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課題集
長文 7.1週
【1】「
案ずるより
産むがやすし」という
言葉がある。あれこれ
考えているよりも、まずやってみようということだ。
行動によって
新たに
切り
開かれていくものも
多い。やってみないことには
何も
始まらないというのは
確かに
真理である。【2】「めくら
蛇におじず」ということわざもある。
蛇という
知識がないために、
怖がらずに
歩いていく。その
結果、
結局蛇は
行動の
妨げにならなかったということである。
【3】このように
考えると、
知識は
経験の
障害になると
言える。むしろ、
知識がない
方が
話は
進みやすい。
明治維新を
担ったのは、
地方の
下級武士の
若者たちだった。
中央の
権力の
伝統という
知識から
自由であったために、
大胆に
日本の
未来図を
描けたのだ。【4】
知識が
乏しかったことが
日本の
未来を
切り
開いたのだと
言ってもいい。
しかし、その
明治維新を
発展させたのは、
欧米に
視察に
行った
若者たちの
新しい
知識でもあった。
知識のなさは、
混迷する
事態を
打ち
破るエネルギーではあったが、
新しい
見取り
図を
作るには、そのための
知識が
必要だった。【5】そう
考えると、
知識にもまた
重要な
役割があることがわかる。
だから、
問題は、
経験か
知識かということではない。
経験も、
知識も、
物事を
実現するためのひとつの
方法である。【6】
目的に
到達するための
手段として
経験と
知識があるのだとしたら、
大事なことはその
手段ではなく
目的の
方である。「
案ずるより
産むがやすし」ということわざで
問われているのは、どう
産むかということではなく、
何を
産むかということなのである。
【7】
鬼退治に
行った
桃太郎に
従ったのは、
犬と
猿と
雉だった。それぞれが
象徴しているものは、
犬は
忠節、
猿は
知恵、
雉は
勇気だという
説がある。だが、
肝心なのは
従者ではなく
桃太郎自身である。【8】その
桃太郎が
象徴しているものこそ、
鬼退治という
行動の
目的である。
確かに、
目的だけでは
物事は
成就しない。それなりの
手段や
方法が
必要である。しかし、
目的が
明確でありさえすれば、それに
応じた
手段は
必ず
現れるのである。
【9】これを
自分たちの
人生に
当てはめてみると
次のようなことが
言える。
何かを
勉強する
場合、
大事なのは、どういう
勉強をするかという
方法に
対する
知識である。そして、
実際に
勉強をするという
行動である。どちらも
同じように
大切だ。【0】しかし、もっと
大切なのは
何のために
勉強するのかという
目的だ。その
目的をまず
確かなものにすることが
最初にすべきことなのである。
(
言葉の
森長文作成委員会 Σ)
長文 7.2週
【1】ただ、ひとつ
留意しなくてはならない
点がある。
母親語ときわめて
似ていながら
非なるものとして、「
赤ちゃんことば」という
現象が
広く
流布しているからなのだ。
【2】
赤ちゃんことばというのもまた、
英語からの
翻訳で、
原語はベビートークという。
最近では
彼の
地で
映画のタイトルにもなり
日本に
紹介されたので、
母親語よりもはるかに
知名度が
高いことだろう。【3】
例えば
日本語文化圏では、
赤ちゃんは
食べ
物のことを
指して「マンマ」と
言うことが
多い。そして、
自動車は「ブーブー」、
犬は「ワンワン」となる。【4】もっとも
赤ちゃんは
外的事物の
区別にまだそれほど
長けていないので、ブーブーは
動く
人工物全体を、またヒト
以外の
動物すべてを
指してワンワンで
総称することもしばしばである。
【5】ところが、これら
一群の
単語は、おとなが
赤ちゃんに
向かって
語りかける
時にもまったく
同じ
要領で
使用される。おかあさんは
子どもに
向かって、「ごはん
食べる?」と
聞くかわりに「マンマ
食べる?」と
尋ねる。【6】あるいは
道を
走っている
車を
指さして、「ほら、ブーブーよ!」と
教えている。
同一の
女性がほかの
成人に
対して「マンマ
食べる?」とか「ブーブーよ!」と
発言することはまず
考えられないし、もし
実際に
起こったとしたら、
相手はとても
奇異に
受け
取ることは
疑い
得ない。【7】それゆえ、おとなの
使う
赤ちゃんことばは
明らかに
赤ちゃんとの
語りかけに
際して
特異的に
用いられ、
赤ちゃんの
言語使用の
次元におとなが
同調することで、
双方の
間の
交流を
促そうとする
努力の
現われであるとみなすことができるだろう。
【8】
文化人類学者の
川田順造氏によると
フランス語文化では、
赤ちゃんことばはほとんど
聞かれないのだという。【9】わずかに「ねんね」が「ドド」、「おっぱい」が「ロロ」、「おしっこ」が「ピピ」、「うんち」が「カカ」の
四語とあといくつかが
散見されるだけで、それ
以外には
赤ちゃんに
対しても、おとなに
対するのと
大差ない
言葉の
用法を
使用する。【0】ただそのフランスにおいてすら、
母親語は
歴然として
存在する。
確かにフランス
人のおとなは、
子どもに
赤ちゃんことばを
使うことはほとんどないかもしれないけれど、「
小さな
大人」に
向けて、
成人に
対するのと
変わらぬ
語りかけを
行う
場合ですら、やはり
口調の
音は
高くなり、また
抑揚は
通常以上に
誇張されていくことが、
明らかにされている。
そもそもフランスでは
子ども
中心の
家庭生活を
営みがちな
日本語文化圏とは、かなり
著しい
対照をなすことが
多いようだ。たとえば
日本では、
夫婦でも、
子どもができるとお
互いに「おとうさん」「おかあさん」と
呼び、
孫が
生まれると「おじいちゃん」「おばあちゃん」と
呼び
方を
変えてしまう。
自分の
妻がなぜ「おばあちゃん」なのか、
考えてみれば
奇妙な
話であるはずなのに、
親族内の
一番下の
世代からみた
人間関係の
呼称形式にみんなが
従順につきあう。
日本に
生活している
限り、われわれはこれをごく
当たり
前のことと
受け
止めているけれども、
実際は
決して
普遍的にヒトの
社会に
見られるということではない。
社会の
中で
子どもをどう
位置づけるかという
価値判断によって、
赤ちゃんことばの
発達の
度合いは
著しい
多様性を
示すことを、
文化人類学の
調査は
教えてくれている。
単純に
結論づけると、
赤ちゃんことばの
現象は
文化によって
左右され、
母親語は
文化の
違いを
問わず
普遍的である。
両者は
次元を
別にしている。もちろん
日本とフランスとの
間で
子どものしつけ
方は
大幅に
異なり、それぞれの
文化圏で
育った
子どものパーソナリティに
如実に
反映されていくのだろう。
赤ちゃんことばを
採用した
日本式のしつけ
方は、
当然、
日本文化で
育つ
子どもの
性格形成に
大きな
役割を
果たしているに
違いない。
(
正高信男「〇
歳児がことばを
獲得するとき」による)
長文 7.3週
【1】ユージーン(アメリカ、オレゴン
州の
町)は
東京とちがって、
街自体がそれほど
大きくなく、
生活のリズムがゆったりしているせいもあるだろう、
見知らぬ
人どうしでも、
道ですれちがうと、「ハロー」とあいさつし、
バス停に
車椅子の
乗客がいれば、
乗り
込むまであたりまえのように
待っている。【2】ユージーンは、
街のなかに
障害者がいることで、
人の
流れが
変わらない
街だった。そして、
障害者と
自然にむきあう
街だった。アパートを
借りるとき
管理人のバットさんは、
家賃も
含めて
契約を
説明したあとで、あなたが
一人で
住みやすいようにこちらで
変えられるところは
変えましょうと
言った。【3】「
障害者に
理解を
示す」というより、きわめてビジネスライクな
対応だった。そこには、
車椅子の
一人暮しは
危険という
無言のメッセージはなく、アパートを
貸す
者と
借りる
者の「
大人」と「
大人」の
関係があった。【4】むろん、
日本で
私が「
大人」
扱いされないわけではない。しかし
車椅子を
押す
人が
後ろにいるだけで、
大人と
子どものワンセットになってしまうこともある。
【5】ところが、おもしろいことに、
電動だと
後ろに
人がついていないから、セットにしようがない。いっしょに
行く
人がいても、その
人は
私の
後ろではなく
横を、
並んで
歩く。【6】このことは、
私と
人との
関係を
対等にする。このままかんたんに、
電車やバスに
乗れれば、その
関係が
途切れることもない。【7】それは、
送れないからバスで
行ってと、
相手がさらりと
言えることであり、その
日の
仕事を
終えて、また
明日、とあいさつして、
右と
左にわかれることができる、あるいは、
明日は
何時にどこそこでと
約束し、その
時間にその
場所へ
一人で
行って
帰ってくることができる、ただそれだけのことだったりする。【8】しかし、そのことが、
私をどれほど
自由にするかを、ユージーンの
風は
教えた。それはまた、
道に
迷って
途方にくれることでも、
人通りの
絶えた
暗い
夜の
バス停で、
一人バスを
待つ
心細さを
味わうことでも、
電動のバッテリーが
切れかけて、なんとかもってくれと
念じながら、
バス停からアパートまでの
夜道を、こわごわ
帰ることでもあった。
【9】ついこのあいだ、イギリスの
児童文学作家、ローズマリ・サトクリフの
自伝、「
思い
出の
青い
丘」を
読んだ。【0】スティル
氏病で
歩行の
自由を
失った
子ども
時代から
細密画家を
経て、
歴史小説の
作家になるまで、つまりは、「ほかの
子どもにはできるある
種のことが
自分にはできないことが、
観念的にしか
理解されていない」
子どもの
時期から、
障害のもつ
社会的な
意味、
自分とふつうの
人々とを
隔てる
微妙な
壁に
気づき、それが
人生に
与える
影響、「
孤独」を
知るまでが、
語られている。
彼女の
青春時代は
第二次大戦の
終結を
境にしている。ふつうの
人々は
健常者の
男性が
障害者の
女性に
本気で
恋をすることなど
想像もできないこの
時期に、
彼女は
一つの
恋愛を
経験する。
両親は
娘が
傷つくことだけを
恐れ、
本人たちもまた
無意識のうちに、
恋を「
恋」として
直視するのを
回避する。
彼女は
別離に
終わった
恋愛をふりかえり、もしそのころにいまのような、
障害者も「ほかのだれかれと
同じ
感情的欲求」をもち、「それを
実現する」こともできるという
新しい
見方に
変化していれば、
二人の
関係は、
変わっていただろうかと
考える。そして、たとえ
結果は
同じだったにしても、たがいに
自分の
感情を
外にだして、「
自分たちの
苦境に
直面し、それを
分かち
合うことができていたらよかった」と
記す。
傷つこうが、
自分の
責任で「
苦境に
直面する」、それを
彼女は「
傷つけられる
権利」と
呼んだ。このサトクリフの
言葉に、
訳者は「
目からうろこが
落ちる」
思いをしたという。しかし
私は
逆に、
障害者はずっと
同じ
一つのことを
主張してきたのだと
思った。
障害を
一つの
属性としてもつ
人間を、
人間としてまっすぐに
見ると。
彼女の
言う
権利を
私なら、「
経験を
積み
重ねてゆく
自由を
持つ
権利」と
呼ぶ。
障害がこの
自由をどれだけ
阻むかは、その
時代のその
社会が、
障害者をどう
位置づけ、そのなかで
人と
人との
関係をどうつくっているかで
決まる。ユージーンの
風は、そのことも
私に
教えた。
(
青海恵子の
文章による)
長文 7.4週
杉野君は、
洋反物株式会社梶万商店の
反物を、
遠く
地方の
呉服店に
卸し
歩く
出張員になったばかりの
青年である。
初めての
出張は
出足からうまくゆかず、さんざんな
売り
上げであった。そして、きょうの
目的地はG
町――。この
旅の
最後の
日程である。
G
町に
着いたころはもう
一尺先も
見えぬ
吹雪であった。
鈴をつけた
馬、がたがたの
箱馬車、
雪止めの
新しい
莚、そんなものが
雑然と
並んでいる
駅前で、
杉野君はぼう
然と
立ちつくしてしまった。
土地の
人々は
自然に
柔順な
人たちのみの
持つ
敬虔さで、ただ
黙々と
動いていた。
杉野君はまるで
吹雪に
吹きこまれた
人間のように、
近江呉服店へ
転がりこんだ。
店には
誰もいず、
黒々と
古風にくすんだ
店構えがしんと
静まりかえっていた。
囲炉裡に
火が
赤々と
燃え、
鉄瓶からは
白い
湯気が
暖かそうに
立っていた。
杉野君は
雪を
払いながら、
何かほっと
安堵した
気持ちになっていった。ふと
顔を
上げると、
奥の
帳場に
一人の
少女が
手に
雑誌を
持ったままこちらを
向いてほほえんでいた。えくぼが
白い
花のように
美しかった。
「あの、
東京の
梶万でございますが。」
杉野君ははっとしてお
辞儀をした。
少女も
学校でするように
丁寧に
頭を
下げると、そのままばたばた
奥の
方へ
走って
行った。
裾の
短い
着物の
下にすっくりと
伸びた
白い
脚、そうしておさげに
結んだ
赤いりぼんが、
蝶々のように
奥へ
飛んで
行った
後を、
杉野君は
夢のようにじっと
見送っていた。
「ほうほう。それははあ。」
そこへ
主人がそう
言いながら、
煙草盆を
提げて
出てきた。
「ひどい
雪ではあ。さあ
寒い
時は
火のそばがいちばんす。」と、
炉辺にすわりながら、
煙管で
煙草を
吸うのだった。
杉野君も
挨拶をしてすわった。
「こうぞ、こうぞ。」
主人は
突然大声で
小僧を
呼び、
「
座布団こさ
持ってこ。」と
命じるのだった。
杉野君は
囲炉裡にこころもち
手をさしだしながら、まぶたのなぜか
熱くなるのを
覚えた。
「ここへは
初めてだべ。この
雪こはあ
驚きなすっただべのう。」
「
何もかも
初めてでして。」
杉野君は
訴えるように、
種々の
思いをこめてそう
言った。
「ほうほう。よく
来なすった。」
そこへ
先刻の
少女がにこにこ
笑いながら、お
茶を
持ってきた。
「これが
娘っ
子ではあ、
道ちゃ、お
辞儀はあしなすったべのう。」
少女はくくっと
笑ったまま、またぱたぱたと
奥へ
走って
行ってしまった。
白い
額、
黒々としたつぶらな
瞳、そうしてまた
白い
花のようなえくぼだった。
杉野君は
自分までが
何かにこにこと
今は
心楽しかった。
「ひとつうんとやってください。」と
元気よく
言い、
例のようにまずモスの
見本を
開いた。
「ほう。この
朱ははあよくできたっす。」
主人は
見本を
手にすると、いきなりさも
感じ
入ったように
呟いた。
(
外村繁「
鵜の
物語」)
長文 8.1週
【1】「
食べられる」か「
食べれる」か。「
見られる」か「
見れる」か。
後者の
用法は
許されるか
否か。あるいは、そんなことを
公に
議論すること
自体、
有益かどうか。
いわゆる「ら
抜き
言葉」に
関心が
集まっている。
【2】「どうして『ら
抜き
言葉』ばかり
騒がれるのか」。
中間報告をまとめた
第二十期国語審議会の
多くの
委員は、
不満げに
語る。この
二年間、
多方面にわたる
議論をしてきたのに、
世間の
受け
止め
方は、まるで「ら
抜き
言葉」しか
取り
上げてこなかったようだ、という
不満である。
【3】
確かに
報告は、
敬語、
方言問題から
情報化をめぐるさまざまな
問題、
国際社会への
対応など
多岐にわたっている。ワープロと
字体の
関係なども
焦眉の
課題の
一つだ。しかし、「ら
抜き
言葉」だけが
際立って
注目されてしまった。
【4】こうした
関心の
偏りも
含めて「ら
抜き
言葉」をめぐる
落差と
断絶自体が、
国語問題の
現状を
反映していると
見ることもできる。その
意味で、これを
国語審議会の
役割を
考えるきっかけにできるし、
再考する
契機にもできよう。
【5】まず
世代間の
断絶が
背景にある。
若者の
造語に
旧世代はついていけない。
同世代にしか
通用しない
隠語がまかり
通っている。
最近その
断絶は
深まるばかりだ。
【6】「ぱんぴー」は
普通の
人。つまり、
一般ピープルの
略。「アンビリ」は
英単語の
略で「
信じられない」と、
若者言葉は
日本語の
境界さえ
飛び
越えていく。
従来の
尺度を
超えた
変容が
進む。この
現状をどう
考えたらいいのか。
【7】もともと
地域による
違いもある。「ら
抜き
言葉」が
普通に
使われている
地域もある。
方言の
豊かさを
尊重すると
一方でいいながら、
他方で、
共通語の
基準をたてに「
認知しかねる」と
断じられることに
対する
反発もあろう。
【8】
官民の
意識の
落差もある。
世間で
使われる
言葉に「お
上」が
口を
出すのはおかしい。そもそも
政治家、
官僚がまず
美しく
正確な
日本語を
学び、つかうべきだ。そうした
発想からの
反発もある。
【9】
根本には、
言語観の
違いも
横たわっている。そもそも
言葉は
変化していくもの、
流れにまかせれば、
自然に
淘汰されるだろう、という
考え
方に
対して、
美しい
言語が
文化の
基礎であり、
何らかの
規範でもって
維持していく
必要がある、との
考え
方もある。
【0】それはそれで
結構なことだ。
今回の
国語審議会の
報告は、あくまで
議論の
材料と
考えたらいい。
報告にもあるように、
言葉遣いについて
審議会は「ゆるやかな
目安、よりどころ」を
示すにとどまるべきだ、という
立場をとっている。
審議会の
役割も
変わってきた。
当用漢字や
常用漢字を
決めるなど
国語政策の
中核を
占めていた
時代からは
様変わりしている。そうした
規制を
緩める
方向に
向いているというだけでなく、
影響力自体も
弱める
方向に
向かっている。
当然のことだろう。
それは、
逆にいえば、
教育、マスコミその
他それぞれの
現場で、
自分たちの
言葉を
考えていかなければならない、ということだ。
時代の
変わり
目で、
私たちの
言葉をどうしていくか、
各自が
考えていく
必要があるということだ。
その
原点に
戻って
幅広い
分野で
論議を
重ねることにしよう。
(
朝日新聞社説による。
表記等を
改めたところがある)
長文 8.2週
【1】
子供のころに、
道に
迷わなかったのは、どうしてでしょうか。
逆説のようになりますが、むしろそれは
地図を
使わなかったからではないでしょうか。【2】
子供にとって
道というのは、
親や
友だちに
連れられて
覚えるもので、
何回か
歩いているうちに
自然と
身につくものです。そうして
覚えた
道では、
迷うなどということがなく、
自分の
体の
一部になっていたような
気さえします。
【3】
最近の
散歩コースで、その
裏返しのような
体験をしました。それは、ほとんど
毎日のように
散歩するコースの
一つで、
決して
迷うような
道ではありません。ところが、ある
日、ほんの
短い
時間でしたが、ふと、
自分が
今どこにいるのかわからなくなったことがあったのです。【4】
間もなく、「ああ、ここか。」と、
理解できましたが、この
本を
既に
書き
始めていた
時だったものですから、いい
材料だと
思い、
本気になって
原因を
探してみました。
考えごとをしていて、
上の
空だったこともあるのでしょう。【5】
道を
曲がった
正面に、そういえば
工事中の
家があったことを
思い
出しました。しばらく、その
辺りには
来なかったため、その
家が
完成して
見違えるようになっていたことに
気づかなかったのです。【6】
私は、
散歩をしながら、そのコースの
風景や
道筋といった
情報を、
無意識のうちに
頭の
中にしまいこんでいたのでしょう。
風景がちょっと
変わってしまったことで、
持っていた
情報に
混乱が
生じ、
定位できなくなってしまったのだと
思います。
【7】そのとき
私は、「ああ、
動物の
風景による
定位はこれだな。」と
思ったのです。
動物は
地図を
持たない
代わりに、
習慣によって
獲得した
目的地までの
道筋や
情報を、
無意識のうちに
蓄積しており、その
情報に
忠実に
行動する
限り、
動物は
迷いにくいということです。
【8】
目的地へ
向かう
際の
先の
見通しは、
日常的な
無意識の
習慣の
奥に
埋もれ、
取り
立てて
問題にすることがなければ、
意識に
上ってきません。このようなレベルの
行動や
意識は、
動物も
人間もそうは
変わりがないのではないでしょうか。【9】そして、それが
動物を
迷いにくくしているシステムなら、どうも
私には、
人間は、
地図という
文化をもったことによって、かえって
迷う
可能性が
高くなったと
思えてくるのです。
【0】
外から
入ってくる
情報は、どんなものでも
言えることだと
思いますが、
正しく
使いこなしてこそ、その
真価を
発揮します。
逆に、
自らの
経験によって
手に
入れた
情報は、
文字通り
身についたもので、
無意識のうちにも
行動につながっていくものです。
人間は
動物と
違い、
他人の
行動の
結果である
地理的な
情報を
地図として
受け
取り、いくらでも
利用できます。
動物なら、
無意識のうちにせよ、
時間をかけて
身につけていく
地理的な
情報を、
数百円と
引き
換えに
手に
入れることができるのです。それだけで、どこへでも
移動が
可能になるわけですが、しかしまた、
行動の
可能性が
増えるということは、それだけ
道に
迷う
可能性にもつながってくるとも
言えるでしょう。
それは、
地図だけの
話には
限りません。
目的地に
至る
標識があれば、
初めての
道でも
迷わないで
着くことができます。
目的地まで
次々と
現れる
バス停や
住居表示などの
手掛かりもまた、
動物には
利用できない、
人間の
地図文化だといえるでしょう。そしてそれは、
道順マップ
的に
存在している、
現実空間そのものに
描き
記された
一分の
一の
地図だとも
言えます。
こうした、
人間の
作り
出した
情報は、
行動の
助けになるものであると
同時に、
反面、
使い
方がきちんと
身についていない
限り、
逆の
結果につながる
危険すらあるのです。
(
山口裕一「
人はなぜ
道に
迷うか」による)
長文 8.3週
【1】
数年前、
私は
西アフリカのナイジェリアの
東北部べエヌ
河の
河畔を
一人の
土地の
盲人と
二人で
神話・
昔話を
採取して
歩いていた。
四十すぎの
私と
殆ど
同じ
年と
考えられる
人であった。この
盲人には
実に
色々な
事を
教わった。【2】そのうちの
一つが
次のようなことである。
或る
時、
彼の
手を
引いて
山道を
歩いている
時に、
彼は「
目あきのおごり」というのがあるのですよ、と
語り
始めた。
目あきは、
何でも
見えるために、
何でも
解ると
思っている。【3】ところが
目あきが
見ているのは
眼の
前に
見えるものばかりでしょう。でも
目あきが
見ているものの
中で
目あきが
記憶にとどめるのは、その
百万分の
一にすぎない
筈ですよ。【4】そうでしょう、
草の
一本、
一本、
石ころのすべてを
目あきは
記憶しますか。しないでしょう。
私たち
盲人は、
一日単位では、
目あきと
較べるとたしかに
何も
見てないに
等しい。【5】しかし、
明日・
明後日と
先に
行くにつれて、
私たちの
方がよく
見えるということに
目あきは
余り
気がついていませんね。
私たちはたしかに
眼は
見えません。しかしその
代償として、
心の
眼を
与えられています。【6】
心の
眼は
耳・
身体・
足・
鼻・その
他諸々の
器官を「
見る」ために
動員するのです。それに、これらすべてを
融合して、「
遠く」をみるために、
周りのものに
対する「
優しさ」が
加わらなければなりません。【7】
暗闇は
私達盲人にとって
絶望的な
試練を
与えますが、それは
又無限の
優しさを
曳き
出して
来ることの
出来る
源泉です。
目あきの
人にはこうした
暗闇を
凝視することは
出来ません。【8】
私たちは、「
心の
眼」を
通して
暗闇の
彼方から
立ち
現われる
物を
見ているのです。
この
盲人は、
昔話の
絶妙な
語り
手であった。
彼の
語る
昔話は、
人々の
魂をゆさぶる
響きを
帯びていた。【9】
彼が
語る
時、
昔話は、
他の
人間が
語るのと
同じ
言葉で
語られていても、それらの
言葉は、
周りの
光景と
融け
合い、そうした
事物の
根に
達し、
世界を
全く
見なれない
新しいものに
変える
力を
持っていた。
【0】
森も
原野も、
動物達も
樹々も、すべて、
彼の
言葉に
吸い
寄せられて、
彼が
語る
間の
時間に
融け
込むかのようであった。
彼が
得意とした
昔話は、
気ままに
生きることを
信条としたために
王様の
座からずり
落ちた
滑稽な
者の
話であった。この
男は、その
気ままな
境遇を
利用して、
天にも、
水中にも、
地上至るところ
旅をして
歩くというのがこのシリーズ
連作の
昔話の
骨子である。
彼と
生活を
共にしているうちに、
私にも
何か
見えて
来るような
気がして
来た。
神話というのは、これだなという
実感が
湧いて
来た。それは
神話学概論をいく
冊読んでも
書かれていない
事柄であった。
私達の
生活の
中で
私達が、
人間中心に、
損得づくで
使っている
言葉も
一見、
荒唐無稽な
筋の
中に
投げ
込まれると、
効用性を
失ってしまう。
損得づくで
使っている
言葉や、
話の
筋は、
私達を
他人や、
私達をとりまく
他の
事物と
表面的には
結びつけるけれども、
深い
層でのつながりを
断ち
切ってしまう。(
中略)
いうまでもなく、
生態系には、
荒唐無稽なこと、ばかばかしいこと、
無駄なことが
満ち
満ちている。それは
神話・
昔話と
同じことである。しかしながら、ここ
十数年の
間に
生態学者や、
動物行動学者は、そうした
一見無秩序な
関係の
中には、
調和して
生きるために、
自分の
持っている
原則を
大胆に
変える
生物の
叡知が
働いていることを
見つけ
出した。それは、
人間が
自らの
文化の
中に
秘め
匿して
維持しつづけて
来た、
神話的「
優しさ」とも
言うべきものに
見合う
筈の
生き
方である。
自然との
調和こそ、
我々人類が
生存し
続けるために
避けることの
出来ない
原則になった。
(
山ロ
昌男「
仕掛けとしての
文化」)
長文 8.4週
この
文章の
著者は、
幼いころ、
父の
言いつけを
破って、ひどくしかられたことが
三度あったという。
一度目は、
外国人をもの
珍しそうにじろじろ
見るなという
言いつけを
破った
時、
二度目は、
家の
人にことわりもなしによその
家に
行ってはいけないという
言いつけを
破ったとき、そして、
三度目が
次の
文章である。
もう
一度は、
大腸カタルを
病んだ
病み
上がりに、「こりゃあ
道ちゃん、とってもわるいんだ。おいしそうに
見えるけどね、これを
食べるとせっかくよくなったのにさ、またおなか
痛くなるよ。
道ちゃんは
痛くて
苦しむし、パパとママは
心配して
寝られないし。だから
食べるんじゃないよ。」
と、かたく
言われたその
梅の
木の
実の
青いのを、これまた
色彩のつややかな
美しさにほだされて、つい
取って
食べたときだ。
運わるく、
梅の
木は、
彼が
執筆する
書斎の
真正面に
植えられていた。
「パパがかいていらっしゃるときは
邪魔するんじゃなくってよ。パパは
一生けんめいだからね。」
と
母はつねづね
言っていたし、
実際、
一生けんめいに
書くときの
父がどんなに
他のことに
対してうわのそらになるかを、
私自身、たしかめて
知っていたから、
梅の
実を
取るのも
見られまいと、たかをくくったのである。
ところが、
彼はちゃんと
見ていた。
今にして
思えば、
私の
計算不足というもので、まっ
赤なメリンスがちらちら
動けば、いくら
一生けんめい
書いていても、
視界にはそれが
入るはずであった。
青い
小さな
球が
口の
中で、
酸っぱいほろにがさをキュッと
押し
出したそのとたん、ガラリと
開いたガラス
戸の
向こうから、
「ばか!
何をする!」
雷がおちたかと
思われる
音声に、
私はだらしなく
尻餅をついた。
彼はなかなかのスポーツマンで、
水泳は
教師免許を
持っていたし、
学生時代は「
早稲田を
負かした」ピッチャーだった。だから
走るのもたいへん
速かった。あっと
言うまに、
逃げる
間もあらばこそ、
彼ははだしで
飛んで
来て、
私の
口に
乱暴に
手を
突っ
込むと
青梅の
実をひきずり
出した。それから
茶の
間の
方をむいて、「ママ! ママ!」と
叫んだ。
「ひまし
油!」
ひまし
油が、
拒もうとする
歯と
歯の
間に
流し
込まれて、その
臭さに
吐きそうになっている
私は、
容赦なくひきずられて、
納戸の
戸だなに
押しこめられた。
「あれだけ
言ってわからんやつは――
座ってろ。」
いつもならひまし
油の「お
口なおし」のドロップが
与えられるはずだった。しかしその
日はドロップはいくら
待っても
来なかった。ぬるぬると、いくら
唾をのんでも
舌にまつわってはなれない
油に
辟易しながら、
私は
何となくカビ
臭い
戸だなの
中に
座っていた。ネズミ、
出て
来やしないかしら、お
化け、いないかしら……
三度とも、
考えてみれば
約束違反であった。
「わかったね。」
「うん。」
「どう、わかった?
言ってごらん。」
そんなやりとりのあとで、
約束違反したのだから、まあしかたないと、
私はらちもなく
悔いながら、しかし
不思議にも
何かせいせいしたさっぱりとした
感じを
心のどこかで
味わいながら、
罰を
受けた。
あのせいせいした
感じは、いま、
分析してみれば、「
罪」への
正当な「
贖い」の
機会を
与えられた
者の
味わう
一種の
安堵感でもあったろうか。その
三度の
罰のとき、
彼が
意外に
見せつけた
権威はまた、
私の
幼く
漠とした
世界に、ひとつのはっきりした
線を
引いて
見せたとも
言える。
「ここまで。ここから
先はまだ。」
その
線は、
子供心に
信頼感を
植えつけた。
安心感をも
植えつけた。
広がりすぎる
自由は
不安なものである。
渺とはてしない、
枠なき
世界は
自由の
世界とは
異なる。
「よし、
立ってろ。」
その
言葉と
罰とが
私に、
自由というもののほんとうの
意味を
教えたのではなかったかしらと、
今になって
思うときがある。
(
犬養道子「
白樺派文士としての
犬養健」)
長文 9.1週
【1】
視覚系は、
光を
介して
物の
形を
認知する。
形は
触ってもわかるから、
視覚だけが
形の
担い
手ではない。さらに、
聴覚も
形の
認識にまったく
無関係とはいえない。コウモリは、
自分の
出す
超音波を
利用して
餌の
虫を
捕らえ、
障害物を
避ける。【2】そのためには
相手の
位置や
大きさ、
広がりを「
耳で
見ている」はずである。
ところで
形はどこにあるのだろうか。
形は
物の
方にある。すなわち
形は
物の
属性だという。もちろんそうに
違いない。「
無いもの」は、どうやっても「
見えない」。【3】
見なくても、
触ってみれば、あるていど
形がわかる。それは、ものが
本来、
形を
持つからである。
もう
一つの
見方では、
形は
頭の
中にある。
目がなかったら、
物は
見えない。その
目は
脳に
連絡している。【4】たしかに、
触ってみれば
物の
形もあるていどわかるが、
大きな
物体を
撫でてもとても「
一目」ではわからない。
形を
知るには、
触覚刺激がいったん
脳に
入り、それを
使って
脳があらためて
形を
構成する。【5】
目だって
同じである。
物が
好んで
形を
作っているわけではない。われわれの
頭が、
形と
称するものを、
相手に
押し
付けている。
さて、この
二つのどちらが
正しいか。それは、
考えてもムダらしい。【6】どちらが
正しいかというのは、じつは
質問が
悪い。
答えが
出ないように、
問題が
立ててある。
形については、
右の
二つの
面、つまり
自分と
相手とをともに
考慮する
必要があるから、
話が
面倒になるのである。
【7】
目はたいへん
有効な
感覚器だが、あまりに
有効なので、
有効でない
点に、あんがい
気づかないことがある。たとえば、
物の
大きさがわからない。
そんなことはない。
大きい
小さいは
見ればわかる。【8】そう
言うかもしれないが、それは
相対的な
大小である。
顕微鏡で
見たものの
大きさは、
倍率を
知らないかぎりわからない。
見たこともないものが、
宇宙空間にポッカリ
浮いていたら、
誰でも
寸法がわからない。【9】
月と
太陽が、
同じような
大きさだと
昔の
人は
思っていたであろうが、
実際の
寸法はとんでもなく
違う。
大きさを
知るという、はなはだ
単純なことができないので、
人の
世ではモノサシを
売っているのである。【0】あんな
簡単な
器具はない。それでも、たいへん
便利なものである。なぜそれほど
便利かといえば、
視覚系だけにまかせておくと、
大きさの
絶対値がわからないからである。
それを
幾何学に
持ち
込むと、
比例あるいは
相似になる。
相似というのは、
形は
同じだが、
絶対的な
大きさはどうでもいい。それはまさしく、
視覚系の
性質である。
幾何学のように
形を
扱う
数学が、
視覚系の
性質を
持つというのは、たとえばこういうことである。
では、なぜ
形が
同じなら、
大きさはどうでもいいのか。それは
目の
構造を
考えればわかる。
目はカメラと
同じようにできている。レンズを
通った
光は
網膜に
像を
結ぶ。その
後の
大きさは、
見ている
物体の
距離が
遠ければ
小さくなり、
近ければ
大きくなる。
生物は
年中動きまわるから、そういうことは
絶えず
起こる。だからといって、それをいちいち「
違うもの」と
考えては
具合が
悪い。
ライオンがネズミの
大きさに
見えたところで、ライオンはライオンである。ネズミだと
考えていれば、
目の
前に
来たときに、はじめてライオンではないかと
気づく。それではライオンに
食われてしまう。だから、そういう
生物はできたとしても、いまはいない。つまり、
視覚系は、その
中に
絶対座標を
持ち
込むようには、
進化してこなかった。あえてそれをすれば、ずいぶん
正確な
目ができたかもしれないが、いちいち
座標を
定めるために
計算量が
膨大になり、いきなり
大きな
脳を
作らなければならなかったかもしれない。
逆に、われわれが「
比例」とか「
相似」を
考えることができるのは、
本来、
視覚系にそういう
性質が
存在するからであろう。
目の
網膜は、
発生的、
構造的には、じつは
脳の
延長であり、
相似とは、
脳の
一部がやっていることを、
脳のどこかの
部分がよく
知っている、ということかもしれないのである。
長文 9.2週
【1】
自分で
判断し
決断し
行動する。
簡単なようにみえて、じつはとてもむずかしい。われわれでも、ときとして
判断に
困り、
大勢の
意見に
依存してしまうことも
少なくない。しかも、そうしたほうが
楽であることも、また
事実である。【2】その
判断が、かりにまちがっていても、
自分自身に
責任があるわけではない。まして、その
責任を
追求されることはない。その
意味でも、
自分自身で
判断するより、はるかに
気楽である。
【3】したがって、
主体的に
判断して、
行動したいという
欲求をのぞけば、ともすれば
他人や
集団に
依存して
行動してしまいがちになる。おとなでもこんなことがよくあるとすれば、いまだ
判断力に
欠ける
子どもたちの
場合、どうしても
他人依存になってしまう。【4】しかし、われわれが
社会生活を
送っていく
以上、
自分で
考え、
自分自身で
判断しなければならないことは
当然のことであり、ときには
厳しい
決断を
迫られることも
少なくない。
それなくして、
一般的な
社会生活を
送ることすら
困難といっても
過言ではない。【5】ところが、
先ほども
述べたように、こんな
当然のことがなかなかできない。したがって、よほど
意識的に
教育していかなければ、
他人依存になってしまう。【6】ところが、
子どもたちを
取りまく
最近の
教育状況は、これに
逆行していることが
少なくない。そのせいか、
自分で
判断できない、
自己決定できない、したがって
自分自身の
指針をもたないまま
行動してしまう
子どもが
多いという。
【7】つまり、
他人依存であり、
集団依存であり、
状況に
支配されやすいといった
傾向である。いや、
他人依存や
集団依存ならまだしも、
自分がどう
行動すればよいのか「
指示」されるのをひたすら
求め、その「
指示」どおりにしか
行動できない。【8】しかも、
求めている「
指示」は
漠然としたものではない。ことこまかな
行動指針でないと、かえって
混乱してしまう。まさに、「
指示まち」であり、「マニュアル
願望」である。【9】その
意味では、もはや
自分で
判断できない、
決断できないといった
問題ではない。
優柔不断といったレヴェルではなく、
自分自身の
判断や
決断を、
最初から
放棄しているといってもよい。
こんな
状態であっても、
子どもの
場合であれば、まだ
可能性はある。【0】しかし、このことは、
大学生にもそのまま
当てはまる。あるいは、
新卒の
社会人も
同じかもしれない。「
指示」しなければ、「マニュアル」を
与えなければ、なにもできない。
最近、よく
耳にする
言葉である。うちの
学生をみていても、このことはよく
感じる。たとえば、「レポートのテーマは
自由」というと、
明らかに
困惑している。
このことを
研究室の
学生にきいてみても、テーマは
自由というのはかえって
困る。なにかテーマがあったほうが
書きやすいという。たしかにそうかもしれないが、それより
自分でテーマをみつけるということが
苦手らしい。
事実、なんらかの
課題を
与えれば、かれらはそれなりの
仕事をする。ひょっとしたら、「テーマが
自由」の
場合、レポートを
書いている
時間より、テーマを
探している
時間のほうが
長いのかもしれない。
むろん、こうしたことはレポートのテーマだけではない。
一事が
万事こうした
状態である。そして、いまの
学生はたんなる「
指示」を
求めているのではなく、「テーマ
化された
指示」を
求めていることもまちがいない。つまり、かれらは
自分で
考え、
判断し、
決断するといった
作業に
慣れていないといってよい。
(
秦政春の
文章による)
長文 9.3週
【1】
文化ということを、ここでは
日常の
生活にあらわれている
面から
考えていって、ヨーロッパと
日本のそれを
比べてみると、
最初に
思いうかぶのは、
次のことである。【2】
私が
一年余ドイツに
滞在して
受けた
印象からいうと、
先方の
長所も
短所も、
一般の
人々における
市民意識の
堅固さに
関係するのであった。【3】
今世紀にいたって
崩壊したといわれる
市民生活、ないし
市民意識は、むかしにくらべればすき
間風だらけなのであろうが、
外来者の
私たちにとっては、それが
今なおあらゆる
人の
生活の
強い
背骨をなしていることにおどろかされるのである。【4】
職業、
地位、
階級等の
別なしに、
人間は
市民としてたがいに
対等の
存在である。で、
各人はそういうものとして
自己を
把握しているから、
個人としてのそのありかたが
独立的で、
強くたのもしい。そして
社会はこういう
人たちの
寄り
合い、
約束の
場である。
【5】
日本の
生活意識においては、このことは、
一部の
人たちに
概念的にうけとられているほかは、いまなお
全く
欠けているのである。それは
敗戦後十年間のデモクラシーの
談義だけで、
樹立されうるようなやさしいものではない。【6】で、これをどういう
方向へもっていくようにしたらいいかということになれば、
方法や
手順においては、
種々の
考え
方があろうが、
到達点としては、すべてが
強い
対等の
人格となることが
目標だと、
私はいまなお
考えるのである。【7】このことをないがしろにしては、
社会は
外観的に
整備されても、
内実は
浮動をくりかえすだけだと
思う。この
目標は、
人間生活がいかに
集団的になっても、
不動でなければなるまい。【8】このことが、こんにち、また
将来の
日本の
文化を
考えるときの
筆者の
第一のたてまえである。
前述のヨーロッパの
長所は、
同時に
短所をともなっている。つよい
市民意識は、
非常にしばしば、せまくるしい、
自己満足的な、そして
利己的なにおいを
発散させる。【9】ひとの
生活に
無用に
干渉しないかわりに、
自分さえよければいいという
態度が、ほのみえる。
社会において
一個の
存在として
通るということだけに
最終の
目的があるかのように、
外的な
立派さのかげに、
空虚がのぞいている。【0】
少し
飛躍的に
言えば、それは
愛にとぼしい
生活である。
近代、
現代の
詩人や
思想家の
多くは、この
点につまずきを
感じて、
痛烈な
反抗の
声をあげたのである。このことは、
私がとくにドイツに
多く
滞在したから、
感じたのかもしれない。
中央集権的国家形態を
十九世紀の
後年にいたるまで
欠いて、その
後も、
地方主義、
割拠主義を
特徴としてきたこの
国のありかたが、
各人に、せまい
殻のなかの
安穏着実な
生活を
立てることを
第一義とさせ、これが、ドイツは
市民的なヨーロッパのなかでも、もっとも
市民的な
国だと、よくいわれる
主な
原因になったのかもしれない。だが、
私の
感じたところでは、
程度の
差こそあれ、また
殻の
大小の
違いはあれ、
今もヨーロッパはおしなべてどこも
市民的なのであって、したがって、
一般に、
何ほどか、せまくるしくて、
自己満足的で、
愛にとぼしいのである。
現代の
日本人が、やがて
自立的な
個人のありかたという
彼らの
文化の
長所を
身につけるときがあるにせよ、この
短所までもいっしょに
取り
入れるのではつまらない。それでは
創造の
活力は
湧きあがってこない。しかし
長所と
短所を
分離して
取り
入れるということは、おそらく
不可能ではないか。それについて
私の
予感するところはこうである。ヨーロッパ
的市民性を
模型として、
個人の
強力な
自己把握をめざすなら、おそらく
前述した
長所・
短所の
分離的摂取は
不可能である。しかしそれではいけない。
人格の
確立ということは、
他人の
模型を
追うのでなく、
現代日本人が、
現在における
自分自身の
生活の
基盤から、
自力をもって
追求していかねばならない。とすれば、これは、たいへんな
仕事である。
統制的な
押売的な
手段は、いかなるものでも、
事柄を
根本的にこわす。すべては、
日本人自身の
内部からの
力が
湧いて、なされねばならぬのである。
長文 9.4週
テレビやラジオにいわゆる
教養番組が
多くなった。また、
日本や
諸外国の
文物風土を
紹介し、
現状を
分析批判するような
現地報告の
番組も
多くなった。それらはそれぞれにおもしろい。おもしろい
以上に、ときにわれわれに
疑問をなげかけてくる。ところで
残念ながら
電波ジャーナリズムというものは、
疑問を
自分で
考えてみたいから、
一寸待ってくれ、といっても
待ってくれない。
電波の
機械的なテンポをもってさっさと
歩み
去ってしまう。われわれは
考えることはやめて、
眼や
耳でついてゆかなければ
前後の
脈絡を
失ってしまう。
十五分か
三十分の
番組が
終わると、とっさにとんでもないコマーシャルが
聞こえてきたり、
何の
関係もない
音楽になったりさては
白菜、トマトの
百グラム
当たりの
今日の
値段になったり、
美容体操になったりする。
見るともなく、
聞くともなくそれらを
見、
聞きしているうちに、さきに
疑問に
思い、
考えてみたいと
思ったことも、どこかに
消えて、あとかたもなくなってしまう。
このことの
人間に
及ぼす
影響はかなり
大きい。
現代において、
人間の
生活、
生涯が
断片化し、
瞬間化し、
昨日と
今日、
今年と
来年との
間の
精神のつながりが
稀薄になったことが
言われている。これにはいろいろな
原因があろう。たとえば
仕事が
分業化し、
専門化し、
機械化して、
人間の
経験、
過去の
蓄積を
不用にするという
傾向が
強まってきているということもその
原因のひとつであろう。さらにいえば、その
人の
個性を
必要としないのみか、
反って
個性を
邪魔者とするような
職場、
仕事が
多くなってきた。
機械の
番人、また
追随者になることが
要求せられる、ということもある。
経験も
個性もいらないということは、
人間から
誰々でなければならぬということを
奪い、アノニムな
存在、
即ち
誰でもかまわない
誰かですむということである。そういうことを
長年にわたってやっておれば、
人間の
断片化は
当然に
起こってくるだろう。
精巧な
機械や
自動機械が
多くなれば、
人間の
労働時間を
少なくしても、
生産を
増加することができるだろう。
生産の
合理化は、
今日ではそういう
方向ですすめられている。
一日の
労働時間が
六時間になり、
週五日制になるということも
起こってくるだろう。
当然に閑、
休暇が
多くなる。さてそのできた閑な
時間をラジオやテレビを
聞き、
見ることにあてるとすれば、それらは
既にいったような
性格のものだから、
前後の
持続しない
断片化に
拍車をかけるという
結果になる。
右のことは、
現代という
時代の
必然的な
傾向だから、ある
意味ではやむをえないことであるが、さてそれでいいのかと
考えてみればそれでは
困るのである。やむをえないとしても、いいとはいえないのである。ここに
問題がある。
人間が
断片化し、
瞬間瞬間に
生存する
存在に
化するということは、
自己自身に
対して
責任を
負わなくなるということである。また
自分自身の
一生、
生涯というものをもたず、
年毎に
深まる
年輪をもたないということである。
夫婦、
親子、
師弟、
友人の
間柄が、そのときどきの
都合による
結びつきとなって、
持続する
愛情も
尊敬もなくなるということである。これは
人間にして
人間らしくない
生き
方、
非行人間だと
私は
思う。
過去を
負いながら
未来を
思い、
現在において
現在を
超えたもの、
即ち
人生や
自分の
存在の
意味を
思い、その
意味を
認知することによろこびを
感じ、また
現在の
自己に
不満を
感じるということが、
人間を
他の
動物から
区別している
特質である。
(
唐木順三「
詩とデカダンス」)