西遊せいゆう

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西遊せいゆう(さいゆうき)とは、ツチノコ存在そんざいらしめた貴重きちょう文献ぶんけんである。

このほん1795ねん出版しゅっぱんされ、おも四国しこく九州きゅうしゅう地方ちほう風俗ふうぞく産物さんぶつなどをしるした紀行きこうほん体裁ていさいをとっている。作者さくしゃたちばなみなみ谿。なお、北陸ほくりく諸国しょこく文化ぶんか風俗ふうぞくしるした東遊あずまあそびおよび東遊あずまあそびへん西遊せいゆう続篇ぞくへん西遊せいゆう続編ぞくへんとして刊行かんこうされている。なお、本書ほんしょめいについて、一般いっぱんてきに「さいゆうき」および「せいゆうき」の2とおりのかた存在そんざいしているが、作者さくしゃ出身しゅっしんである三重みえけんのサイトにある「さいゆうき」の表記ひょうきをアンサイクロペディアではもちいる。

作者さくしゃについて[編集へんしゅう]

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この著書ちょしょ作者さくしゃであるたちばなみなみ谿(1753ねん~1805ねん)は、1753ねん伊勢いせくに現在げんざい三重みえけんまれている。本名ほんみょう宮川みやがわはるあきら(はるあきら)。19さいのときに医者いしゃこころざし、京都きょうとうつむ。30さいえ、医者いしゃとして自立じりつしたころから積極せっきょくてき著作ちょさく開始かいしし、当時とうじ最先端さいせんたんとされたオランダ医学いがくについても積極せっきょくてき知識ちしき罪人ざいにん腑分ふわけ(解剖かいぼう)に立会たちあい、江戸えどにあったオランダ医学いがく私塾しじゅくにもまなんでいる。そのため、関西かんさいもっとはやくオランダ医学いがく有用ゆうようせいとなえた人物じんぶつであるとされている。

生来せいらい病弱びょうじゃくであることを作中さくちゅう自嘲じちょうするような人物じんぶつであり、だからこそ、ことのほか日本にっぽん各地かくち独自どくじ発展はってんした医学いがくについて、よりおおきな興味きょうみいたふしがある。実際じっさいに、30だいより積極せっきょくてき各地かくちたびし、なかでも越前えちぜんくに産科さんか名医めいい出会であったさいは20日間にちかん滞在たいざいし、なおかつ従者じゅうしゃ弟子でしりさせるほどのねつれようだった。また、作者さくしゃはこの時代じだいにおける医学いがくしゃとしてはトップクラスの人物じんぶつであり、医学いがくしょについてもおおくの著作ちょさくのこしているように、各地かくち医者いしゃ知識ちしきじんにとってもだいいちきゅう訪問ほうもんきゃくであったことも、作中さくちゅうしるされる様々さまざま風俗ふうぞく伝聞でんぶんおおきながかりとなっている。

このように、他国たこくにある最先端さいせんたん知識ちしきることがおおきな人生じんせい転機てんきとなった人物じんぶつであり、そのなか知識ちしき伝聞でんぶんのこ意味いみで、本書ほんしょ医学いがくしょではなく紀行きこうほんというかたち発行はっこうされている。また、西遊せいゆう東遊あずまあそび掲載けいさいされたはなし以外いがいにもおおくの逸話いつわのこされており、作者さくしゃ死後しご医学いがくかんする遺構いこうから「ざつびょう聞」、各国かっこく奇談きだん珍談ちんだんなどの遺構いこうから「きたまど瑣談」が出版しゅっぱんされている。

内容ないよう[編集へんしゅう]

西遊せいゆうは、一般いっぱんてき江戸えど時代じだい文化ぶんか風俗ふうぞく各地かくち異聞いぶん伝聞でんぶん事細ことこまかにしるした書物しょもつとしてられている。その内容ないようについて、医者いしゃとしての立場たちばから、気候きこうしょく文化ぶんかがその土地とちにおける風土病ふうどびょう密接みっせつかかわるかといった視点してんから、よわいひゃくすうじゅうさいえる仙人せんにん山中さんちゅうにて一人ひとり雑穀ざっこくをまったくらずに生存せいぞんする農民のうみんおきなはなし、さらにはたびなか動植物どうしょくぶつ薬効やっこうかんするはなしなど、その内容ないよう多岐たきわたっている。

そのなかもっと後世こうせい影響えいきょうあたえた内容ないようとして、西遊せいゆうにはツチノコかんする記述きじゅつ存在そんざいし、現時点げんじてん唯一ゆいいつといってよい、本物ほんもののツチノコを発見はっけんした明確めいかく証拠しょうことして現在げんざいつたえられている。これはツチノコのきも万病まんびょうくとしんじた作者さくしゃが、筑前ちくぜんくに現在げんざい福岡ふくおかけん実際じっさいにツチノコの死体したい確認かくにんしているとの本書ほんしょ記述きじゅつによるものである。ただし、その死体したいなが土中どちゅうにあったため、すでに腐敗ふはいしており、作者さくしゃもとめたツチノコのきもることはかなわなかった。しかし、各地かくち奇異きいたんしるした本書ほんしょであるけれど、そのほとんどが伝聞でんぶんによるなかで、実際じっさい作者さくしゃがツチノコをたというはなしが、その、1970年代ねんだい突如とつじょあらわれるツチノコブームにあたえた影響えいきょうおおきい。

そのにも、本書ほんしょでは本来ほんらい他国たこく人間にんげん入国にゅうこく禁止きんしであった薩摩さつまはん内部ないぶ情報じょうほう掲載けいさい。これは、作者さくしゃ最先端さいせんたん医学いがく知識ちしき医者いしゃであることから、特例とくれいとして入国にゅうこくみとめられたとおもわれる。

評価ひょうか[編集へんしゅう]

西遊せいゆうは、江戸えど庶民しょみん一般いっぱんてきられている伊勢いせきょう大阪おおさかよりさき国々くにぐに情報じょうほうについて詳細しょうさいしるした書物しょもつとして、おおきな反響はんきょうび、その結果けっか続編ぞくへんである「東遊あずまあそび以下いか2へん紀行きこうほんつづけざまに刊行かんこうされることになる。西遊せいゆう以降いこう日本にっぽん各地かくち伝説でんせつ風俗ふうぞくつたえる書物しょもつ続々ぞくぞく刊行かんこうされることになり、十返舎一九じっぺんしゃいっく東海道とうかいどうちゅう膝栗毛ひざくりげ鈴木すずき牧之ぼくし北越ほくえつゆきのように、現代げんだいにまでつたえられるだいベストセラーもまれている。

つまるところ、こういうことである[編集へんしゅう]

なお、アンサイクロペディアにおいて上記じょうきかたくるしい文章ぶんしょうは、以下いか一文いちぶん証明しょうめいするためだけに存在そんざいする。

西遊せいゆうには本当ほんとうにツチノコがてくる

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]