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障害学会神戸大会榊原レジュメ

障害しょうがい学会がっかいだいかい大会たいかい(2012年度ねんど)・自由じゆう報告ほうこく

報告ほうこくしゃ共同きょうどう報告ほうこく場合ばあい代表だいひょうしゃ
氏名しめい(ふりがな):榊原さかきばら賢二郎けんじろう(さかきばら けんじろう)
報告ほうこく題目だいもく(40以内いない):
障害しょうがいしゃ雇用こようにおける包摂ほうせつてきしょ措置そちとそれらの関係かんけいせいについて
発表はっぴょう要旨ようし(2,000以内いない)[註、文献ぶんけん図表ずひょうとうふくむ]:
 障害しょうがい社会しゃかいモデルは、障害しょうがいという現象げんしょう主要しゅよう側面そくめんを、個人こじん身体しんたい機能きのう不全ふぜんとしてのインペアメントにではなく、社会しゃかいてき構築こうちくとしてのディスアビリティに見出みいだ立場たちばであったといえる。しかし障害しょうがい社会しゃかいモデルにはそれ以上いじょう含意がんいがあったようにおもわれる。提唱ていしょうしゃであるUPIASによれば、ディスアビリティとは「社会しゃかいてき活動かつどう主流しゅりゅうへの参加さんか」から、インペアメントをひとを「排除はいじょ」することであった。そしてUPIASにとって、もっと根本こんぽんてき排除はいじょ雇用こようからの排除はいじょであった[UPIAS and DA 1976: 14, 16]。UPIASによれば、そうした排除はいじょ対抗たいこうしておこなわれる包摂ほうせつは、障害しょうがいしゃ労働ろうどう促進そくしんするようなものでなければならない。
 こうして、障害しょうがい社会しゃかいモデルは排除はいじょ対抗たいこうする包摂ほうせつ理論りろんとして、とりわけ広義こうぎにおける就労しゅうろう福祉ふくし(ワークフェア)/賦活ふかつ(アクティベーション)の理論りろんとして出発しゅっぱつした。しかしながら、障害しょうがいしゃ場合ばあいそれがいかに実現じつげんされうるのか、健常けんじょうしゃとのあいだ相違そういはないのかということについては充分じゅうぶん展開てんかいされなかったようにおもわれる。実際じっさいUPIASは、技術ぎじゅつてき進歩しんぽによって重度じゅうど障害しょうがいしゃ雇用こよう可能かのうになっているとべるにとどまっている[UPIAS and DA 1976: 15]。
 このように、障害しょうがい社会しゃかいモデルは社会しゃかいてき包摂ほうせつ理論りろんでもあったが、そのさい身体しんたいてき条件じょうけん差異さい基本きほんてき消去しょうきょされうるという立場たちば明示めいじてきあるいは暗示あんじてきにとっていた。しかしこうした包摂ほうせつには限界げんかいがある。技術ぎじゅつてき措置そちによって障害しょうがいしゃ健常けんじょうしゃ同様どうよう雇用こようされうると強調きょうちょうするとき、そうした措置そちによっても健常けんじょうしゃ同様どうよう雇用こようされえない障害しょうがいしゃ埒外らちがいかれることになる。このてん合理ごうりてき配慮はいりょについても同様どうようである[花田はなた 1991]。このように、身体しんたいてき条件じょうけん差異さい消去しょうきょできるという前提ぜんていとき身体しんたいてき条件じょうけん差異さいはかえっておおきな影響えいきょうりょくつという事態じたいしょうじる。この事態じたいを、障害しょうがい教育きょういく文脈ぶんみゃくにおける用語ようごによって「投棄とうき」(dumping)と表現ひょうげんすることができる。ほん報告ほうこくはこうした投棄とうき状態じょうたい回避かいひする別種べっしゅ包摂ほうせつ、いわば投棄なげすてなき包摂ほうせつをめぐる研究けんきゅう一環いっかんであり、とく障害しょうがいしゃ雇用こよう/就労しゅうろうにおける身体しんたいてき差異さいへの対処たいしょ焦点しょうてんてて考察こうさつおこなう。
 まずほん報告ほうこくでは、投棄とうきなき包摂ほうせつとらえるために補償ほしょうという概念がいねん検討けんとうする。ほん報告ほうこくでいう「補償ほしょう」は、自然しぜんてき差異さい前提ぜんていにおく社会しゃかいてき処遇しょぐうによって自然しぜんてき差異さい前提ぜんていにおかない(とえる)社会しゃかいてき処遇しょぐうしょうじさせることとして定式ていしきされる。この意味いみでの補償ほしょう原理げんりは、ロールズが言及げんきゅうするような補償ほしょう原理げんり[Rawls 1971=1979: 76]とも関連かんれんしている。ある補償ほしょうは、一見いっけんすると社会しゃかいてき処遇しょぐうなか自然しぜんてき差異さい消去しょうきょ達成たっせいするが、それはUPIASの議論ぎろんにおけるような仕方しかたで、ふたた自然しぜんてき差異さい浮上ふじょうさせ、別種べっしゅ補償ほしょう必要ひつようせい喚起かんきすることになる。この意味いみ補償ほしょう再帰さいきてき性格せいかくち、投棄とうきなき包摂ほうせつには多重たじゅうてき補償ほしょう適用てきよう必要ひつようとされる。
 さて、障害しょうがいしゃ雇用こよう関連かんれんして、ほん報告ほうこくでいうような補償ほしょうには以下いかのようなものがあるといえる。
普遍ふへんてき措置そち(能力のうりょく影響えいきょうしない直接的ちょくせつてき差別さべつ禁止きんし職場しょくば交通こうつうのユニバーサルデザインふくむ)
…やはり身体しんたいてき差異さい存在そんざいするからこそそうした措置そち必要ひつようとなることを考慮こうりょすると、補償ほしょうとしてとらえうる
合理ごうりてき配慮はいりょ
通常つうじょう過大かだいではない負担ふたんによって職務しょくむ周辺しゅうへんてき機能きのうにおける障壁しょうへき除去じょきょするものとかんがえられており、社会しゃかいモデルの延長えんちょうとらえられているが、身体しんたいてき差異さいおうじて支援しえん提供ていきょうし、身体しんたいてき差異さいにかかわらず職務しょくむ遂行すいこうできるようにするという意味いみでは補償ほしょうとしてとらえうる。
賃金ちんぎん補填ほてん
(・所得しょとく保障ほしょう)
(・多様たよう活動かつどうへの価値かち付与ふよ(有給ゆうきゅうではないにちちゅう活動かつどうふくむ))

 これらの関係かんけい相補そうほてきであるとひとまずはいえる。たとえば、合理ごうりてき配慮はいりょによってもいちじるしくのこ能力のうりょくたいして、最低さいてい賃金ちんぎん適用てきよう除外じょがい減額げんがく許可きょかわらせるのではなく、賃金ちんぎん補填ほてんおこなうことが可能かのうである。しかし、たとえば賃金ちんぎん補填ほてん可能かのうなのであれば、合理ごうりてき配慮はいりょ可能かのうかぎおこな必要ひつようはないのか。所得しょとく保障ほしょうがあれば賃金ちんぎん補填ほてんによる雇用こよう機会きかい拡大かくだいおこな必要ひつようはないのか。このように、補償ほしょう多重たじゅうてき適用てきようされるとしたとき、補償ほしょう措置そちあいだ関係かんけいについてさらに考察こうさつする必要ひつようがある。ほん報告ほうこくでは、障害しょうがいしゃ雇用こよう関連かんれんする上記じょうきのようなしょ措置そちそくして、投棄とうきなき包摂ほうせつにおける多重たじゅうてき補償ほしょうあいだ関係かんけいせいさぐることとしたい。

花田はなたはるちょう 1991「ADAほうやぶにらみ」八代やしろえいふとしとみあん芳和よしかずへん 1991『ADA(障害しょうがいをもつアメリカじんほう)の衝撃しょうげき学苑がくえんしゃ122-130。
Rawls, J.(1971), A Theory of Justice. = (1979)矢島やじまひとし監訳かんやく正義せいぎろん紀伊國屋きのくにや書店しょてん
UPIAS and DA(1976), Fundamental Principles of Disability, UPIAS and DA.