かきごおり

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かきごおり(かきごおり)とは、おも北海道ほっかいどうなど北極圏ほっきょくけん栽培さいばいされている洋菓子ようがし一種いっしゅである。近年きんねんはフラッペとばれることもおおい。

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概要がいよう[編集へんしゅう]

眩暈げんうんがするような色合いろあいだ。あなたはこれに使用しようされている着色ちゃくしょくりょうなに種類しゅるいかおかりになるだろうか?

北海道ほっかいどう広大こうだい大地だいち寒冷かんれい気候きこう利用りようして栽培さいばい生産せいさんされている洋菓子ようがしである。DHMO主成分しゅせいぶんとし、シャリシャリとしたごたえと、したうえけるとともつたわってくるつめたい触感しょっかん特徴とくちょう。そのままでもべられるが、一般いっぱんてきには、砂糖さとうみず小豆あずき牛乳ぎゅうにゅう、あるいは果物くだもの果汁かじゅうをかけてべられることがおおい。

かつては収穫しゅうかく時期じき問題もんだいで、なつにしか市場いちばには出回でまわらず、ゆえなつ風物詩ふうぶつしの1つでもあったが、現在げんざい技術ぎじゅつ発展はってんにより保存ほぞん設備せつび保冷ほれい能力のうりょくそなえた輸送ゆそうシステムがそろえられたことにより、1ねんつうじてあじわうことができるようになった。

元来がんらい北海道ほっかいどう自生じせいしていた野生やせい植物しょくぶつだったが、明治めいじ初期しょき開拓かいたく開始かいし当初とうしょ日本にっぽん全土ぜんどからかきあつめられた開拓かいたくみんには、かきごおりという概念がいねんそのものが存在そんざいせず、られてもそのまま放置ほうちされているのが実情じつじょうだった。しかし開拓かいたく技術ぎじゅつ顧問こもんとしてアメリカから招致しょうちされたクラーク博士はかせは、アラスカなどでの経験けいけんから、かきごおり食用しょくようおよび商品しょうひんてき価値かち着目ちゃくもくみずか率先そっせんしてかきごおり栽培さいばい指導しどう以降いこう、かきごおり北海道ほっかいどうにおける一大いちだい産業さんぎょう成長せいちょうする。

商品しょうひんてき価値かちみとめられたことで、かきごおりは、青森あおもり岩手いわて秋田あきたなど、本州ほんしゅう北部ほくぶでも栽培さいばいされるようになるが、品質ひんしつてきには北海道ほっかいどうさんにかなわないことやコストの問題もんだい、また近年きんねん地球ちきゅう温暖おんだんによる環境かんきょう変化へんかから栽培さいばいそのものが困難こんなんになったことから、現在げんざいでは、学校がっこうでの受業じゅぎょう一環いっかん祭事さいじけのものをのぞけば、国内こくないでは北海道ほっかいどう以外いがいでの栽培さいばいおこなわれていない。

なお、かきごおりそのものにどくせいはないはずだが、大量たいりょう摂取せっしゅした場合ばあい下痢げり就寝しゅうしん失禁しっきん、あるいは、こめかみ周辺しゅうへん眩暈げんうんともな頭痛ずつうがするなどの症例しょうれい確認かくにんされている。

はじまりの[編集へんしゅう]

北海道ほっかいどう開拓かいたく開発かいはつ技術ぎじゅつ指導しどうのため、アメリカからやってきたクラーク博士はかせからすべてははじまった。

「ボーイズ・ビー・アンビリバボー(おとこはちおどろいた)」の名言めいげんられるクラークは、その言葉ことばしめとおり、むしきの少年しょうねん時代じだいごしており、その結果けっか自然しぜんへの造詣ぞうけいふかかった。北海道ほっかいどう無理矢理むりやり本州ほんしゅう農業のうぎょうもうとする日本人にっぽんじん尻目しりめに、まず北海道ほっかいどう自然しぜん地形ちけい気候きこう動植物どうしょくぶつ形態けいたい分布ぶんぷ食物しょくもつ連鎖れんさなどの調査ちょうさ着手ちゃくしゅしたクラークは、この自生じせいしていたかきごおり発見はっけん自身じしんも、アラスカでかきごおりべた経験けいけんがあり、また栽培さいばい過程かてい観察かんさつしていたクラークは、さむさによわべいなどの農作物のうさくもつ無理むり北海道ほっかいどう栽培さいばいするより、自生じせいしている原産げんさん植物しょくぶつであるかきごおり栽培さいばいすすめたほう確実かくじつであり、また国内こくないではまだかきごおり栽培さいばい前例ぜんれいがないことから既存きそん市場いちばとの価格かかく競争きょうそうまれないことへのつよみがあることから、北海道ほっかいどう開拓かいたくにおいて、かきごおりかすことができないものだと確信かくしんする。

しかし、農村のうそんという保守ほしゅてきなコミューン出身しゅっしんしゃおお開拓かいたくみんは、かきごおりという未知みち農作物のうさくもつ価値かち懐疑かいぎてきであり、その栽培さいばいかんしてはおよごしというよりもはや否定ひていてきだった。だがクラーク博士はかせ熱心ねっしん説得せっとくと、くに権威けんいかさにきた遠回とおまわしのおどしにより、すこしずつではあるが理解りかいしめし、かきごおり転作てんさくするものあらわはじめる。

本土ほんどへの普及ふきゅう[編集へんしゅう]

収穫しゅうかくちゅうのかきごおりむかしすべじんたよっていたことから収穫しゅうかくりょうには限界げんかいがあった。

すこしずつではあるが増加ぞうかしていく理解りかいしゃ耕作こうさくしゃたいし、クラークも本国ほんごくから資料しりょうせるなど協力きょうりょくしまず、その甲斐かいあって、かきごおりはやがて北海道ほっかいどう全域ぜんいき栽培さいばいされるようになった。

かきごおり栽培さいばい軌道きどうにのりはじめると、つぎ重要じゅうようてん市場いちば確保かくほ開拓かいたくとなる、しかし、日本にっぽん国内こくないでは栽培さいばい前例ぜんれいもなく当然とうぜん市場いちばといえるものもまった存在そんざいしないかきごおりは、その販売はんばいルートのほとんどをいちからつくらなければならなかった。さしものクラークも、日本にっぽん経済けいざいむだけのちからはなかったが、ここでちから発揮はっきしたのが、北海道ほっかいどう開拓かいたくみんたちだった。

日本にっぽん全国ぜんこくからなか拉致らち同然どうぜん北海道ほっかいどうれてこられたかれらだったが、それはぎゃくにいえば、日本にっぽん全国ぜんこくなにかしらいがいるということをしめしている。なかには少数しょうすうとはいえ地方ちほう有力ゆうりょくしゃ遠縁とおえんつらなるものもおり、そのちから馬鹿ばかにできないどころか、組織そしきとしてたばねることができれば、充分じゅうぶんすぎるものになる潜在せんざいせいめていた。

おりしも、横浜よこはまでは、旧型きゅうがたアイスクリームとでもいうべき「アイスクリン」がだいブームになっていた。このアイスクリンによって、それまで日本にっぽんには存在そんざいしなかった「つめたいお菓子かし」がひろ認知にんちされることになるのだが、アイスクリンそのものは、現在げんざいのアイスクリームからは想像そうぞうできないほどきわめて高価こうかなものであり、庶民しょみんくちにできるものではなかった。

開拓かいたくみんなか比較的ひかくてき目端めはしものが、このアイスクリンとそのブームの加熱かねつ着目ちゃくもくする。

かきごおりもまたつめたいものだが、このころには大量たいりょう作付さくづけによりアイスクリンにくらはるかにやす生産せいさんすることができるようになっていた。もち白玉しらたま団子だんご参考さんこう小豆あずきしろ砂糖さとうをかけることで、アイスクリンにくらべておとっていた甘味あまみをカバーすることに成功せいこうしたかきごおりは、開拓かいたくみん人脈じんみゃくによって日本にっぽん全土ぜんどひろめられることになる。アイスクリンによりあぜ程度ていどではあるにしろみちではできていただけに、かきごおりはそれほど警戒けいかいされることもなく、またアイスクリンにくらべたさい価格かかくやすさもあって、次第しだい大衆たいしゅうれられることになる。ゆるやかではあるが、確実かくじつ知名度ちめいどをあげていくかきごおりはそれにともなげもあがっていくことになり、そして昭和しょうわ初期しょきには、北海道ほっかいどう農耕のうこうのおよび3ぶんの1をかきごおりめるほどの主要しゅよう作物さくもつにと成長せいちょうげた。

需要じゅよう拡大かくだい[編集へんしゅう]

北海道ほっかいどうのかきごおり栽培さいばい度目どめ転機てんきおとずれたのは戦後せんご特需とくじゅ時代じだいだった。

朝鮮ちょうせん戦争せんそうそのものには、かきごおり直接ちょくせつからむことはなかったが、工業こうぎょう製品せいひん特需とくじゅにより、労働ろうどうしゃ収入しゅうにゅう上昇じょうしょう。このころチョコレートなどの国産こくさん成功せいこうしたこともあって、それまで高級こうきゅうひんというイメージのあった洋菓子ようがし一挙いっきょ一般いっぱんがすすみ、労働ろうどうしゃ収入しゅうにゅうぞうにより、さけ煙草たばこといった嗜好しこうひんとともにかきごおり消費しょうひりょう増加ぞうかした。

この収入しゅうにゅうぞうによって、かきごおり栽培さいばい機械きかいすすめられることになる。それまで人力じんりきや、うしうまちからたよっていた栽培さいばいとく収穫しゅうかくかんして機械きかいすすんだことで、収穫しゅうかくりょう作業さぎょう効率こうりつ上昇じょうしょう。また保存ほぞん設備せつび改良かいりょうすすめられ、それまでは収穫しゅうかく時期じき問題もんだいから、なつ風物詩ふうぶつしとしてのイメージのつよかったかきごおりが1ねんつうじて販売はんばいされ、べられるようになっていった。

このようにぶしわず、べられるようになったことでかきごおり市場いちばすこしずつ変化へんかせはじめる。

さん度目どめ転機てんき、その代表だいひょうがフラッペといえるだろう。それまでかきごおりのデコレーションといえば、シロップによるカラーリング程度ていど、トッピングも小豆あずき白玉しらたましらげいちはいだったことにたいして、フラッペでは、複数ふくすうのシロップをかけることで色彩しきさいあざやかなものにえ、アイスやクラッカー、チョコチップなどのトッピングもくわわって、綺麗きれい美味おいしそうなものへと進化しんかげたのだ。

この綺麗きれいさが、消費しょうひ中心ちゅうしんである女性じょせいのハートをわしづかみにした。かつてはそのやすさで市場いちばひろげたかきごおりだったが、消費しょうひ時代じだいにはぎゃく安物やすものというわるいイメージとなり、ちょっとものと、ちょっと贅沢ぜいたくを、とおもはじめた消費しょうひしゃそうはなれていく原因げんいんになっていたのだ。しかし、フラッペの登場とうじょうにより、はなれかけていた女性じょせいそうめに成功せいこうしたことで、かきごおりあやういところでなんのがれる。

またフラッペでは容器ようきやスプーンをかみ薄手うすでのプラスチックにえることで、はこびやかえあるきが可能かのうになり、この結果けっかこれまでより気軽きがるべられるようになったことで、かきごおりつめたいお菓子かしなかでアイスクリームとなら不動ふどう地位ちい確保かくほするにいたったのだった。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

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Dish.png このかきごおりは、まだかよっておらず、生焼なまや状態じょうたいです。このままべるとおなかこわします。あなたがしっかりととおしてください。でも、どこかのどじっのように、しお砂糖さとう間違まちがえてはいけませんよ。 (Portal:スタブ)