(Translated by https://www.hiragana.jp/)
課題集
長文 4.1週
【
長文が
二つある
場合、
音読の
練習はどちらか
一つで
可。】
【1】
生物の
遺伝的複製技術という
意味でのクローニングは、
衝撃ではない。
誰でも
知っている、
植物のいちばん
簡単なクローニングは、「さし
木」というかたちである。
動物の
場合は、さし
木というわけにはいかないが、
体の
一部分から
全体が
再生するものはいる。【2】
人間も
含めた
脊椎動物にとって、
最も
身近なクローニングは、
一卵性双生児である。それほど
頻繁に
起こるわけではないが、しかしひとつの
受精卵に
由来し、しかも
同一の
子宮で
育つ
一卵性双生児が
存在することは、
古くから
知られている
自然界の
出来事である。【3】この
点では、
体細胞の
核移植により
作られ、
母親とは
別の
胎内で
育てられてできている
羊や
牛のクローンなどよりも「
完璧な」クローンであると
言える。
【4】
羊や
牛のクローニングが
社会的に
衝撃を
与えたのは、
言うまでもなく
動物の
核移植クローニングという
技術が、
人間にも
応用されるのではないか、そして、ひとりの
人間から、
大量にコピーが
作られるのではないかという
憶測と
危惧のためである。【5】
同じ
遺伝子だから
同じ
人格が
作られるという
憶測である。
一卵性双生児でさえ、それぞれに
独立した
別個の
人格を
認めていることを
考えれば、このような
遺伝子決定論が
間違いであることは
明白である。【6】にもかかわらず、
人間の
大量コピーというイメージが
一般化したのは、
特に
合衆国において、
遺伝子を
絶対視し、
環境因を
軽視する
傾向があるためでもある。【7】このことをスティーヴン・J・グールドは、「
生まれ」に
気をとられるばかりに「
育ち」の
重要さを
見落としている
社会の
危険性として
早々と
指摘していた。
【8】「ドリー」のニュースをはじめ、その
後各国で
報じられるクローニング
成功のニュースに
接するたびに、わたしの
脳裏に
浮かびあがる「
複製」のイメージがある。
一九九三年(
平成五年)
秋、
伊勢神宮で
見た
光景である。【9】この
年は
二十年に
一度の「
式年遷宮」の
年にあたるが、そのクライマックスである「
遷御」の
日、
内宮のなかを
撮影しながら、
日の
落ちる
夕刻まで
歩いたことがあった。【0】
二十年ごとに
御正殿をはじめ、
神宮すべての
神殿から
神宝までを
新しく
作り
替える「
式年遷宮」は、
簡単に
言えば
神々のお
引越しであるが、わたしには、それが
形態的には
一種の
複製の
儀式のように
見えたのである。
建築的には
耐用年数にいたらない
二十年というサイクルで、いっさいの
神殿がまったく
同じ
技法と
形態のもとに
作り
替えられる
理由については、いくつもの
説があるが、
現実的な
意味で
説得力があるのは、「
唯一神明造」と
呼ばれる
建築様式の
知識と
技法を
伝承してゆくための
期間として、
二十年が
適当であったのではないかというものである。
確かに
平均寿命が
現在よりもずっと
短かった
時代に、
親から
子へ、
複雑で
精緻を
極めた
建築技法を
伝えるには、
十年では
短かすぎ、かといって
三十年では
長すぎたのかもしれない。いずれにしても、「
式年遷宮」という
儀式の
二十年という
社会的時間が、
世代間の
知識の
伝承という
時間に
関係しているという
説は、できたばかりの
白木の
神殿をレンズ
越しに
眺めながら、すんなりと
受け
入れることができたのだった。(
中略)
「
式年遷宮」における
広い
意味での
様式の「
複製」は、その
背後に
人生と
社会が
取りもつ「
時間性」があるが、
核移植クローニングによる
人間の「
複製」には、この「
時間性」が
欠落している。クローンである
親から
生まれた
再クローンの
牛が
誕生している
今日、クローニングを
重ねるごとに、
細胞が
若返る
可能性があるという
研究報告さえ
出てきているが、
結果の
当否は
別にして、
現在わたしたちが
目の
当たりにしているクローニングとは、これまでの
生物が
性を
介して
営んできた「
時間性」に、
根本的な
変更を
要請するものではないだろうか。クローニングの
登場によって「
適齢期」という
言葉が
死語になるとは
思わないが、しかしおしなべて
生物は、「しかるべきときに、しかるべきことを」しながら
世代を
継いできたのだ。それは「しかるべきときに、しかるべきことを」という
性の
規則を、
時間性として
社会に
組み
込んできた
人間にとって、「
適齢」の
意味を
改めて
問い
直させるものではないかと
思う。
(
港千尋の
文章)
【1】
学問は
世の
役に
立つかと
考えるとき、よく
私が
思い
浮かべるのは、
天動説がくつがえされ、
地動説が
確立されるまでのヨーロッパの
学者たちの
探究です。
地動説の
萌芽は、すでに
十四世紀にノルマンディの
学者、ニコラ・オーレムの
書いたものにあったそうですが、【2】
十六世紀に
入って
科学的にこれを
一歩進めたのは、ポーランドのコペルニクスで、けれどもキリスト
教会の
取り
締まりを
恐れて、
七十歳の
死の
数日前までその
論文を
発表しなかったといわれています。【3】そしてドイツのケプラー、イタリアのガリレイなどがこの
考えを
継承してより
実証に
近づけますが、
教会からは
弾圧を
受け
続け、
一六一六年には、
教皇パウロ
五世は
地動説を
聖書に
反するという
理由で、
断罪しています。
【4】いうまでもなく、
太陽が
動くか
地球が
動くかは、
私たちの
日常生活にとって、まさにどうでもいいことです。
今でも
人類の
圧倒的大部分は、お
日様は
東から
昇って
西へ
沈むと
思っており、
生活感覚としてそれはまったく
正しい。【5】
天動説、つまり
地球中心主義をくつがえすために、
教会の
弾圧に
耐え、ずいぶんお
金も
使いながら、
大勢の
学者が
執念深く
追究してきたことは、
直接にはまったく「
世の
役にたない」ことです。
【6】けれども、
地動説が
確立されたことで、
人間の
世界に
対する
認識が
根本的に
改められ、
宇宙科学をはじめとする
科学や
技術がどれだけ
変わったか、その
結果、
地動説がどれだけ「
人間の
役に
立っている」かは、
改めていうまでもないでしょう。
【7】
英語で
学者のことをスカラー、
学校のことをスクールというのはご
存じの
通りですが、これはギリシャ
語の「スコレー」「
閑」という
言葉に
由来しています。つまり、
学者というのは
元来「
閑人」であり、
学問は「
閑人」のすることなのです。
【8】
小学校の
就学率が
一〇パーセントにも
満たない、
私が
住み
込み
調査をしていた
頃の
西アフリカ
内陸社会の
村では、
家族にとって
大事な
労働力である
子どもが、
畑仕事の
手伝いもしないで、
毎日朝から
夕方まで
学校に
行っているなどというのは、とんでもないことで、
学校はまさに「スコレー」の
場なのだということがよく
分かりました。【9】
学校で
教わることも、
村の
生活にとってすぐの
役には
立たない、
公用語の
フランス語の
読み
書きとか、それを
使って
習う、
算数とか、
歴史とか、
地理です。
日本でも、
多くの
人々の
生活が
貧しかった
頃には、
事情は
同じでした。【0】それなら、
家の
仕事を
手伝わずに「スコレー」の
場である
学校で、すぐ
役にたないことを
勉強するのは
無意味かといえば、
決してそうではなく、そのことを
理解して、
家が
貧しくても
無理をして
子どもを
学校に
行かせた
親は、
日本にもいたわけですし、アフリカの
村にだっているのです。
それに、
何の
腹の
足しにもならない
知的好奇心を
満たすという、まさに「スコレー」と
結びついた
人間の
営みは、「ヒトという、この
不思議な
生物」の、ヒト
筋縄では
片づかない
本質をなすもので、それはアフリカの
村の、
生活に
恵まれない
人々にとっても
同じです。
ただ、だからといって、
役にたないことに
甘んじていて
良いとは、
私はまったく
考えません。たとえ
役に
立ち
方が
迂遠だといっても、
学者が
現実の
社会にいま
起こっていることに
常に
生き
生きとした
関心をもち、
人々が
求めていることに
共感するのは、
現地調査による
体験知を
重要な
拠り
所とする
人類学者にとって、
不可欠のことです。とくに、
人間社会の
草の
根に
生きる
人々と
共感をもった
交わりをもつこと、そのことを
通して、たとえそれが
極めて
長い
迂回であっても、
究極には
役に
立つことにつながる
学問を、
私たちはすることができるのだと
思います。
(
川田順造「
人類の
地平から」より)
長文 4.2週
【1】
科学文明の
発達は、
人間の
日常から
手間をどんどん
省く。お
店の
入口に
立てばドアは
自動的に
開き、
階段のそばには
必ずエスカレーターがある。ボタンを
押せばテレビがつき、クーラーが
動きだし、
音楽が
流れはじめる。【2】
電気製品のなかでも、
特にAV
機器においては、リモコンのないものは
商品になりえないような
世の
中である。
こうした
世の
中の
進化現象は、あげればきりがない。【3】そして、なぜこうしたことが
進化と
形容されるかというと、これらはすべて、それまでの
人間が
必ず
経験しなければならなかった
数々の
手間を、
片っ
端から
省いていったからである。しかし、
私は、
人間はある
程度の
手間を
自分でこなしてこそ
成長するものだと
思っている。【4】
人間が
人間らしく
成長し
本来あるべき
姿にできるだけ
近づくためには、「
必要なる
手間」が
必ずあると
思っている。
手間とはそれを
経験した
人の
個性を
伸ばし
人間らしさを
増幅させるものなのである。
【5】オーストラリアのある
小学校では、
卒業前に
必ずオリエンテーリングがあるという。
地図や
磁石、
懐中電灯、それに
食料など
野外活動に
必要な
道具を
一そろい
持ち、
二人一組で
指定された
場所から
数日の
野宿をしながらゴールを
目指す。
【6】
途中、
険しい
地形もあれば、
道に
迷うこともある。もちろんヘビなどの
危険な
動物とも
遭遇する。
携帯品のなかには
血清もあるというから、その
危険のほどがうかがえる。しかし、どんな
障害も、すべて
二人で
切り
抜けていかなければならないのだ。
【7】このオリエンテーリングの
授業は、
子供たちに
単にサバイバルの
方法を
教えるというものではない。そうやって
野外活動をするためには、
道を
探し、
危険を
察知し、
次に
自分たちがとるべき
行動を
決めていかなければならないわけで、そこには
的確な
判断力が
求められるし、パートナーとの
協調性も
必要になる。【8】そして
何より、さまざまなことへの
対応を
考えて、あらゆる
方向ヘアンテナを
張りめぐらせておかなければならない。まさに、
人間の
本能的なアンテナの
修練である。
【9】
現代では、あらゆるものがそろい、しかも
面倒なことは
避ければいいわけで、
子供たちにとっては、あえて
本能的なアンテナを
張りめぐらせる
必要がなくなってきているのではないだろうか。そのため、
決定する
力がにぶり、
清濁の
明確な
区別もつけられないようになってきているように
思う。【0】
便利さや
快適さを
求める
人間の
欲求が、
文明を
発展させてきたことは
事実であろう。しかし、そのために、
有形無形の
人間本来の
財産をたくさん
犠牲にしてきていることに、そろそろ
私たちは
気づくべきではないだろうか。
私たちが、
手間のかからない
生き
方をしている
限り、
生きることの
喜びを
感じることはできない。
人間にとって、
生きる
喜びはどこにあるかと
問われても
即座に
答えることは
難しいだろう。しかしそれは、
決して
大げさなものでも
派手なものでもなく、あえて
言葉にするなら、
心躍る
状態、
感動に
満ちあふれる
状態をもてる
日々ではないかと
思う。そんな
喜びを
味わわせてくれるものとは
何なのか。それは、「
今まで
知らなかったことをきょう
知った
感激。また、あした
新しいことを
知るかもしれないという
期待」である。
私は
十六歳から
十八歳までの
三年間、
北大予科時代の
恵迪寮にお
世話になった。この
寮が
十数年前にその
歴史を
閉じることになり、
私は
元住民ということで、NHKからレポータを
命じられ、もう
一度訪れることができた。かつて
私が
住んでいた
部屋を
訪ねたとき、
何よりも
懐かしく、またうれしかったのは、
壁から
天井にかけてあますところなく
書かれた
落書きが
健在だったことである。そして、その
落書きのなかにあったのが「ボーイズ・ビー・アンビシャス」であった。もちろん、
創設者のクラーク
氏の
言葉である。これは、
多くの
人が「
少年よ
大志を
抱け」の
言葉として
習っているはずだ。「
野心を
抱け」と
訳される
場合もあるが、いずれにしろ、
最初に
私の
目に
飛び
込んできたこの
言葉は、そのときの
印象のままに、
決して
陳腐になることなく、いまだに、こぎたない
壁の
落書きと
一緒に
私のなかで
生きつづけている。
生きる
喜びとは、
感性をとぎすまし、
自然の
大きさと
人間の
魅力を
日々発見することにあると
思う。
そういう
生き
方をすることが
私のアンビションである。だから
私は、
少年たちに、「
少年よ
野心を
抱け」と
書いたとき、
野心に「のごころ」と
仮名をつけることにしている。
(
牟田悌三(むたていぞう)
著『
大事なことは、ボランティアで
教わった』から)
長文 4.3週
【1】
人びとが
時間に
追われるようになったのは
時計が
発明されてからといわれる。
考えてみれば
太古の
昔から、
人びとは
太陽や
星の
運行にともなって
時が
過ぎゆくことを
実感していた。しかし、
時は
自分の
上を
流れゆくものであって、
時間によって
自らの
行動を
律しようとは
思わなかったであろう。
【2】
日本社会でも、
農業従事者が
大部分を
占めた
時代には、
時計といえば、
一家にひとつ
柱時計があるくらい。
日の
出とともに
田畑に
出かけ、
日の
入りとともに
家に
帰って
休むというのが
当たり
前の
生活パターンだった。
【3】こう
書くと、なんだか
随分遠い
昔のことのようだが、つい
十数年前、
小さな
農村で
高齢者にたいして
生活時間調査を
試みてうまくいかなかったという
話を
聞いたことがある。【4】その
村では
大多数の
高齢者は
時計を
持たず、
何時に
何をするという
観念はない。
時間ではなく、
明け
方とか、
昼頃とか、
夕方というように、おおまかなくくり
方で
日常生活が
十分間に
合うのである。
【5】いつでもだれもが
時計を
所持するようになると、ついつい
時計をのぞく
機会が
増え
時間を
気にするようになる。「
時のたつのも
忘れて」ということが、しだいに
少なくなるのは
何とも
寂しいことだ。
【6】
人びとが
時間に
追われるようになったもうひとつの
理由は、テレビ
画面の
隅に
時刻が
表示されるようになったことである。いつ
頃からこうしたことが
行われるようになったのかよくわからないが、
分刻みで
表示される
時間に
追い
立てられて、
会社や
学校に
出かける
人が
大多数ではなかろうか。
【7】
朝のテレビ
番組は
時計代わりと
言われるようになって
久しい。
画面に
時刻表示がなかった
頃は、
放映されている
番組で
大体の
時刻を
知るのが
普通だった。
時計代わりのテレビに
時刻が
表示されるようになり、
今や
時計そのものになってしまった。【8】
私自身、
画面に
現れる
時刻表示をちらちら
見ながら、あと
五分でとびださないと
電車を
逃がしてしまうと、
毎朝どたばたしているのが
実情である。
今のところ
分単位で
表示されているから
分刻みで
行動している。【9】だが、これが
秒単位で
表示されるようになったら、と
思うとぞっとする。
秒刻みで
行動することになれば、
時間に
追われるという
感覚がいっそう
切迫したものになることは
確かだ。
このところ、
金銭消費から
時間消費へと
人びとの
関心が
移ってきているといわれる。【0】バブル
紳士たちの
凋落ぶりを
見ると、
金で
買える
幸せには
限界がある。それよりも
充実した
時を
持ちたいと
考えるのは、きわめて
当然のことだ。
しかし、
残念なことに、
時間への
関心は、
時間にとらわれないことや
時間に
追いかけられないことではなくて、
時間の
能率的、
効率的な
使い
方に
向かっているような
気がする。
能率的、
効率的に
時間を
使って、さて
空いた
時間をどうするかといえば、もうひとつ
仕事を
入れてしまうのが
働き
過ぎ
日本人の
悲しい
性だ。
能率的、
効率的でない
時間の
使い
方のできるチャンスをいかにして
確保するかが、
私を
含めて
多くの
日本人の
課題であろう。だが
実情は、
南の
島でのんびり
時計のない
生活をしたいと
憧れながら、
相変わらず
時間に
追われているのが
時間貧乏の
私なのである。
(
袖井孝子著「
時間の
話」による)
長文 4.4週
【
長文が
二つある
場合、
読解問題用の
長文は
一番目の
長文です。】
私ども
彫刻に
志すものが、
人の
顔を
見て
先ず
心をひかれるのは、
皮膚や
髪毛の
色とか、
目鼻だち
口もと
等のこまかいところよりも、もっと
根本的な
彫刻的の
美しさにあります。すなわち
一つの
塊りとしての
美しさ、
凸凹、
面、
線等がつくる
美しさであります。
人の
顔は、たとえば
巧みを
極めた、
不思議な
技法でつくられた
建築です。
目鼻や
口はこの
建築の
細部の
装飾のようなものでしょう。この
建築の
構造の
不思議なこと、
容易に
人のうかがい
知るを
許さぬ
処です。この
秘密を
開く
事そこに
私どもの
苦しみも
喜びも
一にかかっているのであります。
先頃八月の
初旬、
信州に
彫刻の
講習会がありました。どういう
方法でどんな
風にやったらよいものかと、
最初に
相談を
受けました
時、
私は
人の
顔について
研究する
事をすすめました。
生人のモデルと塑造
台と
粘土を
用意して
置く
事、そして
一人のモデルに
研究者は
八人位を
限りとし、
各自モデルについて
見るところを
粘土を以ってつくって
見る、
粘土をひねってはモデルを
見る、こういった
方法で
勉強を
続けて
行ったら、その
間にだんだん
彫刻の
会得も
出来て
行くでしょうと
答えて
置きました。
人の
顔なら
誰しも
平生見馴れている
処ですから、
取りつきにくい
事もないでしょう。しかし
実際にこうしてやり
出して
見たら、
平生見慣れている
人間の
顔が
実はどんなにむつかしいものかという
事に
気がつくでしょう。それは
平生ぼんやりものを
見ているからです。で、こうしてだんだんものを
見る
修行が
積まれてくると、
見馴れている
人間の
顔にも、
実に
微妙にして
複雑極まるいろいろの
仕組みのある
事がわかって
来ましょう。して
見れば、
毎日同じ
顔の
人間の
顔を
見てくらすという、
一見つまらなさそうな
仕事も
決して
無意義ではありますまい、となおいい
添えて
置きました。
考えて
見ると
私は
人の
顔を
見る
事が
余程好きのようです。
以前、
私は
長らく
苦しい
境遇に
置かれていました。ほとんど
慰めのない
生活でした。その
中にあって、
唯一の
慰めは
人の
顔を
見る
事でした。
電車の
中で
向かい
側にいる
人々の
顔を
見ているとすべてを
忘れる
事が
出来ました。
電車賃のない
時は、
麹町の
勤め
先から
本郷の
自宅まで、
空腹と
疲労のからだをひきずって
歩いて
帰る
事さえしばしばありました。その
折りさえ
途上に
出会う
沢山の
人々の
顔が
見られるので、どんなに
苦痛をやわらげられたでしょう。
本を
読むよりも、
人の
顔を
見る
方がどんなによいか
知れない、とよくその
頃思ったものです。もっとも
本を
読む
暇も
多くは
持たなかったけれど、
本を
読むよりも
私は
人の
顔から、どんなに
多くの
学問をしましたろう。
相者は
人の
顔を
見て、その
人の
過去現在未来、その
他いろいろの
事をいいあてますが、
全く
人の
顔にはその
人の
事は
何でもありありと
書いてあるものです。ただこれを
読む
事が
大変むずかしいのです。
友人中川一政氏がかつていった
事に、
芸術家は
作品を
作るが、
一方においておのずからその
顔を
作ってゆくものであるとありましたが、まことに
然りと
思います。
芸術家でなくても
誰も
人の
生活はその
顔をつくることにあるともいえます。
人間が
一生の
苦心でつくられたその
顔は、その
人と
共にどこへ
行くのですか。
私は
友人知人の
死面をいくつか
石膏にとったことがあります。
死面はぬけがらです。その
人の
顔はその
人の
死と
共に
何処かへいってしまうのです。
思うと
全く
神秘です。
言葉は
嘘をいう
事ができましょうが、
顔は
人を
偽る
事ができません。
話を
言葉だけで
聞く
人は
真相を
誤る
事がありますが、
顔から
聞く
時は
先ず
誤る
事がありません。
電話というものがあります。
便利なものだとは
思います。が、
私はどうも
電話を
好みません。それはなぜかと
考えて
見るに、
相手の
顔が
見えないという
事に
大部分その
原因があるようです。ほんの
通り
一遍の
用談だけは
済まされますが、
少しこみ
入った
話になると
電話では
充分通じません。こう
感じる
人は
恐らく
私ばかりではなかろうと
思います。で、いかに
私どもは
平生顔によって
人と
話しているかという
事がわかります。
顔がものをいい、
顔がものを
聞く、この
働きは
全く
不思議です。
(
石井鶴三『
顔』)
【1】
私たちにとって、
学校教育はなぜ
必要なのか。
別のい
方をすれば、それぞれの
実生活の
経験の
積み
重ねに
任せるのではなく、なぜ
教育のための
特別な
場所が
必要なのか。この
問いかけに
対しては、いくつかの
理由が
考えられます。
【2】
第一に、
世界はあまりにも
広く、
私たちがそのすべてを
経験することはできないからです。しかも、
私たちが
世界と
呼んでいるものの
多くはすでに
失われた
過去であり、
現実と
呼んでいるものの
半ば
以上は
現実には
存在しません。【3】
歴史と
呼ばれ、
人類の
記憶の
中にしかないものがほとんどでしょう。
経験は
記憶によって
濾過され、それと
照合されて、
初めて
経験として
完成されます。
森鴎外の
短編小説『サフラン』に、サフランをめぐる
次のような
思い
出話が
出てきます。【4】この
植物の
名は
本で
早くから
知っていたが、まだ
実物を
見たことがない。そこで
医師であった
父親に
頼み、
薬棚の
抽斗から
乾燥したサフランを
出してもらう。「
名を
聞いて
人を
知らぬと
云うことが
随分ある。
人ばかりではない。【5】すべての
物にある。」といった
感慨を
綴った
作品ですが、
考えてみれば、われわれがいうところの
現実とは、
半ば
以上、
森鴎外におけるサフランのようなものではないでしょうか。
第二に、
私たちが
何らかの
現実行動をうまくなしとげるためには、
行動をいったん
棚上げし、
目的を
一時保留して
行動しなければならないからです。【6】い
換えれば、
現実行動にあたって
失敗を
避けるには、まずもって
練習をしなければなりません。
野球選手のバットの
素振りが
好例でしょう。
飛んで
来てもいないボールを
相手にバットを
振ります。そのことによって、
彼はバッティングという
行為のプロセスを
意識し、
身に
付けようとしているわけです。
【7】
私たちの
行動能力は、
単純な
経験をいくら
繰り
返しても、
決して
高まることはありません。
現実行動は
練習のうえで
初めて
成り
立ちます。どんな
技術であれ、
技術を
駆使するプロセスを
絶えず
見直し、
身に
付け
直さなければならないのです。【8】
学校というものは、その
意味で、
現実行動からひとまず
離れて、
行動のプロセスを
教える
場といってもいいでしょう。つまり
教室は
行動の
場ではなくて、
練習の
場なのです。
また、
私たちが
行動するためには
型を
持つ
必要があります。【9】
武術一つを
取り
上げても
明らかでしょう。
刀をただ
振り
回していれば
強くなるというものではありません。
面を
打ち、
籠手を
打ち、
突きを
入れるという
型をまず
身に
付け、それが、まるで
無意識であるかのように
流露してくるところに
武術は
成立します。【0】
型は、
行為のプロセスを
支えてくれるのです。
日常の
作法もまた
同様でしょう。
人間、
悲しいときにはなりふりかまわず
泣きたくなるものですが、そこに
悲しみ
方の
型が
入ってきたとき、
初めて
私たちは
悲しみに
耐える
能力も
身に
付けることができるのです。
芥川龍之介の
短編小説『
手巾』に、
息子を
亡くしたばかりの
婦人が
端然と
客を
迎えながら、しかし、
机の
下では「
膝の
上の
手巾を、
両手で
裂かないばかりにかたく、
握っている。」という
場面があります。つまり、「
顔でこそ
笑っていたが、
実はさっきから、
全身で
泣いていたのである。」とあるように、
彼女は「
息子を
亡くした
母」という
型を、あるいは
役をその
場で
演じることによって、
身も
世もない
悲しみに
耐えることができたし、また
醜態をさらさずに
済んだわけです。
教育が
必要な
理由の
最後は、
多くの
知識が
経験からは
直接に
学べないからです。
現代の
先進社会の
人間ならば、だれでも
地動説が
正しいということを
知っています。しかし、だれ
一人として
地球が
太陽の
周りを
回っているのを
見た
人もいなければ、その
動きを
実感した
人もいません。
日常では、
太陽が
朝は
東の
空に
上って、
夕方は
西の
空へ
沈みます。
昔の
人も
現代人もそれを
経験上知っていますが、
真実はそうではないということを、
知識として
身に
付けているのが
現代人でしょう。
(
山崎正和「
文明としての
教育」の
文章による)
長文 5.1週
【
一番目の
長文は
暗唱用の
長文で、
二番目の
長文は
課題の
長文です。】
【1】
文明とは
何かを
地球システム
論的に
考えると、「
人間圏を
作って
生きる
生き
方」となります。
人間圏の
誕生がなぜ
一万年前だったかというのは、
気候システムの
変動に
関わってきます。【2】
気候システムが
現在のような
気候に
安定してきたのは
一万年前のことです。それに
適応してその
頃、
我々はその
生き
方を
変えたんですね。
【3】
人間圏を
作って
生きる
生き
方というのは、じつは
農耕牧畜という
生き
方です。それ
以前、
人類は
狩猟採集という
生き
方をしてきた。
狩猟採集というのはライオンもサルも、あらゆる
動物がしている
生き
方です。【4】したがってこの
段階までは
人類と
動物の
間に
何の
差異もなかった。これを
地球システム
論的に
分析すると、
生物圏の
中の
物質循環を
使った
生き
方ということになります。
生物圏の
中に
閉じた
生き
方です。
【5】それに
対して
農耕牧畜はというと、たとえば
森林を
伐採して
畑に
変えると、
太陽からの
光に
対するアルベド(
反射能)が
変わってしまう。ということは、
地球システムにおける
太陽エネルギーの
流れを
変えているわけです。【6】また、
雨が
降ったとき、
大地が
森林でおおわれているときと
畑とではその
侵食の
割合が
異なります。
別の
言葉でいえば、そこに
水が
滞留している
時間が
違ってくる。すなわち、エネルギーの
流れだけではなく、
地球の
物質循環も
変わるということです。【7】これを
地球システム
論的に
整理して
概念化すると、
人間圏を
作って
生きるということになる。
人類が
生物圏から
飛び
出して、
人間圏を
作って
生き
始めたために、
地球システムの
構成要素が
変わったわけです。
【8】ところで、
先ほど
一万年前に
人間圏ができたのは
気候が
変わったからだと
言いました。そういう
時期は
最近の
一〇〇
万年くらいをとっても
何回かあったでしょう。【9】
人類の
誕生以来の
歴史七〇〇
万年ぐらいまで
遡ってみれば、
一万年前と
同じような
時期が
何度もあったはずですから、たとえばネアンデルタール
人が
農耕を
始めてもよかったことになる。でも、
彼らはそうしなかった。【0】
農耕牧畜という
生き
方を
選択し、
人間圏を
作ったのは、われわれ
現生人類だけなんです。
それはなぜなのか。
現生人類に
固有の、
何か
生物学的な
理由があるのではないかと
考えられます。
類人猿や
他の
人類にはなく、
我々だけがもっている
特徴は
何だろうと
考えると、まず
思い
当たるのは「おばあさん」の
存在です。おばあさんとは、
生殖期間が
過ぎても
生き
延びているメスのことです。たとえば、
類人猿のチンパンジーのメスと
比べても、
現生人類のメスは
生殖期間終了後の
寿命が
長い。なおこの
場合、オスは
関係ありません。オスは
死ぬまで
生殖能力があります。したがって、おじいさんは
現生人類以外にも
存在します。しかし、おばあさんは
他の
哺乳類には
存在しないし、ネアンデルタール
人の
化石からも、
現生人類のおばあさんに
相当する
骨は
見つかっていません。おばあさんの
存在は、
現生人類だけに
特徴的なことなんです。
では、おばあさんが
存在すると
何が
起こるのか。すぐに
思いつくのは、
人口増加です。なぜかというと、おばあさんはかつて
子供を
産んだ
経験をもつわけですから、お
産の
経験を
娘に
伝えることができる。するとお
産がより
安全になり、
新生児や
妊婦の
死亡率も
低くなりますね。
さらにおばあさんは、
娘が
産んだ
子供のめんどうもみます。たとえば
娘の
生殖期間が
一五年として、
子育てに
五年かかるとしたら
三人しか
産めない。ところがおばあさんがいることで
五年が
三年に
短縮されたら
五人産める。ということで、おばあさんの
存在が
人口増加をもたらしたのではないかと、
私は
考えています。このことは
最近の
研究からも
確かめられています。
我々現生人類は
一五万年前ぐらいにアフリカで
誕生したのですが、
五、
六万年前ぐらいには、すでに
地球上に
広く
分布するようになっていました。
人類のような
大型動物が、なぜこんな
短期間に
世界中に
拡散していったのか。これも
現生人類の
人口増加という
問題を
考えるとその
理由が
判ります。
(
松井孝典『
松井教授の
東大駒場講義録』)
【1】
日本がいかに
湿潤な
国か、
私は
外国を
旅する
度に、いやというほど
思い
知らされる。ヨーロッパと
日本とではそれほど
風土の
差がないように
思われるが、
湿度が
違う。だから、やたらにのどが
渇く。【2】
日本人の
旅行者にとって、
何よりつらいのは、ヨーロッパの
街でレストランに
入っても、カフェへ
立ち
寄っても、
水を
出してくれないことである。
人々はそんなに
水を
飲まないのだ。それに、
日本以外の
国では、
生の
水をそのまま
飲めるようなところはめったにない。【3】だから、
水はコーヒーなどよりも
高い
場合がしばしばある。
金を
払って
水を
飲むという
発想が
日本人にはないから、
代金を
請求されてびっくりする。
私も
驚き、いまさらのように
日本人は「
水の
民」なんだなあと
痛感した。
【4】そのようなわけで、
日本人の
魂の
奥底には、いつも
水音が
響いているのである。
日本人は
水の
音に
限りない
親しみを
抱き、
安らぎを
覚え、
懐かしさを
感じるのだ。
芭蕉が「
古池や」の
一句をもって
俳聖のように
仰がれ、
蕪村が
春の
海を「のたりのたり」と
表現したことで
人口に
膾炙されるようになったのも、けっしてゆえないことではない。
【5】では、
日本人の
胸の
奥で、
水はどのような
音を
響かせているのであろうか。
水音を
表現した
擬態語、
擬声語が、その
微妙な
音をさまざまに
伝えている。
擬態語というのは、ものごとの
状態を
象徴的に
音で
表した
語であり、
擬声語というのは
物事や
動物の
鳴き
声などを
写実的にとらえた
語である。【6】
言語学では、それをオノマトペというが、
日本語には、こうした
擬声語擬態語がきわめて
多い。オノマトペが
日本語の
特質だといってもいいほどである。そして、それも
水と
深い
関係があるように
思われる。というのは、
数多くの
擬声語、
擬態語のなかでも、ことに
水に
縁のある
語が
目立つからである。
【7】じっさい、
他の
国の
言葉で
日本語ほど
多様な
水の
表現をもっている
例はないといってもいいのではあるまいか。だから、さきの
蕪村の
句を
外国語に
翻訳するのは
至難なのである。たとえば
英語やドイツ
語や
フランス語で「のたりのたり」をどのように
表現したらいいのだろう。【8】
私はさんざん
苦労した
揚げ
句、ついにこの
句を
外国の
知人に
説明し
得なかった。
日本語には、
多彩な
水の
表現があるのだが、こうしたオノマトペは、
同質社会でこそ
微妙な
伝達の
機能を
発揮できるが、
異質な
風土異質な
文化のなかに
住む
人にはさっぱり
通じない。【9】なぜなら、
擬声語、
擬態語というのは、あくまで
感覚的な
言語であって、
言語の
重要な
性格である
抽象性をもたないからだ。
したがって、
感覚的にわかるこれらの
言葉の
意味を
説明するとなると、とたんに
行きづまってしまう。【0】オノマトペは、いわば
音楽なのであり、その
意味を
伝えることのむずかしさは
音楽の
与えるイメージを
言語で
解説する
困難さと
同じだといってよい。この
意味で
擬声語、
擬態語は
言葉の
本質とも
言うべき
抽象力を
欠く
低次の
言語だといえなくもない。しかし、
言語がその
抽象力をもって
伝達し
得る
領域には
限界がある。
人間の
言語は、しょせん
万能ではないのだ。
もし
言語がこの
世界の
全てを
表現し
尽くせるものなら、
言葉さえあれば、
何もかも
理解できてしまうだろう。しかし、そうはいかない。そうはいかないからこそ、
言葉ではい
表せない
別の
表現を、
人間は
考え
出してきたのだ。
例えば
絵画であり
音楽である。セザンヌの
絵を、あるいはモーツアルトの
音楽を
言葉にそっくり
置き
換えるなどということができるであろうか。
私はオノマトペを
言語と
音楽との
接点として
考える。それは
人間の
感覚を
音声そのものによって
表現しようとする
伝達の
手段だからだ。
(
森本哲郎『
日本語 表と
裏』)
長文 5.2週
【1】
何を
読むかという
前に、まず
何はともあれ、
夢中で
読むという
体験を
一度味わう
必要があります。
読む
対象はそれぞれの
人によってことなりますが、とにかく
面白く
楽しい
本であることが
必要です。【2】そして
一度読む
楽しさを
知ったら、あとは、この
面白さの
内容を
次第に
高めることが、
楽しさを
長つづきさせる
秘訣です。たとえば
推理小説だけを
読んでいると、
最後にはせっかく
面白かった
本も、
何となく
空虚な
感じがしてきます。
【3】
一度読む
楽しさを
知った
人は、あとは
放っておいても、
読書の
本能ともいうべきものによって、
自分にぴったりした
本をもとめてゆくものです。また
百冊の
本のリストによって
自分にふさわしい
本を
捜すようになるのも、この
時期です。【4】この
時期になれば、
百冊のリストを
見ても
恐れをなすどころか、
逆に
面白そうな
本がこんなにならんでいてくれることに、ぞくぞくした
楽しさを
感じるようになるものです。ですから、
読書の
楽しさを
知るということが、
私たちが
最初に
体験しなければならないことになるのです。
【5】ある
人は
訊ねるかもしれません。「いまはテレビや
映画や
劇画によって
読書以上の
楽しみを
味わえる
時代なのに、なぜ
古臭い
読書などに
執着するのですか」と。
しかしテレビを
見るのと
本を
読むのとは
別々のことです。【6】テレビは
私たちを
自分の
外へ
引き
出しますが、
読書は
自分の
中へ
引き
戻します。それに
読書はいつどこででもできます。
汽車の
中でも、
飛行機の
中でも、
昼でも、
夜なかでも
一冊の
本さえあれば、
自由に
別世界に
入りこむことができます。【7】
同じ
本でも、
小説は
劇画より、もっと
自由自在に
豊かに
想像力の
翼に
乗って
羽ばたくことができるのです。
読書の
楽しさの
中で
最大のものは、この
自由感だということもできます。
本の
扉を
開けると、もう
向こうはフランスだったり、
江戸時代の
日本だったり、
幻想の
世界だったりするわけですから。【8】そこでは、
私たちの
人生とは
別の
人生がはじまっています。
別の
人々と
出会い、
数奇な
運命をたどることができるのです。
深い
悲しみや
喜びを
味わうこともできますし、
人生の
裏面の
赤裸なすがたを
見て
戦慄することもあります。
私たちの
魂は
地獄を
通り
天国を
通ります。【9】
泣いている
女にも
会います。
打ちひしがれた
男にも
出会います。
幸福な
人にも
恋に
悩む
人にもぶつかります。
私たちは
思わぬ
人生の
寂しさや、
孤独感や、
人々の
愛を
体験します。
こうして
一冊の
本を
読み
終えたとき、
私たちは
読みはじめる
前とは、
別人になったように
思えることがあります。【0】
私は『
罪と
罰』を
読んだとき、そんな
気持ちを
味わいました。しかしこうした
経験は
読書以外には
絶対に
味わえません。こうなると、
読書は
単なる
楽しさから、もっと
深いもっと
複雑なものに
変わってゆくことになります。
読書の
対象はこうして
詩や
小説から
哲学や
宗教へ、
神話や
心理学へ
拡がってゆきます。しかし
読書が
生涯を
通じて
私たちのそばにあるのは、それが
何よりも
楽しいことだからです。
楽しくなければ
何にもなりません。その
証拠には、
何か
無理をして
勉強し、
我慢をして
読書をしていた
人は、
目的を
達すると、けろりと
読書などしなくなるものです。
私は
自分でもスポーツが
好きですし、
映画もよく
見るほうです。
音楽なしでは
一日もいられません。それでも、なお
読書の
楽しみを
皆さんに
味わってほしいと
思うのは、
読書によって、そうしたスポーツや
映画や
音楽の
楽しみが、
一段と
豊かになり
深くなるものだからです。
(
辻邦生『
永遠の
書架にたちて』による)
長文 5.3週
【1】
創造には、
情念の
力がいる。
芸術における
創造はもちろん、あらゆる
学問にも、また
日常生活にもそれはいえることだろう。では、この
情念は
具体的にどのような
情念なのか。
エジソンの
言葉に、「
必要は
発明の
母である」(Necessity is
the mother of invention)というのがある。【2】
何か
必要であって
発明あるいは
創造が
生まれるという
意味だが、
問題はこの「
必要」という
言葉の
解釈である。
「
必要」は、
英語でおもに
二通りの
表現の
仕方がある。ニーズとウォントである。だが、
同じように「
必要」と
訳されながら、この
二つの
言葉の
実際の
意味は、かなり
違うのだ。
【3】「ニーズ」という
言葉は、
空間的にいえば、
外部の
状況を
判断して、
割り
出した
必要性であり、
時間的に
見ると、
過去から
現在にかけて
人間が
経験したこと、
得たものを
基準にして
割り
出した
必要性という
意味に
使われる。【4】これに
対して「ウォント」は、
自分の
内部から
出てくる
必要性であり、
現在と
未来に
時間軸をとった
上での
必要性を
意味している。すなわち、
欲望とか
欠乏を
内包した「
必要」がウォントの
由来なのだ。
【5】
余談になるが、よく
企業のパンフレットなどに、「
消費者のニーズをよく
捉えて……」などと
書かれているが、この
表現はあまりよいとは
思えない。ニーズというのは
要するに
過去の
知識から
割り
出しただけのものであるから、そんなことをやっていたら
企業は
立ち
遅れてしまう。【6】それを
書くならば、「
消費者のウォントを
見抜いて……」と
書くべきだろう。
とにかく、ニーズは、
理性による
判断から
生まれた「
必要」、ウォントは
現在の
自分の
中にある
何かとてもいたたまれないような、
場合によってはたまらなく
爆発したくなるような
情念から
生まれた「
必要」という
具合に
解釈してもいいだろう。【7】
私は、
創造にはもちろんニーズもなければならないが、どこかの
時点でウォントが
生まれないとダメだと
思うのである。つまり、
創造活動を
支える
背景には「こんなものが
創れたらいいな」と
無心に
思う
欲望の
念や、
欠乏しているものをひたすらに
求める
渇望の
念がなければならないと
思うのだ。
【8】
若い
読者諸君には
特にこのことを
強調しておきたい。
自分の
将来を
決めていくという
時に、いろいろな
情報がある。
例えば、
自分の
偏差値がこの
程度だからあの
大学のこういう
学部にいこうとか、こういう
職種が
有望だからこの
企業に
就職しようという
具合に、いろいろな
情報からニーズを
割り
出して
進路を
決める
人が
非常に
多い。
【9】しかし、そういう
決め
方をした
人は
何らかの
方法でニーズから
割り
出したものが、ウォントに
切り
替わらないかぎり、どこかで
挫折するのではないかと
思う。「
自分はこの
学問をしたいんだ」「
私はこの
仕事につきたいんだ」というウォントをもった
意志力がなければならないのである。【0】
グロタンディエクやザリスキー
先生のように、
想像を
絶する
逆境の
中を
生きてきたハングリーな
数学者が
優れた
業績をあげたのは、
一つには、ウォントという
情念が
常に
彼らを
動かし
続けたからに
違いない。
ものを
創る
過程には、
総じて
飛躍というものが
必要である。
創造しようとするものが、
過去に
類を
見ない
新しいものであればあるほど、なおさら、
飛躍することが
大事になってくる。そして
飛躍するには、
内なる
欲望の
力を
借りなければならないのである。
飛躍の
原動力はニーズではなく、ウォントだと
私は
考えるのだ。
(
広中平祐「
生きること
学ぶこと」)
長文 5.4週
【
長文が
二つある
場合、
読解問題用の
長文は
一番目の
長文です。】
書物はいつの
世にもゆっくりと
読むべきものだと
私は
思う。こんなにも
本がたくさん
出ているのに、と
言うかもしれない。しかし、
同じようにレコードだってたくさん
出ている。
展覧会も
至る
所で
開かれている。だからといって、
音楽を
能率的に
聴き、
絵画を
急いで
見る
人はいまい。それなのに、こと
本に
関する
限り
速読を
目指すのはどういうわけなのだろう。おそらく、
書物というものが
鑑賞するというより
知識の
伝授の
媒体と
思われているせいであろう。
確かに
本とレコードでは
違う。
本のほうがはるかに
多目的である。
鑑賞するというよりは、
情報を
得たいために
読まれる
本のほうがずっと
多いだろう。そんなことは
十分承知の
上で、なおかつ、
私は
遅読を
勧める。
速く
読むということは
一見能率的のように
思えるが、
結局は
損をすることになる。
私も
必要に
迫られて
急いで
読まざるを
得ないことがある。ところが、
急いでよんだ
本に
限って、あとに
何も
残っていない。そこで、もう
一度読み
直さなければならないことになる。そして、
改めてゆっくり
読み
直してみると、
最初に
読み
飛ばしたそんな
読書が
何の
意味も
持っていないどころか、
全く
読み
違えていたことに
驚くのである。こうなると、
速読するよりは
読まないほうがましである。なぜなら、
誤解は
無知よりも
有害だからである。
そんなことを
言っても、
必要に
迫られて
読まなければならない
場合が
多いではないか、と
言うかもしれない。しかし、
必要に
迫られたらなおのことゆっくり
読むべきである。
必要に
迫られる
以上、あくまで
誤解は
許されないからだ。たとえ
明日までにどうしてもこの
一冊を
読み
上げねばならないという
必要に
迫られた
場合でも、ゆっくりと
読み、
読めるところまで
読んで
本を
閉じたらいい。そのほうが、いい
加減に
斜め
読みをするよりは、はるかに
得るところが
大きい。
遅読を
勧めるもう
一つの
理由は、いくら
速く
読んでみたところでたかが
知れているということである。どんなに
速読の
技術を
身に
付けたところで、
二倍のスピードで
読めるものではない。
仮に
二倍の
速度で
読めたとしても、そうした
速読から
読み
取ることができるのは、ゆっくり
読んだときの
二分の
一に
過ぎない。つまり、
半分しか
読み
取らないのだから
二倍の
速さで
読めるわけだ。しかも、その
半分が
前に
述べたように
誤読に
陥りやすいとすれば、
速読というものがいかに
無意味であるかに
気付くであろう。
実際、
本というものはそんなにたくさん
読めるものではない。わずかな
本しか
読めないからこそ、
何を
読むかその
選択が
大切になる。つまり、ゆっくり
読むことは、それだけ
良書を
選ばせる
効果を
持つのである。
わずかな
本しか
読めなかったなら、それだけ
視野は
狭くなり、とても
現代に
追い
付いていけないと
言うかもしれない。
確かにそういった
不安が
現代人を
速読へと
駆り
立てている。だが、そんなことは
決してない。
十冊読む
人よりも
五冊読む
人のほうが
視野が
広く、
立派な
見識を
身に
付けているというようなことはざらにあるのだ。
読書の
価値は
何冊読んだかで
決まるのではなく、どんな
本をどのように
読んだかで
決まるのである。
私は、
読書とは「
葦の
髄から
天井をのぞく」ことだと
思っている。ふつうこの
言葉は、そんなちっぽけな
穴から
天をのぞいてみても、
広大な
天のほんのわずかな
部分が
見えるだけだ、とその
視野の
狭さを
笑ったものと
解されている。
確かにそういう
意味だろう。しかし、
実際にのぞいてみると
分かるが、
葦の
髄からでも
結構天は
仰げるのである。いや、むしろ
小さな
穴からのぞいたほうが
対象がよく
見えることも
多い。
とにかく、
本はゆっくり
読むに
限る。ゆっくり
読めば
一冊の
本はどれほど
多くを
語ってくれることか。
読書とはただそこに
書かれていることを
理解するという
単純な
作業なのではなく、いかにして、
書物により
多くのことを
語らせるかという
技術なのである。それは、
優れたインタビュアーが
相手からおもしろい
話を
十分に
引き
出すことができるようなものだ。
性急な
読書では
本は
何も
語ってくれはしない。
仮にその
内容を
要領よくつかんだとしても、ただそれだけの
話である。それでは
本を
読んだというより、
本をつかんだというに
過ぎない。
読書とはあくまで
著者と
読み
手の
対話なのである。
読み
手が
時間をかけてゆっくりと
問いかけなければ、
著者は、それこそ
通り
一遍の
答しかしてくれないのである。
(
森本哲郎「
遅読術」)
【1】
地球上の
二酸化炭素は、
大気と
陸地、
海洋とのあいだを
出入りしています。
陸地の
植物は、
光合成による
無機物からの
有機物生産(
総一次生産といいます)の
結果、
一年に
炭素換算で
一二〇〇
億トンの
二酸化炭素を
大気からとりこんでいますが、
同時に
呼吸のために
一一九六億トンを
排出しています。【2】
森林破壊などの
土地利用変化で
一六億トンを
排出していますが、
植林などをふくむ
陸地での
吸収で
二六億トンの
炭素を
大気から
固定しています。つまり
陸地では、
降水中の
炭素量二億トンもふくめて
一六億トンを
大気からとりこんでいることになります。
海洋は、さしひき
一六億トンを
大気から
吸収しています。
【3】
一方、
石油、
石炭など
化石燃料の
燃焼によって、
六四億トンの
二酸化炭素が
排出されますが、
吸収はありません。その
結果、
自然のバランスをこえて、さしひき
三二億トンの
炭素が
排出されて
大気中の
二酸化炭素を
増やしつづけ、これが
地球温暖化をひきおこしているとみられます。
【4】バイオマスは、
木を
切って
燃やして
二酸化炭素を
排出しても、
植林をすれば、いずれはまた、
大気中の
二酸化炭素を
光合成で
固定します。このようにバイオマスは、
大気の
炭素量に
影響をあたえないことから、カーボン・ニュートラルであるとみなされています。【5】バイオマスは、
温室効果ガスの
排出がないカーボン・ニュートラルなエネルギー
源として、
地球温暖化対策の
重要な
柱のひとつになっています。
世界の
多くの
国々は、バイオマスのエネルギー
利用で
二酸化炭素の
排出を
減らす
政策をすすめています。【6】
二〇〇
二年の「
持続可能な
開発に
関する
世界首脳会議」では、
今後の
実施計画のなかで、バイオマスをふくむ
再生可能エネルギーの
利用促進が
合意されました。
日本でも、
同年に
政府がバイオマス・ニッポン
総合戦略を
作成して、
各地にバイオマスタウンをつくるなど、バイオマス
利用をすすめています。
【7】バイオマスは
太陽エネルギー、
小水力、
風力、
地熱などとならんで
日本では
新エネルギーとよばれ、
化石エネルギーや
原子力に
対して
新しいエネルギー
源とされていますが、もともとこれらのエネルギーは
昔から
使われてきたものを
新しい
技術でより
効率よく、
多様な
形で
利用しようとするものです。
【8】
消費してもつぎつぎとまた
生みだすことができる
資源を、
再生可能資源とよんでいます。
再生可能エネルギー
源は、バイオマスのほかに
太陽光や
風力、
水力などいろいろな
自然エネルギーがありますが、
工業原料にもなるのはバイオマスだけなので、エネルギーと
原料と
二重に
期待されているわけです。
【9】
海外でも、バイオマスは
化石エネルギーの
消費を
減らす
重要な
柱とみなされています。
国際エネルギー
機関(IEA)は、
二〇
二〇
年の
世界エネルギー
需要予測をしています。
図のように、バイオマスと
廃棄物の
割合は、
世界のエネルギー
需要の
約一〇%になっています。【0】
図では、
太陽エネルギー、
風力などがその
他の
再生可能なエネルギーになっており、バイオマスも
化石系のものをふくむ
廃棄物といっしょにしめされています。そして、
再生可能エネルギー
全体のなかでは、バイオマスが
約七五%を
占めることになると
予測されています。
バイオマスを
生かすには、その
特性をフルに
利用することが
大切です。
物質としてくりかえし
使えばそれだけ、
生産に
投入したエネルギーはより
有効利用できますし、うまく
組み
合わせると
全体としての
経済性も
高まります。
バイオマスの
強みを
生かして、
日本の
資源を
徹底的に
活用し、
化石資源を
節約して、
地球環境をよくしたいものです。
(
木谷収『バイオマスは
地球環境を
救えるか』による)
長文 6.1週
【
一番目の
長文は
暗唱用の
長文で、
二番目の
長文は
課題の
長文です。】
【1】
研究に
限らず、
大事業の
成功に
必要な
三要素として、
日本では
昔から「
運・
鈍・
根」ということが
言われている。
科学者の
伝記を
読むと、その
人なりの「
運・
鈍・
根」を
味わうことができる。
【2】「
運」とは、
幸運(チャンス)のことであり、
最後の
神頼みでもある。「
人事を
尽くして
天命を
待つ」と
言われるように、あらゆる
知恵を
動員することで、
逆に
人の
力の
及ばない
運の
部分も
見えてくるようになる。【3】
人事を
尽くさずにボーッとしているだけでは、チャンスを
見送るのが
関の
山。
運が
運であると
分かることも
実力のうちなのだ。
【4】
次の「
鈍」の
方は、
切れ
味が
悪くてどこか
鈍いということである。
最後の「
根」は、もちろん
根気のことだ。
途中で
投げ
出さず、ねばり
強く
自分の
納得がいくまで
一つのことを
続けていくことも、
研究者にとって
大切な
才能である。【5】
論文を
完成させるまでの
数々の
自分の
苦労を
思い
出してみると、「
最後まであきらめない」、という
一言に
尽きる。
山の
頂上をめざす
登山や、ゴールをめざすマラソンと
同じことである。
【6】それでは、なぜ「
鈍」であることが
成功につながるのだろうか。
分子生物学の
基礎を
築いたM・デルブリュックは、「
限定的いい
加減さの
原理」が
発見には
必要だと
述べている。
【7】もしあなたがあまりにいい
加減ならば、
決して
再現性のある
結果を
得ることはなく、そして
決して
結論を
下すことはできません。しかし、もしあなたがちょっとだけいい
加減ならば、
何かあなたを
驚かせるものに
出合った
時には……それをはっきりさせなさい。
【8】つまり、
予想外のことがちょっとだけ
起こるような、
適度な「いい
加減さ」が
大切なのである。このように
少しだけ
鈍く
抜けていることが
成功につながる
理由をいくつか
考えてみよう。
【9】
第一に、「
先があまり
見えない
方が
良い」ということである。
頭が
良くて
先の
予想がつきすぎると、
結果のつまらなさや
苦労の
山の
方にばかり
意識が
向いてしまって、なかなか
第一歩を
踏み
出しにくくなるからである。【0】
第二に、「
頑固一徹」ということである。「
器用貧乏」や「
多芸は
無芸」とも
言われるように、
多方面で
才能豊かな
人より、
研究にしか
能のない
人の
方が、
頑固に
一つの
道に
徹して
大成しやすいということだ。
誰でも
使える
時間は
限られている。
才能が
命じるままに
小説を
書いたりスポーツに
熱中したり、といろいろなことに
手を
出してしまうと、
一芸に
秀でる
間もなく
時間が
経ってしまう。
私の
恩師の
宮下保司先生(
脳科学)は、「
頑固に
実験室にこもる
流儀」を
貫いており、
私も
常にこの
流儀を
意識している。
第三に、「まわりに
流されない」ということである。となりの
芝生はいつも
青く
見えるもので、となりの
研究室は
楽しそうに
見え、いつも
他人の
仕事の
方がうまくいっているように
見えがちである。それから、
科学の
世界にも
流行廃りがある。「
自分は
自分、
人は
人」とわり
切って
他人の
仕事は
気にかけず、
流行を
追うことにも
鈍感になった
方が、じっくりと
自分の
仕事に
打ち
込んで、
自分のアイディアを
心ゆくまで
育てていけるようになる。
第四に、「
牛歩や
道草をいとわない」ということである。
研究の
中では、
地味で
泥臭い
単純作業が
延々と
続くことがある。
研究は
決して
効率がすべてではない。
研究に
試行錯誤や
無駄はつきものだ。
研究が
順調に
進まないと、せっかく
始めた
研究を
中途で
投げ
出してしまいがちである。
成果を
得ることを
第一として、スピードと
効率だけを
追い
求めていては、
傍らにあって、
大発見の
芽になるような
糸口を
見落としてしまうかもしれないのだ。(
中略)
頭のいい
人は
批評家に
適するが
行為の
人にはなりにくい。すべての
行為には
危険が
伴うからである。
怪我を
恐れる
人は
大工にはなれない。
失敗を
怖がる
人は
科学者にはなれない。(
中略)
頭がよくて、そうして、
自分を
頭がいいと
思い
利口だと
思う
人は
先生にはなれても
科学者にはなれない。
人間の
頭の
力の
限界を
自覚して
大自然の
前に
愚かな
赤裸の
自分を
投げ
出し、そうして
唯々
大自然の
直接の
教えをのみ
傾聴する
覚悟があって、
初めて
科学者にはなれるのである。
(
酒井邦嘉の
文章)
【1】テレビで
見える
戦争の
部分と
見えない
部分、その
差がくっきりと
出てきたことが、
湾岸戦争の
大きな
特徴である。テレビで
戦争が
見える、と
一瞬思ったが、
見えている
部分はその
一部である、ということに、
一瞬遅れて
気がついてくる。【2】
明るい
部分が
明るければ
明るいほど、
影の
部分、
影の
形が、
逆にはっきりしてくるともいえる。
明るい
部分とは、つまり
映像や
情報の
流れている
部分、
暗い
部分とは、
映像が
秘匿され、
流れてこない
部分である。
【3】しかも、
明るい
部分は
同時進行形、カラーの
映像や
音声つきで、そして
大量に
流れてくる。
大量に
情報が
流れている、というのは、
一見、
情報がオープンに
流れている、
情報で
満たされていると
錯覚させるが、
実は、その
大量の
情報は、その
情報の
影にある、
真実の
情報を
覆いかくす
目くらましの
効果を
狙っているものである。【4】いまのような
情報化の
時代の
宣伝戦、
情報戦は、
情報を
完全にシャットアウトするのではなく、むしろ
情報をどんどん
流すところに
特徴がある。
情報を
出さないことによってではなく、
情報を
積極的に
流すことで、
情報を
管理する、
操作するという
方法である。
【5】テレビは、
映像情報に
深くかかわっているだけに、
目に
見える
部分、
光の
当たっている
部分の
情報を
伝えることになりやすい。【6】テレビが、
多くの
情報を
伝えれば
伝えるほど、テレビのカメラが
置かれていないところ、テレビカメラのアングルに
入ってこない
死角の
部分、テレビのライトが
当たっていない
暗い
部分があること、そしてテレビでは
映像化しにくい
重要な
情報のあることを
考えなければならない。
【7】テレビによって
見えている
部分と
見えない
部分とを
総合的に
判断することによって、
初めて、
真実に
近づくことができるのだ、といえる。
しかも、テレビの
発達した
時代の
情報戦宣伝戦では、
見える
部分の
情報を
流す
役割を、
映像を
扱うテレビが
一手に
引き
受けることになりやすい。【8】テレビの
伝える
映像は、
作為によって
出来た
映像、
作られた
映像、
虚偽の
映像、
真実とは
反対の
映像の
場合はもちろん、
戦場からナマで
送られてくる
映像のように、
映像そのものは
真実であっても、
全体像から
切り
取られた
映像、
真実のうちの
一部、
真実の
一面にすぎないことも
多い。
【9】しかしたとえ
一部であり
一面であるにもせよ、テレビを
通して、しかもリアルタイムで「
現場」を
見てしまうと、
人間は
何となく、
納得してしまう、
満足してしまうことになりやすい。
大量の
情報が
流れている
時に、
情報に
対する
飢餓感が
少ないのは
当然だ。【0】むしろ
情報が
全く
流されずに、
情報に
対する
飢餓、
欲求の
強い
時にくらべて、
情報操作、
情報管理に
対する
抵抗は
弱いともいえる。(
中略)
ソマリアでの
食糧補給路を
確保するために、
首都モガディシオ
近くに
上陸したアメリカ
軍(
多国籍軍)は、
先回りしたアメリカなどのテレビ・クルーの
煌々としたライトの
出迎えを
受けた。これでは
上陸作戦も
何もあったものではない、と
米国防総省はメディア
側に
強く
抗議した。ソマリアの
武装勢力の
前に、
自国軍の
姿をさらけ
出すようなものだ、という
意味だろうが、もともと
米国に
対しては、
武装勢力は
抵抗をあきらめていたことを
考えると、たてまえでは
怒ってみても、メディアに
報道されること、つまりメディアによって
露出されることは、ほんねのところでは
歓迎していたのかもしれない。これからは、
軍事力を
動かすといっても、
火力を
使うよりは、
存在を
誇示することにますます
重点が
移るだろうし、
実際に
戦闘を
行っても、その
何倍もの
宣伝が
必要になるからだ。ニュース
源(ソース)の
側がメディアによって
露出されたい、
自らをメディアに
露出したいと
望む
状況が、メディアにとっては、
新しい
危険な
状態だということにもなる。
危険な
状況は、
戦争紛争といった
特別の
状況の
時だけの
問題ではない。
政治の
世界で、
行政の
領域で、
産業や
企業の
分野で、あるいは
文化や
芸能界といったところまでもが、テレビに
露出される
機会を
必死に
求めている
時代だからだ。テレビにとりあげてほしい、テレビで
広めてほしい、テレビに
出演させてほしいと
望む
人たちは、
政治家からタレント
志望の
若い
女性まで、テレビの
周辺に、うごめいているといってもよい。
(
岡村麹明の
文章による)
長文 6.2週
【1】
国際感覚があるということは、ただ
流暢に
外国語を
話し
外国人とそつなくつきあえるというような
単純なことではありません。また
国際感覚を
身につけるということは、これさえ
手に
入れれば
大丈夫というような
一本の「
魔法の
杖」を
見つけることでもありません。【2】
国際感覚という
言葉は、
国際化という
言葉がそうであるように、そのとらえ
方が
人によってまちまちだからです。
ただ、いま
私たちにとって
大切だと
思う
問題は、たとえばそれが
人権であれ、
平和であれ、
環境であれ、それについて
掘り
下げて
考えようとすれば、たいていの
場合に、
国際的な
側面とかかわりあいをもってきます。【3】したがって、「
国際感覚ってなんだろう」と
考えることは、
来たるべき
二十一世紀に
生きる
私たちの
生き
方について
考えることでもあるのです。それは、
現代社会の
中で、
一人の
人間が
自分の
生き
方を
貫こうとしたらいったいどういう
資質が
求められるのか、と
問うことでもあります。
【4】だから「
国際感覚をもってる
人って、どんな
人でしょうね」とたずねられたとしたら、こう
答えることだけはできそうです。「そうですね。あなたがたった
一つの
正答を
期待しているとしたら、それを
示すことは
私にはできません。【5】でも、つぎのような
最大公約数の
回答を
出すことならできるように
思います」と。
国際感覚を
身につけている
人というのは、たとえばつぎのような
人のことです。「
自分なりの
意見をきちんともっている
人」「それを
正確に
人に
伝えることのできる
人」【6】「つねにステレオタイプ(
型どおり)の
発想をさけようと
努めている
人」「
海外のことだけでなく、
日本についてもよく
知ろうとしている
人」そして「
異文化と
正面からむきあおうと
心がけている
人」などです。
【7】ただ、
私たち
日本人の
場合、どうしてもまず
日本という
国の
枠を
考え、その
枠組みの
中で、「
世界に
誇れる
日本人の
資質とは
何か」と
考えることになってしまいがちです。しかし、
現代では、
自分の
国の
国益さえ
守れればそれでよい、という
時代ではなくなってきています。【8】そのことは、グローバル・イシュー(
地球的課題)が
広く
認識されるようになったことにもあらわれています。
たとえば、
世界の
自然環境を
守ることと、ある
国の
経済的利益が
衝突するということは、いくらでも
起こりうることです。【9】そのときに
私たちが、
自分の
国の
国益だけにとらわれずに、より
普遍的な
視点から
発想できるかどうかが
問題になってきます。
一つの
時代を
共に
生きるということは、その
時代が
抱える
課題を、
世界の
人びとと
共有することでもあるからです。【0】
交通、
通信手段の
発達によって、
実質的に
地球は
狭くなってきました。また、
全世界が
直面している
困難な
事態について、
国境を
越えて
地球規模で
協力しあうことが
必要な
時代になっています。いま
時代は、
国際化時代から
地球時代へと、
移り
変わりつつあります。この
変化に
対応して、
国家の
枠組みにそった
国際感覚だけでなく、より
広い、
地球市民としての
意識が
要請されるようになってきました。
この
地球市民という
言葉は、まだまだ
私たちの
耳にはなじまない
言葉です。そもそも、
私たち
一人ひとりは、
家族の
一員であり、
学校の
生徒であり、クラブ
活動のメンバーであり、
自治体の
住民であり、
国家の
国民であるという
具合に、
色々なレベルで
帰属する
集団や
団体をもっています。それはあなたが
同心円の
中心に
立って、そのまわりに
大きな
円がしだいに
広がっていく
様子を
想像してもらうとわかりやすいかもしれません。
地球市民というものは、そのいちばん
広い
同心円だと
見ることもできます。
地球市民は、
地球上で
暮らすすべての
人びとが
人間らしく
生きることをたがいに
保障しあうという
理念によって
結びつくべきものでしょう。「
私が
平和や
人権を
求めるように、
地球上に
暮らすほかのすべての
人も、
同じ
願いをもつ
権利がある」という
考え
方です。その
意味で、
地球市民であるということは、
人間であることと
同様に
地球上に
生きる
私たち
一人ひとりを
包みこむ、もっとも
普遍的な
定義だといえるかもしれません。
(
渡部淳の
文章による)
長文 6.3週
【1】
現代では
学術研究の
場においてだけでなく、
企業活動の
場においてもまた
専門化がすすんでいます。それぞれの
場で
陣頭にたって
仕事を
押し
進めているのは
専門家たちです。
現代は、まさに
専門家たちの
時代であるというべきかもしれません。【2】それだけにまた
現代は「
専門バカ」たちの
時代となる
危険性もおおいに
孕んでいるのです。
ただの
専門家というのは、いわば
塀に
囲まれた
住居の
中だけで
外からの
情報を
得ることもなく、
生活している
人みたいなものです。【3】
塀の
中のことは
四六時中よく
見て
廻っているのですが、
塀の
外はなにも
見えないし、かといって
外へ
出かけていく
余裕もないのです。
専門家は
自分の
専門とする
事柄についてはよく
知っていても、ただそれだけだったらほとんどすべての
事柄については
無知だということになります。
【4】ところが、
自分の
専門外の
事柄についてある
程度理解することができ、
思慮分別を
伴った
言論を
展開できる
人たちがいるのです。その
言論は
当の
専門家をもうなずかせたり、
一考を
促したりすることがあるのです。【5】そういった
言論の
基盤となるのは、
何なのでしょうか。それはもはや
専門的な
知識や
技術ではなく、
常識や
一般的教養なのです。
アリストテレスは、『トピカ』で、
大衆を
相手に
話し
合うには、「エンドクサ」(
通念)に
基づいて
言論を
展開することが
有効だとしています。【6】
大衆を
相手にした
場合、
大衆の「ドクサ」(
見解・
思いなし)を
枚挙して、ほかの
人たちの
意見にではなく、かれら
自身の
意見に
基づいて
論ぜよ、ということです。
大衆というのは、ここでは
専門的知識をもたない
人たちのことを
意味しています。【7】
私たち
一人一人が
皆、
自分の
専門外の
事柄に
関してはそういう
大衆の
一人だといえるでしょう。
専門家がきわめて
精確な
専門的知識に
基づいて
厳密な
論証をおこなっても、
専門家以外の
大衆には
難しくてついていけないわけです。
【8】「エンドクサ」「
人々に
共通な
見解」というのは、
常識にほかなりません。
人が
自分の
専門外の
事柄について
考え、
論じるときに
拠りどころとなるのは
常識です。そればかりではありません。【9】
専門家が
自分の
専門の
事柄について
語る
場合でも、
専門的知識をもたない
大衆を
相手にするならば、
常識を
通じてでなければわかってはもらえないでしょう。
常識というのは、
時代によっても
社会によっても
異なります。【0】たとえば
昔は「
地球は
不動である」というのが
常識であったのが、いまは「
地球は
動く」というのが
常識です。しかしまた、たとえば
基本的人権の
擁護というのはいまや
世界の
常識であっても、その
人権の
内容が
異なるとすれば、
基本的人権に
関するある
国での
常識が
他の
国では
通用しないこともあるわけです。
常識は
専門的知識ほど
精確ではありません。また
常識がすべて
専門的知識に
由来するわけでもありません。たんに
皆がそう
思っているというだけの
常識もあります。しかし
専門的な
事柄に
関する
常識というのは、
専門家の
得た
知識が
専門家でない
大衆にもわかりやすく
通俗化されることによって
形成されるのです。そのような
常識は
知識に
次ぐ
確かさをもつということができるでしょう。
常識は
非専門家(
大衆)からの、または
非専門家向けの、あるいは
非専門家どうしの、
言論の
基盤なのです。
常識は
言論の
大きな
基盤です。けれども
上手な
言論というだけでなく、
知恵を
伴う
言論ということになると、
教養が
基盤となるでしょう。
教養は
専門的技術(
知識)と
区別されています。プラトンは、その
違いをいくつかの
対話篇のなかで
指摘しています。たとえば『プロタゴラス』では、
人が
読み
書きの
先生や
竪琴の
先生や
体育の
先生から
学ぶものは、
一個の
素人としての
自由人にふさわしいものとして、
教養のために
学ぶのだ、ということが
言われています。
医術や
彫刻術のように、
専門家(
本職の
師匠)になるための
技術として
学ぶのではないということなのです。
教養というのは、その
道の
専門家になるための
技術(
知識)として
学ばれるのではなく、
一個の
素人としての
自由人にふさわしいものとして
学ばれるのだということが
注目されます。
(
浅野楢英『
論証のレトリック』による)
長文 6.4週
【
長文が
二つある
場合、
読解問題用の
長文は
一番目の
長文です。】
ある
夏の、ひどくむし
暑い
日のことだった。
上の
兄は
学校へ
行き、
私と
下の
兄とだけが
残されて、
退屈していた。
二人はただ
目的もなく
大堰ばたの
方へ
歩いて
行った。
大堰ばたの
水は
流れが
止まったように
淀んでいて、
岸には
雑草がしげり、
日ざしはじりじりと
照りつけていた。そのとき
兄は
水面に
近く、
鮒を
見つけたのだった。
鮒は
水温が
上がり
過ぎたために、
苦しがって
水面に
浮かび、
口をあけて
喘いでいた。それが
意外にも
五匹、
六匹……
十匹もいた。
私たちは
興奮した。
兄は
流れの
岸にうずくまり、
手近なところに
浮いている
小鮒をそっと
両手で
追ってみた。
鮒は
逃げるだけの
気力もなく、
黙って
兄の
手に
捕らえられた。それからが
大変だった。
水から
上げたら
魚は
死んでしまう。
鮒を
水の
中で
捕らえたまま、
兄はどうすることもできなかった。
兄は
顔だけをふり
向けて、
「おい、うちへ
帰って
何か
入れ
物を
持って
来い。あき
缶でも
何でもいい。
大急ぎだぞ」と
言った。
私は
柔順な
弟だった。いつも
兄たちの
命令には
絶対服従だった。
私は
言いつけに
従っていきなり
走り
出した。
私自身、
生きた
鮒を
持って
帰りたくもあった。だが、そこから
私の
家までは
二百メートル
以上もあった。
私は
日盛りの、
人通りの
絶えた
乾いた
道を
小さな
下駄を
鳴らして
夢中になって
走った。
汗を
流し、
暑さに
喘ぎながら
家まで
帰りつくと、あき
缶を
一つ
見つけ
出して、また
同じ
道を
引き
返した。その
途中で、
石につまずいて
転び、
膝をすりむいてしまった。
私は
痛みに
耐え、
泣きながら
走った。それほど
私は
柔順な
弟だった。そして
兄を
怨んでいた。
川岸まで
駆け
戻ってみると、
兄はまだ
元のところにうずくまって、
一匹の
小鮒を
両手でつかまえていた。
兄は
家に
帰ってから、(おれが
獲った
鮒だ)と
言った。
私はそれが
不満だった。
鮒よりも、
私はトンボが
好きだった。
一番大型のオニヤンマは
大型という
魅力はあるが、
黒と
黄色のだんだら
縞で
下品だった。つかまえたことのうれしさはあるが、
少年の
心を
陶酔にさそう「
美」がなかった。そこへいくと、ギンヤンマという、あの
中型のヤンマの
美しさは
私をうっとりさせた。
私はほとんどヤンマを
尊敬していた。
夕方になると、
時として
私の
家の
前の
道路に、
無数のヤンマが
飛んでくることがあった。おびただしい
数だった。ところがその
時刻がちょうど
私の
家の
夕食だった。
夕飯を
食べながら、
私は
気が
気ではない。
箸を
投げ
出すなり
土間に
飛び
降り、
下駄を
突っかけると
同時に
竹竿をつかんで
駆け
出す。ヤンマの
群れの
中で、やみくもに
竹竿をふりまわすと、
羽が
切れたり、
尾が
切れたりして
落ちてくる。
時として
全身無傷のヤンマを
取ることがあった。これは
私たちの
宝物だった。
魚籠に
入れて、
布でふたをして、
持って
帰る。
小部屋を
閉め
切って、ヤンマを
飛ばしてみる。その
飛び
方の
優雅さに
私は
見惚れるのだった。
(
石川達三「
私ひとりの
私」)
【1】
一体、
人間の
頭の
良さの
特徴とは
何か。
多くの
研究者が、
人間の
知能の
本質はその
社会性にあると
考えている。
養老孟司先生は、「
教養とは
他人の
心がわかることである」としばしば
言われる。
他人と
心を
通じ
合わせ、
協力して
社会をつくり
上げることが、
人間の
頭の
良さの
本質である。
【2】
頭の
良さが
社会性と
深く
関わるということを、
意外に
感じる
人もいるかもしれない。
学校で
勉強ができる
子どもはなんとなくツンと
澄ましていて、あまりできない
子のほうがかえって
他人と
温かく
接することができる。【3】
一般にはそのような
思い
込みがあるかもしれないが、
現代の
脳科学では、
頭の
良さとはすなわち
他人とうまくやっていけることであると
考えるのだ。
他人の
心を
読み
取る
能力を、
専門用語では「
心の
理論」という。コンピュータは、いくら
計算が
速くできたとしても、
心の
理論を
持たない。【4】
他人の
心を
読み
取り、
初めて
会う
人ともいきいきとしたやりとりができるといった「コミュニケーション」の
能力においては、
人間はコンピュータよりもまだまだ
遙かに
優れているのである。
人間の
社会的知性を、
他の
動物に
比べてみると、どうだろうか。【5】
人間以外にも、
社会をつくる
動物はいる。アリは
高度に
発達した
分業体制を
持つし、
猿の
群れの
中には
社会的地位のようなものがある。しかし、これらの
動物に
比べてみても、
人間の
社会的知性が
特に
優れていることは
疑いない。
【6】
現在までに
得られている
知見を
総合すると、
厳密な
意味で
他人の
心を
読み
取ることができるのは、
全ての
動物の
中で
人間だけであるとされる。「
惻隠の
情」「あうんの
呼吸」「
本音と
建前」といった
言葉に
表れているように、
相手の
考えが
身振りや
周囲の
状況からは
容易に
判断できない
場合でも、
目には
見えない
相手の
心を
読み
取る
能力に
大変優れている。
【7】そのような
能力は、
動物にもあると
考える
人もいるかもしれない。ペットを
飼っている
人は、うちのポチ、うちのミイちゃんは
私の
心がわかるのよ、と
反論したくなるかもしれない。
犬は、
人間の
行動から
意図を
察知する
能力に
長けている。【8】
飼い
主が
見た
方向に
自分も
目を
向けたり、
手の
動きが
示すほうに
走ったりといった
行動は、
知能が
発達しているとされるチンパンジーよりもむしろ
敏捷で
反応が
良い。
どうして、
犬は
人間の
意図を
読み
取れるようになったのか。【9】
人類の
歴史の
中で、
犬がペットとして
飼われるようになった
経緯は
明確ではないが、
犬と
人間がお
互いの
存在を「
許容」するようになったことが
一つの
鍵であったと
考えられている。
野生の
動物は、お
互いに
対する
警戒心に
満ちている。【0】
異種の
動物はもちろん、
同種の
仲間にさえ
容易に
警戒を
解こうとはしない。
目を
合わせれば
闘ったり、
逃げだしたりすることが
普通である。そのような
状況では、
相手の
振る
舞いに
合わせて
自分が
協力したり、
微妙なニュアンスを
読み
取ったりといった
認知能力は
発達しない。
英語に「
犬は
人間の
最良の
友」という
表現がある。ある
時期から、
犬と
人間がお
互いの
存在を
許容し、リラックスしたままで「
一緒にいること」が
可能になったことが、
犬と
人間の「
社会的な
関係性」が
発達する
上で
大切なきっかけとなったと、
科学者たちは
考えているのだ。
犬と
人間だけではない。
人間同士の
社会的知性の
進化においても、お
互いの
存在を
受け
入れ、
共生することが
本質的に
重要であったとされる。
異質な
他者を
受け
入れ、
共生することが「
頭が
良くなる」ことにつながる。
最先端の
科学の
理論が
描き
出したそのようなシナリオには、
世知辛くなっていく
現代を
生きる
人間が
耳を
傾けるべきメッセージが
潜んでいる。
一緒に
仲良くいることで
頭が
良くなる。
私たち
人間は、そのようにして「
万物の
霊長」になったのである。
(
茂木健一郎「それでも
脳はたくらむ」)