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課題集
長文 7.1週
【1】「あら、なつかしい。」
母が
声をあげました。おばあちゃんの
家を
改築することになって、
荷物の
整理に
行ったときのことです。
母の
手には、
手紙の
束が
握られていました。
色とりどりの
便箋や
封筒、かわいらしいメモ
帳の
切れ
端などがたくさん
出てきました。
【2】「
昔は、
携帯やメールなんかなかったでしょう。だから、こんなふうに
手紙を
交換していたのよ。」
と
母が
言います。するとおばあちゃんが
笑いながら、
「
毎日学校で
会う
友だちともやり
取りしていて、よくそんなに
書くことがあるものだと
思ったわ。」
と
言いました。
【3】
母は
少し
恥ずかしそうでしたが、
私は
見せてもらうことにしました。
手紙のほとんどは、
今でも
家族ぐるみでつきあいのある
母の
同級生からのものです。
特におもしろかったのは、
四年生のときにダジャレに
夢中になっていたころの
手紙です。
【4】「
大沢先生のおおさわぎ」「そんなシャレやめなシャレ」「
体育行く?」
などと
書いてあり、
大沢先生らしい
太った
男の
人のイラストがありました。さらに、
「
真衣子、まーいい
子。」
と
母の
名前を
使ったダジャレもありました。
【5】そのほかに、
秘密の
手紙もありました。
封筒の
表書きに「
真衣子へ。だれにも
見せないでね」とあったので、
私は
少しどきっとしました。
封筒の
中には、
色あせた
水色のびんせんが
入っていて、
小さな
字でぎっしりと
文が
書いてありました。
【6】
私はそれを
読みたかったけれど、
母はこれはだめ、とさっとかくしてしまいました。
私はきっと
好きな
子の
話が
書いてあるのだな、と
思いました。
私だってもう
四年生だからわかるのになあ。
【7】おばあちゃんは、
箱のほこりを
払いながら、
「ママはね、
小学生のころは、とてもおとなしかったのよ。
授業参観に
行ってもほとんど
発言しないような
子でね。」
と
驚くようなことを
言いました。
今の
母からは
全く
想像できません。
【8】「ねえねえ、いつから
今みたいにうるさくなったの?」
と
聞くと
「あなたが
生まれてからかしらねえ。」
と、おばあちゃんが
答えました。
私は、
人間って
変わるものだなと
心の
中で
思いました。
母は
知らぬ
顔で、
昔の
本を
束ねています。
【9】
私は、もし
子どものころの
母と
今、
同じクラスだったら、
私たち、
仲良くなるかなあと
考えました。なんとなく、
好みも
似ていそうだし、
話も
合いそうだなと
思います。
私は
楽しくなってきて、
「おはよう、
真衣子。」
と
聞こえないようにつぶやいてみました。【0】
(
言葉の
森長文作成委員会 φ)
長文 7.2週
世界中を
簡単に
旅することができなかった
昔の
人々にとって、ウミガメが
毎年決まった
季節になると
海岸にやってきて
卵を
産んでいく
様子は、
神秘的だったことでしょう。そんなウミガメから、
竜宮城という
夢のような
話が
生まれたのかもしれません。
では、
日本にやってくるウミガメには、どんな
種類があるのでしょうか。
日本列島は
四季がはっきりしているので、
季節によって
気温や
海水温が
大きく
変わってきます。その
中で、
日本に
卵を
産みにくるのは、アカウミガメ、アオウミガメ、タイマイなどのカメです。
関東地方より
南の
海岸で
卵を
産むアカウミガメは、
春になると
日本近海に
姿をあらわします。アオウミガメは、
屋久島より
南で
卵を
産み、タイマイは
沖縄本島より
南で
卵を
産みます。
産卵場所となる
海岸の
沖には、オスがメスより
一ヶ月も
前に
来て
待っています。やがてメスがやってくる
時期になると、オスたちはメスのあとをついてまわるとともに、オスどうしで
激しく
争い、メスを
奪い
合います。かんだり、ぶつかったり、オールのような
足ではたいたりと、とても
迫力があり、
水族館でゆったり
泳いでいるときの
姿からは
想像もつかないほどです。その
後、オスは
産卵場所のまわりの
海から
姿を
消します。メスは
近くの
砂浜に
上陸して
産卵します。
お
風呂やプールに
入ると、
体が
軽く
感じられます。それは、
水の
中につかっているものには
浮力が
働くからです。
海中のウミガメは、
浮力のおかげで
重さが
陸上にいるときよりもずっと
軽くなります。しかし、
浮力の
働かない
陸上では
自由に
体を
動かすことができません。
海から
上がって
卵を
産むときには、
外敵から
自分や
卵を
守ることもできなければ、すばやく
逃げることもできません。そのため、
産卵をひかえたメスは、
夜になってから
用心深く
砂浜に
上陸し、
安全を
確かめてから
産卵にとりかかるのです。
アカウミガメは、
左右の
後ろ
足を
交互にシャベルのように
使って、
大きな
穴を
掘り、
一回に
百個ほどの
卵を
産みます。
一頭のメスは、
夏の
産卵期の
間に
多いときで
六回くらい
卵を
産みます。
では、ウミガメは
危険をおかしてまで、どうして
陸に
卵を
産むのでしょう。ウミガメは、
陸上で
生活できるように
進化してきた
爬虫類の
仲間です。
爬虫類は
乾いた
場所でも
体の
水分が
外へ
出ていかないように、
丈夫なウロコのような
皮膚で
体をおおっています。
卵も、
水中に
産む
魚類や
両生類のものと
違い、
鳥類の
卵のように
殻に
包まれています。ウミガメの
卵は、
殻を
通して
息をしており、
水中だと
息ができずに
死んでしまうのです。このため、ウミガメは
一生の
大部分を
海で
暮らすようになった
今でも、
卵だけは
陸に
産みにくるのです。
ウミガメのひとりごと、「わたしも、
本当は、
海でウミたいわあ」。
言葉の
森長文作成委員会(
Κ)
長文 7.3週
【1】
父が
母国をはなれたあと、
母は
三人の
育ちざかりのむすこをかかえ、けんめいに
生きてきました。「
牛乳とやさいをうる
店がちかくにないから、あなたがやってみては。お
金は
用だてます。」と、しんせつな
友人がすすめてくれ、
家のすぐそばに
小さな
店をひらきました。【2】もうけはみじめなほどすくないのですが、ともかく
毎日いくらかでもお
金がはいってくるのは
助かります。
それでもときには、あすのお
金にもこまることがありました。そこでロベルトとリュドビグの
兄弟は、アンデルセンの
童話そっくりのアルバイトをしました。【3】
町かどに
立って、
通行人にマッチのわけうりをし、
銅貨をいくまいか、かせいだのです。
ロベルトとリュドビグが、ほこらしげにその
日のうりあげを
母にわたすのをみたとき、アルフレッドは、どれほどじぶんをなさけなくおもったかしれません。【4】からださえじょうぶなら、
兄たちにけっしてまけてはいませんのに……。
アルフレッドが
気をうしなってたおれた
数日後の
雪の
日には、こんなことがありました。
【5】
店から
昼食のしたくにかえった
母が、ロベルトに
一まいの
硬貨をわたし、「パンとすづけにしんをかってきてちょうだい。それでおひるをすませましょう。」とたのみました。
【6】ロベルトは
二つへんじででかけていったのですが、いつまでももどってきません。
「どこまでいったのかしら……。」
しびれをきらした
母が、ドアをあけると、そこにロベルトが
立っていました。そまつながいとうを
雪でぐっしょりぬらし、
青ざめてふるえながら。
【7】「ぼく、お
金を
雪のなかにおっことしたんだ。いくらさがしてもみつからなくて……。」
十二さいの、
父ににてがっしりしたからだのロベルトがなきじゃくりました。
硬貨をしまったポケットにあながあいていたのです。【8】
母の、なかみのとぼしいさいふのことをおもって、ロベルトは、きっと、とほうにくれてしまったのでしょう。
(かわいそうに、ロベルト
兄さん……。)
ベッドのなかのアルフレッドは、
心でよびかけました。
【9】(ひるごはんくらい、たべなくてもへいきなのに……。)
「おばかさんねえ……。」
ロベルトをだきしめて、
母がわらいました。
「
雪のなかに
貯金したとおもえばいいじゃない。」
「そうさ。」
と、リュドビグ。
【0】「でも、
雪がとけたとき、フレイのやつがさきに
貯金をみつけなきゃいいけどなあ。」
フレイというのは、リュドビグのけんかなかまなのです。
みんな、おもわずふきだしました。
それから
母と
子の
四人家族は、ひとさらずつのスープを、フーフーふきながらのみ、ほかになんにもたべなくても、
心はみちたりていました。たがいのあたたかい
理解と
愛情とユーモアでむすばれていましたから。
(「ノーベル」
大野進著より)
長文 7.4週
ドイツの
心理学者が、
味には、
塩味、
酸味、
甘味、
苦味の
四つの
基本の
要素があって、どんな
味もその
組み
合わせでできているという
説を
発表して
以来、
基本の
味についてはもうこれ
以外にないと
思われていました。しかし、
味覚を
研究していた
日本人の
化学者たちは、これにもう
一つ、
旨味を
加えるべきだと
主張しました。
この
旨味の
成分を
発見し、
初めて
学会に
報告したのは、
池田菊苗 博士です。
博士はある
日、
夕飯を
食べていて、
妻が
作ったお
吸い
物のあまりのおいしさに
感動を
覚えたのです。そして、「この
味は、
四つの
基本味だけで
出せる
味ではない」と
確信し、
旨味の
研究に
取りかかりました。
お
吸い
物のだしは、
昆布でとられていました。そこで
博士は、
四十キログラムもの
昆布からだし
汁を
作り、そこから
旨味以外のすべての
成分を
取り
除いていくという、
気の
遠くなるような
作業を
続けました。そして
最後に
残った
旨味の
正体が、
グルタミン酸という
物質であることをつきとめたのです。
池田博士はこれを
学会に
報告するとともに、
調味料として
大量生産する
方法を
発明しました。そしてこの
旨味の
素は、「
味の
素」として
商品化され
売り
出されました。
旨味の
成分は、
池田博士が
発見した
グルタミン酸以外にもあります。たとえば、
煮干しや
鰹節のだしの
旨味はイノシン
酸、
干しシイタケやマツタケの
旨味はグアニル
酸です。だしの
味は
外国にもないわけではありません。
西洋料理には
肉類と
香味野菜を
煮込んでとるスープストックやブイヨンと
呼ばれるだしがあります。
中華料理では、
鶏ガラや
干しエビ、
白菜やネギなど、やはりさまざまな
材料を
煮込んで「
湯」と
呼ばれるだしを
作ります。
このように
旨味は
確かに
味をよくする
成分であるとは
認められていましたが、
旨味が
第五の
基本味であるということは、
世界の
人々になかなか
受け
入れてもらえませんでした。しかし、
最近になってようやく、
旨味は
第五の
味として
認められ、そのまま「
UMAMI」という
用語となって
世界中に
知られるようになったのです。
それでは、
旨味は、なぜおいしく
感じられるのでしょうか。それは、
旨味の
成分が、
私たちの
体を
作るために
欠かせないものだからだと
言われています。
グルタミン酸は
アミノ酸というグループに
属し、イノシン
酸やグアニル
酸は
核酸と
呼ばれるグループに
入る
化学物質です。そして、この
両方ともが、
私たちの
体を
作るのにとても
必要なものなのです。つまり、
体の
方で、ちゃんとこれらをおいしく、たくさん
取り
込むようにできているのかもしれません。
旨味は
少量の
塩が
入ることで、より
強くなります。また、ちがうグループの
旨味を
組み
合わせることによっても、ぐんとおいしさが
上がることがあります。したがって、うまく
旨味を
利用することで、かえって
塩分を
減らしたり、よりおいしい
味付けにしたりすることも
可能になるのです。
ところで、
昆布の
旨味を
発見した
池田博士は、ロンドンに
留学していたとき、
同じくロンドンに
留学していた
文学者の
夏目漱石に
会っています。もしかすると、
夏目漱石と、「
日本料理のおいしいだしの
味が
恋しいなあ」などと
話をしていたのかもしれません。
旨味の
研究は、
一杯のお
吸い
物から
始まりました。
昆布のだしによろコンブ
池田博士の
笑顔が、
研究の
出発点だったのです。
言葉の
森長文作成委員会(
τ)
長文 8.1週
【1】「あつっ。」
ぼくは、
思わず
指を
引っ
込めました。しかし、
後ろを
向いている
母には
気付かれませんでした。
今夜は、ぼくの
大好物の
鳥の
唐揚げです。あつあつの
鳥が
並ぶお
皿から
食欲をそそる
香りが
漂ってきます。
【2】ぼくは、
思わず
手を
伸ばしてしまったのですが、
揚げたてだったせいで、
人差し
指にやけどをしてしまいました。ぼくは
何食わぬ
顔で、そっと
洗面所へ
行き、
指を
流水で
冷やしました。
母は
何も
知らずに、
揚げ
物を
続けています。
【3】その
唐揚げは、ぼくが
下味をつけるのを
手伝ったのです。ショウガやニンニクをすりおろしたり、
酒やしょうゆを
入れたり、
片栗粉をまぶしてなじませたりするのがぼくの
仕事でした。だから、どんな
味に
仕上がったか
確かめたかったのです。
【4】ぼくは、
指が
冷たくなるまで
冷やすと、
再びキッチンに
向かいました。さっきの
唐揚げは
食べごろに
冷めているはずです。のれんをあげて、テーブルに
目をやると、
「あ、あれ? ないっ。」
唐揚げのお
皿はなくなっていました。
【5】「
鳥を
取り
上げないでえ。」
とぼくは、
言いそうになりましたが、がまんして、
冷静にまわりを
見渡しました。なんと、お
皿は
母の
横のレンジ
台に
移動していました。ぼくは、まだ
食べていないのにと
心の
中で
叫びました。
【6】
母はニヤッとして、
菜ばしではさんだ
鳥を
振って
油を
切りながら、
「
残念でした。」
と
言いました。さらに、
「
水ぶくれにならなかった?」
と
聞きました。ぼくは、さっきのつまみぐい
未遂を
母は
知っていたのだなあとあせりました。
【7】
父もつまみぐいの
常習犯です。
会社から
帰って、まずキッチンに
直行し、テーブルの
上をチェックします。そして、
置いてあるものをひょいと
口に
入れてしまいます。すると、
母が
必ず、
「きちんと
手を
洗ってから! うがいもしてから!」
と
言うのです。
【8】
父は、はいはいと
言いながら
洗面所に
消えます。そんなときの
父は、まるで
叱られた
子供のようです。
父は
何度も
注意されているのに、
堂々とつまみぐいをするところがぼくと
違います。
【9】ぼくは、
昨日うまいい
訳を
考え
付きました。つまみぐいを
叱られたら、ママの
料理があんまりおいしそうだからだよ、と
言うのです。これなら
見つかっても
叱られません。しかし、「そんない
訳していいわけ」と
言われるかな。【0】
(
言葉の
森長文作成委員会 φ)
長文 8.2週
羽には、
様々な
用途があります。あるときには
婦人の
帽子を
飾り、
女性の
美しさを
際立たせます。
別のときにはペンになり、ラブレターをつづるかもしれません。またあるときにはコートの
中綿になり、
私たちを
温かく
包んでくれます。
しかし、
羽のありがたみをいちばん
感じているのは、
何といっても
鳥たちでしょう。
羽がなければ
飛ぶことができません。
更に、
美しい
羽は、つがいの
相手となるパートナーをひきつけるのにも
役立ちます。また、
鳥を
寒さから
守る
役目も
果たします。これらの
点では、
鳥たちも
人間とあまり
変わりません。もっとも、
羽をペンの
代わりにする
鳥はいないようですが。
鳥類が
羽を
持っていることは
広く
知られていますが、その
作りをじっくり
眺めたことのある
人はあまり
多くないかもしれません。
羽は
実に
見事にデザインされています。
風切羽の
中心には
羽を
支える
軸が
走っています。よく
見るとその
裏側には
一本の
溝が
刻まれています。このちょっとした
工夫のおかげで
軸の
強度は
高まり、
曲がったりよじれたりしても
折れにくくなっています。
鳥類はまた、
普通の
羽の
間に、
糸のような
細長い
羽を
持っています。この
羽の
根元にある
一種の
感覚器は、
羽の
乱れを
鳥に
知らせます。
羽が
乱れてきたという
信号が
出ると、
鳥は
翼を
休め、くちばしで
羽づくろいをして
羽を
整えます。この
感覚器はまた、
飛んでいる
速度を
鳥が
判断するのに
役立っているのではないかとも
言われています。
表面から
見える
羽の
下には、ダウンと
呼ばれる
綿羽がぎっしりと
生えています。カモの
場合、その
厚さはニセンチ
近くにもなります。
綿羽の
断熱性は
優れており、
冬の
身を
切られるような
寒さも、ダウンのコートがあれば
平気です。
羽のおかげで、
鳥も
人間もファッションを
楽しむことができ、さらには
寒さをしのぐこともできます。
鳥の
羽は、まさに「
一石三鳥」あるいはそれ
以上の
働きをしています。しかし、
生まれつきそういう
羽を
持っているカモたちにとっては、
当たり
前のことなのカモしれません。
言葉の
森長文作成委員会(
τ)
長文 8.3週
【1】ニトログリセリンのグリセリンは、
石けんをつくるときにできる
副産物です。ねばっこい
液で、
薬や、
機械のうごきをなめらかにするための
油としてつかわれます。【2】「
硝酸が
変化させたグリセリン」というのが、ニトログリセリンのいみですが、じっさいには、とくべつのそうちで、こい
硝酸と
硫酸をまぜた
液に、
水分をとりさったグリセリンをそそいでつくります。
【3】これくらいのことは、
技術雑誌にしたしんでいるアルフレッドには、とっくにわかっています。
(つくりかたがわかっても、ばくはつをコントロールすることには
役だたないなあ……。)
【4】そうおもいながら、アルフレッドは、いくどか、
小さなばくはつ
実験をこころみました。けれども、ニトログリセリンは、うんともすんともいわないか、とんでもないときにばくはつして、きもをひやさせるかです。
【5】「いずれにしても、
導火線を
用いなければならないよね……。」
アルフレッドが、ちえをかりにいったジーニン
先生は、
大学の
研究室でいいました。
【6】
導火線は、
黒色火薬を
紙と
糸でまいてつくった
線です。
手もとに
火をつけると、シューッともえていき、ばくやくをばくはつさせるのです。
【7】「……そうなんです、
先生。まさか
大量のニトログリセリンを、
鉄のはりでばくはつさせるわけには、いきませんものね。いのちあってのものだねです。」
【8】「しかし、
導火線では、ばくはつしない……と。あたえるショックが
小さすぎるのかなあ。」
【9】「そうかもしれません。といって、
導火線をうんと
太いものにすると、もちはこびのとき、きけんですし……。」
アルフレッドは、そうこたえながら、「あたえるショックを
強めるには?」と、ノートにメモしました。【0】
(「ノーベル」
大野進著より)
長文 8.4週
文字は、
初め
石などに
刻まれていました。しかし、それでは
時間もかかるし、
重すぎて
持ち
運ぶこともできません。
人間が、カイコのまゆから
絹の
布を
作ったり、
植物から
繊維をとり
出して
布を
作ったりすることができるようになると、その
布を
作る
技術を
利用して、
紙を
発明することができるようになりました。
紙は、
安い
上に、
軽くて、しかも
薄いので、
何枚も
重ねて
使うことができました。この
紙の
発明で、
文字が
人間の
社会に
広がるようになったのです。
日本にも、
一六〇〇
年以上前に、
中国から
紙を
作る
方法が
伝わってきました。
日本には
紙にするのにとてもよい
植物があり、
日本人は
工夫が
得意だったので、あっというまに、
厚い
紙、
薄い
紙、
硬い
紙、
軟らかい
紙、
白い
紙、
色のついた
紙、そして、
金や
銀をちらした
紙、よい
香りがする
紙など、いろいろな
紙が
作り
出されました。
その
時代に
書かれた
本には、「いろいろな
紙をもらうと、この
紙にあわせて、どんなふうに
工夫して
字や
絵をかこうかと
考えてとても
楽しい」とか、「いやなことがあっても、
真っ
白で
上等な
紙のたばをもらうと、
気持ちもはれて、ここに
何を
書こうかとうれしくなってくる」などという
話が
載っています。
今でも、きれいな
折り
紙や
包み
紙、
真っ
白なノートなどをもらったときに、
同じような
気持ちが
感じられるのではないでしょうか。
日本では、
古い
紙をもう
一度すきかえして
新しい
紙にする
技術も
発明されました。そのリサイクルの
紙は
真っ
白でなくしっかりもしていませんでしたが、
普通の
人も
買うことができる
安い
本になりました。
江戸時代になると、
紙の
本はたくさんの
人が
持つことができるようになりました。そればかりか、
子どものための、
紙細工のおもちゃまでたくさん
作られるようになりました。これを、おもちゃ
絵といいます。そこには
豆絵本のような、
本のかわりになるものや、はさみで
切ってくみたてて
遊ぶ
紙おもちゃなどさまざまな
種類のおもちゃがありました。きせかえ
人形や、おしばいごっこの
立ち
絵、
紙ずもうやめんこ、そして
組み
立て
絵というものができたのもこのころです。ほかにもすごろくやかるたなど、
今の
時代にも
伝わるおもちゃがこの
時代に
発達しました。。
江戸時代の
子どもたちも、
今の
子どもたちが、ゲームのカードをためたりマンガを
買いそろえたりするのと
同じことをやっていたのです。
破れやすく、
火には
燃えてしまう
紙と
知ってはいても、それでも
紙でできたものには、
集めて
愛さずにはいられない
魅力があるようです。
「
紙君って、えらいんだね。
今度から
紙様って
呼ぼうか。」
「いやあ、もっと
気楽に
読んでくれた
方がいいよ。」
「じゃあ。ヘイ、カミーン。」
言葉の
森長文作成委員会(
λ)
長文 9.1週
【1】「あっ、これ
知ってる。」
テレビのコマーシャルに
金子みすずさんの
詩が
流れました。
私は、
三年生のとき、
国語の
教科書で
知ってから、みすずさんの
詩をたくさん
読みました。その
中の
一つが
使われていたので、びっくりしたのです。
【2】
私の
好きな
勉強は、
国語です。どのくらい
好きかというと、
四月に
新しい
教科書をもらうと、
一日で
全部読み
終えてしまうくらいです。
国語の
勉強は、
新しい
漢字をたくさん
覚えるのも、いろいろな
人の
作品を
読むのも、
音読も、
作文も、
全部楽しくてたまりません。
【3】
国語はまるで
勉強ではなく
趣味のような
感じです。
学校の
授業が
毎日、
全部国語だったらいいのになあ、とよく
考えます。
去年、
母にそれを
話したら、
「がんばって
勉強をして、
国語を
専門に
研究できる
大学に
行くといいかもしれないわね。」
と
言ってくれました。
【4】そのとき、
横で
新聞を
読んでいた
父は
顔を
上げて、
「それまでは
国語だけではなく、いろいろな
科目の
勉強もしっかりやるといいよ。
国語以外の
勉強が、
国語の
研究に
役立つからね。」
と、
私の
方を
向きました。【5】
私はそれを
聞いて、ようし、がんばるぞと
思いました。
一年生のときから
仲良しのはるかちゃんは、
国語はあまり
好きではなく、
算数や
理科の
方が
好きなのだそうです。
私は、どちらかというと、
算数は
苦手です。【6】だから、いつもおたがい
勉強でわからないところは
教え
合っています。
はるかちゃんは、
読書があまり
好きでないらしく、
私がおもしろい
本をすすめても、
「ええ。めんどうくさいなあ。これ、
字が
小さいし。」
などと
言って、あまり
読んでくれません。【7】
私は
逆に、
数字がたくさん
並んでいる
算数の
問題集を
見ると、「わあ、めんどうそう。」と
思ってしまいます。
そんなはるかちゃんですが、
去年、「ちいちゃんのかげおくり」を
国語で
習ったときは、とても
真剣に
何度も
読んだそうです。【8】
二年生のときの「スイミー」もおもしろかったと
言っていました。
だから、
私は、
将来国語の
教科書を
作る
仕事をするようになったら、
子供が
興味を
持つ
話をもっとのせたいと
思っています。
【9】
私にとって、
国語の
勉強は、ご
飯にたとえられます。ほかの
教科は、スープやおかずやデザートです。
国語の
勉強をしっかりやると、きっと
栄養もたっぷり、おなかもいっぱいになります。そんな
気持ちで、
私は、
今日も
国語の
授業を
聞いています。【0】
(
言葉の
森長文作成委員会 φ)
長文 9.2週
みなさんは
空の
絵をかくとき、
何色でかきますか。ふつうは
空色、つまり
薄い
青色にするのではないでしょうか。しかし、もしかすると、ある
人は、
昨日の
夕焼けの
空を
思い
出してきれいなオレンジ
色にするかもしれません。
確かに、
空の
色は
時刻によっても、
天気によっても
変わります。
空だけではありません。
木でもベンチでも
人の
顔でも、その
時々でいろいろな
色合いに
変わります。では、その
時々の
色を
決めるのはなんでしょうか。
それは
光です。
物は、
光との
関係によってさまざまな
色合いに
変化します。
特に、
外の
景色は
太陽の
光をじかに
受けているので、
一日のうちでもさまざまに
印象を
変えます。この
光というものを
大切に
考えて、
自然の
姿をそのまま
絵にしようと
考えたのが、
印象派と
呼ばれる
芸術家たちでした。
印象派とは、
十九世紀の
後半にフランスで
起こった
画家を
中心とするグループです。それまでは、
時間をかけてかきこんだ
重々しい
作品がよいとされてきました。そのため、
一瞬の
輝きをとらえてすばやく
仕上げる
印象派の
絵は、
最初単なるスケッチにすぎないと
見られていました。
印象派の
最初の
印象は、あまりよくなかったのです。
しかし、
印象派の
人たちは、
実はしっかりした
科学的な
考え
方にもとづいて
制作をしていました。そのひとつが、シュヴルールという
人の
色の
考え
方です。
彼は
本の
中で、となり
合う
色がおたがいに
影響しあって、いろいろな
見え
方になることを
説明しました。そしてとなり
合う
色どうしが
違えば
違うほど、より
大きな
効果があるとしました。
例えば、
赤と
緑、
黄と
紫などは、
最も
違う
色合いで、このような
色の
組み
合わせを
補色の
関係と
呼びます。
補色を
並べてみると、
目がちかちかするような
効果を
生みます。
青っぽい
色は
奥に
引っ
込み、
赤っぽい
色は
前に
飛び
出してくるようにも
見えます。
その
印象派の
画家たちの
中で
中心となったのが、クロード・モネです。モネは、
移ろいやすい
光や
自然の
鮮やかな
色を、だれよりも
深く
追い
求めました。
それまでの
絵は、
絵の
具を
混ぜることによってさまざまな
色を
作り
出していました。
絵の
具は
混ぜ
合わせれば
混ぜ
合わせるほど、
明るさがなくなっていきます。
絵の
具の
筆を
洗っていると、
水がどんどん
暗い
色になっていくことを
知っている
人も
多いでしょう。
印象派以前の
絵は、
暗い
部分に
影をつけることによってものの
奥行きを
出していたので、
絵が
更に
暗く
重い
感じになっていました。
モネはこうした
暗い
絵を
嫌いました。そして、
光に
溢れたみずみずしい
景色を
描くために、
新しい
技法を
使いました。ある
色を
作るのに、
絵の
具を
混ぜ
合わせるのではなく、
純粋な
色を
数多くの
点としてとなり
合わせるように
描いたのです。こうすると、
離れて
見た
場合、それらの
色が
混ざり
合って
見えます。しかし、
絵の
具を
混ぜて
使ったときよりもはるかに
明るい
色になるのです。モネは、となり
合う
点どうしを
補色の
関係にするなど、いろいろな
工夫を
重ねました。こうして、モネの
絵は、
自然の
風や
太陽のあたたかさまで
感じさせるようなものになっていったのです。
最初は
受け
入れられなかったモネの
絵も、
次第に
多くの
人に
認められるようになりました。
今その
光溢れる
絵は、
世界中の
人々から
愛されています。
「モネさんのような
絵を、
印象派の
絵と
言ってもイーンショウか。」
「うん、いいかモネ。」
言葉の
森長文作成委員会(
α)
長文 9.3週
【1】アルフレッドのゆいごんじょうは、
十二月十七日、サン=レモのやしきでひらかれました。
立ちあったのは、リュドビグの
長男イマニュエル、ロベルトの
長男ヤルマル、それにソールマンと
弁護士です。
【2】「なんですって。わたしが、ノーベルさんのゆいごんをとりしきることになっているんですって……。」
ソールマンは、おどろきました。たしかに、ゆいごんじょうのおもて
書きには、ソールマンの
名があります。【3】ゆいごんじょうが、
弁護士によってよみあげられるにつれ、ソールマンはさらに
大きなおどろきにうたれ、まばたきもしません。
「わたし、アルフレッド=ノーベルは、あとにのこすざいさんについて、つぎのようにゆいごんする……。」
【4】アルフレッドは、ごくわずかなお
金をおくる
友人、しんるいの
名をあげたあと、こう
書いていました。
「のこりのすべての
金の
利子を、
毎年、そのまえの
年に、
人類のために
役だつしごとをした
人々に、
賞としてわけること。
【5】
利子は
五つにわけ、
一、
物理学
一、
化学
一、
医学生理学
一、
文学
一、
国際平和
の、それぞれの
分野で、
重要な
発明発見をし、あるいは
理想にみちた
作品をあらわし、あるいはまた
戦争をふせぐことにつとめた
人物にあたえること。」
【6】ゆいごんじょうを、
弁護士がよみおわると、ソールマンが、ぼうぜんとして、いいました。
「このしごとを、わたしがやるのですか。たった
二十六さいのこのわたしが……。」
【7】「ソールマンさん……。ロシア
語では、ゆいごんをとりしきる
人のことを『たましいの
代理人』というのですよ。しっかりなさい。おじのアルフレッドは、あなたがこれをやれるとみこんだから、あなたをえらんだのですよ。」
【8】イマニュエルが、なき
父リュドビグそっくりの、かしこそうな
目をむけてはげましました。
そうはげますイマニュエルは、ヤルマルとともに、ゆいごんじょうがもしなかったら、アルフレッドのばく
大なざいさんをもらえるはずの
人なのです。
【9】「わかりました。では、このしごとを、わたしのしょうがいのしごととして、おひきうけします。」
そうちかったソールマンは、
十二月二十九日、ストックホルムの
教会で、アルフレッドのそうしきがおわったあと、しごとにとりかかりました。【0】
(「ノーベル」
大野進著より)
長文 9.4週
海水は
塩辛いもので、
私たちはそれを
当たり
前のことだと
思っています。
実際、そこに
含まれる
塩分は
大変な
量です。
海水をすべて
蒸発させ、
残った
塩分を
陸地に
敷きつめると、
百五十メートルもの
厚い
層ができると
言われています。この
大量の
塩は、
一体どこから
来たのでしょうか。
塩分のふるさとのひとつは
川です。
地球上に
存在する
川の
大半は
淡水なので、これは
意外な
感じがします。
雨が
降ると
水が
地中にしみ
込んで、
土の
中にあるミネラル
分を
溶かします。このミネラル
分の
中に
塩分が
含まれています。
溶け
出した
塩分は、
川によって
海まで
運ばれます。ただ、
淡水の
川に
含まれる
塩分はごく
少ないので、なめても
塩辛いとは
感じません。
塩分のもうひとつのふるさとは、
海底火山です。
活動する
海底火山の
爆発や
熱水の
噴出によって、
地中からミネラル
分が
放出され、その
中に
含まれる
塩分が
海水に
溶け
込むのです。
このように、
塩はいろいろなところから
海を
目指してやって
来ますから、
海には
塩がたまる
一方のように
思えます。その
上、
海からはどんどん
水分が
蒸発しミネラル
分だけがあとに
残ります。これでは、
塩分がどんどん
濃くなっていったとしても
不思議ではありません。しかし
現実には、
海水の
塩分濃度は、ほぼ
一定です。つまり、
増える
分と
減る
分とがうまく
釣り
合っているのです。では、
塩分は
一体どこへ
行くのでしょう。
まず、
海の
生物が
塩を
体の
中に
取り
込みます。
例えばサンゴやエビ、カニなどは、
硬い
殻を
作るために
塩類を
必要とします。これらの
生き
物が
死ぬと、その
殻に
含まれていた
塩類は
海底にたまります。こうして
塩分の
一部は
取り
除かれます。このようにして、
海水中の
塩分は、
増える
量と
減る
量のバランスがとれているのです。
では、この
海底にたまった
塩分はどうなるのでしょうか。
海底を
含む
地殻は
巨大なプレートで
成り
立っています。それらのプレートは
少しずつ
移動し、
二つ
以上のプレートが
出合うところでは、
一方が
隣のプレートの
下に
入り
込みます。
沈み
込んだ
海底は
高温のマントルの
中で
溶けていきます。
当然、
海底にたまっていた
塩分も
一緒に
溶けてしまいます。
地中から
海へ、そしてまた
地中へ。
塩は、この
壮大な
旅を
気の
遠くなるような
年月の
間繰り
返してきました。
今日の
一杯のお
味噌汁にも、
塩分の
長い
旅の
歴史が
刻まれているのです。
「
塩分さん、
最初の
生まれはどこなんですか。」
「
実は、スーパーの
食品売り
場なんだよ。」
「うそでシオ。」
言葉の
森長文作成委員会(
Μ)