むかしぼくらは、
学生で
合宿していたころ、よく
上野の
動物園へ
出かけていった。
近かったし、ほかに
遊びを
持ってなかったし、
二〜
三枚の
銀貨でみんなそろって
遊べるので、よくいっしょにドヤドヤッと
出かけていった。
しかしぼくは、
全体としての
動物園をあまりすかなかった。
第一、
水禽のガアガアなきたてる
声があまり
愉快でなかった。
第二、
広い
動物園にいっぱいになってるケモノのにおいがたまらなかった。それがひどくからだを
疲れさせた。らくだなどことにひどかった。ぼくがみんなといっしょによく
出かけたのは
主として
山猫を
見ようためだった。
山猫めは
全身まっ
黒の
毛に
包まれて
金いろの
目をしていた。かれのしっぽはからだよりも
長く、イザというときにはこん
棒のようになるにちがいない
一種特別のふくらみを
見せていた。ぼくの
知るかぎりかれは、おりの
奥行きの
半分より
前へは
一度も
出てこなかった。いつも
奥の
方にすわって、けっして
人になれることがなかった。ぼくはかれに「ごろつき」の
名を
与えた。かれはぼくに、ごろつき、ニヒリスト、かっぱらい、
海賊等のことばを
思い
出させた。
熊はおりの
金棒につかまって
臆面もなく
芸当をして
見せていた。
虎は
金いろのしま
目をきらめかしておりのなかを
行き
来していた。それは
落ちぶれた
貴族のようにものあわれであったが、
同時に
落ちぶれた
貴族のように
浅ましい
媚びを
感じさせた。
獅子ときては
話にもならなかった。かれはすっかり
食い
肥って、むかしのこともすっかり
忘れはててしまい、ここでいつかかれをつかまえた
人間どもから
比較的よく
待遇されてることにいい
気になってしまい、その「あてがいぶち」に
満足しきっていた。
鈍感になってしまったかれは、ここの
動物園のなかでさえ
自分を
王様と
考えてるように
見えた。それは
豚にも
劣るものだった。
しかし
山猫めにそんなことはなかった。
かれはまっ
黒の
顔をしてその
金いろの
目をピカピカ
光らせていた。おりの
暗い
奥の
方でそれは
燐のように
燃えていた。かれはけっして
人前で
歩いて
見せたりはしなかった。こんなところへ
押し
込めになっていてもいつもかれの
国のことを
考えていた。かるがると
飛び、
飛び
越し、
全力でかみ、
思う
存分血を
流すかれの
国でそれができないくらいなら、そんなところでたとえそれをすることから
肉の
一片を
手に
入れることができるとしても、そんなことのまねをする
必要はないと
考えていた。
虎や
獅子や
大蛇なぞがこんなばかものになってしまったとすれば、やつらがそんなに
堕落してしまったというその
一事のためにもがんばらなければならないと
考えていた。かれは
本能的に
捨て
身にかかっていた。それでかれのおりは
一種のうすっ
気味悪さで
見る
人に
襲いかかった。それで
人びとはかれのおりの
前にあまり
長く
立ちどまらず、なるべく
黙殺する
方針をとり、
果ては
知らず識らず
黙殺して、とうとうそのことに
平気になってしまっていた。
(
中野重治『
山猫その
他』)
近ごろは、ロンドンにいる、あるいはイギリスにいる
日本人はかえって
英語を
使わなくなったのではないか。
日本から
同日に
配達される
日本経済新聞と
朝日新聞を
読み、
衛星放送で
日本のテレビを
見る。そうすれば
英語など
使わなくていいのである。そういう
考え
方の
人がふえているのではないだろうか。
こういう
生活をして、
本人たちはたいへん
気楽なつもりでいるが、イギリスの
側からいわせると、こういう
日本人はイギリスに
来ていったい
何をしているんだろう、となる。お
金儲け
以外なにもしていないのではないか。イギリス
人をわかろうともしないし、イギリス
社会について
知ろうともしないじゃないかと。
こうして、イギリス
人の
胸の
中にひそんでいる
時間はしだいにふくらんでくることは
間違いない。
彼らはこんなふうに
思うのだ。――
日本人はイギリスに
来て、したい
放題のことをしている。お
金は
使ってくれるし、
企業も
進出してくれるかもしれないが、
実際にやっていることはマナーもないし、イギリス
人に
敬意を
払おうともしない。
自分たちだけで
好きなことをやって、ここがまるで
自分たちの
治外法権の
場所みたいな
顔をしている。いま
若い
日本人がますますそういう
傾向になっていくとしたら、
将来はかなり
心配である。
日英関係にかならず
悪影響を
及ぼすのではないか――。
いうまでもないことだが、イギリスにいる
日本人のすべて、
日本のビジネスマンのすべてがそうだということではない。
特に
企業人からも
尊敬され、
公の
場所で
意見もいうし、イギリス
政府にたいしてアドバイスもする。
こうした
日本の
企業人とイギリス
企業人との
大きな
違いは、
日本の
企業のトップは、ビジネスができるだけでなく、
教養があるという
点である。
彼らは
文学や
芸術のことも
話せるし、
実際、そういうことに
興味をもっている。イギリスのビジネスマンは、サッチャーさんの
高等教育拡大方針にもかかわらず、お
金儲けはできるし、マネジメントの
才もあるが、じつは
教養や
文化にかかわりのない
人が
多いのである。お
金がたまったらそれを
持って
外国へ
出ようとか、ホリデーをたっぷりとろうとかいうことばかり
考えていて、
自分の
教養を
深めるということはしないし、
本を
読むこともしない。
そういうビジネスマンが
多いイギリスで、
日本のトップクラスのビジネスマンは、
詩の
本を
読んでいるとか
芸術のこともわかるとか、とてもすばらしいと
思われている。もちろんイギリスにもそういう
人もいるが、マナーもすばらしいし、
英語もきちんと
話せる、いわば
世界レベルの
日本のビジネスマンがふえていることもまた
確かなのである。
そうしたトップクラスのビジネスマンと、
日本からやってきたとたんに、
日本にはお
金があって、イギリスから
習うものは
何もないと、まるで
植民地にでも
来たように
威張ってみせる
若い
人たちとの
差がひじょうに
拡大してきているのではないか。
長いあいだイギリスにいて、
日本企業の
地位を
高めるのに
努力してきた
日本のトップクラスのビジネスマンの
苦労は、
日本が
経済的に
世界で
大きな
地位を
占めるようになってから
生まれた
若い
人たちの
軽はずみな
言動やバカげた
行為によって
覆されてしまうのではないか――そんなことが
危惧されるようになってきたのが
当節のイギリスなのである。
(マークス
寿子『
大人の
国イギリスと
子どもの
国日本』)