フィリピン

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フィリピン共和きょうわこく
Republika ng Pilipinas(フィリピン
Republic of the Philippines英語えいご
フィリピンの国旗 フィリピンの国章
国旗こっき くにあきら
くに標語ひょうごMaka-Diyos, Maka-Tao, Makakalikasan at Makabansa
(タガログ: かみ国民こくみん自然しぜんくにへの愛情あいじょうのために)
国歌こっかLupang Hinirang(タガログ
最愛さいあい
フィリピンの位置
公用こうよう フィリピン 
英語えいご
首都しゅと マニラマニラ首都しゅとけん[1]
最大さいだい都市とし ケソンルソン島るそんとう
セブビサヤ諸島しょとう
ダバオミンダナオ島みんだなおとう
政府せいふ
大統領だいとうりょう ボンボン・マルコス
ふく大統領だいとうりょう サラ・ドゥテルテ
元老げんろういん議長ぎちょうフアン・ミゲル・スビリ
代議だいぎいん議長ぎちょうマーティン・ロムアルデス英語えいごばん
最高さいこう裁判所さいばんしょ長官ちょうかんアレクサンダー・ゲスムンド英語えいごばん
面積めんせき
総計そうけい 299,404[2]km270
水面すいめんせきりつ 0.61%
人口じんこう
総計そうけい2020ねん 109,581,000[3]ひと13
人口じんこう密度みつど 367.5[3]ひと/km2
GDP自国じこく通貨つうか表示ひょうじ
合計ごうけい2020ねん 17ちょう9385おく8400まん[4]フィリピン・ペソ
GDP(MER
合計ごうけい2020ねん3614おく8900まん[4]ドル(31
1人ひとりあたり 3322.512[4]ドル
GDP(PPP
合計ごうけい2020ねん9192おく9300まん[4]ドル(27
1人ひとりあたり 8449.381[4]ドル
独立どくりつ
 - 宣言せんげん

 - 承認しょうにん
スペインから
1898ねん6月12にち
大日本帝国だいにっぽんていこくから
1943ねん10月14にち
アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくから
1946ねん7がつ4にち
通貨つうか フィリピン・ペソPHP
時間じかんたい UTC+8 (DST:なし)
ISO 3166-1 PH / PHL
ccTLD .ph
国際こくさい電話でんわ番号ばんごう 63

フィリピン共和きょうわこく(フィリピンきょうわこく、フィリピン/タガログ: Republika ng Pilipinasえい: Republic of the Philippinesスペイン: Republica dè Islas Filipinas) 通称つうしょうフィリピンは、東南とうなんアジア位置いちする立憲りっけん共和きょうわせい国家こっか。7641の島々しまじまがある島国しまぐにであり、そのうち有人ゆうじんとうらすそう人口じんこうは1おくにんえる[2]首都しゅとルソン島るそんとうにあるマニラまたはマニラ首都しゅとけん[1]

最大さいだい都市としルソン島るそんとうでは人口じんこういちきゅう首都しゅとケソンビサヤ諸島しょとうでは大都市だいとしセブミンダナオ島みんだなおとうでは面積めんせきおおきいダバオである。

概要がいよう[編集へんしゅう]

フィリピン諸島しょとうは、フィリピンうみはさんで日本にっぽんパラオバシー海峡かいきょうはさんで台湾たいわんスールーうみはさんでマレーシアセレベスかいはさんでインドネシア南シナ海みなみしなかいはさんで中国ちゅうごくおよびベトナムかい。南シナ海みなみしなかいスプラトリー諸島しょとう一部いちぶ実効じっこう支配しはいしており(パグアサとうなど)、全体ぜんたい領有りょうゆうけん領海りょうかい排他はいたてき経済けいざい水域すいいきめぐっては中国ちゅうごく、ベトナム、台湾たいわん、マレーシアと対立たいりつかかえる。

同国どうこくは81のしゅうと1の首都しゅと地域ちいき構成こうせいされ、最小さいしょう行政ぎょうせい単位たんいバランガイ(Barangay)で4まん2027にのぼる。

国名こくめいのフィリピンは16世紀せいききゅう宗主そうしゅこくのスペイン皇太子こうたいしフェリペフェリペ2せい国王こくおう)の名前なまえから命名めいめいされた。

国名こくめい[編集へんしゅう]

スペインおうフェリペ2せい

正式せいしき名称めいしょうは、タガログではRepublika ng Pilipinasレプブリカ ナン ピリピーナス)、英語えいごでは、Republic of the Philippinesリパブリク オヴ ザ フィリピーンズ)、スペインでは、República de Filipinas (レプブリカ デ フィリピーナス)。略称りゃくしょうは、Pilipinasフィリピン)、the Philippines英語えいご)、Filipinasスペイン)。

日本語にほんご表記ひょうきによる正式せいしき名称めいしょうわけフィリピン共和きょうわこく通称つうしょうフィリピンである。かつてはフイリッピンヒリピンという表記ひょうきもなされていた。漢字かんじによる表記ひょうきは、りつまろうど[5]菲律まろうどで、比島ひしまりゃくされる。

国名こくめいは、1542ねんに、スペイン帝国ていこく皇太子こうたいしフェリペ(のちの国王こくおうフェリペ2せい)のから、スペインじん征服せいふくしゃルイ・ロペス・デ・ビリャロボスによってイスラス・フィリピナス諸島しょとう(フェリペの島々しまじま)[6]づけられたことに由来ゆらいする。現在げんざい国号こくごう表記ひょうきはアルファベット表記ひょうきはすべて「-s」と複数ふくすうがた表記ひょうきされており、これはアメリカ植民しょくみん当局とうきょくがかつてこのくにをフィリピン諸島しょとう(the Philippine Islands)とび、これをフィリピン(the Philippines)と変更へんこうしたものを、1935ねん憲法けんぽうに「フィリピン共和きょうわこく(Republic of the Philippines)」と記載きさいした経緯けいいによる。

このような歴史れきしてき背景はいけいから、植民しょくみん時代じだい残滓ざんしだという立場たちばからの国名こくめい変更へんこうろんもある。国民こくみんてき英雄えいゆうなされる独立どくりつ運動うんどうアンドレス・ボニファシオは、「タガログじん国家こっか」を意味いみする「カタガルガン」をしていた[7]だい10代大統領だいとうりょうフェルディナンド・マルコスは、サンスクリット由来ゆらいし「気高けだか誕生たんじょうした」を意味いみするとされる「マハルリカ」に変更へんこうしようとした[7][8]ロドリゴ・ドゥテルテ大統領だいとうりょうも「マハルリカ」への変更へんこうたいする共感きょうかん表明ひょうめいしている[8]

歴史れきし[編集へんしゅう]

フィリピン歴史れきし

この記事きじシリーズ一部いちぶです。

フィリピン ポータル

先史せんし時代じだい[編集へんしゅう]

タガログじん男女だんじょ

フィリピンの歴史れきし多様たよう民族みんぞくによってりなされてきた。フィリピン諸島しょとうもっとふる民族みんぞくは25,000~30,000ねんまえ移住いじゅうしてきたネグリトぞくつぎしん石器せっき文化ぶんかった原始げんしマレー。こののちが、棚田たなだ水田すいでん農耕のうこうったマレーである。

更新こうしん中期ちゅうき遺跡いせきとして、ルソン島るそんとう北部ほくぶカガヤン渓谷けいこくにあるリワン遺跡いせき発見はっけんされている。そこからエレファス(古代こだいぞう)、ステゴドン(ステゴドンぞう)、ライノセラス(古代こだいサイ)などの絶滅ぜつめつしゅ動物どうぶつ化石かせき出土しゅつどし、出土しゅつどひんではチョッパー(片面かためんつぶて)、チョッピング・トゥール(両面りょうめんつぶて)、フレーク・トゥール(へずかた石器せっき)など多量たりょう発見はっけんされている。カガヤン渓谷けいこくでは「カガヤン原人げんじん」のほね化石かせきもとめて発掘はっくつ作業さぎょうおこなわれている[9]

古代こだい[編集へんしゅう]

紀元前きげんぜん500ねん紀元きげん13世紀せいきあいだマレーけい民族みんぞく移住いじゅうしてきた。900ねんごろの日付ひづけ記録きろくされているラグナ銅版どうはん碑文ひぶん英語えいごばんなどによれば、当時とうじすでカウィ文字もじ英語えいごばんバイバイン文字もじなど複数ふくすう文化ぶんか受容じゅよう出来でき成熟せいじゅくした都市とし国家こっか形成けいせいしていたことがあきらかにされている。

イスラームの流入りゅうにゅう[編集へんしゅう]

14世紀せいき後半こうはんイスラム教いすらむきょうひろまった。中国ちゅうごく大陸たいりくあきら)や東南とうなんアジアとの交易こうえきさかえたが、7000をえる諸島しょとうである現在げんざいのフィリピンに相当そうとうする地域ちいき統一とういつ国家こっか形成けいせいされていなかった。

スペイン植民しょくみん時代じだい[編集へんしゅう]

スペイン植民しょくみん支配しはいこうしたフィリピンの国民こくみんてき英雄えいゆうホセ・リサール

だい航海こうかい時代じだい以降いこうヨーロッパ列強れっきょう東南とうなんアジア各地かくち植民しょくみんした。スペイン艦隊かんたい太平洋たいへいよう横断おうだんして東方とうほうからフィリピン諸島しょとう到来とうらい1521ねんポルトガルじん航海こうかいしゃマガリャンイス(マゼラン)がひきいるスペイン艦隊かんたいが、ヨーロッパじんとしてはじめてフィリピンのホモンホンとう到達とうたつした。マガリャンイスはこののちマクタンとうめたが首長しゅちょうラプ=ラプらにやぶ戦死せんしした。1494ねんにスペインとポルトガルむすんだトルデシリャス条約じょうやくブラジルのぞ新大陸しんたいりく(インディアス)がスペイン領有りょうゆうとし、1529ねんサラゴサ条約じょうやくでフィリピン諸島しょとうをスペイン領有りょうゆうとした。スペインはフィリピンをアジア進出しんしゅつ拠点きょてんとした。やがてスペインなどの航海こうかいしゃ来航らいこうするようになり、1565ねんにはスペインふくおうりょうヌエバ・エスパーニャメキシコ)を出航しゅっこうした征服せいふくしゃミゲル・ロペス・デ・レガスピ初代しょだい総督そうとく)がセブとう領有りょうゆうしたのを皮切かわきりに19世紀せいきまつまでスペインのフィリピン支配しはいはじまった。徐々じょじょ植民しょくみん範囲はんいひろげ、1571ねんにはマニラ植民しょくみん首府しゅふとし、フィリピン諸島しょとうだい部分ぶぶん征服せいふくされ、スペインの領土りょうどとなった。これ以降いこうやく250年間ねんかん、マニラとメキシコ太平洋たいへいようがんアカプルコ)をつなぐガレオン貿易ぼうえきつづいた。

1762ねんに、一時いちじてきにマニラがイギリスぐん占領せんりょうされたが、1763ねんパリ条約じょうやくむすばれふたたびスペインの管轄かんかつもどった。18世紀せいきになってスペインは南部なんぶへの侵攻しんこう開始かいししたものの、西南せいなんミンダナオ島みんだなおとうスールー諸島しょとうみなみパラワンとうでは、スールー王国おうこくをはじめとするイスラム勢力せいりょく抵抗ていこうい、最後さいごまで征服せいふくできなかった。

スペイン統治とうちで、メキシコやペルーボリビアから輸入ゆにゅうしたぎんや、東南とうなんアジア各地かくち中国ちゅうごくきよし)の産物さんぶつラテンアメリカはこ拠点きょてんとしてガレオン貿易ぼうえきさかんにおこなわれた。フィリピンではマニラ・ガレオンばれるフィリピンせい大型おおがた帆船はんせん多数たすう建造けんぞうされ、メキシコのアカプルコとアジアをむすんでいた。

ヌエバ・エスパーニャふくおうりょう一部いちぶとなった植民しょくみん時代じだいに、スペインじん海外かいがい進出しんしゅつ目的もくてきひとつであったローマ・カトリック布教ふきょうすすめた。スペインじん支配しはいのラテンアメリカと同様どうようにフィリピンでも輸出ゆしゅつ農産物のうさんぶつ生産せいさんするプランテーション開発かいはつにより領民りょうみん労役ろうえき使つかだい地主じぬしたちが地位ちい確立かくりつし、民衆みんしゅうおおくはその労働ろうどうしゃとなった。

支配しはいしゃであるスペインにたいする反抗はんこう幾度いくどとなくかえされたが、いずれも規模きぼちいさく局地きょくちてきであり、容易ようい鎮圧ちんあつされてしまった。独立どくりつ運動うんどう本格ほんかくてきになるのは、19世紀せいきすえ、フィリピン独立どくりつちちとされるホセ・リサール活躍かつやくによるところがおおきい。リサールは、1896ねん12月30にち銃殺じゅうさつされた。1898ねんべい西にし戦争せんそう勃発ぼっぱつにより、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくエミリオ・アギナルド[10]らの独立どくりつ運動うんどう利用りようするため支援しえんした。ただこれは、のち判明はんめいするように、アメリカがスペインからフィリピンをうばって自国じこく植民しょくみんにすることが目的もくてきだった。

1899ねん6月12にち初代しょだい大統領だいとうりょうエミリオ・アギナルドした独立どくりつ宣言せんげんがなされ、フィリピンだいいち共和きょうわこく成立せいりつした。フィリピン革命かくめいは、普通ふつう1896ねん8がつから1899ねん1がつまでをす。

なお、征服せいふくしゃレガスピの1567ねん書簡しょかんに、当時とうじすで日本人にっぽんじんミンドロ島みんどろとうルソン島るそんとう毎年まいとし交易こうえき来訪らいほうしていたことがしるされており、にち交流こうりゅうはスペインが占領せんりょうする以前いぜんからあったことがわかっている[11]

だいいち共和きょうわこく植民しょくみん時代じだい[編集へんしゅう]

べい戦争せんそうえがいたアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく絵画かいが『パセオのたたかい』

べい西にし戦争せんそう最中さいちゅう独立どくりつたしたのもつかの、1898ねんパリ条約じょうやくによりフィリピンの統治とうちけんがスペインからアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく譲渡ゆずりわたされた。1899ねん1がつ21にちフィリピン共和きょうわこくがフィリピンじんによって建国けんこくされた。5月18にちサンボアンガ共和きょうわこく英語えいごばんサンボアンゲーニョ英語えいごばんによって建国けんこくされた。

フィリピン共和きょうわこく建国けんこく承認しょうにんしないアメリカによる植民しょくみんにフィリピンは猛烈もうれつ抵抗ていこうしたものの、べい戦争せんそうで60まんにんのフィリピンじんアメリカぐんにより無残むざん虐殺ぎゃくさつされ、抵抗ていこう運動うんどう武力ぶりょく鎮圧ちんあつされた。1901ねんにアギナルドがべいぐん逮捕たいほされてだいいち共和きょうわこく崩壊ほうかいし、フィリピンはきゅうスペイン植民しょくみんグアムプエルトリコともにアメリカの主権しゅけんしたかれ、過酷かこく植民しょくみん支配しはいけることとなった。1903ねんにサンボアンガ共和きょうわこく崩壊ほうかいしたが、モロの反乱はんらん英語えいごばん1913ねんまでつづいた。フィリピンでは、1899ねん2がつから1902ねん7がつまでをフィリピン・アメリカ戦争せんそうとして位置いちづけている[12]

その、フィリピン議会ぎかい議員ぎいんマニュエル・ケソン尽力じんりょくで、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく議会ぎかいは1916ねんにジョーンズほう自治じちみとフィリピン自治領じちりょう成立せいりつした。1920年代ねんだいRCA広域こういき無線むせんきょく設置せっち、ここを中継ちゅうけい地点ちてんとして香港ほんこん経由けいゆ中国ちゅうごく交信こうしんした。1929ねん世界せかい恐慌きょうこう発生はっせいすると課税かぜいでアメリカ本土ほんど移入いにゅうされていたフィリピンの砂糖さとうがアメリカ本土ほんど甜菜てんさいとうやキューバとう打撃だげきあたえ、アメリカの資産しさん破産はさんするものが続出ぞくしゅつした。そのためフィリピンとう排撃はいげきこえたかまり、関税かんぜいすことを目的もくてきにフィリピン独立どくりつさけばれるようになった[13]。1934ねんにアメリカ議会ぎかいフーバー大統領だいとうりょう反対はんたい[13]タイディングス・マクダフィーほうで10ねん完全かんぜん独立どくりつみとめ、フィリピン議会ぎかいもこれを承諾しょうだくしたことで、フィリピン自治領じちりょうからフィリピン・コモンウェルス移行いこうした。一方いっぽうでアメリカはフィリピンにアメリカへの依存いぞん貿易ぼうえきつづけさせるなどの利権りけん確保かくほつづけた[14]

だい世界せかい大戦たいせん独立どくりつ[編集へんしゅう]

マニラにけて進撃しんげきする日本にっぽんぐん戦車せんしゃたい(1942ねん1がつ

1941ねん12月にはじまった太平洋戦争たいへいようせんそう劈頭へきとう日本にっぽんぐん南方みなかた作戦さくせん一環いっかんとしてべいりょうフィリピンに進攻しんこうし、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく陸軍りくぐん駆逐くちくしてマニラに入城にゅうじょうした。ざいフィリピン司令しれいかんだったダグラス・マッカーサーオーストラリアへと脱出だっしゅつし、日本にっぽん陸軍りくぐん1942ねん上半期かみはんきちゅうバターン半島はんとうコレヒドールとうめられたべいぐん降伏ごうぶくさせ、フィリピン全土ぜんど占領せんりょうした。

アメリカは1935ねんにはフィリピンの独立どくりつ約束やくそくしていたので、日本にっぽん1943ねん5月の御前ごぜん会議かいぎでフィリピン(フィリピン行政ぎょうせい委員いいんかい)とビルマ独立どくりつさせた[15]。1943ねん10月14にちホセ・ラウレル大統領だいとうりょうとするフィリピンだい共和きょうわこく成立せいりつした。しかしアメリカは日本にっぽん傀儡かいらい政権せいけんであるとしこれをみとめなかった[16][17]。そのラウレルは日本にっぽんとの協力きょうりょく関係かんけいきずきフィリピン政府せいふ運営うんえいすすめた。日本にっぽん敗戦はいせん濃厚のうこうになると1944ねん12月8にち親日しんにち義勇ぎゆうたいマカピリ設立せつりつされベニグノ・ラモスなどが参加さんかし、戦闘せんとうくわわった[18]。また、アメリカの援助えんじょけて結成けっせいされた反日はんにちゲリラ組織そしきユサフェゲリラ共産きょうさんけいフクバラハップ各地かくち抗日こうにちゲリラ戦争せんそうおこなった。

1944ねん9月21にち、22にち、アメリカ軍機ぐんきによりマニラ市内しないはげしい空爆くうばくにさらされると、同月どうげつ23にち、ラウレル政権せいけんはアメリカとイギリスにたいして宣戦せんせん布告ふこくおこなった[19]。 しかし同年どうねんまつべいぐん反攻はんこう上陸じょうりくフィリピン・コモンウェルスふたた権力けんりょくにぎった。だい世界せかい大戦たいせんによって110まんにんのフィリピンじん犠牲ぎせいとなり[20]、マニラに20むねあった16世紀せいきから17世紀せいきにかけて建立こんりゅうされたバロック様式ようしき教会きょうかいは、アメリカぐん攻撃こうげきにより2つをのこして破壊はかいされた。

さい独立どくりつ[編集へんしゅう]

だいさんフィリピン共和きょうわこくアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくより独立どくりつ(1946ねん7がつ4にち

1945ねん日本にっぽん敗戦はいせんともない、独立どくりつうしないアメリカの植民しょくみんもどることを余儀よぎなくされることとなったが、1946ねんマニラ条約じょうやくで、フィリピン・コモンウェルスの組織そしきぎ、戦前せんぜんから約束やくそくされていたフィリピンだいさん共和きょうわこくさい独立どくりつした。

冷戦れいせんしたでは地主じぬし支配しはい(アシエンダ)打倒だとううったえる共産きょうさんけいフクバラハップ勢力せいりょく拡大かくだいし、ルソン島るそんとうではゲリラ戦争せんそうつづいたが、1950年代ねんだいなか共産きょうさんゲリラはアメリカからの全面ぜんめんてき支援しえんけたラモン・マグサイサイによっていち壊滅かいめつした。その親米しんべい政権せいけんによって農地のうち改革かいかくおこなわれたものの、実効じっこうせいにはとぼしいものとなった。

マルコス独裁どくさい[編集へんしゅう]

フェルディナンド・マルコスイメルダ夫人ふじん(1984ねん10がつ20日はつか

1965ねんよりはん共産きょうさん主義しゅぎとなえるフェルディナンド・マルコス大統領だいとうりょうマルコス独裁どくさい国家こっか英語えいごばん体制たいせいきずいた。アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくからの支持しじたマルコス政権せいけんは、20ねんわた開発かいはつ独裁どくさい政権せいけんとなり、イメルダ・マルコス大統領だいとうりょう夫人ふじんをはじめとするきによって、私物しぶつされ腐敗ふはいした政権せいけんたいして、中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこくソビエト連邦れんぽうからの支援しえんけたモロ民族みんぞく解放かいほう戦線せんせん再建さいけん共産党きょうさんとうしん人民じんみんぐん(NPA)による武装ぶそう蜂起ほうき発生はっせいした[よう出典しゅってん]

エドゥサ革命かくめい[編集へんしゅう]

民衆みんしゅう不満ふまんたかまったため、1986ねん2がつ22にちきた「エドゥサ革命かくめい」(がつ革命かくめい、ピープル・パワー革命かくめい)でマルコス政権せいけん崩壊ほうかいし、現在げんざいのフィリピンだいよん共和きょうわこく体制たいせい成立せいりつした。この革命かくめい同年どうねん2がつ22にち国軍こくぐん改革かいかく将校しょうこう決起けっきから25にちコリーアキノ政権せいけん樹立じゅりついたる4日間にちかん出来事できごとであった。民主みんしゅもとめる市民しみんが、マニラ首都しゅとけん中心ちゅうしんでデモや集会しゅうかいすわみや兵士へいし花束はなたばわた行動こうどうこした。その模様もようをリアルタイムで、おおくのテレビカメラの放列ほうれつ世界中せかいじゅう生放送なまほうそうした。これらマスメディア報道ほうどう心理しんりてき圧力あつりょくとなり、フィリピン共和きょうわ国軍こくぐん市民しみんじゅう発砲はっぽう出来できかった[21]

マルコスとイメルダはアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくハワイしゅう亡命ぼうめいした[22]しん人民じんみんぐんによる三井物産みついぶっさんマニラ支店してんちょう誘拐ゆうかい事件じけん(1986ねん11月15にち - 1987ねん3がつ31にち)が発生はっせい

だい世界せかい大戦たいせん冷戦れいせん期間きかんちゅうのフィリピンは、おなじく西側にしがわ諸国しょこくぞくすこととなった日本にっぽん同様どうように、極東きょくとうアジアにおけるアメリカの重要じゅうよう拠点きょてんとなり、べいぐん基地きち提供ていきょうしていたが、1990年代ねんだい初頭しょとう冷戦れいせん終結しゅうけつけたべいぐんのアジア駐留ちゅうりゅうぐん縮小しゅくしょう、およびピナトゥボさん噴火ふんかともな基地きち機能きのう低下ていか、フィリピン国内こくないのナショナリズムの高揚こうようフィリピン共和きょうわこく憲法けんぽう改正かいせいにより、ざいべいぐん軍備ぐんび沖縄おきなわ集約しゅうやくし、フィリピンから撤退てったいした。

フィリピン紛争ふんそう[編集へんしゅう]

噴火ふんかするピナトゥボさん(1991ねん6がつ12にち

フィリピンの共産きょうさん主義しゅぎ勢力せいりょくフクバラハップは、だい世界せかい大戦たいせんちゅう日本にっぽんぐんたたかい、日本にっぽんぐん撤退てったいもアメリカぐん独立どくりつのフィリピン政府せいふぐん戦闘せんとうつづけたが、1954ねんまでにマグサイサイ指揮しきのフィリピン政府せいふぐん制圧せいあつされた。1969ねん毛沢東もうたくとう主義しゅぎによる革命かくめい体制たいせい変革へんかくをめざすフィリピン共産党きょうさんとう (CPP)再建さいけん共産党きょうさんとう)はしん人民じんみんぐん(NPA New Peoples Army)を結成けっせいし、フィリピン政府せいふぐんたいする武装ぶそう闘争とうそう開始かいしした。NPAは、ルソンとう中心ちゅうしんにフィリピン全国ぜんこく展開てんかいし、フィリピンの軍隊ぐんたい警察けいさつ・インフラ・企業きぎょうたいする武力ぶりょく攻撃こうげきかえし、フィリピン政府せいふぐんはNPAの武力ぶりょく攻撃こうげきたいして掃討そうとうせん継続けいぞくしているが、海外かいがいのテロ支援しえん国家こっか支援しえんけるNPAを完全かんぜん制圧せいあつすることはむずかしく、2013ねん時点じてん武力ぶりょく行使こうし継続けいぞくちゅうである。

ミンダナオ地区ちくイスラム教いすらむきょうによる自治じちつくることを目的もくてきとしたモロ民族みんぞく解放かいほう戦線せんせん (MNLF Moro National Liberation Front) は、1970ねんにフィリピン政府せいふぐんたいして武装ぶそう闘争とうそう開始かいしし、MNLFと政府せいふぐん武力ぶりょく紛争ふんそう1996ねんまで継続けいぞくした。1996ねん、MNLFはフィリピン政府せいふとの和平わへい協定きょうてい締結ていけつして武装ぶそう闘争とうそう終結しゅうけつし、フィリピン政府せいふはミンダナオ地区ちくにMNLFのイスラム教いすらむきょうによる自治じちれ、そのミンダナオ・イスラム自治じち与党よとうとして活動かつどうしている。しかし2013ねん9月、後述こうじゅつするMILF主導しゅどう和平わへい交渉こうしょうへの反発はんぱつから、ふたた政府せいふぐん衝突しょうとつした[23]

モロ・イスラム解放かいほう戦線せんせん (MILF Moro Islamic Liberation Front) は、モロ国民こくみん解放かいほう戦線せんせん (MNLF) がフィリピン政府せいふ和平わへい協定きょうてい締結ていけつしようと方針ほうしん転換てんかんしたことに反対はんたいし、フィリピン政府せいふぐんとの武力ぶりょく闘争とうそう継続けいぞくするために、1981ねんにMNLFから分離ぶんり独立どくりつし、フィリピン政府せいふぐんたいして武装ぶそう闘争とうそう継続けいぞくした。1997ねん、MILFはフィリピン政府せいふ停戦ていせん協定きょうてい締結ていけつしたが、その協定きょうてい2000ねんエストラーダ政権せいけんにより破棄はきされた。2003ねん、MILFはアロヨ政権せいけん停戦ていせん協定きょうてい締結ていけつしたが、2005ねんにMILFは停戦ていせん協定きょうてい破棄はきしてフィリピン政府せいふぐんたいする武力ぶりょく攻撃こうげき再開さいかい2012ねん10月、政府せいふとのあいだ和平わへい枠組わくぐ合意ごういいた[24]

アブ・サヤフ・グループ(Abu Sayyaf Group)は、フィリピンのミンダナオ島みんだなおとう、スールー諸島しょとうボルネオとうおよびインドネシア、マレーシア、タイミャンマーなどの東南とうなんアジア地域ちいきイスラム教いすらむきょう統治とうちする国家こっか設立せつりつざして、1990ねんにフィリピン政府せいふたいして武装ぶそう闘争とうそう開始かいしした。アブ・サヤフ・グループは、フィリピン政府せいふぐんおよび一般いっぱん市民しみんたいしてばくだん攻撃こうげき暗殺あんさつ誘拐ゆうかい監禁かんきん身代金みのしろきん要求ようきゅうかえし、2000ねん以後いご活動かつどう地域ちいきをマレーシア、インドネシアへも拡大かくだいし、2013ねん時点じてん武力ぶりょく闘争とうそう継続けいぞくちゅうである。

アジア通貨つうか危機きき以降いこう[編集へんしゅう]

フィリピン経済けいざい転機てんきおとずれたのは、1990年代ねんだい後半こうはんだった。1997ねんアジア通貨つうか危機きき発生はっせいすると、そのあおりをけてペソ暴落ぼうらく見舞みまわれたが、経済けいざいバブル状態じょうたいではなかったので、財政ざいせい破綻はたんしたタイ、一時期いちじき国家こっか崩壊ほうかい危機ききおちいったインドネシア、国家こっか破綻はたんしかけた韓国かんこくなどにくらべると回復かいふくはやく、国際こくさい通貨つうか基金ききん(IMF)の管理かんりになることをまぬかれた。

フィリピンの経常けいじょう収支しゅうしは1000まんにんおよ海外かいがい在住ざいじゅう労働ろうどうしゃ送金そうきんによってささえられており、出稼でかせとく看護かんごはフィリピンの有力ゆうりょく産業さんぎょうってもよい[25]主要しゅよう貿易ぼうえき相手あいてこくはアメリカと日本にっぽんであるが、近年きんねん距離きょりてきにもちか中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく中華民国ちゅうかみんこく台湾たいわん)、大韓民国だいかんみんこくとの貿易ぼうえきえている。

東南とうなんアジアではベトナム・インドネシアとともNEXT11一角いっかくにもかぞえられており、今後こんご経済けいざい発展はってん期待きたいできる新興しんこうこくひとつにかぞえられている。

また、長年ながねん懸案けんあんであった、ミンダナオ島みんだなおとう活動かつどう拠点きょてんとする南部なんぶ武装ぶそうムスリム勢力せいりょくたいしては、MILF(モロ・イスラム解放かいほう戦線せんせん)との和解わかい交渉こうしょう成立せいりつするなどの進展しんてんられた。ミンダナオ島みんだなおとうにも、アメリカなどからの直接ちょくせつ投資とうしはいはじめている。一方いっぽうISILへの支持しじ明確めいかくしたアブ・サヤフ活動かつどう活発かっぱつ2017ねん5月、フィリピンぐんは、ミンダナオ島みんだなおとうマラウィにてアブ・サヤフと市街しがいせんになった[26]

2018ねん7がつ26にちロドリゴ・ドゥテルテ大統領だいとうりょうはムスリムによる自治じち政府せいふ樹立じゅりつみとめる「バンサモロ基本きほんほう」に署名しょめい[27]翌年よくねん住民じゅうみん投票とうひょう結果けっか従来じゅうらいイスラム教徒きょうとミンダナオ自治じち地域ちいきよりもつよ自治じちけんゆうするバンサモロ自治じち地域ちいき発足ほっそくした。

2020ねん以降いこう新型しんがたコロナウイルスの世界せかいてき感染かんせん拡大かくだいともない、海外かいがいおもむ出稼でかせしゃやフィリピンに来訪らいほうする観光かんこうきゃく出入国しゅつにゅうこくむずかしくなった。さらに2021ねん8がつから10がつにはマニラを中心ちゅうしん感染かんせん拡大かくだい防止ぼうしするためにロックダウンおこなわれ、国内こくない経済けいざいおおきなダメージをけた[28][29]。 2022ねん初頭しょとう感染かんせんしゃすう減少げんしょう傾向けいこうせたタイミングで入国にゅうこく制限せいげん緩和かんわおこなわれ、同年どうねん3がつまつ時点じてん海外かいがいからの観光かんこうきゃくやく件数けんすうは、2019ねんの72%のレベルまで回復かいふくする傾向けいこうせた[30]

政治せいじ[編集へんしゅう]

ボンボン・マルコス大統領だいとうりょう
サラ・ドゥテルテふく大統領だいとうりょう

元首げんしゅ行政ぎょうせい[編集へんしゅう]

大統領だいとうりょう元首げんしゅとする共和きょうわせい国家こっかであり、フィリピンの大統領だいとうりょう行政府ぎょうせいふながである。大統領だいとうりょうふく大統領だいとうりょうは、同日どうじつ別枠べつわく国民こくみん直接ちょくせつ選挙せんきょにより選出せんしゅつされる。任期にんきは6ねんで、フィリピン憲法けんぽう規定きていにより、再選さいせん禁止きんしされている。

2022ねんフィリピン大統領だいとうりょう選挙せんきょでは、ボンボン・マルコス当選とうせんした[31]

立法りっぽう[編集へんしゅう]

議会ぎかいは、元老げんろういん上院じょういん)と代議だいぎいん下院かいん)の両院りょういんせい二院にいんせい)。上院じょういんは、24議席ぎせき任期にんき6ねん。3ねんごとに半数はんすう改選かいせん下院かいんは、憲法けんぽうじょうは250議席ぎせき以下いか規定きていされているが、現在げんざいは214議席ぎせき。20%を政党せいとうべつ候補者こうほしゃリストから、のこりをしょう選挙せんきょせい選出せんしゅつされ任期にんきは3ねんである。選挙せんきょは、西暦せいれきが3でれるとしおこなわれる[注釈ちゅうしゃく 1]アロヨ政権せいけん現在げんざい大統領だいとうりょうせいから議院ぎいんないかくせいへ、両院りょういんせい議会ぎかいから一院制いちいんせい移行いこうする憲法けんぽう改正かいせい提案ていあんしたが進展しんてんられなかった。なお、地方自治体ちほうじちたいしゅう市町村しちょうそんせいふく首長しゅちょう地方ちほう議会ぎかい議員ぎいん任期にんき3ねんである。

憲法けんぽう[編集へんしゅう]

フィリピンはつ憲法けんぽう1899ねん公布こうふされたマロロス憲法けんぽうであり、アジアはつ共和きょうわせいさだめた憲法けんぽうであった。つぎ1902ねんフィリピン組織そしきほう(クーパーほう)で選挙せんきょによる議会ぎかい設置せっちされた[注釈ちゅうしゃく 2]

1935ねんアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく大統領だいとうりょうフランクリン・ルーズベルト承認しょうにん国民こくみん賛成さんせいフィリピン1935ねん憲法けんぽう実施じっしされ、フィリピン・コモンウェルス成立せいりつ大統領だいとうりょう権限けんげん行政ぎょうせい各部かくぶだけでなく地方ちほう自治じちまで管理かんりするなど)が強化きょうかされた[注釈ちゅうしゃく 3]

1971ねん6がつ憲法けんぽう制定せいてい会議かいぎ開催かいさいされ、全面ぜんめんてき改正かいせい着手ちゃくしゅした。熱心ねっしん討議とうぎすえしん憲法けんぽう草案そうあんは1972ねん11月にはいって承認しょうにんされ、1973ねん1がつ実施じっしされた。このフィリピン1973ねん憲法けんぽうは、大統領だいとうりょうせいでの議院ぎいんないかくせい特徴とくちょうである。しかし、欠点けってん[注釈ちゅうしゃく 4] もあり、1980ねんと1981ねん一部いちぶ改正かいせいされた[注釈ちゅうしゃく 5][32]首相しゅしょうしょくは1986ねん廃止はいしされた。

国際こくさい関係かんけい[編集へんしゅう]

フィリピンの外務省がいむしょう

東南とうなんアジア諸国しょこく連合れんごう(ASEAN)創設そうせつ以来いらい加盟かめいこくである。

日本にっぽんとの関係かんけい[編集へんしゅう]

アメリカとの関係かんけい[編集へんしゅう]

アメリカの支配しはいけていた経緯けいいから、日本にっぽんおなじく軍事ぐんじてき経済けいざいてき政治せいじてきにアメリカとの関係かんけいふかい。べい相互そうご防衛ぼうえい条約じょうやくむすび、かつては東南とうなんアジア条約じょうやく機構きこう加盟かめいしていた。アメリカが介入かいにゅうした20世紀せいき後半こうはん朝鮮ちょうせん戦争せんそうベトナム戦争せんそう、さらには21世紀せいき初頭しょとうたいテロ戦争せんそうにも参戦さんせん反対はんたい世論せろんおおかったイラク戦争せんそう武装ぶそう勢力せいりょくによるフィリピンじん拉致らち事件じけんでフィリピンぐんイラクから全面ぜんめん撤退てったいした)に同調どうちょうした。

一方いっぽうで、かつてクラーク空軍くうぐん基地きちにあったざいべいぐん軍人ぐんじんによる市民しみんレイプ事件じけん英語えいごばんでは、米兵べいへい容疑ようぎしゃたいし、最高さいこう裁判所さいばんしょ最高さいこうけいとなる終身しゅうしんけい確定かくていし、容疑ようぎしゃ身柄みがら引渡ひきわたしにおいて米国べいこく外交がいこう問題もんだいになった。スービック基地きちでのレイプ事件じけん英語えいごばん問題もんだいになった。

クラーク空軍くうぐん基地きちは、1991ねん4がつちかくのピナトゥボさん噴火ふんかし、火山灰かざんばい降灰こうかいにより基地きちだい部分ぶぶん使用しよう不可能ふかのうとなり、アメリカはどう基地きち放棄ほうき決定けっていした。また、スービック海軍かいぐん基地きちアメリカ海軍かいぐんのアジア最大さいだい国外こくがい基地きちだったため維持いじ希望きぼうしたが、フィリピン共和きょうわこく政府せいふにより拒否きょひされたため、りょう基地きちとも1991ねん11月26にちにフィリピンへ返還へんかんされた。

2013ねん1がつ7にちべいぐん無人むじん航空機こうくうき漂流ひょうりゅうされているのが発見はっけんされ、つづいてフィリピン南西なんせいのパラワンとうちかくの世界せかい遺産いさん登録とうろくされているトゥバタハ岩礁がんしょうサンゴ礁さんごしょうで、べい海軍かいぐん掃海そうかいかんガーディアンが座礁ざしょうし、修復しゅうふく不可能ふかのう損傷そんしょうあたえた。無人むじん事故じこでは、主権しゅけん侵害しんがいとの批判ひはん一部いちぶとどまっていたが、ガーディアンの座礁ざしょう事故じこでは、環境かんきょう保護ほご団体だんたい地元じもと政治せいじ市民しみんにまで非難ひなんこえひろがっている[33]

英語えいご教育きょういくすすんでいるため、フィリピンは英語えいごけんでの出稼でかせぎにおおいに役立やくだっている。

だい世界せかい大戦たいせんにおいて、べいぐん協力きょうりょくしたフィリピン軍人ぐんじんたいアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくでの労働ろうどう許可きょかされ、おおくのフィリピンじんアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくわたろうとしたものの、1924ねんアメリカの移民いみんほうによって、フィリピンからはとし100にんがアメリカにわたれるにぎなかった。1965ねんアメリカの移民いみんほう英語えいごばんによって、くにべつ人数にんずう制限せいげん改正かいせいされて撤廃てっぱいされたことにより、おおくのフィリピンじんがアメリカに入国にゅうこくできるようになった。この時期じき出稼でかせぎは、しゅとして医師いし看護かんご技術ぎじゅつしゃ歯科しか技工ぎこうなど、高度こうど専門せんもんしょくものおおく、また1960年代ねんだいには、ホテルのボーイやメイド看護かんご家政かせいなどのしょくて、ヨーロッパ渡航とこうするものはじめている。近年きんねんしゅん職業しょくぎょうは「看護かんご」と「IT技術ぎじゅつしゃ」とわれており、とく看護かんご不足ふそくのアメリカでは、看護かんご資格しかく永住えいじゅうけん確保かくほされるため、家族かぞくせて、そのまま移民いみんとなるケースもあるほどである[34]

しかしフィリピンじん富裕ふゆうそうやエリートそう知識ちしきじんが、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくなどの英語えいごけん移住いじゅうしてしまうケースがおおく、優秀ゆうしゅう人材じんざい海外かいがい頭脳ずのう流出りゅうしゅつしてしまうケースがとてもおおいため、これがフィリピン経済けいざい発展はってんさまたげている。

現在げんざいではフィリピンけいアメリカじんはアメリカで2番目ばんめおおいアジアけいで、移住いじゅうたか出生しゅっしょうりつ年々ねんねん増加ぞうかし、現在げんざい400まんにんたっする[35]

2000年代ねんだいになり、べいぐんがフィリピン国内こくない基地きちから撤退てったいしたことをに、中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこくによる南シナ海みなみしなかい島嶼とうしょへの領有りょうゆうけん主張しゅちょう南シナ海みなみしなかい全域ぜんいき領海りょうかい主張しゅちょう中国ちゅうごく人民じんみん解放かいほうぐん台頭たいとうによる、東南とうなんアジアのパワーバランスが悪化あっかすることに対応たいおうするため、フィリピン政府せいふないでもべいぐんさい駐留ちゅうりゅうのぞこえてきている[36]べい両国りょうこくは2016ねん3がつべいぐんがフィリピン国内こくないの5基地きち利用りようする協定きょうていむすんだ。パラワンとうのアントニオ・バウティスタ空軍くうぐん基地きち、ルソンとうのバサ基地きちやフォート・マグサイサイ基地きちなどが対象たいしょうである。

2022ねんべいぐんがかつて使用しようしていたスービック海軍かいぐん基地きちフィリピン海軍かいぐん利用りようはじめた[37]

周辺しゅうへん諸国しょこく関係かんけい[編集へんしゅう]

フィリピンの大統領だいとうりょうロドリゴ・ドゥテルテマレーシアの首相しゅしょうマハティール・ビン・モハマド(2018ねん7がつ15にち

2000年代ねんだいはいり、中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこくスカボロー礁スプラトリー諸島しょとう領有りょうゆうけん主張しゅちょう活発かっぱつするようになり、実効じっこう支配しはいめぐり、2012ねん4がつ両国りょうこくおおやけせん出動しゅつどうする事態じたいいたった。この事件じけんはそのしばら貿易ぼうえき観光かんこうなどでしこりをのこしており、以降いこう該当がいとう海域かいいきなどではおたがいににら状況じょうきょう多発たはつしている。2013ねん1がつにはフィリピンが「平和へいわてき解決かいけつけたほぼすべての政治せいじ外交がいこう手段しゅだんくしてしまった」として、国連こくれん海洋かいようほう条約じょうやくもとづく国際こくさい仲裁ちゅうさい裁判さいばん請求せいきゅう同年どうねん4がつ国際こくさい海洋かいようほう裁判所さいばんしょ仲裁ちゅうさい裁判さいばん必要ひつよう仲裁ちゅうさいじん5にん選定せんていしたと発表はっぴょうしたが、中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく仲裁ちゅうさい自体じたいおうじない姿勢しせいしめした。この係争けいそうかんして、フィリピンは自国じこくだけでは解決かいけつ辿たどけないとして、おな領有りょうゆうけん中国ちゅうごくあらそっているベトナムや日本にっぽんなどと協力きょうりょくし、日本にっぽんからは海上保安庁かいじょうほあんちょう巡視じゅんしせん提供ていきょうしたり、フィリピン海岸かいがん警備けいびたいとの合同ごうどう訓練くんれんおこなったりしている。さらに、以前いぜん基地きちごと軍隊ぐんたい駐留ちゅうりゅうをしていたアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくにも圧力あつりょくをかけてもらうために、近年きんねんアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくぐんとフィリピンぐん合同ごうどう演習えんしゅうおこなったりしているが、アメリカ政府せいふとしては、このけんかん中立ちゅうりつてき立場たちば維持いじすることを表明ひょうめいしている[38][39]

2013ねん5がつ9にち、フィリピンおおやけせん台湾たいわんとの排他はいたてき経済けいざい水域すいいき係争けいそうする海域かいいきにて、警告けいこくのないうえ作業さぎょうちゅう台湾たいわんせき漁船ぎょせんだん乱射らんしゃし、銃弾じゅうだん1人ひとり台湾たいわんじん漁師りょうしたりこの漁師りょうし死亡しぼうした。台湾たいわん当局とうきょくはフィリピン政府せいふ正式せいしき謝罪しゃざい賠償ばいしょうもとめ、フィリピン政府せいふ後日ごじつこのけんかん正式せいしき謝罪しゃざいれられないとする一方いっぽう、「乗組のりくみいん遺族いぞくにおやみをもうげたい」とべ、賠償ばいしょうなどをおこなうか検討けんとうする方針ほうしん表明ひょうめい[40]

海上かいじょう自衛隊じえいたい保有ほゆうするたいせん哨戒しょうかいP-3Cをフィリピン政府せいふ調達ちょうたつしたいとの意向いこうしめしているけんについて、P-3Cは高性能こうせいのう反面はんめん海上かいじょう取得しゅとくした情報じょうほう処理しょりなどの高度こうど運用うんよう能力のうりょく必要ひつようなことから、わりとしてTC-90貸与たいよした[41]

国家こっか安全あんぜん保障ほしょう[編集へんしゅう]

フィリピンぐん陸軍りくぐん海軍かいぐん空軍くうぐん三軍さんぐんにより構成こうせいされる。2016ねんには、国内こくないそう生産せいさん(GDP)の1.28%を軍事ぐんじてている。徴兵ちょうへい制度せいどはなく、17さいから23さい士官しかんは20さいから24さい)の独身どくしん男女だんじょで、72あいだ大学だいがく履修りしゅう士官しかん学士がくし)が志願しがんできる志願しがん制度せいどである。

軍隊ぐんたいはじまりは、1868ねんにスペインが警察けいさつぐん創設そうせつしたことによる。スペイン支配しはいでは、通常つうじょうぐん国家こっか警察けいさつ使つかけた。アメリカ植民しょくみん支配しはいでは、正規せいきぐんをマニラおよびその周辺しゅうへん配置はいちし、じゅん軍事ぐんじてき国家こっか警察けいさつぐん全土ぜんど展開てんかいした。1916ねんにConstabulary Academyが開校かいこう1922ねんフィリピン大学だいがく予備よびやく見習みならい将校しょうこうだん(ROTC)が設立せつりつされ、1936ねん陸海空りくかいくう将校しょうこう養成ようせい目的もくてきとしたフィリピン士官しかん学校がっこう(PMA)が設立せつりつされた。国軍こくぐん治安ちあん対策たいさくであり、べいぐん外的がいてき対策たいさく担当たんとうした[注釈ちゅうしゃく 6] [42]

地理ちり[編集へんしゅう]

ルソン島るそんとう南部なんぶマヨンさんはフィリピンでもっと活発かっぱつ火山かざん
地形ちけい
主要しゅよう火山かざん位置いち

ルソンとうビサヤ諸島しょとうミンダナオ島みんだなおとうなどを中心ちゅうしんに、大小だいしょうわせて7641の島々しまじまから構成こうせいされる[2]おおとううみ国家こっかである。フィリピンかい南シナ海みなみしなかいセレベスかいかこまれる。フィリピンうみフィリピン海溝かいこう太平洋たいへいようがわにあり、世界せかい3ふかさである。この海溝かいこうは、ルソン島るそんとう中部ちゅうぶからミンダナオ島みんだなおとうのずっと南方なんぽうまでつづく。いくつもの海溝かいこう地殻ちかく運動うんどう東西とうざい1100 km、南北なんぼく1800 kmの海域かいいき大小だいしょうわせて7000以上いじょう島々しまじまらばるという地形ちけいつくしたとかんがえられている[43]

国土こくどやく30まん平方へいほうkmで、マヨンさんピナトゥボさん[注釈ちゅうしゃく 7]タール火山かざんなど活動かつどうちゅう火山かざんふく山岳さんがく熱帯ねったい雨林うりんめる。マニラの東南とうなん位置いちするパナハオさんラグナしゅうケソンしゅうさかいそびえる標高ひょうこう2177 mの休火山きゅうかざんであり、宗教しゅうきょうてき聖地せいち聖山ひじりやまとしてられている[44]

最高さいこう地点ちてんミンダナオ島みんだなおとう東部とうぶよりにあるアポやま標高ひょうこう2954 mである。ちなみに、フィリピン最大さいだいしまであるルソンとう最高さいこう地点ちてんは、マニラのきたしまきたりに位置いちする標高ひょうこう2934 mのプログさん(Mt. Pulog)である。

プレート境界きょうかい付近ふきん環太平洋かんたいへいよう造山つくりやまたいたる地域ちいきであることもあり、プレートテクトニクス影響えいきょうで、火山かざん点在てんざいし、地震じしん頻発ひんぱつ地帯ちたいとしてもられる[注釈ちゅうしゃく 8]。また、鉱物こうぶつ資源しげんみ、きむ鉱床こうしょうみなみアフリカ規模きぼほこる。どう鉱床こうしょう世界せかい規模きぼで、ニッケルクロム亜鉛あえんおおい。地熱じねつ発電はつでん電力でんりょく需要じゅようの18%をまかない、アメリカにりょうである。

220まん平方へいほうkmにたっする領海りょうかいには豊富ほうふ海洋かいよう資源しげんがあり、魚類ぎょるいやく2400しゅ、サンゴはやく500しゅ生息せいそくしているとわれる。アポ・リーフはオーストラリアのグレート・バリア・リーフ規模きぼサンゴ礁さんごしょうである。

スプラトリー諸島しょとう南沙なんさ諸島しょとう)で領有りょうゆうけん問題もんだいかかえている。

違法いほう伐採ばっさいによる森林しんりん減少げんしょうおおきな問題もんだいである。

全国ぜんこくてきに、日本にっぽんのような詳細しょうさい地図ちず道路どうろ地図ちず発行はっこうされておらず書店しょてん空港くうこうなどで購入こうにゅうできる地図ちずも、非常ひじょうおおまかなものである。むしろインターネット経由けいゆGoogle マップ閲覧えつらんしたほう詳細しょうさい地図ちず情報じょうほうられる。

気候きこう[編集へんしゅう]

台風たいふうだい30ごう、ハイエン

フィリピンは熱帯ねったい海洋かいようせい気候きこうで、1ねん大半たいはんあつ湿度しつどたかい。ぶしなつあきのみで、3がつ下旬げじゅんから10がつ上旬じょうじゅん猛暑もうしょなつで10がつ下旬げじゅんから3がつ上旬じょうじゅんすずしく乾燥かんそうしているあきとされている。3月から5がつ初夏しょか、6がつから10がつ雨季うきになる。なつには復活ふっかつさいがあり、あきにはハロウィンクリスマスあるいは新年しんねんのイベントをいわっている。南西なんせいからと北東ほくとうからの季節風きせつふうがある。気温きおんは21から32℃で、1月がもっとひくく、5月がもっとたかい。

台風たいふうとおみちにあたり、7がつから10がつにかけて付近ふきん通過つうかする台風たいふうおおく、年間ねんかんでは平均へいきん19かい通過つうかする。フィリピンのはるかひがし西太平洋にしたいへいよう海上かいじょうで6がつから12がつにかけて熱帯ねったいてい気圧きあつおお発生はっせいし、西にしすすみ、一部いちぶ台風たいふうにまで発達はったつして、フィリピンやインドシナ半島いんどしなはんとうすすむものがある。なお、季節風きせつふう影響えいきょうける地域ちいきながら、うみかこまれているために、冬季とうき卓越たくえつする北西ほくせいからの季節風きせつふうも、夏季かき卓越たくえつする南西なんせいからの季節風きせつふうも、いずれも降雨こううをもたらす[45]。ただし、先述せんじゅつ台風たいふう影響えいきょうもあって、とくに5月から11がつにかけて多雨たうとなる[45]。なお、年間ねんかん降水こうすいりょう東部とうぶ海岸かいがん山岳さんがく地帯ちたい最大さいだい5000 mmにたっすることがある。

地方ちほう政治せいじ[編集へんしゅう]

地方ちほう政府せいふ[編集へんしゅう]

地方ちほう政治せいじは、地方ちほう選挙せんきょからえらばれる議員ぎいん下院かいん議員ぎいん)やしゅう知事ちじ市長しちょう町長ちょうちょうなどの地方ちほう政府せいふ首長しゅちょうてはまる。

地方ちほう政治せいじは、だい土地とち所有しょゆうだい地主じぬし地方ちほう権力けんりょくにぎり、経済けいざいてき支配しはい背景はいけいに、世襲せしゅう政治せいじ跋扈ばっこする。つまりは「金持かねもちによる支配しはい」。地主じぬし農民のうみんが互報酬ほうしゅうせい、つまりパトロン・クライアント関係かんけいコスタリカ方式ほうしき)でむすけられている。伝統でんとうてき政治せいじ(トラディショナル・ポリティシャン)を省略しょうりゃくした「トラポ」[注釈ちゅうしゃく 9]象徴しょうちょうされる汚職おしょく公職こうしょく利用りようした汚職おしょくによる私的してき蓄財ちくざいというイメージがつよい。また、私兵しへいてき暴力ぼうりょく集団しゅうだん地方ちほう政治せいじや、選挙せんきょ投票とうひょうしゃ通貨つうかくば買収ばいしゅうする活動かつどうもする。

これらの地方ちほう政治せいじ表現ひょうげんする場合ばあい、「ボス」「ウォーロード」などが使つかわれる。れいとして、イサベラしゅうのディー、ヌエバ・エシハしゅうのホソン、タルラックしゅうのコファンコとアキノ、カマリネス・スルしゅうのフエンテペリャ、セブしゅうのオスメーニャとドゥラノなど。

地方ちほう政治せいじ中央ちゅうおう政府せいふから比較的ひかくてき自由じゆうで、自分じぶん支配しはいでは「勝手かってやり放題ほうだい」という認識にんしきおお[46]

地方ちほう行政ぎょうせい区画くかく[編集へんしゅう]

フィリピンの行政ぎょうせい区分くぶん

地方ちほう行政ぎょうせいさい上位じょうい単位たんいは、しゅう公認こうにん都市としである。しゅう都市としかずは、2006ねん12月時点じてんで、しゅうが81、公認こうにん都市としが61。これらは、17の地方ちほうにグループけされる。

フィリピンかく地方ちほう概要がいよう
しま 地方ちほう 称号しょうごうタガログ 中心ちゅうしん都市とし 面積めんせき 人口じんこう
ルソン 国家こっか首都しゅと地方ちほう NCR マニラ 638.55km2 1185まん5975にん
イロコス地方ちほう Rehiyon I サン・フェルナンド 1まん3012.60km2 502まん6128にん
カガヤン・バレー地方ちほう Rehiyon II トゥゲガラオ 2まん8228.83km2 345まん1410にん
中部ちゅうぶルソン地方ちほう Rehiyon III サン・フェルナンド 2まん2014.63km2 1121まん8177にん
カラバルソン地方ちほう Rehiyon IV-A カランバ 1まん6873.31km2 1441まん4774にん
ミマロパ地方ちほう Rehiyon IV-B カラパン 2まん9620.90km2 296まん3360にん
ビコール地方ちほう Rehiyon V レガスピ 1まん8155.82km2 579まん6989にん
コルディリェラ行政ぎょうせい地域ちいき CAR バギオ 1まん9422.03km2 172まん2006にん
ビサヤ 西にしビサヤ地方ちほう Rehiyon VI イロイロ 2まん0794.18km2 753まん6383にん
中部ちゅうぶビサヤ地方ちほう Rehiyon VII セブ 1まん5895.66km2 739まん6898にん
ひがしビサヤ地方ちほう Rehiyon VIII タクロバン 2まん3251.10km2 444まん0150にん
ミンダナオ サンボアンガ半島はんとう地方ちほう Rehiyon IX パガディアン 1まん7056.73km2 362まん9783にん
きたミンダナオ地方ちほう Rehiyon X カガヤン・デ・オロ 2まん0496.02km2 468まん9302にん
ダバオ地方ちほう Rehiyon XI ダバオ 2まん0357.42km2 489まん3318にん
ソクサージェン地方ちほう Rehiyon XII コロナダル英語えいごばん 2まん2513.30km2 424まん5838にん
カラガ地方ちほう Rehiyon XIII ブトゥアン 2まん1478.35km2 259まん6709にん
バンサモロ自治じち地域ちいき BARMM コタバト 1まん2711.79km2 427まん3149にん

都市とし[編集へんしゅう]

都市とし 行政ぎょうせい区分くぶん 人口じんこう(ひと) 都市とし 行政ぎょうせい区分くぶん 人口じんこう(ひと)
1 ケソン マニラ首都しゅとけん 2,960,048 11 ヴァレンズエラ マニラ首都しゅとけん 714,978
2 マニラ マニラ首都しゅとけん 1,846,513 12 ダスマリニャス カラバルソン地方ちほう カヴィテしゅう 703,141
3 ダバオ ダバオ地方ちほう みなみダバオしゅう 1,776,949 13 ジェネラル・サントス ソクサージェン地方ちほう みなみコタバトしゅう 697,315
4 カローカン マニラ首都しゅとけん 1,661,584 14 パラニャーケ マニラ首都しゅとけん 689,992
5 サンボアンガ サンボアンガ半島はんとう地方ちほう 977,234 15 バコール カラバルソン地方ちほう カヴィテしゅう 664,625
6 セブ 中部ちゅうぶビサヤ地方ちほう セブしゅう メトロ・セブ 964,169 16 サン・ホセ・デル・モンティ 中部ちゅうぶルソン地方ちほう ブラカンしゅう 651,813
7 アンティポロ カラバルソン地方ちほう リサールしゅう 887,399 17 マカティ マニラ首都しゅとけん 629,616
8 タギッグ マニラ首都しゅとけん 886,722 18 ラスピニャス マニラ首都しゅとけん 606,293
9 パシッグ マニラ首都しゅとけん 803,159 19 バコロド 西にしビサヤ地方ちほう 西にしネグロスしゅう 600,783
10 カガヤン・デ・オロ きたミンダナオ地方ちほう あずまミサミスしゅう 728,402 20 モンティンルパ マニラ首都しゅとけん 543,445
2020ねん国勢調査こくせいちょうさ

経済けいざい[編集へんしゅう]

アメリカ中央ちゅうおう情報じょうほうきょく(CIA)によると、フィリピンの2017ねん購買こうばいりょく平価へいかGDPは8756おくドルである。1人ひとりたりでは8300ドルであり、世界せかい平均へいきん半分はんぶんほどである。フィリピンの経済けいざいは、輸出ゆしゅつへの依存いぞんひくさ、比較的ひかくてき堅調けんちょう消費しょうひ、1000まんにんかぞえる出稼でかせ労働ろうどうしゃによる海外かいがいからフィリピンへの仕送しおくり、きゅう成長せいちょうするサービスぎょうにより、世界せかい経済けいざい混乱こんらんなか比較的ひかくてき安定あんていたもってきた。2017ねんには、大胆だいたんインフラストラクチャー支出ししゅつ発表はっぴょう影響えいきょうもあり、2008ねん世界せかい金融きんゆう危機きき以降いこうはじめて経常けいじょう赤字あかじおちいった。ただ、海外かいがいからの仕送しおくりや金融きんゆうシステムは安定あんていしている[47]。ただし、国民こくみん貧富ひんぷおおきく[48]都市としでは貧困ひんこんそう残飯ざんぱんべざるをないパグパグなどの問題もんだい発生はっせいしている。

農業のうぎょう[編集へんしゅう]

フィリピンの農業のうぎょう
主要しゅよう生産せいさんぶつの1つである砂糖さとう

フィリピンは東南とうなんアジア新興しんこうこく同様どうよう基本きほんてきには農業のうぎょうこくであり、ぜん人口じんこうやく40%がだいいち産業さんぎょう従事じゅうじしている。熱帯ねったいぞくすることから多種たしゅ多様たよう作物さくもつつくることが可能かのうで、サトウキビココナッツコプラマニラ麻まにらあさタバコおもきたばこよう)、バナナマンゴーパイナップルなどの生産せいさんさかんである。

主食しゅしょくようにはコメトウモロコシし、とくべい生産せいさんおおい。毎年まいとしやく1500まんトンものこめ産出さんしゅつする世界せかいだい8べい生産せいさんこくであるが、その自給じきゅうりつひくく、世界せかい最大さいだいべい輸入ゆにゅうこくである。アジア有数ゆうすう農業のうぎょうこくでありながら、大量たいりょう食糧しょくりょう世界せかいから輸入ゆにゅうするというジレンマにおちいっている。

そのことが、フィリピンの社会しゃかい問題もんだいとなっており、2007ねん-2008ねん世界せかい食料しょくりょう価格かかく危機ききには政治せいじてきおおきな影響えいきょうけた。その根本こんぽん原因げんいんには過剰かじょう人口じんこうと、過酷かこく貧困ひんこん問題もんだいくわえ、ぜん近代きんだいてき農法のうほうから農業のうぎょう生産せいさんせいひくさと、フィリピン政府せいふ官僚かんりょう腐敗ふはい (en外貨がいかるために輸出ゆしゅつよう商品しょうひん作物さくもつ栽培さいばいかたよっているなど、様々さまざま原因げんいん指摘してきされている。

かつてはみどり革命かくめいにより、1970年代ねんだいから1980年代ねんだいとおしてべいだい増産ぞうさん成功せいこうし、べい自給じきゅうりつ100%を達成たっせいし、べい輸出ゆしゅつこくとなったが、1990年代ねんだいはいると、みどり革命かくめい頭打あたまうちをむかえるようになり、生産せいさんりょうよこばいになり、あるいは化学かがく肥料ひりょう使つかいすぎ、みず資源しげん枯渇こかつなどで生産せいさんりょう減少げんしょうさえこし、工業こうぎょうによる農地のうち減少げんしょうもあって、ふたたまい輸入ゆにゅうこく逆戻ぎゃくもどりしてしまう。現在げんざい食料しょくりょう自給じきゅうりつ遅々ちちとして回復かいふくせず、国民こくみん生活せいかつ昨今さっこん穀物こくもつ価格かかく高騰こうとうベトナム政府せいふべい輸出ゆしゅつ制限せいげん措置そち影響えいきょうおおきくけている。漁業ぎょぎょう全国ぜんこく幅広はばひろおこなわれるが、自給じきゅうよう小規模しょうきぼなものがおおい。

豊富ほうふ森林しんりんゆうしているため、林業りんぎょうさかんであり、マホガニーラワンざいなども重要じゅうよう輸出ゆしゅつひんとなっている。アメリカ領土りょうどになった当時とうじの1898ねん国土こくどの70%は森林しんりんおおわれていた。航空こうくう写真しゃしんでの森林しんりん調査ちょうさはじまった1968ねんには、55.5%がのこされていた。しかし、1981ねん調査ちょうさでは40.8%にまでっていた。そして原生げんせいりん森林しんりん面積めんせきの13%ほどしかない[49]森林しんりん減少げんしょうは21世紀せいきはいってもつづき、2003ねんに256まんha面積めんせきであった閉鎖へいさりん面積めんせきの40%以上いじょう樹木じゅもくおおわれた森林しんりん)は、2010ねんに193まんhaにまで縮小しゅくしょう旧来きゅうらいがた焼畑やきばた農業のうぎょう拡大かくだいあらたな農地のうち森林しんりん開墾かいこんによりもとめる手法しゅほうは、地域ちいき住民じゅうみん貧困ひんこん解消かいしょう森林しんりん破壊はかいをトレードする図式ずしきとなっており歯止はどめがかかりにくい状況じょうきょうになっている。2010年代ねんだいはいるとベニグノ・アキノ大統領だいとうりょうは、森林しんりん回復かいふくけた植林しょくりんプログラムを実施じっし。2016ねんまでの大統領だいとうりょう在任ざいにんちゅうに150まんhaの面積めんせきに15おくほん苗木なえぎえるという目標もくひょうしている[50]

アメリカによる植民しょくみん支配しはいでは農業のうぎょう政策せいさく失敗しっぱいし、スペイン時代じだいプランテーション農業のうぎょうもとづく地主じぬし小作こさくじん関係かんけい現在げんざいつづいている。この地主じぬし全国ぜんこくすうじゅうにんおり、かれらの家族かぞく国土こくど半分はんぶん以上いじょう土地とち所有しょゆうしている。農村のうそんでは半数はんすう以上いじょうが1にち1ドル以下いか生活せいかつをするさい貧困ひんこんそうで、これがミンダナオ島みんだなおとうイスラム教いすらむきょう地域ちいきではさらに75%以上いじょうさい貧困ひんこんそうとされる。こうした貧困ひんこん緩和かんわ目指めざして、政府せいふ農業のうぎょう農村のうそん開発かいはつプログラムとして、農業のうぎょうしょうDAおよ農地のうち改革かいかくしょうDAR)を中心ちゅうしん農業のうぎょう近代きんだいやインフラ整備せいびすすめようとしている[51]

財閥ざいばつ[編集へんしゅう]

植民しょくみん時代じだい独裁どくさい時代じだい一部いちぶ特権とっけん階層かいそう経済けいざい独占どくせんしてきたアシエンダせいだい農園のうえん)の影響えいきょうのこっており、財閥ざいばつによる寡占かせん状態じょうたいにある。Andrés Sorianoによってきゅう成長せいちょうしたサンミゲル醸造じょうぞうしょ英語えいごばん傘下さんかおさめるサン・ミゲルしゃ不動産ふどうさん開発かいはつ成功せいこうしたアヤラ財閥ざいばつ砂糖さとうプランテーションから不動産ふどうさん開発かいはつ多角たかくしたアラネタ財閥ざいばつ英語えいごばんOrtigas Center所有しょゆうするオルティガス財閥ざいばつ英語えいごばん、ミンダナオのバナナプランテーションや銃器じゅうきメーカーArmscor有名ゆうめいなツアソン財閥ざいばつ (Tuason Family)、コラソン・アキノちちJose Cojuangcoおこしたホセ・コファンコ・アンド・サンズ (Jose Cojuangco and Sons Inc., JCSI) しゃようすコファンコ財閥ざいばつAlfonso Yuchengcoひきいるユーチェンコ財閥ざいばつ (Yuchengco Group)、John Gokongweiひきいるコーヒー会社かいしゃ食品しょくひん会社かいしゃUniversal Robina有名ゆうめいなゴコンウェイ財閥ざいばつ (Gokongwei)、ヘンリー・シィ英語えいごばんひきいるSMプライムホールディングス英語えいごばんようすシューマート財閥ざいばつ (SM Investments Corporation)、マリアノ・ケ (Mariano Que) ひきいるMercury Drugなどがられている。

鉱業こうぎょう・エネルギー[編集へんしゅう]

フィリピンは鉱物こうぶつ資源しげんどうきむニッケルクロムなど)にめぐまれたくにで、かつてはインドネシアに東南とうなんアジア有数ゆうすう鉱産こうさんこくであったが、1980年代ねんだいから衰退すいたいはじめ、どう生産せいさんりょう1980ねんの30まんトンをピークにみがつづき、2000ねんには3まんトンしか生産せいさんされず、この20年間ねんかんどう生産せいさんりょうは10ぶんの1にまでんでいる。これは、生産せいさんコストの上昇じょうしょう金属きんぞく価格かかく低迷ていめいによってこされ、さらに1986ねんこったマルコスもと大統領だいとうりょう亡命ぼうめいられるような政治せいじてき社会しゃかいてき不安ふあん鉱業こうぎょう衰退すいたい拍車はくしゃけた。1994ねん鉱産こうさんぜい減税げんぜい、1995ねんしん鉱業こうぎょうほう制定せいていにより、鉱業こうぎょう再生さいせいすすむものとられたのにもかかわらず、その鉱業こうぎょうんでいる。操業そうぎょうちゅう鉱山こうざんも2001ねんには12鉱山こうざんきむ鉱山こうざん3、銅山どうざん4、ニッケル鉱山こうざん3、クロマイト2鉱山こうざん)となっている。しかし、開発かいはつ鉱山こうざんもまだまだ多数たすう存在そんざいしているとされており、きたスリガオしゅう、マニラなどで優良ゆうりょう金鉱きんこう銅鉱どうこう発見はっけんされており、セブでもあらたにかねどう亜鉛あえんふく金属きんぞく鉱床こうしょう発見はっけんされており、フィリピン鉱業こうぎょう潜在せんざい能力のうりょく非常ひじょうたかいものである。

国内こくない唯一ゆいいつのマランパヤ天然てんねんガス枯渇こかつ予想よそうされており、石炭せきたん火力かりょく発電はつでんへの依存いぞんらして地球ちきゅう温暖おんだん抑制よくせいすすめるため、1984ねん完成かんせいしたものの運転うんてんしていないバターン原子力げんしりょく発電はつでんしょ稼働かどう目指めざしている[52]

工業こうぎょう貿易ぼうえき[編集へんしゅう]

いろ面積めんせきしめしたフィリピンの輸出ゆしゅつ品目ひんもく

フィリピンは工業こうぎょう中心ちゅうしん食品しょくひん加工かこう製糖せいとう製剤せいざい繊維せんいなどの軽工業けいこうぎょう中心ちゅうしんである。近年きんねんでは電子でんし部品ぶひん生産せいさんさかんである。フィリピンの工業こうぎょうはマルコス政権せいけん時代じだいからはかられ、中国ちゅうごくやベトナムなどの共産きょうさんけん対峙たいじするために、反共はんきょうとりでとしてアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく軍事ぐんじてき政治せいじてき従属じゅうぞくするわりに莫大ばくだい支援しえんけて、マルコス政権せいけん開発かいはつ独裁どくさいすすめた結果けっか農業のうぎょうこくから軽工業けいこうぎょうこくへと変貌へんぼうげ、1960年代ねんだいにはフィリピンは東南とうなんアジアでもっとゆたかなくにとなった。

しかし1980ねんさかいに、1人ひとりたりの所得しょとく次第しだい頭打あたまうちとなり、独裁どくさいによる政治せいじ腐敗ふはいや1983ねん発生はっせいしたアキノ上院じょういん議員ぎいん暗殺あんさつ事件じけんなどをて、1986ねんエドゥサ革命かくめいによりマルコス政権せいけん崩壊ほうかいする。

そして、もともと脆弱ぜいじゃくだったフィリピンの社会しゃかい情勢じょうせい一気いっき政情せいじょう不安ふあん状態じょうたいおちいり、フィリピン共産党きょうさんとうけいしん人民じんみんぐんイスラム教いすらむきょう主流しゅりゅうめるモロぞくとの内戦ないせん状態じょうたい激化げきかすると、次第しだい外国がいこく企業きぎょうにとって「ビジネスのやりにくいくに」「投資とうしのしにくいくに」「規制きせいおおくに」になり、タイやマレーシアやベトナムなど、ASEAN諸国しょこくきゅう成長せいちょうするなかで「東南とうなんアジアの病人びょうにん」とわれるほど、フィリピンの経済けいざい成長せいちょうなやんでいく。

フィリピンのインフラストラクチャーもきわめて貧弱ひんじゃくで、とりわけ高速こうそく道路どうろ鉄道てつどう電力でんりょくエネルギーなどの社会しゃかい資本しほんおくれなどが、工業こうぎょうさまたげるひとつの要因よういんとなっている。そのわりに、重工業じゅうこうぎょうがタイなどにくらべると、まだすすんでいないため、皮肉ひにくにもいまのところは原油げんゆ価格かかく変動へんどうけにくいともえる。

また、フィリピンはその地理ちりから、天然てんねん良港りょうこう多数たすうあることをかした造船ぞうせんぎょうさかんで、2010ねん時点じてんでは造船ぞうせんぎょう世界せかいだい4規模きぼほこ[53][54]日系にっけいどくけいなどの自動車じどうしゃメーカーの組立くみたて工場こうじょうは、カビテしゅうラグナしゅう集中しゅうちゅうし、エアバスボーイング航空機こうくうき部品ぶひん工場こうじょうは、バギオ近郊きんこう集中しゅうちゅうする。

主要しゅよう貿易ぼうえき相手あいてこく
2021ねん 資料しりょう: フィリピン統計とうけいちょう[55]
順位じゅんい 国家こっか 貿易ぼうえきがく
1 中華人民共和国の旗 中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく やく5ちょう800おくえん
2 日本の旗 日本にっぽん やく2ちょう9000おくえん
3 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく やく2ちょう6000おくえん

貿易ぼうえきがくでは中国ちゅうごく圧倒あっとうしており、2日本にっぽんと3のアメリカの貿易ぼうえきがく合計ごうけい比肩ひけんする。

サービスぎょう[編集へんしゅう]

ビジネス・プロセス・アウトソーシング(BPO)は観光かんこうならび、今後こんごフィリピンでもっと成長せいちょうするであろう産業さんぎょうだとられている[56][57]とくコールセンターごう有名ゆうめいで、労働ろうどうりょく安価あんかであることと教育きょういく水準すいじゅんたかいことにくわえて、元々もともとアメリカの植民しょくみんであり暫定ざんてい措置そちとしてではあるが公用こうよう英語えいごさだめられ広範こうはん使つかわれていることもあり、欧米おうべい企業きぎょう人気にんきがある。2010ねんにはインドいて世界せかい最大さいだい委託いたくさきとなっている[58][59]。BPOの雇用こようしゃすうは2005ねんにはやく10まんにんだったのが2012ねんにはやく70まんにん増加ぞうかしており[60]年間ねんかん110おくドルをげている[61]。2016ねんにはさらにやく130まんにん雇用こよう年間ねんかん274おくドルのげをすと予測よそくされている[62]

そのにも、近隣きんりん日本にっぽん韓国かんこくなど英語えいごけんくにからの英語えいご語学ごがく留学りゅうがくさきとしても人気にんきがある。

出稼でかせ労働ろうどう[編集へんしゅう]

中東ちゅうとう地域ちいきなどに建設けんせつ労働ろうどうしゃメイド家政かせいとして出稼でかせおこなうフィリピンじんおおく、かれらが本国ほんごく送金そうきんする仕送しおくがくは2016ねん現在げんざい、1ちょう2780おくペソ名目めいもくGDP比率ひりつで8.8%に相当そうとうするがくとなっている[63]。ただしかれらが勤務きんむさき良好りょうこう労働ろうどう環境かんきょうめぐまれているとはかぎらず、しばしば虐待ぎゃくたい被害ひがいけ、国際こくさい問題もんだいすることもある[64]

観光かんこう[編集へんしゅう]

エルニド
順位じゅんい くに地域ちいき 人数にんずう
1 中華人民共和国の旗 中国ちゅうごく 100まん4000にん
2 シンガポールの旗 シンガポール 67まん3374にん
3 香港の旗 香港ほんこん 58まん4481にん
4 マレーシアの旗 マレーシア 55まん4917にん
5 大韓民国の旗 韓国かんこく 40まん3622にん

セブとうボラカイとうなど、リゾート中心ちゅうしんとした観光かんこうぎょう重要じゅうよう産業さんぎょうとなっており、より観光かんこうきゃく工業こうぎょう投資とうし誘致ゆうちするため、観光かんこうしゅう政府せいふはインフラ整備せいび余念よねんがない。またカジノも、おおくの観光かんこうきゃくける魅力みりょくの1つとなっている。

ぎゃくにフィリピンじんが、アジアにおとずれる観光かんこうトップ5の2015ねんデータは、ひょうとおりになっている。

経済けいざい成長せいちょうりつ[編集へんしゅう]

経済けいざい成長せいちょうりつはグロリア・アロヨ政権せいけん時代じだいの4.5%と比較ひかくし、2011ねんから2017は平均へいきんして6%以上いじょう達成たっせいし、国際こくさい経営けいえい開発かいはつ研究所けんきゅうじょ(IMD)世界せかい競争きょうそうりょくランキングの順位じゅんいげた。2017ねんには直接ちょくせつ投資とうし過去かこ最高さいこうとなったものの、憲法けんぽう各種かくしゅ法規ほうきが、海外かいがい資本しほんによる直接ちょくせつ投資とうしさまたげや、海外かいがい資本しほん土地とち公共こうきょう事業じぎょうたい所有しょゆう制限せいげんとなっているため、地方ちほうへの海外かいがい資本しほん直接ちょくせつ投資とうしかぎられている[47]

マカティ首都しゅとメトロ・マニラの1で、マニラ南東なんとう隣接りんせつしている。
高層こうそうビルぐんならび、フィリピンのビジネス首都しゅと位置付いちづけられ、「フィリピンのウォうぉル街るがい」ともばれる。

交通こうつう[編集へんしゅう]

道路どうろ[編集へんしゅう]

庶民しょみんあし「トライシクル」
タルラック〜ラウニオン高速こうそく道路どうろ

マニラ南部なんぶニノイ・アキノ国際こくさい空港くうこう近辺きんぺんからカヴィテしゅうむすぶSLEX(South Luzon Expressway)やケソンからパンガシナンしゅうむすぶNLEX(North Luzon Expressway)といった高速こうそく道路どうろがあるが、短距離たんきょりである。

近年きんねんは、SCTEX(Subic-Clark-Tarlac Expressway)やSkyway(マカティ-ビクータン)などの路線ろせん開通かいつうしているが、マニラ首都しゅとけんつづみきたるロハスどおりの幹線かんせん道路どうろに、すべてのえだじょう道路どうろ集中しゅうちゅうする構造こうぞうで、環状かんじょう道路どうろもエドゥサどおりしかなく、貧弱ひんじゃく道路どうろインフラストラクチャーとあいまって道路どうろ信号しんごうなども充分じゅうぶん整備せいびされておらず、深刻しんこく交通こうつう渋滞じゅうたい発生はっせいしている[65]

ごく短時間たんじかんあいだに、警察官けいさつかんによる車線しゃせん規制きせいおこない、時間じかんたいによって、1ほん道路どうろのぼ専用せんようくだ専用せんよう道路どうろとして運用うんようされたり、ふく車線しゃせん道路どうろ時間じかんたいのぼくだりの車線しゃせんすう変更へんこうされることがる。その、マニラ首都しゅとけんでは一部いちぶ地域ちいきにおいて月曜日げつようびから金曜日きんようびまでのあいだ、ナンバープレートによる流入りゅうにゅうしゃ規制きせいおこなわれている。

フィリピン全土ぜんどでは、アスファルト舗装ほそう道路どうろおおく、道路どうろ舗装ほそう事情じじょうくないため、SUVよんりん駆動くどうしゃ需要じゅようおおい。

以下いか代表だいひょうてき交通こうつう機関きかんがある。(料金りょうきんはマニラ首都しゅとけん基準きじゅん

ジープニー - 初乗はつのり:子供こども7ペソ、大人おとな8ペソ50センタボ
フィリピンでもっと有名ゆうめい交通こうつう機関きかんひとつがジープニーであり、フィリピンの全土ぜんどでみられる。これはだい世界せかい大戦たいせんざいべいぐんはらげたジープもととなったいわゆる乗合のりあいタクシー[66]今日きょうではトヨタ・キジャンだい3世代せだいのTamaraw FXのように、最初さいしょからこの用途ようと製造せいぞうされた車体しゃたい登場とうじょうしている。バスとジープニー、それにTamarawは、規定きていされた料金りょうきんまったルートを走行そうこうする。
トライシクル - 初乗はつのり15ペソ
オートバイにサイドカーをけた料金りょうきん交渉こうしょうせいさんりんタクシーで、庶民しょみん交通こうつう機関きかんとしての役割やくわりになっている。
タクシー - 初乗はつのり40ペソ
ニノイ・アキノ国際こくさい空港くうこうれるエアポートタクシーは、初乗はつのり60ペソ。タクシーメーターがいているが、メーターを使つかわず、メーター表示ひょうじすうばい相当そうとうがくボッタクリ要求ようきゅうする、もしくはえて遠回とおまわりして高額こうがく料金りょうきん請求せいきゅうするタクシーがおおい。クリスマスシーズンなどタクシー需要じゅようおおくなると、さきげて、あらかじ料金りょうきん交渉こうしょうするケースがえる。
バス - 初乗はつのり12ペソ(エアコンバス)から、またはエアコンづけでない通常つうじょうのバスは10ペソから
日本にっぽんから中古ちゅうこのバスを輸入ゆにゅうしているケースがおおいが、フィリピンの自動車じどうしゃ道路どうろ右側みぎがわ通行つうこうであるためひだりハンドルに改造かいぞうされている。座席ざせきは3れつ+2れつの5れつ構造こうぞうとなっているものがおおく、1せき初乗はつのり12ペソ(または10ペソ)である。子供こどもひざうえせていれば料金りょうきんはかからない。マニラ首都しゅとけん基幹きかん道路どうろともなっているエドゥサどおりの渋滞じゅうたい原因げんいんともなっているのが、このバス(市内しない郊外こうがいけ)のどこでもせて、どこでもろす営業えいぎょう形態けいたいである。乗客じょうきゃくりさせるバス停ばすていめられてはいるが、交通こうつう巡視じゅんしいんがいなくなると遵守じゅんしゅされないことがおおい。また、マニラ首都しゅとけんからかく地方ちほうへのなか長距離ちょうきょりバスが発着はっちゃくしていて、すごいものでは、南部なんぶルソン島るそんとうがいイロイロダバオきの長距離ちょうきょりバスが、かく島間しまま連絡れんらくせんフェリーかいして、最長さいちょう48時間じかん以上いじょうかけて運行うんこうされる路線ろせんもある。

鉄道てつどう[編集へんしゅう]

マニラ・メトロレール

長距離ちょうきょり鉄道てつどうとしてはフィリピン国鉄こくてつがあり、ルソン島るそんとう鉄道てつどうもうつ。フィリピン国鉄こくてつ北方ほっぽう本線ほんせんが1991ねんピナトゥボさんだい噴火ふんか全線ぜんせん運休うんきゅう現在げんざいいたほか台風たいふうなどの自然しぜん災害さいがい度々たびたび運休うんきゅうしている。

都市としあいだ輸送ゆそうについては、高速こうそくバスのほうはやくて頻度ひんどかつ経済けいざいてきであること、航空こうくうもう整備せいびされていることなどから、鉄道てつどうによる旅客りょかく輸送ゆそう衰退すいたいしている。鉄道てつどう車両しゃりょう日本にっぽん使用しようされなくなった客車きゃくしゃ国鉄こくてつ203けい電車でんしゃ輸出ゆしゅつされ使用しようされている。

都市とし鉄道てつどうとしてはマニラ・ライトレール・トランジット・システムマニラ・メトロレール鉄道てつどう路線ろせんがある。マニラ首都しゅとけん慢性まんせいてき道路どうろ渋滞じゅうたい解消かいしょうするために建設けんせつされた。料金りょうきんは1路線ろせんにつき10~15ペソ程度ていど運行うんこう本数ほんすうおおく、市民しみん重要じゅうようあしとなっている。

そのメトロ・セブにも都市とし鉄道てつどう建設けんせつする計画けいかくがある。

海運かいうん[編集へんしゅう]

フィリピンの国土こくど多数たすう島々しまじまからるため、フェリーボート、貨客船かきゃくせん航路こうろ発達はったつしているものの、使用しよう船舶せんぱく他国たこくでの中古ちゅうこせんおおしん造船ぞうせんほとん旅客りょかく定員ていいん改造かいぞうによって安全あんぜん基準きじゅん超過ちょうかしているものもあり、安全あんぜんたいする意識いしきひくく、事故じこりつたかい(れいドニャ・パスごう事故じこ)。

航空こうくう[編集へんしゅう]

フィリピン航空こうくうエアバスA340-313X

ニノイ・アキノ国際こくさい空港くうこうマクタン・セブ国際こくさい空港くうこうクラーク国際こくさい空港くうこうなどがフィリピンのそら玄関げんかんとして機能きのうしている。 また、おおとう海国かいこくという特徴とくちょうから島嶼とうしょあいだ移動いどう必然ひつぜんてき航空機こうくうきまたは船舶せんぱく利用りようすることになるため、かく航空こうくう会社かいしゃ路線ろせんもう発達はったつしている。

以下いか代表だいひょうてき航空こうくう会社かいしゃがある。(ここすうねん格安かくやす航空こうくう会社かいしゃ中心ちゅうしん提携ていけい再編さいへんかえされているので、最新さいしん情報じょうほうよう確認かくにん

国民こくみん[編集へんしゅう]

民族みんぞく[編集へんしゅう]

しゅうごとの民族みんぞく分布ぶんぷ

人口じんこうが1おくにんえたフィリピンはマレーけいはじめとする民族みんぞく国家こっかである。タガログぞくビサヤぞく英語えいごばんセブアノぞく英語えいごばんヒリガイノンぞく英語えいごばんワライぞく英語えいごばん)、イロカノぞく英語えいごばんビコラノぞく英語えいごばんカパンパンガぞく英語えいごばんパンガシナンぞく英語えいごばんモロぞくマギンダナオぞくバジャウぞく英語えいごばんヤカンじん英語えいごばんタウスグじん英語えいごばんサマルじん英語えいごばんen:Bangsamoro[よう曖昧あいまい回避かいひ])、イヴァタンじん英語えいごばん台湾たいわん原住民げんじゅうみん)、華人かじんサンボアンゲーニョ英語えいごばんメスティーソネグリトアエタぞくアティぞくバタックじんママンワぞく英語えいごばん

フィリピンじん[編集へんしゅう]

現在げんざいではフィリピンじんとは、フィリピンにまれそだった土着どちゃく人々ひとびと名称めいしょうである。このようなかんがかたは19世紀せいきなか以降いこう意識いしきされはじめた。かつては、スペイン本国ほんごくまれのスペインじん区別くべつして、フィリピン諸島しょとうまれのスペインじんしてもちいられた。かれらをフィリピーノ[67] あるいはクリオーリョ、そして、土着どちゃく人々ひとびとインディオといった。また、スペインじん中国人ちゅうごくじん移住いじゅうしゃ男性だんせい現地げんち女性じょせいとのあいだまれたどもはメスティーソばれた。この背景はいけいには、インディオやメスティーソのなかの富裕ふゆうそう子弟していたちが、スペインの圧政あっせいね、改革かいかく自治じちもとめた様々さまざま運動うんどうがあったことがかんがえられる[6]

タガログぞく[編集へんしゅう]

フィリピンの主要しゅよう民族みんぞくはタガログぞくであり、ルソンとうリサールしゅうラグナしゅうタルラックしゅうブラカンしゅうバターンしゅうなどにみ、タガログのフィリピン諸語しょごおなじく、オーストロネシアぞくする。これを母語ぼごとするものは2500まんにん以上いじょう推計すいけいされる。16世紀せいき後半こうはんからやく300ねんにわたるスペインじん支配しはいにより、タガログぞくの80%以上いじょうがカトリック教徒きょうととなっている。大半たいはんやニッパヤシでつくったちいさな高床たかゆかしき家屋かおくみ、水稲すいとう耕作こうさくおもとする農業のうぎょういとなんでいるが、主要しゅよう換金かんきん作物さくもつはサトウキビとココナッツである。19世紀せいきから20世紀せいき初頭しょとうにかけてこった白人はくじん(スペインじん、アメリカじん)と日本人にっぽんじん植民しょくみん支配しはいたいする革命かくめい運動うんどうで、もっと重要じゅうよう役割やくわりえんじた民族みんぞくでもある。そのため、フィリピン国民こくみん主要しゅよう英雄えいゆうや、独立どくりつ政府せいふ指導しどうしゃおお輩出はいしゅつしている。ルソン島るそんとうにはそのにもイロカノぞく人口じんこうやく810まんにん)、ビコラノぞく人口じんこうやく540まんにん。ビゴールはなす)、カパンパンガぞくやく人口じんこう300まんにん)、パンガシナンぞくやく人口じんこう110まんにんただし、イロカノぞくとの混血こんけつすすんでいる)など、ほかにも多数たすう中小ちゅうしょう部族ぶぞくかかえている。

ビサヤぞく[編集へんしゅう]

つづ主要しゅよう民族みんぞくビサヤ諸島しょとう(セブとうパナイとうレイテ島れいてとうサマールとう)を中心ちゅうしんとして、ルソン島るそんとうからミンダナオ北部ほくぶにかけて居住きょじゅうするしんマレーけい住民じゅうみんのビサヤぞくである。オーストロネシア語族ごぞくぞくするビサヤ諸語しょごはなし、人口じんこうは2000まんえると推定すいていされるが、政治せいじてきに、社会しゃかいてき地位ちいは、タガログぞく圧倒的あっとうてき優位ゆういめている。ただし、一言ひとことにビサヤぞくえど、実際じっさいには多数たすう部族ぶぞく存在そんざいしている。ビサヤぞく最大さいだい部族ぶぞくはセブアノぞくであり、セブアノはなし、セブ、シキホール、ボホールとうなどのかくしま居住きょじゅうし、1200まんにん人口じんこうほこる。2番目ばんめ人口じんこうゆうするヒリガイノンぞく人口じんこうやく700まんにんであり、ヒリガイノンはなし、パナイ西にしネグロスみなみミンドロなどのかくしま居住きょじゅうしている。3番目ばんめにはワライぞくであり、人口じんこうやく310まんにんワライワライ使用しようし、サマール、ひがしレイテ、ビリランのかくしま居住きょじゅうし、おもな生業せいぎょう水田すいでん耕作こうさくによる水稲すいとう栽培さいばいであるが、一部いちぶ漁労ぎょろう商業しょうぎょうにも従事じゅうじしている。主食しゅしょくべいさかな野菜やさい果物くだものである。そうけい親族しんぞく儀礼ぎれいてき親族しんぞくゆうする。かつてはラオンと至上しじょうしん信仰しんこうし、アニミズム信仰しんこうさかんであったが、現在げんざいはほとんどキリスト教きりすときょう改宗かいしゅうしている。ほかにも多数たすう中小ちゅうしょう部族ぶぞく存在そんざいしている。そのため、マニラ中心ちゅうしん中央ちゅうおう政府せいふ協調きょうちょう関係かんけいりながらも、独自どくじ文化ぶんか習慣しゅうかん言語げんご民族みんぞくせい保持ほじしているしゅう政府せいふおおい。

モロぞく[編集へんしゅう]

ミンダナオ島みんだなおとうなどの南部なんぶにはイスラム教徒きょうとのモロぞく(バジャウぞく、ヤカンじん、タウスグじん、サマルじんなど)が存在そんざいする。

華人かじん[編集へんしゅう]

フィリピン華人かじんだい部分ぶぶん中国ちゅうごく大陸たいりく福建ふっけん南部なんぶとくすすむこう)の出身しゅっしんである[68]あきらきよし時代じだいからのふる華人かじんおおく、現地げんち混血こんけつ(メスティーソ)がすすんでいる。もと大統領だいとうりょうコラソン・アキノ福建ふっけん華人かじん子孫しそんであり、フィリピン独立どくりつ英雄えいゆうとしてられるホセ・リサール中国ちゅうごくけい移民いみん系譜けいふ[68]現在げんざいでも中国ちゅうごく福建ふっけん閩南)をはなし、中国ちゅうごく生活せいかつ習慣しゅうかんしたしむものは100まんにん程度ていど推定すいていされる。苦力くーりー出身しゅっしんしゃがほとんどおらず、商業しょうぎょう移民いみん中心ちゅうしんとなっている[69]中国ちゅうごくけい移民いみんそう人口じんこうめる割合わりあい比較的ひかくてきちいさいが、2012ねん6がつにフォーブズが発表はっぴょうしたフィリピンの富豪ふごう上位じょうい10の7わり中国ちゅうごくけい移民いみんおよびその子孫しそん企業きぎょうグループがめているように、経済けいざいてき成功せいこうしゃおおく、フィリピン社会しゃかいへの影響えいきょうりょくおおきい[68]

フィリピンの華人かじんは、スペイン統治とうち時代じだい幾度いくど排斥はいせき政策せいさくられたことから、存続そんぞくのため、現地げんち社会しゃかいとの融合ゆうごうたかく、現地げんちじんとのつうこんすすんでおり、仏教ぶっきょうててカトリック教会きょうかい改宗かいしゅうしたものおお[68][69]。また、フィリピンが反共はんきょうかかげた経緯けいいから、おなじく反共はんきょうかかげ、西側にしがわ陣営じんえいぞくした台湾たいわん中華民国ちゅうかみんこく)との関係かんけいふかい。フィリピンの華人かじん社会しゃかい使つかわれる漢字かんじは、台湾たいわんおな繁体字はんたいじである[69]

メスティーソ[編集へんしゅう]

過去かこすうひゃくねん中国ちゅうごくけい華人かじん)やスペインじんサンボアンゲーニョ英語えいごばん)との混血こんけつすすみ、混血こんけつりつたかい。地域ちいきによって混血こんけつりつちがい、スペイン統治とうち時代じだい重要じゅうよう軍港ぐんこうであった地域ちいきとくサンボアンガでは、スペインじんとの混血こんけつりつたかい。混血こんけつしゃラテンアメリカ同様どうようメスティーソばれる。フィリピンは外国がいこく出稼でかせぎに国民こくみんが10にん1人ひとりはいる出稼でかせ国家こっかで、外国がいこくはたら労働ろうどうしゃおおいため、その混血こんけつひとおおい。そのなかでも、日本人にっぽんじんアメリカじんとフィリピンじん混血こんけつおおい。

少数しょうすう民族みんぞく[編集へんしゅう]

山岳さんがく地帯ちたいのネグリト、ボントック、イフガオなどがいる。フィリピン各地かくち山岳さんがく地帯ちたい南部なんぶミンダナオ島みんだなおとう、スールー諸島しょとう、パラワンとう住民じゅうみんちゅう北部ほくぶ低地ていち住民じゅうみんとは文化ぶんか生活せいかつ様式ようしきことにしてきた人々ひとびと少数しょうすう民族みんぞくという。これらの人々ひとびとぜん人口じんこうの10%前後ぜんごであるといわれている。南部なんぶむムスリム(モロぞく)と各地かくち山岳さんがく地帯ちたい住民じゅうみんの2つにけられる。アメリカは、少数しょうすう民族みんぞくを「キリスト教徒きりすときょうと部族ぶぞくみん」と名付なづけ、後進こうしんてき野蛮やばんじんなした(モロの反乱はんらん英語えいごばん)。これらの少数しょうすう民族みんぞくからも国会こっかい議員ぎいん地方ちほう議員ぎいんているが、かれらは地域ちいきの「ボス」であることがおおく、少数しょうすう民族みんぞく利害りがい権利けんり政治せいじ反映はんえいされなかった。差別さべつ原因げんいん宗教しゅうきょうちがいにされたり、無知むちからくる偏見へんけんにさらされた[70]

人口じんこう[編集へんしゅう]

人口じんこう密度みつど(2009ねん
国勢調査こくせいちょうさ人口じんこう 1960-2015ねん[74]
1960ねん 1970ねん 1975ねん 1980ねん 1990ねん
27,087,685 36,684,486 42,070,660 48,098,460 60,703,206
1995ねん 2000ねん 2007ねん 2010ねん 2015ねん
68,616,536 76,506,928 88,566,732 92,337,852 100,981,437

言語げんご[編集へんしゅう]

母語ぼご人口じんこう(2010ねん
言語げんご 話者わしゃすう
タガログ 24.44% 24.44
 
22,512,089
セブアノ 21.35% 21.35
 
19,665,453
イロカノ 8.77% 8.77
 
8,074,536
ヒリガイノン 8.44% 8.44
 
7,773,655
ワライ 3.97% 3.97
 
3,660,645
その現地げんち/方言ほうげん 26.09% 26.09
 
24,027,005
その外国がいこく/方言ほうげん 0.09% 0.09
 
78,862
言及げんきゅうなし 0.01% 0.01
 
6,450
合計ごうけい 92,097,978
脚注きゃくちゅう: Philippine Statistics Authority[75]

国語こくごフィリピン (Filipino)、公用こうようはフィリピン英語えいごであるが、母語ぼごとして使つかわれる言語げんごは、合計ごうけい172におよぶ。これらのほとんどはアウストロネシア語族ごぞく分類ぶんるいされるが、アウストロネシア語族ごぞく言語げんごあいだにも、ほとんど意志いし疎通そつうはかれないほどのちがいがある。には、スペイン植民しょくみん歴史れきし反映はんえいしてスペインフィリピンのスペイン)やチャバカノスペインとそのクレオール言語げんご)がある。なおスペインは、1986ねんまで公用こうようだったこともあり、中等ちゅうとう教育きょういく課程かていから必須ひっす科目かもくとしてスペイン教育きょういくおこなわれていたが、現在げんざい一部いちぶ学校がっこうおよ大学だいがくでのみおこなわれている。フィリピン政府せいふ各地かくち英語えいごとフィリピン使つかわれている事実じじつから、両者りょうしゃ公用こうようであると宣言せんげんしており、スペインアラビア(イスラム教徒きょうと)が自発じはつてき運動うんどうにより公用こうようになりうること示唆しさしている。

フィリピン (Filipino) は、1987ねん成立せいりつしたフィリピン共和きょうわこく憲法けんぽうにおいて、はじめて国語こくごをいいあらわすのに正式せいしき採用さいようされた人工じんこう言語げんごである。実質じっしつてきにはマニラ首都しゅとけん中心ちゅうしんとしてはなされている地方ちほうひとつであるタガログ (Tagalog) をもとにして採用さいようされた言語げんごである。そもそもフィリピン国内こくないでは、ルソン島るそんとうミンダナオ島みんだなおとう、セブとうふくむ7100以上いじょう島々しまじまからなる地域ちいきにおいて、タガログをはじめ、セブアノ(セブ、ビサヤ)、ボホラノ英語えいごばんワライビコールヒリガイノンイロカノパンパンガの8大言たいげん[76]ふくむ100ちか言語げんご集団しゅうだんがあるとわれている。

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく植民しょくみんであったこともあり、アメリカ英語えいごがかなり普及ふきゅうしている。一方いっぽうで、ナショナリズムたかまりとともに、政府せいふはフィリピンが一体いったいとなって発展はってんしていくためには、国内こくない全域ぜんいき通用つうようするフィリピンの共通きょうつう言語げんご必要ひつようであるとし、タガログ基本きほんとしたフィリピンつくり、普及ふきゅうつとめてきた。1934ねんのタイディングス・マクダフィほうけて、同年どうねんひらかれた憲法けんぽう制定せいてい委員いいんかいで、公用こうよう国語こくご問題もんだいはなわれだい論争ろんそうとなった。最終さいしゅうてきには、固有こゆうの1言語げんご基礎きそとして国語こくご確立かくりつをすることでおさまった。これをけて、1937ねん、ケソン大統領だいとうりょうがタガログ国語こくご基礎きそとして選択せんたくするという宣言せんげんおこなった[77]

英語えいごのタガログてき運用うんようあるいはタガログ語彙ごい不足ふそく英語えいごおぎなった言語げんご運用うんようが「タグリッシュ」と呼称こしょうされることがある。

人名じんめい婚姻こんいん[編集へんしゅう]

フィリピンのキリスト教きりすときょう社会しゃかいでは、名前なまえ西洋せいようしきに「ミドルネームせい」の3つの部分ぶぶんからなる[注釈ちゅうしゃく 10]。その場合ばあい未婚みこんしゃおよび男性だんせい母親ははおや旧姓きゅうせいを、結婚けっこんしておっとせいとなった女性じょせい自分じぶん旧姓きゅうせいをミドルネームとしていることがおおい。ミドルネームはイニシャルのみをしる場合ばあいと、そのままあらわ場合ばあいがある。スペインによるなが植民しょくみん支配しはい時代じだいあいだに、地元民じもとみんはスペインじんせいからえらんでみずからのせい名乗なのってきたため、フィリピンではスペインせい主流しゅりゅうであるが、華人かじんけいせいおおい。旧来きゅうらいのスペイン名前なまえくわえて、英語えいごそのおもにヨーロッパけい名前なまえ自由じゆうにつけられている[注釈ちゅうしゃく 11]

婚姻こんいんさいには、従来じゅうらい法律ほうりつでは、結婚けっこん女性じょせいがわは、自分じぶんせいをミドルネームとして相手あいてせいもちいるか、相手あいてせいのみをもちいるか、相手あいてのフルネームにMrs.をつけるか、をえらぶことが可能かのう、とされていた。2010ねんに、最高裁判所さいこうさいばんしょは、女性じょせい権利けんりまも観点かんてんから、これらにくわえて、相手あいてせいもちいず自分じぶんせいのみをもちつづける(夫婦ふうふ別姓べっせい)ことも可能かのう、との判断はんだんくだした[78]

宗教しゅうきょう[編集へんしゅう]

セント・オーガスチン・パオアイ教会きょうかい

フィリピンは、バンサモロ自治じち地域ちいきのぞけば、東南とうなんアジアではひがしティモールならキリスト教きりすときょうくにである。キリストきょうは、スペイン植民しょくみん時代じだいひろまった。スペインが16世紀せいきつたえたものは、ローマ・カトリックであった。そのため、いまでも人々ひとびとのほとんどが、ローマ・カトリックの信者しんじゃである。

キリスト教徒きりすときょうとはフィリピンのぜん人口じんこうの90%以上いじょうめる。2000ねん国勢調査こくせいちょうさでは、カトリックが82.9%(カトリック教会きょうかいが80.9%、アグリパヤンが2%)、福音ふくいんが2.8%、イグレシア・ニ・クリストが2.3%、そのキリスト教きりすときょうが4.5%をめる[79]

フィリピン独立どくりつ教会きょうかいがある。

2000ねん国勢調査こくせいちょうさでのキリスト教きりすときょうほか宗教しゅうきょうは、スペインじん到来とうらい以前いぜんにもたらされたイスラム教いすらむきょう南部なんぶミンダナオ島みんだなおとう中心ちゅうしんに5%、そのが1.8%、不明ふめいが0.6%、宗教しゅうきょうが0.1%である[79]イスラム教いすらむきょうキリスト教きりすときょう伝来でんらい以前いぜんは、かくしま自然しぜん精霊せいれいなどをしんじる原始げんし宗教しゅうきょうフィリピン神話しんわ)があった(「フィリピンの神話しんわじょうもの」も参照さんしょう)。

フィリピン共和きょうわこく憲法けんぽう政教せいきょう分離ぶんり規定きてい存在そんざいするものの、カトリック教会きょうかい影響えいきょうつよく、フィリピン司教しきょう協会きょうかい離婚りこんほう人工じんこう妊娠にんしん中絶ちゅうぜつ避妊ひにんたいして反対はんたいし、政治せいじたいして政治せいじ介入かいにゅうしており、フィリピンで人口じんこう爆発ばくはつ貧困ひんこんつづ一因いちいんとなっている。また、結婚けっこん制度せいど存在そんざいすれど、離婚りこん制度せいど自体じたいほう整備せいびされていない国家こっかとして有名ゆうめいである[80][81]

教育きょういく[編集へんしゅう]

せいトマス大学だいがく (フィリピン)創立そうりつ1611ねん

2008ねん推計すいけいによれば、15さい以上いじょう国民こくみん識字しきじりつは95.4%(男性だんせい:95%、女性じょせい:95.8%)である[79]。2009ねん教育きょういく支出ししゅつはGDPの2.9%だった[79]

教育きょういく政策せいさくとして高等こうとう教育きょういく重視じゅうししていることが特徴とくちょうである。これはスペイン植民しょくみん時代じだいからがれている。高等こうとう教育きょういく就学しゅうがくりつは27.4%(1995ねん)で、アジアのなかでもたかほうであり、高等こうとう教育きょういく機関きかんは、国公立こっこうりつ私立しりつわせて1489(2003ねん)もの大学だいがく存在そんざいする。そのなかでもせいトマス大学だいがくはアジアでも最古さいこ1611ねん創設そうせつであり、ざいフィリピンのスペインじん聖職せいしょくしゃ教育きょういくほどこすことを目的もくてきとした。1908ねん設置せっちされたフィリピン大学だいがくは、アメリカ統治とうち時代じだいのもので、英語えいごでアメリカしき教育きょういくおこない、現地げんち調達ちょうたつ行政ぎょうせいかん大学だいがく教員きょういんそだてることが目的もくてきであった[82]

保健ほけん[編集へんしゅう]

医療いりょう[編集へんしゅう]

治安ちあん[編集へんしゅう]

フィリピンの治安ちあん過去かこくらべると格段かくだんくなりつつあるが、同国どうこく国家こっか警察けいさつ発表はっぴょうした2018ねん暦年れきねん)の全国ぜんこく犯罪はんざい統計とうけいによれば,犯罪はんざい発生はっせい件数けんすうやく47.5まんけん記録きろくしており、発生はっせい件数けんすう前年ぜんねんやく4.5まんけんやく9%)減少げんしょうしているものの、日本にっぽんくらべれば犯罪はんざい件数けんすういまだかなりおお状況じょうきょうとなっている[注釈ちゅうしゃく 12]

また、外国がいこくじんたいしては「比較的ひかくてき裕福ゆうふくひとおおく、銃器じゅうき所持しょじしていないため反撃はんげきをしてこない」ととらえられているてんがあり、犯罪はんざい標的ひょうてきとされやすめんがあるので、治安ちあんわるくに地域ちいき同様どうよう同国どうこく訪問ほうもんする人間にんげん長期ちょうき滞在たいざいしゃ旅行りょこうしゃわず注意ちゅうい必要ひつようとなってることを留意りゅういしなければならない。くわえて、警察けいさつ許可きょか登録とうろくけた合法ごうほうてき銃器じゅうきのほかに、登録とうろくれや未登録みとうろく銃器じゅうき密造みつぞうじゅうなども相当そうとうひろ出回でまわっているため強盗ごうとう恐喝きょうかつ事件じけん犯人はんにんらがこれらの銃器じゅうき使用しよう犯罪はんざいおこなうケースがおおいという特徴とくちょうがあり[注釈ちゅうしゃく 13]、さらに身代金みのしろきん目的もくてき誘拐ゆうかい警察けいさつ確認かくにんしているだけでも年間ねんかんすうじゅうけん発生はっせいしているとの報告ほうこくがされている[83]。 

人権じんけん[編集へんしゅう]

メディア[編集へんしゅう]

文化ぶんか[編集へんしゅう]

しょく文化ぶんか[編集へんしゅう]

時計とけいまわり: ルンピア(Lumpia)、アドボ (Adobo)、ハロハロとシシグ(Sisig

フィリピン料理りょうりは、中国ちゅうごく料理りょうりやかつての宗主そうしゅこくであるスペイン料理りょうりアメリカ料理りょうりなどの影響えいきょうけている[84]。フィリピンは国際こくさい捕鯨ほげい委員いいんかい(IWC)を脱退だったいしており、現在げんざいでも食用しょくよう捕鯨ほげいおこなっている。

文学ぶんがく[編集へんしゅう]

フィリピンのはつ近代きんだい小説しょうせつペドロ・パルテノ英語えいごばんによる『ニノイ英語えいごばん』(スペイン: Nínay、1885ねん)によってまくひらき、そのすぐのちにスペインいた2さく小説しょうせつ、『ノリ・メ・タンヘレ英語えいごばん』(1886ねん)と『エル・フィリブステリスモ英語えいごばん』(1891ねん)でスペインによるフィリピン植民しょくみん支配しはい告発こくはつしたホセ・リサールあらわれた[85]べい戦争せんそうによって20世紀せいき初頭しょとうアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく併合へいごうされたのちおおやけ教育きょういくつうじて英語えいごおしえられると、1925ねんごろから英語えいごによる作品さくひんかれるようになり、また、1939ねんフィリピン作家さっか連盟れんめい結成けっせいされている[86]

他方たほう、20世紀せいき前半ぜんはん現地げんちによる文学ぶんがく大衆たいしゅう娯楽ごらく小説しょうせつおもであり、だい世界せかい大戦たいせんちゅう日本にっぽん占領せんりょうタガログ創作そうさく奨励しょうれいされたものの、だい世界せかい大戦たいせん終結しゅうけつふたた英語えいご文学ぶんがくとして重視じゅうしされるようになった[86]

20世紀せいき後半こうはん文学ぶんがく英語えいご、タガログ、そののフィリピン地方ちほう言語げんごなどの様々さまざま現地げんちかれた[87]著名ちょめい作家さっかとしては、『ふたつのへそをおんな英語えいごばん』(1961ねん)でフィリピンじんのアイデンティを題材だいざいにしたニック・ホアキンや、英語えいごで『ロザレス物語ものがたり英語えいごばんさくen:Po-on (novel)en:The Pretenders (novel)en:My Brother, My Executioneren:Mass (novel)en:Tree (novel))、『エルミタ英語えいごばん』などをあらわしフィリピンきん現代げんだい題材だいざいにしたF・シオニル・ホセ、タガログで『マニラ ひかつめタガログばん英語えいごばん (Maynila: Sa Mga Kuko ng Liwanag)』(1968ねん)をいたエドガルド・M・レイエスらのげられる[88]のち映画えいがされた『en:Mga Kwento ni Lola Basyang』)。

漫画まんが[編集へんしゅう]

フィリピンの漫画まんが (komiks) は1920年代ねんだい米国べいこくから影響えいきょうけてはじまり、1980年代ねんだい最盛さいせいには新聞しんぶんえてあらゆる出版しゅっぱんぶつなか最大さいだい読者どくしゃすうっていた。しかし近代きんだい失敗しっぱいしたことで1990年代ねんだいまでに急速きゅうそく衰退すいたいし、全国ぜんこくてき流通りゅうつうされる定期ていき刊行かんこうぶつという伝統でんとうてき出版しゅっぱん形態けいたい姿すがたした。その出版しゅっぱんしゃ作家さっか世代せだい交代こうたいおこなわれ、21世紀せいきにはある程度ていど復興ふっこうたしている[89]

音楽おんがく[編集へんしゅう]

フィリピンの音楽おんがく文化ぶんか宗主そうしゅこくのスペインやアメリカ、アジア、ラテンアメリカ、および先住民せんじゅうみん様々さまざま音楽おんがく文化ぶんか混合こんごうするかたち形成けいせいされている。

映画えいが[編集へんしゅう]

建築けんちく[編集へんしゅう]

世界せかい遺産いさん[編集へんしゅう]

フィリピン国内こくないには、ユネスコ世界せかい遺産いさんリストに登録とうろくされた文化ぶんか遺産いさんが3けん自然しぜん遺産いさんが3けん存在そんざいする。

祝祭日しゅくさいじつ[編集へんしゅう]

日付ひづけ 日本語にほんご表記ひょうき タガログ表記ひょうき 備考びこう
1がつ1にち 元日がんじつ Araw ng Bagong Taon
1がつ1にち (旧暦きゅうれき)旧暦きゅうれき きゅう正月しょうがつ Araw ng Bagong Taon ng mag Tsino 移動いどう祝日しゅくじつ
2がつ25にち エドゥサ革命かくめい記念きねん Araw ng EDSA Revolution コラソン・アキノがフィリピン大統領だいとうりょう就任しゅうにんした
復活ふっかつさい直前ちょくぜん木曜日もくようび せい木曜日もくようび Huwebes Santo このから日曜日にちようびまで連休れんきゅうになる。この期間きかん使つかって、出身しゅっしん帰省きせいする人々ひとびとおおく、バスターミナル空港くうこうみなとだい混雑こんざつになる。移動いどう祝日しゅくじつ
復活ふっかつさい直前ちょくぜん金曜日きんようび せい金曜日きんようび Biyernes Santo 移動いどう祝日しゅくじつ
復活ふっかつさい直前ちょくぜん土曜日どようび せい土曜日どようび Sabado de Gloria 移動いどう祝日しゅくじつ
復活ふっかつ祭主さいしゅ日曜日にちようび 復活ふっかつさい Linggo ng Pagkabuhay キリスト教きりすときょうおも移動いどう祝日しゅくじつ
4がつ9にち 勇者ゆうしゃ Araw ng Kagitingan バターン行進こうしん
5月1にち メーデー Araw ng Manggagawa
6月12にち 独立記念日どくりつきねんび Araw ng Kalayaan 革命かくめいぐん最高さいこう指導しどうしゃアギナルド将軍しょうぐんが、フィリピン独立どくりつ宣言せんげんした
8がつ21にち ニノイ・アキノ Araw ni Ninoy Aquino ベニグノ・アキノ・ジュニアがマニラ国際こくさい空港くうこう暗殺あんさつされた
8がつ最終さいしゅう日曜日にちようび 英雄えいゆう Araw ng mag Bayani
11月1にち まんひじりぶし Todos los Santos/Undas 家族かぞく故人こじんはかき、故人こじんしのびつつ、みなはかまえんだりべたりする
ヒジュラれき9月の最終さいしゅう ラマダーンすえ Eid al-Fitr ムスリムにとってにちちゅう断食だんじき終了しゅうりょうする重要じゅうよう大祭たいさいイド・アル=フィトル」である。
11月30にち ボニファシオの Araw ni Andres Bonifacio アンドレ・ボニファシオ誕生たんじょう
12月25にち クリスマス Araw ng Pasko/Notsebuwena キリスト教徒きりすときょうとおも
12月30にち リサール記念きねん Araw ni Jose Rizal ホセ・リサール処刑しょけいされた
12月31にち 大晦日おおみそか Medyanotse

ミス・コンテスト[編集へんしゅう]

ミス・ユニバース2015優勝ゆうしょうしたピア・アロンゾ・ウォルツバック。フィリピンポストの記念きねん切手きってになった。

フィリピンではミス・コンテスト地域ちいき根付ねついており、学校がっこう単位たんいでのミス&ミスター・コンテストや、全国ぜんこく単位たんいでのミス・コンテストがさかんである。ミス・ユニバースのフィリピン代表だいひょうは4かい優勝ゆうしょうしている。

2001ねん同国どうこく誕生たんじょうした「ミス・アース」も、近年きんねんでは世界せかいよんだいミスコンテストかぞえられるほどに成長せいちょうした。さらミス・ユニバース2018では、フィリピン代表だいひょうカトリオナ・グレイ優勝ゆうしょうかがやいている。

スポーツ[編集へんしゅう]

格闘技かくとうぎ[編集へんしゅう]

フィリピン武術ぶじゅつエスクリマ

フィリピン武術ぶじゅつエスクリマまたはカリ、アーニス)が国技こくぎである。ほかにも地方ちほう種族しゅぞくによって様々さまざま武術ぶじゅつがある。徒手空拳としゅくうけんじゅつ武器ぶき操作そうさじゅつのバランスにすぐれたフィリピンの武術ぶじゅつ実戦じっせんてきであるとして評価ひょうかたかく、各国かっこく軍人ぐんじん警察官けいさつかんのほか、武芸ぶげい格闘技かくとうぎ使つか俳優はいゆうなどにも愛好あいこうしゃおおい。

ボクシング世界せかい王者おうじゃ数多かずおお輩出はいしゅつしており、そのなかでも世界せかい6かいきゅう制覇せいは王者おうじゃで「パックマン」とばれている、マニー・パッキャオ活躍かつやくあまりにも有名ゆうめいである。パッキャオの世界せかいてき活躍かつやくかれ祖国そこく英雄えいゆうへとげ、のちつづくフィリピンじんボクサーのアメリカでの成功せいこうや、評価ひょうか急上昇きゅうじょうしょうというこう循環じゅんかんをもたらしている。また、世界せかい5かいきゅう制覇せいは王者おうじゃで「フィリピンの閃光せんこう」とばれている、ノニト・ドネア非常ひじょうられている。

バスケットボール[編集へんしゅう]

フィリピンではバスケットボールさかんなスポーツひとつであり、1974ねんアジア地域ちいきにおけるはじめてのプロリーグでありアメリカNBA歴史れきしをもつPBA創設そうせつされた。さらに、バスケットボールフィリピン代表だいひょうFIBAワールドカップ1954ねん大会たいかいで、アジアのくにでは最高さいこうとなる3かがやいている。1978ねん大会たいかい自国じこく開催かいさいし、これもアジアはつ開催かいさいとなった。2023ねん大会たいかい日本にっぽんインドネシア共催きょうさい近年きんねん日本にっぽんB.LEAGUEオーストラリアNBLなど海外かいがいのプロリーグで活躍かつやくする選手せんしゅ目立めだっている。NBAにおいてはアンドレイ・ブラッチジョーダン・クラークソンらフィリピン国籍こくせき選手せんしゅ活躍かつやくしており、かれらもフィリピン代表だいひょうつらねている。

サッカー[編集へんしゅう]

サッカーもフィリピンでは人気にんきのスポーツのひとつであり、2017ねんには念願ねんがんのプロサッカーリーグであるフィリピン・フットボールリーグ創設そうせつされた。開始かいしねんからユナイテッド・シティが4連覇れんぱ達成たっせいしている。フィリピンサッカー連盟れんめい(PFF)によって構成こうせいされるサッカーフィリピン代表だいひょうは、これまでFIFAワールドカップには出場しゅつじょうである。しかし、AFCアジアカップには2019ねん大会たいかいはつ出場しゅつじょうたしており、東南とうなんアジアサッカー選手権せんしゅけん(AFF三菱電機みつびしでんきカップ)には13出場しゅつじょうかぞえる。

著名ちょめい出身しゅっしんしゃ[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ たとえば、2010年代ねんだいであれば、2010ねん、2013ねん、2016ねん、2019ねんの4かいである。
  2. ^ 1916ねんフィリピン自治じちほう(ジョーンズほう)で直接ちょくせつ選挙せんきょによる二院にいんせいになった。1934ねんタイディングズ・マクダフィほう独立どくりつ準備じゅんび政府せいふ樹立じゅりつみとめ、発足ほっそく10ねん独立どくりつ約束やくそくした。
  3. ^ 1934ねん憲法けんぽう制定せいてい議会ぎかい招集しょうしゅう憲法けんぽう草案そうあん起草きそう共和きょうわ政体せいたい権利けんり章典しょうてんふく憲法けんぽう)、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく憲法けんぽう影響えいきょうおおきかった。1943ねん日本にっぽんぐん占領せんりょうだい共和きょうわせい組織そしきする1943ねん憲法けんぽう制定せいていされたが、1946ねん7がつ独立どくりつに35ねん憲法けんぽう復帰ふっきした。
  4. ^ 戒厳かいげんれいでは政権せいけん永続えいぞく可能かのうであり、大統領だいとうりょう権限けんげん飛躍ひやくてき強化きょうかがなされた。
  5. ^ 35ねん憲法けんぽう改正かいせい準備じゅんびは196年代ねんだい後半こうはんから本格ほんかくし、1970ねん11月の憲法けんぽう制定せいてい会議かいぎ代議員だいぎいん選挙せんきょで320めい選出せんしゅつされる。
  6. ^ 1947ねん調印ちょういんべい軍事ぐんじ援助えんじょ協定きょうていと1947~1991ねんべい軍事ぐんじ基地きち協定きょうていによる。
  7. ^ 被害ひがいしゃ総数そうすうは120まんにんたっするほどであった。一方いっぽう農業のうぎょうてきした養分ようぶんふく土地とち形成けいせいした。
  8. ^ 1960ねんから2000年代ねんだいちゅうごろまでにやく1まんけん地震じしん観測かんそくされている。1990ねん7がつ中部ちゅうぶ北部ほくぶルソンをおそっただい規模きぼ地震じしんは7しゅう被害ひがいおよぼし、120まんにん以上いじょう被災ひさいした。葉山はやまアツコ「自然しぜん地理ちりエリア・スタディーズ(2009):249
  9. ^ タガログで「襤褸らんるれ(ぼろきれ)」という意味いみもある。
  10. ^ 在日ざいにちフィリピンじん場合ばあい日本人にっぽんじん同様どうように「せい」で名乗なのることがある。
  11. ^ ただし最近さいきんでは、スペインよりも英語えいご名前なまえ主流しゅりゅうとなっている。れい:Miguel、Margarita → Michael、Margaretなど。
  12. ^ 窃盗せっとう傷害しょうがい暴行ぼうこう強盗ごうとう殺人さつじん事件じけんなどの重大じゅうだい犯罪はんざい発生はっせい件数けんすうやく8まんけん前年ぜんねんやく28%げん)が報告ほうこくされており、そのうち窃盗せっとう全体ぜんたいの30%、傷害しょうがい暴行ぼうこうが28%、強盗ごうとうが14%、殺人さつじんが9%をめている。殺人さつじん事件じけんやく0.7まんけん前年ぜんねんやく22%げん)、強盗ごうとう事件じけんやく1.1まんけん前年ぜんねんやく32%げん)がそれぞれ報告ほうこくされており、その件数けんすうは、殺人さつじん事件じけん日本にっぽんやく8ばい強盗ごうとう事件じけん日本にっぽんやく6ばいとなっている。
  13. ^ 犯人はんにん被害ひがいしゃ警察官けいさつかん警備けいびいんなどからの反撃はんげきそなえて銃器じゅうき所持しょじしているれいおおい。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

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参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

歴史れきし
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  • せきひさしじゅ海域かいいき世界せかい民族みんぞく-フィリピン島嶼とうしょにおける移動いどう生業せいぎょう・アイデンティティ』世界せかい思想しそうしゃ
政治せいじ
経済けいざい
文化ぶんか
環境かんきょう
  • 津田つだまもる自然しぜん災害さいがい国際こくさい協力きょうりょく-フィリピン・ピナトゥボだい噴火ふんか日本にっぽんしん評論ひょうろん
国際こくさい紛争ふんそう

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

座標ざひょう: 北緯ほくい1435ふん 東経とうけい12058ふん / 北緯ほくい14.583 東経とうけい120.967 / 14.583; 120.967