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障害学会神戸大会桐原レジュメ

報告ほうこくしゃ共同きょうどう報告ほうこく場合ばあい代表だいひょうしゃ
氏名しめい桐原きりはら尚之なおゆき安原やすはら荘一しょういち
報告ほうこく題目だいもく(40以内いない):歴史れきし障害しょうがいがく試論しろん
発表はっぴょう要旨ようし(2,000以内いない)[註、文献ぶんけん図表ずひょうとうふくむ]:

背景はいけい問題もんだい意識いしき
歴史れきしには過去かこ事実じじつ歴史れきし叙述じょじゅつというじゅう意味いみがある。しかしながら、認知にんちされない、またあやまって認知にんちされる過去かこ事実じじつ存在そんざいしうるかぎり、事実じじつ叙述じょじゅつ乖離かいりみとめられる。歴史れきしは、それ自体じたいいちかいせい事実じじつ連続れんぞくであるために、歴史れきし叙述じょじゅつにおいて史料しりょうるい学術がくじゅつてき解釈かいしゃく抽出ちゅうしゅつおよ選択せんたく総合そうごうつうじて重要じゅうようせい影響えいきょうなどが意味いみづけられることが必要ひつようであり、これがおこなわれてはじめて十分じゅうぶん歴史れきしせいつこととなる。
しかし、この過程かていにおいてなに価値かち基準きじゅん設定せっていするのかによって叙述じょじゅつされた歴史れきしは、おな史料しりょう基礎きそとしてもまったことなる叙述じょじゅつとなりる。そのために、どのような価値かち基準きじゅんどころにするべきか、またその基準きじゅんたして普遍ふへんてき妥当だとうせいつのか、というふたつのおおきな哲学てつがくてき課題かだい出現しゅつげんする。
 障害しょうがいしゃ歴史れきし研究けんきゅうをする分野ぶんや領域りょういきとして社会しゃかい事業じぎょう研究けんきゅうがある。社会しゃかい事業じぎょう研究けんきゅうは、社会しゃかい福祉ふくしがく)を価値かち基準きじゅんとした歴史れきし叙述じょじゅつをしており、もっぱ社会しゃかい福祉ふくしとう正当せいとうのために進歩しんぽ主義しゅぎ叙述じょじゅつをしているのである。そして、そこにえがかれる障害しょうがいしゃは、社会しゃかい福祉ふくし正当せいとうのための客体かくたいとしてえがかれるわけである。くに障害しょうがいがく研究けんきゅうは、価値かち基準きじゅんとなる社会しゃかい福祉ふくしとうたいし、普遍ふへんてき妥当だとうせいちえない医学いがくモデルとして批判ひはんできたが、肝心かんじん歴史れきし叙述じょじゅつにおいては、あまりられてこなかった障害しょうがいしゃ運動うんどう事実じじつ紹介しょうかいぎないものとなっている。そのため、社会しゃかい事業じぎょう研究けんきゅう内在ないざいした医学いがくモデルてき価値かち基準きじゅん歴史れきしたいして、十分じゅうぶん批判ひはんくわえてこなかった。

杉本すぎもとあきら批判ひはん
 杉本すぎもとあきら(2008)の「戦後せんご障害しょうがいしゃ運動うんどう歴史れきし」は、障害しょうがいしゃ運動うんどう歴史れきししるした大著たいちょである。筆者ひっしゃは、杉本すぎもとあしかせいだ功績こうせきたか評価ひょうかするが、障害しょうがいがく研究けんきゅうにおける参考さんこう文献ぶんけん相応ふさわしくないとして批判ひはんくわえる。
 杉本すぎもと(2008)への批判ひはんは、つぎのとおりである。
史料しりょう批判ひはん
その史料しりょうだれなん何処どこ作成さくせいしたのか
その史料しりょう妥当だとう史料しりょうであるか
そのいち史料しりょう錯誤さくごはないか
その史料しりょうはどのように利用りようするのか
その史料しりょうからなに抽出ちゅうしゅつすべきか
叙述じょじゅつ批判ひはん
その叙述じょじゅつなに価値かち基準きじゅんにした叙述じょじゅつなのか
杉本すぎもとえらんだ史料しりょうには、社会しゃかい事業じぎょう研究けんきゅうとして加工かこう可能かのうなものがおおいにふくまれている。そこから抽出ちゅうしゅつされた歴史れきし事実じじつは、おのずと社会しゃかい事業じぎょうとしての事実じじつという色彩しきさいびやすいのだ。そして、その事実じじつもとにした歴史れきし叙述じょじゅつは、社会しゃかい事業じぎょうたいするアンチテーゼとしての十分じゅうぶん論証ろんしょうとなりない。
 たとえば、杉本すぎもと(2008:147-150)は、宇都宮うつのみや病院びょういん事件じけん契機けいきとした国際こくさいてき非難ひなんによって精神せいしん衛生えいせいほう改正かいせいされた、と叙述じょじゅつしている。これは、国際こくさい法律ほうりつ委員いいんかいちょの『精神せいしん障害しょうがい患者かんじゃ人権じんけん国際こくさい法律ほうりつ委員いいんかいレポート』(赤石あかし書店しょてん)のみをいち史料しりょうとして事実じじつ抽出ちゅうしゅつおこなったものである。国際こくさい法律ほうりつ委員いいんかいは、もとよりひそかに精神せいしん衛生えいせいほう改正かいせいねらっていた日本にっぽん弁護士べんごし連合れんごうかいとの距離きょりもそれほどなく、つ、宇都宮うつのみや病院びょういん事件じけん新聞しんぶん報道ほうどうにするまでの精神せいしんたちの運動うんどうとも、戸塚とつか悦郎えつろうつうじたつながりがあった。つまるところ、国際こくさい法律ほうりつ委員いいんかいは、かれらなりの意図いとがあって、調査ちょうさ訪問ほうもんをしているわけであり、日本にっぽんの「精神病せいしんびょうしゃらと、すべてにおいて利害りがい一致いっちしたわけではない。それは、同時どうじに「精神病せいしんびょうしゃ運動うんどう自律じりつてきみずからの主張しゅちょうていたことを意味いみするわけで、もし、「精神病せいしんびょうしゃ運動うんどう記録きろくいち史料しりょうとしたならば、かれらが「改正かいせい」ではなく「撤廃てっぱい」を主張しゅちょうしたことをることになるだろう。そこからみちびされるこたえは、「改正かいせい」がとりあえずいち前進ぜんしんではないということである。すなわち、障害しょうがいがくもとづくのならば、「宇都宮うつのみや病院びょういん事件じけん口実こうじつにした精神せいしん衛生えいせいほう改悪かいあくを「精神病せいしんびょうしゃこえ無視むしして強行きょうこうされた」としるさねばならなくなるのだ。

歴史れきし記述きじゅつ社会しゃかい事業じぎょうへの評価ひょうかくわかた
まとめとなるが、歴史れきし哲学てつがく議論ぎろんは、著名ちょめい哲学てつがくしゃによる長年ながねん蓄積ちくせきがあり、そこからまなべるものはおおい。しかし、歴史れきしかか障害しょうがいがく研究けんきゅうは、歴史れきし哲学てつがく蓄積ちくせき障害しょうがいがく観点かんてんからどれほど消化しょうかし、批判ひはんする努力どりょくをしてきただろうか。筆者ひっしゃ批判ひはん対象たいしょうとした社会しゃかい事業じぎょうについても、いかなる評価ひょうかくわえるべきか、そのような議論ぎろんすら日本にっぽん障害しょうがいがくではされてこなかったのである。
今日きょう障害しょうがいしゃ運動うんどう歴史れきしは、いくつかの断片だんぺんてき記録きろく確認かくにんできる程度ていどにとどまり、体系たいけいてき研究けんきゅうがされていないものがすくなくない。そうした障害しょうがいしゃ運動うんどう歴史れきしは、社会しゃかい事業じぎょう叙述じょじゅつまれ、医学いがくモデルによる支配しはいてきかんがえのすままとされている。すなわち、障害しょうがいしゃ歴史れきしは、社会しゃかい事業じぎょう言説げんせつなか沈黙ちんもくいられており、この沈黙ちんもくやぶらないかぎり、障害しょうがいしゃがいかにあゆみ、たたかってきたかをることはできない。
 今日きょうまでのあらゆる社会しゃかい歴史れきしは、階級かいきゅう闘争とうそう歴史れきしである。障害しょうがいしゃ運動うんどう歴史れきし叙述じょじゅつ拠所よりどころにすべき価値かち基準きじゅんは、医学いがくモデルをアンチテーゼとすることができる障害しょうがいがくである。障害しょうがいがく価値かち基準きじゅんとした障害しょうがいしゃ運動うんどう歴史れきし叙述じょじゅつは、批判ひはん医学いがくモデルをれ、それを障害しょうがいしゃ歴史れきしとして展開てんかいした社会しゃかい事業じぎょうのカウンターヒストリー(対抗たいこう)となる。カウンターヒストリーは、オルタナティブヒストリーとことなり、もうひとつの歴史れきしとして片方かたがた存在そんざいみとめたりはしない。片方かたがた歴史れきしが、たとえ事実じじつであっても糾弾きゅうだんされるべき叙述じょじゅつとしてつね批判ひはん対象たいしょうとされるのである。

参考さんこう文献ぶんけん
Oliver, Michael, 1990, "The Politics of Disablement, Macmillan" (=三島みしま亜紀子あきこ, 山岸やまぎし倫子ともこ, 山森やまもりあきら, 横須賀よこすか俊司しゅんじ, 2006,「障害しょうがい政治せいじ――イギリス障害しょうがいがく原点げんてん明石書店あかししょてん
杉本すぎもとあきら, 2009,「障害しょうがいしゃはどうきてきたか―戦前せんぜん戦後せんご障害しょうがいしゃ運動うんどう現代書館げんだいしょかん
はん保安ほあん処分しょぶん闘争とうそう(www.arsvi.com/d/h07.htm)のページ