イングリッシュ・エレクトリック ライトニング
第 だい 92飛行 ひこう 隊 たい のF.3(XN726, c/n 95098)[注 ちゅう 1] 。
イングリッシュ・エレクトリック ライトニング (English Electric Lightning ) は、イギリス のイングリッシュ・エレクトリック 社 しゃ が開発 かいはつ し、主 おも にイギリス空軍 くうぐん で運用 うんよう された超 ちょう 音速 おんそく ジェット 戦闘 せんとう 機 き 。1960年 ねん に同社 どうしゃ の航空機 こうくうき 部門 ぶもん は国策 こくさく 企業 きぎょう のBAC に統合 とうごう されたため、BAC ライトニング とも呼 よ ばれる。
Lightning とは「稲妻 いなづま 」の意 い 。
他 た に例 れい のない、前後 ぜんご をずらした上下 じょうげ 配置 はいち の双発 そうはつ エンジンと、主翼 しゅよく 上 じょう に載 の せられた増加 ぞうか タンク。子持 こも ちシシャモ のような下 した の膨 ふく らみは、胴体 どうたい 内 ない タンクである。
2基 き のジェットエンジン を前後 ぜんご にずらした上 うえ で縦 たて に並 なら べて配置 はいち するという、量産 りょうさん された戦闘 せんとう 機 き では後 のち にも先 さき にも例 れい がないエンジン配置 はいち を採用 さいよう している。先端 せんたん の空気 くうき 取 と り入 い れ口 こう はコックピット後 うし ろで上下 じょうげ に分 わ かれ、主翼 しゅよく 下 か にあるエンジンと胴体 どうたい 後方 こうほう 上 じょう のエンジンに空気 くうき を送 おく る構造 こうぞう になっている。これは通常 つうじょう の並列 へいれつ 配置 はいち よりも胴体 どうたい を細 ほそ くでき空気 くうき 抵抗 ていこう を減 へ らすことが目的 もくてき で、片方 かたがた のエンジンが停止 ていし してもトリム が変化 へんか しないというメリットもあった。しかし、エンジンの点検 てんけん 整備 せいび や交換 こうかん 作業 さぎょう が煩雑 はんざつ になり、胴体 どうたい 内 ない に燃料 ねんりょう タンクを設 もう けるスペースがなくなるというデメリットがあった。また、高温 こうおん になりやすく、オイル漏 も れが発生 はっせい するとすぐ火災 かさい に直結 ちょっけつ するという問題 もんだい 点 てん もあり、イギリス空軍 くうぐん が損失 そんしつ した80機 き の内 うち 、約 やく 22機 き が空中 くうちゅう 火災 かさい によるものだった。エンジンの取 と り出 だ しは機体 きたい の上下 じょうげ から行 おこな い、燃料 ねんりょう タンクは機体 きたい 下部 かぶ を膨 ふく らましたような形 かたち で設置 せっち されている。
主翼 しゅよく はデルタ翼 つばさ の空 そら 力 りょく 的 てき に必要 ひつよう 性 せい が無 な いとされる内縁 ないえん 部 ぶ をカットしたような形状 けいじょう で、構造 こうぞう 上 じょう は通常 つうじょう の後退 こうたい 翼 つばさ と同 おな じであり、図 はか らずも後 ご の標準 ひょうじゅん たるクリップトデルタ翼 つばさ の始祖 しそ になったと評価 ひょうか されている。これは離着陸 りちゃくりく 時 じ にデルタ翼 つばさ 機 き のような大 だい 仰角 ぎょうかく を強 し いないものの、翼 つばさ 内 ない 燃料 ねんりょう タンクスペースは減少 げんしょう する。また、主翼 しゅよく 下面 かめん には主 しゅ 脚 あし が格納 かくのう されるため大型 おおがた のハードポイント が設置 せっち できず、増 ぞう 槽 そう のような大型 おおがた の装備 そうび は搭載 とうさい できなかった。前述 ぜんじゅつ したように胴体 どうたい 内 ない に燃料 ねんりょう タンクが設置 せっち できなかった点 てん もあり、増 ぞう 槽 そう を主翼 しゅよく 上面 うわつら に装備 そうび するという苦肉 くにく の策 さく が取 と られるなど幾 いく 度 ど かの改良 かいりょう を経 へ ても航続力 こうぞくりょく が短 みじか く、兵器 へいき 搭載 とうさい 量 りょう にも乏 とぼ しいという欠点 けってん が付 つ きまとった。
利点 りてん としてはマッハ 2.0の速度 そくど を持 も ち特 とく に運動 うんどう 性 せい が良好 りょうこう であったライトニングは、同 どう 世代 せだい のF-104 スターファイター やミラージュ III 等 ひとし にも匹敵 ひってき する制 せい 空 そら 能力 のうりょく をもち、局地 きょくち 防衛 ぼうえい を重視 じゅうし した強力 きょうりょく なエンジン推力 すいりょく は、後 のち に登場 とうじょう するF-15 イーグル やSu-27 フランカー に劣 おと らない上昇 じょうしょう 力 りょく をもっていた。本 ほん 機 き は後 のち にトーネード ADV によって更新 こうしん されるが、上昇 じょうしょう 力 りょく に関 かん しては本 ほん 機 き のほうが優 すぐ れていた。また、それまでのイギリス製 せい 戦闘 せんとう 機 き にない優 すぐ れた性能 せいのう をもつ照準 しょうじゅん 器 き を装備 そうび し、レーダー 性能 せいのう などアビオニクスの点 てん での進歩 しんぽ は著 いちじる しかった。
翼 つばさ 端 はし に車輪 しゃりん を収 おさ めるため、非常 ひじょう に薄 うす い引 ひ き込 こ み式 しき 降着 こうちゃく 装置 そうち を持 も つ。
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん の戦費 せんぴ 支出 ししゅつ で経済 けいざい 力 りょく が疲弊 ひへい したイギリスでは、クレメント・アトリー の労働党 ろうどうとう 政権 せいけん 下 か で軍事 ぐんじ 費 ひ 抑制 よくせい が図 はか られた。一方 いっぽう 、米 べい ソ はドイツ から研究 けんきゅう 人員 じんいん ごと入手 にゅうしゅ した先進 せんしん 的 てき 航空 こうくう 技術 ぎじゅつ に青天井 あおてんじょう の予算 よさん を付 つ けて発展 はってん させたため、超 ちょう 音速 おんそく 機 き の開発 かいはつ でイギリスは米 べい ソに大 おお きく立遅 たちおく れる結果 けっか を招来 しょうらい した。
1947年 ねん に軍需 ぐんじゅ 省 しょう から、将来 しょうらい 戦闘 せんとう 機 き に転換 てんかん 可能 かのう な超 ちょう 音速 おんそく 研究 けんきゅう 機 き ER.103 仕様 しよう 案 あん が公表 こうひょう されると、卓抜 たくばつ した高 こう 々度 ど 性能 せいのう の爆 ばく 撃 げき ・偵察 ていさつ 機 き キャンベラ で知 し られるテディ・ペッター (William Edward Willoughby "Teddy" Petter ) 主任 しゅにん 技師 ぎし 以下 いか イングリッシュ・エレクトリック社 しゃ のチームが、フェアリー 社 しゃ のデルタ 2 (FD-2)と共 とも に呼応 こおう し、両機 りょうき は実現 じつげん に向 む けての基礎 きそ 研究 けんきゅう が開始 かいし された。
P.1A マンチェスター 科学 かがく 技術 ぎじゅつ 博物館 はくぶつかん の展示 てんじ 機 き
P.1とP.1Aの側面 そくめん 比較 ひかく
イングリッシュ・エレクトリック社 しゃ (以下 いか 、EE)はロイヤル・エアクラフト・エスタブリッシュメント (RAE) と協 きょう 働 はたらか して、ロールス・ロイス エイヴォン を縦 たて 置 お き双発 そうはつ とし、テーパー (Taper) の無 な い鋭 するど 後退 こうたい 角 かく 矩形 くけい 薄 うすき 翼 つばさ 、低 てい 位置 いち の水平 すいへい 尾翼 びよく を持 も ち、高度 こうど 3万 まん フィートでマッハ 1.5を目指 めざ す斬新 ざんしん なコンセプトを纏 まと め上 あ げた。
1948年 ねん 12月に同様 どうよう の外形 がいけい を持 も つ無 む 動力 どうりょく グライダーを製作 せいさく し試験 しけん が行 おこな われた結果 けっか 、1949年 ねん 5月、ER.103 を元 もと に超 ちょう 音速 おんそく 迎撃 げいげき 機 き 化 か する計画 けいかく 案 あん F23/49 (1949会計 かいけい 年度 ねんど 戦闘 せんとう 機 き 43号 ごう 仕様 しよう 書 しょ )が軍需 ぐんじゅ 省 しょう で承認 しょうにん され、P.1 の名 な で試作 しさく 機 き の発注 はっちゅう を受 う けたが、エイヴォンの実用 じつよう 化 か はサージング 問題 もんだい に直面 ちょくめん し遅延 ちえん していたため、一回 ひとまわ り小 ちい さいアームストロング・シドレー サファイア Sa.5 を繋 つな ぎに搭載 とうさい する事 こと になった。
P.1 計画 けいかく 着手 ちゃくしゅ 時 じ より、主 おも に水平 すいへい 尾翼 びよく の取付 とりつけ 位置 いち を巡 めぐ ってEE社 しゃ と RAE との間 あいだ で論争 ろんそう が巻 ま き起 お こり(当時 とうじ 、イギリスには超 ちょう 音速 おんそく 風洞 ふうどう が存在 そんざい しなかった)、T字 じ 尾翼 びよく 案 あん を主張 しゅちょう する RAE は、競 きおい 業 ぎょう 社 しゃ のショート・ブラザーズ 社 しゃ にダーウェント 単発 たんぱつ 、固定 こてい 脚 あし の小型 こがた 試験 しけん 機 き ショート SB5 (英語 えいご 版 ばん ) を急造 きゅうぞう させ、飛行 ひこう 試験 しけん を敢行 かんこう した。SB/5 は RAE 案 あん に沿 そ った後退 こうたい 角 かく 50度 ど の主翼 しゅよく とT字 じ 尾翼 びよく で進 すすむ 空 そら したが、ピッチアップ 癖 くせ が顕著 けんちょ で、EE社 しゃ 案 あん の正当 せいとう 性 せい が実証 じっしょう された。SB/5 では3種 しゅ の異 こと なる主翼 しゅよく 後退 こうたい 角 かく がテストされた結果 けっか 、原案 げんあん 通 どお り60度 ど が採用 さいよう されたが、大 だい 仰角 ぎょうかく 時 じ の剥離 はくり 流 りゅう をコントロールするため外 そと 翼 つばさ 前 ぜん 縁 えん にソーカットが新設 しんせつ された。
それと前後 ぜんご して、キャンベラ試作 しさく 機 き の進 すすむ 空 そら (1949年 ねん )を見届 みとど けたペッターはEE社 しゃ を辞 じ し、一族 いちぞく が経営 けいえい するヘリコプター専業 せんぎょう のウエストランド・エアクラフト 社 しゃ へ戻 もど ってしまったため、P.1 の開発 かいはつ はフレデリック・ペイジ (英語 えいご 版 ばん ) 、後 ご のブリティッシュ・エアロスペース 社民 しゃみん 間 あいだ 機 き 事業 じぎょう 部長 ぶちょう が引 ひ き継 つ ぐ事 こと になったが、この間 あいだ 、高々 たかだか 度 ど を高速 こうそく で飛来 ひらい するキャンベラを要撃 ようげき 可能 かのう な戦闘 せんとう 機 き が自国 じこく に無 な い状態 じょうたい が続 つづ いた。
試作 しさく 機 き P.1A 1号機 ごうき (WG760) は1954年 ねん 5月にロールアウト 、8月 がつ 4日 にち に初 はつ 飛行 ひこう し、水平 すいへい 飛行 ひこう でマッハ1.2、緩 なる 降下 こうか でマッハ1.4をアフターバーナー 無 な しのサファイアで記録 きろく する、素性 すじょう の良 よ さを示 しめ した。P.1A 2号機 ごうき (WG763) は最初 さいしょ からフェランティ 社 しゃ 製 せい AI.23 (英語 えいご 版 ばん ) 火器 かき 管制 かんせい 装置 そうち 、ADEN 砲 ほう 、後 ご のファイアストリーク であるDH ブルージェイ(Blue Jay) パッシブホーミング空 そら 対空 たいくう ミサイル を備 そな え、航続力 こうぞくりょく 不足 ふそく を補 おぎな うため胴体 どうたい 下部 かぶ に着脱 ちゃくだつ 式 しき 増 ぞう 槽 そう を付加 ふか して実用 じつよう 化 か 試験 しけん に供 きょう された一方 いっぽう 、1号機 ごうき は待望 たいぼう のアフターバーナー付 づけ サファイアに換 かわ 装 そう され、超 ちょう 音速 おんそく 試験 しけん のフィードバックから数々 かずかず の改良 かいりょう が施 ほどこ された。
推力 すいりょく 6000kgと強力 きょうりょく なエイヴォン 200R (RA.24) を搭載 とうさい し、機首 きしゅ の空 そら 気取 きどり 入口 いりくち にレドーム 兼用 けんよう のショックコーンを設 もう けた、戦闘 せんとう 機 き 型 がた 増加 ぞうか 試作 しさく 機 き P.1B は1957年 ねん 4月 がつ 4日 にち に初 はつ 飛行 ひこう し、2年間 ねんかん に20機 き が製作 せいさく され、1958年 ねん のファーンボロー国際 こくさい 航空 こうくう ショー の場 ば で「ライトニング」という名称 めいしょう が初 はじ めて公表 こうひょう された。一方 いっぽう 、P.1 開発 かいはつ 中 ちゅう の1956年 ねん 10月6日 にち 、同 おな じエイヴォン単発 たんぱつ のライバル、フェアリー デルタ2(FD-2)は1811km/hの世界 せかい 速度 そくど 記録 きろく を樹立 じゅりつ するが、P.1 との競争 きょうそう に破 やぶ れ制式 せいしき 採用 さいよう されずに終 お わった。FD-2 1号機 ごうき (WG774) は1960年 ねん 以降 いこう BAC 221 と改名 かいめい され、オージー翼 つばさ に改造 かいぞう されてコンコルド 開発 かいはつ の基礎 きそ データ収集 しゅうしゅう に充 あ てられた。
P.1B 改 あらた めライトニング F.1は50機 き が発注 はっちゅう されたが、20号機 ごうき は地上 ちじょう 試験 しけん 用 よう に指定 してい された後 のち キャンセル、次 つぎ の2機 き は複 ふく 座 ざ 練習 れんしゅう 機 き 型 かた の試作 しさく 機 き となり、以降 いこう は全 すべ て小 しょう 改良 かいりょう を加 くわ えたライトニング F.1Aとして生産 せいさん された。実戦 じっせん 配備 はいび は翌 よく 1959年 ねん から進 すす められたが、マクミラン 保守党 ほしゅとう 政権 せいけん のダンカン・サンズ (英語 えいご 版 ばん ) 国防 こくぼう 相 しょう は有名 ゆうめい な1957年度 ねんど 国防 こくぼう 白書 はくしょ に於 お いて、空軍 くうぐん の主力 しゅりょく を有人 ゆうじん 機 き からミサイルに転換 てんかん する大 だい 方針 ほうしん を打 う ち出 だ し、ライトニング以外 いがい の軍用 ぐんよう 機 き は開発 かいはつ 段階 だんかい の如何 いか に関 かか わらず、原則 げんそく として計画 けいかく が中止 ちゅうし されてしまった。このためライトニングはイギリスにおいて、「最後 さいご の有人 ゆうじん 戦闘 せんとう 機 き 」と呼 よ ばれ、事実 じじつ 、2014年 ねん 現在 げんざい に至 いた るまで、イギリスが単独 たんどく で開発 かいはつ した超 ちょう 音速 おんそく 戦闘 せんとう 機 き としては最初 さいしょ でありながら最後 さいご の事例 じれい 、戦闘 せんとう 機 き として当初 とうしょ から開発 かいはつ された機体 きたい としても最後 さいご のものとなった(ただし他国 たこく との共同 きょうどう 開発 かいはつ や、他 た 目的 もくてき の機体 きたい を戦闘 せんとう 機 き として転用 てんよう した例 れい はある)。
ライトニングは第 だい 一線 いっせん で使用 しよう されていたホーカー ハンター 、グロスター ジャベリン のパイロットに歓迎 かんげい されたが、マスメディアに注目 ちゅうもく されていたこともあって初期 しょき に受領 じゅりょう した部隊 ぶたい は一種 いっしゅ のお披露目 ひろめ を行 おこな わなければならなかった。
1960年 ねん 12月14日 にち 、イギリス空軍 くうぐん の第 だい 56飛行 ひこう 隊 たい がF.1Aの配備 はいび を開始 かいし し、1964年 ねん にライトニングを装備 そうび した防空 ぼうくう 部隊 ぶたい が編成 へんせい され、防空 ぼうくう 部隊 ぶたい は侵入 しんにゅう する高 こう 々度 ど 高速 こうそく 爆撃 ばくげき 機 き に対処 たいしょ するため、たびたびスクランブル発進 はっしん して要撃 ようげき に向 む かった。イギリス本国 ほんごく だけでなく西 にし ドイツ やキプロス 、シンガポール にも駐留 ちゅうりゅう し、防空 ぼうくう 任務 にんむ に従事 じゅうじ した。1970年 ねん を過 す ぎると低空 ていくう を侵入 しんにゅう する高速 こうそく 機 き も現 あら われ始 はじ めたが、ライトニングは運動 うんどう 性 せい を生 い かして防空 ぼうくう 任務 にんむ を続 つづ けることができた。
イングリッシュ・エレクトリック社 しゃ はエイヴォン Mk 210 ジェットエンジンを搭載 とうさい して計器 けいき 盤 ばん を一新 いっしん したライトニング F.2 を開発 かいはつ し、1961年 ねん 7月 がつ 11日 にち に初 はつ 飛行 ひこう を実施 じっし 。1962年 ねん 12月 にイギリス空軍 くうぐん は現行 げんこう のライトニングと交代 こうたい させるためF.2を受領 じゅりょう した。加 くわ えて、コックピットを並列 へいれつ 複 ふく 座 ざ とした練習 れんしゅう 機 き 型 がた も配備 はいび され始 はじ めた。
主翼 しゅよく 上面 うわつら に増 ふえ 槽 そう を搭載 とうさい したライトニング F.6
さらに、イングリッシュ・エレクトリック社 しゃ は新型 しんがた の攻撃 こうげき システムを搭載 とうさい し、ルックダウン・レーダー、慣性 かんせい 航法 こうほう 機器 きき 、ミサイルシステムの一新 いっしん などを盛 も り込 こ んだ発展 はってん 型 がた の開発 かいはつ を進 すす め、ライトニング F.3 として提案 ていあん を行 おこな ったが、イギリス空軍 くうぐん はホーカー P.1154 やBAC TSR-2 など新型 しんがた 機 き の登場 とうじょう を期待 きたい しており、政府 せいふ も予算 よさん を理由 りゆう に採用 さいよう することはなかった。結局 けっきょく 、ライトニング F.3は新型 しんがた 機 き が登場 とうじょう するまでの間 あいだ を埋 う めるための機体 きたい として、エンジンの換 かわ 装 そう といったF.2の小 しょう 改良 かいりょう に留 と めて約 やく 70機 き が生産 せいさん された。
F.3に改良 かいりょう を加 くわ えたライトニング F.3A は胴体 どうたい 下部 かぶ 燃料 ねんりょう タンクを大型 おおがた 化 か すると共 とも に、主翼 しゅよく 上面 うわつら に増 ふえ 槽 そう を搭載 とうさい できるようになり、ライトニング F.6 として正式 せいしき に量産 りょうさん された。一部 いちぶ のF.2もほぼ同 どう 仕様 しよう に改修 かいしゅう されライトニング F.2A となった。多 た 用途 ようと 性 せい を付加 ふか する計画 けいかく も本格 ほんかく 化 か したが、イギリス空軍 くうぐん は多 た 用途 ようと 型 がた に関心 かんしん を持 も たなかったため後述 こうじゅつ する輸出 ゆしゅつ 向 む けとして開発 かいはつ されることとなった。さらに主翼 しゅよく を可変 かへん 翼 つばさ とした複 ふく 座 ざ 艦上 かんじょう 戦闘 せんとう 機 き 型 かた も提案 ていあん のみに終 お わったため、イギリスのライトニングは終始 しゅうし 迎撃 げいげき 戦闘 せんとう 機 き として運用 うんよう されることとなった。その後 ご 、P.1154やTSR-2がキャンセルされてしまうと、イギリスはF-104 スターファイターの後継 こうけい 機 き であるパナヴィア トーネード ADV の国際 こくさい 共同 きょうどう 開発 かいはつ に参加 さんか することになった。
20年 ねん 以上 いじょう もイギリスの防空 ぼうくう などを担当 たんとう したライトニングだったが、1974年 ねん にライトニングの転換 てんかん 訓練 くんれん 部隊 ぶたい である第 だい 226転換 てんかん 訓練 くんれん 部隊 ぶたい (No. 226 Operational Convarsion Unit)も解散 かいさん され、第 だい 一線 いっせん 用 よう の部隊 ぶたい はライトニングからブリティッシュ ファントム やトーネード ADVと交代 こうたい していった。最後 さいご まで残 のこ っていた実戦 じっせん 部隊 ぶたい のうち第 だい 5飛行 ひこう 隊 たい が1987年 ねん に解散 かいさん 、第 だい 11飛行 ひこう 隊 たい も1988年 ねん に解 かい 隊 たい された。現在 げんざい は前線 ぜんせん から退 しりぞ いた状態 じょうたい である。
イギリス空軍 くうぐん のライトニング配備 はいび 部隊 ぶたい 一覧 いちらん
ライトニングの一部 いちぶ は、イギリスが開催 かいさい するエアショーであるロイヤル・インターナショナル・エアタトゥー (英語 えいご 版 ばん ) で稼働 かどう する姿 すがた が確認 かくにん されている。なお、このショーに参加 さんか する他 ほか の機体 きたい にも言 い えることが、機体 きたい はタキシングとエンジン点火 てんか のみしか見 み せていない。
その他 た 、[いつ? ] 南 みなみ アフリカ のケープタウン にあるサンダーシティ (英語 えいご 版 ばん ) 社 しゃ で、複 ふく 座 ざ 型 がた が遊覧 ゆうらん 飛行 ひこう 用 よう として使用 しよう されている。
海外 かいがい での採用 さいよう 国 こく [ 編集 へんしゅう ]
クウェート空軍 くうぐん のライトニング F.53K
ライトニングは優 すぐ れた戦闘 せんとう 機 き であったが、ハードポイントの増設 ぞうせつ やレーダーの換 かわ 装 そう により多 た 用途 ようと 性 せい が付加 ふか された輸出 ゆしゅつ 型 がた の海外 かいがい セールスは同 どう 時期 じき の他国 たこく の戦闘 せんとう 機 き と比較 ひかく するとあまり芳 かんば しくなく、わずかにサウジアラビア とクウェート が導入 どうにゅう したのみであった。
西 にし ドイツ空軍 くうぐん に採用 さいよう を働 はたら きかけたこともあったが、イギリス政府 せいふ の支援 しえん を得 え られなかったことによりF-104G スターファイター に敗 やぶ れてしまった。
日本 にっぽん の航空 こうくう 自衛隊 じえいたい による「第 だい 2次 じ 次期 じき 主力 しゅりょく 戦闘 せんとう 機 き 導入 どうにゅう 計画 けいかく (第 だい 2次 じ F-X )」の候補 こうほ 機 き に名前 なまえ が挙 あ げられたこともあるが、あくまで「第 だい 1次 じ 調査 ちょうさ 」における予備 よび 候補 こうほ の域 いき を出 で ることはなかった。
サウジアラビア に導入 どうにゅう されたライトニングはイエメン との紛争 ふんそう に投入 とうにゅう され主 おも に対地 たいち 攻撃 こうげき に使用 しよう された。
前部 ぜんぶ 胴体 どうたい 両側 りょうがわ のパイロンに、ファイアストリーク あるいはレッドトップ (F.3以降 いこう )空 そら 対空 たいくう ミサイルを2発 はつ 搭載 とうさい する。この部分 ぶぶん はミサイルパックとして独立 どくりつ しており、後述 こうじゅつ する他 ほか の装備 そうび に換 かわ 装 そう することが可能 かのう だった。
初期 しょき 型 がた は、固定 こてい 武装 ぶそう として機首 きしゅ 上面 うわつら に30mm ADEN機関 きかん 砲 ほう を2門 もん 装備 そうび しており、ミサイルパックと交換 こうかん でさらに2門 もん 追加 ついか することも可能 かのう だった。ただ、機首 きしゅ 上面 うわつら の機関 きかん 砲 ほう は発射 はっしゃ 時 じ のガスとフラッシュがパイロットの視界 しかい を妨 さまた げるため歓迎 かんげい されず、発射 はっしゃ 口 こう を塞 ふさ いでしまう機体 きたい もあり、F.3では完全 かんぜん に撤去 てっきょ された。F.3A以降 いこう は胴体 どうたい 下 か 燃料 ねんりょう タンクの前部 ぜんぶ を機関 きかん 砲 ほう パックと交換 こうかん することが可能 かのう となり、再 ふたた び装備 そうび できるようになった。練習 れんしゅう 機 き 型 がた は機関 きかん 砲 ほう を装備 そうび していないが、単座 たんざ 型 がた と同 おな じレーダーと空 そら 対空 たいくう ミサイル運用 うんよう 能力 のうりょく を持 も ち、戦闘 せんとう 能力 のうりょく を維持 いじ している。
F.3Aから主翼 しゅよく 上面 うわつら に搭載 とうさい 可能 かのう となった増 ぞう 槽 そう は、フェリー飛行 ひこう 用 よう のため戦闘 せんとう 任務 にんむ には使用 しよう されないが、緊急 きんきゅう 時 じ には尾翼 びよく に衝突 しょうとつ しないよう角度 かくど をつけて切 き り離 はな すことができた。
輸出 ゆしゅつ 型 がた では、ミサイルパックを引 ひ き込 こ み式 しき ロケット弾 だん パックや写真 しゃしん 偵察 ていさつ 用 よう カメラパックに換 かわ 装 そう することができた。
付与 ふよ コードについては軍用 ぐんよう 機 き の命名 めいめい 規則 きそく (イギリス) のマーク・ナンバーを参照 さんしょう 。
P.1
試作 しさく 型 がた のシリーズ。無印 むじるし のP.1と-A/Bとは機体 きたい 側面 そくめん 形状 けいじょう 等 とう が異 こと なる。
P.1A
サファイア エンジンを搭載 とうさい した試作 しさく 型 がた 。機体 きたい 下面 かめん に燃料 ねんりょう タンクを増設 ぞうせつ 。試作 しさく 機 き 2機 き 、静止 せいし 試験 しけん 用 よう 機体 きたい 1機 き 製造 せいぞう 。
P.1B
P.1Aのエンジンをエイヴォン エンジンに変更 へんこう した増加 ぞうか 試作 しさく 型 がた 。23機 き 製造 せいぞう 。
ライトニング F.1
P.1Bの量産 りょうさん 型 がた 。19機 き 製造 せいぞう 。
ライトニング F.1A
空中 くうちゅう 給油 きゅうゆ 装置 そうち を付加 ふか した改修 かいしゅう 型 がた 。28機 き 製造 せいぞう 。
ライトニング F.2
エイヴォン 210R エンジンを搭載 とうさい した型 かた 。8機 き 配備 はいび 。他 た に製造 せいぞう されていた31機 き はF.2Aに改装 かいそう 。更 さら に5機 き がF.52に改装 かいそう され輸出 ゆしゅつ 。
ライトニング F.2A
31機 き のF.2を改装 かいそう して配備 はいび された、F.2にF.6相当 そうとう の主翼 しゅよく と垂直 すいちょく 尾翼 びよく を組 く み合 あ わせ、胴体 どうたい 下部 かぶ 燃料 ねんりょう タンク取 と り付 つ けの改装 かいそう を行 おこな った改良 かいりょう 型 がた 。
ライトニング F.3
61機 き 配備 はいび されたエイヴォン 301 エンジン搭載 とうさい 。機関 きかん 砲 ほう 除去 じょきょ 。レーダー改装 かいそう とレッドトップ空 そら 対空 たいくう ミサイル運用 うんよう 能力 のうりょく 追加 ついか 、垂直 すいちょく 尾翼 びよく 大型 おおがた 化 か など。その後 ご 9機 き がF.6に改装 かいそう 。
ライトニング F.3A
1機 き 製造 せいぞう ・配備 はいび された胴体 どうたい 下部 かぶ 燃料 ねんりょう タンク大型 おおがた 化 か による燃料 ねんりょう 容量 ようりょう 増加 ぞうか 。改良 かいりょう 型 がた 主翼 しゅよく の採用 さいよう 。F.6のテスト機 き 的 てき な存在 そんざい で、暫定 ざんてい 型 がた F.6とも呼 よ ばれる。その後 ご 15機 き がF.6に改装 かいそう された。
ライトニング T.4
16機 き 製造 せいぞう ・試作 しさく 型 がた 2機 き 製造 せいぞう されたF.1Aを基 もと にした並列 へいれつ 複 ふく 座 ざ の練習 れんしゅう 機 き 型 がた 。その後 ご 2機 き がT.5試作 しさく 機 き に、更 さら に2機 き がT.54型 がた に改造 かいぞう された。
ライトニング T.5
22機 き 製造 せいぞう されたF.3の並列 へいれつ 複 ふく 座 ざ 練習 れんしゅう 機 き 型 がた 。
ライトニング F.6
61機 き 配備 はいび (初期 しょき 新造 しんぞう 39機 き 、F.3A改装 かいそう 15機 き 、F.3改造 かいぞう 9機 き )された主翼 しゅよく 上 じょう に大型 おおがた 増 ぞう 槽 そう が装備 そうび 可能 かのう で胴体 どうたい 内部 ないぶ に機関 きかん 砲 ほう が再 さい 装備 そうび される改良 かいりょう 型 がた 。その後 ご 、1機 き がF.53に改造 かいぞう された。他 た 、1機 き が配備 はいび 前 まえ に事故 じこ により墜落 ついらく 。
シーライトニング FAW.1
艦上 かんじょう 戦闘 せんとう 機 き 仕様 しよう 。可変 かへん 翼 つばさ を有 ゆう しており練習 れんしゅう 機 き 型 がた と同様 どうよう の並列 へいれつ 複 ふく 座 ざ を採用 さいよう 。しかし、この様 よう な艦上 かんじょう 機 き を運用 うんよう 可能 かのう な航空 こうくう 母艦 ぼかん が突如 とつじょ 1978年 ねん に退役 たいえき してしまい、そのシーライトニングの姿 すがた がイギリス海軍 かいぐん に現出 げんしゅつ することはなかった。構想 こうそう のみ。
ライトニング F.52
5機 き のF.2を改修 かいしゅう したF.2のサウジアラビア仕様 しよう 。
ライトニング F.53
34機 き 製造 せいぞう されたF.6のサウジアラビア仕様 しよう (内 うち 、1機 き はF.6の改装 かいそう )。主翼 しゅよく 外側 そとがわ 下部 かぶ に一 いち 箇所 かしょ ずつハードポイントを装備 そうび し、68 mm 19連装 れんそう ロケット弾 だん ポッド4基 き または 1,000ポンド (450 kg) 爆 ばく 弾 だん 2発 はつ が装備 そうび 可能 かのう になり、レーダーも多 た 用途 ようと 型 がた に改装 かいそう 。
ライトニング T.54
T.4型 がた を2機 き 改造 かいぞう (買取 かいとり )したサウジアラビア仕様 しよう 。
ライトニング T.55
6機 き 製造 せいぞう されたT.5のサウジアラビア仕様 しよう 。T.5の機体 きたい にF.6の主翼 しゅよく と腹部 ふくぶ 燃料 ねんりょう タンクを取 と り付 つ けたもの。
ライトニング F.53K
12機 き 製造 せいぞう されたF.6のクウェート仕様 しよう 。F.53に相当 そうとう 。
ライトニング T.55K
2機 き 配備 はいび されたT.5を元 もと にしたのクウェート仕様 しよう 。T.55に相当 そうとう 。
ライトニング F.1A(XM215)。
第 だい 111
飛行 ひこう 隊 たい の
所属 しょぞく 機 き (
1961年 ねん の
撮影 さつえい )
ライトニング F.2A
イングランド 、
ノッティンガムシャー州 しゅう バルダートン(Balderton)
郊外 こうがい のスクラップヤードに
展示 てんじ されていた
機体 きたい [注 ちゅう 5] 。
ドラッグシュートを
展開 てんかい して
着陸 ちゃくりく する、
第 だい 11
飛行 ひこう 隊 たい のライトニング F.3(XP702)。
1980年 ねん の
撮影 さつえい
ライトニング F.6(XS899)
第 だい 5
飛行 ひこう 隊 たい の
所属 しょぞく 機 き 。
1992年 ねん の
撮影 さつえい
1964年 ねん のファーンボロ
航空 こうくう ショーで
一般 いっぱん 展示 てんじ 中 ちゅう の ライトニング T.4(XM974, c/n 95074)。
第 だい 74
飛行 ひこう 隊 たい の
所属 しょぞく 機 き 。
[注 ちゅう 6]
ライトニング T.55(55-713)
イングランド 、
ウォリックシャー州 しゅう のミッドランド
航空 こうくう 博物館 はくぶつかん の
展示 てんじ 機 き 。
2007年 ねん の
撮影 さつえい
性能 せいのう 諸 しょ 元 もと (F.6)[ 編集 へんしゅう ]
ライトニングF.6 側面 そくめん 図 ず
出典 しゅってん : Air Vectors[1] .
諸 しょ 元 もと
性能 せいのう
最大 さいだい 速度 そくど : 高々 たかだか 度 ど においてマッハ 2.27 (1,500 mph , 2,415 km/h)
戦闘 せんとう 行動 こうどう 半径 はんけい : 1,287 km (800 海里 かいり )
フェリー飛行 ひこう 時 じ 航続 こうぞく 距離 きょり : 2,500 km (1,560 海里 かいり )
実用 じつよう 上昇 じょうしょう 限度 げんど : 18,000 m (60,000 ft)
上昇 じょうしょう 率 りつ : 255 m/s (50,000ft/min)
推力 すいりょく 重量 じゅうりょう 比 ひ : 0.63
最大 さいだい 翼 つばさ 面 めん 荷重 におも : 428.6 kg/m2 (87.9 lb/ft2 )
武装 ぶそう
固定 こてい 武装 ぶそう
オプション兵 へい 装 そう :前部 ぜんぶ 胴体 どうたい 兵 へい 装 そう パックに以下 いか のいずれか1種類 しゅるい を追加 ついか 装備 そうび 可能 かのう 。
ミサイルパック:ファイアストリーク 赤外線 せきがいせん 誘導 ゆうどう 対空 たいくう ミサイル 2発 はつ
ミサイルパック:レッドトップ 赤外線 せきがいせん 誘導 ゆうどう 対空 たいくう ミサイル 2発 はつ
ロケット弾 だん パック:着脱 ちゃくだつ 式 しき 2インチ (51mm) 44連装 れんそう ロケット弾 だん (輸出 ゆしゅつ 型 がた のみ)
ガンパック:ADEN 30mm機関 きかん 砲 ほう 2門 もん (砲弾 ほうだん 130発 はつ )
写真 しゃしん 偵察 ていさつ パック:70mmカメラ 5台 だい
アビオニクス : フェランティ AI.23 (英語 えいご 版 ばん ) 火器 かき 管制 かんせい レーダー
脚注 きゃくちゅう ・出典 しゅってん [ 編集 へんしゅう ]
^ ファーンボロの第 だい 92飛行 ひこう 隊 たい 所属 しょぞく 。特徴 とくちょう 的 てき な前 ぜん 縁 えん 二 に 重 じゅう 後退 こうたい 角 かく と大型 おおがた 化 か された腹部 ふくぶ 増 ぞう 槽 そう 、外側 そとがわ 引込 ひきこめ 脚 あし が分 わ かる(1964年 ねん の撮影 さつえい )。
^ 1971年 ねん に解 かい 隊 たい された第 だい 74飛行 ひこう 隊 たい の機体 きたい を受領 じゅりょう 。
^ アクロティリ空軍 くうぐん 基地 きち についてはアクロティリおよびデケリア も参照 さんしょう のこと。
^ 1984年 ねん に、RAF ワティシャムにて米 べい 海軍 かいぐん 中古 ちゅうこ のF-4Jを改造 かいぞう したF-4J(UK)を装備 そうび して再 さい 編成 へんせい
^ 画像 がぞう は1992年 ねん に撮影 さつえい されたもので、現在 げんざい では破損 はそん が進 すす んでいる
^ 同機 どうき は1972年 ねん 12月14日 にち 、空中 くうちゅう 火災 かさい で北海 ほっかい に墜落 ついらく 、喪失 そうしつ された。
参考 さんこう 資料 しりょう :「週刊 しゅうかん ワールド・エアクラフト」デアゴスティーニ・ジャパン , "World Air Power Journal", 文 ぶん 林堂 はやしどう 「世界 せかい の傑作 けっさく 機 き No.80 E.E./BAC ライトニング」