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課題集
長文 4.1週
【1】「ああっ、これ、だれがやったの!」
お
母さんのさけび
声が
聞こえます。だれかって、
犯人はぼくだとわかっているのにいつもそんなふうに
言うのです。
「うわあ、こんなことするのは、シゲしかいない。」
【2】
続いて
聞こえるお
姉ちゃんの
声もいつもどおりです。
二人がキッチンでぼくのことを
言っているのが
聞こえます。ぼくは、ドラキュラのマスクをかぶって
階段のかげにひそんでいて、いつ
飛び
出して
驚かせようかと
考えていたのですが、ちょっとひるんでしまいました。【3】ついにお
姉ちゃんが、
「こうなったら、お
父さんに
言いつけるしかない。」
と
言い
出しました。
ぼくは、いたずらが
大好きです。
学校でもうちでも、
年がら
年中、いたずらのネタを
考えています。【4】
人がびっくりしたり、
不思議そうな
顔をしたりするのを
見ると、とてもうれしくなります。だから、
先生や
家族にどんなに
叱られても、また
次のいたずらを
思いついてしまうのです。
【5】
昨日は、トイレットペーパーの
内側にゴムでできたトカゲをはさんで、ペーパーを
引き
出すとトカゲが
落ちてくるようにしておきました。
また、
夜には、キッチンの
塩と
砂糖の
入れ
物のフタをとりかえておきました。【6】
塩が
青で、
砂糖が
赤のフタなのを
逆にしておいたのです。
そして、
今日のいたずらは、お
姉ちゃんの
問題集のカバーを
全科目つけかえたのと、お
母さんのショッピングバッグに
小さい
鉄アレイを
隠したことです。
さて、お
父さんが
出張から
帰ってきました。【7】お
姉ちゃんは
真っ
先にぼくにされたいたずらを
言いつけにいきます。
お
父さんは、
笑いながらそれを
聞いていましたが、
心配でのぞいていたぼくに
気がつくと、
「おっ、いたずら
小僧がいたぞ。」
と、ぼくに
手招きをしました。【8】そして、
「シゲ、お
前のいたずらはスケールが
小さいなあ。やるんだったら、もっとでっかいいたずらをやれ。」
と、ぼくのお
尻をたたきました。そして、
「それと、いたずらっていうのは、
人を
困らせるんじゃなくて、
喜ばせるものじゃないとな。」
と
言いました。
【9】おばあちゃんによると、お
父さんも
相当ないたずらっ
子だったようです。ぼくは、うなずきながら、お
父さんはどんないたずらをしたのかなと
心の
中で
思いました。【0】
(
言葉の
森長文作成委員会 φ)
長文 4.2週
地獄の
沙汰も
金しだい
【1】「
沙汰」とは、
結果とか
取りきめのこと。
地獄でうけるえんま
大王の
裁判の
結果でさえも、お
金をだせば
有利になるという
意味。そこから、
世の
中はお
金さえあれば、なにごとも
思うがままになる、というたとえだ。
【2】このように、
世の
中でお
金がいちばん
大切、と
考える
人はたくさんいる。たしかに
人間が
生きていくのに、お
金は
必要なものだ。けれど
人には、お
金よりもっと
大切にしなくちゃいけないものが、あるんじゃないかな。【3】たとえば、
人と
仲よく
平和にくらしていくこととか、まじめに
働くこととか、
正しいと
信じることはつらぬくといったことなどだよ。
大人になって、お
金だけがすべて、という
人間にはなってもらいたくないな。
【4】
地獄ってどんなところか
知ってる?
地下の
牢獄のことだ。この
世でわるいことをした
人間が、
死んでからいく
場所のこと。えんま
大王は、
地獄でいちばんえらい
主だ。
死んで
地獄にきた
人間の
裁判をする。
死者が
生きていた
時のおこないを
裁いて、
罰をきめる。【5】
赤い
血の
色の
衣装をまとって、
冠をかぶり、
目をいからせて、
手には
罪人をしばるなわをもっている。えんま
大王が
裁判をやる
時、
死んだ
者がやったことをしらべるものを、えんま
帳というんだ。そばには、
命令をうけて
罪人をこらしめる
鬼がひかえている。
【6】
地獄のえんま
大王がでてくる
熊本県のむかし
話がある。
――むかし、
千五郎という
役者がいた。
芝居がとても
上手で、〈
千両役者〉といわれたほどだ。ある
時、
千五郎はきゅうな
病でころっと
死んでしまった。
はだかにされた
千五郎は、くらいところをずんずん
歩いていく。【7】そして、
地獄と
極楽のわかれ
道にきた。えんま
大王が、こわい
顔をしてすわっていた。
「こらあ、お
前は、しゃばではなにをしていたか。」
大王に
聞かれ、
千五郎は
役者をしていた、とこたえた。
「
役者だったら、いまからこの
前で、
芝居をやってみろ。」
【8】「こんなはだかじゃ、
芝居をやれません。」
えんま
大王が、どんな
衣装でも
貸してやるといったので、
千五郎は、
大王の
衣装を
借りたいと
申しでた。
大王は、しぶしぶ
貸してくれた。
千五郎は
大王の
衣装を
着ると、こしから
剣をひきぬき、
大きな
声でいった。
【9】「おおい、
赤鬼、
青鬼ぃ。こっちへきて、その
男をつかまえろ。そして
地獄へ
追いやるんだあ。」
大王はちがうちがうとさけんだが、
鬼たちは
大王をひっとらえて
地獄へ
追いやってしまったんだ。そのあと
地獄の
入り
口では、
千五郎がずっとえんま
大王をやっているそうな。【0】
「
常識のことわざ
探偵団」(
国松俊英著 フォア
文庫)より
長文 4.3週
ミイラ
取りがミイラになる
【1】ミイラを
取りにいった
人が、
目的をはたせずに、
自分もそこで
死んでミイラになってしまうこと。そこから、
帰ってこない
人をつれもどしにいった
人が、
自分もそこにとどまってしまって、
帰ってこないことをいうよ。【2】また、
相手を
説得しようとした
人が、かえって
相手とおなじ
考えになってしまう、という
意味にもなる。
「ミイラ」って
知ってるよね。
乾燥したまま、
長いあいだ
元の
形をたもった
死体のことだ。
死体の
水分が、
五〇パーセント
以下になるとできる。【3】
高い
温度で
乾燥した
場所とか
風とおしのいい
場所の
死体は、ミイラになりやすいんだって。
古代エジプトでは、
人工的にミイラを
作った。
王様などが
死んで
三千年たつと、その
人の
霊魂が
肉体にもどってきて
死んだ
人は
復活すると
信じられていたんだ。【4】だから、
死んだ
王様はかならずミイラにした。
死者が
旅をしているあいだも、
王様らしく
生活するため、
王族やけらいはもちろんのこと、
愛犬までミイラにしたんだよ。
東アフリカのブガンダ
王国(
現ウガンダ
共和国)、オーストラリアの
原住民、アメリカインディアンなども、
死者のミイラ
作りをやったよ。【5】
日本では、
岩手県の
中尊寺にある
藤原清衡のミイラが
有名だ。
中世から
十八世紀のヨーロッパでは、このミイラが〈
医薬品〉としてもてはやされた。ミイラをくだいて
粉にしたものを、けがした
人や
病気の
人にのませると、とてもききめがあるといわれた。【6】ミイラ
作りには、
瀝青(アスファルト、
石油、
天然ガスなどの
炭化水素化合物をまとめていった
言葉)など
炭化水素の
化合物が
使われているので、
万病にきく
薬になるとされたんだ。
【7】そのうち、ききめは「
死体自身」にあるといわれ、
重罪人や
自殺者の
死体をとってきて、にせの「ミイラ」を
作るようになった。でもね、ほんとは「ミイラ」には
医薬品としてのききめはないんだって。
医師たちがなんども
警告したけど、ミイラの
貿易や
薬の
販売は
十八世紀までつづけられたんだ。
【8】
日本には、
十六世紀に
薬品〈ミルラ〉として
輸入された。
打ち
身や
傷に、この
薬をのむととてもききめがあると、
古い
本にも
書いてある。このミルラ(ポルトガル
語)がなまって、ミイラという
語になった。
【9】ミイラは
高価な
薬品だ。
見つけて
手に
入れると、たくさんお
金がもうかる。そのため、ヨーロッパでも
日本でも、
危険を
知りながら「ミイラ
取り」にいった
人がたくさんいたらしい。たとえばエジプトでは、ピラミッドの
奥まではいって、そのままもどれなかった
人がたくさんいた。【0】
日本でも、
墓の
深い
穴にはいりこんで、でられずに
死んだ
人が
多かったという。ことわざは、そんなところからうまれたと
思われるよ。
「
常識のことわざ
探偵団」(
国松俊英著 フォア
文庫)より
長文 4.4週
【
長文が
二つある
場合、
読解問題用の
長文は
一番目の
長文です。】
連日の
梅雨空です。いまも
雨こそふってはいませんが、
空は、むらなく、うすいグレー
一色にぬりつぶされています。
「おーい、
美奈代!」
男の
子の
声がとんできました。
運動場をまっすぐにつっきってかけてくるのは、となりのクラスの
岩田勇。
赤ゴリラというあだ
名そのままの
体形で、リンゴのような
赤いほっぺたが
近づいてきます。
美奈代と
菊菜は、べつにふりむきもせず
校門にかかりました。
「
美奈代、
美奈代! おまえを
呼んだんだぞ!」
勇は、
息をはずませながら、
「
呼ばれたら、
立ち、どまるとか――へ、
返事を、する、とか、しろ。
美奈代。」
「
気やすく
呼ばないでね。」と、
美奈代は、そっけなく、「で、なんの
用?」
「まず、こっちを、
見なよ。」
と、
勇は、ふざけました。
「
相手にしない、しない。」
と、
菊菜が
美奈代に
注意しました。
「
三枝さん、そういういい
方って
失礼だと
思いますよ。」
勇は、わざとじろりと
菊菜をにらんでから、「うちの
先生が
呼んでるよ、
美奈代。うそじゃないから
教室のほうを
見なよ。」
美奈代は
校舎をふりむきました。すると
二階から
南野先生が、たしかに
手まねきをしていました。
「な、そうだろ。」
「キク、
待ってて。」
美奈代は
菊菜にいいのこして、
運動場をかけもどりました。
(
福永令三「クレヨン
王国の
赤トンボ」
【1】「
自然ってどんな
色?」と
聞かれたら、
何と
答えるだろう? たいていの
人は、
緑色と
答えるにちがいないし、
実際みんなそう
思っている。だから「
水と
緑の
町づくり」などという
標語がそこらじゅうに
掲げられているのである。
【2】
目に
入る「
自然」が
一望の
砂である
砂漠の
国でも、
水と
緑はオアシスの
象徴であり、
人々はそこに
安らぎを
感じる。だから
水と
緑は、
人間という
動物にもともとしっかり
結びついているものであるらしい。
【3】たぶんそういう
理由からだろう、かつてはずいぶんこっけいなこともおこなわれていた。
道路を
作るので、
草木の
緑におおわれた
丘に
切り
通しを
作る。
新しい
道の
両側は、
赤茶けた
土そのままの
崖で、
何ともうるおいがないし、
荒れた
感じがする。【4】それにいつ
土が
崩れてくるかもわからないから、がっちりとコンクリートでおおってしまう。そうなると、ますます
味気ない。そこで、とにかく
緑にしようということで、コンクリートを
緑色に
塗ったのである。
確かに
少し
遠くからは
緑にみえる。【5】けれど、
所詮はペンキで
緑色に
塗っただけである。
人間の
感覚はこんなことでは
欺されないはずだ。
昔、モンシロチョウで
実験してみたことがある。ケージの
地面にいろいろな
色の
大きな
紙を
敷き、チョウがどの
色の
紙の
上をよく
飛ぶかを
調べたのだ。【6】やはり
緑色の
紙の
上を、もっとも
好んで
飛ぶようであった。なるほど、チョウは
緑色であれば
紙でもいいのだな、とぼくは
思った。
けれどこれは、チョウチョにはたいへん
失礼な
思いちがいであった。【7】ほんものの
草を
植えた
植木鉢をたくさん
並べたら、チョウは
緑色の
紙など
見向きもせず、ほんものの
草の
上ばかりを
飛んだのである。
コンクリートを
緑色に
塗るのはその
後まもなくやめになった。やはりほんものの
草でなければ、ということは
誰にでもすぐにわかったからだろう。
【8】だが、それでどうなったか?
次の
方法は、
道路わきの
斜面(
法面)に
牧草のたねを
播くことであった。こうして
多くの
高速道路の
両側が、
外国産の
牧草でおおわれる
始末となった。
それは
見るからにモダンな、
最新のハイウェイという
印象を
与えたことはたしかだったが、
人工の
産物であることも
明らかであった。【9】それはどことなくよそよそしい、
疑似自然なのだ。
同じような
擬似自然は、どこにでも
見ることができる。
かつてアフリカのモンバサに
行ったときもそうだった。いかにもモンバサらしい
熱帯の
風景の
中で、ぼくはついに
虫を
一匹も
見ることはできなかった。【0】ホテルの
人にたずねたら、たえず
殺虫剤を
撒いて、
蚊を
退治していますから、ということだった。
これも
作られた
疑似自然である。
昼になれば
時折どこからかチョウチョが
飛んでくるけれども、それも
偶然のことにすぎない。
南の
色濃い
植物たちがぼくらを
包んでいるけれども、それはあたかも
観葉植物園の
中にいるのとほとんど
同じことだ。
観光客たちはこういう
場所にきて、
熱帯の
気分を
満喫して
帰る。もちろんそれはけっこうなことだけれど、なんだか
変である。
水と
緑のあるゆとりの
町づくり、
自然とのふれあい、
自然との
共生……ことばはさまざまにあるが、
意味しているところは
同じである。
美しく
管理され、
不愉快な「
雑草」もなく、いやな
虫もいない、
疑似自然。それをところどころにとり
込んだ
町。つまりそういう
町を
作ろうということである。
そこにあるのは「
美しい
自然」「
調和のある、やさしくてゆとりのある
平和な
緑」という
幻想だけだ。
日本人は
昔から
自然を
愛した、などという
誤った
思い
込みに
陥らぬよう、もう
少し
醒めた
認識が
必要なのではないか。
(
日高敏隆『
春の
数えかた』)
長文 5.1週
【1】「クロちゃん、どこ。」
「クロちゃあん。」
私は、
大きな
声で
名前を
呼びながら、
脱走したクロちゃんを
探します。クロちゃんは、
手のひらサイズのジャンガリアンハムスターです。【2】
毎朝、
登校前のケージのそうじで、ちょっと
気を
許すと、するっと
外に
出て
全速力でどこかへ
行ってしまうのです。ハムスターは、せまいところが
大好きで、
家具の
間などにどんどん
入ってしまいます。【3】
出られなくなったら
大変です。
私は、そんなとき、クロちゃんの
大好物のひまわりの
種の
入った
紙袋を
持ってカシャカシャと
振ります。すると、
種がもらえると
思うのか、どこからかクロちゃんは
出てきます。【4】
小さな
足でちょこちょこ
歩く
姿を
見ると、
脱走したことを
怒ることなどできません。
私のお
母さんも
動物好きで、
子供のころはインコ、
文鳥、
柴犬、ニワトリ、
金魚、カメなどを
飼っていたそうです。【5】
私くらいのときは、
毎朝欠かさず
五時に
起きて、
犬の
散歩、
鳥小屋のそうじ、いろいろな
生き
物のえさやりをしていたと
言います。
「
自分で
飼うと
決めたのだから、ちゃんと
世話しないとね。だから
一日も
休まなかったよ。」
と、お
母さんは
言いました。
【6】クロちゃんは、
私が
誕生日にほしいと
言って
買ってもらったハムスターです。
確かそのとき、
「ちゃんと
自分で
飼うから。
世話もきちんとするから。おねがい。」
と、
私も
言ったような
気がします。
【7】クロちゃんは、
体がとても
小さいので、たぶん
脳みそも
小さいと
思います。けれども、
私の
気持ちをよくわかってくれるような
気がします。【8】
私が
叱られたり、
友だちとけんかしたりして
悲しい
時、じっとこちらを
見て、「
大丈夫」と
声をかけてくれているみたいです。
【9】
私は
学校でも、クロちゃん、どうしているかなあ、さみしがっていないかなあといつも
気にしています。
時々、
面倒になることもあるけれど、
朝のクロちゃんの
世話を
苦労だと
思わずに、これからも
続けていこうと
思っています。【0】
(
言葉の
森長文作成委員会 φ)
長文 5.2週
転んでもただでは
起きぬ
【1】つまずいてころんでも、ころんだところにおちているものをひろってから
起きあがる、という
意味だ。そこから、たとえ
失敗したとしても、その
失敗をむだにしないで
役にたて、
利益をあげようとする。【2】
欲がふかくて、どんな
時でも
自分の
得になるようにすること。ぬけ
目のない
人をあざわらっていうことばだ。
これは、
古くからあったことわざらしい。「
転んでも
土」とか、「こけてもただでは
起きぬ」、「こけても
砂」、「こけても
馬のくそ」といったように、おなじ
意味のことわざがいくつもある。【3】むかしは、
馬のくそも
畑のいい
肥料になったから、ひろってもって
帰ったんだね。「こけた
所で
火打ち
石」は、ころんだら、そこにおちている
石の
中から、
火打ち
石になるようなかたい
石をひろってからたちあがったという
意味だ。【4】ほんとに、ただでは
起きないたくましさを
感じることわざだ。
むかし
話に「わらしべ
長者」というのがある。この
話にでてくる
男は、ころんでもただでは
起きなかったことから、
幸運がはじまるんだ。
――むかし、
京の
町にとても
貧乏でしようのない
男がいた。【5】
大和の
国、
長谷の
観音様におまいりして、どうかお
助けくださいとたのんでいた。すると、ある
夜の
明け
方、
観音様が
夢にあらわれていわれた。「
都へ
帰るとちゅう、どんなものでも
手にはいったものを、
大切に
思ってもって
帰りなさい。」
【6】
男はお
寺の
門からでようとして、ころんでしまった。
起きあがって
気がつくと、
一本のわらしべをひろってつかんでいた。
男は、このわらしべが
観音様のいわれたものだと
思い、すてずに
歩きはじめた。
【7】
男は、
飛んできたアブを、そのわらでむすんでもっていた。すると、
牛車に
乗ってきた
高貴な
人の
子が、すごくほしがった。アブのわらしべをあげると、みかん
三つをくれた。
少しいくと、のどがかわいて
歩けなくなった
女の
人がいてみかんをあげるとよろこんで、
三反の
布をくれた。
【8】またいくと、たおれた
馬の
処分にこまっている
武士がいた。
男は
三反の
布をあげて
馬をもらった。もう
動かないと
思っていた
馬は、しばらくすると
息をふき
返した。
男は、その
馬に
乗って
京の
町へ
帰ってきた。
町の
入口までくるとひっこしで
大さわぎしている
家がある。【9】その
家では、いい
馬がほしいと
思っていたので、
馬を
買ってくれた。
代金は
近くにある
田だった。そして、その
家にしばらく
住んでほしいとたのまれた。その
家主は
何年たっても
帰ってこず、とうとう
大きな
家まで
男のものになった。ころんでつかんだ
一本のわらしべが、その
先で
大きな
家や
田になることもあるんだよ。【0】
「
常識のことわざ
探偵団」(
国松俊英著 フォア
文庫)より
長文 5.3週
急がばまわれ
【1】いそぐ
時には、
少しくらい
危険があっても、
近道をとおりたくなる。けれどそれが
失敗する
原因になる。だから、
時間がかかってめんどうでも、
安全な
道やたしかな
方法を
選んだ
方が、けっきょくは
得なことになるんだ。
【2】ことわざのもとになったのは、
平安時代に
源俊頼が
作ったこんな
和歌だ。
武士の
矢馳の
船ははやくとも
急がばまわれ
瀬田の
長橋
歌の
意味は、
大津へいくのには、びわ
湖の
岸の
矢馳からでる
舟に
乗っていけばはやい。でもいそぐのなら
舟にのらず、
湖岸の
道をとおり
瀬田川の
橋を
渡って
陸の
道をいった
方がいいよ、というんだ。
【3】
矢馳というのは
地名で、
矢橋とも
書く。
滋賀県草津市のびわ
湖の
岸のあたりのことだ。
古くからここには、
大津までの
渡し
舟の
便があったんだ。
陸の
道をいくと、びわ
湖の
南岸をぐるっとまわり、
瀬田川の
長い
橋を
渡らなければならない。かなり
時間がかかる。【4】それにくらべ、
湖上をいけば
近道になる。むかいの
大津まで
直線距離でいくから、うんとはやかったんだ。
しかし
渡し
舟でいくのは、いろいろ
危険があった。ちょっと
強い
風が
吹いたりすると、
流されてなかなか
大津につけない。【5】また、この
舟は
小さなものだったから、
大きな
波にかんたんに
転ぷくすることもあったんだ。いそぐので
舟に
乗ったのに、
大津につけずひき
返したり、
舟がひっくりかえっておぼれ
死んだり、こわい
目にあう
人がたくさんいた。
【6】この
歌の
中で「
急がばまわれ」のことばだけがひろまっていき、ことわざとしていまものこっているんだ。これは、さいしょは
道についていったんだけど、その
後は
生活のいろんなことについてもいわれるようになったんだ。
【7】だれでも、
少しでもはやくしごとをすませたいから、ついはやくできる
方法をやろうとする。でもいそいでやろうとすれば、はやくやることばかりに
気をとられて、
一つ
一つたしかめたり、ゆっくり
考えたりしない。【8】その
結果、やり
方をまちがえたり、とんでもない
失敗をすることになるんだ。
たとえば、テストがそうだね。ぼくは、
学生の
時に「
急がばまわれ」のことわざをわすれていたので、なん
度も
失敗したよ。【9】テストを
時間内にはやくやろうといそぐあまり、
問題をしっかり
読まずに
答えを
書くことがあったんだ。はやくできて
得意になって
提出したのはいいけど、
十問のうち
正しい
答えははんぶんもなかった。【0】それなら、
問題をていねいに
読んで、よく
考えてたしかな
答えを
書いていった
方がよかったんだ。
七問しか
答えが
書けなかったとしても、
正解だったらその
方がいいものね。
「
常識のことわざ
探偵団」(
国松俊英著 フォア
文庫)より
長文 5.4週
【
長文が
二つある
場合、
読解問題用の
長文は
一番目の
長文です。】
ぼくの
友だちにも、たいていおじさんがいる。おじさんというのは、つまり
両親の
兄弟ということで、ぼくたちは、そのおじさんのオイ、
女だったらメイということなのだそうだ。
話をきいてみると、
友だちのおじさんは、けっこういいおじさんだという。どこからどこまでいいおじさんというわけにはいかないが、あるおじさんは
宿題を
教えてくれる。あるおじさんはいっしょに
動物園へつれていってくれる。あるおじさんはお
小遣いをくれる。
なかにはスポーツマンのおじさんがいて、そのおじさんは
有名なスキーの
選手なのだそうだ。ジャンプの
名手で、
全日本大会とかいうと、そのおじさんは
一等か、
二等か、まかりまちがっても
三等になる。
一等のときは
新聞に
写真がでる。
三等のときだって、ちゃんと
名まえだけはでる。
そういうおじさんを
持った
友だちは、ほんとうに
幸福だとぼくは
思う。いっしょにスキー
場へ
行けば、どんなにか
得意だろう。
日本一か
日本三の
選手に、
手をとってスキーを
教えてもらえるからだ。
けれども、
友だちにきくと、
実際はそんなことはないそうだ。スキーを
教えてくれるなんて、とんでもない。そのおじさんは
自分の
練習にいそがしくて、オイやメイのことなんかかまっていられないそうだ。
(
北杜夫「ぼくのおじさん」)
【1】あらためてわが
日本語をかえりみると、ただちに
気付くのが「わたし」という
一人称の
多様さである。
日本語ほど
一人称代名詞に
多くのバラエティを
与えている
言葉はほかにないのではあるまいか。【2】「わたくし」「わたし」に
始まり、「ぼく」、「われ」、「おれ」、「
自分」、「
手前」、「うち」、「わし」、「それがし」、「
吾が
輩」、「
当方」、「こちら」、「
小生」、さらに「あっし」とか「あたい」とか、「わて」とか、「おいら」「こちとら」といったものまで
加えれば、その
数、ゆうに
二十を
越えるという。【3】
英語や
フランス語、ドイツ
語などでは
一人称の
代名詞はそれぞれ、I、Je、Ichたった
一語である。それに
対して、
日本語には、なぜこんなにたくさん「
自分」をあらわす
言葉があるのか。【4】それは
日本人が
他の
民族よりも、ひと
一倍「
自分」に
注意を
払い、「
自己」に
深い
関心を
持っていることを
語っているのだろうか。
端的にいえばそうである。しかし、だからといって
日本人に
自我意識が
強いとは
必ずしもいえそうにない。【5】いや、むしろ
欧米人に
対して
日本人は「
自分」を
主張することがずっとひかえめであり、
日本では「
個人」という
意識、「
我」の
自覚が
西欧人にくらべてかなり
遅れているというのが「
通説」になっている。【6】たしかに
日本で
個人主義が
芽生えたのは、ようやく
第二次大戦後といってもいい。そして
現在に
至っても「
個」の
意識はまだまだ
希薄で、
日本の
社会全体は
画一主義で
貫かれている。
画一主義とは
没個性的ということであり、
要するに「
個」が「
全体」に
埋没してしまっている
状況である。【7】それなのに、
日本人が
他民族よりも「
自分」に
注意を
向け、つねに「
自己」を
意識しているといえるのだろうか。
じつは
日本人の
自己意識は
他民族、たとえば
欧米人のそれとは
質的に
異なっているのである。ヨーロッパ
人は
自分というものを、
実体的にとらえようとする。【8】
自分というのは、それこそ、かけがえのない
存在であり、
独立した
一個の
人格と
信じている。ヨーロッパの
哲学が
古代ギリシアのむかしから
一貫して
求めてきたのは、ただひたすら「
自分」というものの
本質であった。【9】「なんじ
自身を
知れ!」というデルフォイの
神託を
哲学の
出発点としたソクラテス、「われ
思う、ゆえにわれ
在り」を
哲学の
原点に
据えたデカルト、「
人間とは
自分の
存在を
自覚した
存在者だ」とするキルケゴール……ヨーロッパの
哲学史は、「
自分」という
実体へ
向かっての
旅だったといってもよい。【0】
それに
対して
日本人は
自分という
一個の
人間を
実体としてではなく、
機能として
考えてきた。
個人はけっして
単独に
存在するのではない。つねに「
世間」で
他の
多勢の
人たちとさまざまな
人間関係のなかで
生きるのだ――というのが
日本人の
人間観の
前提だった。げんに「
人間」という
言葉自体がそうした
考え
方を
正直に
語っている。この
言葉はいうまでもなく
中国から
受け
入れた
漢語であるが、この
漢語の
意味はもともと
人間の
世界、すなわち「
世間」ということなのである。ところがそれが
日本ではいつの
間にか「
人」そのものをあらわす
言葉になった。ということは、
日本人にとって「
世間」も「
人」も
同一のように
思われていたからにちがいない。
日本人は
社会と
個人を
一体化して
考えてきたのである。
日本人はヨーロッパ
人のように
自然と
対決するのではなく、
自然に
親しみ、
自然に
同化することによって
安らぎを
得てきた。それと
同じことが
社会についてもいえる。
日本人は
欧米人のように
個人を
社会に
対置することなく、
世間と
自分とをひとしなみに
表象してきたのだ。「
渡る
世間に
鬼はない」という
諺がその
一端を
語っている。
日本の
自然が
優しい
山河であるように、
日本の
世間も――
他民族の
社会とくらべれば――
結構、
心安い
社会だったからであろう。
(
森本哲郎『
日本語 表と
裏』)
長文 6.1週
【
長文が
二つある
場合、
音読の
練習はどちらか
一つで
可。】
【1】「エリ、バドミントンやるぞ。
降りてこい。」
今週も
父の
声が
響きます。
毎週日曜日の
朝、
私は
父とバドミントン、テニス、キャッチボールなどをします。【2】
家の
前の
広場でやるのですが、
本当は
少し
恥ずかしい
気もします。
父は、
声が
大きいので
近所中に
聞こえるし、
隣のおばあちゃんが
必ず
窓から
顔を
出してこう
言うのです。
「
親子で
仲がいいねえ。」
【3】
父とのスポーツは、まるで
特訓のようです。
父は、テニス
漫画に
出てくる
鬼コーチのように
私をしごきます。だから、
冬でも
汗だくになります。
【4】「エリ、これおいしいぞ。もっと
食べろ。」
夕飯の
時は、
自分のお
皿から
私のお
皿におかずを
移します。
自分の
好物は、
私も
好きだろうと
思い
込んでいるのです。
【5】
父は
出張に
行くと、
必ずおみやげを
買ってきます。それは、
私から
見ると
大体変なものです。その
地方の
名産やお
菓子ではなく、だいぶ
前にはやった
小物や、
学校に
持っていけないような
変わった
文房具、もう
遊ばない
小さい
子用のおもちゃなどです。
【6】
父は、
会社でとてもむずかしい
仕事をしている
経理の
専門家なのですが、うちにいるときは、とてもそんなふうには
見えません。【7】
昨日も
「えっ、
今夜はキムチ
鍋。そりゃ、きむちいい(
気持ちいい)。」
などと
受けないダジャレを
言って、
母にジロリとにらまれました。
【8】テレビのドラマで
見るような
格好いい
父親とは
違うけれど、
私はそんな
父が
大好きです。いろいろ
好き
勝手にやっているように
見えますが、
本当は
日曜日の
特訓も、
体育が
苦手な
私のためにやってくれているのです。
【9】
私は、
今度の
父の
日に、
秘密のプレゼントを
用意しています。それは
自然教室の
陶芸コーナーで
作った
湯のみです。H・Eと
父のイニシャルを
入れ、
大きなハートで
囲みました。
父がどんな
顔をするかとても
楽しみです。【0】
(
言葉の
森長文作成委員会 φ)
蛙の
子は
蛙
【1】カエルの
卵がふ
化すると、オタマジャクシになる。オタマジャクシの
時は、
尾があって、カエルの
子どもとは
思えない。ナマズの
子みたいだ。それが
大きくなるにつれ、
尾がとれ
足がはえて、けっきょくはカエルになる。【2】そこから、なにごとも
子は
親に
似るものだ、というんだ。
体のことではなくて、
人間のなかみとか、
心が
似るという。あまりいい
意味のことわざではなくて、わるい
意味に
使われるよ。
たとえば、「あいつのお
父さんはなまけ
者で、ぐうたらしていたが、
蛙の
子は
蛙だ。【3】あいつもやっぱりぐうたらな
人間だ」というように
使われる。でもことわざの
意味をとりちがえて、ほめことばとして
使う
人もいる。「
息子さんは○○
大学に
入学されたんですか。さすがはあなたのお
子さんだ。
蛙の
子は
蛙ですね」これは、けっしてほめたことにはなっていない。まちがった
使い
方だ。
【4】おなじような
意味のことわざに、「
瓜のつるには
茄子はならぬ」がある。
平凡な
親からは、すぐれた
子どもはうまれない、という
意味だよ。また、「
蝮の
子は
蝮」というのがある。【5】これは、
親が
悪人ならその
子はやっぱり
悪人だ、ということになる。
このことわざでは、カエルをすぐれたものとしてはあつかっていない。けれどむかしの
日本人は、カエルを
神様の
使いとしてうやまっていたんだ。【6】
群馬県では「ヒキガエルは
神様のお
使いである」といい、
千葉県では「オオガマガエルは
天神さまのお
使いだから、
殺してはならない」といったんだ。また
福島県・
東京都・
福井県・
和歌山県などでは、「アマガエルは
神様のお
使い」なので、つかまえてはいけないとか、
殺してはいけない、とされていた。【7】
熊本県玉名郡では、「アマガエルは
仏様を
背負っているので、
殺してはいけない」といわれ
大切にされていたんだよ。これは、カエルたちは
田んぼに
多くすんでいるから、
田の
神の
使いとされていたからだ。
【8】「
蛙の
面に
水」ということわざは、どんなことをされても
平気なようす。また
人からきつく
忠告されても、
知らん
顔して
聞こうとしないことをいうんだ。
【9】「
蛙も
歌のなかま」というのもある。カエルはあまりいい
声ではないが、さかんにカエルの
歌をうたっている。
鳥も
虫も、
歌をうたう。そのように、カエルから
人間まで、
生きものはみんな
歌がすきである、という
意味だ。ほんとにそうだよ。【0】だから、
小さな
生きものとも
仲よくした
方がいいんだ。ことわざの
中にも、こんなすばらしいものもあるんだ。
「
常識のことわざ
探偵団」(
国松俊英著 フォア
文庫)より
長文 6.2週
どんぐりの
背比べ
【1】どんぐりは、どれも
形や
大きさがおなじようで、
一つ
一つのちがいはよくわからない。そこから、
人間をくらべる
時に、みんなおなじようでとくにすぐれたものがいないことをいう。
このことわざは、
平凡なものばかりをくらべる
時に
使い、すぐれたものをくらべる
時には
使わない。【2】クラスの
成績で、
上位のものは
力がそろっていて、だれが
一位か
二位かわからないような
時には、「どんぐりの
背比べ」とはいわない。どうしてことわざに「どんぐり」がでてきたんだろう?
それは、どんぐりがとてもありふれた
木の
実だからだ。【3】どんぐりは、
特定の
木の
実じゃない。ブナ
科ナラ
属の
木になる
実は、みんなどんぐりだ。つまり、カシ、クヌギ、コナラ、ミズナラ、カシワ、といった
木になる
実はぜんぶ「どんぐり」とよぶんだ。【4】
木の
種類はちがい、
幹や
葉の
形などはちがっても、その
木にできたどんぐりをくらべてみると、みんな
似ているように
見える。そこから、このことわざがうまれたと
思われるよ。
ところで、
宮沢賢治という
人が
書いた
童話に「どんぐりと
山猫」というのがある。【5】
作品のなかみは、このことわざとつながるところがあるよ。
――ある
日、
一郎のところに、おかしなはがきがきた。それは
山ねこからのもので、あした、めんどうな
裁判をするからきてくれ、と
書いてあった。
【6】つぎの
日、
一郎は、
谷川にそって、くりの
木、
滝、きのこ、りすなどに
道を
聞きながら、どんどん
山の
中に
入っていった。そしてかやの
森への
坂道をのぼると、ぽっかりと
草地がひらけていて、そこに
山ねこがあらわれた。
【7】そこへ、
赤いズボンをはいたどんぐりが、いっぱい
飛びだしてきた。どんぐりたちは、だれがいちばんえらいかをあらそっていて、
山ねこに
裁判してもらっていたのだ。
頭がとがったのがいちばんえらいとか、
丸いのがえらいとか、
大きいのがえらいとか、
口ぐちにいいはる。【8】もう
三日も
裁判をやってるのに、ちっともおさまらないのだった。
その
日も、みんな
自分がいちばんえらいといい、わけがわからなくなってしまった。
山ねこはどうしたらいいかをたずね、
一郎はこたえた。
【9】「この
中で、いちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなってないようなのがいちばんえらい、といったらどうでしょう。」
山ねこは、そのとおりどんぐりたちに
申しわたした。すると、どんぐりたちはしいんとして、だれもなにもいわなくなった。【0】
裁判はおわった。
山ねこは
大よろこびで、お
礼に
金のどんぐりを
一升くれたのだった。
「
常識のことわざ
探偵団」(
国松俊英著 フォア
文庫)より
長文 6.3週
怪我の
功名
【1】「
怪我」は
傷のことなんだけど、ここでは、あやまちとか
過失の
意味をさすんだ。「
功名」はてがらとかよい
結果のこと。つまり、
失敗をしたのにそれがかえってよい
結果になった、ということ。また、なんの
気もなくやったことが、たまたまよい
結果になった、ことでもある。
【2】――Oさんは、でかけようとして
玄関をでた。
バス停の
近くまでいったところで、
財布をわすれたことに
気づいた。あわてて
家にもどり、
財布をもってでてきたが、バスはいったあとだった。つぎのバスは、
十五分たたないとこない。【3】「だいじな
約束なのに、これじゃ、おくれてしまう」
Oさんは、わすれ
物したことをぼやいていた。つぎのバスに
乗って、
交差点まできた
時だ。パトカーやら
救急車がきて、
大さわぎだった。
窓から
見たOさんはびっくりした。【4】
乗りおくれたバスがダンプカーと
衝突している。けが
人もでたようだった。
「いやあ、よかったあ。もしわすれ
物をしていなければ、あのバスに
乗って。いまごろ……。」Oさんは、ほーっと
大きな
息をついた。
【5】こんなできごとを「
怪我の
功名」というんだ。
ドライ・クリーニングの
方法を
世界ではじめて
見つけたのも、さいしょは
失敗からだった。
見つけた
人は、フランス・パリの
仕たて
屋、ジョリー・ベランさんだ。【6】ドライ・クリーニングとは、
水を
使わないで、
物質をとかす
液体を
使ってせんたくする
方法だ。
一八四八年のある
日、ベランさんはテーブルのランプをひっくり
返してしまった。ランプのオイルがテーブルにこぼれ、
奥さんがせんたくしたばかりのテーブルクロスを、ひどくよごしてしまった。
【7】「まいったなあ。うちのやつが
帰ってくるまでに、きれいにしておこう。」
べランさんは、よごれたテーブルクロスを
手にとった。
見ると、オイルがこぼれた
方がまっ
白で、きれいになっている。これはどういうことか。【8】べランさんの
頭に、ひらめくものがあった。
「きっと、ランプオイルには、
布をきれいにする
力があるのだ。」
それからべランさんは、
実験をくり
返し、クリーニングの
方法をマスターしたのだ。【9】そして
仕たて
屋をやりながら、ドライ・クリーニングのしごともうけてやるようになった。
テーブルクロスにオイルをこぼしたばかりに、ベランさんはとっても
大きな
発見をしたのだ。【0】
「
常識のことわざ
探偵団」(
国松俊英著 フォア
文庫)より
長文 6.4週
【
長文が
二つある
場合、
読解問題用の
長文は
一番目の
長文です。】
カバは、
昼間はほとんど、
水の
中にいます。
水の
中で、
昼寝をしたり、のんびりしたりして、じっとしていることが
多いのです。
それで、いつも
水の
中にいると
思われるのですが、カバは、
太陽がしずむころになると、
水からでて、
陸にあがります。そして
夜中に、えさの
草を
食べ、
朝になって
太陽がのぼると、また、
川の
水の
中に、はいります。
カバの
皮膚は、ほかの
動物よりも、うすくできているので、
昼間、
陸にいると、からだの
中の
水分がでていってしまいます。そのままほうっておくと、からだがかわいてしまって、
死んでしまいますから、なるべく
水の
中にいるようにしているのです。
また、カバは、
体重が
二千五百キロから
四千キログラムもあるので、
水の
中のほうが、からだがかるくなり、らくなのです。
カバの
目や
耳、
鼻は、
顔の
上のほうにあります。そのため、
水の
中にいても、
目や、
耳、
鼻のあなだけを、
水面からだすことができます。
ですから、
水の
中にいても
鼻で
呼吸できますし、あやしいものが
近づけば、そのけはいを
感じることができます。きけんを
感じると、カバは、さっともぐります。
水の
中にもぐるときは、
鼻や
耳のあなをとじます。
(
久道健三「
科学なぜどうして」)
【1】お
茶わん
一ぱいでお
米は
何粒ありますか?
約三〇〇〇
粒(〇・
五合)だそうです。
私が
子供のころ、そのなかにときどきすこし
黒い
小さな
斑点がついた
粒が
混じっていました。
気がつくと
気持ちが
悪いので、はしでつまみ
出したこともありましたが、たいていは
気にしないで
食べていました。【2】
親が「とりのぞかないと、おなかが
痛くなるよ」と
注意をしたことはなかったからです。いつのまにか、そんな
黒い
斑点粒はなくなり、
真っ
白のごはんになりました。
【3】
斑点粒が
混じっていると、
見た
目に
悪いので、
農薬を
使って
黒い
斑点粒がでないようにしているのです。お
茶わんに
四粒(〇・
一%
以上)あると、
二等米に
格下げになり、
値が
下がってしまうのです。
農薬を
使わざるをえません。
【4】お
米にいたずらして
斑点粒を
作るのはカメムシです。ヘクサムシ、ヘコキムシとも
呼ばれ、
触れると
悪臭を
出して
身を
守ろうとする、
小さな
平べったい
五角形の
虫です。
【5】
夏がすぎ
稲が
穂を
出すころ、カメムシは
一部の
田に
飛んできて
穂の
乳を
吸うので、
被害にあった
一部の
田んぼの
一部の
粒が
斑点粒になります。
一〇アール(=
一反)の
田には
約二三〇〇
万粒のモミがあるので、この〇・
一%は
二万三〇〇〇
粒になります。【6】これ
以下にするには、
計算上カメムシを
六〇
匹未満にする
必要があるので
農薬がまかれるのです。
害虫と
聞くと、
稲を
病気にしたり、
収穫量を
減らしたりする「
悪い
虫」と
思いがちです。しかしカメムシはそんなことはしません。
収穫量も
減らさず、
人間の
健康をそこねない
程度のいたずらです。【7】それさえ
人間は
許せなくなり、カメムシを
害虫の
仲間に
入れてしまったのです。
いまから
三〇
年ほど
前、
都市住民は、カメムシのいたずらをも
許せない
自分になっていることに
気づかぬまま、
農薬のこわさに
気づき、「
反農薬」を
訴え、
農薬を
使う
農業を
否定しました。【8】お
百姓さんも
使いたくて
使っているわけではないので、
無農薬で
作ってくれる
人が、ごく
少数ながらあらわれました。すると
農薬を
使っている
多くのお
百姓さんが、こんどは「
悪い
人」に
見えてくるのです。【9】
農薬を
使わざるをえない
現実は
知っていても、
反農薬の
世論に
押された
農業関係者は、
決められたとおりに
農薬をまくことを
省略する「
省農薬」や、
濃度をうすくすることを
意味する「
低農薬」にしているので
不安に
思わなくてよいと
反論しました。【0】
(
中略)
悪循環を
断ち
切るため、
福岡県農業改良普及所に
勤務していた
宇根豊さんは「
虫見板」を
使い、
田のなかにいる
虫に
改めて
関心を
持ってもらう
試みを
開始しました。
株をたたき、
虫見板の
上に
落ちてくる
虫を、
害虫、
益虫、ただの
虫に
見分ける
能力をまずつけてもらいます。つぎに
害虫が
繁殖し、
被害をあたえようとするタイミングを
学んでもらい、そのときに
農薬をまくように
指導していったのです。それまでよりは
時間はかかるけれど、
田のなかの
自然に
関心を
持ち、つきあえる
能力を
養っていくのは
楽しいものです。そのうえこわい
農薬の
使用量が
減り、
健康にもよいし、
経済的にも
助かります。
防除暦にしたがうと
一三回まくところが、
二〜
四回になった
人もいます。これだけの
効果があると、
運動は
大きくなり、
福岡県から
佐賀県へも
広がりました。
(
森住明弘『
環境とつきあう50
話』)