(Translated by https://www.hiragana.jp/)
課題集
長文 4.1週
【
長文が
二つある
場合、
音読の
練習はどちらか
一つで
可。】
【1】
寺田さんは
有名な
物理学者であるが、その
研究の
特徴は、
日常身辺にありふれた
事柄、
具体的現実として
我々の
周囲に
手近に
見られるような
事実の
中に、
本当に
研究すべき
問題を
見出した
点にあるという。(
中略)
【2】
周知の
通り、
林檎が
樹から
落ちるのを
不思議に
感じて
問題としたことが、
近代物理学への
重大貢献となった。あたり
前の
現象として
人々が
不思議がらない
事柄のうちに
不思議を
見出すのが、
法則発見の
第一歩なのである。【3】
寺田さんは
最も
日常的な
事柄のうちに
無限に
多くの
不思議を
見出した。
我々は
寺田さんの
随筆を
読むことにより
寺田さんの
目をもって
身辺を
見廻すことができる。そのとき
我々の
世界は
実に
不思議に
充ちた
世界になる。
【4】
夏の
夕暮れ、ややほの
暗くなるころに、
月見草や
烏瓜の
花がはらはらと
花びらを
開くのは、
我々の
見なれていることである。しかしそれがいかに
不思議な
現象であるかは
気づかないでいる。
寺田さんはそれをはっきりと
教えてくれる。【5】あるいは
鳶が
空を
舞いながら
餌を
探している。
我々はその
鳶がどうして
餌を
探し
得るかを
疑問としたことがない。
寺田さんはそこにも
問題の
在り
場所を
教え、その
解き
方を
暗示してくれる。【6】そういう
仕方で
目の
錯覚、
物忌み、
嗜虐性、
喫煙欲というような
事柄へも
連れて
行かれれば、また
地図や
映画や
文芸などの
深い
意味をも
教えられる。
【7】
我々はそれほどの
不思議、それほどの
意味を
持ったものに
日常触れていながら、それを
全然感得しないでいたのである。
寺田さんはこの
色盲、この
不感症を
療治してくれる。【8】この
療治を
受けたものにとっては、
日常身辺の
世界が
全然新しい
光をもって
輝き
出すであろう。
この
寺田さんから
次のような
言葉を
聞くと、まことにもっともに
思われるのである。
【9】「
西洋の
学者の
掘り
散らした
跡へ
遙々遅ればせに
鉱石のかけらを
捜しに
行くのもいいが、
我々の
脚元に
埋もれてゐる
宝を
忘れてはならないと
思ふ。」
寺田さんはその「
我々の
脚元に
埋もれてゐる
宝」を
幾つか
掘り
出してくれた
人である。【0】
(
和辻哲郎)
【1】そうしてみると、
価値の
多様化と
画一化とは
決して
矛盾したことではなくて、
同じ
現象の
両面のように
思えてくる。その
根本にはやはり、
普遍的価値の
崩壊がある。
普遍的価値が
崩壊したのは
崩壊しただけの
歴史的理由がある。【2】ある
一つの
普遍的価値を
信じた
人たちが、それと
矛盾し、
対立する
価値を
信じている
人たちを
排撃し、
差別して
残虐な
行為を
繰り
返してきたということがあって、ある
日ふと
気づいてみると、そんなことをしてまで
守らなければならないほどの
絶対性はどのような「
普遍的」
価値にもないことがわかってきたのである。
【3】そこで、
普遍的価値というものは
存在しないのだということになった。すべては
相対的であって、どのような
価値を
信じていようが
間違っているとは
言えず、それぞれが
勝手に
信じていればいいのだということになった。
【4】そこから、
価値の
多様化ということが
出てくるわけであるが、
悲しいかな、
人間は
何らかの
価値を
信じ、それを
自我の
支えにしなくては
生きてゆけず、しかも
自分の
信じる
価値はできるかぎり
多くの
人びとに
信じられているものであることを
望むので、
勝手にどのような
価値を
信じてもいいと
言われても、それほど
自由の
幅はないのである。【5】そして、
普遍的価値は
崩壊しているわけだから、
何らかの
価値を
信じていても、それが
普遍的だと
思って
信じていたときのような
自信はもてず、ひょっとしてとんでもないことを
信じてしまっているのではないかとの
疑いを
拭い
切れない。【6】そこで、
他の
人たちが
信じているように
見える
価値を、
自分は
確信をもてないままに、
一応今のところ
信じておくといったことになる。
他の
人たちが
信じているように
見える
価値を
自分も
信じるという
人が
多くなれば、
必然的に、
価値は
画一化されるわけである。
【7】したがって、
価値が
多様化されたと
言っても、
個人が
選択できる
価値の
幅が
広く
豊かになり、
無限に
多様な
生き
方の
可能性が
開かれているということではなくて、ある
価値を
信じることによって
個人が
得ることができるものはむしろ
貧しくなっており、【8】また、
価値が
画一化されたと
言っても、
多くの
人が
一つの
共通の
価値を
信じて
連帯するということにはならなくて、つまり、
同じ
価値を
信じていることが
人と
人とを
結びつけるわけではなくて、ばらばらに
同じ
価値を
信じているといった
具合になっている。
【9】わたしは
現代を「
嫉妬とはしゃぎの
時代」だと
言っているが、
普遍的価値が
崩壊すると、そこに
自我の
安定した
基盤を
見出せないので、
人びとははしゃいで
目立つ
以外に
自分の
存在を
確認する
方法がなくなり、また、
同じ
理由で
他の
人のことが
絶えず
気になり、
嫉妬に
狂わざるを
得ない。【0】
この
嫉妬とはしゃぎということと、
価値の
多様化または
画一化とはつながっている。
目立つためには、
他と
異なっていなければならず、
人びとは
多様な
価値をそれぞれに
表現し、「
個性」を
打ち
出して
目立とうとする。しかし、
他方では
価値は
画一化されているので、
優劣、
成否を
計る
一本の
尺度しかなく、すべての
人が
同じ
尺度のもとで
序列をつけられ、
劣位におかれた
者は
同じ
尺度の
上で
上昇しないかぎり、いつまでも
劣者である。これでは、
同じ
尺度の
上で
優位にある
者に
嫉妬し、
彼を
引きずりおろしたくなるのは
避けがたい。
これらのことは
現代の
時代精神とでも
言うべきことであろう。こういう
傾向はあらゆる
面に
現れている。たとえば、
若者が
親の
反対を
押し
切り、
苦難を
乗り
越えてついに
結ばれるといったいわゆる
大恋愛をしなくなった。これは、
恋愛の
永遠性、
唯一性、
絶対性といったことが
信じられなくなった
以上、ある
者が、おれは
大恋愛をしてやろうとがんばったところで、どうにもなるものではない。
職業選択においても、
一つのことに
一生を
賭けるということをしなくなった。
(
岸田秀の
文章による)
長文 4.2週
【1】「ふしぎ」と
言えば、「
私」という
人間がこの
世に
存在しているということほど「ふしぎ」なことはないのではなかろうか。
自分が
意志したわけでもない。
願ったわけでもない。ともかく
気がつくとこの
世に
存在していた。【2】おまけに、
名前、
性、
国籍、
貧富の
程度、その
他、
人生において
重要と
思われることの
大半は、
勝手に
決められている。こんな
馬鹿なことはないと
憤慨してみても、まったく
仕方がない。その「
私」を
受けいれ、「
私」としての
生涯を
生き
抜くことに
全力をつくさねばならない。(
中略)
【3】「
私」のふしぎを
忘れたたましいのことを
忘れて
生きている
人に、その「ふしぎ」をわからせる
点で、
児童文学は
特に
優れていると
思う。
私が
児童文学を
好きなのは、このためである。
確かに「
大人」として
生きるのも
大変なことだ。【4】お
金をもうけねばならない。
地位も
獲得しなくてはならない。
他人とスムーズにつき
合わねばならない。それらは
大変な
労力を
必要とするし
成功したときには、やったという
達成感もある。しかし「いったいそれがナンボのことよ」と「たましい」は
言う。【5】その
声をよく
聴く
耳を
子どもは
持っている。あるいは「たましい」の
現実を
見る
目は
子どもの
方が
持っている。そのような
子どもの
澄んだ
五感で
捉えた
世界が、
児童文学のなかに
語られている。だから、
児童文学は、
子どもにも
大人にも
読んでほしいと
思う。
【6】たましいというのは、
直接にちゃんと
定義するなどということはできない。しかし、それは、
死んだときにあちらに
持っていけるものだ、などと
考えてみることもできる。「マッチ
売りの
少女」があちらに
持っていったものと、
地位や
名誉や
財産を
沢山持っている
人が、あちらに
持っていくものと
比較したらどうなるだろう。【7】もちろん
後者のような
人は、
立派な
戒名を
手に
入れることが、
最近では
可能になった。その
人が
死んで
閻魔の
前に
立ち、
立派な
戒名を
名乗るとして、
閻魔さんの
家来の
鬼が「ふん、それがナンボのものよ」などと
言っているところを
想像してみるのも
面白いことではある。
【8】たましいなどほんとうにあるのかないのか、
実のところはわからない。しかし、それがあると
思ってみると、
急に
途方もなく
恐ろしくなったり、
面白くなったり、
人生を
何倍か
豊かに
味わうことができることは
事実である。【9】もちろん、よいことばかりではなく、
下手をすると
普通の
人生を
維持できなくなるという
危険もあることは
知っておかねばならない。
人生における「ふしぎ」と、それを
心のなかに
収めていく
物語とが、いかに
人間を
支えているかについて
述べてきた。【0】
昔はそのことは
部族や
民族などの
集団で、
神話を
共有することによってなされてきた。このことは
現在もある
程度まで
事実である。すべての
宗教はその
基盤となる
物語をもっている。
しかし、
現在のように
個人主義が
進んできて、その
生き
方をある
程度肯定するものにとっては、
個人にふさわしい
物語をもつ、あるいはつくり
出す
必要があると
思われる。と
言っても、
誰もがそのような
物語をつくり
出す
才能があるわけではない。
そのために、そのときどき
自分にとって
必要な
物語、あるいはそれに
類似のものを
他人のつくったもののなかから
見つけ
出すことをしなくてはならない。それは、ひょっとして
古い
神話のときもあろう。あるいは、
現代作家の
書いた
児童文学かもわからない。ただそれは
自分に
完全にピッタリというのはないであろう。
自分もこの
世のなかで
唯一固有の
存在と
考える
限り、そんなことはありえない。しかし、それと
共に
自分が
人間としていかにその
存在を
他と
共有し
合っているかを
思うと、
多くの
人に
共通の
重要な
物語があることも
了解できるであろう。
このようにして
自分の
人生を
生きるとき、
死ぬときにあたって、
自分の
生涯そのものが
世界のなかで
他にはない
唯一の「
物語」であったこと、「
私」という
存在のふしぎがひとつの
物語のなかに
収められていることに
気づくことであろう。
自分の
人生を
豊かで、
意味あるものとするために、われわれはいろいろな「ふしぎ」についての
物語を
知っておくことが
役立つのではなかろうか。
長文 4.3週
【1】ラレルは、
四つの
仕事を
同時に
受け
持つ、じつによく
働く
勤勉な
助動詞である。もとより、これを
助動詞とは
認めず、
接尾語とする
説(
時枝文法)もあるが、それはとにかく、
助動詞ラレルの
四つの
仕事とはこうである。
【2】
一、「せっかく
買った
週刊文春を
盗られた」というふうに、
他からの
動作や
働きを
受けることを
表す。つまり
受け
身を
表す。
二、「
社長が
週刊文春を
手に
入って
来られた」というふうに、
動作をする
人に
対する
敬意を
表す。つまり
尊敬を
表す。
【3】
三、「
週刊文春はおもしろく
感じられる」というふうに、しようと
思わなくても
自然にそうなるということを
表す。つまり
自発を
表す。
四、「この
図書館では
週刊文春が
見られます」というふうに、あることができるということを
表す。つまり
可能を
表す。
【4】ら
抜き
言葉は、
四番目の「
可能」において
頻繁に
現れる。なぜだろうか。
第一の
理由は、
先にも
述べたように
助動詞ラレルがすこぶる
付きの
働き
者で、
右の
四つの
仕事を
一手に
引き
受けているからである。これを
逆に、
使う
側のわたしたちから
見ると、ラレルは
使い
分けが
複雑で
面倒くさい
助動詞だということになる。【5】だったらラレルの
負担を
少し
軽くしてやったらどんなものか。わたしたちは、
心の
底でこんなふうに
考えている。もっと
言えば、ラレルの
使い
分けは
七面倒すぎるから
少し
整理して
簡便にしようというわけだ。こういう
性向を
言語経済化の
原理と
称する。【6】
口は
希代の
怠け
者、なにかというとすぐ
手抜きしたがるのである。
同時に、
日本語にはもう
一つ、
複雑で
面倒なものがあって、それが
敬語である。しかもそれはただ
複雑でめんどうなものであるだけではなく、
使い
方を
誤ると、
人間関係が
壊れてしまうなど、それはもう
大変なことになる。【7】そこで「
見られる」「
来られる」「
起きられる」など、
正規のラレルに
敬語(
尊敬)の
表現を
任せることにした。その
一方で、とりわけ
可能の
表現をラレルから
独立させ、つまりラ
抜きのレルにして、「
見れる」「
来れる」「
起きれる」という
具合に
表現することにした。【8】
日本人がどこかで
大集会を
開いてそう
談合したわけではないが、
自然にそういうことになったのではないか。……と、まあ、こういうことなのだろうと
思われる。さらに
付け
加えるなら、ラレルよりレルの
方が
発音しやすく
簡潔でもあるので、よく
使う
可能表現をレルにしてしまったということもあるかもしれない。【9】いずれにしても、ら
抜き
言葉を
認めるかどうかは、
二十世紀日本語の
重大問題の
一つにはちがいない。というのもだいぶ
以前からこの
是非については
議論があったからである。『
実は、このい
方は、
松下大三郎という、
日本語を
深く
研究した
文法学者の『
標準日本文法』という
本(
一九二四年出版)にすでに
注意されています。【0】「
起キレル」「受ケレル」「
来レル」というい
方は、「
平易な
説話にのみ
用い、
厳粛な
説話には
用いない」とその
本にあります。』(
大野晋)
国語学者の
神田寿美子さんによれば、
川端康成の『
雪国』(
一九三五年)にも「
遊びにこれないわ」という
例があり、
一九四三年(
昭和十八年)には「
日本語」という
雑誌に、『「られる」といふべきところを「れる」といふ
人が
相当多く、しかも
知識人の
書いたものにまでしばしばこのやうな
用法が
現れる。
例へば、「
駈けられる」を「
駈けれる」、「
綴じられる」を「
綴じれる」』と
書くのは
遺憾であるという
記事がでているそうだ。このように、ら
抜き
言葉は、
永く
批判の
的になりながらも、しかし
次第に
多く
使われるようになってきたのである。たしかに、ら
抜き
言葉は
手抜きである。しかしそれには
理由があった。では、
日本語によって
生きている
者の
一人として、
君は、ら
抜き
言葉を、そうなった
理由を
認めるのか。こう
問われるならば、
答えは
否。
言語というものはその
本質においてうんと
保守的なものである。そこで、そう
簡単には
言語多数決の
原理だの
言語経済化の
原理だのを
受け
入れれない。いや、
受け
入れられないのである。
長文 4.4週
【
長文が
二つある
場合、
読解問題用の
長文は
一番目の
長文です。】
私たちはこれまで、
木は
時代遅れの
原始的な
素材だと
思っていた。だからそれに
新しい
技術を
加え、
工業材料のレベルに
近づけることが
進歩だと
考えた。その
結果、
改良木材と
呼ばれるものが
次々に
生み
出された。それらは
従来の
木の
欠点を
補い、
大量の
需要に
応じ、
生活を
豊かにするのに
大きく
役立ってきた。たしかに
木材工業は
発展したのである。
だが
一方、
最近になって、
一つの
疑問が
持たれはじめてきたように
思う。それは
木というものは
自然の
形のまま
使ったときが
一番よくて、
手を
加えれば
加えるほど
本来のよさが
失われていくのではないか、という
反省である。
考えてみるとそれは
当たり
前のことだったかもしれない。
木は
何千万年もの
長い
時間をかけて、
自然の
摂理に
合うように、
少しずつ
体質を
変えながらできあがってきた
生き
物だったはずである。
木は
自然の
子で、そのままが
最良なのである。
だから
木を
構成する
細胞の
一つ
一つは、
寒いところでは
寒さに
耐えるように、
雨の
多いところでは
湿気に
強いように、
微妙な
仕組みにつくられている。あの
小さな
細胞の
中には、
人間の
知恵のはるかに
及ばない
神秘がひそんでいるとみるべきであろう。それを
剥いだり
切ったり、くっつけたりするだけで、
改良されると
考えたこと
自体、
近代科学への
過信だったかもしれない。
木を
取り
扱ってしみじみ
感ずることは、
木はどんな
用途にもそのまま
使える
優れた
材料であるが、その
優秀性を
数量的に
証明することは
困難だということである。なぜなら、
強さとか、
保湿性とか、
遮音性とかいった、どの
物理的性能をとりあげてみても、
木はほかの
材料に
比べて、
最下位ではないにしても、
最上位にはならない。どれをとっても、
中位の
成績である。だから
優秀性を
証明しにくい、というわけである。
だがそれは、
抽出した
項目について、
一番上位のものを
最優秀だとみなす、
項目別の
タテ割り
評価法によったからである。いま
見方を
変えて、ヨコ
割りの
総合的な
評価法をとれば、
木はどの
項目でも
上下に
偏りのない
優れた
材料の
一つということになる。
木綿も
絹も
同様で、
タテ割り
評価法でみていくと
最優秀にはならない。しかし「ふうあい」(
繊維の
手ざわりや
見た
感じ)まで
含めた
繊維の
総合性で
判断すると、これらが
優れた
繊維であることは、
実は
専門家のだれもが
肌で
知っていることである。
総じて
生物系の
材料というものは、そういう
性質をもつもののようである。
以上に
述べたことは、
人間の
評価のむずかしさにも
通ずるものがあろう。
二、
三の
タテ割りの
試験科目の
点数だけで
判断することは、
危険だという
意味である。たしかに
今の
社会は、
タテ割りの
軸で
切った
上位の
人たちが、
指導的役割を
占めている。だが
実際に
世の
中を
動かしているのは、
各軸ごとの
成績は
中位でも、バランスのとれた
名もなき
人たちではないか。
頭のいい
人はたしかに
大事だが、バランスのとれた
人もまた、
社会構成上欠くことのできない
要素である。だが
今までの
評価法では、そういう
人たちのよさは
浮かんでこない。
思うに
生物はきわめて
複雑な
構造をもつものだから、
タテ割りだけで
評価することには
無理があるのであろう。
(
小原二郎)
【1】
話を
元に
戻そう。
以上述べてきたように、
海牛類とクジラ
類では
鼻の
位置がかくの
如く
違うのだが、クジラのように
鼻が
頭のてっぺんにある
哺乳類はほかにはいない(おそらくほかの
動物群「
綱」でもそうなのかもしれない)。【2】とすれば、(
現生の)クジラの
定義として、
(
一)
哺乳類である。
(
二)
一生を
水の
中で
過ごす。
の
二条件に
加えて、
(
三)
鼻の
孔が
頭頂「
頭のてっぺん」に
位置する。とすれば、クジラ
以外にこれに
該当する
生き
物はいないことになる。【3】さらにいえば、(
三)は
非常に
有力なキーであるから、(
二)の「
一生を
水の
中で
過ごす」という
定義がなくても、
無事にクジラ
類にまで
検索が
行き
着くのである。(
中略)
クジラの
体型をクラシックにまとめると、「
紡錘形にしてひれ
状の
前肢を
持ち、
後肢を
欠くが
尾部末線に
半月状の
尾びれが
付属する。【4】また、
背部後半に
背びれを
有するものもいる」とでもなる。クジラ
類の
体型は
多かれ
少なかれこの
字句で
包括できてしまうのだが、
一方、「ちょっと
待てよ、こりゃ、
何もクジラだけの
特徴でもねーんじゃねえーか?」という
疑問がわきおこる。いや、じつにそうなのである。【5】ここでまとめたクジラの
体の
基本的な
特徴は、まさに
海の
先輩である
魚類にもあてはまることなのである。
著名な
進化学者であるハウエルによれば、ホオジロザメ(
魚類代表)、イクチオザウルス(
通称魚竜・
爬虫類代表)そしてバンドウイルカ・ナガスクジラ(クジラ
類・
哺乳類代表)はいずれも、
基本体型が
大変似通っている。【6】これらは、
進化系統的にはまったく
赤の
他人のようなものだが、
共通しているのは、いずれも
生活圏がまったく
水の
中にあること、とりわけ
一生を
水の
中で
過ごすことである。つまり、このような
生活環境の
故にこの
体つきになったということである。【7】この
四者の
比較は、
学術的には
系統的に
異なる
生物が
同一の
環境下で
過ごすことによって
体型が
似てくる(
生物学的)
収斂現象の
例としてしばしば
取り
上げられる。
この
収斂現象は、
自然科学的にも
人文科学的にも
広範に
真理をついているように
思える。【8】
環境を
条件に
見立てれば、
空を
飛ぶためには
鳥とコウモリさらに
飛行機の
収斂になり、さらに
形を
文化にたとえれば、
上りたいという
条件は、
互いに
交流がなくても
東西の
階段の
形や
使い
方が
似てくるという
例に
置き
換えられる。
【9】い
換えれば、
収斂とは「
互いに
独立して
努力しても、
合理性を
追求してゆくと、
結果が
類似してくる」ということなのである。
クジラ
類が、
一体いつごろ
水界に
入ったかは
依然として
謎が
多い。【0】
従来、
最古のクジラであるムカシクジラ
類パキセタスの
化石が
現れるのがおよそ
五〇〇〇
万年前といわれていたが、
近年発見されたアンプロケタスの
化石は、これを
上回る
五二〇〇
万年前の
地層から
見いだされている。いずれにしても、ため
息の
出るような
悠久の
時を
経ていることには
変わりがない。この
間には、
幾多のクジラの
種類が
現れては
消えていったはずであるが、クジラ
類というグループとしてはひたすらたゆまぬ
努力を
重ねて
地球上のあらゆる
水界に
進出する
一方、
地球が
生んだ
最も
高等な
哺乳類という
生物の
一族でありながら、
自らの
記憶すらない
遠い
遠い
祖先「
海の
大先輩」である
魚類を
凌ぐほどに
体を
変えて
水になじんだのである。
私が
前段でこだわった「
鼻の
位置」も、もちろんこの
一環にすぎない。
クジラ
類とは、
哺乳類でありながら、
本来の
生活の
場から
水界に
生息場所を
移し、そこでの
生残りを
果たしただけでなく、なおかつ
合理性を
追求している
生き
物であり、このような「クジラ
的な
生き
物」はやはりクジラしかいない。
(
加藤秀弘編著『ニタリクジラの
自然誌』による)
長文 5.1週
【
一番目の
長文は
暗唱用の
長文で、
二番目の
長文は
課題の
長文です。】
【1】
住空間をきれいにするには、できるだけ
空間から
物をなくすことが
肝要ではないだろうか。ものを
所有することが
豊かであると、
僕らはいつの
間にか
考えるようになった。
【2】
高度成長の
頃の
三種の
神器は、テレビ、
冷蔵庫、
洗濯機、その
次は
自動車とルームクーラーとカラーテレビ。
戦後の
飢餓状態を
経た
日本人は、いつしか、ものを
率先して
所有することで
豊かさや
充足感を
噛み
締めるようになっていたのかもしれない。【3】しかし、
考えてみると、
快適さとは、
溢れかえるほどのものに
囲まれていることではない。むしろ、ものを
最小限に
始末した
方が
快適なのである。
何もないという
簡潔さこそ、
高い
精神性や
豊かなイマジネーションを
育む
温床であると、
日本人はその
歴史を
通して、
達観したはずである。
【4】
慈照寺の
同仁斎にしても、
桂の
離宮にしても、
空っぽだから
清々しいのであって、ごちゃごちゃと
雑貨やら
用度品やらで
溢れているとしたなら、
目も
当てられない。【5】
洗練を
経た
居住空間は、
簡素にしつらえられ、
実際にこの
空間に
居る
時も、ものを
少なくすっきりと
用いていたはずである。
用のないものは、どんなに
立派でも
蔵や
納戸に
収納し、
実際に
使うときだけ
取り
出してくる。それが、
日本的な
暮らしの
作法であったはずだ。
【6】ものにはそのひとつひとつに
生産の
過程があり、マーケティングのプロセスがある。
石油や
鉄鉱石のような
資源の
採掘に
始まる
遠大なものづくりの
端緒に
遡って、ものは
計画され、
修正され、
実施されて
世にかたちをなしてくる。【7】さらに
広告やプロモーションが
流通の
後押しを
受けて、それらは
人々の
暮らしのそれぞれの
場所にたどり
着く。そこにどれほどのエネルギーが
消費されることだろう。その
大半が、なくてもいいような、
雑駁とした
物品であるとしたらどうだろうか。【8】
資源も、
創造も、
輸送も、
電波も、チラシも、コマーシャルも、それらの
大半が、
暮らしに
濁りを
与えるだけの
結果しかもたらしていないとするならば、これほど
虚しいことはない。
【9】
無駄な
物を
捨てて
暮らしを
簡潔にするということは、
家具や
調度、
生活用具を
味わうための
背景をつくるということである。
芸術作品でなくとも、あらゆる
道具には
相応の
美しさがある。【0】
何の
変哲もないグラスでも、しかるべき
氷を
入れてウイスキーを
注げば、めくるめく
琥珀色がそこに
現れる。
霜の
付いたグラスを
優雅な
紙敷の
上にぴしりと
置ける
片付いたテーブルがひとつあれば、グラスは
途端に
魅力を
増す。
逆に、
漆器が
艶やかな
漆黒をたたえて、
陰影を
礼賛する
準備ができていたとしても、ものが
溢れかえっているダイニングではその
風情を
味わうことは
難しい。
持つよりもなくすこと。そこに
住まいのかたちを
作り
直していくヒントがある。
何もないテーブルの
上に
箸置きを
配する。そこに
箸がぴしりと
決まったら、
暮らしは
既に
豊かなのである。
(
原研哉「
持たないという
豊かさ」より)
【1】
島国言語の
特色のひとつは、
相手に
対する
思いやりが
行き
届いていることである。ヨーロッパの
言語では、われとなんじ、
自と
他の
対立関係において
言語活動が
考えられるが、
島国言語の
日本語ではそういう
対立関係はあまり
発達しない。【2】そのかわり
第一人称にいろいろな
形態ができている。「
私ども」とか「
手前ども」のように、
第一人称の
単数か
複数かはっきりしないような
用法があり、それが
何とも
言えない
味わいをもって
受けとられる。
【3】ヨーロッパの
言語や
文法の
考えになれた
人たちから
見ると、いかにも
不明瞭である。もうすこしはっきりさせた
方がいいのではないか。どうして、
日本語の
主語が
不安定なのであろう。そういう
感想がもたれ、それがやがて
日本語は
論理的ではないのではないかという
疑いに
結びついて
行く。
【4】
日本語の
人称をあらわす
語は、きわめて
多様で、
第一人称など
五つ
六つがすぐ
頭に
浮かんでくる。
日常使っている
第一人称でも、
二つや
三つは
使い
分けている。
相手との
心理的距離、
関係にしっくり
合うような
人称語を
使うことが
必要だという
意識がつよいからであろう。【5】
対人関係の
微調整の
感覚が
発達しているのだとも
言える。(ここまで、
島国言語という
表現を
何のことわりもなしに
用いてきたが、
大陸言語にくらべて
劣っているといった
含蓄はまったくない。
島国、
大陸は
地理的条件を
示すものであって、
島国的な
母国根性といったものと
結びつく
形容詞ではないつもりである。
以上、
念のため。)
【6】
島国言語のもうひとつの
特質は、
話の
通じがたいへんよいということである。ツーといえばカーとくる。お
互いに
野暮な
人間はいない、あるいは、いないはずだという
前提に
立っている。
通人同士のコミュニケイションだということである。【7】
通人というと
何か
古くさい
感じがするが、
伝達理解に
必要な
情報をもっている
人間はすべて
通人である。したがって、われわれはだれでもある
場面では
通人としての
言語活動をしているのである。その
典型は
家族間の
会話である。【8】
省略の
多い、
要点のみをおさえた
言葉のやりとりをしていて、お
互いに
理解し
合っている。
通人同士だからである。
家族の
会話というのは、どんな
大陸言語の
性格のつよい
社会でも
通人的、したがって
島国言語的なものである。【9】ただ、
日本語は、
普通は
家族の
間で
行われるような
言語活動の
様式が
親密な
集団の
範囲をこえて
広く
認められるのである。
それでは
島国言語がなぜ
通人社会になるのか。
家族の
会話が
第三者にはまるで
判じもののようなやりとりをしておりながらなぜ
意思の
疎通ができるのか。【0】そういうことが
問題になるであろう。
言語には
冗語性というものがある。ひと
口にいうと
言葉の
中に
含まれる
必要な
蛇足である。どんな
言語でも
必要にして
充分なことだけしか
表現していないことはあり
得ない。
百が
必要量だとすると、
表現は
百五十も
百八十もの
情報をもっている。だから、
受け
手はその
中から
百だけを
理解すればよい。
残りの
部分は
蛇足であるが、これがないと
相手の
言っていることが
中途でわからなくなったりする
危険がある。(
中略)
このように、
時と
場合によって、
蛇足の
部分をふやしたり、
減らしたりということをほとんど
無意識に
行っている。
相手の
耳に
達するまでにロスが
多いと
思えば
冗語性を
高めるし、
確実に
伝わる
自信をもっているときには、
低音で
話したり、
省略の
多い
表現をとったりして
冗語性をすくなくする。
冗語性のすくない
典型的なケースがすでにのべた
家族間の
話である。
日本語は
島国言語である。
島国言語というのは
極端ない
方をすると、
家族同士の
会話を
社会全体でもやっているような
言語のことで、
当然、
冗語性はすくなくてよい。
島国言語の
社会で
冗語性がすこし
普通より
高くなると、すぐ、くどいとかうるさいとか
理屈っぽい、
野暮というような
消極的反応を
誘発する。
通人の
社会である。
大人はなるべく
冗語性のすくない
言葉を
用いるように
知らず
知らず
傾いている。
大陸言語の
社会では
冗語性をあまりすくなくすると、ごく
親密な
関係の
人との
間ならともかく、
相手に
誤解されたり、
了解不能を
訴えられたりするから、ていねいな
表現をしなくてはならない。ヨーロッパ
語の
中でもドイツ
語がいちばん
冗語性が
高いということであるが、われわれがドイツ
語を
論理的で
何となく
理屈っぽいと
感じているのはこの
冗語性の
高さと
無関係ではないように
思われる。
(
外山滋比古「
日本語の
論理」より)
長文 5.2週
【1】こればかりは
自分で
体験するしかないが、
方法はないわけではない。
第一には
旅をすることだ。
地球上にはまだ
浪費文明に
侵されず
昔ながらの
素朴な
生活を
営んでいるところがいくつもある。【2】アジア、アフリカのいわゆる
第三世界に
行けばいまだそれがふつうの
暮らし
方だし、またアイルランドやメキシコやニュージーランドにたっぷりとそういう
暮らしぶりが
残っている。わたしはそういう
土地に
行き、その
生き
方になじむことで、
自分の
生きている
日本の
大都会の
生がいかに
反自然な
人工的なものかを
知った。【3】と
同時に
彼らのその
生のほうがいかに
人間らしく、
自然と
調和しているかを
味わった。そのほうが
効率的生産を
求めてあわただしい
日本の
今の
生活よりずっと
上等な
生だと
痛感したのだった。
そこで
何より
思い
知らされたのは、
人間は
生きていく
上でなんとわずかの
物で
足りるかということだった。【4】われわれが
生活の
必需品のごとく
思いなしているさまざまな
文明の
利器などなくても
人間は
生きていけるのである。むしろそんなものなしに
身を
自然の
中に
置いたほうが、どれほど
今自分が
生きてあることをしみじみと
感じるかもしれないのであった。
【5】オーストラリアの
原住民、アボリジニの
一人が
東京に
来たときビルの
入り
口の
自動ドアに
驚き、「なんでこんなものが
必要なのか。ドアなど
手であければいいではないか」と
言ったという。われわれはそういう
思いがけぬ
指摘でふだんの
生活がいかにムダなもので
占められているかを
思い
知らされるのである。
【6】
第二に、それよりもっと
簡単な
方法は、
日本文化の
伝統の
中からそういうシンプル・ライフを
実践した
人を
探し、その
生とわが
身の
現在とを
比較してみることだ。
西行、
鴨長明、
兼好法師、
池大雅、
芭蕉、
良寛、
等々、
探すにも
及ばぬくらいそういう
生き
方をした
人物がわが
国にはあって、むしろ
彼らこそがこの
国の
文化をつくり
出したと
思われるほどだ。
【7】その
中の
一人、
前述した
良寛をとってみれば、
彼はおそろしいほど
無一物の
生を
送った。
草庵に
住み、
食は、
乞食により、
衣は
着ている
黒衣一つという
極限の
単純さに
生きた。【8】が、
彼の
詩や
歌、
書を
見れば、この
最も
貧しい
生を
選んだこの
人物の
心のうちがいかにゆったりと
満ち
足り、
生きている
一日また
一日を
感謝の
思いで
生きていたかがわかる。それを
見ると、
彼は
何ももたなかったにもかかわらずなぜこんなにゆたかな
気持ちで
生きられたのだろうと、ふしぎな
気がするくらいである。
【9】
草の
庵に
足さしのべて
小山田の
山田のかはづ
聞くがたのしさ
むらぎもの
心楽しも
春の
日に
鳥のむらがり
遊ぶを
見れば
ともに、ただ
鳥が
遊び
蛙が
無心に
鳴くのを
聞くというだけの
歌だが、
単純に
充実し、
良寛の
心が
自然に
向かってひらけ、
鳥や
蛙の
声がその
心の
世界にこの
上ない
幸福感を
与えていることがわかる。【0】
良寛は
恐るべき
単純な
生活をしながら、
心はこれだけ
充実していたのだ。これを
見ると、これほど
徹底してすべてを
捨てたシンプル・ライフだったからこそ、これだけ
自由でゆたかな
心になれたのかと
思われるほどである。
――
人は
生きるためにいったい
何を
必要とし、
何を
必要としないか。(
中略)
そういう
根源的な
疑問の
前に
自分を
立たせてみるとき、
自分たちがいかに
文明の
提供する
便利や
快適の
誘惑によって
余計なものを
多くもたされているか、それら
物の
過剰によって
生そのものを
見えなくしているかを
知らされるのである。
少なくともわたしは
良寛やそういう
生き
方をした
昔の
日本人の
生と
自分の
現在とをくらべることによって、
初めて
自分の
置かれている
立場を
知ることができたのであった。
その
結果わたしはクルマの
所有と
維持を
止め、テレビを
見ず、クーラーのない、むろん
携帯電話だのワープロだのと
無縁な、
物質文明社会の
中であたうかぎりその
恩恵を
拒否するひねくれ
者の
暮らしを
営むに
至ったが、それで
満足しているのである。
長文 5.3週
【1】
父が
父でなくなっている。
父が
父の
役割を
果たしていない。
家族を
統合し、
理念を
掲げ、
文化を
伝え、
社会のルールを
教えるという
父の
役割が
消えかけている。その
結果、
家族はバラバラになっていわゆる「ホテル
家族」となり、
善悪の
感覚のない
人間が
成長し、
全体的視点のない
利己的な
人間や
無気力な
人間が
増えている。
【2】
父としての
役割は、
立派な
父でないと
果たすことができない。
立派でない
父が
家族を
統合しようとし、
理念を
掲げても、
家族から
無視されるだけである。
立派な
父が
必要とされているのに、しかしその
立派な
父が
育ちにくいのが
現代社会である。【3】そもそも「
立派」などというものが
流行らない
世の
中なのだ。
自らの
欲望をコントロールし、
全体の
将来を
考えてリーダーシップをとり、
各成員の
調停をして
取りまとめ、ルールを
教えるという「
立派な」
人格は、
尊敬の
対象にはなりにくい。【4】「
正直」だの「
誠実」だのという
抽象的な
徳目を
唱える
父親は、
子どもたちから
煙たがられる。あまり
立派でない、むしろだらしのないくらいの
父親のほうが
親しまれることになる。「ありのまま」がよいとされ、「
立派」なのは
無理していると
見られ、
不自然だとみなされる。
【5】
父でなくなった
父の
典型が「
友だちのような
父親」である。
彼らは
上下の
関係を
意識的に
捨ててしまった。
価値観を
押しつけることは
絶対にしない。
子どもの
自主性を
重んじて
決して
強制はしない。
何をするのも
自由放任である。【6】しかしそういう
父親の
子どもは「
自由な
意志」を
持つようにはなるが、「よい
意志」を
持つようにはならない。
精神力がなく
無気力になりがちなので
簡単に
不登校になったり、
逆にわがままになると「いじめ」に
走ったりする。
【7】いじめっ
子の
出来方は、わがまま
犬の
出来方によく
似ている。
飼い
主の
言うことをきかないわがまま
犬は、
飼い
主が
自由放任でルールを
教えなかったために
生まれるのである。
犬の
意志を
尊重して、
犬の
要求を
何でもきいてやっていると、
犬は
自分が
主人だと
思って
自由意思を
持ち、
勝手に
要求をして、やたらと
吠えるようになる。【8】
飼い
主が
父として
原則・
理念と
生活規則を
教え、
一定の
我慢をすることを
教えないと、
子どもでも
犬でも
同じようにわがままに
育ってしまうのである。
「
友だちのような
父親」は、じつは
父ではない。
父とは
子どもに
文化を
伝える
者である。
伝えるとはある
意味では
価値観を
押しつけることである。【9】
自分が
真に
価値あると
思った
文化を
教え
込むのが
父の
最も
大切な
役割である。
上下の
関係があり、
権威を
持っていて
初めてそれができる。しかし
対等の
関係では、
文化を
伝えることも、
生活規則、
社会規範を
教えることもできない。「もの
分かりのいい
父親」は
父の
役割を
果たすことのできなくなった
父と
言うべきである。【0】
(
林道義「
父性の
復権」より)
長文 5.4週
【
長文が
二つある
場合、
読解問題用の
長文は
一番目の
長文です。】
春になると、
隣家の
庭の
白木蓮が
一斉に
花を
開く。その
姿は
薄闇の
中で
眺めるのがいちばん
美しい。しかし、いま
書きたいのは
隣家の
木ではない。
身近な
花の
美しさによって
呼び
出されたような、もう
一本の
木のことである。
ある
日の
午後、
階下の
西向きの
窓からぼんやり
外を
見ていた。そのころまだわが
家の
西側に
建物はなく、
空き
地ぞいの
道を
隔ててかなり
遠くまでの
景色が
楽しめた。ふと
気がつくと、
道の
向こうの
家の
庭木の
間から
一本の
白い
樹木が
立ち
上がっている。いや、
満身に
白い
花を
飾った
丈高い
木が
目に
飛びこんできたのだ。その
家の
庭にある
木ではない。
更に
遠くに
立っているものが
庭木ごしに
望まれたのだ。おそらく、
木は
以前からそこにあったのだろう。ただ
純白の
花をまとうまで、こちらが
気づかなかっただけに
違いない。
白木蓮にしては、
丈が
少し
高すぎる。しかし
辛夷にしては、あまりに
花が
大ぶりで
木の
全体を
包みすぎている。
家の
者に
尋ねても、その
木を
見るのは
初めてであり、どのあたりに
生えているのか
見当がつかぬという。まるで
突然に
出現したかのような、
白く
燃える
美しい
木だった。
次の
日も、
次の
次の
日も、
木は
同じように
立っていた。というより、
更に
白い
輝きをまして
西の
窓外に
目を
誘った。ついにたまらなくなって
家を
出た。
駅とは
反対の
方角なので、
平素はあまり
足を
運ばないあたりである。
歩き
出すとすぐに
相手は
見えなくなった。
道からでは
近くの
家の
庭木がじゃまをするからだ。はじめは
駅へと
向かい、
次に
右折を
二度重ねてもう
一本先の
道へと
曲ってみた。わが
家からの
見え
方からすれば、その
道の
左右いずれかにあるはずだ。
最初の
日、とうとう
発見することはできなかった。
帰って
西側の
窓辺に
立つと、
木はくっきりと
曇り
空を
背景にたたずんでいるのだった。
翌日、
二度目の
探索におもむいた。そして
前日と
同じ
道の
右側に、
二階家の
壁に
隠れるようにして
花を
咲かせている
大きな
白木蓮を
見つけ
出した。そしてひどくがっかりした。
近くにそれらしい
木はないので
間違いないと
思われるのに、
見る
角度が
異なるためか、
相手は
窓から
眺めたときのような
気高い
美しさをたたえてはいなかった。こんなことならさがし
出さなければよかった、といたく
後悔した。
それから
間もなく、
空き
地に
家が
建てられて
西向きの
窓からの
眺めを
奪った。
遠い
白木蓮はわが
家の
視界から
失われた。その
木はいま、ぼくの
中だけに
一年中白い
花を
咲かせてひっそりと
立っている。
(
黒井千次「
五十代の
落書き」)
【1】じっさい、ほかの
国の
言葉で
日本語ほど
多様な
水の
表現をもっている
例はないといってもいいのではあるまいか。だから、さきの
蕪村の
句を
外国語に
翻訳するのは
至難なのである。たとえば
英語やドイツ
語や
フランス語で「のたりのたり」をどのように
表現したらいいのだろう。【2】
私はさんざん
苦労したあげく、ついにこの
句を
外国の
知人に
説明し
得なかった。
「のたりのたり」だけではない。
水についてのオノマトペは、そのほとんどが
翻訳不可能である。たとえば、
文部省唱歌の「
春の
小川はさらさら
流る」の「さらさら」は、どう
訳したらいいのか。【3】お
伽話『
桃太郎』で
語られているあの「ドンブラコッコ、スッコッコ」を
何と
表現したらいいのか。
野口雨情の
童謡「ドンと
波 ドンと
来て ドンと
帰る」をどんなふうにいいかえたらいいのか。
水で
布などを
洗う
音は「ざぶざぶ」であり、
涙が
流れる
様子は「さめざめ」であり、【4】
水気をふくんださまは「しっとり」であり、それが
外ににじむほどであれば「じっとり」であり、
湿気が
過度であれば「じめじめ」であり、
水が
絶えず
流れ
出る
状態は「じゃーじゃー」であり、
水が
揺れ
動く
様相は「じゃぶじゃぶ」であり、
水滴が
垂れる
音は「ぽたぽた」であり、【5】
水が
跳ねる
有様は「ぴちゃぴちゃ」であり、
水にひどく
濡れる
形容は「びしょびしょ」であり、
水に
何かが
軽そうに
浮かんでいるのは「ぷかぷか」、
水に
沈むさまは、「ぶくぶく」、
雨が
降り
出すのは「ぽつぽつ」、
水中から
泡が
浮かびあがるのは「ぼこぼこ」、
水を
一気に
飲み
干すさまは「がぶがぶ」、【6】
水が
何かに
吸い
込まれる
音は「ごぼごぼ」、そして、
大波は「とどろ」に
打ち
寄せ、
滝は「ごうごう」と
落ち、
石は
水中に「どぶん」と
沈み、
水は「ばちゃっ」と
跳ねかえり、
夕立は「ざーっ」と
襲い、
梅雨は「しとしと」と
降りつづく。
ああ、なんと
多彩な
水の
表現であろうか!
【7】だが、こうした
多彩なオノマトペは、
同質社会でこそ
微妙な
伝達の
機能を
発揮できるが、
異質な
風土、
異質な
文化のなかに
住む
人にはさっぱり
通じない。なぜなら、
擬声語、
擬態語というのは、あくまで
感覚的な
言語であって、
言語の
重要な
性格である
抽象性をもたないからだ。
【8】したがって、
感覚的にわかるこれらの
言葉の
意味を
説明するとなると――とたんに
行きづまってしまう。オノマトペは、いわば
音楽なのであり、その
意味をつたえることのむずかしさは
音楽の
与えるイメージを
言語で
解説する
困難さとおなじだといってよい。【9】この
意味で
擬声語、
擬態語は
言葉の
本質ともいうべき
抽象力を
欠く
低次の
言葉だといえなくもない。しかし、
言語がその
抽象力をもって
伝達し
得る
領域には
限界がある。
人間の
言語は、しょせん
万能ではないのだ。【0】
もし
言語がこの
世界のすべてを
表現しつくせるものなら、
言葉さえあれば
何もかも
理解できてしまうだろう。しかし、そうはいかない。そうはいかないからこそ、
言葉ではいいあらわせない
別の
表現を
人間は
考え
出してきたのだ。たとえば
絵画であり
音楽である。セザンヌの
絵を、あるいはモーツアルトの
音楽を
言葉にそっくり
置きかえるなどということができるであろうか。
私はオノマトペを
言語と
音楽との
接点として
考える。それは
人間の
感性を
音声そのものによって
表現しようとする
伝達の
手段だからだ。したがって、
擬声語、
擬態語はきわめて
微妙な
感性を
表現し
得るかわりに
抽象性を
欠き、
普遍性を
犠牲にせざるを
得ない。オノマトペはあくまで
限られた
言語、
内輪の
言葉という
宿命をもつのである。
(
森本哲郎『
日本語 表と
裏』の
文章による)
長文 6.1週
【
一番目の
長文は
暗唱用の
長文で、
二番目の
長文は
課題の
長文です。】
【1】
単調で
荒涼な
砂漠の
国には
一神教が
生まれると
言った
人があった。
日本のような
多彩にして
変幻きわまりなき
自然をもつ
国で
八百万の
神々が
生まれ
崇拝され
続けて
来たのは
当然のことであろう。
山も
川も
木も
一つ
一つが
神であり
人でもあるのである。【2】それをあがめそれに
従うことによってのみ
生活生命が
保証されるからである。また
一方地形の
影響で
住民の
定住性土着性が
決定された
結果は
至るところの
集落に
鎮守の
社を
建てさせた。これも
日本の
特色である。
【3】
仏教が
遠い
土地から
移植されてそれが
土着し
発育し
持続したのはやはりその
教義の
含有するいろいろの
因子が
日本の
風土に
適応したためでなければなるまい。
思うに
仏教の
根底にある
無常観が
日本人のおのずからな
自然観と
相調和するところのあるのもその
一つの
因子ではないかと
思うのである。【4】
鴨長明の
方丈記を
引用するまでもなく
地震や
風水の
災禍の
頻繁でしかも
全く
予測し
難い
国土に
住むものにとっては
天然の
無常は
遠い
遠い
祖先からの
遺伝的記憶となって
五臓六腑にしみ
渡っているからである。
【5】
日本において
科学の
発達がおくれた
理由はいろいろあるであろうが、
一つにはやはり
日本人の
以上述べきたったような
自然観の
特異性に
連関しているのではないかと
思われる。
雨のない
砂漠の
国では
天文学は
発達しやすいが
多雨の
国ではそれが
妨げられたということも
考えられる。【6】
前にも
述べたように
自然の
恵みが
乏しい
代わりに
自然の
暴威のゆるやかな
国では
自然を
制御しようとする
欲望が
起こりやすいということも
考えられる。
全く
予測し
難い
地震台風に
鞭打たれつづけている
日本人はそれら
現象の
原因を
探究するよりも、それらの
災害を
軽減し
回避する
具体的方策の
研究にその
知恵を
傾けたもののように
思われる。【7】おそらく
日本の
自然は
西洋流の
分析的科学の
生まれるためにはあまりに
多彩であまりに
無常であったかもしれないのである。
【8】
現在の
意味での
科学は
存在しなかったとしても
祖先から
日本人の
日常における
自然との
交渉は
今の
科学の
目から
見ても
非常に
合理的なものであるという
事は、たとえば
日本人の
衣食住について
前条で
例示したようなものである。その
合理性を「
発見」し「
証明」する
役目が
将来の
科学者に
残された
仕事の
分野ではないかという
気もするのである。
【9】ともかくも
日本で
分析科学が
発達しなかったのはやはり
環境の
支配によるものであって、
日本人の
頭脳の
低級なためではないということはたしかであろうと
思う。その
証拠には
日本古来の
知恵を
無視した
科学が
大恥をかいた
例は
数えれば
数え
切れないほどあるのである。【0】
「
日本人の
自然観」(
寺田寅彦)
【1】ノンフィクションの
書き
手は、
在るものを
映そうとし、フィクションの
書き
手は、
在らしめるために
創ろうとする。
たとえば、
先にあげた「『
事実』の
呪縛を
超えるもの」という
座談会の
中で、
小説家である
加賀乙彦は、
実在の
人物をモデルにした
小説『
錨のない
船』を
書くという
体験に
即して、
次のように
語っている。
【2】『……
最初に
収集した
事実を
一応ふまえて、それほど
逸脱したことは
書けないけれども、
登場人物の
心理とか
家族の
関係とか
死んだ
様子とかってのは、
全部事実と
違う
完全なフィクションになってきたんですね。その
方が
実在の
来栖良さんという
青年の
真実に
近いのだろうということなんです。(
中略)【3】
昔、アンドレ・ジイドが「フィクションの
方が
真実で、ノンフィクションは
真実から
遠ざかるだけだ」と
言ってますけど、
僕も
同じような
考えで、フィクションが
多ければ
多いほど
真実に
近づいていくっていう
経験を
今度しましたね』
【4】ここには、フィクションの
書き
手の、
創るということの
絶大な
自信と、あえていえば
傲りが、
驚くほど
率直に
表明されている。
確かに
創るということを
認めるなら
話は
簡単だ。【5】
他人というものはついに、
理解することはできないのではないか、という
苛立ちからも
脱け
出せ、
事実の
核に
到達できないのではないかという
絶望からも
解き
放たれる。
自分の
身の
丈に
合った「
真実」とやらにも
接近できるだろう。【6】しかし、
想像力による
事実の
改変や
細部の
補強という
方法は、
記録というものには
限界があるのではないかという
問いへの
答にはなりえない。
記録、ここではノンフィクションだが、それは
創らぬという
約束の
上に
成り
立っているジャンルの
文章なのだ。それをスポーツにおけるルールと
考えてもよい。【7】サッカーが
手を
使わないことによってラグビーと
異なる
緊張感を
生み
出すように、ノンフィクションも
恣意的に
想像力を
行使しないということで『
在らしめる』という
闘いを
免除され、『
在る』ということによって
支えられている
力を
付与されているのだ。
【8】ここまできて、ようやくノンフィクションには
限界があるのではないかという
問いにまとわりついている
霧がうっすらとだが
晴れていくように
感じられる。つまり、
限界があるのは
当然ではないか、という
地点に
辿りつくのである。【9】そこに
一定のルールがある
以上、
可能なことには
限りがある。
全能の
文章のスタイルといったものを
求めることが
無理なのだ。とすれば、
最も
大事なことは、ノンフィクションには
何が
可能で
何が
不可能かの
境界を
見極めることのはずである。【0】
ノンフィクションのライターにできることは、
事実の
断片を
収集することでしかない。
加賀乙彦のいう「
真実」とやらに
到達することは
不可能であり、
事実の
核といったものを
掘り
出すこともできない。だが、それでどうしていけないことがあろう。
断片と
断片のあいだはついに
埋まらない。わかることもあり、わからないこともある。それをそのまま
提出してどうしていけないか。いや、むしろその
方が、『
在る』ものとしての
事実の
質感や
大きさをくっきりと
伝えることになるのではないか。
事実の
断片を
断片として
提出する。しかし、その
断片の
選び
方、
提出の
仕方に、
書き
手の「
人間」が
混じり
合ってしまわないか、という
問いかけがあった。それに
対しても、その
通りと
認めることでしか
答は
見つからない。「
人間」の
混入は
不可避である。それはこの
世に
万人が
認める
唯一無二の
絶対的な
事実があるのではなく、
個人にとっての
事実しかないという
立場を
承認することでもある。つまり、ノンフィクションとは、
事実の
断片による、
事実に
関するひとつの
仮説にすぎないのだ。
(
沢木耕太郎の
文章による)
長文 6.2週
【1】
百年以上家具を
使ったという
例は
別にめずらしくはない。イギリスだけではなく、
中国でも
日本でも
代々その
家に
伝わる
家具というものがあった。
使い
方さえ
間違えなければ、
家具にとって
百年というのは、むしろ
短い
時間と
言える。【2】またかなり
荒っぽく
使ってもそう
簡単には
壊れはしない。
最悪の
場合でも、
無垢の
天然木を
使っていれば、ほんの
少し
修理したらまた
使える。
東京の
新宿に「ダグ」という
喫茶店があるが、その
中に
使われている
家具は
三百年以上も
前のがかなりある。【3】そして、
毎日毎日、いろいろなタイプの
人が
使いつづけているのに、
今でもまったく
問題がない。それどころか、
永年使いつづけた
味わいはますます
深まっている。
それに
比べたら、
車や
家電製品はほとんどのものが
十年以内の
寿命である。【4】そして、
十年も
使いつづけた
後は、ほとんどの
場合鉄くずの
価値しかない。ところが、
オーク・ヴィレッジの
家具は、ほぼ
車一台の
値で、
家に
必要不可欠なものがそろう。そして、
十年たってもまず
価値が
下がるということがない。【5】いや、
良い
家具はむしろ
十年ぐらい
使い
込んだ
方がよくなる。こうしてみると、
無垢の
天然木を
使った
質の
高い
家具を
百年使うとなれば、それは
車や
家電製品より
何倍も
安く、かつ
生活を
快適にするのに
効果があるということが
納得できる。
【6】
経済面から
考えた
効果は、
実のところ「
百年使う
家具」のもっとも
重要な
要素ではない。
無垢の
木でできた
質の
高い、テーブルやデスクや
書棚を
生活の
中に
入れてみると、
人間の
意識が
変わるのだ。
薄っぺらな
合板と
無垢の
天然木は
存在感が
違う。【7】そして、
単に
迫力があるだけでなく
自然素材特有の
温かさと
柔らかさで、
私たちを
受け
入れてくれる。だから、うまくその
家具に
付き
合うのはむつかしいことではない。
例えば、
良いテーブルの
上では、
自然に
毎日の
食事をより
大切に
味わうようになる。【8】
私たちの
眼の
前にある
食物となっている
自然の
恵みに
素直に
感謝しながら
食べられるのも、
無垢の
木のテーブルだからこその
効果だ。
会社の
会議でも、せせこましいことで
腹立てている
人に、なるべく
百年の
木目からのメッセージをとどけるようにしてみよう。【9】
本物の
木を
使い、
本物の
造り
方をした
家具は、
本物の
人間を
育てるようになる。
百年の
木目は、いまだ
未熟な
私たちを、
控え
目だが
確実にしっかり
応援してくれるはずだ。そして、
木の
家具と
対話しながらの
日々は、ほんの
少しずつだが、
私たちの
意識を
変えていってくれる。【0】
本物の
木の
家具と
永く
付き
合おうと
思うと
必然的に
二十一世紀が
問題となる。「
子供や
後輩をどう
育てるか」が
結局「
二十一世紀をどう
育てるか」に
結びつく。
二十一世紀を
担う
人間たちの
基礎をどう
造るかはきわめて
大切な
問題であり、かつきわめてむつかしい
問題である。
現在のところ、
日本の
公教育は、
未だ
時代錯誤の「
工業化時代の
生産様式」でもって、
応用力のないひよわなマニュアル
人間を
造りつづけている。
人類の
大変動期にあって、こんなことでは
先が
思いやられる。また、
身の
周りが、
安っぽい
工業製品であふれていたためか、
若者の
興味が
安っぽく
薄っぺらなものばかりに
集中している。このままでは、
世界全体が
刹那主義に
走るか、
安直なカルトに
走るかになってしまう。
そんな
不安を
超えようとした
時、そう
簡単に
特効薬は
見つからない。
即効性の
薬を
求めること
自体が、ミイラ
取りのミイラ
現象なのだから。そこではやはりすぐには
効果がなくても、ジワリジワリとそれでいて
心の
底深くに
一自然の
声がしみとおっていくような
方法がよい。
私は、ここでも「
百年使える
百年の
木目をもった
家具」こそ、
無言だが、もっとも
説得力がある
対話相手のように
思える。「
無垢の
木の
学習机を
子供に
買ったら、
子供の
生活態度が
変わった。」という
報告も、
何度も
受けている。
若い
素直な
感性があれば、
百年以上もある
木目から、
二十一世紀末までも
見すえた
遠大で
深遠なメッセージを、きっと
読みとれるはずだ。
なにしろ
木というものは、
種から
発芽して
数百年から
数千年生きる
生命力を
基本的にはそなえている。そういう
基本的な
生命力を
人間が
木や
年輪から
感じ
取るだけでも
意味あることだ。しかし、さらに
重要なことは、
木はその
生命を
持続していた
間、すなわち
自らの
体を
少しずつ
大きくするという
生産活動をしている
間、まわりの
環境を
良化することはあっても、
悪化することは
全くないということだ。これは
人間を
筆頭とする
動物には、
絶対に
見られないことであり、この
木の
生き
方こそ、
二十一世紀という
環境の
世紀のためにもぜひとも
我々人間はまなぶべきだろう。
長文 6.3週
【1】「
科学における
発想と
論理」という
話になると、いつも
昔やったハバチの
研究のことを
思い
出す。もう
三十年ほど
前のことだが、マツノキハバチ(
松の
黄葉蜂)というハバチに
興味をもった。
欧州の
研究者によると、このハバチは
年によって
大発生したり、ごくわずかな
個体数しか
現れなかったりする。【2】
冬があまり
寒くないと、
冬眠(
休眠)している
幼虫の
多くが
休眠からさめられず、
親になれないままもう
一年冬を
越してしまう。
年々、
休眠幼虫がたまっていき、たまたま
冬が
寒かった
年にそれが
全部まとまって
親バチになって
大発生するからだというのである。
【3】
日本にも
同じ
種とされているマツノキハバチが、
高山のハイマツ
帯にいるという。そこで
中央アルプスに
登り、
高度二千五百メートル
付近に
生えているハイマツにいる
幼虫をつかまえて
来て、
大学の
研究室で
飼育を
始めた。【4】
飼育温度は、
普通、
昆虫の
実験で
常識的に
用いられる
摂氏二十五度とした。
幼虫たちはハイマツの
葉をもりもり
食べて、
元気そうだった。
ところがである。
二日目には
半分近くの
幼虫が
死に、
三日目には
大半が、
四日目には
生き
残っているものはいなくなっていた。【5】こうしてこの
年の
実験はあえなく
終わりになった。
その
翌年、また
挑戦した。
二十五度は
少し
高すぎたかと
思ったので、
十六度の「
区」も
設定した。けれど
結果は
前年と
同じだった。
十六度区は
全滅が
一日延びただけだった。
【6】そこで
死んだ
幼虫をもって
昆虫病理学の
先生を
訪れた。「
病気ではありませんね。
単なる
生理死です」。
単なる
生理死!
いったいどういうことだ?
三年目は、また
殺すために
虫を
採りに
行くのかとアルプスへ
出かけるのは
気が
重かった。
【7】
出発のとき、ふとある
発想がひらめいた。
大学前の
バス停に
学生を
待たせて、
研究室にとって
返した。そして、
旧式の
自記温度計(そのころはそのタイプのものしかなかった)をぶら
下げて、
バス停に
戻った。
「そんなもの、どうするのですか」と、
学生がいぶかしげに
尋ねる。【8】「まあ、いずれわかるよ」。そう
答えてアルプスに
向かった。
ふと
思いついたのは、「
飼育温度は
一定ではなく、
高温・
低温と
振れなくてはいけないのではないか」ということであった。
高山では
昼間は
日がさして
暑いくらいだが、
夜から
明け
方には
猛烈に
寒くなる。【9】
高山のハバチはそういうところにすんでいるのだから、
激しい
温度の
振れに
耐えられるのみでなく、そのような
振れを
必要としているかもしれない、ということに
気づいたのだ。
山から
帰って
来て、
早速、
昼は
二十五度、
夜はただの
五度という
条件で
飼育を
始めた。【0】
予想は
的中した。
幼虫たちはすくすく
育ち、ほとんど
死ぬことなく、
繭をつくった。
さて、この
結果を
学会で
発表する
段になると、ある
配慮が
必要になった。
二十五度一定、あるいは
十六度一定という
条件では
全部死にました。そこまではよい。「それで、ふと
思いつきまして……」とは
絶対に
言えない。
どうしたかというと、「そこでこの
虫の
生息している
場所の
気温を
測定してみました」といって、
自記温度計で
記録したデータを
見せる。そして、「これをシミュレートした
温度条件を
設定して
飼育したところ、
幼虫はみごとに
成長して、
成虫(
親バチ)になりました。このハバチの
幼虫の
成長には、
一日のうちに
高温・
低温が
交代する
温度周期が
必要なように
思われます」と
結んだのである。
こうして、ふと
思いついた
発想には
一言も
触れず、データに
基づいた「
論理的」
推理を
展開する
形をとることによって、この
研究も
私自身も、「
科学的」な
体面を
保つことになった。
これが、
今までの
科学と、
科学教育の
落とし
穴である。
幸いにして
近ごろは、
多くの
人がこのことに
気づき
始めた。しかし、コンピューターによるデータの
処理・
解析が
普通となった
今、
振り
子はまた
以前の
状態に
戻る
可能性がある。といって、
発想法の
処方せんなど
存在するはずはない。
今大切なのは、
科学も
技術も、
普通思われているのとは
異なって、ずっと
人間的なものなのだということを、
深刻に
意識することである。
(
日高敏隆「
日本経済新聞」より)
シミュレート…
実験と
同じように
再現すること。
長文 6.4週
【
長文が
二つある
場合、
読解問題用の
長文は
一番目の
長文です。】
日本の
人里の、
何もきわだって
美しいといえない
風景の
中にも、
最近とくに
知られるようになり、
若い
人たちが
訪れる
場所ができ
始めた。
京都の
嵯峨野などは、そうした
場所の
一つに
数えられるだろう。また
大和の
山の
辺の
道も、だんだん
人気が
出てきたようである。だが、これらの
場所は、
実は、
完全な
自然の
風景ではなく、
背後にひかえている
歴史の
重みが
加わって、その
価値を
高めているのだ。
風景を
考えるとき、これは
非常に
重大な
点である。
その
地の
歴史を
知ることにより、
平凡な
風景、ありふれた
小山が、
見る
人びとをたちまち
深い
感興を
催す。きっかけは、
歴史だけではない。
芭蕉の
俳句に
詠まれたいくつかの
風景は、その
地に
行って、ゆかりの
風物を
見る
現代人の
心に
深い
感慨を
呼び
起こす。
風景は、
見る
人の
心によって
変わる。
風景の
価値は、その
現在の
実体と、
過去を
思う
観賞者の
心の
交渉のうちに
成立する。
風景の
要素には、
歴史が
大きくかかわるだけではない。
自然に
対する
知識が、なかなか
大きく
作用する
場合がある。
名もない
花が
咲いているのをただ
見るだけでなく、その
花の
名が
全部わかり、そのあるものがその
土地にあることの
意外性といったことがわかり、その
育ちぐあいの
良さ
悪さまでわかったら、
興ざめになるどころかかえっていっそう
印象が
深まるというものだろう。
向こうの
丘陵の
雑木林の
中に、
若葉をつけたコブシの
木の
群れを
見いだし、
二か
月前の
花のころの
光景を
想像に
描くのは
悪い
趣味ではない。まわりで
鳴く
小鳥の
声を
聞いて、その
鳥の
種類がわかるのも
楽しい。ツキヒホシポイポイと
形容されるサンコウチュウの
鳴き
声を、
珍しくも
人里近くで
聞いた
時のうれしさは、
風景のよさと
必ずしも
異縁ではない。
日本の
風景で、
今まで
人がほとんど
注意を
払わなかったものに
生け
垣がある。
農村の
住宅は
生け
垣で
囲った
家が
多い。
農村の
生け
垣用の
樹種は、
都会の
住宅地より
単調な
場合が
多いが、そのかわり
年を
経た
貫禄のあるものが
少なくない。
生け
垣というものは、
手入れのぐあいで、
実にさまざまな
態様をしていて、
見る
人の
心を
刺激するものである。
人の
住んでいる
風景と
関係するものには、もっと
人間くさいものがたくさんある。
向こうのあの
松の
下の
家のおばあちゃんは
梅干を
漬けるのが
上手で、その
隣の
家の
息子は
野球選手で
甲子園に
出場したことがあるなどと
知っていたら、その
興の
深さはどうだろう。そんなことは、
風景とは
関係ないと
言う
人がいるかもしれないが、
私は
何か
関係があるという
意見である。
日本の、
人の
住む
風景には、
心温まる
潤いと
豊かさをそなえたものが、いたるところにある。それは、いろいろな
自然・
人文の
知識に
裏打ちされいっそうの
興趣を
盛り
上げる。
自分もそこに
住み
込んで、
朝夕その
中に
溶け
込みたいような
風景……いや、それよりも「
風土」といったほうが
適切な
場所が、まだまだ、
日本にたくさん
残っているのである。
(
中尾佐助「
私たちの
風景」)
【1】
民主主義を
一度も
体験したことのない
社会や
世代は、
民主主義をとにもかくにも「
素晴らしいもの」と
考え、そうした
立場に
立ってそれを
描き、
讃えようとします。しかし、
長い
間にわたって
民主主義を
実践し、
体験し、その
実情を
目にすることが
増えてくると、こうした
議論はなかなか
人々の
賛成を
得られなくなります。【2】いろいろと「
訳の
分からない」ことや、いい
加減なことが
数多くあることを
否定できなくなるからです。
多くの
人々は、
先程例にあげたような
民主主義批判が、あながち
見当外れとばかり
言えないことを
肌で
感じています。【3】
問題はその
先です。「それでは
他にどんな
方法があるのか」ということへの
回答がなければ、
議論は
先に
進まないからです。
二十世紀は「
民主主義の
世紀」と
呼ばれたように、
人類は
実にたくさんの
政治上の
実験を
行ってきました。【4】
整然とした
政治の
実現のための
仕組みや、
本当の
意味での「
人民のための
政治」を
実現するための
試みも
行われました。ファシズムや
共産主義はその
代表例だったと
言えます。【5】しかし、
民主主義に
対するさまざまな
批判は、
確かに
鋭く
説得的に
見えたにもかかわらず、それに
代えて
実行に
移した
代案をみると、その
結果は
決して
芳しいものではなく、
民主主義以上に
惨憺たるものでした。そこで
再び
民主主義へと
舞い
戻ることになったのです。【6】
二十世紀後半以降の
歴史は
精神的にはこの
舞い
戻りの
歴史であり、
民主主義は
初恋の
相手のように
胸躍るものではなかったにせよ、どこかにどうしても
捨てがたいものがあったということでしょう。
日本も
相当長い
間にわたって
民主主義を
実践してきました。【7】こうした
体験を
重ねてくれば、
民主主義の「
素晴らしさ」を
説く
議論があるかと
思えば、
他方ではそれを
先のように「けなす」
議論をしていい
気分になっているという
向きもあります。しかし、それもそろそろ
卒業すべきでしょう。【8】
日本の
民主主義はまさに、こうした
段階の
真っ
只中にいるのです。つまり、そろそろその
欠陥や「
訳の
分からなさ」を
見据えながら、それを
具体的に
改善する
方法を
探らなければなりません。
民主主義の「
素晴らしさ」を
讃える
議論とそれを「
冷やかす」「けなす」
議論とのやりとりは、いわば
空中戦というべきものです。【9】しかし、
本当に
必要なのは、
地道に
一歩一歩何をどう
変えていくかという
地上戦なのです。
ここでは「あれか、これか」
式の
空中戦ではなく、「より
良く」が
合言葉になります。
人生の
多くの
局面において
大事なことは、「より
良く」を
心がけ、
実行することです。【0】「あれか、これか」に
比べると、「より
良く」を
探求することは
派手ではなく、あまり
魅力のないもののように
見えるかもしれません。しかし、
人間の
社会や
個人の
人生において
大事なことは、ちょっとの
違いが
大きな
違いにつながるということです。
継続的な
努力が
必要なのはそのためです。
五十歩百歩だからといって
馬鹿にしてはなりません。
何も、
欠陥があるのは
民主主義だけではないのです。われわれ
個々人も
社会などの
組織も、
欠陥のないものはありません。それを
継続的な
努力によって「より
良く」していくことが
大切なのであり、
民主主義も
例外ではないはずです。もちろん、
人生や
組織を「
壊すこと」が
目的でないならばですが……。
(
佐々木毅『
民主主義という
不思議な
仕組み』より)