(Translated by https://www.hiragana.jp/)
課題集
長文 4.1週
【
長文が
二つある
場合、
音読の
練習はどちらか
一つで
可。】
【1】
国境を
越えて
移動する
人々にとって、
連続性の
保証はなによりも
強く
希求するところとなる。【2】なかには、
抑圧的な
社会体制から
逃れることを
一つの
目的とし、
憧れの
新しい
世界を
求めて
居を
移す
者たちもいるが、それでも
知己、
親戚などのつてを
頼り、
同国人あるいは
同民族コミュニティの
中に
迎えられることを
願う
者は
多数であろう。【3】
先にあげたアルジェリアのカビール
地方の
向仏移民たちが「フランスは
初めて
踏む
土地ではない」と
思い
込んでいるということは、この
連続性の
想定であり、もっといえば
連続性への
願望であろう。【4】いくぶんともそのような
想定をもつことなしには、
移動という
行動がそもそも
起こりえないだろう、ということはすでに
述べた。
連続性想定の
機能的意義は
大きい。
【5】しかし、こうした
連続性の
想定の
上での
移動は、また、
移民たちの
生活をさまざまに
限界づけてしまう。そのもっとも
顕著な
例は、
言語へのかれらの
態度である。【6】かつてトルコの
東部から
連鎖移民的にドイツの
町々にやってきた
移民たちは、「ドイツ
語ができなくとも、トルコ
人の
先住コミュニティに
迎えてもらえばなんとかなる」と
思い、ドイツ
語を
学ぶ
労もとらずドイツに
住み
着いた。【7】たしかにコミュニティの
中で
生活しているかぎり
大きな
不自由はないが、そこから
外へと
人間関係を
広げていくことはほとんどできない。
職場の
中でのかれらの
位置も、トルコ
人を
同僚とする
限られた
地位にすぎなくなってしまう。
【8】
言語に
関しては、
旧植民地から
旧宗主国にやってきた
移民の
場合に、
連続性の
幻想がかえって
一個の
陥穽となるおそれがある。【9】たとえばアルジェリアからフランスへの
移民には――
少なくともこの
国のアラビア
語化が
本格的に
始まる
以前の
六〇
年代の
来仏者には――「
フランス語は
使えるから、
問題はない」という
思い
込みがあった。【0】だが、かえってその
思い
込みのため、
フランス語を
学ぶという
動機づけが
弱く、
夜間の
講座に
通うなどの
労もとらず、そのため
来仏後の
進歩がはかばかしくない、という
問題を
生じていた。じっさい、
彼らが「
フランス語には
問題はない」というのは、せいぜい
日常会話のそれであって、
言語資本としては
貧しい。
フランス語の
読み
書きは
心もとなく、
自分で
手紙を
書くことはもとより、
新聞を
読むこと、
職場で
操作マニュアルを
読むことも
困難なのである。となると、いざ
職場で
技術革新がおこなわれ、
新しい
技術システムが
導入されるときなど、かれらの
読み
書きの
難しさが、そのまま
技術的適応の
困難を
引き
起こし、
雇用不安にさらされることになるのである。
連続性の
保証が
問題を
生んでいる
別のケースをあげれば、それは、
日本への
出稼ぎ
数が
近年増大しているブラジル、ペルー、アルゼンチンなどの
出身者の
場合であろう。
日本語保持率の
高い
日系二世はまだしも、
三世になると、
日本語を
使える
者がきわめて
少数となるが、かれらは
来日にあたって、
旅行業をもかねる
斡旋業者にすべてを
委ねることで、
連続性を
確保しようとする。ビザの
申請から、
職の
斡旋、
来日後の
住宅の
手配まですべて
業者に
任せ、
来日すると、
派遣業者に
引き
継がれ、ここでも
日本語を
使わず、ほとんどあらゆる
手続きが
代行されるのである。
当人は、ポルトガル
語、スペイン
語を
使い、
本国の
文化に
従いながらなんとか
日本の
職業生活の
中に
位置を
得ることになる。
日本の
社会制度に
関する
知識も
自らの
努力で
得ようとする
者は
多くない。
当座はその
必要がないと
感じるからである。しかし、その
代償は
小さくなく、
日本社会の
中でのかれらの
孤立は
一部このことに
由来している。
(
宮島喬『
文化と
不平等』)
【1】
新しい
様式を
創造するということは、
美術における
進歩の
中核的な
意義である。
美術における
進歩は、
科学の
進歩などとは
趣を
異にしている。
科学は
前の
成果を
踏み
台として、
後のものがその
先へ
出るのであるが、
美術においては
優れた
成果は
必ずしも
後のものの
踏み
台とはならない。【2】それぞれの
傑作は、すべて
特殊な、ただ
一回的なもので、そこから
先へ
行けない「
絶頂」のような
意味を
持っている。たとえばギリシアの
彫刻とかルネッサンスの
絵画とかのように、
同じやり
方ではどうしてもそこから
先へ
出られないものである。
同じやり
方をすれば
必ずエピゴーネンになってしまう。【3】だから
美術に
進歩をもたらそうとすれば、
先のものが
見のこした
新しい
美を
見いだし、それに
新しい
形づけをしなくてはならない。それが
新しい
様式の
創造なのである。
そういう
創造のことを
考えるごとに、
私はいつもミケランジェロの
仕事を
思い
出す。【4】
彼の
作品が
実際私にそういう
印象を
与えたのである。ギリシア
彫刻の
美しさや、その
作者たちのすぐれた
手腕を、
彼ほど
深く
理解した
人はないであろうが、その
理解は
同時に、ギリシア
人と
同じ
見方、
同じやり
方では、
到底先へは
出られぬということの、
痛切な
理解であった。【5】だから
彼は
意識してそれを
避け、
他の
見方、
他のやり
方をさがしたのである。すなわちギリシア
的様式の
否定のうちに
活路を
見いだしたのである。【6】「
形」が
内的本質であり、
従って「
内」が
残りなく「
外」に
顕れているというやり
方に
対して、
内が
奥にかくれ、
外はあくまでも
内に
対する
他者であって、しかも
内を
表現しているというやり
方、すなわちそれ
自身において
現われることのない「
精神」の「
外的表現」というやり
方を
取ったのである。【7】
従って
作られた
形象の「
表面」が
持っている
意味は、
全然変わってくる。それは
内なる
深いものを
包んでいる
表面である。そういうやり
方で
彼は
絶頂に
到達した。
彼のあとから
同じやり
方を
踏襲するものは、「
何かを
包んでいる
表面」だけを
作りながら、
中が
空っぽであるという
印象を
与える。【8】
同じやり
方で
彼の
先に
出ることはできないのである。ロダンが「
何かを
包んでいる
表面」を
思い
切って
捨て、
面を
形成しているあらゆる
点が
内から
外に
向いているような
新しい
表面を
作り
出したとき、
初めて
近代の
彫刻は
一歩先へ
出ることができた。
【9】そう
考えてくると、
新しい
様式の
創造には
古い
様式の
重圧が
必要だということになる。
古い
様式による
傑作を
十分に
理解すればするほど、そこからの
解放の
要求、
新しい
道の
探求が
盛んになる。すなわちできあがった
一つの
様式のなかには、
新しい
様式を
必然に
生み
出して
行くような
潜勢力がこもっているのである。【0】だからこそ
過去の
傑作の
鑑賞や、その
鑑賞を
容易ならしめる
美術館は、
美術の
進歩に
重大な
意義を
担うことになる。それぞれの
時代、それぞれの
様式において、「
絶頂」を
意味するような
傑作が、
美術館に
並んでいて、いつでも
見られる、という
社会にあっては、
言わばそういう
傑作の
権威が
君臨しているのである。そういう
世界で
幾分かでも
独創的な
仕事をするためには、
右の
権威の
重圧をはねかえして、
新しい
様式をつくり
出さねばならぬ。
美術館はそういう
運動の
原動力となっているといってよい。
(
和辻哲郎の
文章に
基づく)
長文 4.2週
【1】その
昔、サングラスを
持つということは、ちょっとした
冒険であった。それをかけて
街を
歩くことは、もっとである。たとえばサングラスというのは、
世間に
対して
少しばかりうしろめたいところのある
人がかけるものであって、それだけにややロマンチックな
趣はあったものの、
当然ながら
周囲からそれらしい
目で
見られる。【2】つまりサングラスをかけて
街を
歩くためには、
常にその
種の
視線を
予定しなければならず、その
中で
平然としていられる
心構えがなければならなかったのである。
もちろん、
今はもうそんなことはない。【3】
現在は、
普通の
人々が
普通にサングラスをかけて
街を
歩いているし、そんなものをかけているからと
言って
誰も、
振り
返って
見たりはしない。どことなく、
後暗いところのある
人、という
印象も
薄れたかわりに、それに
伴うロマンチックな
趣も
消えてしまった。ただ、どうなんだろうか。【4】そうかと
言って
現在サングラスをかけている
人すべてが、
光から
目を
保護するためにそうしているとは
思えない。
夜の
人工光線の
中でもサングラスをはずさない
人がいて、
彼に
言わせると「サングラスをとると、
着ているものを
脱いで
裸にされたようで
恥ずかしい」のだそうである。【5】またひとりは、「
私は
人をじっと
見る
癖があるので、
人に
厭がられないようサングラスをしているのだ」と
言う。どうやらサングラスの、「
隠れ
蓑」としての
役割はまだ
残っていて、それが
一般に
利用されているのであろう。【6】もしかしたら、
周囲の
人々の「
隠れているな」という
関心を
引かなくなった
分、よりさり
気なく
隠れることが
出来るようになったのかもしれない。
最近対人関係が
淡泊になったと、よく
言われる。
憎むことにも、
愛することにも、さほど
情熱的でなくなったのである。【7】「
君子の
交りは
淡きこと
水の
如し」という
考え
方からすれば、それぞれ
君子の
域に
達したとも
言えるのであるが、
実際にはどうなのだろうか。
私に
言わせれば、それだけ
人々がつつしみ
深くなったというより、むしろ
対人関係のそうしたわずらわしさに
疲れた、という
感じがしてならない。【8】そして、そのこととサングラスが、
無関係ではないように
思えるのだ。
私も
何度かサングラスをかけて
街を
歩いてみたことがある。もちろん
最初のうちは、
自分で
自分のサングラス
姿が
気になって
落ち
着かないのだが、すれ
違う
人々が
誰も
気にしてないのを
知るにつれ、
次第に
或るひそかな
快さを
味わえるようになるのである。【9】
言うまでもなく、
単なる
自己満足には
違いないものの、
何となく
世間から
一歩退いて、それらの
害の
及んでこない
安全地帯を、ひっそりと
歩み
去ることが
出来るような
気がする。
極端なことを
言えば、
塀にあいた
節穴から、
世間というものをのぞき
見している
心境かもしれない。【0】
恐らく、
我々の
内にある
自閉
的な
傾向がそれを
快いと
感じさせるのであろうが、だとすれば
我々は
現在、
人に
見られ、
批評され、こちらからもそれを
返すことによって
形づくられていた
対人関係のわずらわしさから、
一斉に
逃避し、
自分自身の
内側へこもりはじめたのである。しかもかつてなら、
自らサングラスのかげに
隠れようとすると、「
隠れているな」という
人々の
関心を
集め、それらを
罰として
引き
受けなければならなかったのだが、
今はそれもない。
誰でも
自由に、
自分自身を
消すことが
出来るのである。
もちろん、サングラスをかけたからと
言って、
世間からその
人間が
見えなくなるわけではない。かけている
本人が、
世間から
見えなくなっているような、
錯覚を
得るだけである。しかし、
世間から
見てその
人間が、
生々しい
実体であることを、
幾分なりとも
薄れさせることは、
事実であろう。もしかしたら
我々にとって
他の
人間は、サングラスなしで
対面するには、
余りに
刺激が
強すぎるものになりつつあるのかもしれない。
(
別役実『カナダのさけの
笑い』
所収)
長文 4.3週
【1】
現在『
子供』の
問題がたいへん
捉えにくく、なにかと
不気味なのは、
一つには、
社会のなかで
子供についての
或る
一定の
共通了解事項が
成りたなくなったからである。【2】と
同時に「『
子供』の
問題というのはふつうの
問題のように
対象化し
分析的に
捉えていったところであまり
意味をなさないからであろう。いまやいろいろな
領域で
単なる
専門家というものは
役にたないといわれ『
専門馬鹿』などということばさえ
出てくるようになった。【3】けれどもこの
問題は、
一方で
現在ますます
専門的知識が
必要になっているだけに、どう
対処すべきかは
簡単ではない。そしてこの
場合、なによりも
専門的知識の
質あるいは
在り
様が
問われることになる。
【4】
永い
間、
知識とは
無知あるいはタブラ・ラサ(
白紙)に
付け
加えられ、
積み
重ねられたものであり、したがって、より
多く
知ることがより
真理に
近づくことだと
考えられていた。【5】ところが
事実は
必ずしもそうとばかりはならずに、ものを
多く
知ること、
多くの
知識をもつことによって、かえって
私たちの
一人一人は
在るがままにものを
見ることをできなくなるという
事態が
生ずるようになった。【6】
知識が
創造的なかたちで
働かされなくなるようになったといってもよければ、
知識がかえって
疎外的に
働くようになったといってもいい。こういうことは
昔からもなかったわけではない。それは
半可通と
呼ばれる
人たちにはよく
見られたことであるけれど、なんといっても
現在ほどには
問題は
尖鋭化、
一般化していなかった。【7】
現在、こうした
場合に
必要なことはなにか。それは、
専門家であることが、
専門的な
知識を
多くもっていることだけにとどまらず、
専門的な
知識そのものの
弊害を
見破り、それに
囚われないでいることでなければならないだろう。【8】
純粋なあるいは
形式的な
論理からみれば、そういう
作業は
折角つくったものをこわすので、なにもしていないに
等しいようにみえるかも
知れない。しかし、このようなダイナミックな
運動をとおしてはじめて、
私たちは
現実に
触れうることになるのである。【9】これはどのような
分野についても
言いうることだが、とりわけ『
子供』の
問題に
関しては
強調されて
然るべきだろう。それというのも、『
子供』の
問題は、
囚われない
眼で
在るがままに
見なければならないのに、これほど
出来合いの
知識によって
蔽われている
領域はほかにないと
思われるからである。【0】そこでは
多くの
知識が
惰性系つまり『
見えない
制度』と
化しやすいのだ。
そのことがもっとも
極端なかたちで
出てくるのは、『
子供』あるいは『
教育』の
専門家たちによるレッテル
貼り(レイベリング)の
問題である。そして、
専門的な
知識が『
見えない
制度』として
拘束的に
働くとき、その
担い
手(エージェント)になるのが
職業的専門家である。
彼らは
職業的専門家として
一面ではもちろん
有効な
働きをするけれど、
他面ではそのポスト(
地位や
職)を
保守しその
存在意味を
示すために、
逆にわざわざ
仕事をつくり
出すことになる。
知識や
仕事によって
自己を
不必要に
権威づけることになる。その
際、もっとも
問題なのが、
子供たちに
対して
貼る『
非行』や『
落ちこぼれ』
等々というレッテルなのである。
大村英昭氏(『
非行の
社会学』
一九八〇
年)も
言っている。
鑑別所によって、
子供たちは『
非行少年』というレッテルが
公式に
貼られ、
中学や
高校の
学内試験によって『
落ちこぼれ』は
公認のものとなるのだが、そのようにひとたび
貼られたレッテルは、
専門エージェントの
権威によってきわめて
動かしがたく
剥がしがたくなるだろう。しかも
専門エージェントは、
自分のところに
連れてこられた
子供たちになんらかのレッテルを
貼らずにはおかないし、またそのための
専門的知識に
事欠くことはない。そしてしばしば
非行少年を
救い
出すのは、むしろ
専門エージェントの
権威をもたない
人、
俗にいう『
裸の
人間』なのである、と。この
裸の
人間というのが、
専門的知識によって
囚われることのない
眼をもって
相手に
接しうる
人のことを
指すのは
言うまでもない。
長文 4.4週
【
長文が
二つある
場合、
読解問題用の
長文は
一番目の
長文です。】
すなわち、
人間の
社会的欲望には、
他人を
模倣して
他人と
同一の
存在であると
認めてもらいたい
模倣への
欲望と、
他人との
差異を
際立たせて
自己の
独自性を
認めてもらいたい
差異化への
欲望との
二つの
形態があるのである。いずれも、
一体どのような
他人によってどのように
認めてもらうかという
点では
大いに
異なるが、
他人に
認めてもらいたいという
社会的な
欲望である
点では
変りがない。しかも、それらは
往々にして
同一の
個人の
中に
共存している。
当然、このような
社会的欲望の
二つの
形態のちがいに
応じて、モノに
対する
人々の
欲求の
形態も
異なってくる。
模倣への
欲望は、
人々に、
他人が
既に
所有しているモノを
求めさせ、
他人と
同じように
消費させるであろう。また、
差異化への
欲望は、
人々に、
他の
多くの
人が
所有できないモノや
他の
多くの
人が
未だ
所有していないモノを
求めさせ、また
他人と
異なった
仕方で
消費させるであろう。
実際、すべての
人間社会は、それぞれ
独自の
方法で、この
二つの
形態の
社会的欲望の
存在、とくにそのうちの
第二の
形態である
差異化への
欲望に
対処してきたはずである。たとえば、
多くの
共同体的社会においては、
共同体の
内部では
差異化への
欲望は
抑圧され、
外部と
接触する
機会である
祭やポトラッチや
戦争においてのみ
一時的にそれを
満たしていたであろう。また、
階級社会においては、この
差異化への
欲望は
支配者階級のみが
全面的に
満たしうるものであったろう。
実は、
社会的欲望の
対処の
仕方として
今あげた
二つの
例は、それぞれ
大雑把に
言って、
商業資本的な
利潤の
創出方法と
産業資本的な
利潤の
創出方法とに
形式的に
対応しているのである。そして、
外部も
階級差も
失いつつある
現代の
資本主義においても、
利潤の
創出方法と
社会的欲望への
対処の
仕方にやはり
形式的な
対応関係が
見出しうることは、
今までの
議論から
当然察しがつくにちがいない。
現代の
資本主義においては、だれもが
差異化への
欲望をもち、それを
満たしたがっている。
一体どのようにすればよいのか。もちろん、
差異性という
価値をもっている
商品を
買えばよい。だが、そのためには
単に
他人と
異なった
商品を
買っても
意味がない。
他人が
買っていなくて、しかも
他人が
価値あると
認める
商品を
見つけ
出さなければならないのである。もちろん
市場には
商品の
種類は
無数にあり、
犬も
歩けば
棒にあたる。「いや、
広告を
通じて、
棒の
方が
犬に
向ってあたってくる。」そこで、だれかがどこかでそのような
商品に
行き
当たり、
差異化への
欲望を
満足したとしょう。これは、
購買における
一種の
革新である。しかし、その
購買における
革新の
効果も
決して
永続するものではない。なぜならば、ある
人がある
商品を
所有することによって
差異化への
社会的な
欲望を
満足しているということは、
同時に、まだその
商品を
買っていない
他の
人々がそれに
価値を
認めたことでもあるからだ。それは
当然これらの
人々の
心の
中に
模倣への
社会的欲望をひきおこすであろう。それゆえ、
購買力が
許すならば、かれらもその
商品を
買い
始めるにちがいない。その
結果、その
商品の
社会的な
価値はますます
高まり、さらに
多くの
人の
中に
模倣への
欲望をひきおこし、
模倣の
群によって
商品のブームが
生れる。だが、このようなブームの
中で、
次第に
差異性としての
商品の
価値は
失われ、
差異性への
人々の
欲望は
再び
不満足の
状態に
引きもどされる。それゆえ、また
人々は
差異性という
価値をもつ
新たな
商品を
探し
求めていくことになる。そのような
商品が
再び
見出されると、
模倣によるブームがおこり、このブームの
中でその
商品も
差異性という
価値を
失っていく。そしてまた……。
ここでも、
差異性の
発見と
模倣による
差異性の
喪失という、シシフォスの
神話に
似た
反復の
過程が
支配しているのである。それは
結局、
他人に
認められたいという
人間にとっては
絶対的である
社会的欲望が、モノのもつ
差異性という
相対的な
価値を
媒介としてしか
満たされないという、
人間の
欲望のはらむ
根源的なパラドクスの
産物であり、その
部分的で
一時的でしかありえない
解決の
終わることなき
反復なのである。
(
岩井克人『ヴェニスの
商人の
資本論』による)
【1】
近代日本の
悲劇は、
自分を
育て、
自分が
発展させた
文化と、まるでちがった
歴史と
伝統をもつヨーロッパ
文化に
支えられた
文明を、
是が
非でもとりいれなければならぬ
羽目におちこんだというところに、
大きな
原因があるのは、
多くの
人の
説く
通りである。【2】
私たちは、
紀元六世紀にかつて
日本が
圧倒的に
優勢なアジア
大陸の
文化に
接し、それを
模倣することになった
時、どんな
大きな
眩惑を
覚えたか、
今となってはこれを
如実に
心に
浮かべることができない。【3】
混乱は
大きかったに
相違ないし、また、そこには、
彼らのかつて
感じたことのない
深く
大きな
歓喜と
恐れの
入りまじっていた
未聞の
眩惑があったろう。
ところで、
日本が
今も
昔も
先進国を
模倣したといっても、
十九世紀日本がヨーロッパ
文化に
接した
場合と、この
六世紀の
経験とでは、そこにいくつかの
違いがある。【4】
第一に、
私たちの
祖先が
十三世紀以上前に、
大陸文化に
接した
時は、
彼らはほとんど
文化らしい
文化を
何ももっていなかった。
日本には、
文字がなかったし、
鉄器もなく、
第一、こちら
側には
国家の
機構もまだ
整わず、
官僚も
組織されてなかった。【5】
日本人は、
徹底的に
無条件に、
大陸文化をとり
入れざるをえなかった。そうして、その
影響は、『
古事記』のかかれた
八世紀から
計算しても、
十九世紀まで、
十世紀以上におよんだ。
ところが
十九世紀になって、ヨーロッパ
文化が、
日本に
渡来した
時には、
日本はもうまったくの
非文明国ではなかった。【6】そこには、たとえ
荷風のいう
本店と
支店の
関係はあったにしたところで、とにかく、それになりの
宗教、
哲学、
政治、
芸術の
独自の
体系ができあがっていた。だから、
西洋文化の
影響は、
当然、
昔の
場合より、
大きな
抵抗にぶつかったわけだし、
自分の
独立を
救うために
黒船の
前に
降伏を
決意した
日本側の
態度は、ある
種の
条件つきだった。【7】これは、たとえ、
国民の
一部が
昔と
同じ
無条件降伏をすすんで
希望したとしても、なお、
不可避的に、そうならざるをえなかった。そのうえ、この
西洋の
影響は
時間的にみても、まだ
一世紀にもたりない。【8】いまから
半世紀以前に、
荷風がどんなに
苛立ったにせよ、
日本人の
多くが、
根本的に
彼とちがう
目で、
西洋を
見、
日本を
保存していたことは、やむをえないことでもあったわけだ。
(
中略)
模倣が
生産的でありうるということを、
私が
今ここで
詳しくのべる
必要もないであろう。【9】たとえば
漢字の
採用一つとってみても、それが
日本人の
思考の
仕方にどんな
複雑な
得失をあたえたかは、
現代の
日本人を
考える
場合にも、たいせつな
問題を
含んでいる。【0】かりに
七世紀の
日本人が
漢字を
採用しなかったら――というのは、すでに、
愚かしい
設問であるけれども――、
日本はより
独自の
文化を
生みだしていたろうという
結論を
出すことは、
不可能ではないだろう。
二十世紀日本のある
人たちは、
漢字漢文を
採用している
限り、
日本人は
正確にものを
考えることができないと、
主張しているようにみえる。しかし、その
場合の「
正確な
考え
方」という
観点が、すでに
西洋の
影響であって、けっして
日本人の
自発的なものでないことは
別にしても――そうでなければ、
日本人はシナ
文化渡来前は
正確な
考え
方をしていたことになるはずだが、そんなことは
滑稽である――、
現代の
日本人のなかには、すでに、そういう「
正確な
考え
方」をしている
人びとがいる。その
人たちは、すべて、
西洋の
考え
方を
消化し
身につけているから、
漢字と
漢文を
本店とする
国文・
日本文をもって、
正確に
考える
力をもつようになったのだ。しかし、
彼はその
能力を
身につけるまでには、
漢字の
模倣にはじまった
日本語の
働きが
不可欠だった。
簡単にいってしまえば、
今の
日本語の
状態にしても、
考えるべきことは
考えられるのだ。ただ、それには、
現在では「
西洋」の
消化を
絶対に
必要とする。「わが
日本は
今も
昔も、
先進国の
模倣による」
必要がある
所以だ。
(
吉田秀和『
荷風を
読んで』より、
一部改変。)
長文 5.1週
【
一番目の
長文は
暗唱用の
長文で、
二番目の
長文は
課題の
長文です。】
【1】
文化の
発展には
民族というものが
基礎とならねばならぬ。
民族的統一を
形成するものは
風俗慣習等種々なる
生活様式を
挙げることができるであろうが、
言語というものがその
最大な
要素でなければならない。【2】
故に
優秀な
民族は
優秀な
言語を
有つ。ギリシャ
語は
哲学に
適し、ラティン
語は
法律に
適するといわれる。
日本語は
何に
適するか。
私はなおかかる
問題について
考えて
見たことはないが、
一例をいえば、
俳句という
如きものは、とても
外国語には
訳のできないものではないかと
思う。【3】それは
日本語によってのみ
表現し
得る
美であり、
大きくいえば
日本人の
人生観、
世界観の
特色を
示しているともいえる。
日本人の
物の
見方考え
方の
特色は、
現実の
中に
無限を
掴むにあるのである。【4】しかし
我々は
単に
俳句の
如きものの
美を
誇りとするに
安んずることなく、
我々の
物の
見方考え
方を
深めて、
我々の
心の
底から
雄大な
文学や
深遠な
哲学を
生み
出すよう
努力せなければならない。【5】
我々は
腹の
底から
物事を
深く
考え
大きく
組織して
行くと
共に、
我々の
国語をして
自ら
世界歴史において
他に
類のない
人生観、
世界観を
表現する
特色ある
言語たらしめねばならない。
本当に
物事を
考えて
真に
或物を
掴めば、
自ら
他によって
表現することのできない
言表が
出て
来るものである。
【6】
日本語ほど、
他の
国語を
取り
入れてそのまま
日本化する
言語は
少ないであろう。
久しい
間、
我々は
漢文をそのままに
読み、
多くの
学者は
漢文書き
下しによって、
否、
漢文そのものによって
自己の
思想を
発表して
来た。【7】それは
一面に
純なる
生きた
日本語の
発展を
妨げたともいい
得るであろう。しかし
一面には
我々の
国語の
自在性というものを
考えることもできる。
私は
復古癖の
人のように、
徒らに
言語の
純粋性を
主張して、
強いて
古き
言語や
語法によって
今日の
思想をい
表そうとするものに
同意することはできない。【8】
無論、
古語というものは
我々の
言語の
源であり、
我が
民族の
成立と
共に、
我が
国語の
言語的精神もそこに
形成せられたものとして、
何処までも
深く
研究すべきはいうまでもない。しかし
言語というものは
生きたものということを
忘れてはならない。【9】『
源氏』などの
中にも、
如何に
多くの
漢字がそのまま
発音を
丸めて
用いられていることよ。また
蕪村が
俳句の
中に
漢語を
取り
入れた
如く、
外国語の
語法でも
日本化することができるかも
知れない。ただ、その
消化如何にあるのである。【0】
「
国語の
自在性」(
西田幾多郎)
【1】
固有名詞が、その
固有の
意味においてはっきりと
姿をあらわすのは、かれ/
彼女が、
父と
母だけでなく(
父も
母も、そのこどもにとっては
一つしかないものだから、
太陽や
月が
固有名詞であるかどうかという、
文法学者の
古典的な
議論と
同様に、
純粋に
普通名詞でもなければ
固有名詞でもない)、【2】きょうだいや
遊び
仲間をもち、あるいは
保育園や
学校のようなところに
通って
社会生活をはじめたときである。かれ/
彼女は、
自分だけでなく、
他者も、それぞれが
名をもつことを
知る。
逆説的なようだが、
固有名詞があるというそのことが、
言葉が
本来的に
社会的なものであるということの
証拠になるのである。
【3】
現代社会では、
人やものが
固有名詞で
呼ばれるものであり、また
呼ばれなければならないということは、
経験を
通じて
徐々に
学ばれるのではなく、たとえばこどもに
入学した
学校の
名をおぼえさせることによって
一挙に
教えこまれるのである。【4】この
過程を
通じて、こどもは、
自分は
一つの
制度の
中にくり
入れられ、ある
組織に
所属するのだという
意識を
植えつけられるから、
固有名詞はこどもを
社会化するための
基本的な
道具となり、
人間は
死ぬまで
固有名詞の
支配下に
置かれるのである。【5】
言語(ここに
言う
言語とは、
人間はことばを
話す
動物であるというばあいの
一般的な
言語と、
人間は
何々
語という、
特定の
言語しか
話すものではないという
意味での
言語との
二重の
意味においてである)が
人間に
与えられた
宿命であるとするならば、
固有名詞は、
宿命としての
言語の
本質的部分を
体現していることになる。
【6】まことに
固有名詞こそは、
人類が
決して
一つではなく、さまざまな
名前――
固有名詞をもって
分かれ、それぞれが
自分あるいは
自分たちに
対立するものであるということを
思い
知らせ、
相互のちがいをいやが
上にもきわ
立たせ、それを
固定させる
道具である。【7】
名前、
固有名詞こそは、ことばの
中でも
抜きん
出た
地位を
占めていて、これこそことばの
中のことば、
名詞の
中の
名詞だと
言ってもいいくらいである。
人間は
生きている
間のほとんどの
時間を、
名前とともに
生き、
苦しみ、
争ってきたと
言えるのである。【8】そのために、どれだけ
多くの
人が、
名前から
逃れたいと
思っただろうか。――
自分自身とその
家族の
名前から、
国家や
民族の
名前、
出身地の
名前等々から。
ところが、ことばの
科学――たとえば
言語学は、
名前については
本気で
科学しなかった。はじめから、それは
科学できないものとしてとり
除いてしまったのである。
【9】とり
除いた
理由の
一つは、
方法論がそうするよう
求めたからである。そのことと
深いつながりがあるのだが、
名前――
固有名詞の
問題を、ひたすら
普通名詞、
一般名詞といかにちがうかを
考えるにとどまり、
社会のコンテキストに
置いて
考えることをしなかったためである。【0】ことばや
記号は
認識論上の
問題に
限定され、はじめから、
社会から
切りはなされていたのである。
また
代々の
文法家や
論理学者たちは、
固有名詞の
本来の
機能は、それが
何かあるものを
一つしかないものとして
孤立させて
指し
示すところにあると
言いつづけてきた。
純粋の
固有性というものをそのようなものとして
考えてきたからである。
(
中略)
このように
考えてみると、まさに、
名前に、アイデンティティというものの
二重性がある――
自分は
自分であって、それ
以外のものではあり
得ないと
主張される
自分は、
他方ではどこかに
所属している(どこにも
所属しないことが、すでに
所属である。
人はこの
独得の
所属のしかたにもまた
名をつけるであろうから)あるいは
所属せざるを
得ないというこの
原理は、
名づけ、すなわち、ことばの
原理そのものから
発しているように
思われる。
人間の
名前がその
所属を
示すように(もう
一度強調しておけば、その
名前は、ある
特定の
言語に
属すからだ。このことは
忘れないでおこう)、
山も
河も
海も、
名づけられると
同時に、その
領有への
主張が
背後にすべり
込む。こうして
固有名詞は、たちまち
緊張した
政治の
磁場を
作り
出すのである。
(
田中克彦「
名前と
人間」による)
長文 5.2週
【1】
魏志倭人伝によると、
当時、
海をわたって
中国と
交通する
際に、
必ず
持衰と
称する
男を
一人伴っていたという。この
男は、
航海中決して
頭を
梳らず、のみ、しらみを
取らず、
衣服を
洗わず、
肉を
食わず、
婦人に
近づかず、
服喪中のひとのようであった。【2】
無事に
航海が
終わって
港に
着けば
数々の
財物を
与えられたが、
暴風に
会ったりして
難破すると
直ちに
殺されてしまった。こういう
役割の
男を
持衰といったのである。
記録に
残されているところは
以上の
通りである。【3】
持衰とよばれるこの
男はどうやら
一種のシャーマンであって、
航海の
安全を
祈ったものであろう。シャーマンというものは、
成功してはじめて
評価されるもので、
失敗すればたちどころに
殺されてしまう。
殺されることが
呪力の
持続の
保証でもあったわけである。
【4】ところで、いかに
呪力を
持ったシャーマンとはいえ、
航海中に
一定の
禁忌を
守りさえすれば、
船が
目的地に
安着するというのはどういうことなのであろうか。それは
時の
持続、
出発地の
時間が
目的地まで
持続すること、そういう
流れない
時のシンボルなのではなかったろうか。【5】】あるいは、そういう
時の
演劇的表現が
持衰だったといってもよい。そして、そういった
場合には、
演劇的表現を
生む
以前のある
時期には、
流れない
時のリアリティーがすべての
人々に
実感されていたに
違いないのである。
【6】
流れない
時、
時間をこえた
時、そういう
時はたしかにあった。
創造というのは、そういう
時に
出逢うことである。
竜宮城の
浦島太郎はこういう
時を
日常の
時として
不老不死であったが、
故郷に
帰って
玉手箱を
開けたとたんに、
一挙に
時間が
流れ
去ったのであった。【7】
山川の
流れにも、
淀むときがあり、
早瀬となって
走るときがある。
表層の
水は
白く
泡立って
流れていても、
深層の
水は
静かにたたえている。そういうことがある。
時間も
同じことである。
時について
考えるには、
時をまずその
原初の
意味においてとらえ
直す
必要がある。【8】そうすると、
時は『もの』である。
手でつかまえることのできる『もの』、
眼で
見、
耳で
聞くことのできる『もの』である。
時はタンジブルなものである。
桜の
花の
咲く
時、
梅の
実の
黄ばむ
時である。そういう
時に
逢う
時、それが
時である。
古池や
蛙とびこむバシャッという
音、それが
時である。【9】『もの』を
離れて
時はない。
かつて
北部ラオスの
村で
調査していたときのことである。
毎日、
村の
家々を
訪ねて
家族のあり
方を
聞いてまわっていた。ラオ
語がよくできなかったから、
簡単な
質問ですむ
調査を
手始めにえらんだのである。【0】「あなたは
今年、
何歳ですか」「あなたの
奥さんはどの
村で
生まれましたか」「
長男の
名前は……、
年齢は……」といった
質問を
繰り
返していた。
ところが、
村びとは
子供の
年齢をよく
知らない。「
一番下の
子は
何という
名前でしたか」「サオ・ボーアです」「サオ・ボーアは
何歳ですか」「サアー、お
前、サオ・ボーアは
幾つだったかナー」と
傍らの
奥さんに
聞く
始末である。しかし、それでもわからない。そうすると
遊んでいた
子供を
呼びもどす。「
先生、サオ・ボーアはこの
子ですよ。
何歳だと
思いますか」
私はびっくりしてしまう。
何歳と
思うかと
私に
聞かれてもどうしようもない。
親が
娘の
年齢を
知らないのだから、
私が
知るはずはないではないか。そう
思った。
文化の
低いところは
困ったものだ。そう
思ったこともある。しかし、その
後、
考え
直してみると、
問われている
本人を
呼びにやって
質問者の
眼の
前に
連れてきたのである。
本人が
私の
前に
立っているのである。これほど
確かなことがあろうか。(
中略)
時は、あるいは
時間は、われわれの
人生がその
上に
展開する
座標ではない。
最近、
宇宙船地球号というイメージが
普及している。そういうイメージからすると、この
地球に
住む
約三十八億の
人間がそれぞれ
腕に
腕時計をはめて
宇宙空間をただよっているような
気分になるが、
実はそんなことはない。
日本の
時間とボルネオの
時間とは
違うし、
現代の
時間と
古代の
時間はちがう。
私の
時とあなたの
時はちがう。
時間は
決して
一つになってはいない。
長文 5.3週
【1】ロボットは
人間かと
問うのは、ロボットにも
心とか
意識といったものがあるかと
問うことである。うまそうに
食事をしているロボットは、
本当に
空腹を
感じ、
食欲をもち、そして
味わっているのだろうか、あるいは
単にすべてただ「
振りをしている」だけなのだろうか。【2】
歯医者の
椅子の
上でうめき
声をあげているロボットは
本当に
痛がっているのだろうか。ただ
痛そうな
振りをしているだけではないのか。
だがこの
問いに
答える
方法があるだろうか。ロボットに「
本当に
痛いのか」と
尋ねればもちろんのこと、「
間抜けたことを
言うな、
痛いったら
痛いんだ」と
答えるだろう【3】(そしてその
夜、
日記に、
差別待遇をうけて
心が
痛んだ、と
記すかもしれない)。
嘘発見器につないでも
人間の
場合とは
違う
反応であろうがともかく
嘘をついているときのロボットとは
違う
正常な
反応を
示すだろう。【4】
切開をすれば
人間の
神経繊維と
比べれば
不細工な
金属線があり、それにパルス
電流が
流れているのが
検出されよう。そして、
学のあるロボットならば、それがロボットの
痛覚神経なのだと
言うだろう。
結局のところ
決め
手はないのである。【5】それは
現在の
科学や
技術の
段階では
決め
手はない、というのではなく
未来永劫ないのである。
痛いとかうまいということは
細胞の
興奮とか
神経伝導などとは
全く
別種のことだからである。だからそれを
生理学的なあるいは
工学的な
検査法で
検出しようというのが
土台そもそも
的外れなのである。(
中略)
【6】
私の
知っている
痛みはただ
私自身が
感じるものとしてのものである。それを
他人に
移植する、つまり
他人がそれを
感じると
想像することは
実は
不可能なのではないか。
実数の
間の
大小を
複素数の
間に
移植したり、
将棋の
王手や
成り
駒を
碁に
移植することが
不可能なように。【7】
私は
他人が
私の
経験に
似た
経験をしていると
想像しているつもりでも
実は
想像しているのはその
他人になり
変わった
私自身なのではあるまいか。そして
想像の
中であっても
私は
終始私であって
彼ではない。
私に
想像可能なのは、
彼の
立場にある
私の
痛みであって
彼の
痛みではない。(
中略)
【8】
人が
激痛でうずくまり
冷や
汗を
流している。だが
正直なところ
私自身は
少しも
痛くない。
痛くもかゆくもない。だが
私は
心痛する。しかし
私は
彼が
痛い、ということを
想像していはしない。その
想像は
不可能だからである。【9】
私が
想像しているのは
彼になり
変わった
私の
痛みである。しかしだといって
私はこの
想像上の
私の
痛みに
心痛しているのではない(
想像された
痛みは
少しも
痛くない)。そうではなく
私の
心痛の
対象はまさに
彼なのである。【0】
この
一見まことに
奇妙な
状況、この
状況をわれわれの
言葉では「
彼が
痛がっている」と
言うのである。この
状況の
中で、
彼になり
変わった
想像上の
私が、
彼を
眺めている
私と
苦しそうな
彼との
間を
飛びかっている。そして
陽子と
中性子の
間を
飛びかう
中間子がその
陽子と
中性子とを
固く
結びつけるように、この
飛びかう
想像上の
私が
現実の
私と
彼とを「
人間仲間」として
結びつけているのである。だからこの
飛びかいが
失われたならば
私にとって
彼は「
人」でなくなる。そして
私の
方は
離人症と
言われるだろう。
幸い
今のところ
私は
離人症ではない。それは
私が
生まれてこのかた
長年人中で
暮らしてきたおかげで
身についた
態度なのである(
狼少年ならばこの
態度を
持たないだろう)。そしてもし
私が
長年ロボットと
人間らしい
付き
合いを
続けたならば、ロボットに
対しても
恐らくこの
態度をとるだろう。そのとき
私にとってそのロボットは「
人」なのであり、
心も
意識もある「
人間」なのである。
これはアニミズムと
呼ばれていいし、むしろそう
呼ばれるべきであろう。
木石であろうと
人間であろうとロボットであろうとそれら
自体としては
心あるものでも
心なきものでもない。
私がそれらといかに
交わりいかに
暮らすかによってそれらは
心あるものにも
心なきものにもなるのである。それに
応じて
私もまた「
人間」になるのである。
(
大森荘蔵『
流れとよどみ』による)
長文 5.4週
【
長文が
二つある
場合、
読解問題用の
長文は
一番目の
長文です。】
さらに、
人格を
形成していくための
重要な
場所として、かつては
技術の
修得が
今日よりもはるかに
重い
手応えを
持っていました。
現在も
技術の
修得が
人間を
作っていることは
事実ですが、しかし、これもまた、
残念ながらその
重さの
点で
戦線を
縮小しつつあるといわなければなりません。たとえば、
昔は
大工さんになるためには
一生の
努力を
必要とするといわれたもので、
私のうちへ
時たま
来てくれる
大工さんは
三十年のベテランですが、そういう
人が、「
大工というものは
一生修行ですよ」と
今でもいっています。しかし、その
後で
彼は
頭をかいて、「
今どきこんなこといっていると、
時代からとり
残されますがね」とつけたすのです。
というのは、
現代では
技術そのものが
現実体験ではなくて、
情報化された
一種の
知識の
組み
合わせになっていて、その
分だけたいへん
修得しやすいかたちに
変わっているからです。
早い
話が、
板というもの
一枚を
取り
上げても、
昔の
板は
人間が
鉋を
握って、その
鉋を
動かす
自分の
腕を
通して
体験する
本当のものでありました。しかし、
現在の
板はほとんどが
合成樹脂で、
鉋や
手は
必要ではなく、いわば、
人間の
目さえあればそれで
用のすむ
存在になりつつあります。
一枚の
板がものであることをやめて、しだいに
板のイメージ、すなわち
一種の
情報になりつつあるわけです。
そうなると、それを
扱う
個人の
技術はいちじるしく
単純化されて、
肉体に
触れる
体験の
領域が
小さくなって
来ます。
今日、
技術の
修得は
一生の
仕事だという
人は、だんだん
少なくなり、だいたい
免許証をもらえば、
技術はそれで
完全に
習得されたことになっています。
料理人や
理髪師、
自動車の
運転手に
学校教師、すべて
免許証をもらえば、
彼にとって
職業および
技術の
修得段階は
終りだという
意識が
拡がっています。
現に、それさえ
持っていればまず
最低限度の
生活はできるわけですが、その
代わり、その
技術をさらに
伸ばして、
彼独特の
技術にする
楽しみもなくなりました。
(
中略)
職業のことをドイツ
語ではベルーフ(Beruf)といいますが、ベルーフとは「
神の
呼び
声」という
意味です。
日本語にも「
天職」ということばがあるわけで、
職業とは
食うために
勝手に
人間が
選ぶものではなく、
最終的には
運命か、あるいは
神が
人間をそこへ
呼びこむものだ、という
考えが
伝統的にありました。それほど
職業には
神秘的といってよいほどの
重みがおかれていたのですが、そのひとつの
理由は、
人間が
職業訓練の
中で
意識的な
知識以上のものを
獲得する、という
事実ではなかったでしょうか。ものに
触れる
体験というものは、たんなる
知識の
学習とは
違って、
人間が
自分で
意識できない
自己の
部分を
豊かにします。
鉋で
板を
削って
十年、
二十年を
過ごすということは、
彼の
肉体の
思いがけない
部分をふとらせることもあるし、「
職人気質」などという、いわくいい
難い
精神の
部分を
養うこともあります。じつは、
人間の
個性とはそうした
無意識なものの
集積として
生まれるものであり、この
部分こそ
個人の
中で
真に
交換不可能な
要素だというべきでしょう。
これに
対して、
現代の
現実が
情報化していくということは、いいかえれば、
現実のすべてが
知識化していくことであり、その
内部の
意識を
越えた
部分が
消滅しつつある、ということだといえるでしょう。そして、それにつれて、
現実とかかわる
人間もまた
情報化され、
肉体も
気質も
持たない
観念的な
存在に
変質しつつあるわけです。ひとつの
中心を
持ち、
有機的な
統一を
持った「
私」としての
人間が
解体し、
巨大で、しかし
全体像の
見えない、
奇妙な
機械の
部分品になりつつあるのが
現代だと
見るべきでしょう。
(
山崎正和『
混沌からの
表現』による)
【1】
芭蕉はこう
言っている――
連句の
席にのぞんだときには、
文机を
前にして
間髪を
入れず
句を
作るのであって、
迷っては
駄目である。
作りおわって
文机から
句を
引きおろせば、すでにそれは
反故でしかない。【2】――もちろんこれは、その
一瞬に
持てる
力量のすべてを
燃やしきらねばならないという
意味であり、
誰にも
首肯できる
作者の
覚悟だが、しかしそれとは
別に、そこで
成った
句は、いかに
名作であっても「
文台引おろせば
即反故也」なのだろうか。【3】おそらくこの
言葉も、
名作は
記録されて
後にのこるということと
別に
矛盾する
言説ではあるまい。
作品が
録されて
後世に
伝わる、すなわち
俳諧の
歴史と、
俳諧の
場はその
成立の
一瞬の
中にあるというのとは、
別次元の
出来事であり、ここで
芭蕉が
言いたかったのは
歴史ではなく、「
場」というものが
俳諧には
不可避であるという
一事にほかならなかった。【4】そう
思うと「
文台引おろせば
即反故也」は、
芭蕉の
時間感覚の
中に、「
場」を
含む
形で
時間が
流れつづけていたことの
証言と
受け
取れよう。
「
場」といっても、
空間的拡がりの
形態をとった「
場」を
思い
描いてみることはたやすい。【5】
空間的な
延長線が、
特定の
原理基準に
基づいて
限定され、
塞き
止められて
囲壁や
枠ができれば、すぐに「
場」が
成立する。「
場」は
限定、
区劃されているが、
固定してはいずに
絶えず
更新され、
変形してゆくものでもある。【6】「
場」は
地盤ではない。そこからすれば、「
場」は
時間的な「
場」でもあるだろう。
芭蕉の『おくのほそ
道』の
旅も、
絶えず
入れ
替り
改まる「
場」を
方々と
求めたさすらいの
歩みであったが、これについては
後で
考えてゆくことにしたい。【7】その
旅先で
土地の
俳人にもてなされ、
人々寄り
集って
一巻の
歌仙を
巻いた
情景ともなれば、
明らかに
連衆によって
形づくられた「
場」が
見えてくるし、
従前からこの「
場」は「
座」として
語られてきた。
(
中略)
【8】
一年三百六十五日、この
物理的な
年の
長さにおいて、
祝祭の
時間の
占める
割合はごく
僅か、
短いのが
通例であろう。
長々といつまでも
祭が
続き、
終ったとも
終っていないとも
取れる
曖昧さが
生じたりすれば
祭は
堕落、
変質する。【9】
祭の
特色は
時間的に
限定され、
純粋であることであり、
短い
時間のあいだしか
持続しないことである。たとえ
数日に
亙って
祭が
催されても、
過ぎたあとで
思い
返してみれば、
短かった、あっという
間に
過ぎ
去ったという
一抹の
思いが
残るのが
祭なのだ。【0】「
褻」に
対して「
晴」の
時間が、「
俗」に
対して「
聖」の
時間が
負ったのは、
内的な
魔性の
霊力とその
時間的な
短さである。
一瞬の
燃焼のうちにすべてが
成るか
然らざれば
無という
極点的な
思想までも
含めて、そこには
短いもの、
小なるものへと
向かって
凝縮してゆく
力がはたらいている。
松尾芭蕉は
俳諧と
名付けられる
詩のわざに
時間的な「
場」を
設定したが、そのことを
通じて――
時間の
構造を
通じて――
小なるものに
封じ
込められた
重さを
感じとっていた。それが
彼の
詩人的な
存在理法についての
認識であったという
風に
私は
解したい。
(
高橋英夫『ミクロコスモス――
松尾芭蕉に
向って』より)
長文 6.1週
【
一番目の
長文は
暗唱用の
長文で、
二番目の
長文は
課題の
長文です。】
【1】
経済学の
父アダム・スミスはこう
述べています。「
通常、
個人は
自分の
安全と
利得だけを
意図している。だが、
彼は
見えざる
手に
導かれて、
自分の
意図しなかった
公共の
目的を
促進することになる」。【2】ここでスミスが「
見えざる
手」と
呼んだのは、
資本主義を
律する
市場機構のことです。
資本主義社会においては、
自己利益の
追求こそが
社会全体の
利益を
増進するのだと
言っているのです。
【3】
経済学者の「
悪魔」ぶりがもっとも
顕著に
発揮されるのは、
環境問題に
関してでしょう。
多くの
人にとって、
資本主義が
前提とする
私的所有制こそ
諸悪の
根源です。
環境破壊とは、
私的所有制の
下での
個人や
企業の
自己利益の
追求によって
引き
起こされると
思っているはずです。
【4】だが、
経済学者はそのような
常識を
逆なでします。
私的所有制とは、まさに
環境問題を
解決するために
導入された
制度だと
言うのです。
【5】『かつて
人類は
誰のものでもない
草原で
自由に
家畜を
放牧していました。
家畜を
一頭増やせば、それだけ
多く
肉や
皮やミルクがとれます。
草原は
誰のものでもないので、
家畜が
食べる
牧草はタダです。【6】
確かに
一頭増えれば
他の
家畜が
食べる
牧草が
減り、その
発育に
影響しますが、
自由に
放牧されている
家畜の
中で
自分の
家畜が
占める
割合は
微々たるものです。それゆえ、
人々は
草原に
牧草がある
限り、
自分の
家畜を
増やしていくことになります。【7】その
結果、
牧草は
次第に
枯渇し、いつの
日か
無数の
痩せこけた
家畜がわずかに
残された
牧草を
求めて
争い
合う
事態が
到来することになると
言うのです。』
【8】これこそ「
元祖」
環境問題です。そして
経済学者は、それは、
自然のままの
草原が
誰の
所有でもない
共有地であるがゆえの
悲劇であると
主張します。【9】
環境問題とは「
共有地の
悲劇」だと
言うのです。
『
事実もし
草原が
分割され、その
一画を
牧場として
所有するようになると、その
中の
家畜はすべて「
自分の」
家畜となります。【0】その
時さらに
一頭飼うかどうかは、その
一頭が
新たに
牧草を
食べることによって、
牧場内の
他の
家畜の
発育がどれだけ
影響を
受けるかを
勘案して
決めるようになるはずです。もはや
牧草はタダではありません。
他人に
牧場を
貸したり
売ったりする
時でも、その
中の
牧草の
価値に
応じた
賃料や
価格を
請求するようになるはずです。
牧草は
合理的に
管理され、
共有地の
悲劇から
救われることになります。
私的所有制の
下での
自己利益の
追求こそが
環境破壊を
防止することになると
言うわけです。」
「
悪魔」の
一員だけあって、
経済学者の
論理は
完璧です(
私自身この
論理を
三十年間教えてきました)。
実際、
一九九七年の
地球温暖化防止に
関する
京都議定書は、この
論理を
取り
入れました。
先進諸国に
温暖化ガスの
排出枠を
権利として
割り
当て、その
過不足を
売買することを
条件付きで
許したのです。
ここでは
温暖化ガスが
汚染する
大気は
家畜が
食べ
荒らす
牧草に
対応し、
各国が
売買しうる
排出枠は
牧畜家が
所有する
牧場に
対応しています。すなわち、それは
大気という
自然環境に
一種の
所有権を
設定することによって、それが
共有地である
限り
進行していく
温暖化という
悲劇を
解決しようとしているのです。
では、これで
環境問題はすべてめでたく
解決するのでしょうか?
答えは「
否」です。わが
人類は
不幸にも、
経済学者の
論理が
作動しえない
共有地を
抱えているのです。
それは「
未来世代」の
環境です。
(
岩井克人「
未来世代への
責任――
経済学の「
論理」と
環境問題の「
倫理」――」による)
【1】
能を
見るとわかるが、
能役者の
足の
動きは
独特である。スーッと
一歩足が
出る
時は
足の
指が
全て
内側へまがっている。しかも
出きるまでは
舞台の
板にぴったりとはりついている。ところが
足が
出きったところでスーッとつま
先が
板をはなれて、かかとを
板につけたまま
足が
空中にうく。【2】そのときは
足の
指が
全部真直ぐになる。そしてそうなった
足がポンと
舞台の
板へおちるのである。
この
足のはこびができない。いくら
稽古してもできない。ところがほかのことにはやかましい
師匠がこのことだけはなにも
注意しないのである。【3】
後で
考えるとこの
足の
動きは
体全体の
構えができると
自然にできるらしいので、
体全体の
構えもできないうちに
足だけできるわけがないから
注意しなかったらしいのだが、
私はそんなことはわからないから、なんとか
覚えたいと
思った。【4】
私がそう
思ったのは、
師匠の
足が
実にきれいだからであったし、たまたま
見につれて
行かれた
師匠の
師匠であった
梅若実の
舞台の
足がたとえようもなく
美しいものだったからである。
私は
足の
動きに
魂をうばわれたといってもいい。あの
足、あの
動き、あれができたらなアといつも
思った。(
中略)
【5】
日常現実の
生活では、
人間は
絶対にあんな
足の
動きはしない。あの
足の
動きは
不自然でグロテスクで
普通の
人間の
足というものの
働きを
封じこめ、
拒否している。この
拒否の
地点に
実は、どんな
役にも
変化する
変換の
構造が
仕掛けられている。【6】あの
何者にもなりうる
白紙の
可能性とは、
逆にいえば
何者にもならないということをふくんでいるのであり、その
前提にはきびしい
自己否定がある。その
前提があり、
前提があるゆえに
変換の
構造が
成立している。【7】そして
変換の
構造があるからこそ、
能役者は
観客の
目の
前で
女から
急に
男になったり、
化けものだと
思うとたちまち
人間になったりできるのである。
そしてこの
構造に
対置しているもう
一つの
関係は、
型とその
型の
美しさである。【8】
大体私はこんな
理屈を
考えながら
師匠や
梅若実の
足を
見ていたのではない。
私が
夢中になって
足を
見ていたのは、ひたすら
足の
動きが
美しかったからである。そこには
人の
心を
奪う
異様な
力がある。そしてその
力を
追求していくとそこに
型というものがうかび
上がる。【9】
私にとってはこの
道筋は
変えようがないものだったが
実をいうと
逆かも
知れない。
型をくりかえしているうちにあの
力が
生まれる。あの
力が
型を
生むのではなくて、
型が
力を
生む。
実際にはそういうことだろう。
型へ
体をはめこむことによって
型をこえる
力に
到達する。【0】しかしどっちにしても
型がなければ、
力はうまれようがない。
型こそが
全てを
可能にするのであり、
自然の、あるいは
現実の
体というものを
能役者が
拒否できる
根拠は、この
型というものなのである。
これが
日本人の
少なくとも
能役者の
考え
出した
身体に
対する
思想である。この
思想のもとには、
人間の
自然、
身体というものへの
否定がある。
身体の
生理というものが
穢れたものだという
考えがそこにあるのだろう。そういうことを
考えると
私はいつも
明治の
批評家の
言葉を
思い
出す。
日本人の
日常生活にようやく
洋服が
浸透してきた
時に、この
批評家は
洋服は
体の
線があらわになるから
浅ましいといったのである。
今ならばなぜ
人間の
体の
線が
浅ましいかということになるだろう。しかし、それが
日本人のながい
間の
考え
方であった。そうだったからこそ
日本人の
衣服というものは、
体の
線をかくすようにかくすようにと
発達もしてきたし、そこに
独特の
美学をもちつづけてきた。(
中略)
この
身体の
思想は
西欧近代のたとえばデカルトの
示した
精神と
肉体の
二元論とは、
全く
対照的なものである。
精神と
肉体が
全く
別の
次元にあるのではなく、
現実の
肉体をこえてあらわれたもう
一つの
身体というものが、
実は
精神的なものだったからである。その
体ははじめから
日常自然の
体を
拒否し、その
体をこえることによって
身体というものに
対する
意識をかえる。
精神と
肉体を
止揚するというような
弁証法的なものですらない。その
身体自体がすでに
精神的なものであり、だから
精神とのコミュニケーションというようなことが
可能なのである。
(
渡辺保『
舞台という
神話』による)
長文 6.2週
【1】コンピュータにかぎらず、
複雑なハイテク
機器を
自由に
使いこなすということは
容易なことではない。しかしだからといって、そういう
機器を
使いこなせる
人は、「
機械につよい
人」だけだとして、「ふつうの
人」や「
機械によわい
人」は「
使えなくて
当たりまえ」と
考えたり、【2】「
使えないのは
本人が
不器用だからだ」とか「
頭が
悪いからだ」としてあきらめていたのでは、
世の
中はちっともよくならないだろう。いつまでも、わけのわからない、
使い
勝手の
悪い
製品が
市場にあふれ、ごく
一部の
人たちだけが
技術の
成果を
享受しているにとどまってしまう。
【3】ここはやはり
発想を
変えて、「
使いにくい、わかりにくいのは
機械が
悪い」と、
堂々と
言える
文化を
創り
出す
必要がある。(
中略)
本来は、ほんとうのシロウトこそが「
王様」なのだ。そういうフツウの
人が「
使いにくい
機械」は、まさに「
機械がわるい」のであり、そういう
機械を
平気で
世に
出すメーカーが
悪いのだ。【4】しかも、
宣伝では「
誰でもすぐ
使える」だの、「
何にも
知らんけど、やってみよう」などと
言い、コンピュータとはおよそ
縁のなさそうな
芸能タレントが
得意げにコンピュータを
操作しているテレビコマーシャルを
流しているが、【5】いざ
買ってみたものの、どうしていいかわからず、
途方にくれる
消費者が
続出しているという
事態は、
放っておいていいことではない。
今日のコンピュータを
中心としたテクノロジーの
横暴さを
人間の
立場から
批判し、
方向付けを
示すということは、
実はユーザー(つまり
一般市民)の
責任なのである。【6】「テクノロジーは
本来人間のためであり、
使いやすく、わかりやすいものであるべきだ」ということ、「
間違えたり、
勘違いしたりすることは、
機械のほうを
改善すべきことなのだ」ということを、きちんと
自覚して、メーカーにうったえ、
子どもたちにもはっきり
教えておくべきである。
【7】このためになによりもまずテクノロジーの
産物としての
道具は、すべて
人間にとって
使いやすく、
親しみやすく、
身体に「
馴染みやすい」ものであるべきだという
考えをはっきり
表明し、しっかりほりさげておくべきであろう。【8】このような
考え
方は、
一般的にはユーザー
中心主義とよばれている。
さて、ここで
手始めに、ユーザーの
側から
道具に
対する
注文をつけてみよう。
道具というのは、ユーザーの
勝手な
注文としては、
少なくとも
次の
三つの
条件を
満たしてほしい。
【9】(1)
道具は
人間の
代用物ではないし、
人間に「かくあるべし」とか「こうすべきだ」という
価値判断の
基準を
示すものであってはならない。(
規範性)
(2)
道具は
人が
何かの
作業(
当然それは
道具の「
外」の
世界の
仕事)を
達成しようとしたとき、その
達成を
支援する
手段として
有効に
機能してくれるものでなければならない。(
手段性)【0】
(3)
道具はしばらく
使っているうちに「
使っている」という
意識がなくなり、それを
使って
実行している
作業そのものに
集中できるものでなければならない。(
透明性)
コンピュータが
道具だと
主張することは、
当然これらの
条件、すなわち
規範性、
手段性、そして
透明性の
条件を
満たすべきだということである。
このような
道具観は、
青山学院大学の
鈴木宏昭氏によると、「
奴隷としての」
道具観だという。
要するに「
主人に
命令するな、でしゃばるな、やるべきことは
気づかないところでだまってやれ」と
注文しているようなものだという。
鈴木氏によると、
人びとのこういう
道具観は、ちょっと
複雑な
道具になると、「こんなもの
使えん」といって
投げ
出したり、そうかと
思うと
逆に、「
手なずける」ためには、
講習会かなにかで「
徹底訓練」を
受けるしかないと
思い
込むことになるのだという。
これは、たしかにもっともな
主張であるが、ともかく、コンピュータをなんだかすごい「
知能」をもった
機械だとか、おそるおそる「ごきげんをうかがう」べきご
主人さまというようなイメージが
根強いときには、「ほんとうは、しょせん
道具なんですよ。あなた
自身が
主人なんですよ」という
発想をしてみることから、コンピュータのあり
方を
考えてみるのは
十分意味があるだろう。
長文 6.3週
【1】
井戸端園の
若旦那が、ある
日、
私に
話してくれました。
「
施肥が
充分で
栄養状態のいい
茶の
木には、
花がほとんど
咲きません。」
花は、
言うまでもなく
植物の
繁殖器官、
次の
世代へ
生命を
受け
継がせるための
種子をつくる
器官です。【2】その
花を、
植物が
準備しなくなるのは、
終わりのない
生命を
幻覚できるほどの、エネルギーの
充足状態が
内部に
生じるからでしょうか。
死を
超えることのできない
生命が、
超えようとするいとなみ――それが
繁殖ですが、そのいとなみを
忘れさせるほどの
生の
充溢を、
肥料が
植物の
内部に
注ぎこむことは
驚きです。【3】
幸福か
不幸かは、
別として。
施肥を
打ち
切って
放置すると、
茶の
木は
再び
花を
咲かせるそうです。
多分、
永遠を
夢見させてはくれないほどの、
天与の
栄養状態に
戻るのでしょう。
茶は、もともと
種子でふえる
植物ですが、
現在、
茶園で
栽培されている
茶の
木のほとんどは
挿し
木もしくは
取り
木という
方法でふやされています。
【4】
井戸端園の
若旦那から、こんな
話を
聞くことになったのは、
私が
茶所・
狭山に
引越した
年の
翌春、
彼岸ごろ、たまたま、
取り
木という
苗木づくりの
作業を、
家の
近くで
見たことがきっかけです。
【5】
取り
木は、
挿し
木と、ほぼ
同じ
原理の
繁殖法ですが、
挿し
木が、
枝を
親木から
切り
離して
土に
挿しこむところを、
取り
木の
場合は、
皮一枚つなげた
状態で
枝を
折り、
折り
口を
土に
挿しこむのです。
親木とは
皮一枚でつながっていて、
栄養を
補給される
通路が
残されているわけです。
【6】
茶の
木は、
根もとからたくさんの
枝に
分かれて
生長しますから、かまぼこ
型に
仕上げられた
茶の
木の
畝を
縦に
切ったと
仮定すれば、その
断面図は、
枝がまるで
扇でもひろげたようにひろがり、
縁が、
密生した
葉で
覆われています。【7】
取り
木は、その
枝の
主要なものを、
横に
引き
出し、
中ほどをポキリと
折って、
折り
口を
土に
挿しこみ、
地面に
這った
部分は、
根もとへと
引き
戻されないよう、
逆U
字型の
割り
竹で
上から
押さえ、
固定します。【8】
土の
中の
枝の
基部に
根が
生えたころ、
親木とつながっている
部分は
切断され、
一本の
独立した
苗木になるわけですが、
取り
木作業をぼんやり
見ている
限りでは、
尺余の
高さで
枝先の
揃っている
広い
茶畑が、みるみる、
地面に
這いつくばってゆくという
光景です。
【9】もともと、
種子でふえる
茶の
木を、このような
方法でふやすようになった
理由は、
種子には
変種を
生じることが
多く、また、
交配によって
作った
新種は、
種子による
繁殖を
繰り
返している
過程で
元の
品種のいずれか
一方の
性質に
戻る
傾向があるからです。【0】(
中略)
「
随分、
人間本位な
木に
作り
変えられているわけです。」
若旦那は
笑いながらそう
言い、「
茶畑では、
茶の
木がみんな
栄養生長という
状態に
置かれている。」とつけ
加えてくれました。
外からの
間断ない
栄養攻め、その
苦渋が、
内部でいつのまにか
安息とうたた
寝に
変わっているような、けだるい
生長――そんな
状態を
私は、
栄養生長という
言葉に
感じました。
で、
私は
聞きました。
「
花を
咲かせて
種子をつくる、そういう、
普通の
生長は、
何と
言うのですか?」
「
成熟生長、と
言ってます。」
成熟が、
死ぬことであったとは!
栄養生長と
成熟生長という
二つの
言葉の
不意打ちにあった
私は
二つの
生長を
瞬時に
体験してしまった
一株の
茶の
木でもありました。(
中略)
その
後、かなりの
日を
置いて、
同じ
若旦那から
聞いた
話に、こういうのがありました。
――
長い
間、
肥料を
吸収しつづけた
茶の
木が
老化して、もはや
吸収力をも
失ってしまったとき、
一斉に
花を
咲き
揃えます。
花とは
何かを、これ
以上鮮烈に
語ることができるでしょうか。
長文 6.4週
【
長文が
二つある
場合、
読解問題用の
長文は
一番目の
長文です。】
パリとロンドンを
往復したたくさんの
書簡において、
熊楠が
書いていることの
中でも、もっとも
重要なのは、
事という
概念をめぐる
彼の
思考である。ここには、とても
現代的な
思考法を、みいだすことができる。
熊楠はその
考えを、まず
自分の
考える
学問の
方法論として、
語り
出している。
熊楠の
考えでは、
事は
心と
物がまじわるところに
生まれる。たとえば、
建築などというものも、
事である。その
場合、
建築家は
自分の
頭の
中に
生まれた
非物質的なプランを、
土や
木やセメントや
鉄を
使って
現実化しようとするだろう。
建築物そのものは
物だけれども、それは
心界でおこる
想像や
夢のような
出来事を
実現すべくつくりだされた。つまり、それはひとつの
事として、
心と
物があいまじわる
境界面のようなところにあらわれてくる
現象にほかならないことになる。
このプロセスは、もっと
精密に
研究してみることもできる。
建築家は
設計図を
描く。そして、その
設計図をもとにして、
建築の
物質化が
実行される。このときの
設計図もまた、
事なのである。
設計図は、
建築家の
頭の
中に
浮かんだアイディアを、
明確な
構造をもった
透視法の
中に
定着させるものだ。ここでは「
設計図の
描き
方」という
表現法自体が、アイディアの
物質化をたすけている。だから、そこでも
心と
物が、
出会っている。そうなると、
建築という
行為そのものが、
幾重にも
積み
重ねあわされた
事の
連鎖として、できあがっていることがわかる。
記号や
表象が
関係しているものは、こうして
考えてみると、すべて
事なのだということが、はっきりしてくる。
いまの
学問にいちばん
欠けているものは、この
事の
本質についての
洞察だ、と
熊楠は
考えた。
彼の
考えでは、
純粋なただ
心だけのものとか、
純粋にただ
物だけのもの、というのは、
人間の
世界にとっては
意味をもたず、あらゆるものが
心と
物のまじわりあうところに
生まれる
事として、
現象している。しかも、
心界における
運動は、
物界の
運動をつかさどっているものとは、
違う
流れと
原理にしたがっている。このために
物界では、
因果応報ということが
確実におこるのに、
純粋な
心界でも
因果応報がおこるとは
限らないのだ。たとえその
人の
心に
悪い
考えがおこったとしても、その
考えが
物界と
出会って、そこにたしかな
事の
痕跡をつくりだし、
物界の
流れの
中に
巻き
込まれてしまうことがなかったとしたら、そのことだけでは、けっして
将来に
報いをつくりだすとは
限らない。
事は
異質なものの
出会いのうちに、
生成される。そして、その
事が、ふたたび
心や
物にフィードバックして
働きかける
過程の
積み
重ねとして、
人間にとって
意味のある
世界は、つくりだされてくる。
熊楠はこの
事の
連鎖の
中から、ひとつの
原則がみいだせるはずだと
考えた。
ここで
熊楠が
考えていることは、とても
大きな
現代的な
意味をもっている。まず
彼は、
人間の
心の
働きが
関係するいっさいの
現象についての
学問にとって、いちばん
重要な
意味をもつのは
事であるけれども、この
事は
対象として
分離することができない
構造をもっている、と
言っているのだ、
心界におこる
動きが、それとは
異質な
物界に
出会ったとき、そこに
事の
痕跡がつくりだされる。しかし、その
事はもともと
心界の
動きにつながっているものだから、
心界の
働きである
知性には、
事を
物のように
対象化してあつかうことはできないのだ。しかし、その
分離不可能、
対象化不可能なダイナミックな
運動である
事をあつかうことができなければ、どんな
学問でも、
自分は
世界をあつかっているなどと、
大口をたたくことはできなくなるわけだ。
ここには、
二十世紀の
自然科学が
量子論の
誕生をまって、はじめて
直面することになった「
観測問題」の
要点が、すでに
熊楠独自のい
回しによって、はっきりと
先取りされている。
(
中沢新一『
森のバロック』による)
【1】
人間が、
他の
動物においては
例外なくそうであるような、
完全に
特殊化された
器官や
本能をそなえていないこと、
自然のままの
状況に
適応することによって
生存してゆくことはできないこと、このことは、
人間にとっては
環境世界なるものが
存しないことを
意味している。【2】
動物が
個々の
状況に
面していかに
行動してゆくべきかを
決定するのは、
彼の
内なる
自然そのものであった。それに
反して、
人間が
自然のなかで
生存しうるためには、
彼自身が
自分の
行動によって
状況を
変えてゆかなければならない。【3】
言いかえれば、
動物に
対しては
自然が、
始めからそれぞれの
環境世界をあたえているのであるが、
人間は
自然に
対してはたらきかけることによって、
初めて
自分の
生活環境を
作り
出さなければならない。【4】この
人間のはたらきによって
形成されるもの、それが
広い
意味での
文化とよばれうるならば、
文化をもつことは
人間にとって
生物学的に
必然である。そしてこの
文化世界のほかに、
自然のままの
環境世界なるものは
人間にとって
本来的に
存しえない。【5】
極言すれば、
人間には
自然はないのである。しかも
環境世界と
違って、もはや
人間という
種に
共通のものとして
一定の
文化世界があるわけではなく、それぞれの
民族や
社会集団がそれぞれ
別の
文化形態を
作るのである。
【6】このように
見てくると、
人間においては
動物の
場合とは
本質的に
違った
意味での
自発性ということが
考えられなければならない。すなわち、
環境世界からの
刺戟に
対する
反応として、すでに
自分のなかにそなわっている
本能によって
行動するという
意味での
自発性「
物体の
運動との
対比において」ではなくて、【7】むしろ
逆に、
本能的な
直接性が
欠如していることにおいて
成立する
自発性、
少し
逆説的ない
方になるが、
直接の
動因が
与えられていないがゆえに
行われなければならぬ
自発性である。これは
知覚の
面でも
運動の
面でも
見られる。
【8】われわれの
知覚世界は、たんに
受動的に
成立しているものではなく、われわれによって
構成されたものである。
動物は
生存に
必要な
刺戟しかうけないのに
反して、
人間はもともと
刺戟過剰の
状態にあり、
生活を
順調にいとなむためにはこの
不均衡を
何らかの
形で
克服してゆかねばならない。【9】
幼児心理学によれば、
産児は
最初のうちはたいていの
刺戟に
対して
不快感の
反応を
示す。うぶ
声も
苦痛感の
表現にほかならないと
言われている。そこでまずこの「
制戟」の
充満がいちおう
遮蔽されることになる。【0】ある
実験報告によれば、
音の
刺戟に
対し、
二ヵ月目にはかなりの
程度まで
不快さなしに
耐えるようになり、さらに
三ヵ月目頃からは
無関心でいることができるようになる。この
無関心さの
程度は、
拒否的および
志向的な「
反応」との
割合において、
始めは
増大してゆき、
八ヵ月目頃最大になる。この
段階を
経たうえで、こんどはそれらの「
制戟」を
加工してゆく
能力が
発達し
始める。それはほぼ
十ヵ月目頃から
見られ、
積極的に
外界に
向かう
態度が
明確になって、
手でものをつかむ
運動が
発達してゆくのと
並行している。
幼児におけるこの
経過はもちろん「
無意識的に」おこなわれることである。しかし
人間が
生活の
必要にとっては
過剰の
刺戟に
対し、それを
自分のはたらきによって
処理し
秩序づけ
加工して、みずからの
知覚世界を
構成してゆく、その
最初の
段階がここに
見られるのである。そのはたらきのより
進んだ
段階における
重要な
道具が
言語にほかならない。われわれは
知覚されるさまざまのものに
対して
言語その
他の
記号をもっておきかえ、その
記号にともなう
表象とその
意味の
理解によって
対象世界を
体系化してゆく。これがわれわれの
認識活動である。
(
山本信『
形而上学の
可能性』より)