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障害学会神戸大会今野レジュメ

障害しょうがい学会がっかいだいかい大会たいかい(2012年度ねんど)・自由じゆう報告ほうこく

報告ほうこくしゃ共同きょうどう報告ほうこく場合ばあい代表だいひょうしゃ
氏名しめい(ふりがな):今野こんのみのるひさ(こんのなるひさ)
報告ほうこく題目だいもく(40以内いない
障害しょうがい教育きょういく現実げんじつ(リアリティ) −「しゅをやく問題もんだい行動こうどう」をめぐって−
発表はっぴょう要旨ようし(2,000以内いない)[註、文献ぶんけん図表ずひょうとうふくむ]:
1 問題もんだい意識いしき所在しょざい ー をやくの、問題もんだい行動こうどうとは
 ほん報告ほうこくでは「をやくの、問題もんだい行動こうどうとは」という主題しゅだい考察こうさつしてみたい。直接ちょくせつのきっかけは、ある学習がくしゅうかい参加さんかしたことだった。つぎのことが話題わだいになった。をやいているがいる。なにかとやらかしてくれる。しかれば、そのときはおさまるが、またやらかす。どう対応たいおうすればいいのか。とききびしくしかることもあるが、障害しょうがい特性とくせいおうじた支援しえんもまた必要ひつようである。<わたし>たちのおおくは、手強てごわ相手あいてまえ試行しこう錯誤さくごしている。そして、ここにひとつの「危機きき」を見出みいだす。<わたし>たちは、試行錯誤しこうさくごすることにえきれなくなる。をやくことを手放てばなしてしまう。もちろん、<わたし>たちだけがすべてを背負せおっているわけではない。できること、やれることはわずかである。それでもなお、をやくどもたちを手放てばなしたという経験けいけんは、どもとのやりりでの、ひとつの敗退はいたい意味いみする。ただ、けることはある。あやういのは、やがて、あのは「そういうだった」とかんがすことだ。けそのものをくそうとする。これは「むなしさ」の経験けいけんである。むなしさからは、どもの「せい」の肯定こうてい解放かいほうも、ひるがえって<わたし>たちの「せい」の肯定こうてい解放かいほうもけっしてまれない。危機ききとは、このことにならない。では、なにがあったら、をやくことを手放てばなさないでいられるのか。やれるだけのことをやる、その中身なかみを、手厚てあつくし、継続けいぞくしていくことができるのか。とうとう手放てばなしたとしても、けをけとめ、つぎいちみだすことができるのか。そうしたいにこたえるには、どもたちとのやりりを手放てばなしそうになる<わたし>たち自身じしん危機ききあきらかにする必要ひつようがある。
2 方法ほうほうろん展望てんぼう ー「葛藤かっとうするストーリー」の記述きじゅつ1)と、前提ぜんていとなる認識にんしきさい検討けんとう
 そのさい、ひとつは、どもたちとのやりりにもとづく「葛藤かっとうするストーリー」を記述きじゅつし、そのなか考察こうさつおこなう。その過程かていあきらかになるのは、をやくがもつ「突破とっぱするちから」と、そうはさせまいとする<わたし>たちとのせめぎいである。そして、せめぎいのさきに、危機ききへとかうみちと、危機きき回避かいひするみちとを見出みいだしたい。さらに、後者こうしゃみちこうとする場合ばあい前提ぜんていにしている「をやく」や「問題もんだい行動こうどう」といった認識にんしき自体じたいさい検討けんとうする必要ひつようがある。そのさい、アルフレッド・シュッツと、梅津うめづはちさんという、二人ふたり仕事しごと参照さんしょうしたい。シュッツは、わたしたちがきるこの世界せかい、すなわち「日常にちじょう生活せいかつ世界せかい」の自明じめいせいつづけた。この世界せかいが、そこをきるものにとって、いかに複雑ふくざつからって、しかもなくうごいているのか。その複雑ふくざつさや流動りゅうどうせいたりにしたとき、困惑こんわくし、混沌こんとんとなるのが当然とうぜんであるにもかかわらず、わたしたちのおおくは平然へいぜん日々ひびごすことができる。それはなぜか。ということもまたつづけた。ここではシュッツが知識ちしき社会しゃかいてき配分はいぶんについてった議論ぎろんをとりあげ2)、「障害しょうがいのあるをやく」という認識にんしきさい検討けんとうするさいがかりとする。もうひとり、梅津うめづはちさんは、障害しょうがいのある、とりわけめくらろうとの、教材きょうざいかいしたやりりをライフワークにした。その過程かていで、ども自身じしんが、外界がいかいへの「調整ちょうせい」をたかめていく、すなわち経験けいけんふかひろげていくありかたあきらかにしようとした。同時どうじに、かかわる教師きょうしのありかたについてもあきらかにしようとした。ここでは梅津うめづのいう「相互そうご障害しょうがい状況じょうきょう」という概念がいねんげたい3)。相互そうご障害しょうがい状況じょうきょうとは、「問題もんだい行動こうどう」を、教師きょうしとそのとのやりりによってしょうじてる、双方そうほうにとっての、つまずき・とどこおりと視座しざである。この概念がいねんがかりにして「問題もんだい行動こうどう」という認識にんしきさい検討けんとうしたい。
ちゅう
1)「葛藤かっとうするストーリー」の記述きじゅつとは、「葛藤かっとうする<わたし>をふくみ、学校がっこう生活せいかつ記述きじゅつする、とりわけ『他者たしゃ』であるどもとのやりりを記述きじゅつする」(今野こんの,2011,p.147)こころみである。
2)Schutz(1946:120-134[171-189])を参照さんしょう
3)梅津うめづ(1997,pp79-85)を参照さんしょう
引用いんよう参照さんしょう文献ぶんけん
今野こんのみのるひさ,2011「葛藤かっとうへの障害しょうがい教育きょういく −自己じこ矛盾むじゅん経験けいけんから、『葛藤かっとうするストーリー』の記述きじゅつへ」障害しょうがい学会がっかい障害しょうがいがく研究けんきゅう』7:132-160 
・Schutz,A.,1946,"The Well-informed Citizen:An Essay on the Social Distribution of Knowledge".(参照さんしょうは、A.Schutz,Collected Papers,vol2,Nijhoff,1964,pp120-134=渡部わたなべひかり那須なすひさし西原にしはら和久かずひさやく,『アルフレッド・シュッツ著作ちょさくしゅう だいさんかん 社会しゃかい理論りろん研究けんきゅう』1991,pp171-189による)。
梅津うめづはちさん,1997,『重複じゅうふく障害しょうがいとの相互そうご輔生行動こうどう体制たいせい信号しんごうけい活動かつどう』,東京とうきょう大学だいがく出版しゅっぱんかい