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障害学会神戸大会川レジュメ

報告ほうこくしゃ共同きょうどう報告ほうこく場合ばあい代表だいひょうしゃ
氏名しめいかわ  えいとも
報告ほうこく題目だいもく(40以内いない):『「外見がいけんではかりにくい障害しょうがい当事とうじしゃ当事とうじしゃせい主張しゅちょうすることにともな葛藤かっとう」と「その葛藤かっとう原因げんいんとしての人々ひとびと社会しゃかいてき態度たいど」』から
『「当事とうじしゃせい」「当事とうじしゃ概念がいねん」』について考察こうさつする〜うつびょうという診断しんだんけたひとへのインタビューから〜(仮題かだい
発表はっぴょう要旨ようし(2,000以内いない)[註、文献ぶんけん図表ずひょうとうふくむ]:

ほん報告ほうこく目的もくてきは、外見がいけんではかりにくい障害しょうがい当事とうじしゃが、「当事とうじしゃせい」を主張しゅちょうするさい体験たいけんする葛藤かっとうやジレンマをあきらかにすることである。そして、その葛藤かっとうやジレンマが、社会しゃかいがわ、とりわけ当事とうじしゃ人々ひとびと態度たいどによってもたらされていることをあきらかにする。そして、あきらかにした現実げんじつまえたうえで「当事とうじしゃせい」「当事とうじしゃ概念がいねん」について考察こうさつをすることである。
病気びょうき診断しんだんけた人間にんげん障害しょうがい判定はんていされた人間にんげんが、みずからの病名びょうめい障害しょうがいめいをカミングアウトして社会しゃかいてき当事とうじしゃ認知にんちされたさいに、その病気びょうき体験たいけん当事とうじしゃかたりにみみかたむけられることがある。しかし、じつはその当事とうじしゃがカミングアウトをして、みずからをかたなかかんじているかもしれない葛藤かっとうやジレンマはかならずしもかたられるとはかぎらず、かたられなければそれらは不可視ふかしされる。その不可視ふかしされた葛藤かっとうやジレンマを病気びょうき診断しんだんけた人間にんげんへのインタビュー調査ちょうさつうじて可視かしすることにほん報告ほうこく意義いぎがある。
 さらには、その葛藤かっとうやジレンマの原因げんいん個人こじん心理しんりてき原因げんいんもとめるのではなく、社会しゃかいがわもとめることにより、葛藤かっとう問題もんだいをもたらしている社会しゃかいがわ問題もんだいについてもあきらかにする。
ほん報告ほうこくでは、うつびょう診断しんだんされつつも、うつびょう当事とうじしゃ名乗なのることに様々さまざま違和いわやジレンマをかんじる人物じんぶつ(Iさん)にインタビュー調査ちょうさおこなうことをつうじて、そのことをあきらかにした。
 インタビューをつうじて、Iさんは、生活せいかつりたせていくために障害しょうがい年金ねんきん申請しんせいをせざろない状況じょうきょうにあるものの、そのことで障害しょうがいしゃ認定にんていされてしまうことへの違和感いわかんをまずかたってくださった。また、まわりにひとからて「はなしがまとまらない、集中しゅうちゅうりょくつづかないっていうことがあるので、うつ当事とうじしゃであるということをガチッといってしまったほうがいろんないがらくになるのではないのか。」とかんじているということをべてくださった。
一方いっぽうで、障害しょうがい当事とうじしゃ」と名乗なのることで、「なにかこういうことがあるけど、きたられますか。」というときに、さそいをけなくなったりするなどして、社会しゃかい参加さんかからとおざけられてしまうのではないかということを危惧きぐしていることをべてくださった。また、「うつびょう」の当事とうじしゃとは名乗なのってはみたものの、実際じっさい自分じぶん世間せけん一般いっぱんっている「うつびょう」のイメージのあいだにズレがあることの当惑とうわくべてくださった。
社会しゃかい政策せいさくにおける政策せいさく制度せいど形成けいせいなどのさいには、「当事とうじしゃせい主張しゅちょう」は必須ひっすのものではあるが、日常にちじょうにおけるひとひと関係かんけいせいなかでは、当事とうじしゃせい主張しゅちょうしたとしても当事とうじしゃのニーズの主張しゅちょうこたえて、当事とうじしゃまわりの人間にんげんかんがえたり行動こうどうしたりするとはかぎらず、場合ばあいによってはかえって社会しゃかい生活せいかつなかで、不利益ふりえきこうむってしまうことがあるということがIさんのかたりかられた。
ほん報告ほうこくではさらに、Iさんのかたりから、「当事とうじしゃせい主張しゅちょう」について考察こうさつする。
マイノリティの属性ぞくせいぞくする当事とうじしゃの「カミングアウト」や「当事とうじしゃせい主張しゅちょう」により、そのマイノリティへの偏見へんけん差別さべつげんずるための社会しゃかいへのひらかれるという見方みかたがある。
 しかし、つねにそうとはかぎらない。
病気びょうき障害しょうがいという診断しんだん判定はんていけた人間にんげんが「当事とうじしゃせい主張しゅちょう」によってしか、その特性とくせいのあることやその存在そんざいゆるされず、くるしみや困難こんなんうったえることができない社会しゃかいがあるとする。そうであるならば、一方いっぽうでそのような社会しゃかいは、なんらかの事情じじょうにより「当事とうじしゃせい主張しゅちょう」をできない人間にんげんやしない人間にんげんにとっては、その特性とくせいのあることやその存在そんざいゆるされず、くるしみや困難こんなんうったえることのできない社会しゃかいということになる。また、当事とうじしゃせい主張しゅちょうできたとしても、Iさんのかたりにあるように、病気びょうき障害しょうがいという診断しんだん判定はんていけたことにともなうスティグマや日常にちじょう生活せいかつでの社会しゃかい参加さんかからの排除はいじょから、かならずしもまぬかれることができるとはかぎらない。
 Iさんへのインタビューおよび当事とうじしゃせいをめぐる以上いじょうのような考察こうさつまえたうえで、ほん報告ほうこくでは、報告ほうこく最後さいごに「当事とうじしゃせい主張しゅちょう」をせずとも多様たよう特性とくせい存在そんざいゆるされ、くるしみや困難こんなんうったえることがゆるされる場所ばしょ社会しゃかい可能かのうせいについてもべる予定よていである。
 
引用いんよう 参考さんこう文献ぶんけん
かきせいひろし,2008,「軽度けいど障害しょうがいというどっちつかずのつらさ」『障害しょうがいやめいと「ふつう」のはざまで』
中西なかにし正司せいじ 上野うえの千鶴子ちづこ,2005,当事とうじしゃ主権しゅけん,岩波いわなみ新書しんしょ
上野うえの千鶴子ちづこ,2008,だいいちしょう 当事とうじしゃとはだれか?『ニーズ中心ちゅうしん福祉ふくし社会しゃかいへ』
上野うえの千鶴子ちづこ,2011,『ケアの社会しゃかいがく
社会しゃかい福祉ふくし辞典じてん,2002,大月書店おおつきしょてん
広辞苑こうじえん,2008,岩波書店いわなみしょてん
T.パーソンズ,佐藤さとうつとむやく,1974,『社会しゃかい体系たいけいろん青木あおき書店しょてん