(Translated by https://www.hiragana.jp/)
課題集
長文 10.1週
【1】「おかえりなさあい。」
水曜日の
朝のあいさつは、おはようではありません。
私のお
母さんは
看護師です。
夜勤と
言って
夕方から
夜の
間、
病院で
働くことがあるのです。【2】
入院している
患者さんは、
寝ている
間も
具合が
悪くなったり、どこか
痛くなったりするので、
一晩中、ナースステイションには
看護師さんが
起きています。ベッドのそばのブザーを
押すと、
飛んできてくれるのです。だから、
安心して
入院できるのです。
【3】お
母さんの
夜勤の
晩は、お
父さんと
二人です。
夕ご
飯も、お
父さんが
作ってくれます。お
父さんの
作るご
飯は、お
母さんのときと
少し
違います。
味が
少し
塩辛くて、
野菜やお
肉の
切り
方が
大きいです。【4】お
母さんのときは、おかずの
種類もたくさんありますが、お
父さんのときは、あまりありません。お
父さんの
作るメニューの
中で、いちばんおいしいのはカレーライスです。
お
母さんは、お
父さんと
結婚する
前からずっと
看護師です。【5】
子供のときからなりたかった
職業だそうです。
看護師になるための
学校は、
勉強がとても
大変で、
普通の
学校のような
勉強だけでなく、
実際にやってみる
看護実習というのがあったそうです。でも、お
母さんは、
看護師になる
日を
夢見て、いっしょうけんめいがんばったと
言っていました。
【6】
私が
生まれるときだけお
休みしましたが、あとはずっと
今も
看護師です。お
友だちに
「うちのお
母さん、
看護師なんだ。」
と
話すと、みんなびっくりして
「いいなあ。」
とうらやましがります。
女の
子の
中では、
人気のある
職業だからです。【7】でも、
実際は
夜勤もあるし、とても
忙しい
大変な
仕事なのだということを
知らないんだなあと
私は
心の
中で
思います。
お
母さんは、
時々、
「ゆきちゃん、
肩をもんでくれる?」
と
言います。そんなときのお
母さんの
肩は、
力こぶを
入れたようにかたくなっています。
私は、ちょうどよい
力でもみほぐしてあげます。【8】すると、お
母さんは、
「ああ、
気持ちいい。
最高。」
と
喜びます。
肩のほかに、
首や
足のふくらはぎをやってあげることもあります。
長い
時間やっていると、お
母さんはうたた
寝してしまうこともあります。
そんなに
大変な
仕事だというのに、お
母さんは
今まで
一度もやめたいと
思ったことがないそうです。【9】この
間、
私が
「どうして
看護師をずっと
続けたいと
思うの?」
と
聞いてみたら、お
母さんは、
「そうねえ。
患者さんから、ありがとうって
言われたとき、
人の
役に
立てたんだなあって
思えるからかな。」
と
言ってにっこり
笑いました。【0】
(
言葉の
森長文作成委員会 φ)
長文 10.2週
ダーウィンのお
父さんとおじいさんは、
医者でした。ダーウィンも
最初は
大学の
医学部に
入れられて
勉強をしていました。しかし、ダーウィンは、
成績が
悪く、やる
気が
見られませんでした。
見かねたお
父さんは、ダーウィンを
医者にすることをあきらめて、
牧師になるための
大学に
入れなおしました。しかし、ダーウィンはここでも
牧師の
勉強には
関心がなく、
博物学という
動物や
植物の
勉強にばかり
夢中になっていました。
やっと
大学を
卒業したダーウィンは、
今度は
海軍の
測量船に
乗って
世界中を
見て
回ることにしました。お
父さんは、
船で
世界一周することなどはもちろん
大反対です。しかし、
周りの
人の
助けも
借りて
何とかお
父さんを
説得したダーウィンは、それから
五年間、ビーグル
号に
乗って
世界中を
探検しました。
南米のガラパゴス
諸島で、ダーウィンは
不思議なことに
気づきました。ガラパゴス
諸島の
島と
島の
間には
速い
海流が
流れていて、
動物たちが
行き
来することができません。そのような
閉ざされた
島にすむ
動物たちは、
島ごとに
姿形が
変わっていたのです。
例えば、ヒワという
鳥のくちばしが、ある
島では
昆虫を
食べるのに
都合よくできているのに
対し、ほかの
島では
植物を
食べるのに
都合よくできているというようなことです。
ダーウィンは、この
観察をもとに、
自然淘汰という
考えを
作り
上げました。つまり、それぞれの
環境に
適したものが
生き
残り、
適さないものが
淘汰されることによって、だんだんと
種が
進化していくという
考え
方です。
当時の
人々は、
生物の
種は
神様が
作ったもので
最初から
完全な
形であり、
進化することなどはありえないと
考えていたので、ダーウィンは
多くの
人から
批判されました。
更に、ダーウィンが、
進化論を
人間にあてはめて、「
人間もサルから
進化した」と
述べると、
批判は
更に
大きく
広がりました。
人間が
神様から
作られたものだという
考えと、サルから
進化したものだという
考えでは、
天と
地ほどの
差があったからです。
しかし、ダーウィンの
考え
方は
科学的で、だれもが
納得せざるをえない
根拠を
持っていたので、
次第に
多くの
人が
認めるようになりました。
ところが、この
進化論にも
弱点がありました。それは
第一に、
環境に
適したものが
生き
残るという
考え
方で
説明するには、
生物の
種類があまりにも
多いということです。もし、ライオンが
地球の
環境に
最も
適していたとすれば、ほかの
動物は
全部ライオンとの
生存競争に
負けて、
地球上にはライオンしかいなくなってしまってもおかしくありません。
地球の
環境に
最も
適しているものがラッコだったらもっと
大変です。
右を
向いてもラッコ、
左を
向いてもラッコで、どこを
見てもラッコラッコラッコラッコラーッと、いつの
間にか
怒られているようです。
進化論の
第二の
弱点は、
自然淘汰だけで
進化を
説明しようとすると、
鳥のくちばしの
変化ぐらいまでは
説明できても、アメーバが
魚になり、
魚が
爬虫類になり、
爬虫類が
哺乳類になるというような
大きな
変化は
説明しにくいということです。
進化論の
第三の
弱点は、
進化論そのものよりも、その
進化論を
利用した
社会の
問題でした。
進化論は、
欧米諸国がアジアやアフリカを
植民地にするときに、その
裏づけとなる
考えとして
利用されました。つまり、
白人は
最も
優れていて、
有色人種はそれよりも
劣り、その
有色人種よりも
更に
劣っているのがサルだという
考え
方が、
白人の
支配を
正当化したのです。
このような
弱点はあったものの、ほぼ
一人で
進化の
全体像を
考え
出したダーウィンは、
人間のものの
見方を
大きく
前進させたのでした。
言葉の
森長文作成委員会(
Σ)
長文 10.3週
【1】「でもね、お
母さん、
小学校って、まるで
軍隊みたいなんだ。だからぼく、いやなんだよ。」
なるほど、そのころのドイツの
小学校は、
規則第一で、
暗く
重苦しいふんいきに
満ちあふれていました。【2】
授業も、
暗記ばかり。
自分で
考えることは、いっさい
許されません。
先生にさからうことはもちろん、
質問することさえ
禁じられていたのです。おさないアルバートが「
軍隊そっくり。」というのも、もっともでした。
【3】おまけに、
無口で
体育がにがてなアルバートには、なかなか
友だちもできません。
一か
月もしないうちに、
学校がすっかりいやになってしまいました。
【4】とはいえ、
勉強まできらいになったわけではありませんでした。
下校してくると、ヤコブおじさんに
助けてもらいながら、
辞書をひき、
本を
読み、
自分の
好きな
勉強を
深めていきました。
【5】
数学に
興味をもったのも、そのころのことです。
ある
日、アルバートはヤコブおじさんにたずねました。
「ねえ、おじさん、『
代数』ってなんのこと?」
おじさんは、
待っていましたとばかりに、
説明をはじめました。
【6】「『
代数』とは、わからない
数をさがしだす
数学だよ。まず、わからない
数を、
文字の『X(エックス)』とよぶ。そして、
問題でいわれたとおりに、
計算式をつくっていくと、さいごに、『X』がどんな
数かが、ちゃんとわかるんだ。」
【7】「なんだか、おもしろそうだね。」
「おう、
頭の
体操みたいなものだからな。」
こうして、アルバートは、
小学生ではとても
理解できないような
数学を、どんどん、
自力で
学んでいったのです。
【8】
勉強にあきると、こんどはバイオリンを
取り
上げ、
小さな
手で
器用に、モーツァルトやベートーベンの
曲をかなでます。
そういえば、バイオリンも、ほとんど
独習でした。
【9】
六さいになったとき
両親に
連れていかれたバイオリンの
先生は、
小学校の
先生と
同じように、かたくるしくて、いばりくさっていました。はじめのうち、アルバートは、レッスンがいやでたまりませんでした。【0】けれども、
家に
帰って、
自分で
工夫しながら
練習をつづけているうちに、ある
日とつぜん、モーツァルトのソナタがひけるようになったのです。
それからは、しめたもの。すっかりバイオリンのとりこになったアルバートは、
一生、この
優雅で
複雑な
楽器と、
親友のようにつきあいました。
父のへルマンからは
文学、
母のパゥリーネからは
音楽、そしてヤコブおじさんからは
科学……。この
三つの
世界は、アインシュタインの
一生の
大きな
柱となりました。
(「アインシュタイン」
岡田好恵著より)
長文 10.4週
「
寝る
子は
育つ」ということわざがあります。
昔の
人は
理屈でなく
経験で
理解していたのでしょうが、このことわざのとおり、
寝る
子が
育つのには
科学的な
根拠があるのです。
日の
出とともに
起き、
日の
入りとともに
眠るような
時代と
異なり、
現代の
人々は
夜も
活動を
続けています。ですから、
大人はもちろん、
子供が
眠りにつく
時間も
年々遅くなる
一方です。しかし、
夜更かしは
健全な
成長のためにも
勧めることはできません。たとえ
遅く
寝たとしても、ある
程度の
睡眠時間を
確保できればいいのだろうと
思うかもしれませんが、そうではありません。
睡眠も、
量より
質が
問題になってくるのです。
睡眠の
場合、
眠りに
就く
時間が
重要なポイントになります。「
早起きは
三文の
得」ということわざがあるのも、
実は
納得できる
理由があるのです。
それでは、どうして
遅く
寝るのはいけないのでしょうか。
睡眠中には
大切なホルモンが
分泌されます。
成長期の
子どもたちに
最も
重要なのが
成長ホルモンです。このホルモンは
夜九時から
二時くらいの
間に
盛んに
分泌されます。ホルモンは
夜中に
出るもん(
出るもの)なのです。ですから、この
時間には
眠りに
就いている
必要があります。
成長ホルモンの
主な
働きは、
骨の
成長を
促し、
筋肉を
作るたんぱく
質の
合成を
助け、
日中活動して
痛んだ
細胞を
修復することです。
名前のとおり、
体の
成長に
欠かせないものと
言えます。
ほかにメラトニンというホルモンも
忘れてはなりません。このホルモンは
暗くなると
分泌される
性質があり、
電気を
煌々と
灯した
明るい
部屋で
夜更かしをしていると
分泌量が
減少してしまいます。メラトニンには
人間の
自然な
生活のリズムを
整える
働きや、
酸素の
毒性から
体を
守る
働き、それに
加えて
免疫を
強化する
働きがあります。
遅く
寝た
場合、これらのホルモンが
十分に
分泌されず、
体に
支障をきたす
恐れがあります。このことから、
健康な
体を
維持するためには、
早く
眠りに
就き
十分な
睡眠時間を
確保することが
大切だとわかります。
睡眠には
深い
眠りと
浅い
眠りがあることが
知られています。
浅い
眠りでは
脳はまだまだ
活動しています。
日中のできごとを
思い
出し、
記憶として
定着させています。ですから、
日中いっしょうけんめい
勉強したことが、
浅い
眠りを
通して
記憶として
定着するわけです。
浅い
眠りと
深い
眠りは
九十分ごとに
入れ
替わると
考えられていますが、
眠りに
就く
時間が
遅く
睡眠時間が
少なくなった
場合は、
眠りのほとんどを
深い
睡眠が
占めてしまいます。というのも、
脳に
休養を
与えるという、
人が
生きていくうえで
重要な
眠りが
深い
眠りだからです。
睡眠時間が
足りなくなった
場合は、
浅い
眠りの
出番はなくなってしまうのです。
毎日深夜まで
勉強していると、かえって
脳を
痛めつけることにもなりかねません。せっかくの
努力を
無駄にしないためにも、また
効率よく
学習の
成果をあげるにも、
早い
時間に
床に
就き
能率のよい
睡眠をとりましょう。
言葉の
森長文作成委員会(
ω)
長文 11.1週
【1】ぼくは、
二年生のとき、
初めて
一人で
電車に
乗りました。
夏休みにおばあちゃんのうちへ
行くためです。
駅のホームで、お
母さんは、
心配そうに
何回もぼくの
顔を
見て、
「いい?
港南台でおりるんだからね。
二つめだからね。」
と
言いました。【2】ぼくは、うなずきました。でも、お
母さんは、まだ
心配そうで、
「
港南台、だからね。おばあちゃんがそこでまってるからね。」
と
言いました。
青い
電車が
入ってきて、いよいよ
乗り
込みました。ぼくは、ドキドキしてきました。【3】お
母さんを
見たら、いっしょうけんめい
手をふっています。ぼくは、それを
見て、
手をふるのはまだ
早いよ、と
思いました。そのとき、プルルルルーとベルが
鳴って、びっくりしているうちに、
電車のドアが
閉まりました。
【4】ぼくは、ドアに
顔をくっつけて、お
母さんを
見ました。お
母さんが、
何か
言いながら
手をふっています。ぼくもふろうとしたけれど、あっというまに
電車は
発車して、お
母さんは
見えなくなってしまいました。
【5】ぼくは、
急に
心細くなって、あたりを
見回しました。すると、
近くの
席にぼくぐらいの
年齢の
子がゲーム
機で
遊んでいるのが
見えました。そのとなりには、もう
少し
大きいその
子のお
兄さんのような
子もいて、やはりゲームをやっていました。【6】
二人は、
大きな
声で
笑ったり、たたきあったりしながら、
夢中で
遊んでいます。ぼくは、
何のゲームかなあと
思いながら、ずっとそちらを
見ていました。
「
次は
洋光台、
洋光台。」
とアナウンスが
聞こえました。ぼくは、はっとしました。【7】いくつ
駅をすぎたか
数えていませんでした。でも、「
台」がつくから、
合っているなと
思いました。やっとついたと
思って、
電車をおりてホームをさがしても、おばあちゃんはいませんでした。
【8】ぼくは、ドキドキしてきましたが、
自分に、「
落ち
着け。よく
考えろ」とい
聞かせました。そこで
手ににぎっていた
紙を
思い
出して、よく
見たら、「
二つめ、
港南台」と
書いてありました。ぼくは、どうしたらいいかわからなくなって、
紙を
持ったまま
立っていました。【9】そうしたら、
知らないおばあさんが
来て、
紙をのぞきこんで
「
一つ
先まできちゃったね。
港南台でおりたかったんでしょ。あっちがわにきた
電車にのって、
一つもどればだいじょうぶ。」
と
教えてくれました。
急いで
反対方向の
電車に
乗ると、その
電車はすぐに
発車しました。
【0】
電車が
次の
駅に
近づくと、
「
次は
港南台、
港南台。」
と、アナウンスが
聞こえました。
今度はしっかり
紙を
見ていたので、
合っているなと
思いました。
電車が
止まり、ホームにおりたら、おばあちゃんが
遠くからぼくを
見つけて、こっちに
走って
来るのが
見えました。
(
言葉の
森長文作成委員会 φ)
長文 11.2週
ミツバチの
群れは、
一匹の
女王蜂と
数千匹から
数万匹の
働き
蜂、
繁殖期に
現れる
二千匹から
三千匹の
雄蜂で
構成されています。それぞれの
役割分担も
明確で、
高度な
巨大社会を
形成していると
言ってもよいでしょう。
ミツバチは、
規則正しい
六角形を
組み
合わせて
巣板を
作ります。
巣板を
構成する
六角形の
小部屋は
巣房と
呼ばれます。
巣房は、
育児、
花粉の
貯蔵、
花蜜の
貯蔵、ハチミツの
加工など、さまざまな
目的に
利用されています。それぞれの
作業を
効率よく
行えるように、
巣房の
配置も
考慮されています。
では、ミツバチは、なぜ
六角形の
巣を
作るのでしょうか。もしミツバチの
巣が
丸だったら、
上下左右に
並べていくとき、
無駄なスペースができてしまいます。もし
四角だったら、
巣と
巣の
間に
隙間はなくなりますが、ミツバチが
巣に
入ったときに
無駄なスペースができてしまいます。ミツバチの
体型から
考えると、
六角形がいちばん
効率がよいのです。
ミツバチの
巣の
材料は、
働き
蜂の
腹部から
分泌される
蝋片です。
働き
蜂は、その
蝋片を、
後肢の
内側にあるブラシ
状の
毛を
使って
抜き
取り、
肢についた
蝋片を
大あごでくわえ、それをかみ
砕きながらはりつけていきます。この
根気のいる
作業を
続けるだけでも
大変なことですが、
定規も
分度器もコンパスも
持たずに
六角形の
巣を
規則正しく
並べていくのですから、まさに
神業としか
言いようがありません。
以前は、ミツバチが
最初に
丸い
形の
巣を
作り、それが
周囲から
押しつぶされて
自然に
六角形になると
考えられていました。しかし
実際にミツバチの
巣づくりの
様子を
観察したところ、
初めから
六角形を
作っていることが
分かったのです。
一九六六年、ドイツの
二人の
学者は、ミツバチの
巣が
横向きに
作られていることから、
六角形の
巣を
作る
秘密は、
重力に
関係あるのではないかと
考えました。
巣を
作るとき、ミツバチは、
頭を
上下左右に
向けたいろいろな
姿勢を
取らなければなりません。そのときに
体にかかる
重力は
絶えず
変化します。そこで、
二人が
注目したのが、
働き
蜂の
首と
腹にある
感覚毛です。
二人は、
実験から、ミツバチは
首の
感覚毛が
頭に
触れることによって
重力の
方向を
感知していることをつきとめました。ミツバチは、
感覚毛の
接触によって、
自分の
体の
向きを
知り、
六角形の
巣を
作っていたのです。
ミツバチの
巣がいかに
巧妙に
作られているかは、
数学者たちの
研究によっても
証明されています。
三つの
菱形からなる
中央部のそれぞれの
角度は
一〇
九度二八分ですが、この
数字は、
使う
蝋の
量を
最小にして
巣を
作った
場合の
角度なのです。
数学者たちが
微分学の
理論を
使ったむずかしい
計算をして
出した
数字をミツバチは
生まれながらに
知っていたことになります。
ハニカム
構造と
呼ばれる
六角形の
組み
合わせは、
効率がよいだけではなく、
安定した
形でもあります。
外部から
力が
加えられたとき、うまく
力を
分散することができるのです。ダイヤモンドや
雪の
結晶は、このハニカム
構造になっています。また、
建築材料、
航空機の
翼の
内部、サッカーゴールのネット、スキー
板の
内部などにもこのハニカム
構造が
応用されています。ハニカム
構造がこんなにも
幅広く
採用されていることをミツバチが
知ったら、はにかんでしまうかもしれません。
言葉の
森長文作成委員会(
Λ)
長文 11.3週
【1】かれはすぐ、プリンストンの
名物教授になりました。
世界的な
大科学者ということもありますが、そのすなおで、あたたかい
性格が
教授仲間や
学生たちをとらえたのです。
【2】
博士は、
決まった
講義は
行いませんでしたが、
研究室にくる
学生たちを、たいへん
親切に
指導しました。
【3】
学生ばかりではありません。たのまれれば、
小学生の
勉強だって
見てあげたのです。
【4】じっさい、プリンストンの
町には、ある
十さいの
女の
子が
毎日のようにアインシュタイン
家に
行って、
博士に
算数の
宿題を
教えてもらったという
話が
残っています。
「あんなえらい
先生に、
宿題を
見てもらうなんて!」
【5】
女の
子のお
母さんが、びっくりしておわびに
行くと、
博士は、
「とんでもない。わたしのほうこそ、おじょうさんから
教わることが、たくさんあったんですよ。」
といったそうです。
【6】ライオンのたてがみのような
白髪をなびかせ、
町を
散歩する
博士を、だれもがあたたかい
目で
見守りました。
アインシュタイン
博士は、この
町でだれからも
愛されうやまわれました。【7】ただひとつ、あまりにも
身なりをかまわないことだけは、
人々のじょうだんの
種になりました。
古いセーターに、サンダルばき。くつしたをはかず、さんぱつも
大きらい。
【8】こんな
博士に、「すこし
服装に
気をつかわれたらどうですか。」と、だれかが
忠告すると、「
肉を
買って、
包み
紙のほうがりっぱだったら、わびしくないかね。」と、やりかえされてしまいました。
人は
外見ではない、ということでしょう。
【9】しかも、
人生というのは
限られています。ものは、すべて
必要最低限にきりつめ、おしゃれをする
時間があれば、
一分でも
研究のほうにまわしたい――アインシュタイン
博士は、
心からそう
思っていたのです。
(「アインシュタイン」
岡田好恵著より)
長文 11.4週
食虫植物とは、
葉などで
虫や
小動物をつかまえて
消化し、
栄養分として
吸収する
植物のことです。
食虫植物と
言っても、しょっちゅう
虫をつかまえているわけではありません。
食虫植物も
普通の
植物と
同じように、
日光から
栄養分を
自分で
作っているので、
虫を
食べなくても
枯れることはないからです。ただ、
育ちが
少し
悪くなることはあります。
食虫植物は、
世界には、
五百種あまり、
日本にも、
二十種あまりが
自生しています。
数ある
食虫植物の
中から、ハエトリグサ、ウツボカズラ、モウセンゴケの
三種類を
紹介しましょう。
ハエトリグサの
葉には、
片側に
三つずつ、
合計六本の
小さな
毛が
生えています。
虫がこの
毛に
二回さわると、すぐに
葉が
閉じて
虫をつかまえます。
虫があたふたしているうちにふたが
閉まってしまうわけです。なぜ
二回さわるまで
葉を
閉じないかというと、
一回だけでは
虫が
葉っぱのまん
中に
入っていないかもしれないからです。
二回ならほとんど
間違いなく
虫が
真ん
中に
入っているだろうというわけです。ハエトリグサは
用心深い
性格なのかもしれません。
葉を
閉じてからもしばらくは、
葉の
中に
虫が
動ける
隙間があります。しかし、
虫をつかまえてから
一日経つと、
葉をぴたりと
閉じて
虫を
押しつぶしてしまいます。そして、
消化液を
出して
虫をどんどんとかしてしまいます。
虫を
完全にとかすまでには
十日ぐらいかかります。その
後、また
葉を
開いて、
次の
餌食となる
虫を
待つのです。
ウツボカズラのふくろにはふたがあります。このふたの
裏やふくろの
口のまわりから
甘いミツを
出して
虫をおびきよせます。ふくろの
表面はロウのようになっていてとてもすべりやすいので、
虫たちがいくらもがいても
徒労に
終わってしまいます。ミツを
目当てにやってきた
虫たちは、
結局は
足をすべらせてふくろの
中に
落ちてしまいます。ふくろの
下にはいつも
消化液がたまっています。ウツボカズラは、ふくろの
内側にあるぶつぶつから
虫の
栄養分を
吸い
取っています。
一方的に
栄養分を
取るだけですから、
物々交換とはいかないようです。ふくろについているふたですが、このふたは
雨を
防ぐためのもので、
虫をつかまえた
後も
閉まりません。
モウセンゴケの
仲間は、
北極、
南極、
砂漠をのぞく、ほぼ
世界中に
分布しています。
日本でも
北から
南までどこでもよく
見ることができます。モウセンゴケの
葉には
腺毛が
生えていて、その
先からねばねばした
液を
出して
虫を
捕えます。
赤い
腺毛の
先にねばねばがきらきらと
光り、まるでダイヤモンドダストのようです。
葉の
上に
虫がとまると、
毛が
素早く
動きだします。
毛だけでなく
葉も
虫をつつみこむように
動き、
虫をとかす
消化液を
出します。
十時間もすると、
葉は
虫をくるくる
巻きにして、ゼンマイのような
姿になります。そして、
消化液でとかされた
虫の
栄養分を
吸い
取り、その
後、まるで
何事もなかったようにまた
葉を
開いて
次の
虫を
待ちます。「モウセンゴケ」とは
名ばかりで、「もう、せん。」と
言いながらも
次々に
虫をつかまえてしまうようです。
言葉の
森長文作成委員会(
Λ)
長文 12.1週
【1】
私が
小さい
頃から
大切にしているものは
貝殻です。
大切にしているだけではなくて、
今も
集めているので、
大切にしているものはどんどん
増えていきます。
最初に
貝殻をもらったのは、たぶん
幼稚園の
年中のときです。【2】
伊豆にあるお
父さんの
会社の
保養所でお
泊まりをしたときです。きれいな
伊豆の
海には
広い
砂浜があって、
私は、そこでよく
砂の
山を
作って
遊びました。
砂の
山を
固めたあと、
真ん
中を
掘ってトンネルにするのが
大好きでした。
【3】
私は、
浮輪をしても
波が
怖かったので、あまり
海には
入らないで
砂遊びばかりしていました。
砂を
掘っていたら、
小さい
貝や
貝のかけらがたくさんみつかりました。
私はそれを
洗ったアイスのカップに
集めました。
【4】そのときも
私が
砂を
掘っていたら、
赤い
水着を
着たお
姉さんがやって
来て、
「たくさん
集めたね。これきれいでしょう。
桜貝というのよ。」
と、ピンクの
二枚貝をくれました。すけて
見えそうなうすい
貝で、まるで
貝のお
姫様のようでした。【5】
私はうれしくて、ありがとうと
言いたかったけれどはずかしくて
言えませんでした。
代わりに
横にいたお
父さんがお
礼を
言いました。
夕ごはんのとき、お
母さんにそのことを
話しながら
桜貝を
見せました。【6】お
母さんは、
「あら、ほんと。こんなにきれいな
桜貝ってあんまりないのよねえ。よかったわね。」
と
言って、そっと
桜貝を
手に
乗せました。そして、
「これねえ、うすくてわれやすいから、
何かでつつんでおいた
方がいいね。」
と、ティッシュを
出して、そっとつつんでくれました。
【7】
私は、ちょっと
緊張しながら、
何度もそのティッシュをあけて、
桜貝を
見ました。
寝るまでに
三十回ぐらいは
見たと
思います。ほんとうにきれいで、
何回見てもあきませんでした。その
夜は、うれしくてなかなか
眠れませんでした。
【8】
大事に
持って
帰った
桜貝ですが、いつだったかティッシュから
出して、
他の
貝といっしょにテーブルに
並べて
遊んでいるとき、つまみあげた
指先にちょっと
力が
入りすぎて、
片方のはしが
欠けてしまいました。
【9】その
後、
自分で
海で
拾ったり、
誰かにおみやげでもらったり、
鎌倉のお
店で
買ったりして、
貝殻はどんどん
増えていきました。でも、やっぱりいちばん
大切にしているのは、はしが
少し
欠けたあの
桜貝です。
私は、
今も
時々、
桜貝の
入った
宝石箱を
開けて
見ています。【0】
(
言葉の
森長文作成委員会 φ)
長文 12.2週
『
種の
起源』の
著者チャールズ・ダーウィンがミミズの
研究を
始めたのは、
二十八歳のときでした。それ
以来、ダーウィンは
四十年以上もミミズの
観察を
続けました。ダーウィンが
最初に
目をつけたのは
牧草地です。
最初はでこぼこで
石ころだらけだったはずの
牧草地の
土が
細かくしっとりとした
土になり、
地面が
平らになっていくのは、ミミズが
土を
食べて、
土のフンをするからではないかと
考えたのです。つまり、ミミズが
長い
年月をかけて、
土を
耕しているのではないかと
思いついたのです。
ダーウィンは、
十年ほど
前に
土をよくするために
石灰をまいたという
牧草地に
行ってみました。すると、
石灰は、
地表から
七・
五センチぐらいのところに
埋まっていました。ダーウィンはミミズが
石灰の
上にフンをして、
十年の
間にこれだけ
埋めてしまったに
違いないと
考えました。しかし、もしかしたら、その
十年の
間に、
誰かが
土をまいたのかもしれません。ほかの
動物や
風が
土を
運んできたということも
考えられます。そこで、ダーウィンは、これがミミズの
仕事だったということを
自分の
目で
確かめようと
決意しました。
ある
年の
冬、
三十三歳のダーウィンは、
自宅の
裏に
広がる
牧草地に
石灰岩の
破片をばらまきました。この
場所なら
毎日観察することができます。しかし、
石灰岩の
破片が
埋まって
見えなくなるまでに
数年、ミミズが
耕す
土の
量をほぼ
正確に
計算できるようになるまでに
数十年かかります。ダーウィンは、
来る
日も
来る
日も
牧草地をながめながら、この
気の
遠くなるような
年月を
待ち
続けました。
もちろん、この
間、ダーウィンはただ
待っていただけではありません。ミミズにガラスやれんがのかけらを
食べさせたらどうなるか、
地面の
下に
何匹くらいミミズがいるか、ミミズのフンはどのように
移動するのかなど、ミミズに
関するさまざまな
実験を
行いました。まさにミミズづけの
数十年間だったのです。ミミズのフンの
研究ばかりしているダーウィンに、もう
青年になっていた
子供たちは
憤慨しました。それでも、ダーウィンは
実験を
続けました。
最初に
石灰岩の
破片をまいてから
二十九年たち、ダーウィンは
六十二歳になっていました。その
年の
十一月、ついに
牧草地を
掘る
日がやってきました。ダーウィンは、
牧草地にざくっとスコップをさしこみます。
土を
持ち
上げると、
白いものが
見えます。それは、
言うまでもなく、
二十九年前に
牧草地にばらまいた
石灰でした。
深さ
五十センチほどの
穴を
掘ると、
周囲の
土の
壁に
一筋石灰の
層が
見えます。
石灰は、
地表から
十七・
五センチぐらいのところに
埋まっていました。
二十九年間で
十七・
五センチということは、
毎年約六ミリずつ
埋められていたことになります。これは、もちろんミミズのはたらきによるものです。
ダーウィンは、この
研究を
三百ページをこえる
一冊の
本にまとめ
上げました。
進化論の
提唱者として
有名なダーウィンですが、その
一方でミミズのような
小さな
生き
物の
研究にも
生涯をささげたのです。みんなが
見向きもしないような
小さな
生き
物に
注目し、その
生態を
明らかにしたダーウィン。そのダーウィンが
亡くなったのは、ミミズの
本を
書き
上げてから
半年後のことでした。
言葉の
森長文作成委員会(
Λ)
長文 12.3週
【1】その
日から、アインシュタインの、
核廃絶と
戦争反対への
努力がはじまりました。
「われわれは、
戦争には
勝ちました。けれども
平和を
勝ちとったわけではない。」
【2】
博士はまず、アメリカ
国民に
対して、こう
忠告します。
原子力は、
人間の
手にあまるほど
危険な
力です。つぎの
戦争で
使われたら、
世界は
破滅するでしょう。【3】だから、ぜったいに
戦争が
起こらないように
努力しなければなりません。アメリカ
人は、
世界に
先がけて
原子兵器のひみつをにぎった
国民として、このことをぜひ
自覚してほしいとうったえたのです。
【4】
博士は、
終戦直後にできた、
国際連合の
原子力委員会の
会長を
引き
受けました。
一九四六年には
国際連合に、
世界政府をつくることを
提唱します。つまり、
世界から
国境をなくし、
国家どうしの
争いを
永久になくそうというのです。
【5】けれども、そのときすでに、
ソ連をはじめ
世界各国で、アメリカに
負けじと、
核開発競争がはじまっていました。
こうなると、アメリカもだまってはいられません。
一九四八年、トルーマン
大統領によって、こんどは「
水爆(
水素爆弾)」の
開発が
命令されました。
【6】
核開発合戦はいよいよ
過熱し、
世界はアメリカ
側と
ソ連側にわかれて、にらみあうようになりました。
人間のおろかさに、
博士は
深く
胸をいためました。そして、あるときたずねてきた
日本人の
記者に、「
敗戦国日本の
国民には、
心から
同情します。【7】けれども、
勝った
国々もいま、それ
以上に
苦しい
道を
歩んでいるのです。」と、しみじみ
語りました。
博士は、
原子力発電所をはじめとする、
原子エネルギーの
平和利用についても、かなり
慎重な
考えをもっていました。
【8】
一九四五年『アトランティック=マンスリー』という
雑誌には、つぎのように
書いています。「……
原子力が
将来、
人類に
大きな
恵みをもたらすとは、いまのわたしには、
考えにくいのです。
原子力は
脅威です。」
【9】
人間は、
原子力を
発見できたのに、どうして、それを
管理できないのでしょう、ときかれると、「それは、
政治が
物理学よりむずかしいからですよ。」と、
皮肉をこめて、
答えています。【0】
(「アインシュタイン」
岡田好恵著より)
長文 12.4週
駄洒落(ダジャレ)とは、
音が
同じかそっくりな
言葉をならべて
遊ぶ
言葉遊びです。
江戸中期の
雑俳と
呼ばれる
短い
詩のひとつと
言われています。
地口とも
呼ばれます。この
雑俳に
詠われる
内容は、みんなの
知っている
言葉や、
芝居の
有名なせりふをもとにした
機知に
富んだおもしろいことがらです。いろいろな
言葉をよく
知っていて、
世の
中のことに
精通し、センスがよいと
気の
利いたじょうずなシャレができるのです。ですから、
江戸時代では、シャレのうまい
人を
教養があるとみなしたようです。
立派な
庶民の
文化だったわけです。
地口に
合った
絵を
行灯に
描いて、
秋のお
祭りに
使ったという「
地口行灯」は、
最近復活して
関東地方のあちこちで、
作られているようです。
しかし、
正統派の
俳人や
文化人と
言われる
人たちの
中には、ばかばかしいおふざけと
見る
人もあり、シャレに「
駄」がつけられてしまったのです。もともとは「
洗練されている」「
洒落ていて
趣がある」という
意味だったシャレですが、つまらない・
粗末な・でたらめといった
意味を
表す、
不名誉な「
駄」がつけられてしまいました。
さて、ダジャレにはどんなものがあるのでしょう。いろいろな
種類がありますが、まずはちょっとした
語呂合わせで
作る「
同じ
読み
方の
言葉を
使ったもの」。これには、「
電話にはでんわ」、「アルミ
缶の
上にあるミカン」などがあります。
全く
同じ
音なのに
全然違うものを
表しているという
意外性のおもしろさがあります。ダジャレといえば、このようなものを
思い
浮かべる
人も
多いでしょう。
少し
発展させると、「とかげと
影」「
机にくっつく
絵」「
宝があったから」などができます。
次に、「
似たような
音を
持つ
言葉を
使ったもの」があります。「とこやはどこや」「めじろのねじろ」「
迷子の
舞妓」などがそれにあたります。
気軽にひょいと
口をついて
出るような
軽いダジャレです。
少し
無理があると、またそれがおもしろくなることもあります。
三つめは、ニつの
言葉をくっつけて
作ったやや
上級編です。「
布団がお
山の
方まで
吹っ
飛んだ!」「おやまぁ。」ちょっとしたストーリーができあがります。
さらに、
一つの
文にニつの
意味をもたせるものがあります。「
風林火山ない?」と「
風鈴飾んない?」、「
倒産か
辛かったな」と「
父さんカツラ
買ったな」、「
私と
居てください」と「
渡しといてください」などです。ダジャレのつもりでなく、
口にして、「あれ、
勘違い」ということもあるかもしれません。
江戸時代には
文化だったダジャレですが、
最近では
若者たちに
親父ギャグなどと
呼ばれて、
肩身のせまいところです。しかし、
日本語独特の
音のおもしろさ、
言葉から
広がるイメージなどを
共有することで、
場が
和み、
楽しい
気分になるものです。ダジャレを
最もよく
言う
層は、
小学校高学年の
男子と
四十代以上のサラリーマンだそうです。
語彙が
増えて、ユーモアを
解するようになったダジャレ
入門者の
小学生と、
忙しい
生活や
仕事に
疲れ、つかのまの
癒しをダジャレに
求めるダジャレ
世代のお
父さんたちというわけです。
欧米人は
冗談が
好きで、ユーモアとウィット(
機知)に
富んだ
会話を
楽しむ、とよく
言われます。ユーモアのセンスというのは、
言っている
本人はもちろん、
相手も
楽しくなり、
円滑な
人間関係を
結ぶ
上で
大変重要なものです。
ダジャレの
特徴は、
子供から
大人までだれでも
気軽に
言えることです。「
日本じゃだれでも、ダジャレを
言える」となったら、ダジャレは
日本の
伝統文化の
一つとして
世界に
誇れるものになるかもしれません。
言葉の
森長文作成委員会(
φ)