設立までの経緯
2008
年10
月から、
今まで
決して
聞くことのなかった
言葉を、
子どもたちから
聞くようになりました。
「おふろはね、つめたい
水なの。あったかい
水はないの。こごえる。」
「まえはたべものがいっぱいあった。いまはちょっとだけ。」
「
先生、デジタルテレビ7
万円で
買わへん?」
「
先生、お
願いだから○○の
家、
助けたってくれへん。」
「お
父さんが『ブラジルへ
帰るお
金ない。』って
言った。」
「『
弟がほしい。』と
言ったら『
今はお
金ないからだめ。』って
言われた。」
「
先生、
母さん、どういうふうにクビになったか
知っとる?
会社に
行って、
着替えようと
思ってロッカー
開けたら、クビやって
紙が
入っとったって。そんなのないよなあ。
母さんは
怒りもせんだけど、おれは
腹が
立つ。」
津市立千里ケ丘小学校の
調査では、
外国につながる
家庭の52%で
保護者が
解雇され、23%が
生活保護の
基準となる
収入を
下回っていると
考えられました。
仕事を
探しに
行っても、
日本語が
十分に
話せない、
文書に
日本語で
記入できない、
運転免許がないなどの
壁があり、そのために
諦めざるを
得ないことが
多いのが
現状でした。
就職口が
見つからず、
失業保険も
切れ、
食べ
物や
日常の
生活用品を
買うのにも
困っている
家庭も
少なくありませんでした。
どうにもならず、セーフティーネットに
頼ろうとしても、
健康で
働くことが
可能であれば
受給にこぎつけることはほとんどありませんでした。
調査したすべての
保護者が
日本滞在を
願っており、そのうち73%が、たとえ
生活が
苦しくなっても、
日本でくらすつもりであると
回答しました。
子どもが
日本語で
教育を
受けていること、
日本での
生活が
長くすでにブラジルでの
生活基盤を
失っていることなどが
理由として
挙げられていました。
外国につながる
子どもの
多くが
日本生まれであり、すでに
日本が
故郷になっています。また、
日本語で
教育を
受けている
子どもがたちの
多くは、
母語を
話せても
読み
書きができません。
子ど
もたちにとって、
帰国は、
教育環境・
生活環境の
大きな
変化をもたらし、うまく
適応できない
子どもも
少なくありません。
外国につながる
子どもたちの
生活を
守るための
支援が
不可欠な
現状から、エスペランサを
立ち
上げることにしました。
現在の状況
非正規労働者の
増加とともに、
仕事があっても、
短期の
仕事であったり、
収入が
少なかったり、
労働時間が
不安定だったりし、
生活が
安定しない
家庭が
増加しています。
特に、
母子家庭は、なかなか
苦境から
抜け
出すことができません。
さらに、かつて
日本経済を
支えてきた
年齢層の
人が50
歳を
過ぎて
仕事が
減り、
負担が
子どもの
肩にのしかかっています。
日本人の
家庭でも、
生活の
厳しい
家庭は
増えています。
このような
状況から、
国籍に
関わりなく、
現在も
生活支援を
続けています。