(Translated by https://www.hiragana.jp/)
課題集
長文 4.1週
【
長文が
二つある
場合、
音読の
練習はどちらか
一つで
可。】
【1】
近代合理主義の
精神は、
思考の
過程、あるいはものを
考える
過程で、さまざまな
夾雑物、
余計な
要素を
取り
除き、いくつかの
単純な
原理にしたがって
論理を
進めようとする
思考法をとる。【2】その
過程で
仕掛けられる
判断の
基準も、できうるかぎり
単純であることが
望まれる。そして、その
考えられる
単純な
原理こそが、ふたつのものからそのいずれかを
選択するという
判断基準であった。
【3】すなわち、
真と
偽、
善と
悪、
美と
醜、
正と
否など
二者択一の
論理こそ、
近代合理主義が
旨とする
判断の
方法にほかならない。
真なる
前提から
始まって、
真なる
判断を
繰り
返していけば、
真理に
到達すると
固く
信じられたのである。【4】デカルトが、
数学的方法に
思考方法のあるべき
姿を
認めたのも、
伝統的な
数学がこの
真偽二者択一の
方法に
絶対的に
依っていたからだ。
(
中略)
【5】しかし、
真偽の
弁別を
繰り
返していって
世界全体の
判断に
達するという
演繹的な
論理は、
世界全体を
判断の
傘下に
収めようとするのだから、
当然のことに、
判断の
普遍妥当性を
要求することになる。【6】つまり、ある
部分では
当てはまるが、べつの
部分になると
当てはまらない
理論は、
斉一的な
世界像を
求める
近代の
科学的合理主義のなかでは
市民権を
得ることはできないのである。【7】たとえば、
科学実践の
現場でも、
理論にそぐわない
実験結果や
現象が
現れたときに、それらを
無視し
捨象して
理論の
斉一性を
守るということが
日常茶飯におこなわれるのである。【8】しかし、そうした
例外に
属する
現象が
無視しえなくなれば、それを
取り
込むことのできない
理論そのものを
変える
必要がでてくるわけで、こうして
理論の
転換がおこなわれるようになる。【9】これが、「
科学革命」あるいは「パラダイム・シフト」と
呼ばれる
現象のひとつである。
こうした
現象は、しかし、
世界に
対する
理論の
普遍妥当性という
信念ないし
確信にも
似た
意識に
由来するものだということがわかる。【0】あらゆる
理論は、
数学の
原理がそうであるように、いついかなるところでも
当てはまらなくてはならないと
固く
信じられてきたのである。そうしたなかで、
理論に
妥当しない
例外的な
現象は、
偶然的なもの、あるいは
蓋然的なものとして
貶められてきたのである。そして、
不確定性原理の
出現に
見られるように、
現象をもれなく
網羅し
説明する
理論の
普遍妥当性そのものが
揺らぎ
出してくると、
方法としても、もはや
確率統計的な
方法をとらざるをえなくなってきたのである。つまり、
現象の
世界に
対し
人間の
側がなしえるのは、
一定の
法則を
世界に
押しつけることではなく、
現象のあるがままの
姿を
記述することと
考えられるようになったわけだ。
理論や
法則の
普遍妥当性という
近代科学の
絶対主義的傾向は、
相対性理論や
量子力学など
二十世紀の
初頭に
相次いで
現れる
新たな
潮流によって、おおいに
揺さぶりをかけられた。これらは、
学問や
理論の
世界のなかだけで
起こったことのように
思われているが、そうではない。われわれの
日常生活にも、
少なからず
影響を
与えているのだ。
影響を
与えているというよりは、むしろ、
同じ
大きな
流れが、
理論的世界にも、また
日常生活にも
現れているというべきなのだろう。
とにかく、「すべての……は……である」といった
論理学の
全称判断のようなものに
見られる、
普遍性への
意識をもった
思考法は、
個の
意識が
昂揚し、
多様性が
横溢するようになった
社会的意識や
日常生活のレベルにおいては、もはや
妥当性を
失いつつあると
考えるべきだろう。
(
山本雅男『ヨーロッパ「
近代」の
終焉』より)
【1】
野球で「
二年目のジンクス」ということがよく
言われる。
一年目は
好成績を
残したのに、
二年目はさっぱりダメという
場合である。イチローのような
特段に
優れた
選手は
例外で、ほとんどが
並の
実力の
持ち
主だから、
一年目は
誤差でたまたまいい
成績となっただけで、
二年目からは
平均に
戻ったと
考えた
方が
正しいだろう。【2】にもかかわらず、スウィングが
悪い、モーションが
悪いと
指摘され、
自分もそうではないかと
思い
込んでフォームを
崩してしまい、
結局大成しなかった
選手が
多くいる。
数年間を
見て
実力を
見極める
度量が
欲しいものである。
【3】
以上、
判断の
各過程におけるエラーについて
述べてきたが、それらに
共通する
心理を
整理しておこう。
まず、「
認知的節約の
原理」がある。
限られた
情報から
欠けた
部分を
経験や
先入観や
単純な
類推によって
補い、
効率よく
事態を
処理しようとする
心理のことだ。【4】
本人にとって
負担が
少ない
思考法だが、そこにエラーが
生じてしまうのだ。
続いて、「
認知的保守性の
原理」を
挙げよう。すでに
持っているスキーマを
保ち
維持しようとする
傾向で、
反証を
無視したり、
無理にでも
自分の描像に
合わせてしまう
心理である。【5】
自分は
一貫した
考え
方をしていると
自認できるので
心理的な
安定感が
得られることになる。だからこそ
間違いやすいとも
言える。
自分が
安心できる
思考法でつい
安住してしまうからだ。
【6】もう
一つは、「
主観的確証の
原理」で、どちらともつかない
証拠だけでなく
明らかな
反証であっても、
自分の
予期を
積極的に
支持していると
勝手に
解釈する
心理傾向である。「いやよいやよも
好きのうち」と
身勝手に
思い
込んでセクシュアルハラスメントに
及ぶ
人間がその
典型と
言える。【7】
自分の
身勝手さに
気づかず、
全て
他人のせいにして
安閑としている
人にお
目にかかることが
多いのはこのためだろう。
被疑者に
対して
状況証拠しか
見つかっていないのに
犯人と
決めつけ、すべてその
仮定の
下で
解釈したがる
例もある。【8】
犯人が
見つかっていないと
不安だが、
強引にでも
決めつけてしまえば
安心するのだ。(
早く
安心したいという
気持が
底に
潜んでいることもある。)この
心理には、
思考の
経済性や
一貫性なども
絡み
合っている。こうなるともはや
自省する
気持を
失ってしまう。
【9】さらに
付け
加えるとすれば、「
偶然性を
拒否したい
心理」、い
換えれば「
確固とした
因果関係として
説明したい
心理」もある。
偶然に
起こったことであっても
必然だと
思い
込み、それをきちんとした
因果関係で
説明しようとすると
科学的な
理由が
見つからず、ついに
超常的現象だと
考えてしまうケースである。【0】
予知夢がテレパシーしかないと
解釈し、たまたま
当たったのを
透視できたと
受け
取り、そのまま
信じ
込んでしまうのだ。
認知的エラーを
自覚しない
人ほど、
自分の
体験を
絶対化して
信じ
込む
傾向が
強い。「しょせん、
体験したことがない
人にはわからない」として、
他人の
意見や
忠告を
受け
入れなくなってしまうのだ。そして、
自分の
意見を
強調すればするほどその
信念はいっそう
強くなっていき、もはや
後戻りが
不可能になる。
むろん、
人間の
認知エラーが
多いと
言っても、
私たちは
日常生活において
大きな
支障なしに
生きている。それを
無意識のうちに
矯正したり、または
大きな
問題が
起こらないので
気づかないままやり
過ごしている。ときには
認知エラーが
人間の
生存にプラスにはたらいていることもあると
知っておくべきだろう。あまりに
気にし
過ぎると
神経症を
病むことになりかねないからだ。
ただ、
突発的な
事件が
起こって
即座の
判断を
迫られたり、すぐに
合理的な
解釈ができない
事象に
遭遇したりしたとき、
認知過程には
誤りが
多いことを
自覚して、
自分の
推論を
絶対化しないことが
肝腎なのである。それは
疑似科学に
騙されていないか
自らを
点検することにも
通じるからだ。
(
池内了『
疑似科学入門』による)
長文 4.2週
【1】さて
十九世紀の
進行のうちに、
自然科学がものすごい
勢いで
発達し、
社会のあらゆるものをこれが
動かすこととなるにつれて、
科学精神は
歴史をもとらえずにはおかなかったのであります。そして
歴史は
歴史科学と
呼ばれることになります。【2】
近代科学の
開祖であるデカルトは、
歴史をあまり
重視しなかった。それは
近代科学を
歴史的制約の
外に
純粋に
発展させるために
必要な
態度であったのですが、ここでは
人間の
知識ないし
思想は
二つにはっきり
分かたれ、
一方に
厳密な
自然科学があり、
他方に
文学があって
歴史は
後者の
中に
入れられていたのであります。【3】ところが、その
後歴史は
歴史科学の
名の
下に
文学の
世界から
科学の
世界に
移るのであります。そこでは
歴史はもはや
過去の
再現ではなく、
一定の
法則による
過去の
理論的構成であろうとし、また、
自然科学がだんだん
細かい
分野に
分かれると
同じように、
歴史も
何々
史、さらに
何々における
何々の
研究というふうに
細分化される。【4】その
各々は
全体をとらええぬかもしれぬが、それぞれの
研究の
成果は
客観的な
真理であるから、あたかも
自然科学における
一々の
発見のように、
後から
来るものはそれを
踏み
台として
先に
進むことができる。かくして
蓄積された
厳密な
史料によって
全歴史がいつか
構成されて
成立する、というふうに
楽観的に
考えられたのだと
思います。【5】そしてそうした
科学的歴史は
個人というものの
価値を
社会の
中に
埋没させる
傾向を
生じました。
自然科学では
蟻とか
狼とかの
発生・
進化を
環境に
即して
研究するが、
蟻や
狼の
心理や
個性(もしそういうものがあるとしたらの
話ですが)を
黙殺する。【6】そうした
科学をモデルとする
以上、
歴史における
個人の
軽視ということは
当然であったといえます。
ところで、
歴史家が
自然科学者のように
自我を
殺して、
自分が
歴史的世界に
生きる
人間であることを
忘れ
去って、
歴史を
研究し
記述することが
果たしてできるかどうか。【7】
細部については、それは
可能でありましょう。
例えば、
関ケ原の
戦いに
家康がどこから
引き
返して、どこで
何日滞在し、
何日かかって
戦場に
着いたかというようなことは
古文書その
他によって、
厳密に
決定することができ、また
万一不正確な
点があれば
訂正もできます。【8】しかし、
実はそういう
仕事は
考証家の
仕事で
歴史ではない。そういうデータが
無限に
集まれば
自ずと
歴史が
出来上るのではないのです。
歴史家はそれらを
集めて
歴史を
書くのですが、
関ケ原の
役の
意義を
考えるにはその
種の
世界観がなくてはできず、つまり、
史料の
統一には
史観というのがなければ
成立しません。【9】そうすれば
必ずそこに
歴史家の
主観が
出てくるので、もしもまったく
純粋な
精神というようなものの
持主があったとしたら、
歴史など
書かない、また
書けもしないだろうと
思われます。そもそも
歴史事実の
選択ないしとらえ
方にも、その
歴史家の
史観は
働くのであります。【0】もちろん、
愛国心に
作用されたり、
伝統文化を
偏愛したりして、その
史観が
何ほどか
曇るといったことも
起こりえましょう。しかし、こういうことは
避けがたいことで、もしこれを
恐れていたならばデータの
採集ないし
小さな
特殊研究以外に
出られないことになります。クローチェは、
歴史家が
主観を
抑えることは、いわば
禁欲であって
不能であってはならぬといいましたが、
味わうべき
言葉だと
思います。
学問とは
冷静な、
計量された
冒険なのであります。
こうした
素朴な
客観主義の
歴史観を
根底から
揺り
動かしたのは、
最近の
物理学、
歴史がモデルとした
自然科学そのものの
基本をなす
物理学の
進歩であって、その
物理学が
素朴な
客観主義ないし
決定論を
棄てねばならなくなったことであります。
対象は
研究者がたんに
自我を
殺して
無私的に
見れば
見えるようなものではなくて、
研究者がそこに
操作を
加えることによってはじめてとらえられるものである、とされるのであって、「
研究者は
彼が
研究するところのプロセスの
中に
押し
入る」、そしてこのことは
自然科学研究についても
歴史研究についても
共に
正しい、とエドガー・ヴィントはいっています。だからディルタイのいうように、
歴史家は
自己を
脱却し、あらゆる
時代に
合一するようなことは
可能で、もしそんなふうに
現在から
脱却しうる
純粋な
精神というようなものがあったら、その
精神は
歴史をとらえようとはしないでありましょう。この
点、ヴァレリーの
言葉は
意味深く
読まれます。「
歴史の
真の
性格は
歴史自体に
参与するということである。
過去の
観念が
一つの
意味を
持ち、また
一つの
価値を
形成するのは、
自分のうちに
未来への
情熱を
見出す
人間にとってのみである。」
(
桑原武夫「
歴史と
文学」による)
長文 4.3週
【1】
分析とは
外から
見る
立場です。というよりも、
外からものを
知る
方法として、
分析という
仕方が
生まれたのです。(
中略)
分析的方法の
確立者とも
言えるデカルトは「
研究しようとする
問題のおのおのを
出来る
限りの、そうして、それを
最もよく
解決するために
要求される
限りの、
部分に
分けること」と
言っております。【2】そうして、それこそ、
対象、あるいは
問題の
要素と
言われるものなのです。その
意味で、
分析とは
要素への
還元であるとも
言われるのです。
例えば、
水は
水素と
酸素からなるという
場合、
水はたしかに
水素とか
酸素とか
私達が
名づけるものから
成り
立っているのでありますが、【3】
私達はそのもの
自体を
知るのではなく、
水素とか
酸素とか
名づけることによって、それを
理解するのです。もちろん、それは
水素とか
酸素とかいう
言葉で
示されるとは
限らず、ドルトンが
行ったように、【4】すべての
原子を
白い
丸とか
黒い
丸とか、
中に
線を
引いた
丸とか
中心に
黒点を
書き
入れた
丸とかいった
図形的記号で
示すことも
出来ますし、さらにOとかCとかNとかHとかいういわゆる
化学記号を
用いることも
出来ます。【5】そうして、
科学の
記号としては、
一切が
数学的記号で
示されるのが
理想でありましょう。が、ともかくいわゆる
物質の
要素も、
分析的認識としては
記号的認識以上には
出ないのです。もっとも、ここにはさらに
次のような
疑問が
起るかも
知れません。【6】それは、
水素、
酸素などの
原子ではまだ
最後の
要素ではないとしても、その
原子を
原子核と
電子にわけ、さらに
核を
陽子とか
中性子とか
中間子とかに
分けてゆけば
最後には
真の
物質的要素に
到達するのではないかという
疑問です。【7】しかし、
物質の
成分をどんなに
小さく
分割していっても
問題は
少しも
変りません。というのは、
認識の
対象が
外にある
限り、い
換えれば、
外からものを
眺める
限り、やはりそれをとらえるためには、
立場と
記号が
必要であるということには
変わりはないからです。【8】むしろ、
今述べたような
極微の
世界では、それを
知るのはもはや、
日常的な
感覚や
知性では
不十分で、
数学的表現のみがそれを
正確に
表わしうるのであることを
思う
時、
分析的認識は
記号的認識であるということは、
一層明らかとなるのです。
【9】
以上お
話ししましたことによって、
分析するとは
対象を
記号としての
要素にわけることであることは
明らかになったと
思いますが、そこで
注意しなければなりませんことは、その
分析の
要素とは、
単にその
対象だけにあるものではなく、
他の
多くのものにある
一般的要素であるということです。【0】
例えば、
水素や
酸素は
水にだけ
含まれているものではなく、アルコールにも、
空気の
中にもあるのです。ということは、つまり、
分析するとは、
特殊なものを
一般的なもので
理解するということなのです。そうして、それは、
逆に
言えば、もしユニークなもの、
唯一独自なものがあるとすれば、そのようなものは、
分析出来ないということなのです。――このことは、
動きと
分析についても
言えることで、
刻々に
変化するものは
分析出来ないものなのです。なぜかと
言いますと、
分析するとは
要素つまり、
単位に
分けることでありますが、
単位とは、それが
不変なもの
変わらないものであればこそ
単位と
言えるのですが、
対象が
刻々に
変っているとすれば、それらすべてに
共通な
単位というものは
有りえないのです。もし、
一刻の
休みもなく
変わっているものを
何らかの
記号で
示そうとするなら、
逆にその
記号が
次々に
変わらなければならない。それは
単位が
変わるということである。しかし、それでは、それはもはや
単位ではありません。
このように
考えてきますと、
分析という
認識方法は、すべての
対象に
適用出来るものではないことが
明らかとなります。
全く
個性的な、
絶対に
他のものによって
置き
換えられない
唯一独自な、オリジナルなものと、
刻々に
新たになるもの、すなわち
正しい
意味の「
時間」の
認識には、
分析的方法は
適用出来ないのです。
(
澤瀉久敬「
哲学と
科学」)
長文 4.4週
【
長文が
二つある
場合、
読解問題用の
長文は
一番目の
長文です。】
【1】
経済学の
父アダム・スミスはこう
述べています。「
通常、
個人は
自分の
安全と
利得だけを
意図している。だが、
彼は
見えざる
手に
導かれて、
自分の
意図しなかった
公共の
目的を
促進することになる」。【2】ここでスミスが「
見えざる
手」と
呼んだのは、
資本主義を
律する
市場機構のことです。
資本主義社会においては、
自己利益の
追求こそが
社会全体の
利益を
増進するのだと
言っているのです。
【3】
経済学者の「
悪魔」ぶりがもっとも
顕著に
発揮されるのは、
環境問題に
関してでしょう。
多くの
人にとって、
資本主義が
前提とする
私的所有制こそ
諸悪の
根源です。
環境破壊とは、
私的所有制の
下での
個人や
企業の
自己利益の
追求によって
引き
起こされると
思っているはずです。
【4】だが、
経済学者はそのような
常識を
逆なでします。
私的所有制とは、まさに
環境問題を
解決するために
導入された
制度だと
言うのです。
【5】『かつて
人類は
誰のものでもない
草原で
自由に
家畜を
放牧していました。
家畜を
一頭増やせば、それだけ
多く
肉や
皮やミルクがとれます。
草原は
誰のものでもないので、
家畜が
食べる
牧草はタダです。【6】
確かに
一頭増えれば
他の
家畜が
食べる
牧草が
減り、その
発育に
影響しますが、
自由に
放牧されている
家畜の
中で
自分の
家畜が
占める
割合は
微々たるものです。それゆえ、
人々は
草原に
牧草がある
限り、
自分の
家畜を
増やしていくことになります。【7】その
結果、
牧草は
次第に
枯渇し、いつの
日か
無数の
痩せこけた
家畜がわずかに
残された
牧草を
求めて
争い
合う
事態が
到来することになると
言うのです。』
【8】これこそ「
元祖」
環境問題です。そして
経済学者は、それは、
自然のままの
草原が
誰の
所有でもない
共有地であるがゆえの
悲劇であると
主張します。【9】
環境問題とは「
共有地の
悲劇」だと
言うのです。
『
事実もし
草原が
分割され、その
一画を
牧場として
所有するようになると、その
中の
家畜はすべて「
自分の」
家畜となります。【0】その
時さらに
一頭飼うかどうかは、その
一頭が
新たに
牧草を
食べることによって、
牧場内の
他の
家畜の
発育がどれだけ
影響を
受けるかを
勘案して
決めるようになるはずです。もはや
牧草はタダではありません。
他人に
牧場を
貸したり
売ったりする
時でも、その
中の
牧草の
価値に
応じた
賃料や
価格を
請求するようになるはずです。
牧草は
合理的に
管理され、
共有地の
悲劇から
救われることになります。
私的所有制の
下での
自己利益の
追求こそが
環境破壊を
防止することになると
言うわけです。」
「
悪魔」の
一員だけあって、
経済学者の
論理は
完璧です(
私自身この
論理を
三十年間教えてきました)。
実際、
一九九七年の
地球温暖化防止に
関する
京都議定書は、この
論理を
取り
入れました。
先進諸国に
温暖化ガスの
排出枠を
権利として
割り
当て、その
過不足を
売買することを
条件付きで
許したのです。
ここでは
温暖化ガスが
汚染する
大気は
家畜が
食べ
荒らす
牧草に
対応し、
各国が
売買しうる
排出枠は
牧畜家が
所有する
牧場に
対応しています。すなわち、それは
大気という
自然環境に
一種の
所有権を
設定することによって、それが
共有地である
限り
進行していく
温暖化という
悲劇を
解決しようとしているのです。
では、これで
環境問題はすべてめでたく
解決するのでしょうか?
答えは「
否」です。わが
人類は
不幸にも、
経済学者の
論理が
作動しえない
共有地を
抱えているのです。
それは「
未来世代」の
環境です。
(
岩井克人「
未来世代への
責任――
経済学の「
論理」と
環境問題の「
倫理」――」による)
【1】
私は『
牡丹灯籠』の
速記本を
近所の
人から
借りて
読んだ。その
当時、わたしは
十三、
四歳であったが、
一編の
眼目とする
牡丹灯籠の
怪談の
件を
読んでも、さのみに
怖いとも
感じなかった。どうしてこの
話がそんなに
有名であるのかと、いささか
不思議にも
思う
位であった。【2】それから
半年ほどの
後、
円朝が
近所(
麹町区山元町)の
万長亭という
寄席へ
出て、
彼の『
牡丹灯籠』を
口演するというので、
私はその
怪談の
夜を
選んで
聴きに
行った。
作り
事のようであるが、あたかもその
夜は
初秋の
雨が
昼間から
降りつづいて、
怪談を
聴くには
全くお
誂え
向きの
宵であった。
【3】「お
前、
怪談を
聴きに
行くのかえ」と、
母は
嚇すようにいった。
「なに、
牡丹灯籠なんか
怖くありませんよ。」
速記の
活版本でたかをくくっていた
私は、
平気で
威張って
出て
行った。ところが、いけない。【4】
円朝がいよいよ
高座にあらわれて、
燭台の
前でその
怪談を
話し
始めると、
私はだんだんに
一種の
妖気を
感じて
来た。
満場の
聴衆はみな
息を
嚥んで
聴きすましている。
伴蔵とその
女房の
対話が
進行するにしたがって、
私の頸のあたりは
何だか
冷たくなって
来た。【5】
周囲に
大勢の
聴衆がぎっしりと
詰めかけているにもかかわらず、
私はこの
話の
舞台となっている
根津のあたりの
暗い
小さい
古家のなかに
座って、
自分ひとりで
怪談を
聴かされているように
思われて、ときどきに
左右を
見返った。
今日と
違って、その
頃の
寄席はランプの
灯が
暗い。【6】
高座の
蝋燭の
火も
薄暗い。
外には
雨の
音が
聞こえる。それらのことも
怪談気分を
作るべく
恰好の
条件になっていたには
相違ないが、いずれにしても
私がこの
怪談におびやかされたのは
事実で、
席の刎ねたのは
十時頃、
雨はまだ
降りしきっている。
私は
暗い
夜道を
逃げるように
帰った。
【7】この
時に、
私は
円朝の
話術の
妙ということをつくづく
覚った。
速記本で
読まされては、それほどに
凄くも
怖ろしくも
感じられない
怪談が、
高座に
持ち
出されて
円朝の
口に
上ると、
人を悸えさせるような
凄味を
帯びて
来るのは、
実に
偉いものだと
感服した。【8】
時は
欧化主義の
全盛時代で、いわゆる
文明開化の
風が
盛んに
吹き
捲くっている。
学校に
通う
生徒などは、もちろん
怪談のたぐいを
信じないように
教育されている。【9】その
時代にこの
怪談を
売り
物にして、
東京中の
人気を
殆ど
独占していたのは、
怖い
物見たさ
聴きたさが
人間の
本能であるとはいえ、
確かに
円朝の
技倆に
因るものであると、
今でも
私は
信じている。【0】(
中略)
前にもいう
通り、
話術の
妙をここに
説くことは
出来ないが、たとえばかの
孝助が
主人の
妾お
国の
密夫源次郎を
突こうとして、
誤って
主人飯島平左衛門を
傷つけ、それから
屋敷をぬけ
出して、
将来の
舅たるべき
相川新五兵衛の
屋敷へ
駈け
付けて
訴える
件など、その
前半は
今晩の
山であるから
面白いに
相違ないが、
後半の
相川屋敷は
単に
筋を
売るに
過ぎないであまり
面白くもない
所である。
速記本などで
読めば、
軽々に
看過ごされてしまう
所である。ところが、それを
高座で
聴かされると、
息もつけぬほどに
面白い。
孝助が
誤って
主人を
突いたという
話を
聴き、
相手の
新五兵衛が
歯ぎしりして「なぜ
源次郎……と
声をかけて
突かないのだ」と
叱る。
文字に
書けばただ
一句であるが、その
一句のうちに、
一方には
一大事出来に
驚き、
一方には
孝助の
不注意を
責め、また
一方には
孝助を
愛しているという、
三様の
意味がはっきりと
現れて、
新五兵衛という
老武士の
風貌を
躍如たらしめる
所など、その
息の
巧みさ、
今も
私の
耳に
残っている。
団十郎もうまい、
菊五郎もうまい。しかも
俳優はその
人らしい
扮装をして、その
場らしい
舞台に
立って
演じるのであるが、
円朝は
単に
扇一本をもって、その
情景をこれほどに
活動させるのであるから、
実に
話術の
妙を
尽くしたものといってよい。
名人はおそるべきである。
(
岡本綺堂『
岡本綺堂随筆集』による)
長文 5.1週
【
一番目の
長文は
暗唱用の
長文で、
二番目の
長文は
課題の
長文です。】
【1】ハマーショルドの
日記はきわめて
特異である。
国連事務総長という
要職にあった
人の、またその
職責にひたむきに
献身していた
人の
手になるものでありながら、
職務にかかわる
記述が
一行としてない。【2】それを
読んだだけで
書き
手の
職業をい
当てるのは、おそらく
不可能だろう。
世俗的な
属性だけではなく、
時間も
空間もすべて
超越しているかに
見える。
時折現れる
日付さえ、この
印象を
拭い
去りはしない。【3】それはそうだろう。この
日記は
彼と「
神とのかかわり
合いに
関する
白書のようなもの」(
友人のレイフ・ベルフラーゲ
宛の
遺書)なのだから。
【4】
神との
対話は
透徹した
自己省察となる。もし
神の
視線が
自分に
照射されたなら
明るみに
出されるのは
何か、それを
測り
尽くすとでも
言うかのように、ハマーショルドは
自分の
弱さと
卑小さを
見つめ
続けた。【5】「それから
目をそらしたなら、たちまち
自分の
行動の
誠実さを
脅かすことになるから」(
一九五七年四月七日)である。
傲慢さや
自己憐憫、
怯懦や
取るに
足らぬ
自尊心を
徹底的に
排除した。【6】
彼にとって
誠実な
生の
営みとは、
存在にまつわるそれらの
夾雑物をぎりぎりまで
削ぎ
落とすことだった。
日記中に
引用されている
次の
文章が、そうした
彼の
思考をあますところなく
伝えている。
【7】
大地に
重みをかけぬこと。
悲愴な
口調でさらに
高くと
叫ぶのは
無用である。ただ、これだけでよい。
――
大地に
重みをかけぬこと。(
一九五一年・
日付不明)
【8】「
大地に
重みをかけぬこと」とは、
言いかえれば
自己放棄つまりおのれを
空しくすることを
意味する。この
自己放棄(ないしは
自己滅却)という
言葉はしばしば
日記の
中で
用いられており、ハマーショルドの
思想的中心点の
一つだと
言ってよい。【9】それは
夾雑物に
惑わされたり、
自分自身にのみ
拘泥したりせぬことである。こうして
彼は、
精神の
高みに
飛翔する
瞬間のために
準備を
続けた。【0】まさに
魂の
彫琢とでも
呼ぶほかはない。
何がこれほどまでに、
彼を
魂の
彫琢に
駆り
立てたのだろうか。この
人の「
憧れ」は
何であったのか。ここで
私たちは、「よき
死のための
成熟」という
一つの
答えに
出会う。
「
死はおまえから
生に
捧げる
決定的な
贈物たるべきであり、
生に
対する
裏切りであってはならない」(
一九五一年・
日付不明)、そう
彼は
自分に
語りかけている。そこに
見られるのは、
漠然とした
死への
恐怖などではなく、
躍動する
生の
営みの
果てに
積極的に
死を
迎え
入れようという、
確固たる
姿勢である。みずから
命を
絶つ
諦めでもなければ、
他人の
生を
踏みしだく
傲慢さでもない。
死を「
生に
対する
贈物」にすべく
彼が
求めてやまなかったのは、「
成熟」ということだった。
一九五三年四月七日、
国連事務総長に
就任した
日の
日記には、くり
返しそれへの
渇望が
書かれている。たとえば、「
成熟――なかんずく、
子供が
仲間と
遊んでいるときのように、
現在の
瞬間に
明るく
澄んだ
無心さで
遊び、
仲間と
心がひとつになりきって
影ひとつささぬ
境地」。
遊びほうける
幼子との
結びつけが
意表を
衝くが、この「
無心さ」が、
実は
自己滅却と
同じものであると
考えるならさほど
不思議はない。こうして
彼は、
国連事務総長という、「
世界で
最も
不可能な
仕事」(
初代事務総長T・リー)を、
気負いも
昂ぶりもせずに、
成熟と
自己滅却という
自分自身の
原則を
静かに
再確認することだけで
始めたのだった。
(
最上敏樹『
国境なき
平和に』による)
【1】
劇は、つねに
宗教的な
秘儀のうちに、その
起原を
置いている。ギリシア
劇においては、そのことが
明瞭に
看取される。その
宗教的背景が、シェイクスピア
劇では、
一見うしなわれているかのように
見えるのだ。(
中略)
【2】もちろん、かれの
詩的天才を
疑うものはいない。またやや
通俗的ではあるが、その
作品の
劇的効果は
否定しえない。それにしても、
近代的な
合理主義からいえば、かれの
作劇術は、あまりにも
粗雑にすぎ、
実証的な
写実主義からいえば、
心理的リアリティを
欠いている。【3】その
精神や
思想にいたっては、
私たちはシェイクスピアのなかに
一個の
人間である
作者の
像をみとめることができない。つまり、かれは
近代的な
意味における
芸術家ではない。ひとびとはいうであろう、ハムレットやリアの
主張を
読みとることができても、
作者の
主張はどこにも
読みとれない。
作者はどこにいるのか、と。
【4】そういうひとたちに、
私は
答える。すでにいったように、
私は
個人の
主張などというものに、もはやなんの
興味も
感じない。
個性や
心理の、いかに
微細な
分析も、いまの
私にはなんら
新鮮な、
驚異や
喜びを
与えない。【5】すべてはわかりきったことだ。それらは
季節に
開花する
路傍の
花ほどにも、
私の
眼を
惹かぬであろう。が、
作者の
思想と
現実の
分析とがなくして、
現代文学はなりたたぬ。
問題は、それが
路傍の
花にどう
道を
通じているかである。【6】
私ばかりではあるまい。
私たちが
求めるのは
博物学でも
博物学者でもなく、
生きた
花なのではないか。シェイクスピアから
私たちが
受けとるものは、
作者の
精神でもなければ、
主人公たちの
主張でもない。【7】シェイクスピアは
私たちになにかを
与えようとしているのではなく、ひとつの
世界に
私たちを
招き
入れようとしているのである。それが、
劇というものなのだ。それが、
人間の
生きかたというものなのだ。
【8】
宗教的な
秘儀は、つねにそのことを
目的としていた。
見ることを
許された
特定のひとたちを、
眼前に「おこなわれていること」の
世界に
引きずりこむのが
秘儀の
目的である。いわば
路傍の
花が
私たちを
季節のなかに
引きずりこむように、
奥儀が
啓示されるのである。(
中略)【9】サルトルが「
嘔吐」のなかで
女にいわせている「
完璧な
瞬間」というのも、じつはそういうものを
背景にしなければ
成りたたぬのである。
対象とのあいだに、
違和感を
見ず、
自己も
対象も
部分のままでありながら、
全体に
抱きかかえられている
瞬間、それを
女は
欲した。そして
失敗した。【0】
相手の
男が
協力しなかったからである。ということは、
女は
男のまえで、
路傍の
花にたいするようにすなおに
自分の
違和感を
棄てさることができなかったということだ。のみならず、
女は
相手にそれを
棄てることを
求めていたのである。いいかえれば、
自分が
主役を
演じうるように、
相手がふるまうことを
期待していたのである。もし、
個人が、
個人の
手で
全体性を
造りあげようとすれば、
自分がその
中心になり、
相手を
自分のまえに
跪かせるまでは、とどまることを
知らぬのである。「
嘔吐」のなかの
女は、たとえ
受身の
端役においても、
主役を
批判し
制御しようとしているではないか。
対象を
路傍の
花にかぎれば、それは
逃避にしかならぬ。が、
自然のみを
対象とすることも、
今日ではすでに
逃避である。
天災と
戦おうとする
科学は、
私たちの
自然にたいする
支配慾の
現れかもしれぬが、その
裏で、もし
私たちが
自然との
調和だけを
心がけるとしたなら、やはりそれは
逃避であろう。
同様に、
階級や
戦争の
悪を
根絶しようとする
試みも、
私たちのあいだにあっては、
容易に
逃避に
転化しうるのだ。
(
福田恆存「
人間・この
劇的なるもの」)
長文 5.2週
【1】
就業人口の
半分以上が
従事する
産業に
時代を
代表させ、
社会の
発展段階を
狩猟社会、
農業社会、
工業社会、
情報社会と
分類すると、
現在は
情報社会の
盛期に
位置するという
解釈がある。
【2】それぞれの
社会がどれくらいの
期間にわたり
持続したかを
計算してみると、
現代の
人間の
直系の
祖先をネアンデルタールなど
後期石器時代の
人類とすれば、
狩猟社会は
数万年、
農業社会は
数千年、
工業社会は
数百年という
単位で
継続し、
二十世紀の
中ごろから
出発した
情報社会が
数十年という
単位で
経過したのが
現在ということになる。(
中略)
【3】
農業社会は
特定の
地域で
特定の
作物が
集中して
栽培される
単品種多生産方式が
特徴である。
工業社会になると、
種類を
限定した
製品を
大量に
生産する
少品種多生産になる。
情報社会になると、
工業製品であっても、
同一の
仕様のものはきわめて
少数しか
生産しない
多品種少生産が
特徴となる。【4】
情報社会の
産業のコメといわれる
集積回路(IC)の
中の
特定用途集積回路はその
代表である。この
特徴は
生産技術の
進歩にもよるが、
希少であるほど
価値があるという
情報の
性質を
反映していると
理解してもよい。
【5】この
方向を
発展させると、
一品種一生産という
特徴が
浮かび
上がる。ある
製品を
一品ずつしか
生産しないという
特徴は、
産業革命以前に
逆行するかのようだが、この
一品種一生産は
高度な
技術に
支援された
方式である。【6】
各種の
製品についてこのようなシステムが
実用化すれば、
一品種一生産であっても
産業革命以前とは
根本的に
違う
生産方式が
実現することになる。
農業の
発生と
並行して
集合し
定住するという
生活形態が
出現したが、それは
農業が
短期に
多くの
労力を
必要とするからであり、
労働集約生産が
農業社会の
特徴である。【7】
工業社会でも
労力は
必要だが、より
重要な
要素は
生産設備である。
高度な
設備の
導入が
生産効率を
向上させるため、
企業が
競って
工場に
最新の
設備を
投入する
設備集約生産が
工業社会を
特徴づける。
情報産業の
代表であるソフトウェア
産業では
状況は
大幅に
変化する。【8】この
分野は
新規の
労働集約産業といわれ、
端末装置が
配置された
部屋に
多数の
人間が
集まってソフトウェアを
生産する。しかしそれらの
人間は
肉体労働をしているわけではなく、
高度な
知識を
駆使して
知的生産に
従事しており、
知識集約産業と
表現するのが
適切である。
【9】
次期社会の
重要な
産業になると
期待されているものに
映像産業がある。
衛星放送やCATV(
有線テレビ)の
普及によりテレビジョンの
総放送時間数は
急増し、
今後十年間で
四倍程度に
増加すると
予測される。
一部は
過去の
映画などを
利用するとしても、ほとんどは
新規に
制作される
必要がある。【0】
この
制作も
多数の
人間による
労働集約的な
生産であるが、そこで
要求されるのは
農業社会での
労力でも
情報社会の
知識でもなく、
人間が
感動したり
感激したりする
内容を
創造する
能力である。この
能力を「
感性」と
表現すれば、
次期社会での
産業は
感性集約産業ということができる。
工業社会から
情報社会に
移行する
時期に、
重厚長大から
軽薄短小への
転換という
言葉が
流行した。
重量や
容積当たりの
価格が
高価な
製品に
産業が
移行するという
現象だが、「
軽薄短小」
以後は、そのような
言葉では
表現できない
製品を
生産する
産業が
登場してくる。
次代の
十兆円産業と
期待される
映像産業が
創造するイメージウェアは、
重量で
計測できる
製品ではなく、まったく
異質の
価値基準でなければ
測定できず、そこで
誕生してきた
表現が「
美感遊創」である。
(
中略)
終焉しつつある
情報社会を
代替して
出現する
感性社会では、
技術は
芸術も
目指し、
技術者は
芸術家に
変身すると
言えよう。
(
月尾嘉男「
産業技術」による)
長文 5.3週
【1】われわれのからだは、そのすべての
部分がいつも
同じようにはたらいているわけではない。
寝ているとき、
座っているとき、しゃべっているとき、
歩いているときは、はたらいている
神経も
筋肉も
同じではない。われわれは、
刻一刻たえず
新しい
身の
統合をなしとげている。【2】このたえず
変化する
動的な
統合の
複雑さには、どのような
人工的システムもかなわないだろう。だがこの
現実的な
統合が
身の
統合のすべてではない。
道を
歩いている
人のなかには、
剣道の
達人もあれば、ピアノの
上手な
人もあるだろう。【3】
道を
歩くという
現実的な
統合の
範囲にとどまるかぎり、ふたりの
身の
統合の
構造は
似たようなものであり、からだとしては
同じだ、といえるかもしれない。しかし、それがふたりの
身の
真の
姿ではない。ふたりの
身は、
今は
実現していないが、
実現しうる
潜在的な
統合可能性を
構造化している。【4】ひとりの
身のうちには、これまでの
剣の
立ち
合い、さらにはこれまでの
剣道の
歴史、
剣禅一致の
思想までも、
肉化しているかもしれない。ピアノを
弾く
人は、ピアノの
鍵盤を
身体図式のうちに
組みこみ、ピアノ
曲の
解釈の
歴史、
演奏法の
伝統をも
潜在的な
身の
統合のうちに
包みこんでいる。【5】
身は
解剖学的構造をもった
生理的身体であると
同時に、
文化や
歴史をそのうちに
沈澱させ、
身の
構造として
構造化した
文化的・
歴史的身体にほかならない。つまり
身体は
文化を
内蔵するのである。(
中略)
この
内蔵化の
過程というのは、
連続的な
過程にみえて、
実はかなり
不連続である。【6】スポーツでも
楽器の
演奏でも、あるいはもっと
抽象的な
学習でもよい。
試みるたびにうまくなり、
理解が
進むのは
当然として、あるとき
突然身の
動きが
自由になり、
頭が
晴れる
思いをすることがあるのではないだろうか。あたかもそれまで
無かった
網目が
突然身のうちに
張りめぐらされたかのように。【7】
経験は
身のうちに
沈澱し、くりかえしは(
能動的な
訓練の
場合はもちろん、とくに
意識することなくくりかえしている
場合でも)、
自分では
気がつかない
小さな
発見と
創造によって、まだ
不確定な
網目を
潜在的に
身のうちに
紡ぎ
出しているのではないだろうか。
【8】
練習は、
能動的に
身をある
方向に
整除して、
統合を
容易にする
回路を
身のうちに
形成する
試みである。
身体を
動かさないイメージ
練習や、イメージを
積極的に
浮かべて
練習することが、
動きを
内蔵する
早道であることがある。【9】これは
意識的・
能動的な
統合である。ところが
逆につぎの
段階では、イメージが
邪魔になる。こんどは
動きによってイメージを
消し、
無心の
状態に
達することが
必要になる。
場合によっては、
練習を
休むことによって、
上手くなったり、こつがつかめることさえある。【0】この
場合にはたらいているのは、
無意識的・
受動的な
統合ともいうべきものである。
休んでいる
間も
練習された
動きは、
徐々に
身のうちに
沈澱し、
動きのネットワークが
受動的に
構成され、あるとき
突然網目がつながるのであろう。
ところが
一たん
網目ができあがると、くりかえしはただの
反復に
陥りがちである。
最も
抵抗のない
道がえらばれ、
習慣は
惰性となるだろう。しかし
惰性なくりかえしは、あるとき
飽和状態になる。われわれは
突然惰性的生に
飽きていることを
発見する。
どんな
立派な
計画やユートピアにたいしても、「
否!」という
少数者がいるというだけではなく、
計画は
現実化するにつれて
惰性化し、それに
飽きた
多数者を
生み
出す。
哲学者の
故生松敬三氏の
巧みな
表現を
借りれば「
人間はユートピアにさえ
飽きる
存在」なのである。
人間は
座りつづけることもできないし、
立ちつづけることもできない。すぐに
惰性化する
存在でありながら、
惰性的でありつづけることもできない。
人間は
易きにつく
存在だから、
禁欲の
時代のつぎに
享楽の
時代が
来るのはわかりやすい
道理である。
面白いのは、
人間は
享楽にも
飽きるということである。
享楽の
時代のつぎに
禁欲の
時代が
来るという
不思議さ――
同じ
状態を
永くつづけることができない
人間のいたたまれなさは、
動かしがたくみえる
生き
方を
転換し、
不可避とみえる
袋小路を
打開する
力さえもっている。これが
惰性的=
創造的な
習慣的身体の
逆説である。
(
市川浩の
文章による)
長文 5.4週
【
長文が
二つある
場合、
読解問題用の
長文は
一番目の
長文です。】
マインド・コントロール
概念の
導入は、カルト
問題の
現場に
大きな
変化をもたらした。なぜ
人がカルトに
入信するかを
説明する、
明確な
道具ができたからである。それまでは、これらは
親子関係や
教育問題などから
言及されていた。マインド・コントロール
概念はメンバーが
自分に
起きた
出来事を
理解する
手立てとなり、
家族が
状況を
理解するためにも
役立った。これを
臨床心理学の
言葉に
置き
換えれば、
心理教育ということになるであろう。
心理教育とは、
症状や
行動がどのようなメカニズムで
起きているか、それを
緩和させたり
予防したりするにはどうしたらよいかを
教育する
介入方法である。この
機能は、
今後も
十分に
役立つであろう。
反面、この
説明がいつでも
有効性を
持つわけではないことも
事実である。ありがちなのは「
自分はマインド・コントロールされていたのではなく、
自分で
選んだのだ」という
主張である。この
場合、マインド・コントロール
概念は
自身のプライドを
傷つけるものとして
語られる。ここには、
自分には
十分なコントロール
能力があり、その
結果、
信じたのであって、
他人の
思うようにコントロールされていたわけではないという
反発のニュアンスが
含まれる。
実際、
個々のケースにおいて、
個人がどの
程度マインド・コントロールと
呼ばれるものの
影響下にあったかは、
究極的には
知る
術がない。
HowモードとWhyモード
マインド・コントロールという
社会心理学的説明で、すべてが
解決されるわけでもない。なぜなら、
社会心理学が
担えるのは
事象の
説明や
解明であり、
当事者が
自身の
経験をどう
受け
止めるかという
臨床的側面は
担っていないからである。「
自分がマインド・コントロールされていたことは、よくわかった。でも、それが
何になるのか」という
言葉を
当事者から
聞くことは、しばしばある。これは、How(いかに)とWhy(なぜ)の
相違である。
人の
持つ
知的欲求として「どうして」を
知りたい
場合と「なぜ」を
知りたい
場合とがある。これは
対象となる
事象によっても
異なるであろうし、どちらを
知ることが
満足につながるかが
個人のメンタリティによって
異なることもある。カルトがもたらす
信念は、
元来Whyに
重点を
置くものである。
例えば「なぜ
社会には、こんなに
悪がはびこっているのか」「なぜ
私は、こんなに
生き
辛いのか」などの
疑問や
苦悩に
答えるところから、これらの
信念は
魅力を
呈する。よって、これらの
集団にはWhyに
関心を
引き
寄せられやすい
人が
残ることになる。
Whyは
形而上的な
問いであり、そもそも
多くの
人が
納得する
正答を
用意する
性質のものではない。カルト・メンバーに
教義論争を
吹き
掛けて、
出口の
見えない
堂々巡りに
陥るのは、このためである。
信じるか
信じないかの
基準しかないものに、
客観的な
正当性を
求めるのはナンセンスである。したがって、カルト
的思考を
持った
個人が
別の
視点を
見出すのは、
刑而上
的な
問いの
前提に
自ら
疑問を
持つときか、
思考の
方向性がHowのモードに
切り
替わったときのいずれかであろう。そこで
個人がHowを
理解すれば、それだけで
事足りる
場合もある。だが、そもそもWhyに
関心を
持っていた
彼らは、
原点に
戻る
場合も
少なくない。それは、
哲学的・
宗教的問いに
対する
絶対的な
答えを
失い、
呆然と
立ちすくむWhyであることも、
過去の
個人的経験に
対するWhyであることもあるであろう。
(
戸田京子「カルト
問題における
心理学――
社会心理学から
見えるもの・
臨床心理学から
見えるもの」による)
【1】「
日本人は、
奈良時代には
梅が
好きだった。ところが
平安時代から
好みが
変って、
桜を
愛するようになった」
と、こんなことを
教室で
教えられたり、
本で
読んだりしたことは、ないだろうか。
少くとも
私はそうだった。こう
書いてある
本も、いっぱいある。
【2】しかし、そんな
事実はない。
太古以来、
日本人は
桜を
愛してきたのである。
それでは、どうしてこんな
間違いがおこったのか。じつは
奈良時代にできた『
万葉集』という
歌集でいちばんたくさん
詠まれた
花は、
梅である。
だから、みんな、
梅が
好きだったと
思った。
【3】ところが、これは
当時の
中国好みの
貴族趣味によるもので、ある
歌人などは
梅見に
人びとを
招集し、みんなでいっせいに
四十首ほどの
梅の
歌を
作った。おまけに、
後からこの
時をしのんで
梅の
歌を
作った
人もある。
こうなるといっきょに
梅の
歌の
数がふえてしまう。【4】その
数を、
歌の
性質を
吟味しないで
数えたから、
個人やごく
少数の
人の
好みを、
一般の
人の
好みと
勘ちがいしてしまったのである。
反対に、
単純に
桜の
歌を
数えると、
数は
梅に
及ばない。しかし
桜が
民衆的には
熱烈に
愛されていることがわかる。
【5】また、
平安時代になっても、ごく
初期のころには、
宮中の
正殿の
前に、
梅と
橘が
植えられていた。それが
火事で
焼けて、その
後桜と
橘に
変った。そこでまた、
人びとは
梅から
桜へと
趣味が
移ったと
誤解するのだが、
最初は
万事中国好みの
宮廷だったから、
梅を
植えたのである。【6】やがては
素直に、
日本趣味にしたがって
桜を
植えた。
そこで、
今後は
若い
世代にも「
日本人はずっと
桜を
愛してきた」と、
言おうではないか。
しかし、そうなると
日本人はどうしてこうも、
長い
間桜を
愛しつづけるのだろうという
疑問がわく。【7】もう
桜は、
遺伝子の
中に
組みこまれてしまった
記号だろうか。(
中略)
もう
桜は、
日本人の
遺伝子の
問題である。
ではどんな
遺伝子なのだろう。
先ほど『
万葉集』について
述べたが、その
中に、
次のような
一首がある。
桜花 時は
過ぎねど
見る
人の
恋の
盛りと
今し
散るらむ
【8】
桜の
花はどうして
散るのか、
作者は
推測する。「この
桜の
花は
次のように
思って
散るのではないか」と。つまり
桜は「
私を
見ている
人は、いまが
一番私を
愛してくれている」と
思う。だから
桜はしおれるのを
待たないで
散ろうと
思う。
そう、
作者は
桜の
落花を
納得した。
【9】
人間にいいかえてみると、
恋人がいま、
一番私を
愛してくれている。だから
自殺をしよう――そう
思うことになる。
そんな
人がいたら、
盛りの
命の
死を
惜しまない
人はいない。
もっと
生きつづけて
永遠の
愛に
生きればよかったのに、とやや
批判をする
人もいるだろう。【0】しかし
反面、
長くは
生きられない
命だから、
花の
盛りに
死んでよかった、と
賛成する
人もいるだろう。
いずれにしても、これらは
時間の
中で
命を
見ていることに
変りはない。
命は
時間の
力を、まぬがれがたい。
このもっとも
根元的な
命の
課題を、
死からもっとも
遠い
花の
絶頂期に
考えることの、
衝撃力は
強い。
万葉の
歌の
作者は、
桜の
花をじっと
見ることによって、
無意識に
体の
中にたたえられていた
命のうつろいが
誘い
出され、
花の
姿がわが
命の
代行者として
映ったのだろう。
人間の
死の
想いを
誘い
出したものは、
花のあまりもの
美しさだったことになる。
(
中西進の
文章による)
長文 6.1週
【
一番目の
長文は
暗唱用の
長文で、
二番目の
長文は
課題の
長文です。】
【1】
一七九〇
年、フランス
革命政府議会は、それまでのように
人体を
尺度にした、
地方ごとに
違う
長さの
測り
方をやめ、
世界中同じ
単位で
長さを
測れるようにしようという
決議をした。【2】この
時代には、グローバリゼーションの
震源地はアメリカではなく、フランス
革命政府だったのだ。
【3】だが
同様に
普遍指向が
強かった
古代ギリシャの
生んだ
哲学人プロタゴラスは、「
人間は
万物の
尺度なり」という、
特殊指向こそが
普遍的だという、
見事な
逆説的命題を
吐いた。【4】
実際、
人体のさまざまな
部分を
規準にした
尺度は、
十八世紀末までは、まさしく
普遍的に、
誰もそれを
怪しむことなく、
国ごと、
地方ごとに
用いられていたのだ。
【5】フランスで
当時用いられていた、
長さを
測る
単位には、アンパン(
片手の
指をいっぱいに
広げたときの
親指の
先から
小指の
先まで)、クーデ(
肘から
伸ばした
中指の
先まで)、ピエ(
足の
意。ヤード・ポンド
法のフィート「
足」に
対応)、【6】プース(
足の
親指の
意。
一ピエの
十二分の
一)、トワーズ(
身の
丈の
意。
六ピエ)、ブラス(
両腕を
伸ばして
広げた
長さ。
五ピエ。
日本の
尋に
対応)
等があった。【7】クーデに
対応する
日本の
尺は、
呉服尺、
鯨尺、
曲尺でも
違うが、やはり
前腕の
骨の
長さから
来た
尺度だ。【8】
布などを
測るのに
肘を
曲げたかたちは
測りやすいのか、
西アフリカのモシ
社会でも、
細長い
帯状に
織った
綿布を
売るとき、
曲げた
肘から
中指の
先までの
長さを
単位にして
測る(カンティーガ、
複数でカンティーセという)。【9】
日本語で
前腕の
小指側の
骨を
尺骨と
呼ぶことからも、この
測り
方と
前腕との
関連が
窺われる。
尺骨を
指す
ラテン語の
解剖用語はulnaだが、これは
古代ローマでの
長さの
単位でもあった(
三七センチに
対応するから、
日本の
呉服尺と
鯨尺のあいだくらいの
長さだ)。【0】
尺という
漢字は
手の
親指と
中指を
開いた
象形で、
日本では
咫だ(
掌の
下端から
中指の
先までともいわれる)。
一七九一年、フランス
革命政府は
学者を
招集して、
地球の
北極点から
赤道までの
経線の
距離の
一千万分の
一を、
世界に
共通する
長さの
単位とすることを
決定した。だが
実際にこの
距離を
測ることはできないので、フランス
北岸のダンケルクから、
地中海に
面したスペイン
領バルセロナまでを
精密な
三角測量で
測り、
両端の
地点の
緯度から、
北極点・
赤道間の
距離を
算出するという
方法がとられた。
この
二地点のあいだは
山岳地帯が
多く、
革命直後で
政情も
不安定であり、
測量は
困難を
極めた。それでも
一七九八年に
測量を
完了し、
翌年には
白金製のメートル
原器が
作られた。
地方ごとに
人間中心で
作られていた
尺度を、ヒトを
離れた「
地球」(グローブ)の
寸法から
割り
出すことにしたのだから、これこそ
語義通りの「グローバリゼーション」の
先駆けというべきだろう。
(
中略)
アメリカ合衆国は
一八七五年の
国際メートル
条約の
原加盟国だが、ヤード・ポンド
法は「
慣習的単位」として
禁止されていないどころか、
日常生活ではこちらの
方が
普通に
用いられている。しかもアメリカの
影響が
強い
航空・
宇宙関係の
国際用語では、
メー
トル法を
採用している
国も、アメリカの「
慣習的単位」に
合わせざるをえない
状態だ。
国際線の
旅客機でも、
高度や
距離の
表示に、メートルとフィートが
併用されていることは、よく
知られている。
現代におけるグローバル
化の
中心にある
米英が、かつてのフランス
主導のグローバル
化に
対して、ローカルな「
慣習的単位」に
固執している
事実を
見ても、グローバル
対ローカルという
関係が、
文化外の
要素も
多分に
含む「
力関係」の
上に
成り
立っていること、
普遍指向と
特殊な
慣習的価値の
尊重という
対立も、
状況次第、「
力関係」の
都合次第でいかに
変わるものであるかがよく
分かる。
(
川田順造『もう
一つの
日本への
旅』による)
【1】もしも「
忘れる」という
現象が
境界の
融けてしまう
現象であるとしたら、この「
融けてしまう」という
現象の
形で
現れているものをさらに
私は
問わなくてはならない。というのも「
融けてしまう」というのは、
融けて
消えてしまうというような
意味では
決してないからである。
【2】
融けるというのは、
一滴のインクが
大海のなかに
拡散的に
融けてなくなるというようなものではない。そうではなくて
自分を
保ちながら、ある
相手と
交わり、そのあいだの
境界を
融かしてしまうあり
方のことをここでは
意味している。
【3】これはある
交流の
形態である。
私たちはたしかに
大気や
大地といつも
交流し、
交感し
合っている。
実際私たちの
生理現象(
呼吸や
消化や
新陳代謝等)はまさに
大気や
大地との
相互性そのものである。しかし
問題は、そういう
相互性そのものに
目をとめよ! というところにあるのではない。【4】そうではなくて、そういう
相互性を
私たちは
少しも
自覚していない、つまりそれを
忘れているという
現象の
方に
注目しようというのである。
生理学や
生態学であれば、おそらくその
相互性そのものに
諸手でとびついて、いかに
生体が
環境世界と
交わり
合っているか、
得意気に
説明しにかかるであろう。【5】
素人の
私たちは、そんなにもたくさんな
関係を
自分たちは
外界とむすんでいるのかと、
説明されるたびに
感心することになるだろう。けれども
実際のところは、そういう
説明を
聞いたその
十分もたたないうちに、
大地の
上を
二本足で
歩き、
空気を
吸って、つねに
新陳代謝していることなどキレイさっぱり
忘れて
行動しているのである。これが
日常の
姿である。
【6】これはどういうことなのかというと、
私たちはこの「
忘れる」という
形で、
実際のところキレイさっぱり
大気や
大地のことを
忘れ
去っているのではなく、
私たちと
大気や
大地との
関係を
気にもとまらないほどに
融け
合わせている、ということだったのである。【7】つまり
融け
合うという
形で
相手と
交流し
合っていたのである。「
忘れる」とは「
失う」ような
関係ではなく、もっと
積極的な
相手との
交流の
実現の
形だったのである。
私はここで
一気に
主題の
核心を
取り
上げておこうと
思う。【8】それは
私たちの
存在様式が、その
根本において、
個体としてではなく
交わりとしての
存在様式である、ということについてである。つまりある
存在があってそれが
外界と
関係をもっているというのではなく、そもそもはじまりそのものが
交わりとしてある、ということについてである。
【9】この
根源としての
交わりを「
忘れる」ことによって、
私たちは
逆に、
交わっていることよりか、
互いに
区別し
合って
境界をもっていること、つまり
私たちが
個体であることの
方をより
自覚してきたのである。「
覚えている」とはまさに
境界を
覚えていることであり、
覚醒とは、
個体であることの
自覚なのである。【0】
根源に
交わりがある。いや
根源が
交わりである。このことを
本当に
理解することは、
今日ではしごく
難しいことになってきている。なぜなら
私たちは
交わりということを
思い
浮かべる
前に、かならず
個体を
想定してしまうことに
慣れているからである。
出発は
個体ではなく
交わりそのものである。このことの
理解がしだいにできなくなりつつある。
「
根源としての
交わり」と
私が
呼んだもの、それを
私たちのよく
知っていることばにい
直せば、
生命ということになる、と
私は
思う。(
中略)
結論をさきにいえば、
意識や
心理や
認識はすべて
個体の
現象として
扱える
面があるのに(むろんそれはみかけにすぎないのだが)、
生命には
個体をこえる
拡がりがあるかのように
感じられるからである。(
中略)
問題は
生命なるものを
日常的に
問う
観点が
発見されていないところにあるのではないか。
宗教用語や
生物-
生理学用語で
記述される
生命以外に、
日常用語で
記述される
生命がまだないのではないか。その
辺が
最大の
問題であるように
私には
感じられてきた。
(
村瀬学の
文章に
拠る)
長文 6.2週
【1】ニュートンが
集大成したようなテクノロジー
科学はたんに
思想上の
成果として
学者たちの
規範になっただけではなかった。それは
政治的・
社会的にも
支持を
獲得することができた。というより、
政治的・
社会的に
同様のエートスがすでに
生成され
定着しつつあったために
支持を
得ることができたのである。
【2】このことをもっと
立ち
入って
論じてみよう。テクノロジー
科学は
十七世紀に
登場した
近代国家の
中に
受容された。
何かを
作れたりするという
意味で
有用であったから
受容されたのだろうか?
必ずしもそうではない。【3】そう
見るのは、
狭隘な
実用主義的短見である。テクノロジー
科学はいわば「イデオロギー」として
近代的政体に
取りこまれたのである。
近代政治哲学の
伝統は、イタリアのニッコロ・マキアヴェッリによって
始められたと
言われる。【4】
彼の
政治哲学は、
政治の
目的や
理想をほとんど
問題にしない。それは、
与えられた
状況下で
君主がいかにして
他の
有力なライヴァルたちの
詐術にかかって
敗北することなく、
人民にほどよく
信頼され、すなわち
恐れられすぎもせず、かといってあなどられもせず、
統治できるかの
技法について
論ずる。【5】『
君主論』(
一五三二年)は、
君主の
闘争手段として、
法と
力をあげているが、マキアヴェッリが
主として
考察の
対象とするのは、
力による
統治である。
彼によれば、
君主は
野獣性と
人間性とを
巧みに
使い
分け、ともかく
勝利しなければならない。それゆえ
力の
保持が
重要である。【6】「
武装せる
予言者は
勝利し、
武力なき
予言者は
破滅する」(
第六章)のが
政治の
冷徹な
法則である。このような
政治技法は、マキアヴェッリを
待たずとも、およそ
政治が
存在してからというもの
現実に
行われていたに
違いない。【7】けれども、
彼は
政治悪を
現実に
認容し、
自分の
名前で、
一書をもって
理論化をあえてした
点で
嚆矢をなすのである。(
中略)
近代自然哲学は
機械論的であると
言われる。
機械論的自然像とは
自然を
機械として
見る
考えをいう。【8】
説明することが
困難な
生命的、
有機的なことがらを
可能な
限り
排除しようとするのである。
抽象的言葉づかいでは、「
自然は
微粒子の
位置運動からなる」と
言いかえられる。デカルトは、
宇宙が
微粒子の
集成で、それらを
統御しているのは
数学的自然法則であると
見る、
機械論的宇宙像の
最初の
提唱者となった。【9】
数学と
自然学における
波の
最重要概念は「
分析」であった。
十七世紀には、
最も
精緻な
機械は
機械時計であると
考えられていたので、
科学革命当時、
自然は
時計と
類比的に
見られた。(
中略)
自然は
生きているに
違いないが、とりあえず
機械と
見てそれにアプローチしようとするのが、テクノロジー
科学の
方法論的合意なのである。【0】そうアプローチする
方が、
自然を
理解しやすいからである。
換言すれば、
技術的に
操作することが
可能になるのである。その
点で、テクノロジー
科学はマキアヴェッリの
政治哲学に
実によく
似ている。
彼にとって
政治とは
人民の
統治の
技術なのである。「いかにして」の
技術なのである。
マキアヴェッリのリアリズムは、
前述のようにベイコンによって
高く
評価され、さらにホッブズによって
近代科学的よそおいをほどこされた。
ホッブズは
国家を
機械と
見たのである。
伝統的主権者(
王権)は
神秘的仮面をはがされ、
国家をよりよく
統治し、
人民に
安寧を
提供しうるもののみが
主権者に
値するとされた。ホッブズにとって、
政治科学にアプローチする
最も
重要な
概念は、「
分析」であった。
彼によって、
国家の
成り
立ちは
個々人にまで
分解(
分析)され、こうした
個々人の
安全(
最悪の
事態としての
突然の
暴力死の
回避)を
保障してくれる
政治システムはいかなるものであるかが
探究された。こういうアプローチの
仕方から
得られる
帰結は、
主権者は
誰でもよい、したがって、
政体は
君主制でも
共和制でもどちらでもよい、
要は、
人民に
安定した
生活を
約束してくれれば、
政治の
最低の
役割は
果たされる、ということである。このリアリズムの
観点に
立った
政治科学は、
誰にでも
評価されるはずであったが、
現実認識があまりに
冷徹すぎたために、ホッブズは
彼の
先駆者マキアヴェッリ
同様みなから
嫌われた。
今日でもあまりに
正直すぎる
者が
嫌われの
的になるように――。
長文 6.3週
【1】このように、
一七世紀から
一八世紀にかけて、すでに
地球や
自然界の
歴史的展開ということは
何人かの
人びとにとっては
当然のこととなってはいたが、しかも、
一つ
大切な
点は、そうした
時期における「
自然界の
歴史的展開」は、「
進歩」すなわち「
悪い
状態から
良い
状態へ」という
価値スケールのなかで
考えられていたわけではないという
点である。【2】むしろ、
自然は
人間の
堕落に
見合うように
神が
悪い
状態に
造り
変えているのであり、それが
破局の
積み
重ねとなって
最後の
審判にいたるのだ、という
考え
方が
強かったと
言えよう。
【3】こうした
終末論的な
悲観論を
逆転させた、
地球、
生物界、そして
人間社会の
歴史が「
悪い
状態から
良い
状態へ」の「
進歩」の
歴史である、という
楽観主義は、まさしく
啓蒙主義と
産業革命の
所産であったと
言えよう。【4】
一七世紀までの
神の
支配する
自然という
考え
方から、
人間の
支配する
自然へという
一八世紀啓蒙期の
考え
方への
転換が
如実に
示すように、
歴史は
自分たちの
手で
築くものであり、また
世界の
歴史は、より
良い
方向に
向かってつねに
進んでいるという「
進歩」の
思想がヨーロッパ
世界を
強く
支配し
始めた。【5】それが「
生物の
進化」、すなわち
下等動物から
高等動物へという
価値尺度を
歴史が
昇りつめてきた、という
思想を
下から
支えることになったのである。
したがって、
生物進化論はそうした「
社会進化論」と
密接に
連なっている。【6】たとえばのちに
見るように「
適者生存」や「
生存競争」など
進化論の
概念として
使われているものは、もともと
資本主義の
理念としての「
自由競争」に
由来していて、「
社会進化論」の
強力な
推進者として
知られているスペンサー(
一八二〇−
一九〇
三)の
用語であったし、【7】ダーウィンやウォーレスの
生物進化論のきっかけが
社会学者としてのマルサス(
一七七六−
一八三四〉の『
人口論』であったことも、
生物進化論と
社会科学的思想との
強い
関連を
物語っている。(
中略)
【8】ダーウィニズムは、すでに
述べたように、
社会思想から
重要なフィード・バックを
受けていたが、ダーウィニズム
自身が
今度は、
人類の「
社会」
的問題を
扱う
思想領域へ
逆にフィード・バックすることになった。
【9】「
最適者生存」の「
最適者」という
概念を、きわめて
恣意的に、
自分の
都合のよいように
解釈して、それを
倫理や
社会思想の
面に
応用しようとする
態度が、『
種の
起源』
以後急速に
拡がっていくのがそのことを
示している。【0】
自由競争という
資本主義の
理念こそ、その
競争のなかで
最良のものが
生き
残るという
生物学的原理が
保証する
社会進歩の
原理なのであって、
競争を
否定する
社会主義では、
人類社会の
進歩は
希めない、という
社会主義批判も、「
科学」の
名のもとに
横行したし、「
天賦人権論」など
万人が
平等な
権利をもっているとする
発想も、ダーウィニズムの
名で
攻撃された。たとえばチェンバレン(
一八五五−
一九二七)は
元来はイギリス
人(
一九〇
八年ドイツに
帰化)でありながら、
一八九九年に『
一九世紀の
基礎』という
書物をドイツ
語で
書いたが、この
書物は、
人種の
優劣を
生物学的に
証明しようとし、とくにゲルマン
民族の
優秀性を
強調して、そこに
暗に「
優勝劣敗」というダーウィニズムの
通俗的スローガンを
示唆したし、ダーウィンの
従弟ゴルトン(
一八二二−
一九一一)が
始めたと
言われる「
優生学」は、
一方において、
遺伝的操作のなかで
悪性の
素質を
排除すると
同時に、
他方では「
優れた」
素質を
伸ばすという
考え
方を
基にしており、「
人種改良」や「
人間の
進化」が
現実の
問題として
浮かび
上がってくることにもなった。
しかし、このように、「
人間」が「
人間」の
素質の
善・
悪を
判断し
操作するという
思想がきわめて
危険であることは、ナチズムの
例が
鮮やかに
教示してくれており、「
優生学」が
一部には
進化論を
中心とする
純粋の
科学理論に
根を
下しているだけに、これまでになかった「
人間の
手による
人間の
人為淘汰」という
思想の
合理化さえ
行なわれるようになったことは
注意しなければならない。そして、このような「
人類」の
進化や、「
人類の
改良」という
着想から、いわゆる
一九世紀末の「
超人思想」も
現われてくることになると
言えよう。
(
広重 徹・
伊東俊太郎・
村上陽一郎 『
思想史のなかの
科学』
村上氏執筆部分より)
長文 6.4週
【
長文が
二つある
場合、
読解問題用の
長文は
一番目の
長文です。】
「
私が
結婚相手に
望む
経済力は、そんなに
大きなものではありません。ただ
私と
子ども
二人が
安心して
暮らせる
程度でいいのです。
子どもには
小さいときから
習い
事をさせてやりたいです。お
金がないからといって
子どもにみじめな
思いをさせるのだけは
絶対にいやです。そして、
子ども
二人を
私立大学に
行かせてやれるくらいの
給料は
求めます(だって、
私もそうしてもらったので
当然だと
思います)。
月に
一回は
外食し(もちろん
廻るお
寿司ではなく、お
洒落なイタリアンとかです)、
年に
一回は
海外旅行に
行く。そういう
程度の
経済力です。
私には
玉の
輿願望はありません。
私の
両親が
夫の
両親に
対し、
肩身の
狭い
思いをするのはいやなので、
軽い
玉の
輿程度で
十分です。もちろん
夫は
真面目に
働く
人でないと
困ります。ちょっといやなことがあると
会社を
辞めるとかされたりすると、とても
困ります。それから、
土曜日には
子どもを
連れて
公園でサッカーしたり、
川の
堤防の
下でキャッチボールしたりするのを、
私は
堤防の
草むらに
坐って
眺めるのが
夢です。それから、
煙草を
吸う
人は
絶対にお
断りです。
本人よりも
周りにいる
私や
子どもたちの
受動喫煙が
怖いからです。
家族(
子どもと
私の
両親)を
大事にして、
結婚記念日とかは
絶対に
覚えていてくれないといやです。あとDVとかして、
暴力を
振るう
人ももちろんお
断りです。まだ、
他にもありますが、
先生が
三つまでと
言われたので、このくらいにしておきます」
言っておくが、これは
学生の
書いたものを
合成したり、
特定の
個人のものを
意図的に
抽出したりしたものではない。みんなみんな、こう
書いてくるのである。なんでここまで
同じなのか、
私が
聞きたいくらいである。この
女子学生の
結婚願望を
男子学生に
紹介すると、
教室中に「
冬虫夏草」みたいな
菌糸状のものが
浮遊する。
漠然とした
怒りと
不安めいたものだ。
こういう、
学生の
書いたものを
何年も
多数読んできて、
私はこの
国の
晩婚化は
止まらないと
思ったのである。
今は、まだ
晩婚化で
済んでいるが、これから
非婚率の
上昇も
必至である。
就職難と
結婚難が、
双子になってやってくる。
男の
子は、
正社員として
就職できずにフリーターになれば
結婚できない。
結婚できないで
家庭を
持てないから、
就労意欲が
低下し、ますます
離職が
促進される。
女の
子は、
正社員で
就労意欲の
高い、ついでに
給料も
高い
男性目指して、「
容貌偏差値」を
上げるのに
余念がない。しかし、「
実用偏差値」はきわめて
低い。
料理を
作ったことがない。ご
飯を
炊いたことがないという
女子は
多い。なぜなら、
女子学生の
母親は「
女は、
結婚するといやでも
家事をしなければいけないから、
家にいるうちはそんな
苦労をさせたくない」と、
娘に
家事をさせないからである。むしろ、
男子学生の
母親の
方に「
将来、
息子が
結婚したら、
奥さんも
働いている
可能性が
高いので、
男も
家事ができなければならないので、
今から
教えている」と
語るケースが
多かった。だから、
男の
子の
方が、
基本的な
炊事はできるのである。
現在、
大学生はとても
忙しい。
授業以外に
専門学校に
行き、アルバイトもしている。
「バイトで
深夜の
十二時にアパートに
帰り、カップ
麺を
食べていると
侘しくなり、
就職してもこういう
生活かと
思うと、
家に
帰ったときにはやはり
誰か
人の
気配があってほしいなと
思います」
こういうことを
女子学生が
書いてきたケースは
一回もない。
男子学生にのみ
見られる。こういう
生活実感から
来る
結婚への
憧れは、だからこそディテールに
凝った
具体的なものになるのであろう。
(
小倉千加子『
結婚の
条件』)
【1】
今の
世の
中、
孤独という
言葉は、なぜか
悪いイメージで
塗り
固められている。いつからそうなったのか、
私は
知らない。いつの
頃からか、
引きこもりという
言葉が、
現代の
若者や
子どもたちの、
社会や
学校に
出られないで
家にこもり
切りになる
特殊な
状態を
指すようになってから、
孤独のイメージはすっかり
悪くなった。【2】い
換えるなら、
引きこもりの
若者や
子どもたちが
何万、
何十万という
数になってから、いよいよ
孤独のイメージは、
社会的に
手を
差しのべてあげなければならないもの、
克服しなければならないもの、といった
否定的なものになってしまったのだ。
【3】もちろん、
集中的ないじめを
受けたり、
心の
病になったりして、まともに
対人関係を
保てなくなった
場合には、
周囲からの
何らかのサポートが
必要であることは
言うまでもない。そういう
場合の
孤独と、
人間ひとりが
生きていくうえで
本来的にまつわりつく
孤独とでは、
本質において
違うもののはずだ。
両者の
間に
明確な
線引きはできないにしても。
【4】ところが、
両者をいっしょくたにして、すべて
孤独はあってはならないものであるかのような
風潮になっているところに
問題がある。
子どもには
子どもなりに、
心の
成長や
考える
力をつけるためには、
孤独な
時間はとても
大事なのに、
今の
社会はそのゆとりを
持たせようとしない。【5】ミヒャエル・エンデの『モモ』に
描かれた「
時間貯蓄銀行」の
銀行員のように、
何もしないでいると、たとえば、「あなたはきょうは、
二時間三十一分四十七秒無駄にした。
一生は
六十六万六千四百三十二時間二十五分四十八秒しかないのだから、
時間をそんなに
無駄にしてはいけない。【6】
一分一秒でも
何もしない
時間は
私どもに
預けなさい」といったぐあいに
迫るのだ。
やれ
塾に、やれお
稽古に、やれ
宿題に、と
迫られることに
耐えられない
子どもたちは、ゲームやケータイやパソコンに
没入する。【7】
大人たちは
奇妙なことに、ちゃーんとゲームやケータイやパソコンを
大量生産して、
子どもたちがどんどんその
世界に
入るのを
誘っている。そういうものをどんどん
子どもに
与えるのは、「
麻薬を
与えるに
等しい」と
言ったのは、
医療少年院に
勤務する
精神科医・
岡田尊司氏だ。
【8】ダブルバインド(
二重拘束)という
精神医学用語を
紹介したことがある。
社会学や
人類学などマルチな
才能を
持つベイトソンという
学者が
作った、
人間の
心の
領域にかかわる
用語だ。ベイトソンが
紹介している
象徴的な
症例はわかりやすい。
母親が
精神病院に
入院中の
息子に
面会に
行く。【9】
息子と
並んで
座った
母親は、
口では「あなたを
愛してるのよ」と
言うが、
内心では
息子を
恐れている。
息子は
言葉をそのまま
受けとめ、
嬉しくなって
母親にキスをしようとする。ところが、
母親は
一瞬だがピクッと
顔をこわばらせ、キスされるのを
避けるように
身をそらす。【0】
内心が
身体に
表れたのだ。
息子は
鋭く
母親の
二面性を
読み
取り、
病室に
駆け
戻る。
母親が
帰った
後、
息子は
暴れまくり、
保護室に
入れられてしまう。
親が
二律背反のことを
同時に
子どもに
言うと、
子どもはどちらを
選んでいいかわからなくなり、
精神的に
混乱したり、
身動きができなくなったりする。そういう
親に
育てられた
子は、
心の
発達にゆがみが
生じるおそれがある。これがダブルバインドとその
結末だ。
(
柳田邦男の
文章による。
一部省略がある。)