【1】
人間は
他の
人間と
自由にまじわることができる。あるいは、まじわる
相手を
自由にえらぶことができる。
学校の
友だち、
職場での
友人、
恋人、そして
夫婦でさえも、それぞれの
当事者の
自由な
選択によって
成立している
人間関係だ。
【2】
相手方に
誰をえらぶかは、ある
意味では
自由であり、べつな
見方からすれば
偶然である。ふとめぐりあい
知り
合った
人びと――その
人びととわたしたちはつきあって
生きている。【3】
仲よくなれば
一生をつらぬいた、
親しい
友人関係をとりむすぶこともできようし、けんかをして、それでお
互いふたたび
顔をあわせない、といったようなことになるかもしれぬ。
【4】とりわけ、
現代のように、
都市化がすすみ、
偶然性の
高い
社会では、
人間関係は、ふと
結ばれ、そしてふと
消えてゆく
一時的なものであることが
多い。
学校の
友人にしても、それは
卒業後数年間で、いつのまにかごぶさたになってしまう。【5】すくなくとも、そのような
人間関係では「ごぶさた」がゆるされるのである。
しかし、そのように
自由な
人間関係のなかで、ひとつの
例外がある。それは、
血縁の
関係、とりわけ
親子の
関係である。【6】
友人だの
隣人だの
夫婦だのは、「えらぶ」ことができるが、
親子関係だけは、「えらぶ」ものではない。
人が
生まれた
瞬間に、
親子の
関係は
宿命的にあたえられてしまっている。こればかりは、
誰にも、どうにもならない。
【7】そのうえ、
人間という
動物は
養育期間がながい。「
親はなくても
子は
育つ」というのも
真実だけれども、
親がわりになるおとながいなければ
人間の
乳幼児は
死んでしまう。そして、ふつうのばあい、
子を
育てるのは
親である。【8】
親子というのは、
人間にとって、のっぴきならない
関係なのだ。
自由にみちあふれた
現代の
人間関係のなかで、
親子だけはまったく
別枠の
関係なのである。そこでは
人間関係一般についてのさまざまな
原則はあてはまらない。【9】どんな
社会、どんな
時代にも、こうした
特殊関係としての
親子関係は
生きつづけ、そのことによって、
人類の
歴史はつづりあわされてきた。そして、ついこのあいだまで、そういう
親子関係は、ごく
自然なものとして
誰もがうけいれていた。
【0】しかし、
現代のひとつの
特徴は、
親子という
関係が「
問題」
化してきた、ということであろう。むかしのように、
親子は
自然なスムーズな
関係ではなくなってきたのだ。
新聞の
身の
上相談などをみても、
親子「
問題」がぐんとふえてきた。いわく、どうやって
子どもを
育てたらいいのでしょう。いわく、
親がわたしを
理解してくれません、どうしたらいいのでしょう。……
親子のあいだには、あきらかに、
深い
溝がうまれてきている。
なぜ
親子が「
問題」
化してきたのか。いくつもの
理由をあげることができる。
まず
第一に、
変化する
社会のなかで
親と
子の
経験がまったく
異質化してしまったという
事実に
注目したい。かつて、
社会が「
伝統」
社会であったとき、
親と
子は、おなじ
経験を
共有していた。
子を
育てながら、
親は、じぶんが
子どもだったころのことを
回想することができたし、その
子どもをこれからどんなふうに
育てていったらいいか、についても
確信をもつことができた。
『どんなふうに
育てていったらいいか』といった
疑問は、
伝統社会の
親からみれば
想像を
絶している。
子どもの
育てかた――それはきわめて
簡単だ。じぶんが
育てられたのとおなじように
育てればよい。それだけのことなのだ。じぶんの
子どもは、
将来、じぶんとおなじようになるだろう、と
親は
考え、また、
子どもは、
親とおなじような
人間になりたい、と
考えた。いわば、そこでは、
子は
親の「
複製品」だったのである。
ところが、
現代社会での
様子はだいぶちがう。おむつのあて
方、
授乳の
仕方までが、ひと
時代まえとすっかりかわってしまった。
親は、じぶんが
子どもだったときの
経験を
思い
出してそれによって
子どもを
育てるのではなく、
育児書をひもといて
子どもを
育てる。
乳児経験の
段階から、
親子のあいだには、
大きな
落差がつくられているのだ。
社会が
進歩し、
変化するかぎり、この
落差は
避けられない。
子どもは
親とちがった
存在になる。そして、この
落差から、さまざまな
問題が
派生してゆく。
完全な
保護者・
教育者としての
親と、
完全な
被保護者・
生徒としての
子、という
安定した
関係はグラつき、
親子のあいだには
一種の
緊張関係がうまれてゆく。
【1】
衰弱したアイデンティティのぎりぎりの
補強、それを
個人レベル、
感覚レベルでみればたぶん「
清潔願望」になる。【2】じぶんがだれかということがよくわからなくなるとき、じぶんのなかにほんとうにじぶんだけのもの、
独自のものがあるのかどうか
確信がもてなくなるとき、ぼくらはじぶんになじみのないもの、
異質なもの、それにちょっとでも
接触することをすごく
怖がる。【3】じぶんでないものに
感染することでじぶんが
崩れてしまう、そういう
恐ろしさにがんじがらめになるのだ。じぶんのなかになんの
根拠もないまま、じぶんの
同一性を
確保しようとするなら、〜ではないというかたちで、ネガティヴにじぶんを
規定するしかない。【4】じぶんは
女ではない、
子どもではない、
白人ではない、
病気ではない……
そういうことすら
不可能なとき、ぼくらはじぶんでないもの、
他なるものの
感染、あるいはそれとの
接触を
徹底して
回避しようとする。【5】
清潔症候群(シンドローム)というのも、まさにそういうコンテクストで
現われてきたのではないだろうか。
六十代後半のさる
高名な
数学者が、かつてぼくにこんな
話をしてくださったことがある。【6】その
先生は、じぶんの
娘がまだ
高校生のころ、お
父さんをとにかく
汚いと
感じていたらしく、いくら
話しかけても
殻に
閉じこもって、とにかく
父親とは
音信不通という
状態が
長く
続いたそうだ。【7】それが、
結婚し
子どもを
産んだとたん、
日常のこと、
小説のことと、いろいろじぶんにしゃべりかけてきたという。
読んでおもしろかった
小説を
交換したり、
映画のはなしをしたりといろんなコミュニケーションの
回路が
開かれてきたとおっしゃるのだ。【8】これは、お
嬢さんがご
主人という
他者と
身体的な
交感をもちはじめたこと、
栄養摂取から
排泄まで
子どもの
生理の
全過程とつきあいだしたことと、
無関係ではなかろうとおもう。【9】お
嬢さんの
場合、
結婚を
機に、
透明のカプセルでじぶんの
存在を
他者から
隔離することが
不可能になったということが
大きいとおもう。【0】
他者を
排除することによってではなく、
他者との
交錯、
他者とのやりとりのただなかで、そのつどじぶんをかたどっていくというやりかたにいやがおうでも
引き
込まれていったのだ。
ぼくらはじぶんの
存在をじぶんという
閉じられた
領域のなかに
確認することはできない。ちょっとややこしい
言いかたをすると、ぼくらには「
他者の
他者」としてはじめてじぶんを
経験できるというところがある。ぼくらはじぶんをだれかある
他人にとって
意味のある
存在として
確認できてはじめて、じぶんの
存在を
実感できるということだ。(
中略)
ロナルド・D・レインという
精神医学者は、ひとは「じぶんの
行動が
意味するところを
他者に
知らされることによって、つまり
彼のそうした
行動が
他者に
及ぼす「
効果」によって、じぶんが
何者であるかを
教えられる」と
言っている。つまり、ぼくがぼくでありうるためには、ぼくは
他の「わたし」の
世界のなかにある
一つの
場所をもっているのでなければならないということだ。それが
他者の
他者としてのじぶんの
存在ということである。
そういう
他者の
他者としてのじぶんの
存在が
欠損しているとき、ぼくらは、
他者にとって
意味のあるものとしてのじぶんを
経験できない。
他者という
鏡がないと、ぼくらはじぶん
自身にすらなれないということだ。
このことは、
自他の
相互的な
関係だけでなく、
教える/
教えられるという
関係、
看護する/
看護されるという
関係のように、
一見一方通行的な
関係についてもいえる。
教師も
看護婦も、
教育や
看護の
現場でまさに
他者へとかかわっていくのであり、そのかぎりで
他者からの
逆規定を
受け、さらにそのかぎりでそれぞれの「わたし」の
自己同一性を
補強してもらっているはずなのだ。ところがここで、「
教えてあげる」「
世話をしてあげる」という
意識がこっそり
忍び
込んできて、
自分は
生徒や
患者という
他者たちとの
関係をもたなくても「わたし」でありうる、という
錯覚にとらわれてしまう。そしてそのとき、「わたし」の
経験から
他者が
遠のいていく。
他者の
他者としてのじぶんを
意識できないとき、ぼくらの
自己意識はぐらぐら
揺れる。あるいはとても
希薄になる。そういうとき、ぼくらは
皮膚感覚という、あまりにも
即物的な
境界にこだわりだすのではないだろうか。
自他の
境界の
最後のバリヤーとして。そしてそのバリヤー、つまりじぶんの
最後の
防壁を、
過剰に
防衛しようというのが、
異物との
接触を
徹底して
回避しようとするいわゆる
清潔シンドロームだったのではないか。 (
鷲田清一)
日本人はなにかというと
人に
贈りものをする。たいした
意味がなくても、
盆と
暮れになると、
中元、
歳暮を
贈らないと
気がすまない。
虚礼ではないか、やめてしまえ、という
声がときおりおこるけれども、
贈答はいっこうに
減らない。われわれは
贈りものをしないと
落ち
着かないようにできているのかもしれない。
同じ
日本人なら、
同じような
気持ちをもっているから、ときにおかしいと
思う
人がいても、
贈ればだいたい
受け
取って、
形だけにしても、ありがたかった、うれしかった、と
礼を
言ってくれる。
そういうことになれ
切っていると、
相手が
外国人であっても、つい
同じことをしてしまう。こちらが
善意であれば、その
気持ちだけはすくなくとも
通じるだろうとのんきに
考える。それがそうではないことがあるのだということは、
苦い
経験をしてからでないと、わからないからやっかいである。
たとえば、アメリカ
人にとって
日本式の
贈りものがどういうように
受け
取られるか。これについてはこういうエピソードがある。
日本に
住むあるアメリカ
人が
隣家の
日本人の
奥さんからある
日、くだものをもらった。くれたのは
奥さんだが、
奥さんが
買ってきたものではない。
奥さんのところへ
来た
知り
合いが
奥さんに
贈ったものだ。この
知人はクルマで
来て、そのアメリカ
人の
庭先へ
駐車させてもらった。
奥さんとアメリカ
人との
間で、
必要なときには
自由に
使っていいという
話のついている
庭先である。しかし
客は
知らん
顔ではまずいと
思った。
奥さんにもってきたくだものを、アメリカ
人にあげてくれと
頼んだ。
奥さんにはまた
別のものを
考えると
言うのであろう。
奥さんは
言われるままに、
客が
帰ったあと、くだものをもってアメリカ
人のところへ
来たのである。
ところがアメリカ
人は
喜ばない。どうしてくれるのかわからないのだ。やるといわれても、
迷惑だと
感じる。こちらがくだもの
好きだとわかってくれたのではない、しかも、
会ったこともない
人からのくだものをどうして
受け
取れるか。
相手はかまわず、そういうものをくれるのは、こちらの
人間、
個性を
無視していて、おもしろくない。
駐車させてもらってありがたいと
思ったなら、なぜ
本人がやってきて、ひとこと、ありがとう、と
言ってくれないか。そのほうがわけのわからないくだものをもらうよりどれだけうれしいか
知れない。
会えば、
知り
合いになるチャンスだって
生まれる……。そんな
風に
感じたが、このアメリカ
人は
結局、
隣の
奥さんのくだものを
受け
取った。
断っては、
奥さんの
顔をつぶすことになるだろうという
日本的考え
方をしたものである。
プレゼントをしていいのは、
相手の
好み、
趣味をよく
知っていて、それに
合ったものがあるときである。
奥さんのところへもってきたものを、そのまま
隣家のアメリカ
人へまわすのは、
送り
先の
人のことを
無視するのもいいところで、はなはだまずい。
贈りものはときとして、とんだ
災難のもとになることもある。
日本で
勉強しているアメリカ
人の
女子大生が、バイクでジグザグ
走行していてトラックに
接触、
転倒し、
軽い
怪我をした。
入院したが、
非は
自分側にあると
思っていたから、トラックを
責める
気はまったくなかった。ところが、トラックの
運転手は、いくら
自分の
責任ではないにしても、
現に
相手は
入院している。
放っておけない
気がしたのだろう。ブドウをもって
見舞いに
行った。これがいけなかった。それまでは
神妙だったアメリカ
人学生は、そこで
考えを
一変させた。この
運転手は
自分にワイロを
贈ろうとした。
悪い
人間である。
事故はこの
運転手によっておこった。というような
話をつくり
上げてしまったのである。
トラック
会社と
運転手を
訴えて、
裁判に
勝ち、トラック
会社から
多額の
賠償金をせしめることに
成功した。ずいぶん
高いことについたブドウである。
善意がとんでもない
解釈をされて
仇になってしまった。
贈りものの
文化が
万国共通のものではないことを
知らないでおこった
小悲劇である。ことにあまり
意味のないプレゼントをするのになれていると、つい
気軽に
人にものを
進呈しがちになる。
相手をよく
考えてからでないと
贈りものをしてはいけない。
国際的な
場面においてはとくにそれに
注意する
必要がある。
(
外山滋比古『
英語の
発想・
日本語の
発想』)