しき単座たんざ戦闘せんとう

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中島なかじま キ44 しき戦闘せんとう鍾馗しょうき

1945年撮影の二式戦二型乙(キ44-II乙)

1945ねん撮影さつえいしきせんがたおつ(キ44-IIおつ

しき戦闘せんとう(にしきせんとうき)は、だい世界せかい大戦たいせんどき大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん戦闘せんとう番号ばんごう試作しさく名称めいしょう)はキ44愛称あいしょう鍾馗しょうき(しょうき)。略称りゃくしょう呼称こしょうしきせんしきたんせんせんたんヨンヨンなど。連合れんごうぐんコードネームTojo(トージョー)[ちゅう 1]開発かいはつ製造せいぞう中島なかじま飛行機ひこうきである。制式せいしき名称めいしょうたんに「しき戦闘せんとう」である昭和しょうわ17ねん1がつ28にちりくひそかだい283ごうにて「しき戦闘せんとう」として陸軍りくぐん兵器へいきとして制式せいしき制定せいてい)が、「しきふく戦闘せんとう」との混同こんどうけるため便宜上べんぎじょうしき単座たんざ戦闘せんとう」とばれることがある。

概要がいよう[編集へんしゅう]

従来じゅうらい陸海りくかいぐん戦闘せんとうとはことなり旋回せんかい性能せいのうよりも速度そくど優先ゆうせんさせており、すぐれた上昇じょうしょうりょく加速かそくりょく急降下きゅうこうか性能せいのうをもそなえたしん時代じだい優秀ゆうしゅうであったが、反面はんめん、(日本にっぽん戦闘せんとうとしては)旋回せんかい性能せいのう航続こうぞく距離きょりにはおとり、つばさめん荷重かじゅうおおきい。これらは欧米おうべい戦闘せんとうくらべると標準ひょうじゅんてきであったが、格闘かくとうせんひいでて操縦そうじゅう容易ようい従来じゅうらいれていた操縦そうじゅうしゃには、離着陸りちゃくりくむずかしさ、航続こうぞく距離きょり不足ふそくなどを理由りゆうきらわれる傾向けいこうにあった[2]

設計せっけいかかわった糸川いとかわ英夫ひでお技師ぎしは、「はやぶさ戦闘せんとう時宜じぎ有名ゆうめいだが、自分じぶん最高さいこう傑作けっさくだとおもっているのは、それのつぎ設計せっけいした「鍾馗しょうき戦闘せんとうである」と戦後せんご著書ちょしょしるしている。

開発かいはつ計画けいかく[編集へんしゅう]

しきせんがたきのえ(キ44-IIかぶと

1937ねん昭和しょうわ12ねん)12月に制式せいしき採用さいようされた中島なかじませいきゅうななしき戦闘せんとう(キ27)は、しゅあしこそ保守ほしゅてき固定こていあし採用さいようしたものの、陸軍りくぐんはつぜん金属きんぞくせいていつばさ単葉たんよう意欲いよくてき設計せっけいであり、上昇じょうしょうりょく旋回せんかいせいすぐれた格闘かくとうせんけの優秀ゆうしゅうであった。しかしきゅうななせん登場とうじょう、すでに欧州おうしゅうでは引込ひきこめあしBf 109ドイツ)とスピットファイアイギリス)が出現しゅつげんしており、陸軍りくぐん新型しんがた戦闘せんとう開発かいはつ模索もさくする[3][4]

参謀さんぼう本部ほんぶしめした兵器へいき研究けんきゅう方針ほうしんによれば、1937ねんから1938ねん昭和しょうわ13ねん当時とうじ陸軍りくぐんは3種類しゅるい戦闘せんとう研究けんきゅう開発かいはつしようとしていた[5]。まず1機種きしゅ従来じゅうらいどお格闘かくとう性能せいのう重視じゅうしした「けい単座たんざ戦闘せんとう」、つぎの1機種きしゅじゅう武装ぶそうかつたい戦闘せんとうせんにもたい大型おおがたせんにも対応たいおうできる速度そくど重視じゅうしの「じゅう単座たんざ戦闘せんとう[6]のこる1機種きしゅ双発そうはつ万能ばんのう戦闘せんとうもとづいた長距離ちょうきょりふく戦闘せんとうであった[ちゅう 2][7]。これにもとづき、中島なかじま川崎かわさき三菱みつびし各社かくしゃけいせんじゅうせん研究けんきゅう開発かいはつ指示しじし、これにたいする中島なかじま回答かいとうが「けいせん」のキ43(一式いっしき戦闘せんとうはやぶさ」)と「じゅうせん」のキ44(しき戦闘せんとう鍾馗しょうき」)であった(とも設計せっけい主務しゅむしゃ小山こやま技師ぎしちょう)。ただしキ43設計せっけいチームの青木あおき邦雄くにお技師ぎしは、「はやぶさ(キ43)」もおもせん(Bf 109)を目指めざしたものの、じゅうせん開発かいはつ経験けいけんあささから結果けっかとしてけいせんになってしまったとべている[8][9]。キ44にたいしてけいせん主導しゅどうしゃからの不要ふようろんがあったが、どう時期じきノモンハン事件じけん後期こうきノモンハン航空こうくうせん)においてソ連それん赤色あかいろ空軍くうぐん戦闘せんとう一撃いちげき離脱りだつ戦法せんぽう駆使くししていたせんくん、そのためI-16などの高速こうそくたいしていちげき離脱りだつ攻撃こうげき追撃ついげきおこなえる新鋭しんえい戦闘せんとう必要ひつようせいみとめられ、停滞ていたいしていた開発かいはつ活発かっぱつした[10]

しきせんがたきのえ(キ44-IIかぶと

きゅうななせん発展はってんがたとして開発かいはつすすんだキ43にくらべ、じゅうせんというものの開発かいはつ経験けいけんのない陸軍りくぐんおよびかくメーカーでは基本きほん仕様しようをまとめるだけでも手間取てまどり、開発かいはつスケジュールはキ43よりも後回あとまわしにされた。とりあえず中島なかじまでは陸軍りくぐん要求ようきゅう性能せいのうるよりもさきに、Bf 109を目標もくひょうとし、当時とうじ国産こくさん入手にゅうしゅ可能かのうだった最大さいだい出力しゅつりょくのエンジンであるハ41はなれのぼり 1,250馬力ばりき)を装備そうび主翼しゅよく面積めんせきは15 m2武装ぶそうに20 mm機関きかんほう装備そうびする予定よてい開発かいはつすすめることになった。青木あおきによれば「鍾馗しょうき」ははやぶさ採用さいようされなかった場合ばあい保険ほけんであり、研究けんきゅうてき側面そくめんつよいという[11]。それゆえに、中島なかじまは「鍾馗しょうき」にしん技術ぎじゅつしん構想こうそうむことが出来でき[11]陸軍りくぐんがわ要求ようきゅう性能せいのうおくれて1939ねん昭和しょうわ14ねん)にされ、最大さいだい速度そくど 600 km/h以上いじょう上昇じょうしょう時間じかん 5000 m まで5ふん以内いない行動こうどう半径はんけい600 kmとうとされた。

陸軍りくぐんはノモンハン事件じけんせんくんのみならず、欧米おうべい情勢じょうせい研究けんきゅうによって防弾ぼうだん装備そうびたい理解りかいがあったため、キ44には既存きそん防火ぼうかタンク(防弾ぼうだんタンク・ぼう燃料ねんりょうタンクとも。タンク被弾ひだん漏洩ろうえい発火はっかふせぐためタンク外装がいそう積層せきそうゴムなどでつつんだセルフシーリングしき。なお、陸軍りくぐんはキ43試作しさく1号機ごうき時点じてん中島なかじまたい防火ぼうかタンクの装備そうび命令めいれいしている)だけでなく、操縦そうじゅうしゃ保護ほごのために座席ざせき後部こうぶに13 mmあつ防弾ぼうだん鋼板こうはんぼうだて鋼板こうはん)を日本にっぽん戦闘せんとうとしてははじめて装備そうびしている[ちゅう 3]防弾ぼうだん鋼板こうはんあたまてとてに装備そうびされ、そう重量じゅうりょうは60 kgであった。

開発かいはつ指示しじ段階だんかいでは、武装ぶそうとして固定こてい機関きかんほう1もん固定こてい機関きかんじゅう2てい装備そうびもとめられていた[12]つばさないにはどう時期じきしん開発かいはつされた榴弾りゅうだんゆうする12.7 mm機関きかんほう2もんホ103 一式いっしきじゅうななみりめーとる固定こてい機関きかんほう)、機首きしゅには従来じゅうらいの7.7 mm機関きかんじゅう2ていはちきゅうしき固定こてい機関きかんじゅう)となっている。陸軍りくぐんにはすくない引込ひきこめしき採用さいようしている。

試作しさく審査しんさ[編集へんしゅう]

しきせんがたきのえ(キ44-IIかぶと

試作しさく1940ねん昭和しょうわ15ねん)10がつはつ飛行ひこうしたが、エンジンの性能せいのう不足ふそく不具合ふぐあいおおかったため、各所かくしょ改良かいりょうほどこ[ちゅう 4]

最終さいしゅうてきには高度こうど 3700 mにて最大さいだい速度そくど 580 km/h、そとばん目張めばりした状態じょうたいでは 626 km/hを記録きろくした。しかし、従来じゅうらい戦闘せんとうくらべて旋回せんかい性能せいのうおとり、だい直径ちょっけいエンジンのために3てん姿勢しせいでの前方ぜんぽう視界しかいわる[ちゅう 5]失速しっそく速度そくどたかいため高速こうそくでの着陸ちゃくりくもとめられた。反面はんめん射撃しゃげきテストでは優秀ゆうしゅう命中めいちゅうりつしめし、1941ねん昭和しょうわ16ねんなつにドイツから輸入ゆにゅうしたBf 109 E-7との模擬もぎ空戦くうせんにてキ44の総合そうごう性能せいのうはBf 109 Eを上回うわまわった[14]。そのため、欧米おうべい新鋭しんえい戦闘せんとう対抗たいこう可能かのう戦闘せんとうとして有用ゆうよう位置いちづけられたが、軽快けいかい格闘かくとうせん能力のうりょく理想りそうとするおおくの古参こさん操縦そうじゅうしゃからは相変あいかわらずの不評ふひょうおおかった。

採用さいよう改良かいりょう[編集へんしゅう]

きたるべきたいえいべいせんのため、増加ぞうか試作しさくによって1941ねん11月に独立どくりつ飛行ひこうだい47中隊ちゅうたい[ちゅう 6]中隊ちゅうたいちょうさかがわ敏雄としお)が編成へんせいえいべいぐん新鋭しんえいへの対抗たいこう実用じつよう試験しけんねて同年どうねん12がつ太平洋戦争たいへいようせんそうだい東亜とうあ戦争せんそう開戦かいせんとも南方みなかた作戦さくせん実戦じっせん投入とうにゅうされた。はつ出撃しゅつげきは12月25にちであり、ときにはキ44の本領ほんりょう発揮はっきする高速こうそく追撃ついげきいちげき離脱りだつ戦法せんぽう駆使くしするなど特性とくせいかし、黒江くろえ保彦やすひこ大尉たいい神保じんぼすすむ大尉たいい陸軍りくぐんエース・パイロットバッファローハリケーン撃墜げきついするなど戦果せんかげ、実戦じっせんでは航続こうぞく距離きょりのぞいて運動うんどうせい問題もんだいとされなくなった。そして1942ねん2がつしき戦闘せんとうとして制式せいしき採用さいようされた。

開発かいはつ難航なんこうしたことから、試作しさくテストちゅう性能せいのう向上こうじょうのための改修かいしゅうあん検討けんとうされた。だいいち性能せいのう向上こうじょうさくとして、搭載とうさいエンジンをハ41からこれの改良かいりょうがたであるハ109はなれのぼり1,500馬力ばりき)にかわそうすることがこころみられた。この改修かいしゅうにより速度そくど性能せいのう向上こうじょうしたため、1942ねん12月にしき戦闘せんとうがたキ44-II)として制式せいしき採用さいようされた。このためそれまでの生産せいさんがたしき戦闘せんとういちがたキ44-I)としょうされる。なお、いちがた(キ44-I)の生産せいさんすうは40のみで、のこ大半たいはんがた(キ44-II)である。

1943ねん昭和しょうわ18ねん)には、だい性能せいのう向上こうじょうがたとして2,000馬力ばりききゅうエンジンであるハ145搭載とうさいしたキ44-III開発かいはつがなされるが、この試作しさく完成かんせいしたころには新型しんがた高性能こうせいのう万能ばんのう戦闘せんとうであるキ84(のちのよんしき戦闘せんとう疾風しっぷう)の開発かいはつすすんでおり、キ44-IIIは実用じつようされず、またしきせん生産せいさん自体じたいも1944ねんまつ終了しゅうりょうした。そう生産せいさんすうかくかた合計ごうけい1,225である。

技術ぎじゅつてき特徴とくちょう[編集へんしゅう]

所沢ところざわ陸軍りくぐん航空こうくう整備せいび学校がっこうにて講習こうしゅう使用しようされているしきせんがた(キ44-II)

速度そくど上昇じょうしょうりょく優先ゆうせん設計せっけい思想しそうもとづき、だいみちだい出力しゅつりょくのエンジンにかる胴体どうたいちいさい主翼しゅよくそなえているが、胴体どうたいはエンジン直後ちょくごからきゅうほそしぼんである。このてんおなじくだいみちだい出力しゅつりょくエンジンを装備そうびしながらさらにふと紡錘ぼうすいかたち胴体どうたい設計せっけいされた三菱みつびし雷電らいでんとは対照たいしょうてきである。雷電らいでんでは表面積ひょうめんせき重量じゅうりょうぞう視界しかい悪化あっかがデメリット、プロペラ推力すいりょく有効ゆうこう面積めんせきえることがメリットであり、ほんではそのぎゃくとなる。

設計せっけいしゃ一人ひとり糸川いとかわ技師ぎしはブランコに二人ふたり子供こどもて、たてよこ運動うんどうたがいに連動れんどうせずにはなされた操縦そうじゅうけいをもつ機体きたい操縦そうじゅうしゃたて操作そうさよこ操作そうさおこなったとき機体きたい余分よぶんうごきをせずその操作そうさのみに反応はんのうする)を発想はっそう[ちゅう 7]、この構想こうそうからほん水平すいへい尾翼びよくのかなり後方こうほう位置いちする特徴とくちょうてき垂直すいちょく尾翼びよくをもち、機動きどうから射撃しゃげき体勢たいせいうつったときの安定あんていせいたかめている。このため射撃しゃげきわりがよく、機関きかん銃砲じゅうほう命中めいちゅうりつたかいと好評こうひょうであった。この構造こうぞうよんしきせんにもがれた。

ひく垂直すいちょく尾翼びよく下膨しもぶくがた[16]われ、プロペラりゅう悪影響あくえいきょう軽減けいげんする手法しゅほうのひとつである。プロペラりゅう螺旋らせんじょう回転かいてんしており垂直すいちょく尾翼びよくよこからたたいて機首きしゅ偏向へんこうさせるが、これは外周がいしゅうがわほど強力きょうりょくであり、垂直すいちょく尾翼びよく面積めんせき重心じゅうしんをプロペラじくせることでその影響えいきょうちいさくできる[16]欧米おうべい単発たんぱつ戦闘せんとう垂直すいちょく尾翼びよくたかいがプロペラじくすう下向したむ[ちゅう 8]にして同様どうよう効果こうかている[16]。また、離陸りりく滑走かっそうから浮揚ふようへのむかえかく変化へんかさい垂直すいちょく尾翼びよくへのペラりゅうたりかた急変きゅうへんし、ぎゃくとうかじ修正しゅうせい必要ひつよう瞬間しゅんかんがあるが、操作そうさおくれると機首きしゅ急激きゅうげきられやすい。この現象げんしょうはヒッカケラレとび、これの軽減けいげんにも上記じょうき対策たいさく有効ゆうこうである[17]

しかし最大さいだい難点なんてん着陸ちゃくりく速度そくどはやさとあたまデッカチによる視界しかいわるさであり、明野あけの陸軍りくぐん飛行ひこう学校がっこう実用じつよう試験しけんでは「わかものせられない」「あば」「殺人さつじん」との悪評あくひょうくだされた[18]

主翼しゅよくほんけたのボックス構造こうぞうで、内側うちがわなみばん補強ほきょうされており「850 km/h以上いじょう急降下きゅうこうかでもびくともしない」とひょうされる。当時とうじ陸軍りくぐんじゅうせん明確めいかく思想しそうがなかったため急降下きゅうこうか制限せいげん速度そくど一式いっしきせんとほとんどかわらない余裕よゆうたせた650 km/hに設定せっていされているが[19]実際じっさいにはBf 109の荷重かじゅう倍数ばいすう 10.8G上回うわまわる 12.6 Gの強度きょうど試験しけんをクリアしている。実戦じっせんでは800 km/hの速度そくどこしをおこなっても主翼しゅよくにシワがよることはなかった[20]平面へいめんがたはスパンこそみじかいものの、きゅうななせんから採用さいようしているつばさはし失速しっそくつよ直線ちょくせんつばさもちいており、フラップ中島なかじま独自どくじちょうがたフラップ(ファウラーフラップの一種いっしゅ)を装備そうびしている。ちょうがたフラップは高速こうそく戦闘せんとう旋回せんかい性能せいのうたかめる効果こうか期待きたいされたが、実戦じっせんではれがわずらわしく使用しようされることはなかった(廃止はいし)。また、日本にっぽんぐん視点してんではおとるものとされていた旋回せんかい性能せいのう実際じっさい連合れんごうぐん戦闘せんとうよりもすぐれており、実戦じっせんではまった問題もんだいにならなかった。

いちがた(キ44-I)が搭載とうさいしていたハ41は出力しゅつりょく不足ふそく気味ぎみ予定よてい性能せいのうたっなかったため、性能せいのう向上こうじょうしたハ109ががた(キ44-II)に装備そうびされしきせん主力しゅりょく生産せいさんモデルとなった。しかし、ハ109も稼働かどうりつてんから整備せいびむずかしいエンジンであることにはわりなく、飛行ひこうだい47戦隊せんたい[ちゅう 9]整備せいび指揮しき隊長たいちょうつとめた刈谷かりやただし大尉たいいはハ109について、「こまごまとしたてんではかるやつだった」と述懐じゅっかいしている。

エンジン直後ちょくご胴体どうたいのくびれについて設計せっけいしゃ小山こやまは「胴体どうたい主翼しゅよくとのわる空気くうき干渉かんしょうけるため、ここで胴体どうたいをいくらかしぼって空気くうきながれやすくする」[21]とのかんがえだったとつたえられる[ちゅう 10]一方いっぽう内藤ないとう子生こなじは「中島なかじま飛行機ひこうきではプロペラりゅう収縮しゅうしゅくりゅう[ちゅう 11][22]になることにはやくから着目ちゃくもくし、陸軍りくぐんきゅうななしき戦闘せんとうでは、この着想ちゃくそうのもとに胴体どうたい平面へいめんがたをおたまじゃくしがたにしぼって効果こうかをあげていた。」[23]いている。当然とうぜんながらエリアルール先取さきどりしたものではない。なお、しぼ具合ぐあい図面ずめん書籍しょせき)によってかなりことなる。また、このしぼ胴体どうたい近藤こんどう技士ぎし反対はんたいにより疾風しっぷうには採用さいようされなかった。

実戦じっせん[編集へんしゅう]

飛行ひこうだい85戦隊せんたいしきせんがたきのえ(キ44-IIかぶと

最初さいしょしきせん実戦じっせん部隊ぶたい上述じょうじゅつとおり、増加ぞうか試作しさくおも装備そうびした独立どくりつ飛行ひこう47中隊ちゅうたい愛称あいしょうかわせみ部隊ぶたい新撰しんせんぐみ)。太平洋戦争たいへいようせんそう緒戦しょせん南方なんぽう作戦さくせん従軍じゅうぐんし、インドシナマレービルマ転戦てんせんしたが、補助ほじょタンクを装備そうびしても航続こうぞく距離きょりみじかく、てきしんくへの侵攻しんこうができなかった。そのため、かく方面ほうめん投入とうにゅうされて数々かずかず戦果せんかげた飛行ひこうだい64戦隊せんたい飛行ひこうだい59戦隊せんたい一式いっしきせんはやぶさ)にくらべて戦闘せんとう機会きかいめぐまれず、あまり目立めだった活躍かつやくができなかった。1942ねん5がつには内地ないちもどされ、のちに飛行ひこう戦隊せんたい飛行ひこうだい47戦隊せんたい)に増強ぞうきょう改編かいへんされた。なお、どく47中隊ちゅうたい内地ないちもどされた理由りゆうきゅうななせんではドーリットル空襲くうしゅう阻止そしできず、本土ほんど防空ぼうくうりょく強化きょうかため移動いどう[24]とされている。あくまでしきせんたい戦闘せんとうせんにもたい大型おおがたせんにも両用りょうようし、侵攻しんこう作戦さくせんにも積極せっきょくてきもちいる汎用はんようてき戦闘せんとうとして開発かいはつされているが(このてん海軍かいぐん局地きょくち戦闘せんとうちゅうおつせんとは運用うんよう思想しそう明確めいかくことなる)、このことが起因きいんとなり日本にっぽんはつ邀撃ようげき戦闘せんとうともなった。

1942ねん12月には性能せいのう向上こうじょうしたがた(キ44-II)が量産りょうさんはいり、1943ねんはいってから少数しょうすう部隊ぶたいしきせん機種きしゅ改変かいへんおも中国ちゅうごく戦線せんせん投入とうにゅうされ、なかでも飛行ひこうだい85戦隊せんたい若松わかまつみゆき大尉たいいは「赤鼻あかばなのエース」としてげた。

飛行ひこうだい47戦隊せんたいしきせんがたきのえ(キ44-IIかぶと

1944ねんまつより、日本にっぽん本土ほんどB-29飛来ひらいするようになると、外地がいちにあったいくつかの部隊ぶたい本土ほんど防空ぼうくうもどされ各地かくち展開てんかいし、飛行ひこうだい47戦隊せんたい(1945ねん前後ぜんこうにはよんしきせん機種きしゅ改変かいへん)や飛行ひこうだい70戦隊せんたいなどが戦果せんかげ、だい70戦隊せんたい吉田よしだ好雄よしお大尉たいい小川おがわまこと准尉じゅんいしきせんりのエースを輩出はいしゅつし、本土ほんど決戦けっせんよう兵力へいりょく温存おんぞん処置しょちがなされるまでは邀撃ようげき部隊ぶたいとして活動かつどうおこなった。イギリスのケネス・マンソンの著作ちょさく[25]によれば、37 mmほう装備そうびがたへい(40 mmほう装備そうびおつがた特別とくべつ装備そうびとの誤認ごにんとされる)がこう高度こうど編隊へんたいんで飛来ひらいしたばくげきたいしてよくたたかったとの記述きじゅつられるが、日本にっぽんがわ記録きろくではこう高度こうど飛来ひらいするB-29にたいしては、高空こうくう性能せいのういちじるしくおとって攻撃こうげきができず、防弾ぼうだん鋼板こうはん機関きかんほうまでろし200 kgの軽量けいりょうおこなって、体当たいあたりでB-29撃墜げきついをするふるえてんせいそらたいだい47戦隊せんたいだい70戦隊せんたいなどで編成へんせいされるほどだった。南方なんぽうだいいち野戦やせん補充ほじゅう飛行ひこうたい所属しょぞく陸軍りくぐんトップ・エース、上坊じょうぼう良太郎りょうたろう大尉たいいがホ301装備そうびがたおつ(キ44-IIおつ)でB-29撃墜げきつい戦果せんか記録きろくしたが、高度こうど技術ぎじゅつつエースのまれれいでしかなかった。しかし、よんしきせん出揃でそろうまではさんしき戦闘せんとう飛燕ひえんとともにB-29には比較的ひかくてき有力ゆうりょく機体きたいであったのはわりなく、残存ざんそん迎撃げいげき戦闘せんとうとして本土ほんど防空ぼうくう任務にんむ敗戦はいせんまで活躍かつやくした。

末期まっき外地がいちにおける戦闘せんとうとしては、1945ねん1がつ24にち・29にちスマトラ島すまとらとうパレンバン来襲らいしゅうしたイギリス海軍かいぐんだい63空母くうぼ機動きどう部隊ぶたい艦載かんさいとの防空ぼうくうせんがある(メリディアン作戦さくせん)。パレンバンにはだい油田ゆでん製油せいゆしょ飛行場ひこうじょう存在そんざいし、かつてのらんしるし作戦さくせんしたパレンバン空挺くうてい作戦さくせんにおいて太平洋戦争たいへいようせんそうさい重要じゅうよう攻略こうりゃく目標もくひょうとして日本にっぽん陸軍りくぐん制圧せいあつ占領せんりょうしたさい重要じゅうようであった。同地どうちにはしきせん装備そうびする飛行ひこうだい87戦隊せんたい主力しゅりょくとし、このほか飛行ひこうだい26戦隊せんたいだい33戦隊せんたい一式いっしきせん装備そうびだい33戦隊せんたい装備そうび2のみ)、だい21戦隊せんたいしきふくせん装備そうび)が防空ぼうくう飛行ひこう部隊ぶたいとして配置はいちされていた。にちえい双方そうほう記録きろくらしわせたじつ損害そんがい実戦じっせんはてとして、2日間にちかん空戦くうせん日本にっぽん陸軍りくぐんは20喪失そうしつ、イギリス海軍かいぐんは16喪失そうしつ(ほか帰途きと不時着ふじちゃくすい11ちゃくかん事故じこ14のぞく)であった[26]

陸軍りくぐん上層じょうそうはハ109のてい稼働かどうりつ問題もんだいと、よんしきせん実用じつよう目処めどがついたことを理由りゆうとして途中とちゅうしきせん生産せいさんっており、このため改善かいぜんとままっている。そのため、大戦たいせん末期まっきになっても旧式きゅうしき眼鏡めがねしき照準しょうじゅん装備そうびした機体きたいがあったり、当時とうじ国産こくさん戦闘せんとうではたりまえになっていた推力すいりょくしきたん排気はいきかんへの改修かいしゅうおこなわなかった(この簡単かんたん改造かいぞうほどこすだけで速度そくどは10〜20 km/h向上こうじょうしたとみられ、だい47せん隊長たいちょうおよびだい2航空こうくうぐん試験しけんてき現地げんち改造かいぞうおこなったれいがある)。

一部いちぶ古参こさん操縦そうじゅうしゃには海軍かいぐん雷電らいでん同様どうようあつかいがむずかしい機体きたいであると敬遠けいえんされ、当初とうしょ飛行ひこう時間じかん800あいだたない操縦そうじゅうしゃによる操縦そうじゅう危険きけんであるとされたが、若年じゃくねん操縦そうじゅうしゃせてもなん問題もんだいはなかった。また、従来じゅうらい1,000時間じかん以上いじょうものでないとりこなせないとされたが、200あいだ程度ていどものでも戦果せんかをあげるなどしている。よんしきせん登場とうじょうするまで、優秀ゆうしゅう上昇じょうしょうりょく急降下きゅうこうか性能せいのう最高さいこう速度そくど武装ぶそう防弾ぼうだん装備そうび頑丈がんじょう機体きたい魅力みりょくかんじた操縦そうじゅうしゃおおかった。

しきせん現在げんざいいち現存げんそんしていない。

アメリカぐんによる評価ひょうか[編集へんしゅう]

アメリカぐん鹵獲ろかくされどう国軍こくぐん国籍こくせき標識ひょうしきえがきテスト飛行ひこうちゅうしきせんがた(キ44-II)

TAIC(べい海軍かいぐん航空こうくう情報じょうほう)では、鹵獲ろかくしたしきせんがた(キ44-II)の1使用しよう実際じっさい飛行ひこうテストと性能せいのう調査ちょうさおこなっている。報告ほうこくしょによれば「急降下きゅうこうか性能せいのう上昇じょうしょうりょく傑出けっしゅつ(Excellent)しインターセプターとしてもっとも適切てきせつ (suitable) な機体きたい」とろんじている。どう機関きかんではほかにも、さんしきせんよんしきせん雷電らいでんいちがた紫電しでんいちいちがたなどの鹵獲ろかく調査ちょうさしているが、しきせんはこれらのなか迎撃げいげき戦闘せんとう(インターセプター)として最高さいこう評価ひょうかている[27]

しょもと[編集へんしゅう]

制式せいしき名称めいしょう しき戦闘せんとういちがたかぶと しき戦闘せんとういちがたおつへい しき戦闘せんとうがたかぶと しき戦闘せんとうがたおつ しき戦闘せんとうがたへい
試作しさく名称めいしょう キ44-Iかぶと キ44-Iおつへい キ44-IIかぶと キ44-IIおつ キ44-IIへい
全幅ぜんぷく 9.45 m
全長ぜんちょう 8.9 m 8.84 m 8.85 m
ぜんこう 3.24 m 3.25 m
つばさ面積めんせき 15 m2
つばさめん荷重かじゅう 184.67 kg/m2
自重じちょう 2,095 kg 2,106 kg 2,109 kg
正規せいき全備ぜんび重量じゅうりょう 2,769 kg 2,764 kg
発動はつどう ハ41はなれのぼり 1,250馬力ばりき)1 ハ109はなれのぼり 1,450馬力ばりき)1
最高さいこう速度そくど 605 km/h (高度こうど 5,200 m) 615 km/h (高度こうど 5,200 m) 605 km/h (高度こうど 5,200 m)
上昇じょうしょうりょく 5,000 m まで 4ふん15びょう 5,000 m まで 4ふん26びょう
航続こうぞく距離きょり 1,296 km(落下らっかしきぞうそう装備そうび 1,600 km(落下らっかしきぞうそう装備そうび
武装ぶそう
  • 機首きしゅ上面うわつら
    7.7 mm 機銃きじゅう
    × 2(かく 250はつ
  • つばさない
    12.7 mm 機銃きじゅう
    × 2(かく 250はつ
  • 機首きしゅ上面うわつら
    7.7 mm 機銃きじゅう
    × 2(かく 250はつ
  • つばさない
    12.7 mm 機銃きじゅう
    × 2(かく 250はつ
ばくそう 30 kg〜100 kgばくだん 2はつ
または 250 kgばくだん 1はつ
生産せいさんすう 数量すうりょう不明ふめい 数量すうりょう不明ふめい 353
製造せいぞう番号ばんごう 1001–1353)
394
製造せいぞう番号ばんごう 1356–1749)
426
製造せいぞう番号ばんごう 1750以降いこう
がたへいさんめん

各種かくしゅ形式けいしき[編集へんしゅう]

いちがたきのえ(キ44-Iかぶと
ハ41 (1,250 hp) 搭載とうさい。12.7 mm 機関きかんほう 2もん、7.7 mm 機関きかんじゅう 2てい 装備そうび
いちがたおつ(キ44-Iおつ
12.7 mm 機関きかんほう 4もん 装備そうび
いちがたへい(キ44-Iへい
車輪しゃりんカバーの形状けいじょう変更へんこう。カバーのしたがわを︵から︶のかたちへ。
がたきのえ(キ44-IIかぶと
常陸ひたち教導きょうどう飛行ひこう師団しだん所属しょぞくしきせんがたきのえ(キ44-IIかぶと
ハ109 (1,450 hp) 搭載とうさい。12.7 mm 機関きかんほう 2もん、7.7 mm 機関きかんじゅう 2てい 装備そうび
がたおつ(キ44-IIおつ
12.7 mm 機関きかんほう 2もん一部いちぶホ301 40 mm 機関きかんほう主翼しゅよくに 2もん 特別とくべつ装備そうび可能かのう
がたへい(キ44-IIへい
しきせんがたへい(キ44-IIへい
12.7 mm 機関きかんほう 4もんひかりぞうしき照準しょうじゅんいち〇〇しき射撃しゃげき照準しょうじゅん採用さいよう
さんがたきのえ(キ44-IIIかぶと
ハ145 (2,000 hp) 搭載とうさいたん排気はいきかんよんしき戦闘せんとうおな主翼しゅよく(ただこれは試作しさくいち号機ごうきおなじく19 m2)プロペラを採用さいようしている。武装ぶそうも 20 mm 機関きかんほう×4もん強化きょうか試験しけん飛行ひこう担当たんとうした吉沢よしざわつる寿ひさしによれば「だいぶくなりました。」とのこと[よう出典しゅってん]。しかし、すでによんしき戦闘せんとう採用さいようまっていたためこちらは採用さいようはされなかった。1943ねん昭和しょうわ18ねん)6がつに1号機ごうき完成かんせい、12月実用じつよう審査しんさ完了かんりょう全備ぜんび重量じゅうりょう 2,886 kgというデータあり。製造せいぞうされたのは1のみとのこと。
さんがたおつ(キ44-IIIおつ
さんがたかぶと武装ぶそうをさらに 37 mm 機関きかんほう×2、20 mm 機関きかんほう強化きょうかしたバージョン。かぶとがたから改造かいぞうされてテストされたとかんがえられている。
キ63
1940ねん昭和しょうわ15ねん)に構想こうそうされたじゅう戦闘せんとう当初とうしょ新規しんき設計せっけいとして計画けいかくされていたが開発かいはつすすまず、1941ねんあきごろにキ44-IIIが実質じっしつてきにキ63であると解釈かいしゃくするかたち計画けいかくえになった。エンジンはハ45搭載とうさい検討けんとうされていたが、確定かくていにはいたらずわっている[28]

現存げんそんする機体きたい[編集へんしゅう]

完全かんぜん状態じょうたい機体きたいいが、中国ちゅうごく機体きたいちゅうつばされいせん機体きたいしょうして展示てんじされており、国内こくないにはエンジン周辺しゅうへん現存げんそんする。

型名かためい 機体きたい写真しゃしん 所在地しょざいち 保存ほぞん施設しせつ / 管理かんりしゃ 公開こうかいじょうきょう 状態じょうたい 機体きたい番号ばんごう 備考びこう
しき戦闘せんとう 画像がぞう 中国ちゅうごく

陝西せんせいしょう西安しーあん

西北せいほく工業こうぎょう大学だいがく西安しーあん航空こうくうかん 公開こうかい 胴体どうたい下面かめんちゅうつばさのみ現存げんそん 不明ふめい れいせん胴体どうたい下面かめんちゅうつばさ説明せつめいばんいてある。[1]
しき戦闘せんとうがた 画像がぞう 日本にっぽん

埼玉さいたまけん狭山さやま稲荷山いなりやま2-3

航空こうくう自衛隊じえいたい入間いるま基地きちおさむたけだい記念きねんかん 不定期ふていき公開こうかい[29] ハ5エンジン周辺しゅうへんのみ 不明ふめい

登場とうじょう作品さくひん[編集へんしゅう]

ゲーム[編集へんしゅう]

War Thunder
プレイヤーの操縦そうじゅう機体きたいとしていちがたがたへいがたおつがたおつ課金かきん機体きたい)が登場とうじょうする。
だい旋風せんぷう
プレイヤー機体きたいとしてほんきわめてよく機体きたい登場とうじょう(ゲーム設定せっていはフィクションである)。タイトル画面がめんえがかれる機体きたいがたかぶと記録きろく写真しゃしんもとおもわれる。
荒野あらののコトブキ飛行ひこうたい 大空おおぞらのテイクオフガールズ!
かくキャラクターの搭乗とうじょう可能かのう機体きたいとして登場とうじょう怪盗かいとうだんアカツキのロイグとモアの本来ほんらい搭乗とうじょうであり、専用せんよう塗装とそう用意よういされている。

漫画まんが・アニメ[編集へんしゅう]

戦場せんじょうまんがシリーズ
シリーズのいちへん成層圏せいそうけん戦闘せんとう」にて、B-29迎撃げいげき部隊ぶたい新撰しんせんぐみ」の装備そうびとしてほん登場とうじょうする。
せんつばさのシグルドリーヴァ
がたおつろくしゃ宮古みやふるじょうとして登場とうじょう[30]。オリジナルの状態じょうたいからは照準しょうじゅん機首きしゅ機銃きじゅう交換こうかんされており、翼下よくか左右さゆうに“勇者ゆうしゃほう”と呼称こしょうされる[ちゅう 12]けい2もんちょう砲身ほうしん反動はんどうほう装備そうびされている、という設定せっていである[30][31][ちゅう 13]
よん次元じげん世界せかいシリーズ』
シリーズのいちへんみどりたまき」にて、主人公しゅじんこう機体きたいとしてホ401装備そうび登場とうじょう夜間やかん戦闘せんとう東京とうきょう上空じょうくうのB-29やP-61を40ミリほう撃墜げきついするがほんちる。タイトルの「みどりたまき」とは照準しょうじゅんのレティクルのこと。
荒野あらののコトブキ飛行ひこうたい
だい2登場とうじょうする。

戦時せんじ歌謡かよう[編集へんしゅう]

かね馗呑りゅう新司しんじ偵』
1944ねん4がつ発表はっぴょうされたキングレコード戦時せんじ歌謡かよう軍歌ぐんか時雨しぐれ音羽おとわ作詞さくし細川ほそかわ潤一じゅんいち作曲さっきょくおに俊英しゅんえい歌唱かしょう)。いち〇〇しきじゅう爆撃ばくげき 呑龍いち〇〇しき司令しれい偵察ていさつ 新司しんじとともにしきせんうたう。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 当時とうじ内閣ないかく総理そうり大臣だいじん東條とうじょう英機ひでき陸軍りくぐん大将たいしょうから[1]
  2. ^ これにはキ45あたえられ川崎かわさき開発かいはつ、キ45あらためしきふく戦闘せんとう(「ほふりゅう」)として制式せいしきされている。
  3. ^ 機体きたい重量じゅうりょう低減ていげんもとめられていた一式いっしきせんは1943ねん6がつから生産せいさんがた(キ43-II)途中とちゅうより13 mmあつ防弾ぼうだん鋼板こうはん装備そうび。なお、戦闘せんとう以外いがいではきゅうきゅうしき襲撃しゅうげき(キ51)が1939ねんないし1940ねん試作しさく時点じてん防弾ぼうだん鋼板こうはん防火ぼうかタンクとともに装備そうびみであった。
  4. ^ エンジンカウル・カウルフラップ・エンジン吸気きゅうきようカウル開口かいこう改良かいりょう[13]
  5. ^ ただし空中くうちゅう重要じゅうようぜん下方かほう視界しかいはそのしぼんだ機体きたい設計せっけいによりきわめて良好りょうこう
  6. ^ 部隊ぶたいめい赤穂あこうよんじゅうななにちなむ。
  7. ^ 糸川いとかわ著書ちょしょにてつぎのようにべている――『この飛行機ひこうきのデザインは、みょう動機どうきからまれた。公園こうえんって、ぼんやりベンチにすわっていたとき、おとこおんながブランコをしていた。おな鉄棒てつぼうにブランコがふたつぶらがって、ひとつにおんなが、もうひとつにおとこがのっていたわけである。そのブランコは、ながさがまったおなじだった。かた周期しゅうきは、だから、おんなおとこも、両方りょうほうおなじはずなのだが、ていると、おとこおんなのブランコは実際じっさい周期しゅうきちがう。そこで、わたしはハッとなった。じつは、はやぶさ戦闘せんとう設計せっけいでもさんざん苦労くろうしたことなのだが、方向ほうこうかじんで方向ほうこうえようとすると、かならずローリングといってよこ運動うんどうこる。飛行機ひこうきは、よこ運動うんどうたて運動うんどうがカップルする。その神経しんけいつことができれば、画期的かっきてき戦闘せんとうになると、そのとき、チラッとあたまにひらめいたのである。このつぎ戦闘せんとうは、方向ほうこうかじ操縦そうじゅう補助ほじょつばさ操縦そうじゅうなどあらゆる操縦そうじゅう、それらが全部ぜんぶカップルしないような、神経しんけい全部ぜんぶられたようなものであれば、これはものすごいスピードがるはずである。同時どうじにまた、ものすごい命中めいちゅう精度せいど上昇じょうしょうりょくるはずである。というようなことがヒントになり、わたしは、全知全能ぜんちぜんのうをつくして鍾馗しょうき戦闘せんとう設計せっけいした。 』――[15][ようページ番号ばんごう]
  8. ^ ダウンスラスト。こうむかえかくなど、ななふうけるプロペラの左右さゆうめん推力すいりょく軽減けいげんにも有効ゆうこう
  9. ^ 1943ねん10がつより改編かいへんされた独立どくりつ飛行ひこうだい47中隊ちゅうたい後身こうしん
  10. ^ これは主翼しゅよく上面うわつらのぼり、左右さゆうからがるながれが胴体どうたいじょうはんながれとって干渉かんしょうするのを幾分いくぶんでも吸収きゅうしゅうながれをスムーズにする意図いとだとえる。
  11. ^ プロペラめんとお空気くうき加速かそくされ外気がいきよりしずかあつひくくなって周囲しゅういからされるためプロペラみちよりちいさい収縮しゅうしゅくりゅうになる。
  12. ^ なお、つばさない装備そうびホ301は“小粒こつぶ勇者ゆうしゃほう”と呼称こしょうされている。
  13. ^ 作中さくちゅう登場とうじょうするものの形状けいじょうはアメリカのM20 75mm反動はんどうほう近似きんじしているが、具体ぐたいてき機種きしゅめい不明ふめい

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 取扱とりあつかいほう, p. 1.
  2. ^ 青木あおき 1999, p. 112.
  3. ^ 青木あおき 1999, p. 104.
  4. ^ 青木あおき 1999, p. 107.
  5. ^ 作戦さくせんじょう要望ようぼう, pp. 3–4.
  6. ^ 作戦さくせんじょう要望ようぼう, p. 5.
  7. ^ 作戦さくせんじょう要望ようぼう, pp. 6–7.
  8. ^ 青木あおき 1999, pp. 107–108.
  9. ^ 青木あおき 1999, p. 124.
  10. ^ 大木たいぼく 1984, p. 4.
  11. ^ a b 青木あおき 1999, pp. 111–112.
  12. ^ 作戦さくせんじょう要望ようぼう, p. 6.
  13. ^ たけなわとうしゃ 設計せっけいしゃ証言しょうげん pp. 109–112[よう文献ぶんけん特定とくてい詳細しょうさい情報じょうほう]
  14. ^ 青木あおき 1999, pp. 123–124.
  15. ^ 糸川いとかわ 1980.
  16. ^ a b c 内藤ないとう子生こなじ飛行ひこう力学りきがく実際じっさい日本航空にほんこうくう技術ぎじゅつ協会きょうかい 1977ねん、 p. 65
  17. ^ 内藤ないとう子生こなじ飛行ひこう力学りきがく実際じっさい日本航空にほんこうくう技術ぎじゅつ協会きょうかい 1977ねん、 p. 66
  18. ^ 大木たいぼく 1984, p. 27.
  19. ^ 取扱とりあつかいほう, p. 67.
  20. ^ 大木たいぼく 1984, p. 26.
  21. ^ いかり義朗よしろう疾風しっぷう 航空こうくう技術ぎじゅつたたかい』 p. 78 [よう文献ぶんけん特定とくてい詳細しょうさい情報じょうほう]
  22. ^ 山名やまな正夫まさお, 中口なかぐちはく飛行機ひこうき設計せっけいろんよう賢堂かしこどう、1968ねん p. 182
  23. ^ 軍用ぐんようメカシリーズ③ こうじんしゃ p. 101[よう文献ぶんけん特定とくてい詳細しょうさい情報じょうほう]
  24. ^ 大木たいぼく 1984, p. 29.
  25. ^ 湯浅ゆあさ謙三けんぞうわけ野沢のざわただし監修かんしゅうだい2大戦たいせん戦闘せんとうつる書房しょぼうかん、1970ねん[ようページ番号ばんごう]
  26. ^ 梅本うめもとひろしだい大戦たいせんはやぶさのエース』 だい日本にっぽん絵画かいが、2010ねん8がつ、p. 116
  27. ^ ぶん林堂はやしどうへん世界せかい傑作けっさく No.147 特集とくしゅう陸軍りくぐんしき戦闘せんとう 鍾馗しょうきぶん林堂はやしどう、1985ねん[ようページ番号ばんごう]
  28. ^ 歴史れきしぐんぞう編集へんしゅう へん決定けっていばん 日本にっぽん陸軍りくぐん学研がっけんパブリッシング、2011ねん、54ぺーじISBN 978-4-05-606220-5 
  29. ^ 空自くうじ入間いるま基地きちおさむたけだい記念きねんかん特攻とっこう桜花おうか実機じっきなど公開こうかい埼玉さいたま - 毎日新聞まいにちしんぶん
  30. ^ a b せんつばさのシグルドリーヴァ」公式こうしきサイト>HERO WINGS ※2020ねん10がつ4にち閲覧えつらん
  31. ^ せんつばさのシグルドリーヴァ」公式こうしきサイト>せんつばさ通信つうしん vol.02 世界せかいかん設定せってい設定せってい考証こうしょう 鈴木すずき貴昭たかあきによるスペシャルコラム だい2かい キ-44IIおつ & He100D-1 ※2020ねん10がつ4にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • アジア歴史れきし資料しりょうセンター(公式こうしき防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ
    • 内閣ないかく情報じょうほうきょく へん写真しゃしん週報しゅうほう 291ごう国立こくりつ公文書こうぶんしょかん、1943ねん9がつ29にち。JACAR(アジア歴史れきし資料しりょうセンター) Ref. A06031088600。 
    • 陸軍りくぐん航空こうくう本部ほんぶしき戦闘せんとうがた取扱とりあつかいほう国立こくりつ公文書こうぶんしょかん、1944ねん2がつ。JACAR(アジア歴史れきし資料しりょうセンター) Ref. A03032181800。 
    • 參謀さんぼう總長そうちょうじん親王しんのう次期じき飛行機ひこうき性能せいのうとうかんする作戦さくせんじょう要望ようぼうけん」『ひそかだい日記にっきだい3さつ防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ、1938ねん1がつ6にち。JACAR(アジア歴史れきし資料しりょうセンター)Ref. C01004421000。 
  • 糸川いとかわ英夫ひでお光文社こうぶんしゃ〈カッパ・ブックス〉、1980ねんISBN 978-4334003708 
  • 大木おおき主計かずえまるメカニック』だい44かんしお書房しょぼう、1984ねん1がつ10日とおか 
  • 鈴木すずき五郎ごろう疾風しっぷう - 日本にっぽん陸軍りくぐん最強さいきょう戦闘せんとう』サンケイ新聞しんぶんしゃ出版しゅっぱんきょく、1975ねん 
  • いかり義朗よしろう戦闘せんとう 疾風しっぷう廣済堂こうさいどう〈Kosaido Books〉、1977ねん 
  • 秋本あきもとみのる日本にっぽん戦闘せんとう 陸軍りくぐんへん出版しゅっぱん共同きょうどうしゃ、1961ねん 
  • ぶん林堂はやしどう へんへん)「特集とくしゅう陸軍りくぐんしき戦闘せんとう鍾馗しょうき」」『世界せかい傑作けっさく』1985ねん1がつごうだい147ごうぶん林堂はやしどう、1985ねん1がつ 
  • 青木あおき邦弘くにひろ[注釈ちゅうしゃく 1]中島なかじま戦闘せんとう設計せっけいしゃ回想かいそう - 戦闘せんとうから「けん」へ-航空こうくう技術ぎじゅつたたかい』光人みつひとしゃ、1999ねんISBN 4-7698-0888-7 
  • 宮田みやた豊昭とよあき (2002ねん7がつ9にち). "つばされつつて こくやぶれて戦闘せんとう". スカイネット・ワン事務じむきょく. 2010ねん4がつ20日はつか時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2024ねん1がつ2にち閲覧えつらん
  • 刈谷かりやただし日本にっぽん陸軍りくぐん試作しさく物語ものがたり光人みつひとしゃ、2007ねんISBN 978-4-7698-1344-6 
  • 梅本うめもとひろし陸軍りくぐん戦闘せんとうたい撃墜げきつい戦記せんき 2 中国ちゅうごく大陸たいりく鍾馗しょうき疾風しっぷう - 1943–45ねん 飛行ひこうだい9戦隊せんたいと85戦隊せんたいだい日本にっぽん絵画かいが、2007ねんISBN 4499229529 

参考さんこう文献ぶんけん注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 中島なかじま飛行機ひこうき陸軍りくぐん設計せっけい技師ぎし / キ-115「けん主任しゅにん設計せっけいしゃ

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]