(Translated by https://www.hiragana.jp/)
課題集
長文 10.1週
【1】
流行という
言葉の
対義語は
不易だ。
時代の
変化に
合わせて
変わるものがあると
同様に、
時代を
通して
変わらないものもある。
流行を
意識することは、
社会生活を
円滑に
行うために
欠かせない。【2】
例えば、
遠く
離れた
場所に
行くのに、
今どき
牛車を
使う
人はいない。もちろん、
人力車も
使わない。
現代なら
自動車が
普通だが、
環境への
負荷を
考えて、
今後は
自転車になり、やがて
科学の
進歩によってタケコプターのような
交通手段になるかもしれない。【3】こういう
外見の
変化が
流行だ。
流行の
大切さについては、
言うまでもない。
特に、
現代のようにIT
技術の
進歩が
速い
時期には、
流行に
乗り
流行を
活用することは
一層重要になる。
【4】
例えば、
今のIT
技術の
前線のひとつはソーシャルサービスだ。ネットによるコミュニケーションが
日常化し、リアルな
世界のコミュニケーションと
同様に
人間の
社会生活を
深く
支えるものになっている。
【5】しかし、だから、その
普及に
伴う
弊害も
当然ある。イギリスでは、ソーシャルサービスの
広がりによって
中学生が
本を
読まなくなったと
言う。テレビが
初めて
登場し
普及したときも、
一億総白痴化が
叫ばれた。テレビゲームのときも、
携帯電話のときも、
家庭の
中で
多くの
葛藤があったはずだ。
【6】しかし、そういう
弊害を
乗り
越えなければ、
新しい
活用法は
身につかない。
流行の
持つマイナス
面に
目を
向けて
過去にしがみつくのではなく、
流行のプラス
面を
見て、その
弊害を
知恵と
工夫によって
克服していくのが、
最も
現実的な
対応と
言えるだろう。
【7】
不易とは、
外見の
変化にも
関わらず、
変わらない
本質のことだ。
例えば、
牛車から
自動車へ、
自動車からタケコプターへという
変化を
考えたとき、
変わらないものは、ある
場所から
他の
場所への
移動そのものであり、その
移動に
伴う
周囲への
配慮など、
時代を
超えて
不変なものだ。
【8】
牛車の
時代に、
狭い
道をすれ
違う
牛車どうしで
譲り
合いがあったように、タケコプターの
時代にも
譲り
合いはある。これが
不易だ。
このように
考えると、
流行と
不易とは
対立するものではなく、むしろ
流行があるからこそ
不易があり、
不易に
貫かれているからこそ
流行があるとも
言える。
【9】そう
考えれば、
不易と
流行は、
物の
側にあるのではなく、
人の
側にあることがわかる。
変化する
状況に
合わせて
自分らしくあること、これが
不易と
流行を
結びつける
要なのではないだろうか。【0】
(
言葉の
森長文作成委員会 Σ)
長文 10.2週
【1】
何でもよく
知っていて、
次から
次へと、どんな
問題についても、よく
話をする
人がいる。じっと
聞いていると、
話している
内容は、ほとんどが
新聞や
雑誌に
出ていたこと、あるいはテレビで
誰かが
話していたこと、つまり「
情報」なのである。【2】それを
右から
左へと
流しているだけのことだ。
話のある
部分について、
疑問点を
確かめたいと
思って
詳しく
聞くと、はっきりした「
知識」を
持っているわけではないから
答えられない。【3】しかも、「
情報」をほとんど
受け
売りしているだけで、その
中身を
自分の
考えによって
吟味していないから、どんな
話をしてもその
人の
人生経験に
照らした
上での「
知恵」になっていない。【4】わざわざ「
情報」「
知識」「
知恵」という
三つのことばにかぎカッコをつけたのには
意味がある。
人の
話を
聞く
時、その
内容を、この
三つに
分類しながら
聞くと、なかなか
面白いからだ。【5】むろん
情報を
得たいと
思って
話を
聞く
時には、
情報が
的確に
得られれば
良いので、うまく
情報を
伝えてくれる
人が
好ましい。また
知識についても
同じことが
言える。
三番目の
知恵が、
最も
興味深い
分野である。
知恵があるかどうかは
学歴などとはまったく
関係がない。【6】
世の
中には、
情報には
疎いかもしれないが、
豊かな
人生の
知恵を
持った
人がいる。そうかと
思うと、
情報にはやたら
詳しいのに、まったく
知恵のことばを
吐かない
人がいる。【7】そして、
人間として
魅力があるのは、もちろん
知恵のある
人である。
取材していてもはっとさせられるのは
知恵のことばを
聞く
時である。
普段は
無口だが、
口を
開けば
知恵のことばを
語るという
人がいる。【8】しっかりと
生きてきた、その
個人の
存在を
感じさせられる。
対照的に
情報ばかりをぐるぐるまわし
続け、
情報に
踊らされる
人の
人生とは
何だろう、と
思わされる。
知恵があるかないかは、
一に、ものを
自分の
頭でじっくりと
考えているかいないか、の
違いではないかと
思う。
【9】T・S・エリオットという
名の
詩人がいる。この
人の
詩に、
右の
三つを
読み
込んだ、こういう
文章がある。「
私たちが、
知識の
中で
失った
知恵はどこにある。
私たちが、
情報の
中で
失った
知識はどこにある。」これは、
長い
詩の
一部である。【0】
三つのものについてエリオットが
考えていたこと、
三者の
関係をどうとらえていたかということが、ここにうまく
表現されている。(
中略)
最近の
世相を
評するのによく
使われるのは、いわゆるマニュアル
文化ということばである。ある
時、
作家の
山田太一さんと
話す
機会があった。いろいろな
話の
中で、マニュアル
文化の
話が
出た。そうしたら、
彼がこういう
実例をあげた。
知り
合いの
有名な
俳優が、
芝居の
稽古の
合間にファーストフードの
店に
行ったというのである。
一座の
人々の
昼食を
買うためで、ハンバーガーか
何かを
二十数個、
買うつもりだった。
注文したら、
注文を
受けた
娘さんが、それを
復唱したあと、「ここでお
召し
上がりになりますか。」と
聞いた。
俳優はあっけにとられた。「おい、よく
見ろよ。ここにいるの、おれ
一人じゃないか……。」
娘さんは、マニュアルに
沿った
応対をし、
決められた
順序で、
決められた
発言をしただけなのだろう。
忠実なのはいいが、
目の
前の
現実を
見て
考える、という
自分の
能力と
自由とを
忘れているとしか
思えない。
山田さんとしばらく
笑ったあと、
笑い
事ではないですね、という
話になった。
新聞のコラムを
執筆していて、
考えるということについて
大いに
考えさせられた。いまの
教育は、
家庭でも
学校でも、
十分に
考える
訓練をしているだろうか、
子どもは
自分の
頭でじっくり
考えるためのゆとりを
与えられているだろうか、という
疑念が
頭を
離れない。むろん、
間題は
子どもだけではない。フランスに、ジャン・ギットンという
哲学者・
神学者がいる。この
人の
本に、こういう
一文がある。「
学校とは
一点から
一点への
最長距離を
教えることであると、
私は
言いたい。」
思うに
名言である。
私は、このことばをよく
思い
起こす。ある
人々は、
最長距離と
聞いただけで、
耐えられない
長さと
想像するかもしれない。その
最長距離を、
道草のように
思う
人もいるかもしれない。しかし、
子どもは
自分の
頭で
考えたり、
感じたりしながら、
長い
長い
距離を
歩き、それによって
自分らしい
成長をとげるのである。ギットンは
何よりも、
考えることの
大切さを
説いた。
考える
訓練をしなければならないのは
子どもばかりではない。
教師も
大人も
同様である。さきに
述べた「
情報」と「
知識」と「
知恵」の
三つに
即して
言えば、
先生が
教室の
中で
話したことの
中で
子どもが
成人した
後もいつまでも
覚えているのは、たいてい「
知恵」のことばである。 (
白井健策「
天声人語の
七年」から)
長文 10.3週
【1】ある
朝、
私は
一冊の
本と、ひときれのパンをポケットに
入れて
家を
出て、
気の
向くままに
歩いて
行った。
少年時代にいつもそうしたように、
私はまず
家の
裏の
庭へ
入った。そこにはまだ
日が
当たっていなかった。【2】
父が
植えたモミの
木立、
私がまだほんの
幼い、
細い
若木だったのを
覚えているモミの
木立ががっしりと
高くそびえ、その
下には
淡褐色の
針葉が
積もっていた。【3】そこには
数年来ツルニチニチソウのほかは
何も
育とうとしなかった。が、そのかたわらの
細長い
縁どり
花壇には、
母の
植えた
宿根草が
生えていて、
豊かに、
楽しげに
花をつけていた。
【4】
休日のくつろいだ
気分で、
私は
花から
花へと
歩き、あちらこちらで
芳香を
放つ
散形花の
匂いをかいだり、
指先で
注意深くひとつの
花のがくを
開いてのぞきこんで、
神秘的な
白っぽい
色のうてなと、
花弁の
脈や、めしべや、やわらかい
毛のあるおしべや、
透きとおった
導管などの
絶妙な
配列を
観察したりした。【5】そのあいだに
私は
雲の
多い
朝の
空を
眺めた。そこには、
細い
綿となってたなびく
霧と、
羊毛のようにふわふわした
小さなうろこ
雲が、
奇妙に
入り
乱れて
広がっていた……。
不思議な、あるひそかな
不安を
感じながら、
私は
少年時代に
喜びを
味わった、なじみの
場所を
見まわした。【6】
小さな
庭や、
花で
飾られたバルコニーや、
湿った、
日の
当たらない、
敷石が
苔で
緑色になった
中庭が
私を
見つめた。それらは、
昔とは
違った
顔をしていた。
花たちさえもつきることのないその
魅力をいくぶんか
失っていた。【7】
庭の
隅に
古い
水桶が
水道の
栓とともにひっそりとそっけなく
立っていた。そこで
昔、
私は
木の
水車をとりつけ、
半日ものあいだ
水を
出しっぱなしにして、
父を
悩ましたものだった。
路上にダムや
運河を
築いて、
大洪水を
起こしたのである。【8】
風雨にさらされたその
水桶は、
私にとって
忠実なお
気に
入りで、
気晴らしの
相手であった。それを
見つめていると、あの
子どもの
頃の
喜びの
余韻さえパッと
心に
浮かんでくるのであった。が、それは
悲しい
味がした。【9】その
水桶はもう
泉でもなく、
大河でもなく、ナイアガラの
滝でもなかった。
物思いにふけりながら、
私は
垣根をよじ
登って
越えた。
一輪の
青いヒルガオの
花が、
私の
顔にかるく
触れた。
私はそれを
摘みとって
口にくわえた。【0】そのとき
私は、
散歩をして、
山の
上から
町を
見下ろしてみようと
心に
決めていた。
散歩をするのも、
本当に
楽しい
企てではなかった。
以前ならば、
決して
思いつくことなどなかっただろう。
少年は
散歩などしない。
少年は、
森へ
行くなら
盗賊か、
騎士になって
行く。
川へ
行くなら
筏乗りか、
漁師か、あるいは
水車作りになって
行く。
草原へ
走るのは、
蝶の
採集かトカゲ
捕りに
行くのだ。こうして
私の
散歩は、
自分が
何をしたらよいかわからない
大人の、
上品だが
少々退屈な
行為のように
思われた。
青いヒルガオはまもなくしぼんで
投げ
捨てられた。そして
今度はもぎ
取ったブナの
小枝をかじった。
苦い、
香ばしい
味がした。
高いエニシダの
生えている
鉄道の
土手のところで
一匹のみどり
色のトカゲが
私の
足もとを
走って
逃げた。すると、また
私の
心に
少年の
気持ちがふっと
目覚めた。
私はじっとしていられず、
走ったり、しのび
寄ったり、
待ちぶせしたりして、ついに
日に
当たって
温かなおくびょうなトカゲを
両手に
捕らえた。
私はその
光沢のある、
小さな
宝石のような
眼をのぞきこみ、
少年のころの
狩りの
楽しみの
余韻を
味わいながら、そのしなやかで
力強いからだと
固い
足が
私の
指のあいだで
抵抗し、
突っ
張るのを
感じた。だがそれからよろこびは
消えてしまった。
捕まえた
動物をどうしたらよいのかまったく
分からなくなった。どうすることもできなかった。それを
持っていてももう
幸福感はなかった。
私は
地面にかがみこんで、
手を
開いた。トカゲは
一瞬おどろいて、
横腹をはげしく
息づかせながらじっとしていたが、それからわき
目もふらずに
草の
中へ
姿を
消した。
汽車が
輝く
鉄路を
走って
来て、
私のそばを
通り
過ぎた。それを
見送った
私は、
一瞬非常にはっきりと、ここではもう
私の
本当のよろこびが
花咲くことはないと
感じた。そしてあの
列車に
乗って
世の
中へ
出て
行きたいと、
心の
底から
思った。
(ヘルマン・ヘッセ
作 フォルカー・ミヒェルス
編 岡田朝)
長文 10.4週
都会にはむろんのこと、
日本の
町々には、ある
大切な
要素が
欠けている。
―
沈黙である。
静寂である。
(
中略)
わが
屋戸のいささ
群竹吹く
風の
音のかそけきこの
夕べかも
夕風にそよいで、かすかな
葉ずれの
音をたてている
群竹。
作者の
大伴家持は、その
静寂にじっと
耳を
傾けている。このような、かそけき
音にひかれる
心の
姿というものこそ
日本人特有の
姿だった。
古池に
飛び
込む
蛙の
音、ほかの
国の
人たちが
聞いても、おそらくなんの
感興もおこさないであろうような、そのような
音を、
日本人が
何世代にもわたって
味わい
続けてきたのは、それが「
音」だったからではない。「
静けさ」だったからなのだ。
全山に
降る
蝉しぐれ、
岩にしみ
入るようなその
蝉の
声に
芭蕉は
耳をとられ、そして、その
一句に「
閑かさや」という
適切な
初語を
置いた。
静かさというものは、
音のない
状態をいうのではない。
音が
音として、くっきり
浮かび
上がる、そのような
空間と
時間をさすのである。
音は「
静寂」というカンバスに
描かれて、
初めて「
音」になるのであり、
同様に
静かさというものは、そこに
音がくっきりと
浮かび
上がることによって「
静寂」となる。
湯のたぎる
音が
茶室の
静寂をささえ、
懸樋の
水音が
庭の
閑寂をいっそう
深いものにする。かぼそい
虫の
声が
秋の
夜の
静けさを
呼び、
炭火のはじける
音が
冬の
午後の
沈黙を
生む。こうした「
音」と「
静寂」のこよなき
調和の
場こそ、
日本人の
愛した
生活の
空間であり、
暮らしの
時間だった。
だが、「
文明」が
進み、「
文化」が
発展するのと
歩調を
合わせて、
静寂は
私たちから、
反対に
遠ざかってしまった。
日本の
都会の、
日本の
町々のどこに、「
群竹のかそけき
音」を
耳にしうる
場所があろうか。ほんのわずかでも、ほんのいっときでも、
静かに
思いにふけることのできる
空間や
時間が、
都会の、
町々のどこに
残されているというのか。
全く
逆なのである。
私たちの
文明とは、
静寂を
騒音に
変えることだったのであり、
私たちの
文化とは、「かそけき
音」を
拡声器でただやたらに
増幅することだったのだ。
日本の
町々には、
便利さのための、ありとあらゆる
施設が
造られている。そして、これからも
造られようとしている。たった
一つ、「
静寂の
空間」を
除いて。
現代の
日本の
文明は、
静寂だけはつくりだすことができないのである。いや、つくりだせないのではなく、つくりだそうと
思わないのだ。
静寂な
空間とは、
空白な
空間であり、むだな
空間だと
思っているからである。
自然は
真空をきらうというが、
現代の
日本人は
沈黙をきらう。きらうのではなくて、
恐れているのだ。だから、
少しでも、
静寂の
場所があれば、あわててそこを
騒音でふさごうとする。
武器は
拡声器である。
駅でも、
交差点でも、
公園でも、
横丁でも、
喫茶店でも、ホテルのロビーでも、
大学の
構内でも、
寺院でさえ、
今や
騒音なしには
存在しえない。
岩にまでしみ
込むほどの「
閑かさ」の
力を、
日本の
社会は、とうとう
文明によって
追放してしまった。そして、
人々を
沈黙の
恐怖から
救い
出し、
静寂の
不安から
連れ
出した。
さあ、もう
安心するがいい。どこにいても、
騒音が
付き
添っている。どうだ、
寂しくないだろう……。
こうして、
人々は、
騒音に
取り
巻かれ、その
中で
安心して
憩い、
眠る。
しかし、これほど
夢中になって
音を
製造したにもかかわらず、
私たちは、
実は
何一つ「
音」を
聞いていないのである。
聞こうにも、
聞くことができないのだ。
私たちのまわりに、いったい、
生活のどんな
音があるというのか。
折にふれ、
人々は、
夜明けとともに
聞こえてきた
納豆売りの
声、
夕べとともに
響いた
豆腐屋のラッパの
音を
懐かしむ。だがそれは、
実をいうと、
物売りの
声やラッパの
音そのものを
懐かしんでいるのはなく、そうした
生活の
音をしみじみと
聞くことができた「
静かさ」への
郷愁なのである。
現に、それに
代わる
生活の
音なら、
今だってまわりにたくさんあるではないか。けれど、
私たちには、もうそれが
聞こえない。なぜなら、
音の
一つ
一つが、くっきりと
浮かび
上がってくるような
静かな
空間、
沈黙の
時間を
捨ててしまったからだ。そして、すべての
音を、「
文化」の
名のもとに、
単なる
騒音につくり
変えてしまったからである。
島根県の
山あい、
津和野の
町で、
私は
久しぶりに
忘れていた「
音」を
聞いた。それは、
町のいたるところを
流れる
用水のささやきだった。
この
町には、
九千人という
人口の
十倍もの
鯉が
放されているのだ。
夜、
八時、
私は
宿を
出た。
祇園町を
通り、
新町通りを
抜け、
殿町を
過ぎ、
大橋を
渡った。どこを
歩いても、
足もとに
用水の
鳴る
音がついてきた。それはまさしく
津和野の
町の
音だった。
三百年来、この
町の
人たちは
鯉を
飼ってきた。「
食べない、
捕らない、
殺さない。」といって。だが、
人々はただ
鯉をだいじにしたのではない。
鯉をだいじにすることによって、この
用水の
音を
大切にしてきたのだ。
水の「
声」に
耳を
傾けることのできる
静かさを。
大橋に
立って、
私は
改めて
思う。
日本の
暮らしのなかで、どんな「かそけき」
音でも
聞くことができ、それに
耳を
傾けることができる。そのような
空間をつくること、そのような
時間をもつこと、これこそが
本当の
文化、
本当の
生活なのではなかろうか、と。
(
森本哲朗「
日本のたたずまい」)
長文 11.1週
【1】交話
機能というのは、
簡単に
言えば、ことばがもつ、
人と
人の
気持ちを
結びつける
作用を
指すものである。
考えてみると、
私たちがことばを
用いるとき、
別に
何かを
伝えたり、
特にあることについて
語るというわけでもなく、ただことばを
発することそれ
自体に、
主たる
狙いのある
場合がある。
【2】
例えば、
町中で
真夜中あたりに
人かげのまったくない
時、あるいは
人里はるか
離れた
山道などで、
見知らぬ
人に
出会ったとき、
私たちは
何となく
不安な
気持ちになり、
緊張することがある。【3】そんなとき、
思いがけなく
相手が
一言「
今晩は」とか「いい
天気ですね」などと
声を
掛けてくれると、
急に
気が
楽になって
思わず
弾んだ
声であいさつを
返して
行き
過ぎる、といった
経験をもつ
人は
多いと
思う。このようなとき、もし
何も
言わずに
擦れ
違ったりすると、
何となく
後ろが
気になるものである。
【4】このように
人は
他人に
出会うと、
必ず
心の
中に
警戒、
不安、
恐れなどの
気持ちが、
多少なりとも
生まれるもので、
都会の
人混みに
慣れきっている
現代人は、このことをあまり
意識する
機会がないが、いま
述べたような
状況の
下ではその
気持ちが
表面化してくるのだ。
【5】
人が
出会いの
際に
経験するこの
生物的な
緊張をほぐし
和らげ、
次の
交流段階に
支障なくつないでゆくきっかけ
糸口を
与えることが、
俗にあいさつと
呼ばれる
言語行動の
主たる
役目なのである。
【6】
具体的な
情報伝達を
目的としない、したがって
内容があまり
重要でないタイプの
言語活動は、あいさつのほかにも、たとえば
雑談やおしゃべり、さらには
井戸端会議などと
称せられる、
一般には
無意味で
無駄な
時間つぶしと
考えられているものに
見られる。【7】このような
場合、ことばを
交わし
合うことそれ
自体が、
互いの
心を
通わせ、
一体感を
高める
働きをするのである。
【8】
多くの
人が
仕事の
話や
用件に
入る
前に、お
天気の
話や
当たり
障りのない
短い
会話を
交わすのも、これがお
互いの
警戒心や
敵意を
弱め
反対に
安心感を
高める
効用があるからである。
【9】交話
機能とはこのように、
人々が
本格的な
対話関係に
入るためのいわば
地均し、
心の
波長(ダイヤル)
合わせを
行うものであり、
対話者どうしの
一体感や
帰属意識を
高める
潤滑油としての
働きなのである。【0】
(「
教養としての
言語学」(
鈴木孝夫)による。
岐阜県)
長文 11.2週
【1】フィンランドの
保健担当機関がある
調査を
実施したという
話を
読んだ。
食事の
指導や
健康管理の
効果がどのようなものであるかを
科学的に
調べるためだったという。その
結果が、
実に
興味深い。
【2】
四十歳から
四十五歳までの
人々を
六百人選んで、Aグループとした。この
人たちには、
定期検診や
栄養学的な
調査などを
受けてもらう。また、
運動を
毎日すること、タバコ、アルコール、
砂糖などの
摂取を
抑えることを
約束してもらう。【3】そして、そういう
健康管理を
十五年間続けた。ずいぶん
息の
長い
調査である。この
効果の
比較のため、
別の
同一条件の
人たちで
構成される
六百人のBグループを
選んだ。この
人たちには、いかなる
健康管理も
実施しなかった。
【4】
十五年たって、AグループとBグループを
比較すると、はっきりした
違いが
現れた。
一方のグループでは、
病気になった
人の
数が
少なかった。それが
健康管理の
対象とならなかったBグループだったというのである。【5】
驚いた
医師たち、
保健担当機関の
人たちが、なぜそのような
事態が
起きたのかという
点について、さらにその
原因に
迫る
調査、
研究を
行った。その
結果は、
治療上の
過保護と
管理が
依存や
抵抗力の
低下をもたらすという
結論だった。【6】この
調査結果は、まことに
意味深長である。
私たちの
生き
方全般についても、
大いに
考えさせるものを
突きつけているように
私には
思える。
【7】
自然界にいる
動物は、
医者が
診てはくれないから、
自分で
自分の
体に
気をつけて
暮らさなければならない。いま、
自分の
体は
食べ
物を
求めているか、
水を
必要としているかといったことについて、
自分の
本能が
内部でささやいている
声を
聞きとっているのだ。【8】ところが、そういう
本能をき
分ける
感度が、
私たちの
場合、
一般に、
恐ろしく
鈍ってしまっている。Bグループの
人々は、そういう
鈍っていた
感覚を
呼び
起こし、
磨き
始めたのではなかったろうか。
【9】フィンランドのこの
調査結果は、そのまま
子どもたちの
育て
方や
教育のあり
方にも
通じる
話である。
過保護が
依存を
生む。そして、
自律が
自立につながるのだ。
最近の
子どもは、
動物として
活動する
場や
機会が
少ないので、かわいそうだと
思うことがある。【0】
本来、
子どもは
動物の
子どもと
同じで、
成長するに
従い、さまざまな
状況にぶつかり、
自分の
本能と
相談しながら
行動の
仕方を
選択することを
覚えてゆく。そういう
場がめっきり
減ってしまった。「
子どもというものはみんな、ある
程度まで、
世界をふたたび
始めから
生きる」と
書いたのは、
米国の
思想家、へンリー・ソローである。
大人に
知られぬように
穴などを
探してもぐり
込んだ
体験はだれにでもあるだろう。ただおもしろい、
秘密の
行動にわくわくするということだけではあるまい。
穴居の
時代の
記憶からではなかろうか。
石を
大事に
引き
出しにしまったり、
石けりなどに
興じたりしたのは
石器時代の
名残かもしれぬ。
木登り、
昆虫採集、
魚釣り、
畑仕事、
家畜の
世話、その
他すべてが
太古からの
人間の
営みの
延長であり、
狩猟や
漁労や
農耕や
牧畜の
復習だったのではないだろうか。
子どもは、
手や
頭を
使い、さらにさまざまな
道具を
作って
使う、こういった
遊びや
手伝いをするなかで、
人類の
歴史的発展をもう
一度たどっているような
気がする。
子ども
一人ひとりが
動物としての
感覚を
持ち
続け、
磨きながら
成長するために、そういうことをたっぷりと
行うことが
必要である。これを
私は「
人類全課程」と
呼んでいるが、
最近の
子どもがこれを
学習するのは、
至難のようだ。
日本が
貧しかったころに
育った
世代は、それこそ
石器時代から
全課程をやってきた。いまの
子どもは、
生まれるとすぐ、
電子機器、
自動車、
飽食の
二十世紀に
一足飛びなのである。
火のおこし
方も、あいさつの
仕方も
知らずに
育つようなことになる。
動物だって、それぞれ
独特な
方法であいさつするというのに。
(
白井健策「
天声人語の
七年」の
文章による。
福井県)
長文 11.3週
【1】このところ、ドストエフスキー、ファーブルなどと
二十年以上も
前に
読んだものを、もう
一度読み
直して、なんとなくよい
気分である。
古典とは
決して「
古いもの」という
意味ではない。
永遠に
新しいものを
古典という。
【2】
時代の
流行を
代表するような
作品は
次々にあらわれ、その
時代にはたくさんの
人に
読まれるが、その
多くは、いつの
間にか
消えていく。
若いころ、たいそうおもしろく
読んだ
記憶があり、
思い
立って
読み
直してみると、つまらないものであったりする。【3】
同時代の
作品は、
目に
映る
風俗の
親近感があるし、また
古い
作品でもなんとなくその
時代によく
受ける
精神構造を
持っていたりすると、
一種の
流行となることがあるが、
時代が
変わるとその
多くは、あぶくのように
消えてしまう。
【4】
古典といえるものでも、ある
時代には、なりをひそめているが、
別の
時代にはよみがえってもてはやされることがある。
作家の
気質が
時代の
気質によく
合ったり、そぐわなかったりするからだ。
育っていく
子供に
似て、
時代には
気質がむら
気にあらわれるものだ。
【5】だが、いずれにしても
人間とは
矛盾した
感性を
抱き
合わせに
持っている
複雑な
生きものなので、
一人の
人間でも、ああも
感じたり、こうも
感じたり、
破滅を
夢みたり、
聖なる
秩序に
情熱を
傾けたりする。【6】こういう
人間の
性質は、どうやら
人間が
生きのびる
限り
同じらしい。なぜなら、
地上が
災いも
破壊もない
神の
国となり、
死というものが
消えうせたとしたら、
生まれいずるものもまたなくなり、それは
人間の
国ではなくなってしまうだろう。【7】
古典とはその
最も
人間的なものを、その
時代の
具体的な
素材を
用いて
抽象の
中に
表現し
得ているものである。
【8】
古典に
現代の
生活では
日常的でない
素材が
用いてあると、
不思議なことなのだが、
抽象の
骨組がかえってはっきりと
見えてくることがある。そして、それが、
現在の
日常性の
中で
混乱している
思考をしゃっきりとさせてくれることがあるものだ。
【9】
古典はわたしをいつもすがすがしい
気分にする。そのすがすがしさを
味わいたいばかりに、わたしは
古典にふける。わたしはそれが
古いという
理由で
古いものに
特別興味があるわけではない。それが
今も
生きていて、
生きているものがわたしに
語りかけるから
耳を
傾けるのだ。【0】 (
大庭みな
子『
大庭みな
子全集第十巻』)
長文 11.4週
カラーテレビは
教育上よくない、
白黒テレビのほうがよいという
意見があることを
聞いた。
白黒テレビだと
子どもたちは
自分である
程度まで
着色したイメージをえがきうるし、それはさまざまでありうる。ところがカラーテレビだと
子どもの
想像力がはたらく
余地がない。
想像力は
創造性の
基本だから、つまり
創造性の
伸長をさまたげる
結果になるのだという。
白黒テレビが、
見本なしのぬり
絵のように、
色についての
子どもの
想像力をかきたてるという
効果はあるかもしれない。だがその
場合、
色にかんする
想像力を
裏づける、いわばそれに
対応する、
経験の
蓄積がなければならない。そうでないなら、
白黒の
画面を
着色の
画面に
転化したイメージをもつことは
困難だし、かりにそうしたことがなされたとしても、そこに
成り
立ったイメージは、きわめて
単純でまずしいものでしかないだろう。
子ども
向けの
怪人・
怪獣テレビを
見ているとき、これはおとなでも
同様だと
思わざるをえないことがある。
ところで、われわれ
人間に
色彩の
豊富さを
教えるまず
第一のものは、
自然である。
山も
海も
川も、
一つ
一つの
植物も
動物も、なんと
複雑で
微妙な
色彩に
富み、
陰影によるその
変化を
示すものであることか。
私はガラパゴスの
海で、
空をあおいで
熱帯鳥が
羽ばたきもせずに
翔けっていくのを
見たとき、その
白と
空の
青とがともに
単色であるように
見えながら、
繊細な
色彩の
交響を
心につたえてくるのにうたれた。
絵画は、どれほど
自然に
忠実であろうとしても、
自然の
色彩のことごとくをそのまま
再現することはできない。そもそも、
絵画はそのようなことを
目標とはしないであろう。たとえば
写実的な
風景画であっても、それは
自然からの
抽象をもとにした
創造あるいは
再創造であるにちがいない。そして
人間は、
極度の
抽象や
単純化のなかに
新たな
美を
発見する
能力をそなえている。
現代絵画にあらわれているくすんだ
単色あるいはそれに
近い
色彩での
画面の
構成は、
色盲的な
夜行動物の
世界だといえなくはない。
人間にとって、それもまた
一つの
美である。
色彩ばかりではない。ものの
形にかんしても
同様である。
抽象画における、ちょっと
見れば
単純な
一本の
曲線とか、
交錯する
数本の
直線とかにも、その
背後には
画家に
感受された
豊富な
外界があるはずである。
外界の
音響、たとえば
風のいぶきや
鳥のさえずりと、
音楽の
創造とのあいだにも、
同一の
関係が
指摘されるであろう。ある
点では、
音楽における
抽象と
構成ないし
再構成とは、
絵画の
場合よりいっそう
高度かもしれない。
さて、
現代において
人間の
生活環境から、
自然は
急速に
追放されつつある。それにとってかわっているのは、
人工の
世界である。
開発され
都市化のいちじるしく
進んだこの
国土の
風景を
一見すれば、それは
瞭然としている。
巨大なビル、
新家屋、
舗道、
高速道路、そのほか
目に
映るすべてのものは、
色彩も
形状も、
自然と
対比すれば
単純化され
抽象化されている。だからといって
美しくないというのではないが、その
人工の
美しさを
裏づける
自然の
本来の
多彩さが
失われてしまっていくのでは、やがては
人工の
美のまずしさを
招来することになるであろう。
人間がどんな
環境でも
生きられるという、その
高度の
順応性は、こうした
問題をむずかしくしている。
密林のなかで
何十年もくらすことが
不可能ではないし、
団地のせまいアパートにひしめきあって
生活することもできる。
長い
年月を
牢獄にとじこめられても、それだけですぐ
死ぬというわけではない。そして、
芸術などにはまったく
背を
向けて
一生を
送ったところでどうこういうことは
起こらないし、
実際に
多くの
人がそうしている。
もしも
人間が、よりよく
生き、よりよい
社会をつくるという
目標をもたないならば、この
世界からの
自然の
消滅を
憂える
理由は
何もない。
問題の
根本は、
人間の
生きかたについて
理想や
目標をもつかどうかにある。
視野を
大きく、また
時間のはばを
広くとってみるならば、
自然の
喪失は
人間とその
社会にいちじるしい
影響をおよぼすことになるにちがいない。われわれの
周囲に
自然をどう
保存するか、どのように
新たな
自然を
設計するかは、いうまでもなく、
現代社会の
重大な
課題である。ことに
成長期の
子どものために
豊かな
自然を
生活の
場として
与えることは、なによりたいせつなことである。
(
八杉龍一「
自然と
言葉」)
長文 12.1週
【1】
私たちは、「
手を
上げよう」と
思えば
手が
上げられます。
手を
上げるためには、たくさんの
筋肉の
複雑な
収縮が
必要ですが、それについては、
私たちはなにも
知らないのに、
手が
上げられるのはなぜでしょうか。【2】まず、
実際に
手を
上げた
経験があって、それと「
手を
上げる」ということばとが
結びつきます。そうすると、「
手を
上げよう」と
思うと、
以前に
手を
上げたときの
脳機能が
無意識のうちにはたらいて、ひとりでに
手が
上がるのです。
【3】このような
現象を
随意運動といいますが、
要するに、「
手を
上げよう」という
目標に
向かって
脳がひとりでにはたらくのです。「
手を
上げよう」というのは
意志ともいわれますが、
意志さえ
強ければなんでもできるというわけではありません。【4】
泳げない
人が「
絶対に
泳いでみせる」と
力んでも
泳げません。つまり、
泳いだという
経験があって、それと「
泳ぐ」ということばが
結びついていなければなりません。
【5】スポーツなどの
専門分野では、
特別のことばがよく
使われます。たとえば、スキーの「
前傾」、
踊りの「
腰を
入れる」などというものです。しかし、
実際の
体験をして、「これが
前傾ということなのか」とか「これが
腰を
入れるということなのか」とわからないと、これらのことばに
従って
体を
動かすことはできません。
【6】ところで、
何をするにしろ、どうしたら
失敗するか、ということを
知っていて
失敗することはめったにありません。どういうわけか
失敗してしまうのです。そこで、
次に
同じことをするときに、「また、
失敗するかもしれない」と
思うと、ほんとうに
失敗してしまいます。【7】
前よりもひどく
失敗することもあります。これは、「
失敗」ということばをきっかけに、
以前に
失敗したときの
脳のはたらきが
進行して
失敗するのです。
【8】「
失敗は
成功の
母」といわれるように、
失敗を
重ねることによって、
次第に
成功に
近づいてゆくのが
脳の
自然のはたらきです。ところが、
失敗を
恐れると、
脳も
人間も
発展しません。
【9】
従って、「
失敗」ということばのために、
以前以上に
失敗するというのは、ことばを
持っている
人間の
特徴ともいえます。こういう
現象を
自己暗示といいますが、「
手を
上げよう」と
思って
手が
上げられる
現象と、よく
似ていることに
気づくでしょう。【0】つまり、
自己暗示は
特別に
不思議な
現象ではなく、
私たちはたえず
自己暗示によって
行動しているともいえます。
もちろん、「こんどは
絶対に
成功するぞ」と
思い
込んでも「
失敗したらたいへんだ」ということばに
負けてしまう
場合があります。
成功した
経験がないと、「
成功」ということばでは
脳は
成功に
向かってはたらかないからです。これとは
反対に、
成功する
人は
成功を
重ね「
失敗する
気がしない」と
自信満々です。どうしたら
成功するかは、
本人にも
自覚されていませんが、
以前に
成功した
経験があると、そのときの
脳のはたらきがひとりでに
進行して、
成功を
重ねることになるのです。
(
千葉康則「ヒトはなぜ
夢を
見るのか」による。
静岡県)
長文 12.2週
【1】
外国人に
日本語を
教えているうちに
一つの
事実に
気づきました。
一般に
欧米人は、
質問に
対して「いいえ」と
言うときに、
教師がビクッとするほど
強い
調子で
答えることが
多いのです。【2】もしや、
質問しそこなったのではないかと、こちらが
不安になるほどに――。しかし、よく
見ていると、「はい」も「いいえ」も、
同じように
強くはっきりと
答えようとしているだけです。わたくしの
耳は、その「いいえ」を
強すぎると
感じたのでした。
【3】それは、わたくしたちが、
日ごろ「いいえ」をやや
控え
目に
言う
習慣が
身についているためだと
思います。
肯定の
場合は
調子よく「はい!」という
人が、
否定になると、
内容にもよりますが、
無意識に
声を
落としてしまいます。
【4】いつか
米国人に
英語を
習っていた
日本人が、
弱々しく「ノー」と
答えて、もっとハッキリ
態度をあらわせと
注意されていたのを
思い
出します。
人格をもった
一個の
人間なら、
責任ある
態度をとれ、とその
英語教師は
言うのです。【5】
彼に
言わせれば、
事実そうでないことをあいまいにノーと
言うのは、
質問者に
対して
失礼ではないかと。
この
違いは、
否定している
対象の
違いにもとづくようです。
英語の
場合には、おたがいが
客観的に「
事実」を
見て、その「
事実」について
語ります。【6】それが、イエスとノーに
要約されているといえましょう。たとえば、「
見ませんでしたか。」というような
否定の
質問には、
日本語と
英語とで
答えが
逆になることが
一般に
知られています。
見なかった
場合に、
日本語では「はい」と
言い、
英語では「ノー」と
答えます。【7】つまり
日本語の
場合、
答え
手は、まずその
質問を
受けた「き
手」として、その
質問文の「
話し
手」の
視線に
合わせて
自分の
行為を
見、
質問文と
自分の
行為との
間に
一致点を
見いだして、「はい」と
答えるわけです。【8】
逆に、
事実を
見た
場合には「いいえ」と
答えることになります。すなわち、
日本語の
否定は「
質問」の
文型あるいは
質問者の
意向に
向けられていますが、
英語の
否定は
質問を
受ける
側の、
現実の
行為の
有無に
向けられています。【9】ですから
英語では「ノー」とはっきり
言うことができ、むしろ、
事実を
事実としてはっきりと
否定することが、
相手の
尊重にもつながるわけです。
しかし、
日本語の
返答では、
否定が「
質問」の
方に
向けられているために、
微妙な
心理がからんできます。【0】きっぱり
否定したりすると、「いいえ」が
事実の
否定をとびこえて、
相手の
考え
方や
感じ
方の
批判にまで
及ばないとも
限りません。そこで「いいえ」は
自然に
控え
目になります。その
控え
目な
態度によって、
否定が
事実だけに
限定されることを、
無意識のうちに
示唆しているといえましょう。こうして
声をおさえることが、
客観性にふみとどまる
一つの
手立てともなるわけです。
それさえも
不安になると、「いいえ」のかわりに
小声で「はい」という
人さえあります。これをウソつきだときめつけることも
一概にはできません。こういう
場合は、
声の
調子とか
表情とかを
総合して
判断することが
必要です。それはもう
意味をもつ
言葉というよりも、
困惑をあらわすため
息のようなものとして
受けとめるべきものかもしれません。
日本人は、いつしか
読心術のようなものを
身につけ、ことばのみせかけにまどわされることはありませんが、
外国人にとっては
解しがたいことが
少なくないようです。
(
山下秀雄の
文章による。
京都府)
長文 12.3週
【1】
一人一人の
話が、みなそれぞれに
違っているからこそ
面白いのだが、その
一人一人の
違う
話を
聞いているうちに、「
宇宙飛行士たちは、やはりみんな、
宇宙で、ある
共通の
体験をしているな。」と
私は
確信するようになった。
【2】ただ、たぶんその
共通体験は、ほとんど
無意識のうちに、
直観的になされるものだから、
必ずしも
彼ら
自身が
認識しているとは
限らない。
地球に
戻ってから
宇宙体験の
話をするとなると、どうしてもそこに、
宇宙飛行士一人一人の、この
地球での
個人的な
歴史や
価値観、
現在の
環境などが
関わってくる。【3】だから、
話の
表面のディテールが
違ってくる。しかし、その
表面的な
違いにとらわれず、その
話の
奥に
秘めたものを
注意深く
探ってみると、そこに
共通体験が
見えてくるのだ。
【4】
結論を
先に
言ってしまうなら、
彼らはみな、
宇宙で『
私』という
個体意識が
一気に
取り
払われるような
体験をしている。
この
体験を
最もわかりやすく
話してくれたのは、アポロ9
号の
乗組員だったラッセル・シュワイカートだ。
【5】
彼が、
月面着陸船のテストを
兼ねて
宇宙遊泳している
時のことだった。
彼の
宇宙空間での
仕事ぶりを
宇宙船の
中から
撮影するはずだったカメラが
突然故障し、
動かなくなった。【6】
撮影担当のマックデビッド
飛行士は、シュワイカートに、そのまま
何もせず
五分間待つようにい
残して
宇宙船の
中に
消えた。
シュワイカートに、
突然まったく
予期しなかった
静寂が
訪れた。
それまで、
秒刻みでこなしていた
任務が
一切なくなってしまったのだ。
【7】
地上からの
交信も
途絶えた。
そして、
真空の
宇宙での
完全な
静寂。
彼は、ゆっくりとあたりを
見回した。
眼下には、
真青に
輝く
美しい
地球が
拡がっている。
視界をさえぎるものは
一切なく、
無重力のため
上下左右の
感覚もない。【8】
自分はまるで
生まれたままの
素裸で、たった
一人でこの
宇宙の
闇の
中に
漂っている、そんな
気がした。
突然、シュワイカートの
胸の
中に、なにか
言葉ではい
表すことのできない
熱く
激しい
奔流のようなものが
一気に
流れ
込んできた。【9】
考えた、というのではなく、
感じた、というのでもなく、その
熱い
何かが、
一気にからだの
隅々にまで
満ちあふれたのだった。
彼は、ヘルメットのガラス
球の
中で、わけもなく
大粒の
涙を
流した。この
瞬間、
彼の
心に、
眼下に
拡がる
地球のすべての
生命、そして
地球そのものへの
言い
知れぬほどの
深い
連帯感が
生まれた。
【0】「
今、ここにいるのは『
私』であって『
私』でなく、すべての
生きとし
生ける
者としての『
我々』なんだ。それも、
今、この
瞬間に、
眼下に
拡がる、
青い
地球に
生きるすべての
生命、
過去に
生きたすべての
生命、そして、これから
生まれてくるであろうすべての
生命を
含んだ『
我々』なんだ。」
こんな、
静かだが、
熱い
確信が
彼の
心の
中に
生まれていた。
シュワイカートが
宇宙空間で
体験したこの『
私』という
個体意識から『
我々』という
地球意識への
脱皮は、
今、この
地球に
住むすべての
人々に
求められている。
(
龍村仁の
文章による。)
長文 12.4週
「
見どころ」、「
聞きどころ」という
言葉がある。「
見どころ」は「
見る
価値のあるすぐれたところ」を、「
聞きどころ」は「
聞くねうちのある
個所」を
意味する
言葉として、
能、
歌舞伎、
人形浄瑠璃をはじめ、それから
派生してきた
舞踊や
歌謡など、
日本の
伝統的芸能の
世界でよく
使われてきた。ところが、
戦後になってから、いつのころからか、その
世界では、この
二つの
言葉の
影が
薄れて、「
見せどころ」、「
聞かせどころ」という
言葉が
優勢になった、とある
放送関係の
人が
教えてくれた。「
見どころ」、「
聞きどころ」というのは、
芸能を
享受する
側がそれを
演ずる
側の
芸について
言う
言葉であるが、「
見せどころ」、「
聞かせどころ」は
反対に
演ずる
側が
言う
言葉であろう。
後者のような
言葉が
昔から
芸能の
世界にあったのかどうか
私は
知らないが、「
見せ
場」という
言葉はあったらしい。
辞書によれば、「みせば」は「
芝居などでその
役者が
得意とする
芸の
見せどころ」のことである。(「
見せどころ」は――「
聞かせどころ」も――
辞典には
見当たらない)が、それは
役者自身が
使ったのか、
観客たちが「
見どころ」を
役者に
投影して
使ったのか、
辞書からはわからない。「
見せどころ」、「
聞かせどころ」も、
芸能の
演者自身が
使っているのか、
興行や
放送番組のプロデューサーなどが
使っているのか、
私はよく
知らないが、とにかく、この
二つの
言葉がいま
電波や
活字に
乗って
横行しているというのは、どういうことであろうか。
「
見どころ」、「
聞きどころ」というのは、
芸能を
享受する
人たちが
出し
物や
曲目からつよい
感動をうける
個所を
指すが、その
感動は、それを
演ずる
人の
芸をはなれては
生じないが、
享受する
側の
鑑賞力をはなれてもありえない。
芸能は
享受し
鑑賞する
側と
演ずる
側とが
対等であって、
両者の
交感が
成立するときにはじめて
十全なものになる。そして、「
見どころ」、「
聞きどころ」は、
享受する
側の
批評意識においてこそ
成立するはずである。「
見どころ」が
隙のない
芸の
全体をつうじてしか
成立しないことを
知っている
本もの
芸能人は、けっして、「
見せどころ」、「
聞かせどころ」などとは
言わないにちがいない。「
見せどころ」、「
聞かせどころ」という
言葉は、
享受する
側を
無視して、
演ずる
側が
自己を
誇示しようとする
態度を
示すものであろう。その
言葉には、
演ずる
側がその
芸をセールス・ポイントにして
享受する
側におしつけようとするあつかましさ、「ここが
見聞きする
価値のあるところだ」というおしつけがましさが
感じられる。
少なくとも、そこには、
芸能人または
興行者(
放送のプロデューサーや
解説者を
加えてもいい)が、
観客や
聴衆にいわば
指導者として
臨むという
思い
上がった
姿勢が
見られる。
だが、
他方から
見れば、
多くの
人びとが
伝統芸能に
対する
教養と
関心を
失っていることもたしかである。かつて、
歌舞伎の
観客なり
浄瑠璃の
聴衆なりは、
演じられる
出し
物や
曲目についてよく
知っており、
演ずる
者と
共通の
理解のうえに
立っていたが、
今日、その
共通の
地盤は
大きく
崩れている。
伝統芸能は
生活の
根から
切りはなされて、いわば
保存の
対象にされている。だから
何とかして
多くの
人たちに
伝統芸能のよさを
認識させようと
熱意と
焦りが、
芸能関係者たちに
啓蒙的指導者としての
姿勢をとらせて、「
見せどころ」、「
聞かせどころ」などという
言葉遣いを
生みだしたのかもしれない。
いずれにせよ、「
見せどころ」、「
聞かせどころ」という
言葉は、
伝統芸能の
危機の
深さを
端的に
表現している。そして、そのような
伝統芸能の
危機が、
日本の
社会と
日本人の
生活意識とのすさまじいほどの
急激な
変化の
一つの
局面であることは、
言うまでもあるまい。
私は「
見せどころ」、「
聞かせどころ」という
言葉のことを
考えながら、
言葉遣いの
変化という
些細な
現象がどんなに
複雑な
要因をその
背後にもっているかに
思いあたって、あらためて
驚いた。こうした
言葉の
変化が
日本語の
混乱として
現れているとすれば、それは
日本の
社会の
変化というより、
日本の
社会と
文化そのものの
危機を
表しているのではあるまいか。