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課題集
長文ちょうぶん 10.1しゅう
【1】「ああっ。」
わたしは、うたがいました。石井いしいくんゆびは、ちいさなあかべこをつまんでいました。あかべことは、福島ふくしまけん郷土きょうど玩具おもちゃがんぐで、「あかいべこ」つまり、あかからだをした、うしのことです。くびのようにゆらゆらゆれる、とてもユーモラスな格好かっこううしです。【2】わたしあかべこは、キーホルダーになっています。それをランドセルにげていました。石井いしいくんはふざけてさわってあそんでいたのですが、なにかの拍子ひょうしにはずれてしまったようです。いっしょにいたさやかちゃんが、あわててつけなおしてくれようとしました。【3】しかし、あかべこの背中せなかについていたっかがれていて、もうチェーンとつなげることができなくなっていました。石井いしいくんは、いつものいたずらぼうずのかおから、びっくりしたかおになって、
「ごめん。れちゃった。」
いました。
 【4】このあかべこは、わたしいち年生ねんせいのとき、福島ふくしまのおばあちゃんがおくってくれたものです。わたしあかいランドセルにぴったりだったので、いち年生ねんせいのときからずっと、おまもわりにつけています。わたし大事だいじ大事だいじ宝物ほうもつたからものです。
 【5】でも、わたしは、石井いしいくんがわざとこわしたわけではないとっていました。わたしは、なるべくあかるいいいかたで、
「あ、いいよ。これ、たぶんもうふるくなっていたんだ。」
いました。石井いしいくんは、すこしほっとしたかおになりましたが、もう一度いちど
「でも、ぼくがひっぱったから……。」
と、ちいさくいかけました。【6】わたしは、
「いいの、いいの。にしない。そういう運命うんめいだったんだから。」
と、元気げんきって、あかべこをりました。
 こわれたあかべこにをやると、あかべこは、のんびりしたかおで、のひらによこたわっています。【7】じっとていると、不思議ふしぎなことにあかべこがすこわらったようながしました。
「まあまあ、そんなにしんべ(心配しんぱい )しねえで。」
そんなうし言葉ことばまでこえたがして、ふとかおげると、石井いしいくんもじっとあかべこをつめています。わたしたちは、かお見合みあわせて、おもわずくすっとわらいました。
 【8】そのわたしいえかえってから、おかあさんに、こわれてしまったあかべこをせました。おかあさんはすこおどろいたかおをしましたが、事情じじょうくとすぐに納得なっとくしてくれました。そして、あかべこをながら、
石井いしいくんにしていないといいね。」
いました。【9】わたしは、うしこえいたんだから大丈夫だいじょうぶ、としんなかおもいました。
 おとうさんがかえってきたら、たぶんうまくなおしてくれるでしょう。今度こんど福島ふくしまのおばあちゃんのいえくときに、元気げんきになったあかべこを一緒いっしょれていくつもりです。【0】

言葉ことばもり長文ちょうぶんちょうぶん作成さくせい委員いいんかい φふぁい


長文ちょうぶん 10.2しゅう
 宮崎みやざきけんにある幸島こうしまちいさな無人島むじんとうです。このしまにはひゃくひきぴきあまりのさる生息せいそくしています。あるのこと、イネというわかいメスさるざるかわみずでイモをあらってべました。すると、ほかのさるたちも次々つぎつぎとイモをあらってべるようになりました。これまでは、すななどのよごれのついたイモをそのままべていたさるたちは、「イネのまねをしてべるとおいしいね。」とおもったことでしょう。しばらくして、イネは、かわみずではなくうみみずでイモをあらうことをおもいつきます。うみみずあらうと、塩味しおあじがついてもっとおいしくなるのです。それをていたほかのさるたちも、イモを海水かいすいあらうのはいいものだと、イネとおなじように海水かいすいでイモをあらうようになりました。
 幸島こうしまさるたちがみなイモをあらってべるようになると、不思議ふしぎなことに、大分おおいたけん高崎たかさきさんさるたちもイモをあらはじめました。高崎山たかさきやまさるばかりではありません。とおはなれたほか土地とちしまにすむさるたちもイモをあらってべるようになったのです。もちろん、これらのさるたちは、幸島こうしまさるたちがイモをあらうところを実際じっさいたわけではありません。しかし、いろいろな場所ばしょにすむさるたちがもうわせたかのようにイモをあらはじめたのです。これは、イモをあらさる一定いっていかずたっすると、その行動こうどう距離きょりをこえて、ほかの集団しゅうだんにも伝染でんせんしたためではないかとわれています。
 これと現象げんしょうは、人間にんげん社会しゃかいにもあります。なにあたらしい発明はつめいをしたひとがいると、ちょうどおなじころ世界せかいのほかの場所ばしょでもおな発明はつめいをしているひとがいたということがよくあります。

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長文ちょうぶん 10.3しゅう
 【1】みなさんは江戸えど時代じだい大名だいみょうだいみょうが、「加賀かがひゃくまんいしごく大名だいみょうだいみょう」とか、「尾張おわりろくじゅうまんいしごく大名だいみょうだいみょう」といったよびかたで、よばれているのをきいたことがあるでしょう。石高いしたかこくだかはそのくにのゆたかさ、おおきさをあらわしたいいかたです。【2】加賀かがくにひゃくまんいしごくものおべいがとれる大国たいこくです。それほどのゆたかなくに領地りょうち大名だいみょうだいみょう、という意味いみです。
 ちなみにいちせきいっこくとは、やくひゃくはちじゅうリットルを意味いみします。それはひとりがいち年間ねんかんべる、おべいりょうにあたります。
 【3】武士ぶし足軽あしがる給料きゅうりょうも、「にん扶持ふちぶち」「じゅうにん扶持ふちぶち」というように、おべい計算けいさんされました。にん扶持ふちぶちとは、にんのけらいがやしなえるだけのおべいです。ひとりいちにちごうとして計算けいさんされました。
 【4】昭和しょうわになって戦争せんそうちゅう日本にっぽんには食糧しょくりょうがなくなり、おべい配給はいきゅうせいになりました。生産せいさんしゃ消費しょうひしゃも、かってにったりったりすることはきんじられ、生産せいさんされたおべいはすべて政府せいふがいちどいあげ、消費しょうひしゃめられたりょうだけを、そこからうようになっていました。
 【5】その、おこめうための通帳つうちょうは、ながいあいだ、身分みぶん証明しょうめいしょのかわりでもありました。
 おべいとはそれほどに、国民こくみんきるための基本きほんだったのです。人々ひとびとのくらしや社会しゃかいのありかたが、おこめ基本きほんとすることでってきたくに。【6】そんな時代じだいが、ついさいきんまで、ずっとつづいてきたくに。そのようなくに世界せかいには、ほかにありません。
 もうひとつ、たいせつなことがあります。おべいはわたしたちのづかぬところで、いつもわたしたちといっしょです。
 【7】水道すいどうのじゃぐちをひねるとき、あなたはそのみずがどこからくるかかんがえてみたことがありますか。かわから、ダムから、とこたえたひとは、ダムにたまるそのおおもとのかわみずを、かんがえてみてください。
 【8】日本にっぽんやまがけわしく、急斜面きゅうしゃめんくにです。「日本にっぽんかわは、たきのようだ。」と、いわれるくらいです。あめがふってもみずはいちどきにうみへすてられ、あとはたちまちかわいてしまう、あばれがわなのです。それなのに、いちげつげつれたがつづいていても、みずがながれているのはなぜでしょう。
 【9】あめをしっかりとけとめて、大地だいちにつなぎとめている、森林しんりん水田すいでんがあるからです。
 ふったあめ森林しんりん水田すいでんにしみこみ、ゆっくりゆっくり地下ちか移動いどうし、なんねんなんじゅうねんも、ときにはなんひゃくねんもかけて、やがて地表ちひょうにわきてきます。【0】そのわきみずのあつまりが、ふだんながれているかわみずなのです。
森林しんりんみどりのダムだ。」
と、よくいわれます。おなじように水田すいでんも、ダムなのです。
 田植たうえどき、みずをはった段々畑だんだんばたけてください。
「なるほどちいさなダムたちが、やま斜面しゃめんにはりついているなあ。」
と、あなたもきっと、感心かんしんするでしょう。
 水田すいでんにたたえられたそのみずは、地下ちかにしみこみ地下水ちかすいになり、やがて下流かりゅうにながれかわみず提供ていきょうしてくれます。

 (富山とみやま和子かずこちょ「おべいきている」より)


長文ちょうぶん 10.4しゅう
 身近みぢか自然しぜんはありふれているだけに、うしなってからでないとたいせつさにづかないという矛盾むじゅんをかかえています。それだけでなく、高度こうど成長せいちょう時代じだいには、住民じゅうみんみずからがのぞんでとおざけたのです。
 したしみやすい等身とうしんだい自然しぜんも、油断ゆだんすると大敵たいてき変身へんしんします。裸足はだし小川おがわはいると、ガラスの破片はへんやとがったいわあしるし、まれにはおぼれていのちをとられることもあります。淀川よどがわなどすこしおおきくなると、不思議ふしぎにもあきらめがさきちます。しかし等身とうしんだい小川おがわやためいけになると、くやしさがまさり、だれかにいかりをぶつけたくなり、裁判さいばんうったえるケースがえてきました。
 民主みんしゅ主義しゅぎがみんなのものになり、寝入ねいりしないで行政ぎょうせい責任せきにん市民しみんえたこと、裁判所さいばんしょ行政ぎょうせい責任せきにんをきびしくい、住民じゅうみん勝訴しょうそするばあいがあったことは評価ひょうかできます。しかし地域ちいき住民じゅうみん参加さんかしないで、対策たいさく行政ぎょうせいだけにわせる結果けっかになったことは、いまからかんがえるとおおきな矛盾むじゅんみだしていたのです。
 淀川よどがわなどおおきなかわにはない金網かなあみが、ちいさなかわられてしまいました。ちたりけがをすることはたしかにすくなくなりましたが、反面はんめん身近みぢか自然しぜん生活せいかつからとおざけることになってしまいました。どものあそでなくなると、とうぜん関心かんしんがうすれます。自転車じてんしゃ単車たんしゃてられていてもながいあいだそのままになっていますし、雑草ざっそうとしいちかいられるくらいなので景観けいかんもよくありません。家庭かてい排水はいすいじょうになり、よごれてくるとうめうめてて道路どうろにしたほうがいいということになり、ちいさなかわまちのなかからえていきました。
 おもわぬところで矛盾むじゅんあたまをもたげます。じゅうねんほどまえ子供こどもかい遠足えんそくったとき、就学しゅうがくまえおんながなにかにつまずいてたおれました。かおをまともに地面じめんにぶつけたのです。本能ほんのうるのではなく、戸外こがいあそびながらにつける運動うんどう能力のうりょくひとつだったのです。最近さいきん小学生しょうがくせいにもいるとの報道ほうどうがありました。
 ある衛星えいせい都市とし保育ほいくしょでは、すこし手足てあしにけがをすると、もうれつにおこるおかあさんがいるそうです。理屈りくつじょうはけがをさせたことになるので、責任せきにんわれると対応たいおうせざるをえません。朝来あさくえんしたとき、いえでついたきずかのチェックをしなければならなくなったそうです。家庭かていでの生活せいかつ能力のうりょくがおとろえるにしたがってえてきた遅刻ちこく指導しどうがエスカレートして、生徒せいところしてしまった状況じょうきょうています。「すみません」ですまない世界せかいがどんどんひろがりつつあるようです。

森住もりずみ明弘あきひろ環境かんきょうとつきあう50」)


長文ちょうぶん 11.1しゅう
【1】「ごはんですよ。」
キッチンから、おかあさんのこえがしました。ソースを煮込にこむので、そのにおいでとっくにメニューはわかっています。だから本当ほんとう勉強べんきょうしていることになっているけれど、ぼくはもそぞろで、こんこんかと部屋へやのドアをけてっていたのです。
 【2】和食わしょく中華ちゅうか洋食ようしょく、エスニック、日本にっぽんでは外国がいこくかなくても、各国かっこく料理りょうりたのしめます。おみせべるだけでなく、いろいろな食材しょくざいられているので、いえでもべることができます。なんてしあわせなのだろうと、ぼくはごはんのたびにおもいます。
 【3】ぼくがとくきなのは、イタリアンです。オリーブオイルとガーリックのかおりや、トマトの酸味さんみ複雑ふくざつなハーブのあじわいなどがぼくの五感ごかん刺激しげきします。なかでもパスタるい特別とくべつで、なにもないときは、めんをゆで、オリーブオイルとパルメザンチーズだけでべられるくらいです。
 【4】今夜こんやは、野菜やさいもたっぷりれたスペシャルミートソースです。ぼくは、フォークにスパゲティをきつけながら、うっとりと、
「どうしてこんなにおいしいのかなあ。本当ほんとう毎日まいにちでもべたいよ。」
いました。
 【5】すると、
啓介けいすけは、おかあさんのおなかにいるときから、スパゲティがきだったからね。」
 じつはこのはなしは、毎回まいかいかえされるのですが、おかあさんははなしたことなど、すっかりわすれて、まるでそれがはじめてのようにいつも不思議ふしぎそうにかたります。
【6】「おかあさんはずっと和食わしょくとうだったのに、どういうわけか、啓介けいすけがおなかにいるとき、調子ちょうしわるくてもミートスパゲティだけはべられたの。毎日まいにちでもいいくらいに。」
 そこでまって、いもうとののりが、
「そのはなしなんかいいた。」
います。
 【7】半分はんぶんくらいべた時点じてんで、おかあさんがって、おかわりのぶんのめんをゆではじめます。ぼくは、たくさんべるので、かいけないとめんがびてしまうからです。
「アル・デンテでおねがいね。」
ちょっと生意気なまいきに、そうオーダーします。
 【8】ぼくは、ちょっとかためのゆであがりがこのみです。最初さいしょは、やわらかいものだとおもっていたのですが、いとこのおねえちゃんといっしょにビストロにったとき、「絶妙ぜつみょうごたえ」のアル・デンテという状態じょうたい最高さいこうなのだとおしえてもらったのです。
 【9】ともだちに人気にんきがあるのは、焼肉やきにく、お寿司すし、カレーというラインナップで、イタリアンなどというはあまりいません。でも、本当ほんとうにおいしいので、いつかイタリアンシェフになって、どもにも人気にんきのあるおみせつくりたいとおもっています。そんなことをかんがえながら、ぼくはおかわりしたおさら両手りょうてりました。【0】

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長文ちょうぶん 11.2しゅう
 種類しゅるいもの一緒いっしょらすことを共生きょうせいといいます。そのいちれいがイソギンチャクとクマノミです。普通ふつうさかながイソギンチャクの触手しょくしゅれると、どくはりどくばりによって麻痺まひさせられてしまいます。しかし、クマノミのからだ表面ひょうめんには特殊とくしゅ粘液ねんえき分泌ぶんぴつされていて、イソギンチャクのどくには反応はんのうしません。クマノミが粘液ねんえき成分せいぶんはイソギンチャクの粘液ねんえき成分せいぶんているため、イソギンチャクはクマノミをえさとなしません。このため、クマノミはイソギンチャクのまわりをすみかにして、おそろしいてきからまもることができるのです。
 クマノミのからだは、どの種類しゅるいあか、オレンジ、黄色おうしょくくろしろなどがわさったあざやかないろをしています。歌舞伎かぶき役者やくしゃ隈取くまどりした化粧けしょうているのでクマノミという名前なまえがついたそうです。
 では、イソギンチャクにとって、クマノミが周囲しゅういにいることにどんな利点りてんがあるのでしょうか。クマノミは、イソギンチャクのまわりに縄張なわばりをっており、イソギンチャクの触手しょくしゅなどをいちぎってべるさかななど、イソギンチャクのてきはらいます。また、イソギンチャクの触手しょくしゅあいだにえさをいておくのですが、その一部いちぶはイソギンチャクのえさにもなるようです。つまり、クマノミとイソギンチャクは、おたがいにまもってもらったり、えさの一部いちぶけてもらったりして、ギブアンドテイクの関係かんけいたもっているのです。
 イソギンチャクカクレエビも、そののとおり、イソギンチャクと一緒いっしょらす仲間なかまです。また、ヤドカリやカニのなかには、自分じぶんのはさみや貝殻かいがらにイソギンチャクをつけて、まもるものもいます。おたがいにえさのやりとりもしているようです。
 ハゼとエビも共生きょうせいしています。ハゼは、エビが苦労くろうしてったあな同居どうきょします。視力しりょくのよくないエビにとって、自分じぶんわりに見張みはりをしてくれるハゼは歓迎かんげいすべき同居どうきょじんです。また、エビが外出がいしゅつするときも、ハゼは忠実ちゅうじつなボディガードの役割やくわりたします。あなそとにいるとき、エビは自分じぶん触覚しょっかくをハゼのからだつねにぴたりとくっつけています。てきちかづいてくると、ハゼは、びれをふるわせてエビに合図あいずをします。エビは、危険きけん察知さっちしてすぐにあなはいります。もちろん、ハゼも一緒いっしょあなもどります。ハゼとエビは、おなあななかで、ハーハー、ゼーゼーといきらしながら、「あぶなかったね。」とはなしをしているのかもしれません。
 ホンソメワケベラとクエは掃除そうじ共生きょうせいするわせとしてられています。クエは、本来ほんらいしょうさかなをえさとしています。ホンソメワケベラは、クエに近寄ちかよったら一口ひとくちべられてしまいそうなちいさなさかなです。しかし、不思議ふしぎなことに、ホンソメワケベラがちかくにるどころか、クエのくちなかはいっても、クエはけっしてホンソメワケベラをべようとはしません。これは、ホンソメワケベラがクエの寄生虫きせいちゅう掃除そうじしてあげているからです。クエは、くちやえらなどにについた寄生虫きせいちゅうをきれいさっぱりホンソメワケベラにってもらって上機嫌じょうきげんというわけです。クエがホンソメワケベラをえないわけはここにあるのです。ホンソメワケベラにとって、寄生虫きせいちゅうはえさにもなるし、おおきなさかな一緒いっしょにいることでてきからまもることもできて一石二鳥いっせきにちょうです。
 共生きょうせい関係かんけいにあるものたちは、ちが種類しゅるいであるにもかかわらず、調和ちょうわたもって、平和へいわ関係かんけい維持いじしているのです。

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長文ちょうぶん 11.3しゅう
 【1】だいよんに、おべいはせまい土地とちでも、たくさんつくることができました。そのうえ、毎年まいとし毎年まいとしおなじように、つくることができました。
 きものです。つかえば、そのぶんやせていきます。
 【2】たとえばヨーロッパでは、小麦こむぎをつくります。でも、毎年まいとし毎年まいとしおなじはたけにつくることはできません。いちねんはたけをつかったら、あとのねん牧草ぼくそうにしたり、肥料ひりょうになる作物さくもつえたりして、土地とちやすませます。そんなふうにしてちから回復かいふくさせてから、つぎのとし、また小麦こむぎえるのです。
 【3】ところが日本にっぽんではおなじ土地とちに、毎年まいとし毎年まいとし、おべいがつくれます。もうせんねんも、それ以上いじょうもの年月としつき、そのようにしてべいづくりがつづけられてきたのです。日本にっぽんへきたヨーロッパの専門せんもんたちは、「しんじられない。」と、びっくりするほどです。
 【4】そのひみつは水田すいでんの「みず」にあります。水田すいでんかれるみずには、かわやまからはこんできた森林しんりんのゆたかな養分ようぶんがふくまれていて、たえずをおぎなってくれたからでした。
 だいに、おべいは、おいしかったのです。
 【5】おべいそのものがおいしいから、おかずをあまりにせずにすみました。梅干うめぼしや、ほんのわずかのつけものなどがあれば、ごはんをべるだけで十分じゅうぶん満足まんぞくできました。
 こんなにもたくさんの、長所ちょうしょをもっているおこめ
 【6】ですからおべいは、いまも、「世界せかいのあらゆる食糧しょくりょうなかで、もっとも理想りそうてきなもの。」といわれています。
 そんなすばらしいいねが、やってきたのです。
 縄文じょうもん時代じだいのおわりごろのことでした。
 いねは、うみのむこうから、やってきたのでした。
 【7】おべいにはおおきくわけて、ジャポニカとインディカというふたつの種類しゅるいがあります。まるくてねばりがあるのがジャポニカで、わたしたちのべているおべいです。これにたいして、ながくてばさばさしているのがインディカで、日本にっぽん以外いがいおおくのひとたちが、べているおべいです。
 【8】そのジャポニカのふるさとは、中国ちゅうごく長江ながえちょうこう揚子江ようすこう)の流域りゅういきだとみられています。
 中国ちゅうごく古都こと紹興しょうこうちかくに、河姆渡かぼと遺跡いせきという遺跡いせきがあります。【9】この遺跡いせきからはななせんねんもむかしのいねが発見はっけんされているのです。ですから、このあたりでつくられていたいねがひがしひがしへとつたえられ、ひと技術ぎじゅつといっしょにうみをわたって、日本にっぽんへやってきたのかもしれません。【0】

 (富山とみやま和子かずこちょ「おべいきている」より)


長文ちょうぶん 11.4しゅう
 さああまがえるどもはよろこんだのなんのって、チェッコという算術さんじゅつのうまいかえるなどは、もうすぐ暗算あんざんをはじめました。いいつけられるわれわれの目方めかたひろえもんめやくさんじゅうななグラム)、いいつける団長だんちょうのめかたはひゃくもんめひゃくもんめわるじつもんめこたえじゅう仕事しごときゅうひゃく貫目かんめきゅうひゃく貫目かんめかけるじゅうこたえきゅうせん貫目かんめやくさんまんよんせんキロ)。
きゅうせんかんだよ。おい。みんな。」
団長だんちょうさん。さあこれからばんまでによんせんひゃく貫目かんめいしをひっぱってください。」
「さあ王様おうさま命令めいれいです。っぱってください。」
 今度こんどは、とのさまがえるは、だんだんいろがさめて、あめいろにすきとおって、そしてブルブルふるえてまいりました。
 あまがえるはみんなでとのさまがえるをかこんで、いしのあるところへつれてきました。そしていち貫目かんめばかりあるいしへ、つなをむすびつけて
「さあ、これをばんまでによんせんひゃくはこべばいいのです。」といいながらカイロ団長だんちょうかたつなのさきをっかけてやりました。団長だんちょうもやっと覚悟かくごがきまったとえて、っていたてつぼうげすてて、をちゃんときめて、いしはこんで方角ほうがくさだめましたがまだどうもほんとうにっぱるにはなりませんでした。そこであまがえるはこえをそろえてはやしてやりました。
「ヨウイト、ヨウイト、ヨウイト、ヨウイトシャ。」
 カイロ団長だんちょうは、はやしにつりこまれて、へんばかりあしをテクテクふんばってつなをっぱりましたが、いしはびくともうごきません。
 とのさまがえるはチクチクあせをながして、くちをあらんかぎりあけて、フウフウといきをしました。まったくあたりがみんなくらくらして、茶色ちゃいろえてしまったのです。
「ヨウイト、ヨウイト、ヨウイト、ヨウイトシャ。」
 とのさまがえるはまたよんへんばかりあしをふんばりましたが、おしまいのときはあしがキクッとってくにゃりとまがってしまいました。あまがえるはおもわずどっとわらいだしました。がどういうわけかそれからきゅうにしいんとなってしまいました。それはそれはしいんとしてしまいました。みなさん、このときのさびしいことといったらわたしはとてもくちではいえません。みなさんはおわかりですか。ドッといっしょにひとをあざけりわらってそれからにわかにしいんとなったときのこのさびしいことです。
 ところがちょうどそのとき、またもやあおぞらたかく、かたつむりのメガホーンのこえがひびきわたりました。
王様おうさまのあたらしいご命令めいれい王様おうさまのあたらしいご命令めいれい。すべてあらゆるいきものはみんなのいい、かあいそうなものである。けっしてにくんではならん。以上いじょう。」それからこえがまたむこうのほうへって「王様おうさまのあたらしいご命令めいれい。」とひびきわたっております。
 そこであまがえるは、みんなはしりよって、とのさまがえるにみずをやったり、まがったあしをなおしてやったり、とんとんせなかをたたいたりいたしました。
 とのさまがえるはホロホロ悔悟かいごのなみだをこぼして、
「ああ、みなさん、わたしがわるかったのです。わたしはもうあなたがたの団長だんちょうでもなんでもありません。わたしはやっぱりただのかえるです。あしたから仕立屋したてやをやります。」
 あまがえるは、みんなよろこんで、をパチパチたたきました。
 つぎから、あまがえるはもとのようにゆかいにやりはじめました。

宮沢みやざわ賢治けんじ「カイロ団長だんちょう」)


長文ちょうぶん 12.1しゅう
【1】「浅野あさのたちのチームはいまえている。」
 山口やまぐち先生せんせいこえ教室きょうしつひびわたった。今日きょうあさかいで、わたしたちDチームはみんなのまえでほめられた。わたしたちの学校がっこうでは、よん年生ねんせいになると女子じょしはミニバスケットのクラブ活動かつどうがあり、毎日まいにち放課後ほうかご体育館たいいくかん練習れんしゅうをしているのだ。
 【2】Dチームは、うえからよん番目ばんめのチームで、公式こうしき試合しあい(じあい)にはられない。練習れんしゅうときも、ゴールはなかなか使つかえず、パス練習れんしゅうおおい。Cチームをかして、自分じぶんたちがCチームになれば試合しあいられるのだがそのかべあつかった。
 【3】チームのにんのうち、さんにん
「どんなにがんばったって、試合しあいになんかられないし。」
先生せんせいもコーチも、A、Bチームばかりちかられているみたいだし。しかたがないけど。」
というかんじで、なんとなくやるない様子ようすだった。
 【4】キャプテンであるわたしと、ふくキャプテンのみちるちゃんは、なにとかがんばってCチームに昇格しょうかくしたいとおもっているけれど、チームワークがいまひとつなので、うまくいかないのだ。わたしたちにんしかないもあって、Eチームにじって練習れんしゅう試合しあい(じあい)をしたくらいだ。【5】わたしすこしあきらめかけていた。
 ところが、先月せんげつのことだ。みちるちゃんが、
「ねえ、このままじゃ、いつかEチームにもかされてしまうかも。がんばって、朝練あされんしない?」
した。みんな一瞬いっしゅん、えーっという迷惑めいわくそうなかおをした。
 【6】しかし、みちるちゃんはひるまず、つよ意志いしのこもったでみんなをつめ、
わたしたちだって、試合しあいたいよね?」
いかけた。わたしおもわず、おおきくうなずくと、さんにんもつられたようにくびをたてにふった。
 つぎから、さんじゅうぶん朝練あされんはじまった。【7】さんじゅうふんはやるのもじつ大変たいへんだ。とくあさよわわたしとふくちゃんは、あさごはんもそこそこに、かみがはねたままはしって登校とうこうするようなあわただしさだった。
朝練あされんまえにランニングしちゃうようなものだね。」
 だれもいない早朝そうちょう体育館たいいくかんは、すべてがわたしたちのものだ。【8】シュート練習れんしゅうおも存分ぞんぶんできるし、ドリブル練習れんしゅうなんほんもできる。こえひびくのでいやでもテンションががっていく。いちにちにして、わたしは、これはいけるかもしれないとおもった。なんだか昨日きのうまでのDチームではないみたいだ。
 【9】翌日よくじつからは、山口やまぐち先生せんせいがのぞきにた。あいさつだけすると、体育館たいいくかん入口いりくちだまってている。ふくちゃんのロングパスをりそこねたわたしに、先生せんせいころがったボールをひろうと、つよめのチェストパスでわたしてくれた。【0】

言葉ことばもり長文ちょうぶんちょうぶん作成さくせい委員いいんかい φふぁい


長文ちょうぶん 12.2しゅう
 【1】日本にっぽんおなしゃ左側ひだりがわ通行つうこうをしているくには、イギリスをはじめ、世界せかいやくさんぶんいちあります。のこりのさんぶんくには、ヨーロッパやアメリカのように右側みぎがわ通行つうこうをしています。
 【2】だい世界せかい大戦たいせん末期まっき沖縄おきなわ占領せんりょうしたアメリカは、沖縄おきなわでのくるま通行つうこうを、それまでの左側ひだりがわ通行つうこうから右側みぎがわ通行つうこうえました。その沖縄おきなわ日本にっぽん返還へんかんされましたが、返還へんかんされたあとも、沖縄おきなわではアメリカしき右側みぎがわ通行つうこうつづいていました。
 【3】しかし、返還へんかんからろくねんなながつさんにち右側みぎがわ通行つうこう左側ひだりがわ通行つうこうもどすためのだい変革へんかくおこなわれました。
 えは、まえよるから、すべてのくるまをストップさせておこなわれました。【4】すべてのくるまがストップしていたのはわずかはちあいだあいだでしたが、このあいだに、すべての道路どうろ標識ひょうしき表示ひょうじえられました。交通こうつう整理せいりなどのために、本土ほんどからもおおくの警察官けいさつかん手伝てつだいにかけつけました。
 【5】しかしここで、ひとつの問題もんだいがありました。普通ふつうくるまは、ハンドルがみぎでもひだりでも、道路どうろのどちらのがわでもはしることができますが、こまるのはいバスです。【6】なぜかというと、バスは、歩道ほどうがわ乗客じょうきゃくりするドアがついているので、あたらしい通行つうこう規則きそくしたがうと、このドアを車両しゃりょう反対はんたいがわにつけなければならなくなるのです。
 【7】そこで、沖縄おきなわ県内けんないにあったほぼいち〇〇〇だいものバスが、ほとんどあたらしくされることになりました。このために、日本にっぽん国内こくないのメーカーは総出そうでで、たくさんのバスを製造せいぞうしたのです。【8】このとき製造せいぞうされたバスは、「730しゃ」とばれています。この「730しゃ」は非常ひじょう頑丈がんじょうつくられていたため、かずすくなくなりましたが、いまでもはしっているものがあるそうです。
 【9】こうしておおくの人々ひとびと努力どりょくのかいあって、沖縄おきなわではたったいちばん右側みぎがわ通行つうこうから左側ひだりがわ通行つうこうへの変更へんこう無事ぶじおこなわれたのでした。【0】
 言葉ことばもり長文ちょうぶん作成さくせい委員いいんかい τたう


長文ちょうぶん 12.3しゅう
 【1】日本にっぽん大地だいちをおろしたいねは、たくさんのみのりをあげてくれました。たくさんとれれば倉庫そうこにたくわえ、保存ほぞんすることができました。
 人口じんこうもふえていきました。【2】すこしばかり異常いじょう気象きしょうがきても、もう以前いぜんのように、餓死がしするようなことは、すくなくなっていったからです。
 人口じんこうがふえれば、もっとおおぜいのちからをあわせることができました。いままでよりもおおきなかわから、みずくことができました。【3】もっとたくさん、水田すいでんをひらくことができました。すると、もっとたくさんおこめをつくることができました。
 倉庫そうこのたくわえも、どんどんふえていきました。
 【4】こうして、じゅうにんひとをやしなうのに、はちにん労働ろうどうでまにあうようになったとき、あとのふたりはおう貴族きぞくになることができました。宗教しゅうきょうになり、芸術げいじゅつになり、学者がくしゃ技術ぎじゅつしゃ医者いしゃになり、商人しょうにんになることができました。
 【5】余分よぶんのおべいがあれば、よそのむらでつくったべつの品物しなものと、こうかんすることもできました。べいづくりのための道具どうぐ、くわやすきや、道具どうぐをつくるためのてつなどと、こうかんすることもできました。ぬの着物きものとこうかんすることもできました。【6】かみいのりをささげるためのまがたまや、くびかざりや、その原料げんりょういしともこうかんすることができました。きむぎんどうなどのたからものや、動物どうぶつ毛皮けがわとも、こうかんすることができました。
 こめはこぶためのふね。そのふねともこうかんすることができました。
 【7】食糧しょくりょうがたくさんとれるということは、なんとすばらしいことでしょう。
 毎年まいとし毎年まいとしおなじように、つくれるということも、なんとありがたいことでしょう。
 そして、保存ほぞんできるということも、なんとたいせつなことでしょう。
 【8】文明ぶんめいというものは、このようにしてしだいしだいに発達はったつしていったのです。むら々も、しだいしだいにおおきくなっていったのです。
 「農業のうぎょう文明ぶんめいははである。」といわれています。それは、このような意味いみからです。
 【9】さて、べいづくりがさかんになるとたくわえのあるむらとそうでないむらとのができるようになりました。たくわえのあるおおきなむらがまずしいちいさなむらをのみこんで、よりおおきなむらになっていきました。戦争せんそうです。
 【0】べいづくりのためのみず。そのいのちのみずをもとめて、どれほどたくさんのみずあらそいが、くりひろげられたことでしょう。ゆたかな水源すいげんにいれたむらは、よりゆたかに、よりおおきくなることができました。
 佐賀さがけん吉野よしのさとよしのがり遺跡いせきからは、さった人骨じんこつや、あたまのないひとほねなどが出土しゅつどしています。みずをもとめて、きっとはげしい戦争せんそうがくりかえされたにちがいありません。
 こうして、ちからつよおおきなむらちからよわちいさなむらをのみこんで、よりおおきなむらになっていきました。おおきなむら々がやがてひとつになってちいさな王国おうこくになっていきました。
 ろく世紀せいきごろまでに日本にっぽんのあちこちに、そんなしょう王国おうこくがいくつもできるようになり、それはやがてひとつに統一とういつされて、「日本にっぽん」というくにがつくられていくのです。

 (富山とみやま和子かずこちょ「おべいきている」より)


長文ちょうぶん 12.4しゅう
 Kがのぼれるかぎりのたかいところまでのぼりついて、ほっとひといきついたとき、かんだかこえはなしあう水夫すいふたちのこえがしだいにちかづいてきた。
 Kはえだのしげみに、身体しんたいをかくすようにしてかれらのこえ注意ちゅういくばっていた。
 水夫すいふたちが、いえまえにあらわれた。
 水夫すいふたちは、声高こわだかにしゃべりあっていた。
 ひとりの黒人こくじんが、くちがあいているのを発見はっけんして、ゆびをさしながら大声おおごえ仲間なかまげていた。
 水夫すいふたちは雨戸あまどをたたいたり、交互こうごくちからなかをのぞいたりした。しかし、だれ一人ひとりとしていちなかにゅうろうとするものはいなかった。
 Kはそれをて、かれらが悪者わるものでないことをしんかんじとった。
 いえなかから、なん返事へんじもないので、水夫すいふたちはすごすごと通路つうろにひきかえし、また、つぎのいえへおしかけていこうとした。
 水夫すいふ一群いちぐんなかで、いちばん最後さいごに、入口いりくちをのぞいたおとこ榕樹ようじゅしたとおりすぎようとしてあしをとめた。そのおとこはズックせいのからバケツをさげていた。ほかの水夫すいふたちよりすこねんをとった白人はくじんであった。かれはズックのバケツをしたにおき、ポケットからしわくちゃのハンカチをひっぱりだして、かおや、くびや、シャツからはだけたむねや、うであせをふいた。オールのようにふとうでやけして、金色きんいろがいっぱいにえていた。この水夫すいふ榕樹ようじゅのかげですこすずんでいくつもりらしかった。
 あんのじょう、かれ煙草たばこをとりだしてをつけた。
 Kはいきをのんで、つめていた。
 おとこは、煙草たばこをうまそうに、ひとくちすいこむと、ふいにうえいて、榕樹ようじゅながめまわした。
 Kがあわてたしゅんかん、っていたえだがゆれて、が、かすかではあるが、おとをたてた。
 Kと西洋せいようじん水夫すいふは、視線しせんをあわせてしまっていた。
 水夫すいふは、両手りょうてをさしのべて、Kをうけとめてやろうというようなしぐさをした。そしてにはやさしいわらいをかべていた。
 Kは決心けっしんをして、そろそろおりはじめた。
 おりている途中とちゅう西洋せいようじんなに一言いちげん二言にごんいった。きっと、「をつけなさい」といってくれているのにちがいなかった。
 Kは地面じめんにおりたって、きまりわるそうなかおをしていると、船員せんいんはほほえみながら、をさしだした。うでには金色きんいろえている。
 おとこは、ズックのバケツをゆびさして、なにはなした。
 Kは、言葉ことばにはわからなかったが、みずをほしがっているのだということにがついた。
 Kは、バケツをって井戸いどばたへ案内あんないした。
 そのおとこは、大声おおごえして仲間なかまあつめた。水夫すいふたちはさわぎながら、ひきかえしてきた。かれらは、おおげさすぎるほどの表情ひょうじょうよろこびの気持きもちをあらわしていた。
 Kがつるべでみずをくもうとすると、水夫すいふたちは、いっしょに手伝てつだって、いきおいよくくみあげた。そしてズックのバケツにいれて、かわるがわるうまのようにみずんだ。なにべんもつるべでくみあげて、全員ぜんいんがたっぷりとみずんでから、バケツにみずたしてひきあげた。かえりぎわに、Kはもう一度いちどすこねんをとった水夫すいふ握手あくしゅした。
 エビアごう船員せんいんたちは、さん週間しゅうかんほどたって、むらから姿すがたした。
 Kは最初さいしょ夕方ゆうがた、エビアごう以来いらいうつくしい帆船はんせんはんせん姿すがた二度にどわすれることはできなかった。

庄野しょうの英二えいじしろ帆船はんせんはんせん」)