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課題集
長文 1.1週
【1】
初めて
金槌で
釘を
打ったのは、
小学校にあがったばかりのころだった。
狙ったところになかなか
打てなくて、
釘が
曲がった。
兄が、「
貸してごらん」と
言って
金槌を
取り、
曲がった
釘を
伸ばしてから
数回釘の
頭を
打つと、スコン、スコンという
小気味よい
音がして
釘は
見事に
板に
埋め
込まれた。【2】
釘を
打つという
一見単純な
動作に
見えることにも、
技の
熟練度が
深く
関わっている。こんな
体験から、
私は
次第に
自分で
釘を
打ったり、のこぎりで
板を
切ったりすることが
好きになった。しかし、
気分が
乗らないときは、
釘の
頭ではなく
指を
打つことがある。【3】そのかわり、
明るい
気持ちで
打つと、きれいに
釘の
頭に
命中する。このことは、
物に
限らず、
人との
関係にもまた
当てはまるのではないか。
私たちは、
自分以外の
世界と
対話することによって
自分自身を
形成していくのだろう。
【4】では、その
対話を
充実させるためには、
何が
必要なのだろうか。
第一は、いつも
自分の
手足を
使ってみるように
心がけることだ。
水泳の
練習は、
畳の
上ではできない。まず、
水に
入って
手足を
動かすことから
始めなければならない。【5】
見るだけ
聞くだけの
学び
方は、
一見能率がよいように
見える。しかし、
自分の
体験を
通して
学んでないことには、
確実性が
不足している。
例えば、うちひしがれている
誰かに
声をかけてあげられるのは、
自分もやはり
同じようにうちひしがれた
経験を
持つ
人だけだろう。
【6】
第二には、そのような
対話を
可能にする
社会の
仕組み
作りだ。リアルな
対話の
反対側にあるのは、インターネットに
代表されるバーチャルな
対話である。バーチャルな
対話を
支えているものは、グローバルで
不特定な
世界だ。【7】リアルな
対話とは、ローカルで
顔の
見える
個人によって
担われる。
例えば、
地域のお
祭りなどがそうだ。そのリアルなつながりを、お
祭りのような
限られた
行事としてだけではなく、
日常的な
経済活動として
行うことが
地域での
人と
人とのつながりを
回復する。【8】その
地域で
生産されたものを、その
土地の
人が
消費する。そういう
世界を
通して、
人と
人とのつながりも、
人と
物とのつながりも
再構築されるはずだ。
【9】
確かに、
対話には
時間がかかることも
多い。
釘の
打ち
方を
人間が
気長に
学ぶよりも、
機械に
任せてしまった
方が
能率は、はるかによい。
対話を
通して
政策を
決めようとすれば、
利害の
対立から
何も
決断できなくなることもある。【0】しかし、
人間が
生きているのは
合理性のためではなく、
人間らしい
生き
方をするためである。
対話とは
何かのための
手段ではなく、それ
自体が
一つの
目的であると
考えるとき、
真に
物と
人との
対話のある
社会が
生まれるのではないだろうか。
(
言葉の
森長文作成委員会 Σ)
長文 1.2週
【1】
私が、
文章を
書くことでやっと
生活出来るようになった
頃、
言葉遣いについて
時折注意して
下さる
二、
三の
先輩があった。
多忙な
方達であるから、
私の
文章など
目にとまる
機会はなくても
当然、もしも
目にとまれば、それだけ
僥倖というものだと
思っていた。
【2】
一夕、
外で
集まりがあった。
ウイスキーグラスを
手にして
近くに
立っていられた、
先輩のある
男性作家に
名前を
呼ばれた。この
間、
偶然、
新幹線の
中であなたのもの
読んだよ。おもしろかった。ただ、あれはちょっとおかしいんじゃないかなあ、と
言って、ある
用語のことを
指摘された。
【3】また、
女性のある
先輩作家は、
用件の
電話を
下さった
折、
話が
終わってから、そうそう
言わないでもいいことかもしれないけれど、あの
文章のあそこのところで、ああ
書いていられたのには、わたくし、ちょっとひっかかったんですよ。【4】あの
言葉は、
私ならこういう
時に
使うんです。でもきっと、お
考えがあってのことだと
思いますからお
気になさらないでね。
若い
間は
自惚れが
強い。
我も
強い。
それでも、いずれ
劣らぬ
大先輩の
言葉なので
衝撃は
強かった。【5】
風呂敷で
頸から
上をすっぽり
包んでしまいたい
気持ちになったのは、かなり
時が
経ってからだった。
読んでいて
下さったからこそのご
注意である。
知らん
顔されていてもすむ。それにお
二方とも
注意だけでなくほめ
言葉も
下さった。【6】
大安売りのほめ
言葉だったに
違いないが、あそこがいけないというだけの
注意ではなかった。
酔いのまぎれにというかたちの
気遣いもあとになって
分かった。
何事に
対しても、
己れの
限界の
自覚を
失った
時にはもう、
書き
手としての
終わりのない
堕落が
始まっているのだろうとつくづく
思うようになった。【7】けれども
文章は
又、
決して
謙虚な
気持ちだけで
書けるものでもない。
勢い、が
必要である。
四苦八苦で
筆が
渋滞している
時ではなく、
憑かれたような
状態になってはじめて
筆を
運ばされる
時のことを
考えると、これは
無意識の
自惚れというほかはない。
【8】
反省と、
訓練、
謙虚さと、
自惚れ、そのどれが
欠けてもいけないと
思うのはこの
期に
及んでの
認識で、
経験の
浅いうちはどうしても
自惚れが
先行する。そういう
者に
対して、あえて
苦言を
呈し、
叱って
下さった
方々をかえりみて
有難く
思う
気持ちは
強くなるばかりである。
【9】
所詮は
孤独な
仕事、
好きなようにやればいいさというのも
一つの
生き
方であろう。しかし、
気づいたことは、
自分達の
責任において
叱っておいてやらなければ、と
思って
下さったのかどうか、とにかく
私は、この
種のご
注意に
対して、
今は
感謝だけでなく、
生き
方に
対しても
敬意を
抱くようになっている。
【0】
私どもは、
日頃いとも
気易く
日本語、
日本語と
言っているが、さてその
成り
立ちを
辿ってみると、
口ごもりたくなるようなことが
少なくない。
厄介な、
複雑な
成り
立ちの
歴史をもっているのが、
毎日使っている、
他のどこの
国の
言葉でもない
日本の
国の
言葉である。
その
言葉を、
出来るだけいい
加減にではなく
運用しようというのは、
出来るだけいい
加減にではなく
物を
見よう、
物と
自分とを
関係づけようという
生き
方のあらわれにほかならず、そうであればこそ
言葉遣いに
対する
注意は、
先に
生きた
大人がまず
子供に
対して
行うべき
大切な
義務の
一つかと
思う。
教師が
生徒に
対する
以前に、
親が
子に
対して。ということは、
日常の
言葉遣いをまだよくは
知らない
者に
対しては、
知っている
者が
教えるのが
至当だと
思うからで、
知らない
者はほうっておいて、
自分で
知るようになるまで
待つというのは、
事によっては
通用するかもしれないけれど、
怠惰の
正当化にもなりかねない。
大学生くらいになると、
事情は
大分違ってくるが、「
怒る」
先生と、「
叱る」
先生を、
子供は
存外鋭く
見抜くものである。こと
小学校、
中学校、
高等学校の
国語教育に
関しては、
自覚と
誇りをもって「
叱る」
先生は、
多くてもいいと
私は
思う。
生徒を
怒るのはいたって
簡単だが、
日常の
言葉遣いについて、はっきりした
自覚と
誇りをもって
生徒を
叱るために、
教師自身の
言語生活の
訓練と
充実が
前提になる。
教師の
知識だけに
頼っていても、
教師の
言語感覚、
言葉遣いの
好みだけに
頼っていてもいけないのが
国語教育のはずだから、
叱る
以上は、
教師にも
覚悟がいる。
表現の
自由が
認められている
国は
有難い。けれども、
本当の
自由の
行使が
出来るのは、
不自由を
経験している
者だろう。
自由を
知らない
者には、
自由を
知っている
者が
教える
義務はないのか。
教えられて
学ぶことの
大事を、
教師はこれまた、
自覚と
誇りをもって
教えていいのではないか。
教師と
生徒が、
友達のような
関係だけでは
困る。
まともに
人格もそなわっていないうちから、ひとかどの
人格扱いをするのが
果たしていいことなのかどうか、
責任回避の
人格尊重や
放任は
考えものである。
一人の
人間を
駄目にしてしまうのはわけのないことだ。
好きなものを
食べたいだけ
食べさせ、
眠りたいだけ
眠らせる
生活を
続けさせていればよいと
言った
人がいる。
国を
亡ぼすのは
武力だけではない。
教育の
大事ということを
切実に
思う
機会が
増えている。
数日前の
新聞の
投書欄に、「
手抜きのつけ」という
見出しがあった。
一見しただけで、
忸怩たるものをおぼえた。
内容は
読んでいないのに、
思い
当たることはあまりに
多かった。
今の
若い
者は、と
言う
前に、そんな
若い
者に
誰がした、という
声を
聞かなければならないと
思った。い
逃れや
他人の
批判ですまされるうちはいい。
大きな
変化は、ある
日突然には
起こらないようである。
(
竹西寛子『
朝の
公園』による)
長文 1.3週
【1】
庭は
原始社会では、
集団全体の
広場でした。
屋内ではいこい、
庭では
活動的な
共同生活がいとなまれたのです。
多くは
部落の
中央にあり、
宗教的儀式、
政治の
集会がおこなわれ、また
生活の
場所でもありました。【2】――
狩猟時代には
呪術の
踊りにわき、
戦いにむかう
精鋭が
勢ぞろいし、
農耕社会では、
収穫処理の
作業場所であり、また
家畜の
遊び
場でもありました。やがて
物々交換がさかんになると、そのための
市場にもなった。それはあらゆる
生活の
幅をふくめた、
集団社会の
共通の
広場でした。
【3】しかし、やがて
歴史がすすみ、
階級制度があらわれはじめると、
権力者占有の
庭が
出現します。ここでは、
貴族たちがあつまって、
政事、
儀式をとりおこない、
遊戯し、スポーツをたのしみ、もよおしものなどを
観賞しました。【4】すでに
一般庶民には
閉ざされたものです。ふつうわれわれが
考える「
庭園」は、この
段階からはじまると
言っていいでしょう。
わが
国では、
平安朝の
寝殿南面の
庭園というのは、このような
性格を
持っていました。【5】このころには
寝殿からながめる
美観として、
池を
掘り、
中の
島をきずき、
石を
組み、
滝をおとしたりして
遠景をととのえました。
やがて
歴史がくだるにつれて、
禅宗の
影響などもあり、
庭園はしだいにしずかにながめるというだけのものにかわってゆきます。【6】すでに
政治や
競技の
広場ではなく、
活動的な
生活よりも、
幽邃な
環境にかこまれて
沈思瞑想するという、
俗を
離れた
精神的な
別世界をつくりあげたのです。こうなってくると、
庭園はひどく
観念的・
趣味的になります。【7】そして、ようやく
公共性をうしないはじめてくる。
室町時代からの
庭は、ほとんどそういう
性格を
持ってきます。
形式はおどろくほど
巧みに、
複雑になって、
一つの
完成をしめしました。【8】
伝統的技術は
確立され、
今日「
日本庭園」といえば、まずこの
時代の
形式、あるいはその
亜流以外は
考えられないほど、
以後の
造園術、そして
審美感を
決定しています。ながい
人間の
歴史から
見れば、これはかなり
特別な、
時代的なゆがみのはずなのですが。
【9】
徳川期に、めざましく
勃興した
富裕な
町人階級がこれを
受けつぎました。
町なかの、
土蔵や
屋敷が
立ちならぶなかに
庭を
取りいれたのです。この
風習は、やがて、
時代とともに、ついに
棟割長屋の
庶民階級にまでしみとおってゆきました。
【0】めいめいが
自分だけの
庭をもつ。しかも、
凝れば
凝るほど、
建物や
塀の
奥にかくして、
外からはかいまみることもできないようにしてしまう。――アメリカあたりの
典型的な
市民住宅が
道路に
面した
前面に
庭をもち、そこはプライヴェートなものであると
同時に
街路の
延長であり、
公園的な
役割をはたしているという
近代性と、これはまことに
対照的です。どんな
小さいものでも、
自分の
領分だけを
嫉妬ぶかくまもるという
封建性が、
象徴的にここに
確立されてきたのです。
このように、まったく
公共性のない
趣味にとじこもることによって、かつて
見られた
庭園の
美的な
高さ、きびしさ、
純粋さをうしない、
卑小な
芸に
堕してゆきました。(
中略)
構想の
雄大さとか
生活の
幅というものはなく、かといって、
階級自体の
表情とか
意欲というものもそこには
見られません。たんに
生活の
虚栄的なアクセサリーになりさがっている。これが
庭として、けっして
本来の
意味ではないことはたしかです。
日本の
庭がこういう
封建的な
伝統をつづけて
固定したのにたいして、はやくから
近代化した
西洋では、
一般市民は
高層の
集団住宅に
住み、
貴族の
豪壮な
庭園を
開放して、
公園として
共同の
庭を
設備しました。たとえば、パリのルュクサンブールの
庭は、かつては
宮殿に
付属していた
典型的なフランス
式庭園ですが、
今日では
広大な
自然の
中であらゆる
層の
人たちがそれぞれに
楽しく
利用しています。
各種のスポーツはもちろん、
学生はノートをひろげ、
静かな
木かげでは、
若い
男女が
恋をささやいている。
子供たちは
縄とびや、ボール
投げをして
遊び、
夫人たちはそのわきで
編物に
余念がない。
老人は
日向ぼっこをしながらベンチで
新聞を
読んでいます。
午後のひとときには、
音楽堂からのメロディーが
庭いっぱいに
流れるのです。
われわれが
考える
公園はとかく
道路の
延長といった
感じですが、これは
親しいみんなの
庭です。そこに
集まってくる
者だれでもの
領分であり、
生活の
延長、ひろがりなのです。
今日、もっとも
進んだ
建築家や
都市計画者は「
庭」を
再発見し、
現代生活にふさわしい
機能的な
共同の
広場として
新しく
設計しようとしています。それこそ
人間社会における
庭本来の
正しい
意味をとりもどすことなのです。
私はこれからの
庭、
市民生活における
理想的な
空間は、
公共的であると
同時にプライヴェートであり、
運動的であるとともに
休息的、しかもきわめて
芸術的であるべきだと
思います。
庭園は、それ
自体が
造形される
空間です。
建造物であり、
彫刻であり、また
音響の
遊びもあります。
眺めると
同時に
触れるものであり、
静止していると
同時にきわめて
動的な
相貌をもおびる。
自然であり、また
反自然でもあるのです。さらにその
中にあらゆる
芸術を
総合して
取りいれることができます。
絵を
置き、
彫刻をあしらう。
歌い、
舞う、
可能的な
芸術空間です。
そういう
本当の
庭、そしてそのあり
方について、ここでは
展開するつもりはないのですが、しかしこの
根本的なポイントだけは、しっかりとつかんでおきたい。そういう
現代的な
気がまえをとおして
名園を
観察し、
批判しなければなりません。でないと
古い
伝統芸術がひとしく
持っているせまい
趣味性、その
魔術につい
引っかかり、
庭園にメスを
入れたつもりで、
逆にその
時代色の
中にふみまよってしまうことになりかねないからです。
(
岡本太郎『
日本の
伝統』による。)
長文 1.4週
アイヌの
世界観において
驚くべきことは、
動物も
植物も
天の
世界ではすべて
人間の
形をして、
家族生活を
営んでいると
考えられていることである。その
天の
世界では、われわれと
同じ
人間である
動物や
植物がこの
世界に
現れるときには、ハヨクベ
即ち
仮装をつけて
現れるというのである。
何のために
仮装をつけて
現れるのか。それは
人間の
世界にミヤンゲ
即ち
土産を
持ったマラプト
即ち
客人として
訪れるためである。つまり、アイヌにとって、
熊も
木もすべて
人間と
同じものであるが、
彼らはその
身をわれわれに
提供するためにこの
世に
仮装をつけて
出現するというわけである。
アイヌの
社会で
最も
重要な
祭りであるイヨマンテ、
即ち
熊送りの
儀式は、このような
客人の
携えた
土産をいただき、その
代わりその
霊を
無事天に
送り
届ける
宗教的儀式なのである。アイヌは
子熊が
捕れると、それを
大事に
育て、その
身が
美味しくなる
秋頃に
子熊を
殺す。この
殺し
方もまたすべて
決められた
礼に
従って
行わねばならぬが、この
儀式の
中心はやはり
殺した
熊の
霊を
天に
送ることにある。それがイヨマンテ、イ(それ)をオマンテ(
送る)
儀式なのである。
殺された
熊の
頭を
祭壇に
祀り、そこに
日本のゴヘイにあたるイノウ
即ちケズリカケを
立て、そこに、
熊に
人間からのミヤンゲとしてドングリや
穀物や
魚や
酒を
供え、それを
持たして、おそらく
鳥のイメージであるにちがいないイノウに
乗せて
熊の
霊を
天に
送るのである。こうして
丁重にもてなされた
熊が
人間にもらった
土産を
天に
持ち
帰ると、その
土産は
数十倍になり、それをもって
宴会を
開くと
天にいる
熊たちは
寄ってきて、
天に
帰った
熊から、
人間に
大切にもてなされ
無事天に
送り
返された
話を
聞き、それでは
自分も
行ってみようと
思うというのである。そして
翌年は
多くの
熊が
生まれて、
豊猟であるということになる。
熊ばかりか、すべての
動物、
草木すらここでは
神であり、
天の
世界では
人間の
形をとって
生活しているのである。それゆえすべての
動植物、
特に
人間によって
殺され
食用にされるものは
人間と
同じく
丁重に
葬られ、
無事に
天へ
送り
届けられなければならないのである。
このような
世界観をわれわれはどのように
考えたらいいのであろうか。もとよりこれらの
思想が
全体としてそのまま
真理であると
私は
主張しようとは
思わない。もしも
熊に「あなたは
土産を
持ってこの
世界に
訪れた
客人なのですか」と
尋ねたら、
熊はきっと「ノー」と
答えるにちがいない。それはあまりに
人間の
勝手な
考え
方だと
熊は
抗議するにちがいないが、しかし
私は
キリスト教の
考える、
神は
山や
川やすべての
動植物をこしらえた
後に、
最後に
人間をつくり、
人間に
神と
同じ
理性を
与えた、それゆえ、
人間はすべての
動植物を
支配する
権利を
持つ、という
思想よりはるかに
勝手な
考え
方ではないと
思う。なぜなら、
人間がすべての
動植物を
支配し、
殺害することのできる
権利を
神によって
与えられているというのでは、
人間は
動植物を
殺してもいささかも
良心の
呵責を
感じないであろう。この
考え
方は
熊は
本来、
人間と
同じものであり、したがってわれわれはこの
客人の
好意に
従って
客人を
殺した
場合、
必ずその
霊を
天に
送らねばならないという
考え
方とはかなりな
差がある。
前者は
本質的に
人間と
動物の
差別の
上に
立つ
世界観であるが、
後者は
人間と
動物とを
本来同一とみる
世界観なのである。
人類は
長い
狩猟採集生活の
末に、
動物の
殺害を
合理化する
哲学を
考えたにちがいないのである。おそらく
動物の
殺害は
不快感を
伴ったにちがいない。その
不快感を
除去し、
動物の
殺害と
食肉を
合理化する
哲学として、
彼らは、
動物は
土産を
持って
人間社会に
現れた
客人であるという
神話を
考え
出したのであろう。このような
神話は
動物の
殺害や
植物の
採伐を
最小限度にとどめることになろう。
彼らは
動植物に「
私が
生きていくためには、あなたの
身が
必要なのです。どうかあなたの
命を
下さい」と
言わないと、
動植物を
殺すことができないのである。アイヌ
語で「ありがとう」という
言葉は、「ヤイライゲ」というが、「ヤイライゲ」というのは、
私を
殺してくれという
意味である。この
狩猟採集時代の
厳しい
自然環境のなかでの
最も
強い
感謝の
表現は、
私を
殺して
私の
肉を
食ってくれという
言葉なのである。 (
梅原猛『
伝統と
創造』による)
長文 2.1週
【
二番目の
長文が
課題の
長文です。】
【1】
手に
触れるものをすべて
金にしてほしい。そう
願った
王様は、
食べるものも、
着るものも、すべて
金にしてしまい、やがて
最愛の
娘までも
金にしてしまう。ギリシャ
神話に
出てくるミダス
王の
話である。【2】
豊かな
社会を
追い
求めてきた
人類の
歴史も、このミダス
王に
何か
似ていないだろうか。
強い
国を
願って
作られた
核兵器は、
相手を
滅ぼすばかりか、
地球をも
滅ぼすようになった。
豊かな
資金運用を
願って
作られた
金融工学は、その
資金の
何倍もの
返せない
借金を
生み
出した。【3】そしてまた、
豊かな
社会を
作るための
経済活動の
発展は、
環境破壊という
人類にとっての
新たな
貧困を
生み
出している。
私たちは、
量を
追い
求めるあまり、
制御することの
大切さを
忘れているのではないか。
【4】その
原因は、
第一に、
世界の
戦後の
歴史が、
不足からの
自由という
観念につき
動かされてきたからだ。
昔話に
出てくる
意地悪なおばあさんは、
必ず
大きい
箱をもらう。しかし、
大きい
箱に
入っているのはガラクタであり、
本当の
宝物は
小さい
箱に
入っている。【5】これは、
昔の
人たちが、
大事なのは
大きさではないということを、よりよく
生きるための
知恵として
身につけていた
証拠ではないだろうか。
不足から
過剰へと
一直線に
進んできた
私たちの
生活も、
今一度先人たちの
知恵に
立ちかえって
見直す
必要がある。
【6】
第二の
原因は、
量の
拡大を
求める
心理には、
必ず
競い
合う
他者がいるということである。
国と
国との
関係で
言えば、どの
国のGDPが
世界で
第何位かということが、さも
重要なことであるかのように
論じられることが
多い。
大事なことは、GDPの
額ではなく、その
国に
住む
人が
自分たちの
生活をどのくらい
幸福と
感じているかどうかであるはずなのにである。【7】
飽食のニワトリの
群れに
飢えたニワトリを
入れると、その
飢えたニワトリにつられてすべてのニワトリが
再びえさを
食べ
出すという。
基準を
自分の
中に
持たず、
他者との
比較の
中に
見る
私たちも、このニワトリたちと
変わらないのではないだろうか。
【8】
確かに、
世界にはまだ
貧困に
苦しむ
国も
多い。
量の
問題は、
人類全体として
考えれば、まだ
解決されていない
課題だと
考える
人もいるだろう。しかし、その
貧困でさえ、
原因のほとんどは
政治の
貧困であって
量の
貧困ではないのである。【9】
科学者は、
長い
間量の
問題に
取り
組んできた。しかし、これから
求められるのは
制御の
問題である。
手に
触れるものが
金になるのは
素晴らしいことだ。しかし、そのためには、あるものは
金にして、あるものは
金にしないという
制御を
自分自身でできなければならない。【0】
制御の
問題が
解決されたとき、
初めて
人類は、
金と、おいしい
食事と、
最愛の
娘とが
両立する、
真に
豊かな
社会を
作り
出すことができるのである。
(
言葉の
森長文作成委員会 Σ)
【1】ある
書物がよい
書物であるか、そうでないかを
判断するために、
普通私たちがやっていることは
誰でも
類似している。
自分が
比較的得意な
項目、
自分が
体験などを
総合してよく
考えたこと、あるいは
切実に
思い
患っていること、などについて、その
書物がどう
書いているかを、
拾って
読んでみればよい。【2】よい
書物であれば、きっとそういうことについて、よい
記述がしてあるから、
大体その
箇所で、
書物の
全体を
占ってもそれほど
見当が
外れることはない。
だが、
自分の
知識にも、
体験にも、まったくかかわりのない
書物に
行きあたったときは、どう
判断すればよいのだろうか。【3】それは、たぶん、
書物に
含まれている
世界によって
決められる。
優れた
書物には、どんな
分野のものであっても
小さな
世界がある。その
世界は
書き
手の
持っている
世界の
縮尺のようなものである。【4】この
縮尺には
書き
手が
通りすぎてきた「
山」や「
谷」や、
宿泊した「
土地」や、
出会った
人や
思い
患った
痕跡などが、すべて
豆粒のように
小さくなって
籠められている。どんな
拡大鏡にかけてもこの「
山」や「
谷」や「
土地」や「
人」は
目には
見えないかもしれない。そう、
事実それは
見えない。
見えない
世界が
含まれているかどうかを、どうやって
知ることができるのだろうか。
【5】もしひとつの
書物を
読んで、
読み
手を
引きずり、また
休ませ、
立ち
止まって
空想させ、また
考え
込ませ、
要するにここは
文字のひと
続きのように
見えても、
実は
広場みたいなところだなと
感じさせるものがあったら、それは
小さな
世界だと
考えてよいのではないか。【6】この
小さな
世界は、
知識にも
体験にも
理念にもかかわりがない。
書き
手が
幾度も
反復して
立ち
止まり、また
戻り、また
歩き
出し、そして
思い
患った
場所なのだ。
彼は、そういう
小さな
世界をつくり
出すために、
長い
年月を
棒にふった。【7】
棒にふるだけの
価値があるかどうかもわからずに、どうしようもなく
棒にふってしまった。そこには
書き
手以外の
人の
影も、
隣人もいなかった。また、どういう
道もついていなかった。
行きつ
戻りつしたために、そこだけが
踏み
固められて
広場のようになってしまった。【8】
実際は
広場というようなものではなく、ただの
踏み
溜りでしかないほど
小さな
場所で、そこから
先に
道がついているわけでもない。たぶん、
書き
手ひとりがやっと
腰を
下ろせるくらいの
小さな
場所にしかすぎない。【9】けれどもそれは
世界なのだ。そういう
場所に
行きあたった
読み
手は、ひとつひとつの
言葉、
何行かの
文章にわからないところがあっても、
書き
手をつかまえたことになるのだ。
私は、なぜ
文章を
書くようになったかを
考えてみる。【0】
心の
中に
奇怪な
観念が
横行してどうしようもなく
持て
余していた
少年の
晩期のころ、しゃべることがどうしても
他者に
通じないという
感じに
悩まされた。この
思いは、
極端になるばかりであった。この
感じは
外にもあらわれるようになった。
父親は、お
前このごろ
覇気がなくなったと
言うようになった。
過剰な
観念をどう
扱ってよいかわからず、しゃべることは、
自分をあらわしえないということに
思い
患っていたので、
覇気がなくなったのは
当然であった。われながら
青年になりかかるころの
素直な
言動がないことを
認めざるをえなかった。
今思えば、「
若さ」というものは、まさしくそういうことなのだ。
他者にすぐわかるように
外に
出せる
覇気など、どうせ、たいした
覇気ではない、と
断言できるが、そのとき、そう
言いきるだけの
自信はなかった。そうして、しゃべることへの
不信から、
書くことを
覚えるようになった。それは
同時に
読むようになったことを
意味している。
私の
読書は、
出発点で
何に
向かって
読んだのだろうか。たぶん
自分自身を
探しに
出かけるというモチーフで
読みはじめたのである。
自分の
思い
患っていることを
代弁してくれていて、しかも、
自分の
同類のようなものを
探しあてたいという
願望でいっぱいであった。すると
書物の
中に、あるときは
登場人物として、あるときは
書き
手として、
同類がたくさんいたのである。
自分の
周囲を
見わたしても、
同類はまったくいないように
思われたのに、
書物の
中では、たくさん
同類がみつけられた。そこで、
書物を
読むことに
病みつきになった。
深入りするにつれて、
読書の
毒は
全身を
冒しはじめた、と
今でも
思っている。
ところで、そういうある
時期に、
私はふと
気がついた。
自分の
周囲には、あまり
自分の
同類はみつからないのに、
書物の
中にはたくさんの
同類がみつけられるというのはなぜだろうか。ひとつの
答えは
書物の
書き
手になった
人間は、
自分と
同じように
周囲に
同類はみつからず、また、しゃべることでは
他者に
通じないという
思いに
悩まされた
人たちではないのだろうか、ということである。もうひとつの
答えは、
自分の
周囲にいる
人たちもみな、
実はしゃべることでは
他者と
疎通しないという
思いに
悩まされているのではないか。ただ、
外からはそう
見えないだけではないのか、ということである。
後者の
答えに
思いいたったとき、
私は、はっとした。
私もまた、
周囲の
人たちから
見ると
思いの
通じない
人間に
見えているにちがいない。うかつにも、
私は、この
時期に
初めて、
自分の
姿を
自分の
外で
見るとどう
見えるか、を
知った。
私は
私がわかったと
思った。もっとおおげさに
言うと、
人間がわかったような
気がした。もちろん、
前者の
答えも
幾分かの
度合で
真実であるにちがいない。しかし、
後者の
答えの
方が
私は
好きであった。
目から
鱗が
落ちるような
体験であった。
私は、
文章を
書くことを
専門とするようになってからも、できるだけそういう
人たちだけの
世界に
近づかないようにしてきた。つまり、
後者の
答えを
胸の
奥の
戒律としてきた。もし、
私が
書き
手として
少しましなところがあるとすれば、
私が
本当に
畏れている
人たちが、
他の
書き
手ではなく、
後者の
答えによって
発見した、
自分を
自分の
外で
見るときの
自分の
凡庸さに
映った
人たちであることだけに
基づいている。
(
吉本隆明『
詩的乾坤』による)
長文 2.2週
【1】
私たちは
旅、
未知と
偶然の
要素を
多く
含んだ
旅に
出るとき、どこかへ
行きたいとか、なにかを
調べたいとかなどといった、なんらかの
意味で
目的をもった
自分の
意思とは
別に、
一種のあやしい
胸のときめきを
感じる。【2】それは
一抹の
不安をまじえた
心の
華やぎであり、それによって
旅への
出立というものに、
独特の
感情の
色づけがなされる。「いい
日旅立ち」などという
国鉄の
広告もあったが――
多分これは「
思い
立ったが
吉日」という
昔からある
諺にヒントをえたものであろう――【3】
旅への
出立がすぐれて
演劇性あるいは
祝祭性をもちうるのは、そのような
感情の
色づけのためであろう。
旅立ちの
場所である
駅やプラット・フォームや
空港が
現代生活のなかでは
珍しく
濃密な
意味場を
形づくり、そこに
毎日多くの
小さな――ときには
大きな――ドラマや
祝祭が
見られるのは、
誰でもよく
知っているところだ。
【4】
旅立ちに
際したときのこのような
心の
不思議な
在り
様を
巧みに
捉えて、
私たちの
先人の
一人は、
次のように
書いた。「
春立てる
霞の
空に、
白河の
関こえんと、そぞろ
神の
物につきて
心をくるはせ、
道祖神のまねきにあひて
取るもの
手につかず、
云々」(
松尾芭蕉『おくのほそ
道』)【5】あまりにも
有名な
文章であるが、この「そぞろ
神の
物につきて
心をくるはせ、
道祖神のまねきにあひて」(そぞろ
神が
物=
霊にとり
憑いたためもの
狂わしくなり、
道祖神にさそわれて)ということばには、
旅が
日常性をこえた
異次元への
飛翔ともいうべき
側面をもっていることがよく
示されている。(
中略)
【6】
日常の
惰性的な
生活のなかで
閉ざされた
私たちの
心を、
旅は
開かれた、
予感にみちたものにする。と
同時にそれだけ、
旅において
私たちは
行くさきざきの
不安にも
敏感になる。その
点についても
芭蕉は
見落していない。【7】「
前途三千里のおもひ
胸にふさがりて、
幻のちまたに
離別の
泪をそそぐ。
行春や
鳥啼き
魚の
目は
泪、
云々。」ことで「
幻のちまた」とは「
俗ニ
夢ノ
世ト
云ガ如ク、
人生ノハカナキヲ
喩フ」と
注釈本(『
奥細道管菰抄』)にある。【8】ふだんの
安穏無事な
生活のなかでよりも、ひとは
旅に
際してわが
身を
見つめるようになるのである。いまでは
旅に
際しての
別離も
昔ほど
深刻なものではなくなったけれど、それでもそこにはひそかに
私たちを
脅かすものがある。
【9】
旅は
私たちの
心を
開かれた
予感にみちたものにする、といった。しかしそれは、
旅に
出かけるとき、
旅立ちに
際してだけのことではなくて、およそ
旅をしているかぎり、いつでもいえることである。【0】これは
誰でも
経験していることだけれど、
旅先で
見たものや
聞いたものは、しばしば
私たちに
新鮮なおどろきを
与え、
旅先で
出会った
出来事はしばしば
私たちにつよい
感動を
与える。
旅に
出るとひとは
誰でも「
芸術家」になり「
詩人」になるといわれるのも、そのことを
指している。
この
場合「
芸術家」になり「
詩人」になるというのは、なにか
特別な
力を
新しく
手に
入れることではないだろう。それはむしろ、
人間がもともと
持っているいきいきとした
感受性をとりもどすことである。ふだんの
生活、
日常生活の
惰性から
自己を
解き
放つことなのである。「
日々新たなり」という
人間的生の
在り
様は、
日常生活のなかでもむろん
言えることであり、
本来私たちはそういうものとして
毎日を
迎えなければならないのだが、
実際にはそれはたいへん
難しい。
ところが
旅では――
未知と
偶然の
要素を
多く
含んだ
旅では――
日々は
私たちにとって
新たならざるをえない。そして
日々新たであるなかで、よりつよく
私たちの
好奇心は
突き
動かされ、
働くようになる。ふつう「
好奇心」などというと、あまりいい
意味にとられない
場合が
多い。なにか
面白いことはないかと
知らなくてもいいことまでむやみに
穿鑿する
心、あるいはもの
好きといったような
意味に
解されている。けれども
好奇心とは、
私たち
人間の
知的活動の
根源をなす
情熱、つまり
知的情熱にほかならない。
好奇心というとあまりいい
意味にとられない、といった。しかし
実はそれ
以前の、
情熱(
情念、パトス)そのものが、これまで
一般に
永い
間、はしたないものとされてきたという
事情がある。
情熱は
人間の
心の
平静を
乱し、
人間を
真理から
遠ざけるものだとされてきた。しかしそのような
見方はきわめて
一面的なものでしかない。『
百科全書』の
編者として
知られるディドロ(『
哲学的思索』)が、その
点でたいへん
適切なことを
言っていたのを
思い
出す。
すなわち、ひとは
情念(
情熱)の
悪い
面ばかりを
見て、むやみに
情念を
排斥する。しかし
情念は、
一方であらゆる
苦悩の
源であるだけでなく、
同時に
他方では、あらゆるよろこびの
源泉でもある。
偉大な
情念によってはじめて、
人間の
魂は
偉大なものごとに
到達しうるのだ。これに
反して
控え
目な
感情は
凡庸な
人間をつくり、
弱々しい
感情はもっともすぐれた
人間をも
台なしにしてしまう。
(
中略)
控え
目な
感情は
凡庸な
人間をつくり、ひとは
小心翼々としていると
創造的でありえなくなる。これは
行きすぎた
抑制や
禁欲的態度がおちいりやすい
陥穽を
示している
重要な
指摘である。いうまでもなくそれは、
詩・
絵画・
音楽といった
狭い
意味での
芸術にかかわるだけではなく、もっと
広い
人間の
知的活動や
精神的活動にもかかわっている。だから、たとえどんな
小さなことにせよ、
日に
日に
発見や
創造のよろこびをもって
生きていくためには、
通常考えられているより
以上に、
知的情熱としての
好奇心をいきいきと
保っておかなければならないのである。ところで、
知的情熱としての
好奇心とは、とくに、
私たちが
世界や
自然やものごとに
向けるつよい
関心のことである。そして、
知識よりもなによりも
関心(インタレスト)こそがあらゆる
文化や
学問の
原動力であると
言えそうだ。
関心こそが
知を
拓くのである。
(
中村雄二郎他『
知の
旅への
誘い』による)
長文 2.3週
【1】どこかへ
旅行がしてみたくなる。しかし
別にどこというきまったあてがない。そういう
時に
旅行案内記の
類をあけて
見ると、あるいは
海浜、あるいは
山間の
湖水、あるいは
温泉といったように、
行くべき
所がさまざま
有りすぎるほどある。【2】そこでまずかりに
温泉なら
温泉ときめて、
温泉の
部を
少し
詳しく
見て
行くと、
各温泉の
水質や
効能、
周囲の
形勝名所旧跡などのだいたいがざっとわかる。しかしもう
少し
詳しく
具体的な
事が
知りたくなって、
今度は
温泉専門の
案内書を
捜し
出して
読んでみる。【3】そうするとまずぼんやりとおおよその
見当がついて
来るが、いくら
詳細な
案内記を
丁寧に
読んでみたところで、
結局ほんとうのところは
自分で
行って
見なければわかるはずはない。もしもそれがわかるようならば、うちで
書物だけ
読んでいればわざわざ
出かける
必要はないと
言ってもいい。【4】
次には
念のためにいろいろの
人の
話を
聞いてみても、
人によってかなり
言う
事がちがっていて、だれのオーソリティを
信じていいかわからなくなってしまう。それでさんざんに
調べた
最後にはつまりいいかげんに、
賽でも
投げると
同じような
偶然な
機縁によって
目的の
地をどうにかきめるほかはない。
【5】こういうやり
方は
言わばアカデミックなオーソドックスなやり
方であると
言われる。これは
多くの
人々にとって
最も
安全な
方法であって、こうすればめったに
大きな
失望やとんでもない
違算を
生ずる
心配が
少ない。【6】そうして
主要な
名所旧跡をうっかり
見落とす
気づかいもない。
しかしこれとちがったやり
方もないではない。たとえば
旅行がしたくなると
同時に
最初から
賽をふって
行く
所をきめてしまう。あるいは
偶然に
読んだ
詩編か
小説かの
中である
感興に
打たれたような
場所に
決めてしまう。【7】そうして
案内記などにはてんでかまわないで
飛び
出して
行く。そうして
自分の
足と
目で
自由に
気に
向くままに
歩き
回り
見て
回る。この
方法はとかくいろいろな
失策や
困難をひき
起こしやすい。またいわゆる
名所旧跡などのすぐ
前を
通りながら
知らずに
見のがしてしまったりするのは
有りがちな
事である。【8】これは
危険の
多いへテロドックスのやり
方である。これはうっかり
一般の
人にすすめる
事のできかねるやり
方である。
しかし
前の
安全な
方法にも
短所はある。
読んだ
案内書や
聞いた
人の
話が、いつまでも
頭の
中に
巣をくっていて、それが
自分の
目を
隠し
耳をおおう。【9】それがためにせっかくわざわざ
出かけて
来た
自分自身は
言わば
行李の
中にでも
押しこめられたような
形になり、
結局案内記や
話した
人が
湯にはいったり
見物したり
享楽したりすると
同じような
事になる、こういうふうになりたがるおそれがある。【0】もちろんこれは
案内書や
教えた
人の
罪ではない。
しかしそれでも
結構であるという
人がずいぶんある。そういう
人はもちろんそれでよい。
しかしそれではわざわざ
出て
来たかいがないと
考える
人もある。
曲がりなりにでも
自分の
目で
見て
自分の
足で
踏んで、その
見る
景色踏む
大地と
自分とが
直接にぴったり
触れ
合う
時にのみ
感じ
得られる
鋭い
感覚を
味わわなければなんにもならないという
人がある。こういう
人はとかくに
案内書や
人の
話を
無視し、あるいはわざと
避けたがる。
便利と
安全を
買うために
自分を
売る
事を
恐れるからである。こういう
変わり
者はどうかすると
万人の
見るものを
見落としがちである
代わりに、いかなる
案内記にもかいてないいいものを
掘り
出す
機会がある。
(
寺田寅彦「
案内者」より)
長文 2.4週
なぜ
人は
理解を
求めるのであろうか。これは、
進化の
歴史において
人間がきまった
生活様式をもたず、それ
故に
逆にさまざまな
環境に
住みつき
生活できたことと
関連があると
思われる。
特定の
生活様式をもっていれば、それで
適応しやすい
環境を
選んで
住みつき、そこで
所与の
情報を
処理するだけでこと
足りる。しかしそうした
特定の
生活様式をもたないときは、
将来出会うさまざまな
環境条件、おこりうる
種々の
環境の
変化に
対処しうるような、
一般的な
準備をしておくことがどうしても
必要になる。
ある
手続きによって
今好む
結果を
手に
入れることができたとしても、それだけでは、その
手続きがどの
範囲で
有効なのかわからない。
環境条件の
些細な
変化によって
好む
結果が
得られなくなってしまうというのでは、あまりにも
不安定である。これに
対して、その
手続きが「いかにして」「なぜ」うまく
働くのかがわかっていれば、
条件が
変わったときには、
手続きを
柔軟に
修正することができるだろう。また
将来、
予見することのできない
課題に
出会ったときにも、そこに
含まれる
対象物をよく
理解していれば、
適切な
手続き
的知識を
生み
出すことも、それほど
難しくないにちがいない。
このように
考えてくると、
理解というのは、いわば、いろいろな
環境条件(の
変化)の
可能性に
備えて、あらかじめ
一般的な
準備をしておくことと
見ることができるのではあるまいか。
理解しておくことが
人間にとって
適応上必要な
意味をここに
求めることができよう。
予想に
反した
事象に
出会ったとき、あるいは、どれが
真実なのかよくわからないとき、
一応わかるがピタッとわかったという
感じがもてないとき、
知的好奇心がひき
起こされる。この
知的好奇心のひき
起こされた
状態とは、ことばを
変えれば、
理解がまだ
十分に
達成されていないことをわれわれが
感じとった
状態だといえよう。このときわれわれは、
今のところうまくやっていけているが、
将来にわたってこの
状態を
維持できるかどうかわからない、と
告げられていることになる。そこでできるかぎり
他の
課題に
優先させて、
理解を
達成しよう(
知的好奇心を
充足させよう)とするのである。
当面の
課題の
達成をめざすことが
現在志向(あるいは
特定化された
近い
将来志向)だとすれば、
理解をめざすことは、
特定化されない
遠い
将来志向だといえよう。そして
人間は、そのような
将来志向の
強い
動物なのではないだろうか。
もちろん、だからといって
現在のさまざまな
理解活動において、その
都度「これは
将来のためだ」と
意識しているわけではない。むしろこの
活動に
際しては、わかることそのものが
楽しいから、
自分なりに
納得できるのはうれしいことだから、それに
従事している、というにすぎない。それが
結果として
将来の
適応に
役立つのだ、と
考えるべきであろう。
ここでひとつことわっておきたい。
人間が
知的好奇心が
強く、
深く
理解することを
求めている、といっても、いつでも、どのようなときでも、そうなのではない。
例えば、
四歳から
九歳の
子どもたちに、
種々の
積木を
与え、「
平均台(
支点)」の
上に
置いてバランスをとるように
求めた
実験をみてみよう。
年長の
子どもやこの
事態に
慣れた
子どもは、
積み
木の
中央を
平均台の
上に
乗せるとバランスがとれるという「
理論」を
持ち、これを
試そうとしていた。
ここで
注目すべきなのは、これらの
子どもが、とりあえずはこの
課題ができるようになっていた、すなわち、
試行錯誤的に
何とかつりあいをとって
積木を
置くことができたことである。どうやったら
課題を
達成できるかまったくわからない、いいかえれば
全精力を
当面の
課題の
達成に
使わざるを
得ないあいだは、
理論検証つまり
理解への
試みは
見られなかったのだ。ひとまず
課題を
達成できたという
心的余裕があったからこそ、この
解決法をより
広い
文脈において
内省してみようとしたのだと
考えられる。
現在の
課題の
達成のために
手もちの
心的エネルギーないし
情報処理能力を
使いきっている
状態では、とてもこうした
理解の
達成のほうにまでその
力をふり
向けられないであろう。いいかえれば、
理解をともなう
学習には
時間がかかるのである。
時間に
追われ、
多くのことを
速やかに
処理しなければならない
場合には、とても
深い
理解など
達成できない。ここであげた
事例が、
他からの
強制がないだけでなく、
自分の
好むやり
方で、
好むだけの
時間取り
組める
事態で
生じたものであったことを、もう
一度注意しておこう。
知的好奇心にもとづく
学び
手の
能動性は、
外側からせきたてられないかぎりにおいて
発揮されうるのである。
(
稲垣佳世子・
波多野誼余夫『
人はいかに
学ぶか
日常的認知の
世界』による。
一部改変)
長文 3.1週
【
二番目の
長文が
課題の
長文です。】
【1】ひとりでいるときも、
良心が
働いている。
誰も
見ていなくても、
道にごみを
捨てようと
思わない。そういう
倫理観を、
私たちは
持っている。それは、
自分の
中に
内在的な
価値観があるからだ。
遠い
昔、
父や
母によって
教えられられてきたしつけが、
自然に
自分の
中に
移しかえられ
育まれて、
自分自身の
倫理観として
育ってきたものだろう。【2】「
天知る。
地知る。
子知る。
我知る」という
言葉がある。ふたりだけの
隠し
事と
言っても、
天も、
地も、あなたも、
私も
知っている、という
意味だ。この
内在的な
価値観が、
社会の
安定の
基礎になっている。
【3】しかし、ここで
問題になるのは、
私たちが
内在的な
価値観に
制約されることによって、
真に
自由な
判断ができなくなってしまう
場合もあるということだ。
人がある
宗教を
信じる
際の
最も
大きな
要因は、その
両親もその
宗教を
信じていたからだということが
多い。【4】
自分で
選んだと
思っていたものが、
実は
無意識のうちに
刷り
込まれた
幼児期からの
価値観だったとすれば、
人間どうしの
対話は
根本的なところでやはり
成りたないだろう。
【5】では、どうしたらよいのだろうか。
一つの
対策は、
自身の
内在的な
価値観に
自覚的であることだ。
私たちの
多くは、
自分の
国や
自分の
民族に
誇りを
持っている。しかし、それは、
往々にして
他の
国や
他の
民族に
対する
蔑視に
結びつくことがある。それは、
私たちの
価値観が、
実は
他から
刷り
込まれたものであることを
示している。【6】
自分の
価値観の
原点を
探れば、そこに
両親だけでなく、マスメディアや
政治や
文化からの
影響を
見ることができるだろう。
大事なことは、
価値観を
持つことではなく、
自覚した
価値観を
持つことなのだ。
【7】もう
一つの
対策は、
異なる
価値観を
持つ
人どうしの
間でオープンな
対話を
保証することだ。
犬とサルが
出会えば、
喧嘩をするしかない。
互いの
相違を
対話によって
埋めるだけの
共通の
土俵がないからだ。【8】しかし、
人間は、たとえ
話す
言語が
異なっていても、
異なる
思想や
価値観を
共通の
論理によって
論じることができる。もしオープンな
対話がなく、
各人が
自身の
内在的な
価値観だけによって
生きていくだけなら、
子供はのびのびと
遊ぶべきたと
考える
人は、いつまでも
子供を
公共の
場で
騒ぎ
回らせるだろう。【9】また、
逆に
公共の
場では、
子供もルールを
守るべきだと
考える
人は、いつまでも
騒ぐ
子供を
許せないだろう。この
異なる
価値観を
対話によって
止揚させるのが、
犬やサルにはできない
人間の
知恵である。【0】
確かに、
今の
世の
中を
広く
見渡せば、
価値観の
対立の
問題よりも、
価値観の
不在の
問題の
方が
大きいように
見える。しかし、ある
人にとって
価値観の
不在と
見えることが、
実はその
相手にとっては
明確な
価値観に
根差していることもある。
例えば、「そのようなことは
重要だとは
思わないので、どちらでもいい」というのも
一つの
価値観だ「
天知る。
地知る。
子知る。
我知る」という
故事は、そういう
内在的な
価値観を
持っていたことに
意義があるのではなく、その
内在的な
価値観が
相手に
伝わり
共有できたというところに
本当の
意味があったと
見なければならない。
(
言葉の
森長文作成委員会 Σ)
【1】もう
一度、
教室の
光景へと
目を
転じよう。
子どもたちの
身体の
異変は
近年、いっそう
顕著である。その
変化はいくつでも
列挙できるが、たとえば、
都市部の
小学校の
高学年では、かつての
中学校のように、
授業が
成立しない。【2】かつての
中学校と
違うのは、
教師への
反抗ではなくて
教師への
無視であることと、その
無視の
主役が
女の
子たちであることである。
中学校と
高校になると、アパシー(
無気力と
無感動)が
教室を
支配している。
無表情で
沈黙した
生徒が
教室に
置物のように
座っている。【3】
声をかけると
一瞬、
身構えて
緊張が
走るが、
呼びかけて
待っても
口を
開くようすはない。もっとすごい
話がある。
小学校の
一年生というと、まず「はい、はい」とツバメの
巣のような
教室から
出発するのが
常識だが、
四月から
一言も
口を
開かない
一年生の
教室が、いくつかの
学校で
見られるようになった。【4】この
沈黙の
背後には、もちろん
陰湿ないじめが
潜んでいる。
幼稚園ですでに
高学年までの
洗礼を
受けているのだろうか。
これら
特異な
現象だけでなく、
教室における
身体の
異変は、もっと
日常的に
深く
浸透している。
まず
他者への
無関心がある。【5】たとえば
一人の
子どもが「
先生、
消しゴムがない」と
何度も
言う。「
先生、
消しゴム」を
連発するだけで、となりの
子どもに「ねぇ、ちょっと
消しゴム
貸して」と
言って
借りる
子は
稀である。となりの
子もとなりの
子で「これ
使っていいよ」と
言う
子も
稀にしかいない。【6】ほとんどの
子が
他人事としてき
流しているし、よくて「
先生、この
子消しゴムがないって
言ってるよ」なのである。
中学校や
高等学校の
教室だと「○○
君はいる?」と
休憩時間にたずねても、いっこうに
釈然としない。「おい、○○きょう
来てたっけ」「さあ?」という
調子である。【7】はなはだしい
場合にはもう
半年も
経っているのに「○○って、うちのクラスだったっけ?」という
声を
聞くこともある。
他者への
気配りがないわけではない。しかし、その
気配りはすれ
違っている。
一つのエピソードを
紹介しよう。【8】
知人の
教師が
中学一年生の
息子の
授業参観に
行ったときのことである。
授業の
最後に
一人の
女の
子が
挙手して「うるさくて
先生の
話が
聞こえなくて、
板書をノートにうつすことしかできなかった」と
訴えて
泣き
出してしまった。【9】すると、そのとなりの
席にいた
知人の
教師の
息子が「
先生、きょう、
掃除はあるんですか」と
大声で
質問したと
言う。
知人の
教師は、
息子の
行為に
憤って
授業のあとに
詰問したところ、
息子は、その
女の
子が
窮地に
陥るのを
救出するためにわざわざ
関係のない
質問をしたのだと
言う。【0】もちろん、
彼の
行為は
女の
子の
窮地を
救うどころか、ますます
女の
子の
心の
傷を
深いものにしたのだが、そのことは、
知人の
息子にはわかっていなかったと
言う。このようなすれ
違いは、
教室のいたるところで
頻発している。
他者への
無関心は、
大人に
対しては
根底的な
不信の
感情となって
現れている。
大人と
目と
目を
合わせて
話をする
子どもが
少なくなった。
語りかけてきても、ちらっと
目を
合わせると、すぐにまなざしを
背けて
話している。
教師のほうも
同様の
問題を
抱えている。
子どもがまなざしを
背けるものだから、
教師のほうも
微妙にまなざしを
背けながら
話しかけている。そういう
繋がりのなかでは「
出会い」も「
対話」も
生まれようがない。
モノとの
出会いの
経験も、
著しく
貧困である。
商品としての「もの」が
氾濫する
一方で、
自然と
連なるモノの
世界は、ますます
子どもの
生活から
消滅しつつある。その
端的な
現れが
道具の
使用の
経験の
未熟さに
見られる。
小学校高学年でも、
木工をやらせると、
鋸を
立てるように
持って
木材を
手前から
向こうに
向けて
切ろうとする
子どもたちが
少なくない。
金槌を
持たせると
金属のところを
握って
釘を
打とうとするし、はなはだしい
場合には、
作業台があるのに
板を
宙に
掲げて
打って、「
釘が
打てない」と
教師に
援助を
求める
子どももいる。まっとうに
道具が
使える
子どもは
皆無と
言ってもよい。モノと
出会いモノを
道具によって
操作する
体験や
文化が
欠落しているのである。
言葉という
道具においても
同様の
事情がある。「
文字離れ」「
活字離れ」は、いまや
決定的と
言ってよいだろう。
小学校の
低学年では
読書は
習慣化しているが、
高学年になると
活字離れが
進行し、
中学生や
高校生になると
六割から
七割の
生徒が
月に
一冊も
本を
読んでいない。
読むことと
書くこと(リテラシー)は
自己を
構成し
世界を
構成する
基本的な
作業だが、その
文化は
急速に
衰退しつつある。
郵政省の
調査では、
国民の
七割が
年賀状などの
挨拶状を
除いて
一年間に
一通も
手紙を
書かない
状況を
迎えているが、おそらく
中学生と
高校生に
限定すると、その
状況はもっと
深刻だろう。
一日平均三十分以上も
電話をする
彼らは、
文字文化(リテラシー)の
世界から
遊離した
世界を
生きている。
喪失しているのは、「
私はこう
思う(I think)」という
一人称の
語りであり、「あいつがこう
言っている(He said.She said.)」というゴシップが、
彼らの
日常世界を
構成しているのである。
長文 3.2週
【1】
私はこの
数年間テレビ、ラジオ、
新聞などを
通じて
意見を
述べる
機会に
恵まれましたが、
私のような
外国人が
日本の
内閣総理大臣をはじめ
要人や
政治的なものを
含む
制度などを
批判しても、
当局からのおしかりもなければ
愛国者といわれる
方から
危害を
加えられたこともありません。【2】
少なくとも
私が
知っている
限りでは、
日本における
言論の
自由はアジアはもちろん、
世界でも
例を
見ないほど
保障されていると
思います。そして、
今でも
様々な
国で
行われている
報道弾圧を
思い
起こすたびに、この
自由を
享受できないでいる
海外の
友人に
対しある
種の
後ろめたさすら
感じることがあります。
【3】とはいっても、この
言論の
自由を
謳歌している
日本の
言論機関に
対し、
疑問や
注文がないわけではありません。
確かに
政府による
厳しい
検閲や
特定の
団体による
弾圧は
感じられませんが、
言論機関による
少数意見の
抹殺や
世論操作に
近い
誘導があるように
感じてなりません。【4】これは
自由であるからこそ
生じているものであるといえるでしょう。ここではとりあえず
新聞、テレビなどマスコミについて
考えてみたいと
思います。
【5】まず
不思議に
感じることは、これだけの
数の
新聞と
雑誌があるというのにとりあげているテーマがほとんど
同じであるということ、しかもそのテーマは
何を
基準にして
決めているのか、
私たち
外国人にとってはわかりにくいことです。【6】
例えば
国益を
重視しての
決め
方であると
思われる
時がありますが、しかしこの
国益という
言葉はマスコミにおいてはタブー
視すらされて、ほとんど
死語に
近いような
概念であるようなので、どうもそうではないようです。【7】それでは
社会正義なのかと
考えてもみましたが、
日本には
確固たる
正義の
基準となるモラルや
確立した
規範があるようにも
思えないのです。
私の
考えでは、マスコミの
役割はまず
現在の
世の
中の
出来事を
事実として
客観的に
伝えること。【8】そして
社会に
対し
危機回避の
役割を
果たすことであり、
個人的社会的に
向上するための
知識や
情報を
提供することです。
しかし
日本の
報道については、ニュースの
判断基準のあいまいさが
気になります。【9】
社説や
論文はべつとして、その
他の
記事や
報道では、
何が
客観的事実であり、またどんなメッセージを
発しようとしているか
分からないのです。
そこで
第一に
考えられることは、
残念ながら
日本のマスコミを
左右している
商業主義、
売れ
筋なら
何でもやるという
競争原理です。
【0】
次に
読者、
視聴者の
中毒的欲望を
満たすためにいたずらに
刺激的でドラマチックな
演出を
加えることです。
さらに、マスコミ
関係者は、
特にテレビではある
種の
時代錯誤に
陥っているようで、
反国家的であることが
正義であるときめつけ、
庶民ぶることで
自分の
意見もあたかも
国民の
意見のごとく
仕立てています。
国家が
弾圧的であるような
時代であるなら
別ですが、マスコミそのものが
大きな
権力になっているのに、
庶民ぶることや
反体制的であろうとするのはむしろ
権力の
乱用であるように
私には
感じられます。
数千万、あるいは
億単位の
契約金をもらっているキャスターが、
自分は
庶民であるとことさらアピールする
姿は、
庶民を
食いものにしているようにすら
思われます。
私は
日本のマスコミに
対し、
三つの
注文をしたいと
思います。
第一に、
自分の
意見と
客観的な
事実を
区別すること。
第二に、マスコミ
人としての
自覚とモラルに
基づき、だれが
正しいかよりも、
何が
正しいかを
明確にしていくこと。
第三に、
世の
中に
対し
麻薬患者に
注射を
打つような
行為を
改め、
明白な
警鐘と
提言を
行って
欲しいこと、です。
(ベマ・ギャルポの
文章による)
長文 3.3週
【1】
先進国の
後を
追いかける
途上国経済と、
世界の
先頭を
走る
先進国経済のもっとも
重要な
差は
何かというと、「
途上国経済では
物まねができたけれども、
先進国経済では
自分で
新しい
知識を
創造しないとそれ
以上の
発展ができない」ということである。【2】
途上国の
有利な
点は、
第一に、
先進国モデルが
存在し、
容易に
産業化のための
目標がみいだせること、
第二に、
先進国から
技術を
導入できること、そして
第三に、
賃金など
全体的なコストが
先進国に
比べて
有利であることなどである。
【3】このような
有利性が
存在しているかぎり、
自らオリジナルな
技術や
知識を
創造する
必要性はそれほど
高くない。
先進国から
使える
技術を
輸入し、それに
安い
賃金の
勤勉な
労働力を
張り
付けるだけで
競争力を
身につけることはできるだろう。【4】もっとも、これとてどこの
国にでもできるほど
簡単なことではないが、
日本や
現在急成長中の
東アジア
諸国はいずれもこのシナリオで
成功してきた。
しかし、
日本についていえば、これらの
好条件はすべて
消滅したといってよいだろう。【5】
十年ほど
前に、
日本経済は
歴史的なコスト
条件の
逆転を
経験した。またインプット
拡大による
成長にも
人口の
高齢化、
労働力人口の
減少、
貯蓄率の
低下などの
理由から
多くを
期待することはできない。【6】その
結果、
日本は
先進国の
宿命すなわち
自らの
行く
先を
自らの
創意工夫で
切り
開かなければならないという
宿命を、
好むと
好まざるとにかかわらず
背負うことになったのである。
【7】
日本の
社会経済体制は、
欧米に
追いつき、
追い
越すという
明治以来の
国策にそって
形成されてきた。たとえば、
日本の
教育制度は
欧米の
先進的知識を
詰め
込むことを
目指して
発達してきた。これはすばらしい
戦略であった。【8】
欧米と
日本の
間に、
科学技術や
近代思想などの
点で
大きな
知識のギャップがあったのだから、まずはこのギャップを
一刻も
早く
埋めることが
必要であったし、そうすることがキャッチアップを
効率的に
進める
唯一の
方法であった。
【9】しかし、
日本がキャッチアップを
終えた
今となっては
話は
変わってくる。
外来の
知識を
学ぶだけでは
必ずしも
独創的な
知識は
生まれない。
日本の
学校教育(とくに
義務教育)はすばらしいという
説があるが、それは
少なくとも
今日的観点からはとんでもない
誤解である。【0】たしかに、
先進国に
追いつく
目的のために、
先生が
生徒に
知識の
押し
売り、
詰め
込みを
強要することは
理にかなっていたかもしれない。いや、
欧米との
巨大な
知識ギャップを
一刻も
早く
埋めるためには、
大車輪で
知識の
吸収に
努めなければならないことは
当然であった。
知識吸収を
急ぐあまり、
時に
青年たちの
独創性、オリジナルなものの
考え
方を
育成するもうひとつの
教育の
重要な
役割が
多少なおざりにされたとしても、それはある
意味ではやむをえなかったことといえるかもしれない。
しかし、
今日のように、
自ら
価値を
創造することが
要求される
時代になっても、
教育システムが
本質的な
意味で
何も
変わっていないとすればそれは
大きな
問題であろう。
最近の
教育改革論議は
当然のことながらこのような
観点からなされることが
多い。しかし、
教育の
現場では、
相変わらず
先生が
大教室で
黒板に
知識を
羅列し、
日本的な
意味での「
優秀な」
生徒は、
試験のときにそれを
正確に
再現することを
要求されている。
生徒の
能力差や、
興味の
所在などは
無視し、とにかく
上から
与えられた
課題を、
先生が
決めたスピードでこなしていくことが「
優秀な」
生徒の
絶対的条件である。
極度に
一律化された
教育風景である。
日本の
教育現場で
自分の
頭で
考えた
独自の
意見を
前面に
押し
出すことが
高得点につながるという
話はおよそ
聞いた
試しがない。
試験では
先生が
正解と
認定する
答を
書くことが
得策であって、
先生の
頭になかったようなユニークな
答を
尊重する
風潮はない。
生徒は
一定の
枠のなかで
発想する
習慣をたちまち
身につけてしまう。このように「
優秀な」
生徒はいくつかの
入試を
経て、
完璧なまでに「
知識吸収型」の
枠にはまった
答しかできない
受動的人間になってしまう。
もちろん、
若いときに
知識をできるだけ
多く
吸収すること
自体は
将来の
創造性にとって
必要不可欠である。
創造性の
源泉がどこにあるのかは
古くて
新しい
問題だが、
頭のなかにたたき
込まれた
大量の
知識が
創造性を
刺激することは
間違いない。
問題は、
教室における
教師と
生徒の
関係である。たとえば、
生徒がまだ
教えてもいないことを
教室で
発言することを
嫌う
教師は
非常に
多い。
教師の
能力や
知識の
範囲を
超える
生徒がいた
場合、
教師はそれを
教師であることを
盾に、
権威でもって
抑え
込もうとする。
受験塾では
公立学校とちがって
競争が
厳しい。
学校の
教科より
進み
具合が
早いことはもちろん、
教える
内容もはるかに
進んでいる。
塾で
習ったことを
教室に
持ち
込まれると、
学校での
教育進度や
秩序が
乱されるという
理由もわからないではないが、できる
生徒の
好奇心を
抑え
込むのではなく、
一人一人の
能力や
進度に
応じて
先生が
対応し、
知的能力を
最大限に
刺激することができるような
教育体制をとることが
本筋である。
平均的な
生徒をひたすら
大事にする、あるいは
落ちこぼれを
出さないといったことにかまけるあまり、
潜在的能力の
高い
優秀な
生徒の
頭を
押さえつけるといった「
平等主義的な
教育思想」にそれなりの
価値があることは
認められなければならないが、それが
独創的な
人材の
芽を
摘みとっている
危険についても
十分な
配慮が
必要であろう。
(
中谷巌著『
日本経済の
歴史的転換』)
長文 3.4週
この
連載の
問題設定である「
思考の
補助線」というタイトルには、その
構想時において、ある
危機意識が
込められていた。
現代の
知が
図らずも
断片化してしまっており、そのばらばらの
破片をかき
集めてみても、
世界の
像が
一つに
結ばない。そのような
現状に
対する
個人的なあせりと
悲しみのようなものを
引き
受けたうえで、じっくりと
考えてみたいと
連載を
始めたときに
思っていた。
一見、
関係のないように
見える
分野の
間に、
補助線を
引いてみたい。その
補助線を
引かなければ
見えない
新しい
世界像、
全体として
浮かび
上がってくるあるイメージを
把握してみたい。そのような
少なくとも
私にとっては
切実な
思いが
託されていた。
下手をすれば、ある
分野の
卓越した
専門家であることを
維持することですら
可処分時間と
自己のエネルギーのすべてを
費やしても
難しい、という
時代である。
自分の
専門である
脳科学においては、すでにそのような
傾向があることを
身近な
問題としてよく
知っている。
同じ
脳を
研究しているはずなのに、
視覚の
専門家は
前頭葉の
統合過程を
知らず、
海馬における
学習理論の
研究者はシナプスの
可塑性の
分子メカニズムを
知らない。そのような
事態はすでに
進行してしまっている。
想像するしかないが、
歴史学でも、
経済学でも、あるいは
文学研究でも
似たような
事態が
進んでいるのだろう。
万葉の
専門家は
江戸時代の
戯作者のことなどつゆ
知らず、というのは
当たり
前のことなのかもしれないが、それでは
満足できないという
寂しい
思いは
誰の
胸の
中にもあるのではないか。
知の
全体を
見渡すことはもはや
不可能なのだろうか?
一人ひとりの
人間は
人類全体が
運営している「エクスパート・システム」の
部品として、あるいは「グーグル」で
検索されるべき
知のアーカイブの
部分担当者として、その
職分を
全うすることしかできないのだろうか?
検索エンジンの
前には、
文系の
知も
理系のそれもコンピュータのハードディスク
上のデジタル・ビットにすぎない。それは、
奇妙に
私たちの
魂を
自由にする
光景ではあるが、
一方ではとてつもない
脱力へと
誘う
事態でもある。そもそも、
検索エンジンは
世界全体どころか
一つひとつの
事物を
引き
受けることにすら、
資することができないのだ。
知のサブカル
化(=
部分問題の
解法ないしはレトリックとしてのみ
知に
取り
組み、
所有し、
発信するということ)がポスト・モダニズムなど
取り
立てて
参照するまでもなく
進行してしまった
現代において、
知の
断片化の
現状を
突き
抜けるためにはよほどの
覚悟と
戦略が
要る。そんな
志向性はもはやポスト・デジタルの
人類にとって
余計なものでしかないのかもしれないが、それでも
志向することだけは
止めたくない。
アインシュタインは、「
感動することを
止めてしまった
人は、
死んでしまったのと
同じである」という
意味の
言葉を
残している。
断片化した
知をそのまま
受け
入れて、
疑問を
持たずにただ
右往左往する
人類はもはや
本当は
生きていないのではないか。
そもそも
世界全体を
引き
受ける、ということは、
一体どのようなことなのだろう?
世界に
関する
人間の
知を
集合としてその
要素を
書きならべてみることもできる。そして、その
全体を
同時に
把握することを
目指す、という
考え
方もある。そうだとすれば、やるべきことは、
知の
巨人、
博覧強記の
人への
道をたどることだろう。
諸学の
書物に
通暁し、さまざまな
分野の
最新の
知見を
網羅的に
横断してみせる。そのような
胆力のある
人間は
一つの
理想像であるかもしれないし、また
実際に
過去にはそのような
取り
組みもあった。ゲーテやダ・ヴィンチ、
南方熊楠のように、ある
程度成功したと
思われるような
実例もある。
現代の
知的状況の
本質的問題点は、そのような
百家全書派的な
野望の
実現が
原理的に
不可能だということが
誰の
目にも
明らかだという
点にある。たった
一つの
分野を
取り
上げてみたとしても、
出版される
論文、
本の
数は
膨大である。どれほど
卓越した
記憶力と
思考能力に
恵まれた
人間でも、
現代の
知の
諸分野を
一人でカバーすることなどありえない。
(
茂木健一郎「
思考の
補助線」より)