(Translated by https://www.hiragana.jp/)
障害学会神戸大会矢吹レジュメ

障害しょうがい学会がっかいだいかい大会たいかい(2012年度ねんど)・自由じゆう報告ほうこく

報告ほうこくしゃ共同きょうどう報告ほうこく場合ばあい代表だいひょうしゃ
氏名しめい(ふりがな):矢吹やぶき康夫やすお(やぶきやすお)
報告ほうこく題目だいもく(40以内いない):
視覚しかく障害しょうがい教育きょういく強気つよき弱気よわき--弱視じゃくし教育きょういくにおけるアルビノをがかりに
発表はっぴょう要旨ようし(2,000以内いない)[註、文献ぶんけん図表ずひょうとうふくむ]:
 アルビノとは全身ぜんしんのメラニン色素しきそつくれない遺伝いでんせい疾患しっかんである。弱視じゃくしや羞明(眼球がんきゅうないはいってくるひかりりょう調節ちょうせつできずに過度かどにまぶしさをかんじること)、水平すいへい方向ほうこう眼球がんきゅうつね随意ずいいうごいている状態じょうたい)などの症状しょうじょうがあり、紫外線しがいせん影響えいきょうけやすく、外見がいけんてきにも特徴とくちょうがある。現在げんざい日本にっぽん制度せいどじょう、アルビノは基本きほんてき視覚しかく障害しょうがいしょうじさせる原因げんいん疾患しっかんのひとつというあつかいであり、各種かくしゅ福祉ふくしサービスや特別とくべつ支援しえん教育きょういく対象たいしょうとなっているのはおも症状しょうじょうである。
 ほん報告ほうこくではまず、日本にっぽんにおける視覚しかく障害しょうがい教育きょういく歴史れきし、なかでも戦後せんご弱視じゃくし教育きょういく成立せいりつ展開てんかい過程かてい中心ちゅうしん概観がいかんし、そのなかでのアルビノの位置いちづけを確認かくにんする。アルビノは、先天せんてんせい進行しんこうせず継続けいぞくてき治療ちりょう不要ふようであるため、幼少ようしょうから教育きょういくゆだねられるべき疾患しっかんであり、弱視じゃくし教育きょういく対象たいしょうとなる典型てんけいれいのひとつとなされていた。視力しりょく低下ていか不安ふあんがなく、ぼく主体しゅたいにした教科きょうか指導しどう可能かのう疾患しっかんは、戦前せんぜん視力しりょく保存ほぞん偏重へんちょうへの反省はんせいからまれた戦後せんご弱視じゃくし教育きょういくのアイデンティティをささえる存在そんざいだったのである。
 障害しょうがい教育きょういくは、障害しょうがいしゃ福祉ふくしやリハビリテーション医学いがく同様どうよう個人こじん焦点しょうてんして「できないことをできるようにさせる」という実践じっせん課題かだいをもったアプローチだが(杉野すぎの 2005)、視覚しかく障害しょうがい教育きょういく、なかでもとりわけ弱視じゃくし教育きょういくは、問題もんだい個人こじん同化どうか志向しこう傾向けいこうつよい。弱視じゃくししゃは「できる」という自信じしんは、重度じゅうど肢体したい不自由ふじゆう重複じゅうふく障害しょうがいくらべて、あるいは全盲ぜんもうくらべて社会しゃかい適応てきおう職業しょくぎょうてき自立じりつ容易よういであるという「障害しょうがいのヒエラルキー」(秋風あきかぜ 2008)にささえられており、「全盲ぜんもうよりも程度ていどかる視覚しかく障害しょうがいしゃすなわち、わずかながらでもえているものでは、これよりもレベルをげることがゆるされないのが当然とうぜん」とかんがえられていた(原田はらだへん 1971: 3-4)。
 そのため弱視じゃくし教育きょういくは、晴眼せいがんしゃ対等たいとう社会しゃかいのなかで自立じりつしていくために弱視じゃくしみずからの障害しょうがい克服こくふくし、潜在せんざい能力のうりょく最大限さいだいげん発揮はっきできるよう特別とくべつ指導しどうをすることと定義ていぎされ、あくまで普通ふつう教育きょういく同等どうとう到達とうたつ目標もくひょうをもっているてん強調きょうちょうされる。極端きょくたんなものだと、弱視じゃくし教育きょういくは「社会しゃかい適応てきおう第一義だいいちぎかんがえており、しかも、小学校しょうがっこうから中学校ちゅうがっこうへと、じゅん特別とくべつ配慮はいりょ特殊とくしゅ教育きょういく)の分量ぶんりょうらして、高校こうこう一般いっぱん社会しゃかいでは義務ぎむ教育きょういく期間きかんちゅうやしなった能力のうりょくで、まった一般いっぱん対等たいとうに互[ママ:引用いんようしゃちゅう]することができるように」すべきとまでわれていた(みずうみさきほか 1969: 28)。
 だが他方たほうで、「健常けんじょうしゃ便利べんりなように機能きのうしている社会しゃかい」を批判ひはんはするものの、「社会しゃかい一般いっぱん変化へんかしにくいものであり、また、期待きたいする方向ほうこううごくとはかぎらない」から、「結局けっきょく視覚しかく障害しょうがいしゃ場合ばあい当面とうめんは、この現在げんざい社会しゃかいへの適応てきおうをめざして個人こじん能力のうりょくたかめるいとなみがなされねばならない」とちからなくべる(村中むらなか小柳こやなぎへん 1977: 146-7)。このように視覚しかく障害しょうがい教育きょういくは、視覚しかく障害しょうがいしゃかなら職業しょくぎょうてき自立じりつ可能かのうだと強気つよき姿勢しせいつらぬとおし、その自信じしん裏返うらがえしで、社会しゃかいというおおきな相手あいてたいしては適応てきおうするしかじゅつがないと弱気よわきになるのが特徴とくちょうである。
 したがって弱視じゃくし教育きょういくは、「本来ほんらいかれら[弱視じゃくししゃ引用いんようしゃちゅう]の責任せきにんではなく、社会しゃかい理解りかい対応たいおう劣悪れつあくさに起因きいんする」問題もんだいであっても、「これらの社会しゃかい状況じょうきょうをはねのけていくたくましさ」や「みずからこうした課題かだいえることができる精神せいしんりょく」をやしなうことで解決かいけつをはかろうとする(大川原おおかわらほかへん 1999: 238)。ほん報告ほうこくでは最後さいごに、弱視じゃくし教育きょういく実践じっせんのなかで具体ぐたいてきにどのような問題もんだい個人こじんされているのかをあきらかにし、アルビノもふくめた弱視じゃくししゃ社会しゃかい適応てきおういられていることを指摘してきする。

参考さんこう文献ぶんけん
秋風あきかぜ千恵ちえ, 2008,「軽度けいど障害しょうがいしゃ意味いみ世界せかい」『ソシオロジ』52(3): 53-69.
原田はらだ政美まさみへん, 1971,『視覚しかく障害しょうがい(リハビリテーション医学いがく全書ぜんしょ12)』医歯薬出版いしやくしゅっぱん.
みずうみさきかつ中島なかじまあきら赤松あかまつ恒彦つねひこ村越むらこし芳男よしお松井まついしん二郎じろう渡辺わたなべ冴子さえこ, 1969,『視覚しかく障害しょうがいしゃのための指導しどう手引てびき医学書院いがくしょいん.
村中むらなか義夫よしお小柳こやなぎ恭治きょうじへん, 1977,『視覚しかく障害しょうがい障害しょうがいしゃ)の生涯しょうがい教育きょういく1)』福村ふくむら出版しゅっぱん.
大川原おおかわらきよし香川かがわ邦生くにお瀬尾せお政雄まさお鈴木すずきあつし千田せんだこうもとへん, 1999,『視力しりょくよわどもの理解りかい支援しえん教育きょういく出版しゅっぱん.
杉野すぎの昭博あきひろ, 2005,「『障害しょうがい概念がいねんだつ構築こうちく--『障害しょうがい学会がっかいへの期待きたい」『障害しょうがいがく研究けんきゅう』1: 8-21.