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福澤ふくさわ諭吉ゆきち横浜よこはま友人ゆうじんかられた英語えいご簿記ぼきほん翻訳ほんやくし、近代きんだい国家こっかをめざす
日本にっぽんはじめて複式ふくしき簿記ぼき紹介しょうかいした。
140ねんったいま諭吉ゆきちの「実学じつがくのすすめ」は
現代げんだいにも十分じゅうぶんつうじる内容ないようであり、ここにその凡例はんれい意訳いやくをした次第しだいである。


本文ほんぶんたてきである。、ここでは横書よこがきとし、とく数字すうじとうみにくいがそのまま表記ひょうきした。

 帳合ちょうあいほう 巻一けんいち

   凡例はんれい

いち、この帳合ちょうあいほう原書げんしょいちはちなないちねんアメリカ商業しょうぎょう学校がっこう先生せんせい、ブ ライアントとスタラットンの
 二人ふたりいた学校がっこうよう 「ブックキーピ
ング」 というほんである。 「ブックキーピング」 とは帳合ちょうあい
 (ちゅう@)
のことである。
    ちゅう@) 「帳合ちょうあい」 という言葉ことばは、現在げんざいではほとんど使つかわれないが、広辞苑こうじえんにはつぎのようにある。
          @現金げんきんまたは商品しょうひん勘定かんじょう帳簿ちょうぼめんとを照合しょうごうして、計算けいさん正否せいひ取調とりしらべること。
          A帳面ちょうめん記入きにゅうすること。
          B損益そんえき計算けいさんすること。

いち帳合ちょうあいには略式りゃくしき本式ほんしきちゅうA)のとおりの様式ようしきがある。はつへん さつにはまず略式りゃくしきのみを
 翻訳ほんやくし、本式ほんしきもその翻訳ほんやく半分はんぶん程度ていどすすんで
いるので、近日きんじつちゅうにこれをだいへんとして出版しゅっぱんする
 ことができる。

    ちゅうA) 略式りゃくしき本式ほんしき
          「本式ほんしきめい略式りゃくしき反対はんたいニテ本式ほんしきニハいち箇条かじょう取引とりひきじゅうニモさんじゅうニモ台帳だいちょうス」
          (だいへん本式ほんしき総論そうろん)とある。略式りゃくしき今日きょう単式たんしき簿記ぼき本式ほんしき複式ふくしき簿記ぼき意味いみする。

いち本書ほんしょわけれいしめまえに、ついでとしてわたしがこのほん翻訳ほんやくした趣意しゅいしめせばひだりのとおりである。
  だいいちに、むかしから日本にっぽんにおいては、学者がくしゃかなら貧乏びんぼうであり、金持かねもち し、金持かねもちはみずか卑下ひげして
 商売しょうばい学問がくもんはいらないとわけからな
ちはかなら無学むがくである。したがって、学者がくしゃ議論ぎろん崇高すうこうで、
 天下てんかをも
めるいきおいであるが、自分じぶん借金しゃっきんはらおうとしない。金持かねもちはかね 沢山たくさんっており、
 また、これをびんれて地面じめんめておくだけ
で、経済けいざい活動かつどう勉強べんきょうして商売しょうばいおおきくす
 る方法ほうほうらない。
何故なぜかとおもうに、学者がくしゃえらぶって商売しょうばいなんてものは品位ひんいたかものつかまつ
 こととしてやることではないとういことをっている。


  まなぶべきことをまなばないでわるならわしにおちいっている。いずれも みな商売しょうばい軽蔑けいべつして、これを
 学問がくもんおもわないのはつみなことである。
いまこのような学者がくしゃ金持かねもちもこの「帳合ちょうあいほう」をまなべ
 べば、西洋せいよう
がくがいかに大切たいせつかをることとなるだろう。学者がくしゃみずからの さをり、金持かねもち
 ちも自分じぶん自身じしんいやしくないことをさとって、双方そうほう
もこの実学じつがく勉強べんきょうすれば学者がくしゃ金持かねもちとなり、
 金持かねもちも学者がくしゃとな
って経済けいざい活動かつどうさらくなり、国力こくりょく増進ぞうしんすることとなろう。 訳者やくしゃ
 ふかねがうところである。


  だいに、ちまたなか諸々もろもろのことについて不都合ふつごう不都合ふつごうだと って苦情くじょううことは
 たやすいことであるが、その不都合ふつごうなこ
とを克服こくふくすることははなはだむずかしいことである。あ
 ちこちの大商だいしょう
いえ帳簿ちょうぼかたちゅうB)をるにつけ、いずれも大変たいへん混乱こんらんしていて、いち
 商家しょうか棚卸たなおろしにみせちゅう総掛そうがかりでおこなってもニケがつけても
なおわからないことがおおい。帳簿ちょうぼ
 かたがきちんとしていないあかし
よりどころであるが、今日きょういたるまでこれをあらためたものがいるとうこ
 とを
ひらいたことがない。
    ちゅうB) ここでは 「帳合ちょうあい」 を 「帳簿ちょうぼかた」 とやくした。

  これはいち商人しょうにん不都合ふつごうというより、なか全体ぜんたい不都合ふつごう べきことである。いまこのこぼし
 訳書やくしょ西洋せいよう帳簿ちょうぼかた初歩しょほしめせ
したものであるので、もとよりこれをもって諸々もろもろ
 しょう取引とりひき (ちゅうC)
帳簿ちょうぼかた一変いっぺんしてすべ合理ごうりてきにすることはできないかも しれない
 が、まず、このほんから「学問がくもんとしての帳簿ちょうぼかた」(ちゅう
D)をり、そのだいへん
 本式ほんしきちゅうA複式ふくしき簿記ぼき】をまなびその
神髄しんずいれば、官民かんみんすべての会計かいけい合理ごうりてきにするこ
 とができる。
そうなれば、この冊子さっし微力びりょくではあるがないよりはしであると おもう。
    ちゅうC) ここでは 「商売しょうばい」 を 「しょう取引とりひき」 とやくす。
     (ちゅうD) 「帳合ちょうあいがく」 を 「簿記ぼきがく」 とやくさず、えて、「学問がくもんとしての帳簿ちょうぼかた」 とやくす。

  だいさんに、前述ぜんじゅつしたようにあおから日本にっぽんでは学問がくもん商売しょうばいちゅうE)とはおたがいにえんがなく、まなぶ
 しゃ知識ちしきおおければおおいほど威張いばってい
て、無学むがく百姓ひゃくしょう町人ちょうにん軽蔑けいべつされておたがいに近付ちかづき
 こうとはしない。

    ちゅうE) 「家業かぎょう」 をここでは 「商売しょうばい」 とやくした。

  あるいは、まれ物好ものずきな百姓ひゃくしょう町人ちょうにんがいると、すこしばかりのほん んで学者がくしゃのまねをして、
 無用むよう漢文かんぶん詩歌しかふけるばかりで、もの
かずもできず、きむ勘定かんじょうわすれて商売しょうばいためにならず、
 かならほろ
結果けっかとなる。したがって、百姓ひゃくしょう町人ちょうにん学者がくしゃて、表向おもてむきにはこれ尊敬そんけいし、
 物知ものし先生せんせいなどとくちにはすが、内心ないしんはその職業しょくぎょういや
い、学者がくしゃ貧乏神びんぼうがみのようにあえ
 てちかづこうとしない。そして、
子供こどもにはけっして読書どくしょをしないようにう。
  今日きょうでは西洋せいようがくあいだみちもだんだんとひらかれ、いろいろなところまなべ こうができてきたが、農工のうこう
 しょうたずさわるもの学者がくしゃという職業しょくぎょう
て、学問がくもんそれ自体じたいいやして、またれい学問がくもん
 のことかと
て、その学問がくもん虚実きょじつわずに、学問がくもんくだけでまずこれを避 けようとす
 る。まさ進歩しんぽてき西洋せいようがくあいだもこのためにさまたげられるこ
とがおおいとはなにとしたことであろうか。
 結局けっきょくすうひゃく年来ねんらい和漢わかんがく
もの先生せんせいかた空理空論くうりくうろんちゅうF)におぼれて実学じつがく大事だいじにせずみん
 愚弄ぐろう
したつみということであろう。じつなげかわしいことである。
    ちゅうF) 「きょぶん空論くうろん」 を 「空理空論くうりくうろん」 とやくした。
 

  このようなことから、いまこの「帳合ちょうあいほう」をいろいろな学校がっこう 生徒せいと教科書きょうかしょとして使つかい、
 一般いっぱん子弟していちゅうG)がそこでならったこ
とをいえかえってしん兄弟きょうだいはなせば、かれらもはじめて西にし
 洋学ようがくあいだ本当ほんとう
ことをることとなり、安心あんしんしてその子供こども学問がくもんみちすすませるもの徐々じょじょ
 におおくなってくることであろう。

    ちゅうG) 「平民へいみん」 をえて 「一般いっぱん子弟してい」 とやくした。

  そういうわけで、この冊子さっしは「帳合ちょうあいほう」をおしえることだけでな く、一般いっぱん学問がくもん本来ほんらいうち
 ようしめして、ひろなか人々ひとびと読書どくしょ
みちひらこうということである。和漢わかん古今ここん空理空論くうりくうろん
 をならべたまなぶ
もの風情ふぜいひと馬鹿ばかにしたつみふかいが、このほん農工のうこうしょう世界せかい 識をあたえる
 という功徳くどくほどこすことができるなら、わたし翻訳ほんやくろう
ったことが大変たいへんおおきな意味いみをもつこと
 になろう。


   だいよんに、「帳合ちょうあい」もーしゅ学問がくもんであることは本書ほんしょてすでにあきら しろなことである。したがって、
 商売しょうばい学問がくもんであり、工業こうぎょう学問がくもんである。
また一方いっぽうからえばとししたがって身体しんたい使つかってそ
 の報酬ほうしゅう
のが商売しょうばいであるから、役人やくにんせい(まつりごと)をして月給げっきゅう のも商売しょうばい
 ある。むかし武士ぶし軍役ぐんえき 【軍事ぐんじ警察けいさつなど】 をつとめてきゅう
りょうるのもまた商売しょうばいである。しかし
 ながら、世間せけんひとみな武士ぶしやく
ひと商売しょうばいたっとおもい、もの売買ばいばいし、ものつく商売しょうばいいやしくおも
 の
何故なぜであろうか。結局けっきょく商売しょうばいとうと学問がくもんおもわない心得違こころえちがいなのである。その心得違こころえちが
 のはなはだしいもの自分じぶん利害りがいかんがえないもの
おおいということである。

  ためしにいちれいをあげて説明せつめいすればよく理解りかいできるだろう。ものうれ かいし、製造せいぞうすることも商売しょうばい
 ある。武家ぶけ奉公ほうこう商売しょうばいである。まず、
じゅうまんせき大名だいみょういえいち商社しょうしゃとすれば、いち年間ねんかん利益りえき
 はこめよんまんせき
ある。一石いっせきさんりょう相場そうばにすれば、代金だいきんじゅうまんりょうであり、このうち よんぶんいち
 すなわさんまんりょう社長しゃちょうである殿様とのさまのものとなり、のこりの
えき正味しょうみきゅうまんりょうである。この商売しょうばい
 はうえ家老がろうからした足軽あしがる小者こもの
いたるまでおよそせんひゃくにんはたらいているとすると、きゅうまんりょうひらめ
 ひと
せんひゃくけんいえ分配ぶんぱいすればいちねんななじゅうりょうである。武家ぶけ やとっている奉公ほうこう
 ひとおおいので、一家いっか人数にんずう が平均へいきんろくにんとすれ
一人ひとりあたいちねんじゅうりょうかんぶんいちがついちりょう
 よんひゃくじゅうろくぶんいちにちさんひゃくよん
じゅうななぶんである。
 

  はいはん以前いぜんしょ藩士はんし利益りえきはおおよそこの割合わりあいであつた。いまこの 武家ぶけ商売しょうばいめて以前いぜん
 からっていた軍役ぐんえき常備じょうび兵隊へいたいゆずる
り、みずからはもの製造せいぞうしたり、もの販売はんばいしたり、もの
 をはこ商売しょうばいはじめ
めれば、その利益りえきかなら以前いぜんばいになるだろう。一人ひとり収入しゅうにゅう はなく、
 一家いっかろくにんうちさんにん老人ろうじん子供こども病人びょうにんであつても、
さんにんはたらくことができれば各々おのおの
 ろくひゃくきゅうじゅうよんぶんかせげば、なお依然いぜんとし
てもとの藩士はんし収入しゅうにゅうことなることはない。商売しょうばいみちこま
 なんである
といっても丈夫じょうぶ身体しんたいであればいちにちろくひゃくきゅうじゅうよんぶん収入しゅうにゅう ことができない
 わけではない。人力車じんりきしゃいてじゅうまちみちのりを往
すれば、半時はんとき現在げんざい一時いちじあいだ】のあいだ
 られる収入しゅうにゅうである。ま
してや、最近さいきんでは士族しぞく収入しゅうにゅう随分ずいぶんり、平均へいきんじゅうせきからじゅうせきで、
 おおいものでもさんじゅうせきない。この利益りえきろくにん家族かぞく配分はいぶんして も、人力車じんりきしゃ収入しゅうにゅうとお
 およばない。くわえて、いま士族しぞくにはもうぐん
やくつとめもなく、はたらくことなく報酬ほうしゅうようとするの
 はおとこはじ
べきことである。しかし、なおこのこめ 【報酬ほうしゅう】 に執着しゅうちゃくして、独立どくりつ 生活せいかつをしよう
 とするもののいないのはたしてどういうことなの
であろうか。それがひとしんおろかさである
 ということはじつおもえ
なことであるが、基本きほんてきには、いままでの学問がくもん (学者がくしゃ) は、すうせん
 としさき収入しゅうにゅうかんがえるばかりで、当面とうめん利害りがい損失そんしつかえりみないという ことである。つまり、みだ
 りに商業しょうぎょう工業こうぎょう軽蔑けいべつしてこれを学問がくもん
おもってこなかつたつみである。いまこの 「帳合ちょうあいほう」 
 を翻訳ほんやくしたの
は、わたし人々ひとびと学問がくもんみちすすめ、商業しょうぎょう工業こうぎょうこうかつて独立どくりつこころざし こさ
 せようとすることが本意ほんいである。


いち書中しょちゅうすべて金額きんがくなんせんなんひゃくなんじゅうとはかずにいちからきゅうまでのかず 使つかい、その数字すうじ
 の金額きんがくることができるのは、あ
たかもそろばんのけたているようだ。
  ひだりにそのいちれいしめす。
     いちさんよん〇、○○○  は  じゅうまんさんせんよんひゃくじゅうえん
      いちさんよん○○○  は  いちまんせんさんひゃくよんじゅうえん
       いち二三四ふみし〇〇  は  せんひゃくさんじゅうよんえんじゅうぜに
          いちさんよん〇  は     ひゃくじゅうさんえんよんじゅうぜに
           いちさんよん  は    じゅうえんさんじゅうよんぜにりん 

  みぎのように、おな数字すうじであつてもそのくらいによってじゅうばいごとに「、」 しる位置いちちがう。おおくの
 数字すうじおもなつているときにはさん文字もじごと
に 「、」 をち、そだせんじゅうまんひゃくまんけ、ほん
 ぶんにはえんくらい
ぜにあきらかにするためによこせんいた。(ちゅうH)
    ちゅうH) 「よこせんいた」 とあるが、原典げんてん帳簿ちょうぼ様式ようしきでは 「えん」「ぜに」 としてよこせん
           いて区分くぶんしている。

  あるいは、品物しなもの単価たんかなんえんなんせんというときせん使つかわずに、たとえば、 一二かずじななセ★と記入きにゅう
 した場合ばあいは、単価たんかじゅうえんななじゅうぜにのこと
である。
        しるしは「くにがまえ」のなか一本いっぽんたてせんのあるごう
          ★しるし数字すうじの2にている記号きごう

  この数字すうじ使つかかた初心者しょしんしゃにはわかりにくいようであるがけっして そうではない。わたし最初さいしょまがえ
 らわしくおもい、時々ときどきあやまることも
あつたが、ろくまい翻訳ほんやくするうちにすぐにれて、日本にっぽんりゅう
 記入きにゅう
るよりもはるかに便利べんりおもえるのでだれでもよんにちすれば容易よういかい るようになる。

いち本書ほんしょ半紙はんしおおきさであるから、ただしょ帳簿ちょうぼ雛形ひながたしめすだけ である。これを実際じっさい使つか
 場合ばあいたてはちぎょうないしはじゅうぎょうよこよん
じゅうだん大型おおがたけいばん彫刻ちょうこくして、美濃紙みのがみまたはとりうち
 (ちゅうI)くらい
だい朱色しゅいろまたは藍色あいいろごくうす印刷いんさつして帳面ちょうめんとしてつづる。
    ちゅうI)原書げんしょには 「西にしうち」 とある。「西にしうち」 のりゃくで、日本にっぽん (和紙わし)の一種いっしゅ茨城いばらきけん諸富もろどみ野村のむら
         西野内にしのうち生産せいさんされ、明治めいじ以降いこう選挙せんきょ投票とうひょう用紙ようし使つかわれていた。当時とうじ美濃紙みのがみとともに日本にっぽんだい
         ひょうてき存在そんざいであつたが、投票とうひょう用紙ようし使用しようされなくなつた大正たいしょうじゅういちねんをさかえに生産せいさん激減げきげんし、
         現在げんざいでは歴史れきしてき存在そんざいとなつた。    (平凡社へいぼんしゃ世界せかいだい百科ひゃっか事典じてんから要約ようやく

   にち記帳きちょうでもだいとばりちゅうJ)でも実際じっさい取引とりひき記入きにゅうするさいには、ほん しょ雛形ひながたすみせんれい
 したがってうす朱色しゅいろ罫線けいせんうえいちかいいちかいすみ
せんくようにするべきである。
    ちゅうJ) 「大福帳だいふくちょう」 (ちゅうK) のこと

  西洋せいようの 「帳合ちょうあいほう」 はみなこのようにしている。したがって、西洋せいよう 帳場ちょうばにはかなら罫線けいせんみち
 そなえている。日本にっぽんみせあついちしゃく
あまり【やくさんじゅうセンチ】もある大福帳だいふくちょう (ちゅうK)に、子供こども
 清書せいしょ
ようにおおきな記帳きちょうすることとはおおいにおもむきことにしている。
    ちゅうK)江戸えど時代じだいから明治めいじ大正たいしょうのころまで一般いっぱんもちいられた帳簿ちょうぼ一種いっしゅ当時とうじ帳簿ちょうぼはおおよそ、だい
         ぶくちょうかいちょううれちょう金銀きんぎん出入でいりちょう判取帳はんとりちょう注文ちゅうもんちょう荷物にもつわたりちょうななしゅ大別たいべつされた。大福帳だいふくちょう売買ばいばい
         りょうとばりおよ金銀きんぎん出入でいりちょう総括そうかつするものでだいとばりともばれた。今日きょう得意とくいさき元帳もとちょうがこれにあたる。
                                    (平凡社へいぼんしゃ世界せかいだい百科ひゃっか事典じてんから要約ようやく

いち本書ほんしょ原本げんぽん直訳ちょくやくであるが、外国がいこくじん姓名せいめい直訳ちょくやくしては日本人にっぽんじん にはれないので、
 混乱こんらんしょうじてしまうことがあるのでかり
日本にっぽん普通ふつう町人ちょうにん名前なまえ使つかってなになんしるした。

いち売買ばいばいひん名称めいしょう日本人にっぽんじんれないまれものしなかわ えたので、あるいは値段ねだん
 など適当てきとうなことがあるかもしれない。
また、しゃく記入きにゅうしたのは原本げんぽんの 「ヤアルド」 【ヤード】
 のやく
たものである。いちヤアルドはくに曲尺かねじゃく (ちゅうL) でいうさんしゃく たる。よって、
 本書ほんしょちゅういちしゃくとあるのはじつさんしゃくのことである。

     (ちゅうL) 「まがりじやく」 「まがりがね」 「かねじやく」工匠こうしょう方形ほうけいつくるにもちいる物差ものさし。はがねまたは
          でできていてながほういちしゃくすんみじかほうななすんぶん目盛めもりがいている。
                                    (広辞苑こうじえんから要約ようやく

いち原書げんしょにある 「シングル・エンタリ」のことを本書ほんしょでは略式りゃくしきわけ し、「ドゥプル・エンタリ」 をほん
 しきやくしたが、このわけ本来ほんらい
意味いみかなうものではない。「シングル・エンタリ」 とはいちじゅう
 (ちゅうM)
記入きにゅうするという意味いみ。「ドゥプル・エンタリ」 とはじゅうちゅうM)記入きにゅうするという意味いみ
 である。

 

  だいへん総論そうろんでもれるが、「ドゥプル・エンタリ」 はおな金額きんがく 貸借たいしゃくだいちょうじゅうにもさん
 じゅうにもひかえ、たがいに平均へいきんする方法ほうほうであ
るからこのように名付なづけたのである。よって、このふた
 の方法ほうほう
いちじゅう扣ノしき」、「じゅう扣ノしき」 (ちゅうM)などと翻訳ほんやくすれば原書げんしょ意味いみうかもし
 れないが、口調くちょうわるいので日常にちじょう使つかうのに不便ふべん
ので、無理むり承知しょうち略式りゃくしき本式ほんしきやくした。
     ちゅうM) 「いちじゅう扣ノしき」 (いちじゆうこうのしき)・「じゅう扣ノしき」 は、
           現在げんざい単式たんしき簿記ぼき複式ふくしき簿記ぼきのことである。

                            明治めいじろくねんがつじゅうにち訳者やくしゃ



 あとがき〜意訳いやくにあたつて

 わたし本校ほんこうに 「帳合ちょうあいほう」のあることをったのは、平成へいせいじゅうねんよん つき豊橋とよはし商業しょうぎょう高校こうこう着任ちゃくにん
してしばらくしてからであつた。それはほん
こう同窓会どうそうかい博物館はくぶつかんのガラスケースのなか保管ほかんされてい
た。わたしはそれを
て、本校ほんこう職員しょくいん生徒せいとあるいは来校らいこうしゃ気軽きがるていただきたいということ
と、大変たいへん貴重きちょう資料しりょうでありセキュリティのめんから校長こうちょうしつ
うつすことをめた。以来いらい機会きかいある
ごとに本校ほんこうがこの貴重きちょう書物しょもつ
所有しょゆうしていることを公言こうげんし、すうおおくの方々かたがたていただいている。

 また、豊橋とよはし美術びじゅつ博物館はくぶつかん学芸がくげいいんほう調しらべていただいた結果けっか、「はんによる印刷いんさつである
から、多分たぶんひゃくからひゃく発行はっこうであろう。そ
なかで、はつ版本はんぽんよんかん全巻ぜんかんそろっていることは
めずらしいことである。ぶく
さわ諭吉ゆきち研究けんきゅう貴重きちょう資料しりょうである。保存ほぞん状態じょうたいく、大切たいせつにしてくだい。」
とのコメントをいただいた。


 本書ほんしょのことは、わたし大学だいがくいち年生ねんせいとき簿記ぼき勉強べんきょうするなかで、福沢ふくさわ 諭吉ゆきち複式ふくしき簿記ぼきをアメリ
カから日本にっぽんはじめて紹介しょうかいしたほんであるとい
うことでっていた。しかし、それ以上いじょうのことは
よしもなかつた。
ところが、わたし本校ほんこう着任ちゃくにんし、その原本げんぽん自分じぶんまえにあり、 にとつて
ることができることをってすくなからず興奮こうふんおぼえた。

 こうした歴史れきしてき有名ゆうめい書物しょもつは、ややもすると、その題名だいめい著者ちょしゃられていてもその内容ないよう
までることは、意識いしきてきに、また、意欲いよく
てきせっしないとなかなかできないことである。わたし自身じしん
そうであ
たように、商業しょうぎょう教育きょういく簿記ぼき教育きょういくたずさわる諸兄しょけい本書ほんしょ存在そんざいっていても、直接ちょくせつ
機会きかいひとすくないとおもわれる。

 わたし意訳いやくするということ事態じたいまことにせんえつであり、また、無謀むぼう こととはわかっている。わたし簿
研究けんきゅうしゃでもなければ、福澤ふくさわ諭吉ゆきち
についてふか知識ちしきっているわけでもない。また、あきら
時代じだい言葉ことば
正確せいかくやくすことに自信じしんがあるわけでもない。ただ、簿記ぼき教育きょういくなが としたずさわつて
きたしゃとして、その内容ないよう現代げんだいやくしておくこともおお
すくな価値かちがあるのではないかというおもえ
いで、「意訳いやく」としてここにざん
次第しだいである。

***

 「てんひとうえひとつくらずひとしたひとつくらずとえり」。これはだれもがっている福沢ふくさわさとし
きちの「学問がくもんのすゝめ」の冒頭ぼうとうかれてい
一文いちぶんである。このほんは、明治めいじねんがつから
どうきゅうねんじゅういちがつまでのあいだ
じゅうななへんわたってかれたかれ代表だいひょう作品さくひんである。
 そのはつへんにはつぎのようにかれている。
    賢人けんじん愚人ぐじんとのべつは、まなぶとまなばざるとによしつて出来できるもの なり。・・・ただ学問がくもん
  つとめて物事ものごとをよくもの貴人きじんとなりめくら
ひととなり、無学むがくなるものひんひととなり下人げにんとなる
  なり。・・・みの
学問がくもんつぎにし、もっぱきんむべきは人間にんげん普通ふつう日用にちようちか実学じつがく なり。
  たとえば、いろはよんじゅうなな文字もじならい、手紙てがみ文言もんごん帳合ちょうあい
仕方しかた算盤そろばん稽古けいこ天秤てんびん
  取扱とりあつかとう心得こころえ、なおまたすすんでがく
ぶべき箇条かじょうはなはおおし。
 さらに、へんにもつぎけん(くだり)がある。
   経書けいしょるい奥義おうぎにはたっしたれども、商売しょうばいほう心得こころえただしく取引とりひきをなすことのうわざ
  るものは、これを帳合ちょうあい学問がくもんつたなひとげん
うべし。・・・帳合ちょうあい学問がくもんなり、時勢じせいさっするも
  また学問がくもんなり。


 日本にっぽん近代きんだい国家こっかまれわるためには学問がくもん大事だいじである。そしてその学問がくもんとは、日常にちじょうせい
かつ密着みっちゃくした実務じつむならごとなどであるとさとし
よしいている。今日きょう日本にっぽん教育きょういく理念りねんにもつう
かんがかたであり、
また、長年ながねん商業しょうぎょう教育きょういくたずさわってきたものとして大変たいへん勇気ゆうきづけられる言葉ことばであ
る。

 「帳合ちょうあいほうはつへん明治めいじろくねんろくがつ発行はっこうされ、よんかん全巻ぜんかんそろ ったのが明治めいじななねんろくがつ
いうことをかんがえれば、諭吉ゆきちおきなあたまなかでは、
学問がくもんのすゝめ」 でいたことを「実学じつがくのすゝめ」
として、具体ぐたいてき
にこの「帳合ちょうあいほう」をしたとることもできる。その意味いみは、わたしは「帳合ちょうあい
これほう」は「学問がくもんのすゝめ」の続編ぞくへん、あるいは姉妹しまいへん
であるとかんがえている。

 じゅうきゅう世紀せいきのドイツの詩人しじんゲーテは、複式ふくしき簿記ぼきを「人類じんるい創造そうぞうした 最高さいこうのもののひとつである」
っている。また、明治めいじ時代じだい熱血ねっけつ
ひと与謝野よさの鉄幹てっかんは「簿記ぼきやからとる若人わこうどにまことのおとこ
きみをみる」と
うたっている。

 さんじゅう年間ねんかんにわたり簿記ぼき教育きょういくたずさわつてきたわたしとしては、人類じんるい創造そうぞうした最高さいこう傑作けっさく生徒せいと
おしえ、また、ひゃくさんじゅうすうねんまえに、くに
近代きんだい国家こっか夢見ゆめみわかきリーダーによってかれた
帳合ちょうあいほう」のはら
ほんをわがにしてむことのできたことは至上しじょうよろこびである。

 ***

 日本語にほんごやくはつ版本はんぽんおおきさはA5はんですので、この意訳いやくほんどうだい きさとしました。おおきさは
原本げんぽんおなじくらいのものとし、文中ぶんちゅう
の(ちゅう)、段落だんらく、( )、「 」、【 】とう適宜てきぎ挿入そうにゅうし、みやすいよ
うにわたし構成こうせいいたしました。

 最後さいごに、このたびわたし本書ほんしょ意訳いやくするにあたり、友人ゆうじん歴史れきし学者がくしゃ 東京女子大学とうきょうじょしだいがくすいふじしん教授きょうじゅ
大変たいへん世話せわになりました。しんから御礼おれい
もうげます。

   平成へいせいじゅうろくねんじゅうがつじゅうはちにち 還暦かんれき