(Translated by https://www.hiragana.jp/)
課題集
長文 10.1週
【1】
朝、
学校に
向かう
道の
途中に、
背丈よりもわずかに
高いキンモクセイの
木がある。
秋になると、
風に
乗ってほのかに
甘い
香りが
漂ってくる。ちょうどこの
花が
咲くころに、
懐かしい
思い
出があったような
記憶がある。【2】それが
何だったのかは
忘れてしまったが、キンモクセイの
香りをかぐと、
小さいころの
自分の
気持ちが
戻ってくる。
今の
生活は、
定期テストがあったり、
部活の
練習や
試合があったり、
学校行事の
準備があったりと、
毎日があわただしい。【3】
時間に
追われて
生活していると、
気持ちがだんだんと
単調になってくるようだが、そんなとき、
懐かしい
花の
香りに
触れると、その
季節を
思い
出し、ふと
自分を
振りかえる
気持ちになれる。
【4】
季節を
感じて
生きることが
大事だと
思う
理由は、
第一に、
季節ごとの
思い
出に
応じて
人生がそれだけ
豊かになることだ。
例えば、
夏というと、
私がまず
思い
浮かべるのは、
子供のころ、
海辺で
食べたスイカ
割りのスイカの
味だ。【5】みんなで
輪になって
少し
砂の
混じったくずれたスイカをたっぷり
食べた。
種の
飛ばしっこをしてみんなで
笑ったことや、そのときの
波の
音や
空の
青さが
今でも
心に
残っている。【6】もしこれが、
夏でも
冬でも
同じようにスイカが
買えて、パックにきれいに
詰められているスイカを
食べるだけだったら、
懐かしい
思い
出にはならなかっただろう。
もう
一つの
理由は、
季節を
感じて
生きる
生活こそが、
環境にとっても
無理のない
合理的な
生活だからだ。
【7】
例えば、
夏の
暑い
日にクーラーを
効かせた
生活をすれば、
家の
中や
車の
中は
確かに
涼しいが、その
涼しくなった
分だけ
熱が
外に
排出される。その
結果、
都会はますます
暑くなり、その
暑さに
負けないように
更にクーラーを
効かせるようになる。
【8】これを、もし
夏は
暑いものだと
割り
切って、
薄着をしたり、
窓を
開け
放したり、
水を
打ったり、
風鈴をつけたり、
木陰ができるように
木を
植えたりすることで
対応するならば、それは
自然と
調和した
優しい
社会を
作ることにつながるだろう。
【9】
確かに、
人間は
科学を
発展させて、
季節に
制約されない
文化を
作り
上げた。
病人や
老人にとって、
暑い
夏は
負担である。
健康な
人にとっても、エアコンで
調整された
環境の
方が、
勉強も
仕事も
大いにはかどる。【0】しかし、その
便利さに
慣れるあまり、
多様な
季節を
一色に
塗りつぶすようなことをしては、
人間の
文化も
私たちの
感覚も、
同じように
機械的な
一色に
塗りつぶされることにならないだろうか。
自然とは、
私たちの
外側にあるものではなく、
私たち
自身も
含む
世界である。
自然を
豊かに
感じることは、
自分自身を
豊かにすることにもつながっているのだと
思う。
(
言葉の
森長文作成委員会 Σ)
長文 10.2週
【1】
子供の
世界は「ふしぎ」に
満ちている。
小さい
子供は「なぜ」を
連発して、
大人にしかられたりする。しかし、
大人にとってあたりまえのことは、
子供にとってすべて「ふしぎ」と
言っていいほどである。【2】「
雨はなぜ
降るの。」「せみはなぜ
鳴くの。」あるいは、
少し
手がこんできて、
飛行機は
飛んで
行くうちにだんだん
小さくなっていくけど、
中に
乗っている
人間はどうなるの、などというのもある。(
中略)
【3】
子供の「ふしぎ」に
対して、
大人は
時に
簡単に
答えられるけれど、
一緒になって「ふしぎだな。」とやっていると、
自分の
生活がそれまでより
豊かになったり、
面白くなったりする。
【4】
子供は「ふしぎ」と
思うことに
対して、
大人から
教えてもらうことによって
知識を
吸収していくが、
時に、
自分なりに「ふしぎ」なことに
対して
自分なりの
説明を
考えつくときもある。【5】
子供が「なぜ。」と
聞いたとき、すぐに
答えず、「なぜでしょうね。」と
問い
返すと、
面白い
答えが
子供の
側から
出てくることもある。
「お
母さん、せみはなぜミンミン
鳴いてばかりいるの。」と
子供が
尋ねる。【6】「なぜ、
鳴いてるんでしょうね。」と
母親が
応じると、「お
母さん、お
母さんと
言って、せみが
呼んでいるんだね。」と
子供が
答える。そして、
自分の
答えに
満足して
再度質問しない。これは、
子供が
自分で
説明を
考えたのだろうか。【7】それは
単なる
外的な
説明だけではなく、
何かあると「お
母さん。」と
呼びたくなる
自分の
気持ちもそこに
込められているのではなかろうか。だからこそ、
子供は
自分の
答えに
納得したのではなかろうか。【8】そのときに、
母親が「なぜって、せみはミンミンと
鳴くものですよ。」とか、「せみは
鳴くのが
仕事なのよ。」とか、
答えたとしても
納得はしなかったであろう。【9】たとい(たとえと
同じ)、せみの
鳴き
声はどうして
出てくるかについて
正しい
知識を
供給しても、
同じことだったろう。そのときに、その
子にとって
納得のいく
答えというものがある。そのときに、その
人にとって
納得がいく
答えは、
物語になるのではなかろうか。【0】せみの
声を
聞いて、「せみがお
母さん、お
母さんと
呼んでいる。」というのは、すでに
物語になっている。
外的な
現象と、
子供の
心の
中に
生じることが
一つになって、
物語に
結晶している。
人類は
言語を
用い
始めた
最初から
物語ることを
始めたのではないだろうか。
短い
言語でも、それは
人間の
体験した「ふしぎ」、「おどろき」などを
心に
収めるために
用いられたであろう。
古代ギリシャの
時代に、
人々は
太陽が
熱をもった
球体であることを
知っていた。しかしそれと
同時に、
彼らは
太陽を
四頭立ての
金の
馬車に
乗った
英雄として、それを
語った。これはどうしてだろう。
夜の
闇を
破って
出現して
来る
太陽の
姿を
見たときの
彼らの
体験、その
存在の
中に
生じる
感動、それらを
表現するのには、
太陽を
黄金の
馬車に
乗った
英雄として
物語ることが、はるかにふさわしかったからである。かくて、
各部族や
民族は「いかにしてわれわれはここに
存在するのか。」という、
人間にとって
根本的な「ふしぎ」に
答えるものとしての
物語、すなわち
神話をもつようになった。それは
単に「ふしぎ」を
説明するなどというものではなく、
存在全体にかかわるものとして、その
存在を
深め、
豊かにする
役割をもつものであった。
ところが、そのような
神話を
現象の
説明として
見るとどうなるだろう。
確かに
英雄が
夜ごとに
怪物と
戦い、それに
勝利して
朝になると
立ち
現われてくるという
話は、ある
程度、
太陽についての「ふしぎ」を
納得させてくれるが、そのすべての
現象について
説明するのには
都合が
悪いことも
明らかになってきた。
例えば、せみの
鳴くのを「お
母さんと
呼んでいる。」として、しばらく
納得できるにしても、
次第にそれでは
都合の
悪いことがでてくる。
そこで、
現象を
説明するための
話は、なるべく
人間の
内的世界をかかわらせない
方が、
正確になることに
人間がだんだん
気がつきはじめた。そして、その
傾向の
最たるものとして、
自然科学が
生まれてくる。「ふしぎ」な
現象を
説明するとき、その
現象を
人間から
切り
離したものとして
観察し、そこに
話を
作る。このような
自然科学の
方法は、ニュートンが
試みたように、「ふしぎ」の
説明として
普遍的な
話(つまり、
物理学の
法則)を
生み
出してくる。これがどれほど
強力であるかは、
周知のとおり、
現代のテクノロジーの
発展がそれを
示している。これがあまりに
素晴らしいので、
近代人は
神話を
嫌い、
自然科学によって
世界を
見ることに
心をつくしすぎた。これは
外的現象の
理解に
大いに
役立つ。しかし、
神話をまったく
放棄すると、
自分の
心の
中のことや、
自分と
世界とのかかわりが
無視されたことになる。
せみの
鳴き
声を
母を
呼んでいるのだと
言った
坊やは、
科学的説明としては
間違っていたかも
知れないが、そのときのその
坊やの「
世界」とのかかわりを
示すものとして、
最も
適当な
物語を
見出したと
言うことができる。 (
河合隼雄「
物語とふしぎ」による)
長文 10.3週
【1】
私に、
漫画「ドラえもん」の
面白さを
紹介してくれたのは、
一九七三年生まれの
長女だった。「ドラえもん」とともに
育ったこの
娘も、
今年六月に
結婚した。この
夏、
夫婦で
初めて
北海道の
実家を
訪れたときのお
土産がシリーズの
第四十五巻。【2】
家族みんなで
回し
読みし、「ドラえもん」
論に
花を
咲かせたばかりだった。それだけに
作者の
藤子・F・
不二雄氏が
九月二十二日に
死去したのは
悼まれる。
【3】「ドラえもん」は、「
鉄腕アトム」や「
鉄人28
号」に
代表される、スーパーヒーロー
型とは
全く
異なったタイプのロボットとして
誕生した。
読者の
日常生活に
密着して
愛されるタイプのロボットなのである。【4】だが、「ドラえもん」がヒーローたり
得るゆえんは、「
四次元ポケット」にある。「タケコプター」「どこでもドアー」「インスタント
旅行カメラ」「
暗記パン」……。「ドラえもん」のポケットから
出てくるこれら
一つひとつのアイテム(
道具)に
限りない
夢がある。【5】これが「ドラえもん」の
人気の
秘密であることはいまさら
言うまでもない。
しかし、「ドラえもん」には
見逃してはならない、もう
一つの
重要な
視点があるべきだと
思うのだ。
【6】――
子供のみならず
大人にまで
夢を
与えた――。
本当にそうであろうか。
私の
知る
限りでは「ドラえもん」の
夢は
一度もかなわなかった。【7】
次から
次へと「
四次元ポケット」から
出てくる
奇想天外な
科学の
小道具は、
困難を
解決してくれるどころか、
思惑に
反して
勝手に
暴れだし、
思いがけない
新たな
問題を
引き
起こしてしまうのが
常である。【8】それが、ギャグのメインになってはいるが、そこにはただ
笑ってはすまされない
問題がある。
そもそも、この
漫画には、
一定の
法則がある。「
大変だ!
大変だ!」。【9】
現代っ
子の
代表「のび
太」の
日常の
中で
起こる
様々な
問題が
発端となる。
彼は
問題解決の
本質を
見極めようとはせず、
実に
安易に「ドラえもん」のポケットに
助けを
求める。それにこたえて「ドラえもん」の
出してくるおせっかいな
道具。【0】それはまるで
魔法のような
効力を
発揮して
問題を
一気に
解決するように
思えるのだが、すぐさま
勝手に
暴れだし、
新たな
問題に
右往左往する
結末を
繰り
返すのである。
現代の
日常生活は
科学文明を
過信するあまり、
科学に
対する
基本的な
姿勢を
忘れ
去ってしまっている。
便利という
言葉に
浮かされて
出来合いの
科学を
大量に
買い
込んで、これでもかという
失敗を
繰り
返しても、
実に
平気なのである。それはまるで「のび
太」の
生活そのものである。
楽することを
求めるあまり、
科学のなんたるかを
忘れて
暮らす
現代生活のあり
方に
浴びせた
作者の
皮肉な
笑い。「ドラえもん」の
真の
面白さは、
我々の
日常への
痛烈な
風刺にあったのだ。
かつて、
藤子氏は「
半世紀も
前にはマンガ=
笑いというのが
世間一般の
常識でした。しかし、ここ
四十年ばかりの
間に
驚異的な
変貌を
遂げたのです。
愛あり、
感動あり、
希望あり、
絶望あり……。かつての
笑いは、むしろ
片隅で
細々と
命脈を
保っている
感じです。」と
語ったことがある。
彼の
言う「かつての
笑い」とは
漫画が
漫画たるゆえんのもの、すなわち「
風刺の
精神」にほかならない。「ドラえもん」の
面白さは、
決して
笑ってはすまされない
現代の
深刻な
問題への
警鐘なのである。
高度に
発達した
現代科学を
人類に
役立てるために、
自己を
犠牲にしてまで
平和に
奉仕した「
鉄腕アトム」。
高度な
科学技術をつくりだした
人間が、それをどう
扱うべきかをテーマにした「
鉄人28
号」。そして、
科学のしでかす
失敗の
連続に、
走り
回るしかないのが、この
第三のロボット「ドラえもん」のテーマだとすれば、それに
気づかずに
笑って
読み
続ける
子供たちの
未来に
夢は
描けないのである。
卓越した
批評精神の
漫画家の
死を
惜しむとともに、
藤子氏が「ドラえもん」に
託した
現代へのメッセージを、
子供たちと
一緒に、いま
一度しっかりと
読み
返して
欲しい。
長文 10.4週
「
潔」と
進がいった。「われのところに
新しい
本が
東京から
送って
来たと
違うか」
「ああ」ぼくはいった。「この
間、
小包で
送って
来たんや」
「
貸してくれんか」と
進はやさしくいった。
「いいよ」
とぼくはほとんどいそいそとしていった。
進の
意を
迎えることのできる
材料が
意外にも
身近にあったのがうれしかった。
「
今日持って
行こうか」
「おれがわれんちに
行くわい」と
進はいった。
その
日進は
約束した
通りやって
来た。ぼくはかれを
自分の
部屋に
通して、
伯母にたのんでそこに
作ってもらってあったこたつに
入るように
勧めた。
進はぼくの
見せた
本のどれにもこれにも
目をかがやかした。
「
東京にはもっとあるんやろう」
「たのむから
送ってもろうてくれんか」
「おれ
今まで
家の
手伝いで
読めんなんだろう、
冬に
入ってようやく
読む
時間ができたんや」
「
四月に
入れば、
中学に
入るための
勉強せんならんから、
読めんようになるしな」
と
進は
興奮したように
次から
次へとしゃべった。
東京に
残っている
本を
小分けにして
小包で
送って
欲しいとその
日のうちに
手紙でたのんでみると
進に
約束すると、
進はようやく
興奮を
鎮め
安心した
風を
見せた。
――その
日進は
高垣眸の「
竜神丸」と
南洋一郎の「
吼える
密林」とを
借りて
行った。
そして
進との
交友は
再び
復活し、
冬休みの
時と
同じくらいの
頻度でおたがいの
家を
往き
来した。
家での
進は
学校での
進と
別人の
観があった。
進が
学校でも、
家で
会う
時と
同じように
振る
舞ってくれたら、ぼくは
進を
本当に
親友と
見なし
大切に
思ったに
違いない。しかしぼくは
家を
出て
家に
帰るまでの
進の
専横な
振る
舞いを
決して
忘れるわけには
行かなかった。
進がそんなぼくの
気持ちに
感づいていたかどうかは
分からなかった。しかしとにかくぼくたちは
二人だけでいる
限り、
気が
合い、
話題も
尽きなかった。
話は
戦争の
見込みや、
勉強の
計画、
自分たちの
将来などに
及んだ。
たとえば
将来の
夢について、「
戦争が
長びくようやったら」と
進はいうのだった。
「おれァ、
海兵を
受けることにやっぱり
決めたわ」
もし
終わったらどうするかというぼくの
問いに
対してかれは
答えた。
「
高等学校へ
入って
帝大へ
行き
高文を
受けて、
官吏になるわ、われの
家の
人みたいにな」
かれの
頭に、
成功した
郷里の
先輩としてぼくの
父が
描かれていたことに
間違いなかった。そしてかれがおそれていることは
戦争が
早く
終わって、ぼくが
東京に
早く
引き
揚げてしまい、
一緒に
受験勉強もできなくなってしまうことらしかった。その
証拠に、かれは
何度となく、
「
戦争が
終わっても
六年はここで
終えて
行くのやろ、それから
東京の
中学を
受ければいいにか」とぼくに
確かめたからである。もちろんぼくはそうするつもりだと
嘘をついた。
ぼくらはよく
一緒に
風呂へも
行った。すると
風呂で
一緒になる
大人たちは、
浜見一番のあんぼ(しっかり
者の
長男)と
寛平さの
東京の
子がすっかり
意気投合し
親友になったことを
祝福してくれた。するとぼくの
心は
自分が
間違って
見られていることに
対する
不満と、そんな
風に
誤解されてもしようがないように
振る
舞っている
自分に
対する
嫌忌の
念にひそかに
包まれた。ぼくはいつも
心の
奥底で、
自己に
忠実でありたかったから、
家に
帰ってからの
進との
往き
来を
今のような
形で
続けるのを
拒否すべきか、もしくは
進の
方で
学校での
態度を
改めるべきだと
思っていた。そのことが
二つとも
実現しない
限り、
自分に
忠実でなく、
虚偽の
生活を
行っているのだと
思っていたのだった。しかし
現実のぼくは、
内心の
願いとはまったく
逆に、
昇の
貢物の
一件以来、
進の
勢力の
偉大さを
思い
知らされ、もはや
昇と
協力して
級を
改革する
夢にふけることもできなくなり、
努めて
進の
意にそうように
振る
舞っているのだった――
長文 11.1週
【1】ミミズがある
生態系に
生存することで「
自然の
経済」にどんなかかわりをもつか、それが、イギリスの
生んだ
偉大な
生物学者チャールズ・ダーウィン(
一八〇
九~
一八八二)のミミズに
関する
着眼点だった。【2】
彼は、
邦訳『ミミズと
土』で
知られる『ミミズの
習性に
関する
観察とミミズの
働きを
通しての
有機土壌の
形成』という
長い
表題の
書物を、
一八八一年に
出版した。【3】「このように
分化の
低い
動物で、このように
重要な
役割を
演じてきた
動物が、ミミズ
以外にいようか。【4】もっと
分化の
低い
動物、すなわちサンゴは
サンゴ礁を
形成してきたが、それはほとんど
熱帯に
限られてきた」と、
海のサンゴと
対比して、
地表で
絶え
間なく
働き
続けてきたミミズに
敬意を
表し、ケント
州ダウンの
家の
庭で
数々の
実験的観察を
行っている。
【5】タバコには
関心を
示さなかったミミズが、キャベツやタマネギはすぐ
穴に
引き
入れる
様子を
観察しているであろうダーウィンの
姿を
想像すると、
思わず
微笑んでしまう。【6】
特に、
一定面積内に
住むミミズの
数量については、
一平方メートル
当たり
一三・
三匹、
一匹を
三グラムとすると
一平方メートル
当たり
三九・
九グラムであることを
推定している。【7】そして、それらのミミズがどのように
糞を
排出するか、
一定面積当たりの
糞の
排出量はどのくらいか、
結果として
地表の
土とミミズがどのようにかかわってきたか。【8】その
一例として、
一八年前に
石灰をまいた
畑に
堀を
掘った
時、
切り
立った
側面に
五四メートルにわたって
地表から
一七・
五センチメートルの
深さに
石灰の
層があるのを
観察、ミミズは
平均して
一年に
約一センチメートルの
土壌を
地表に
排出しているとして、ミミズの
絶え
間ない
働きが、
有機土壌の
形成に
大きな
貢献をしてきたと
述べている。【9】
結論として、イギリスでは
毎年一エーカー
当たり、
乾燥重量で
一〇トン
以上の
土がミミズの
体を
通して
排出され、その
働きゆえに、
古い
歴史上の
遺物も
保存されてきたというのである。
【0】ところで、ダーウィンのミミズの
研究にも
触れた
有吉佐和子の
小説『
複合汚染』は、
一九七四年新聞に
発表され、
多くの
人々の
関心をひいたが、その
中に、
人間が
自然をひどく
傷めつけた
結果、
自分たちの
命にひどい
影響が
及んでいる
現状が
詳しく
書かれている。
農村を
回ってよく
聞く「
土が
死んだ」という
言葉について
述べた
箇所を
引用する。
――「
例えばよ、わかりやすく
言えば、ミミズのいねえ
土のことだな。
硫安かければよ、ミミズは、
即死すっから。ミミズがいねえとよ、
土が
固くなって、どうにもなんねえす。
土が
死んだっちことは、ミミズが
死んだっちことだなあ。」
土とミミズ。
例外はもちろんあるけれど、ふつうのミミズは、
土を
豊かにするために
決定的に
重要な
動物である。「
進化論」で
有名なダーウィンは『ミミズと
土』という
書物を
著し、
多年にわたる
研究成果をもとにして、
自然の
中でミミズが
受けもつ
役割について
詳述し、もしミミズがこの
世にいなくなったら
植物は
滅亡に
瀕するだろうと
結論している。
ミミズは、
毎日、
土を
食べて
生きている。
土はミミズの
口から
入って
外へ
出ると、また
土になる。しかし、ミミズの
口へ
入る
前の
土とミミズが
外へ
出した
土とは、
土の
性質がまるで
違っている。
第一に、
土と
一緒に
呑み
込まれた
新鮮な
草の
葉や
半腐れのワラなどが、ミミズの
体内の
分泌液によって
豊かな
黒い
土になって
出てくる。
第二に、
出てきた
土は
細かい
団粒状であるから、
水や
空気が
通りやすく、ふわふわと
柔らかくなる。――
農村で
多くの
人々が、ロにしている「
土が
死んだ」ということ、それは「ミミズが
死んだ」ということだというのは、
実に
深刻な
事態である。もう
少し
引用を
続ける。
――
篤農家たちが
化学肥料によって「
土が
死んだ」と
嘆く
場合、
当然、「
土は
生きている」ものという
前提がある。
一グラムの
土の
中には
数千万から
数億という
数えきれない
単細胞生物やカビが
棲息していて、
互いに
複雑な
関係を
保っている。ミミズの
場合は、
人間の
目に
見える
生態系だが、
単細胞生物やカビのそれは、まだ
研究し
尽くされてはいない。――
その
生存と
死滅をこのように
取り
上げられ、ミミズにとってはまさに
晴れの
舞台とも
言えようが、ここで
訴えるところが、
四億年以上にわたって
生存し
続けてきたこの
動物の
地球上からの
消滅を
救うものになってほしいと
思う。
(
中村方子の
文章による)
長文 11.2週
【1】
私たちが
日常、ことばを
使っているときは、
普通表される
内容がまずあって、それを
持って
運ぶ
手段としてことばがあるというふうに
考えています。【2】
私たちの
関心はもっぱらこの
内容のほうにあるわけで、それを
運ぶ
仲介役としてのことばが
入っていても、ことばそのものにはあまり
注意を
払いません。ことばというのはあるようでないようなもの、
存在しながら、
存在していないような、
何か
透明になってしまっているような
感じがするのではないでしょうか。
【3】ところが、「かっぱ」のような
詩を
読みますと、
俄然ことばが、
私たちの
前にふさがって、それに
私たちが
頭をぶつけている――そんな
印象を
持つのではないかと
思います。【4】ことばがそこでは
不透明になって、
私たちの
意識が
素通りすることを
許してくれないわけです。
日常あまり
意識してないことばそのものの
存在ということを、
否応なしに
意識させられてしまいます。【5】こういう
状況は、
詩によく
出てきます。
詩のことばは
日常のことばと
同じではありません。そのため
私たちはそこで
一度立ち
止まって、
考えなくてはいけないということが
起こってきます。【6】つまりことばが
不透明なものになってしまい、
私たちがことばというものを
改めて
認識することになるのです。
そういう
意味でもう
一度「かっぱ」の
詩に
戻ってみましょう。【7】
使われている
単語はそんなに
多くも
難しくもありません。「かっぱ」が
出て、それから「かっぱらった」が
出てきます。【8】たとえばこの「かっぱ」と「かっぱらった」ということばは、
日常のことばとして
考えている
場合は、
私たちはこの
両方がよく
似た
形をしたことばであるという
意識を
持つようなことはないでしょう。【9】ところが、ことばが
不透明になって
私たちの
前に
立ち
現れますと、「かっぱ」と「かっぱらった」は、
形が
非常によく
似ているという
意識を
否応なしに
持たされます。【0】そうしますと、ことばについての
非常に
素朴な
感覚として、
語形が
似ていると
語の
意味も
似ているのではないかというふうな
発想が
働きはじめます。つまり、「かっぱ」と「かっぱらった」とでは「かっぱ」という
所が
共通である。そうすると
意味のほうでも
関係があるのではないか。たとえば、「かっぱ」というのはいたずら
好きな
生物だから、「かっぱらう」という
行為も、
何かもともと「かっぱ」のするようなことをいうのではなかったのか。もちろん
語源的にはそういうことはないでしょうけれども、そんな
印象をきっと
持つでしょう。
日常のことば
遣いですと、「かっぱ」と「かっぱらう」は
私たちの
頭の
中の
全然違う
所にしまい
込まれていて、
相互に
連想するなどということもないでしょう。しかし
二つ
並べられてみますと、
語形が
互いによく
似ている、そうすると
語の
意味も
似ているのではないかと
考えたくなるわけです。
私の
場合ですと、かっぱの
口の
先の
逆みたいな
形をしている――そんな
類似点を
連想します。あるいはまた、かっぱが
鳴くとするとらっぱのような
音を
出すのではないか――そんなことを
思ったりもします。(
中略)
私たちの
日常の
生活では、ことばのきまりというものが
習慣的に
決まっています。そして、
私たちはいちおうきまりの
範囲内でことばを
使うことで
満足していて、それを
超えるというようなことは
比較的まれです。
前に
言いました
二つのことばの
使いかた――
経験が
先行してそれをことばで
表すことと、ことばが
新しい
経験を
生み
出すこと――これは「
伝達」と「
創造」ということでとらえることもできますし、あるいはことばの「
実用的」な
働きと、ことばの「
美的」な
働きと
言われることもあります。この
後者のほうは
詩のことばに
典型的に
見られるということで、ことばの「
詩的」な
働きというい
方をすることもあります。
私たちのことばについての
認識は、ふつうその
実用的な
働きのほうに
大変かたよっていて、もう
一つの
詩的な
働きのほうは
忘れられがちです。それは、この
詩的な
働きがよく
現れるのは、
詩のことばであるとか、
子どものことばとかどちらかといいますと、ことばの「
中心」でない
部分だからでしょう。そういうことばの
詩的な
働きというものが
日常のことばにおいてよりも
重要な
役割を
果たすという
意味で、
子どものことばと
詩のことばとは
似ているということができます。(
中略)
普通の
人が、
日常的な
経験を
日常的なことばで
表現して
満足しているのに
対して、「
詩人」と
呼ばれるような
人たちは、
日常的な
経験を
超える
経験をもつでしょう。そして、それを
表そうとすると、もはや
日常のことばの
使い
方では
不十分なはずです。そこで、どうしても、
日常のことばの
枠を
超えるということが
必要になってくるのです。
参考:「かっぱ」の
詩(
谷川俊太郎作) かっぱかっぱらった/かっぱらっぱかっぱらった/とってちってた/かっぱなっぱかった/かっぱなっぱいっぱかった/かってきってくった
長文 11.3週
【1】「ああすれば、こうなる」
型の
社会では、さらに
違った
側面が
現れる。その
一つは、
時間の
変質である。
頭の
中では、
時間は
過去、
現在、
未来に
三分割される。ところが、
時間直線を
描けばわかるように、「
現在」とはその
時間直線の
上の
一点に
過ぎない。【2】それはただちに
未来から
過去へと
繰り
込まれる、
時の
瞬間に
過ぎないのである。もちろん
常識はそうはいわない。【3】なぜなら、われわれは
現在とか
今とかいう
表現をたえず
用い、しかもその「
現在」という
時は、
実質的な
時間幅を
持つことが
当然の
前提だからである。それなら、そのように
日常的に
使われる「ただいま
現在」の
意味とはなにか。【4】それはすなわち、「
予定された
未来」を
指すのである。「ああすれば、こうなる」で
囲い
込まれた
時だ、と
表現してもいい。
具体的にいうなら、
手帳に
書かれた
予定である。【5】
来月の
三日は、
会社の
創立記念日だから、これこれこういうことをする。それが
決まれば、その
日までに「どのような
準備をするか」は
決まってしまう。そのためには、
今日、
知り
合いの
店に
電話をしておかなければならない。【6】
当日には
自分は
会社を
休むわけにはいかない。したがって
地方への
出張は、その
日を
避けることになる。こうして、
来月の
三日に
予定があるということは、
現在をすでに
強く
拘束する。そうした
拘束された
時、それをわれわれは
現在と
見なすのである。
【7】それなら
未来とはなにか。
本来の
未来とは、なにが
起こるかわからない「ああすれば、こうなる」で
拘束されていない
時間である。それなのに
子どもが
育ち
始めると、
母親はこの
子をどの
幼稚園に
入れて、と
考え
出す。【8】その
幼稚園が
終わったら、どの
小学校に、そのつぎにはどの
中学から
高校へ、どの
大学のどの
学部へ、と
考える。こうして「
漠然たる」
未来は、
現代社会ではただちに
拘束され、
急速に
失われていく。【9】
大人はそれでちっとも
困らない。
自分ではそう
思っている。ただし、
自分がどの
段階でどれだけ
年老い、どれだけの
体力を
失い、
感覚がどれだけ
鈍るか、それは
手帳に
書いてない。【0】さらにいつ、どういう
病にかかり、その
結果、いつ
死ぬことになるか、やはり
手帳には
書いてないのである。
考えてみれば、その
手帳がすなわち
意識である。
意識という
手帳は、そこに
書かれていない
予定を
無視する。いかに
無視しようと、しかし、
来るべきものはかならず
来る。
意識はそれをできるだけ「
意識しない」ために、
意識でないもの、
具体的には
自然を
徹底的に
排除する。
人の
一生でいうなら、
生老病死を
隠してしまう。
人はいまでは
病院で
生まれ、いつの
間にか
老いて
組織を「
定年」となり、あるいは
施設に
入り、やがて
病院で
死ぬ。
日常の
世界では、そういうものは「
見ない」ことになる。こうして
世界はますます「ああすれば、こうなる」ものであるように「
見える」ようになる。その
世界では、
意識がすべてとなり、
時間はすべて
現在化するのである。
これをみごとな
物語に
描いたものが、ミヒャエル・エンデの『モモ』であることは、もはやお
気づきであろう。『モモ』の
主人公が
自称百歳のモモという「
少女」であることは、たいへん
象徴的である。モモは「
時間泥棒」と
闘って、
町の
人々の
幸福を
取り
戻そうとする。
現代の
東京でも、
灰色の
服を
着て
黒い
鞄をもった
時間泥棒たちなら、いくらでも
見ることができる。かれらの
最大の
被害者たちは、「
漠然とした、
定まらない
未来」だけを
財産としている
子どもたちである。
子どもたちには
地位はなく、
力はなく、
知識はなく、お
金も
名誉もない。かれらが
持つものは、
唯一「
真の
未来」だけである。
現代社会はそれを
惜しみなく
奪う。
政治家が
国家百年を
思わなくなった。
医師は、もっぱら
患者の
検査に
没頭する。それはすべてが
現在化したからである。
百年を
思うよりも、ただいま
現在の
状況を
徹底的に
把握し、それに
対して
有効な
手を
打たなければならない。「ああすれば、こうなる」ようにしなければならないのである。
医師も
同じである。
患者は、「
先生、どうしたらいいですか」と
尋ねる。だから
医師はその
患者の「
現在の」
状態を
徹底的に
把握しようとする。それを
把握すれば、「ああすれば、こうなる」はずだということが、わかるはずだと
思うからである。そうした
状況を
私が
批判すると、
若者は、こう
質問する。「
先生、じゃあどうしたらいいんですか」。その
答があるということは、つまり「ああすれば、こうなる」が
成立するということである。
若者たちが、それを
常識としていることが、こうした
質問からよくわかるのである。
(
養老孟司『
考えるヒト』による)
長文 11.4週
人間が
自由で
平等だというようなことが、
原則として
認められている
社会、これが、
近代だといってよいでしょう。
それでは、そういうものが
果たして
我々日本人に
固有のものか、
我々自身の
生活の
中から
出てきたものかというと、これはそうではないということが、すぐお
分かりになると
思います。
近代的なものは、
生活の
観念にしろ、
社会生活の
形にしろ、みな
西洋から
来ています。
西洋人にとって
近代は、つまり
自分の
中から
出たものです。
自分たちのものの
考え
方、あるいは
感じ
方の
必然の
結果です。ところが、
我々にとっては、それはよそから
受け
入れたものだ。そこのところが、
同じ
近代でも
甚だ
違うのです。 (
中略)
森鴎外は、
晩年に
徳川時代の
漢方医で
明治時代にはほとんど
忘れられてしまって、そしてもし
鴎外が
書き
残さなかったら、
我々は
全然知らないだろうと
思うような
人たちの
伝記を
非常な
熱情をこめて
書いています。(
中略)
恐らく、
日本人は
西洋の
影響を
受けてから
悪くなった、
今の
文明のあり
方を
見ると、
日本人に
将来救いがあるかどうか
分からない。ただ、そういう
西洋の
影響を
受けない
前の
日本人のある
人々の
生き
方に、
自分は
非常な
尊敬を
感じて、そういう
人たちの
生き
方に
及ばずながら
自分も
従ってゆこうという
気持ちに、やっと
自分の
救いを
見いだすというのが
鴎外の
考えであったようです。
鴎外のように、
西洋もよく
知っており、
自然科学の
知識もあり、
最も
日本の
近代化ということを
評価してもいいような
人が、
非常に
否定的であった、これは
我々が
記憶しておいてよいことだと
思います。
同じようなことが
漱石についても
言えます。
漱石は、
鴎外よりよほどおしゃべりですから、
自分の
思想をはっきり
述べているのですが、その
中で
有名なのは、この
人が
和歌山県でやった「
現代日本の
開化」という
講演でしょう。これは、
漱石の
思想の
核心に
触れている
講演です。
読んでもなかなかおもしろい。
洒脱で、ユーモアにも
富んでいて、
時々、
聴衆をうまく
笑わせたりしています。しかし、
内容は
近代日本の
文明について
非常に
悲観的な
見方をしています。
漱石は、そこでまず
文明というものあるいは
文化(
開化という
言葉を
使っていますが)は、
内発的な
開化と、
外発的な
開化と
二つある。
外発的というのは
内部から
出るものでなくて、
外からの
刺激によって
文化が
大きく
変わるということです。
内発的とは、ちょうと
時候が
暖かくなって
花が
開くとか、
雲が
大空を
飛んでいくとか、これは
漱石の
比喩なのですが、そんなふうに、
内から
自然の
力に
押されて
何かができあがるということです。
ところで、
日本の
開化はどうか。
漱石の
見るところでは、
徳川時代の
終わりまではだいたい
内発的に
進んできた、と
言う。これにはだいぶ
問題があるでしょう。なぜなら、
日本は
古代から
外来文化を
輸入し
続けてきた、という
事実があるわけです。しかし
結局のところ、
私は
漱石の
考えが
正しいのではないかと
思います。
日本は
島国で
荒い
海に
囲まれている。
外国が
現実の
力になって
襲ってくるということは
何百年、
何千年に
一度くらいの
例外はあるが、ふだんは
適当にその
海が、ちょうどフィルターのような
役割を
果たしてくれる。したがって、
外国は
敵対する
力としてでなく、いつも
文化として
入ってくる。
仏教も
儒教もそうでした。
外国人というのは、いつも
珍しいお
客さんであって、
歓迎してかえせばよい。
気に
入らない
時は
殺してしまえばよい。キリシタンが
入ってきた
時はそれをやった。
江戸時代ごろまでの
外国との
接触は、いつも
自然によって
守られていたのです。
ところが
十九世紀になって、
蒸気船ができる。
海という
自然の
力を
征服してしまうような
交通機関が
発明され、それによって
外国は
初めて
現実の
力、
侵略的な
力として
我々の
周りに
迫ってきた。そうした
力に
動かされて、
明治維新が
達成されたわけです。
今から
見れば、ずいぶんのんきなものであったにしろ、
当時の
日本としては
大事件でした。
明治維新は、つまり
日本の
近代化の
出発点は、
単に
優れた
文化に
接してこれを
学ぶというような
穏やかなものでは
決してなかった。それを
学ばなければ、こっちがやられてしまう、
国としての
独立を
維持してゆくことができない、という
事情があったのです。こっちが
生活あるいは
社会組織を
西洋風に
改めなければ、
逆に、
西洋人の
力によって、こっちがいやおうなく
西洋風にされてしまう、そういう
危機として、
外国が
現実の
力を
振るったわけです。ですから、
日本が
初めて
外発的な
力に
動かされた、と
漱石が
言うのも、
決して
誇張ではなかったのです。(
中村光夫の
文章より)
長文 12.1週
【1】
人は
二足歩行で
手を
解放し、その
手に
道具を
扱う
役割を
持たせ、それを
発達した
大脳で
制御するという
方法によって、
急速に
強い
優勢な
動物になった。【2】それが
言葉とならぶ
異常な
加速進化のもう
一つの
理由であったのだが、それはともかく、
強くなったために
狩る
立場に
立つことはあっても
狩られる
側にまわることはほとんどなくなった。【3】そして、
最近では
事故や
病気で
死ぬことさえ
最小限に
抑えられ、
現にわが
国などは、
平均寿命において
世界一の
数字を
誇っている。【4】
医学という
蓄積可能な
知識の
体系によって
死亡率を
下げることが
比較的容易であることはあきらかで、それに
対して
伸びた
寿命の
中身を
充実させて
幸福な
老後を
送ることは
大変に
困難らしいが、ここではそういう
面には
触れないでおこう。【5】いずれにしても、われわれは
狩られる
感覚をすっかり
忘れてしまった。だから
自分より
強くて
速い
相手に
狩られることはそのまま
極端な
不幸であるという
単純な
認識にこりかたまってしまっている。
【6】
喰われることは
不幸である。それは
生命というものが
個体にのみ
宿り、あらゆる
努力を
払って
個体の
存続をはかることが
生命の
第一原理である
以上は
当然のことだ。【7】しかし、
追われる
立場で
動物としての
知恵をしぼって
相手をまくこと、いやもっと
危なくぎりぎりまで
追いすがられて、
自分の
脚力だけをたよりにからくも
逃げきること、
相手の
存在に
一瞬早く
気付いて
巧みに
回避することにさえ、
大いなる
喜びが
込められているのかもしれない。【8】そういう
時にこそ
弱い
動物は
自分が
生きているという
実感を
改めて
感じて
幸福感を
味わうのかもしれない。
動物の
場合、われわれとは
死の
概念自体がずいぶん
違うのではないかと
思うのだ。【9】この
場合の
動物という
言葉には、
現代文明の
中で
生きるわれわれのような
人間以外のすべての
哺乳類を
含める。つまり、
先ほど
書いたような、
動物たちとの
交感関係にある
狩人たち、
動物と
同種の
知恵によって
生を
維持している
人々もわれわれの
側ではなくそちら
側に
入れたいのだ。【0】
彼らにとって
死とは、
衰弱した
精神が
描く
単純で
強烈な
恐怖の
源ではない。われわれの
精神は
死という
言葉を
聞いただけで
毛を
逆立てる。
想像力は
自分たちのみじめな
姿を
求めて
暴走をはじめる。だが
死とは、
本来、
一つの
成就、
一つの
完成、
一つの
回帰である。
自然から
遠く
離れて
個の
概念を
立てすぎたために、
個体の
意識を
離れてはすべてが
無であるという
考えがすべてを
圧倒し、ひたすら
個体にしがみつくことが
至上命令となった。
死はエゴの
駆動装置になりさがってしまった。
果たして、
生きることではなくただ
死なないことに、それほどの
意義があるのだろうか。(
中略)
肉食獣に
追われて
逃げきるか
喰われるかは
一つのゲームである。
何度勝った
者も
最後には
敗れる。
自然界には
自然死という
言葉はない。
老衰もない。
動物はみな
捕食者であると
同時に
獲物であり、
絶対の
優位にたって
喰うだけという
動物はいない。そして、
彼らにあるのは
事故死と
病死だけだ。それがそのまま
不幸でないのは、そのことが
生そのものの
基本条件だから、
生というものが
最初から
死をその
中に
含んでいるから、
生きるものはそれを
承知しているからである。
死は
常に
目前にあり、
誰もそれを
忘れたふりをしたりはしない。
動物はみなこの
危険なゲームに
参加し、
興奮と
高揚を
味わい、
常に
危機を
予想し
警戒しながら、さしあたり
目前の
若い
青い
草の
味を
楽しむ。(
中略)そういう
濃密な
時間の
内にこそ
死は
正しい
形で
用意されている。それを
承知の
生命ではないのか。(
中略)
動物は
愚かだから
悩みがないと
言うのは
間違いだ。
動物たちはお
互いに
大きな
知恵を
共有することで
個体のエゴを
制限し、そこにちゃんと
安心立命を
見出している。その
場その
場で
力を
尽くすだけで、それを
超える
不安があることに
気付きもしない。
本当はそんな
不安などないのではないか、と
考えることができたら
人間もまた
彼らの
境地にもう
一歩なのだが、それは
容易なことではないらしい。
近代の
宗教がまことしやかに
語るやすらかな
最期や
大往生の
準備とは、
実は
失われた
野生動物と
狩猟民族の
精神の
回復ということではないのか。
長文 12.2週
【1】
今日の
都市生活に
欠かせない
行列という
社会現象がある。
行列という
形式そのものは、カラハリ
砂漠の
狩猟採集民サン
人が
狩りなどで
遠出するときにも
組まれ、
西洋では
戦争の
捕虜を
行列させたことが
古代の
歴史書にもみえる。【2】しかし、モノを
手に
入れたりサービスを
受けたりする
順番を
待つ
行列は、
近代の
工業化社会に
特有のものだろう。【3】
小さな
個人商店では
並ぼうとする
買物客はいないが、スーパーマーケットでは
工場のアセンブリィ・ラインのように、
客がレジで
列をつくることが
前提にされていることは
行列の
工業社会的性格を
端的にしめしている。
【4】
駅の
切符売場やタクシー
乗り
場や
学生食堂などでの
行列は
以前からあったが、
近ごろではデパートのトイレの
前や、
昼食時の
都心の
食堂でも
行列はあたりまえの
光景になった。【5】
今日の
大都会がそうであるように、
一般にモノやサービスの
需要―
供給関係に
一定程度以上の
不均衡があるところではどこでも
行列ができる
可能性がある。【6】
難民キャンプの
行列ではモノの
供給の
不足が
強調され、モノやサービスの
供給に
不足はないはずの
現代日本のアイスクリーム
店やコロッケ
屋の
前の
行列では
需要が
浮き
彫りにされる。
【7】しかしながら、たとえ
需要―
供給に
顕著な
不均衡があっても、
身分や
地位にかかわらず
先着優先の
原則がなければ、だれも
列をつくって
順番を
待とうとはしないだろう。【8】
行列が
頻繁にみられる
現代の
公共的場面では、
年齢や
社会的地位や
性差や
人種差などは
体系的に
無視されるが、そうした
先着優先の
平等主義がないところでは
行列は
生まれない。【9】
行列をつくって
順番を
待つという
習慣は、たとえば
士農工商の
身分制社会ではかんがえられないように、
元来が
西欧の
近代社会に
特有な
行動様式なのである。
さらにいえば、
行列は
用件をひとつずつかたづけるという
近代的事務処理の
発想に
根ざしている。
【0】
以前ギリシアで
調査中に
気づいたことだが、ギリシアの
役所や
銀行などでは、
相談事をもってくる
人を、
先客にかまわずつぎつぎと
自室に
入れ、
用件を
聞いて、
処理しやすいものから
答えていくというやり
方をとることが
多い。アラブ
社会でも
伝統的には
同様な
方式がとられるようだが、このような
事務処理の
習慣をもつ
社会には
行列はなかなかなじまないようだ(ギリシアなどでは、
行列は
後ろの
者もやりとりがみえるように
横並びになる
傾向がある)。
このようにすぐれて
近代的慣行である
行列には
独特の
論理と
構造がある。
行列はもちろんその
前段階、「
行列以前」からはじまる。
飛行機の
国内便に
乗るために
出発の
一時間半くらいも
前に
空港にいって
待機してみたりするとわかるが、そんな
早い
時間にもチェックイン・カウンターのあたりには、たいてい
何人か
様子をうかがうようにして
立っている
人がいる。だれかがカウンターの
前に
立つと、すぐ
後ろに
行列ができる。あまり
人が
少ないと
早くから
並ぶのもバカバカしくて
苦痛だが、その
間にもたがいの
着順と
位置を
目で
確認していて、だれかが
並んだとたんに
心配になって
並ぶのだろう。
電車を
待つ
駅のホームなどでもおなじようなことがおこることがある。サービスを
受ける
側がサービスを
与える
側より
先にあつまり、
需給関係がさほど
切迫していないときにこのような「
半行列」が
胚胎する。
また、
客がひとりのあいだは、
待つ
側の
客と
待たせる
側の
店員や
係員との
心理的関係だけが
問題だが、
客がふたり
以上になって
列ができると、そこに
待つ
者同士の
社会的関係の
問題が
加わってくる。ひとりで
待たされているあいだは、
無力感や
退屈や
苛立ちとたたかっていればよいのだが、
行列ができたとたんに、
割りこまれないように、
礼儀の
範囲内で
相互監視しなければならない。
新聞や
雑誌をひろげてみても、
目を
周囲にくばり、とくに
前方に
一定以上の
間隔をあけないよう
徐々に
前にすすまなければならないから、
落ちついて
読むことはできない。
待つことは
副次的活動ではありえず、どうしてもその
場の「
主要関与」にならざるをえないのだ。
(
中略)
イギリス
人やアメリカ
人は
行列をあたりまえのように
考えるようだ。しかし、ギリシアなどヨーロッパでも
工業化がおくれた
社会の
人びとには、そんな
行列もヒツジの
群れのようにみえるらしい。
民主主義には
一定の
均質性が
必要だが、
行列を
見ていると、
工業化社会が
近代民主主義の
母胎であることがよくわかる。
(
野村雅一『
身ぶりとしぐさの
人類学』より)
長文 12.3週
【1】
方言で「つるべ」のことをツブレ、「ちゃがま」のことをチャマガ、「つごもり」をツモゴリと
言う
所がある。【2】このような
現象は
幼児の
言語に
見られるもので、
恐らく
起こりは
幼児時代の
言語に
始まったものであろうが、ある
地方でこのような
誤りが
定着したのも、
本来「
釣る
瓶」「
茶釜」「
月隠」であるという
言語意識が
薄れてしまったからであろう。【3】
語源がわからなくなると、もとの
語の
発音や
意味に
変化を
来すことがある。
漢語の
場合には、それに
使われた
漢字が
忘れられると、
意味用法の
転ずることが
少なくない。【4】ことに
話し
言葉では
漢字でどう
書くかを
問題にしないから、
意味を
支持するものがないためにとかく
変化しがちである。
【5】たとえば「
馳走」「
遠慮」「
結構」「
世話」
等の
漢語は
話し
言葉で
日常語として
使われているうちに、
原義とかなり
違った
意味用法になっていった。
「
馳走」は、もとの
漢字から
言えば、はしるの
意だが、
今ではおいしい
料理を
意味する。【6】おいしい
料理はいろいろ
手数や
労力がかかるから、「
御馳走」と
相手に
礼を
言ったところから、
現在のような
意味に
転じたのである。「
遠慮」は、
今はひかえ
目にする、さしひかえる
意に
使う。【7】しかし、もとの
意は、「
遠きおもんぱかり」である。
遠きおもんぱかりによって、
積極的には
行動しないことが
起こる。そのことから、
現在のような
意味に
転じたものであろう。
【8】「
結構」は、もと
建物や
文章の
配置構成を
意味する
語だが、「
立派な
結構」「
見事な
結構」というようなほめ
言葉から
転じて、
立派だ、
見事だという
意になったのである。【9】「
好天」のことを「
天気」と
言うのも、「よい
天気」と
使っているうちに「よい」が
省かれて「
天気」だけでも
好天を
意味するようになったのと
似ている。
【0】「もう
結構です」の「
結構」は、
立派だ、
見事だの
意からさらに
転じたものであろうが、このように
次々と
意味が
転じて
行くのは、
話し
言葉では「
結構」という
漢字の
字面が
思い
起こされることがないからであろう。
「
世話」も、
世間話、
世のうわさの
意から、
今の「
世話になる」「
世話をかける」「
世話する」の
用法が
生まれた。(
中略)
「
週刊朝日」に、
電車の「つり
皮」は
現在は
皮ではなくてビニールを
使っているから、これを「つり
皮」と
称するのは
不当で、「つりビニール」と
言うべきであろう、「
枕木」は、
近年は
木ではなくてコンクリートを
材料としているから、「
枕コンクリート」と
言うべきではないかという
考えが
掲載されていた。
このような
考え
方をすると、
言葉にはいくらでもおかしなものが
出て
来る。「
駅」や「
駐車」も、
馬偏がついているのはおかしい。
昔のように
馬や
馬車が
走っているのでなく、「
駅」は
鉄道のステーションであり、「
駐車禁止」などの「
駐車」は
自動車をとめておくことだからである。「
赤い
白墨」「
黄色い
白墨」もおかしな
表現と
言えるであろう。
言葉の
正しさを
論ずる
時にとかく
語源が
引き
合いに
出されるが、
語源の
通りでは
社会状勢の
変化のために
合わなくなるものが
多い。
社会は
複雑になり、
人の
心理も
単純ではなくなるから、
語源の
通りであることが
正しいということになると、
今の
現実の
社会には
合わないことになる。
そうかと
言って、
一々言葉を
言いかえるのも
大変なことだろう。「つり
皮」が
当たらないからと
言って「つりビニール」にしたところで、もし
今後ビニールが
他の
材料に
変われば、また
名称を
変えなければならないだろう。
「
枕木」にしても
同様である。
現在、まだ
木のものもあるから、「
枕木」と「
枕コンクリート」との
二つを
保存しなければならないし、
将来材料が
変われば、また「
枕○○」という
語を
使わなければなるまい。ただ、こういう
心理から、
在来語を
捨てて、
外来語を
使ったり、
新しい
漢語を
作って
使ったりすることも
事実である。「
洗濯」は
本来水を
使うことである。
近年のように
揮発油を
使ったりして
清浄にするのを、「
洗濯」で
表現したのでは
適当でないということで、「クリーニング」が
行われて
来た。「
床屋」も「
理髪店」になった。
結局、
言葉は
各人の
言語意識によって
動いて
行くようである。そして、その
言語意識を
作り
上げるのは、
主としてその
人の
経験、
教養、
学校で
受けた
教育である。
言葉の
正しさの
規範意識もそこから
生まれ
出るようだ。 (
岩淵悦太郎の
文による)
長文 12.4週
ある
日、
昼めしをおえると
父親は、あごをなでながらかみそりを
取り
出した。
吉は
湯をのんでいた。
「だれだ。このかみそりをぼろぼろにしたのは。」
父親は、かみそりの
刃をすかして
見てから、
紙のはしを
二つにおって
切ってみた。が、すこしひっかかった。
父の
顔はすこしけわしくなった。
「だれだ。このかみそりをぼろぼろにしたのは。」
父はかたそでをまくって、うでをなめると、かみそりをそこへあててみて、
「いかん。」といった。
吉はのみかけた
湯をしばし
口へためて、だまっていた。
「
吉がこのあいだといでいましたよ。」と、
姉は
言った。
「
吉、おまえどうした。」
やっぱり、
吉はだまっていた。
「うむ、どうした?」
「ははあ、わかった。
吉は
屋根うらへばかりあがっていたから、なにかしていたにきまっている。」と、
姉はいって
庭へおりた。
「いやだい。」と、
吉はさけんだ。
姉は
梁のはしにつりさがっているはしごをのぼりかけた。すると
吉は、はだしのまま
庭へおりて、はしごを
下からゆすぶりだした。
「こわいよう、これ、
吉ってば。」
かたをちぢめている
姉は、ちょっとだまると、
口をとがらせてつばをかけようとした。
「
吉っ。」と、
父はしかった。
しばらくして
屋根うらのおくの
方で、
「まあ、こんなところに
面がこさえてあるわ。」という
姉の
声がした。
吉は
姉が
面を
持っておりてくると、とびかかった。
姉は
吉をつきのけて
面を
父にわたすと、
父はそれを
高くささげるようにして、しばらくだまってながめていたが、
「こりゃよくできとるな。」
また、ちょっとだまって、
「うむ、こりゃよくできとる。」といってから、
頭を
左へかしげかえた。
面は
父親を
見おろして、ばかにしたような
顔でにやりとわらっていた。
その
夜、
納戸で
父親と
母親とは、ねながら
相談した。
「
吉をげた
屋にさそう。」
最初にそう
父親がいうと、いままでだまっていた
母親は、
「それがいい。あの
子はからだがよわいから
遠くへやりたくない。」といった。
まもなく
吉はげた
屋になった。
吉の
作った
面は、その
後、かれの
店のかもいの
上でたえずわらっていた。むろんなにをわらっているのかだれも
知らなかった。
吉は
二十五年、
面の
下でげたをいじりつづけてびんぼうした。
ある
日、
吉はひさしぶりでその
面を
見た。すると
面は、いかにもかれをばかにしたような
顔をしてにやりとわらった。
吉ははらがたった。つぎにはかなしくなった。が、またはらがたってきた。
「きさまのおかげで、おれはげた
屋になったのだ。」
吉は
面をひきおろすと、なたをふるってその
場でそれを
二つにわった。しばらくしてかれは、げたの
台木をながめるように、われた
面をながめていたが、なんだかそれでりっぱなげたができそうな
気がしてきた。