ラッツ&スター

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ラッツ&スター
別名べつめい
  • シャネルズ(旧称きゅうしょう
  • 大森おおもり笑劇しょうげき研究けんきゅうかい
出身しゅっしん 日本の旗 日本にっぽん
ジャンル
活動かつどう期間きかん
レーベル エピックレコードジャパン
メンバー
きゅうメンバー

ラッツ&スター (RATS & STAR) は、日本にっぽんコーラス・グループ[2]である。1982ねん以前いぜんシャネルズ(CHANELS、のちにSHANELSに変更へんこう)のグループめい活動かつどうしていた。4にんボーカルかおくろドゥーワップソウル音楽おんがくひとしのブラックミュージックをうたっていたことられている。30ねん以上いじょうわた活動かつどう休止きゅうししているが、正式せいしき解散かいさんはしていない。

メンバー[編集へんしゅう]

かおくろっていたのは上記じょうきの4にんである。

もとメンバー[編集へんしゅう]

概要がいよう[編集へんしゅう]

シャネルズ結成けっせい[編集へんしゅう]

1975ねん9月、鈴木すずき高校こうこう時代じだい仲間なかま田代たしろ中学ちゅうがくとき同級生どうきゅうせいだった佐藤さとう久保木くぼきらとともにシャネルズ結成けっせい結成けっせいメンバーは4にん[3]。このほか結成けっせい当初とうしょから在籍ざいせきしていたのは新保しんぼ高橋たかはしで、おも大森おおもり近辺きんぺん出身しゅっしんのメンバーがあつまり、自分じぶんたち仕事しごと並行へいこうして演奏えんそう活動かつどうをスタートさせた。

結成けっせい当時とうじは、ちょうどキャロル解散かいさんしたころで[3]まわりのほとんどのアマチュア・グループはキャロルのコピーをやっていたため[3]鈴木すずきひとわったことをやりたいと、鈴木すずききなドゥーワップやR&Bえんじることになった[3]

バンドめいは、フランス高級こうきゅうアパレルブランドシャネルとは無関係むかんけいで、あこがれのグループであったアメリカのオールディーズバンド「シャ・ナ・ナ(Sha na na)」とドゥーワップグループ「ザ・チャンネルズ(The Channels)」からとって名付なづけたもので、バンドめいとお当初とうしょは「シャ・ナ・ナ」のコピーバンドとしておも活動かつどうしており、かおくろっておらず衣装いしょうTてぃーシャツスカジャンというスタイルであった。

1976ねんには『ぎんざNOW!』(TBS)に出演しゅつえん。その一部いちぶメンバーの脱退だったいつづいたが、そのわりに鈴木すずきおさななじみである桑野くわのと、中学ちゅうがく時代じだい高橋たかはし同級生どうきゅうせいだった須川すがわ加入かにゅうする。

1977ねん当時とうじ最高峰さいこうほうアマチュア・バンドコンテスト『EastWest'77』(主催しゅさいヤマハ)に出場しゅつじょうし、決勝けっしょう大会たいかいまで進出しんしゅつして入賞にゅうしょうかざる。どうコンテスト決勝けっしょう大会たいかいには、サザンオールスターズ入賞にゅうしょう)、カシオペア優秀ゆうしゅうグループ)が出場しゅつじょうしていてプロへの足掛あしがかりをつくっている。また大瀧おおたき詠一えいいちとこのころ関係かんけいはじめ、1978ねん発表はっぴょう大瀧おおたきがプロデュースしたアルバム『LET'S ONDO AGAIN』には鈴木すずきがソロを佐藤さとうがコーラスを担当たんとうしたきょくと、メンバー全員ぜんいん参加さんかしたきょくの2きょく収録しゅうろくされた。なお、名義めいぎはそれぞれ竜ヶ崎りゅうがさき宇童モンスターとなっている。

くろ姿すがたでのドゥーワップに路線ろせん変更へんこう[編集へんしゅう]

『EastWest'77』でサザンオールスターズをはじめとするほかのバンドに圧倒あっとうされたメンバーは、シャネルズをもっとつよ印象いんしょうづけられるものがなにかないかさがしていた。そんなとき田代たしろ深夜しんやにテレビで放送ほうそうされていた東宝とうほう映画えいがさんひきたぬき』(1966ねん)をているとき小沢おざわ昭一しょういちえんじていたくろりパンチパーマの詐欺さぎにヒントをて、くろりのかおでステージにってみることを発案はつあんする。

はなった結果けっか目立めだつようにメインボーカルの4にんだけがかおくろることにめ、衣装いしょうくろかお似合にあうものをさがして、キャバレーみがていた制服せいふくであるど派手はでタキシードやす仕入しいれた。そして、鈴木すずきちちっていた黒人こくじん音楽おんがくのレコードやジャケットをて、衣装いしょうけをかんがした。こうして『EastWest'78』にはレコードデビューのスタイルにちかかたち出演しゅつえんし、そのきょくのレパートリーも本格ほんかくてきなドゥーワップが中心ちゅうしんとなっていった。

鈴木すずき1981ねん雑誌ざっしインタビューで「黒人こくじん音楽おんがくえられないけど、ちかづくことは出来できるとおもう。黒人こくじんちかづくためのポリシー、スピリットは、かおってアピールすることからはじまったから、自分じぶんたち音楽おんがくくろいな、とか、おきゃくさんが、シャネルズはくろいなっておもってもらうようになったら、必要ひつようなんかなくなる」とべている[3]

ただ、当時とうじしばらくはドゥーワップがなかなか世間せけんみとめられず苦労くろうするも、山下やました達郎たつおにははやくからみとめられていた。その新宿しんじゅくライブハウス「ルイード」で定期ていきてきっていたライブが次第しだい評判ひょうばんはじめ、アマチュアバンドのなかではいちあらそ人気にんきグループとなっていく。このころ脱退だったいしたメンバーとわりに横浜よこはまのアマチュアバンド「ダックテールズ」のリーダーだった山崎やまざきがメンバーりし、さらにそのサイドギター担当たんとうけた後釜あとがま葛飾かつしか柴又しばまた出身しゅっしん出雲いずも加入かにゅうしてデビューのメンバーがそろう。

レコードデビューまえにもテレビ出演しゅつえんたしており、たとえば、「独占どくせん!おとなの時間じかん」(東京とうきょう12チャンネル〈げんテレビ東京てれびとうきょう〉)では中途ちゅうとからすうかい出演しゅつえんし、「シュブーン」などのドゥーワップ披露ひろうしている。

レコードデビュー[編集へんしゅう]

1980ねん2がつにメンバー10にんでレコードデビュー。同年どうねん3がつ群馬ぐんまけん開催かいさいされた「シャネルズ」のコンサートののち、メンバー10にんのうち5にん(桑野くわの信義のぶよし久保木くぼき博之ひろゆき新保しんぼ清孝きよたか山崎やまざき廣明ひろあき須川すがわ泰男やすお)が、当時とうじ未成年みせいねんだったファンの女子じょし2めいにわいせつな行為こういをしたとして書類しょるい送検そうけんされ、事件じけん関与かんよしたメンバーは半年はんとしあいだ謹慎きんしんする。

いっぽうでデビューきょく「ランナウェイ」がミリオンセラー記録きろくするだいヒット。かおくろりすることで、ブラックミュージック雰囲気ふんいきしたことが話題わだいとなり、おちゃあいだでも一躍いちやく人気にんきグループとなる。また、「『ドゥ・ワップ』ってなんだろう?」と音楽おんがく雑誌ざっしでもげられるなど、日本にっぽんにドゥーワップ・ブームをこす。

くろりメイクにはデビュー当時とうじまで白髪染しらがぞめを、以後いごいろのファンデーションをっている(当時とうじ靴墨くつづみっているというせつ一般いっぱんてきであったが、靴墨くつづみはファンがやっていたため自分じぶんたちも靴墨くつづみっただけで、靴墨くつづみくさくてとてもれないでしょうという趣旨しゅしのコメントをのち桑野くわのべている)。

なお、デビューもしばらくのあいだは、メンバー全員ぜんいんがそれまでの仕事しごとつづけていた(リーダーの鈴木すずき雅之まさゆき実家じっか鉄工てっこうしょはたら旋盤せんばんこうのメンバーもトラック運転うんてんしゅやガソリンスタンドやデパート勤務きんむといった本業ほんぎょうっていた[4])。同年どうねんロサンゼルス名門めいもんライブハウス「WHISKEY A GO GO」に出演しゅつえんたした。

1982ねん1がつ一旦いったんそれまでの活動かつどう休止きゅうしし、全員ぜんいん昼間ひるま旋盤せんばんこうなどの仕事しごとをして、よるあつまって練習れんしゅうをするという生活せいかつもどった。2ヶ月かげつ復帰ふっきし、このときに「CHANELS」のスペルを「SHANELS」とえている。前述ぜんじゅつのシャネル(CHANEL)からの物言ものいいがあったとわれているが、鈴木すずきはスペルをあらためた理由りゆうとして「CHANELS」だと海外かいがいではチャネルズとまれてしまうためとべている[注釈ちゅうしゃく 1]以後いご、シャネルズ時代じだい音源おんげんなどが発売はつばいされたときは、ジャケットなどの「CHANELS」の表記ひょうきすべて「SHANELS」とえられている。

ラッツ&スターに改名かいめい[編集へんしゅう]

1983ねん、『サヨナラ・シャネルズ・フェアー』開催かいさいともないシャネルズとしての活動かつどう終了しゅうりょうさせ、ラッツ&スター改名かいめい。ラッツ&スターとしてのデビューきょく「めぐみのひと」が80まんまいげる。

バンドめい変更へんこうした理由りゆうはあまり明言めいげんされることがなく、ドゥーワップにとらわれないグループを目指めざすためと説明せつめいされることもあるが、スペル改名かいめいもシャネルからのクレームがつづいたためとわれることがおおく、同業どうぎょうである化粧けしょうひん会社かいしゃ資生堂しせいどう)のCMソングを担当たんとうすることになったためというせつもある。

バンドめいの「RATS & STAR」は「ドブネズミたちほし」を意味いみし、ぎゃくからんでも「RATS & STAR」となる。下町したまちそだちのドブネズミたちがDoo-WapをうたうとRATSがひっくりかえりSTARになったというのが本義ほんぎ。なお、シャネルズ時代じだいの1981ねんにすでに『ラッツ&スター』というタイトルのほん刊行かんこうしていた。

また、このとし7がつ24にちには『ALL NIGHT NIPPON SUPER FES. '83』に出演しゅつえんし、大瀧おおたき詠一えいいち、サザンオールスターズと競演きょうえんする。最後さいごは『ぼたるひかり』、『うえいてあるこう』をセッション。

その、ピアノの山崎やまざきとベースの高橋たかはし脱退だったいして8にん体制たいせいになる。1984ねん3月、しゅう4かい放送ほうそう5分間ふんかんバラエティおび番組ばんぐみマンガチョップ'84』(フジテレビ)に大森おおもり笑劇しょうげき研究けんきゅうかい(おおもりしょうげきけんきゅうかい)名義めいぎでレギュラー出演しゅつえんし、コントを披露ひろうした。同年どうねん11がつからは文化放送ぶんかほうそうラジオ番組ばんぐみ『RATS ENTERTAINMENT'85』がスタートした。

活動かつどう休止きゅうし~その[編集へんしゅう]

1985ねん東京とうきょう赤坂あかさか日枝ひえ神社じんじゃでメンバー5にん合同ごうどう結婚式けっこんしきおこない、話題わだいぶ。結婚式けっこんしき当日とうじつ花嫁はなよめれて『よるのヒットスタジオDELUXE』(フジテレビ)のだい1かい出演しゅつえんのち須川すがわけて7にん体制たいせいになるが、そのメンバーは一人ひとりいちにん個人こじん活動かつどうしていくようになる。田代たしろ桑野くわのタレントごうおも活動かつどうとするようになり、鈴木すずき1986ねんにソロ歌手かしゅとしてデビューした。久保木くぼき一般人いっぱんじんとなり、時折ときおりラッツであつまる以外いがい芸能げいのう活動かつどうおこなわなくなり、佐藤さとう音楽おんがくプロデューサー・実業じつぎょう転身てんしんした。活動かつどう休止きゅうし以前いぜん脱退だったいした山崎やまざき高橋たかはし須川すがわふくほかのメンバーもラッツ以外いがい音楽おんがく活動かつどう一般人いっぱんじんとなるなどそれぞれのみちすすんだ。

1987ねんすずあねである鈴木すずき聖美きよみ歌手かしゅデビューをサポート。「鈴木すずき聖美きよみ with Rats&Star」としてリリースしたデュエットきょくロンリーチャップリン」がヒットし、のちにカラオケのデュエットソングの定番ていばんとなった。「鈴木すずき聖美きよみ with Rats&Star」としての楽曲がっきょく発売はつばい同年どうねん11がつのシングル「TAXI」が最後さいごとなり、以後いご新曲しんきょくをリリースすることもなく活動かつどう休止きゅうし状態じょうたいになる。しかし年越としこしライブ「NEW YEAR ROCK FESTIVAL」への出演しゅつえんなど単発たんぱつてき活動かつどうおこなっており、1989ねん発売はつばいされたゲームソフト「田代たしろまさしのプリンセスがいっぱい」ではラッツ&スターのメンバー全員ぜんいんがゲームない登場とうじょうするなどしていた。またどう時期じきにはゼネラル石油ぜねらるせきゆのCMにもメンバー全員ぜんいん出演しゅつえんしたこともあった。90年代ねんだいはいるとそのような機会きかいもほとんどなくなっていき、1991ねんには新保しんぼ覚醒剤かくせいざい不法ふほう所持しょじ逮捕たいほされている。

1992ねん7がつ15にちには『SOUND ARENA』(フジテレビ)にみどりのスーツを出演しゅつえんし、メドレーを披露ひろうしている。この番組ばんぐみ田代たしろ司会しかいつとめていた番組ばんぐみであり、同年どうねん6月24にち放送ほうそう鈴木すずきがゲスト出演しゅつえんしたさいおなじく司会しかいつとめていた徳光とくみつ和夫かずお徳光とくみつさかい正章まさあき田代たしろの3にん司会しかいつとめていた)が鈴木すずきにラッツでの出演しゅつえんけて実現じつげんしたものだった。

ネズミねん1996ねんにメンバーがさい集結しゅうけつし、期間きかん限定げんてい活動かつどう再開さいかいする。ラッツ&スターとしては11ねんりとなるシングルである大瀧おおたき詠一えいいちプロデュースの「ゆめえたら」をリリースし、ライオン株式会社かぶしきがいしゃ歯磨はみがき「クリスタ」のCMソングに起用きようされた。その全国ぜんこくツアーを敢行かんこうし、同年どうねんどうきょくで『だい47かいNHK紅白こうはく歌合戦うたがっせん』にはつ出場しゅつじょうする。

1996ねんさい集結しゅうけつ以降いこう桑野くわのが『THEよるもヒッパレ』(日本にほんテレビ)でグループの活動かつどう再開さいかい明言めいげんしていたが、田代たしろ一連いちれん不祥事ふしょうじによりはなしえになったようである[注釈ちゅうしゃく 2]。しかし、それ以降いこう桑野くわのは「解散かいさんしたわけではなく、もし活動かつどう再開さいかいするのであればさい結成けっせいではなくさい集結しゅうけつです」とべており、2019ねんに『いまだにファンです!』(テレビ朝日てれびあさひ)に出演しゅつえんしたさいにも解散かいさん否定ひていし、「またあつまって(ラッツを)絶対ぜったいにやろうという気持きもちはだれよりもつよいです」とかたっている[5]

2000年代ねんだい[編集へんしゅう]

2006ねん4がつ19にちに、鈴木すずき佐藤さとう桑野くわのの3にんが、ゴスペラーズのメンバー(村上むらかみてつや酒井さかい雄二ゆうじ)とのコラボレーションで「ゴスペラッツ」としてアルバムをリリースした。

2008ねん7がつ京浜急行電鉄けいひんきゅうこうでんてつ主要しゅようえき接近せっきんメロディ使用しようする楽曲がっきょく一般いっぱんから募集ぼしゅうした結果けっか京急けいきゅう蒲田かまたえきのメロディに「ゆめえたら」が採用さいようされ、同年どうねん12月11にち使用しよう開始かいしした。採用さいよう理由りゆうには、鈴木すずき桑野くわのどうえき所在しょざいする大田おおた出身しゅっしんであること、グループを代表だいひょうする楽曲がっきょくであることのふたつがげられている。

2009ねん2がつ田代たしろみずからのブログ鈴木すずき佐藤さとう会食かいしょくし、鈴木すずき田代たしろにラッツの30周年しゅうねんについては困難こんなん見解けんかいしめしつつも、たがいに「ラッツは宝物ほうもつだ」ということを確認かくにんしあい、「おまえ真面目まじめにやって宝物ほうもつみがいておれたちのまえすなら、おれもそれをすよ」とかたったことをかした。よく3がつ鈴木すずきしんアルバム『Still Gold』の発表はっぴょう記念きねんイベントで「ふたたび、田代たしろさんとうた可能かのうせいはあるのか」との質問しつもんけ、「かれ自分じぶんをもっとみがいてほしい。そうしたら、オレもみがいたStill Gold(黄金おうごんかがやき)をかれまえしたいとおもいます」とこたえた。

田代たしろかんしては、2000ねん不祥事ふしょうじによる芸能げいのう活動かつどう休止きゅうしさい桑野くわの田代たしろ桑野くわの師匠ししょうかくにあたる志村しむらけん一緒いっしょ田代たしろ復帰ふっき支援しえんしたにもかかわらず、2001ねん田代たしろ風呂場ふろばのぞおよ覚醒剤かくせいざい不法ふほう所持しょじ逮捕たいほされてしまい、以降いこう田代たしろ覚醒剤かくせいざいふく不祥事ふしょうじ連発れんぱつすることになる。2001ねん不祥事ふしょうじさい桑野くわの田代たしろ猛烈もうれつ非難ひなんして以降いこう絶縁ぜつえん状態じょうたいとなってしまっていたが、2009ねんあたりには桑野くわのとは和解わかいして、鈴木すずき佐藤さとうとも会食かいしょくをしたり、すで一般人いっぱんじんとなっている久保木くぼきとも対面たいめんしたりと田代たしろのメンバーとの関係かんけい改善かいぜんされていた。また、田代たしろはこのあたりは山崎やまざき一緒いっしょ仕事しごとをしたりしている。しかし、2010ねん逮捕たいほされて以降いこう鈴木すずき桑野くわのから田代たしろ非難ひなんするコメントが以外いがいはメンバーとは完全かんぜん断絶だんぜつ状態じょうたいになってしまい、出所しゅっしょには2010ねん逮捕たいほまえまで一緒いっしょ仕事しごとをしていた山崎やまざきがブログで田代たしろなつかしむコメントをしていたが、2019ねんふたた逮捕たいほされたさいはメンバーからのコメントは一切いっさいかった。上述じょうじゅつとおり、1996ねんさい集結しゅうけつ以降いこうにもすうかいさい集結しゅうけつはなしはあったが、いずれも田代たしろがそのたび不祥事ふしょうじ連発れんぱつして白紙はくしになっている。

2009ねん9月2にちBlu-spec CDにて、1996ねん発売はつばいのベストアルバム『BACK TO THE BASIC〜The Very Best of RATS&STAR〜』が鈴木すずき雅之まさゆきの"Martini"シリーズ『Martini Blend』とともに再発さいはつされた。

2009ねん下北沢しもきたざわのソウルバー「エクセロ」が25周年しゅうねん記念きねんイベントをおこなったさいに、田代たしろふくめたラッツ&スターのメンバーが出演しゅつえん。ひさしぶりにラッツ&スターのメンバーがかおをそろえた。ステージでは「スタンドバイミー」を披露ひろうした(田代たしろのブログより)。

2010年代ねんだい以降いこう[編集へんしゅう]

2010ねん2がつ25にち、デビュー30周年しゅうねん記念きねんして、オリジナル・アルバム(9まい)・はつのBめんしゅう・レアトラックしゅうけい11まいのCDとPVしゅう秘蔵ひぞう映像えいぞうのDVD1まい、その豪華ごうか特典とくてんきで、はつのBOX『The Complete 〜History of RATS & STAR〜』が完全かんぜん生産せいさん限定げんてい発売はつばい

2015ねん9月2にちに「ゴスペラッツ」10周年しゅうねんとして、アルバム「GOSPE☆RATS ~ぺラッII~」を発表はっぴょうし、同月どうげつ東京とうきょう大阪おおさかおこなわれるライブイベント「SOUL POWER」に出演しゅつえん[6][7][8][9]

近年きんねん鈴木すずき佐藤さとう桑野くわのの「ゴスペラッツ」での活動かつどう鈴木すずきのコンサートツアーに佐藤さとう桑野くわの同行どうこうしたりしているが、出雲いずも山崎やまざきが「オシャレズ」や「浅草あさくさロマンス」として活動かつどうしたり、出雲いずも新保しんぼ山崎やまざき高橋たかはし須川すがわで「アンドスターズ」として活動かつどうしたりと、田代たしろ久保木くぼきのぞくメンバーあいだ同士どうしのライブとうでの活動かつどう活発かっぱつしている[10]

楽曲がっきょくについて[編集へんしゅう]

デビューきょくの『ランナウェイ』は湯川ゆかわれい作詞さくしを、井上いのうえ大輔だいすけ作曲さっきょく担当たんとうし、もこのにんによっておおくのヒットきょくつくられた。とく井上いのうえはラッツ&スター時代じだいふくめてほとんどのシングルきょくにおいて作曲さっきょくおこなっている。また、作詞さくしうれまさいさむはじめて提供ていきょうしたのが麻生あそううらら名義めいぎによるシャネルズの『星屑ほしくずのダンス・ホール』というきょくで、のちに『めぐみのひと』『今夜こんやはフィジカル』『グラマーGuy』などおおくの楽曲がっきょく作詞さくし担当たんとうした。アルバム収録しゅうろくきょく大半たいはんや「あこがれのスレンダー・ガール」などの一部いちぶのシングルきょく田代たしろ作詞さくしを、鈴木すずき作曲さっきょく担当たんとうしている。田代たしろ鈴木すずき二人ふたり小泉こいずみ今日子きょうこシブがきたい楽曲がっきょく提供ていきょうしたこともある。そのには村松むらまつ邦男くにおもグループの編曲へんきょくふかたずさわっている。

リードボーカルは基本きほんてき鈴木すずきつとめていたが、アルバムには田代たしろがリードをきょく収録しゅうろくされていることがおおく、そのにも佐藤さとう久保木くぼき桑野くわの新保しんぼがそれぞれリードボーカルを担当たんとうする楽曲がっきょく存在そんざいする。

デビューまえから交流こうりゅうのある大瀧おおたき詠一えいいちは、とうグループのデビューきょくように『スパイスソング』ときょくいており、ハウス食品はうすしょくひん「ペッパー」のCMソングとして使つかわれる予定よていであったが、結局けっきょく使つかわれなかった(ゴスペラッツのアルバムに収録しゅうろくされた『星空ほしぞらのサーカス〜ナイアガラへあいをこめてへん〜』は、このきょくと『星空ほしぞらのサーカス』のメドレーである)。大瀧おおたきによるどうきょくのデモバージョンは、アルバム『NIAGARA CM SPECIAL 3rd Issue 30th Anniversary Edition』におさめられた。シングル発売はつばいされた『Tてぃーシャツに口紅くちべに』とそのBめんきょく星空ほしぞらのサーカス』の作曲さっきょくや、先述せんじゅつの2きょく収録しゅうろくされたアルバム『SOUL VACATION』のプロデュース、かれ作詞さくし作曲さっきょくした『ゆめえたら』をラッツがカバーした(オリジナルは吉田よしだ美奈子みなこ)シングル製作せいさくのスーパーバイザーでもあった。

ディスコグラフィー[編集へんしゅう]

シングル[編集へんしゅう]

発売はつばい 規格きかく 規格きかく品番ひんばん タイトル Bめん (c/w) 最高さいこう
オリコン
シャネルズ
1st 1980ねん2がつ25にち EP 06・5H-30 ランナウェイ 夢見ゆめみるスィートホーム 1
2nd 1980ねん6月21にち EP 06・5H-40 トゥナイト ビッグ・シティ・キャット 3
3rd 1981ねん2がつ1にち EP 07・5H-64 街角まちかどトワイライト アゲイン 1
4th 1981ねん5月21にち EP 07・5H-80 ハリケーン なぎさのウエディング・ベル 2
5th 1981ねん9月21にち EP 07・5H-100 なみだのスウィート・チェリー/ラブ・ミー・ドゥ 12
6th 1982ねん3月21にち EP 07・5H-111 あこがれのスレンダー・ガール なぎさのスーベニール 13
7th 1982ねん7がつ1にち EP 07・5H-125 サマー・ホリデー ピンナップ・ガール 17
8th 1982ねん8がつ25にち EP 07・5H-136 もしかして I LOVE YOU.(「シャネルズ+1」名義めいぎ ミッドナイト・ベイ・ブルース 28
9th 1982ねん11月21にち EP 07・5H-142 週末しゅうまつダイナマイト なみだでハッピー・バースデー 34
ラッツ&スター
10th 1983ねん4がつ1にち EP 07・5H-153 ぐみのひと 彼氏かれしになりたい 1
11th 1983ねん9月1にち EP 07・5H-169 Tてぃーシャツに口紅くちべに 星空ほしぞらのサーカス 18
12th 1983ねん12月1にち EP 07・5H-187 今夜こんやはフィジカル つきへはせるおもい (Warping the Moon) 35
13th 1984ねん3月1にち EP 07・5H-191 月下美人げっかびじん(ムーンライト・ハニー) マジック・ナイト 29
14th 1984ねん7がつ1にち 12inch 12・3H-134 グラマーGuy グラマーGuy (English Version) 77
15th 1984ねん10月21にち EP 07・5H-210 くちびるにナイフ IN THE MOON 66
16th 1985ねん4がつ1にち EP 07・5H-235 マドンナはおまえだけ なぎさのドラマチック 57
17th 1985ねん9月1にち EP 07・5H-262 レディ・エキセントリック GOOD MY FRIEND -
18th 1996ねん4がつ22にち CD ESCB-1730 ゆめえたら ゆめえたら -original backing track- 8

※すべてのシングルは、現在げんざい廃盤はいばん

※「鈴木すずき聖美きよみ with Rats&Star」名義めいぎは、鈴木すずき聖美きよみ with Rats&Star参照さんしょう

アルバム[編集へんしゅう]

発売はつばい 規格きかく タイトル 最高さいこう
オリコン
シャネルズ
1st 1980ねん5月21にち LP・CT・CD* Mr.ブラック 1
2nd 1981ねん3月21にち LP・CT・CD** Heart & Soul 1
LIVE 1981ねん7がつ11にち LP・CT・CD** LIVE AT WHISKY A GO GO 1
BEST 1981ねん11月1にち LP・CT シャネルズ・ベスト 4
3rd 1981ねん12月10にち LP・CT・CD** Hey!ブラザー 9
4th 1982ねん8がつ1にち LP・CT・CD* SOUL SHADOWS 7
BEST 1982ねん10月21にち LP・CT シャネルズ・ベスト2 44
5th 1982ねん12月1にち LP・CT・CD** ダンス!ダンス!ダンス! 13
ラッツ&スター
6th 1983ねん11月1にち LP・CT・CD* SOUL VACATION 3
BEST 1984ねん7がつ1にち LP・CT・CD* 14 CARATS 24
7th 1984ねん11月21にち LP・CT・CD* SEE THROUGH 26
8th 1985ねん5月22にち LP・CT・CD* RATS ENTERTAINMENT SING!SING!SING! 43
BEST 1996ねん7がつ20日はつか CD・MD BACK TO THE BASIC〜The Very Best of RATS&STAR〜 5
BEST 2003ねん1がつ1にち CD THE LEGEND -

形態けいたいらんに*しるしがあるアルバムは、1995ねんに『CD選書せんしょ』として発売はつばいされている。(**いんはつCD

※「鈴木すずき聖美きよみ with Rats&Star」名義めいぎは、鈴木すずき聖美きよみ with Rats&Star参照さんしょう

企画きかく[編集へんしゅう]

発売はつばい 規格きかく タイトル 最高さいこう
オリコン
シャネルズ
カセット企画きかく 1982ねん7がつ21にち CT ギャグ噴射ふんしゃ!!〜右手みぎてのマニキュア〜 -
ラッツ&スター
カセット企画きかく 1983ねん7がつ1にち CT ラッツ&スター誕生たんじょう!! -
ボックス企画きかく 2010ねん2がつ25にち CD・DVD・書籍しょせきTてぃーシャツ The Complete 〜History of RATS & STAR〜 166

映像えいぞう[編集へんしゅう]

発売はつばい タイトル 概要がいよう
シャネルズ
PV 1982ねん6月21にち GET-SOUL ビデオシングル。『SOUL BROTHERS』から3きょくカット収録しゅうろく
PV 1982ねん6月21にち SOUL BROTHERS はつビデオ・クリップしゅう
ラッツ&スター
LIVE 1984ねん8がつ25にち RATS&STAR in concert ALL THAT RATS はつのライブ・ビデオ。

NHK紅白こうはく歌合戦うたがっせん出場しゅつじょうれき[編集へんしゅう]

年度ねんど 放送ほうそうかい かい 曲目きょくもく 出演しゅつえんじゅん 対戦たいせん相手あいて
1996ねん だい47かい はつ ゆめえたら 07/25 DREAMS COME TRUE
注意ちゅういてん
  • 出演しゅつえんじゅんは「出演しゅつえんじゅん/出場しゅつじょうしゃすう」であらわす。

出演しゅつえん番組ばんぐみ[編集へんしゅう]

テレビ[編集へんしゅう]

ラジオ[編集へんしゅう]

CM出演しゅつえん[編集へんしゅう]

関連かんれん書籍しょせき[編集へんしゅう]

  • 単行本たんこうぼん『シャネルズのラッツ&スター』 (はち曜社、1981ねん5がつ10日とおか
  • 写真しゃしんしゅう『ザ・シャネルズ』 (徳間書店とくましょてん、1981ねん9がつ30にち

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 「CHANELS」はフランス語ふらんすごみなら「シャネル」。「シャネル」にはならない。
  2. ^ ちなみにデビュー25周年しゅうねん2005ねんには、桑田くわた佳祐けいすけプロデュースによるアルバム発売はつばい、ラッツ&スターのパチンコだいはなしがっていた。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ McNeil, Baye (2015ねん2がつ18にち). “Time to shut down this modern-day minstrel show”. The Japan Times (The Japan Times LTD.). https://www.japantimes.co.jp/community/2015/02/18/our-lives/time-shut-modern-day-minstrel-show/ 2021ねん1がつ22にち閲覧えつらん 
  2. ^ a b c ラッツ&スター(ラッツ・アンド・スター)の情報じょうほうまとめ”. OKMusic. ジャパンミュージックネットワーク株式会社かぶしきがいしゃ. 2021ねん1がつ22にち閲覧えつらん
  3. ^ a b c d e 藤島ふじしま久美子くみこ「シャネルズ 鈴木すずき雅之まさゆきインタビュー 『おれたち、おまつさわきだから、学園がくえんさいるのってすごたのしみだね』」『シティロード』1981ねん11がつごう、エコー企画きかく、92ぺーじ 
  4. ^ 【1980ねん5がつ】ランナウェイ/うた本業ほんぎょうでなかったシャネルズ デビューまえから長蛇ちょうだれつ - スポニチ Sponichi Annex 芸能げいのう”. スポーツニッポン (2011ねん5がつ1にち). 2023ねん2がつ7にち閲覧えつらん
  5. ^ 田代たしろまさし不祥事ふしょうじなげくファンに…くわマン、ラッツ&スター再始動さいしどうおも”. マイナビニュース (2019ねん6がつ23にち). 2023ねん2がつ7にち閲覧えつらん
  6. ^ ラッツ&スター+ゴスペラーズ、『ゴスペラッツ』ふたた集結しゅうけつ”. TOWER RECORDS (2015ねん8がつ31にち). 2023ねん2がつ7にち閲覧えつらん
  7. ^ ラッツ&スターとゴスペラーズがふたた合体がったい!ゴスペラッツしんアルバム発表はっぴょう”. 音楽おんがくナタリー (2015ねん7がつ2にち). 2023ねん2がつ7にち閲覧えつらん
  8. ^ ゴスペラッツ 伝説でんせつのユニットふたた集結しゅうけつ!「10周年しゅうねん記念きねんアルバム」発売はつばい決定けってい”. SonyMusic (2015ねん7がつ2にち). 2015ねん7がつ7にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2023ねん2がつ7にち閲覧えつらん
  9. ^ 『ラッツ&スター』と『ゴスペラーズ』の選抜せんばつ『ゴスペラッツ』が9月にさい結成けっせい”. ミドルエッジ (2015ねん9がつ16にち). 2023ねん2がつ7にち閲覧えつらん
  10. ^ アンドスターズ❣️3度目どめ集結しゅうけつ”. 山崎やまざき廣明ひろあきオフィシャルブログ (2021ねん11月30にち). 2023ねん2がつ7にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]