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障害学会神戸大会堀内レジュメ

報告ほうこくしゃ共同きょうどう報告ほうこく場合ばあい代表だいひょうしゃ
氏名しめい堀内ほりうち ひろし
報告ほうこく題目だいもく(40以内いない):いかにして障害しょうがいわらうことができるようになっているのか
発表はっぴょう要旨ようし(2,000以内いない)[註、文献ぶんけん図表ずひょうとうふくむ]:

1.問題もんだい設定せってい
 本論ほんろんでは,障害しょうがいとく脳性のうせい麻痺まひ随意ずいい運動うんどうがいかにして,わらいを志向しこうする会話かいわのリソースとして使用しようされているのかについて,分析ぶんせきおこなうことを目的もくてきとする.さて,個人こじんてき不幸ふこう不便ふべん不自由ふじゆうさなどとしてなされているような障害しょうがいを,他者たしゃわらわせるために使用しようし,またそれに成功せいこうしているということは,ある一定いってい会話かいわのデザインや発話はつわ順番じゅんばんにより可能かのうになっているとえる.本論ほんろんでは,実際じっさいのやりりからその会話かいわ方法ほうほう一部いちぶについて明示めいじする(なお,本論ほんろん問題もんだい設定せっていは,「障害しょうがいわらってもいのか」といういを付随ふずいさせているため,当日とうじつ分析ぶんせきデータの詳細しょうさい文献ぶんけんなどとともに,そのいをふく報告ほうこくする予定よていである).

2.研究けんきゅう方法ほうほう
 本論ほんろんでは障害しょうがい当事とうじしゃ脳性のうせい麻痺まひしゃ)の2人ふたりによっておこなわれる会話かいわをデータとしながら,障害しょうがいしゃ本人ほんにんわらいを産出さんしゅつさせるために使用しようしている障害しょうがい特性とくせい提示ていじする方法ほうほうを,会話かいわ分析ぶんせきにより焦点しょうてん分析ぶんせきおこなっていく.

3.研究けんきゅう結果けっか
 当該とうがいデータの分析ぶんせきにより以下いかのことがあきらかになった.障害しょうがいしゃおこなうコントでの言語げんご実践じっせんでは,わらうべきとして提示ていじされている場所ばしょにおいて,脳性のうせい麻痺まひ随意ずいい運動うんどうすじ緊張きんちょうによる身体しんたいふるえ,そして言語げんご発話はつわ障害しょうがいなどを,べつなにかと勘違かんちがいするということから産出さんしゅつされている.つまり,わらいを産出さんしゅつする構造こうぞうは,1.風邪かぜであると調しらべるための質問しつもん(フリ),2.脳性のうせい麻痺まひ特徴とくちょう風邪かぜしょ症状しょうじょう間違まちがう(ボケ),3.あいだちがいの修復しゅうふく,および,当該とうがいシークエンスがわらしょであるというマーキング(ツッコミ),というシークエンスから成立せいりつしている.なお,このデザインはすでに漫才まんざいなどわらいを志向しこうする会話かいわ研究けんきゅうにおいて,すでによくられるものである.
 もう1つ特徴とくちょうてきなシークエンスが,発話はつわがききとりにくいことがある演者えんじゃ発話はつわ明瞭めいりょうではない場合ばあいには,そのつぎターンにおいて,発話はつわ明瞭めいりょうなもう1人ひとりがわがその発話はつわかえすというものである.これにより,ききてはながわ理解りかい提示ていじしているだけではなく,演者えんじゃがわではないひとにとっても演者えんじゃのやりりへの理解りかい容易よういになっている.また,わらうべきてんターン以降いこう配置はいちされている,という演者えんじゃがわ期待きたい提示ていじするようなデザインにもなっているのである.
こうしたことは,日常にちじょうてき障害しょうがいしゃ記述きじゅつしたり障害しょうがい指示しじする場合ばあいには,あまりなされないような障害しょうがい特性とくせい提示ていじ仕方しかたであるとえる.ある行為こういについてわらうことが適切てきせつであるとされるには,当該とうがい行為こういわらうべき行為こういとして提示ていじしながら,その行為こういわらっても状況じょうきょうわらうことが普通ふつうである,適切てきせつである場面ばめんとして行為こうい期待きたい提示ていじすることを必要ひつようとする.そのため,障害しょうがい概念がいねん社会しゃかい問題もんだいやアカデミックな議論ぎろん,そして政策せいさく立案りつあんなどといったシリアスな場面ばめんのそれとはことなったものとして提示ていじしなければならないのである.
 具体ぐたいてきえば,分析ぶんせきデータにおいては,脳性のうせい麻痺まひ障害しょうがい特性とくせい風邪かぜしょ症状しょうじょうとして勘違かんちがいをしている人間にんげん行為こういについて,おかしみがあるという記述きじゅつ可能かのうとするためのデザインを演者えんじゃおこなっている,ということである.それはたとえば,脳性のうせい麻痺まひしゃおこな行為こうい脳性のうせい麻痺まひ障害しょうがい特性とくせいえることは,そうではないことよりも普通ふつう場面ばめんとすることが可能かのう,といったものである.つまり,いかに脳性のうせい麻痺まひしゃ行為こうい常識じょうしきてき記述きじゅつからはなれずに,脳性のうせい麻痺まひしゃにありそうなトピックを選択せんたくする,といったデザイン(や上記じょうきしたシークエンス)からこの会話かいわ構成こうせいされているとえる.

4.結論けつろん考察こうさつ
 本論ほんろんでは,障害しょうがいしゃのコントを分析ぶんせきすることによって,障害しょうがい提示ていじがいかにしてわらえるようにデザインされているのかについて分析ぶんせきおこなってきた.ところで,以上いじょうのような分析ぶんせき可能かのうではある一方いっぽうで,当該とうがいデータは以下いかのような記述きじゅつおこなうこともまた可能かのうであるだろう.つまり,日本にっぽん障害しょうがいしゃとの共生きょうせい実現じつげんしている進歩しんぽてき自由じゆう社会しゃかいである,不幸ふこう身体しんたいっているのにもかかわらず努力どりょくして感動かんどうてきなほど頑張がんばっている,悲劇ひげきてき障害しょうがい克服こくふくするために健常けんじょうしゃ以上いじょう人生じんせい精一杯せいいっぱいきている,あるいは,障害しょうがいしゃものにしているため不謹慎ふきんしんにもほどがある,おな障害しょうがいった障害しょうがいしゃはその障害しょうがい疾患しっかんくるしんでいる(だから障害しょうがいによってわらいをることはめるべき),社会しゃかい福祉ふくし教育きょういく障害しょうがい理解りかい促進そくしんやくにはたない,などといったものである.結局けっきょく,こうした記述きじゅつ差異さいからは,障害しょうがい障害しょうがいしゃという概念がいねんについてどのような期待きたいって記述きじゅつしているのか,ということが理解りかいできるとえる.つまり,わらいを障害しょうがいしゃというものをどのように理解りかいすれば一番いちばん普通ふつうであるのか,一番いちばんありそうな現象げんしょうとするにはどんな理由りゆう配置はいちすべきか,という差異さいがそれら記述きじゅつには明示めいじされているのである.