(Translated by https://www.hiragana.jp/)
課題集
長文 1.1週
なぜ、
通常、
私たちは、「
私が『
私』といふとき、それは
厳密に
私に
帰属するやうな『
私』で」あると
考えるのか、また「
私から
発せられた
言葉のすべてが
私の
内面に
還流する」(
三島由紀夫『
太陽と
鉄』)と
信じているのか。その
理由は、
私たちが、「
自己のなかに
必ず
跡づけられている
他者との
関係の
動き」を、そうと
気づくまでもなくすぐに
縮小し、
還元してしまうからである。つまり、もう
少し
具体的に
言えば、
小林秀雄も
繰り
返し
指摘しているように、「
精神が
考へたところを
言葉が
表現するのだといふ
迷妄」をどうしても
逃れられないからである。
何故人々がこの
平凡な
事実を
忘れるかといふと、
日常生活に
於いても、
人々は
精神の
考へたところを
言葉が
表現するのだといふ
迷妄を
如何にしても
忘れられないからである。
処が
事実、
人は
考へるのは
自分の
精神なのか
自分の
言葉なのか
知る
由もないのである。
考へるといふ
事と
書くといふ
事は
二つの
事実を
指してはゐないのだ。
言葉といふ
技術を
飛びこして
何かを
考へるとは
狂気の
沙汰である。(
小林秀雄「アシルと
亀の
子?」)
私たちはランボーの
小説を
読むとき、フロベールの
小説を
読むとき、そこにたしかに
作品があるという
気がする。そこに
独特の
音色を
聴き
取り、
生き
生きした
筆致で
描かれた
輪郭とか
色彩を
見わける。かけがえのないトーンや
声調を
見い
出し、なにかしら
新鮮な
意味合いが
独自な
個的特性として
刻印されているのを
感得する。だからそういう
作品(
創作され、おくられた
言葉)を
生み
出し、おくった
作者がいるということも
確実で、
疑いようがないと
思える。しかしそうした
独自性や
個的特性は、
私たちがふつうそう
考えているように、その
個人(
作者)に
本来そなわっているような
固有な
同一性なのであろうか。
自己のうちで
必ず
自己とは
異なる
他者との
関係の
動きを、
他者へとおくり
返す
転送の
運動の
痕跡を
縮小し、
還元して、それ
自体として
充満し、
自らに
現前しているような
独自性や
個性なのであろうか。
もし
作者(
個人)がそれらの
言葉の
構築(
作品)を
創造し、おくった
絶対的な
起源である――
言葉を
生み
出し、おくる
行為や
運動の
外側に
抜け
出し、
上からそれを
宰領し、
統轄する
超越した
創造主体である、いわばその「
作品」に
対して「
神」のごとき
存在である、と
絶対的に
決定できるならば、そうみなすことに
根拠があるかもしれない。しかし
作者は
自分の
言葉を
創出し、おくる
行為や
運動を
開始する
真の
始源である――その
行為や
運動を
上から
統轄する
完璧な
創造主体である、と
絶対的に
決定することはできないだろう。なぜなら
作者は、
既に、そしてつねに、おくられている
言葉の
運動を
通して、その
運動のなかで、その
運動としておくるからだ。まったく
恣意的に
定まった
必然として
動いている
形相性(と
一体化した
意味内容)の
相互的諸関係の
体系的作動のなかにいつも
既に
巻き
込まれながら、つねにおくられつつ、おくる
運動によって、つまりつねに
他なるものとの
諸関係の
動きを
通じて、そういう
動きとしておくるからである。
語るということ、
書くということは、その
実情に
最も
則して
言うとすれば、そういう
他なるものとの
諸関係の
動きに
参入するということではないだろうか。そうするとどのような
個人であれ、
作者であれ、
言葉を
創出し、おくるのではなく、
中継しながら
組み
換えたり、ずらせたりしているのだと
言ったほうが
事実に
近いのではあるまいか。
長文 1.2週
外国語には
二者択一とか
総てか
無かというような
思考法がある。
二者択一は
対立するものがあるとき、そのどちらかひとつを
選択することだが、それは
同時に
他が
否定されることを
意味する。
両者のよいところを
採る
折衷主義もないわけではないが、
両者を
共存させる
考えはめずらしい。これは
キリスト教という
一神教の
影響であるという
説もあるが、
絶対的対立が
強調されている。
総てか
無かも
一種の
二者択一であるということができる。
わが
国では
本来ならば
併存できないはずのものが
何ら
矛盾も
感じられないで
共存している。
一般の
家庭で
神棚と
仏壇とが
同じ
部屋にあって、
朝夕それぞれの
様式によって「
拝む」ことをきわめて
自然であると
思っている。
仏教を
信仰すれば
神は
否定しなくてはならないという
一元論ではなく、
仏も
神も
認める。
多元論、
複元論である。
一元論から
見ると
多元論が
得体の
知れないものに
見えるのはやむを
得ないことかもしれない。
日本語は
多元論的文化の
中で
発達してきたものであるから
一元論的一貫性、
対立の
原理をはっきりさせない。「あれかこれか」ではなく「あれもこれも」
主義である。
一元論からすれば
矛盾だということになる。
しかし、
多元論のメリットも
忘れてはならないであろう。
一元論は
明晰ではあるけれども
同一平面の
上における
問題しか
処理することができないのは、
矛盾する
次元のものをすべて
棄ててしまっているからである。それに
対して、
多元論では
立体的な
論理を
追求することができる。
一元論の
論理では
芸術とか
生命現象をとらえにくいが、
多元論は
感情の
比較的こまかいヒダにまで
入って
行くことができる。
一元論の
論理が
平面幾何学的であるとすれば、
多元論の
論理は
生物学的であるといえよう。
多元論においては
首尾一貫ということはむしろ
退屈な
単調さと
感じられやすい。ドライブ・ウエイが
一直線に
伸びているとすれば
運転者はかえって
運転を
誤りやすいといわれる。
適当な
曲線の
変化があった
方がよい。
論理においてもまったく
純粋なロジックはどうも
人間らしさの
乏しい
冷たいものを
感じさせがちである。
悲劇はあくまで
深刻でなくてはならない。いやしくも
観客が
笑いこけるような
場面があってはよろしくないとするのが
純粋を
貴ぶ
一元論である。ところが、シェイクスピアのような
天才は
滑稽な
場面を
挿入することによって、かえっていっそう
悲劇感を
高めるコツを
知っていた。しるこをうまくするには
砂糖だけでなく、ひとつまみの
塩を
入れるのと
同工異曲である。どうもわれわれの
感覚には
純粋な
論理だけでは
満足しないところがある。それを
考慮に
入れているのが
多元論的な
論理というわけである。
一見矛盾するものを
調和させる
多元論にとって、
不可欠の
方法は「とり
合わせ」である。
同類のものや
筋のとおったものを
集めるのではない――それでは
月並みで
退屈になる――
互いに
範疇を
異にするものを
結び
合わせて
意外のおもしろさを
出す。それが「とり
合わせ」である。ぼたんに
唐獅子、
竹に
虎、などはそのとり
合わせの
感覚によって
生れた
絵画的世界の
例である。
不調和を
越えた
調和を
支える
論理に
着目したものである。
日本語はこういう
柔軟な
論理を
表現するのに
適しているし、
逆に
言えば
日本語の
論理はそういうとらえどころのない
性格のものにならざるを
得ない。
(
外山滋比古の
文章による)
長文 1.3週
近代小説は
一般に
無制約な
形式であるといわれている。
無制約であるとは、
限界まで
希薄化された
様式性を
意味する。
私に
帰属する
固有の
内面を、そのまま
忠実に
模写し
外部に
対象化するには、
表現媒体はできるだけ
無制約的であることが
望ましい。
近代以前の
日本語文には、
様々な
制約が
課せられていた。
明治期における「
言文一致」とは、たんに
口語と
文語の
一致を
目指したものではない。
国木田独歩の『
武蔵野』
以降の
日本の
近代小説であろうと、
会話部分が
忠実に「
口語」を
再現しているといえない
点をあげるまでもなく、それは
歴然とした
事実だろう。
今日でも
事態は
同様である。「
対談」や「
座談会」でも、
会話のテープを
忠実に
起こした
原稿と、
公表される
文章とのあいだには
大きな
相違がある。「
対談」や「
座談会」として
公表される
文章のほとんどは、
日本の
近代小説の
会話体を
規範として
修正されているのだ。たんにテープを
起こしたにすぎない
文章は、
読者の
立場からいえばほとんど
読むに
耐えない。
明治における「
言文一致」とは、
文語と
口語の
一致を
目指すことを
必ずしも
意味していない。それは
軍艦や
軍隊を
製造したり
運営したりする
主体(
近代的な
私)の
内面をそれ
自体として
過不足なく
外面化しうるための、
可能な
限り
無制約的で
無媒介的な、
換言すれば
様式性に
制約されない
透明な
表現形態を
無から
創造するために
求められた
運動にほかならない。「
言文一致」によって
生誕した
日本の
近代小説のスタイルは、
主語一人称代名詞を「
自分」に、
文章末尾を「デアリマス」に
統一するよう
決定された
軍隊用語のそれとほとんど
構造的に
照応している。
明治期において
新文章をめぐる
試行錯誤が、もっぱら
近代小説の
文体をめぐる
問題として
顕在化したことには
必然的な
理由がある。
小説形式は
他の
伝統的な
文芸ジャンルと
比較して
無制約的な、
没様式的なジャンルである。だから
小説は
近代的な
内面を
外面に
過不足なく
移しかえる
透明な
表現形態として、
近代における
文学表現の
王座の
地位を
確保しえた。
しかし
以上のような
発生メカニズムの
解明は、
近代小説の
自己了解を
裏切らざるをえない。
近代的な
私は、
固有の
内面を
小説形式という
無制約的で
透明な
表現形態において、
作品に
対象化=
外面化する。だが、「
言文一致」が
文字どおりの
言文一致を
意味していないように、
無制約的で
没様式的であると
信じられた
近代小説の
言語には、
暗黙の
制約性や
様式性が
課せられているのだ。それは
主体を
規制するというよりも、
主体なるものを
事後的に
産出するような
超越的なメカニズムにほかならない。
近代小説の
作者および
読者は、この
超越的なメカニズムを
制度であるとは
認識しない。むしろ
原理的に
認識しえないというべきだろう。
近代小説の
言語と
文体は
近代以前に
普遍的だった「
作者のいない
作品」の
水準を
超えて、
作者=
作品(
内面=
外面)という
直結形態を
可能ならしめたと
自負している。けれども
認識されない
表現形態の
物質性は、
無意識的な
制約として
近代小説の
作者および
読者を
密かに
統御し
支配している。それは
文体についてのみいえることではない。
近代小説の
発生史を
克明に
検証してみれば、
近代的な
意識には
大気のように
自明であると
信じられているものが、
長年の
曲折の
結果としてかろうじて
確立されたシステムにすぎないことも
了解されるだろう。
(
笠井潔氏の『
探偵小説論序説』による)
長文 1.4週
「くるまざ」という
言葉は、
室町時代のころにはすでに
日本語の
中に
定着していたらしい。
一六〇
三年(
慶長八)に
日本イエズス
会が
長崎で
刊行した
有名な『
日葡辞
書』にはCurumazaniという
語が
採られていて、
例文としてCurumazani nauoru(
車座に
直る)があり、「
皆の
人々が
円形に
座につく」という
説明がついている。
何の
具体的な
根拠もないことだが、
私はこの「
車座」という
語が、いずれにしても
乱世の
時代になってから
人々に
愛用されるようになったのではないかと
想像している。「
車座に
直る」のは
女たちではあるまい。
合戦を
前にした
武士団、
自分たちの
権益を
犯されそうになって
対策を
練るためひそかに
集まった
豪商たち、
権力者に
無理難題をふっかけられて
鳩首協議するために
集合した
村の
代表者たち、そういう
男どもの
緊張した
顔が、この
言葉の
背後から
立ちのぼってくるように
思えてならない。
しかしこの
形のつどいは、いったん
緊急事態が
解決されれば、たちまち
一転して、
酒宴と
歌舞放吟の
場になるだろう。
女たちもその
時は
車座に
花を
添え、その
主人公にさえなるだろう。やがて
天下太平の
世ともなれば、もっぱら
後者の
車座が
全盛となる。
いずれにしても、
全員が
内側を
向くという
形の
座のとり
方は、
集団の
心構えを
統一し、
同心の
者としての
結束と
忠誠を
誓い
合い、
敵対する
者たちに
対する
排他的情熱を
高める
上では、
最も
効果的な
陣形だった。
高校野球でもバレーボールでも、
危機に
臨んだ
監督たちは
皆これを
応用する。
何しろ
車座に
座るというのは、
互いに
顔と
顔を
向け
合い、
相手の
一挙手一投足まで
直接見つめていられる
唯一の
座り
方なのである。
祝いの
席であるなら、
一同心を
同じくする
快い
興奮、
盃を
交わし
合う
歓びに、おのずと
歌も
踊りも
出てくるのは
当然だった。
(
中略)
私は
財政とか
経済とかの
方面についてまったく
暗い
人間なので、まことに
単純なことしか
言えないが、アメリカと
日本の
間で
極度に
緊張が
高まっている
貿易摩擦や
経済摩擦の
根源には、
単なる
経済問題よりもずっと
深い
生活原理の
食い
違いが
横たわっていることは
明らかで、これを
打開するにはたぶん
何世代もかかるのではないか、さもなければ
再び
重大な
衝突が
激発することもありうるのではないか、という
危惧さえ
感じることがある。
この
摩擦は、「
開放社会」と「
車座社会」との
対立、というふうにも
単純化して
言えるだろうが、アメリカの(そしてヨーロッパの、アジアの、その
他全世界の)
土地や
不動産や
美術品その
他を
次から
次へと
買い
漁り、
値を
釣りあげておきながら、
自国の
土地や
不動産その
他に
関しては、
高い
障壁を
張りめぐらしてヨソ
者の
参入を
可能な
限り
阻止する
姿勢を
貫こうとする
日本人というものは、
自由貿易、
開放主義の
原理を
奉ずる
人々から
見れば、
理解できないばかりか、
異様な
魂胆を
内に
秘めて
世界征服の
野望さえちらつかせて
前進する
邪悪な
民族とも
見えかねないだろう。アメリカ
政府や
議会の
中にそういう
感情が
高まってくる
時には、
各地の
市民の
中にその
何倍もの
強さにおいて、
同種の
感情をたかぶらせている
人々がいると
見なければならない。
(
大岡信『
詩をよむ
鍵』による。ただし
一部原文を
改めた)
長文 2.1週
社会において
最も
重要なのは、
複数の
人間を
拘束する
決め
事をつくり
出すことである。それにはいろいろなやり
方がある。アメリカ
人なら、その
状況にあてはめるべき
客観的ルールをそれぞれ
主張して、どちらが
正しいかを
争うだろう。アメリカに
限らず、
近代西欧社会はルールに
基づいて
権利を
主張する
方法をとる。また
中国人なら、
最初に
互いの
利害を
徹底的に
主張したうえで
妥協点を
探すだろう。
日本のやり
方はそのどちらでもない。
日本では
決め
事は、
対立する
利害を
相互に
自発的にゆずり
合い、
段階的に
妥協点を
発見していく
形でつくり
出される。「あなたの
気持ちはわかる、だから
私の
気持ちもわかってくれ」「ここはゆずるからあそこはゆずってくれ、お
互いに
痛みはわかち
合おう」。
対立する
立場にある
二人が
一歩一歩近づき、
最終的な
妥協に
至る。
日常の
会話で、
会社の
会議で、そして
政治の
場面で、
人々はこうしたゲームをくり
広げてきた。
西欧や
中国のやり
方と
比較した
場合、この
方法は
関係者の
自発性をそこなわず、すみやかに
意思統一できる
点でたしかにすぐれている。だが
同時に、ひとつ
大きな
構造的弱点をもかかえている。こちらがゆずったのに
相手がゆずらなければ、ゆずったほうの
丸損である。それでは
妥協しようという
気にはならない。こちらが
譲歩すれば
相手も
譲歩するという
保証があって、
初めてこの
決め
事プロセスは
一般的に
成立しうるのである。
実際、
日本人と
中国人が
交渉する
場面ではこうした
齟齬が
起きやすい。
日本人のほうは
相手の
譲歩を
期待してまず
譲歩する。ところが、
中国人の
側から
見れば、それは
日本人側の
立場の
弱さを
示す。だから、
自分の
利害をいっそう
強く
主張する。ところが、それは
日本人にとっては、
相手の
好意につけこむという
最も
許しがたい
振る
舞いなのだ。そこで
当然交渉はご
破算になる。けれども、じつは
話はここで
終わらない。
中国人にとっては、
最初はゆずっておきながら
突然強く
出るのは、それこそ
騙し
討ちなのだ。
こんな
場面にぶつかったとき、
日本人はこう
叫ぶだろう。――「なんで
人の
気持ちがわからないんだ!」。まさにそのとおりで、じつは「
気持ちのわかりあい」というのは、
日本社会の
社会的決め
事をめぐるコミュニケーションにおいて、
相互の
譲歩を
保証する「
装置」なのである。
相手の
気持ちを
察し、それを
迎え
入れるような
形へこちらの
気持ちも
動く。
相手の
感情をこちらの
感情のなかに
取り
込む。この
種の
感情の
伝染性を
日本人は
大量にもっており、それによって
相互の
譲歩が
保証されている。
つまり「
気持ちのわかりあい」は
日本固有の
社会的な
決め
方、
社会的コミュニケーションの
様式と
密接に
結びついているのだ。そうした
点で、
日本は「
間人主義の
社会」だといわれる。「
間人主義」というのは
西欧の「
個人主義」に
対応する
概念で、(
一)
相互依存主義――
社会生活では
親身な
相互扶助が
不可欠であり、
依存し
合うのが
人間本来の
姿である。(
二)
相互信頼主義――
相互依存関係の
上では、
自己の
行動に
対し
相手も
自己の
意図を
察してうまく
応じてくれるはずだという
相互信頼が
必要である。(
三)
対人関係の
本質視――いったん
成立した
関係はそれ
自体価値あるもので、その
持続が
無条件に
望まれる、といった
人間関係の
特徴をさす。
(
佐藤俊樹『〇〇
年代の
格差ゲーム』より)
長文 2.2週
天文学者が
宇宙の
彼方を
観測しているときに、
宇宙のそこで
生じている
出来事に、
脳は
何ら
関係していない。しかし、その
出来事を
天文学者が
観測しなければ、つまりそこで
天文学者の
脳が
関与しなければ、そんな
出来事はヒトにとって、
存在しないも
同然と
言ってよいだろう。
宇宙論では、ある
物理定数を
測定と
計算の
結果確定すると、そうして
定数を
決定した
宇宙と、
決定する
以前の
宇宙とは、
異なったものになるという
考えすらある。むろん、
定数を
決定するのはヒトの
脳である。
ヒトが
人である
所以は、シンボル
活動にある。
言語、
芸術、
科学、
宗教、
等々。これらはすべて、
脳の
機能である。われわれはお
金を
使い、
衣服や
帽子、アクセサリーを
身につけ、
車にお
守りを
吊し、ゴルフ
道具を
担ぎ、
碁やマージャンで
暇を
潰す。これらはすべて「
具体化したシンボル」であるが、これもまた、すべて
脳のシンボル
機能に
発する。
われわれの
社会では
言語が
交換され、
物財、つまり
物やお
金が
交換される。それが
可能であるのは
脳の
機能による。
脳の
視覚系は、
光すなわちある
波長範囲の
電磁波を
捕え、それを
信号化して
送る。
聴覚系は、
音波すなわち
空気の
振動を
捕え、それを
信号化して
送る。
始めは
電磁波と
音波という、およそ
無関係なものが、
脳内の
信号系ではなぜか
等価交換され、
言語が
生じる。つまり、われわれは
言語を
聞くことも、
読むことも
同じようにできるのである。
脳がそうした
性質を
持つことから、われわれがなぜお
金を
使うことができるかが、なんとなく
理解できる。お
金は
脳の
信号によく
似たものだからである。お
金を
媒介にして、
本来はまったく
無関係なもの
同士の
交換が
生じる。それが
不思議でないのは(じつはきわめて
不思議だが)、
何よりもまず、
脳の
中にお
金の
流通に
類似した、つまりそれと
相似な
過程がもともと
存在するからであろう。
自分の
内部にあるものが
外に
出ても、それは
仕方がないというものである。
ヒトの
活動を、
脳と
呼ばれる
器官の
法則性という
観点から、
全般的に
眺めようとする
立場を
唯脳論と
呼ぼう。ヒトが
人である
所以は、
大脳皮質が
発達するからである。
後に
述べるように、そこからヒトのシンボル
機能が
発生する。ヒトの
脳と
動物の
脳が
異なることは、
誰でも
知っている。ゴリラの
脳とヒトの
脳を
机の
上に
複数個並べて
見れば、
素人でもただちに
両者を
識別するであろう。しかし、それはそれだけのことだとも
言えるのである。つまり、ヒトの
脳もゴリラの
脳も、
見ようによってはさして
違わない。
唯脳論は、ヒトとゴリラの
類似と
差異とを
説明しようとする。
それだけではない。
唯脳論は、ヒトの
中にある
差異を
説明しようとする。ヒトは
考え
方の
違いをめぐって
大喧嘩をする。それが
利害関係であるなら、まだ
救いようがある。
利害を
調整すればいい。しかし、
基本的な
考え
方の
違いというのも、よくあることである。これは
利害がかかわらないだけに、
逆に
調整が
困難である。いわゆる「
神学論争」というやつだが、その
調整は
唯脳論に
頼るしかあるまい。
(
養老孟司『
唯脳論』による)
長文 2.3週
近代文明は、
構造の
発想に
加えて
効率と
合理性を
重んじる
機能の
発想を
社会運営の
中枢原理として
取り
込み、
環境制御による
成果志向的な
社会運営法を
確立した。
近代は
構造よりも
機能を
優先することで、
中世文明の
脱構築をはたしたのである。より
正確に
表現すれば、
機能の
発想が
構造の
発想を
包摂するかたちで、
文明のメタモルフォーゼ(
変態)が
起きたことだ。
成果を
上げるために
人や
物を
制御する。
目的を
達成するために、
効率的な
手段を
講じる。このような
発想転換をした
末に
生まれたのが
近代文明だった。
機能の
発想は、
成果を
確保するためには
構造(ルール)は
次つぎと
変更してよい、
構造を
維持することよりも
環境変化に
適応することのほうが
重要である、とする
価値を
生む。
実際、
近代社会では
法や
規範などの
規則は
絶えず
変化しており、
変化することが
近代の
本質であるといえる
程、
変化が
奨励されてきた。
機能的な
成果主義は、
規則にしたがうだけであったり、それに
拘泥するだけでは、
競争に
取り
残され
敗者の
憂き
目をみる、という
倫理基準をもたらす。
成果を
上げて
進歩、
発展することが
評価基準となる。このため
自己を
取り
巻く
環境への
一般的適応能力を
高めること、
成果を
高めるための
技能や
知識を
習得することが
至上価値とみなされる。また、
成果を
確保するために、
目標に
対する
手段を
緻密に
考量し、
細心の
注意を
払って
事のなりゆきを
見守り、
絶えずアクションを
修正することが
求められる。さらに、
人びとに
対して
強圧的になると、
志気が
低下して
成果の
確保が
困難になるので、
志気を
損なわぬよう
各人を
管理する
必要が
生じる。こうして、
機能の
文明は
支配に
代わって
管理の
発想をもたらした。
機能の
文明とは
管理が
優先する
文明のことである。
これに
対し、
来たるべきポストモダンを
特徴づけるのが
意味の
文明である。その
特徴は、
機能の
発想を
超え、いまだ
構造化していない
領域での
営みを
重視することにある。そこは
制御による
成果の
確保が
中心となるのではなく、また
規則によるパターン
維持が
中心になるのでもない。
差異の
分節による
意味創発が
既存の
伝統を
揺るがし、
文化としての
意味の
追求が
中心となる
領域である。
(
中略)
意味の
文明の
兆候は、
物質的欠乏から
解放されて、
人びとの
主たる
関心が
所有から
存在へ、
物質から
記号へ、
欠乏から
差異へと
移行するなかにあらわれている。
差異としての
記号がもてはやされ、
商品を
物=
差異=
記号=
意味の
方程式によって
脱物質化する
消費社会の
風潮は、
現段階では
差異の
戯れとしての
意味志向にとどまるとはいえ、
効率性と
合理性が
支配する
経済の
攪乱要因となっている。また
現在、
生産様式とそこでの
人間関係が
優位する
機能の
文明に
対し、
消費における
意味作用がゆらぎを
引き
起こすようになっている。
生産が
優位した
社会から
消費社会への
移行は、
機能優先の
発想に
風穴をあけることになるだろう。
(
今田高俊『
意味の
文明学序説』より)
長文 2.4週
英語にキャノンCanonという
単語がある。もとはギリシャ
語で、
尺度、
基準の
意味だった。それが
キリスト教の
正統的戒律、
聖書の
正典の
意味になり、さらに
文学・
文化の
標準ないし
標準的作品を
意味する
言葉となっている。
アメリカでは
近ごろ、このキャノンの
見直しが
話題になっている。
社会現象としてはこれまで
正義とされてきたものが
不正とされ、
野蛮とされていたものが
逆に
崇高と
見なされるたぐいのことが
多い。
西部劇映画における
騎兵隊と
先住民(インディアン)の
描き
方など、その
典型的な
例となるだろう。そういう
傾向を
反映して、
歴史の
書き
換えの
要求は
広範になされているらしい。
文学でも
同様である。
古典とされていた
作品がわきに
押しやられ、
従来無視されていた
作品がキャノンの
座に
押し
上げられる。そういう
文学史の
本や
教科書が
相次いで
現われ、
大学などにおける
文学・
文化教育にも
大幅な
変革を
迫っている。
これに
呼応して、
日本におけるアメリカ
研究も
根本的に
変わらなければならない、という
声が
学会などでよく
聞かれるようになった。だがまた、そんなに
急に
変われるものか、といった
不安の
声もよく
耳にする。
キャノンの
見直しは、
本当は
別に
新しいことではない。かりに
日本文学で『
万葉集』や
芭蕉は
不動の
地位を
占めてきたとしても、『
古今集』や『
新古今集』、
西鶴や
蕪村の
地位は、しばしば
揺らいできたのではなかろうか。
一世を
風靡した
紅露逍鴎のうち、いまも
衆目の
認める「
文豪」は
森鴎外のみで、
他は
特別の
愛好家以外にはなかなか
読もうとしない。そしてこの
四人の
陰にかくれていた
夏目漱石が、いまでは
日本近代文学を
代表する
地位を
占めているように
思われる。
アメリカでも
同様である。
十九世紀に
最高の
詩人と
仰がれていたロングフェローは、
二十世紀に
入ると
神聖な
座から
引きずり
降ろされてしまった。
彼を
含めて、
文学界に
君臨した「ケンブリッジ・ブラーミン」いまいずこだ。そして、
粗野で
猥雑とされていたホイットマンが、アメリカの
代表的詩人と
見なされるようになった。アメリカで
最初のノーベル
文学賞受賞作家シンクレア・ルイスをはじめ、いまでは
研究者にも
読まれなくなってしまった
文学者も
数多い。
だが
最近のアメリカでのキャノンの
見直しは、
個々の
人物や
事件の
長い
時間をかけた
見直しとは
違う。それはアメリカの
社会や
文化の
全体的見直しと
結びついているのだ。
一九六〇
年代からのアメリカの
激変、つまり
公民権運動、さまざまな
少数派人種の
台頭、あるいはフェミニズムの
進展などがあり、かつての
白人男性中心の
文化は
打倒の
目標とされ、
多文化主義が
唱えられるようになった。ポストモダニズムなど、
伝統的価値の
権威を
否定する
批評理論も、この
動きを
助けているといってよい。
(
中略)
このように
見てくると、キャノン
見直し
運動は、
現代のアメリカにおける
価値観の
動揺と
文化の
正統性をめぐる
戦いであることが
分かる。
私たちがそれを
理解し、その
見直しの
方向に
注意を
払う
必要は、
間違いなくある。それを
日本に
適用して
役立てられる
部分も
多いように
思う。
(
亀井俊介『わがアメリカ
文学誌』より)
長文 3.1週
日本人は、
一般的には、
神社仏閣、
能や
茶道など、
古きよき
日本の
伝統が
好きで、それを
誇りに
思っているのだが、その
一方で、
実生活を
見ると
伝統破壊者とも
言える
側面をもっている。
まず、
屈指の
横文字カタカナ
氾濫社会であることを
見、
若者の
言葉を
聞けば、
国語における
伝統の
軽視は
一目瞭然である。
古典としての
言語の
純粋性に
対する
感度が、フランスなどに
比べてきわめて
低い。
実際、
現在の
日本語は
横文字カタカナを
抜きには
成りたなくなっている。
年々大袈裟になるクリスマスのイルミネーションが
終わると、
正月には、
依然として
大勢の
人が
神社仏閣に
初詣に
行く。クリスマスまではまだよいとして、
最近は、ハロウィーンも
定着しつつあるようだ。
その
一方で、
立春から
大寒までの
二十四節気にそった
日本の
伝統的季節行事は、テレビのニュースの
枕詞である。
また、
食べ
物に
強いこだわりをもつ
日本人は、
旬にこだわるが、いまは
養殖、
輸入、ハウス
栽培などで、ほとんど
一年中手に
入る。イチゴやスイカも
一年中あるといってよい。
二十四時間営業のコンビニが
繁茂するように、
消費者が
望むことなら、
利便性の
向上のためならなんでもやる。アメリカに
勝るとも
劣らない
商業マインドである。こうした
高度消費者中心資本主義が、
日本の
一面としてすでに
社会に
根を
下ろしている。
さらに
最近では、シュンとなると
日本のものではなく、ボジョレー・ヌーボーに
始まり、イタリア
産ポルチーニやトリュフなどといった
外国産のものでシュンを
感じて
楽しむといった
本末転倒なことを
国民挙げて
行なっている。
コメは
日本人にとってただの
主食ではない。
依然として
文化的、
象徴的意味合いをもっている。だからこそ、コメの
輸入を
解禁しないのであり、
国民もコメの
自由化を
要求しないのである。そのコメは「
洗う」ものではなく「とぐ」ものである。にもかかわらず
無洗米といってのけて
何も
感じない。こういうところにも
日本における
伝統のあり
方があらわれているだろう。
もっと
面白いのは
正月である。
新年を
新暦で
祝うのは、アジア
諸国ではおそらく
日本だけではないだろうか。
伝統を
重んじるのであれば、やはり
旧暦で
祝うべきであろう。
実際、
権威を
尊ぶ
中国人は、
依然として
旧暦で
正月を
盛大に
祝っている。
新暦の
正月など
見向きもしない。
韓国も
同様に
旧暦で
正月を
祝う。
このように
日本人は、
古きよき
伝統を
重んじるという
一方で、
日々の
行動は
伝統などお
構いなしである。
名を
捨てて
実をとるとも、
軽薄とも、
柔軟とも、いい
加減とも、
節操がないともいえるのが、
日本人の
行動なのである。つまり、
融通無碍でつかみどころがないのである。
欧米社会は
理念を
優先するが、
日本社会は
現状を
是認し
生活を
優先する。
極端にいえば、「うそも
方便」の
社会である。
別の
見方をすれば、
欧米では、
概念化・
抽象化・
階層化を
通して、
矛盾を
統合的視点から
上位レベルで
解消して、
首尾一貫性を
確保するように
努める。しかし、
日本では、
矛盾は
矛盾で
併存させるか、
生理的に
切り
捨てるか、あるいは
無化してしまう。
西欧的に
考えれば、
日本人の
行為を
見ていると
分裂しないのが
不思議であろうが、
当の
日本人は
何も
矛盾を
感じていない。つまり、
気にしていないのである。しかし、
行為者としての
日本人の
心性には、なんらかの
一貫性(
合理性)が
存在するはずである。それが
西欧的な
観点や
現在の
日本人論の
枠からは
見えないのである。
(
小笠原泰『なんとなく、
日本人』による)
長文 3.2週
あるところに、
一本の
木が
生えていた。
木は、
一人の
少年をかわいがっていた。
少年は
毎日、
木のところにきて、
遊ぶ。
枝でぶらんこをしたり、りんごの
実をもいで
食べたり、
木陰でまどろんだり……。
彼は
木が
大好きで、
木も
幸せだった。
だが、
時がたち、
成長した
彼の
足はしだいに
遠のく。
木はひとりになることが
多くなった。ある
日、
彼が
来た。
木は
喜ぶ。
彼は、
遊ぶための
金がほしいと
言う。
木は、りんごの
実を
売って
金をつくったらいい、と
勧めた。
彼はりんごの
実をごっそり
採って、
去る。
木は、
幸せだった。
やがて、
壮年になって、
再び
彼が
来る。
家がほしい、
結婚したい、と
言う。
木は、
枝で
家を
建てたらどうだろうと
勧める。
そこで、
彼は
枝を
切り
落とし、
全部、
持って
行ってしまう。
木は、
幸せだった。
また、
木がひとりぼっちで
過ごす
日々が
続いた。ある
日、
年をとった
彼がやってくる。どこか
遠くへ
行きたい、
船がほしいと
言う。それなら
私の
幹を
切り
倒して
船をつくったらいい、と
木が
言う。
彼は
木を
切り
倒して、
持って
行ってしまう。
木は、
幸せだった。
長い
年月がたった。
老人になった
彼が、とぼとぼと
戻ってきた。しかし、
木には、
何もしてやれることがない。
私はもう
切り
株だけだ、せめて、ここに
腰をかけてお
休み、と
言う。
背中の
曲がった
老人は、ゆっくりと
腰をおろす。そして、
木は
幸せだった……。
こういう
話である。
その
含意は、
実に
深く、
豊かなものである。この
絵本自体がすばらしいが、さらに
私の
関心をひいたのが、この
本を
題材にしたある
研究なのだ。
この
絵本を
子どもたちはどう
読むだろう、と
考えた
心理学者の
守屋慶子さんが、
四ヵ国の
子ども
約二千人に
本を
読ませ、
感想を
書かせて、それらを
分析した。その
成果が『
子どもとファンタジー』(
新曜社)という
本にまとめられている。
(
中略)
詳しくは
原著に
譲るとして、
私は
自分が
興味をひかれたことの
一つ
二つを
紹介したい。
たとえば、
木と
少年との
接触があるたびごとに「
木は
幸せだった」と
書かれている。この
表現を、
各国の
子どもたちはどう
読み
取っているのだろう。
四ヵ国というのは、
日本、
韓国、スウェーデン、イギリスである。
感想を
書かせてみたら、
韓国、スウェーデン、イギリス、の
子どもたちは、
総じて「
木は
幸せだった」という
表現をことば
通りに
受け
取っていることがわかったそうだ。つまり、
木は
幸せだったと
言っているのだから、
幸せだったのだ、と
額面通りに
受けとめている。
それにひきかえ、
日本の
子どもたちの
受けとめ
方は、やや
複雑である。「
木は
幸せだった」とあるけれども、
本当にそうなのだろうか、と
思うらしい。
本当はいやだったのだ、
本当は
悲しかったに
違いない、というふうに
受けとめる
子どもが
多いことがわかった。
隠された
部分があるように
推量する、というのである。
(
中略)
守屋さんは「
二重構造」ということばを
使っている。たとえば「
二重構造型の
推量は、
日本の
子どもたちには
多いが、
英国やスウェーデン、
韓国の
子どもたちにはみられない」と
書いている。
(
白井健策「
天声人語」の
七年)による
長文 3.3週
チップを
渡すということが、
私たちの
国にはない。チップはすべて、
正価に
含まれているものと
思っている。
高級レストランの
高級さは、サービスの
高級さとイコールであると
無意識に
思っている。ホテルやレストランで
気持ちのいい
応対をされた
場合、
心付けを
包むのではなく、「またこよう」と
私たちは
考える。それが
私たちの
評価なのである。
最近の
温泉宿では、
部屋に
備え
付けのパンフレットに「サービス
料があるので
心付けは
不要」と、わざわざ
書いてあったりする。
年輩の
知人は、
彼女の
長年の
習慣らしく、
温泉宿には
必ず
心付けを
用意していくが、いつもそれは
和紙に
包んである。
現金を
生で
渡す、ということに、
私たちは
激しい
抵抗を
感じる。しかも、
紙幣ならともかく、コインを
渡すという
習慣は、まったくない。
そして
商売というのは、
正直さを
欠いたら
成立しないと、これもまた、
私は
自分の
国の
習慣で
信じている。
千円のものを
二千円で
売ったとしたら、その
瞬間は
千円儲かったですむが、しかし、だまされたと
知った
客は
二度とこないだろうし、その
客がほかのだれかにそのことを
話せば、ほかの
客までこなくなる、というふうな
思考回路を
私は
持っている。
長い
目で
見たら、
正直な
商売のほうがぜったいに
得だと
思っている。だから、その
場限りの
百円、
二百円を
儲けようとする
気持ちが、まるでわからないのである。その「わからない」ことこそ
習慣の
違い、
郷の
内部の
問題のはずなのに、ことお
金に
関しては、ほかのことのようにすんなりと
従うことができない。
反対に
考えると、
異国の
人が
日本を
旅した
場合、お
金に
関する
習慣の
違いには、さほど
苦労しないのではないかと
想像する。ぼったくりバーなどにいけば
話はべつだが、ごくふつうに
移動して、ごくふつうに
食事をしているぶんには、ぼられることはまずないし、チップの
心配もいらないし、お
釣りをごまかされることもない。そのぶん、
物価が
高いという
多大な
難点はあるわけだが。
では、
異国の
人が
日本にきた
場合、いちばん
苦労する
習慣の
違いはなんだろう、といえば、
沈黙であるように
私は
思う。
三週間や
一カ月、
異国を
旅して
帰ってきたとき、
私がもっとも
違和感を
覚えるのが、じつはその
沈黙である。
日本の
人は
驚くほど
声を
発さない。ぶつかっても
声をたてず、
出くわし
状態になっても
無言、
人の
足を
踏んでしまっても「すみません」と
言う
人はとても
少なく、せいぜい
無言で
会釈するくらい。
たとえば、
銀行でも
空港でもいい、
人々が
列になって
順番を
待っていたとする。そこに、
列の
存在に
気づかず、だれか
入りこんでしまったとき、ほとんどの
国では
声を
出して
注意する。「こっちに
並んで!」と、ひとりが
言うこともあり、
列にいる
全員が
口々に
言うこともある。が、
日本では、
声に
出さず
空気で
示す。ついさっき、じつはそのような
光景をJRの
駅の
構内で
目の
当たりにしたのだが、
列の
人々はみな、
無言の
内に、
対応をしている
駅員に、
訴えかけるような
視線を
投げていた。
駅員はちゃんと
気づき、カウンターに
割り
込んできた
女性に、「すみませんが、
列ができているのであちらに
並んでください」と
注意してことなきを
得ていた。
私にはごく
自然な
光景ではあるが、よく
考えればすごいことなのである。
沈黙の
習慣を
持たない
人から
見れば、ほとんど
超能力の
世界だと
思う。「
空気を
読む」という
言葉が、
他の
国の
言語であるのかないのかはわからないが、しかし、それは
明らかに
特殊な
習慣だと
私は
思う。
(
角田光代「お
金と
沈黙」による)
長文 3.4週
ここで
確認しなければならないのは、「わたしがわたしである」ことを「
覚えている」ということは、
過去の
行動の
完全な
履歴が
保存されるのではなく、
思い
出されるたびに
変化し、
意味付けの
変わる
記憶を
維持しているということであり、そこには「
忘却」も
同じくらい
必要とされるものであるということだ。すなわちそれは、「
記憶」と「
記録」が、
質としてまったく
異なるものであることを
意味している。
記録が
記憶に
果たす
役割を
考えるために、もう
少し「
記憶のあいまいさ」という
点について
述べてみよう。
認知心理学者の
高橋雅延によれば、
私たちが「
覚えている」と
思っている
過去の
記憶も、
実はかなりの
程度あいまいさを
残している
部分があるという。
高橋によると、
私たちは
一ヶ月前のことを、
事実のとおりに
思い
出せると
考えがちだが、
実際には、
時間をおくことで、
五〇%
前後の
記憶が
入れ
替わってしまうというのだ。つまりそこで
私たちは、「
想起する
記憶内容の
一部を
選択し、
再構成している」のである。さらに
言えば、
何度も
繰り
返し
思い
出すことで、「
虚偽の
記憶」が
現れる
場合さえあると
高橋は
述べている。
その
記憶のゆがみに
影響を
及ぼすのは、たとえば「
暗黙理論」と
呼ばれるような
素人考えだ。
暗黙理論とは、
必ずしも
明確な
科学的根拠がないにもかかわらず、
世間では
信じられている
知識や
概念のことであり、
具体的には、「
幼少時のトラウマが
人格形成に
強く
影響する」といった
知識のことを
指す。このように
近年の
記憶研究は、むしろ
記憶が、
他者や
社会的な
認知とのかかわりで
容易に
変化するような、あいまいなものであることに
注目しているのである。
こうした
知見に
基づいて、
心理学者は、「わたしはわたしのことを
覚えている」という
出来事が、
文字どおり
過去の
出来事を
脳内にストックするようなものではなく、
思い
出されることによって、それが
新たに「
記憶」として
上書きされるような、「
自己物語」の
側面を
持つと
主張している。つまり、わたしがわたしであることの
確信は、(「もうひとりの
自分」のようなものを
含む)
他者への
語りの
中から
生成してくるということだ。
だとすれば、そこで「
記録」というメディアが、
自己を
形成するのに
非常に
重要な
役割を
果たすことは、
容易に
想像できるだろう。「
高校時代の
友人」が、どのような
人だったのか、
放っておけば
私たちはすぐに
忘れてしまう。しかし、
日常にはあまり
思い
出されることのない
相手であっても、
卒業アルバムを
見返したり、あるいはときにそれを
別の
友人に
見せながら、「
彼はこういう
人でね」とか「ああ、こんな
人もいたなあ、
彼女はね……」と
語ったりすることで、そのたびに「
高校時代の
自分」を
構成することができる。そしてそれを
通じて「あのときは
意識しなかったけど、ほんとうはこの
人のことが
好きだったんだ」などといったように、
記録をもとにした
他者への
語りを
通じて、「いまの
自分」に
接続される
自己物語を
生成するのである。
ここには、
記録というメディアと、
自己によって
物語られる
記憶との
間の、ダイナミックな
関係を
見て
取ることができるだろう。
(
鈴木謙介『ウェブ
社会の
思想』による)