後輩などの
礼儀さえ
心得ていればすべては
慣習どおりに
進み、
得体のしれない
相手とともに
行動するときの
不安などはないからである。さらに
世間の
中での
個人の
位置は、
長幼の
序や
先輩・
後輩などの
序列で
一応決まっており、
能力によってその
位置が
大きく
変わることはあまりない。【9】
個人が
世間に
対して
批判をしたり、
不満を
述べることがあっても、
世間のルールは
慣習そのものであり、なんら
成文化されていないから、
不満も
批判もき
流されてしまうのである。
日本人の
多くは
世間の
中で
暮らしている。【0】(
中略)
現実の
日常生活では
世間の
中で
暮らしているにもかかわらず、
日本のインテリは
少なくとも
言葉のうえでは
社会が
存在するかのごとくに
語り、
評論家や
学者は、
現実には
世間によって
機能している
日本の
世界を、
社会としてとらえようとするために、
滑稽な
行き
違いがしばしば
起こっているのである。このことは
政党や
大学の
学部、
企業やそのほかの
団体などの
人間関係のすべてについていえることであり、それらの
人間関係は
皆そこに
属する
個人にとっては、
世間として
機能している
部分が
大きいのである。
個々人はそれら
世間と
自分との
関係を
深く
考えず、
自覚しないようにして
暮らしているのである。
日本人の
一人一人にそれぞれ
広い
狭いの
差はあれ、
世間がある。
世間は
日常生活の
次元においては
快適な
暮らしをするうえで
必須なものに
見えるが、その
世間がもつ
排他性や
差別的閉鎖性は
公共の
場に
出たときにはっきり
現われる。たとえば
何人かで
旅に
出るために
列車を
待っているとしよう。
列をつくっているばあいも、
何人かのうちの
一人が
先頭に
並んで、あとからきた
者もその
先頭の
一人のあとにぞろぞろと
割り
込んでくることが
多い。このようなとき、
私たちは
自分たちの
仲間の
利益しか
考えていないのである。あるとき
電車の
中で
私は
中年の
女性に
席をゆずった。
二駅ほど
過ぎてその
女性のとなりの
席が
空いたとき、その
女性は
遠くの
席に
座っていた
仲間を
呼び
寄せて
並んで
座り、「
二人とも
座れて
良かったね」と
話し
合っていた。
彼女たちにとってそのとき、
二人だけの
世間が
形成されており、まわりの
人間のことは
全く
彼女たちの
考慮の
中に
入っていないのである。このようなことは
日本では
日常的にみられることであり、
電車の
中で
宴会を
始めたり、
騒いだりする
人たちは
常にどこでも
見られるのである。このような
事態に
対して、
日本人には
公徳心が
足りないとかいろいろいわれるが、
問題は
公徳心ではなく、ここでつくられている
仲間意識が、
多くの
人たちによって
是認されているという
点にある。
そのようなとき
私たち
日本人には、
自分たちが
排他的な
世間をつくっているのだ、という
認識がほとんどないのである。
(
阿部謹也著『
西洋中世の
愛と
人格』より)
長文 1.4週
エーレンベルグは、
植物が
生育するためにもっとも
適した
環境には
二つの
場合があるのではないか、と
考えた。
その
一つは、
単植栽培の
実験で
最大の
生長量を
示す
場所で、もし
競争相手がいなければ、
適度の
水分と
養分を
自由にとり
入れて、のびのびと
生育できる
地域だ。
彼はこのような
地域を
生理的最適域と
名づけた。
もう
一つは、
混植栽培の
実験で
最大の
生長量を
示したような
場所だ。つまり
自然に
近い
状態で、ある
植物が
自分よりも
競争力の
強い
植物によって
生理的に
最適の
場所をうばわれているため、
心ならずもその
場所から
押し
出され、もっと
悪い
条件のもとで
生育しているような
地域である。そんな
地域を、
彼は
生態的最適域と
名づけた。
私は
感心したが、ぜんぜん
疑問がなかったわけではない。
生理的最適域という
言葉は
全面的に
納得できる。だが
生態的最適域のほうはどうだろう?
自分にとってもっともよい
環境条件からややはずれて、
湿った
場所や
乾いた
場所に
追いやられることが
最適域という
言葉で
言いあらわされてよいのだろうか?
だが、いまになって
考えれば、エーレンベルグの
言った
最適域という
意味の
深さが、
私にもわかるような
気がする。ある
生物社会が
健全で
長いあいだ
繁栄してゆくためには、すべての
欲望がほんの
短時日のあいだ
満足できる
本来の
最適生育域から
多少ずれていて、なんでも
思いどおりになるとは
限らない
環境のほうが、よいかもしれないからだ。そのほうが、かえってバランスのとれた
社会を
保ってゆくのにはよい
状態だろう。もし、あまり
強くなりすぎ、すべての
競争相手にうちかってあらゆる
欲望がかなえられたなら、その
個体も
種族も
社会も
滅亡してゆくのが
生物界の
鉄則なのだから。
生態的最適域とは、
生物社会の
本来の
意味から
言って、まさに
長つづきのする
最適の
地域だったのだ。
すべての
生物には、
生理的最適域と
生態的最適域とがある。それを
人間の
社会にあてはめてみるとき、
私にはちかごろの
人間の
生き
方に、ある
種の
恐ろしさを
感じないわけにはいかない。
私たちの
日常生活は、いろいろな
欲望を
満足させる
方向に
進んでいる。
熱いときは、
冷房、
寒いときには
暖房。
衣料、
食物、
自動車など、
人間の
欲望を
満たすために、
工場はあたらしい
製品をこれでもか、これでもかと
生産して
提供する。
人間のかずかずのせつな
的欲望がすべて
満足させられるような
社会が
生まれようとしている
半面、
人間生命の
持続的な
存続がおびやかされるような
画一的な
社会化、
文明化も
進んでいる。
矛盾した
世の
中だと、
君たちは
考えるだろう。だが、この
現象はかならずしも
矛盾ではない。
自然の
山野に
生きるもの
言わぬ
植物たちは、きわめてきびしい
条件のところで、
生理的に
最適とはいえない
場所でがまんをかさねながらも、
力強く
生きているではないか。そして
何代たっても、そこから
消滅しいないで
生きている。この
姿に、
私たち
人間が
学ぶところはないだろうか?
ことわっておきたいことがある。
私はなにも
人間の
文明が
進歩することに
反対しているわけではない。
便利なことは、
不便なことよりもよいにきまっている。ただ、
目先の
欲望をすこしでも
早く
満足させるために、
現在のように
遠い
将来までを
見ようとしないで
環境をこわしつづけてゆく。すると、これが
人間にとって
最高の
環境だと
胸を
張ったときに、そこがじつは
人間にとって
最適地でもなんでもなく、
人類の
墓場だったということがあると
言いたいのだ。
目的を
達するためには
多少の
犠牲もしかたない、というような
考えをすてて、まわり
道でも
時間をかけて
目的に
進むのだ。そのために
環境をみずから
破壊するような
愚かなことは
避けようではないか。まわり
道をするのもまた、がまんの
一つだ。そして、ある
程度がまんのあるような
状態こそ、
生物社会にとってもっとも
健全で、
長つづきする
状態なのだ。
(
宮脇昭「
人類最後の
日」)
長文 2.1週
【
二番目の
長文が
課題の
長文です。】
【1】
遊び
始めたとき、
雨が
降ってきた。
小学校の
三年生のころのことだ。
一緒に
遊んでいた
数人で、すぐに
校舎の
庇の
下に
入りそのまま
遊びを
続けた。やがて
雨が
次第に
激しくなり、ついに
本格的な
大雨になった。【2】
仕方がないので、
家に
帰ることにし、
結局ずぶぬれになって
帰り、
母に
笑われた。
小学生の
私たちにとって、
遊びは
人生の
楽しさそのものだった。【3】
休みの
日は
自然に
早く
目が
覚めるので、
夏休みは
毎日早起きになる。
勉強のある
平日は
遅くまで
寝ているが、
自由に
過ごせる
休みの
日は、
自分でも
驚くほど
早く
起きられるのだ。
【4】
遊びは、
人間を
生き
生きとさせる。それが
遊びのプラスの
面だ。
楽しい
人生を
送ることは、
人間として
欠かすことができない。そして、
人間は
遊びを
通して
勉強以外の
何かを
学ぶ。【5】
遊びの
過程にはトラブルがつきものだ。「
勝った。
負けた」「やった。やらない」などのいいがときどき
生まれる。しかし、
人間はそこで
他人との
関係に
必要な
感覚を
身につけているのだろう。
【6】しかし、もちろん
人間には
勉強も
必要だ。
勉強は、
動物にはない
人間独自の
時間の
過ごし
方で、
遊びの
対極として
考えられている。
例えば、
漢字の
書き
取り、
計算の
練習、
社会や
理科のさまざまな
知識の
記憶。これらに
共通しているのは、
退屈で、できれば
後回しにしたいということだ。【7】しかし、それがあとになって
役に
立つのも
事実だ。
例えば、
算数の
九九という
計算方法を
覚えることによって、その
後の
数字を
使う
生活は
飛躍的に
能率が
上がる。また、もっと
学年が
上がると、
学ぶこと
自体が
面白くなるという
人もいる。
【8】このように
考えると、
遊びと
勉強はもともと
区別して
考えるものではないのかもしれない。
遊びも
勉強も、
自己の
向上という
点で
大きくは
一致する。【9】そして、
自己の
向上は、
人間にとって
最も
大きい
喜びのひとつだろう。だから、
遊びを
勉強のように
成長の
糧にするとともに、
逆に
勉強を
遊びのように
楽しむことが、これから
必要になってくるのではないだろうか。【0】
(
言葉の
森長文作成委員会 Σ)
【1】
本質的な
問題に、どんな
点から
気付くのか、そういうものが、どんな
状況から
出てくるかというと、それも、その
人の
素質によるものだと
思います。これはいろいろな
要因が
考えられます。
小さいときからの
物の
考え
方、
家庭内での
躾、いろんな
要素が
複雑に
入り
組んでいるわけです。【2】わがまま
放題にして
育ったのでは、そういうことを
感じ、ある
方向へもっていく
機能、
考え
方が
生まれてこないと
思います。ですから、たとえ
小さなことでも、
自分がどういう
立場にいるかということを、
早くから
家庭の
躾や、
親の
愛情で、それを
感じさせるということも
可能だと
思います。
【3】
子供の
頃のある
時期から、
仲間内でも、むちゃくちゃやっていると、みんなから
嫌われることも、
悟ります。
小さな
家庭生活や、
子供社会の
体験から、
本能的なわがままな
感情と、
一方では、
経験的にどうすればいいかという、
理性というものが、
小さいときから
生まれてくるのです。
【4】
家庭の
躾のようなものからでも、その
端緒が
生まれてくるのではないかと
思います。
躾の
厳しい
家庭では、
小さい
子供のころから、
子供の
就寝時間がきたから
部屋に
帰ってねなさいと、
親は
子供にいいます。かなり
小さい
時からでも、
規律を
教えるために、そういうことをします。【5】
親は
可愛いからといって
手元においてわがままにさせません。これもわがままにならない、
一つの
愛だと
思います。
子供が
本能や
感情で
動くときに、
早くから、
親がきちんと、
教育面で、
子供の
時間というものを
躾として
教えるわけです。【6】
最初はわめこうが
叫ぼうが、
許してもらえません。こうして、
我慢することや、
自分の
立場を
自覚します。そういう
日常生活を
通じて、どんなに
親しくても、それぞれの
立場があるということを、
躾として、
覚えていきます。【7】
日々の
小さな
出来事で、
何でもないようなことですけど、そういうことの
積み
重ねにより、
将来の
判断力の
一端が
育つと
思うのです。それを
育てることが、
家庭内の
本当の
愛情といえます。この
教育が
大事なんです。
【8】
日本でも、
昔はそうした
伝統的な
家庭の
教えがあったと
思うのです。キチンと
父親が
善悪や
礼儀を
教えていました。
愛情を
持ちながら、
厳しく
躾をしたものです。
盲目的に
可愛がらない、
猫っ
可愛がりをしない、そういう
分別というものを、
精神的につけていく
家風がありました。【9】
両親の
躾がしっかりしているという、
家庭内の
空気を
感じさせ、これが
人間形成の
一端を
担っていました。そして
自分の
行動をどうしていくかを
子供に
感じさせ、
自覚させたものです。
よく
教育問題で、これからの
学校教育の
進路や
個性化が
文部省の
教育審議会などで
云々されます。【0】まず
改革は
親からやらないと
効果が
上がりません。「
三つ
子の
魂百までも」ではないですが、
本当に
意識づくまでの
幼い
時代に、
家庭でその
芽は
育つものです。
親は
本当の
愛情とは
何ぞやということを
自覚する
必要があります。
昔は
親が
子供のために
一生懸命食事を
作りました。
煙に
涙を
流しながら、
朝ご
飯を
作るとか、
手作りのシャツを
着せるとかで
育ったのです。
今日は、
弁当でも
親が
作るというのではなく
昔と
違って
給食です。
今日、
一般的には、
家庭でお
惣菜として
早く
食べられるよう
便利に
出来ています。
子供でもレンジで
温めれば、
苦労なく
作れます。
父親は
外で
稼いでいますが、その
仕事の
姿は
見えません。
母親は、
子供には、
塾へ
勉強に
行け、
次に
何しろということがあります。こうしたことが、
一生懸命子供たちの
事を
考えながら、
育てていると、
親は
思っています。ところが、
子供の
人間形成の
大事な
点は、
人間的な
愛情です。
本当の
愛情は
何なのかと、スキンシップで
親子の
会話や
感性が
生まれるようにしなければなりません。そういうところの
形式が
変わっているのに、
本当の
愛情に
気がつかないのではないかと
思います。(
中略)
親対子の
愛情は
古典的、
本能的なものですから、
経済的に
貧しくても、
温かい
家族的な
愛情のある
家というのは
幸福です。そこからいい
人間性が
育ちます。ちゃんとした
人物が
出てくるのではないでしょうか。
(
平山郁夫「この
道一筋に」より)
長文 2.2週
【1】
新聞というものをまるで
読まないと
言い
切っている
人がいる。そうかと
思うと、
朝手洗いで
新刊書の
広告を
読むのが
最大の
楽しみだという
人もいる。
私はどちらの
方に
近いのだろうかと
考えてみた。たしかに、
私は、
新聞が
一生懸命に
論じようとしている
主張の、あまり
良い
読み
手ではないような
気がする。【2】たいていの
場合、
新聞が
無名性の
名において
大衆を
善導しようとして
声高に
説いている
論述と、
一人一人の
新聞人が
生きている
現実のズレを、そのまま
出してくれるような
紙面にあまりお
目にかからないからであろうか。
【3】どちらかといえば、
私は、
行間と
余白の
読み
手であるのかも
知れない。そういう
意味で
私は、
新聞を、
月一度とか
二度でなく
毎日立つ
縁日のようなものであると
見ているふしがある。
論説記事は
神社の
神主さんの
祝詞のようなものであり、【4】
謹聴しなければならないときは
黙っておとなしく
聴くが、
終わったらホッとする
類のものであり、
経済記事はおみくじのようなもの、
政治・
社会面に
至っては、
小屋掛け
芝居のようなもので、
読み
手たる
私はぶらぶら
散歩して
夜店をひやかす
客のような
存在である。
【5】ということになると
一番楽しく、ぴったりしているのはやはり
広告欄という
名の
夜店通りかも
知れない。【6】
広告も
小さい
下の
書籍欄のように
仲よく
並んでいるのは、チャーミングな
店舗であるが、
全面広告のようなものはどちらかと
言えば、
香具師の
口上じみているから、レイアウトを
楽しむけれど、「
眉つばもの」と
聞きながす
傾向がある。
【7】それでは、あなたが
時々執筆する
文化欄・
学芸欄の
類は
何であるかと
問われると、
言うまでもなくそれは
縁日に
立つ
見世物、そのある
程度集約されたものとしてのサーカスのようなものであると
答えることができるだろう。【8】
時には
侍くずれの
居合抜きのような
突っぱった
言説あり、
時にはガマの
膏売りの
口上よろしく
本当か
嘘かわからない
言説の
押し
売りがあり、
舶来の、
人目をおどかせる
新奇術よろしくうたい
上げられる
新思想ショーがある。【9】そうかと
思えば、アクロバット
仕立ての
音楽会評が
載る。これらはすべて、
巧みに
演じられる
時は、
内容の
当否は
別として
目を
楽しませてもらえるが、
下手な
芸、または
興行師の
下手な
意図が、
前面に
出たりすると
目もあてられなくなる。
【0】
縁日であるから、やはりそこには、
日常生活の
時間の
流れと
異なった、さまざまな
偶然の
介入があった
方がよい。
思いがけない
人に
会うとか、
国鉄(JR)
払い
下げの
傘を
百円か
二百円で
買うとか、
思ってみなかった
種類の
商品に
出会う
面白さはできるだけあった
方がよい。
その
点、
安物だが、
新しさだけは
強調してある
夜店の
売り
場は
子供にとって
魅惑の
空間そのものである。さし
当たって、
新聞の
中にそうした
偶然が
潜んでいる
空間を
探すとすれば、それはやはり、あちこちに
散らばっている
情報である。
情報もできるだけ、
個人がひそかに
培養している「
私」
文化といった、あまり
人と
分かち
持ちたくないものに
直接プラスになるものの
方が、
意外性の
面ではより
高いように
思われる。
演劇、
音楽、
催し、
人についてなど、こうした、
自分が
知っているから
隠れた
意味が
明らかになるといった
事実は、なるべく
宝さがしのように、それらしくないところに
置いてあった
方がよい。
多くの
人が、
新聞の
読書欄というものをたいしてありがたがらず、
本の
広告の
方にひそかな
楽しみを
託そうとするのは、そのような
情報の
極秘化の
欲求の
表れかも
知れない。
長文 2.3週
【1】
科学は
記述から
始まる。
現象をコトバで
記述する。ある
現象とあるコトバが
厳密に
一対一に
対応しているならば、
誰が
現象を
記述しても
同じ
記述になるはずだ。
ところが、どっこい、そうはうまくゆかない。【2】そのことは、
記述から
現象を
再現してみればわかる。
「
白馬にまたがってやってきたのは、
素敵な
王子様だった」
この
記述から
現象を
再現してみることはできるけれども、
人によって
少しずつ
異なった
情景を
再現するに
違いない。【3】それでもまだ、
白馬とか
王子様とかの
自然言語には、ある
程度の
共通了解があるので、キリンにチンパンジーがまたがっているような
情景を
思い
浮かべる
人はいない。
(
中略)
コトバの
共通了解について、
深く
考えたのは、スイスの
言語学者のソシュール(
一八五七〜
一九一三)である。
【4】ソシュールはまず、コトバの
表記はいい
加減であると
言う。イヌのことをイヌと
呼ぶのは
適当に
決まったのであって、
別にさしたる
理由があるわけではない。
別の
表記、たとえば、イコでもイポでもよかったのだ。それが
証拠に
英語ではdogという。【5】これをコトバの(
表記に
関する)
恣意性と
言う。この
話は
誰にでもよくわかる。
しかし、コトバの
本当の
恣意性はもっと
深いところにある、とソシュールは
言う。
世界は
連続的に
変化する。
我々はそれを
適当に
切り
取って、コトバでい
当てようとする。【6】コトバによる
世界の
切り
取り
方には
根拠がない。これがソシュールの
主張である。
これはちょっとわかりづらいかも
知れない。
多くの
人は、
世界にあらかじめ
何らかの
実体があって、それに
名前をつけていると
思っているからである。
【7】それに
対して、ソシュールは
次のような
主張をしたのだ。たとえば、イヌとかネコとかの
実体が、あらかじめ
世界にあって、それに
対してイヌとかネコとかの
名前をつけているのではなく、イヌとかネコとかの
名前がつけられて、
初めて、イヌとかネコとかの
実体があるかのように
見えるのだ。
【8】やっぱりわからない? それではこういう
例はどうだろう。
日本では
虹は
七色である。
色は
可視光線の
波長によって、
徐々に
変化する。それを
七つに
分断する
根拠はない。しかし、
七色あると
言われて
見れば、
七色に
分かれて
見える。【9】だから、
虹の
色が
二色であるという
言語があれば、その
言語を
使っている
人には
虹は
二色に
見えるのである。
実際にリベリアのバッサ
語では、
虹の
色は
二色であるという。(
中略)
【0】コトバが
世界にあらかじめある
実体に、
名前をつけただけのものでないことは、
次のようなことからも
理解できるかも
知れない。
我々が
人にコトバを
教えるのに
何をするかと
言えば、
実物を
指さして、コトバを
言うのである。たとえば
幼児に
教える
時に、
犬を
指さしてワンワンと
言う。
何度か
繰り
返して
教えると、
幼児は
見知らぬ
犬を
見ても、ちゃんとワンワンと
言うようになる。もっともワンワンというコトバしか
知らないと、
猫を
見てもタヌキを
見てもワンワンと
言うかも
知れない。
幼児は、
犬の
範例をいくつか
見て、ワンワンというパターンを
作り
上げる。
最初は
猫もワンワンのパターンの
中に
入っているが、
大人にそれはニャンニャンだよ、と
言われて、ワンワンのパターンを
修正する。だからワンワンというパターンは、
現物を
見ながら
他人とのコミュニケーションを
通して、
構成されるのだ。
個々の
犬は
確かに
世界に
実在するだろう。しかし、ワンワンというパターンは、
幼児と
無関係に
世界に
実在するわけではない。
科学は
記述なしには
成立しない。だから
科学はパターンが
人によって
異なるのはあまりありがたくない。そこでパターンを
固定しようと
努力することになる。
我々の
日常の
世界では、コミュニケーションが
成立すれば、イヌとは
何か、ということが
定義できなくとも、
別に
問題はない。しかし
科学は、できることならばコトバを
厳密に
定義できるものにしたいのだ。しかし、
今話したように、イヌというパターンが
世界の
中に
実体として
実在しているかどうかは
非常に
疑わしい。それは
多分、
人間の
心の
中に
何らかのパターンとしてあるに
違いないのである。
(
池田清彦『
科学はどこまでいくのか』より)
長文 2.4週
それにしても、
五億冊というのはおどろくべき
数字である。
世界広しといえども、これだけの
量の
本がつくられ、そして
消費されている
国は、そうたくさんはない。おそらく、
日本人は、
世界中で
最もよく
本を
読む
民族なのである。
そして、つくられ、
消費される
本の
量以上に
注目すべきことは、このように
大量の
書物が
日本では
家庭の
中にまでとけこんでいるという
事実である。
四人家族で
年に
十二冊、
五年で
百冊、とにかくちょっとした「
蔵書」が、たいていの
家庭でできあがっているのだ。
もちろん、
西洋の
家庭にも
多少の
書物がないわけではない。しかし、わたしの
見たかぎりでは、ふつうの
家庭の
場合、
書物はたとえば
暖炉のうえに
数冊の
小説がのっている、という
程度のものであって、
何十冊も
何百冊もが
本棚を
埋めているのは、かなり
知識人の
家庭にかぎられている。
実際、
家庭用の
本棚をこんなに
多種類とりそろえて
家具売り
場で
売っている
国は、
世界でおそらく
日本だけだ。アメリカでもヨーロッパでも、もし
家庭用の
本棚というものがあるとすれば、せいぜい、サイドボードぐらいのものであって、
数十冊を
収容することなど、とうていできそうもない。
本棚は、よほど
特殊な
場合は
別として、
家庭の
標準備品ではないのである。
ところが、
日本の
家庭にはたいてい
本棚がある。
規模の
大小は
別として、ともかく「
蔵書」がある。たとえば
書斎はなくても、
廊下のつきあたりとか
居間の
壁ぎわとかに
本棚があり、
全集ものがならんでいる。それが
平均的な
日本の
家庭の
風景なのだ。
書物のない
家庭は
日本にはない。
これと
対照的に
西洋の
家庭で
気がつくのは、やたらに
大型のグラフ
雑誌などがゆきわたっているという
事実だ。どこの
家に
行っても、アメリカなら、たとえば『ライフ』のような
雑誌が
居間の
机の
上に、
必ずといってよいほど
積み
重ねてある。しかし、それは
日本の
家庭ではあまり
見かけない
風景だ。
事実、
日本のグラフ
雑誌は、だいたいお
医者さんや
床屋さんの
待合室の
備品であって、
家庭の
備品にはなりにくいのである。
それでは、
書物を
備品とする
日本の
家庭とグラフ
雑誌を
備品とする
西洋の
家庭とは、どうちがうのだろう。
第一にいえることは、グラフ
雑誌がその
読まれ
方、あるいは
見られ
方において
集団的であるということだ。
居間のソファに
腰をおろして、
主婦がグラフ
雑誌を
開いているとき、
夫や
子どもは、それに「
参加」することができる。グラフは、
一種の
絵本のようなものだから、それをのぞきこんでいっしょに
見ることができるのだ。ちょうどそれはテレビを
見ているようなもので、
集団的なものである。
だが、
書物となると、そういうわけにはゆかない。
書物はひとりで
読むものである。のぞきこんでいっしょに
読むことは
難しいし、
第一、そんなことをされたら
落ち
着かない。たとえすぐそばにだれかがいても、
読書というのは
孤独な
個人の
行為なのである。
だから、
日本の
茶の
間では、たとえば、
主人が
経営学の
本を
読み、
主婦は
文学全集を、
子どもはマンガを、それぞれに
黙って
読んでいる、といったような
風景が
出現する。
一冊のグラフ
雑誌をかこんで、
家庭の
全員が
集団的になにかを
見るのではなく、
家族のそれぞれが、それぞれの
本を
通じて、それぞれの
世界に
没入している――それが
日本の
家庭における
読書風景なのだ。
いささか
飛躍するようだが、これはことによると、
日本の
住居に
個室がないことと
関係しているのかもしれない。どこにいても、
家族と
顔をつきあわせていなければならないのだから、せめて
本でも
読んで、
自分だけの
精神の
個室をつくりたい、という
欲求が
生まれるのである。ひとりひとりが
個室をもっている
西洋人が、
居間のグラフ
雑誌をかこんで
集団的な
世界をたのしむのに
対して、もともとがべったりと
集団的な
日本の
家庭では、
書物によって、
個室的な
世界を
求めようとするのだ、といってもよい。いつだったか、
三畳ひと
間に
六人というひどい
住宅環境を
紹介するテレビ
番組を
見ていたとき、この
六人の
家族が、みな
肩を
寄せあって、それぞれに
本を
読んでいた
情景にわたしは
打たれたことがある。
現実に
個室が
十分でないとき、
人は、
心理的な
個室を、
読書という
方法で
手に
入れることができるのである。
(
加藤秀俊「
暮しの
思想」)
長文 3.1週
【
二番目の
長文が
課題の
長文です。】
【1】
顔パスという
言葉がある。「おれだ」「よし」という
阿吽の
呼吸で、
本来は
規則として
処理するところを
当人どうしの
個人的な
関係で
処理する
方法である。なれ
合いというと
聞こえは
悪いが、
人間どうしの
信頼関係を
基礎にしている
点で
最も
確実な
方法とも
言える。【2】
現代の
法律や
規則万能の
社会では、このような
人間の
信頼関係に
基づいた
対応の
仕方がもっと
見直されてもよいのではないだろうか。
そのための
第一の
方法は、
相手を
信じるだけの
心の
広さを
持つことだ。【3】
信頼するということは、
相手に
自分をゆだねることである。
場合によっては、
自分が
大きな
損失を
被ることもある。それにもかかわらず、
相手にすべてを
任せて
信頼する。そういう
決意があるからこそ、
相手も
自分を
信頼してくれる。【4】ジャン・バルジャンは、
自分を
信じてくれた
老司教を
裏切った。しかし、
翌朝憲兵に
連れられてきたジャンに、
司教は、「その
銀の
食器は
私が
与えたものだ」と
告げる。このように、
相手の
善なる
心に
対する
絶対の
信頼が、
人間らしい
心をもとにした
社会の
基礎となる。
【5】また、
第二には、そのような
人間どうしの
信頼を
支えるだけの
社会の
一体性を
作ることだ。
日本の
社会の
治安のよさは、
世界の
中でも
際立っている。タクシーの
中へ
置き
忘れた
財布は、ほぼ
確実に
戻ってくる。【6】
日本人にとっては
当たり
前のように
見えるこのようなことが、
世界ではきわめて
稀なことなのである。そういう
社会が
築かれたのは、
日本が
一つの
民族、
一つの
言語、
一つの
文化を
持った
社会だったからである。【7】
異なる
民族や
文化と
共存することはもちろん
大切だが、それは
日本の
社会の
中に
異なる
民族や
文化が
異質なまま
広がっていいということではない。
【8】
法と
正義に
基づいて
判断するという
考えは、
確かに
人類が
長い
歴史の
中で
勝ち
取ってきた
権利だ。だからこそ、この
考えは
世界のどこでも
通用するグローバルな
思想となっている。しかし、そのグローバリズムは、
日本のように
互いの
信頼関係をもとに
成り
立ってきた
社会では、
人間の
心を
持たない
冷たい
機械のような
対応に
見える。【9】
大岡越前守が
日本人に
人気があるのも、
人間の
心の
温もりを
裁き
方の
中に
生かしたからだ。
顔パスで
交わされるものは、
単なる
顔ではなく、
互いの
善意への
信頼なのである。【0】
(
言葉の
森長文作成委員会 Σ)
【1】たしかブレーズ・パスカルだったと
思いますが、
大体次のようなことを
申しました。
――
病患は、
キリスト教徒の
自然の
状態である、と。
【2】つまり、いつまでも
自分のどこかが
具合が
悪い、どこかが
痛むこと、
言いかえれば、
中途半端で
割り
切れない
存在である
人間が、
己の
有限性を
染々と
感じ、「
原罪」の
意識に
悩んで、
常に
心に
痛みを
感じているのが、
キリスト教徒の
自然の
姿だと
申すわけなのでしょう。【3】まあ、そういうふうに
解釈させてもらいます。
これは
何も
キリスト教徒に
限らず
人間として
自覚を
持った
人間、すなわち、
人間はとかく「
天使になろうとして
豚になる」
存在であり、しかも、さぼてんでもなく
亀の
子どもでもない
存在であり、【4】
更にまた、うっかりしていると、ライオンや
蛇や
狸や
狐に
似た
行動をする
存在であることを
自覚した
人間の、
憤然とした、
沈痛な
述懐にもなるかもしれません。
恐らく「
狂気」とは、
今述べたような
自覚を
持たない
人間、あるいはこの
自覚を
忘れた
人間の
精神状態のことかもしれません。【5】あえてロンブローゾを
待つまでもなく、ノーマルな
人間とアブノーマルな
人間との
差別はむずかしいものです。
気違いと
気違いでない
人間との
境ははっきり
判らぬものらしいのです。まず、その
間のことを
忘れてはならず、
心得ていたほうがよいかもしれないのです。【6】
我々には、
皆、
少々気違いめいたところがあり、うっかりしていると
本物になるのだと、
自分にい
聞かせていないと、えらい「
狂気」 にとりつかれます。また、そういうことを
知らないでいると、いつのまにか「
狂気」の
愛人になっているものです。
【7】
天才と
狂人との
差は
紙一重だと、ロンブローゾは
申しているわけですが、
天才とは、「
狂気」が
持続しない
狂人かもしれませんし、
狂人とは「
狂気」 が
持続している
天才かもしれませぬ。
しかし、
人間というものは「
狂気」なしには
居られぬものでもあるらしいのです。【8】
我々の
心のなか、
体のなかにある
様々な
傾向のものが、
常にうようよ
動いていて、
我々が
何か
行動を
起す
場合には、そのうようよ
動いているものが、あたかも
磁気にかかった
鉄粉のように
一定の
方向を
向きます。【9】そして、その
方向へ
進むのに
一番適した
傾向を
持ったものが、むくむくと
頭をもたげて、まとまった
大きな
力のものになるのです。そのまま
進み
続けますと、だんだんと
人間は
興奮してゆき、ついには、
精神も
肉体もある
歪み
方を
示すようになります。【0】その
時「
狂気」が
現れてくるのです。
幸いにも、
普通の
人間のエネルギーには
限度はありますし、
様々な
制約もありますから、「
狂気」もそう
永続はしません。
興奮から
平静に
戻り、まとまって、むくむく
頭をもたげていたものが
力を
失い、「
狂気」が
弱まるにつれて、まとまっていたものは、ばらばらになり、またもとのような、うようよした
様々な
傾向を
持つものの
集合体に
戻るのです。そして、
人間は、このうようよした
様々なものが
静かにしている
状態を、
平和とか
安静とか
正気とか
呼んで、
一応好ましいものとしていますのに、この
好ましいものが
少し
長く
続きますと、これにあきて
憂鬱になったり
倦怠を
催したりします。そして、
再び
次の「
狂気」を
求めるようになるものらしいのです。この
勝手な
営みが、
恐らく
人間の
生活の
実態かもしれません。
酒を
飲んで
酔った
人々の
狂態を
考えてごらんなさい。エネルギーはその
人の
極限にまで
拡大され、
様々な
制約はまひ
感によって
消されます。ですから、あのような「
狂気」の
饗宴は
開かれるのです。
酔漢の
狂態を
鎮めるのには、
彼を
昏睡させるか、あるいは
狂態の
結果として
生じた
無理は
簡単には
通らぬということを
何かの
力で
示すかするより
外にしかたがないことがしばしばあります。しかも、
正気に
戻った
酔漢は、その
後少しばかり
正気の
期間が
続きますと、
何となく
倦怠感を
覚え、「
狂気」への
郷愁に
駆られて、またしても
酒を
求めるようなことをいたします。
我々が
正気だとうぬぼれている
生活でも、よく
考えてみれば、
大小の「
狂気」の
起伏の
連続であり、「
狂気」なくしては、
生活は
展開しないこともあるということは、
奇妙なことです。
要は、
我々は「
天使になろうとして
豚になりかねない」
存在であることを
悟り、「
狂気」なくしては
生活できぬ
存在であることを
悟るべきかもしれません。このことは、
天使にあこがれる
必要はないとか、「
狂気」を
唯一の
倫理にせよとかいう
結論に
達すべきものでは
決してありますまい。むしろ
逆で、
豚になるかもしれないから、
豚にならぬように
気をつけて、なれないことは
判っていても
天使にあこがれ、
誰しもが
持っている「
狂気」を
常に
監視して
生きねばならぬという
結論は
出てきてもよいと
思います。「
狂気」なしでは
偉大な
事業はなしとげられない、と
申す
人々もおられます。
私は、そうは
思いません。「
狂気」によってなされた
事業は、
必ず
荒廃と
犠牲を
伴います。
真に
偉大な
事業は、「
狂気」に
捕えられやすい
人間であることを
人一倍自覚した
人間的な
人間によって、
誠実に
執拗に
地道になされるものです。やかましく
言われるヒューマニズム(ユマニスム)というものの
心核には、こうした
自覚があるはずだと
申したいのであります。
容易に
陥りやすい「
狂気」を
避けねばなりませんし、
他人を「
狂気」に
導くようなことも
避けねばなりませぬ。
平和は
苦しく
戦乱は
楽であることを
心得て、
苦しい
平和を
選ぶべきでしょう。
冷静と
反省とが
行動の
準則とならねばならぬわけです。そして、
冷静と
反省とは、
非行動と
同一ではありませぬ。
最も
人間的な
行動の
動因となるべきものです。ただし、
錯誤せぬとは
限りません。しかし、
常に
病患を
己の
自然の
姿と
考えて、
進むべきでしょう。
(
渡辺一夫『
狂気について』より
抜粋)
長文 3.2週
【1】
日本人が、
淡泊であるかわりに
持続力に
欠けていると
言われるのも、
生活感覚に
左右されているところがすくなくないのではあるまいか。うるさいことは
嫌いだという。ごてごてしているのはおもしろくないと
感じる。
【2】こういう
傾向が
言語に
影響しないはずはない。こまかいことは
省略してしまう。それがわからぬのは
野暮だとして
相手にしない。のけもの
扱いされるのは
誰しも
好むところではないから、お
互いに
以心伝心の
術に
長ずるようになる。【3】
道筋を
飛ばして
結論を
出す。
結論は
相手の
想像に
委ねて、さりげない
話でお
茶をにごす。ありのままをくどくどのべるのは
興ざめだとされる。
そういう
淡泊好みの
通人たちが
考えだした
詩型が
和歌であり
俳句であって、
短いことでは
世界に
類がすくない。【4】ことに
大昔から
確立している
和歌の
形式は、
日本人の
感性、
言語、
思考を
決定するほどの
力をもってきたように
思われる。
その
妙手たちに
比較的女流が
多かったことも、またおどろくべきことである。【5】ヨーロッパの
文学の
歴史を
見ると、
文学史そのものが
短いこともあるけれども、
三、
四百年前の
時代に
女流詩人の
名を
見いだすことは
困難であろう。ところが、わが
国では
千年ちかい
昔でも、
女性は
男性と
肩を
並べて
名歌を
数多く
残している。【6】ことに
日本の
言葉が
花と
開いた
平安朝の
文学は
実質的に
女流文学であった。そういう
古い
時代に、こういうことがほかの
国で
起こっているだろうか。
日本語全体に
女性的性格がつよいことは
認めてよい。
【7】
女性的言語が
持久性のつよい
長編詩に
結晶しないで
短詩型文学を
生んだのは、やはり
風土的因子によるものと
考えられる。さらりと
流す
叙情が
尊重される。その
女性的性格にいくらか
反発したらしく
思われるのが、
俳句というさらに
短い
詩である。【8】
和歌が
仮名言葉中心であるのに、
俳句では
漢語の
比重が
大きい。
そういう
和歌と
俳句の
相違はありながらも、
実によく
似ているのは、
言葉のいわゆる
論理に
背をむけていることである。
感覚的に
全体を
直感で
把握する。
目に
青葉 山ほととぎす はつ
鰹 (
素堂)
【9】この
句の
表現しようとしているものを
理屈で
説明しようとすればおそらく
何十枚もの
文章を
必要とする。それでも
決して
言い
表わせぬものを、この
中に
凝縮させている。
論理を
超える
論理があるからだ。
【0】「
言ひおほせて
何かある」……そう
芭蕉は
言っている。
完結した
表現、
整いすぎた
言葉は
詩にならないことを、これほど
端的にのべたものはすくない。「
言ひおほせ」ないためには
論理でも
何でも
犠牲にしてかえりみない。
長文 3.3週
【1】
日本のある
会社が
香港で
現地の
人間を
採用しようと
求人広告を
出したという。
「
日本語のできる
人を
求む」
すると
瞬く
間に、「
我こそは
日本語が
達者である」と
胸を
張ってたくさんの
香港人が
押しかけた。【2】
会社側はおおいに
喜んで、さっそく
面接をしてみたが、
実際にはほとんどの
人が、「コンニーチハ、サヨナーラ」といった
挨拶程度しか
日本語を
話すことができなかったそうである。
この
話を
聞いたとき、
私は「
香港の
人はすごい」と
感心したものだ。【3】
何より
語学ができるという
認識が、
日本人とずいぶんかけ
離れているではないか。もし
日本人が、「あなたは
英語が
話せますか」と
問われたら、たいがいの
人は、「
少しだけ」と
答えるであろう。【4】この「
少しだけ」が「はい、
話せます」に
変わるまでには
長い
道のりがあって、よほど
流暢に、アメリカ
人もびっくりするほどペラリペラリとしゃべれない
限り、「
話せます」とはとうてい
答えられない。【5】
恥ずかしいという
理由もあるだろうが、もし「
話せます」と
答えた
場合、その
責任を
自分が
取らされたうえ、
理解できなかったらどうしようという
不安が、
一瞬、
脳裏をかすめるからである。
そこで、「まあ、そこそこ
話せるな」と
内心自負している
人も、「
少しだけ」と
答えておく。【6】そのほうが
無難である。これが
日本流「
謙譲の
美徳」 なのである。
ところが
香港のような
国際貿易都市で
生きていくためには、そんなのんきなことは
言っていられない。【7】
語学が
堪能でなければ
給料のいい
仕事にはありつけないし、
語学のみならず、
自己PRの
上手にできない
人間は、
出世も
望めないという
社会の
仕組みが
出来上がっているのだろう。つまり、
少々はったりをきかせても、「できる」と
先に
手を
挙げたほうが
勝ちなのである。
【8】もっともこれは、
今から
十年ほど
昔の
話だから、やや
時代遅れの
認識だと
言われるかもしれない。
今や
日本の
若者のなかにも、
臆病がらずに「はい、
話せます」と
答える
人間が
増えている。しかし、
私を
含めたおおかたの
日本人の
心のなかには、
良かれ
悪しかれ「
謙譲」を「
美徳」とする
意識が
残っているような
気がする。
【9】
学生時代、
先輩からこんな
手紙をもらったことがある。「
君はいつも、もうこれ
以上は
落ちる
心配がないというところまで
自分を
卑下する
癖がある。そうしておけば
安心なのだろう。
人から
過大な
期待をかけられて
失敗するよりも、
最初は
期待されないで、だんだん
評価が
上がっていくほうが
得策だと
思っているのかもしれない。【0】しかし、それは
決して
正当な
自己評価にはつながらない。
一見、
謙虚に
見えるけれど、それでは
進歩がないからだ」
なんでこんなに
厳しい
批判をされなければならないんだと
憤慨しながらも、
同時に、
自分でも
気づいていなかった
性格の
新しい
側面を、みごとに
分析され、
見せつけられたのには
驚いた。(
中略)
日本人は(と、こういう
枠組みを
作ることがそもそもいけないのだが)、
対する
人間の
出方次第で
自分の
位置や
行動を
決めるきらいがある。だからこそ、なるべく
早く、
目の
前にいる
人がどういう
人間なのかを
判断、
整理、
類別しなければならない。これはもう、
持って
生まれた
性癖のようなものである。「あの
人って、
誰々に
似てると
思わない」というのも
日本人の
得意な
台詞である。
私個人も
気がつくとしょっちゅう
言っている。
かくして
人は、
自分の
立場を
確保するために
他人を
型にはめたがり、その
作られた
型からはみ
出て「
打たれる
杭」にならないよう、
自分自身は「
謙譲の
美徳」を
利用する。
考えてみると、つくづく
日本には、
個人の
秘めたる
才能をできるだけ
伸ばさないようにする
基盤があることに
気がついた。
では、どうすればいいのでしょう。
難しい
問題です。
何しろ、
他人をけなす
人は
多くても、おだて
上手が
少ない
国だから。
「できる、えらいぞ、ほれ、ガンバ」
残る
手立ては、
自分で
自分をほめちぎり、なんとか
怠けている
細胞をたたき
起こす
以外にない。
(
阿川佐和子『おいしいおしゃべり』から)
長文 3.4週
人間がこの
世に
生きて
持ついろいろな
体験は、
人間の
最大の
教師だ。あることを
目的として
我々はそれを
達成しようと
試みる。そして
失敗し、また
成功する。その
経験を、
記憶の
中で
整理して
知恵と
呼ばれる
理解力を
得ることによって、
類似した
次の
体験に
我々は
備える。その
累積が
何代も
何代も
続いて
巨大なものに
達したのが
文化である。
技術的な
知恵のうち
簡単なものは、
教育によって
容易に
伝えることができる。しかし、
理論や
道具や
機械のようなものが
複雑になると、それを
授ける
人受け
取る
人が
限られ、そこに
専門家が
生まれる。
技術的な
知恵は
専門家にまかせておいていいことがある。
肉体的なもの、
心理的なもの、または
道徳的、
宗教的なものの
伝授は、
専門家のみで
処理できない。
乳の
飲ませかた、
子どもの
育てかた、
他人との
交際の
仕方、
愛や
悲しみの
扱い
方とその
表現の
仕方などは、あらゆる
人間が、
親や
教師や
先輩から
受け
取って、
自分の
生活の
実質としなければならない。それ
等を
体得することは
赤ん
坊から
大人になることであり、
言わば
動物から
人間になることである。
自分と
他人との
触れ
合いかた、
自分の
内部に
起こる
欲求や
喜びや
悲しみの
調整の
仕方は、
人間であることの
根本条件につながっているがゆえに、その
処理を
誤ることは、
生存の
危機となり、
破滅となる。
我々の
存在の
外側にあるものは、
特に
専門的な
知識や
技能を
必要とするものでない
限り、
我々はそれに
慣れることができる。たとえば
自転車に
乗ることは、
人間を
疲労させるものだとしても、
人間は、
必要なときだけそれに
乗り、
不必要な
時はそれを
使わずにいることができる。
自転車は
我々から
離れてそとにあるものであり、
我々はそれを
必要な
時だけ
利用する。
しかし、
自分の
喜びや
悲しみ、
家族や
勤務先の
同僚などと
接触せずに
生きていることはできない。そういう
事柄についての
生き
方の
技術というべきものは
利口な
人間も
利口でない
人間もが、
同じように
学び
取り、そして
毎日を、
毎時間をそれの
処理に
当たらなければならないことである。その
処理の
仕方として、
礼儀とか
倫理という
一般的なものがあり、さらにより
深いところからその
種のことについての
真理的な
安定を
得る
方法としての
道徳、
愛憎、
恋愛、
宗教の
教理などがある。
そして
我々が「
体験」という
言葉を、
人間の
生き
方との
関係において
使うときは、このような
体験のことを
言う。そして
宗教家や
教育家が、
我々を
導くのもまたこのような
部分においてである。この
部分について、
誰でもが
自分の
体験について
何かの
判断をしているものである。
私の
父は、
田舎の
村の
収入役という
目立たない
仕事をしている
人間であったが、
何度か
私たちに
向かって
言った。「
人生というのは
芝居をしているようなものだ。
自分の
当たった
役割りをうまくやる
外はない」と。たしか、
私のおぼろげな
推定では、
私の
父は
村長になりたかったようである。その
当時の
村長は
選挙でなく、
前任者や
村会議員たちの
推薦によって
地方の
長官から
任命されたものであった。
父は
内気な
手固い
人間であったので、
村長に
推挙される
機会がなく、
収入役で
終わった。そのことに
対しての
不満とあきらめの
感情がこの
言葉の
中に
漂っていることを、
二十歳ぐらいのとき
私は
感じた。
(
伊藤整「
体験と
思想」)