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課題集
長文 7.1週
【1】「ほら、えさがなくなりかけているぞ」
父の
声が
響きます。ぼくは、おととしから、フェレットを
飼っています。フェレットというのは、イタチの
仲間で、
長い
体をしています。ぼくのうちのは、タヌキのような
顔をして、
茶色とグレーの
間のような
毛の
色です。【2】セーブルという
種類で、
最も
多く
飼われているそうです。どうして
飼い
始めたかというと、
前に、
動物病院の
近くで、だれかがジャンパーの
中に
入れて
歩いているのを
見て、ほしくてたまらなくなったからです。お
年玉やお
小遣いを
使わずに
貯め、
半分は
父がお
金を
出してくれました。【3】
父は、
農家で
育ったので、
子どものころから
動物に
囲まれていたそうで、ぼくが
生き
物を
飼うのは
大賛成なのです。
最近、サッカーの
朝練で
世話をさぼりがちなぼくに、
父は
言います。
【4】「お
父さんは
学校に
上がる
前から、ヤギの
世話を
任されていたんだ。きちんと
毎日、
乳搾りをしないとヤギの
具合が
悪くなる。
絶対に
休めない
仕事だったんだよ。
牛小屋の
掃除も
大変だった。
夏なんかむんむんしてなあ。【5】ほかの
友達が
誘いに
来ても、
仕事が
終わっていないと
学校にも
行けなかったんだよ。でも、
飼われている
動物は、
人間が
世話をしてやらないと
生きていけないのだから、しんどくてもがんばったよ。」
【6】ぼくより
小さいころから、たくさんの
仕事をしていた
父はすごいなあと
思いました。もしぼくだったら、
寒い
朝は
起きられなかったかもしれません。
父は、
動物が
好きだからこそ
毎日がんばったのだろうなあと
思いました。
【7】「お
父さん、いやになったことないの?」
父は
笑いながら、
「まあ、いやになることもあったけど、
動物は
慣れてくるとかわいいもんだからなあ」
と、フェレットのえさを
継ぎ
足しながら
言いました。【8】そして、
「お
前は
自分が
飼いたいと
言って
飼い
始めたんだから、どんなことがあっても、
世話をさぼっちゃだめだな。」
と、ぼくの
方を
見ました。ぼくは、ちょっと
反省しました。
朝はきついから、
今日から、
夜寝る
前に
必ず
世話をしようと
心の
中で
誓いました。
【9】
父は、フェレットに
指を
舐めさせながら、
「お
父さんの
田舎では、こういうのを『めんこいなあ』と
言うんだ。このイタチはどういう
生い
立ちなんだろな、なあんて。」
と、
目を
細めました。
ぼくは、もっともっと
父の
子どものころの
話を
聞きたくなりました。
(
言葉の
森長文作成委員会 φ)
長文 7.2週
煙突の
上のほうが、ぜんぶ
燃えあがっていました。
芯にしてあった
棒が
燃えているのです。つよい
風にあおられた
炎が、いまにも
屋根にうつりそうに
長い
舌をのばしていました。かあさんは、
長い
棒をひっつかむと、ゴーゴーと
燃えあがる
火をむちゅうでたたきつづけ、
炎をあげている
木ぎれが、かあさんのまわりにどんどんおちていきました。
ローラはどうしていいかわかりませんでした。
自分も
棒をひっつかみましたが、かあさんにそばへよってはいけないととめられました。
火は、ものすごいいきおいで、ゴーゴー
音をたてて
燃えています。いまにも
家が
燃えつくすかもしれないのに、ローラにはどうすることもできないのです。
ローラは
家にかけこんでいきました。
燃えている
木や
石炭が、
煙突からおちてきて、
炉辺にころがりでています。
家のなかはけむりでいっぱいでした。まっかに
焼けた
大きな
木ぎれが、
床にころがりでてきました。メアリイのスカートのすぐそばです。メアリイは
動くこともできません。すっかりおびえきっているのです。
ローラは、
考えるひまもないほど、こわさでいっぱいでした。いきなり
重いゆり
椅子の
背をひっつかむと、
力のかぎりひっぱりました。
椅子は、メアリイとキャリーをのせたまま、
床をすべるようにあとへさがりました。ローラが、
燃えている
木ぎれをひっつかんで
暖炉にほうりこむのと
同時に、かあさんが
家へはいってきました。
「えらい、えらい、ローラ。
火のついたものが
床におちたとき、ほっといてはいけないといったのをよくおぼえていて」
かあさんはそういうと、バケツをとって、
手早く、でも
静かに、
暖炉の
火に
水をかけました。
水蒸気がもうもうとあがります。
「
手にやけどをした?」かあさんはローラの
手をしらべましたが、ローラは
燃えている
木ぎれをおおいそぎで
投げこんだので、やけどはしていませんでした。
ローラは、もう
大きいから
泣いたりはしないので、ほんとに
泣いているわけではありませんでした。ただ、
両ほうの
目からひとつぶずつ
涙がこぼれ、のどがきゅっとつまっているだけで、それは
泣いているのとはちがいます。ローラはかあさんにしがみついて、ぴったり
顔をくっつけてかくしてしまいました。かあさんが、
火事でけがをしなかったのが、ローラはうれしくてたまらないのです。
「
泣かないのよ、ローラ」かあさんはローラの
頭をなでながらいいます。「こわかったかい?」
「ええ」ローラはいいます。「メアリイとキャリーが
焼けちまうんじゃないかと
思ってこわかったの。
家が
焼けてしまって、
住む
所がなくなるんじゃないかと
思って。あたしーあたし、いまのほうがこわい」
メアリイもやっと
口がきけるようになっていました。そして、かあさんに、ローラが
椅子をひっぱって、
火が
燃えうつらないようにしたのだと
話しました。ローラはまだ
小さく、メアリイとキャリーがすわったままでは、ただでさえ
大きくて
重い
椅子がどんなに
重かったろうにと、かあさんはびっくりしました。いったいどうやってローラがそれを
動かせたのか、
信じられないとかあさんはいいます。
「ローラ、おまえはとても
勇気があったんだね」かあさんはいいました。でも、ローラは、ほんとうは、とてもこわかったのです。
(ローラ・インガルス・ワイルダー「
大草原の
小さな
家」)
長文 7.3週
【1】
母屋はもうひっそり
寝しずまっていた。
牛小屋もしずかだった。しずかだといって、
牛は
眠っているかめざめているかわかったもんじゃない。
牛は
起きていても
寝ていてもしずかなものだから。【2】もっとも
牛が
眼をさましていたって、
火をつけるにはいっこうさしつかえないわけだけれども。
巳之助はマッチのかわりに、マッチがまだなかったじぶん
使われていた
火打ちの
道具を
持ってきた。【3】
家を
出るとき、かまどのあたりでマッチを
探したが、どうしたわけかなかなか
見つからないので、
手にあたったのをさいわい、
火打ちの
道具を
持ってきたのだった。
巳之助は
火打ちで
火を
切りはじめた。【4】
火花は
飛んだが、
火口がしめっているのか、ちっとも
燃えあがらないのであった。
巳之助は、
火打ちというものは、あまり
便利なものではないと
思った。
火が
出ないくせにカチカチと
大きな
音ばかりして、これでは
寝ている
人が
眼をさましてしまうのである。
【5】「ちぇッ」と
巳之助は
舌打ちしていった。「マッチを
持ってくりゃよかった。こげな
火打ちみてえな
古くせえもなア、いざというとき
間にあわねえだなア。」
そういってしまって
巳之助は、ふと
自分の
言葉をききとがめた。
【6】「
古くせえもなア、いざというとき
間にあわねえ、……
古くせえもなア
間にあわねえ……」
ちょうど
月が
出て
空が
明るくなるように、
巳之助の
頭がこの
言葉をきっかけにして
明るく
晴れてきた。
【7】
巳之助は、
今になって、
自分のまちがっていたことがはっきりとわかった。――ランプはもはや
古い
道具になったのである。
電灯という
新しいいっそう
便利な
道具の
世の
中になったのである。【8】それだけ
世の
中がひらけたのである。
文明開化が
進んだのである。
巳之助もまた
日本のお
国の
人間なら、
日本がこれだけ
進んだことを
喜んでいいはずなのだ。【9】
古い
自分のしょうばいがうしなわれるからとて、
世の
中の
進むのにじゃましようとしたり、なんのうらみもない
人をうらんで
火をつけようとしたのは、
男としてなんという
見苦しいざまであったことか。【0】
世の
中が
進んで、
古いしょうばいがいらなくなれば、
男らしく、すっぱりそのしょうばいは
棄てて、
世の
中のためになる
新しいしょうばいにかわろうじゃないか。
巳之助はすぐ
家へとってかえした。
(
新美南吉著 「おじいさんのランプ」より)
長文 7.4週
授業参観日だといって、こんなにきんちょうしたことは、いままでになかった。
亜紀は、
国語の
教科書をつくえの
上にだして、
大きく
深呼吸した。それから、ちらりとうしろをふりかえった。
教室のうしろには、もう
五、
六人のお
母さんたちがたっていた。
(あ、エミーのパパだ)
ちょうど、うしろのドアからはいってきた
背の
高い
男の
人が、
絵美のパパだった、
亜紀は、この
日のために
国語の
特訓につきあって、なんどか
絵美の
家へいっていたので、すぐにわかった。
きょうの
授業は、
絵美がこのまま
桜本小学校にのこるか、アメリカンスクールへいかなければならないかがきまるだいじな
授業だ。
(どうか、エミーのパパのまえで、
特訓の
成果がでますように)
と、
亜紀はいのるような
気もちだった。
『ことわざと
生活』のところは、
声をだして
何回よんだだろう。きのうは、
亜紀も
声がかれるくらい、
絵美といっしょに
練習した。ことわざも、たくさんおぼえた。
亜紀は、
絵美が
気になって、なんどもふりかえってみた。
絵美は、しんけんな
顔つきで
教科書をひらいていた。あまり
亜紀がうしろをむくのでいつのまにかきていた
亜紀のママが、
黒板をさして、「まえをむいていなさい」というしぐさをした。
教室のうしろが、お
父さんやお
母さんでいっぱいになったころ、パリッとした
背広をきた
先生が
入ってきた。
「えー、きょうは、
十三ページの『ことわざと
生活』を
勉強します。みんな、どんなことわざを
知っているかな?」
いつもは、わかっていても
手をあげない
人がおおいのに、
授業参観の
日は、みんながいっせいに
手をあげる。
亜紀も
手をあげた。それから、もういちど、
絵美をふりかえると、
絵美もまっすぐに
手をあげていた。
何人かが、
知っていることわざを
発表したあと、
先生は、
「そうだね、それでは、
教科書をよんでみようか」
と、
教室をみまわした。
「
中山さん、よんでみて」
まず、
亜紀があてられ、それから、くぎりのよいところできりながら、
六人が
順番によみすすめた。そして、やっと、
「それでは、つぎは、
高田さん」
と、
絵美の
名まえがよばれた。
「はい」
絵美は、はっきりとへんじをしてたった。そして、
大きな
声でゆっくりと
教科書をよんでいった。はじめは、
少し
声がふるえた。
亜紀は、
自分のときよりハラハラして、
教科書の
文字を
目でおった。
「ですから、ことわざは……」
絵美の
声がつまった。
「ことわざは……」
亜紀は
心の
中で、
「ニチジョウ、ニチジョウ!」
と、
漢字のよみかたをさけんでいた。
絵美が、ちょっと
考えて、
「
日常の
生活のなかに……」
と、つづけたときは、ほっとした。
(
松浦とも
子「ライバルは
転校生」)
長文 8.1週
【1】「うまっ」
どうしてこんなにおいしいのでしょう。
私は、つまみ
食いの
常習犯です。つまみ
食いは、お
行儀が
悪いとされていますが、
実は
大事な
仕事なのです。これは、よく
言えば「
味見」です。【2】
味の
足りないところや、
直した
方がよいところを
事前に
料理人に
知らせることができるのですから。
今日の
料理人である
母にも、
感謝してほしいくらいなのですが、なぜだかいつも
逆に
怒られてしまいます。もたもたしていると、
手の
甲をペチッと
叩かれます。【3】ああ、こわい。それでも、
私と
弟は、
懲りずに
毎晩任務を
遂行します。
敵がマーボー
豆腐やカレーの
時は
諦めますが、たいがいの
料理には
挑戦します。
得意分野は、
揚げ
物類です。これは
大好物でもあるのです。
【4】
中でも、
今夜のようにフライドポテトがある
日は、
腕が
鳴ります。おなかも
鳴ります。
次々に
揚がってくる
黄色いポテトたち。
胸がワクワクします。
母が
後ろを
向いて、
次のポテトを
投入している
時はねらい
目です。【5】テーブルにそっと
近づき、
目にも
留まらぬ
速さで、ポテトをつかみます。その
様子は、まるでワニが
獲物を
後ろからパクッとやるようです。
弟は、あちっと
言ってしまったり、
落としてしまったりと
失敗しやすいので、
私が
弟の
分まで
取ってあげます。【6】
私はたいがい、
気付かれずに
取ることができます。
数が
決まっているおかずの
時などは、
取られたことを
気付かない
母が
「おかしいわねえ。」
と、
数が
合わないと
首をかしげることもあるほどです。
【7】たまに、
見つかってしまってもちゃんと
作戦があります。
怒られる
直前に、
「す、ご、くおいしかったよ。」
と
言うのです。
口封じの
術です。
気負いこんで、
怒ろうとしていた
母は、
拍子抜けして
「そ、そう?」
となってしまいます。【8】
私は
心の
中で
大成功、と
叫んでいます。
父も
実は
仲間です。ビール
片手にさり
気なく、テーブルの
脇をすり
抜け、
見ると、しっかりつまみ
食いのつまみを
持っているというわけです。
【9】この
間、
母に
聞いてみると、
「つまみ
食いなんか、
私はしたことないわよ。そんなはしたないこと。」
と
言うので、こっそりおばあちゃんに
電話しました。すると
「しょっちゅうしよったよ。
揚げたてをつまんで、
何度ヤケドしたことか。」
と
笑っていました。【0】
(
言葉の
森長文作成委員会 φ)
長文 8.2週
むかし、からからにかわいた
砂漠で、ある
男が、
十頭のラクダを
水飲み
場につれていこうとしていました。
しばらくあるいたところで、
男は
一頭のラクダの
背にのり、あとなん
頭いるか、かぞえてみました。ラクダは
九頭しかいませんでした。
男はあわててラクダの
背からおりると、いなくなった
一頭をさがしに、いまきた
道をてくてくあるいてもどりました。
けれども、どこにも
姿が
見えません。きっといなくなってしまったんだ。
男は、そう
思ってさがすのをやめ、
大急ぎでラクダたちのところへもどりました。
がっかりして、もどってきてみると、これは、またどうしたことでしょう。ラクダはちゃんと
十頭いるではありませんか。
大よろこびで、
男は、そのうちの
一頭の
背なかにのりました。
ところが、しばらくすると、もういちど、
数をかぞえてみたくなりました。
九頭しかいない!
男は、とほうにくれて、ラクダの
背からおりると、またいなくなった
一頭をさがしにいきました。どこにもいません。
男は、
群れのところにとんでかえって、
数をかぞえてみました。すると、おどろいたことに、
十頭ぜんぶそこにいて、ぶらぶらあたりをあるきまわっています。
男は、これは
砂漠の
暑さのせいだと、もんくをいいながら、こんどは、いちばんうしろのラクダにのりました。そして、
三度めの
正直とばかりに、もういちど、のこりのラクダをかぞえました。さっぱりわけがわからない。また
一頭たりなくなっている!
男は、
悪魔をののしりながら、ラクダからとびおりました。そして、のろのろと
群れのあいだをあるきながら、
一頭ずつかぞえていきました。ちゃあんと
十頭います。
「わかったよ、わかったよ、この
根性まがりの
悪魔め。」
と、
男は
吐きすてるようにいいました。
「のって
一頭をなくすくらいなら、
十頭つれてあるくほうがましさ!」
(ユネスコ
文化センター
編「アジアの
笑いばなし」)
国家試験を
目前にひかえた
三人の
受験生が、
結果をうらなってもらいに、ある
占師のところへいきました。
すると、
占師は、なにもいわず、ただだまって
指を
一本立ててみせました。
結果が
発表されてみると、
三人のうちひとりだけが
合格しており、おかげで、この
占師の
評判はぐんとあがりました。
占師のわかい
弟子は、どうしてそれがわかったのか
知りたがりました。
「
成功の
秘訣は、ものをいわぬことじゃ。」
と、
占師はいいました。そして、それをきいた
弟子がぽかんとしているのを
見て、こうつけくわえました。
「いいかね、おまえは、わしが
指を
一本だしたのを
見ておったろう。それは、
三人のうちひとりだけが
合格するという
意味にも
取れる。
事実、そうなった。だが、もし、ふたり
合格しておったとしても、わしの
見立ては、やっぱりただしい。
指一本は、ひとりおちるという
意味にとれるからな。
三人ともとおっていたとしても、
指一本は、
三人そろっていちどに
合格という
意味にとれる。その
反対もおなじこと。どんなばあいも、わしはただしいんじゃ。」
(ユネスコ
文化センター
編「アジアの
笑いばなし」)
長文 8.3週
【1】
次の
朝早く、
海蔵さんは、また
地主の
家へ
出かけていきました。
門をはいると、
昨日より
力のない、ひきつるようなしゃっくりの
声が
聞こえてきました。だいぶ
地主の
体がよわったことがわかりました。
【2】「あんたは、また
来ましたね。
親父はまだ
生きていますよ。」
と、
出てきた
息子さんがいいました。
「いえ、わしは、
親父さんが
生きておいでのうちに、ぜひおあいしたいので。」
と、
海蔵さんはいいました。
【3】
老人はやつれて
寝ていました。
海蔵さんは、
枕もとに
両手をついて、
「わしは、あやまりにまいりました。
昨日、わしはここから
帰るとき、
息子さんから、あなたが
死ねば
息子さんが
井戸を
許してくれるときいて、
悪い
心になりました。【4】もうじき、あなたが
死ぬからいいなどと、
恐ろしいことを
平気で
思っていました。つまり、わしはじぶんの
井戸のことばかり
考えて、あなたの
死ぬことを
待ちねがうというような、
鬼にもひとしい
心になりました。【5】そこで、わしはあやまりにまいりました。
井戸のことは、もうお
願いしません。またどこか、ほかの
場所をさがすとします。ですから、あなたはどうぞ、
死なないでください。」
といいました。
【6】
老人は
黙ってきいていました。それから
長いあいだ
黙って
海蔵さんの
顔を
見上げていました。
「お
前さんは、
感心なおひとじゃ。」
と、
老人はやっと
口を
切っていいました。
【7】「お
前さんは、
心のええおひとじゃ、わしは
長い
生涯じぶんの
欲ばかりで、ひとのことなどちっとも
思わずに
生きてきたが、
今はじめてお
前さんのりっぱな
心にうごかされた。お
前さんのような
人は、いまどき
珍しい。【8】それじゃ、あそこへ
井戸を
掘らしてあげよう。どんな
井戸でも
掘りなさい。もし
掘って
水が
出なかったら、どこにでもお
前さんの
好きなところに
掘らしてあげよう。あのへんは、みなわしの
土地だから。【9】うん、そうして、
井戸を
掘る
費用がたりなかったら、いくらでもわしが
出してあげよう。わしは
明日にも
死ぬかもしれんから、このことを
遺言しておいてあげよう。」
海蔵さんは、
思いがけない
言葉をきいて、
返事のしようもありませんでした。【0】だが、
死ぬまえに、この
一人の
欲ばりの
老人が、よい
心になったのは、
海蔵さんにもうれしいことでありました。
(
新美南吉著 「
牛をつないだ
椿の
木」より)
長文 8.4週
アフリカ・オーストラリア・
南アメリカの
三大陸には、
肺魚というさかながいて、
真水の
中に
住んでいます。
肺魚という
名まえからもわかるように、うきぶくろが、たいへん
肺によく
似ています。
肺魚も、ふだんは、えらで
呼吸をしていますが、
雨のない
季節に
水が
干あがってくると、
肺、すなわち、うきぶくろで、
呼吸をするようになります。
南アメリカの
肺魚は、
自分の
住んでいるぬまがかわいてくると、まず
土にあなをほってはいりこみ、からだが
水から
出るにしたがって、うきぶくろで
呼吸を
始めます。
土がすっかりかわいてしまいますと、からだがからからにかわかないように、ねばっこい
液でからだをくるんで、ふたたび、
雨の
季節になるまで、じっとしています。
このように
肺で
呼吸することのできるさかなが、だんだん
水から
陸に
上がってきて、やがて、すっかり
陸上動物になってしまうことが、
想像されないでしょうか。
実際に
三億年ぐらいのむかしに、
空気を
呼吸するさかなが、
陸上と
水中と
両方で
生活するようになって、
両生類のなかまが
生まれ
出ました。
動物が
陸上で
生活するためには、
陸上に
植物がはえている
必要があります。たとえ
肉食の
動物でも、そのえじきになる
動物は、
植物を
食べているのだし、すみかや、かくれがとしても、
植物が
必要だから、
植物がはえていなければ、
動物は
生活できません。
だから、どう
考えても、
陸上生物が
生まれる
前に、
陸上植物が
生まれているはずなのです。
動物は、
植物のあとをついて、
水中から
陸上に
上がりました。
陸地に
植物が
大いにしげって、
動物が
住めるようになったときに、さかなから
両生類が
生まれたばかりでなく、それと
前後して、サソリやこん
虫、そのほかいろいろの
陸上動物ができました。それが、
今から
三億年ぐらい
前のことなのです。
(
八杉龍一「
進化の
道しるべ」)
長文 9.1週
【1】「するってえと
何かい?」
今日もそんなことを
言って
友だちを
笑わせます。
大うけです。
私は
歴史の
勉強が
大好きです。
最初におもしろいと
思ったのは、テレビで
江戸時代の
風俗のことを
紹介しているのを
見た
時です。【2】
四畳半一間の
長屋に、
家族四人が
暮らしていて、トイレは
共同、お
風呂は
銭湯へ
行く
生活でした。とにかくご
飯をたくさん
食べて、おかずは
朝、
棒手振りの
売りに
来る、あさりや
豆腐、
納豆などです。【3】
私の
好きなコロッケや
焼肉はありません。
長屋は、
何軒かの
家がつながっていて、そこの
人たちはみんな
仲良しです。
私は、その
番組を
見ているとき、
江戸時代にタイムスリップしたような
気持ちになり、すっかりとりこになりました。
【4】
六年生のお
姉ちゃんは、
学校でも
歴史の
勉強をしているので、とてもうらやましいです。いつも
社会科の
資料集を
見せてもらっています。
土器の
写真やお
城の
写真、
歴史上の
有名な
人物の
写真などが
載っていて、いつまで
見ていても
飽きません。【5】
原始人と
言われる
人々のいたころから、たくさんの
時代がありますが、
私がいちばん
興味を
持っているのはやはり
江戸時代です。
現代に
近いということもあるのかもしれませんが、とても
身近に
感じられ、
江戸時代の
雰囲気がよくわかるような
気がするのです。【6】
中でも、
私は、お
城にいるお
殿様やお
姫様よりも、
最初にテレビで
見た
町人の
暮らしが
好きです。
当時、
流行っていたものとか、
普通の
暮らしはどんなだったかとか、
知りたいことが
次々に
出てきます。【7】
一つわかると、また
一つ
疑問がわく、ということの
繰り
返しです。
お
父さんは、
「
好きな
勉強があるなんてすごいじゃないか。どんどん
調べて、
博士になるといいよ。」
と
励ましてくれます。【8】お
母さんは、ちょっと
心配そうに
「でも、
歴史の
本ばかり
見て、
学校の
勉強を
全然しないのは
困るわねえ。」
と
言います。そんなときもお
父さんは、
「
何かに
一生懸命になれる
人は、
他のこともできるものだ。
心配いらないよ。」
と
言ってくれます。【9】そして
私には
「
将来、
大好きな
歴史を
勉強するためにも、
今の
学校の
勉強は
基礎になるからしっかり
授業は
聞いておけよ。」
と、まじめに
言った
後、ニヤニヤして
「
江戸はえーどー。」
とダジャレを
飛ばしました。
私も
負けずにお
気に
入りの
本を
見せて
「ここに
宝があったから」
とやり
返しました。【0】
(
言葉の
森長文作成委員会 φ)
長文 9.2週
わたしがおもしろいとおもったのは、「テレビで、
現実にはできない
経験があじわえるか」という
質問にたいして、「そうおもう」があきらかに
半数をこえ、「そうおもわない」のは
四人に
一人くらいでした。わたしたちが
直接に
体験できることは、かぎられているので、テレビがわたしたちにかわって
体験させてくれること、また、テレビが
現実以上に
現実を
劇的につくりあげて
体験させてしまうことに、
人びとはおそらく
気づいていて、このような
回答がでてきているのだとおもいます。
しかし、「テレビがあることで、
生きかたや
行動の
手本がえられる」とこたえた
人は
過半数にとどかず、「そうおもわない」とこたえた
人は
三人に
一人で、テレビで
生きかたの
手本をとかんがえているひとはおおいとはいっても
二人に
一人になりません。テレビを
人の
生きかたのうえでぜったいに
重要なものとはかんがえていないといえるかもしれません。
この
点は、「テレビはひとことでいえば、どんな
感じのものですか」という
質問にたいして、「あれば
便利という
程度のもの」というこたえが
過半数をこえ、「なくてはならないもの」というこたえを
二〇パーセントぐらいうわまわっていることからもこのことはうらづけされているようにおもわれます。
テレビの
影響については
人びとはどのように
感じているのでしょうか。
テレビ、
新聞、ラジオ、
週刊誌などをひっくるめて、マスコミというよびかたがされていますが、そのようなマスコミ
全体のなかでテレビの
影響はどんな
位置をしめているのでしょう?
まず、「
衣食住など、
人びとの
生活のしかたに、いちばん
影響をあたえているものは、どれだとおもいますか」という
質問にたいしては、テレビをあげる
人がまさに
圧倒的におおく、それぞれ
十パーセント
以下の
新聞、
週刊誌、ラジオをはるかにひきはなしています。ところが、「
政治や
社会問題についての
世論」については、テレビとこたえるものが
約半数で、
新聞とこたえるものとほとんどかわりません。この
点では
新聞の
影響もおおきいと
感じられているわけです。なお、
週刊誌とラジオはたった
一パーセント
台でした。
さらに「マスコミがつたえていることは、ほぼ
事実どおりだとおもうか」という
質問にたいして、「そうおもう」が「そうおもわない」よりすくなくなっています。マスコミへの
不信がかなりおおくみられているわけです。この
点は、「どちらかといえば、いろいろな
情報がありすぎて、まどわされることがおおい」という
回答が
三人に
一人ぐらいはいるのと
合致しているようです。
マスコミの
報道がかならずしも
事実をつたえていないとすれば、それにふりまわされるようなことがあってはならないということになります。いかがわしいとすれば、
事実や
真実をみきわめる
必要があります。
人びとはマスコミへの
不信をもちつつ、さらにそれにのせられる――うごかされる――ことに
不安ももっているのです。
「
人びとの
意見は、
知らないうちにマスコミのいうとおりにうごかされていることがおおいか」という
質問にたいして、「そうおもう」が
四人に
三人ぐらいで、「そうおもわない」をはるかにしのいでおおくのこたえをよせています。
人びとがマスコミにたいして
意外とおおく、
批判的な
意識をもっていることがわかります。これはだいじにしなければならない
意識だとおもいます。
近年、テレビの
社会的影響力についての
専門的な
研究の
分野でも、テレビの
影響が「
強力」であるということがほぼ
定説となってきています。わたしたちは、やはり、ひとりひとりがまず「テレビをみる
目」をつくり、やしなうことが
必要なのです。
(
佐藤毅「テレビとわたしたち」)
長文 9.3週
【1】「くッくッくッ。」
とかしらは、
笑いが
腹の
中からこみあげてくるのが、とまりませんでした。
「これで
弟子たちに
自慢ができるて。きさまたちが、ばかづらさげて、
村の
中をあるいているあいだに、わしはもう
牛の
仔をいっぴき
盗んだ、といって。」
【2】そしてまた、くッくッくッと
笑いました。あんまり
笑ったので、こんどは
涙が
出てきました。
「ああ、おかしい。あんまり
笑ったんで
涙が
出てきやがった。」
ところが、その
涙が、
流れて
流れてとまらないのでありました。
【3】「いや、はや、これはどうしたことだい、わしが
涙を
流すなんて、これじゃ、まるで
泣いてるのと
同じじゃないか。」
そうです。ほんとうに、
盗人のかしらは
泣いていたのであります。――かしらは
嬉しかったのです。【4】じぶんは
今まで、
人から
冷たい
眼でばかり
見られてきました。じぶんが
通ると、
人々はそら
変なやつが
来たといわんばかりに、
窓をしめたり、すだれをおろしたりしました。【5】じぶんが
声をかけると、
笑いながら
話しあっていた
人たちも、きゅうに
仕事のことを
思いだしたように
向こうをむいてしまうのでありました。【6】
池の
面にうかんでいる
鯉でさえも、じぶんが
岸に
立つと、がばッと
体をひるがえしてしずんでいくのでありました。あるとき
猿回しの
背中に
負われている
猿に、
柿の
実をくれてやったら、
一口もたべずに
地べたにすててしまいました。【7】みんながじぶんを
嫌っていたのです。みんながじぶんを
信用してはくれなかったのです。ところが、この
草鞋をはいた
子どもは、
盗人であるじぶんに
牛の
仔をあずけてくれました。じぶんをいい
人間であると
思ってくれたのでした。【8】またこの
仔牛も、じぶんをちっともいやがらずおとなしくしております。じぶんが
母牛ででもあるかのように、そばにすりよっています。
子どもも
仔牛も、じぶんを
信用しているのです。こんなことは、
盗人のじぶんには、はじめてのことであります。【9】
人に
信用されるというのは、なんといううれしいことでありましょう。……
そこで、かしらはいま、
美しい
心になっているのでありました。
子どものころにはそういう
心になったことがありましたが、あれから
長い
間、わるい
汚い
心でずっといたのです。【0】
久しぶりでかしらは
美しい
心になりました。これはちょうど、
垢まみれの
汚い
着物を、きゅうに
晴れ
着にきせかえられたように、
奇妙なぐあいでありました。
かしらの
眼から
涙が
流れてとまらないのはそういうわけなのでした。
(
新美南吉著 「
花のき
村と
盗人たち」より)
長文 9.4週
空気のよごれ、つまり
大気汚染を
実感できるのは、まずお
天気がいいのに
見はらしが
悪く、
遠くが
見えないとか、
空が
青くないというときでしょう。これは
空気中をただようこまかいチリやスス(
浮遊粒子状物質といいます)が
原因です。この
状態がひどいときはスモッグといわれます。
スモッグは
目にみえる
大気汚染ですが、
目にみえない
物質によってもたらされる
大気汚染もあります。みなさんは
光化学スモッグということばを
聞いたことがあるでしょう。こちらは
硫黄酸化物とかチッ
素酸化物という
目にみえない
物質が
原因です。
かつてはこうした
大気汚染の
原因となる
物質は、
主に
工場の
煙突から
出るけむりの
中にふくまれていました。それで
工場を
中心とした
都市では、ひどい
大気汚染が
発生し、ぜんそくなどの
病気がおこりました。
これはたいへんだということで、
工場の
煙突からはきれいなけむりしか
出してはいけないということがきめられました。いまでは、
煙突の
下にけむりをきれいにする
機械がついています。
それで、
以前よりはましになったのですが、それでも
都市の
空気はよごれていますね。そうです、
問題は
自動車の
排気ガスです。
もちろん、
自動車の
排気ガスも、きれいにして
出すようにきめられています。ですから
自動車の
排気ガスは、
昔とくらべるときれいになっています。
けれども、
排気ガスは
二酸化チッ
素と
呼ばれる
物質がふくまれていて、これがいまの
都市部の
大気汚染の
主な
原因となっています。また、トラックやバスなどの
大型のディーゼル
車から
出る
黒いけむりも
問題になっています。
自動車一台一台の
排気ガスをきれいにする
技術的なくふうはどんどん
進められています。でも、
自動車の
数は、どんどんふえています。たとえば、
一九九二年(
平成四年)
度末では、
全国で
六、
四五○
万台(トラックやバス、バイクをふくみます)にもなっています。
その
自動車の
多くは、
住宅街から
都市の
中心部への
通勤に
利用されたり、
都市の
中での
移動に
使われたりしています。また、
人の
移動のためだけではなく、さまざまな
品物をお
店などに
納めることや、
宅急便などでも
使われています。
コンビニエンス・ストアなどは、
大きなスーパーやデパートなどとちがって、それぞれの
店の
倉庫が
広くないので、
品物を
補充する
納品のための
車が、
一日に
何回もまわっています。
こうしたこまめな
配送のおかげで、わたしたちはつくりたてのおべんとうを
買ってたべることができるのですが、その
分、たくさんの
自動車が
走りまわっていることになります。
その
結果、
都市の
中心部はもとより、
住宅街の
大きな
道路でも、いつも
渋滞がおこっています。
渋滞がおこると、
自動車は
動いたり、とまったりをくりかえすことになります。
自動車は
動きはじめるときにエンジンの
回転数があがり、
排気ガスが
多く
出ます。
特に、トラックやバスなどの
大型のディーゼル
車ですと、ブワーッという
感じで
黒いけむりが
出ます。ですから、スムーズに
走っているときにくらべると
大気汚染がひどくなるというわけです。
(
阿部治・
市川智史「ふくれあがる
大都市」)