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807年 日本史と世界史の暗記は語呂合わせで!楽しい語呂合わせ募集中です。 - 年表暗記法
日本
にっぽん
史
し
出来事
できごと
一覧
いちらん
- はなまるまとめのおと
はなまる
日本
にっぽん
史
し
まとめノート -
日本
にっぽん
史
し
は「
流
なが
れ」「
出来事
できごと
」「
人物
じんぶつ
」の3つがポイント!<☆
蜜
みつ
> と
一緒
いっしょ
に
楽
たの
しく
覚
おぼ
えましょう。
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【ふりがななし】
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西暦
せいれき
807
年
ねん
の
出来事
できごと
〔
出典
しゅってん
:フリー
百科
ひゃっか
事典
じてん
『ウィキペディア(Wikipedia)』〕
●
語呂
ごろ
一覧
いちらん
●
前後
ぜんご
の
出来事
できごと
西暦
せいれき
806
年
ねん
⇔
西暦
せいれき
808
年
ねん
語呂合
ごろあ
わせ
皆
みな
さんの
楽
たの
しい
語呂合
ごろあ
わせを
『
語呂合
ごろあ
わせ
投稿
とうこう
』
でお
待
ま
ちしてます。
西暦
せいれき
807
年
ねん
の
主
おも
な
出来事
できごと
4
月
がつ
-
参議
さんぎ
の
号
ごう
を
廃止
はいし
する。
近衛府
このえふ
を
左
ひだり
近衛府
このえふ
、
中
なか
衛
まもる
府
ふ
を
右
みぎ
近衛府
このえふ
とする。
5月 -
諸国
しょこく
の
采女
うねめ
貢
みつぎ
上
じょう
を
停止
ていし
する。
円仁
えんにん
や
空海
くうかい
、
坂上田村麻呂
さかのうえのたむらまろ
に
関連
かんれん
した
伝承
でんしょう
で、この
年号
ねんごう
がよく
使
つか
われる。
空海
くうかい
が
日本
にっぽん
に
帰国
きこく
した
年
とし
がこの
年
とし
と
言
い
われることも
多
おお
いが、
史実
しじつ
としてはっきりとしない。
東北
とうほく
各地
かくち
の
神社
じんじゃ
の
創建
そうけん
に
関
かん
する
年号
ねんごう
はこの
年
とし
とされる。
茨城
いばらき
県
けん
の
雨
あめ
引
千
せん
勝
しょう
神社
じんじゃ
の
創建
そうけん
はこの
年
とし
である。
早
はや
池峰
いけみね
神社
じんじゃ
、
赤城
あかぎ
神社
じんじゃ
なども
同様
どうよう
である。また
福島
ふくしま
県
けん
いわき
市
し
の
湯
ゆ
の
嶽
だけ
観音
かんのん
も、この
年
とし
の3
月
がつ
21
日
にち
に
開基
かいき
されたとある。
清水寺
きよみずでら
、
長谷寺
はせでら
などの
寺院
じいん
までこの
年
とし
に
建
た
てられたとされ、
富士山
ふじさん
本宮
ほんぐう
浅間
あさま
大社
たいしゃ
も、
大鳥居
おおとりい
の
前
まえ
に
堂々
どうどう
と
大同
だいどう
元年
がんねん
縁起
えんぎ
が
記載
きさい
されている。
香川
かがわ
県
けん
の
善通寺
ぜんつうじ
をはじめとする
四国
しこく
遍路
へんろ
八
はち
十
じゅう
八
はち
ヵ所
かしょ
の1
割
わり
以上
いじょう
がこの
年
とし
である。
各地
かくち
の
小
ちい
さい
神社
じんじゃ
仏閣
ぶっかく
にいたるまで
枚挙
まいきょ
にいとまがないほど、
大同
だいどう
2
年
ねん
及
およ
び
大
だい
同年
どうねん
間
あいだ
はそれらの
創建
そうけん
にかかわる
年号
ねんごう
である。
阿仁
あに
鉱山
こうざん
や
尾
お
太
ふとし
鉱山
こうざん
が
発見
はっけん
された
年号
ねんごう
にも
使
つか
われている。
高根
たかね
金山
かなやま
、
吹屋
ふきや
銀山
ぎんざん
をはじめとする
各地
かくち
の
鉱山
こうざん
の
開
ひらき
坑
あな
も、
大同
だいどう
年間
ねんかん
や
大同
だいどう
2
年
ねん
とするものが
多
おお
い。
那須
なす
連峰
れんぽう
の
茶臼岳
ちゃうすだけ
旧
きゅう
火山
かざん
の
噴火
ふんか
、
尾瀬ケ原
おぜがはら
の
燧ヶ岳
ひうちがたけ
の
噴火
ふんか
、
蔵王
ざおう
刈田岳
かっただけ
の
噴火
ふんか
、
秋田
あきた
駒ヶ岳
こまがだけ
の
噴火
ふんか
もこの
年
とし
である。
会津
あいづ
磐梯山
ばんだいさん
の
噴火
ふんか
は
大同
だいどう
元年
がんねん
だが、その
噴火
ふんか
を
鎮
しず
めるために、
大同
だいどう
2
年
ねん
に
山麓
さんろく
に
恵
めぐみ
月
がつ
守
もり
が
建
た
てられたといわれる。
日光
にっこう
の
男体山
なんたいさん
で
旱魃
かんばつ
を
静
しず
めるために
勝
かち
道
どう
上人
しょうにん
が
祈祷
きとう
したのもこの
年
とし
である。
三
さん
湖
こ
伝説
でんせつ
で
八郎
はちろう
太郎
たろう
が
大
だい
災害
さいがい
を
起
お
こすのもこの
年
とし
である。
八溝山
やみぞさん
や
森吉
もりよし
山
さん
、
気仙
けせん
郡
ぐん
などの
鬼
おに
退治
たいじ
もこの
年
とし
と
伝
つた
えられている。
山形
やまがた
県
けん
の
肘
ひじ
折
おり
温泉
おんせん
に
伝
つた
わる「
温泉
おんせん
之
の
縁起
えんぎ
」
史料
しりょう
の
中
なか
に、
大同
だいどう
2
年
ねん
あるいは
大
だい
同年
どうねん
間
あいだ
に
温泉
おんせん
が
開
ひら
かれたという
記述
きじゅつ
がある。
「
何
なん
らかの
物事
ものごと
が
起
お
きた
年
とし
」という
意味合
いみあ
いがあるという
人
ひと
もいる。(「
東北
とうほく
復興
ふっこう
」2013
年
ねん
9
月
がつ
16
日
にち
第
だい
16
号
ごう
、2
面
めん
)
仙台
せんだい
藩士
はんし
・
佐藤
さとう
信
しん
要
よう
が
寛
ひろし
保
ほ
元年
がんねん
(1741
年
ねん
)に
記
しる
した『
封
ふう
内
ない
名跡
みょうせき
志
こころざし
』では、
長谷
ながたに
大悲
だいひ
閣
かく
(
長谷
ながたに
観音
かんのん
)について
坂上田村麻呂
さかのうえのたむらまろ
が
建
た
てた
観音
かんのん
が
至
いた
る
所
ところ
にあり、その
観音
かんのん
は
長谷寺
はせでら
のものを
移
うつ
したとあるものが
多
おお
い、
坂上田村麻呂
さかのうえのたむらまろ
が
信仰
しんこう
したのは
山城
やましろ
清水寺
きよみずでら
であるとして「
事実
じじつ
を
弁
わきまえ
せず
妄
みだ
りに
田村
たむら
の
建
けん
というは
尤
もっと
も
疑
うたぐ
ふべし」、
馬頭
ばとう
閣
かく
(
鱒
ます
淵
ふち
観音
かんのん
)について
田村
たむら
麻呂
まろ
東征
とうせい
の
時
とき
にこの
地
ち
を
通過
つうか
したことは
正史
せいし
旧記
きゅうき
に
見
み
えないとし「
尤
もっと
も
疑
うたぐ
ふべし」と
断
だん
じている。また
江戸
えど
時代
じだい
の
安永
やすなが
年間
ねんかん
(1772
年
ねん
- 1781
年
ねん
)に
相原
あいはら
友
とも
直
じき
が
仙台
せんだい
藩
はん
の
風土
ふうど
を
記
しる
した『
平泉
ひらいずみ
雑記
ざっき
』の「
田村
たむら
将軍
しょうぐん
建立
こんりゅう
堂
どう
社
しゃ
」では、
田村
たむら
麻呂
まろ
建立
こんりゅう
とされる
仙台
せんだい
藩
はん
内
ない
の
堂舎
どうしゃ
21
ヶ所
かしょ
を
挙
あ
げ、それらの
観音
かんのん
は「
大同
だいどう
2
年
ねん
」のものが
多
おお
く、
悉
ことごと
く
信用
しんよう
が
不足
ふそく
していると
述
の
べている。それらの
記述
きじゅつ
を
受
う
けて1955
年
ねん
に
堀
ほり
一郎
いちろう
は、
研究
けんきゅう
対象
たいしょう
の
寺院
じいん
の
地区
ちく
を
東北
とうほく
地方
ちほう
に
広
ひろ
げ、12
社
しゃ
をあげ
研究
けんきゅう
している[1]。
池上
いけがみ
洵
まこと
一
いち
は
坂上田村麻呂
さかのうえのたむらまろ
の
清水寺
きよみずでら
の
事蹟
じせき
に
結
むす
びつけて
論
ろん
じている。
坂上田村麻呂
さかのうえのたむらまろ
は
藤原明衡
ふじわらのあきひら
の『
清水寺
きよみずでら
縁起
えんぎ
』では
行
くだり
叡
あきら
から
聖地
せいち
の
委譲
いじょう
を
受
う
けたのが778
年
ねん
、
田村
たむら
麻呂
まろ
がその
地
ち
で
延
のべ
鎮と
邂逅
かいこう
し
彼
かれ
の
話
はなし
を
聞
き
き
十
じゅう
一
いち
面
めん
観音
かんのん
を
作
つく
り
仮
かり
殿
しんがり
に
安置
あんち
し
清水寺
きよみずでら
と
号
ごう
したのが798
年
ねん
、
桓武
かんむ
天皇
てんのう
の
御願
ごがん
寺
てら
となり
社寺
しゃじ
の
施
ほどこせ
入
いれ
を
受
う
けたのが805
年
ねん
で、
妻
つま
の
三善
みよし
高子
たかこ
命婦
みょうぶ
が
自宅
じたく
の
寝殿
しんでん
を
解体
かいたい
し、その
材木
ざいもく
で
社寺
しゃじ
に
仏堂
ぶつどう
を
建
た
てたのが807
年
ねん
(
大同
だいどう
2
年
ねん
)である。しかし、
中世
ちゅうせい
では
清水寺
きよみずでら
の
建立
こんりゅう
が「
大同
だいどう
2
年
ねん
」と
説
と
くのが
一般
いっぱん
化
か
していた。
謡曲
ようきょく
の『
田村
たむら
』、『
花月
かげつ
』、
室町
むろまち
物語
ものがたり
の『
田村
たむら
草子
そうこ
』では
全
すべ
て
大同
だいどう
2
年
ねん
は
清水寺
きよみずでら
の
建立
こんりゅう
に
関
かか
わる
年号
ねんごう
とされている。
池上
いけがみ
洵
まこと
一
いち
は
奥羽
おうう
で
各地
かくち
に
田村
たむら
麻呂
まろ
伝説
でんせつ
が
広
ひろ
がり、そこで
謡曲
ようきょく
の
詞章
ししょう
を
通
とお
して、この
年号
ねんごう
が
奥羽
おうう
の
地
ち
に
広
ひろ
がり、その
後
ご
にいつのまにか
清水寺
きよみずでら
との
関
かか
わりを
捨
す
てて、
単
たん
に
田村
たむら
麻呂
まろ
に
有縁
うえん
の
年号
ねんごう
としてのみ
機能
きのう
するようになったのではないかとしている。
例
たと
えば、
十和田湖
とわだこ
伝説
でんせつ
では
現在
げんざい
田村
たむら
麻呂
まろ
は
登場
とうじょう
していないが、『
新選
しんせん
陸奥
みちのく
国
こく
誌
し
』では
十和田山
とわだやま
青
あお
龍
りゅう
大
だい
権現
ごんげん
の
創設
そうせつ
は
田村
たむら
麻呂
まろ
としており、それが
三
さん
湖
こ
伝説
でんせつ
全体
ぜんたい
の
年号
ねんごう
を
語
かた
る
定型
ていけい
句
く
として
取
と
り
込
こ
まれていった
可能
かのう
性
せい
があるとしている[2]。
9
世紀
せいき
の
主
おも
な
出来事
できごと
801
年
ねん
-
征夷大将軍
せいいたいしょうぐん
の
坂上田村麻呂
さかのうえのたむらまろ
が
陸奥
みちのく
へ
向
む
かう。
801
年
ねん
-
畿内
きない
の
班
はん
田
た
を12
年
ねん
に
一
いち
度
ど
とする。
802
年
ねん
- ジャヤバルマン2
世
せい
がカンボジアを
統一
とういつ
。アンコール
朝
あさ
の
成立
せいりつ
。
802
年
ねん
-
東
ひがし
ロ
ろ
ー
マ帝国
まていこく
で
女帝
にょてい
エイレーネーが
政変
せいへん
で
廃位
はいい
され、
皇帝
こうてい
ニケフォロス1
世
せい
が
即位
そくい
。
802
年
ねん
-
坂上田村麻呂
さかのうえのたむらまろ
、
胆沢
いさわ
城
しろ
を
築
きず
かせる。
後
のち
に
鎮守
ちんじゅ
府
ふ
を
置
お
く。
蝦夷
えぞ
の
大
だい
墓
はか
公
こう
阿弖流為
あてるい
ら
降伏
ごうぶく
する。
803
年
ねん
- ハールーン・アッラシードがジャアファルを
処刑
しょけい
。バルマク
家
か
一族
いちぞく
を
粛清
しゅくせい
。
803
年
ねん
-
坂上田村麻呂
さかのうえのたむらまろ
、
志波
しば
城
しろ
を
築
きず
く。
804
年
ねん
-
坂上田村麻呂
さかのうえのたむらまろ
を
再
ふたた
び
征夷大将軍
せいいたいしょうぐん
に
任
にん
ずる。
804
年
ねん
-
最澄
さいちょう
と
空海
くうかい
が
唐
とう
にわたる。
805
年
ねん
-
最澄
さいちょう
が
天台宗
てんだいしゅう
を
興
おこ
す。
806
年
ねん
-
桓武
かんむ
天皇
てんのう
が
没
ぼっ
し、
第
だい
51
代
だい
平城
ひらじろ
天皇
てんのう
が
即位
そくい
。
806
年
ねん
-
空海
くうかい
が
真言宗
しんごんしゅう
を
興
おこ
す。
807
年
ねん
-
生野
いくの
銀山
ぎんざん
が
開
ひらけ
坑
あな
された。
809
年
ねん
-
平城
ひらじろ
天皇
てんのう
が
譲位
じょうい
し、
第
だい
52
代
だい
嵯峨天皇
さがてんのう
が
即位
そくい
。
811
年
ねん
-
東
ひがし
ローマ
皇帝
こうてい
ニケフォロス1
世
せい
がプリスカの
戦
たたか
いでブルガリアのクルムに
敗北
はいぼく
し
戦死
せんし
。
813
年
ねん
- ガリシアのサンティアゴ・デ・コンポステーラで
聖
せい
ヤコブの
墓
はか
が
発見
はっけん
されたという。
814
年
ねん
-
日本
にっぽん
最初
さいしょ
の
勅撰
ちょくせん
漢
かん
詩集
ししゅう
『
凌
しのげ
雲集
うんしゅう
』が
成立
せいりつ
。
815
年
ねん
-
東
ひがし
ローマ
皇帝
こうてい
レオーン5
世
せい
が
再
ふたた
び
聖
ひじり
像
ぞう
破壊
はかい
令
れい
を
出
だ
す(
第
だい
二
に
次
じ
イコノクラスム - 843
年
ねん
)。
816
年
ねん
-
空海
くうかい
が
高野山
こうのやま
金剛峯寺
こんごうぶじ
を
開基
かいき
。
818
年
ねん
-
菅原
すがわら
清
きよし
公
おおやけ
らが『
文
ぶん
華
はな
秀麗
しゅうれい
集
しゅう
』を
編纂
へんさん
。
821
年
ねん
- ホラサーンでターヒル
朝
あさ
が
自立
じりつ
する。
821
年
ねん
-
唐
とう
と吐蕃との
間
あいだ
で
長慶
ちょうけい
会
かい
盟
めい
が
結
むす
ばれる。
822
年
ねん
-
現存
げんそん
最古
さいこ
の
説話
せつわ
集
しゅう
『
日本
にっぽん
霊異
れいい
記
き
』を
景
けい
戒が
編集
へんしゅう
。
822
年
ねん
-
比叡山
ひえいざん
の
大乗
だいじょう
戒壇
かいだん
建立
こんりゅう
が
勅許
ちょっきょ
。
823
年
ねん
- 「
唐
から
蕃
しげる
会
かい
盟
めい
碑
ひ
」が
建
た
てられる(チベットのトゥルナン
寺
てら
(
大昭
たいしょう
寺
てら
)
前
まえ
の
碑
いしぶみ
のみ
現存
げんそん
)。
823
年
ねん
-
嵯峨天皇
さがてんのう
が
譲位
じょうい
し、
第
だい
53
代
だい
淳和天皇
じゅんなてんのう
が
即位
そくい
。
825
年
ねん
- イングランドでウェセックス
王国
おうこく
のエグバート
王
おう
がマーシアをエランダンで
破
やぶ
る。
827
年
ねん
- チュニジアのアグラブ
朝
あさ
がシチリア
島
とう
征服
せいふく
に
着手
ちゃくしゅ
。
828
年
ねん
- エジプトのアレクサンドリアから
聖
ひじり
マルコの
遺骸
いがい
がヴェネツィアに
運
はこ
ばれる(サン・マルコ
大
だい
聖堂
せいどう
の
起
お
こり)。
828
年
ねん
ごろ -
空海
くうかい
が綜藝
種
しゅ
智
さとし
院
いん
を
創設
そうせつ
。
829
年
ねん
- ウェセックス
王国
おうこく
のエグバートがイングランドを
統一
とういつ
。
830
年
ねん
ごろ - チェック
人
じん
(
西
にし
スラブ
族
ぞく
)がモラビア
王国
おうこく
建設
けんせつ
。
830
年
ねん
-
唐
とう
で
牛
うし
僧
そう
孺と
李
り
徳
いさお
裕
ひろし
が
争
あらそ
う(
牛
ぎゅう
李
り
の
党争
とうそう
)。(- 844
年
ねん
)
830
年
ねん
- アッバース
朝
あさ
がバグダードにバイト・アルヒクマ(
知恵
ちえ
の
館
かん
)を
建設
けんせつ
する。
以後
いご
、ギリシア
語
ご
文献
ぶんけん
のアラビア
語
ご
翻訳
ほんやく
が
盛
さか
んになる。
833
年
ねん
- アッバース
朝
あさ
でムウタスィムがカリフに
即位
そくい
。トルコ
人
じん
奴隷
どれい
(マムルーク)で
親衛隊
しんえいたい
を
組織
そしき
。
833
年
ねん
-
淳和天皇
じゅんなてんのう
が
譲位
じょうい
し、
第
だい
54
代
だい
仁明天皇
にんみょうてんのう
が
即位
そくい
。
836
年
ねん
- アッバース
朝
あさ
がバグダードからサマッラーに
遷都
せんと
。
838
年
ねん
-
小野篁
おののたかむら
を
隠岐
おき
国
こく
に
配流
はいる
。
840
年
ねん
- ウイグルがキルギスの
攻撃
こうげき
により
崩壊
ほうかい
。
841
年
ねん
- フォントノワの
戦
たたか
い。
842
年
ねん
- ストラスブールの
誓
ちか
い。
842
年
ねん
-
嵯峨
さが
上皇
じょうこう
が
没
ぼっ
する。
承
うけたまわ
和
わ
の
変
へん
が
起
お
こり、
藤原
ふじわら
良
りょう
房
ぼう
が
橘逸勢
たちばなのはやなり
、
伴健岑
とものこわみね
らを
謀反
むほん
の
疑
うたが
いで
配流
はいる
する。
843
年
ねん
- ヴェルダン
条約
じょうやく
でフランク
王国
おうこく
が3つに
分裂
ぶんれつ
。
843
年
ねん
-
東
ひがし
ローマ
皇帝
こうてい
ミカエル3
世
せい
の
母
はは
テオドラが
召集
しょうしゅう
した
教会
きょうかい
会議
かいぎ
で
聖
ひじり
像
ぞう
崇敬
すうけい
派
は
の
最終
さいしゅう
的
てき
な
勝利
しょうり
が
確定
かくてい
。イコノクラスム
終結
しゅうけつ
。
844
年
ねん
- クラビホの
戦
たたか
い。「ムーア
人殺
ひとごろ
し」
聖
せい
ヤコブ
出現
しゅつげん
伝説
でんせつ
。
845
年
ねん
-
唐
とう
の
武
たけ
宗
はじめ
が
仏教
ぶっきょう
を
弾圧
だんあつ
(
会
かい
昌
あきら
の
廃
はい
仏
ぼとけ
)。
849
年
ねん
- イタリアのナポリ・アマルフィ・ガエタの
艦隊
かんたい
がイスラム
艦隊
かんたい
に
勝利
しょうり
(オスティアの
海戦
かいせん
)
850
年
ねん
-
仁明天皇
にんみょうてんのう
が
譲位
じょうい
し、
第
だい
55
代
だい
文徳
ふみのり
天皇
てんのう
が
即位
そくい
。
853
年
ねん
-
唐
とう
の
商人
しょうにん
欽良
暉
あきら
漂着
ひょうちゃく
。
858
年
ねん
-
文徳
ふみのり
天皇
てんのう
が
没
ぼっ
し、
第
だい
56
代
だい
清和
せいわ
天皇
てんのう
が
即位
そくい
。
858
年
ねん
-
藤原
ふじわら
良
りょう
房
ぼう
が
臣下
しんか
としては
初
はつ
の
摂政
せっしょう
となる。
860
年
ねん
-
行
くだり
教
きょう
が
清和
せいわ
天皇
てんのう
の
命
いのち
を
受
う
けて
石清水八幡宮
いわしみずはちまんぐう
を
創建
そうけん
。
860
年
ねん
- ヴァリャーグが
東
ひがし
ロ
ろ
ー
マ帝国
まていこく
の
首都
しゅと
コンスタンティノポリスを
攻撃
こうげき
するも
撃退
げきたい
される(ルーシ・ビザンツ
戦争
せんそう
)。
862
年
ねん
-
伝説
でんせつ
ではノルマン
人
じん
ルス
族
ぞく
のリューリクがノブゴロド
公国
こうこく
を
建国
けんこく
する。ロシア
国家
こっか
のはじまり。
863
年
ねん
-
東
ひがし
ロ
ろ
ー
マ帝国
まていこく
のメトディオス、キュリロス(コンスタンティノス)
兄弟
きょうだい
がスラヴ
人
じん
に
対
たい
してキリスト
教
きょう
伝道
でんどう
を
開始
かいし
する。
864
年
ねん
-
富士山
ふじさん
貞
さだ
観
かん
噴火
ふんか
。
864
年
ねん
ごろ -
第
だい
一
いち
次
じ
ブルガリア
帝国
ていこく
のボリス1
世
せい
が
キリスト教
きりすときょう
に
改宗
かいしゅう
する。
866
年
ねん
-
応
おう
天
てん
門
もん
の
変
へん
がおこる。
応
おう
天
てん
門
もん
放火
ほうか
の
罪
つみ
で
大納言
だいなごん
伴
ばん
善男
よしお
が
流罪
るざい
となる。
867
年
ねん
-
東
ひがし
ロ
ろ
ー
マ帝国
まていこく
でバシレイオス1
世
せい
がクーデターで
皇帝
こうてい
に
即位
そくい
。マケドニア
王朝
おうちょう
を
開
ひら
く。
867
年
ねん
- イランにサッファール
朝
あさ
が
興
おこ
る。
868
年
ねん
- エジプトにトゥールーン
朝
あさ
が
興
おこ
る。
869
年
ねん
-
第
だい
4コンスタンティノポリス
公
こう
会議
かいぎ
による
総
そう
主教
しゅきょう
フォティオスの
追放
ついほう
(- 870
年
ねん
)。
869
年
ねん
- デーン
人
じん
ヴァイキング(
大
だい
異教徒
いきょうと
軍
ぐん
)との
戦
たたか
いでイースト・アングリア
王
おう
エドマンドが
殉教
じゅんきょう
する。
869
年
ねん
- イラクで
黒人
こくじん
奴隷
どれい
が
反乱
はんらん
を
起
お
こす(ザンジュの
乱
らん
)。
869
年
ねん
-
貞
さだ
観
かん
地震
じしん
発生
はっせい
。
陸奥
みちのく
国
こく
を
大
だい
津波
つなみ
が
襲
おそ
う。
870
年
ねん
- メルセン
条約
じょうやく
により
中部
なかべ
フランクが
東西
とうざい
に2
分割
ぶんかつ
される。
871
年
ねん
- アルフレッドがイングランド
王
おう
となる(- 899
年
ねん
)。
871
年
ねん
ごろ - アイスランドの
植民
しょくみん
始
はじ
まる。
875
年
ねん
-
唐
とう
で
黄
き
巣
す
の
乱
らん
が
起
お
こる(- 884
年
ねん
)。
875
年
ねん
-
中央
ちゅうおう
アジア
最初
さいしょ
のイラン
系
けい
イスラム
王朝
おうちょう
であるサーマーン
朝
あさ
が
興
おこ
る。
875
年
ねん
- イタリアにおけるカロリング
朝
あさ
の
断絶
だんぜつ
。
876
年
ねん
-
清和
せいわ
天皇
てんのう
が
譲位
じょうい
し、
第
だい
57
代
だい
陽成
ようぜい
天皇
てんのう
が
即位
そくい
。
877
年
ねん
- トゥルーン
朝
あさ
がシリアを
併合
へいごう
。
878
年
ねん
- イングランド
王
おう
アルフレッドがヴァイキングのデーン
人
じん
の
侵入
しんにゅう
を
撃退
げきたい
。
878
年
ねん
-
藤原
ふじわら
保則
やすのり
が
陸奥
みちのく
の
蝦夷
えぞ
平定
へいてい
に
出発
しゅっぱつ
。
879
年
ねん
- コンスタンティノポリスの
教会
きょうかい
会議
かいぎ
による
総
そう
主教
しゅきょう
フォティオスの
復権
ふっけん
(- 880
年
ねん
)。
879
年
ねん
- ボソにより
下
した
ブルグント
王国
おうこく
が
独立
どくりつ
し、プロヴァンス
地方
ちほう
がその
版図
はんと
となる。
880
年
ねん
- リブモント
条約
じょうやく
により
西
にし
フランク
王国
おうこく
がロレーヌ
西部
せいぶ
を
放棄
ほうき
。カロリング
家
か
の
領土
りょうど
相続
そうぞく
争
あらそ
いが
決着
けっちゃく
する。
882
年
ねん
- オレグがリューリクの
子
こ
イーゴリを
擁
よう
してキエフを
占領
せんりょう
し、キエフ
大公
たいこう
国
こく
を
建
た
てる。
884
年
ねん
-
藤原基経
ふじわらのもとつね
によって
陽成
ようぜい
天皇
てんのう
が
事実
じじつ
上
じょう
廃位
はいい
させられ、
第
だい
58
代
だい
光孝
みつたか
天皇
てんのう
が
即位
そくい
。
885
年
ねん
- ノルマン
人
じん
のパリ
攻撃
こうげき
に
対
たい
しパリ
伯
はく
ウードらが
篭城
ろうじょう
戦
せん
( - 886
年
ねん
)。
886
年
ねん
- イングランド
王
おう
アルフレッドとデーン
王
おう
グスルムとの
間
あいだ
で
協定
きょうてい
が
結
むす
ばれる。
887
年
ねん
-
藤原基経
ふじわらのもとつね
が
初
はつ
の
関白
かんぱく
となる。
887
年
ねん
- イタリアにおけるカロリング
朝
あさ
断絶
だんぜつ
。
887
年
ねん
-
光孝
みつたか
天皇
てんのう
が
没
ぼっ
し、
第
だい
59
代
だい
宇多天皇
うだてんのう
が
即位
そくい
。
888
年
ねん
- ルドルフ1
世
せい
により
上
うえ
ブルグント
王国
おうこく
が
独立
どくりつ
し、スイス
西部
せいぶ
がその
版図
はんと
となる。
889
年
ねん
-
高望王
たかもちおう
に
平
ひら
姓
せい
を
賜
たま
う(
桓武
かんむ
平
たいら
氏
し
)。
891
年
ねん
-
宇多天皇
うだてんのう
が
菅原
すがわら
道真
みちざね
らを
登用
とうよう
して
国政
こくせい
改革
かいかく
に
着手
ちゃくしゅ
。
892
年
ねん
-
朝鮮半島
ちょうせんはんとう
で甄萱が
完
かん
山
さん
(
全
ぜん
州
しゅう
)に
後
こう
百
ひゃく
済
すみ
を
建
た
てる。
新
しん
羅
ら
が
分裂
ぶんれつ
への
道
みち
を
歩
あゆ
み
始
はじ
める。
892
年
ねん
- アッバース
朝
あさ
が
再
ふたた
びバグダードに
遷都
せんと
。
892
年
ねん
頃
ごろ
-
東
ひがし
ローマ
皇帝
こうてい
レオーン6
世
せい
により「バシリカ
法典
ほうてん
」が
出
だ
される。
893
年
ねん
- ブルガリア
王
おう
にシメオン1
世
せい
が
即位
そくい
する。
第
だい
一
いち
次
じ
ブルガリア
帝国
ていこく
は
全盛期
ぜんせいき
を
現出
げんしゅつ
。
894
年
ねん
-
菅原
すがわら
道真
みちざね
の
進言
しんげん
により、
遣唐使
けんとうし
が
廃止
はいし
される。
895
年
ねん
-
東国
とうごく
で7
年間
ねんかん
に
及
およ
ぶ
群盗
ぐんとう
蜂起
ほうき
(
寛平
かんぺい
・
延喜
えんぎ
東国
とうごく
の
乱
らん
)が
勃発
ぼっぱつ
。
896
年
ねん
- ハンガリーに
騎馬
きば
民族
みんぞく
が
定住
ていじゅう
した。
897
年
ねん
-
父
ちち
である
宇多天皇
うだてんのう
より
位
い
を
譲
ゆず
られて、
第
だい
60
代
だい
醍醐天皇
だいごてんのう
が
即位
そくい
する。
899
年
ねん
-
藤原
ふじわら
時
じ
平
へい
が
左大臣
さだいじん
に、
菅原
すがわら
道真
みちざね
が
右大臣
うだいじん
に
就任
しゅうにん
。
対立
たいりつ
が
激化
げきか
。
はなまるまとめのおと
【
日本
にっぽん
史
し
】 ホーム
【
日本
にっぽん
史
し
】
暗記
あんき
カード・カルタ
【
日本
にっぽん
史
し
】
歴史
れきし
年表
ねんぴょう
早見
はやみ
表
ひょう
【
日本
にっぽん
史
し
】
歴史
れきし
出来事
できごと
一覧
いちらん
【
日本
にっぽん
史
し
】
東海道
とうかいどう
五
ご
十
じゅう
三
さん
次
じ
【
日本
にっぽん
史
し
】
語呂合
ごろあ
わせ
投稿
とうこう
【
教材
きょうざい
】
日本
にっぽん
史
し
暗記
あんき
カード
【
教材
きょうざい
】
星座
せいざ
早見
はやみ
の
作
つく
り
方
かた
【
天体
てんたい
】
月
がつ
・
多段
ただん
式
しき
ロケット
【
天体
てんたい
】
暦
こよみ
とコペルニクス
【
天体
てんたい
】
季
き
節
ぶし
の
星座
せいざ
・クイズ
【
図鑑
ずかん
】 スキャナー
植物
しょくぶつ
図鑑
ずかん
【
生物
せいぶつ
】 めだか
観察
かんさつ
ノート
【
気象
きしょう
】 お
天気
てんき
ノート
【クイズ】 クイズを
作
つく
ろう
【クイズ】 クイズサンプル
【
学業
がくぎょう
成就
じょうじゅ
】
開運
かいうん
!
花
はな
丸
まる
神社
じんじゃ
はなまるまとめのおととは
日本
にっぽん
史
し
年表
ねんぴょう
-
近世
きんせい
史
し
【
年表
ねんぴょう
】
室町
むろまち
/
戦国
せんごく
時代
じだい
【
年表
ねんぴょう
】
安土
あづち
桃山
ももやま
時代
じだい
【
年表
ねんぴょう
】
主
おも
な
戦国
せんごく
大名
だいみょう
【
年表
ねんぴょう
】
江戸
えど
時代
じだい
【
年表
ねんぴょう
】
徳川
とくがわ
歴代
れきだい
将軍
しょうぐん
【
年表
ねんぴょう
】
幕末
ばくまつ
の
主要
しゅよう
人物
じんぶつ
【
年表
ねんぴょう
】
歴史
れきし
出来事
できごと
一覧
いちらん
はなまるペーパークラフト
【ペパクラ】
計算尺
けいさんじゃく
【ペパクラ】
空
そら
飛
と
ぶ
種子
しゅし
【ペパクラ】
星座
せいざ
早見
はやみ
盤
ばん
はなまる
自由
じゆう
研究
けんきゅう
・
工作
こうさく
【
自由
じゆう
研究
けんきゅう
】
星座
せいざ
早見
はやみ
缶
かん
【
自由
じゆう
研究
けんきゅう
】
二
に
進数
しんすう
そろばん
【
自由
じゆう
研究
けんきゅう
】
多段
ただん
式
しき
ロケット
はなまるまとめのおと
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